映画 「は行」

2010年02月22日

パレード4

parade





 人の表情が響き渡る。それぞれがそれぞれの生活をしうわべだけを覗かせてそっと立ち去る。

 観ているほうはそんなに彼らに感情移入しなくてすむし、出来ればそんな彼らの表層的で無機質で有り余ったエネルギーをどこに放てばよいのか分からないもどかしさを眺めているのはあまり楽しくないかもしれない。

 だが、もしそんな生活感覚が入れ替わり立ち代わりスクリーンに静かに物憂げに投影され、それぞれの関係性を平坦にしつつも、誰もが人にはちょっと言い難い秘密を抱えてたとしたらどうだろうか。

 そしてその秘密にそれぞれがふとした事でかかわり、観察行為に対してみせる表情が一通り変わらなかったらどうだろうか。

 つくづくこの作品、いやこの作品の原作を読んでいた時からずっと心に引っかかっていた事がある。

 そもそも人間は他人に対してさほど深く興味を持たずに互いの干渉を良しとせずそれなりの関わりを一時だけ持ちながらも、そのループに浸る事を良しとし、その心地良さを幾度も繰り返す事に邁進するのではないかという感覚である。

 そこには良心も悪意も存在せずに淡々とそれぞれの評価がふと浮かび上がり、それぞれの感情が浮き沈み、たまに衝動的になり得る者の顔は目立つが時とともにそれも忘れ去られてしまう。

 だから怖いと感じる原作の解説の文章の意味が何となくじわりと来るのだ。それはおそらく、この作品に出てくるそれぞれのキャストである藤原竜也、小出恵介、貫地谷しほり、香里奈、林遣都が絶妙に演じるそれぞれの人物を客観視した恐怖ではないような気がする。

 彼らに何となく共感してしまう恐怖。実は自分の心と向き合った時に感じる何ともいえない表面上の居心地の良さを感じてしまう根源的な恐怖を彷彿とさせてしまうから人間と人間の関わりは何となく怖いものに見えてしまうのかもしれない。

 もしかしてとこの作品のラストを観た時に思うかもしれない。もしかしたらそれは違うのではないかと思う人物がこの中に1人でもいるのかもしれないと。しかしそれは彼らの声に消され、表情の奥に引っ込み、身体から出るその場の喜びの内側に隠されてしまった。

 こんな人間の重量感というかそれぞれのふとした重みを隠そうとするずしりとした重圧には耐え切れそうも無いのだが、解放されても何となく後を追っかけてくる魅力的で、後ろ髪を引かれてしまうような余韻に思わず負けそうになる心地よさは一体何なのだろう。

監督・脚本 行定勲
出演 藤原竜也
   香里奈
   貫地谷しほり
   林遣都
   小出恵介

2月22日 シネクイントにて鑑賞

『パレード』
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2010年02月19日

抱擁のかけら3

losabrazosrotos




 めくるめく人間の輪廻的な愛の世界はドロドロしていて、絡まりあい、ねっとりと離さない。

 観ていて思い出したのは同監督の『ライブ・フレッシュ』で、誰しもが望んだ世界などそう簡単には手に入れられないが、どこかに残る愛する者の愛おしさや温もりや声に対しての揺るぎない賛歌は失うつもりはないらしい。

 物語の冒頭の起点はあいまいで、頭が混乱しそうになる。それもまたある男の愛の物語だとはぼんやり感じ取れるがその輪郭をはっきりさせていく作業は、まるで監督が観客の頭の中に意図させるかのように、観客の手にじっとりと手ごたえを感じさせるかのように、観客の血と肉に感じさせるかのようであり、それがペドロ・アルモドヴァルの良くも悪くも魅力となる。

 主人公は盲目の脚本家。物語を紡ぐ人物を主人公にした事は何かしらの意図があるのであろうか、ついつい勘繰ってしまう。彼の名はハリー・ケイン(ルイス・オマール)といい彼の記憶の糸は嫌でも一人の男の名前によって手繰られる。

 実業家のエルネストという人物の訃報。またそのエルネストの息子が監督する作品の脚本をハリーに依頼してきたという唐突の願いから嫌でも過去に向き合う事になった男の名は14年前はマテオという名の監督という別の側面を持っていた。

 なぜ彼は名を変える事になったのか、オーディションにやってきた麗しく美しい女性レナ(ぺねろぺ・クルス)と彼女を愛したマテオ、そしてそこにエルネストという人物がどのように関わってくるのか、そしてマテオが失明した経緯に隠された彼自身の心の底にある悲しみとはどのようなものか。

 そういった人間と人間の狭間に横たわる感情の交錯、過去に囚われそうになる心やハリーが作ろうとする物語の中に残る愛への残り香、作品へのアプローチはあくまでも性急そうに見えて、実に枠をゆっくりとかたどるようにそのベールをやさしく開いていく。

 現実はあくまでも運命に委ねられるかのような唐突さを合間に含みながら進んで行く。愛し合った末の果て無き欲望と愛憎の渦は見ていて心苦しく思わずハリーの肩に手をかけその愛への勢いと彼が作る映画作品の世界観の天秤を上手く保たせたくなるが、それは見えざる手によって介在されるよりも流れるままの人間の嫉妬と苦悩を浮き彫りにするドラマを基調とする自然性によって深みを増す。

 レナ演じるペネロペ・クルスは相変わらずその存在感を美貌によって主張しつつもはかなく美しい女性像を押し出す。だからこそ一矢報いたくなるのが、レナを自分の世界でしか生きられないようにし、マテオの作品にさえ口出しをしようとしてくる芸術性のかけらも無い男エルネスト(ホセ・ルイス・ゴメス)の存在だろう。

 この役者が抜群に憎たらしいぐらいに上手く、気持ち悪いぐらいのオジサンを堂々と演じているのには参った。マテオの感情の矛先がどこに向いたら分からないぐらいに苦悩する姿。彼自身が愛する者と映画作品の間でさまよい歩く姿は見ていてこれほどにプライドをズタズタにされそうになる瞬間は無いほどだ。

 レナへの愛と芸術への愛。どちらも失うわけにはいかないのであり、どちらかを選択する苦悩というのも彼にはあったのであろう。だが運命は思わぬ方向へと彼を導き、さらに深い愛の坩堝の奥にはまり込んでいくのだが。

 ペドロ・アルモドヴァルはどちらかというと運命や人間が左右されるものに対してそれに身を委ね、あるがままに受け入れるのが自然だと常に示唆してきたように思う。

 だがしかし、その方向性とは違った声色のようなもの。運命や一筋のラインの中にいても、過去を振り返りつつ、かつて止まった時間を再び甦らせるような挑戦というものに対しては一切の曇りない信を置いている気がする。

 そしてまたその時を進める行為性のようなものがやがてはある種違った形であれ予想外の未来を切り開く事もあるとふと思い起こさせるような感情を作品に浸透させ、そのふとした一瞬の喜びがあれば何とか人は生きていけるのかもしれないという一縷の望みをコミカルで愛らしいフレームに切り取り人の心をラストまで奪い去ろうとする。何とも憎らしいが笑顔がこぼれてしまいそうだ。


 
監督・脚本 ペドロ・アルモドバル
出演 ペネロペ・クルス
   ルイス・オマール
   ブランカ・ポルティージョ
   ホセ・ルイス・ゴメス
   ルーベン・オカンディアノ

2月19日 新宿ピカデリーにて鑑賞

『抱擁のかけら』 (原題 LOS ABRAZOS ROTOS)
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2010年01月31日

ボーイズ・オン・ザ・ラン4

boysontherun





 なんて爽快感の無い走りなのだろう。心にグッとせまる焦燥感は誰にも回復する事の出来ない傷のように、誰もが自分自身の欲望を跳ね除ける事も出来ずにただ呆然と走るだけのふがいない感覚。

 観終わった後に、ふと劇場にあるこの作品のポスターに監督はこんな事を書いていた。「どうです?嫌な気分になったでしょう?」と。

 人間誰しも持ち合わせる、嫌な失敗や恥ずかしい部分、過去のあらゆるあやまちを2時間に凝縮したような作品だ。いたたまれないなんてものじゃない。そうか監督はおそらく漫画を原作としつつも渾身を込めて描いたのだ。人間のふとちょっとした隙に見せてしまう醜い部分を。

 でもちょっと立ち止まって考えてみると、人間が思わず思いを寄せた人間や恋い慕った人間は時の流れと共に過去の染みのように広がりつつも薄れていく。出来ればその時だけは打ち付けたい何かにあらゆる方策を施して立ち向かうが、それは負けではない。ただむなしく無性に悲しいだけなのだ。

 そんな真理をついているのが、主人公の田西(峯田和伸)が勤める玩具メーカーの商品企画部のちはる(黒川芽以)のその先を想像すれば何となく見えてきそうにもなるが、これはあくまでも田西がちはるに恋をし、失敗をし、散々な目にあって、奈落の底に突き落とされそうになる話。

 これはもしかしたらもしかすると!という話だと思ってはいけない。田西はちはるにどのようにアプローチしたらよいか分からずに悶々とする中で、ライバルメーカーの営業マン、青山(松田龍平)に相談をもちかける。

 青山のおかげか、田西はちはると急接近する。だが青山のせいでもなくちはるのせいでもなく。単純に田西という男の思わぬ失態によりとんでもない事態になっていく。

 これは田西に感情移入してこその「あーだめだ・・・こりゃ」という感情でもあるが、客観視しようとしても出来ないのがこの作品の面白さ。なぜならば青山はちはるを寝取り、しまいにはちはるという田西の中ではちょっと田舎くさい鷹揚なかわいらしい子というイメージが変わっていってしまうからだ。

 そう誰もが経験した事のある昔好きだった子が久しぶりに会ったらまるで以前とは違う雰囲気を醸し出し、まるで元々自分がモノにしていないのにも関わらず、自分のあるべき彼女のイメージとは全く違う姿を目の前にさらした時のほのかな絶望感。

 これは容姿的なものもあるし、性格や言葉遣いにも一々引っかかったりする事もある。この見事な変化を黒川芽以は演技をしている峯田こと田西の視線と観客の視線を紛れも無くそのポイントに集める事に成功している。

 一方で、田西演じる峯田和伸の極めつけの演技もすさまじく、ここまで愚直には目を背けたくなり、もうまるで観ていられない状況になる。ホラー映画のショッキングシーンではないけれども、その場にいたらもうトイレとかに隠れたい感じで見ていられない。
 
 さて、そんな田西はちはるにも振られ男としての何かしらの矜持を示そうとする。何も無理にそんな事・・・と思いつつも、青山演じる松田龍平の憎たらしさも中々堂に入っていて心地よいので、田西VS青山がどうなるかは観てのお楽しみに。

 そんな中で邦画市場まれにみるボコボコの心情のプラットホームが訪れる。さて田西は勝ったのか、負けたのか。そんな事よりも最後の最後に示した男の行動に拍手を贈ろうではないか。彼は走り続けるしかないのだから。



監督・脚本 三浦大輔
原作 花沢健吾
出演 峯田和伸
   黒川芽以
   松田龍平
   YOU
   小林薫

1月31日 シネセゾン渋谷にて鑑賞

『ボーイズ・オン・ザ・ラン』
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2010年01月30日

フローズン・リバー5

frozenriver





 均一に降り立つ雪の中で2つの母性がぶつかる時、そこには今まで見たことの無い静かな絆というものが垣間見える。

 あくまでも彼女たちはそれぞれの利得というものを守ろうとする。それは生活のためでもあり、どこかに置き忘れそうになりながらも決して他に替えることの出来ない愛情のためでもある。

 何とかしてギリギリの状態だけどそれを取り戻したい。そんな心情は抑制されつつも一人の女性の姿を冒頭に映し出す。

 夫が新居の購入費用を持ち逃げされたレイ(メリッサ・レオ)は冒頭半ば放心状態で現れる。嫌なほどの生活感を漂わせ、まるで他人を寄せ付けないかのような、他人との関わりを放棄したかのような佇まいは何だかどう感情を向けさせたら良いのか困る。

 このアメリカとカナダにまたがる国境の片隅の街で凍った川は雄大かつ謎めいて横たわる。

 レイはふとした事でモホーク族のライラ(ミスティ・アップハム)という女性に会い、互いに素性を模索し、牽制しあいながらもやがてある国境をまたがるビジネスに手を染める事になるのだが。

 凍てつく大地だと思ったのは国境をまたがるセントローレンス川。彼女達とその家族を包み込む凍った河。そこをまたぐ行為により不法入国者を車のトランクに隠してひた走る。

 大地が放つ空気と水と世界の片隅で繰り広げられる静かな行為は、犯罪と知りつつも生きるための瀬戸際で彼女たちは自分と自分の家族をその行為の圏外に客観視しながらも手だけはその河に浸している。

 そんな感覚は緊張感に溢れているが、どこかで日常を捨てきれない母親としての顔を覗かせてしまう。犯罪を犯しているけどどこかでそれを行使しきれない後ろ髪を引かれるような振り返りは、ある凍てつく河の間で起こる事件によって元ある姿に戻ろうとする。

