2019年1月31日。
この「kinkyou」ブログ、前の投稿をみたら2016年12月だった。2年1か月ぶりにブログアップしてみようと思う。
FaceboookやTwitter、Instagram…SNSに写真やつぶやきをアップすることに慣れてしまうと、ブログでまとまった文章を書くことが途端におっくうになる。
こどもをひとり産んでからというもの、何かと慌ただしい日々に本を一冊読むのさえすごく苦痛で、集中力がブツ切れ(集中していないので集中力、とも言わないか…)の状態がずっと続いていた。
がしかし、今年でこどもは10歳になる。私の集中力と持久力のなさを育児のせいにするにはそろそろ期限切れではないか。ということで、リハビリのつもりでこのkinkyouブログに手をつけている。
(細々とでも続けられるために、文章はなるべく簡潔に、単刀直入に。)

さて先日、横浜で開催していた東京芸大の大学院映像研究科メディア映像専攻の修士課程修了展「Media Pradtice18-19」へ出かけた。
そこで見た佐藤未来さんの作品《Retelling Yokohama》がとても印象的だった。
作品は、横浜を舞台に制作した映像を2つのスクリーンで交差するように配した映像インスタレーションで、「GIベイビー」と呼ばれる戦後の日本を占領していた米軍兵士と横浜の娼婦の間に生まれた赤ちゃんの、その多数が生後間もなく死亡し埋葬されたとされる出来事についての公的な記録とさまざまに語りつがれている”隠蔽されていた事実”を佐藤未来さんの独自の目線で再構築し、それを語るために実在する人物達ーGIベイビーとして今も”生き延びて”いるある親子ーをとらえた映像や、彼女が撮影した根岸外人墓地と伊勢佐木町の風景が、独特なナレーションとともに過去と現在、フィクションとドキュメントのあいだを自在に幻想的にさまよう映像として構成されていた。
この作品をみた翌日、なぜかいてもたってもいられなくなり私はカメラを持って家をでた。
実は作品に登場する「根岸外国人墓地」は、私の住んでいる本牧の自宅から自転車で15分ほどの近い場所にあったのだ。生まれも育ちも横浜なのに私は今までその墓地の存在も、その周辺の出来事も知らなかった。
知らなかったことを恥じてる暇があったらとにかく見に行ってみよう、そんな気持ちで自転車を走らせた。
JR山手駅からすぐの、仲尾台中学校の裏手にその墓地を発見した。「根岸外国人墓地」と書かれた看板は佐藤未来さんの映像作品でみたとおり、ほとんど消えかかっていて内容をよみとることは難しい。その看板の近くに自転車をとめ、せまい入口を身をかがめてくぐった。
冬晴れの、すごく濃い青空だった。枯れ葉のじゅうたんを踏み、わからないまま進んでいった。
たくさんの墓石や墓標を横目にみながら足を進めるとなんとなく違う雰囲気の獣道のような奥行きが見えた。子どもたちが好んで秘密基地にしたがりそうなスペースだなーと思いながら導かれるように進む。(冬でよかった。私は虫やクモの巣がすごくいやなのである)
急に目の前が開けた。そこには立派に積まれた墓石も供花もなかった。小さい墓標か、せいぜいひざ下くらいの高さの墓石がぱらぱらと野原に不規則に置かれていた。
いくつかの墓標に刻まれている英語の文字を目を凝らして見た。生まれた月日と死んだ月日、わずか数か月、わずか数日のものもある。
しかし墓石に名前が刻まれているということは、少なくともそのGIベイビーは父親である米軍兵士と母親に命名され出生記録をもつ者である。
枯れ葉で埋まりかけた墓標をまちがって踏まないようにと注意して歩いていたが、横浜の娼婦が望まない妊娠の末になすすべもなく産み落として山手の外人墓地の前に放置するよりなかった嬰児たちは、困り果てた山手外国人墓地の管理者によってここに埋葬されたという。そもそも墓標などなくただ埋められた遺体がほとんどだったのではないか。
つまりそれはきっとカメラを持って立っている私の足の下にも在るのだ。顔を上に向ければ中学校の校舎の窓には生徒が書いたと思われる書道作品が展示されていた。「平和の光」と書かれていた。





















横浜市が明らかにしていないこれらの遺体数は、約900体以上あるともいわれている。
葬儀はおろか埋葬のための処置もされないまま望まれず生まれて死んでいったGIベイビー達のお墓にひとりで出かけていったのに、不思議と怖かったり悲しかったりの気持ちにならなかったのは何故なのだろう、と根岸外国人墓地をあとにした私は考えていた。
空が青くて良く晴れた日だったからか、それとも墓標が英語で書かれていて日本人の私にとって現実味がなかったからか。
もしかしたら、私も子を産んだことがある「母親」のひとりだからかもしれない。現実味がないというより、モロ、現実として私のすぐ隣にこの出来事が存在し始めたのだ。
横浜で生まれて10代のころは伊勢佐木町界隈で遊び、美術大学を卒業して横浜に戻ってからはしぜんとBankART NYK studioや黄金町エリアを作品制作の拠点にするようになっていたが、40代半ばになってようやく、ここにいる意味や関係性をもっと探ってみたくなった。
唐突だが今年の私の目標というかテーマは「描写」である。
木を見て森を見ず、ではなく、私がいる森のなかの一本の木の根元を描いてみようと思っている。
2019年、今年もよろしくお願いします。
栗原亜也子
この「kinkyou」ブログ、前の投稿をみたら2016年12月だった。2年1か月ぶりにブログアップしてみようと思う。
FaceboookやTwitter、Instagram…SNSに写真やつぶやきをアップすることに慣れてしまうと、ブログでまとまった文章を書くことが途端におっくうになる。
こどもをひとり産んでからというもの、何かと慌ただしい日々に本を一冊読むのさえすごく苦痛で、集中力がブツ切れ(集中していないので集中力、とも言わないか…)の状態がずっと続いていた。
がしかし、今年でこどもは10歳になる。私の集中力と持久力のなさを育児のせいにするにはそろそろ期限切れではないか。ということで、リハビリのつもりでこのkinkyouブログに手をつけている。
(細々とでも続けられるために、文章はなるべく簡潔に、単刀直入に。)

