映画 「か行」

2010年02月04日

ゴールデンスランバー3

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 言葉は時おり人の頭や心の中にずっと浸透する。出来ればいつも思い返すことの出来るあの頃を人は良かったと夢想し、戻りたいともどかしいほどに振り返り、やがては忘れつつも心のどこかにそっとしまっておく。

 もしそれぞれの人間がそんな青春時代でさえも捨てて逃げなければならないとしたら、どんなに狂おしい事か。

 とにかく逃げなければならない状況は一方向からの追跡ではなくて全方向からまさに四面楚歌状態で彼を捕えようと迫ってくる手によるものだ。だがその手によって家族との絆や過去も現在も続くつながりというものを断ち切る事は不可能である。

 しかもそれが濡れ衣だったとしたら、青柳(堺雅人)を主人公とした現代版「逃亡者」は舞台を仙台として、その地形や構造の利を生かしたカメラが逃げる男を決死線に追いやる様を追いかける。

 原作は文体で勝負だが、その言葉は飽和しダイナミックな躍動と役者のセリフ劇、アクションによって語るのだからこれほどまでに映画向きの題材も無いのかもしれない。

 時は首相の凱旋パレードが行われている仙台。突如ラジコンヘリが凱旋車の頭上に飛び込んだ時、首相は爆弾により暗殺される。

 その時にちょうど大学時代の友人、森田(吉岡秀隆)と久しぶりに会っていた青柳は突如、森田の車の中で信じ難い事実を告げられる事となる。彼が首相暗殺の濡れ衣を着せられて今にも逃げないと捕まるというのである。

 そこに忍び寄る警察官、ラジコンヘリを購入する青柳の合成映像、彼の行く先を阻むように包囲していく国家という追跡者。

 仕立て上げられた悲劇の逃亡者はただ頼る者の元へ駆け寄り、助けを求める。だが時によっては大学時代やかつての友人が被害をこうむってしまうあまりに罪悪感に苛まれながら、時に友人の機転が見事に効いたりして、劇場型逃亡劇に登場人物の魅力が正にドラマチックに色を添えて行く。

 現実だったらこうも上手くは行かないだろうと思うのは、タイミングが良すぎるからかもしれない。それ以上に作品の意図としては壮大なファンタジーだと思って楽しめれば良いと思う。

 さて、そんな悲劇の逃亡者こと青柳が逃げられるのか?という問題も重要だがその逃亡はまさに青柳にとっても、追いかける側にとっても見えざる手というものが果敢に動いていく。

 大学時代の青柳の恋人、樋口晴子(竹内結子)とその娘七美、後輩の小野、ロックな宅配ドライバー、通り魔のキルオ、かつて青柳に暴漢から助け出されたアイドル凛香、入院中の患者らが逃亡に手を貸し、絆というものを知らないうちに繋げて行く。

 時間軸を交錯させて行くせつない繋がりの重みがやがてはダイナミックな遠心力で絵を描き、人が人を助ける瞬間の歯がゆい力加減、対抗していく鮮やかで鮮烈な瞬間を紡ぎ出し、壮大な模様をスクリーンに描き出す。

 得てして思うのはこの作品のような状況に陥った時、本当に助けてくれる人間こそが強みでもあり、絆でもあるのなとふと感じるのです。でも演出がダイナミックすぎて少々消化不良だけど、それもまた良しとして。そして物語の良心が最も言いたかった事が親と子の静かな笑いを誘い何だかほのぼのとします。
 

監督 中村義洋
原作 伊坂幸太郎
出演 堺雅人
   竹内結子
   吉岡秀隆
   劇団ひとり
   貫地谷しほり
   相武紗季
   ソニン
   大森南朋
   柄本明
   香川照之

2月4日 新宿ピカデリーにて鑑賞

『ゴールデンスランバー』
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2010年01月15日

かいじゅうたちのいるところ3

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 子供の頃の癖になる怖さといえばこれが最初だったような気がする。一度読むと怖くて、後を引くような深い怖さの余韻に浸れるようなこの絶妙な空気は絵本の色彩にもあったし、出てくるかいじゅうの怖いようで何だか愛嬌のあるいでたちにも起因していたような気がする。

 そう何度も何度も繰り返し読んだあの世界。映像化ということで躊躇無く観れるかといえばちょっと難しい問題でもあるのだが、それはそれという事で別のサイドストーリーのように楽しんだ。

 まあ主人公のマックス(マックス・レコーズ)がかわいらしい少年といった感じで絵本の何だか幼年期を抜けた少年が同調出来るような意地悪い表情は見せない。

 このお年頃は、母(キャスリン・キーナー)に構ってもらいたい年頃だけど、何だか取り合ってくれない母に対してついついそっけない怒りをぶつけてしまう。そのまま勢いで流れ着いたのは・・・

 絵本が平面だとしたらこちらはもちろんずいぶん立体的にかいじゅうもマックスも動く。だからこそスクリーンを駆け巡る世界は縦横無尽に脚色を施し、かいじゅうたちの立場というものも明確にしていく。

 毎回感じるのだが、彼らは一体何者なのか?と疑問に思わせないところも何だか面白く。

 もうこれは絶対的なマックスの世界であり、彼を否定する事は自分たちが子供の頃についつい思い描いた未来の世界やもしかしたらあるかもしれないと信じていた世界に目を背けてしまう寂しさに何だかつながるようでもある。

 さて、かいじゅうたちと島で過ごしていくうちにマックスが王様というステータスに固執する事からも彼の絶対的な世界。彼自身だけが有効に世界をコントロール出来ると信じてしまう幼さゆえの危うさをしきりに画面に投影させて行く。

 一瞬、子供の心に宿る独裁的な側面を押し出すような気もするが、それは違いどんな人間でもかいじゅうでも中々にしてその関係性というのは難しく、その壁というのは往々にして中々乗り越えられないものなのだという現実を照らし出すのだ。

 そこには気付きの物語がある。彼自身も知らず知らずのうちに築いていく世界の中には彼自身が信じる真実のみが横行するのではなく、彼自身の中にある譲歩という感覚と嘘の世界と家庭への望郷がよみがえる。

 それはかいじゅうの世界と彼が住む世界が何となく一致したような気もするのだけれど、現実の人間の世界にかいじゅうの恐怖が後を引くっていうのは、マックス自身が作り出した人間がかいじゅうに与えてしまう恐怖だったりして、でも中々映画は清々しいですよ。


監督 スパイク・ジョーンズ
出演 マックス・レコーズ
   キャサリン・キーナー
   マーク・ラファロ

1月15日 新宿ピカデリーにて鑑賞

『かいじゅうたちのいるところ』 (原題 Where the Wild Things Are)
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2010年01月11日

(500)日のサマー4

500daysofsummer




 年頃の青年男子なら身もだえするはず。一度でもズーイ・デシャネルほどではないがそれに匹敵する女性に恋した事のある男であれば主人公のトム(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)の苦悩に確実に共感できるはず。

 そうこれは冒頭にも示している通り"恋愛映画"ではないのかもしれない。もしかしたら女の子って何でこんなにも不可思議なのだろうとその生態に迫るドキュンメンタリーなのかもしれない。

 そんな様相は(500)日の中でカラフルな心の色彩と共に、はたまた頭上から思わぬ形で降ってくる大降りの雨のように、もしくは晴天の霹靂のように舞い降りる勘違いの言葉の応酬のように変遷していく。

 それもトムの表情は周りを巻き込み、観客である男たちに忘れたい過去を再考させ、ズーイー・デシャネルのファンだったりするとちょっと大変な事になるかもしれないぐらの縦横無尽の心のアクションを不敵に疾走させるのだ。

 さてさてそんな最初は甘ったるくもじわりじわりと恋に落ちそうに。いやすでに新入社員のサマー(ズーイー・デシャネル)が入ってきたときから一目で恋に落ちているじゃないか、カード会社でライターをしているトム(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)さんよ!と彼を責めてはいけない。

 そんな表情や素振りさせたらもうなぜだか上手いのだこの役者は。一見して興味出してないですよオーラを漂わせながら、実はぞっこんという男の心理が手に取るように分かってしまう仕草からまるで誰かに惚れた時の誰かを見ているかのようだから。

 もちろん500日は順番に辿っていくわけではない、花が咲き誇っている時もあれば、荒れ狂うトムの心のすさみ具合まである上手い形で表現されてくる。

 きらびやかなモチーフとアニメーションの浮き沈み感と数多くのこれまでの恋愛映画への敬意あるオマージュによってぐるぐると男と女の関係が綴られていく。

 そしてなぜそんな事になったのだろうか?またあんな絶頂的に嬉しそうな表情になるのはなぜなのだろうか?というそれはトムが思い描いている愛とサマーが思い描いている愛の相違という絶妙なアンバランスによって語られていく。

 真実の愛を信じていないサマー。いやいや、真実の愛はきっとサマーとの間にあると信じて病まないトム。
 
 500日の中でどのように2人の関係は変遷していくか。現実と理想の対比を見事に男心に織り交ぜながら、こうだったら良いのになと思った事のある男性は必見。トムが感じる事も逃げたい事も全てを踏まえた上での成長譚も自然に受け止められる。

 そしてもちろん、そんな男の心に興味のある女性もぜひ観てみてください。中々に上手い具合の脚本で男と女の心理劇が仕立て上げられております。

 でも観終わってみると、これはやっぱり恋愛映画という事になるのでしょうか。それはそれぞれ観た人が感じる事なので愚問なのかもしれませんが。

 
監督
マーク・ウェブ
出演
ズーイー・デシャネル
ジョセフ・ゴードン=レヴィット
クラーク・グレッグ
ミンカ・ケリー
ジェフリー・エアンド
マシュー・グレイ・ガブラー
クロエ・グレース・モレッツ

1月10日 シネクイントにて鑑賞

『(500)日のサマー』 (原題 500 Days of Summer)
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2009年12月05日

カールじいさんの空飛ぶ家4

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 家が空を飛ぶという空想の産物ともいえるイメージがもたらすものは、こちらの心まで空を飛びそうになる自由なイメージだ。

 しかし、この作品の主人公であるカールじいさんの決意に至るまでの表情は何だか浮かない。なぜならば今まで仲睦まじく寄り添ってきた妻エリーがカールを残して先に旅立ってしまったからだ。

 そんな境遇に至るまでのシークエンスだけでももう一つの素晴らしい物語を紡ぐこの冒険劇の冒頭は今までに類を見ないほどに美しく、愛おしく、そして切ない涙がこぼれそうになる。実際に劇場で隣に座っていた女性はこの冒頭の追憶のシーンだけで涙ボロボロのようでした。

 出会いから別れまでをほんの短い時間でなんでこんなにも美しく映像化する事が出来るのだろうかとアニメーションの意力と比類なき感動に浸っているうちにある約束が屹立してくる。

 そこに浮かび上がってくるのは職人技ともいえる丁寧さ以上に、おそらく感じ取れるのは映像で存在しないはずのフィクションの世界をまるで現実の出来事のように、あたかも隣で起こっているかのように感じさせてくれる技術だけで語る事の出来ない人間の心が成した映像のつながりである事は間違いない。

 さて、そんな彼ら夫婦の物語は続いていく。そうたとえエリーはその空中移動に参加しないとしても、カールという存在の意固地なほどの性格に裏付けられるようにスクリーンに寄り添うように映りこむ。

 定石通りに行けば、かつて愛し合い、今もなおそのかけがえのない約束を実行しようとした夫婦の軌跡を描いていく事になるだろう。

 沢山の風船が家を吊り上げ、グッと空へ飛び立つ。子供なら、いや大人でもなぜかふとそのダイナミックさに心を奪われる事だろう。

 そしてその家が持つ包容力を信じて、カールじいさんは観客を半ばその夢に連れ込み、右往左往しながらも進んでいく物語は観客の心理を揺さぶり、そしてこうなるはずだったという物語は思わぬ方向へと動いていく。

 やがて家に存在したエリーという妻の意向をじわりじわりと認めていく事に気付いた時、やはり冒険心だけではどうにもならない事、またそれ以上に大切な事はふと気付かない間に横たわっているものだと気付かされるのだ。

 カールという男はここで改めて子供の頃から思っていた事は意外と裏切られるものであり、それ以上に過酷で厳しい現実が存在するという事。そしてそれを知りながらも突き進む別の真実があるという事をやさしく妻と再考するのだ。

 彼の未熟な点とそれに類似する存在を平衡して描く事で物語りに深みがもたらされ、そんな家に住む事が出来た彼はこれまで心は実は一歩も家から出なかったのではないかとも思う。

 だからこそ始めて見る世界は新鮮で驚きに満ちていたに違いない。そしてその通りの体験をこの物語は私たちにも与えてくれるのだ。

 
監督 ピート・ドクター
脚本・共同監督 ボブ・ピーターソン
声の出演 エド・アズナー
     クリストファー・プラマー

12月5日 新宿ピカデリーにて鑑賞 

『カールじいさんの空飛ぶ家』 (原題 Up)
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2009年11月15日

Disney’s クリスマス・キャロル3

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 人生がお金にまみれた人間の背中がいかに卑しいかふと感じさせてしまうアニメーションのデフォルメは、スクルージ(ジム・キャリー)という男の過去の話になっていく。

 人間が年を取るにつれて感じる事は、かつて持っていた何かしらの温かい部分や
無意識のうちに捨ててきたの大切な事柄を知らないうちに忘れてしまうとでも言うのだろうか。

 自分以外の何者をも押しのけてでも金を集約するという行為にのみ特化しついつい周りを見失ってしまう怖さ。

 どんな時でも、自分自身の事しか考えないという瞬間は人間誰しもが持ち合わせる。ただ単に怖いという感情だけでは彼の曲がりつづけたへそを修正するのは難しそうだが・・・

 なんだかおどろおどろしい亡霊ことかつてのビジネスパートナーの幽霊が彼の目の前に現れる事で主人公のスクルージ(ジム・キャリー)はこれまでの自分と今現在の状況とこれから起こる不安要素を見つめ直すという所業に行き当たる。