 国境を舞台とした作品は数多いが、なぜだかいつも感じるのは国境というものの緊張感というのは絶え間ない程に迫り、人をそわそわさせ、近寄りがたい雰囲気を醸し出すのだろうかという事。

 そこに密接に関わるのは人間であり、それを超えようとするのも人間の意志である。しかし、国境を意識しながらも人間の本来の姿を失ってはいけない。そこを超えたら何だかどうしようもない程に守ろうとしていた矜持までもがガラガラと音を立てて崩れてしまうから。

 だがこの作品に限ってはその河は凍っていながらもやがては解放される、その溶解される瞬間と人が人を救う瞬間は綺麗にぶつかり合う。そんな人間の必死で、緊張に満ちて生きる姿は素晴らしく、凍てつく空気を飲み込む。



監督・脚本 コートニー・ハント
出演 メリッサ・レオ
   ミスティ・アップハム
   チャーリー・マクダーモット
   マーク・ブーン・ジュニア
   マイケル・オキーフ

1月30日 シネマライズにて鑑賞

『フローズン・リバー』 (原題 FROZEN RIVER)
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2009年12月19日

THE 4TH KIND フォース・カインド2

TheFourthKind





 まあこういうのは、「これほんとかよ」とか「どうやって撮ったのだろう」と思わずその作りこみ具合に感嘆するのが良いのであって、あくまでも実際の映像と再現映像を並列させる意味など考えてはいけないのかもしれない。

 事実であるという傍証をあくまでも信じてみるのも観る者の自由ではあるが、かたくなに信じないというのも何だか子供っぽくて嫌なのである。だから何となく嘘っぽいな〜ぐらいの気持ちで観てみたら最も怖かったのは、アビゲイル・タイラー博士の顔じゃないか。

 そんな彼女の顔を撮ったカメラマンや照明の人間には悪意でもあるのか。そんなに不気味に撮らなくても良いではないかと思ってしまう。劇中に度々登場する実際の映像?の博士は普通なのだが。

 舞台はアラスカ州のノームという街。アビゲイル・タイラーを作った映像で演じるのはミラ・ジョヴォヴィッチで、ストーリー仕立てで気味の悪い現象を解明していく。予告を観た段階では、気味の悪いカルトか何かの催眠術や黒魔術の恐ろしさみたいなものだと思っていたらどうやら違うようで。

 まあ最初からややびっくりするのだけれども、タイラー博士は夫と寝ている時に、何者かによって夫を殺されているのだが、犯人のてがかりも何も無いままに茫漠たる日々を過ごしている。空撮を生かしたタイラー博士のジェット機による通勤風景がそれを後押ししているかのようです。

 そんな彼女の仕事は心理学者でもありカウンセリングの仕事を主としているのだけれども、彼女の元に訪れる人々は不眠症に悩まされ、白いふくろうに見つめられるという共通の現象が!催眠療法を行ったところ患者にとんでもない事態が!

 というやつなのですが、この催眠療法の映像が実際の映像も作った映像も中々気味悪く撮れてて、また何でそんな事になるんだ・・・と思わず唖然としてしまうほどの強烈なインパクトで迫ってくる。また物理法則に完全に反したとんでもない動きを見せてくれます。

 そしてひっきりなしに彼らは催眠療法中にとんでもない恐怖を感じているようで、演技にしては凄まじいものがあると感じるし、もう何だか不気味すぎて、訳がわからない状態になっていくのですが、それもそれとして物語の方向を見守るしか無いのです。

 ここら辺でもう何だかお気づきの事だろうけれども、この作品はエイリアンによるアブダクションをメインとして、このノームという街一体に起こる不可解な現象を追求していく形になっています。

 信じるか信じないかはあなた次第とでも言いますが、この作品を心底から信じてしまうのはちょっと素直に何でも受け止めすぎるようでもあるので、少し疑う目を持ってみても良いかもしれません。映像にある様々な不可解な点を疑うというのもこの作品のもう一つの楽しみ方です。

 そして、かつてカナダのバンクーバーで夜中に私自身が見たまさにUFOみたいな飛行物体は本物なのか、あるいは何か別のものなのか。そんなある日の懐かしくも不思議な夜をふと思い起こさせる作品でもありました。


 
監督・脚本 オラトゥンデ・オスンサンミ
出演 ミラ・ジョヴォヴィッチ
   ウィル・パットン
   イライアス・コーティーズ

12月19日 新宿ピカデリーにて鑑賞

『THE 4TH KIND フォース・カインド』 (原題 The Fourth Kind)
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2009年12月12日

パブリック・エネミーズ3

publicenemies




 人の顔つきやイメージというのは時として強烈な印象を与える。ジョン・デリンジャーの顔写真を始めて見た時、思わずして一筋縄ではいかないくせ者ののように見えた。

 この男をジョニー・デップが演じる。というだけで少しそれは果敢な挑戦ではないかと思ったのだ。そしてこの作品の蓋を開けてみると見事なほどに観る者を翻弄するラブストーリーの要素が目立ってしまう。

 またこの作品に出てくるジョン・デリンジャー(ジョニー・デップ)は当然のことながら庶民のヒーローのような扱いを受けており銀行強盗を繰り返すという設定の人物だが、不況下の庶民の財布からは決して一銭も頂かない姿勢を銀行強盗中に配置するが、庶民という背景があまり見えてこない。

 無論、人を傷つけるという行為は極力避け、社会に警笛を鳴らすかのような仕草も垣間見える。だがそれ以上に一人の人間としてジョン・デリンジャーという存在を物怖じしない実行力と決断力のある魅力ある存在として映像のラインは仕立て上げていく。

 そんな彼を人々は義賊と呼び時に恐れ、時に賞賛するかもしれない。ここで、義賊というものについて考える時、また法を正義としてその義賊を取り締まろうとする者の論理が遂行される立場を考える時に社会や国民というのは場合によってはそのどちら側にも付き得る。

 そして自己利益と自分自身が思い描いていた姿をまるで投影させるかのように英雄像として象徴化し、自分を代替的にその姿に投影し、自己の社会への関わりを強化させ自信を付け社会を活性化させようと日々邁進する。

 そういった社会背景的な姿が見えてこないのだ。マイケル・マンならジョン・デリンジャーとビリー(マリオン・コティヤール)の姿に焦点を当てても、そこを裏ごしに描くような強い印象が欲しかったのだが。

 一方で面白いのはジョンを追いかけるFBI捜査官であるパーヴィス(クリスチャン・ベール)の存在である。一見して優秀で冷酷そうな立ち振る舞いをする彼は一体どんな人物なのかというジョンとは対照的にその姿を追うのも面白い。

 パーヴィスはデリンジャーを逮捕するために試行錯誤を繰り返し、ついには追い詰められるところまで追い詰められてしまうその窮地の姿、計画無き突入の場面ではその結果に唖然とし、感情をつい介入させてしまいながらも仮面をかぶり続ける男の苦悩と無能を隠そうとしながらもたち現れる虚勢に社会の敵に狂わされたもう一つの人生がじわりじわりと垣間見えてきます。

 そんな彼らの対峙は時あるごとにその視線を生と死の間で交わしながら、定点での銃撃戦や銀行強盗の無骨な手口にスピード感を添えながら、そして何よりも人間の弱点を露骨なまでにつきながらも、自分の弱点を露呈し、それを必死で隠しながらも突き進む。その道なりの厳しさは男の生き様という形で描きたかった心は結果ではなく、あくまでも過程をじっくり見せる事で綴りあげたかったのかもしれない。

 

監督 マイケル・マン
出演 ジョニー・デップ
   クリスチャン・ベイル
   マリオン・コティヤール

12月12日 吉祥寺東亜にて鑑賞

『パブリック・エネミーズ』(Public Enemies)
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2009年10月31日

母なる証明5

mother




 その青年の視線の先にあるものを知ろうとしてもがき苦しむ。子供の眼差しを母親は知ろうとし、そこにあるものが何であれ受け止めようとする姿勢はまず冒頭の滑稽でもの悲しい舞踏に苦りきった感情を抱かせる。

 どこかの街。母親は漢方薬店の先にある息子の存在を追う。彼女の視線と薬草を切るなたの手元は嫌でも画面から緊張感を溢れさせ、それでも視線を執拗に息子トジュン(ウォンビン)へと向ける母(キム・ヘジャ)。

 スクリーンは人物と背景を追いながら、トジュンと母の間に横たわる家族の素性を明らかにして行く。平凡さを纏いながらも、唯一無二の存在を確かに大切にする日常の風景はある事件によって一変していくのだが。

 街で起こった女子高生殺人事件。トジュンは容疑者となり、母はその無実を証明しようと奔走する。

 この作品の骨子を語るのであれば、観るまでは上の一文のみ心に留めて臨めば良いだろう。だが作品に引き込まれ、翻弄され、惑わされていくうちに、当初頭に思い浮かんだストーリーとはまるで違った方向に流れに乗せられているの気付き始める。

 その流れはまるで観る者の感情を裏切るように進んでいく。ポン・ジュノの描いた物語はカットを重ねていく上で重要な何かをそれとなく淡々と語っていき、視線をさまよわせる母親のように危うい物々しさを湛えていく。

 母親が求める漠然としたものを表したそれに呼応する息子の視線は交錯し、飛び交いやがて真実という求心力たっぷりの怒涛の展開へとなだれ込んでいくのだが。

 ここでウォンビンをただの優男と侮ってはいけない。彼のルックスが体現する危うさともろさは画面全体のゆるぎない眩みに順応し、自然さと危うさの境界線で目の離せない存在となっていく。

 そしてそのまどろみを内包するのが母の存在である。画面は引き締まりつつも落ち着かないブレを生じさせ、物語がどのような方向に行くのかという緊迫感とストーリーテリングの助長的なドラマ性に見事に魅了しつくされまさに居てもたってもいられない状況になる。

 観る者すべてを魅了しつつも心をあらぬ方向へと惑わせ、類を見ない後味を歯の間に差し込んできつつも、この鑑賞後感を誰にも出来ない体験としてそれぞれの心に映画を観る者が感じるありえない喜びとして感じさせるこの出来具合。

 そしてラストカットを観た時に全ての感情が発露し対比され、悲しいまでの戦慄を覚える事になる。母親という存在の痛ましさ、愛らしさ、そして何よりも彼女の心がぐたりと横たわった時の何とも言葉に出来ない奇妙なまでの人間の姿に思わず感嘆してしまうのだった。




監督・原案・脚本 ポン・ジュノ
出演 キム・ヘジャ
   ウォンビン
   チン・グ
   ユン・ジェムン
   チョン・ミソン

10月31日 シネマライズにて鑑賞

『母なる証明』 (原題 ?? mother)
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2009年10月24日

パイレーツ・ロック4

boatthatrocked





 キンクスの極上の旋律から始まり奏でられる男達のセレナーデとでも言おうか。法律によってある音楽のジャンルが制限されていた時代にまるでそれを露ともせずにビートに乗り、確実に国民の魂へとその思いを繋げていた。それも24時間ぶっ通しで。

 どこでその音楽を延々と電波に乗せていたかというと、それはイギリスから遠く離れた海の上で。正に海賊ラジオ局という名の通り、船乗りたちの荒々しいまでの個性はぶつかり合い、音楽のジャンルも混ざり合いながらも絶妙に同居する。

 一方で、政府は何とかしてこの国民に絶大な人気を誇るラジオ局をどうにかして潰したいと画策しており、ロックに憤慨するドルマンディという男をモーツァルトの『魔笛』の監督をやったケネス・ブラナーが大胆に熱演しているのが面白い。

 物語の軸は確かに制限されそうになりながらもロックを流し続ける彼らと政府の対峙がメインとなってくるが、勢いはやはり船内の生活に焦点が置かれる。

 ドラッグと喫煙で退学になった少年カール(トム・スターリッジ)の更正?の物語、ザ・カウント(フィリップ・シーモア・ホフマン)とギャヴィン(リス・エヴァンス)のほのかで微笑ましい争いの構図、意外とモテモテのデイヴ(ニック・フロスト)の生き様などなど・・・

 様々な登場人物を前面に押し出しながらもそれぞれの味がぶつかり合うこと無く、洗練された楽曲によってさらに彩られ、ユーモアとペーソスに満ち満ちて行くのだ。

 そんな男ばかりの船上かと思いきや、時おりなぜだか女性が船にやってくる。ファンとも恋人とも言いがたい彼女たちの存在と彼らが与える一見して何気ないこの海賊ラジオ局が存在し続ける事の意義は何とはなしに、押し付ける事無く響いてくる。

 そこで思わず心を動かされたのは、音楽に純粋に感激する瞬間というものは誰しもが平等に与えられるものであって、当初はただ延々とロックを流し続ける船上のパイレーツ達の自己満足の世界を語っているのかと思うだろうが、それは違う。

 彼らが命をかけて流す音楽。それに様々な形で共鳴するリスナー達の存在がスクリーンに自然と現れるとき、DJとリスナーが遠い海という距離をものともしない1つの場所で同じ音楽に向かい合うという感涙に溢れるのだ。

