映画 「や行」

2009年12月26日

蘇りの血3

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 何だか毒々しい色濃い映像は、ずっと観ているとこの世界には近づきたくない檻のような危険性と神秘性に満ちている。

 息が詰まるぐらいの緑とそれに染まる赤い血の辿りにずっと耐えられるかというと難しく、出来ればグッと堪えて観なければならないかというと、展開が妙に不気味な勢いを備え、不可思議な痛みを伴うため実感のわかない世界として切り離せるのだ。

 でも何て言うのだろうか。このうだるようなまどろっこしい空気は。夏に観たら確実にダウンしてしまいそうな空気の密度。

 そんな密度を映像に乗せるのだから凄いし、どこかしらの天性のようなものがあるのかと思いきや、テレビでやっていた豊田利晃のインタビューで最近彼は温泉へ良く行くのだという。
 
 そうかこれはあの湯気が滞りなくあふれ出てくるような映像に監督の日々の気持ちがリンクしたのかもしれないと全然別の事をも考えてしまった。

 さて物語だが、身体を業病に蝕まれた闇の世界の大王(渋川清彦)がいて、天才按摩のオグリ(中村達也)が彼の病をどうにかして楽にさせようとするのだけれども、身体という嫉妬は爆発して、大王はオグリを殺す。

 大王を助ける者でさえもその身を自由にせず隷属と化すならば、オグリが静かに反発したゆえの帰結なのだが、作品の世界が荒唐無稽でありながらもどこかで引っ張られるような強烈な映像の香りが強いため、普通ではありえない展開で進んでいく。

 オグリは一度死に、彼に親しみを覚えたテルテ姫(草刈麻有)は彼を現世に蘇らせるべく、ひたすら蘇生の湯へと懸命にいざなおうとする。

 もちろん半ば気の狂った感じの大王も追いかけるし、また別の追っ手も彼らの処遇に取り入ろうとする。

 蘇るという事は常に頭に付きまとう。あんな死に方をした人間がどのような形式でこの世へと再び帰ってくるのか。時間や空間といった隔たりやたとえ蘇ったとしても大王の手によってまたもや現世における肉体を滅ぼされるのではないかと色々と溢れ出る。

 それ以上は何だか信じられない様相へと向かっていく。新鮮な血がもたらすあまりにもどぎつくて欲がうずまくこの世の地獄のような世界において生きる事さえもないがしろにする悪欲が駆逐されるのか。

 何にしても絶対悪というどす黒い精神に切り込む斬鉄の響きこそが、セリフの妙な雰囲気に乗って瞬く間にぐわぐわした後味を残して終わり、何とも言えない赤と緑の色彩にまみれた絵の具のような残った黒さが心の中に沈殿する。



監督・脚本 豊田利晃
出演 中村達也
   草刈麻有
   渋川清彦
   新井浩文
   板尾創路
   マメ山田
   市鏡赫
   大嶋宏成
   櫛野剛一
   村上マサト
   鈴木卓爾
   松岡恵望子
   松岡璃奈子

12月26日 ユーロスペースにて鑑賞

『蘇りの血』
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2009年03月08日

ヤッターマン3

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 うーん何だか観終わった後に飛びっきり甘いカクテルを飲みたくなる感じ。初めて体験するタイムボカンシリーズ!?は実写版。アニメーションをリアルタイムで観た事の無い私でも楽しめるか不安だったが、冒険活劇よりも、どこかしらずれたコンビネーションの波及が面白い。

 しかもこれラブストーリーだったんですね。ガンちゃん(櫻井翔)とガールフレンドの愛ちゃん(福田沙紀)はヤッターマン1号&2号としてドロンボー一味と戦っているという設定はあるんだけど、これはこれはキャラクターの大活劇で、それに輪をかけて役者がいい味出してます。

 やはりこの作品で一番注目株はドロンジョ演じる深田恭子。あらやだー的なエロチシズムと胸の谷間を強調した衣装の巧さを持ち合わせた乙女心を忘れない可愛らしいキャラクターであると同時に名目ある戦いで不名誉な敗北と悲惨な状況に陥るパターンはこの作品の醍醐味である事は確実です。

 そしてドロンジョと共にヤッターマンを倒そうとするボヤッキー(生瀬勝久)とトンズラー(ケンドーコバヤシ)ですが、ボヤッキーを演じた生瀬のなりきりぶりが凄く、その痛々しさとメカ造りを基点とした物語進行の速度のゆるさに一役買っているようで、ボヤッキーの衣装に包まれながらも役者・生瀬勝久の本領発揮。お見事ですね。

 まあそれぞれ敵なのにほのかな夢があって微笑ましく、日常の中に不敵なコスプレが入り込むという違和感の笑いもあり、また全編に渡ってオーバーなエロエロ加減をヒートアップさせ、これは思わず子供むきではないのかもしれないとふと思うのですが・・・まあそれは愛嬌としてあまり気付かずにスルーしてあげるのが大人の対応かもしれません。
 
 さて、そんなヤッターマンは、とある考古学者海江田博士(阿部サダヲ)の一人娘・翔子(岡本杏理)から父がドクロストーンを探しにいったきり行方不明になってしまったので一緒に探して欲しいと頼まれます。

 それなりに準備していくのかなと思ったら、ヤッターワンを出動させて乗り物の脇にポーズを取ったまま、目的地のエジプトまで行くのだからなんともビジュアルに凝った破天荒なノリ。作品が疲れを知らないものだからそのままのハイテンションで抜け作な部分を融合させて進んでいくのですね。

 いやいやそれとドクロべエの声が滝口順平さん。私が子供の頃に良く観たアニメ「ひょっこりひょうたん島」などでも大活躍していましたが、この独特の声の上手さは作品にある種の世界観を与えているようで声のスペシャリストの卓越した雰囲気が凄いです。

 アクションでも様々な武器やらメカやらが満載。どこかブリキの玩具がひとりでに動き出すかのようなワクワク感。そして思わぬ子供に立ち返ったかのような視線で見せるロマンスの瞬間。

 全てをひっくるめてどこかしら遊びながらも人間の姿をスクリーンに映しこみ、CGを巧みに使って現代に蘇ったアニメーションの面白さは十分伝わりました。そして実写化という事だけれども動き出した映像はあたかもアニメーションの動の部分を基調とした手作り感がほのかに香る出来。アニメーションと実写の間に横たわるよくばりな温かみをも感じます。

 
監督 三池崇史
出演 櫻井翔
   福田沙紀
   深田恭子
   生瀬勝久
   ケンドーコバヤシ
   阿部サダヲ
   岡本杏理

3月7日 新宿ジョイシネマにて鑑賞

『ヤッターマン』
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2008年11月08日

ヤング@ハート5

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 歌を歌おう。それはこの作品に出てくるコーラス隊が最も楽しみにしている事だ。観るまではほがらかにバラードなどを歌いながらも人々を元気付けるドキュメンタリーだと誤算していた。

 でも歌うのはロックやジェームズ・ブラウン。ソニックユースのスキツォフレニアなんて最初、聞いていた彼らが「こんな曲歌えるのか?」と疑問視した表情でスタジオをどよめかせる感じ。

 そんな彼らはあくまでも意欲的だ。何よりも平均年齢80歳のおじいちゃん、おばあちゃんだからといって物怖じする事は無い。とりあえず歌ってみるという姿勢には、無理に行っているというよりかは、楽しみを重ねた挑戦というバイタリティ以外の何者でもない。

 それに応えるかのようにしごきが厳しい!?ながらも彼らを引っ張り演出、指導を行っていくボブ・シルマンの視線はあくまでも対等。だからこそ歌を歌いステージでそれを披露するという目的に向かって動き出す彼らはそこはかとない魅力を放つ。

 しかし、楽しみを重ねた挑戦というものがあるとしたら、その目的よりも過程にこそあるのではないかと思わせるドキュメンタリーの真髄がこの作品が一番語りたい事ではないかとふと思った。

