映画 「ま行」

2010年01月19日

ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女3

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 ミステリーの要素というのは魅力ある登場人物によって語られると奥行きが深くなる。ただしその魅力というのも条件付きであって、最初からその素性が明らかで性格や能力というものが手に取るように分かるのであれば、見る者をしっかりと引き込むのは難しいだろう。

 強烈なまでの外見を持つリスベットは、最初現れた時から目が離せない。それも惹かれるとかそういった類の魅力ではなくて、何だか近寄りたくはないけれどもどのような人物なのか興味があるといった風貌である。

 しかも、鼻ピアスにドラゴンタトゥーの天才ハッカーである。そして彼女の何だか鬱屈した表情には、とんでもない災難やら境遇が襲い掛かってくるのだ。

 特に物語上の彼女のキャラクターを語る上で彼女がある人物に反撃に出た時は思わず「良くやった!」と手に力が入り、その時この不思議な風貌の女性の行く先に興味が出てくるのである。

 そんな女性ハッカーの目に留まった男がいた。雑誌ミレニアムの編集長でもあるミカエル・ブルムクヴィストは、ある実業家のスキャンダルを暴いた為に名誉毀損で訴えられ有罪判決が下った男。

 ミカエルはそんな事件の渦中にありながらも、ある事件の真相解明をヘンリック・ヴァンゲルという大企業の重役から依頼される。

 それは40年前にあった少女ハリエットの失踪事件。ヘンリックにとってかけがえのない存在であったその少女はなぜ失踪したのか?という密閉されたかのような息苦しい空間の中で事件解明へ進んで行く物語はミカエルと彼に情報を提供する為に現れたリスベットによって次第に光へと向かっていく。

 そして孤島ミステリーという舞台背景も手伝い、陸地と島を結ぶ橋が大事故により1日閉鎖していたあの日どのようにしてハリエットは島からいなくなったのか?

 遺体も発見されず、目撃者も無きに等しい状況下でもしかしたら生きてはいないのではないか?という確信のゆらぎのようなものがスクリーンをぶれさせる。

 この作品で上手いなと思ったのは、視覚的に謎がバランス良く解明されていく過程を写真や関係図を使ってダイナミックに演出している所だろうか。40年前のハリエットが写る写真の彼女の視線とそれに対峙する先の存在に迫ろうとするまでのスリリングな雰囲気も良い。

 一方で孤島ミステリーという位置づけだが孤島の密室感や周辺のキャラクターの書き分けなどはラストで展開するある真実に繋がる部分もあるが伏線として幅を効かせる為かやや抑制をかけて描かれている。

 何だかんだでミカエルとリスベットは時に大胆に、時に方向転換しながらも謎解きに邁進して行く。最初はバラバラのパズルのピースがはまって行く様子を、互いに相容れなさそうな2人の関係性になぞらえてエンターテイメントに徹した作りも見せてくれる。

 まだまだ続編もあるようで、エンドロールの後にはこの先のお話もチラリと見せてくれます。それ以上にミカエルとリスベットの別の協力関係もやや気になったりして。

監督 ニールス・アルデン・オプレヴ
出演 ノオミ・ラパス
   マイケル・ニクヴィスト
   スヴェン・バーティル・トープ
   ステファン・サウク

1月19日 シネマライズにて鑑賞

『ミレニアム ドラゴンタトゥーの女』 (原題 Män som hatar kvinnor)
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2009年09月13日

マーターズ4

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 強烈なまでのどぎついスプラッターを前面に押し出し、思わずスクリーンを何かで透過して観たくなった。それほどの恐怖というものの先にあるなぜだが不気味で神々しさを放つ展開に人間があがめるもの、人が崇拝するものの摩訶不思議さには畏怖を超えた、理解の範疇を超えたものがあることは確かだ。

 恐怖は滲み出るかのように染み渡っていく。それは得体の知れない人間が抱える恐怖であり、痛みの痛切な浸透である。

 どこかに何者かによって監禁されながらも、かろうじて逃げ出し衰弱された状態で発見された少女リュシーの悲惨なまでの様相を見れば、一体何がそこでおこったのか知りたいと思うと同時に知っても良いのかという知らない事への構えが生じる。

 やがてリュシーは福祉施設で年月を過ごし、15年の月日が流れる。彼女の中にある恐怖は時を経ても未だに黒く沈殿し、時に何者かが具体的に今でも施設に襲いに来る。同じ施設で育ったアンナは親友でありリュシーを襲う恐怖に対して対峙しようとするのだが、場面はどこかのホームドラマの一編のように転換していく。

 突如変わった舞台で始まるリュシーが始める殺戮劇の容赦のなさと言ったらない。一体、突如スクリーンに現れた楽しそうに会話する4人家族が猟銃でリュシーにことごとく殺されていく過程、ストレートで淡々としているためただ見つめるのみしかないというこのあるまじき行状の峻烈さ。

 殺された4人家族。彼らの死体処理を手伝うこととなったアンナの介添えによるストーリーはやがてスプラッターとも、ミステリーともいえない微妙な按配になっていくのだ。さてここでまず思ったのはこの4人家族がリュシーが過去に監禁、虐待された事にどのように関わっているのかという疑問。

 そしてそのリュシーがかつて逃げ出した場所で行われていた事の本来の目的は何か。という2点において、おぞましいほどの殺人劇を見せながらもその4人家族が住んでいた家の構造、リュシーが垣間見るおぞましいほどのモンスターの造形、アンナが思わずして知ったつかむことの出来ないある出来事が展開されて行く。

 それらが波状攻撃を仕掛けてくるゆえに、並半端ではない人為的ホラーの極地をじーっと見せつけながらも、洞窟よりも幻想よりもどこかの薄暗い森の中よりも眼前に繰り広げられる無機質なもの、整頓された状態の施設という舞台がどれほどに怖いか知らしめてくる。

 思わずしてこの作品を見ていて思ったのは、怖い場所というのは思ったよりも整頓されていて明るい場所で広く見渡せているようで死角があるところなのだと思った。一体何が迫ってくるのか分からない。その先にある目的の真相が明かされる瞬間の絶え間ない、道理に合わないものへの異質感がめまぐるしく迫る。

 そう思い返してみるとよいだろう。最初4人家族が出てきたときに思わずして目を背けたくなる母親の行動に。そこで平常でいられるということは、心の方向がどこかで違うということを示しているのではないかと思う。

 それに付随するのは自分とは違うという異質感への恐怖。幽霊でもモンスターでもない理解の及ばないところにある恐怖は思わぬ方向転換をしてラストに明示される。恐怖を受け入れることは出来るのか、自由と束縛の間でさまよい、狂気にまみれ、静かな抵抗などもう行き場をなくした頃やがて見えるもの。

 それを理解せよと言われてもどだい無理な話かもしれない。だが確実にそうではない人々もいるという驚きと恐怖、そしてこんなストーリーありかよと思わせてしまう説得力が全体と見事に支配していたのはやはり凄い。まあこのような世界が隣にあることは拒否したいが。あ、当たり前だけどご飯食べた後とか食べる前は見ないほうが良い。


監督 パスカル・ロジェ
出演 モルジャーナ・アラウィ
   ミレーヌ・ジャンパノイ
   カトリーヌ・ベジャン

9月12日 シアターN渋谷にて鑑賞

『マーターズ』 (原題 Martyrs)
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2009年07月13日

モンスターVSエイリアン4

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 嬉しいパロディのオンパレード。アニメーションの流線型+ゴツゴツ感あるキャラクターが愛嬌を振りまくも、それは空回りしそうでしないし、展開の妙も緩急が鮮やかでこれでもかとツボをついてくる出来。

 結婚式を目前にした花嫁スーザンにぶつかったのは宇宙からの隕石。普通は死んじゃうはずだけど、なぜか彼女は巨大化し教会を怒涛の勢いで破壊してしまう。

 ウェディングドレスのスリットからの勢いで巨大化したガータが人々を直撃しようとするのはお約束。愛する花婿とは引き離され、軍隊にモンスターだと勘違いされ彼らの基地に連れて行かれ、しまいには監禁される始末。

 そんな彼女を迎えたのは、一つ目ゼリー状のモンスター、ボブ。マッドサイエンティストのコックローチ(人間+ゴキブリ÷2)、半猿半魚のミッシング・リンク。そしてとてつもなく巨大なムシザウルス。

 その頃地球にはエイリアンことギャラクサーが、ロボットを送り込み地球侵略を図るのだ。さてW.R.モンガー将軍率いるモンスター軍団VSエイリアン・ロボット対戦のはじまりはじまり。

 と話は単純そうで意外や奥深い。まずは結婚式という門出で旦那と新たなチームを作ろうとしていた矢先に巨大化+戦闘というとんでもない状況に陥ったスーザンの心境。

 彼女にとってはとんでもないわけで、抵抗も出来ないのでただひたすら元の身体に戻り地上の生活に戻るという渇望。当初は嫌悪感しかない状況の中でスーザンという女性がどのように選択し生きていくかという、大きくなってしまって初めて見えた世界に対しての彼女の決着を見事に見せていく。

 そしてとんでもないモンスターたちと組まされ、戦ううちにモンスターも人間も関係なく分かり合えるというファンタジーならば誰しもが喜ぶ展開と数々の名作のキャラクターへのオマージュともいえる視線が施され、子供から大人に至るまでまっとうに楽しめる要素が盛りだくさんである。

 何と言ってもボブを始めとする騒々しいキャラクターの狂騒振りが楽しい。誰しもが忘れていたはじける瞬間をオブラートに包みつつも、ハイテンションにクールにつきすすんで行く。

 モンスターVSエイリアンの真骨頂はやはりSFアクションの醍醐味ともいえる展開を侵入の構図で大胆に描いた終盤戦にあるものの、むしろスーザンがいかにしてボブ、ミッシングリンク、コックローチ博士、ムシザウルスとタッグを組みその生き様を見せるかという所。

 凄まじさよりも展開のビート感と妙なゆるさが心地よいアニメーション。多少、製作陣が楽しく遊んだ形跡も多々見られるがそれがむしろプラスで働いた鷹揚なアニメーションの楽しさを改めて教えてくれたこの作品には感謝したい。

 
監督   ボブ・レターマン
     コンラッド・ヴァーノン
声の出演 リーズ・ウィザースプーン
     ヒュー・ローリー
     ウィル・アーネット
     セス・ローガン
     キーファー・サザーランド

7月12日 吉祥寺バウスシアターにて鑑賞


『モンスターVSエイリアン』 (原題 MONSTERS VS. ALIENS)
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2009年07月04日

MW -ムウ-1

mw





 MWとは一体何であろうか。そのアルファベットの羅列の重なりそうな手合いは2人の主人公の主張を現しているようにも思える。

 人が何に救いを求めるかは人それぞれの思惑であって、他人に迷惑さえかけなければ、その道筋はあらゆる方向に伸び、そしていつかは辿り着く何かを手に入れるための手段をそれぞれ講じる。

 16年前のある島で島民の全員が何かの事故により死亡するという不可解な出来事が起こる。その島でかろうじて生き残ったのは2人。賀来裕太郎(山田孝之)と結城美智雄(玉木宏)。

 賀来は神にすがり神父に、結城は手を汚してでも何かを遂行せしめんとする。さて、この作品。2人を全面に押し出すとしたら、それこそバランスあっての代物。

 原作は2人が同性愛者として肉体関係にあるとしながらも、それこそ陰と陽が重なり合うように悪人と善人の交換性が現れるかと思った。

 玉木宏は長身で声も通る。悪役を演じるとあってそれこそ減量もし、近づきがたい狂気のようなものと、清冽な流れに沿うかのように計画を無感動に遂行する面を上手くものにしていたと思う。
 
 だが、それに対してどうにも賀来の存在が弱い。というか結城が頼り、心の救いとする部分で賀来が出てくるのは何となく感じ取れるが、彼らの関係を同性愛者同士の絆ではなく、過去の忌まわしい記憶によって繋がれているものの宙に浮いたかのような印象しか受けないのは演出や設定が悪い。

 それこそ、玉木と山田の同性愛者という絆を演じると言うのであれば、そこに流れる感情や結城が計画を遂行する後ろ盾となる賀来という性格付けはよりいそう明確になったかのような気もする。

 この奥行きの無さは一体どこから来るのだろうか。ままどんな映画に対してもそれなりに見られる部分はあるかと思ったら、見所は石田ゆり子ぐらいで、彼女もあっけなく、特に見せどころもなくスクリーンから消えてしまう。

 さて、そんな渦中に手を汚し邁進していく結城。ただ一人静かに彼の暴走を止めようと助けるべくして巻き込まれているような賀来。やがてMWの正体も明らかになるが、どのように真相が暴かれるかは見てのお楽しみという事で。




監督 岩本仁志
出演 玉木宏
   山田孝之
   石田ゆり子
   石橋凌
   山本裕典

7月4日 新宿ミラノ座にて鑑賞

『MW -ムウ-』
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2009年06月14日

真夏のオリオン2

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 まずはこの作品。冒頭でオチを予測させる付箋を思い切り出しちゃダメでしょ!?と思ったのもつかの間で北川景子の棒読み演技に凄い嫌な予感がしたらそれもまま当たるようで。