 さて、この海賊船には思わぬ形でラスト近くに災難と思しきものが訪れることになる。正にあのワールド・オブ・キングならぬジェームズ・キャメロンが作り上げた『タイタニック』を彷彿とさせる映像が流れる中で、ロック・オブ・キングと言わぬばかりに展開する彼らのロックへの矜持が見事に染み渡り、笑いと音楽を愛する者の慈愛が思わぬ形で鳴り止まぬまま続いていくのだ。そういつまでも。


監督・脚本 リチャード・カーティス
出演 フィリップ・シーモア・ホフマン
   ビル・ナイ
   リス・エヴァンス
   ニック・フロスト
   ケネス・ブラナー
   トム・スターリッジ

10月24日 新宿武蔵野館にて鑑賞

『パイレーツ・ロック』 (原題 The Boat That Rocked)
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2009年10月14日

パンドラの匣4

pandora




 ぽつぽつとシーンが重なっていく。新しい男とは何なのだろう、その時代にあった忘失を蘇らせたかのような決心は、戦争に負けたという事実からは浮世離れし、人里離れた結核療養所を舞台とする。

 明るみに出たのは利助(染谷将太)という少年と成人の狭間を行き来するかのように野暮ったい視線を持つ。血を吐いたという行為のみに悲壮感は無く、ただ喀血したという事実をもってして、健康道場という療養所である種の按配を実践していくのだが。

 その道場の連続するシーンを観ていて感じたのは、何だか学校で誰かが誰かにときめいたり、憧れの先生がいたり、時に気まずい雰囲気を味わったりもするようなスクールライフをにわかに浮き立たせたかのような感情である。

 互いにあだ名を付け合ったり、ちょっとした問題が起こって思わぬ解決に奔走したり、はじけるような廊下でのすれ違い、思わぬ後姿に欲情してんだか、いたたまれないのか分からない少年の感情がふわふわと空気の間を抜け出ていく。

 利助は"ひばり"とあだ名をつけられ、仲の良いつくし(窪塚洋介)に手紙を出すその文面をストーリーに載せるモノローグ形式で綴られる。物語中でも手紙はある重要なファクターとして度々登場し彼らの感情や動きを載せ、きらびやかに舞い落ちる。

 そんな中、利助ことひばりの心はあわただしい。新しい男になると決心したはずなのに、助手のマア坊(仲里依紗)を引っ張るが体良くあしらわれているようでもある。新しく来た看護婦長の竹さん(川上未映子)のことを気に入らない、すかないとつくし宛ての手紙に本心とは裏腹に綴る姿勢などは微笑ましい限りだ。

 誰しもがあこがれる年上のどっしりとした女性への視線。竹さんを演じた川上未映子は麗しく、スクリーンに映るとまるでひばりの感情のように塗り重ねる気持ちの変遷に同様に翻弄されるかのようだ。

 まあ坊はひばりにとってはあくまでも、きゃぴきゃぴしていてかわいらしいと思ってはばからないようであるが、時折見せるひばりの嫉妬心や複雑な感情の発露に酔いしれている少年の内面の対象となり、不思議なヒロイン像を見せる。

 だからこそ、これだけ出演する女優をきれいに、美しくしかも近しい対象として映しこんだと思わせる風情は、思わず健康道場に着いてから、ラストに至るまでのひばりの感情の動きをものの見事に捉えるゆえの大切な要因ともなるのだ。

 病に伏せているとはいえ、これほどまでに美しくなぜだか明るく、利発さを備えたポップ感に満ち満ちた作品は珍しいかもしれない。

 結核という病気の恐怖はふとしたことから気づかされるすぐ隣に横たわっている死として認識させられるが、追いかけてしまうのはその隣り合わせにある生というものが動き出す人間から人間への変わることのない感情でもある。

 だからこそ愛おしくも奏でられた彼らの舞台は閉塞的でもなく、暗鬱な音の重なりでもなく、匣の底にあったある塊を広げるがのごとく躍動感に溢れていたのだ。

監督・脚本・編集 冨永昌敬
原作 太宰治
出演 染谷将太
   川上未映子
   仲里依紗
   窪塚洋介
   ふかわりょう

10月11日 テアトル新宿にて鑑賞

『パンドラの匣』
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2009年09月13日

プール2

pool




 タイ北部・チェンマイにあるプールの周りに集まる人々の優雅できらびやかでロハスな生活を淡々と描く。と思ったらちょっと違う、何だか肩透かしでスッと爽快感もなくスラリと始まりスラリと終ってしまう。

 最初予告で観た時には正直男の子かと思ったさよ(伽奈)が母・京子(小林聡美)の働くチェンマイのゲストハウスを訪れて、そこに住む人々と何だか分からないが交流を深めていこうとする物語だ。

 それ以上でもそれ以下でもなく、何だか歯に物が挟まったような京子とさよの関係性はストーリーの中で際立つようで息を潜め、母の仕事を手伝う市尾(加瀬亮)も何だかその生活を享受しつつも人への距離感を抜群に保つ。

 このしんみりとしながらも、何だか広がるプールの情景に映るのは人間同士は好きに生きて、互いに心の傷になる事に関しては干渉せず、抜群の嫌われない距離感を確かにその腕に持ちつつも何とはなしに生きている手ごたえのようなもの。

 と半ば放心状態のような、殺伐さのかけらもないゆったり感を内包しつつも、その場にある生活を並列して見せていく。こういった生活は素敵でしょう、楽しそうでしょう、愉快でしょうと。

 半ばその情景に対して異を唱える視線を持つのがさよだ。母親は娘を放っておいて「好きに、自由に生きたいからタイのチェンマイでゲストハウスで淡々と楽しく生活をしている」というスタンスに何だか違和感のようなもの、しこりのようなものを感じるであろう。

 確かに家族同士といえども他人でもある。それぞれが行うことに対していちいち干渉していたらきりが無いし、それぞれの思いに同化していたらきりがない。どちらに傾くことも無く、親と子の確かな手応えはするりと抜けていってしまう。

 だから何だかさよの来訪も、京子のスタンスのそこではたと止まって骨子とならないのだ。だから物語は情景をただ淡々と移し、説得力を持たず、登場人物が何を考えて生きているのか次第に飽和してしまう。

 美味しいものを見せるのも良い、静かで荘厳できらびやかな情景を背景にするのも良い、だからこそ光る何かを見たいと思ったら、ラストに流れる一連の不可解なもたいまさこの雰囲気と浮き足立った不思議さに?マークを散らしながら、タイでの一幕は後ろのほうに流れるように去っていく。まるで熱気などはらまないかのように。

 

監督・脚本 大森美香
原作 桜沢エリカ
出演 小林聡美
   加瀬亮 
   伽奈
   シッティチャイ・コンピラ
   もたいまさこ

9月13日 新宿ピカデリーにて鑑賞

『プール』
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2009年08月12日

HACHI 約束の犬3

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 アメリカ東海岸のベッドリッヂ駅ってどこにあるのだろう。と観ている間は気になっていたのだが、どうやら架空の駅らしい。そんな寒い寒い季節にその駅に降り立った大学教授のパーカー・ウィルソン(リチャード・ギア)はかわいらしい秋田犬の子犬を拾う。

 もしも忠犬ハチ公の物語が海外に渡ったら。というリメイクではあるが、何と言ってパーカー演じるリチャード・ギアがもうハチ大好きなんですという満面の笑みを浮かべて演技とも素ともとれない絶妙な当たり役を演じます。

 当初は飼い主が現れるまでとしぶしぶ妻を説得し、首輪についていた漢字八からハチと名付け(何て安易な・・・)、知らず知らずのうちにもう既に立派な飼い犬として朝晩パーカーを送り迎え。そう全くといって良いほどに、あの有名な忠犬ハチ公の物語にそっくり。

 さてそっくりとは言えども、オリジナルへの敬意としたあくまでもさりげなく描かれるハチ公とパーカー、その家族の愛情の交感は、今までで一番お互いに信頼しあっていた飼い主が亡くなるという唐突な悲劇が訪れたとしても続いていく。

 何といっても、この作品の起点は何にも変えがたいパーカーとハチの信頼関係、父と息子とも言えるほどの愛情の関係であろう。

 いかにも東海岸の生活を満喫しながらも、勤務に出て帰ってくる時に送り迎えをしてくれる忠実でかわいらしい犬がパートナーとして存在することを誰よりもいとおしくうれしい人生の糧として実感していたパーカーという人物の表情や性格がものの見事に映画全体に浸透していく雰囲気は悪くない。

 だからこそパーカーが亡くなった後もその軌跡を信頼するかのようにハチはベッドリッジ駅から離れない。そこに信頼の起点がありすべてはそこで始まり終わる事を知っているかのように、温もりを探し続けるのだ。

 一方でパーカー亡き後の家族の反応がやや冷たい感じを受けるものの、何よりもハチの意志を基調とし、家族の中でも最もパーカーを拠り所としていた犬の表情に気づいたしまった彼らの立ち位置、表情は寂しい。

 せっかく駅を起点としているのだから、主人を待つという犬に対しての重みというのをもう少し安寧に描いてみるのも悪くはないのかなと思った。だがやはり駅であるがゆえにその駅を生活の中心地としている駅員や商売人の素顔がさりげない重要なファクターとなるので、そこにある温かみにも思わず触れたくなる。

 思わず渋谷駅の待ち合わせ場所にもなっている忠犬ハチ公の銅像。誰しもが人を待つ場合は多くの人がその人を信頼し、かけがえのない存在だと信じて待つ場所。そこにふと訪れる温かみというのは古今東西で全く変わらない真理であり、そこに触れる自由こそが平和の基調なのかもしれない。


監督 ラッセ・ハルストレム
出演 リチャード・ギア
   ジョーン・アレン
   サラ・ローマー
   ケイリー=ヒロユキ・タガワ
   ジェイソン・アレクサンダー

8月12日 新宿ピカデリーにて鑑賞

『HACHI 約束の犬』 (原題 Hachiko:ADog'sStory)
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2009年08月04日

ボルト4

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 ボルトといっても、あの陸上で活躍したウサイン・ボルトとはもちろん違う。けれどもボルトは、とあるシチュエーションでは少女ペニーのためにスーパー・パワーを発揮し、彼女を救う。

 そうそうケルアックの「オン・ザ・ロード」並みにアメリカを縦断したりもする、そんな犬の愛と奇跡の物語と言ったら、何て陳腐なと思うかもしれないけれども、これが思わぬ今年のアニメーションの最大の拾い物。

 そして観ている間に子供のころに観て感激したディズニーのアニメーションの記憶がスッとかぶってくる瞬間の連続。一見するとおとぎ話の世界と現実の世界の境界線を乗り越える犬の物語だけれども、それよりも基調となるボルトにとっての幸せとは何かというのをシンプルさで魅了する点にこの作品の醍醐味はあるのかもしれない。

 まあ観終わった後にアニメーションってこんなに面白かったんだと改めて感じさせてくれるだけでも満足ではないか。と思いきやそこで止めてしまうと少々物悲しさを感じるので、このボルトという犬の魅力と物語をそっと称えるためにもう少し。

 予告編でも物語の大前提として述べられてはいるが、このボルトという犬。俳優犬ならぬ立派な役者である。だが本人はそんな事には気づいておらずスタジオの中でしんみりと飼われ、同じくドラマに出演する少女ペニーに愛されていると本気で思っているのだ。

 またまたボルトはスーパー・パワーの持ち主とドラマ上の設定ではそうだが、スタッフやら演出家がうまーくそれはカモフラージュし、あたかもボルトは自分がスーパー・パワーを本当に持っていると信じている。つまり今まで生きてきたドラマの世界がすべてであって、それ以外の事を知りえないという無邪気さと唐突さを備えているのだ。

 そんなボルトがひょんな事からスタジオの外、しかもハリウッドではなくて何かの手違いで宅配便の箱に入ってしまい、東海岸のニューヨークに着いてしまったとしたら・・・というのは話の始まり始まり。

 ロードムービーの装いを呈しながらも、ストーリーの肝となっていくのは、スーパー・パワーがなぜ使えなくなったのかという現実と空想の乖離がボルトの中で起こっていくという事。

 そして何よりも魅力的な道中の友として野良猫のミトンズとハムスターのライノがひょんな事から参加。特にミトンズは猫のしぐさが絶妙でたまらない上に、ボルトの中で起こりつつある現実を捉えるのに一役、いや二役も買って出る。

 最初はドラマの敵役の猫と勘違いされて、散々な目に合うのだけれどもこのミトンズの助成と思わぬ伏兵ライノの秀逸なサポートによってボルトは西へ西へと進路を取っていくのだ。

 さて何よりも、ボルトにとっての希う願望はペニーを救い出し、彼女の元に駆け寄ること。やがて本当の友人を得て、ハリウッドまでやってきた彼が知る事とは本当の意味のスーパー・パワーという事。

 出来合いのアニメーションでは描けない一役者として生きてきたボルトという犬の内面の変化。そして彼によって影響されていくミトンズという猫の人を信じなかった境遇の変遷。そんな微妙な変化を丁寧に描きながらも決して動物は人の恩を忘れないということ、また人は大切に愛した動物の存在をいつも心に秘めているという当たり前で普遍的な真実を問いかけます。