 コーラス隊は、それぞれの思いを重ねながら歌を歌い、人々の心に宿っていく。中には途中半ばで死を迎える者もいる。

 だからこそ彼らはそのドラマの中で涙を流しながらも、いつまでも一緒に歌い続けているという気持ちを全面にその堂々たる歌いぶりで現しながら進んでいく。

 特に刑務所で歌われるディランの「Forever Young」なんて、その広がり、コーラス隊がつい先ほど聞いた悲しい事実への思いと重なり涙無しでは語る事の出来ないシーンとなっている。それを歌った彼らも聞いた僕たちもそこに流れる賞賛と尊敬の念こそが歌となり心に響いてくるのを感じ取る事が出来る。

 そこにはもう何かを説明して語り、その言い訳を探す事なんてしない。とにかく歌う。歌を歌う事でステージで一緒にその歓びを共感する、その瞬間に向かって。

 カムバックはいつだって可能なのだと、思わせるボブ・シルマンの考え方こそあれ、体に多少のムチ打ってまで参加したいものがあるというのは何と嬉しいことかと彼らは思わず語っているようだ。

 それは彼らが受けるインタビュー、車中での会話、ボブというコーチへの賞賛からも静かに感じ取られる。だが何と言ってもそれが見事に開花するのが彼らのステージ。

 ファンキーなジェームズ・ブラウンの「I feel good」のステージの一体感と、コールド・プレイの「Fix You」が拡げる人間への思い、そこはかとない感情が思わずして彼らが歌う曲はその時、その時の感情が惜しげもなく捧げられていく。

 もちろんそこには絶え間ない優しさもある。何であれ好きな事を続けられる勇気というのは、彼らコーラス隊のこれまでの礎があってこそ。

 また何よりも感じたのは、彼らが歌を歌う事で知る音楽の楽しみ。素養も才能も抜群だが、歌う者もそれを聞く者も時を同じくしてステージで味わう極上の瞬間こそがこの作品、コーラス隊がそっと教えてくれる醍醐味ではないかと。

 その過程こそが彼らの目的、そして何よりも生きる矜持となり輝く。上辺ではないまがう事なき新鮮な歌を皆で感じあおう。だからこそ年齢は関係なく思わず口ずさみたくなるメロディがそこにはあり、人々が同時にもたらす歓びとなる。

 そう思わずそのノリの良さと快活なメロディに心奪われるようなポインター・シスターズの「yes we can can」の文字通り、嬉しい快作でもある。



監督 スティーヴン・ウォーカー
出演 アイリーン・ホール
   スタン・ゴールドマン
   フレッド・ニトル
   ドラ・モロー
   ボブ・シルマン

11月8日 シネアミューズ イースト/ウェストにて鑑賞

『ヤング@ハート』 (原題 YOUNG@HEART)
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2008年10月05日

容疑者Xの献身3

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 人の心の謎を解くのは難しい、また誤った人の心を受け止める事も。ただ単にある種のトリックとして捉えたならば、この事件は解決しないであろう。ただしラストにくっきりと浮かび上がる"献身"の二文字はもの悲しい。

 福山雅治主演で2007年に始まった湯川学という物理学者が謎を解いていくガリレオシリーズもまた、人の心とは密接に関わりがありながらも、客観的な視点で目の前の謎に興味を持った湯川は次々と謎を解いていった。

 ゆえに、他者との距離のとり方は抜群。少しずつ容疑者だと確信した人間に近づきながらも、謎を鮮やかに解き、福山雅治の華麗なる演技で魅了したシリーズとはこの作品は一線を画する。

なぜならば、この作品に描かれた男の物語の誤算。そしてそこに生み出された運命ともいえる人間の皮肉に対して答えを出す事にためらいを見せる湯川の表情が行間を通じて迫ってくるからだ。

 一幕にしてある男・石神哲哉(堤真一)の朝から始まるこの物語は、隣人へのほのかな思いを感じ取らせるプロローグから始まる。弁当屋の朝の風景から、焦点はこの隣人・花岡靖子(松雪泰子)が犯した罪に接近し、そこに石神の影が訪れる。

 まるで数学の理論のように打ち立てられた、鉄壁のアリバイは崩れそうに無い。離婚したにも関わらず靖子に付きまとう元夫の富樫は死体となって発見され、死亡推定時刻には、花岡靖子と娘は遠く離れた映画館にいたという事実があった。

 この作品を観るまでは、かつて読んだ原作の細かい内容までをも覚えていなかったためか、アリバイトリックというラストのオチを知っていても楽しめた。何よりも、あの頃読んだイメージとは裏腹にキャストが堂々と演じている迫力、そしてすっかり自分のハマリ役に仕立てあげた福山雅治の好演が頼もしい。

 一見して、地味な役柄である石神哲哉には、堤真一はハンサムすぎると思ったが、そこはぼそぼそしゃべり、自信の無さそうなふてぶてしい感じが新鮮で、役柄で惹き込むのだから凄い。

 それに輪をかけて印象に残るのは、松雪泰子の生活感が漂う表情。疲れた美人というまさにその顔。娘を抱えて健気に生きてきた女性のこれまでが見えてくる演技に打ちひしがれる。

 殺された靖子の夫と隣人の数学者。容疑者の靖子には誰にも崩せないアリバイが存在した。このアリバイトリックが明かされた時も衝撃だが、それほどまでに追い詰められていたのかという石神という男の人生に関わる究極の選択であった事は言うまでもないであろうか。

 そしてその謎に辿り着いた湯川は迷う。今まで人間には関心を持たず、謎だけを解いてきた男の顔に他人の心が生み出した謎には手を付けられないと、その手で紐解いてしまうにはあまりにも無残なその献身の意味に。

 まさに苦悩の瞬間が訪れた背中を押すのは誰か。そしてXの出した問いの解を導き出す事で訪れるラストが語る男と女の誤算はあまりにも愚かであるがゆえ、その謎を受け止める覚悟を持ったのだろう。

 何よりも、印象に残ったのはドラマシリーズよりも重厚にドラマを作り上げた事。それはイメージを通り越した大胆なキャスティングが少々功を奏しているかもしれない。

監督 西谷弘
原作 東野圭吾
出演 福山雅治
   堤真一
   松雪泰子
   金澤美穂
   柴咲コウ

10月4日 吉祥寺プラザにて鑑賞

『容疑者Xの献身』
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2008年08月08日

闇の子供たち4

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 カメラの先に捉えられた表情。この壮絶なタイで行われている幼児売春の実態には反吐が出る。何を据えても、落ち着かない。

 おもむろに冒頭で金銭の取引と、一人の少女が淡々と買われて行くシーンから始まる。うだるような暑さのバンコクで厚着をした一人の男の表情は虚ろで不気味さを感じ取らせる。

 時にして、そのような情報を伝える側の人間もいる。新聞社のバンコク支局で主に幼児の人身売買を追いかける記者、南部(江口洋介)は、様々な情報源を追い求めていくうちにある噂とも取れないある事を耳にする。

 それは、日本人の子供の心臓移植の為に、人間が生きたまま売り買いされるという信じがたいもの。もちろん売られた幼児は死んでしまう事は紛れも無い事実である。

 重なるように登場する女性もまたこの事実を知る事になる。タイにボランティアでやってきた恵子(宮崎あおい)は最初は唐突な感情のままこの地にやってきて、何かを漠然と行うかのような目的がはっきりしない女性像に見える。

 しかし、その心はあまりに純粋なあまり、身体が先に動くタイプ。理詰めで行動できないからこそ、南部が臓器移植をタイで行おうとする家族の取材に同行しても感情論が先立つ。