 時間軸を転換させながら、スクルージの眼前に広がる風景は3人の亡霊によってもたらされたもの。クリスマスなど最初から毛頭祝う気もない彼にとってはありがた迷惑以上に、とんでもないシロモノが現れどこかに連れ去られるのだからたまったものではない。

 全ては過去に起因しつつも、因果関係を効率よく視覚化して見せる術は面白い。それぞれのステージを見せる事でスクルージの本来の姿や性格。そして元々持ち合わせた素質というものをじわりじわりと感じさせていく。

 一方で人間は危ない目やこれからおこる何かしらのきっかけがひどいものであれば、今までの生活を改変しそこから新たに所業を改めていくものであろうし、少しずつ自分のエゴや執念をかなぐり捨てながら進むという過程もある。

 ポイントはスクルージという人間の素質の変化や改心の過程を納得行く形で見せなければいけないし、そのきっかけが自分自身を救うためではなく、誰か自分以外の他人のためになる優しさを醸し出さなければならない。

 そういった意味では少々改心の過程が唐突で突飛すぎるし、あのじめじめした暗いじいさんが、ラスト近くでおおはしゃぎするぐらいに優しさを振りまく構図は何だか人間こうも変わってしまうのかという変わりばえの早さにやや唖然とはするのだが。

 もしくは人間誰しもこうも変わってしまうのもいかがなもので、少し抑えたらどうだろうかという裏ごしの教訓を含んでいるかのような雰囲気もやや受けられる。ただし一人でたくさんの役をこなしたジム・キャリーと俳優の特徴が見事に残っていたゲーリー・オールドマンなどなどキャラクター造詣とパフォーマンスのおかしさは中々良かった。

監督 ロバート・ゼメキス
原作 チャールズ・ディケンズ
出演 ジム・キャリー
   ゲイリー・オールドマン
   ロビン・ライト・ペン
   ボブ・ホスキンス
   コリン・ファース

11月14日 吉祥寺東亜にて鑑賞

『Disney’s クリスマス・キャロル』 (原題 A Christmas Carol)
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2009年11月01日

風が強く吹いている3

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 つないでいくたすきに彼らの様相が同時につながれていく。箱根駅伝を目指す青年たちの苦しくも朗らかな走りは見ている者を疾走感溢れる描写で魅了はしていく。

 冒頭からハイジ(小出恵介)が仕掛けたある罠に引っかかるカケル(林遣都)の走りの描写から、これから始まろうとしているドラマがどんなものかふと予感させていく。

 学校に寝泊りしていたカケルの天性を見抜いたハイジの駆け引きが、作品のもう一つの舞台。竹青荘へと導いていく。

 竹青荘とは寛政大学の陸上部の寮ということで、見た感じはまさにボロ家。年季が入っているかのごとく、精鋭が集まっているかと思いきや、そうはいかないくせ者メンバーの巣窟ではあったのだが。

 さて、箱根駅伝に出場するという事がどれほどに難しいかという道のりは割と丁寧に描かれていく。かつてどこかのテレビ番組で青山学院大学の陸上部が何とかして箱根駅伝への出場を賭けて臨むドキュメンタリーを見たことがあるが、相当なハードルの高さに見ているこちらも辟易しそうになるぐらいだった。

 そしてもう一方の物語のラインとなるのはハイジという人間の底知れない魅力。そして彼を取り巻く竹青荘の面々の性格付けがバランスよく配置され、ラストの箱根駅伝でのつなぎにそれとなく上手く配置されたかのような筆致をもたらす点であろうか。

 走る事への野望。それも箱根駅伝という題材を扱いながらも、それぞれのメンバーの魅力を余すことなく引き出していくのには、紛れも無いカメラが映し出していく背景の効果も同時に並走し役割となって行く。

 演出が冗長の部分もあるが、ハイジを演じた小出恵介がまさにメンバーに恵まれた先輩を見事に好演し、彼無くしてこの陸上部無しという一本柱を見事に体現している。

 そして天才ランナーと呼ばれたカケルを演じた林遣都の走りが美しくしなやかで作品の骨子となっている事も確かだろう。陸上部に入りたてのころはただひたすらな走りがその面影にあるが、次第に箱根駅伝を目指すメンバーとの邂逅を重ねる事によって走りの表情が変化していく様も見逃せない。

 それと個人的にびっくりしたのは昔、織田裕二のドラマ「お金がない!」に出ていた子役の森廉がメンバーの一人で出ていることかもしれないし、斉藤兄弟の見分けの付かなさがドラマを盛り立てて行く部分にもあるかもしれない。

 紆余曲折あったメンバーがスタート地点に立ったとき、思わず感慨深いものがなぜだかこみ上げてきてしまう箱根駅伝を目標とした青年たちの走りの物語は中々良い。吹いている風はなぜだか彼らのこれまでの軌跡を現しているかのように強く吹き、それぞれのエピソードをも優しく包み込もうとしていた。
  
 
監督・脚本 大森寿美男
原作 三浦しをん
出演 小出恵介
   林遣都
   中村優一
   川村陽介
   橋本淳
   森廉
   内野謙太
   ダンテ・カーヴァー
   斉藤慶太
   斉藤祥太
   水沢エレナ

11月1日 新宿ピカデリーにて鑑賞

『風が強く吹いている』
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2009年10月20日

クヒオ大佐3

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 笑うに笑えない話というか、明るい滑稽な結婚詐欺師の話を期待して観に行くとじわりじわりと裏切られる。

 この作品の主人公クヒオ大佐(堺雅人)は明らかに怪しい男だと知って観に行くわけだが、すべてが作られた虚像だと知って観ている私たちの盲点をつく様に物語は進んでいく。

 まるですべての女性や関係者が騙されていると思ったら大間違いで、もちろん彼の招待を見破っている者も現れる。そんな騙す者と騙される者、そしてそれを見抜いている者の三者のせめぎあいがじっくりと濃厚に描かれるのだから居てもたってもいられないだろう。

 クヒオ大佐が名乗るのはアメリカ空軍パイロットでありカメハメハ大王やエリザベス女王の親戚などと抜かし、ジョナサン・エリザベス・クヒオという肩書き付きの名刺まで持ち合わせたいかにも滑稽な存在である。

 そんな滑稽さは堺雅人演じる行き過ぎた存在感によって誇張され、画面から飛び出るようなせつなさと重みを湛えながら一人の人物像を作り上げていく。

 最初はこんなのに騙されないだろという満ち溢れた確信と揺らぎのない男の視線に惑わされる事になる。まるで迷いのない姿勢、騙しているようで何だか愛おしい者に近づいているかのようなその佇まい。

 そうだんだんと観ていくうちに、いつかは騙された者も気づくであろうという期待よりも、クヒオ大佐がいかにして騙しとおすかを知らず知らずのうちに彼の方に手を載せてそっと押し通してしまいたくなるような不思議な飽和感に包まれるのだ。

 詐欺師であるが、何だかつけ鼻もして一生懸命頑張っている自称パイロットに騙されたり、騙されそうになったりするのは、今回は社長だが『容疑者Xの献身』と同じく弁当屋のしのぶ(松雪泰子)。

 そして博物館の学芸員の春(満島ひかり)や銀座のホステス未知子(中村優子)もまたクヒオ大佐の魅力に知らず知らずのうちに引き込まれていく。

 彼女達がどのようにして彼を知り、彼に騙され貢ぐ事になってしまうのか。また例外もしかりでどのように男と女のコンゲームに隠された悲哀が浮き彫りになるのか。

 もちろん最初からもうこれは怪しいと思い逆に手玉にしようとクヒオ大佐を追いつめるしのぶの弟、達也(新井浩文)との駆け引きも面白く、クヒオという男の正体を掴むきっかけともなり、物語の中盤を牽引して行く。

 そんな騙す者と騙される者の会話や態度の裏に隠されたクヒオ大佐という人物の正体がじっくりと描かれ、また同時に彼に関わる女性たちの姿が均衡して人間の素性を現していく過程で感じたのは、なぜ人はこれほどまでに自分の滑稽さや真剣さを表していなければ生きていけないのだろうかという痛切な疑問。

 そして腕利きの度胸によって描かれたクヒオという男の正体があらわす彼自身の心は深く暗い闇の底に閉ざされたままであくまでも表向きなのか、もしくは隠された心に何かを注ぎ込みたいが為に何かを探し求めた悲しき人間の行動ゆえなのか。それはそれぞれにじっくりと何度も反芻する深みとなる。

 
 
監督 吉田大八
出演 堺雅人
   松雪泰子
   満島ひかり
   中村優子
   新井浩文
   児嶋一哉(アンジャッシュ)
   安藤サクラ
   内野聖陽

10月20日 シネクイントにて鑑賞

『クヒオ大佐』
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2009年10月13日

カイジ 〜人生逆転ゲーム〜3

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 キャストが全体的に色濃い。というのも生きるか死ぬかはあなた次第なんて具合の攻防戦に現実味を帯びさせるとしたら当然の措置であろう。

 であるからして、一見してこんな話はありえないだろうという究極のゲームに招待されたのは、まるでその日ぐらしのフリーター伊藤カイジ(藤原竜也)であり、本来はどこにでもいるうだつのあがらない青年像が浮かび上がる。

 過去の友人の連帯保証人として肩代わりをする事になったカイジ。そんな借金を返す当ても、返す気もない彼は、悪徳金融会社の社長・遠藤(天海祐希)に半ば恫喝され、半ばたしなめられ向かった先は、豪華客船エスポーワールであった。

 そこでは、借金を帳消しにし、しかも大金を手に入れるチャンスがひしめきあっているという。客船内で展開される騙し騙されのコンゲーム的要素を持ちつつも、迫力ある筆致で描かれていくのは頭脳戦でもあり、生死をかけた運と体力を試すようなものまである。

 人生を逆転する為に集まったまさに負け犬と呼ばれても口答え出来ない輩は、目の色を変え、やるしかないという究極的な状況に落とし込まれるのだ。

 一見して、うだつのあがらない青年が落とし込まれた究極ゲームを勝ち抜いていく爽快感をメインポイントに置いた、気概溢れるサスペンスフルな狂想曲を期待していたが、そんなものではない。

 最初の豪華客船で展開されるじゃんけんゲームこそそのシンプルさに引き込まれるが、勝てば官軍、負ければとんでもない負債を抱えることになるのだ。それは一応秘密にしておくけれども・・・

 人間の精神をぎりぎりまで切り詰めて、人の欲望、死の恐怖、絶対的な権力がはびこる悪趣味の世界までをぐるぐるとめまぐるしくカイジの目を通じて落とし込んでいく。ゲームに勝ったら良しというものは全く無く、後を引く後味の悪さ、これ以上でもそれ以下でもないスタンスの居心地の悪さが連鎖的に続いていく。

 それでも、どんな状況でも先に進まなければならないという精神的な柱を自分で作りながら進むことになる。目の前で展開される手触りや触感は苦く後戻りの出来ない状況と怒りが蔓延していくのだ。

 そこはもちろんがむしゃらに突っ走るのみが手ではない。偶然による偶然が重なり合って、ゲームを進めていく上での頭脳戦、駆け引きの妙というのも手伝ってカイジという一人の男の素性が浮かび上がって行く。

 天海祐希、香川照之といったバイプレイヤーも強靭な存在感で物語のキーとなっていく。松尾スズキのいやらしい役割に裏側にある恐怖もまた良い。山本太郎とは『バトル・ロワイヤル』以来、松山ケンイチとは『デスノート』以来の豪華競演もあり物語をなじませてくれる。

 もちろんカイジは最終的に一本取るために、思わぬ勝負に出る。筋書き通りの展開を見せないこの観る者を驚愕に陥れる一方で、ありえなさそうな舞台を構築した世界観は人間が感じる根源的な恐怖にまみれているのだ。

 それに負けなかった時、やるかやられるかはあなた次第というゲームの妙と優しさと誤算ゆえの結果が思わぬ形で付いてくる。ゲームの勝敗はあなたの目で確かめたほうが良さそうだ。



監督 佐藤東弥
原作 福本伸行
出演 藤原竜也
   天海祐希
   香川照之
   山本太郎
   光石研

10月11日 吉祥寺東亜にて鑑賞

『カイジ 〜人生逆転ゲーム〜』
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2009年09月26日

空気人形4

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 地に足立つのは、空気の重みなのか。もしくは心の重みであるのか。ふいに本来持ち合わせない心を人形が持ったとしたらという空想の出来事は不思議にせまり、少しのおかしさを漂わせながら、何だか居たたまれない気持ちにさせてしまう。

 秀雄(板尾創路)は古いアパートで空気人形を慰み物として使用し、毎日あった出来事とは正反対の事を聞いてもらう家族として捉えているかのようだ。ただその方向性はもちろん一方向であり、その一方向という思いは彼の寂しさを紛らわすと同時に、彼に対して何物をも言わぬという閉塞的な居心地のよさがヒーリングとしてある。

 一方で普段から周囲の視線や言葉を嫌でも受け止めている秀雄にとって、家に帰ってまで生身の人間を相手にするつもりは毛頭無いらしい。そんな空気人形は彼の心と性の隙間を埋めるファクターとしての要素を押し出しながらも、その人形に生まれたのは本来持ち合わせない心という皮肉を表しているかのようであった。

 そんな心をもった空気人形(ペ・ドゥナ)は、秀雄が仕事に出かけた後、街へ出かける。ふわふわと足取りは覚束無く、出来れば家にいておとなしくしていれば良いものをなどと思ってしまう。まるで何も知らない子供の信念が道を進むかのように、新しい世界に向かって進んでいくのだ。