 そのボルトが気づいたスーパー・パワーとは何かを知りたかったら、有無を言わさずにこのボルトとペニーの物語を紐解くことをおすすめします。
 
監督    クリス・ウィリアムズ
      バイロン・ハワード
製作総指揮 ジョン・ラセター
声の出演  ジョン・トラヴォルタ
      マイリー・サイラス
      スージー・エスマン
      マーク・ウォルトン
      マルコム・マクダウェル

8月4日 新宿ピカデリーにて鑑賞

『ボルト』 (原題 BOLT)
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2009年08月02日

バーダー・マインホフ 理想の果てに4

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 一体これはどんな作品なのだろうという、予告で観たその熱気のようなもの、かつてその国にあった反抗心とか時代が捉えた西ドイツの影の勢いというものを知りたいと思いシネマライズに足を運んだ。

 1967年の西ドイツにおいて、次第に底にあった鬱屈のようなもの、ヘドロのように粘りつきながらもそれぞれが考えていた思弁や思惑、正当な論理として馳せようとするその闘いは門を広げようとしていた。

 ベトナム戦争への過激なまでの反対デモを繰り返し、その最中に命を落とす若者がいて、衝撃と反発が波及していく中でジャーナリストのウルリケ・マインホフ(マルティナ・ゲデック)の心の変遷が作品の発端となる。

 改革という名のもとに動き出していたのは、アンドレアス・バーダー(モーリッツ・ブライプトロイ)も同じで、奇しくも捕まったバーダーをジャーナリストの立場からウルリケが救ったことで同調が生まれ、ドイツ赤軍(RAF)が立ち上がる。

 良くも悪くも崩壊図というのは観ていて痛ましいものを感じる。何かを信じて突き進む力が放たれ、行き場を求めて確実な手ごたえを感じている時は彼らの顔も生き生きと見えるので、思わずその場に乗ってしまう。

 だが、強く印象に残るのは彼らが唱える正義はベトナム戦争への反対闘争であるのにも関わらず、若者たちが次第に徹底抗戦を繰り返すことで歯止めがきかなくなり、過激で悪辣極まりないものに変遷していく様だ。

 彼らが何を求めていたのかは次第に曖昧になり、ただスクリーンに広がっていくのは血と傷の系譜。争いは彼らの間にも静かに横たわり、見えない落ち着かなさと暴力の連鎖は芋づる式に人間の衝動、若者が持ち合わせる方向性を見失った突発的な行動にしか映らなくなるのだ。

 命題を失った彼らほどに痛ましいものものない。最後まで一体どのようになるのか、ウルリケ・マインホフ、アンドレアス・バーダーをはじめとしたメンバーがやがて感じた闘いの結果への結論にはどのような落とし前がつくのか。

 バーダーを演じたモーリッツ・ブライトロイは相変わらず強烈な個性を見せ付けるが、スクリーンの影に潜むかのような存在感をふと消す演技をかもし出す。作品の基調となる彼の存在は作品全編に行き渡り、その緩急や態度の変遷と姿態には驚かされる。

 マルティナ・ゲデックも恐るべき顔を見せ付ける。今まで彼女が出演した作品の焼くとはまるで違う女優がそこに佇んでいて、色濃くドイツ赤軍に関わりながらも、どこかで冷静に客観的に捉えようとする痛ましさと物悲しさの象徴ともなる。

 何かを求めた末の行き所の無い衝動、抗戦というのはどこに答えを見つけたらよいのであろうかというむなしさと寂しさの広がりを見せる。

 時にそんな心うちを残しながらも永遠ともいえる一瞬の正義だと信じた衝動は確かにそこにあったかという手ごたえはするりと一握の砂のように抜けてしまうものなのであろうか。とふとこの作品のラストを観たときには思わず考えずにはいられないのであり、またどこかに別の道のりというのも開けはしなかったのかとふと考える。



監督・脚本 ウリ・エデル
出演 マルティナ・ゲデック
   モーリッツ・ブライプトロイ
   ヨハンナ・ヴォカレク
   ナディヤ・ウール
   ブルーノ・ガンツ

8月2日 シネマライズにて鑑賞

『バーダー・マインホフ 理想の果てに』 (原題 DER BAADER MEINHOF KOMPLEX)
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2009年07月17日

ハリー・ポッターと謎のプリンス3

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 ここまできたらもう最後まで見届けないと。というのがこのシリーズ、原作は読んだけれども、ダークフルな6作目は思いもよらない恋愛協奏曲へとなだれ込んでいく。

 まあ題名を見て謎のときたらそのプリンスの正体が一体誰なのかこれから干渉する方は気になるところであろう。奇しくも原作を読んだときには素直にその正体に驚かされた。

 だからこそ、その見せ方としては文章の方に軍配を挙げたい、だがいかにしてこのシリーズが闇の帝王ことヴォルデモート(レイフ・ファインズ)の闇の力が色濃く及んでいくか。

 また今回の作品でハリー・ポッター(ダニエル・ラドクリフ)が知る過去のヴォルデモートに関する事実がまたしても忍び寄ってくるというラインからは、過去、現在そしてこれからハリーが立ち向かう未来という一方向のラインを明確にする。

 改めてその世界観を捉え直すという立ち位置では非常にパワフルにその闇に要素が強く、いやおうが無しに恐怖に立ち向かおうとしながらも、その表情はひそかに暗く決意に満ちている。

 そんな現世を離れるがのごとく物語は思春期を上る階段を軽やかに上るかのごとくハリー、ロン(ルパート・グリント)、ハーマイオニー(エマ・ワトソン)の恋愛模様を時にコメディタッチで、時に嫉妬と愛情渦巻くシリアスドラマ風に描いていく。

 そんな恋愛の要素こそもしかしたら、彼らの礎となりこれからの戦いまでへの道のりを覚悟して決めていく手立てになるかのよう。やはりパートナーがいるのといないのでは違うと言わぬばかりに彼らの強さと不安をない交ぜにして織り込んでいくのだ。

 こうして絡み合った人間模様は時にその関係を変容させていくが、あくまでも昔も今もそして未来においても何が大切で何を基調としてきたかという命題をひそかに滑り込ませていき、ある人物の類まれな勇敢さというのを改めてこのシリーズを通じて振り返る時にこの第6章は非常に重要な意味を持つこととなるのが後で分かるであろう。

 あとおまけだけれども、毎回このシリーズを観る度に思うのだけれども、主人公3人組の成長の早いこと・・・やはり大人と子供は違う時間が流れているのであろうかとふと思ってしまうこの頃。

 あとラストまで前後編の「ハリー・ポッターと死の秘宝」を残すのみ。ついこないだ1作目の映画化がバーンと発表されたような・・・時の流れは速いですね。魔法で若かりしあの頃に戻してくれないかな思ったりして。


監督 デイビッド・イェーツ
出演 ダニエル・ラドクリフ
   ルパート・グリント
   エマ・ワトソン
   ジム・ブロードベンド
   ヘレン・マックロリー
   ヘレナ・ボナム=カーター

7月17日 新宿ピカデリーにて鑑賞

『ハリー・ポッターと謎のプリンス』 (原題 Harry Potter and the Half-Blood Prince)
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2009年05月17日

ブッシュ3

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 何だか人間として映りこむ苦虫を噛み潰した顔のブッシュという人物は、あまりにも身近で近しい人のように思えてくる。30代まではそこら辺りの若者で、凡庸さは時に不手際を引き起こし強さを求める。冷静に見れば非難は出来ないのかもしれない。

 酒を飲んでは女性を口説き、父親(ジェームズ・クロムウェル)の視線を感じつつも欲望を追いかける。ある種の健全さを残しつつも、父からの期待、父に認められるという枠にはまりそうになる。

 そのステージに立つべくジョージ・W・ブッシュ(ジョシュ・ブローリン)は大統領を目指したのか。もしくは何かしらの掲示を受けたのか。見得が先行し自分の度量と器量を度外視したのか問題は様々あるが、それに気付かない愛嬌さで皮肉っているような。

 右に倣えというのは誰しもが出来る所業ではない。心のままにそれを行うのは豪胆さと見栄もあるかもしれない。ただブッシュ大統領はあまりにも周りに振り回されたイメージも重なり、繊細さも兼ね備える。

 さて、そんなブッシュを演じたのはジョシュ・ブローリン。キャスティングを聞いたときには何だかイメージが違うようなと思ってしまったが、百聞は一見にしかずで見る見るうちにブッシュに似てくる。上目使いといい顔の雰囲気といいなりきりとは言え、似せるという事に徹しているようだが思い切り気にせず演じているようなおかしみもある。

 周りを取り巻くライス国務長官が美貌を取り去ったダンディ・ニュートン。ラムズフェルドは顔色の悪いスコット・グレン。ひっそりとしながらも豪胆な心臓を持ち合わせるチェイニーにリチャード・ドレイファスと錚々たるメンバー?がそれぞれの特徴を抑えていると思いきや。

 時おりパンチ力にかけるなとか物まね大会ではないのだから演技として流れに身を任せようと思いつつも、いかに自分がアメリカと言えども政治家の顔を良く覚えてないなと自覚した次第でもある。正直観ている間はこんな顔してたっけと疑心暗鬼に・・・

 大統領としては未曾有の問題を多く抱えた、いや抱えさせられたと本人は言うかもしれない。面白みはそんなアメリカ合衆国の問題とブッシュが葛藤する父と息子そして家族の問題が同じ土俵の上で語られるように、アメリカ合衆国という家族の姿をほのかに反映させているかのような皮肉が轟く。

 そんな中で、彼らがどのようにアメリカと言う国家の影響力となり、中心軸をブッシュとして生まれ変わろうとするかの姿。ブッシュという人物を悪者として描くのではなく、多少の皮肉と人間味を現しながらも、ただ一人の大統領に就こうとし、何かを成し遂げようとした一人の人間のまざまざとした姿として描いているようで、何で俺が・・・という矢面に立たされたような悲しさを覚える。
 
 そうそうたとえ大統領と言えども、ここまで多少のフィクションを織り交ぜながらも、リアルに描写されてしまったら本人としては少なからずともたまったものではないのではないかと思うが。もう彼は表舞台から消え去った身。とはいえ時おり彼の残像を追いかけ功罪を再考し、成果を讃える時もあるかもしれないし、もしくは歴史にいつまでもいつまでも残るある種の人物として教科書の片隅に追いやられるかもしれない。

 
監督 オリバー・ストーン
出演 ジョシュ・ブローリン
   エリザベス・バンクス
   エレン・バースティン
   ジェームズ・クロムウェル
   リチャード・ドレイファス
   スコット・グレン

5月17日 角川シネマ新宿にて鑑賞

『ブッシュ』 (原題 W)
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2009年05月10日

バンコック・デンジャラス3

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 ニコラス・ケイジのギラギラぶりも中々。バンコックって何の事かと思ったらタイの首都ですね。そんな暗殺者の最後の仕事の舞台に選ばれた熱帯の国。意外と都会ですが闇も頻繁に訪れます。

 ターゲットは命中率99%で仕留める。宣伝も思い切っていてトイレに行くとこの作品のチラシが張ってあって命中率100%と銘打ってある。何の事を指しているかはお察しください。というわけでとある一人の暗殺者ジョー(ニコラス・ケイジ)は引退前に一仕事というわけで最後の仕事のためにバンコクにやってきた。

 エモーショナルな感情が生まれ出には情動的な街並み。彼自身あらゆる悪行を繰り返してきたわけであって人並みの優しさや温かい感情は皆無で冷酷に人を使い確実にターゲットを仕留めるための妥協を許すまじというタイプだと思ったがそれはちょっと違うようで。

 とりあえず連絡役に雇ったそこら辺を闊歩するチンピラ、コン(シャクリット・ヤムナーム)が使えるかどうかのアクションがありそこも大接戦。時間に正確に、何事も口に出さず、だまって言われた事だけをこなすよう指南する一方で、仕事が完了したら口封じに殺すという冷酷さが変遷していくというジョーの心理がまず基点となる。

 そして一方で、ちゃっかり薬局で出会った耳の聞こえない店員フォン(チャーリー・ヤン)と知り合い次第に惹かれていってしまう有様。まあ多少のロマンスはあるとしても女性の心を捉える命中率も中々のもの。しかし思わぬ街の仕掛けが彼を思わぬところへ引き込んでいく。

 仕事から離れるにあたって感情が揺れ動く暗殺者の心理を描いているとしたらジョーは意外と元々感情的で人間味に溢れた人物だったのかもしれない。ただし今まで封印していたもの、彼が持ち合わせていたものがこのタイのバンコクで再訪したとしたらそのきっかけになる部分をじっくりと描いてみるようなアプローチが欲しかったところ。

 またこれから先の人生をという視点からすると、ジョーという人物が何を求め何者になりたかったのかという部分が、フォンとの出会いによって再興する部分もあるが、やはり男は戦場へと駆り立てられるきっかけを伴い、夢も幻想もかなぐり捨てる過程の描写の余韻が足りない気もする。

 暗殺シーンはほどほどに緊迫感に溢れ、冷徹に凶暴に描かれていく手法は中々のもので、ジョーの感情の起伏と度重なる暗殺劇の波がもっと呼応すればより面白いものになったはず。