 戦争映画それもとびっきり突飛な潜水艦VSアメリカ海軍駆逐艦の攻防と知略戦の夏です。というわけで、メインは沖縄の南東海域において日本軍の潜水艦イ-77と米海軍の戦いだけれども、主にイ-77の人間模様、そしてイ-81の艦長有沢(堂珍嘉邦)との友情にあるかと思います。

 さてまずはイ-77の艦長こと倉本(玉木宏)の意表をつくその性格というか、ざっくばらんなようで頭が切れる知将の面持ちを持ち合わせる魅力というのを作品の骨子として押し出していきます。

 こんな艦長の下で働けてよかったというほどに、玉木宏は信頼出来て頼もしい青年艦長を演技で作り上げていますが、さすがに戦時下である限りは、少しダーティさが欲しかったところで、綺麗過ぎるその体面は演技を彩る点で少し余計かなと。

 また吹越満演じる中津航海長が倉本の推進力に少々意を唱える人物として立ち上りますが、サラッとかわされ最後は「倉本艦長の下で働けて幸せでした」で片付けてしまう。対立や意見の食い違いの中から見出される作戦から生まれたあの迎撃に向けてというカタルシスが全く無いのは致命傷でしょう。

 倉本艦長、中津航海長そして田村水雷長(益岡徹)の三者三様の潜水艦の中での位置や考え方を掘り下げながら、周辺の人物を浮き立たせて行く、潜水艦という密室の中での群像劇を観てみたかったのですが、あくまでもこの作品の焦点は真夏のオリオンと題名の付けられたある歌の事。

 なぜアメリカ海軍の駆逐艦の船長が倉本の恋人・志津子(北川景子)が倉本に向けて奏でたその楽譜を認めていたのか。そういった人間のミステリーも織り交ぜて行きますが、そんな謎かけもそんな事だったのかと思ってしまう始末。

 ルートは無いにせよ、日本とアメリカが互いに戦った。という事実を踏まえながらも互いを好敵手とみなし戦い抜いたという賞賛の空気もこれでは薄ら寒く、いくら戦争への眼差しが冷たいものだとしても、命を粗末にするのはもったいないといくらけしかけたとしても、何だか手ぬるい覚悟のような気もする。

 いくらタイミングが良いとはいえ、全ては艦長の手中の中にあって、戦えども見せられた思いはいかにして生き残るかという術である事が間違いない。でもこの作品もうちょっとましにならないかなと見ている間は思いましたが、観終わった時には、どこから手をつけて良いのか分からない収拾の悪さを露呈しているようでした。



監督 篠原哲雄
出演 玉木宏
   北川景子
   堂珍嘉邦
   平岡祐太
   吉田栄作
   鈴木瑞穂
   吹越満
   益岡徹

6月13日 吉祥寺東亜にて鑑賞

『真夏のオリオン』
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2009年06月13日

マン・オン・ワイヤー5

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 決定的瞬間は映像の中で再現出来るのか。果敢にもある男の飽くなき挑戦をクローズアップしたジェームズ・マーシュの英断に拍手したい。

 ただ綱渡りをする。それもNYのワールドトレードセンターのツインタワーの間を行き交うというドラマティックであまりにもバカバカしく苦行にも似た準備段階から人々の思いは交錯する。

 1974年の8月7日と言えばまだ私は生まれてもいない。出来ればその眼で遠く霞がかったWTCのビルの屋上の望郷を眺めた人々の驚いた瞬間に立ち会いたいと思ったほどだ。

 その日の朝、フィリップ・プティはWTCの屋上にいて、ツインタワーの間に張られた綱の上を綱渡りしようという、若かりし頃に思い立った鮮烈なインスピレーションを実行する。

 さてこのドキュメンタリー。当時の映像を織り交ぜて送る実直で硬質なドラマかと思ったら少し違う。映像は当時のフィリップやWTCツインタワーを綱渡り渡る計画を助けるジャン・ルイを始めとした友人や協力者のインタビュー、背景や映像で静かに淡々と描かれる。

 但し一連のWTCを綱渡りするまでの過程は、当時の行いを再現した作品も織り交ぜられる。ビルに業者を装い侵入するまで、屋上近くまであらゆる機材と綱を持ち込みと思ったところで遭遇する思いも寄らないトラブル。

 ただ綱渡りをするのにこれだけの気苦労が多いのはなぜか。ビル侵入にしてもツインタワーの間を綱渡りするにしても、それは犯罪行為にして最大の芸術、最高のパフォーマンスと自負して病まない彼らの狂想曲。

 であるからして一番厄介なのは人間の感情でその一瞬、一演目に際してフィリップの命の危険に加担するか否かという微妙で歯がゆい問題にも対処しなければならないわけで、当時を振り返った彼らへのインタビューから紡ぎだされる言葉や表情は時にして興奮しているが、時にしてその時に思い返した感情の揺れ、迷いというものも引き出される。

 またこの計画に加担している最中もドラマ仕立ての作品によって彼らの感情の動きやもう止めたくなるほどの精神力の限界も訪れたりして、フィリップの綱渡りとは露知らぬところで、平行線を辿りながら友人・協力者達の物語も同時に綴られて行く。

 綱渡りの先には何があるのか。一瞬の架け橋という目標を夢見た、大それた計画に乗った友人達の心意気には温まる所業の足跡がある。1つの達成感を描いて終わりではドキュメンタリーとしてもドラマとしても面白くは無い。

 なぜこれほどにこの作品が人々を魅了して息を呑ませるかは、フィリップのWTCの綱渡りが最大のクライマックスにして魅了するからであろう。

 ただしこの当時に生きていた若者の非生産的ながらも愛して病まない夢のある奥行きのあるドラマ、人間の姿に涙を流し笑みを向けることが出来るからではないかと思う。

 そして動いていたものが止まる一瞬。いやこちらを止めさせる一瞬が確かにあるという実感とその決定的瞬間をこの作品で観る事が出来てよかったと思える最大のパフォーマンスは人から人へと渡り続けるであろう。

監督 ジェームズ・マーシュ
出演 フィリップ・プティ
   ジャン=ルイ・ブロンデュー
   アニー・アリックス
   ジム・ムーア
   マーク・ルイス

6月13日 テアトルタイムズスクエアにて鑑賞

『マン・オン・ワイヤー』 (原題 MAN ON WIRE)
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2009年04月20日

ミルク4

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 人が生きる上での権利を脅かされる恐怖を感じる事はあってはならない。たとえゲイであろうとレズビアンであろうと、ストレートであろうと誰しも生きる権利というのはあるし、公職に就く事も可能であるというのがハーヴェイ・ミルクの思いだった。

 恋に落ちたら男も女も無いとはいえ、1970年代のアメリカにはただ生きるだけでも必死で、人とは違い、人間扱いされないという迫害をまさに受けていた人々がいた。

 権利を右から左へ剥奪される。光の当たるところに出る事を許されず、影でこそこそと何とか生きなくてはならない。そんな生を享受する事など許されはしないのだ。

 もしこの世に人間が立ち向かう勇気があるとしたら、カミングアウトする勇気ではなく、自分の権利を主張するという思いもよらない勇気が必要となる。ショーン・ペン演じるハーヴェイ・ミルクは当たり前の事をしようとして目の前にある数々の困難を一人ではなく数多くの友人と共に乗り越えようとする。それはどんな境遇にいても同じだと。

 スポットライトが当てられるのは彼だけでは無い。安定した生活を捨ててでも立ち向かわなければならないのは何故か。そう声高に権利を主張しなければならないのはなぜなのだろうか。それはこの作品において最も知りたいことだった。そうカミングアウトしなくてもひっそりと隠れてまるでストレートのふりをして生きていけば良いのではないかと。

 それを指摘するのならば、おそらくハーヴェイ・ミルクはこう回答するに違いない。それは死んだも同然の事だと。自分の生来のものを隠し、かりそめの権利を主張する事などできないとね。その思いは彼だけではなく、周りの者達をムーブメントに引き込む。

 彼の主張に最初は乗り気でなかったクリーブ・ジョーンズ(エミール・ハーシュ)も、恋人のスコット(ジェームズ・フランコ)も彼に賛同した人々もミルクに後押しされたからではなく、思わずして知る自分自身の存在を見つめなおしたからこそ、それを脅かされるという恐怖に立ち向かうという姿勢をミルクの存在を通じて生きていこうと思ったのではないか。

 さて、ミルクという人物。高潔で類稀な秀才なのか。人を惹きつける恐ろしいカリスマ性の持ち主なのかと思ったら少し違う。

 どちらかというと身近にいる隣人で人に対しての礼儀と優しさを持ち合わせ、強い部分ばかりではない人としての優柔不断さ、自分が進めば進むほどに恋人との関係や人との距離に難しさやバランスの不自然さを覚えてならないような表情もする。駆け引きもあまり上手いようではない。自分の事ばかり見つめて周りが見えないいらだちをも時に顕にする。

 強いばかりではない人間の心。ただし、納得がいかない事実に対しては公明正大のその権利を求める。そんな人間の表の部分を隠したい裏の部分を突き詰めたからこそショーン・ペンの演技は人を惹き付けたのであろう。

 やがて、プライドを捨てることなど出来ない人間の生は真っ直ぐの道に辿り着く。そこをあかりという真理が照らし出し、誰よりも普通に生きていきたかったハーヴェイ・ミルク。そして彼を取り囲む様々な人間の強さと弱さと正しさと間違いは全て照らし出される。

 彼を思った人々は自分の事を同じように慈しむ。だからこそ人間はこれまでもそしてこれからもその生きるという必死さに関して問い詰めていかなければいけないのかもしれない。そんな心意気に宿る男の生と死に讃えるロードはいつまでもいつまでも続くのだ。

 
監督 ガス・ヴァン・サント
出演 ショーン・ペン
   エミール・ハーシュ
   ジョシュ・ブローリン
   ジェームズ・フランコ
   ディエゴ・ルナ

4月19日 シネマライズにて鑑賞

『ミルク』 (原題 MILK)
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2009年01月30日

マンマ・ミーア!3

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 ああそういう話だったのか。と見終わった後には何だか騙されたような上手く手込めにされたような感覚が残る。決して悪くは無いのだけれども、何だか乗り切れなかった夜を乗り越えた後に来た朝のぼやっとした感じ。

 舞台はギリシャの壮麗な島。そこにあるホテルは何だか年季が入っていて少しボロボロだけど丁寧にしたてあげられたかのような雰囲気を残す。

 そんなホテルを経営するドナ(メリル・ストリープ)の娘ソフィ(アマンダ・セイフライド)の結婚式に臨むべくある3人のスペシャルゲストをこの島に招待していた。

 それはかつてドナが愛した男達・サム(ピアース・ブロスナン)ハリー(コリン・ファース)ビル(ステラン・スカルスガルド)のうち誰かがソフィの父親なのだろうと模索していくラインに乗る。彼らもまたABBAの楽曲に乗り、ドナ、ソフィと共に素性と感情を顕にしギリシャの青い空に疾走していくのだ。

 もちろんソフィの至っての希望はヴァージンロードを自分の父親と2人で歩むという乙女心たっぷりの計画だったのたが、ドナはそれに猛反発。3人の男達を帰そうとやっきになるが、それはそれ、あれよあれよとミュージカルの最中に紛れ込んでいく。

 物語のコマンドに乗るのは、ABBAの数々のテンポであり、その場の感情を揺るぎ無く伝えていく。

 メリル・ストリープは飛び跳ねるし、ピアース・ブロスナンの美声も聞けるのだ。メインはあくまでもメリルやアマンダ、そしてピアースを始めとしたコリン、ステランの面々かと思いきや、それに輪をかけてジュリー・ウォルターズ、クリスティーン・バランスキーがメリル・ストリープとタッグを組んで強烈な歌声で存在感を前へ前へと押し出していく。

 そうもうここまで来たのだから、このテンポに乗りなさいといわぬばかりで抵抗しきれない。楽曲はもちろん素敵なのだが、そのノリに乗り切れないのはまたとなく寂しいのかもしれない。

 やがてソフィの懸念事項であった父親に関する物語の結末はやや予想通りになる。しかし、まさかその後にそんな展開が待っているとは。常にハイテンションだったミュージカルは思わぬ飛躍を施すのだ。

 そんな結末には参ったとは言い切れない。なんだか微笑ましく人にはいつまでたっても忘れられない瞬間があるのだなと思わず納得させられてしまうようで、なんだか歯に物が挟まったようで、妙な驚きを引きずった感じだ。

 そこではたと思うのは、この結末にして彼女ありと思わせてしまう、メリル・ストリープが培った演技と体言のゆえかもしれない女優としての矜持と素晴らしさも語りの中に埋め込ませてしまう天性ゆえなのであろうと。



監督 フィリダ・ロイド
出演 メリル・ストリープ
   アマンダ・セイフライド
   ピアース・ブロスナン
   コリン・ファース
   ステラン・スカルスガルド
   ドミニク・クーパー

1月30日 新宿東亜にて鑑賞

『マンマ・ミーア!』 (原題 MAMMA MIA!)
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2009年01月03日

無ケーカクの命中男 ノックトアップ4

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 自分で巻いた種は最終的に自分で刈らなければならないだろう。覚悟も準備もせずに唐突に知らされた吉報はコウノトリが運んできたかのような先制パンチで彼と彼女を襲うかのようだ。

