2010年02月22日

パレード4

parade





 人の表情が響き渡る。それぞれがそれぞれの生活をしうわべだけを覗かせてそっと立ち去る。

 観ているほうはそんなに彼らに感情移入しなくてすむし、出来ればそんな彼らの表層的で無機質で有り余ったエネルギーをどこに放てばよいのか分からないもどかしさを眺めているのはあまり楽しくないかもしれない。

 だが、もしそんな生活感覚が入れ替わり立ち代わりスクリーンに静かに物憂げに投影され、それぞれの関係性を平坦にしつつも、誰もが人にはちょっと言い難い秘密を抱えてたとしたらどうだろうか。

 そしてその秘密にそれぞれがふとした事でかかわり、観察行為に対してみせる表情が一通り変わらなかったらどうだろうか。

 つくづくこの作品、いやこの作品の原作を読んでいた時からずっと心に引っかかっていた事がある。

 そもそも人間は他人に対してさほど深く興味を持たずに互いの干渉を良しとせずそれなりの関わりを一時だけ持ちながらも、そのループに浸る事を良しとし、その心地良さを幾度も繰り返す事に邁進するのではないかという感覚である。

 そこには良心も悪意も存在せずに淡々とそれぞれの評価がふと浮かび上がり、それぞれの感情が浮き沈み、たまに衝動的になり得る者の顔は目立つが時とともにそれも忘れ去られてしまう。

 だから怖いと感じる原作の解説の文章の意味が何となくじわりと来るのだ。それはおそらく、この作品に出てくるそれぞれのキャストである藤原竜也、小出恵介、貫地谷しほり、香里奈、林遣都が絶妙に演じるそれぞれの人物を客観視した恐怖ではないような気がする。

 彼らに何となく共感してしまう恐怖。実は自分の心と向き合った時に感じる何ともいえない表面上の居心地の良さを感じてしまう根源的な恐怖を彷彿とさせてしまうから人間と人間の関わりは何となく怖いものに見えてしまうのかもしれない。

 もしかしてとこの作品のラストを観た時に思うかもしれない。もしかしたらそれは違うのではないかと思う人物がこの中に1人でもいるのかもしれないと。しかしそれは彼らの声に消され、表情の奥に引っ込み、身体から出るその場の喜びの内側に隠されてしまった。

 こんな人間の重量感というかそれぞれのふとした重みを隠そうとするずしりとした重圧には耐え切れそうも無いのだが、解放されても何となく後を追っかけてくる魅力的で、後ろ髪を引かれてしまうような余韻に思わず負けそうになる心地よさは一体何なのだろう。

監督・脚本 行定勲
出演 藤原竜也
   香里奈
   貫地谷しほり
   林遣都
   小出恵介

2月22日 シネクイントにて鑑賞

『パレード』
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2010年02月20日

ルド and クルシ3

rudoycursi




 兄弟のそれぞれの瞬間は当初は堅実に日々の暮らしの中での喜びやら笑いを享受している。出来ればそのままで良かったのかもしれないし、人生の刺激をもっとふんだんに盛り込むのであればちょっとしたこのバナナ園での驚きエピソードを綴るほのぼのとしたエピソード的な家族ドラマになったかもしれない。

 しかし、兄弟は憎めない具合に二転三転と破天荒なドラマの中心になって行く。名声や金銭に囚われ、誘われ、そしてそのとんとん拍子の物語にそうは上手くいかないだろうというきらびやかな欲望に翻弄されつつも、どんな状況でもその絆やら性質というものはそう簡単に変わらないのだなとしみじみ思う手触りが良い。

 バナナ園で働くベト(ディエゴ・ルナ)とタト(ガエル・ガルシア・ベルナル)という兄弟は、日々を楽しむ姿勢というのを変えず、彼らもまたそのままでずっと毎日が過ぎ去っていくもんだと疑わない風景にその表情を委ねていた。

 でもきっかけというのは分からないもので、たまたま彼らが草サッカーに行こうとした時にタイヤのパンクで困っていたスカウトのバトゥータを助けた事も一因となったのか、2人はまるでおかしな糸に引っ張られるように存在感を増していく。

 彼らがサッカーをやっている最中に2人にPK対決をさせ勝った方にサッカーチームに入れるというノリなのか真剣なのか分からない雰囲気を漂わせながらバトゥータは買ったタトをサッカーチームに紹介するのだが、タトにチャンスあればベトにもその堅実な才能は訪れる。

 1つこの作品を観て感じるのは、当たり前だけど才能というのは努力なしには磨かれないというのは明白であって、タトとベトが面白いぐらいに転がって、何とかそれを修復しようにも行き場のないところまで行ってしまうという人間味を味わう事となる。

 2つめはたとえ天分の才能があったとしても、人は分相応に生きていればそれなりの幸せと生きている位置を確実に仕留める事がほのかな努力によって可能になるという教育的なおかしみを同時に味あわせてくれる所か。