 そして最大のクライマックスである舞台に行き渡る緊迫感。なぜジョーがその舞台に降り立つのかのきっかけは物語を通じては弱い部分もある。ただ暗殺者としてしか生きられなかった男の別の物語を夢想したためか、現実に立ち返った悲哀か、彼が求めた戦いは確実にそこにあって文字通り危険に満ち溢れた心と体の戦いはジョーという男をほのかに現した。



監督 オキサイド&ダニー・パン
出演 ニコラス・ケイジ
   チャーリー・ヤン
   シャクリット・ヤムナーム
   ペンワード・ハーマニー

5月10日 新宿東亜にて鑑賞

『バンコック・デンジャラス』 (原題 BANGKOK DANGEROUS)
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2009年04月29日

バーン・アフター・リーディング4

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 あの人とあの人がこうなって、こんがらがって、しまいには始末に終えなさそうな狂気の沙汰になって・・・そんな物語は一応落ち着くところは落ち着くんです。なぜだか上空から彼らの姿にクローズアップして、また彼らから離れていくから。

 ちょっとして街で起こった、人間が人間を脅迫する大胆な構図。チャド(ブラッド・ピット)はipod中毒で筋肉オタクの脳みそ無し。勤務先のフィットネスセンターで見つけたCD-ROMはCIAの機密情報が書き込まれている。

 だから脅迫するしかない。目の前に現れた単純な原理と欲望によって動かされた彼は、全身整形を目論む同僚のリンダ(フランシス・マクドーマンド)を巻き込み、大混戦に陥れる。

 一方で脅迫されたオズボーン・コックス(ジョン・マルコヴィッチ)はお酒に関わる中毒症状でCIAをクビに。彼の怒りとイライラは頂点に達した時点で、訪れたのはチャドのバカ顔とリンダの見境のない視線。

 そして、オズボーンの妻ケイティ(ティルダ・スウィントン)はハリー・ファラー(ジョージ・クルーニー)と浮気中。ハリーは出会い系サイトにはまり、リンダとぐるぐる巡る中で出会ってしまうのだが。

 ジョエル&イーサン・コーエン兄弟が送るドタバタで悲惨な喜劇。思わず見ていて『ファーゴ』と対比してしまうが。あちらはフランシス・マクドーマンド演じる妊婦の警官の意志による家族の軌跡というしっかりとした土地に行き渡るラインの上で描かれる狂言誘拐と歯止めの効かなくなった人間達の醜さと脆さ、ダメさが上手く浮いていたのに対して

 こちらは全員があらぬ方向を向いている。一見して関係の無さそうなリンダの上司テッド(リチャード・ジェンキンス)も止めとけば良いのにふいに関わろうとする。タイミングの悪さと頭が働かなかったチャドもバカであるがゆえの運命の悪さに露呈する。

 一方で人生を無残にも台無しにされそうで慌てふためく面々も嬉々としてスクリーンを横切っていく。ハリーしかり、オズボーンの狂気の沙汰はアルコール漬けも原因の一つかもしれないが、冒頭の神経質的なCIAの構図からゆえ昔から蓄積されてきた鬱憤の頂点がここか非常に危なっかしい。

 同時に、珍しく人間のあるがまま、欲望のままに動いていくまさに赤裸々な姿をフランシス・マクドーマンドを始めとして嘘偽り無く演じていく役者陣の好演?もまた魅力。出来れば眼を釘付けにして彼らの好奇心と意地汚さと性格の悪さ、胸くそが悪くなる人間としてどうかと思う行動の全てをご覧あれ。

 そんな中で誰がおこぼれを預かるのかという楽しみもあるが、一見してあー大変だったね、めでたしめでたしのような出来事もまるでスクリーンを離れてみれば他人事と思ってはいけない。

 こんな出来事は世界中のどこでも起こっていると考えてよろしいだろう。それぐらい人間は醜く欲望とエゴの塊なので、見ていて目を背けたくなる。だけどスクリーンで役者が演じると引き込まれる。そこが不思議と言っては元も子もないが監督の皮肉であるのかもしれない。全く持って鋭いようで後味が悪い爽快感に溢れているものだ。

 
監督・製作・脚本 ジョエル・コーエン イーサン・コーエン
出演 ブラッド・ピット
   ジョージ・クルーニー
   ジョン・マルコヴィッチ
   フランシス・マクドーマンド
   ティルダ・スウィントン

4月29日 渋東シネタワーにて鑑賞

『バーン・アフター・リーディング』 (原題 Burn After Reading)
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2009年03月28日

フロスト×ニクソン5

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 クローズアップという力は凄い。顔に近づいた瞬間にこれほどまでにカメラが映す顔という一瞬の説得力に息を呑んだ作品は無いかもしれない。しれはフランク・ランジェラという俳優が見せた一瞬の説得力ある演技なのかもしれないが、それにしても凄い。

 『グッドナイト&グッドラック』でも感じたがテレビに映る人の顔がなぜこれほどまでに物語を語ってしまうのかが不思議で惹きつけられてたまらなかった。その瞬間を捉えるのは至難の業だ。とすれば対峙する人気テレビ司会者フロスト(マイケル・シーン)の方が芸達者なのかといえばそれも違う気がする。

 一度失脚した人物を表舞台に再びあがらせるというのはどこか不親切な側面をもたらすと同時に視聴者が最も知りたかった真実をカメラの前に、テレビのブラウン管にどうしても浮き立たせたいと熱望した一人のテレビマンの予測不可能な敵への挑戦という欲望も垣間見える。

 デビッド・フロストは、まさにプレイボーイ。マイケル・シーンが嬉々として演じているのに嫌味が無い。どこにでもいる人気スターでハンサムな顔をカメラの前で常に気にしているような男だと最初は思った。

 しかし、それはポーズかもしれない。バイタリティだけは女性を口説くためにあらず。誰よりもテレビの力がは絶大である事を信頼し、それを利用したらもしかしたら、何かしらの誰も知らない人間の真実をあらゆる場所に遍在させることが出来るのではないかと思ったのかもしれない。

 どん欲に好奇心で立ち向かうのは誰よりも知りたいというテレビマンとしての職業的な部分もあるからこそだが、実はただ単に彼も一テレビの視聴者のように振舞う術を知らずに立ち向かうという子供のような視線を持ち合わせている。そうただ単純にアメリカ国民に対してのあの一言を引き出したいだけの一人の人間として。
 
 だが彼は心で思う一人の国民の総和として仕立て上げられた類稀な代弁者として舞台に立たなければならない。

 ただし、ここで彼が対峙するのはウォーターゲート事件で失脚したニクソン元大統領(フランク・ランジェラ)。彼の視点はどのようなものなのかという欲望は観客の私にも灯った。テレビ出演に際してはフロストを扱いやすいテレビスターだと最初は位置づけ、ギャラを高く要求するそのしたたかさ。

 最初はやはり嫌味な人間なのかとか、ウォーターゲート事件、ベトナム戦争に対して彼が応えるものはフロストの言葉をあっさり回避するのではないかと思う。しかし、この作品が次第に色を帯びてくるのは、誰よりも舌戦と思考戦という戦いの場であるゆえに互いに儲けられた舞台は平等である事に気付いてからだ。


 むしろニクソンの方が不利かと思わせる状況で、皮肉にも彼が仕掛けるカウンターやら言葉の羅列には舌を巻くし、カメラはフロストの焦る表情と観客がどうしても肩入れしてしまうフロストの不利を際立たせる事で、見事に手に汗握る闘いを見事に演出し見せてくる。

 そうある一瞬を観るためにおそらくこの時代の人々はカメラに釘付けになったであろう。ニクソンが一体どういう人物か。その一瞬はこの時代を知らない私でも、ニクソン大統領が成したアメリカの歴史の一部をかつて勉強した身にとっても彼の一瞬を捉えた真実は、今までのイメージを覆し、テレビのパワーというものを彷彿とさせる。
 
 そう誰も責める事は出来ないのかもしれない。彼がうろたえた瞬間が語ってしまう映像の残酷さと聡明さ。そして誰よりもそこにいるのはあくまでも人間の行った総和の代表であるがゆえにこのフィクションにして当時のインタビューを再現した試みは見事に人間の姿を描く傑作であり、見事なエンタテイメントであった。


監督・製作 ロン・ハワード
出演 フランク・ランジェラ
   マイケル・シーン
   ケビン・ベーコン
   レベッカ・ホール
   トビー・ジョーンズ

3月28日 新宿武蔵野館にて鑑賞

『フロスト×ニクソン』 (原題 FROST/NIXON)
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2009年03月21日

フィッシュストーリー4

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 人間と人間は時をかけてどのようにつながるか。その間にはある曲が大胆に作用するし、風が吹けば桶屋が儲かる図式の大発展なのだが、こういった話はすこぶる好きである。しかも、ちょっとした小噺なんだけどねというスタンスもまあ心地よい。

 あまり詳細に書きすぎると初めて観る人にとってはとても新鮮味を感じられないので、一言とある曲が時代を超えて最終的には地球を救うという物語であるという筋だけ知ってれば良い。

 なぜその曲が地球を救う事になるのか、そこにどのような人々が関わり、偶然と運命の連鎖を重ねるかなどのまるでありえなさそうだけど、ほら話としては実に調度良くすこぶる心地良い物語であるのだ。

 こんな話があったのならば、たった一つの曲が世界を救う事などありえるのだろうかなどという野暮な空想も、あっても良いのかなと思う。その曲は2012年からさかのぼり、1975年。1982年。2009年にそれぞれ意味を持って関わる事になる。

 もちろん人と人が曲によってつながるのだが、その曲には思わぬ仕掛けがある。その仕掛けの間にあった、もともとその仕掛けが施された過程を知った時には、ある男のかけかえのない思い、声に涙する。

 そんな思いを抱えてたとは知らずに、彼らの音楽が「フィッシュストーリー」という曲の演奏に掲げた思いは次に繋がる。一つの曲がもちろん語り草となり、ある男の心にある勇気に問いかける事になり、その男が残した思いはやがて勇気と優しさという陳腐な表現ながらも人が人を繋げるというドラマをスピーディに仕立て上げていく。

 さて、そんな一見バラバラに見える人が人と繋がる物語がいかにして、一つの絵になるか。そこにはもちろん思わぬ人間の癖やら愛らしい性格やら少し困った行動心理ももちろん作用する。もちろんどれ一つかけてもいけないのだが、なぜだかこの作品に一貫して流れるフィッシュストーリーというパンクバンドは放った曲がそれを強固に確実なものにしている。

 スマートで華麗なアクションをこなした森山未来の静と動のコミカルさ、寝病なくらいいつも寝ている女子高生役に多部未華子、なぜだか気弱でいつも自分の事が主張できない大学生に濱田岳、この作品の根幹となる曲を思わぬ才能できらめかせるバンドのリーダーに伊藤淳史、まさに終末の日にレコード屋にいて思わずフィッシュストーリーのレコードをかける男に大森南朋。そんな彼らの役柄も見事に繋がり大胆不敵にふてぶてしく一方向に魅了してくれる。

 全体は見事に俯瞰されて、ラストの一幕となる。正直言ってしまうと面白さという余韻では最後の一幕は説明的過ぎるものもあるかもしれないが、ある種の親切心という意味も込めて楽しもう。

 思わずある曲が地球を救う事になったが、あくまでも曲は見事なぐらいに控えめで秀逸な名脇役であった。そんな彼らが繋がった皆が主役でもあるこの作品。勇気はあるかと問われたら誰にでも何かに立ち向かい続ける勇気を持ち合わせていたのだろうと思わせる嬉しさを残す。


監督 中村義洋
出演 伊藤淳史
   高良健吾
   多部未華子
   濱田岳
   森山未來
   大森南朋

3月20日 シネクイントにて鑑賞

『フィッシュストーリー』
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2009年03月11日

パッセンジャーズ3

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 生き残ったのは5人。彼らのストレスは解消できるのか否かという不安はさておき、アン・ハサウェイ主演というだけで思わず観に行ったために、ラストは衝撃かというと・・・それ以上は一応秘密という事で。

 主人公のクレア(アン・ハサウェイ)はセラピストであり、とある飛行機事故でかろうじて生き残った5人のセラピーを任される事になる。

 それぞれの治療という名目がある一方で、その5人の発言により左右されてしまうかもしれないラインは、航空会社が出した事故の原因との食い違いという齟齬により、何者かに狙われるかもしれないクレアという構図を見せる。

 クレアの目的は、航空会社の嘘を暴く事では無くてあくまでも患者のトラウマやPTSDを治癒する事なのにも関わらず、航空会社の怪しい方(デヴィッド・モース)が周りをうろうろしたり、集団セラピーのはずなのに一人だけ個別カウンセリングを受けたいとわがままの勢いでクレアを口説こうとするエリック(パトリック・ウィルソン)がいたりと落ち着かない。

 一方で集団カウンセリングからは一人、また一人と来なくなり彼らは失踪してしまう。これは航空会社の陰謀か、はたまた狂言的なゲームのような騙し絵なのか、クレアだけが周りの状況の変化に混乱しつつもやがてとんでもない!?真相へと転がっていくのだが。