 しかしこの物語が語る人間としての責任はゆっくりと次第にそれを捉え、認め、受け入れていく事の大切さをにわかに語る。だがそれまでは中々難しいし、ちぐはぐでかみ合わない、そこに人間の悲哀というかコメディが同居し面白みを噛み締める事となる。

 まあどこにでもダメ男というのはいるわけで、毎日仲間とバカ騒ぎ、下らない下ネタを連発し、酒を飲み、金が出来たら街に繰り出す、そんな男の一人ベン(セス・ローゲン)は思わずクラブでナンパに興じる。

 そのナンパに応じたのはテレビ局に勤める一見して美女のアリソン(キャサリン・ハイグル)だけれども、飲めよ飲めば酒が回りに周ってベンとアリソンは一夜を共にする事に・・・

 朝は何だか白々しい感じ。まあもう会う事はないだろうけどお元気で〜みたいな感じで別れたら、2ヵ月後に何とアリソンはベンの元を訪れ、妊娠を告げるのだが。

 ベンというダメ男がどう自立していくかを焦点にしたドラマが展開されるかと思いきやどうも違うようで、新たな生命が生まれてくる事をベンもアリソンもじわりじわりと感じ取っていく機微を味あわせる。

 もちろん彼らはどう対処したら分からない。歓びのあまり一時の過ちで妊娠してしまいせっかくキャスターの道が切り広げられつつもお腹の大きさが隠しようにも隠せないアリソンも、毎日バカ騒ぎしてただけで、唐突に妊娠を知らされつつもこんな美人の女性との間に子供が生まれるという戸惑いと一時の歓びを体全身から発生させるベンも、結婚し、2人で子供を育てるという選択肢を現実的に手に掴む事が出来ないのだ。

 そんなイライラと憂鬱をセス・ローゲンとキャサリン・ハイグルが妙に血色ばったコメディエンヌぶりで展開し、それを主にベンの友人達だが・・・周りの人物が程よい笑いの渦で飾り立てていく。

 セス・ローゲンの単調なバカッぷりと次第に自分の大切な相手に対しては心を変えていこうと不器用だけど健気な努力をする彼の雰囲気とそれに呼応する感じできっぱりと表情とセリフ劇で体現するキャサリン・ハイグルのカップルが微笑ましい。

 さてそんな一連のどうしようもないネタに彩られつつも仕上がった男女の関係は思いのほかしっかりと描かれており、絶え間ない人間への眼差しがしっかりと反映されている。

 『寝取られ男のラブ・バカンス』共々二本立てで鑑賞したが、共通する視点はやはり女性の前では男は何となく甘えてしまう部分も見せるが、時に責任というものを次第に感じつつもそれをしっかりと捉える度量も持ち合わせるからこそ笑い=コメディが生き生きとしてくるのかなとふと思った。

 またそんな男と女の関係をネタに埋もれされるようで、さらっと押し付けがましくなく描いている。一癖も二癖もありそうだけど何か観客に優しい感じにも優しいし、正月早々楽しませてもらって感謝したい。そんな作品だった。

 
監督 ジャド・アパトー
出演 セス・ローゲン
   キャサリン・ハイグル
   ポール・ラッド
   レスリー・マン
   ジェイソン・シーゲル
   ジェイ・バルチェル
   ジョナ・ヒル

1月2日 新宿ミラノ座にて鑑賞

『無ケーカクの命中男 ノックトアップ』 (原題 Knocked Up)
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2008年12月02日

未来を写した子どもたち4

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 子供が未来の事、将来の事を人が描こうとするとき、頭の中に浮かぶイメージは漠然としていても、固定化した憧れみたいなものも同時に訪れる気がする。

 美味しいご飯が食べたい、生活を豊かにしたいというイメージもあれば、何かを学び取りそこから自分自身の能力を試したいという感情的な発露も具体化すれば人はなおさら前に進もうとするのではないか。

 しかし、中にはそのチャンスが一切訪れない環境にいる子どもたちというのが存在する。インドのカルカッタの売春窟に生まれた彼、彼女たちのその先は生まれてきた家庭の仕事を継ぐという選択肢のみの中で完結していた。

 そこにはおそらくなおざりなかわいそうとか哀れという感情は存在しない。至って当たり前の事として受け止められ、諦めきったような表情よりも家族の生活とうものこそ基調であるという視線も半ば垣間見られる。

 最初はいかにもカメラを与えたられた彼らが飛翔していく物語を想像させる。しかし、彼らが撮る写真を観ていくうちに受け止められるのは、何よりも彼らが見ているものこそ現実で、ごまかしが効かない事。

 それをおざなりに差し出されたようで、肉迫することは無く、自然に優雅でそれと無い嬉しさも込められ様々な被写体が写っている。この写真好きだなと思うものもあれ、斬新だなと思ったり、奇抜でちょっと変わっているなとも思う。

 そんな中で、この作品を観ていく内にふと思ったのは、人間が生きていく厳しさとか嬉しさこそあれ、彼らは一種の楽しみ。きっかけとして写真を知ったに過ぎないという事実がある事。

 そしてそんな写真への興味でも良いから、何かしらこの子どもたちがきっかけを持って前に進んでいくという揺るぎ無い進歩への背中を無理にではなく、そっと連れ立ってくれる写真家ザナ・ブリスキの優しみもまた感じ取れる。

 もちろん全てが上手く行くわけではないであろう。だが何かしらのこのスクリーンに映る子どもたちの笑顔とカメラ片手に駆け巡るを見るに付け、いつか思い出すであろうあのきっかけと歓びといつかなると願って止まない。

 

監督 ロス・カウフマン
   ザナ・ブリスキ
出演 コーチ
   アヴィジット
   シャンティ
   マニク

12月1日 シネスイッチ銀座にて鑑賞

『未来を写した子どもたち』(原題 Born into Brothels)
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2008年06月30日

ミラクル7号3

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 あれっ。これってカワイイの?不気味なの?という両極端さが売りなのだろうけど、子供にとってはミラクル。

 絵に描いたような貧乏親子のティー(チャウ・シンチー)と息子ディッキー(シュー・チャオ)のつつましさも何とやら、本当に不味そうなご飯を食べてるし、瓦礫の山のような家に住んでるしで観ていてよく生活出来るなと感心しきり。

 それは父ティーの前向きバイタリティーと姿勢が凄いし、身体一つで勉強できる最高の環境である小学校に何とか入れた父親の努力と思いが感涙ものである。

 そんな父の苦労と優しさが身に染みてわかっているディッキーは、父親というものにどっぷり安心して身を委ねる一方で、最新ロボット・ミラクル1号欲しさに父親にねだったりするのは子供らしさが満開。

 さて、この物語はSF?コメディ?父が瓦礫の山から拾ってきたのは、緑色のボールのようなもの。

 ボールはたちまち変身し、世にも見た事のない生物へと変わり果てる。ディッキーは、その生物をミラクル7号と名付けまるでオモチャのように可愛がるのが、子供の無茶振りに思えてならないゆえか、ミラクル7号のあれれという表情が少々ツボになる。

 このミラクル7号。ある能力があるのだが、それは観てのお楽しみというわけで、物語はディッキーという子供の想像力がいかに逞しいか。もしこのミラクル7号が、こんなスーパーな事をしてくれたらという爛々の希望も、逸脱した破天荒な映像によってシュールに認められていく。

 またまるで小学生とは思えないとある二人の闘いのシーンは、渡り廊下を背景に大接戦。ミラクル7号も飛んだ迷惑を喰らうが、こんな見た事のない生物に仰天、いや微笑ましい思いを寄せた小学生達の居丈高な笑いの按配とオチが効いているのが良い。

 そんなSFコメディのメインポイントはやはり親子。どんなファンタジーになろうと、おかしな奇跡が起きようと、全てを認め合い、正直なスタンスを守り通す事の揺るぎ無い愛情が正統的に現れて行く。

 でも、さすがにラスト!?には驚き。ちょっとやり過ぎな感はあるけれど、ミラクル7号みたいな不思議な生物を少しでも可愛いと思ったら、誰かに振り回されながらも、決める時は決めるミラクル7号に少々魅了されつつも、ディッキーとティーの精神的な成功という道程に思いを馳せたくなる。

 

監督・脚本・製作 チャウ・シンチー
出演 シュー・チャオ
   キティ・チャン
   リー・ションチン
   フォン・ミンハン
   ホアン・レイ
   ヤオ・ウェンシュエ
   ハン・ヨンホア
   ラム・ジーチョン

6月29日 シネマスクエアとうきゅうにて鑑賞

『ミラクル7号』 (原題 長江七号)
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2008年05月19日

マンデラの名もなき看守3

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 ネルソン・マンデラ大統領という名は聞いた事がある。かつて彼自身がロベン島の刑務所にいたという事さえ知らなかった私にとってこの物語はどのように映るのか期待して観に言った。

 論理としては分からないでもない。弾圧されるのならばそれに対峙する方法は武力しかないのだと。その言葉を反芻するたびにマハトマ・ガンジーの唱えた非暴力跳ね上がってきた。

 それゆえに、ネルソン・マンデラ(デニス・ヘイスバード)という人物。そして取り分け彼の看守を務めた男の心情はどのような変遷を辿るのかという人間的興味によってこの物語は支えられていく。

 アパルトヘイトを起点としたこの物語は、根深い人種差別の様相を作品全体に投げかける。黒人は人間とみなされず、刑務所でも扱いは不等な差別の繰り返し、家族や知人との手紙は全て開封され、問題だとみなされた個所は全て切り取られ手紙として体を成していないものを渡される囚人の表情には絶望よりも唖然とした顔が見える。

 ジェームズ・グレゴリー(ジョセフ・ファインズ)という人物の本当の内面を追っていくのであれば、彼はこの刑務所で辛くも重要な役割を果たす事になる。彼こそが囚人の素行を完全に把握し、手紙を検閲するアパルトヘイトによる反抗勢力を事前に察知し計画を頓挫させるという国家の存亡と国民の命を守るという検閲官という役割だ。

 手紙に認められたテロの暗号、計画の周知を事前に察知し悉く通知していく。しかし、ジェームズはやがて彼が告げた仕事の裏側で数々の人が亡くなっているという事実に突き当たる。

 そこにジェームズが心の底に何か歯がゆいものがあるとすれば、彼の過去に語られるある少年時代の友人が黒人であり、彼が心を通わせた唯一無二の存在である事が彼の胸に忍ばせた缶ケースの中に綴られるからこそこの看守が家族、そして刑務所で奉仕するという事に疑問を覚えてならない一番のきっかけとなったのかもしれない。

 ある種これはネルソン・マンデラ、そして人種隔離政策で差別を受け続けなければならない人々の悲劇を描くと同時に、かつて純粋で肌の色によって差別を受けるといいう事をも薄々知りながらも、友情を心の隅に抱え、また国家という枠組み、そして仕事、美しい家族に囲まれたゆえに恩恵を受け続けてきたジェームズという男の無知という悲劇にも繋がるのだ。

 一方で興味深いのは隔離された刑務所の外枠を提示するロベン島という場所、コミュニティは不必要なほどに対黒人意識の様相を蔓延させ、ジェームズの妻を始めとした刑務官の妻達もまた虫けらのように黒人を扱うセリフを悉く吐いていく。

 それに呼応するかのように、ジェームズの妻グロリア(ダイアン・クルーガー)もコミュニティという孤独の枠組みにはまり込み、彼女からも信じられない言葉が応酬のように吐き出され、そして夫の地位と出世のみを信望する奥さんとしてその片鱗をほのかに見せていくあたりは興味深い。。
 
 物語の起点としてやはり、差別は良くないというメインを描くよりは、主に描かれるのは人間である。元々国や政治の風により思想や考え方、そして生活さえも囲われて過ごさなければならないジェームズの居場所もまるで隔離されたかのようで、そこから抜け出す発端を探し続けているかのように出口を模索する。

 黒人の側に付いただの、人間扱いを受けない彼らと口を聞いているだの、ジェームズは理不尽な村八分を受けてもやがて、ネルソン・マンデラが唱えた国民憲章、そしてネルソンが話す一言一言を次第に心に再考していったのかもしれない。

 ジェームズとネルソン・マンデラが次第に、兄弟のように人間としての邂逅を果たす瞬間は数多く訪れている。それは時間がもたらした当然の帰結なのか、もしくはジェームズが元々持っていた人間としての心の顕れを自然と紐解いて行く作業に過ぎないのかもしれない。

 そう今も南アフリカに横たわる隔離の温床を解決する方法は、本来、人間同士の対話、そして模索していく事から始まるのかもしれない。それは恐れてもいけないし、真っ向から向かっていく素直さもまた武器となる事を示す格好のテキストであろう。
  

監督 ビレ・アウグスト
出演 ジョセフ・ファインズ
   デニス・ヘイスバード
   ダイアン・クルーガー

5月18日 シネカノン有楽町一丁目にて鑑賞

『マンデラの名もなき看守』 (原題 GOOD BYE BAFANA)
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2008年05月10日

ミスト5

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 霧が外を覆う世界。外には何かがいて今にも襲ってくるのではないかという恐怖がある街のスーパーマーケットの中で蓄積されていく。

 すっかり外の脅威におびえ続けていた人々は中にも脅威がある事を知る。見えない恐怖というのは二分され、まさかそんなものいるわけないだろうと思う人間と、何かが絶対にいると信じて止まない人間だ。しかし、そこに外の霧が晴れないのは神の仕業として狂信的に叫ぶ人間もいたりして。