 見据える事が出来ないほどに、命に対する価値観の無さをこれほどまでに投げ出した阪本順治監督の視点はそのリアリズムを嫌が追うまでに見せる。

 子供を買いに来る幼児性愛者の外国人の姿とその汚らわしい獣のようなシーン。病気(HIV)に感染するとゴミ袋に入れられ捨てられ、セックスで男の子に薬を沢山飲ませ死んでしまった後始末にカードをあっさり渡すその心理の深い闇に彼らは気付かないのであろうか。

 あらゆるそれらのシーンに普遍的に漂う空気は紛れも無いほどに、人間をただの物同然かのように扱い、手なずけ、服従させる狂気の性を蔓延させている。

 南部と恵子そして、南部を手伝うフリーカメラマンの与田(妻夫木聡)、南部の新聞社の同僚(豊原功輔)はそれぞれにこの事実に向き合う事になる。

 人の命は値段で買えるものか、その葛藤劇はタイで臓器移植を行おうとする子供の両親にも圧し掛かる。その裏側で失われるまた一つの命の重みは、理詰めで行動しても、静観しても、どうにかして止めようとしても変えられない事実として与田のカメラのシャッターによりその瞬間を切り取るしかないのかと・・・

 そしてこの作品は思わぬ命題をつきつける。人の善悪の判断ほどブレがあるものはないと、その葛藤と重圧に押しつぶされそうになった時、人は振り返る。そしてその時動いた心は嫌なほどに自分を殺そうとすると同時に、その手を放された男に残ったものと繰り返されたこの地の地獄は、延々と観終わった後も引きずり続ける。

 この作品が語る真実は、何も知らずに連れられ、何事かを強要され、金銭で取引されていった子供たちに罪はないと、恵子の行動からそれは頑なに現れている。

 

監督・脚本 阪本順治
原作 梁石日
主題歌 桑田圭祐
出演 江口洋介
   宮崎あおい
   妻夫木聡
   佐藤浩市
   鈴木砂羽

8月8日 シネマライズにて鑑賞

『闇の子供たち』
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2008年03月04日

4ヶ月、3週と2日4

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 とてつもない緊張感。全く回りの会話も耳に入って来ない。1987年のチャウシェスク政権下のルーマニアで繰り広げられる違法行為を、1人の女性の視点から描くゆえにその日常が愛おしいほどに辛辣な世界が広がっていく。

 妊娠しているのはガビツァ(ローラ・ヴァシリウ)。その違法中絶を手助けするのは、オティリア(アナマリア・マリンカ)。その一点に物語を収束させルーマニアという国の情景が際立つ。

 ガビツァがなぜどのようにして妊娠したのかという背景は示される事無く、またなぜオティリアがそこまでして彼女を助けようとするのか?という勢いも心情も坩堝にはまるかのようでしっくり来ない。

 チャウシェスク政権下のルーマニアは絶対的な人口大増進政策により、違法中絶を行うと重罪が待っているという緊迫感は最初は感じられない。しかし寮を出たオティリアがホテルに行くと予約が入っていない。中絶を手助けする男へ会いに行くはずだったガビツァの不用意により、物語は思いもよらない展開へと流れ込んでいく。

 なぜこれほどまでに、物語に緊張感を施す事が出来るのであろうか。私は、見ている間オティリアというヒロインに完全に肩入れしていた。

 彼女の心情は放心し、覚悟へと苛立ち、ガビツァというどこかワガママで全く緊張感の無い女性にこれほどまでに奉仕する彼女の心情とは何なのか?という変遷を違法中絶を助けるという行動のみを淡々と追っていく展開にノックアウトされそうになる。

 また当の妊娠した女性ガビツァの、声色や態度から感じ取るその恐怖と精神的な支柱を完全にオティリアに頼りきりな現実感に乏しい雰囲気がより一掃オティリアの行動に拍車をかけていくゆえに、対照的な二人の心情が行動によって見事に入れ違っていくのにイライラを覚えてならないのは、この物語にすっかり乗ってしまったと気付かされる一手となる。

 最初、この作品のメインポイントは違法中絶が果たして成功するか?という一点のみに尽きると思っていた。

 しかし、オティリアの行動を追ううちに、この先恐らくオティリアとガビツァにとって決して忘れる事の無いある一日の行動の展開と帰結。それに付随する絶え間ない窮屈な心の内包を強烈なロングショットから描き出す疲労感の滲み出る物語である事が分かる。

 野犬の跋扈するルーマニアの街を歩くオティリアの背中に漂う空気の重さ。恋人の家に招かれながらも、ホテルにいるガビツァの事しか頭に無いオティリアの表情のそこはかとない疲労感を見ていくうちに、彼女に抜け出せる出口はあるのだろうかと歯がゆくて仕方の無い徒労感が襲い掛かる。

 ガビツァが妊娠してから4ヶ月、3週と2日に起こった一日の空気が語るのは、違法中絶の是非を問う事ではなく、何かが起こった時に切り開いていくオティリアという女性のある種の強さではないかと頭の中に染みこんで来る。

 またオティリアという女性には過酷な状況が訪れるものの、これほどまでして打算という心を働かせながらも、一つの行為を完遂させようとする女性の強さというものに抗いがたい魅力を感じ、その強さに打ち付けられた作品の絶え間ない緊張感が崩れる時、オティリアにそっと温かみを与えたくなる。

 
監督・脚本 クリスティアン・ムンジウ
出演 アナマリア・マリンカ
   ローラ・ヴァシリウ
   ヴラド・イヴァノフ
   ルミニツァ・ゲオルジウ

3月3日 銀座テアトルシネマにて鑑賞

『4ヶ月、3週と2日』 (原題 4 LUNI, 3 SAPTAMINI SI 2 ZILE)
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2007年12月18日

ユゴ 大統領有故4

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 一国の大統領が暗殺されたとしたら、それは一大事、ただ事ではない。韓国の歴史で最も謎が多いとされたパク・チョンヒ大統領暗殺事件を題材につくり上げられた文字通りの力作である事は間違いない。

 しかし、よくある暗殺劇とは一線を画し、徹底してそこにいる人間の素の部分を生かした演出。役者にスタイリッシュさは皆無で、とにかく行き当たりばったりの犯行を犯す無計画性が見事に露呈していく様は見事にして人間の滑稽さを全面に押し出していく。

 はたと見ると、締まりの無い作品に見えるがこれが意外と面白い。

 登場人物が多いのにも関わらず一つの事件を軸にして描かれる大統領の側近達の素顔をしっかりと見せているゆえに、役者の力と事件を様々な角度から見せる事で観ている内一本芯の通った作品に仕上がっていく手ごたえを次第に感じさせてくれる。

 沸点に達したのはとにかく、大統領への心持ちという事になるのであろうが。ぶっちゃけ言ってしまえば仕事に嫌気がさしたから、もう耐えられないという感情論で唐突に暗殺を行うような感じである。

 おそらく様々な思索はあったのであろうが、大統領の腹心としてチャ警護室長との権力闘争にも嫌気が差し精神的に不安定なキム部長(ペク・ユンシク)を中心として、周辺の雑事を嫌々ながらする韓国中央情報部のチュ課長(ハン・ソッキュ)と恩義から参加したミン大佐(キム・ウンス)が物語のキーパーソンとなっていく。

 たまったものでは無いのが。それに巻き込まれたKCIAの職員の人達。チュ課長の勢いに飲まれた彼らもまた闇夜の暗殺劇に加担してしまうのだが・・・

 暗殺という歴史上の到達点までの緊張感は非常にズレ感を起こしながら描かれていく。今まで見てきた暗殺をテーマにした作品で描かれるスタイルのものではなく、非常にじわりじわりと間を置きながら進んでいくのだ。

 キム部長の唐突な実行計画は、もちろん見ての通り破綻している。一見して隙の無い計画のように見えつつも、殺害の無頓着さ、そして後始末の滑稽さから実行犯のキム部長の自信満々ぶりに対して「なぜあんたはそんなに悠長でいられるのか?」と見ている方は呆れる事だろう。