 その道のりに花を添えるかのように気になったのが、彼女の着ている服。最初はメイド服で出かけるが次第にその服装もまるで空気のようなふわりとした質感の服装をしている。しかも寒そうな日に夏服に近い格好で外を出歩くのだから、観ている方としては何だか肌寒い感じもするのだ。

 それこそ空気人形という心を持ってしまったけれども、体は以前として血の通わない物質的なものの象徴としてあらわにしているのであろうか。彼女の手は以前として冷たく、人に温もりを与えられない限りはその肌に暖を宿すことなど出来ないのかと。

 やがて彼女は、散歩で訪れたレンタルビデオ店でアルバイトをする事になる。そこで働く純一(ARATA)に働きかける心の感情とは何なのか。思わぬとまどいと覚えながらも紛れもない新しい感情=恋というものを芽生えさせていく躍動感はペ・ドゥナにしか醸し出せない感情の発露であろう。

 さて、ここで考えたくなるのは、彼女は人形でありそれ以上でもそれ以下でもないという厳然たる事実がある事だ。純一は人形としての彼女を受けいれるのか、そして心をもった人形の純然たる汚れていようで簡潔な心の動きがもたらす平易な恐ろしさというのは日常からかけ離れたところでどのように変化するのか。

 それを知る前と知った後では、この作品の表向きの躍動感は山を超えてあちら側に形を潜める事になる。心は押し出されたが、ふわふわと浮かび上がるかのような心の変遷は思わずして人形から空気が抜けるかのようにしぼみ、そしてそのオルガスムスから抜け出たかのような脱力感が襲う。

 これほどまでに観るまでと観た後のギャップに驚かされた作品も無い。それは良い意味で観客を裏切るか、ちょっと歯がゆいような思いを起こさせるかはそれぞれの感じ方によるであろう。

 そう、なんだかカメラワークもふわふわと躍動感と脱力感が同時に襲ってくるようで、その2つは紙一重のところで繋がっているのかもしれない。人形が心を持つという焦点の裏ごしとなって背景で描かれた人間が抱えてきた心とこれから関わっていこうとする人間の姿のように。


監督・プロデューサー・脚本・編集 是枝裕和
原作 業田良家
出演 ぺ・ドゥナ
   ARATA
   板尾創路
   オダギリジョー
   高橋昌也

9月26日 新宿バルト9にて鑑賞

『空気人形』
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2009年09月19日

カムイ外伝3

kamui





 昔、何て差別というものは怖いのだろうと思わせた漫画としての記憶が蘇る。読むのがトラウマになる残酷さをその筆致に委ね、生きる術をひたすら模索し戦いつづけなければならないという境遇に子供心に戦慄を覚えた作品の映像化は、松山ケンイチを主演にして縦軸と横軸のアクションと物語で展開する。


 一度入り込んだ忍びの世界から抜ける事は等しく死を意味するものと捉えてよさそうだ。脱却した世界は追いかけてくるゆえにカムイ(松山ケンイチ)は連鎖的かつ終局的な波状攻撃から逃げ続ける身となる。

 自分が今までいた忍びの世界に背中を向けたカムイは、一時の安寧さえ捨て、しのぎを削るのみの脱却に身をはぜる。そのゆえに出会った馬の足を切り落とし逃げた男・漁師、半兵衛(小林薫)を偶然救い、そこから同じ境遇の身をもつ人間と知り合う事となる。

 どこまでもどこまでも追いかけてくる追い忍の追撃をかわす事など出来ないに等しいらしい。かつて忍者であり今は抜け忍のスガル(小雪)を捉えた時、カムイはまたとない望郷の念を重ねることとなる。

 それは思ったよりも壮絶な回想でもあり、一度死んだと思われたスガルの存在によってかすかな光明を見出そうとするものの、カムイという男の悲しみの刃はどこまでも、暗闇の中をかけていくゆえにしか機能しないのではとふと思わせてしまう世界観を表出するのだ。

 カムイを追い忍だち思い警戒心を全く解かないスガルと、彼女の娘サヤカ(大後寿々花)が密かに寄せるカムイへの視線、そこに現れた渡り衆の不動(伊藤英明)の不敵ながらも敬意を集める存在感、馬の足を切られた一時のアクシデントに憤怒を隠せない水谷軍兵衛(佐藤浩市)の狂いぶり。

 焦点は彼らの住む島と外から訪れる、または襲撃をかける者たちの争いの構図となる。かつて仲間であった忍者同士の追走劇を導入として自然のあらゆるものを背景としたアクションで見せる導入部から延々とアクションは繋がれ、連鎖し、様々な技と勢いを見せていく。

 ただアクションがスクリーンで走るだけでは、そこにある人間の背景というものを捉えるモチーフとはならないとの同様に、一度忍者を抜けたものがいかにして許されない存在であるか、また彼らを追いかけ、追撃するためならばどんな選択肢をも厭わないという残酷さも裏ごしとして見えてくる。

 当然のことながら、理不尽で絶え間ない地獄のような殺戮の世界であった忍びの世界は、カムイにとってはいつまでも逃げ続けなければならない世界。

 かつて愛し合った者とも立場が変われば一瞬にして憎むべき敵となる。その転換は悲壮となり、あまりにも許されない行状となり、絶え間ない悪夢となって襲い続けるかもしれない。

 だがそれでも、何があっても一度選んだ道は引き返せないというカムイの世界もまたもしかしたら忍びの世界よりも酷ではないかとふと思った。自由と生死の狭間で生き続ける彼の視線はこれまでに見た事のないふとした世界の恐ろしさを垣間見せる。



監督・脚本 崔洋一
原作 白土三平
脚本 宮藤官九郎
出演 松山ケンイチ
   小雪
   伊藤英明 
   佐藤浩市
   小林薫
   大後寿々花
   土屋アンナ
   芦名星

9月19日 吉祥寺東亜にて鑑賞

『カムイ外伝』
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2009年09月05日

グッド・バッド・ウィアード4

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 人によってその人がいい奴か悪い奴か変な奴かは見方によるもの。題名でバーンとその3人を紹介するのは少々あくどいがそれも最初にイメージしていた彼らの立ち位置がグルグルと変わっていくので面白い。

 舞台は1930年代の満州。スクリーンを走る列車にて唐突に現れるユン・テグ(ソン・ガンホ)はいかにも変な奴というイメージを背負って出てくる。今からドタバタ喜劇?アクションをまさに展開しようとするその仕掛けは転じて、彼が強盗行為によって手に入れた謎の地図から始まる。

 またその走る列車に強盗を仕掛ける一味がいる。パク・チャンイ(イ・ビョンホン)はギャング一味を率いてその地図を狙い冷酷無比に追い掛け回す。悪いやつとはおそらくチャンイの事で、不気味さを漂わせながらも秀麗なアクションで悪の優雅さを兼ね備える。

 たまたまといえばたまたまだけれども、その列車にはいい奴も乗ってるだろうと思ったらやはり乗っていてパク・ドンウォン(チョン・ウソン)は賞金稼ぎとして列車強盗の渦中にてチャンイらを捕らえようとする。
 
 何と言ってもこの作品の魅力はゴツゴツしたアクションの引き際というか捉え方というか実直なまでの正統派ウェスタンと言っても良いほどの手応えをグッと手に心に掴めるところであろうか。

 一体謎の地図が何を表すのかというミステリー的な要素が物語の基軸となり、テグもチョンイもドンウォンも瞬く間にそれぞれの闘いを展開する。銃撃は跳ね返りながらも、次々と登場人物の頭上や脇を駆け抜けそれぞれのキャラクターがふと浮き上がる構図はアクションに特化しただけではない作品自体の魅力となる。

 そう、最初にイメージしたとおりに事は運ばないのだ。闘いの舞台ではコミカルにその体躯を振り回し、あたかもボケ役に徹しているかのような変な奴ことテグの仕掛けた構図はやがて誰かに降りかかろうとする。

 一見してギャングの首領パク・チャンイは冷酷非道で目的手段を選ばない長として君臨するが、これも人間的魅力がなければここまで上り詰めなかったであろう実力者としての顔を垣間見せる。こんな男にもあるトラウマがあるとはという驚きの展開も物語りに一花添える。

 チョン・ウソンのイメージこそあれ、いい奴ことドンウォンは賞金稼ぎだ。もちろん金のためならば手段を選ばず事に及ぶ。正統派ヒーローの顔立ちだが思ったよりも複雑な内面はやがて立ち上る。

 そんな三者三様のストーリーは何もアクションや物語の面白さだけでは語れない役者同士の演技の側面、キャラクターをそのままに演じるという側面が強いかと思ったら、それが意外な事に最後はそれぞれ誰しも一人の欲にかられたただ一人の男同士に見えてくるのだ。

 それは金銭欲でもあり名誉欲でもある。はたまたその先にある将来への欲望がほとばしる瞬間を身体を張って守ろうとする。そんな男たちが互いに真剣に対峙するときに真相は自ずと見えてしまう。

 せっかくここまで来たのにと思うなかれ、しつこいぐらいにロングで回した追走劇の迫力も引いた頃、はたまた彼らが求めた謎の地図の按配が明かされても、爽快感あるラストになどはなっていない。こんな泥臭い試合を最後に持ってくるあたりの敬意こそウェスタン魂を鼓舞し、惹きつける魅力の度合いの高さと共に舞い上がる。


監督 キム・ジウン
出演 ソン・ガンホ
   イ・ビョンホン
   チョン・ウソン
   リュ・スンス
   リュ・チャンスク
   イ・チョンア
   キム・グァンイル

9月5日 新宿バルト9にて鑑賞

『グッド・バッド・ウィアード』 (原題 THE GOOD, THE BAD, THE WEIRD)
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2009年08月22日

96時間4

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 そうあくまでもこれはプライベートの話である。大切な娘キムが友人とフランス旅行に出かけた。そこで娘が何者か誘拐され、まさに誘拐される瞬間に携帯電話と父親ブライアン(リーアム・ニーソン)と話していたゆえに、少しの情報からブライアンは単身パリに乗り込み娘を助けるというそれ以上でも以下でもない絶対性によって舞い降りる。

 彼は決意したのだ、娘を誘拐したやつらは絶対に許すまじ。彼らを追い詰め、奈落の底に突き落とし、抵抗するやつは容赦なく殺害するという確信の元にパリで暗躍すると。

 96時間とは、ブライアンが少しの手がかりから娘を誘拐した存在がアルバニア系の人身売買集団だという事。彼らに誘拐されてから96時間以内に奪還しないと二度と戻る事が無いといわれる所以にある。

 この作品の魅力は一重には、リーアム・ニーソンの理屈抜きのかっこよさにあると思う。スクリーンに映る当初は、別居中の娘に対してそれこそ頭のあがらない優しき父親を演じており、娘の誕生日にプレゼントを持っていくが、母の再婚相手でもある新たな父親のプレゼントに豪華さに目がくらんだ娘の境遇についつい嫉妬してしまったりもする。

 この娘のためならだれかれ構わず容赦ないというのは、この父親ブライアンの性格の最も基調となる部分で、たとえ離れていても娘の為なら何でもしてやろうという父親の根本の慈愛というものを貫く。だからこそ娘を助けるというアクションの要素に父親の感情・エモーショナルが融合するのだ。

 さて、そもそもこの作品を観るまでは、たかが一人の父親がパリに一人単身乗り込むと聞いて大丈夫なのかな?と思ったが、それにもちゃんとしたプロットがあって、このブライアンという男・・・元政府の秘密工作員というステータスはお墨付き。

 だからこそガンガン突き進む。娘を助ける為なら誘拐集団だろうと、邪魔する元同僚だろうと全く容赦なし、ブライアンは不気味な異彩を放ちながらも、相手に与える徹底的な恐怖と強靭さを武器に縦横無尽に駆け巡る。

 さあブライアンは娘を救うことが出来るのか?という疑問こそが愚問。さてどうやって助けるのか。どんな手法で娘の元へ舞い戻り、敵を一網打尽にするのか。

 まあ展開は強引だから、未回収案件もややあり、だがそんなの気にしないぐらいにめまぐるしくブライアンの理屈と道理で引っ張っていくから、それが逆に魅力となり光を放つ。アクションの妙、シンプルな物語、すべてが今まで観たことの無い父親の闘いに花を添える。

 それは実しやかにスクリーンの中の動作で結実する。純粋に面白いアクション映画が観たければ、この精緻に畳み掛ける人間のアクションの連続技に酔いしれ、奮い立つ。ラストはハリウッド的だがそれもよし。見終わった後の充足感にぐったりと心地良い疲労感に浸れるであろう。

監督 ピエール・モレル
製作・脚本 リュック・ベッソン
出演 リーアム・ニーソン
   ファムケ・ヤンセン
   マギー・グレイス
   リーランド・オーサー
   ホリー・ヴァランス

8月22日 新宿東亜にて鑑賞

『96時間』 (原題 Taken)
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2009年08月19日

キャデラック・レコード 音楽でアメリカを変えた人々の物語3

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 音楽への情熱というのはどこから生まれるものなのか。今、日常に音楽は溢れていて、CDショップに行けば、インターネットに繋がるPCがあれば世界のありとあらゆる音楽に触れる事が可能だ。

 日常の中に音楽への情熱は偏在し、またとない音に触れるために人々は様々な音を渡り歩いていく。これは今の人々と全く変わることの無い情熱を糧に自分自身の人生を、音楽に触れる者たちの心の琴線を揺らそうとした人間たちの物語である。

 この作品の舞台となるのは1947年のシカゴ。もちろんこの時代の音楽を耳になじませた事のない、この時代のミュージシャンという者たちの気概や性格、歌声を知らない私にとって演技者による彼らの表情や情熱を傾ける瞬間、風景を最初は追っていく事で物語に入り込む事となった。

 スクリーンに現れたウォーターズ(ジェフリー・ライト)は、無骨な農民といった風情。ギター片手に弾き語る姿は当初ぎこちない。彼とタッグを組むハーモニカ奏者のウォルター(コロンバス・ショート)も危なっかしい。