 作品は観ていく内に思わず変貌して行く。スーパーマーケットは様々な人間の思索の縮図と化し、誰が正しくて誰が間違っているかなどという線引きは到底無理になってくる。

 激しい嵐の明けた街で、発生した霧。デイヴィッド(トーマス・ジェーン)は息子のビリーと隣人のノートンと街のスーパーマーケットへやってくる。レジの雰囲気はいつものようにスーパーマーケットの日常を映し出し、これから何かが起こるという事を知っている観客はその日常性の中にこれから霧に覆われるであろう人の顔を直視していく事になる。

 そこで鳴り響くサイレンとともに霧がスーパーマーケットの周りに不気味に迫り来る。その中で動いていく人間達。無性に店の中のあらゆる事と外に何が待ち受けているか気になって仕方がないのは観ている私も同様に、外へのアプローチが次第に凄惨な現場を揺り起こす。

 この作品が怖いのは、人がレールに沿うように予見した出来事が本当に似通った事象だと気付くと、それを妄信してしまうところにある。それが最初は頭のおかしいと思っていた人物が語る言葉だったとしてもだ。

 マーシャ・ゲイ・ハーデン演じるミセス・カーモディは、霧に包まれた世界の様相、外にいる生き物、そして無数に襲い来る巨大な有象無象のシーンの悲惨さに折り重なるように、聖書の言葉を引用しながらも最初は周りの人々には相手にされない。

 もう一つこの作品に起点があるとすれば、時間である。人々は外に出ようにも出られない閉塞感とともに、時間の流れが止まったかのような極限状態で闘いを強いられる。この地獄は永遠に続くのかと。

 一つ一つの状況と時間のプロットが次第にカーモディの言葉に折り重なる。人々は信じがたい光景を目にした時にやはりすがるのは神。そして神の代弁者の言葉は人々の意思という犠牲を伴い、一つのコミュニティを作り出していく。

 まるで村だ。信仰する神を称え、災害や事故に対してそれは神の怒りとし生贄を捧げようとする。村の中には政治が存在し大多数の意見によって占められた村社会は成立して行く。

 そこでは自分の意見も考えも声高に主張は出来ない。リーダーの下に集まり外への脅威と拮抗しながらも神の名の元に団結していく。それがこの作品の怖さ、人間の本来持ちうる怖さを真正面から皮肉にも正統的に描いている。

 そしてそれに乗った人々と自分は違うと思い、別のルートを探していくデイヴィットに観客が乗せられた時、物語は加速度を上げて進んでいく。もはやその頃には怪物の怖さは背中から引いている、集団心理の怖さが瞬く間に襲ってくる。

 もしこの現場に自分が居合わせたら、どのように行動していたかと思ってしまう。映画を観ているうちはデイヴィッドと彼の行動に沿うように進んでいくそれぞれの村にはとっての反逆者に心理を寄せたくなる。

 一方で実際にこの現場にいたらカーモディの言葉に自分も耳を傾けてしまうのではないか。あまりの恐ろしさにすがるものにすがりつきたくなるのではないかと思ってしまう。

 しかし、物語はあくまでも予想外の結末を迎える。誰が正しいか、人間の行動は何が規範となるか。この世界ではもはやどんな考えでも通用しないという状況下がある事、そしてその状況下に踊らされた世界は、霧に覆われたままだ。



監督・製作・脚本 フランク・ダラボン
原作 スティーヴン・キング
出演 トーマス・ジェーン
   マーシャ・ゲイ・ハーデン
   ローリー・ホールデン
   アンドレ・ブラウアー
   トビー・ジョーンズ

5月10日 新宿東亜にて鑑賞

『ミスト』 (原題 THE MIST)
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2008年05月06日

モンテーニュ通りのカフェ4

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 ショートカットのセシル・ド・フランスがくるくると可愛らしい。パリにもぐりこむ彼女は様々な人と接する事で、自分自身の新たな道を描き出す。

 何ともこの作品の魅力はやはり、ジェシカ(セシル・ド・フランス)が出会う人々に心の底から敬愛を腹って接していく過程であろう。人を疑う事を知らない純粋さもまた魅力だが、彼女に接した周りの人々もジェシカという女性に触れる事で、なおの事光っていく。

 そう人間はたとえ頂点にいたとしても、自分の立場が上り詰めようとしていてもどこかで不満を抱えているもの。他人には些細な事に見えるが、ジェシカはそんな彼らの話に耳をしっかりと傾けてくれる。

 それはジェシカにもいえる事だけど、マトンから出てきた破天荒さが良い意味でステレオタイプな価値観を打ち崩す。

 それまで築き上げてきた人々の苦悩を語るとすれば、殻の中に閉じこもり中々自分の思いを伝えられない彼らの気持ちは悩ましい。

 著名なピアニスト、ジャン(アルベール・デュポンテル)の今まで自分が思っていた音楽への対峙の掛け違い、シャンゼリゼ劇場の舞台で自分の思いとは違う舞台に立たなければいけないという苦悩を抱えた女優カトリーヌ(ヴァレリー・ルメルシェ)の晴れない表情、過去に亡くした妻との思い出をもオークションに売り出し新たな道を模索しようとする資産家グランベール(クロード・ブラッスール)のあまりにも切ない気持ちがスクリーンを曇らせつつもジェシカの表情と共にユーモアたっぷりに描かれていく。

 きりっとしたショートカットが作品のトーンを見事に決めたかのようだ。ジェシカがスクリーンに映ると、なぜだかふんわりとした優しさに包まれると同時に、どこかで新しいきっかけを探す事で自分自身を良い方向に塗り替えたくなる。

 直接的にジェシカの性格や考え方が彼らの苦悩に修正を施すわけではなさそうだ。どうにも出来ないと思った彼らはジェシカの心に触れる事で、かつて自分が持っていたある気持ち、忘れたくない本来の自分の魅力を改めて見直すきっかけと知るのみである。

 そこからは自分自身で決めなければいけないという事を知っており、なおの事その転換が俳優陣の快活で、殻が打ち破られた瞬間が笑い、歓び、時には寂しさを装いながらもすらりと示されていく。

 音楽に耳を傾ける劇場管理のおばさんの自分自身のスタイルを貫くかのような魅力もまた素敵におかしい。ヘッドホンに全身全霊で身をゆだね歌いまくるすがたは愛嬌たっぷりで、彼女の定年による別れのシーンなどはジェシカともども仕事に実直ながらも人生を楽しむ事を願って止まない人間の姿を秀逸に顕し、またこのおばさんへの敬愛に溢れたまたとないシーンに仕上がっている。

 ジャン、カトリーヌ、グランベールの顔を追っていくと彼らの夢は未だ衰えずこれからある人生の糧の輝きを改めて知ったかのように静かに微笑んでいく姿がまざまざと心に染み入ってくる。そんな彼らを最も近くで応援し、話し込んだジェシカにとってもパリで起こったある邂逅に身を躍らせる事になるのだが・・・

 静かな夕べのカフェで営まれる夢のような時間ほど、かつてジェシカの祖母(シュザンヌ・フロン)が夢見たパリの時間と同様に吸い込まれるようにきらめいていく落ち着きは甘く幸せな時間に満ちている。


監督 ダニエル・トンプソン
出演 セシール・ド・フランス
   ヴァレリー・ルメルシェ
   アルベール・デュポンテル
   クロード・ブラッスール
   クリストファー・トンプソン
   ダニ
   シュザンヌ・フロン

5月6日 ユーロスペースにて鑑賞

『モンテーニュ通りのカフェ』 (原題 Fauteuils d'Orchestre)
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2008年04月07日

モンゴル4

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 モンゴルという国のイメージは、至って厳寒極まりない地というイメージをいつも受ける。それに加えて12世紀の部族間の争いを徹底して描いたこの作品のスポットはチンギス・ハーンことテムジン(浅野忠信)となり、彼が拘束されているオープニングから彼の生きてきた道程、そしてこれからを紐解いて行く。

 しきたりや優しさというのは特に毒になりうるという事は、モンゴルという舞台において唐突に差し挟まれる。

 小部族の長、イェスゲイは9歳の息子テムジンの花嫁を探しに行った帰り道に他部族の謀略により殺されてしまう。父という背景を失い、父の部下も転換しテムジンを矢先とする。

 逃亡の末にテムジンが見た大地の暖かさは妻に委ねられて、また兄弟の誓いを立てたジャムカにより形成されていくのだが。

 この物語。妻の強さというものがしっかりと描かれている。嫁を選ぶという事に関して9歳の頃からしっかりした視野と観察眼を兼ね備えたテムジンの力は、正しい妻を選んだというこの選択が全てと言っても過言が無いほど。

 しかし、この妻が強い。決して戦闘的な強さではなく、徹底して夫に追随しつつも彼を守り彼に守られるという事を全て熟知しているかのような冷静な面持ちを兼ね備え、同時に、真っ直ぐな夫への愛情を示すと共に裏側では打算や巧緻さを漂わせ手段を選ばない愛情の深さには恐れ入る。

 全編に渡って目を見張るのはやはりモンゴルの大地。題名にもなっているように全てがこの大地に見納められているかのような焦燥感と安堵感を交互に描いてくうえ、テムジンという男の妥協しない精神の強さ、そして妻の構えた姿勢のどっしり感が迫ってくるのだ。

 それに呼応して避けられない戦闘に身を投じていくテムジンの脚脱さ、何とも風情のある身のこなしと調度良い按配の泥臭さを浅野忠信が全編モンゴル語にも関わらず体現しているのは見事。もちろんビジュアルの美しさもあるが俳優として難役に挑んだゆえの身を引いた感じのカッコよさは決してギラギラせずに、懐に入り込んでくる。

 大題的な戦闘シーンは、やっぱり血生臭い。剣と剣が交錯しスピード感溢れる中でその場で生と死が血しぶきによって明確になるカメラの一点は鮮明に映し出される。

 ジャムカとの邂逅、そしてやがて対峙していく過程は、モンゴルの掟を徹底して守った父親の矜持が息子テムジンに受け継がれている確かな証を示しているゆえに、テムジンとジャムカの心理を見事に表したシーンが折り重なっていき、見事なドラマとなっている。

 一度、投獄されたテムジンの末路。そしてジャムカとの対峙劇。妻という存在がどれほどに一人の男に寄り添い愛のドラマがなされていくか。そのバランス感もこの作品の魅力だが、何よりもチンギス・ハーンと呼ばれた男の生き様への大胆なアプローチを施したセルゲイ・ボドロフ監督の眼差しの強さには惹かれて病まない。


監督・脚本 セルゲイ・ボドロフ
出演 浅野忠信
   スン・ホンレイ
   アマデュ・ママダコフ
   クーラン・チュラン

4月6日 渋谷TOEIにて鑑賞

『モンゴル』 (原題 MONGOL)
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2008年03月22日

マイ・ブルーベリー・ナイツ3

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 ブルーベリー・パイって食べた事があったか無かったか思い出せない。そんな記憶の片隅にも残らないような食べ物が時にスポットを浴びる事がある。

 旅をすると何か発見があるだろう。元々、恋をする自分、仕事をする自分、楽しみを探す自分とは?と、どこに行っても人は模索し続ける。得てして旅で出会った他人は、その性格にしても生き方にしても自分にとってどこかで会った大切な誰かにはなりえるのだという事がある。

 そして時にほんの一時でも寄り添う人もしくは相反する他者に出会った場合は、自分にとって莫大な糧にもなりえるのだという如実性をもほのかに示しているのではないか。

 この作品は、エリザベス(ノラ・ジョーンズ)の内面への対峙と彼女が旅先で出会った人達のサイドストーリーが描かれていく。

 恋人に捨てられたエリザベスは鍵をカフェに預ける。それは捨てられた恋人がもしかしたら自分の家の鍵を取りに来るかもしれないというほのかな希望によって彼女を突き動かした結果だ。

 カフェのオーナー・ジェレミー(ジュード・ロウ)は鍵を預かるものの、大量の預かった鍵を入れた鉢に一つのストーリーを落とし込む。もう沢山の鍵は忘れ去られている可能性が高い。しかし、ジェレミーはそんな誰かが思い出すという勢いの優しさに心を委ねている。

 次第にお互いの素性と物語を吐き出していくエリザベスとジェレミーは、方やブルーベリー・パイを嗜みながら、方や自前のケーキをつつきながら時間を過ごしていく。恋の傷を癒すという行為は直接的ではなく、聞き役のジェレミーの優しさに裏付けられた一時の休息としてエリザベスに強い印象を残すのだが。

 ニューヨークの喧騒は、ウォン・カーウァイの映像美により消し去られ雑多な街の様相を醸し出していく。この作品を観ていて蘇ってくるのは『恋する惑星』のような映像の彩りが沸々と、頭をよぎる。

 そんな街からエリザベスは唐突にいなくなる。恋人といた街のカフェで過ごした時間を捨て、ニューヨークから遠くはなれて出会った人々は思いもよらない彼女自身の本心を惹き出していくストーリーテラーともなりえるのだと。

 ニューヨークから1120マイルのメンフィス。元妻スー・リン(レイチェル・ワイズ)との別れが納得できないアーニー(デイヴィッド・ストラザーン)の郷愁は哀れなものであろうか。さらにエリザベスにとって忘れ難い二つの別れを呼び起こす。