 この作品で最も異彩を放っているのは上記にも散々書かれているがキム部長を演じたペク・ユンシク。心が弱いのか、非常に体面を気にする繊細さを持ち合わせている一方で精神的に不安定な危なっかしい役柄を堂々と演じている。

 自分以外の事にはすっかり無頓着。そして計画の実行に関しても頭の中で組み上げた行き当たりばったりの犯行が上手く行くと思い込むメルヘンの持ち主でもある彼がいる事で、いかにも冷静そうなミン大佐や皮肉なセリフを吐きながらも計画の後始末をしようとするチュ課長の行動が哀れに見えてくる。

 チュ課長を演じたハン・ソッキュはこの作品では一連の計画の遂行の先陣を切る役として非常に印象深く、スクリーンを立ち回りながらもキム部長の滑稽さに対峙して軽さを残した演技と銃撃戦に垣間見る人間性の片鱗を置いていく細やかな演技をして行く。

 話の流れも非常にどうなるかという意味で事件前と事件後の緊張感を二度味わえるという絶妙な按配であり、またとない歴史の一大事件に纏わる人物達の裸の部分をこれでもかとさらけ出してくるこの作品は、あらゆる部分でカッコいい映画では無い。

 しかしながら、人間の思いつきや唐突に行った犯行というものは遅かれ早かれ簡単に露呈されてしまうという皮肉。そしていくら大義名分を持っていたとしても人を暗殺してまで乗り越えた心というのははかなくも虚しいという事実を淡々と物語っている。
 


監督・脚本 イム・サンス
出演 ハン・ソッキュ
   ペク・ユンシク
   ソン・ジェホ

12月17日 シネマート六本木にて鑑賞

『ユゴ 大統領有故』 (原題 The President’s Last Bang)
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2007年12月10日

やわらかい手5

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 自分の心を犠牲にする覚悟というのは、おそらくよほどせっぱつまった限りでない場合を除いてないはずである。

 重病の孫を救うべく立ち上がった未亡人のマギー(マリアンヌ・フェイスフル)は、何とか手術費用を工面しようとするものの、自宅は手放し、借金の抵当も無い状況・・・

 あてども無くさまよい込んだ、セックスショップ「セクシー・ワールド」の接客の求人にワラをもすがる思いで入り込んだら、その接客とはいかに。

 お客さんの案内とかだと思っていたマギーにとって、オーナーのミキが明かした接客とは、マギーの唯一無二とない滑らかな手を使っての商売でした。

 その接客の内容に一端躊躇するものの、孫の命の代償とならばやってしまおうではないかと、一躍奮闘。最初は嫌々ながらも、やわらかい手で商売に身を投じるものの、次第にその能力と口コミで彼女はイリーナ・パームとして絶大な人気を誇るようになってしまう。

 しかし、そこから物語は急転。必死にセックスショップでの商売を隠そうとするマギー。そして唐突に手術費用を出した母親への不審を覚えてしまう息子。事実を知った息子の奥さんの共感、隣人の女性達の明けすかないセリフに対して、マギーの愛の作用は驚きと共に爆発していく。

 それゆえにマギー自身も、心の中では非常に嫌な思いをしたはずである。せっかく身を投じて、もしくは自分自身の心を犠牲にしてまで孫の為に大きな代償を払ったものの、それが受け入れられない事実に唖然としてしまう。

 だが、マギーという人物の心をしっかりと見据えていた人物の温かさが、一筋の光明となり薄暗いスクリーンに温かさを灯していく。冒頭とラストの温度差がこれほどまでに違う作品も珍しい。

 マリアンヌ・フェイスフルの「誰かに見られているのでは?」という隠れ演技が面白い。孫を前にしての美しい慈愛に満ちた病院での一幕がその気持ちを払拭していくシーンとなっては行くのだが・・・

 マギーの払った代償に見合うラスト。これほどまでに好感度の高い心の交流が胸を高鳴らせる余韻は美しく、そして命の繋ぎを観た我々を格別な幸せに包み込む。

 まさにやわらかい手の効用は、こんな時に訪れるのだ。甘酸っぱくて素敵なラストと飛行機が飛び立つ一筋は巧妙に重なりマギーという女性の強さと魅力を秀逸に顕している。


監督 サム・ガルバルスキ
出演 マリアンヌ・フェイスフル
   ミキ・マノイロヴィッチ
   ケヴィン・ビショップ
   シボーン・ヒューレット
   ドルカ・グリルシュ

12月9日 Bunkamura ル・シネマにて鑑賞

『やわらかい手』 (原題 Irina Palm)
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2007年11月10日

4分間のピアニスト5

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 天才とはいかにあるべきか―という苦悩は、抑制の効いたモニカ・ブライトロイの静謐な演技力によって、囚人ピアニストの本能を呼び覚ましていく。

 どこかへ牙を向け、少しでも触れたら恐ろしい反撃がまってそうなほどな攻撃性を備えたピアニストがこれまでいたであろうか。

 刑務所で自殺した受刑者の服からタバコをもぎ取り、普段と変わらないままにその表情をも変えない受刑者のジェニー(ハンナー・ヘルツシュプルング)は、刑務所内で起こるあらゆる事象や他人に対して無関心を装っている。

 自分の内に秘めた音楽性を悟られない為であろうが、その心に他人は露ともせず入り込み、そこに嫉妬や羨望の眼差しをしつこく入れ込んでくる他人への強い憎悪。また自我が強く自分以外への人物へのあまりにも強い反抗心を持ったジェニーの脆さが語られる。
 
 そんなジェニーの天性の才能を正に体のうずきとして感じてしまうのは受刑者達にピアノを教えるクリューガー(モニカ・ブライトロイ)であり、彼女はジェニーの指先から奏でられるピアノに自分の過去の夢と痛みを再考していく。

 かつて愛したある人への静かな融合。それは戦火の悲劇の中で紡いできた音楽への情熱への繋がりとも重なるが、やがてクリューガーにとって余りにも耐えられないであろう事実が提示される。

 年月を経た今、クリューガーにとってジェニーという天性の音楽に出会えた事は、嬉しさであると同時に、どこかで心の中に燃えていた痛みを再び注入していく作業となり、またその過去のある事件から年月を経た老齢のピアノ教師をモニカ・ブライトロイが小さな体躯から迫力ある存在感で演じている。

 オーディションでジェニー役を射止めたハンナー・ヘルツシュプルングの存在をスクリーンに誇示しつつも、その火花はクリューガーがレッスン室を立ち去るシーンで顕になる。ジェニーが看守への攻撃を続ける音と鍵盤を極め細やかに叩く音がその狂気性を見えない部分で描くこのシーンはジェニーという人間へ恐怖を覚えてしまう。

 ジェニーもクリューガーもどこかで今まで感じた事の無い恍惚感を目指していたのであろうか。コンテストに向けクリューガーの音楽の姿勢はジェニーに受け入れられるようになる。

 そこに感じたのはクリューガーのかつての愛とも相似するジェニーという存在への愛の孕みであり、反抗的な態度に裏打ちされた繊細性と自由というものへの表現を内側で燃やしていたジェニーがクリューガーに対して次第に敬意と自分自身を分かってもらいたいと思う気持ちを持ち始めるアンサンブルの美しさでもあろう。

 やっぱり壮絶なほどに美しききらめきを放っているのは、題名にもあるように、ジェニーが演奏する4分間であり、この4分間にクリューガーとジェニーの人間としての本能が見事に打ち付けられている。

 観客にお辞儀するジェニーの姿は、今年観たラストシーンでも忘れられない一つになった。
 


監督・脚本 クリス・クラウス
出演 ハンナー・ヘルツシュプルング
   モニカ・ブライブトロイ
   スヴェン・ピッピッヒ
   リッキー・ミューラー
   ヤスミン・タバタバイ