 彼らが彩るメロディはポーランドからの移民チェス(エイドリアン・ブロディ)によって牽引される。原石を発見した彼は自らのレーベル"チェス・レコード"を設立し、その場所は音が響き渡る礎となるよう地道な売り出しを開始するのだ。

 メインとなるのはこのチェスという男とウォーターズの関係を機軸として進んでいく。彼らが奏でてゆく音への渇望、妬み、才能の拮抗が根底として流れるものの、黒人シンガーたちが音楽を糧に時代に植え付ける差別への静かな抵抗ともいえる勢いと歌声は悲痛を通り越して美しいものとなりうる可能性を秘める。

 そして何かに抵抗するかのように、昔からそして今もなお続く自分たちへの差別への視線を跳ね除けるかのように、酒と女におぼれて行こうとする。快楽はあくまでも求めるゆえの快楽であってそこで完結しているかのようなストイックさもあるが、まるで身を持ち崩したかのようにスクリーンで放っていた異彩が影を潜める転換も見事かもしれない。

 一方で、彼らを諦観しているかのようで強烈な印象を残すのが、イーモン・ウォーカー演じるハウリン・ウルフだろう。そんなにお前は偉いのかと思わず言いそうになるが、彼の述べる意見は至極もっともで物怖じしない度胸の塊はコンプレックスの裏返しのようだ。

 また次第にその人物が好きになっていくようで、いまだにつかみきれない魅力を残しながらもスクリーンに現れ立ち消える余韻は彼のダミ声の魅力にもつながる。こんな人物が実際にいたのだと思わずその影響力の大きさは絶大である。

 それに乗じるかのようにスクリーンを席巻するのが、やはりチャック・ベリーであろう。モス・デフが見事になりきり演技で視線を釘付けにする。その軽快さとメロディラインの響き、美しいうねりがとあるこの作品に通ずるある壁を崩していくシーンの圧巻さ、鷹揚さには鳥肌が立ち、思わずその瞬間に立ち合わせた人々の呼吸と鼓動の上昇感がこちらにも舞い降りてくるようだった。

 そして何よりも美しいエタ・ジェイムズを演じたビヨンセ・ノウルズのパワフルで悲しみに満ちた迫力の演技はそれこそ彼女が地で感じたもの。エタが抱えていた苦悩の連鎖と生い立ちにまつわる負い目と愛したものへの限りない思い。すべてが瞬く間に消えそうになりながらも、ずっと歌い続けて止まない響きは怒りと苦悩の先にある何かを掴み取ろうとする。

 ストレートに個性的な面々の音楽が響いていくと、肝心のストーリーが凌駕されそうでもあるが、そこは音楽を肝とした流れの見せ所。それぞれのミュージシャンがチェス・レコードで浮き沈みしながらも描いていくのは、彼らが肌で感じる人々が夢中になる音楽と自分が奏でる音楽の温度差。

 そしていつまでも売れ続ける事の難しい苦悩とそれぞれがいつまでも抱えているコンプレックスや荒廃しそうになる心を埋める隙間を求めて作り出す音楽とのギャップがもたらす音楽を奏でる者として生きる人生の誤算。

 メロディアスで甘ったるいと思っていた人生は苦く思いもよらない方向へと走り出したりもする。間違いなどないと確信した道のりを踏み外しながらも必死で立ち上がり、プライドも捨て何とか這いつくばりながらも生きようとする日々。

 だがそんな苦虫を噛んだからこそ、後に光り輝く伝説となりこうして語られ続けるという音楽を愛する者の核心めいた魅力と滑稽ながらも進んできた道のりに沢山の花束を添えようとする者たちがいるのだ。

 もしくは彼らを追い越そうと必死になり彼らと同じ夢を見ようとした者、これから見ようとする者たちは大勢いて、その彼らがまた新しい世界を生み出していく。その礎となった彼らのあまりにもハートフルな伝説に耳を傾けるという喜びはこの作品でしか味わえない。



監督・脚本 ダーネル・マーティン
出演 エイドリアン・ブロディ
   ジェフリー・ライト
   ビヨンセ・ノウルズ
   コロンバス・ショート
   モス・デフ

8月19日 恵比寿ガーデンシネマにて鑑賞


『キャデラック・レコード 音楽でアメリカを変えた人々の物語』 (原題 Cadillac Records)
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2009年08月01日

コネクテッド4

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 デヴィッド・R・エリスが構築した『セルラー』の世界はスピーディで、スタイリッシュで時折挟まれるコメディタッチのバランスが絶妙だった。

 監禁された女性が壊れた電話を何とか修理し繋がったのはどこかの青年の携帯電話でそれが途切れてしまうともしかしたら彼女の命は助からないかもしれないという極限状況をプロットとして広がる中と外の世界。

 それに輪をかけて、元々関係の無かった2人の間に人があふれ、登場人物の魅力が発散し、アクションは渦を巻くように展開する。

 要はあまり期待しないで観たら予想外に面白かった秀逸なアクションサスペンスとして私の記憶に残る作品となったのだ。

 これは、そんな『セルラー』の香港リメイク版。元の作品が魅力的であった為か別の土地で作り直してみたいという欲望はクリエイターの頭はフル回転し香港の土地に舞い降りる。大枠の設定は引き継いでいるものの香港らしい良さを時折引き出しながらも多少味付けの違う作品となっていた。

 さてこちらの作品で誘拐されるのはロボット設計士のグレイス(バービー・スー)。突然謎の集団に拉致される冒頭から、電話を修理し何とか外の誰かに繋がるまでのプロットは基本設計通り。

 運悪く、その電話を取ってしまったのは、マン・アポン(ルイス・クー)。いかにも頼りなさそうな経理マンの彼はたまたま取った電話に半信半疑。それも彼は留学に旅立つ息子の見送りを必ずすると空港まで行かなければならないという状況下。

 今まで息子を知らず知らずのうちに裏切ってきたアポンにとってそれは絶対に約束であり、他には替えられない時間であったのだ。

 だからこそ誘拐された状況下にあるグレイスと、アポンの間には微妙な温度差が最初は発生している。それはやがて次第に均衡しながらも、最終的にはグレイスをどうにかして助けようとするアポンという構図が物語に乗ってくるのだ。

 文字通りまさに電話をモチーフとして、その機能や電話に関する会話、やり取りのコミュニケーションの面白さを醍醐味とするのは、『セルラー』と同様ながらも楽しめる。

 そしてしつこいぐらいのカーアクション?ちょっとおどけた感じもあり、最後の接戦まで、とにかく余裕は無いけれどもどうにかしなければならないという気迫はたっぷり、これはルイス・クー演じるアポンのキャラクターが上手く出たのかも。

 『セルラー』ももちろんこちらの『コネクテッド』もプロットは同じではあるものの、それぞれ違った楽しみ方が出来るはず。どちらを先に観ても良いけれど、ラストのグレイスに対するアポンのセリフは『セルラー』とは微妙に違ったような・・・

 そんな電話のつながりに纏わるサスペンス、いや見知らぬ人間の間をつないだ回線がもたらした思わぬアクションの妙はなんだかんだいっても、人を信じにくいこの世の中である種の爽快さをもたらすかもしれない。

 


監督 ベニー・チャン
原案 ラリー・コーエン
出演 ルイス・クー
   バービー・スー
   ニック・チョン
   リウ・イエ

8月1日 新宿武蔵野館にて鑑賞

『コネクテッド』 (原題 保持通話)
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2009年07月11日

ごくせん THE MOVIE2

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 ごくせんは現代の水戸黄門になりうるか。という素朴な勧善懲悪の気風の良さはドラマシリーズでも難なく見られる、そして落とし所が分かっていてもそれなりに引き込まれてしまう面白さはあると思う。

 果たして映画化をするのはなぜなのだろうか。と思ったらこれでどうやらヤンクミと愛称で呼ばれた山口久美子(仲間由紀恵)のシリーズは終りらしい。

 ドラマスペシャルでも良かったのではとの疑問もありそうだが、まあそんな事は言わずにスクリーンで最後の勇姿を見届けるのもまた一興。

 でも一度乗ったみこしはそんなに甘くは無く、あくまでもドラマの延長戦上にしかなくファンサービスの域でしかない。

 ではごくせんの魅力とは一体なんであろうか。美人ながらも三枚目を堂々と演じ、めがねを外す仕草から自分の生徒を守るためならば弱気をおくびにも出さない任侠の究極系を見せようとする仲間由紀恵のスクリーンに映る姿、流れるような動作のなんと美しい事。

 まあそれだけでは作品は成立しないわけであって、思わずその佇まいにまさにうっとりしてしまうわけだが、そこをメインにしてしまうとどうやらこのシリーズはやはり違うらしい。

 カメラは山口久美子をメインに据える。だが、彼女が守ろうとする生徒達。彼らの姿を凡庸にではなく、個々個人の人間として捉えようとするのだ。まあこの構図は泣き所、落とし所としては定石。

 そこでふと過去のこの作品に出てきた今はときめく若き俳優陣。また彼女が現在をも見守る生徒達のこれからを思うと1つのラインが見えてくる。

 ごくせんというドラマが生み出したもの。若手の俳優達を押し上げるように人気に拍車をかけたようでは無い気もする。ただ淡々と出てくるそれこそ学園モノのドラマの中でどれだけ仲間由紀恵を引き立たせつつも、それぞれが歩んでいる道のりはなぜだか重なって面白い。

 さて、そんなヤンクミの大活躍と大雑把過ぎる設定は相変わらずのもの。確かに弱きを助け強き悪をくじくその姿勢は美しく見映えは良い。偶然に頼るならまだしも、とにかく猪突猛進に進むのみという設定は味気がやはり無い。

 ドラマだからこそ出来た持ち味は一端2時間弱のスクリーンに投影すると、どこかで映画仕立てのドラマスペシャルになってしまう。一週間おきに楽しめる枠の勢いというのはやはり売れっ子だとしてもやはり散り散りになる。

 ただ相変わらず、この素っ頓狂で真っ直ぐな山口久美子という教師の真っ直ぐな心は疑う事を知らないのかと思わず思ってしまうのは、それこそ素直さが打ち克つ瞬間でもあり、またとないラインの明確さでもある。

 これだけ人が疑心暗鬼に陥っている世界において、このストレートさが逆に心地よいが、物語がマンネリ化したようで、今回のお話も卒業した風間(三浦春馬)が巻き込まれたある事件が発端。

 そこから物語は飛びに飛んで、実際ありそうでなさそうなお話。ドラマシリーズでそれなりに楽しめるのであれば、まさに王道パターンを踏襲し仲間由紀恵の啖呵で魅了される。なんだかんだ行ってもやはり仲間由紀恵ありきのシリーズではあった。


監督 佐藤東弥
出演 仲間由紀恵
   亀梨和也
   生瀬勝久
   高木雄也
   三浦春馬
   石黒英雄
   中間淳太
   桐山照史
   三浦翔平
   玉森裕太

7月11日 吉祥寺プラザにて鑑賞


『ごくせん THE MOVIE』
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2009年05月22日

消されたヘッドライン4

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 たとえ信念があったとしても、間違う事なき真実を提示されたとしても、一度見失ったと思っていたものを仕留めるというのは難しいのであろうか。紙に並ぶ文字は誰かがそれを真実だと信じて書き留めた1つの思いである。

 同時に新聞という舞台には利益という観点が流れ、気持ちのゆらめきがあり、確実な手触りがある。だからこそこの情報化社会でも毎日あらゆる場所に届けられ人の目に映る1つの視点となる。

 事件が二つ起こる。ドラック中毒の黒人少年の射殺事件ととある国会議員の女性職員ソニアの地下鉄での転落事故死だ。一見してつながりが無いような事件が妙な糸で繋がる。そのつながりに気付いたのはワシントングローブ紙の記者カル(ラッセル・クロウ)だった。

 しかも冒頭で起こる死亡事故の犠牲者ソニアの不倫相手であり、公聴会に臨んでいた国会議員コリンズ(ベン・アフレック)は、マスコミにここぞとばかりにスキャンダルを書き立てられ自殺説と他殺説の両存する事件の矢面に立たされる。偶然にもカルはコリンズとは大学時代からのクラスメートであり、カルは編集局からコリンズの周囲を探るようにと言われるのだ。

 サスペンスを魅せる手法というのは一見して関係のないと思われる事柄をいかにして見事に繋ぎ合わせるかという手法の側面。そしてそこに気付くまでの過程、なおとして残る登場人物の魅力と彼らの背景が見事に調和したときに訪れるその邂逅にあると思う。

 面白いのはこういった陰謀劇をにおわせながらも、男同士のバディムービーではなく、ベテランの記者カルとWEB担当の女性記者デラ・フライ(レイチェル・マクアダムズ)とタッグを組んで渦中の人々の間に切り込んでいく姿勢か。

 その姿勢がラストに見事に生きていくのだが、カル・マカフリーの粗野然として風貌に対して、黒髪で清潔感を漂わせながらも骨太なサスペンスの花となりそうなレイチェル・マクアダムスが抑えた演技で応戦しバランスが良い。そこに新聞の編集局と言う姿も浮かび上がってくる。

 エンドロールでも気付くだろうが、おそらくこの作品において描かれる真相は新聞が出るまでの過程に過ぎないのかもしれないとも思ってしまった。編集長キャメロン・リン(ヘレン・ミレン)のセリフにあるように、新聞は売り上げてなんぼの世界で経営的に破綻してしまえば真相もクソもないのだ。

 だからこそ、思わず最後まで観ていてふと感じさせるのは、ドンデン返しとか思いもよらない真相が待っているとか思わせぶりなラストを用意しているかと思えば少し違う気もする。この作品が示すのは、たまたまそういった繋がりがあり、運悪くも真相を知ってしまった人々の末路の悲しき連鎖だっただけであってそれを知れば書くのは新聞記者の当たり前の仕事。