 ニューヨークから5603マイルのラスベガス。父親に蔑ろにされたと誤解している美しいギャンブラー・レスリー(ナタリー・ポートマン)が語るまたどこかで信頼という愛を求めている瞳の帯びに嬉々とした歓びをほんの少しもらう。

 とりわけ印象に残るのは、スー・リンの面持ちであろう。彼女に惹かれ続け、自分の行動をも顧みずすがりつくアーニーを体現的には拒否し続けるものの、かつてあった自分の思いを再興し、そこにもう自分自身はいないという決断をものの見事に魅せてくれる背中は美しい。

 ラスベガスの若きギャンブラー、レスリーの背伸び感も見事に融合していく。いつか父親に認められたくて精一杯愛を享受しようとして賭けに興じる姿にもはや楽しみは感じられず、どこかでその姿に追いつこうと静かにもがく彼女の姿は鮮やかながらも瞳は笑っていない。

 エリザベスはアーニーにどこかで忘れられない恋人への望郷を重ね合わせ、スー・リンの憂いに自分の姿を重ね合わせようとし、レスリーの愛の姿を羨ましいと願う。

 さて、恋人を忘れられないエリザベスの胸中に宿ったものはやがて花開いていく。アメリカのラインは見えず、メンフィスやラスベガスという場所に存在する他人は偶々居合わせたに違いないが、旅をするという事で少なくともエリザベスという女性にプラスの作用をもたらした事には違いないと感じる。

 スクリーンに身を委ね、明け透けな感じがして好感度大のノラ・ジョーンズとがあてどもない旅に出たエリザベスの事が忘れられずに奔走する姿をおかしく披露するジュード・ロウの抱擁力が微笑ましい。

 少し密度の濃い時間を過ごした二人の食べ物と会話による心地よい時ほど密接になりえるのではないか。元々意識せずとも時間が止まるかのごとくスクリーンにそっと現れるキスシーンのなんともいえない色合いは好みだ。


監督・製作・原案・脚本 ウォン・カーウァイ
出演 ノラ・ジョーンズ
   ジュード・ロウ
   デイヴィッド・ストラザーン
   レイチェル・ワイズ
   ナタリー・ポートマン

3月22日 新宿東亜にて鑑賞

『マイ・ブルーベリー・ナイツ』 (原題 MY BLUEBERRY NIGHTS)
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2008年03月15日

魔法にかけられて3

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 子供の頃に魔法にかけられたといえば、ディズニーのアニメーションを始めて観た時であろう。確かに戦隊シリーズものや仮面ライダーにも魅せられたものだが、小さなテレビで踊るディズニーのアニメーションは今思い返しても強烈な印象を残している。

 そんなディズニーのアニメーションが実写になったらどのようにスクリーンに綴られるのだろうという期待を持ち合わせた劇場の雰囲気は、おそらく同年代やディズニーのアニメに魅せられたであろう方々の活気に満ち溢れていた。

 アニメーションの舞台はアンダレーシアという国。動物に取り囲まれ美しい歌声を響かせる姫ジゼルは、御伽噺の世界の住人の思いを輝かせ運命の人との結ばれる事を夢見ていた。

 そこに働く関係により、ジゼルはお膳立てのごとくエドワード王子に助けられる。瞬間芸のごとく二人は互いに魅せられ、結婚を誓い合うのだが・・・

 王子の継母は結婚を喜ばず、ジゼルを「現代のニューヨーク」というこの世界では奈落の底ともいえる世界へと誘う井戸の底に突き落としてしまう。

 さて、ここからが物語のメインポイントとなる舞台=実写へと繋がっていくのだが。そこにどれだけディズニーのアニメーションの舞台を取り混ぜる事が出来るのか?という魅力に満ち溢れた物語は役者の雰囲気と溢れるコミカルな描写に救いを求めていくかのよう。

 ニューヨークという現代を俗物的なものとして捉える視点から生み出されるのだが、そこに生きる人々の思いをスッと引き出す事で、現代の人々がいつまでも忘れたくない御伽噺への憧憬を恋愛をモチーフにして引き出していく手法を描いていく。

 それは中盤のジゼルを中心としたセントラルパークのミュージカル調のシーンで仕立て上げられるが、この魅せ方が中々上手い。あたふたと困る弁護士をよそに、まるで自分の楽しみを全面に恥ず事無く展開するジゼルとそれに同調する人々のカーニバルは楽しい。

 特に素敵な笑い所もあり、ジゼルが歌声を響かせるとドブネズミや鳩の大群が押し寄せるニューヨークの構図。掃除もドブネズミが皿を洗ったり、鳩が部屋をグルグル飛び回り収納するなど・・・これはジゼルを見るに見かねて助けた心優しき離婚訴訟専門の弁護士ロバート(パトリック・デンプシー)も困り顔。

 弁護士の優柔不断さとあたふたさが好転か。計算やお膳立てを全くしない魅力というものに惹かれる男心をすんなり取り入れながらも、お姫様の奇行っぷりにはやはり目を瞑りたくなるのだが、それもアニメの王国から飛び出したゆえおとなしく見守るのが筋かもしれない。

 さて、そんなジゼルとエドワード王子(ジェームズ・マースデン)のハチャメチャな恋愛劇も現代のニューヨークでは滑稽に映るが、微笑ましい余韻を残していく。そんな二人の結婚を許さない魔女も現代に降り立ち・・・

 ラストの大団円に唐突なきらいはあるものの、アニメーションが実写として紡がれる展開は自然に受け止められる。ジェームズ・マースデンのはじけっぷりも好調。パトリック・デンプシーのショーン・ペンのような困り顔も、ジゼルの自由奔放な愛くるしい行動劇にも注目を。

 子供は御伽噺が大好きとはいえ、この作品。ロバートの娘がジゼル、エドワード王子、ロバートともう1人の素敵なヒロインの中心円となる素敵な演出も取り混ぜられている。
 
 

監督 ケヴィン・リマ
音楽 アラン・メンケン
出演 エイミー・アダムス
   パトリック・デンプシー
   ジェームズ・マースデン
   スーザン・サランドン
   レイチェル・コヴィー

3月15日 新宿東亜にて鑑賞

『魔法にかけられて』 (原題 Enchanted)
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2008年02月02日

ミスター・ロンリー3

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 本来の自分ではなく、他の有名に誰かになりきりその人の精神、人格を持って生きるという選択肢を選んだ彼らにとってはあまりにもやるせない物語である。

 得てして人は不器用なもの。自分のこれからを思った時、他の誰かになり自分の生を一度捨てる事がどんなに楽だろうと思ったのかもしれない。

 しかし、マイケル・ジャクソンとして彼の模倣を続けるマイケル(ディエゴ・ルナ)はスクリーンに映る度に滑稽に映る。顔色も悪く、生き生きと生きているというよりかは、危なっかしい橋の片隅にうずくまっているようだ。

 パリで、老人ホームの慰安の為にマイケルの風貌で生きているという事を高らかに歌い上げるマイケルは、マリリン・モンローに扮したマリリン(サマンサ・モートン)と出会う。

 彼女が見てきた世界を知りたいという小さな思いと、彼女に知らず知らずのうちに惹かれていたマイケルは、スコットランドの古城へと導かれる。そこには他人のものまねをして生きる術を見出そうとする人々がひっそりとそのアイデンティティをぶつけていた。

 そのようにしてふわふわと自分の居場所を見つけられないマイケルが次第に、このコミュニティに感化されていく過程に織り挟まれるのは、パナマのシスターが食糧配給の為に乗ったヘリコプターから落下してしまい。シュールに着地してしまうという不思議な奇跡のエピソードである。

 その二つがどのように噛み合うのか?という引っかかりを視野に描かれていくのは、ものまねを生きがいとした彼らのあまりにも真っ正直な生き方とあまりにも憮然とした態度で繰り広げられる道化のオンパレードである。

 ここまで見せられると、否定する訳ではないが、どこかこれは違う生き方ではないのかと思ってしまう。あまりにもストレートにその人物になりすぎていて、彼らの背景や生き方、これまでの糧というものが実感出来ない。

 それゆえに、彼らを観るとどこかこそばゆい感じになってしまう。本当にそれで良いのか?という声をかけたくなってしまうのだ。しかし、そんな私の感情さえも見透かしたように彼らは、私がこの作品に登場する人物への驕りを指摘しているかのようにも思われる。

 その境界線を見事についたかのように訪れるラストは、衝撃的だ。マイケルとマリリンの感情がぶつかった時に、そんなあっさり答えを出してしまってよいのか?という疑問符を持たせながらも、マイケルの自問自答によって新たな救われる世界が見えるような気もする。

 人間はいつまでも孤独だと思ってしまうかもしれない。周りの人間に囲まれていても一時も安らぐ事が出来ないある世界を見せているゆえに、ラストの決断は、やはり人が本来持つ性格や心の中から湧き起こる感情に素直に従っていくという事も、また難しいのではないかという素敵な皮肉を見せている。


監督 ハーモニー・コリン
出演 ディエゴ・ルナ
   サマンサ・モートン
   ドニ・ラヴァン

2月2日 シネマライズにて鑑賞

『ミスター・ロンリー』 (原題 MISTER LONELY)
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2007年12月24日

迷子の警察音楽隊3

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 イスラエルに降り立ったエジプトから来たアレクサンドリア警察音楽隊。荒涼とした大地に鮮やかなブルーの制服が映えるけれども、彼らの心は暗澹たる模様。

 何故か出迎えが来ない彼らにとって見知らぬ土地での行動は予測不能。音楽隊の若手兼プレイボーイなカーレド(サーレフ・バクリ)が、道案内に聞いた場所に行ってみると、そこは一文字違いの全く別の場所だった。

 何もかも計算違いの彼らの旅路は、団結力に乏しい。団長のトゥフィーク(サッソン・ガーベイ)は、頑固なまでに何とかなると身もふたもない自身たっぷりに進むものの、その心は団員にかゆくも届かない。

 小さな町に着いた彼らにとって戻るバスも無し、ようやくそこで出会ったカフェの女主人ディナが寝床を確保してくれたおかげで明日まで落ち着くかと思いきや、気まずい雰囲気・・・どこかに土足で上がりこんでしまった感じが蔓延していく。

 それはやがて人間の様相を押し付ける事無く静かな水面下のように見ていく過程の中で説くほぐされていく。恋の指南だったり、過去の出来事を吐露する瞬間だったり、もう少しで出来そうな曲の流れが見えてきた時だったりする。

 たとえ何度も戦争をしてきたエジプトとイスラエルのような国同士の対立さえあっても、ある一夜を通じてそこに生み出されたのは隙の無い人間の温かい感情の交錯である。

 あくまでも彼ら・警察音楽隊はある種の予感を秘めながら進んでいく。それは余計なセリフで説明される事も無く、そこにある一期一会を次第に楽しんでいくかのように。

 この作品に登場する彼らが表す体は微笑ましいものの人間の姿が顕になっていて思わず苦笑いしてしまいそうになる。

 シモン(カリファ・ナトゥール)とトゥフィークの駆け引きなんかは絶妙。シモンは顔色を伺うものの、トゥフィークはこの状況をどうしたらよいか?という事に関してあくまでも頑な。これを打開するのは甘いマスクのカーレドだったりして一触即発の状況が生み出されたりする。

 カーレドのギラギラ視線もまた、どこかの映画で観たかのようなプレイボーイぶりを発散させていく。でも、この一夜で印象の残るのは恋に奥手なカフェの男に静かにカーレドが行動だけで見せる一連のシーンかな、この三人が並んだシーンはユーモアたっぷりに描かれるものの、どこか抜けた感じが心地よい。

 女主人のディナのイメージは最初登場する時は、この土地に身を据えた落ち着きと確立した風情を思わせるが、トゥフィークを外に誘い出すときの女心を垣間見せる衣装の雰囲気といい、相手に敬意を持って接する人間味を味あわせてくれる。

 同時に奔放な感情の持ち主である事も後に語られるのだが・・・それは映画の余韻として唐突なので少々引いてしまうかも。

 はっきりとした色彩ではない映像のイメージもどこか登場人物達の心をゆるやかに描いているよう。この音楽隊が立ち去った後の町もやがて日常に戻っていき、彼らも故郷へと帰る。

 そこで起こった出来事は確かに些細な事かもしれないが、語られた重み、そして知ってしまった感情もまた妙に落ち着かないものの、知らず知らずのうちに心に留めて置きたくなる作品だった。 



監督・脚本 エラン・コリリン
出演 サッソン・ガーベイ
   ロニ・エルカベッツ
   サーレフ・バクリ

12月23日 シネカノン有楽町一丁目にて鑑賞

『迷子の警察音楽隊』 (原題 Bikur Ha-Tizmoret)
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2007年11月25日

マイティ・ハート/愛と絆3

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 強い絆で結ばれている夫婦が引き裂かれる時間が長いほどにその苦痛は想像を絶するものになる。

 2002年のパキスタン、カラチにおいて最後の取材に出かけたアメリカ人記者ダニエル・パール(ダン・ファターマン)は、ふいに消息を絶ってしまう。

 ジャーナリストでもある妻のマリアンヌ(アンジェリーナ・ジョリー)は妊娠五ヶ月の身体で、どこかにダニエルを探し出す糸は無いかと、希望を無くさずに追いかけようとする。