 もう1つ面白いといえばベトとタトそれぞれ形は違えども自分の領分に関して好きな事をとことんやってしまう事。またしばし我を忘れつつも自分の故郷に対しては足を向けて寝られないほどに、地元の影響力がその身体に染み込まれている事が随所から伺える点もポイントだろう。

 こういういかにもなバカバカしさを演じさせたら天下一代の2枚目兼3枚目も板についてきたガエル・ガルシア・ベルナルと貫禄がありつつも幼さと尻にしかれている感を体現しきったディエゴ・ルナの『天国の口、終わりの楽園』以来の共演も何だか嬉しい。

 何よりも彼らはこういう作品が好きなのだなと感じさせる演技をしている事。映画の中で動く人物の機微や映画作品が語る人間性というものをとことん突き詰めて挑戦しようとしているそのギラギラした姿、ラテンのファンにはたまらないと思います。


監督・脚本 カルロス・キュアロン
出演 ガエル・ガルシア・ベルナル
   ディエゴ・ルナ
   ギレルモ・フランチェラ
   ドロレス・ヘレディア
   アドリアナ・パズ

2月20日 シネマライズにて鑑賞

『ルド and クルシ』 (原題 Rudo Y Cursi)
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2010年02月19日

抱擁のかけら3

losabrazosrotos




 めくるめく人間の輪廻的な愛の世界はドロドロしていて、絡まりあい、ねっとりと離さない。

 観ていて思い出したのは同監督の『ライブ・フレッシュ』で、誰しもが望んだ世界などそう簡単には手に入れられないが、どこかに残る愛する者の愛おしさや温もりや声に対しての揺るぎない賛歌は失うつもりはないらしい。

 物語の冒頭の起点はあいまいで、頭が混乱しそうになる。それもまたある男の愛の物語だとはぼんやり感じ取れるがその輪郭をはっきりさせていく作業は、まるで監督が観客の頭の中に意図させるかのように、観客の手にじっとりと手ごたえを感じさせるかのように、観客の血と肉に感じさせるかのようであり、それがペドロ・アルモドヴァルの良くも悪くも魅力となる。

 主人公は盲目の脚本家。物語を紡ぐ人物を主人公にした事は何かしらの意図があるのであろうか、ついつい勘繰ってしまう。彼の名はハリー・ケイン(ルイス・オマール)といい彼の記憶の糸は嫌でも一人の男の名前によって手繰られる。

 実業家のエルネストという人物の訃報。またそのエルネストの息子が監督する作品の脚本をハリーに依頼してきたという唐突の願いから嫌でも過去に向き合う事になった男の名は14年前はマテオという名の監督という別の側面を持っていた。

 なぜ彼は名を変える事になったのか、オーディションにやってきた麗しく美しい女性レナ(ぺねろぺ・クルス)と彼女を愛したマテオ、そしてそこにエルネストという人物がどのように関わってくるのか、そしてマテオが失明した経緯に隠された彼自身の心の底にある悲しみとはどのようなものか。

 そういった人間と人間の狭間に横たわる感情の交錯、過去に囚われそうになる心やハリーが作ろうとする物語の中に残る愛への残り香、作品へのアプローチはあくまでも性急そうに見えて、実に枠をゆっくりとかたどるようにそのベールをやさしく開いていく。

 現実はあくまでも運命に委ねられるかのような唐突さを合間に含みながら進んで行く。愛し合った末の果て無き欲望と愛憎の渦は見ていて心苦しく思わずハリーの肩に手をかけその愛への勢いと彼が作る映画作品の世界観の天秤を上手く保たせたくなるが、それは見えざる手によって介在されるよりも流れるままの人間の嫉妬と苦悩を浮き彫りにするドラマを基調とする自然性によって深みを増す。

 レナ演じるペネロペ・クルスは相変わらずその存在感を美貌によって主張しつつもはかなく美しい女性像を押し出す。だからこそ一矢報いたくなるのが、レナを自分の世界でしか生きられないようにし、マテオの作品にさえ口出しをしようとしてくる芸術性のかけらも無い男エルネスト(ホセ・ルイス・ゴメス)の存在だろう。

 この役者が抜群に憎たらしいぐらいに上手く、気持ち悪いぐらいのオジサンを堂々と演じているのには参った。マテオの感情の矛先がどこに向いたら分からないぐらいに苦悩する姿。彼自身が愛する者と映画作品の間でさまよい歩く姿は見ていてこれほどにプライドをズタズタにされそうになる瞬間は無いほどだ。

 レナへの愛と芸術への愛。どちらも失うわけにはいかないのであり、どちらかを選択する苦悩というのも彼にはあったのであろう。だが運命は思わぬ方向へと彼を導き、さらに深い愛の坩堝の奥にはまり込んでいくのだが。