 さてまずこの作品には、5人のカウンセリングを受ける彼らが飛行機の中で目撃した事と航空会社が発表した声明の間にある違いというものがどこまでこの作品のサスペンスタッチを盛り上げるかというミステリーの楽しみがある。

 と同時に半ばスリリングに展開するカウンセラーのクレアとセラピーを受けるエリックの間に恋愛感情は生まれ、ついには恋路に発展してしまうのかという職業倫理上、結ばれてはいけないと思われる禁じられた恋の香りのする強引な恋愛劇のパワフルなタッチを楽しむのもまたこの作品の楽しみ方かもしれない。

 そんなミステリー&ラブストーリーが融合していく人間ミステリーの側面を持ち合わせるがゆえに飛行機事故と5人の生存者、そしてクレアの間には何かしらの由縁があったのではないかと考えながら観ていくうちに、やがてその真相が明らかにはなるのだが・・・

 まあ正直観終わった後に感じたのは、人間が人間を慈しみ受け止めていくという意味合いでは人間愛の要素が強いじんわりとした温かいながらも切ない余韻を残すゆえに、鑑賞後感は悪くない。

 ただしこの作品は今までサスペンスとして扱うと期待外れに終わる部分も多いかもしれない。良くも悪くも伏線として提示してきた全てが最後に繋がるというカタルシスは感じられるものの、人間が人間に伝える真実や思いというのは、このような回りくどい方法をしてまでもそれまでの人々の繋がりを強調して描くものではないのだなとふと思ってしまったからかもしれない。



監督 ロドリゴ・ガルシア
出演 アン・ハサウェイ
   パトリック・ウィルソン
   デヴィッド・モース
   アンドレ・ブラウアー
   クレア・デュバル

3月11日 新宿武蔵野館にて鑑賞

『パッセンジャーズ』 (原題 Passengers)
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2009年02月26日

ハルフウェイ2

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 うーん・・・困ったな。どこを追いかけたら良いのやら・・・男女の即興劇なのか、みずみずしい青春譚なのか、はたまた実験的名恋愛映画なのか。見ている間は延々と主役の岡田将生と北乃きいと周りの人々の駆け引きを追いかける感じで物語には乗れない、映像で語る瞬間を切り取ろうと躍起になった感じもある。

 観客を突き放しているわけでもないし、役者の魅力を引き出そうとして引いている感じもするし、あくまでもとらえどころの無い作品。

 一方で北海道のとある高校の男女の恋愛になど全く興味がなければ、岡田将生にも北乃きいにも興味が無ければ、カメラが撮る逆光側のきらめきを追いかけるつもりもなければ、見るのも辛い映画になるであろう。

 さて脚本など無いようだ。ヒロ(北乃きい)は好きで好きでたまらないシュウ(岡田将生)に片思いしているが、シュウに唐突に告白される。

 物語は高校生活における恋愛と進路を基調としながらも、ヒロとシュウの間に続くこれまでの道、そしてこれからの道というものを、セリフ劇と彼らが立つ情景の中に際立たせていく。

 たとえ付き合っていたとしても、高校が終わるとその先は大学へと道は開けるがその解放感は、シュウにはあってヒロには無いのかもしれない。地元の大学へと進学を決めているヒロと早稲田大学への進学を夢見るシュウの心の変遷をグッとは近づき、少し離れ、考えは唐突に転換し、あやふやで忘れがたくもあやうい青春と進路というものの残酷さを描くのだ。

 ずっと「ハルフウェイ」という題名が気になっていた私。どんな道なのだろうと、考えながら見ていたら、ヒロの思い違いにも重なる誤植だったとは・・・しかしながらも行っては戻り、行ったら引き返せない、途中にいるその状態を表しているような不安定さが醸し出される。

 また感じたのは、今ならば何をしようとどこへ行こうと可能性が残されている高校生という瞬間をあまりにもまぶしく、あまりにも麗らかに演出したカメラワークが面白く、キャストの顔に近づいてはその表情と若さをあぶりだすかのような今いる彼らにしか出来ないそのままの姿を捉えようとしたのは新鮮かもしれない。

 だが、いかんせんこれだったら、男女の決意も何も・・無いのではと見終わった後に思ってしまった。いかにしてこの頃の時期の高校生がまわりに左右されやすく、生き生きとしていて、多感でみずみずしく、時に考えが不安定で行き当たりばったりになり、未来に満ちているという事はふわりと感じ取れた。

監督・脚本 北川悦吏子
出演 北乃きい
   岡田将生
   溝端淳平
   仲里依紗
   成宮寛貴
   白石美帆
   大沢たかお

2月26日 ヒューマントラストシネマ渋谷にて鑑賞

『ハルフウェイ』
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2009年02月21日

フェイク シティ ある男のルール3

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 強引な手法は転換していく。刑事なのにアウトローっぽい風貌を乗せた男をキアヌ・リーブスが演じているのも面白いが、あくまでもキャラクターにストーリーが噛み合った場合にこそ絶妙な雰囲気は波及していくのだなと思った。

 ロサンゼルス市警の刑事・ラドロー(キアヌ・リーブス)は真っ直ぐすぎるぐらいに真っ直ぐだ。弊害物はなぎ倒し、事件を解決するためならば悪党は躊躇無く殺す。

 そこにはためらいは無く、また同時に何がしかの過去が彼をそのようにかき立てているようなそぶりもあまりない。ただそんあ手法に反感を覚える者もいる。かつての相棒ワシントン刑事(テリー・クルーズ)はラドローの捜査手法に異を唱え、影で彼の事を密告しているのではないかという疑惑が持ち上がる。

 一方で、ラドローという刑事がいてこそのロサンゼルス市警だと彼の肩を持つ者もいる。上司のワンダー警部(フォレスト・ウィテカー)は時おり彼の傍らに立ち、暴力の連鎖を止めるという名目をひそかに讃えている気もする。

 さて、派手なショーといわぬばかりに銃撃戦と人間が倒れいていく様が展開する。意表はついているが、完全に俺様ぶりを発揮したキアヌ・リーブスの型に付いて行ければ・・・というか何をしようと、たとえバッタバッタと犯罪者を闇に葬ろうとラドロー刑事の動向に眼を見張って離さない展開ではある。

 ある種。どこかの組織で虐げられそうになっている人物を主役に据えると、そこからどのように脱していくのか?というサスペンスタッチが施され面白いのだが・・

 さらにワシントン刑事をつけていた矢先に、ワシントンが何者かに本当に激しい銃撃を受け死亡してしまう。その場に居合わせたラドローはさらに窮地に陥るという芋蔓式に落ちて行きそうになる者が再興する物語をその時点では予見させる。

 一度勘繰ったらキリが無いが、この物語は、どこからが真実でどこからがフェイクなのかという線引きの分からない街の恐さとラインの危うさを現していく。既視感を感じるが、どんな映画でもテーマにされた街という姿が警察という姿によりじっとりとあからさまになっていくのだ。

 思いのほかラドローを演じたキアヌ・リーブスは真剣に事に当たっている。彼は自分が見て判断したものしか信じない。真っ直ぐに駆けていた目の前に現れた構図に衝撃を受けるのも無理は無いのだ。

 そして街の中にうごめく人々の線と点は思いのほか激しく、残酷だ。やっとの事で辿り着いた人の素顔に思わず吐き気と悲しみを吐露するかのように打ち付ける一人の刑事の顔はいつまでも晴れないのか。ただしそのうち全てはスッと元通りになればよいのだが、いつまでも変わらない部分もあるという闇をほのかに示す。

 
監督 デヴィッド・エアー
出演 キアヌ・リーブス
   フォレスト・ウィテカー
   ヒュー・ローリー
   クリス・エヴァンス
   コモン

2月21日 新宿武蔵野館にて鑑賞

『フェイク シティ ある男のルール』 (原題 STREET KINGS)
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2009年02月09日

悲夢3

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 夢を観た後に感じる事はいつも「ああ夢だったのか」という安心と喪失感だったりする。これはそんな夢が現実で起こっていたというお話。御伽噺のようで登場人物はリアルに起こるその出来事に恐怖を覚える。

 どこか現実離れしているというか、妙にふわふわした感じもあるが、硬質な印象を受けるオープニングは唐突な交通事故からはじまる。車を運転していたのはジン(オダギリジョー)という青年。

 彼は失った恋人を追いかけるという夢の中で目覚めたのだが、まさに同時刻に彼が夢でみた同じ場所で、事故は起こりその事故を起こしたのはラン(イ・ナヨン)という女性の仕業だったのだ。彼女は夢遊病でジンが夢でみた内容を現実でなぞるという呼応を起こす。

 そんな破天荒な展開にバカななどと疑問に思うのであれば、まあそれはそれで良いのかもしれない。いつもキム・ギドクは現実とは違った世界の形を追い求めるようで、何よりも現実のループやら人と人との関係をスッと映画でしか描けないような設定に放り込むのだから。

 いつもキム・ギドクの映画を観る時にはポイントと言っても良いほどに、観察してしまうのがコミュニケーションという部分。演技は言葉ほどに物を言うなどという言葉は無いであろうが、出演者が言葉を一切発しない作品もあるぐらいだから、彼の作品でのコミュニケーションというものは一種独特なのだ。

 それもそうと違和感というか奇妙な空気が流れるのは思い切りオダギリジョーが日本語でセリフをまくし立て、それにイ・ナヨンが韓国語で切り出す。アドリブ劇などでそんな感じの母国語同士の会話劇を観る事はあったであろうが、映画のワンシーンでそれを見せ切るというのも面白い。

 それもだんだんと慣れてきて、ついには違和感もなんのその、思わずしてこの悲しい夢の物語へと引き込まれていく。とにかく寝ようとしない彼らの攻防劇。

 凄まじいまでの眠気対策術は滑稽さを通り越して、痛々しく恐ろしい流血の様を狂ったように見せ切る。もはやオダギリジョーの眠気との恐ろしい闘いは自分を捨てているかのようで、キム・ギドクの作品史上の自虐ネタのオンパレード。血や痛みに敏感な人は失神するかもしれない。

 さて、彼を通じて見たランという女性の姿は、そしてランを通じて見たジンという男の姿は一体どのような様相を示していくのか。

 どちらとも別れた恋人との葛藤を抱え、そこから愛を追い求めたり、愛から逃げたりしている。夢からも現実からも逃げられない苦しみとそこから思わず飛び出した一時の軌跡というか、誰かを守ろうと必死になったのももしかしたら新たな奇妙な嬉しい感じを呼び起こしたからかもしれない。

 人間は心を時にすり減らしながら、葛藤しながら前に進んでいく。もしかしたらその抗いは夢に現れ彼の、彼女の希望として現実化したのかもしれない。そんな奇妙でおかしな仕草も時に真剣な眼差しで観る者をも凌駕したりするのだ。


監督・脚本 キム・ギドク
出演 オダギリジョー
   イ・ナヨン
   パク・チア
   キム・テヒョン

2月8日 新宿武蔵野館にて鑑賞

『悲夢』
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2009年02月08日

ベンジャミン・バトン 数奇な人生4

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 一人の男の人生ははかなくも切ないのか。生まれたときは80歳の老人。そこから若返っていくという過程に引き込まれると思ったら、観終わった後に感じたのは人と人の出会いは重なる事もあれば、離れる事もあるというあくまでも人間存在の貴重さという一瞬を捉えていると思った。

 ブラッド・ピットはさして熱演ではないが、静謐に一人の男を演じていく。特殊メイクといえどもあくまでも姿は老人のままに子供の心を現し、思春期を迎え、一人の男となっていくゆえに若返る過程の後に訪れる表情はどこか達観した感じもある。

 確かに数奇な人生。なのかもしれないが、脚本は真っ当にして人の心と人の心が重なる瞬間を幾度も捉えていく。『フォレスト・ガンプ』に似ているなと思ったら、同じ脚本家の作品であると同時に、人とは違う姿でしか生きられない男の歓びも悲しさも全て内包するかのような優しさに満ち溢れているのだ。

 それに一手を投じるのは、はかなくもベンジャミン・バトン(ブラッド・ピット)の人生に寄り添うように歳を取っていくデイジー(ケイト・ブランシェット)の存在だろう。

 最初はデイジーという少女と老人ベンジャミンという組み合わせをスクリーンに持ってくる。違和感はあるが次第にその違和感が物語の中で二つの人生が近付いて行き、やがて交錯し離れていくというポイントを捉えるための伏線かと思っていた。

 だが、彼と彼女の人生は常に重なっていたのではないかというのが観終わった後の第一の印象である。

 たとえ80歳の老人が若返っていっても、それに比例して一人の女性が歳を取って老人に近づこうとしても決して離れないその心の成長と体の成長あるいは衰退というビジュアルを通じて訴えたかったのはただ二人の男女の心の結びつきがそっと通り過ぎながらも絡み合っていくという刹那とその感情がずっと続くという稀有な愛情の結実なのかもしれないと。