 しかし、数日後に送られてきた写真には誘拐され拘束されたダニエルが映っており、情報と疑惑が交錯する中で、どうにか彼を助け出す事が出来ないかと彼女の強い心はあってはいけない事としてそれを捉えようとする。

 焦燥感漂う手持ちのカメラワークにより語られる物語は、マリアンヌが最後の最後まで希望という光を失わないで済むか、また彼女がダニエルから享受し続けていく愛の形は決して崩れないであろうという確固たる事実であろうと信じたくなる。

 こんな境遇に陥ってしまったマリアンヌは強い心の持ち主ではあろうが、そんな身体を一人で支えきるのにはあまりにも辛い現実が畳み掛けてくる。

 彼女を救うのはダニエルとの間に存在する愛の結晶ではあるが、友人を始めとして、米国領事館、テロ対策組織、上司も駆けつけてあらゆる可能性を探るべく、そしてマリアンヌの元へ愛する夫を帰すべく最大限の譲歩と努力で導こうとしていくのだが・・・

 作品としての向きは、感情の揺れ動きを含みながらも淡々と進んでいく。どこかで逃げ出そうともせず、夫が誘拐された事実を受け止めつつも決して諦めないという本心をこれでもかと貫き通す妻マリアンヌの姿勢を演じたアンジェリーナ・ジョリーはその面立ちもあってか非常に聡明で賢い女性像に見える。

 そして彼女ほどに周りの人間に愛され、彼女とその夫の為に動き出そうとする人々の心もまた、彼らの強い絆を再びめぐり合わせたいという信念を感じ取らせる。

 一方で、テロリズムには絶対に屈してはならないという。理不尽な暴力に対して決して心の強さでは負けないという語りがこの作品の行間から滲み出てくる。時には崩れそうになりながら、またある種の肯定的な希望を追いかけながらも動いていく彼らの力は心の持ちようであるという事実を描いていくのだ。

 その後は語られないが、マリアンヌの中に生み出された気持ちは余韻を引きずる。愛する者への深い敬意と自分にとって大切な者を思う気持ちは決して崩れないという証を持っている。

 そこに憎しみは無い。また愛する者の意志を知ってこそ生き抜く今後への付箋となりこの作品は幕を落とす。

 『キングダム 見えざる敵』という作品と比較してみると非常にその作品のラインがここまで違うという事実に驚くはず。方や憎しみで幕を閉じ、方や愛と敬意で幕を閉じる。これほどまでに視点が違うものかと。 

 

監督 マイケル・ウィンターボトム
出演 アンジェリーナ・ジョリー
   ダン・ファターマン
   アーチー・パンジャビ
   ウィル・パットン

11月24日 新宿バルト9にて鑑賞

『マイティ・ハート/愛と絆』 (原題 A Mighty Heart)
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2007年11月23日

ミッドナイト イーグル2

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 うーん雪上シーンの特撮に期待して行ったけど少々拍子抜け。でも見所はそれなりにあったし、作品のトーンが二時間ドラマのようでまぁまぁ楽しめるかな。

 人間描写としては、戦場カメラマンとして世界の惨状に心を失ってしまった西崎(大沢たかお)が、夜の雪山で北アルプスに落下していく赤い光を目撃する事から始まる。

 西崎は後輩の新聞記者・落合(玉木宏)と共に、墜落現場でのスクープを狙い雪山に入る。同時に、墜落した米軍のステルス爆撃機を捕獲する為、政府が送り込んだ自衛隊の特殊部隊が動き出していた。

 西崎の背景は、脆くも重い。妻を自分の心の傷に構っているばかりで顧みずに見捨てたと思われても仕方の無い非難を妻の妹・有沢慶子(竹内結子)から浴び、実の息子の養育を彼女が行っている現実からしても、どこかで信念を失った人物像を浮かび上がらせる。

 そういった西崎の心情と並行して描かれていくのは、雪山での突然の接触であった。白い戦闘服に身を包んだコマンドが彼らを銃撃。命からがら逃げるも、自衛隊の危機を察知した西崎と落合は必死に彼らを助けようと声をかけるものの、生き残ったのは佐伯三佐(吉田栄作)のみであり、彼らは墜落した戦闘機の奪還を目指していく。

 一方で有沢慶子の視点の物語も動き出す。週刊誌の記者である彼女は、別ルートからこの陰謀劇に関わる北朝鮮の工作員と接触するものの、彼は負傷しており恋人が寄り添っている状況。情報を手に入れるためあの手この手を使いつつも感情を寄せていく有沢は、やがて北アルプスに墜落した爆撃機の真相へと近付いて行く事になる。

 この二つの接点がどのように繋がるかは、観てのお楽しみとして、やがて雪山の目的地に辿り着いた3人。そして政府、公安が関わる一大事へと作品はクライマックスへと至る。

 但し、一連の事件に関して関係者がここまですっかり収まるというのも珍しい設定だなとどこかでお膳立てしているかのような展開に少々、戸惑い気味。西崎、落合、有沢がこの事件に調度良く絡まっていた違和感を隠せない。

 また、ラストの選択劇も取ってつけたような感動劇に仕立て上げたいのが見え隠れしている。他の方策を取ろうろせずただ席に座っているだけのような政府もダメっぷりが凄いし、西崎の作戦にはいそうですかとうなずくのも何とかならなかったのかな・・・

 とはいえ、堅実で賢い自衛隊員という佐伯三佐を演じた吉田栄作が素晴らしい。映画では久しぶりに観たが、大切な仲間を失いながらも任務の為に確実に一歩一歩を踏み出していく好演を見事に見せる。

 彼らがミッドナイトイーグルに辿り着いたとき、そこでも新たなる危難が待ち受ける。迫力とストーリーラインは今ひとつだが、吉田栄作を始めとして、胡散臭そうな編集者役の石黒賢、無線マニアの濱田岳などなど役者の関係図を楽しむのも一興かもしれない。
 


監督 成島出
出演 大沢たかお
   竹内結子
   玉木宏
   吉田栄作
   袴田吉彦
   大森南朋
   石黒賢
   藤竜也

11月23日 新宿ミラノ座にて鑑賞

『ミッドナイト イーグル』
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2007年11月19日

モーテル3

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 ああ嫌だ。こういうのは一番嫌かも。正直モンスターも殺人鬼も出ない人間の恐ろしい深淵と悪趣味の構図が一組の夫婦を襲う時までの居心地の悪さと言ったら無い。タイトルロールの作りは面白いんだけどね。

 息子を事故で亡くしたデビッド(ルーク・ウィルソン)とエイミー(ケイト・ベッキンセール)夫妻は、親類の家からの帰りに夜道を車で走るが、車内の夫婦間の感情は離婚寸前の面持ちを見せる。

 車はやがてエンジントラブルを起こし、とりあえず近くのモーテルに泊まる事に。少々古いが仕方なしに鍵を預かり部屋に入りホッとしたつかの間。激しい勢いでドアがノックされる。

 そしてデビッドが発見したビデオテープに映ったあるおぞましい映像はモーテルの部屋での惨劇を映したものであった。

 ビジネスの香りのする不気味なテープが映し出しているのは宿泊客を殺す映像。正にスナッフムービーという訳だ。それに支配人のメイソン(フランク・フェーリー)の怪しいおじさん演技!?も光っている。

 さて、四方は闇に囲まれた山中の小さなモーテル。外に逃げようとすると襲撃者が息を潜めて待っている。そこに現れた宿泊客と思しき人物がどちら側の人間か?というスリルも合間って・・・この夫婦がいかにこの状況から逃げ出すか。というメインプロットを抱えつつもジェットコースター式にグラインドしていくスリラーとも言えよう。

 ワンスポットで見せきるには、様々な仕掛けが施されているものだが、逃げ道はドアのみか?という視点の転換から、電話線の繋がり、妻と夫の役割分担が生み出す相乗効果もあり中々上手い。

 役者陣では、情けなさそうだが、脱出する為に何とかしようとするルーク・ウィルソンのいざと言う時に頼りになりそうだけど・・・という雰囲気の夫と『アンダーワールド』シリーズですっかりアクション女優の位置を示し始めたケイト・ベッキンセールの普通の奥さん役というのも面白い。

 さて、スナッフムービーを撮る為に動く狂気の人間達にどう立ち向かうか?という心理劇の追随を追っていくのもスリリングだが、離婚目前の夫婦デビッドとエイミーが心で彼らに負けないという意志と行動力を示した時に物語は加速していく。

 ラストの収束劇がアクションの畳み掛け&運が良すぎるという偶然の作用を生かしたものになっているが、そこはこの夫婦仲に免じて目を瞑っても良いのかなとも思う・・・。

 

監督 ニームロッド・アンタル
出演 ケイト・ベッキンセール
   ルーク・ウィルソン

11月18日 シアターN渋谷にて鑑賞

『モーテル』 (原題 NO VACANCY)
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2007年09月26日

めがね3

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 ビール好きはこの作品を観るとビールを飲みたくなるとはいえ・・・あまりにもここまでゆったりしてるとな。どうも付いていけない部分もある。

 『かもめ食堂』ではサチエさん、ミドリさん、マサコさんのアンサンブルが絶妙だった。彼女達が何者か?というよりかは、ヘルシンキを舞台にしてその内面をほのかに見せていく筋立てが絶妙に決まり映画館を出たときには幸福な気分に襲われた記憶が今でも蘇る。

 まだ春の風が吹くどこかの南の島の空港にタエコ(小林聡美)が降り立つ。目的は露知らず。何かを抱えている風でもないし、何となく来たという風情が漂う。

 自然はそのままに残り、どこか寂しさを漂わせる風が吹き落ち着かなさも味わえる。あまり客が来ることを好まない民宿の「ハマダ」の主人ユージ(光石研)はタエコを快く迎えるが、タエコの態度はそっけない。

 そこに何故か一時期やってくるサクラさん(もたいまさこ)の優しさも滲むが、どこか入り込めないタエコはぶらぶらと行く宛てもなくこの世界を彷徨う。

 自分の時間、そして自由というのはそれぞれが持ち、自分の好みのスペースを保っているが故にそこが心地よくなる。今まで来た事の無い浜辺の町の彼らは日々の仕事はこなしているが至って無理がない。

 そこで気付くのは、急かしい日常では、人は他人に干渉し、他人に干渉され生きている。踏み込まれ、また人の領域に踏み込み自由を少しずつ削ぎ落としている。

 驚くのは、この町の人々はまず人に干渉しない。人に親切にしようとするが、はっきり止して欲しいといっても嫌な顔一つせず引き下がる度量がある。

 ここまで心に余裕があって良いものか?と勘繰りながら映し出される物語は、意外なほどに進まず。一つの停止点を持ってそこに広がる空間を映し出していく。

 広がる海を見つめながら飲むビールや、カキ氷のいつまでも広がる味わい。かぶりつく伊勢えびの肉厚や、ずらりと並んだ料理の温かさ、そしてひと粒の梅干がご飯に重なる瞬間が食べる事の楽しさを噛み尽くす。

 キャッチコピーにあるように「何が自由か知っている」人々はそれぞれの性格を持つつつもそこでの生活を享受している。ささいな悩みはありそうだがそれも押し出されない。

 ゆらぎがあるとしたら、タエコがこの町で知り合ったユージ、サクラさん、ハルナ(市川実日子)との生活のペースにどうも耐え切れないという最初の違和感ぐらいか。おそらくこれは僕自身がこの作品を観始めた時の感情に重なっていく。

 そして同時に感じるのは、今まで見た事の無い土地の風習や流れに触れるとどこかで違和感や反発を感じてしまうもの。

 それのモチーフともなっているのは毎朝行われるメルシー体操であったり、朝の雰囲気であったりするのであろう。

 何も無いというのも良い。たそがれるにはぴったりだ。最近、旅行で京都の仁和寺に久しぶり行った時はずっとそこに居たいと思い、随分とそこに座っていた。暑い日差しの中、蝉の音と整然と並べられた石庭の優しさとおかしさ。自分が昔住んでいた場所の近くという安心感も手伝ってか、そこにいる自由と懐かしさに思わずたそがれてしまった。

 確かに何かに身を委ねる自由というのは表現するのが難しい。それをそのままに描いたかのような一編は、めがねという言葉を題名にして挑戦しているかのよう。

 もちろん気負いは無いが、この作品を感じ取るのは観た人によってそれぞれの思いがあるという難しさをも感じた。

 はたしてめがねを何故題材にしたのか?という深みを考察してみると・・・めがねをかけないと見え難い事もあり、めがねを通じて見える世界を感じ取る事も、めがねをはずして空気に身を委ねる事も一つのたそがれる自由となるのでは無いかとも思ったのだ。

 その瞬間はラストに少し垣間見える。せっかくだからめがねをかけて観に行った自分もまたこの作品の雰囲気をどこかで味わいたいと思ったのだろう。

監督・脚本 荻上直子
出演 小林聡美
   市川実日子
   加瀬亮
   光石研
   もたいまさこ
   橘ユキコ
   薬師丸ひろ子

9月24日 テアトルタイムズスクエアにて鑑賞

『めがね』
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2007年09月16日

ミス・ポター3

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 ピーター・ラビットという絵本のイメージはすぐに湧いてくる。すぐそばにいるような、そして見ると思わず和んでしまう優しいウサギの物語は、誰をも魅了し、その絵本を読む瞬間はそのかわいらしい世界にいざなわれていく。