 しかしふとした感と経験というのも時には仕事が出来るという事にもなるでしょうから。やはりカルを演じたラッセル・クロウのふてぶてしくも動いていくかっこよさ。それに並ぶデラのちょっと背伸びしながらもカルが仲間と認めた聡明さには改めて感服しますね。これほどまでに清々しい後姿は中々見れないかもしれませんから。


監督 ケヴィン・マクドナルド
出演 ラッセル・クロウ
   ベン・アフレック
   ヘレン・ミレン
   レイチェル・マクアダムス
   ジェイソン・べイトマン

5月22日 新宿ピカデリーにて鑑賞

『消されたヘッドライン』 (原題 STATE OF PLAY)
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2009年05月03日

GOEMON2

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 いやゴエモンって石川五右衛門の事?という事は天下の大泥棒という予備知識しかなく。それでも紀里谷監督独特の色まみれ映像、ノスタルジックな風采、登場人物の行動の破天荒さには参った参った。全くあっぱれです。

 というわけで、もちろん天下の大泥棒、石川五右衛門(江口洋介)は冒頭から忍びこみ、金銀財宝を盗み、貧しき者達に配る映像は金持ちが飛ばしそうな花火のアイロニーと合間って見事な金の雨を降らせます。

 そんな中で紀伊国屋邸に忍び込んだために、ふと手に入れた南蛮製の箱。五右衛門はふと中身をたしなめるものの、その箱に示されたある秘密が五右衛門を始めとしてこの物語のラインとなり、五右衛門を始めとした登場人物の素顔が紐解かれていきます。

 歴史は人間が作るというのは、当たり前ですが、紀里谷アレンジによって大胆に、大仰に彩られた歴史絵巻。あの憧れの織豊時代はこんなではないと断固反対する方もいらっしゃるかもしれませんが、そんな中で登場人物たちの一風変わった素顔というか魅力が見えてくるのは前作と比べても革新的に進歩したところ。

 と言いたい所ですが、いやそんなご時勢だからこそ、上に立つものと下にいるものの視線が絡み合いながらも生き難い世界の中で五右衛門猿飛佐助(ゴリ)が追いかけて行くのはある者の死の真相について。それは歴史の授業でもやったし、誰しもが知りえる事実にとある解釈を施しています。

 一方で、五右衛門そして霧隠才蔵(大沢たかお)そして浅井茶々(広末涼子)に纏わる彼らの過去のエピソードと悲しき関係を浮き立たたせつつも、豊臣秀吉を演じた奥田瑛二の芸達者で憎らしい事。本当にいやらしいオヤジなのだけれども、彼が演じるとそのいやらしさやら、権力にしがみつく人間味というものまで溢れているから不思議。

 そんな大胆な映像よりも、凡庸なアクションよりもクローズアップされていく人間と人間の構図、嫉妬から妬み、憎しみ。そして愛情までもが風呂敷のように拡げられ収拾がつかずにお腹一杯。

 できればそこまでやらなくて良いのにというほどに、五右衛門も才蔵も役者魂!?いや人間としての意固地なプライドを見せ付けます。本来はどこ吹く風の感が強い五右衛門もラストで狂気に満ちた大熱演。もちろん五右衛門風呂もございますよ。

 という事で映像は見て初めて感じるもの。そこに現れた歴史は紀里谷監督なりにどうしたら面白くなるかという彼自身のビジョンを明確に映し出したものではあるでしょう。根は張ったけれどもこれからが楽しみという事で、麻生久美子が出ているのにも関わらずどうしても気に食わない『CASSHERN』よりは少々面白かったという事でご容赦を。
 
監督 紀里谷和明
出演 江口洋介
   大沢たかお
   広末涼子
   ゴリ
   中村橋之助
   寺島進
   平幹二朗
   伊武雅刀
   奥田瑛二
   要潤
   玉山鉄二
   チェ・ホンマン

5月2日 新宿ピカデリーにて鑑賞

『GOEMON』
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2009年04月25日

グラン・トリノ5

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 クリント・イーストウッドというフィルムメイカーがなぜこのような作品で監督をして自分を主演に据え置き音楽を奏でたのか。あまりにも美しく、今年最も印象に残るエンドロールといえばこの作品を強く挙げたい。

 ある種のけじめ。男として人間としてみてきたアメリカに生きる人間への眼差しを描きたかったのかもしれないと思う。まるで厄介払いされるかのように、腫れ物を触るかのように息子家族から接せられるウォルト・コワルスキー(クリント・イーストウッド)は、冒頭から悪態を付き捲り、誰しもが彼の懐に入り込む余地など無い。

 見せ掛けだけのセリフ。表面上だけの笑顔。ストレートな欲望の顕在には彼は眉をピクリと動かすのみで、同ぜず、石のように視線を拒否の方向に逸らすだけ。彼の中で自分の系譜は終了している。

 フォード社を退社し、妻もいないこの世界にはただ日常の仕事に費やしそれを完璧にこなした後にビールとタバコを片手に愛車グラン・トリノを眺めるただ一人の男のみ。そこで完結しているかのようで実はコワススキーという人間の抱える苦悩は次第に浮き彫りになる。

 長い彼の歴史の中で何かを探し、その苦痛を和らげる術はあるのか。冒頭から繰り返される彼と彼の息子のおざなりな会話はまるでお膳立ての演技のように彼の真意を筋道立てる滑稽な即興劇に過ぎないのかもしれない。

 家族にその心情を吐露する事無く、自分の心に誰にも寄りかかる事無く、ただ仮面を被り続けてきた男はやがて、その意固地な懐を崩すことになる。

 誰とでも話すわけではないというコワルスキーの信念というか、心持は、時に彼の本来持ち合わせる心に向き合うほどの真摯な者がいなかっただけではないのかと、物語が進むにつれてその様相が濃厚になる。同時にその心を恐れ、その心によって一歩踏み込んでしまう関係への畏れもコワルスキーという人物を良く現す。

 家族はそれを恐れ、演技をしている。そこから先の未来はコワルスキーにとっては無い。ただしそこになぜだか憎しみというものはなくおざなりな愛情が横たわるだけだ。

 しかしグラン・トリノの盗難未遂を発端として、コワルスキーの優しさを畏れずに踏み込んでいくのは、家族ではなく、ただ単なる隣人であるモン族の少年をはじめとした移民やまた彼の心の闇をひそかに感じ取った教会の神父という彼の内面を察知する者達、コワルスキーがその心をほんの少しだけ垣間見せる相手となる。

 さてコワルスキーが抱える心の内面とはどのようなものであるのか。彼はモン族が自宅の芝生に入る事を許さない。息子夫婦のあざとい提案には聞く耳を傾けない。そして頼りない神父に諭されるのを許さない。自分と周りに明確な線を引いている。

 彼は一度完結した哲学を持ち合わせているように見えるが、実は違うというのがこの作品の魅力かもしれない。コワルスキーが次第にモン族の青年・タオ(ビー・バン)や姉のスー(アーニー・ハー)と語らい、働き、食事を共にするうちに、彼の弱さや迷いというものがじわりじわりと見えてくる。

 彼が抱えるもの。コワルスキーをずっと苦しめていたものの大きさはやがて知るところとなる。同時にアメリカという国で仕事の始め方も知らなかったタオという青年の前に立ちはだかる大きな壁や痛みというものも同時に顕著になる。

 コワルスキーは自分の心を吐露し、頑なに守り続けてきた生き様の中での間違いを正そうとした時。アメリカの片隅で細々と暮らしてきた男の矜持、信念、そして彼が本来守りたかったものを守る強さが厳かに示される。

 確かに彼が行った選択は、もしかしたらあまりにも衝撃的で切ないものかもしれない。だが男が立っている姿の裏には真意で守り通そうとする新しいアメリカの家族の姿がくっきりと明確に浮かび上がるのではないか。

 そこには迷いも無い、力強い仕事が存在し、誰かを守り通す優しさがあり、最後まで立ち続ける信念がある。そんな喜びに勝る武器は無いという思いはエンドロールの調べとともにたゆたう未来へと続いていくのだ。

監督・製作 クリント・イーストウッド
出演 クリント・イーストウッド
   ビー・バン
   アーニー・ハー
   クリストファー・カーリー
   コリー・ハードリクト
   ブライアン・ヘーリー

4月25日 新宿ピカデリーにて鑑賞

『グラン・トリノ』 (原題 GRAN TORINO)
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2009年04月18日

鴨川ホルモー3

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 ホルモーって何?って題名を聞いたら思うだろう。なんか舞台が京都なので、京都の催しものなのかなと思ってたらどうやら違うらしい。

 まるで知らない人には騙されたと思うかもしれないけれども、ちょっと変わった京都の大学で行われるサークル対抗戦とでもいえば聞こえは良いであろうが・・等の本人達は周りの人々の好奇な視線にも関わらず至って必死である。
 
 こんなうだつのあがらない大学生活で良いのか?まあ悲惨といえば悲惨で実情が分からないものに引きずりこまれるほどに困った事はない。やっと二浪して受かった京大に入った安倍(山田孝之)は、高村(濱田岳)と参加した賀茂祭の帰り道でふいにサークルに勧誘される。

 本当に普通のサークルだから新歓コンパに来ない?と何とはなしにけしかける先輩・菅原(荒川良々)の明るみに騙されたのか、安倍も高村もそのサークル・京大「青竜会」が一体何の活動を主とするサークルなのかは露知らず。

 見えないものも見えないので、とりあえず。この世で美しい鼻を見かけたらもう放ってはおけない安倍は、早良京子(芦名星)に惹かれ、ずるずると高村も巻き込まれ、大木凡人にそっくりな髪型の不敵な新入生・楠木ふみ(栗山千明)の視線もどこへやら。

 まあある種の競技をメインとした物語である。オニという何かしらの存在を「ゲロンチョリー」とか「アガペー」とか言ってけしかける。その実態はもちろん新入生には伏せられ、しばらくするとホルモーと叫ぶはめになる事も。

 作品を原作を知らずに観始めた身としては、何もかも良く分からない催しを見せられるインパクト勝負の作品と感じた。一体彼は何をやっているのやら。と感じるのも良いが、やはり何かに夢中になるといのはきっかけは何であれ良い。

 「面白いサークルだから」「普通のサークル」だからと勧誘されていく安倍と高村をかつての自分とふと重ね合わせてみてしまうような懐かしさをふと覚える。

 当初はそのサークルに入って良かったのか?というズルズル感。一人気に入っている女子がいる間は止めないという安部のダメ男ぶりも中々。どこかのサークルの誰かを彷彿とさせる。

 物語は安倍のライバルともなる芦屋満(石田卓也)がその嫌な存在感をグイグイと現してから俄然と面白くなる。

 当初から鈍感な安倍には「ふとした嫌なヤツ」のように感じられていたが、ホルモーという競技の実態があからさまになり、サークル内の亀裂という具体的な二項対立が発生した事により、高村の復帰にいたる奇妙な髪型の唐突さを楠木ふみの違和感が絶妙に中和し、いざ京都市内を舞台として決戦天下。鴨川ホルモーの大舞台となっていくのだが。そこに微妙な按配のおどろおどろしさ慄けが混じり正に闘いは混戦に混戦を極め・・・

 あまりに石田卓也演じる芦屋が嫌味なものだから、安倍の背中を押したくなるのもつかの間。そこに飛び交う「ゲロンチョリー」やら「アガベー」などの掛け声が響く滑稽さが一時緊迫した接戦をふと緩和させる。

 ある種この一般にはあまりないというか絶対になさそうな世界観の競技をこの世界にもたらしたら、大学生が大真面目になってこんな事やってたら、という浮世感を役者の唐突な演技と真剣さに転換する青春へと流す中で感じるファンタジー色が強い作品ではある。
 
 京都の町だからこそあってもおかしくはないと思わせるのも一興。もちろん大学生の色恋沙汰も混じるから、競技以上に男女間は接戦に接戦を繰り広げているようで意外と単純なのは安倍のボケぶりも堂に入っているからであろう、ホルモーにそんな恋愛事情までがぶつかりまさに彼らの間では収拾がつかず。それを観ている私傍観者もなんか楽しそうだなという感情のぶつけどころが無くふと困る。

 そうは行っても、3歳までは京都にいたのだけど、それから訪れる事数十回の町に今年も行こうかなと思っております。目当てはいくつかの神社・仏閣。秋口には良いのですよ。これが。もしかしたら向こうでホルモーに夢中の大学生達に会えるかもなんて。

  
監督 本木克英
出演 山田孝之
   濱田岳
   栗山千明
   芦名星
   石田卓也
   荒川良々
   斉藤祥太
   斉藤慶太

4月18日 渋谷シネパレスにて鑑賞

『鴨川ホルモー』
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2009年04月12日

クローズ ZERO 3

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 円を描いて回転していくケンカの構図。思ったよりも接戦で泥臭く、だからこそ迫力があるのだかその闘争劇は演舞するかのごとく人を惹きつけるのだ。今回も役者に個性を演じさせる事でキャラクターの構図を全面に押し出す。

 だが誰が一番強いのかというシンプルな命題があるからこその人間の闘争のドラマを引き立てるのは自明の通りで、芹沢多摩雄(山田孝之)を倒した後でも、主人公の滝谷源治(小栗旬)はひたすら鈴蘭高校のトップになるというとりあえずの目標を続けているようだ。

 そんな鈴蘭高校の中だけでこのシリーズが収まるわけもなく、今回は鳳仙学園という強敵軍団が現れる。こちらも個性たっぷりで、もちろん学業そっちのけでケンカの精度を磨く事に余念がない心意気だ。

 かつては争いを繰り広げていた鈴蘭高校と鳳仙学園。今はある過去の悲劇により休戦状態にある。今まで一触即発であったのできっかけはもちろん源治の手出しによって休戦協定は破られる。