 ペドロ・アルモドヴァルはどちらかというと運命や人間が左右されるものに対してそれに身を委ね、あるがままに受け入れるのが自然だと常に示唆してきたように思う。

 だがしかし、その方向性とは違った声色のようなもの。運命や一筋のラインの中にいても、過去を振り返りつつ、かつて止まった時間を再び甦らせるような挑戦というものに対しては一切の曇りない信を置いている気がする。

 そしてまたその時を進める行為性のようなものがやがてはある種違った形であれ予想外の未来を切り開く事もあるとふと思い起こさせるような感情を作品に浸透させ、そのふとした一瞬の喜びがあれば何とか人は生きていけるのかもしれないという一縷の望みをコミカルで愛らしいフレームに切り取り人の心をラストまで奪い去ろうとする。何とも憎らしいが笑顔がこぼれてしまいそうだ。


 
監督・脚本 ペドロ・アルモドバル
出演 ペネロペ・クルス
   ルイス・オマール
   ブランカ・ポルティージョ
   ホセ・ルイス・ゴメス
   ルーベン・オカンディアノ

2月19日 新宿ピカデリーにて鑑賞

『抱擁のかけら』 (原題 LOS ABRAZOS ROTOS)
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2010年02月11日

おとうと4

otouto




 どこにでもある風情の下町。その町に生きる人々の横顔は思わぬ物語を紡ぎ出し涙を誘ってしまう。

 無茶をすればそれが返ってくるのは当たり前だけど、いつも我を失い、時に自制心を捨て、あるがままに生きるおとうとという存在を見捨てようにも見捨てられない姉の視線が愛おしい。

 吟子(吉永小百合)は夫を亡くし、女手一つで一人娘の小春(蒼井優)を育て、薬局を経営している。そんな薬局には小春の結婚祝いを持ってくる近所の憎めないスケベ親父や昔からなじみの客が訪れる。

 門出を迎えた小春もそわそわしつつも娘の結婚に心からの喜びを隠せない吟子も憎まれ口を叩きながらもテレビが好きな義母の絹代(加藤治子)も亡くなった息子の妻と孫にさりげなく慈愛の視線を据えている。

 この吟子にとっては弟、小春にとっては叔父である存在は最初なるべく出会いたくない親類として紹介される。吟子の夫の13回忌で酒を呑んで大暴れして以来、しばらく連絡さえ取れなかった鉄郎(笑福亭鶴瓶)がどこで聞きつけたのか小春の結婚式に現れたのだ。

 もし先見の明というものがあるのであれば、この時に既に結果は出ていたのかもしれない。問題のおとうとは小春の結婚式においては溝となり咎となる。物語は小春の環境をその後裏ごしのセリフで語り、鉄郎の生き様を吟子の視線から滔々と見つめる。

 この作品の醍醐味は実はこの笑福亭鶴瓶演じる鉄郎にあるのだと見ている間はふと笑いがこぼれてしまいそうになる名演を見せる。

 お酒で身を持ち崩す生活にもだらしない男という観点から見ればそれはそれで固定されてしまうものだが、何だかんだ言いながらも姉に世話を焼かせるその手段というか、泣き付きながら、下手に出ながらも最後はひっそりと舌を内緒で出しているかのようなしたたかさを憎めない調子で突き進む鉄郎は一枚上手だなと感じた。

 一方でそんな調子でとんとんと駆け上っていくようでもある鉄郎のそのしたたかさに実は姉の吟子も気づいているのではないかと思える揺るぎないやさしさもまたこの姉と弟の絆の深みとなるのかもしれない。

 静かなようで思ったよりも物語は性急に唐突に過ぎ去っていく。人間の絆を描いているようで、そう簡単に自分の周りの事は自分自身や愛する者を待ってはくれないという時間の流れもあっさりと矢継ぎ早に過ぎていく。

 時間の流れは思ったよりも早くそれを憂えても実は仕方の無いことではないかといったようなしみじみとした達観も感じさせつつも、彼らが愛した者たちへの静かな感謝やふと思い出す彼らの心を表す構図が見事なラストカットとなって家族というものを描く。このラストカットは好きで好きでたまらないのだ。


監督・脚本 山田洋次
脚本 平松恵美子
出演 吉永小百合
   笑福亭鶴瓶
   蒼井優
   加瀬亮
   小林稔侍

2月11日 新宿ピカデリーにて鑑賞
『おとうと』
otouto-t

2010年02月07日

インビクタス/負けざる者たち4

invictus





 誰かにとっては挑戦をするという事は、必ずしも人を憎むという短絡的な行為とは結びつかない。

 彼の視線は紛れも無く過去ではなく、今そして未来しか見据えていないのでありそれもなお生きるイコンとしてその大地に染み渡ろうとしている。

 時は1994年、南アフリカ共和国の大統領に就任したネルソン・マンデラ(モーガン・フリーマン)の頭の中にある事は中々読み取れない。彼が何を考えているのか?彼ほどに崇高な歩みを施す人物はいないのではないかという期待感を見せる。