 夢想家と呼ばれても、恋する乙女の視線と絵本を描く視線は同じでありその才能は瞬く間にスクリーンを切り開いていく。ベアトリクス・ポター(レニー・ゼルヴィガー)のふくよかな魅力もまた作品のトーンに才気と繊細なやすらぎを与えていく。

 そんなベアトリクスの頭の中から生み出されたジャケットを着たうさぎに魅了されたのは、私達だけでは無かった。絵本の出版に携わる事になった編集者、ノーマン(ユアン・マクレガー)は新人であったが、ベアトリクスの紡ぐ絵本の魅力と心をくすぐられるような楽しさを見抜き、彼女の本を出版し、皆にこの思いを共有して欲しいという強い願いを託す。

 今から想像すると素敵なほどに恐ろしいが、今もなお世界中で愛され続ける絵本が出版され人々の心に乗る瞬間を心待ちにしていた二人の思いはとてつもなくきらめいている。

 ベアトリクスの絵本を愛したノーマンは自然に彼女に惹かれていく。何よりも自分が確信を持って世に出した本の作者であり、その上またとない人間的魅力に溢れたベアトリクスを思い、片時も自分の胸から離したくないと天に願う。

 しかし、まだ古い伝統と風習が残るロンドンでは、上流階級であるベアトリクスと商人であるノーマンの恋愛と結婚は、ベアトリクスの親の許しを得る事が出来ず、二人の思いは行き果ての無い切なさを帯びていく。もしかしたら彼女が紡いだピーター・ラビットがその思いを助けてくれるかもしれないのだが・・・

 もちろん主役はうさぎを取り巻く自然の話なのだが、ユアン・マクレガーの動静を称える演技にも注目。ベアトリクスに婚姻の申し出をした時の落ち着き払った雰囲気とOKをもらった時の嬉しそうな恋する男子状態のギャップが楽しい。

 またノーマンの姉であるミリー(エミリー・ワトソン)の慈愛に満ちた抱擁とベアトリクスに本当に心を開く瞬間の演技に思わずもらい泣き。独特の演技をするイメージがあったが、この作品では非常に愛らしくも強い女性像を印象付ける。

 絵の中で動き回るウサギ。CGの魅力を施しながらも、愉快な魅力と二人の恋仲が熱く展開し、やがてはベアトリクス自身にとってノーマンとの出会いはかけがえの無いものになっていく。

 その体験から生み出された思いは、彼女にとって一番大切な事を蘇らせていく。イギリスに眠る明快な自然の重みとその魅力に囲まれる事が何よりもこの世で一番の幸せであるという事。

 そして、その自然からは彼女が描き表した絵本に登場する自然の息吹が飛び出してくる。

 終盤までの急速な展開はイギリスを舞台にしたからか、妙にドラマチックになる所も無く淡々と彼女の道のりを追っていく。

 彼女が最終的に守ろうとしたものは、絵本を描いている時に馳せるある思いと手付かずの美しさを人々に知ってもらう事だったのかもしれない。緑のキャンパスに明瞭な色の花々が散り、その合間を縫う風のゆったりした微風が吹いてくる頃、裏の森ではうさぎがひっそりとその恩恵を享受し今も生きている。


監督 クリス・ヌーナン
出演 レニー・ゼルウィガー
   ユアン・マクレガー
   エミリー・ワトソン
   ビル・パターソン
   バーバラ・フリン

9月16日 シネマデプト友楽にて鑑賞

『ミス・ポター』 (原題 Miss Potter)
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2007年08月19日

街のあかり4

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 1人の寂しい男。どこに行っても1人浮き、誰一人として彼と交流を持とうとしない。そんな孤独に包まれた彼は一見して平行線のようなドラマが語る波風にもまれラストにある邂逅という優しさに包まれる。

 空間を屹立したものとして捉えるショットが印象に残るのは、おそらく俳優の動き、表情、しぐさがもたらすものだろうとアキ・カウリスマキの作品を観ると思う。

 フィンランドにはどのようなイメージを持つか?と言われたら、『かもめ食堂』のようにどこへ行っても誰と話してもその存在感を確固たる優しさが滲み出ていた小林聡美のように・・・『ナイト・オン・ザ・プラネット』のヘルシンキのタクシー運転手が話したある話しに静かに心を寄り添わせる男三人のように、どこかにある優しさをそっと引き出すような温かさを感じるのである。

 スクリーンが語る1シーンから、何を読み取るか?という意味ではこの作品ほどはっきりした意志を感じ取れる雰囲気もめずらしい。

 警備会社で働くコイスティネン(ヤンネ・フーティアイネン)は、日常というサイクルを静かに過ごしている。誰からも相手にされず、どこかに入り込みたいと思いつつも優しさを見せるが、それもはたと跳ね除けられる。

 しかし、スクリーンに映るコイスティネンの表情は虚ろとしながらも、何がしかの刺激や欲望と言った体現を現しているかのようで、ウォッカや紙巻タバコで男なら本来持つべき生活の底にある刺激を静かに味わっている。

 そんなコイスティネンという男。ラインに沿うかのように、社会の光とは無縁のギャングに目を付けられ、ある女性に誘惑されていきます。

 警備会社で働く孤独な男=カモという固定観念は、その女性が唐突に現れた瞬間からにおわせていきますが、それでも何故自分が騙されなければいけないのか?という憤怒を感じさせる事は無く、コイスティネンという男の持ち合わせる感情が顕になり・・・

 そして騙した側のギャングの情婦・ミルヤ(マリア・ヤンヴェンヘルミ)もそんなコイスティネンへの茫漠とした誘惑劇を決して楽しんでるのではなく、その表情から、ギャングとの関係性を感じさせるシークエンスから、またコイスティネンを出し抜くあるシーンの前後からミルヤ自身のある感情がほのかに残っていきます。

 利用される側と利用する側のあまりにも悲しきある出来事をアキ・カウリスマキは淡々としながらも、光彩を生かしたカラフルなショットで彩り、作品に出てくる暖色の物はそれを静かに見守っているかのよう。

 セリフは最小限に留まり、固定された劇を演じる役者達の語るある悲劇の物語だが、決して悲壮感には溢れていない。ユーモアを交じえ、シーンの行間かた立ち上る感情の何と豊かな事か。

 そして、ある時にコイスティネンが見せた優しさがラストに一筋の光を見せる。そして今まで知りえなかった新しい思いとあかりに満ち溢れたある男の物語。決して孤独ではない。そして誰よりもコイスティネンを祝福したかのような簡潔ながらも美しいラストショットに観ていた私も思わず手を握り締めた。

監督・製作・脚本・編集 アキ・カウリスマキ
出演 ヤンネ・フーティアイネン
   マリア・ヤンヴェンヘルミ
   カティ・オウティネン
   マリア・ヘイスカネン
   イルッカ・コイヴラ

8月19日 ユーロスペースにて鑑賞

『街のあかり』 (原題 Laitakaupungin valot)
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2007年07月18日

魔笛4

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 モーツァルトの最後のオペラだという。オペラに関しては全くの無知・・・実際に聴いた事も無いし、原典である『魔笛』そのもののストーリーラインや演出など知らずに観たのですが、それが功を奏してか最初から最後までお腹一杯になりそうな程の心地よい時間を過ごしました。

 メインとなるのは、第一次世界大戦下で、タミーノという若い兵士が愛する者を助けるべくザラストロの砦に向かいさらわれた夜の女王の娘パミーナを救出せんとるすもの。

 鮮やかな田園から駆け上る戦火を荘厳な音楽にのせて始まる冒頭から、死の窮地に陥るタミーノを救出した三人の従軍看護婦のシルエットの艶やかさ、鳥を操るコミカルなパパゲーノを同行する事で描かれていく男と女のアンサンブルの微笑ましさがキャストの声の美しさと映像のカラフルな色彩と絡みながら観る者を離さないマジックをかけられたかのよう。

 写真を観ただけで一目惚れという愛の心理も出会う事によって惹き込まれ、またザラストロという男の掲げる矜持や戦争への視点もスッと入り込みやすい。夜の女王の美声も戦車を吐き出しながらの映像と重なって攻撃的なフォルムを呈しているかのよう。

 やがて、パミーナを愛するタミーノの前に立ちはだかる試練が作品の中盤で掲げられるのですが、その内容を咀嚼するよりも眼前に立ちはだかる劇中に溶け込んだオペラというアンサンブルに身を委ねるのが耳と目に極上の体験をさせてくれる。

 戦場での邂逅はある作品を思い起こさせる。戦火を突き抜けるような美声で彼らの銃口を押し留まらせた『戦場のアリア』でも語られるのは彼らの静かな思いだったはず。

 映像は絢爛豪華ながらも、色彩に頼る事無く回転するカメラと上からのショットに酔いしれ、そして愛を交わす恋人達の違う事なき思いは戦場を凌駕するロングショットに象徴されていく。

 ケネス・ブラナーはコンスタントにオペラというものを魅せていく。彼の創り上げたモーツァルトの歌劇を堪能し、生き生きとしたキャストのアンサンブルに微笑まずにはいられない。

 題名ともなっている『魔笛』ことマジックフルートの奇妙に心地よい音色はやがて彼らの歌声と重なり、戦場の砲撃をも駆逐し、そして現代にも残る戦争をも突き破る強さを兼ね備え、音の楽しさを広げて行くという点で聡明な思いを託している。



監督・脚本 ケネス・ブラナー
音楽 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
出演 ジョセフ・カイザー
   エイミー・カーソン
   ルネ・バーベ
   リューボフ・ペドロヴァ
   ベンジャミン・デイ・デイビス

7月18日 テアトルタイムズスクエアにて鑑賞

『魔笛』 (The Magic Frute)
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2007年06月16日

舞妓 Haaaan!!!3

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 まぁここまでやりたい放題やられると、もう言葉も出ない・・・というか趣味に生きる事が高じて、人生がどんどん違う方向にハイテンションで上がってく様を阿部サダヲがこれでもかとスクリーンに叩きつけられていきますね。

 東京の食品会社で働く鬼塚公彦(阿部サダヲ)は、とにかく舞妓が大好き。京都での修学旅行で道に迷った挙句に迷い込んだ、路で出会ったのは、世にも美しき舞妓。

 それ以来、自分のホームページに舞妓の写真をUPしては、悦に浸る毎日だったが、実際にお茶屋デビューをしたことも無い・・・

 我を振り替えず突っ走る様が阿部サダヲの体の演技によって、あっちにこっちに振り回されっぱなし!?まさにガールフレンドが柴咲コウというのも面白いけれども、そんな彼に夢中でも京都出身だけで突き合っているという体たらく。

 そんな鬼塚は、何故か京都支社に転勤が決まり、歓迎会もそっちのけで、お茶屋に向かうのだが。そこにはあらゆる壁が立ちはだかっていくのだ。

 そして鬼塚を追って富士子(柴咲コウ)も京都にフラッと来てしまい、人間模様がコミカルに、時にはシリアスに京都のお茶屋街で交錯していく。

 自分の趣味以外はことごとく転進していく様もまた勢い抜群で、観ている間は有無を言わさない展開劇と阿部サダヲの右に左に上下に動き回るハイテンション演技がまたも意外と心地よく、観客は彼の行動に釘付けになっていく。

 こんな人そうそういないと思いつつも、舞妓に向かって前進あるのみという彼のステータスが清々しい一方で、HP上で因縁のある野球選手・内藤(堤真一)とのドロドロ?破天荒な競争劇が合間って、これもまた楽しい。

 この作品を観て感じてしまうのが、舞妓に見惚れた男、そしてお茶屋を舞台にしつつも、思わず見えてくる人間のほろりとさせられる情、好きな男の為に奔走してしまう女の悲しみが、意外とまとまりのある形で提示させれれていくのが上手い。

 そして、今まで大して意識したことの無い舞妓という存在をこれでもかとフューチャーしているのも興味津々。舞妓さんにもそれぞれあって表情やらしぐさやら、それに至るまでの厳しい側面などを覗かせつつも、富士子が始めて駒子に出会う時に思わず「かわいい〜」と言ってしまうあたり未知の美しさに溢れている。

 ただの舞妓ファンのハイテンションなコメディの部分と、内藤、そして富士子、駒子(小出早織)の絡みのシリアスな側面がもう少し噛み合わせ良く描かれていけば、スッとしたのも感じただろうが、そのギャップに違和感を感じてしまうのも正直あった。

 ただ好きなものを失わない為に、好きな事をする為にがむしゃらに生きていくパワーにみなぎった演技をした阿部サダヲはやっぱり凄い。ブリーフ一枚で京都を駆け巡るその勢いは劇場内に溢れた笑いが彼を享受し、心地よいテンションを保っていた事を示してもいるだろう。

 京都は日本の宝です。とこんなセリフの映画が観れるとは思ってもみなかった。久しぶりに実家は無いけれど、京都に帰って、子供の頃に浸ったあの雰囲気を味わいたいなと思った。



監督 水田伸生
脚本 宮藤官九郎
出演 阿部サダヲ
   堤真一 
   柴咲コウ
   小出早織
   伊東四朗

6月16日 吉祥寺東亜にて鑑賞

『舞妓 Haaaan!!!』
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2007年04月09日

ママの遺したラヴソング4

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 その男の名はボビー・ロング。かつては教師だったが、今もなお心に秘めた思いを隠しながら、他人の言葉を語る。酒に溺れ、健康を厭わない。

