トロールの森から 富良野 美瑛 私たちの暮らし

北海道(上富良野)の小さな森、トロルドハウゲンでの出来事を中心に、音楽、写真、食、自然、旅、人、動物・・・などなど、大好きなものを日記を書くように綴っていこうと思います。

古寺巡礼

春ですね M

早春のやわらかな光に誘われて、
ふらりと東大寺の境内を歩いてみた。

大仏殿 

つい先日まで、
分厚いダウンジャケットにマフラーをぐるぐる巻き、
うつむいて階段を登ったことが嘘のよう。
お水取りを終えた二月堂は、
あの厳しかった本行の日々などなかったように、
静かな日常の顔に戻っていた。

長池

本行だけでも2週間。
別火も入れると1ヶ月ほど。
清浄な火の元で、肉食などを断って心身を清め、
人々の幸せと平和のために、
ひたすら懺悔と祈りを繰り返した11人の練行衆の、
無の心から唱和される声明に、
これほど心を揺さぶられるとは思わなかった。

1250年以上、一度も途絶えることなく続けられてきたお水取り。
二月堂を舞台に繰り広げられる
この壮大な聖劇とも言うべき行には、
西洋音楽という絶対的な存在の呪縛から解き放ってくれる
大きなヒントが秘められていた。
かつてドビュッシーは、
インドのガムラン音楽と出会って強烈な印象を受け、
新たな扉を開いていったけれど、
そのときの鮮烈さと驚きも、
やはりこういう感じだったのだろうか。
そんなことを思ったりした。

 登楼

二月堂へ通じる登廊を、息をきらしながら登った日々。
しんしんと底冷えのする夜、
寒さと格闘しながら11人の連行衆の声に耳を傾けた日々は、
思えば、自分自身と対峙する時間でもあった。
そして今、あの日々は、
誰のものでもない「私のお水取り」となって
心の中に息づいている。
きっと、あの寒空の下、
二月堂に足しげく通った人たちは、
みなそれぞれに「自分だけのお水取り」を感じ取ったことだろう。

ダッタン帽

穏やかな日射しを浴びて
小さな子どもたちが駆け回る。
重いコートを脱いだ人々が和やかに談笑し、
ほころび始めた桜に足を止める。
そんな何気ない日常の風景に心がしみるのは
この穏やかな春の日が、けして当たり前のことではなく、
何か大いなるものの計らいと、
私たちに代わって懺悔をし、
祈りを捧げる人々によって支えられていると知ったから。
少なくとも、我々日本人は
そう信じて、古来よりずっと生きてきた。
 
二月堂

すべての生命がいきいきと輝き出す春。
私も精一杯、自分を生きよう。
みなさんの心にも、春の息吹が訪れますように。
 
たいまつ

回想 2 新薬師寺 お松明 A

新薬師寺 お松明

 前回のお話しの薬師寺の「花会式」の数日後、新薬師寺の「お松明」を見に行きました。「花会式」「雛会式」そして3月の東大寺「お水取り」など奈良を愛するものにとっては重要な行事が目白押しのこの時期ですが、写真を撮る方だけでなく境内では顔見知りの方々と久々にお目にかかれて再会を喜び合いました。地元の方々もそうですが、東京や関東からの奈良ファンも多くその熱意には恐れ入ってしまいます。
 大和の風景は独特で富良野 美瑛の景観とは全く違う魅力があります。歴史の重みや独特の湿度、気候のが違いが景色の違いを創るのでしょうけれど、この風景以外の魅力に取り憑かれる方々も多いようです。そういう自分もそうですが、最初は大らかな風景の中に堂塔がに溶け込む姿に感激しシャッターを切ったものですが、今は人間の姿そのものに心惹かれます。例えば、僧侶の祈りの姿などにです。奈良に来て、風景写真では美しい写真より崇高な瞬間、神々しい瞬間を求め歩きました。それと同じで今まで、特に男性ポートレート(演奏家など)では かっこいい姿を意識してシャッターを切っていましたが、年齢性別に関係なく崇高さや内面から立ち上る美しさを撮りたいと思うようになりました。この新薬師寺「お松明も」一年ぶりの撮影だったのですが、祈りの姿を中心に撮るようにしました。と言ってもこれは非常に難しい課題で、中々思うようなカットは撮影出来ません。 でも、他人のために何かを一生懸命(一所懸命)する姿は美しいですよね。そのような姿を見る事が出来た事、その姿に感動出来た事が一番の収穫かもしれませんね。それでは、また次回まで。 

大徳寺

名称未設定 1紅葉本番の京都に行ったことは、
先日少し触れましたが、
 東京のどちらかといえば無機的な
風景を見てきた ぼく達にとって、
京都の秋、それも大徳寺境内の
清々しい朝の光景は忘れられない
ものとなりました。
 光景…それは風景だけでなく、
人々のつくる情景も心に焼き付いた…
ということなんです。
 庭を隅々まで掃く人々、
光の中を歩く若き雲水。
桧皮葺の屋根から立ち上る水蒸気、
どれも これも、
僕たちの気持ちを引き締める。
こんなに気持ちのいい朝はいつ以来?
こんな情景がまだ残っているんだ!
やっぱり日本は捨てたもんじゃない。
若き気高き心がまだ残っている。
その後、大徳寺開山忌献茶式を
縁あって見せて頂いた。
午後からも一般には公開されていない、
塔頭の素晴らしき庭や茶室を見せて頂き、
本坊で精進料理を頂いた事も
忘れられぬ体験となった。
体で、心で、禅のひとかけらでも
感じさせて頂いた一日でした。
また、詳しくは後日書いてみようかな。
とにかく、一日では消化不良をおこしてしまいそうな、
贅沢な時間を過ごさせて頂きました。
関係者のみなさま、本当にありがとうございました。
それにしても、一休さんの書には、
強烈な力を、勢いを感じたな…。
あれからもう2週間近く経つのに、
あの日の事を思い出すと
放心状態になるんです。
また書きますね。
それでは今日はこの辺で。

お久しぶりです。

   やっぱり書かなくちゃね!    