11月10日 シネマGAGAにて鑑賞

『4分間のピアニスト』 (原題 Vier minuten)
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2007年07月28日

夕凪の街 桜の国4

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 広島という夕凪の街には二度訪れた事がある。子供の頃、僕にとって一つの恐怖だったのは、第二次世界大戦中に広島に落とされた原子爆弾という存在だった。

 62年経った今でも、アメリカに落とされた恐ろしい爆弾によって後遺症に苛まれ、これからの希望ある生を途絶えてしまうという二重の苦が存在し、一瞬にして美しい街を地獄に変えた原子爆弾の恐ろしさが延々と続いていく。

 原爆投下から13年後の広島に暮らす平野皆実(麻生久美子)は、日々を安穏と過ごしながらも、心の中に深い傷を負って生きている。

 弟は疎開していて助かったが、父と妹を爆弾で亡くし、何故自分だけが助かったのか。という一点は過去から手を伸ばし皆実のこれからの希望をまことしやかに打ち砕き、自分が生きていて良い存在なのかという抜ける事の出来ない深淵に落ちている。

 それは皆実が感じる「自分が周りの人間によって死ねば良いと思われる強迫観念」と、「これから歩む人生が幸せに満ちていてはいけないと思う生き恥の概念」を抱え込んでいる事から、その思いは誰もがあの原子爆弾の恐怖から助かった人々が持ちえた地獄なのではないかと、スクリーンに映る皆実の心情が痛ましいほどに滔々と心を締め付けていくのだ。

 そんな思いを抱えた皆実はある打越(吉沢悠)という人物と弟の旭(伊崎充則)によってほのかに心を救われていくのだが、皆実は原爆症の床に伏せる事になってしまう・・・

 そして平成19年の夏の東京から再び、心の旅路は続いていく。皆実の弟、旭(堺正章)は、娘の七波(田中麗奈)に挙動不審な行動を怪しまれている。

 ある夜、娘に内緒で家を無断で出た旭を追って、七波は偶然駅で会った友人の利根東子(中越典子)と父の後を追う。夜行バスに乗って着いた場所は広島。七波と東子にとってこの旅路はある事実を知るという分岐点を持つ。

 父の旭は、かつてあったある場所を追うように広島を闊歩する。そして七波は父、旭を追うことで、彼がかつて慕った姉・皆実という女性の存在をほのかに知り、祖母と母の死の真相の痛みを知る所となる。

 そこで知りえた事実は、静かに七波の心を揺さぶり父の優しい重なりの視線を厳かに受け止めていく。

 旅路を共にした東子もまた広島という土地を訪れる事で、今ある思いを大切にしようと再考する。その思いを汲み取るのは七波で、その肩越しにそっと手を差し伸べるような温かみがあらゆるショットから立ち上ぼる。

 このような過去と現在の二部構成から立ち上る血の巡りを追う心と体の旅路は、今まで会った事の無い血縁の人物と父がかつて抱えていた思いを、現代において知るという痛みを伴っている。

 そしてその痛みは今でも静かに少しずつ流れており、七波は子供の頃から抱えた悲しみの事実を広島を訪れる事でほのかに知ってしまう。

 原子爆弾が落とされた一瞬の闇は、その後に生きる人々をも苦しめた被爆者は子供を産み、その子供が症状に悩まされてしまうという悲しき罪の無い事実。そしてあれから長い年月が経った今でも風化する事無く体に残る傷の重さの耐え難い悲しみを静かに語ってしまう。

 二つに重なるかのように、その面立ちを静かに語る二人の女優、麻生久美子と田中麗奈は、一つの悲劇を起点としてその時代を生き抜くスタンスを見事に演じていた。

 悲劇から自分が運良く助かり、自分は本当に生きていても良い存在なのだろうかと心の中に問い続ける1人の儚げな女性、皆実を麻生久美子が心の底から湧き起こる優しさと痛みから逃れられない思いを繊細に力強く演じている。

 父の追い求めていたやすらぎとかつて原爆という恐怖に苛まれた一家の系譜を知る事で、これからの生と幸せ再考する1人の奔放な女性を田中麗奈が美しき素顔の見えるラストショットで収束させる。

 ここに重なるのは、この日本において二度と繰り返すべきではないある事実が残した悲しみも、現代のある女性の思いに繋がり再生させるというほのかな希望と優しさである。

監督・脚本 佐々部清
原作 こうの史代
出演 田中麗奈
   麻生久美子
   吉沢悠
   中越典子
   伊崎充則
   金井勇太
   藤村志保
   堺正章

7月28日 新宿ミラノにて鑑賞

『夕凪の街 桜の国』
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2007年04月11日

歓びを歌にのせて4

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 人が帰る故郷というのは時に、人の心の中にある歌を蘇らせ、そして人の心が見事にそれに共鳴する場所ともなりうるのだろうとこの物語は語る。

 世界的に認められた天才指揮者ダニエル・ダレウス(ミカエル・ニュクビスト)は名声を得、その存在感は世界の誰もが羨むほどだった。

 しかし、次第にストレスはたまり、多忙の日々を極めた彼は表現の罠に陥る。限界を感じた彼は音楽という道を一端閉ざし、子供の頃を過ごしたスウェーデンの小さな村へと戻った。

 廃校となった母校を買い取り、そこに住み始める彼だったが・・・小さな村の住人達は彼を放っておく事は無かった。小さなコーラス隊の指導を頼まれた彼は渋々見学に・・・音楽から一端離れた彼は、そこに生来の目標がある事に気づくのだが。

 村の人々は個性的であり、それぞれに咎を抱えている。当たり前といえば当たり前なのだが、これまで譜面としか向き合ってこなかったダニエルは、久しぶりに生身の人間と彼らの体から生み出される音楽に身を震わす事になる。

 一方で村社会というのは、閉塞感も伴う。隣人の粗までが顕になり、噂も広まるととめどなく流れる。人間と人間の不審は波及的に大きくなり、あらぬ疑いがダニエルを襲ってしまう。

 そこに描かれていくのは人が人に与えてしまう暴力の悲しみや思わぬ嫉妬心が工作する人間臭い一幕や男と男の誤解、そして思わぬ期間を経たロマンスの心地よさなどなど・・・村に一つはありそうなちょっとした話だけれども、それらの事象を真正面から描ききり、スクリーンをしびれさせる。

 誰にも見咎められる事無く、1人で養生しようと思った彼は思わぬ疑惑に耳を疑いたくなるものの、その気持ちを汲み取ろうと必死になる。何故ならば、彼が子供の頃から目指した音楽がそこにあるから・・・それに勝る思いは彼の心にあり、また小さなコーラス隊のほのかで力強い歌声に共鳴していく。

 正に天使が降りた瞬間といっては陳腐な表現かもしれないが、クライマックスのアンサンブルは圧巻的。それを聞くダニエルの下にも美しく素敵な歌声が舞い降りる瞬間ともなる。

 同時にどんな時でも、どんなに辛い状況が訪れようとも歌う事の歓びを愛して止まない限り、歌の力は自分をも守り、他人をも見事に守りきる。ホールに歌声が響いた余韻はそれを綺麗に物語る。

 さらさらと空から降ってくる美しい雪に身を任せるように、この歌声に身を任せるのはやはりスクリーンでの鑑賞が正しいのかな・・・とDVDで観てつくづく思ってしまう作品だった。

 

監督 ケイ・ポラック
出演 ミカエル・ニュークヴィスト
   フリーダ・ハルグレン
   ヘレン・ヒョホルム
   レナート・ヤーケル
   ニコラス・ファルク

『歓びを歌にのせて』 (原題 Sa Som I Himmelen)
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2007年04月02日