 強くなりたいという思いを抱えている滝谷という男は何を考えているのであろう。極道である父親(岸谷五朗)に認められたいようでどこか肩透かしを食らうようにその気持ちはスクリーンから抜け落ちる。

 ただ一筋に一番を目指すという目標のみにしか動かない鉄の意志をただただ持ち合わせるのみなのかもしれない。もしくは真っ直ぐすぎるからこそ現れる素直さを懸命に現しているようだ。それに胸を打たれる者もいる。

 そんな滝谷はある種この作品において、周りの人間を炊きつける見事な導火線としての役割を同時にこなしているのかもしれないと芹沢を始めとした鈴蘭高校の面々の視線を通じても感じ取れる。確かに強いが生き方が不器用で真っ直ぐすぎる。そんな男には叶わないが手を化してやっても良いのではないかというシーンがふと訪れる。

 確かに強い者というのは泣き言を言わない、それは実力という自信もあるであろうがただ黙って拳を突き出す。そんな人間の集まりが接戦を繰り広げたら、それこそ源治を始めとして血みどろの攻防戦になるのは間違いない。

 グラウンドを基点として向かうケンカの構図は学校を城に見立て、目指す者と戦いに備える者という対立を際立たせ、一作目からの登場人物が新たな敵とどのような組み合わせで闘うのかというタイマンの楽しみを味あわせる。

 ラストに源治と鳳仙のトップ鳴海(金子ノブアキ)が強烈なまでの闘いを繰り広げるのは自明であろうが、それまでのタメとしての展開の破天荒さ予測のつかなさが中々面白く引き込まれた。芹沢対漆原(綾野剛)は予測がつき、芹沢の図太さが凄まじいが、これもワンテンポとしては調度良い。

 ケンカも多勢対多勢の中にタイマンを織り込んでいくので、分かりやすいがキャラクターのをそれぞれの役者が鷹揚に意気込んでしっかりと演じているからこそケンカの個性になっていき混在する接戦が見事に見やすくなっている。

 そしてそんな中に少しとぼけたような、力が抜けるようなテンポの落としどころが次々に用意されているので、気持ちをずっと入れ続ける間に調度良い間が訪れる感じだ。少なくとも高校生同士が立ち向かう拳と拳の殴り合いでこんな展開のものは観た事が無いかもしれない。

 一つは滝谷源治を始めとする鈴蘭高校で誰が一番強い者なのか。二つ目は彼らが他の高校と対立したらどのような布陣で臨むのか。そして強さと痛みを体にどのように感じるのか。
 
 そして三つ目であるこの作品のもう一つのエピソードをどう掘り下げていくか。鈴蘭高校と鳳仙学園の間にあったもう一つの物語は、恐らくこの作品に出てくる強さを求める者に対して弱さのあまりに行き着く所が無い者の話でもある。

 ただそれを見捨てるのか、もしくは這い上がるのかは少なくとも本人次第であり、それを手を差し伸べられれば助ける者もいる。本当の強さとは拳だけではないとまたも一作目に続いてある者が体を張って示した。こういう強さのあり方は滝谷の心と共鳴し、明日もまた彼を一番という座へ昇らせようとする。
 

監督 三池崇史
出演 小栗旬
   やべきょうすけ
   金子ノブアキ
   三浦春馬
   高岡蒼甫
   岸谷五朗
   山田孝之

4月12日 新宿東亜にて鑑賞

『クローズ ZERO 供
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2009年01月12日

感染列島2

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 物語のミスリードというか、思い込み、先入観にやられるとは思っても見なかった。中盤まではまさかあの発端でこんな展開になるはず無いと思って思わず疑惑の目ではみてしまったけれども。

 そう人々とは、思い込みや一方向に流れる情報に寄りかかる。特にパニック、大惨事となれば話は面白いぐらいに偏っていってしまう。個人的にこの物語を観ていて思ったのはパニックとラブストーリーは紙一重だという事、見せ方によってもお粗末に感じてしまうし、その逆もあるのだなと。

 まだ正月明けの病院に新型インフルエンザの症例に似た患者が運ばれてくる。通常通りワクチンを使用し、静観したのもつかの間、再度の往診で症状は悪化し死に至る。

 一人感染すれば、病院内で感染していくのは医療スタッフ、入院、来院中の患者である事が多いのであろうが、この事案は不幸にも芋蔓式に列島を駆け巡っていく。

 それと同時に感染源、症例の根本となる原因を突き止める謎解きともいえる人の連鎖を導いていく過程もまた破天荒。

 思わず発生源の近くにて応急に当たってきた松岡医師(妻夫木聡)が原因追求の為、海外まで飛んでしまう展開には唖然。まあ外出している時点でアウトか。でもそこまで追求したら人々のパニック、冷静さの半分加減も抑制されてしまうもしれない。

 とは思いつつも・・・市立病院の隔離の鉄壁具合のいい加減さにも参る。滅菌室と通過するとはいえ未知のウィルスに対しての対抗ラインが不明瞭で緊張感に乏しいし、それを各日本列島の大都市の荒廃映像と死者数の推移を重ねて描くあたりは今までのパニック映画のラインを通常通り踏襲したようだ。今更こんな映像で見せようなんて・・・

 まあそれはそれとしてダイナミックな感染の急襲しそら恐ろしい事は確かであり、こういったパニックに陥った時点で人々の行動が散らばっていくのを観察するかのように見ていく過程が見所かもしれない。

 もちろんメインの2人である松岡とWHOのメディカルオフィサーとして感染拡大の原因の糸口を探る小林栄子(壇れい)のラブストーリーをメインの軸として最後の最後まで見せ切る。

 そして展開の妙としては登場人物の誰が亡くなるか?という衝撃は最初こそあれど、徐々に緩和されつつ、どこにいても安全ではないという居心地の悪い思いをする事になる。

 またこういった事態に対しては個人の力ではどうしようもない事象がある事。またよりによって医療機関が命の重さを天秤にかけなければならないほどに追い詰められてしまうという恐怖をスクリーンからじっくりと味あわせるので、シーンごとの撮影の緊張感、現場の雰囲気をこれほどまでに滲ませた作品ではあるが観終わった後には妙なしこりが残ったような違和感を感じた。


監督・脚本 瀬々敬久
出演 妻夫木聡
   檀れい
   国仲涼子
   田中裕二
   池脇千鶴
   佐藤浩市
   藤竜也

1月12日 吉祥寺東亜にて鑑賞

『感染列島』
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2008年12月22日

K-20 怪人二十面相・伝3

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 K-20は誰か?というミステリータッチと三枚目も張れる金城武を主人公にして按配の良い絶妙なアクション活劇に心地よく翻弄され、キャスティングの配置が功を奏して見所たっぷりの冒険活劇へと誘われる。

 怪人二十面相の正体という疑問を牽引しながら、怪人二十面相に仕立てあげられたサーカスの曲芸氏・平吉(金城武)、それを追う探偵・明智小五郎(中村トオル)そしてその婚約者・羽柴葉子(松たか子)が1945年の帝都で駆け巡り舞い上がる。

 あらゆるテクニックを使いあらゆる物を盗み出すといえば怪人二十面相といえばどこか華麗にして俊敏なイメージを思い起こさせるが、罠にかけられ疑われた平吉は怪人二十面相とてして疑われ、ただ純粋にサーカス団員として生きて行きたいという希望ゆえにその濡れ衣を晴らそうとする。

 えっ何で俺が?疑われるの?といぶかっている暇は無し、次から次へと映像は転換し、K-20を捉えようと明智も社会も国民も躍起に。

 一方で平吉は疾走感溢れるシーンに至るまで泥臭い訓練を繰り返す。自ら本物の怪人二十面相を捕らえるべく走りに走り、高いものを飛び越えあらゆるヒントにしがみつく頭の回転も増していく。

 K-20の正体を追いかけ、明智と羽柴葉子そして平吉の三者三様の微妙な構図などなど人間の行動や思いを駆け巡らせる舞台としてはおそらくこれほどまでにレトロチックな風景描写も無いだろう。建物の雰囲気や旧市街のような舞台にカメラが迫り引き出演陣のスクリーンに映り込む配置も面白い。

 そんな背景やトーンを感じ、半ばスクリーンに引き込まれながら一番感じたのは役者の魅力となぜ平吉が罠にかけられK-20として捕らえられなければならないのかというポイント。

 アクションとミステリーの合間に挟まって感じ取れる、平吉、明智、葉子の三角関係とも取れそうなこの絶妙な間合いがやがては驚きとも映像の揺らぎとも言えるラストへと導かれていってしまう。

 そこに折り重なるアクションシークエンスの連続技と怪人二十面相の本来の目的が表出した時に感じる采配の上手さを通り越した納得は思わずしてまたもや裏切られる事に・・・なるのだが。

 そんな対決のシーン、これまで浮かび上がってきた伏線劇の中で華族という特権階級がいる一方で、日々暮らしにも困るという帝都の現状がにわかに浮かび上がってくる。

 だからこそK-20は存在しなければならないし、それに呼応する強さという優しさを持った人物も現れてくるという何事も恐れない精神こそがこの作品の肝である。

 また平吉という人物が持ち合わせた両面性、私腹を肥やす者たちから盗み、日々生きるのにも苦しい人々に配るような怪人二十面相のとある魅力をもにわかに語っているのかもしれない。



監督・脚本 佐藤嗣麻子
出演 金城武
   松たか子
   仲村トオル
   國村隼
   高島礼子

12月21日 吉祥寺東亜にて鑑賞

『K-20 怪人二十面相・伝』
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2008年10月19日

宮廷画家ゴヤは見た3

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 まさに見た。何を?と食いつきそうになる予告を観たからにはそれが気になって仕方が無い。そこにはただ見たという事実を語る映像のラインとは別に静かにゴヤ(ステラン・スカルスガルド)が感じた人間への深い眼差しと思いが思いのほか溢れてしまう。それは18世紀末のスペインで起こった。

 異端審問という人間の支配は強烈である。カトリック教会の頑ななまでの疑心暗鬼、不審な者への少しの余念も挟まない徹底した教示によって遂行していく様は一人の少女の悲劇によって幕を開ける。

 これも些細なシーンから紡がれた疑惑により裕福な商人の娘イネス(ナタリー・ポートマン)が異教徒の疑いで捉えられる。

 彼女はどうなってしまうのであろうかという救済への道を模索するシーンは、周辺から語られていく。イネスの家族、イネスをかつてモデルとしたゴヤ、そして同じくゴヤのモデルとなりカトリック教会の神父ロレンソー(ハビエル・バルデム)

 このロレンソーが曲者のようで、真意が見えない。イネスの家族にカトリック教会との寄付と引き換えに牢獄からイネスを救済しようとするが、ここに障壁が訪れる。

 強硬な異端審問を実行しようと言い出したのはかのロレンソー。そしてあまりにも酷く暗い闇の中でイネスが求めてしまったのはロレンソーの人肌。この2人はスクリーンで乖離しそうでしない。いつまでもこの時点で行った所業が後を引いて行くのだという嫌な空気が蔓延する。

 そんなどっちつかずの位置にいるロレンソーは頑なまでに自分を信奉しようとしているように見えるが、中は人間ならば誰しもが持ちえる欲の渦に巻き込まれているのは明確に見え、そしてそんな不安定なゆれを自覚する事無く時代は流れていくのだが・・・

 一度方向性を示す恐怖は増幅していく。異端審問が遂行されていく過程は直接的に全て描かれるわけではないが、裏側淡々と直線を引いた上に乗り続ける鋭いラインを温床として、対比するかのようにロレンソーの心理とどこまでも光の見えないイネスの心理をゴヤが描いた2人の肖像画の色彩にそれとなく示しているような明確な違いを打ち出している演出は見事。

 そして、その一矢報いぬ不穏で行き場の無い雰囲気が徒然と作品全体を塗りこめて行くので、イネスとロレンソーのそれからが気になって仕方が無いという人の運命を引き立てる舞台装置に理にかなっている情景に引き込まれるのだ。

 さて、冒頭で異端審問が始まる前のカトリック教会で神父達が眺めるゴヤの宗教を風刺した絵。それらはゴヤが今まで感じてきた事、そしてロレンソーとイネスに出会った事で知ってしまった人間の業と宗教弾圧によって運命が左右されてしまうという皮肉の限りを予見しているかのようだ。

 また、それは異端審問を遂行した恐怖という絶対性の裏側にある人間の二面性をも引き立てているような気がする。

 だが、ゴヤが描いたロレンソーとイネスの絵は思わずして迫力がある。スクリーンにその絵が映るシーンをラストから思い起こす度に、思わずしてあまりにも人間の浅はかさ、傲慢さ、そこに生まれた感情の波に委ねた人間の末路に感傷も哀愁も通り越して、ただ見つめるしかなす術が無いかのような、ラストカットは息を飲むのだ。

 
 
監督 ミロス・フォアマン
出演 ハビエル・バルデム
   ナタリー・ポートマン
   ステラン・スカルスガルド
   ランディ・クエイド
   ホセ・ルイス・ゴメス
   ミシェル・ロンズデール
   マベル・リベラ

10月19日 新宿ミラノにて鑑賞

『宮廷画家ゴヤは見た』 (原題 GOYA'S GHOST)
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2008年10月12日

ゲット スマート3

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 よりかっこよく、決めたい男のスパイ映画。スティーブ・カレル主演という時点でそんな公算はことごとく崩れ去るというのは目に見えているが、その反動か彼が行う細かい仕込みには恐れ入るというか、乙女?か男子の心を掴んでしまう何かがあるはず。

 スマート(スティーブ・カレル)が所属するのはコントロールという諜報機関。現場には出る事無く、情報分析官として優秀な位置にいるものの・・・彼はエージェントとして活躍する夢想にふけっていた。