 だが同時に何よりもこの作品でアプローチされるのは大統領の行いとしての魅力でもあるが、それ以上にネルソン・マンデラという人物としての考え方や性格、人間として何が好きで、何に重きを置いているか?という動機付けが作品の原動力となっている。

 もちろん大統領として果たさなければいけない仕事もある。彼が最も切望している仕事。それは格差、人種差別という言葉で表す事さえためらわれる白人と黒人の隔たりを無くすという、それは莫大な労力のかかる仕事でもある。

 そう簡単ではないとおそらく彼は思ったはずだ。しかし、この作品で語られる事を反芻するのであれば、それはやらなければならないという使命、そしてやらなければ何事も変わらないという信念によって動かされていく。
 
 さて、この作品の最も醍醐味となる瞬間はどのようなシーンに認めれているか。ネルソン・マンデラが自分の部下に最も要求した事が何かというヒントがそこかしこに散らばっているようで、それを拾うのは中々難しい。

 マンデラ大統領の警護を行う黒人と白人の混成チーム。アパルトヘイトの象徴とも言えるラグビーの南ア代表への静かな後押し。静かにその瞬間へ向かって本当のヒーローの姿を浮き彫りにしようとする沸点への鮮やかで堅実で落ち着いた絆の姿。

 それは心のスイッチの切替の早さ、そして心を開く事への恐れを払拭するかのような勢いある一つの挑戦であったのだと思う。

 彼はなぜラグビー南ア代表という一つのチームを信じたのか。それはおそらく手探りの中で半ば人間の信念に賭けるかのような気持ちもあったのかもしれない。

 マンデラ大統領が信を置いたのはラグビーチームの主将フランソワ・ピナール(マット・デイモン)の視線も虚ろであり、最初はなぜ大統領が自分にワールドカップでの優勝を期待しているのかが茫漠とし分からないようでもあった。

 だがそこに生まれるのは重ね合っていくかのような大統領と南ア代表チームスプリングボブスの境遇が次第に強みへと変わっていく様が淡々と描かれ、人種の違いや国民の感情を超えてスポーツを愛する者たちにとってその絆は大きく暖かい弧をぐんと伸ばしていく。

 その足の踏み出しはしっかりと着実に大地を踏みしめ、その勢いは相手の能力を最大限に引き出しつつもしっかりと抱擁する。そして自分にとって何が良いかを知っている相手を見捨てずに自分の懐を見せ、そして同じ視線に立ち物事を考えようとする。


 そして特筆すべきは何よりもその信念に裏打ちされたラグビーのシーンのダイナミックさ。勢いは静かにやわらかく大地に着地し確実な勝利を求めて跳躍していく。もちろんそこで終わるのではなく着実に継続していく勇気というのものを備えながら。





監督・製作 クリント・イーストウッド
出演 モーガン・フリーマン
   マット・デイモン
   トニー・キゴロギ
   パトリック・モフォケン
   マット・スターン

2月7日 吉祥寺東亜にて鑑賞

『インビクタス/負けざる者たち』 (原題 Invictus)
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2010年02月04日

ゴールデンスランバー3

goldenslumber





 言葉は時おり人の頭や心の中にずっと浸透する。出来ればいつも思い返すことの出来るあの頃を人は良かったと夢想し、戻りたいともどかしいほどに振り返り、やがては忘れつつも心のどこかにそっとしまっておく。

 もしそれぞれの人間がそんな青春時代でさえも捨てて逃げなければならないとしたら、どんなに狂おしい事か。

 とにかく逃げなければならない状況は一方向からの追跡ではなくて全方向からまさに四面楚歌状態で彼を捕えようと迫ってくる手によるものだ。だがその手によって家族との絆や過去も現在も続くつながりというものを断ち切る事は不可能である。

 しかもそれが濡れ衣だったとしたら、青柳(堺雅人)を主人公とした現代版「逃亡者」は舞台を仙台として、その地形や構造の利を生かしたカメラが逃げる男を決死線に追いやる様を追いかける。

 原作は文体で勝負だが、その言葉は飽和しダイナミックな躍動と役者のセリフ劇、アクションによって語るのだからこれほどまでに映画向きの題材も無いのかもしれない。

 時は首相の凱旋パレードが行われている仙台。突如ラジコンヘリが凱旋車の頭上に飛び込んだ時、首相は爆弾により暗殺される。

 その時にちょうど大学時代の友人、森田(吉岡秀隆)と久しぶりに会っていた青柳は突如、森田の車の中で信じ難い事実を告げられる事となる。彼が首相暗殺の濡れ衣を着せられて今にも逃げないと捕まるというのである。