約束の旅路5

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 母と子が交錯する人間の生き様を描いた物語。

 エチオピア系ユダヤ人だけが、密かにイスラエルに行く事の出来た「モーセ作戦」を皮切りに、母と子の別れが冒頭に押し迫る。

 子は母の元を離れる術に抗いながらも、このスーダンの難民キャンプの過酷さから子を離す為に、母は苦渋の決断をしたのだろう。生きていれば何かある。そして他の地ならば息子はきっと生まれ変われると信じて・・・

 イスラエルに旅立つまでのシュロモ(モシェ・アサガイ)は、母と離れてしまう悲しみをその表情に押し殺す。男は泣いてはいけないという教えもあるが、彼もやがて飛び込む世界への不安でそれどころでは無かったのかもしれない。

 シュロモはユダヤ人ではない。偽りという事実を抱えながらも、養子としてリベラルなイスラエル人一家に迎えられる。父ヨラム(ロシュディ・ゼム)と母ヤエル(ヤエル・アベカシス)はまるで本当の息子のように扱うが、それでも食べ物は喉を通らず、異国の地で人種を偽って生き、学校でも疎外される思いの辛さは生半可ではなかったのであろう。

 そして肌の色という、今まで感じる事の無かった差別という視線を浴びる度に、自分の拠り所=アイデンティティが崩壊していくような気になったのだろう。イスラエルにユダヤ人が帰還しユダヤ教における律法といった教えがシュロモの中では、後に多大な糧とはなるのだが・・・

 やがて、シュロモは成長し、肌の色や、自分のアイデンティティを模索し続けていく、自分は何者なのか?そして自分は母との約束を果たせるのだろうかと、そして幼き頃に母と別れたシーンと養母ヤエルとの別れのシーンが彼の目的をほのかに助長するように交錯する。

 子は母によって守られる。産みの母とイスラエルに連れて行った母、育てた母、そして自分の愛する母に。彼女達は待ち続ける。シュロモという1人の人間の生き方をそっと愛し、守り、大地のような暖かな体温で守りこむ。

 また、それに対して子=シュロモの答えがただただ愛おしく、揺るぎ無い精神の強さを学んでいく過程は決してスムーズでは無く、苦悩を重ね、自分の思いを押し殺しながらも一歩一歩進んでいく。

 印象的なのは、彼が靴を脱いで歩くシーン。今までとてつもない距離を歩いてきただろうが、何故か靴を脱いで大地を踏みしめるように、そこにある空気に纏われるように歩いていく。ここにも母なる大地は顕在であり、また母の温もりを全身で受け止めている。

 様々な争いが背景に映像として流れていく中、根底で突き進む方針は救助する意志だ。シュロモは今まで自分を守ってきた母達とケス、サラといった人々への思いを昇華するように自分の生き様を見つけていく。彼なりに感じた事もあろう。何が出来るか最大限の思いを引き出したに違いない。

 映像は思いのほかダイナミック。母のショットから子が引き離される交錯のカメラワークやノスタルジックな恋の生まれのドキドキ感を表した印象的なシーン、シュロモが次第に何かを掴み取っていく思いを映像に載せて淡々と綴っていくにも関わらず、スクリーンに引き込んでしまう。

 底辺に流れる音楽の旋律もまた、悲しき思いを助長する時もあり、また人間が生きる賛歌を称えているかのように一転して陽気なカモフラージュともなる。

 そして命を助けると共に新たな命をも生み出す彼の愛には、今まで彼が受けてきた愛が確実に血となり流れている。その時に果たした約束は決して妥協したものではないし、確実にその大地に根ざした思いの結晶である事は言うまでも無い。



監督 ラデュ・ミヘイレアニュ
出演 ヤエル・アベカシス
   ロシュディ・ゼム
   モシェ・アガザイ
   モシェ・アベベ
   シラク・M・サバハ
   イツァーク・エドガー
   ロニ・ハダー
   ラミ・ダノン
 
3月31日 岩波ホールにて鑑賞

『約束の旅路』 (原題 Va, vis et deviens)
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2007年02月11日

善き人のためのソナタ5

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 その曲を本気で聴いた者は、悪人になれない。

 1984年の東西冷戦下のベルリン。DDR(東ドイツ国家)は、国民の統制と監視システムを強化。

 当時、国家保安省(シュタージ)のヘムプフ大臣は、劇作家ドライマン(セバスチャン・コッホ)の舞台初日に訪れた。ドライマンの恋人で、主演女優でもあるクリスタ(マルティナ・ゲデック)に魅力的なものを感じる。

 国家に忠実な、ヴィースラー大尉(ウルリッヒ・ミューエ)は、シュタージの部長から、ドライマンとクリスタの監視及び反体制的であるという事の証拠を手に入れる任務を命じられた。

 ヴィースラーは監視業務を開始し、ある夜のドライマンの誕生パーティが開かれる。DDRから職業活動を禁止されていた演出家イェルスカは、ドライマンに"善き人のためのソナタ"の楽譜をプレゼントする。やがてパーティが終わり、ドライマンとクリスタはプレゼントを開けた後にセックスしたとの記述で、ヴィースラーその日の報告書を書き終えた。

 芸術家というパッションは時に、反体制的や政治とは無縁の道に生きる術を見出そうとする。ドライマンもしかり、そのような不穏な空気を纏っているとの言われも無く、ヘムプフ大臣の裏ごしの欲で監視対象となる。

 シュタージの忠実なる僕であり、反体制分子を見つけるための方法論と欺きの見抜き方を講義するヴィースラーの語り口はソフトで滑らかだ。そんな彼の今までの人生は冷酷に見えるが、実は国家に組された一つの分子でしかないお堅い役人のように感じる。

 それに追い討ちをかけるかのように、情事をしかけたヘムプフ大臣の車から降りてくるクリスタをドライマンにわざと目撃させるように仕向け、ドライマンの心を揺さぶったり、徹底した監視システムの骨となっている静と無言の圧力を醸し出していく。

 やがて、ヴィースラーはドライマンが弾く善き人のためのソナタを盗聴の合間に聴く事になる。何故か不思議とヴィースラーの頬を伝う涙。その時、監視対象としていたドライマンとクリスタの自由に生きようとする精神と思い、ドライマンの書斎からふと持ち出したブレヒトの言葉、熱情的な愛の視点がスッとヴィースラーの中に入り込んでしまった。

 きっかけは美しくも鮮烈で、どこか寂しい旋律に心奮えたヴィースラーが1人の血の通った人間である事が静謐に語られるのだ。

 物語はここから紐解いたようにダイナミックに進んでいく。監視業務をしていたヴィースラーは、イェルスカの自殺により東ドイツの高い自殺率の現状を西側に知らしめようとするドライマンの思索を読み取りつつも、見逃していく。

 西側に記事が出回る一方で、クリスタが薬物所持の角で捕まり、記事をタイプした証拠のタイプライターの在りかと、ヴィースラーの暗躍、そして揺れるクリスタの供述心情が尋問室でゆれていくのだが・・・

 この作品は圧力が生み出した新たな圧力、そしてそこから生み出された人間の悲劇という構図を見事に描いている。劇作家だったドライマンが圧力を受けていた友人の死をきっかけにして知りえた真実とそれを見咎めて新たな圧力をかけていくシュタージの冷徹な視点から紐解いていく過程は、統制された国家の恐怖とそれに翻弄されていく人々を、加害側の視点と被害側の視点を収束させながら見事に描いているのだ。

 また、この作品は監督のフロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルクが徹底した取材を行いシュタージという東ドイツの暗部に踏み込んでいく。『それでもボクはやってない』でも周防正行監督が日本の司法制度にメスを入れるがごとく徹底した取材を行ったが、確かな取材力というものが傑作を生み出すという画期的な好例にもなっている。

 ドイツという国家の事はもちろん知らないし、この当時の冷戦構造に対して未知であった事は言うまでも無い。しかし、観客に分かりやすく、人間の姿を通じて伝えてくれる実態を例えフィクションと言えども描ききる力には感服した。