 ABBAの楽曲になぞらえるかのようにルンルンと冒頭から快調にスマートの姿がスクリーンに映し出される。コントロールの面々の細かいギャグもすり抜け進んでいく彼は唐突にエージェントに昇格。

 コントロールがカオスという犯罪組織に襲撃された事によりエージェントの情報は全て敵へと渡り、一介の情報分析官が陰謀を暴いていくのだ。

 こんな所に思わずアン・ハサウェイ。エージェント99とあまりにも記号的な整形美人エージェントと組む事になったスマートは、カオスという組織の内部を暴く事とエージェント99の気を引こうとする行動を平行線で行いながらもドツボに嵌っていくのだが・・・

 思わず取った行動が、最終的には上手く行くという結果良ければ全て良しという調子で進んでいくので、スマートの良かれと思って取った行動が違う方向を向きながらも微妙に修正されていく様がおかしい。思わぬ行動がもたらす予測不能なスマートさ=頭の良さを見せてくれる感じだ。


 エージェント99も最初はスマートなど相手にはしてないそぶりで、任務を遂行するのみという姿勢は、スマートの行動によって見事にあぶられ、軌道修正し、次第に人間味を見せていく。そこにはほのかなスマートの哀愁が重なっていく。

 もちろんスパイ映画なので、武器&小道具からお決まりのレーザービームかいくぐり&ダクト通過の侵入まで定石を踏んでいくが、そんな踏襲されたパターンがスマート演じるスティーブ・カレルの表情からアドリブ?行動によって予想外の見せ方をしてくれるゆえ飽きる事なしに、鮮度の高い笑いを混ぜて送り届けてくれる。

 そこに噛み合わないようで噛みあうエージェント99との邂逅。コントロールの面々の思わぬ行動の転換、そしてカオスという組織までもがコミカルに見えてきてしまう作品全体に通じる笑いのカオスが絶妙に決まる。

 すっかりコメディ俳優として場をさらうスティーブ・カレルは板にはまり役。どちらかというと一人で笑わせるというよりかは、共演のキャストとのアンサンブルが絶妙にはまる役者である事は間違いない。

 ここではすっかり一人前の美女エージェントを演じたアン・ハサウェイは、スティーブ・カレルの影に隠れるようで、存在感を見事に発揮。スティーブとの共演によって惹き立てられた魅力と演出によって美味しいところを見事にその美貌でさらってくれる。思わずファンサービスかと思うシーンもチラホラと。

 おふざけのようで良く出来ているスパイコメディ。下ネタから大げさなコントばりのシーンまで流れるように観ていたら、危機一髪というところでまた笑わせてくれる。そんなこの作品を作り上げた彼らのサービス精神がエンドロールまで続く心地よい作品だった。

監督 ピーター・シーガル
出演 スティーブ・カレル
   アン・ハサウェイ
   ドウェイン・ジョンソン
   アラン・アーキン
   テレンス・スタンプ
   テリー・クルーズ
   デイビッド・ケックナー
   ジェイムズ・カーン

10月11日 新宿ピカデリーにて鑑賞

『ゲット スマート』(原題 Get Smart)
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2008年09月07日

グーグーだって猫である3

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 猫を見ていると飽きない。少し遊んであげると思いもよらないほどに活発になったり、興味をなくしたり、気まぐれというにはもったいないし、どこかで飼い主を手込めにしようとするずる賢さもありそうである。

 そうグーグーだって猫である。愛されるべき家族になりたい猫はそんな名前を付けられた。その名前の意味は吉祥寺のサトウのメンチカツに委ねられ、吉祥寺という街を舞台とした群像劇となって行く。

 サバという名の愛猫を亡くした漫画家の麻子さん(小泉今日子)は喪失感の日々にまぎれ込む。少しでもその懐を紛らわそうと買った猫はペットショップで出会ったオスのアメリカンショートヘア。

 動機が動機なだけに、グーグーという軽やかながらも思わず聞いていてお腹が空いてきそうな名前の猫は部屋にぽつんと時たま飼い主の帰りを待つ寂しさを同居させる。

 猫が人を引きつけるのか、麻子さんを始めとして漫画家のアシスタント、ナオミ(上野樹里)、井の頭公園へ辛くも避妊手術への道程から逃げ出した猫を探したのは公園のベンチで本を読む不可思議な青年、沢村(加瀬亮)、食べ盛りのアシスタント加奈子(大島美幸)、咲江(村上知子)、美智子(黒沢かずこ)、ナオミの恋人でストリートミュージシャンのマモル(林直次郎)が猫に翻弄される。

 誰も気付いてあげられない気持ち。グーグーの主張は、やがて麻子さんという女性の周りをピンポイントとして最終的に彼女自身に振りかかってしまうのだが・・・

 鮮烈な心の喪失感と死の感覚が、思わずして紅葉の赤に反転するイメージが物語の後半で麻子さんの気持ちを凝縮させる。

 そこには愛する者を亡くす悲しみほどに、自分の生き方を捉え、自分を愛おしいと思えるか。また自分にとって必要とする者、必要としてくれる者の存在に気付く事の大切さを思わずして知る事になるであろう彼女とサバの邂逅は新たな道を指し示す。

 横たわる別れというものはあまりにも刹那的で唐突であるという悲しみがある一方で、その別れがもたらす新たな生き方へのレールの彩りという歓びがあるという事をさりげなく感じさせてくれる。

 ナオミが感じた夢、沢村が知っている未来の思い、それぞれに猫を機軸として人間の別れがあるからこそ、麻子さんはその背中を押されるように愛すべき者の元へと帰っていくのだ。

 猫がパタパタと駆け巡る絵は中々面白い。可愛らしいというよりかはコミカルさを押し出していく。一方で、ナオミを中心としたドタバタ劇はやり過ぎ、吉祥寺のあらゆる場所で展開するコメディシーンは物語から浮いている。

 落ち着いたかと思いきや、麻子さんと沢村の親密度具合はどうなる事やら、ナオミの唐突な告白やら、それぞれの動機が散漫としてて落ち着かないのは、あまりにも人間の物語が融合しそうで、乖離していくかのようだから。

 そこでピンポイントで焦点が合って行くのは、やはり麻子さんという女性の表情、物語の中で綴られる彼女の行動、何よりも彼女が大切にしてきたもの。吉祥寺という街に住みサバという愛猫と過ごしてきた時間への固執なのではないかと思う。

 その時間を失った恐怖。その時間でサバに与えられなかった愛情を掬うようにそこに現れるグーグーという猫へ芽生えた後ろめたさ。それら全部ひっくるめて彼女は受け止めていかなければならないと同時に、次第に新たな未来へと歩みだそうとするこの街の情景が思わずして優しく迫る。

 思わずして気付いたのは、結局麻子さんも、周りにいる彼らも、猫も個人の問題を背負い、自分の存在を何よりも大切に思いながら、エゴがぶつかり合っているのだと。
 
 そうそう人間だって、猫だって自分が可愛い。その中でも生き続ける野望と決して忘れてはならない存在を胸に秘めながらたっぷりとした野心と大胆な勇気で挑むのだ。


監督・脚本 犬童一心
原作 大島弓子
出演 小泉今日子
   上野樹里
   加瀬亮
   大島美幸
   村上知子
   黒沢かずこ
   林直次郎

9月6日 新宿武蔵野館にて鑑賞

『グーグーだって猫である』
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2008年08月18日

カンフー・ダンク!3

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 飛び切りパワフルなバスケットボールの展開に唖然。ジェイ・チョウが飛び交い、チェン・ボーリンが舞う。でもこれじゃロスタイムじゃあないか。

 身寄りも無く捨てられたシージエ(ジェイ・チョウ)はカンフー学校で育てられるものの、何かと身を委ねるものも無くボーと過ごしていら、リー(エリック・ツァン)という男に、その腕を見込まれてプロデュース。

 大学のバスケットボールチームに入団したシージエは、基礎が出来ていないものの、片手でボールを入れる3Pシュートは天下一品。

 元々出来るのだから、基礎を丹念に練習すれば、ダンクも夢ではないはず。とにかく旋回するかのごとく彼らの日々は少しずつ軌道修正されていき、その高みへと向かっていくのだが。

 関心仕切りなのは、カンフーと銘打っているゆえに、物語のはしりにカンフーシーンを醍醐味としてちゃんと見せてくれる所。ジェイ・チョウがとある店で大立ち振る舞いをするのだが、その華麗な足技と繰り広げる一挙のバランスが収束して行く様には興奮した。たとえCGを使っていてもこういう魅せ方をしてくれると嬉しい。

 そしてそのカンフーとバスケがどんな関係があるの?という質問は置いておいて、カンフーをやっているからこそ、身体は俊敏に動き、天を舞うがゆえに最終的には最強のダンクシュートをかますのではないかという期待に胸躍る。

 つまりはどんなスポーツにも応用できそうな事。偶々であったのがバスケットボールであるがゆえに、カンフーの醍醐味は、ドリブル、リバウンド、そして華麗で空中を舞うシュートに昇華されていく。

 対峙する敵もいて、作品全体に影を落とし込む卑怯極まりないバスケチームなわけだが、ラストシュートが明暗を分けそうな時に・・・ここで出たシージエの裏技にはびっくり。一体どこで習得したのやら。天才は何をやらせても良いのかと少し思うが・・・

 見事なまでに作品に出てくると何かにつけ突飛な才能を発揮する事の多いジェイ・チョウ。今回もスーパーカンフーを基本として様々な空中戦と手先の類稀な技術を見せてくれる。淡々としたとボケぶりが板についていてこれはこれで中々の魅力ではないか。

 チェン・ボーリンのワイルドさには、最初彼だと気付かないほど。酒を飲み何かのトラウマを抱えているようだが・・・

 一見して派手なバスケットボール映画だと思いきや、エリック・ツァンのキャラクターが全てを救う!?シージエの出自にまつわる話。場末の道なりで飲む味の分からないワインほど楽しい余韻に浸れるときも無いのかもしれない。

 だからこそパフォーマンスが立て続けに起こった後の邂逅はなぜだか身に染み入るし、そこから広がる世界にまたとない信頼関係の不可思議さを楽しめるのだろう。

監督 チュー・イェンピン
出演 ジェイ・チョウ
   シャーリーン・チョイ
   チェン・ボーリン
   エリック・ツァン

8月17日 シネカノン有楽町2丁目にて鑑賞

『カンフー・ダンク!』 (原題 功夫灌籃/KUNG FU DUNK)
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2008年08月17日

この自由な世界で4

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 白く塗りこめたかのような室内の映像の中でひときわ目立つ女性がいる。アンジーは、一人で子供を育てながらも、外国へ赴き、仕事を求める労働者に仕事を紹介していたが、些細な職場の齟齬によりクビにされてしまう。

 ノウハウを信じるものは救われるか。絶対に自分にある自信と一人息子を何とかして食わせる為、それ以上にこの世界で生き抜くためにアンジーは、個人で職業紹介所を立ち上げる。

 そこに集まる労働者の群れには、どうにかして生きていかなければならない人々の視線を強く感じる。一日でも良いから働きたい、そして食べて生きたいという切実な物言いが身体から溢れる。

 一端アンジーの職業斡旋所は軌道に乗りかけるが、仕事が増えるにつれそれに増して増えていくのはトラブルであろう。

 会社の賃金未払いによって生まれた一触即発の状態。法律の境界線という一線を越える躊躇がありながらも、先に進み労働者の上に成り立つ自分の作り上げた世界を信じて進むアンジーには、この時点で状況を判断する事など出来ず、思わず自分と息子の為に思わぬ行動を取ってしまうあたりは唖然となる。

 またこれはこの国の話だけではないであろう。人間は人間を食い物にして生きている事実は変わりなく、人より多分の儲けを出し、その資金を獲得しステップアップして出し抜くという意欲はどこにでも介在するのは事実だ。

 その裏側に犠牲になる者。恩恵を受ける事無く淘汰されてしまう人々がいる事も事実で、作品に登場するイラン人家族のエピソードには、生きる事の窮屈さが同居している。この現状を見たらアンジーといえどその気持ちを揺り動かされずにはいられないようだ。

 アンジーがこの作品に映り込む度に感じたのは、彼女の行動倫理、仕事を邁進していく姿はあまりにも当たり前で、他人を出し抜いていかなければ生きていけないをいう必死さを兼ね備えているゆえに、嫌悪感は湧かなかった。

 どうにかして生きていかなければならない、窮地に立たされ切羽詰った時にアンジーが取る行動には、ちょっと待ったと声をかけたくなるが、競争化社会の中に単独で入り込み、時に危ない橋を渡ろうと、時に人を出汁にして自分が生き抜こう、人より良い生活に突入しようとする考え方はあまりにも普遍的なもの。不思議な事ではない。

 このあまりにもまざまざと生きるアンジーという人間の姿にクローズアップした作品から感じるのは、人は時に優しくなり、時にはその優しさをも忘れてしまうという事実。

 生きる為なら秘密を持ち、約束を先延ばしにもしようとするあざとさも持ち合わせるのは、人の悲しき部分であると同時に人間の短絡さも現れている。

 人の怒り、約束不履行への対峙ほどに恐ろしい事は無いと感じさせるラスト前の狂騒もまた、相手も生きていくための必死さを暗いスクリーンの中に映し出す。

 しかし、ひときわ目立つのはラストでまた生きようと、そして自分と息子の先の為にそこで止まる事をせずに新たに自分の行き抜く世界を見つけようとするアンジーのがめついほどの精神力なのではないかと感じる。

  
監督 ケン・ローチ
出演 キルストン・ウェアリング
   ジュリエット・エリス
   レズワフ・ジュリック
   ジョー・シフリート
   コリン・コーリン

8月17日 シネアミューズ イースト/ウェストにて鑑賞

『この自由な世界で』 (原題 It's a free world)
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2008年08月10日

片腕マシンガール3

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 片腕がマシンガンの女子高生。撃ちまくり、斬りまくり、殺しまくりで決して精神衛生上良くないのだが、ここまでやってくれると逆に残酷さが飛びぬけてしまうから凄い。

 いたって健全な女子高生のアミ(八代みなせ)は両親が自殺し弟のユウと暮らしている設定。アミがバスケットボールをやっているシーンで友人がアハハと笑いながら、「アミ凄いよ。凄いよ。」という不敵な演出のシーンも去ることながら、そこに現れる弟のハニカミ笑いが不穏な空気を醸しだす。

 そんな弟に金を無心されるアミは、弟のいじめにも全く気付かず・・・不良グループに弟は友人と共に殺されてしまうのだが。

 ユウの残したノートのメモから、いじめた人間に事情を聞こうと様々な場所に赴くが、そこではとんでもない展開が待っていた。

 手をてんぷらにされた挙句の、あまりにも理不尽な仕打ち。アミはユウをいじめた不良どもと抵抗する輩を皆殺しにする事を決意。やっぱりそうこなくちゃ!