 人と人が出会い、計らずもその感情を確かめ合うという行為は一時的にしてずっと続くものではないというある種の寂しさをこの作品は揚々と謳いあげる。同時にもしかしたら人は年齢や姿を飛び越えて愛し合うという事もあるのだというコントラストをデイジーとベンジャミンが浮き彫りにし、数奇なラストへと導いていく。

 2人の役者につづいて特に印象に残るのは、ベンジャミンの育ての親を演じたタラジ・P・ヘンソン。顕れた時から運命的に物語の起点となり観客を引き込む温かみとその姿の美しさは誰にも出せない見事な素晴らしさで讃えられる。

 一方でちょっと特異な感じの雰囲気を出したら右に出るものはいないティルダ・スウィントン。ベンジャミンととある場所で出会う語り?水泳?の名手です。彼女の語りからベンジャミンが思った事こそが、後の彼の人生にとってもしかしたら大きな意味を持ち合わせたのかと思うと、人と人の出会いこそがまさに数奇なものなのかもしれないともふと思います。

 さて、何かと話題なのは生まれた時は80歳で次第に若返っていくという逆行のエピソードでしょうが、鑑賞後記とすれば一人の男が生まれ、思わずして人の罪や後悔というものを背負ったかのような姿でその心を次第にさらけ出していきます。

 しかし、やがて彼は精悍になり、一人の女性を強く愛し、誰よりも大切にしようとします。そんなベンジャミンの姿を観て思った事は、冒頭の時計のエピソードにもあるように、時間は巻き戻せない。たとえ後悔しても一度行ってしまった事は再度繰り返す事が出来ないという人生の皮肉と真理を言い当てているような気もします。

 そして時間が経つにつれて成長していく、または衰えていく肉体の存在とはいかに悩ましいものかという人間存在のあり方、人間が人を愛するがゆえに戻る事の出来ない人生をほのかに謳歌しているようで、人は愛と優しさに気づく事も出来るという運命と意志の相互作用の不思議さもまたこの作品の魅力なのかもしれません。
 
監督 デビッド・フィンチャー
脚本 エリック・ロス
出演 ブラッド・ピット
   ケイト・ブランシェット
   ティルダ・スウィントン
   タラジ・P・ヘンソン

2月7日 新宿ジョイシネマにて鑑賞

『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』 (原題 THE CURIOUS CASE OF BENJAMIN BUTTON) 
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2009年01月11日

ヘルボーイ/ゴールデン・アーミー4

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 ヘルボーイ(ロン・パールマン)の魅力といったら何であろう。外見は正に赤鬼なのにも関わらずビールをあおり、無駄口を叩き、友人を大切にするその感覚は珍しくは無いが、外見と内面が見事に合致したまるでそのまま酒飲みの大暴れヒーローじゃねえかというのは嬉しい。

 そんな彼は極秘機関・BPRDのエージェント。一般の方々はお目にかかれないって言ってもあまりにも変則的な敵の攻撃に大打撃を食らわした結果、大衆の前に出てしまうし、マスコミもしっかりキャッチされてしまう。極秘でも何でもないじゃんというご法度を避け彼が新たに出会った敵の姿とは・・・

 まるで大昔の伝説を蘇らせたベッドサイドストーリー的な冒頭のゴールデンアーミーにまつわる逸話はドキドキさせる。何と言ってもこの作品の魅力は大人が見ても前のめりになってしまいそうなファンタジー要素とヘルボーイを始めとした登場人物?の魅力が合間って行くのだからたまらない。

 それにつけてもキャラクターしかり魅力的なのはセットや美術。スクリーンでファンタジードラマが展開される上で極上の舞台を作り上げていて、そこかしこに広がる世界はギルレモ・デル・トロならではの色彩感とハンドメイドなセットはドラマの奥行きを見事に深めていく。

 さてさて、ヘルボーイ、水棲人エイブ(ダグ・ジョーンズ)、リズ(セルマ・ブレア)の面々が今回対峙するのは、はるか大昔に人類と結んだ休戦協定を破り地上界の奪還を企てる、エルフ族のヌアダ王子。

 そしてヌアダ王子が復活させようとしているのは、その当時にあまりにも手が付けられないほどに恐ろしい最強最悪の軍隊ゴールデンアーミー。

 物語はそのゴールデンアーミーを復活させるに当たって必要なパーツを巡り丁々発止の掛け合い、激戦、ミステリーコメディが展開される。もちろんヘルボーイとリズの恋愛バトルもかみ合わせながら。

 もちろんあの大型拳銃サマリタンも顕在で撃ちまくるが相変わらず威嚇用で基本的にはぶつかり合いの肉弾戦。頭よりも手が先に出るその姿勢はヘルボーイの感覚そのものを現していてキャラクターと攻撃のオンパレードで心地よい爽快感をなぜだか得る事が出来る。

 何はともあれ題名にもある通り、ゴールデンアーミーは復活する。その機能が絶望的なまでに対峙しても、どんな手を使っても次から次へと襲い来るその際限の無さ。その奥行き広がりはまさにこの地上の悪夢となる。

 しかし、次から次へと襲い来るゴールデンアーミーと闘う姿勢をも肉弾戦で持ち込み、もうだめかもしれないと思った時にふと邂逅が訪れる。

 避けられない運命という皮肉さ、一度復活した永遠の悪夢を止めるのにはどうしたら良いのか。闘うだけでなく互いの登場人物の心が解け合って、揺らぎそして悲しみの連鎖を観た時思わず涙が出た。

 2作目になったこの作品を含めて、ヘルボーイが抱えるものとは生まれながらにして抱える出生の秘密とそれに逆らえない運命というものへの畏怖をスクリーンに投影させる。

 だがヘルボーイの風体や性格はそんな運命をもノックアウトし立ち向かうハードな精神の持ち主であると語り、エイブとリズを含め信頼できる仲間がいてこその闘いへの矜持をも滲みださせるゆえに、何となくではあるがあまり心配はしていない、ハードであろうと厳しい道程であろうと彼なら何とかしてしまいそうな、そんな揺るぎ無い強靭さの見え隠れに思わず期待してしまうのだ。

 

監督 ギレルモ・デル・トロ
出演 ロン・パールマン
   セルマ・ブレア
   ダグ・ジョーンズ
   ジョン・アレクサンダー
   ルーク・ゴス
   アンナ・ウォルトン

1月11日 吉祥寺東亜にて鑑賞

『ヘルボーイ/ゴールデン・アーミー』(原題 Hellboy II: The Golden Army)
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2008年11月24日

バンク・ジョブ5

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 サフラン・バロウズの雰囲気が良いね。ファム・ファタールっぽいけど、テリーに何気なく惹かれているようなそぶりが絶妙。職人技の犯罪と言えどもやはり美女は必須という事で。

 背景は1971年のロンドン。思わずして中古車のディーラーぽいと言えばそんな感じもするテリー(ジェイソン・ステイサム)はマルティーヌ(サフラン・バロウズ)から銀行強盗の誘いを受ける。

 仕掛けられた罠のような銀行強盗。チームは7人で実行するも華麗な技などなく、2件先の店の内装工事を装い、地下道を掘り金庫に侵入を図ろうという大胆で泥臭い構図。

 さてテリーもその話にはきな臭い感じを受けつつも、実行していく。感は鋭くマルティーヌが持ち出したある物やら、金銀財宝やらを持ち出そうとするのだが、やがてこの貸金庫には秘密が一杯。当然狙われる三者三様の構図から輪は広がって。

 最初は金銀財宝だけのはずだったんだけそ、狙った銀行が悪かったというのもやっぱりマルティーヌの裏には指図していたティムがいてこの役者がまた良い。後で調べてみるとリチャード・リンターンという役者。

 組織は特務機関MI5に所属。何だか風貌も感じもジェームズ・ボンドみたいだけど、彼が放ついかにも胡散臭そうだけど何かしら抱えててそれを解決せねばという雰囲気が絶妙。

 さてテリーを始めとした彼らが巻きこまれたものは一体何なのかというのが肝で、単なる銀行強盗の仕事だと思ったら、そこには有象無象のスキャンダルの嵐が巻き起こる。

 貸金庫から出てきたのは、王室スキャンダルの瞬間を捉えた写真、まあ王女の乱交のシーンなんだけど、これは冒頭に思い切り出てくる。その時なんで写真撮っているんだろうていのが氷解するんですね。

 もちろん脅迫の材料になるという事で、写真を晒されたくなければと逮捕を免れているのがマイケルXという黒人活動家。その写真をなんとしても手に入れマイケルXの手の内をひっくり返したいティムの思惑がぐるりと。

 それだけでは無く、政府高官の性癖を暴露しかねないとんでもない写真(これが絶妙に気色悪いのだが)やポルノ王と警察との金銭関係を記した賄賂ノートなどなど盛りだくさん。

 面白かったのはいかに貸金庫には現金やダイヤだけではなく、個人の最も見られたくないもの、世間には晒されないものが数多く眠っているかという事実を如実に物語っているかの人間の心理劇が絡み合っているところかも。

 そして第一にテリーと仲間が無事銀行強盗が成功するかのプロット、第二に銀行強盗により巻き上げてしまったスキャンダル、個人の秘密をどうにかして取り戻そうとする様々な手にどう立ち向かい収束させるかいう二重の緊張感が駆け足ながらも按配良く進んでいくのだ。

 テリーがこの状況下をどのように解決するかのモチベーションのダダ上がり方といったらない。ラストの舞台が駅なのも良いし、有無を言わせぬジェイソン・ステイサムのかっさらい方も含めてまあこの作品とても楽しめたという言葉では言い現せぬほど。

 でも何と言ってもこの作品。事実を元にして作られたという事もあり構成、脚本、カメラ含めて1970年代の雰囲気と生活観を見事に味あわせてくれる。物語だけでなくそういったサービス精神にも抜かりがないのだ。


監督 ロジャー・ドナルドソン
出演 ジェイソン・ステイサム
   サフロン・バロウズ
   スティーヴン・キャンベル・ムーア
   ダニエル・メイズ
   リチャード・リンターン

11月23日 シネマライズにて鑑賞

『バンク・ジョブ』 (原題 THE BANK JOB)
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2008年11月17日

BOY A5

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 まあ題名は見ての通り、じめじめした話しだとは思ったんです。でも劇場に入って、映画を観始めたらもうすっかりそこにいる人間の姿に釘付け。

 おそらく『大いなる陰謀』でロバート・レッドフォード相手に論点をまくし立てたアンドリュー・ガーフィールドの徹底した無私の演技も秀逸なんだけど、今まで知ってるようで知らなかった外側からの人間の視線が乾いていく過程、冷静さを持っているようで、戸惑いを隠せない痛ましさを感じさせてしまうからこの作品はキツイ。

 主人公はジャック(アンドリュー・ガーフィールド)。刑期を終えて今から新しい生活を始めようとしている青年だがその表情は心なしか明るい。それはおそらく彼に今まで寄り添ってきたソーシャルワーカー・テリー(ピーター・ミュラン)の存在もあるようだ。

 この作品に触れる者は何よりもジャックの視点に近いため、彼が感じる事、新たな世界に再び出る事をそっと応援したくなる。そして彼に向かう視線、言葉、そして環境の変化に敏感になり、ジャックという人間の人となりをしっかりと追い求めようとする。

 しかし一方で、ジャックが過去に何をしてしまったかという罪の視点が重なってくる。以前とは全く違う自分として生きるという事、完全に罪は償ったという心の勢いを削ぐように過去は次第に追いかけてくる。

 この作品が何よりも投げかけてくるのは、おそらくテリーという男の素性に反映されていく部分もあるかもしれない。彼の息子から語られた家族を蔑ろにした過去、愛を求めている者への視線もどこか不器用なテリーへの仕草。

 一つ一つ取ってもあまりにもテリーはジャックが社会に晒される事に恐怖を覚え続けてしまう。そこにある過保護という名の逆転劇もテリーがふとした行き過ぎ、誤算によってしまう事を改めて自覚するシーンはもう見ているのも辛くなる。

 今まで感情を与し、仕事の範疇を超えてでも守りたい相手が人を愛し、何事にも実直に対応していく姿が求める事には全て応えたい。だがどうしても抱えなければならない自分の家族の問題に挟まれた立場の男性像をピーター・ミュランが見事に演じている。

 もしあなたの隣人が過去に罪を犯し、その罪があなたにとって受け入れられないものだとしたら・・・

 そして人はその隣人の表情の裏に隠された何かを読み取ろうとしてしまう。そんな人の過去を覗き見ようとする自分自身への嫌悪感、恐怖感が素直な反応ではないかとも思う。

 思わぬ好奇心と恐怖心は人を傷つけえるという悲しい残酷さ。世界は思ったよりも暗く閉塞感に満ちている事はあたりまえで、人はそれまでの事を全て忘れ、一つの過去の事実に固執するものなのかもしれない。

 だからこそ、テリーの心情、そしてジャックの心のどこかに留まる所が無いかと模索してしまうのだ。最後に向けられた選択の帰結はいかなるものにせよ、様々な人間の心や恐怖心、罪を背負うという事の困難さに如実に目を向けさせるという意味でも傑作ではないか。


監督 ジョン・クローリー
出演 アンドリュー・ガーフィールド
   ピーター・ミュラン
   ケイティ・リオンズ
   ショーン・エヴァンス
   シヴォーン・フィネラン