01 bro2


すごーく久しぶりに書いています。 それは何故かと言うと?
北海道やトロールの森や、生活の様子などの事柄を書かきゃ!そしてそれを皆さんに期待されているだろうな…と思っていたから、この時期トロルドに居ない僕たちにとっては、なかなかブログも書けないな……って思っていたんです。  でも、もともとこのブログトロルドハウゲンのものではなくて、opus23のブログだったんですよね! そして、何でも良いから読みたい!って言ってくれる方々も少なからずいらっしゃったので、何の囚われもなくこれからは書いてみようかと思っています。
さて、まずは言い訳から。今年の夏のシーズンは初めてスタッフさんに手伝ってもらわず、私たち2人だけで乗り切ったんです。だから、もう疲れてしまって…1日を無事終えるだけで精一杯でした。年ですね! 本当に、とてもブログを書く元気は残っていませんでした。 夏を終えるとすぐにヨーロッパ取材が始まり、(これは、現在連載中の雑誌で今後発表していくものです。)そして今は奈良での仕事に従事しています。
そもそも、何で北海道に住んでいるあなたが奈良にいるの? って疑問を持つ方も多いでしょうけれど…それは、今後追々書いていきたいと思っていますので、今は気にしないで読んでいて下さいね。  現在僕は、遷都1300年を記念して、奈良県にある神社仏閣、伝統行事などをすべて撮影していく、素晴らしいプロジェクトにフォトグラファーとして参加させて頂いています。 こんな願ってもいない仕事に参加させて頂けるのはひとえに関係者の皆様のお陰なんですが、本当に素晴らしい体験をさせて頂いています。 ですから、これからは、こんな日々の体験やトロールの森での夏の出来事の思い出とか…リアルタイムではありませんが、楽しく書いていこうかと思っています。 今後ともよろしくお願いしますね。
そして、来年にはトロルドハウゲンも20周年を迎えますし、ついに一組限定のスペシャルな宿に変えていこうかな?とも考えています。 その辺のお話も少しずつ書ければな…と思っています。   という事で、今日はこの辺でおしまいです。 今日の写真は、満月にゆれる法起寺です。昨年の冬に撮影したものですが、もう奈良は秋の気配! 中秋の名月はすっかり終わりましたが、これからの時期の方が、月を楽しむにはもってこいの季節ですよね…ということで、この写真を使ってみました。 それでは、また。

おん祭り

おん祭り          おん祭り

 話は色々聞いていた。
「言葉では説明できないんだ」「 とにかく一度見てみなさい」 などなど・・・・。
 それは、夜中の12時頃から始まるから、まず奈良にしては珍しく夜遅くまで営業している「おでん屋さん」でその同士たちと落ち合った。
 何度も参加している人、今回が始めての人・・・皆で話をしながらおでんをつつく。冷え込む夜を徹して立ち尽くすので、皆ビールはひかえている。 店内はおでんの湯気も立ち暖かだが、12月の奈良は冷え込む。山用のシャツに厚手のセーター、ズボンの上からはく防寒用のパンツも持参している。美瑛での真冬の撮影体制を整えてきた感じである。
 いよいよ時間が迫ってきたので車で待機場所へと向かう。とにかく寒い、歩いている時はそうでもないが、これが一箇所に立ち尽くし見ているのは寒いだろうな? と心に思い浮かべながら真っ暗な参道を前を行く人の気配だけを頼りに歩く。やがて、自分たちの場所へ到着、灯りはいっさいない・・・辺りは自動販売機にいたるまで光を発するものは排除されている。薄く漂う夜霧に参道を取り巻く木々がかすかに浮かんで見える。相当な人数がその瞬間を待ち望んでいるのが感じられる。やがて人々の話し声も消えうせ、全てが闇に沈んだ頃、耳をかすめる低い、いや耳鳴りとも錯覚するような、大地の奥深くから響いてくるような、何ともいえぬ・・・しかし決して不気味ではない音、気配が、近づいてくるのを感じた。松明が先導している。 闇から光が・・・静から動へそして音が・・・香りが・・・無から全てのものが生まれ出てくる感じだ・・・。通り過ぎていく目の前を・・・そうだ、これが神様なのだ!
 神様の通られた路には、光と香りの跡がついていた。神様は本当にいるんだね!そんな気持ちが誰の心にも沸いてくるそんな瞬間であったと思う。  そう、これはどんなに言葉を尽くしても表現できないことなんだ。
 どんな舞台よりも、オペラよりもスペクタルな時間なんだ!
 ただ、日本は素晴らしい!そう思った。
プロフィール

opus23

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