 そこに忍び寄る警察官、ラジコンヘリを購入する青柳の合成映像、彼の行く先を阻むように包囲していく国家という追跡者。

 仕立て上げられた悲劇の逃亡者はただ頼る者の元へ駆け寄り、助けを求める。だが時によっては大学時代やかつての友人が被害をこうむってしまうあまりに罪悪感に苛まれながら、時に友人の機転が見事に効いたりして、劇場型逃亡劇に登場人物の魅力が正にドラマチックに色を添えて行く。

 現実だったらこうも上手くは行かないだろうと思うのは、タイミングが良すぎるからかもしれない。それ以上に作品の意図としては壮大なファンタジーだと思って楽しめれば良いと思う。

 さて、そんな悲劇の逃亡者こと青柳が逃げられるのか?という問題も重要だがその逃亡はまさに青柳にとっても、追いかける側にとっても見えざる手というものが果敢に動いていく。

 大学時代の青柳の恋人、樋口晴子(竹内結子)とその娘七美、後輩の小野、ロックな宅配ドライバー、通り魔のキルオ、かつて青柳に暴漢から助け出されたアイドル凛香、入院中の患者らが逃亡に手を貸し、絆というものを知らないうちに繋げて行く。

 時間軸を交錯させて行くせつない繋がりの重みがやがてはダイナミックな遠心力で絵を描き、人が人を助ける瞬間の歯がゆい力加減、対抗していく鮮やかで鮮烈な瞬間を紡ぎ出し、壮大な模様をスクリーンに描き出す。

 得てして思うのはこの作品のような状況に陥った時、本当に助けてくれる人間こそが強みでもあり、絆でもあるのなとふと感じるのです。でも演出がダイナミックすぎて少々消化不良だけど、それもまた良しとして。そして物語の良心が最も言いたかった事が親と子の静かな笑いを誘い何だかほのぼのとします。
 

監督 中村義洋
原作 伊坂幸太郎
出演 堺雅人
   竹内結子
   吉岡秀隆
   劇団ひとり
   貫地谷しほり
   相武紗季
   ソニン
   大森南朋
   柄本明
   香川照之

2月4日 新宿ピカデリーにて鑑賞

『ゴールデンスランバー』
goldenslumber-t



2010年01月31日

ボーイズ・オン・ザ・ラン4

boysontherun





 なんて爽快感の無い走りなのだろう。心にグッとせまる焦燥感は誰にも回復する事の出来ない傷のように、誰もが自分自身の欲望を跳ね除ける事も出来ずにただ呆然と走るだけのふがいない感覚。

 観終わった後に、ふと劇場にあるこの作品のポスターに監督はこんな事を書いていた。「どうです?嫌な気分になったでしょう?」と。

 人間誰しも持ち合わせる、嫌な失敗や恥ずかしい部分、過去のあらゆるあやまちを2時間に凝縮したような作品だ。いたたまれないなんてものじゃない。そうか監督はおそらく漫画を原作としつつも渾身を込めて描いたのだ。人間のふとちょっとした隙に見せてしまう醜い部分を。

 でもちょっと立ち止まって考えてみると、人間が思わず思いを寄せた人間や恋い慕った人間は時の流れと共に過去の染みのように広がりつつも薄れていく。出来ればその時だけは打ち付けたい何かにあらゆる方策を施して立ち向かうが、それは負けではない。ただむなしく無性に悲しいだけなのだ。

 そんな真理をついているのが、主人公の田西(峯田和伸)が勤める玩具メーカーの商品企画部のちはる(黒川芽以)のその先を想像すれば何となく見えてきそうにもなるが、これはあくまでも田西がちはるに恋をし、失敗をし、散々な目にあって、奈落の底に突き落とされそうになる話。

 これはもしかしたらもしかすると!という話だと思ってはいけない。田西はちはるにどのようにアプローチしたらよいか分からずに悶々とする中で、ライバルメーカーの営業マン、青山(松田龍平)に相談をもちかける。

 青山のおかげか、田西はちはると急接近する。だが青山のせいでもなくちはるのせいでもなく。単純に田西という男の思わぬ失態によりとんでもない事態になっていく。

 これは田西に感情移入してこその「あーだめだ・・・こりゃ」という感情でもあるが、客観視しようとしても出来ないのがこの作品の面白さ。なぜならば青山はちはるを寝取り、しまいにはちはるという田西の中ではちょっと田舎くさい鷹揚なかわいらしい子というイメージが変わっていってしまうからだ。

 そう誰もが経験した事のある昔好きだった子が久しぶりに会ったらまるで以前とは違う雰囲気を醸し出し、まるで元々自分がモノにしていないのにも関わらず、自分のあるべき彼女のイメージとは全く違う姿を目の前にさらした時のほのかな絶望感。

 これは容姿的なものもあるし、性格や言葉遣いにも一々引っかかったりする事もある。この見事な変化を黒川芽以は演技をしている峯田こと田西の視線と観客の視線を紛れも無くそのポイントに集める事に成功している。