 監視を行うヴィースラー大尉を演じたのは、かつて自身も監視された事があるというウルリッヒ・ミューエ。近年では『ファニーゲーム』などに出演し、印象を残している。この作品では、国家の枠の中にいた忠実な男が外界に触れ、抗いがたい心を動かしてまう悲しみと息遣いを見事に演じている。

 魅力的な劇作家・ドライマンを演じたセバスチャン・ゴッホも素晴らしい。国家の中でも自由に活動をしているが、心の中に芽生えた疑問を次第に開放させていき、愛する者を守る使命を全うしようとする男を真っ直ぐに演じている。どことなく面立ちがアントニオ・バンデラスに似ていて、親しみやすい雰囲気も醸しだしている。

 ヘムプフ大臣の執拗な誘いに戸惑いながらも、愛するものへの背徳感、そして国家の秘密と悲劇をそのままに享受してしまう脆さを演じたクリスタ役マルティナ・ゲデックの存在感と悲哀がこの物語のラストの重要なキーともなり重厚な劇は展開されていく。

 かつてあの曲を盗聴してしまったヴィースラー大尉は、ドライマンにやがて知られる事になる。しかし、そこに生み出された邂逅がこの哀しくも色濃い人間の血をたぎらせ、静謐な絆が生み出したドラマティックな東ドイツと統一後の帰結を浮き彫りにする収束感あるラストが清々しくも、哀しい。傑作である。


監督 フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク
音楽 ガブリエル・ヤレド
出演 ウルリッヒ・ミューエ
   マルティナ・ゲデック
   セバスチャン・コッホ
 
2月10日 シネマライズにて鑑賞

『善き人のためのソナタ』(原題 Das Leben der Anderen)
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2007年02月02日

ユメ十夜

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 夏目漱石がこんな夢を見た。明治41年に彼が発表した10編の短編小説『夢十夜』を日本の映画監督11人がとりあげた異色の作品群。

 監督のラインナップを見るだけでも贅沢で、何とも言い難いミステリアスな雰囲気を持ち合わせた十編の夢の話は、語るも良し、お気に入りの作品を見つけるも良し、そしてそれぞれの持ち味から夏目漱石が見た夢の謎を追うという難解さに溺れるも良いのではないかと思う。

 今回は、10編という事で1話ずつ紐解いていければとも思います。

 第1夜
 百年の愛を描いた夢の話。作品全体に彩るのは官能では無いかとも思う。横たわる小泉今日子の艶が絶妙で息を呑み、そしてそこから立ち上る男の悲哀が悲しくもガラクタの積み重ねによって象徴される一編。エンドロールまで松尾スズキだと気がつきませんでした・・・

 第2夜
 悟りを啓こうとする侍の話。男の夢は悟る事だが非情にも時は打つ。和尚に嘲笑される事に我慢ならない男の殺意は、恥となるが、皮肉にも彼の決断もまた間違いであると感じさせる一編。ろうそくの灯火がモノクロの赤となり、また侍の持つ小刀の赤が血を連想させるが、所詮は夢。そこには虚空が舞うのみですね。

 第3夜
 自分の赤ん坊を捨てに行くという男の恐怖譚。香椎由宇の艶やかなたたずまいが、夫の漱石をたしなめるが、漱石の子供への考えが夢となり、子供への不確かな恐怖感が見事に表出される。特に漱石が子供を捨てに行く恐怖の演出は、さすが『呪怨』の清水崇監督。怖いです・・・でもオチに笑いをほのかに持ってくるあたりは絶妙ですね。

 第4夜
 ノスタルジックな風景に混ぜられる漱石の忘れられない夢のような話。かつて療養していた田舎町に講演の為に戻った漱石は、子供たちが老人のひもを蛇に変えるというマジックを見たいがために走っていく後を追ううちにかつてあった悲劇と思い出を切なさが表出してくる作品。漱石のうちにあったかつての淡い思い出が夢となって再燃したのだろうか・・・何ともダイナミックな話です。

 第5夜
 時間軸を交錯させながら描いていく夢の話。天探女の不気味なデフォルメと、夫婦のうちに隠された過去と現在を不可思議に描いていく。市川実日子の存在感と眼差しは一品モノ。真夜中に鳴り響く電話は何かの暗示か、それとも隠された扉を明けたい気持ちの裏返しなのか・・・

 第6夜
 運慶が仁王像を彫るというので見物人が集まってくるパフォーマンス的な話。強烈で引き込まれるダンスと2ちゃん用語の連発にそしてセリフは全て英語。松尾スズキの世界観とやりたい事をつぎ込んだセンシティブな笑いの作品。劇場の観客もクスクスと笑っていました。この作品は漱石が抱えていた人間の器というものの現れた夢なのでしょうか・・・オチが素敵。

 第7夜
 アニメーションで語られる漱石の心の虚空と不安が表出される夢の一編。船に乗っている漱石がこれからどこへ行くのか分からない漠然とした不安と、船の人々に馴染めない疎外された空気が、幻想的なアニメーションによって語られる。その違和感から脱却するために漱石は大海に身を投じるのだが・・・旅の過程における漠然とした心の咎を守りこむのは母なる海なのだろうか、そこから飛び立つ男の視線は、少女の眼差しにしっかりと映るラストが清々しい。

 第8夜
 一番訳分からなかった作品・・・でも夢ってこんな感じですよね。変な生き物から、夢を思い出せそうで思い出せないもどかしさに包まれるようなはっきりしない感じを映像化したらこのような形になったとか。ベッドの枕の下に肉まんの食べかけを置いたりするのは、本当に漱石の夢なのでしょうか・・・やっぱり夢って行き所が無い分。不思議に満ちていますね。

 第9夜
 母と子を残して戦地へ旅立った父。お百度参りをする母の艶と子の見た父の姿。そして夫婦の意外な真実を切り取った作品。緒川たまきを徹底的に美しく撮る事の精進したカメラワークと、対照的なピエール瀧の落差が面白い。夫婦の溝をお百度参りと子の視点で描く作品なんて観れないです。これは漱石の夫婦への視点の裏返しでしょうか・・・

 第10夜
 色男・正太郎は美女が大好きでブスが嫌いな男。そんな時、美女よし乃に声をかけられほいほい付いて行ったら、豚丼しかない店に連れて行かれる。その豚丼の旨さに惚れた正太郎だったが・・・その作り方がとんでもないものだったのだ・・・そしてよし乃の裏側の真相が明らかになった時、正太郎は死闘へと挑む事に。松山ケンイチのデフォルメも面白いけど、役得なのは本上まなみ。豚になるは、お下品さ炸裂の作品で素晴らしい異彩を放つ(文字通り)。男って結局・・・美女が好きですからね。これも夢に現れた漱石の真相心理か。ラストの作品という事でダイナミズムとおかしさに溢れていて素晴らしいグロ作品。

 10編通して見ると夢って不思議なものだな。という考えと漱石が何故夢を小説にしたためたのかの謎が残り素敵なアンサンブルを味わう事が出来る。どの作品にも通じているのは時間軸が大きな位置を占めているのでは無いかとも感じた。夢の中では時間は飛んだり、戻ったりする事もある。この時間までに何かをしなければならないといった第2夜のエピソードや、過去と現在が交錯する第5夜。過去の思い出が再燃する第4夜など。

 夢は時に人を過去や未来へ連れて行く。この作品が発表されてから100年の時を経た今でも人々の見る夢は存在し、時空をも超えていく。100年経った今でも、夢とは何なのか分からないまま綴られていく10編の物語は、時を超え、また戻っていく事もあるのだろう。

 不思議な夢を見た日は人に語りたくなる。たとえ訳が分からなくても。そして漱石はその思いを10編の短編にしたためて、100年経った今、11人の監督が独自のアレンジと解釈で織り上げた10編の映画作品。面白い試みであると同時に、また素敵な謎はこれからも残り、また語られていくのだろう。