 ナイフを片手にもう後戻りの出来ないアミの不気味な笑い声をあげながら夜の闇を疾走するシーンから、この物語は拍車をかけて行く。その無謀さもまた良く、ヤクザの家に忍び込み次々と舎弟を血祭りに上げようとしたが、逆に拷問に合い片手を切り取られてしまう。

 命からがら逃げ帰ったのは、同じく息子を彼らのイジメにより、殺された母親ミキ(亜紗美)の元。片腕をマシンガンに改造し、様々な殺人術を会得し、奴らに復讐する手立ては整った。

 血のり満載感たっぷりに。敵をなぎ倒していく映画であるがゆえに悪ふざけも超一流並。中学生の忍者集団、アミに殺された中学生の遺族ことスーパー遺族、ロバート・ロドリゲス顔負けのドリルブラなど悪ノリネタが応酬する。

 戦闘シーンの壮絶さは、冒頭でアミが片腕マシンガン片手にいじめっ子を殺しまくるシーンから保証済み。マシンガンで跡形も無く撃ちまくるその不道徳性と言ったら無いが、それほどまでにアミがいじめによる殺しを許すまじき行為として立ち向かうものは皆殺しという画一性の元に動いていくゆえ余計な同情無しで物語には入り込める。これもキャラクターの成せる技か。

 そんなアミを演じた八代みなせ。初耳だけれども、その堂々たる殺人マシンぶりと常人と狂気の転換をセリフ棒読みながらも熱演していて、存在感がある。セーラー服とマシンガンという組み合わせにインパクトがあるのも公算大だろう。

 とにもかくにも延々と殺戮シーンが続くと食傷気味になるが、そこは上記の悪ノリプラスアルファが欲しい所。物語の後半戦でアミとミキVSスーパー遺族という対峙展開が待っているが、テンポがイマイチ悪い気が。スーパー遺族にも飛び道具の一つでも欲しかったかも。

 ミキの足がチェーンソーになった途端に、思わず足技を生かしたメッタギリという展開を期待したが、チェーンソーであるがゆえに中々切れないという痛みを演出していたのには参った。

 スプラッターばりの戦闘シーンもラストでは冗長になりそうなところ、ヤクザの不良息子の母親が繰り出すドリルブラというインパクトにも唖然。
 
 さて、そんな物語の中身はすっかり忘れてしまうほどの復讐劇。インパクトには事欠かないが、これほどまでに残酷な女子高生の論理もまたどっかで違うよなと思いながらも、ふと警察って存在しないのかと野暮な事を思ってしまった。
 
 まあそんな常識からは完全に逸脱した映画という事は、はなから分かりきった事なのだが。

監督・脚本 井口昇
出演 八代みなせ
   亜紗美
   穂花
   島津健太郎
   デモ田中
   諏訪太朗

8月9日 シアターN渋谷にて鑑賞

『片腕マシンガール』
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2008年07月27日

きみの友だち5

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 冒頭の旋律と、どこにでもありそうな街並みがグッと引っ張る。思わぬ形で友だちとは出会うのが不文律。今まで出会った友だちと過ごしてきた空間とその広がりを思わず雲に託した作品の高揚感に涙が止まらない。

 ポッとホームに降り立つ男。彼が取材先として向かった先はとある町にあるフリースクール。そこで出会った和泉恵美(石橋杏奈)は、子供たちからもこちゃん先生と呼ばれ、その理由と彼女の心象風景は壁に掛けられた雲の写真によって鮮明となる。

 やがて、滔々と話し始めた物語はかけがえのない友人との出会い。寄り添い、互いの言葉で紡ぎだされる友だちとの当たり前で、かけがえのない日常。

 これってあまりにもメルヘンチックなんだけど、見ていく内にこの作品の見せる映像と構図にひきつけられて病まない。一番真髄にきたのは、友情って美しいもの。清々しいものなんていう幻想を見事に打ち破ってくれる人間の感情の不器用さを優しく描いたストーリーテリングであろう。

 恵美が出会う楠原由香(北浦愛)とのコンビは、偶々互いにハンディを背負った者として描かれている。恵美は交通事故により杖がないと上手く歩けない。由香は元々身体が弱く激しい運動などが出来ない。

 ハンディを背負った者同士、支えあい生きていくという描写は無い。彼女達は一人前に互いに最も理解し合い。寂しさも楽しさもそのバランスも見事に合致しているがゆえに、隣に居るという事が当たり前になっているという安心した存在同士のように感じる。

 本当に大切な友人ならば、いつも一緒に居なくてもその歩く速度が一緒なだけで、この人が本当の友人であると心の速度と共に確信できるものなのであろう。初めて彼女達が出会った頃に二人がふと空を見上げるシーンの何と美しい事か。

 そして恵美が回想していく、それぞれの写真から紡ぎだされるサイドストーリーが、恵美と由香の友情とは別として恵美のそれまでの思いを少しずつ代弁していく。

 友だちは沢山居たほうが良いと思うハナ(吉高由里子)という少女の感じた思春期の残酷さ。人との友情に自身が持てない三好(木村耕ニ)の爽快な笑顔。思わず自分の恋心に正直になれず、人に辛く当たってしまう佐藤(柄本時生)。

 ここに現れていく彼らのスタンスに対して、恵美は写真でそっと彼らの表情を映し出す。決して干渉はせず、まるで見守るように、彼らと接していくのを石橋杏奈は自然な表情で時に近づき、時に彼らの思いを知りそれを優しく汲み取る演技で魅了してくれる。

 誰しもが抱える悩みとそれぞれの表情と恵美のそっとした態度から、彼女自身が感じる由香への思いとスタンスが現れていて、恵美と由香の軌跡が少しずつ明るみに出て行くのがたまらない。

 それはまるで、恵美がラストに見せる空からのカットバックにゆれる風景の流れ、彼女の空を見上げる表情に見事に現れていると思う。
 
 かけがえのない存在、友だち。いつまでも居るわけではないと分かっていても、時に会い、思い出を紡ぎだす。それは写真で切り取った思わぬ瞬間のように変わらないものであるという雲のような軽やかさも持ち合わせる。今年観た中でも思わぬ出会いを果たした作品であった。

監督 廣木隆一
原作 重松清
出演 石橋杏奈
   北浦愛
   吉高由里子
   福士誠治
   森田直幸

7月26日 新宿武蔵野館にて鑑賞

『きみの友だち』
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2008年07月20日

崖の上のポニョ4

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 ポニョ、ポニョってあの歌が頭から離れない。すっかり街に出るとどこからともなく聞こえてくる馴染みのあるメロディになってしまった。至ってシンプルな歌詞と意外とノリの良いハーモニーは作品世界をそのまま現した。

 自然に目が行く。人物描写ははっきりしているが、海沿いの崖から眺める自然の風采や背景は、採光な鉛筆で暈して描き分けたほのぼのさが、不思議な違和感を呼び起こし、この魚の子・ポニョという海の底からやってきた不思議な生き物と少年の出会いに見えない期待を寄せる。

 一言で言えばダイナミック。海沿いの道をひた走る車と波に乗ったポニョが平衡していく感覚はたまらない。こんなに勢いの良いアニメを観たのは久しぶり。

 また、一見してのどかな風景の海沿いの町が、世界観を変えてしまう展開にも半ば唖然と。背丈より超えた空間が海水にのまれ、瞬く間に別世界を生み出してしまう破天荒さが思いのほか楽しい。

 そこから生み出される物語は5歳の少年・宗介とポニョのあまりにもストレートな賛歌のようで、見ていてこそばゆくなる。人間になりたいポニョは、最初の出会いで宗介の血を受け継ぎ、映像で焚きつけられるようにポニョは鳥のような手足を生やし陸上へと赴いていく。

 さて、何でポニョは人間になりたいと思うだろう。血の味を知ってしまったからか。宗介の事が大好きだからか。その答えは曖昧なままポニョというキャラクターに上手く依存していく。

 時には浮遊体に戻り、時には人間の形に近くも、不可思議でとなりのトトロのような表情で、ささいな奇跡を起こしてしまうポニョの姿に、思わず次はポニョは何をするのだろうという期待が入り混じった不安定さに翻弄されてしまう。

 ポニョの父親・フジモトの気持ちが思わず残る。海の底より汚い陸上の人間の世界。そこに惹かれてしまうポニョを連れ戻そうと必至なフジモトの形相があるがままに伝わってきて、単なるヒールを越えた、自分の世界観を絶対だと思う男の意固地さが面白いのだ。

 人間の世界は汚いのだろう。おそらくそんな環境の危惧を起こした世間よりも、この作品でおそらく語りたいのは、どんな生き物同士でも感情のあるがままに、通いがあるがままに交感していきたいという無邪気な子供の頃の純粋な思いでありような気がする。
 
 時に身の振り方を知らない子供は、その感情と好奇心を爆発させるが、その気持ちを素直に受け止め、諭していく語りをまるで宮崎アニメのヒロインの勇姿を持ち合わせた宗介の母親の静かで、絶え間ない優しさによって描いているのは、その血筋を持った宗介の強さに反映される。

 思わずラストでは『ルパン三世 カリオストロの城』をなぜか思い起こした。あるがままに意識しない自然の中で、思わぬ邂逅を果たすあの感覚は、彼らが感じる町の背景に広がる空気と、人間が生きている以上生まれ続ける生き生きとした感覚が立ち上る。



原作・脚本・監督 宮崎駿
声の出演 山口智子
     長嶋一茂
     天海祐希
     奈良柚莉愛
     土井洋輝
     柊瑠美
     矢野顕子
     吉行和子
     奈良岡朋子

7月19日 吉祥寺東亜にて鑑賞

『崖の上のポニョ』
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劇場公開作品

【2010年2月】

パレード★★★★

ルド and クルシ★★★

抱擁のかけら★★★

おとうと★★★★

インビクタス/負けざる者たち★★★★


【2010年1月】

ゴールデンスランバー★★★

ボーイズ・オン・ザ・ラン★★★★

フローズン・リバー★★★★★

Dr.パルナサスの鏡★★★

ミレニアム ドラゴンタトゥーの女★★★

板尾創路の脱獄王★★★

かいじゅうたちのいるところ★★★

(500)日のサマー★★★★



【2009年12月】

誰がため★★★

蘇りの血★★★

アバター★★★★

のだめカンタービレ 最終楽章 前編★★★

THE 4TH KIND フォース・カインド★★

インフォーマント!★★★

ジュリー&ジュリア★★★★

パブリック・エネミーズ★★★

カールじいさんの空飛ぶ家★★★★


【2009年11月】

ニュームーン/トワイライト・サーガ★★

戦場でワルツを★★★★

2012★★★

イングロリアス・バスターズ★★★★★

脳内ニューヨーク★★★★

Disney’s クリスマス・キャロル★★★

ゼロの焦点★★★

大洗にも星は降るなり★★★

スペル★★★★★

【2009年10月】

わたし出すわ★★

風が強く吹いている★★★

母なる証明★★★★★

沈まぬ太陽★★★★

アンヴィル!夢を諦めきれない男たち★★★★★

パイレーツ・ロック★★★★

さまよう刃★★★

クヒオ大佐★★★

戦慄迷宮3D THE SHOCK LABYRINTH★★

狼の死刑宣告★★★

悪夢のエレベーター★★★

エスター★★★★

パンドラの匣★★★★

カイジ 〜人生逆転ゲーム★★★

私の中のあなた★★★★

ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜★★★

ワイルド・スピード MAX★★★

【2009年9月】

ドゥームズデイ★★★

男と女の不都合な真実★★★

あの日、欲望の大地で★★★★

アドレナリン:ハイ・ボルテージ★★★

空気人形★★★★

カムイ外伝★★★

プール★★

ウルヴァリン:X-MEN ZERO★★★

サブウェイ123 激突★★★

【2009年8月】

マーターズ★★★★

グッド・バッド・ウィアード★★★★

女の子ものがたり★★★★

ナイトミュージアム2★★★

20世紀少年 <最終章>ぼくらの旗★★

30デイズ・ナイト★★★

南極料理人★★★★

ノーボーイズ、ノークライ★★★

96時間★★★★

トランスポーター3 アンリミテッド★★★

キャデラック・レコード 音楽でアメリカを変えた人々の物語★★★

縞模様のパジャマの少年★★★★★

色即ぜねれいしょん★★★★

HACHI 約束の犬★★★

3時10分、決断のとき★★★★★

G.I.ジョー★★★

ボルト★★★★

サマーウォーズ★★★

コネクテッド★★★★


【2009年7月】

バーダー・マインホフ 理想の果てに★★★★

セントアンナの奇跡★★★

セブンデイズ★★★

アマルフィ 女神の報酬★★

ハリー・ポッターと謎のプリンス★★★

サンシャイン・クリーニング★★★★

モンスターVSエイリアン★★★★

ノウイング★★★

ごくせん THE MOVIE★★

MW -ムウ-






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