 パーシー(スカーレット・ヨハンソン)に、長年会っていなかった母の訃報が届く。男との怠惰な生活を捨て、ニューオリンズの生家に帰ると・・・

 そこには見知らぬ二人の男が住んでいた。しかも酒臭いし、何もしていない。ただ毎日を過ごし、時には音楽を奏で、下ネタを炸裂させる。

 元文学部の教授のボビー・ロング(ジョン・トラヴォルタ)と彼を題材にした本を書き続ける青年ローソン(ガブリエル・マクド)の二人はパーシーにかつての女性を重ね合わせる。

 母の顔を少しずつ知るうちにパーシーの顔にはほのかな灯が点っていく。今まで知らなかった母を二人のやさぐれた男と近隣に住む粋な男性達によって知る姿は初々しく素敵だ。

 新しい生活を始めるうちに、反発していたパーシーの心はほぐされていく。二人に囲まれつつも、心が融解されていくのだ。

 ボビー・ロングの正体は自ずと作品を観ている内に感じ取れてくる。彼の内面と行動、そして何かを語る時に様々な文章を引用し、過去にすがりつく男の悲哀がジョン・トラヴォルタの演技を通じてみしみしと伝わってくる。ここにあの『パルプ・フィクション』のスタイリッシュでカッコいいジョン・トラヴォルタは存在しないかと思ったら、ラストに至るにつれ彼の本来の魅力が燦然と輝き渡っていく。

 二人の同居人に戸惑いを覚えながらも、自分の言葉と未来を知る少女をスカーレット・ヨハンソンが魅力たっぷりに演じている。色気よりも目で語り、自分の未来と過去を同時に切り開く切なさと憧憬を滲み出していく。

 彼らに寄り添うように出演するローソン役のガブリエル・マクドの微妙なスタンスもまた微笑ましいし、隣人達のパーシーをかつての母親に重ね合わせていく視線が優しく響いてくる。

 ラヴソングに隠されたある男達と少女の物語とは何なのか。そして彼らがかつて行ってしまった罪と罰がスクリーンを通じてサラサラと顕になり、そこから見出される人間賛歌もまた調度良い。ストーリーのトーンがやや単調で、物語に引き込む吸引力が欲しかった所だが、ほのかに人間の深みを味合わせてくれる物語は心地よかった。

 人間が生きていくのは確かに難しいのだろう。そしてそこから少しずつ一歩を踏み出していこうとする気概の先にも困難は待ち受けるのかもしれない。けれども愛と言葉を知る歓びには敵わないはずである。

監督 シェイ二ー・ゲイベル
出演 スカーレット・ヨハンソン
   ジョン・トラヴォルタ
   ガブリエル・マクド

4月8日 シネスイッチ銀座にて鑑賞

『ママの遺したラヴソング』 (A LOVESONG FOR BOBBYLONG)
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2007年03月26日

蟲師3

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 蟲というと・・・何か蠢いている物体や得体の知れない怖さやおぞましさを感じてしまうものです。

 耳が聞こえなかったり、目が見えなかったりと、普通は病気が所以となる事象がこの作品では蟲の仕業として捉えられていました。

 ギンコ(オダギリジョー)という若い蟲師が登場し、それらの原因を蟲の仕業として封印する雪に囲まれた旅先でその能力を仔細に現していく。

 オダギリジョーの独特の雰囲気も重なってか、蟲による仕業という不可思議な現象もまたゆるりと説明されるくだりは何故か心地よい。

 やがてギンコは、虹に似た蟲を追い求める男・虹朗(大森南朋)という野暮な風体の男と旅を共にする。目的地は蟲を文字で封じる淡幽(蒼井優)から住む屋敷。

 そして、ギンコのパートに深く関わってくるのは、ある池のほとりに住むぬえ(江角マキコ)という蟲師と母を事故で亡くした少年のある種の邂逅劇である。

 ギンコが宿す蟲の正体とはいかなるものなのか・・・そして彼が蟲を引き付ける理由とは何なのかというテーマをプロットに幻想的な物語がゆっくりと進行していくのだが。

 どちらかというと現れていく蟲の映像は光と闇を基調としている。誰もが抱える人間の性質を端的に現しているのか、もしくは人が持つ性質を蟲というものに見立てた描きを癒すという宿主の宿命を描いているのかはどことなく判然し難い。

 本来、ギンコが宿すものの経緯については、ぬえのパートに深く関わっている。近づいてはいけない池に魅了されたぬえは、そこに巣食うとこやみという蟲の調査をしている。

 蟲が人に近づき、何かの仕業をしている部分が描かれていく一方で、蟲に近づきをの能力に惹かれてしまうという怖さと好奇心を織り交ぜながら描いていくので、蟲という存在のスタンスがやがては見えにくくなっており、物語のラストでは歯がゆい思いを覚えてしまうのは惜しい所。

 そんな蟲を取り巻く映像は幻想的にして、近寄りたくない空気を全面に押し出していく。遠くから見ている分には構わないけど、決して触れたくないおぞましさも感じる。

 ギンコを演じたオダギリジョーは独特の語りと存在感が顕在。最近、気付いたのだけれども、オダギリジョーという役者は、物語の不安な部分を説明する演技に長けた俳優だと思う。心情をほのかに乗せ、そして優しき語り口で紐解くのが実に上手く、言葉の存在感を示す。

 旅を共にする大森南朋の垢抜けた存在感が心地よいし、スクリーンに映るだけでその場をさらい、ため息をついてしまいそうになる美しさを兼ね備えた蒼井優はやはり存在感の天性を持っている。

 全体的なトーンは惹きつけられる部分があるものの・・・蟲を基盤とした人間のストーリーテリングがかなり見え難い作品。体と映像だけで表しても、ついていけないのは、相互関係がぼかされ、ストーリーへの関わりが希薄な性だろうか。

 この作品に登場する、蟲はもしかしたら、どこかにいるのかもしれない。人に影響し、また人が影響を与える蟲。生態系を崩す事無く、共存していく彼らもまた偶々、寄生してしまうだけで、排除されるのははなはだやっかいのようだ。

 ただ、不思議な物語として片付けるのは惜しい気がする。魅力的な映像は良いのだけれども、どこか浮遊したまま終わるラストがまた退廃的な雰囲気を醸しだしている。


監督 大友克洋
出演 オダギリジョー
   蒼井優
   江角マキコ
   大森南朋

3月25日 吉祥寺バウスシアターにて鑑賞

『蟲師』
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2007年02月28日

松ヶ根乱射事件3

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 人間の不条理な部分、毒の部分、辛辣な本音がスクリーンを席巻する。

 90年代の初頭という時代が、その頃にヒットした音楽で違和感を差し出しながらも、松ヶ根という田舎町の姿を描いていく。

 外に吐き出すことの出来ない、退屈な田舎町。警察官の光太郎(新井浩文)は、日々、ネズミ捕りにかからないネズミに悩まされ、生きている。

 彼の家は畜産業を営むが、母は祖父のボケに疲れ、父は外に愛人を作り、愛人の娘を身篭らせている疑惑を持つ。

 双子の弟、光(山中崇)は実家を中途半端に手伝っており、何かと怠惰な生活観が漂う。姉の憤りもどこかこの町ではスルリとすり抜け、脱力感が襲ってくる。

 冒頭に示された雪の上に倒れている女性の構図が物語の発端ともなり、ひき逃げにより怪しいカップルに恐喝される光、誰とも寝てしまう女性の娼婦的理容室の裏側と、光太郎の過去がズルズルと語られていく。

 淡々と進む人間の情けなさや性欲、戻す事の出来ないあまりにも皮肉な人間達の狂騒劇は、どこにも問題の無さそうな田舎町の、あまりにもバカらしい側面を見せる。しかし、観ている者の心を覗き込まれるような嫌悪感をあぶり出していくリアリズムは、人間が本来考えている事を表出しありのまま描いているだけではないか。

 そんな姿が、むき出しになっていく過程を淡々と見せているだけなのにスクリーンから一時も目が離せない。これはある種の虚構と思える事も出来ない。何て醜く、狂気の沙汰なのかと目を疑いたくなる。

 警察官という職業の片鱗も見せない光太郎を演じた新井浩文。一見して真面目な公務員に見えるが、結局はただの男。結婚を眼前にしても、ふいに戻ってきた父(三浦友和)の振る舞いに憤り、自分の心を守ろうとけしかけるが、過去を洗い出され言い返せなくなる表情と演技が面白い。

 光を演じた山中崇も輪にかけたようなダメな奴で、ズルズルと深みにはまって行く、心が弱く、猜疑心の強い若者をニヤニヤと笑いながら演じる。これが不気味でまた、観ていて情けなくなる男の姿を秀逸に表現している。

 怪しきカップルの女性を演じた川越美和が凄い。観ていてムカムカするような喋り方。相手の心をなし崩しにしてしまうかのような嫌悪感を覚えてしまう。男性の方が木村祐一で、憎たらしく卑しい人間をネチネチと演じている。

 誰だって、心の中に嫌な部分や弱さ、疑いたくなるような本音を隠しているものだ。普段は皆、そんな姿は少しベールに包んで見せないものだが、徹底した人間描写の筆力によって語られていくありのままの姿が醜くも、分からないでもない。

 物語の事件についてもう少し描写が欲しかった所だが、作品の語る不条理なほどの窮屈な感じを外に開放するラストの乱射までもが、歯にモノが挟まったまま終る演出が、リセットにも感じられるが、また田舎町の閉塞感に戻っていく。

 これは田舎町に住む人間達の欝屈した感情の行き場の無い物語である。毒素は強い。好みという人がいたらそれはそれで美味いのでは無いかと思う。



監督 山下敦弘
出演 新井浩文
   山中崇
   川越美和
   木村祐一
   三浦友和

2月28日 テアトル新宿にて鑑賞

『松ヶ根乱射事件』
matsuganeransyaziken-t
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劇場公開作品

【2010年2月】

パレード★★★★

ルド and クルシ★★★

抱擁のかけら★★★

おとうと★★★★

インビクタス/負けざる者たち★★★★


【2010年1月】

ゴールデンスランバー★★★

ボーイズ・オン・ザ・ラン★★★★

フローズン・リバー★★★★★

Dr.パルナサスの鏡★★★

ミレニアム ドラゴンタトゥーの女★★★

板尾創路の脱獄王★★★

かいじゅうたちのいるところ★★★

(500)日のサマー★★★★



【2009年12月】

誰がため★★★

蘇りの血★★★

アバター★★★★

のだめカンタービレ 最終楽章 前編★★★

THE 4TH KIND フォース・カインド★★

インフォーマント!★★★

ジュリー&ジュリア★★★★

パブリック・エネミーズ★★★

カールじいさんの空飛ぶ家★★★★


【2009年11月】

ニュームーン/トワイライト・サーガ★★

戦場でワルツを★★★★

2012★★★

イングロリアス・バスターズ★★★★★

脳内ニューヨーク★★★★

Disney’s クリスマス・キャロル★★★

ゼロの焦点★★★

大洗にも星は降るなり★★★

スペル★★★★★

【2009年10月】

わたし出すわ★★

風が強く吹いている★★★

母なる証明★★★★★

沈まぬ太陽★★★★

アンヴィル!夢を諦めきれない男たち★★★★★

パイレーツ・ロック★★★★

さまよう刃★★★

クヒオ大佐★★★

戦慄迷宮3D THE SHOCK LABYRINTH★★

狼の死刑宣告★★★

悪夢のエレベーター★★★

エスター★★★★

パンドラの匣★★★★

カイジ 〜人生逆転ゲーム★★★

私の中のあなた★★★★

ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜★★★

ワイルド・スピード MAX★★★

【2009年9月】

ドゥームズデイ★★★

男と女の不都合な真実★★★

あの日、欲望の大地で★★★★

アドレナリン:ハイ・ボルテージ★★★

空気人形★★★★

カムイ外伝★★★

プール★★

ウルヴァリン:X-MEN ZERO★★★

サブウェイ123 激突★★★

【2009年8月】

マーターズ★★★★

グッド・バッド・ウィアード★★★★

女の子ものがたり★★★★

ナイトミュージアム2★★★

20世紀少年 <最終章>ぼくらの旗★★

30デイズ・ナイト★★★

南極料理人★★★★

ノーボーイズ、ノークライ★★★

96時間★★★★

トランスポーター3 アンリミテッド★★★

キャデラック・レコード 音楽でアメリカを変えた人々の物語★★★

縞模様のパジャマの少年★★★★★

色即ぜねれいしょん★★★★

HACHI 約束の犬★★★

3時10分、決断のとき★★★★★

G.I.ジョー★★★

ボルト★★★★

サマーウォーズ★★★

コネクテッド★★★★


【2009年7月】

バーダー・マインホフ 理想の果てに★★★★

セントアンナの奇跡★★★

セブンデイズ★★★

アマルフィ 女神の報酬★★

ハリー・ポッターと謎のプリンス★★★

サンシャイン・クリーニング★★★★

モンスターVSエイリアン★★★★

ノウイング★★★

ごくせん THE MOVIE★★

MW -ムウ-






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