 一方で、田西演じる峯田和伸の極めつけの演技もすさまじく、ここまで愚直には目を背けたくなり、もうまるで観ていられない状況になる。ホラー映画のショッキングシーンではないけれども、その場にいたらもうトイレとかに隠れたい感じで見ていられない。
 
 さて、そんな田西はちはるにも振られ男としての何かしらの矜持を示そうとする。何も無理にそんな事・・・と思いつつも、青山演じる松田龍平の憎たらしさも中々堂に入っていて心地よいので、田西VS青山がどうなるかは観てのお楽しみに。

 そんな中で邦画市場まれにみるボコボコの心情のプラットホームが訪れる。さて田西は勝ったのか、負けたのか。そんな事よりも最後の最後に示した男の行動に拍手を贈ろうではないか。彼は走り続けるしかないのだから。



監督・脚本 三浦大輔
原作 花沢健吾
出演 峯田和伸
   黒川芽以
   松田龍平
   YOU
   小林薫

1月31日 シネセゾン渋谷にて鑑賞

『ボーイズ・オン・ザ・ラン』
boysontherun-t

2010年01月30日

フローズン・リバー5

frozenriver





 均一に降り立つ雪の中で2つの母性がぶつかる時、そこには今まで見たことの無い静かな絆というものが垣間見える。

 あくまでも彼女たちはそれぞれの利得というものを守ろうとする。それは生活のためでもあり、どこかに置き忘れそうになりながらも決して他に替えることの出来ない愛情のためでもある。

 何とかしてギリギリの状態だけどそれを取り戻したい。そんな心情は抑制されつつも一人の女性の姿を冒頭に映し出す。

 夫が新居の購入費用を持ち逃げされたレイ(メリッサ・レオ)は冒頭半ば放心状態で現れる。嫌なほどの生活感を漂わせ、まるで他人を寄せ付けないかのような、他人との関わりを放棄したかのような佇まいは何だかどう感情を向けさせたら良いのか困る。

 このアメリカとカナダにまたがる国境の片隅の街で凍った川は雄大かつ謎めいて横たわる。

 レイはふとした事でモホーク族のライラ(ミスティ・アップハム)という女性に会い、互いに素性を模索し、牽制しあいながらもやがてある国境をまたがるビジネスに手を染める事になるのだが。

 凍てつく大地だと思ったのは国境をまたがるセントローレンス川。彼女達とその家族を包み込む凍った河。そこをまたぐ行為により不法入国者を車のトランクに隠してひた走る。

 大地が放つ空気と水と世界の片隅で繰り広げられる静かな行為は、犯罪と知りつつも生きるための瀬戸際で彼女たちは自分と自分の家族をその行為の圏外に客観視しながらも手だけはその河に浸している。

 そんな感覚は緊張感に溢れているが、どこかで日常を捨てきれない母親としての顔を覗かせてしまう。犯罪を犯しているけどどこかでそれを行使しきれない後ろ髪を引かれるような振り返りは、ある凍てつく河の間で起こる事件によって元ある姿に戻ろうとする。

 国境を舞台とした作品は数多いが、なぜだかいつも感じるのは国境というものの緊張感というのは絶え間ない程に迫り、人をそわそわさせ、近寄りがたい雰囲気を醸し出すのだろうかという事。

 そこに密接に関わるのは人間であり、それを超えようとするのも人間の意志である。しかし、国境を意識しながらも人間の本来の姿を失ってはいけない。そこを超えたら何だかどうしようもない程に守ろうとしていた矜持までもがガラガラと音を立てて崩れてしまうから。

 だがこの作品に限ってはその河は凍っていながらもやがては解放される、その溶解される瞬間と人が人を救う瞬間は綺麗にぶつかり合う。そんな人間の必死で、緊張に満ちて生きる姿は素晴らしく、凍てつく空気を飲み込む。



監督・脚本 コートニー・ハント
出演 メリッサ・レオ
   ミスティ・アップハム
   チャーリー・マクダーモット
   マーク・ブーン・ジュニア
   マイケル・オキーフ

1月30日 シネマライズにて鑑賞

『フローズン・リバー』 (原題 FROZEN RIVER)
frozenriver-t

2010年01月24日

Dr.パルナサスの鏡3

TheImaginariumofDoctorParnassus





 この奇妙でおどろおどろしい旅芸人の記録はもてはやされるかのような期待感と近寄りがたい世界への誘いとなる。

 出来れば彼らのショーに関しては深くは言及しない方が良いだろうし、スクリーンに向かってその世界に自分の感情や疑惑を投影するのであれば、全くの白紙で臨むのも手かもしれない。

 今までとはやや違うテリー・ギリアムの作品を味わう事になるのであろうか。それは役者の身体から発散されるなんだか不思議なエネルギーのようなもの。

 もしくは全く別の世界へ連れて行かれ、そこで展開される絶妙なワンダーランドに息を呑むことになるのであろうか。それはそれぞれの心に写し出される鏡のように違うのかもしれない。