さて先日、横浜で開催していた東京芸大の大学院映像研究科メディア映像専攻の修士課程修了展「Media Pradtice18-19」へ出かけた。
そこで見た佐藤未来さんの作品《Retelling Yokohama》がとても印象的だった。
作品は、横浜を舞台に制作した映像を2つのスクリーンで交差するように配した映像インスタレーションで、「GIベイビー」と呼ばれる戦後の日本を占領していた米軍兵士と横浜の娼婦の間に生まれた赤ちゃんの、その多数が生後間もなく死亡し埋葬されたとされる出来事についての公的な記録とさまざまに語りつがれている”隠蔽されていた事実”を佐藤未来さんの独自の目線で再構築し、それを語るために実在する人物達ーGIベイビーとして今も”生き延びて”いるある親子ーをとらえた映像や、彼女が撮影した根岸外人墓地と伊勢佐木町の風景が、独特なナレーションとともに過去と現在、フィクションとドキュメントのあいだを自在に幻想的にさまよう映像として構成されていた。
この作品をみた翌日、なぜかいてもたってもいられなくなり私はカメラを持って家をでた。
実は作品に登場する「根岸外国人墓地」は、私の住んでいる本牧の自宅から自転車で15分ほどの近い場所にあったのだ。生まれも育ちも横浜なのに私は今までその墓地の存在も、その周辺の出来事も知らなかった。
知らなかったことを恥じてる暇があったらとにかく見に行ってみよう、そんな気持ちで自転車を走らせた。
JR山手駅からすぐの、仲尾台中学校の裏手にその墓地を発見した。「根岸外国人墓地」と書かれた看板は佐藤未来さんの映像作品でみたとおり、ほとんど消えかかっていて内容をよみとることは難しい。その看板の近くに自転車をとめ、せまい入口を身をかがめてくぐった。
冬晴れの、すごく濃い青空だった。枯れ葉のじゅうたんを踏み、わからないまま進んでいった。
たくさんの墓石や墓標を横目にみながら足を進めるとなんとなく違う雰囲気の獣道のような奥行きが見えた。子どもたちが好んで秘密基地にしたがりそうなスペースだなーと思いながら導かれるように進む。(冬でよかった。私は虫やクモの巣がすごくいやなのである)
急に目の前が開けた。そこには立派に積まれた墓石も供花もなかった。小さい墓標か、せいぜいひざ下くらいの高さの墓石がぱらぱらと野原に不規則に置かれていた。
いくつかの墓標に刻まれている英語の文字を目を凝らして見た。生まれた月日と死んだ月日、わずか数か月、わずか数日のものもある。
しかし墓石に名前が刻まれているということは、少なくともそのGIベイビーは父親である米軍兵士と母親に命名され出生記録をもつ者である。
枯れ葉で埋まりかけた墓標をまちがって踏まないようにと注意して歩いていたが、横浜の娼婦が望まない妊娠の末になすすべもなく産み落として山手の外人墓地の前に放置するよりなかった嬰児たちは、困り果てた山手外国人墓地の管理者によってここに埋葬されたという。そもそも墓標などなくただ埋められた遺体がほとんどだったのではないか。
つまりそれはきっとカメラを持って立っている私の足の下にも在るのだ。顔を上に向ければ中学校の校舎の窓には生徒が書いたと思われる書道作品が展示されていた。「平和の光」と書かれていた。





















横浜市が明らかにしていないこれらの遺体数は、約900体以上あるともいわれている。
葬儀はおろか埋葬のための処置もされないまま望まれず生まれて死んでいったGIベイビー達のお墓にひとりで出かけていったのに、不思議と怖かったり悲しかったりの気持ちにならなかったのは何故なのだろう、と根岸外国人墓地をあとにした私は考えていた。
空が青くて良く晴れた日だったからか、それとも墓標が英語で書かれていて日本人の私にとって現実味がなかったからか。
もしかしたら、私も子を産んだことがある「母親」のひとりだからかもしれない。現実味がないというより、モロ、現実として私のすぐ隣にこの出来事が存在し始めたのだ。
横浜で生まれて10代のころは伊勢佐木町界隈で遊び、美術大学を卒業して横浜に戻ってからはしぜんとBankART NYK studioや黄金町エリアを作品制作の拠点にするようになっていたが、40代半ばになってようやく、ここにいる意味や関係性をもっと探ってみたくなった。
唐突だが今年の私の目標というかテーマは「描写」である。
木を見て森を見ず、ではなく、私がいる森のなかの一本の木の根元を描いてみようと思っている。
2019年、今年もよろしくお願いします。
栗原亜也子
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