11月16日 シネアミューズイースト/ウェストにて鑑賞

『BOY A』 (原題 BOY A)

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2008年11月16日

ハッピーフライト3

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 矢口史靖といえば、人間の団結が見せるダイナミックな躍動感をイメージングする映画を作る。

 いつだか『スウィングガールズ』の試写会で監督自身にお目見えした時、この方は本当に"人を楽しませる"以上に自分も徹底して楽しもうとするタイプの人物だと思った。その彼が今回の作品の題材に選んだのは飛行機。

 一見してこれまで『スチュワーデス物語』とか『グッドラック』とかでやり尽くされた感はある。だがなぜ今更と思ってこの映画を鑑賞してみるとその意味が分かってきた。

 矢口監督は飛行機の中で動き出すだけのドラマではなく、飛行機を始めとして、周りにいる管制官、整備士、ディスパッチャー、グランドスタッフといったつまりは飛行機に関わる人々の姿そのもの姿勢を描きたかったのだ。

 いわゆる群像劇。これを日本でやるといえば三谷幸喜ぐらいか。でもこの作品はうって変わってパートが目まぐるしく変わり笑いをテンポ良く誘う演出とは違い、そこの現場で体を張ってる人間そのものに焦点をピンポイントで当てていく。

 突飛して描かれるのは初めての国際線フライトへと臨む新人CAを演じた綾瀬はるかと機長昇格訓練のラストスパートとなる副操縦士を演じた田辺誠一、それぞれの表情とフライトの間のグルグル変わっていく心理変遷などは楽しめる。

 そういった新人の視点がベースラインとなり、その周りへと波及していく。誰しもが一つ一つのフライトに際し、徹底した準備をし体を張って仕事に臨む。その姿には決して綺麗さも華やかさも無く泥仕合も混戦も闘い抜かなければならない辛ささえ滲み出る。

 しかしながら彼らは静かに行動し、決して筋を曲げないという姿勢を貫く、それはじわりじわりと飛行機に関わる人間達の横顔を一癖二癖交えながらも描く作品にこめられた、何よりも仕事をする人達の姿で魅了したいという監督のささやかな尊敬の眼差しも入っているようだ。

 スクリーンで目まぐるしくお惚け、天然ぶりをも凌駕し突き進み、時に立ち止まる綾瀬はるかのキャラクターは抜群。可愛らしさもあるが、やはり初めて国際線に臨むという姿勢と現実のズレ感を中々上手く描写していく。

 田辺誠一演じる副操縦士もズレ感で行ったら負けてはいないが、コミカルなキャラクター2人を起点として、グランドスタッフの田畑智子の奮闘振りには嬉しい拍手を、岸部一徳の仕事ぶり!?には思わぬ感心を捧げたい。

 そしてこのフライトは思わぬ事態に突入してしまうが、そこは人間たっての冷静さと情熱で気持ちが一つに集約する。仕事は繋がれ、やがて見たあの時の上司の姿やアドバイスには厳しさばかりが目立つがそれこそが人の命、安全を守る何よりも最良策だと信じて病まないのだ。

 思わぬ蓋を開けてみたら、この作品も群像劇ではあるが人それぞれが仕事を通じて団結するダイナミックなかっこよさ、躍動感に満ち溢れている。どこまでも矢口監督は人間本来が魅せる姿が好きなのだと実感した。



監督 矢口史靖
出演 田辺誠一
   時任三郎
   綾瀬はるか
   吹石一恵
   田畑智子
   寺島しのぶ
   岸部一徳

11月15日 吉祥寺東亜にて鑑賞

『ハッピーフライト』
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2008年11月01日

ブタがいた教室3

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 食べる or 食べない。普段私達は当たり前だけど様々な生命の恩恵を受けている。いただきますとは、まさにあなたの命をいただきますという事。食事の際には生かされているという感謝こそあれその生を蔑ろにしてはいけない。

 だからこそ、教育という場面でブタを飼育し最後にはクラスの全員で生命を頂くという行為ははたから見れば眉をひそめてしまうかもしれない。星先生(妻夫木聡)はそんな提案をする。

 子供たちの表情と行動はそれこそ真剣である。最初はクラスでブタを育てて、最後には食べてしまうという結果を知りつつも、一方でブタを受け入れ試行錯誤しながら、泣き言をいいながらも生き物を育てるという行為に一切の妥協をせず向き合う。

 だからこそ愛情とは悲しいかな。ブタを食べてしまうという事に抵抗を示す者もいれば、食べるのは責任だと思う者もいる。何が大切なのかという結果論を重視しつつも、あくまでもそれぞれの考え方を起点として生命を受け入れるという難問を読み解くドラマは思ったよりも手ごわい。

 当初は最終的にブタを食べるという行為と育てるという行為を同質に捉える事はあまりにもいくら小学生でも困難な課題なのではないかという疑念を元に見始めた。そして食べるか、食べないかという議論の的は外れていきどっちもゆずらずの混戦模様になっていってしまうのだが・・・

 無邪気な生徒たちに押しに押しやられた形だが、星先生も多々誤りを訂正できずに進んでいってしまう。彼の中では最終的に飼ったブタを食べるという目的から子供に人々は生命の恩恵を受けて生かされているという実感を具体的に感じさせるというプロットを描いていたはずだ。

 しかし、子供たちは感情を入れ込んでしまう。名前をPちゃんと名付け、絶対に食べたくないという頑なな意志を持った生徒もおり、心はPちゃんを可愛がりながらも、卒業する彼らにはどうする事も出来ない生命への責任を全うすると主張するものもいる。

 一直線でこの作品を描くならば、もっともらしく綺麗にまとめられたであろう。だが、それほどに生き物を飼う事と生命を享受する事の難しさが痛いほどに伝わってきてしまうのを承知でアプローチしていく姿勢は画期的だ。

 だからこそ一筋縄で行かない本当の声をあえて描いていく姿と小学生達と教師が向かっていく壁の分厚さを感じながらも、時には感情が先行し、考えあぐねてぶつかり、思わぬ愛情を育んだ生命との交流と人間が食べていくという責任の天秤にゆれる生徒達の議論に揺れ動かされる。

 思わずしてラストの感情は小学生と一人の教師、そしてそれを取り巻く人間達の考え方を提示して終わる。だがそれ以降に続いていく生命とそれに対して向き合うというハードルは人間にとっての永遠のテーマ。そう簡単に答えが出ないからこそ考え続けなければならないというほのかな主張を感じさせる力作ではある。

 
監督 前田哲
出演 妻夫木聡
   原田美枝子
   大杉漣
   田畑智子
   池田成志
   戸田菜穂

11月1日 新宿武蔵野館にて鑑賞

『ブタがいた教室』
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2008年10月30日

ブロードウェイ♪ブロードウェイ コーラスラインにかける夢5

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 夢があるなんてものじゃない。その列に並ぶ事はあるオーディション会場への長い長い道のりのほんの始まりに過ぎない。

 かつてトニー賞9部門を制覇し、15年のロングラン公演を行った伝説のミュージカル「コーラスライン」の再演にかける人間達のベタな表現だが熱いドラマ。

 その再演に文字通り出るべく過酷な8ヶ月のオーディションに挑むダンサー達の動きと歌と踊り、そして心からのこのコーラスラインにかける思いは審査員たちの表情にも顕れている。

 延々と映し出されるオーディションの風景。それに重なるのはかつて、マイケル・ベネットがコーラスラインの初演に向けてキャストにインタビューをしている音声テープ。
 
 いかにこのコーラスラインが生まれたかという本来のはじまりを描くと同時に、かつて初演を行った際にそこで輝いたキャストのイメージ、ダンス、演技までをも凌駕しなければいけないというプレッシャーの連続。

 そしてかつてのキャストからも湧き上がってくる思い。そして決してラインを越えられない脇役達を舞台に仕立てあげたドラマへの思いがオーディションの様々な風景に重なっていく瞬間の鮮明さはこの上ほかない。

 そうそれぞれのコーラスラインへの思いがあるからこそ、このオーディションに向かった人間達のドラマ、踊り、演技が面白みを増してくる。

 まさに人間賛歌ではない、生の人間が夢に向かって走る長くも飛び越えそうで飛び越えられない重みを押しのけて走る彼らの息づかいこそがこの作品の魅力であろう。

 鑑賞するまではコーラスラインの何も知らなかったがゆえに、アメリカの片隅でこんなにも時に楽しみながら、辛さを感じながら、心を揺れ動かされながら、今いる現状をも否定したくても進むしかないという人間達がいるという驚きと勢いに惹き込まれ続ける。

 何と言っても印象に残るのは、オーディションにぶつかるに当たってダンサー達がついつい吐露する心情の連続。どうしてもこの役を勝ち取りたいという思いもあれば、長いオーディションのゆえに感覚を取り戻せない者もいたり、審査員を思わぬ演技で泣かせてしまう者もいるのだ。

 そう主役はあなただけではないという、同じ舞台に立とうとするダンサーと審査員の間に生まれる感情の交錯、個人の考えや思わぬ誤算、そして人間がイメージする役柄への固執から飛び出た新たな顔を見つけた時の笑顔が凝縮した生々しいエピソードは正に一つのコーラスラインの再演までの素晴らしい道程に他ならない。

 そして何よりも、ただ様々な模索を繰り返しながらオーディションに臨む彼らを観ている内に心に灯ったのは、何事も諦めずに進み続けるという人間の生きる力強さかもしれないとふと思った。
 

監督・製作 ジェイムズ・D・スターン&アダム・デル・デオ
製作総指揮 ジョン・ブレグリオ
出演 「コーラスライン」オリジナルキャスト&スタッフ
   マイケル・ベネット

10月30日 新宿ピカデリーにて鑑賞

『ブロードウェイ♪ブロードウェイ コーラスラインにかける夢』 (原題 EVERY LITTLE STEP)
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劇場公開作品

【2010年2月】

パレード★★★★

ルド and クルシ★★★

抱擁のかけら★★★

おとうと★★★★

インビクタス/負けざる者たち★★★★


【2010年1月】

ゴールデンスランバー★★★

ボーイズ・オン・ザ・ラン★★★★

フローズン・リバー★★★★★

Dr.パルナサスの鏡★★★

ミレニアム ドラゴンタトゥーの女★★★

板尾創路の脱獄王★★★

かいじゅうたちのいるところ★★★

(500)日のサマー★★★★



【2009年12月】

誰がため★★★

蘇りの血★★★

アバター★★★★

のだめカンタービレ 最終楽章 前編★★★

THE 4TH KIND フォース・カインド★★

インフォーマント!★★★

ジュリー&ジュリア★★★★

パブリック・エネミーズ★★★

カールじいさんの空飛ぶ家★★★★


【2009年11月】

ニュームーン/トワイライト・サーガ★★

戦場でワルツを★★★★

2012★★★

イングロリアス・バスターズ★★★★★

脳内ニューヨーク★★★★

Disney’s クリスマス・キャロル★★★

ゼロの焦点★★★

大洗にも星は降るなり★★★

スペル★★★★★

【2009年10月】

わたし出すわ★★

風が強く吹いている★★★

母なる証明★★★★★

沈まぬ太陽★★★★

アンヴィル!夢を諦めきれない男たち★★★★★

パイレーツ・ロック★★★★

さまよう刃★★★

クヒオ大佐★★★

戦慄迷宮3D THE SHOCK LABYRINTH★★

狼の死刑宣告★★★

悪夢のエレベーター★★★

エスター★★★★

パンドラの匣★★★★

カイジ 〜人生逆転ゲーム★★★

私の中のあなた★★★★

ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜★★★

ワイルド・スピード MAX★★★

【2009年9月】

ドゥームズデイ★★★

男と女の不都合な真実★★★

あの日、欲望の大地で★★★★

アドレナリン:ハイ・ボルテージ★★★

空気人形★★★★

カムイ外伝★★★

プール★★

ウルヴァリン:X-MEN ZERO★★★

サブウェイ123 激突★★★

【2009年8月】

マーターズ★★★★

グッド・バッド・ウィアード★★★★

女の子ものがたり★★★★

ナイトミュージアム2★★★

20世紀少年 <最終章>ぼくらの旗★★

30デイズ・ナイト★★★

南極料理人★★★★

ノーボーイズ、ノークライ★★★

96時間★★★★

トランスポーター3 アンリミテッド★★★

キャデラック・レコード 音楽でアメリカを変えた人々の物語★★★

縞模様のパジャマの少年★★★★★

色即ぜねれいしょん★★★★

HACHI 約束の犬★★★

3時10分、決断のとき★★★★★

G.I.ジョー★★★

ボルト★★★★

サマーウォーズ★★★

コネクテッド★★★★


【2009年7月】

バーダー・マインホフ 理想の果てに★★★★

セントアンナの奇跡★★★

セブンデイズ★★★

アマルフィ 女神の報酬★★

ハリー・ポッターと謎のプリンス★★★

サンシャイン・クリーニング★★★★

モンスターVSエイリアン★★★★

ノウイング★★★

ごくせん THE MOVIE★★

MW -ムウ-






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