 この世界を楽しむならばもはや何から手をつけたら良いのか分からなくなる。多くの要素が詰まっていて、幾分多角的に、重層的に舞台は織り成されるが思ったよりも事はシンプルで分かりやすいのかもしれない。

 パルナサス博士(クリストファー・プラマー)と悪魔のニック(トム・ウェイツ)が行った取引の経緯。娘のヴァレンティナ(リりー・コール)と曲芸師のアントン(アンドリュー・ガーフィールド)、そして彼らが道すがら橋で吊り下げられていた男、トニー(ヒース・レジャー)が一座に加わった事から、人間関係の渦が出来上がる。

 舞台は中央に設置された鏡の奥の世界。一座は観客を時おりそこに誘い、今までに見た事の無い不可思議で説明のつかない感動をそれぞれの表情に宿す。

 そんな世界に一歩踏み入れると、ヒース・レジャーがジョニー・デップになったり、ジュード・ロウになったり、コリン・ファレルになったりする。何でもありな感じだが、それぞれのキャラクターが絶妙にマッチしていて背景のきらびやかでグロテスクな風采の世界に溶け込んでいく。

 撮影途中に亡くなったヒース・レジャーの代役として彼らが友人として名乗りを上げたという事もあるが、これもヒースの役得なのかそれぞれの役者が1シークエンスでヒースへの絶え間ない敬意を表しているかのようで、作品の雰囲気を不可思議だけでなく慈愛に満ちたファンタジーへと仕立て上げる一手を見事に担っているのだ。

 また悪魔のニックをトム・ウェイツが絶妙な味のある存在感でたちどころにスクリーンを席巻したり、『BOY A』や『大いなる陰謀』で頭角を顕してきたアンドリュー・ガーフィールドが精神的に今一歩の状況を上手く演じている。リりー・コールはモデル!?という事もあって一目を引くミステリアスな容姿。

 さて、これは悲しくもパルナサス博士と悪魔のニックが取り交わしたある取引によって舞台に上る文字通り役者=パフォーマーのそれぞれの運命が試行錯誤して行くのだが、そこにははかない恋路や嫉妬や記憶喪失や謀略がある。

 それに立ち向かうには、どうしたら良いか?出来ればそれは映画館に向かう自分の意志のように、絶え間ない映画への愛こそあってもの実感できるめくるめく世界なのだから。それはテリー・ギリアムにも、ヒース・レジャーにも、ジョニー・デップにももちろん共通する眼差しである事には違いない。

 


監督 テリー・ギリアム
出演 ヒース・レジャー
   クリストファー・プラマー 
   ヴァーン・トロイヤー
   アンドリュー・ガーフィールド
   ジョニー・デップ
   コリン・ファレル
   ジュード・ロウ

1月24日 新宿ピカデリーにて鑑賞

『Dr.パルナサスの鏡』 (原題 The Imaginarium of Doctor Parnassus)
TheImaginariumofDoctorParnassus-t

2010年01月19日

ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女3

mansomhatarkvinnor




 ミステリーの要素というのは魅力ある登場人物によって語られると奥行きが深くなる。ただしその魅力というのも条件付きであって、最初からその素性が明らかで性格や能力というものが手に取るように分かるのであれば、見る者をしっかりと引き込むのは難しいだろう。

 強烈なまでの外見を持つリスベットは、最初現れた時から目が離せない。それも惹かれるとかそういった類の魅力ではなくて、何だか近寄りたくはないけれどもどのような人物なのか興味があるといった風貌である。

 しかも、鼻ピアスにドラゴンタトゥーの天才ハッカーである。そして彼女の何だか鬱屈した表情には、とんでもない災難やら境遇が襲い掛かってくるのだ。

 特に物語上の彼女のキャラクターを語る上で彼女がある人物に反撃に出た時は思わず「良くやった!」と手に力が入り、その時この不思議な風貌の女性の行く先に興味が出てくるのである。

 そんな女性ハッカーの目に留まった男がいた。雑誌ミレニアムの編集長でもあるミカエル・ブルムクヴィストは、ある実業家のスキャンダルを暴いた為に名誉毀損で訴えられ有罪判決が下った男。

 ミカエルはそんな事件の渦中にありながらも、ある事件の真相解明をヘンリック・ヴァンゲルという大企業の重役から依頼される。

 それは40年前にあった少女ハリエットの失踪事件。ヘンリックにとってかけがえのない存在であったその少女はなぜ失踪したのか?という密閉されたかのような息苦しい空間の中で事件解明へ進んで行く物語はミカエルと彼に情報を提供する為に現れたリスベットによって次第に光へと向かっていく。

 そして孤島ミステリーという舞台背景も手伝い、陸地と島を結ぶ橋が大事故により1日閉鎖していたあの日どのようにしてハリエットは島からいなくなったのか?

 遺体も発見されず、目撃者も無きに等しい状況下でもしかしたら生きてはいないのではないか?という確信のゆらぎのようなものがスクリーンをぶれさせる。

 この作品で上手いなと思ったのは、視覚的に謎がバランス良く解明されていく過程を写真や関係図を使ってダイナミックに演出している所だろうか。40年前のハリエットが写る写真の彼女の視線とそれに対峙する先の存在に迫ろうとするまでのスリリングな雰囲気も良い。

 一方で孤島ミステリーという位置づけだが孤島の密室感や周辺のキャラクターの書き分けなどはラストで展開するある真実に繋がる部分もあるが伏線として幅を効かせる為かやや抑制をかけて描かれている。

 何だかんだでミカエルとリスベットは時に大胆に、時に方向転換しながらも謎解きに邁進して行く。最初はバラバラのパズルのピースがはまって行く様子を、互いに相容れなさそうな2人の関係性になぞらえてエンターテイメントに徹した作りも見せてくれる。

 まだまだ続編もあるようで、エンドロールの後にはこの先のお話もチラリと見せてくれます。それ以上にミカエルとリスベットの別の協力関係もやや気になったりして。

監督 ニールス・アルデン・オプレヴ
出演 ノオミ・ラパス
   マイケル・ニクヴィスト
   スヴェン・バーティル・トープ
   ステファン・サウク

1月19日 シネマライズにて鑑賞

『ミレニアム ドラゴンタトゥーの女』 (原題 Män som hatar kvinnor)
mansomhatarkvinnor-t
劇場公開作品

【2010年2月】

パレード★★★★

ルド and クルシ★★★

抱擁のかけら★★★

おとうと★★★★

インビクタス/負けざる者たち★★★★


【2010年1月】

ゴールデンスランバー★★★

ボーイズ・オン・ザ・ラン★★★★

フローズン・リバー★★★★★

Dr.パルナサスの鏡★★★

ミレニアム ドラゴンタトゥーの女★★★

板尾創路の脱獄王★★★

かいじゅうたちのいるところ★★★

(500)日のサマー★★★★



【2009年12月】

誰がため★★★

蘇りの血★★★

アバター★★★★

のだめカンタービレ 最終楽章 前編★★★

THE 4TH KIND フォース・カインド★★

インフォーマント!★★★

ジュリー&ジュリア★★★★

パブリック・エネミーズ★★★

カールじいさんの空飛ぶ家★★★★


【2009年11月】

ニュームーン/トワイライト・サーガ★★

戦場でワルツを★★★★

2012★★★

イングロリアス・バスターズ★★★★★

脳内ニューヨーク★★★★

Disney’s クリスマス・キャロル★★★

ゼロの焦点★★★

大洗にも星は降るなり★★★

スペル★★★★★

【2009年10月】

わたし出すわ★★

風が強く吹いている★★★

母なる証明★★★★★

沈まぬ太陽★★★★

アンヴィル!夢を諦めきれない男たち★★★★★

パイレーツ・ロック★★★★

さまよう刃★★★

クヒオ大佐★★★

戦慄迷宮3D THE SHOCK LABYRINTH★★

狼の死刑宣告★★★

悪夢のエレベーター★★★

エスター★★★★

パンドラの匣★★★★

カイジ 〜人生逆転ゲーム★★★

私の中のあなた★★★★

ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜★★★

ワイルド・スピード MAX★★★

【2009年9月】

ドゥームズデイ★★★

男と女の不都合な真実★★★

あの日、欲望の大地で★★★★

アドレナリン:ハイ・ボルテージ★★★

空気人形★★★★

カムイ外伝★★★

プール★★

ウルヴァリン:X-MEN ZERO★★★

サブウェイ123 激突★★★

【2009年8月】

マーターズ★★★★

グッド・バッド・ウィアード★★★★

女の子ものがたり★★★★

ナイトミュージアム2★★★

20世紀少年 <最終章>ぼくらの旗★★

30デイズ・ナイト★★★

南極料理人★★★★

ノーボーイズ、ノークライ★★★

96時間★★★★

トランスポーター3 アンリミテッド★★★

キャデラック・レコード 音楽でアメリカを変えた人々の物語★★★

縞模様のパジャマの少年★★★★★

色即ぜねれいしょん★★★★

HACHI 約束の犬★★★

3時10分、決断のとき★★★★★

G.I.ジョー★★★

ボルト★★★★

サマーウォーズ★★★

コネクテッド★★★★


【2009年7月】

バーダー・マインホフ 理想の果てに★★★★

セントアンナの奇跡★★★

セブンデイズ★★★

アマルフィ 女神の報酬★★

ハリー・ポッターと謎のプリンス★★★

サンシャイン・クリーニング★★★★

モンスターVSエイリアン★★★★

ノウイング★★★

ごくせん THE MOVIE★★

MW -ムウ-






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