第1夜 監督 実相寺昭雄 出演 松尾スズキ 小泉今日子
第2夜 監督 市川崑    出演 うじきつよし 中村梅之助
第3夜 監督 清水崇   出演 堀部圭亮 香椎由宇
第4夜 監督 清水厚   出演 山本耕治 菅野莉央
第5夜 監督 豊島圭介  出演 市川実日子 大倉孝ニ
第6夜 監督 松尾すずき 出演 阿部サダヲ TOZAWA
第7夜 監督 天野喜孝  声の出演 Sascha 秀島史香
       河原真明
第8夜 監督 山下淳弘  出演 藤岡弘、 山本浩司
第9夜 監督 西川美和  出演 緒川たまき ピエール瀧
第10夜 監督 山口雄大  出演 松山ケンイチ 本上まなみ
プロローグ&エピローグ 監督 清水厚 出演 戸田恵梨香 藤田宗久

1月30日 シネアミューズ イースト/ウェストにて鑑賞


『ユメ十夜』
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2007年01月06日

誘拐犯4

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 『ユージュアル・サスペクツ』の脚本家・クリストファー・マックァリーが送る誘拐劇と陰謀が絡んだアクションサスペンス。

 アウトローのロングボー(ベニチオ・デル・トロ)とパーカー(ライアン・フィリップ)は、代理母を誘拐する。

 富裕層であるチダック(スコット・ウィルソン)が妻・フランチェスカの代わりに雇った代理母である、ロビン(ジュリエット・ルイス)を誘拐する事で、莫大な身代金を要求しようと画策していくのだが・・・

 ロビンが誘拐される過程のシークエンスは鈍さと軽さを纏いながら、テンポと間が見事に屹立する銃撃戦を軸に見せていく。

 長い廊下に対峙する、二人の誘拐犯と代理母のボディガードから始まり、観たことの無いカーチェイス!?そして、定点を定めながら進む男達の足取りに引き込まれながら誘拐劇は成功したかに見えた。

 しかし、チダックは社会の裏側とも通じる顔を持ち、彼は刺客を放ち誘拐劇を頓挫させようとしていく。

 芋づる式に、陰謀と銃撃戦が展開され、混沌としていく中で、二人のアウトローは『明日へ向かって撃て』のラストを彷彿とさせる意気込みで戦いに参戦し、そして刺客たちも命を次々と落としていく。

 その裏側で生まれたロビンの母性から語られた真実は新たな生を生み、全体像が見えていく作りのサスペンスであった。

 一級と言えば聞こえは良いかもしれない。ストーリーテリングを追う者に対しての分かりやすさという点では微妙な展開劇を見せる。真相がベールを剥いで行く時のカタルシスで言えば、味気ない感じを受ける。

 人間の闇と動から生まれるドラマを描き、サスペンスの肝をも描こうとして、どっちに転んだら面白くなるかを思索していくようである上に、落とし所には皮肉もたっぷりで観る者を選ぶタイプのサスペンスに仕上がっている。

 ベニチオ・デル・トロとライアン・フィリップのコンビネーションは面白い。ビジュアルで言えば、独特でクセのある役者であるベニチオとさっぱりタイプのライアンのタッグは新鮮であると同時に、彼らの連携の妙を感じさせている。

 銃撃戦を根底にした生の歓びと、死を描いていく男達のドラマは、中々見事だった。

 


監督 クリストファー・マックァリー
出演 ベニチオ・デル・トロ
   ライアン・フィリップ
   ジュリエット・ルイス
   スコット・ウィルソン
   ニッキー・カット


『誘拐犯』 (原題 Way of the gun)
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2006年09月13日

夜のピクニック5

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 夜を徹して、80キロを歩き通すという歩行祭。
 
 ただ歩くだけなのに、何か特別なものがあると思えるそんな高校生達の一晩を描いた作品でした。

 生徒達は並び、歩き、親しい友人と何てことは無い話をしたり、恋の話をしたり、夜を駆けて行く。

 そんな中、甲田貴子(多部未華子)は一つの賭けを試みていた。

 未だ親友にも話したことの無いとある秘密を抱え歩行祭に参加する。

 それは今まで一度も話した事の無いクラスメート西脇融(石田卓也)に話しかけるという事だった。

 その秘密にはある裏が隠されているのだが、ラストに至るにつれて貴子の心の内と融の心の内が明かされていく。

 そして、貴子の元にはNYに越してしまった杏奈(加藤ローサ)から絵葉書が届いていた。彼女はこの歩行祭で貴子達の悩みが解決するようにおまじないをかけたという。

 もう一人の親友、美和(西原亜希)と歩行祭へ参加する途中で、融と友人の戸田忍(郭智博)に出会ってしまう貴子はその賭けが上手く行くかどうか不安でもあったのだが・・・

 そんな二人の秘密を根底に置きながらも、交錯する思いの話を生徒達は話していく。友人の恋、わだかまりの解けない思い、恋多き乙女の末路などが・・・

 原作は本屋大賞を受賞したベストセラー。まさに永遠普遍の青春小説とは名ばかりでは無く、まるで一緒に歩いているかのような心地良い疲労感と爽やかな青春劇を隙間無く見せてくれる素晴らしい小説だった。

 以前に原作を読んでしまった僕としては、もちろん貴子の秘密も、忍の思いも、美和の友情も知っていたのだが、原作を大切にした秀逸な映画作品だった。

 所々に爽やかな笑いを持たせつつ、貴子のクラスメート梨香(貫地谷しほり)の明朗快活な明るさと千秋(松田まどか)のほんのりした雰囲気が貴子の心情を引っ張っていくと同時に、融の親友、忍の切なき思いもさりげなく語られていく生徒達の歩行祭のシルエットが立ち上ってくる感じは観ていて心地よい。

 夜になると元気が出る高見(柄本佑)のハイテンションぶりや、恋多き乙女内堀(高部あい)の純粋ながらもコミカルな感じでも楽しめる。

 そして、この舞台を作るために奔走していくさくら(近野成美)のさわやかなエピソードも綴られていく。

 主人公の貴子を演じるのは、今年も『ルート225』『ゴーヤーちゃんぷるー』でその演技と存在感に定評のある多部未華子。今回も賭けの間で揺れる少女の心情をスクリーンに焼き付け鮮烈な印象を残す。親友役の西原亜希のみずみずしい存在感も貴重で、加藤ローサと並ぶと美少女ばかりで困ってしまうのもこの作品の素敵な所。

 融役を演じた石田卓也は、最近では『時をかける少女』で声の出演も努めた注目株の俳優。視線から語られる彼の思いやわだかまり、不器用なまでの正直さを好演していた。

 そして、高校生活最後の歩行祭もやがて終りに近づく、夜に観た生徒のライトが並んでいくシーンの素晴らしさが余韻を残しつつも、ゴールが見えてくる。

 貴子の賭けはどうなったのか。杏奈のおまじないとは何だったのか。

 永遠普遍の青春映画を観終わった後は、爽やかで比類なき感動に包まれる。

 
監督 長澤雅彦
出演 多部未華子  
   石田卓也
   郭智博
   西原亜希
   貫地谷しほり
   松田まどか
   柄本佑
   高部あい
   近野成美

9月12日 厚生年金会館にて鑑賞

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2006年09月10日

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 物語のラストに関して述べています。気になる方は読まない方がよろしいかも。

 海の上に浮かぶ船には二人だけの世界があった。

 60歳の老人(チョン・ソンファン)はどこかから連れてきた少女(ハン・ヨルム)を10年間育て、彼女が17歳になったら、老人は彼女と結婚をする。ほのかな夢まであと3ヶ月。

 カレンダーに×が付くたびに老人の夢は近づいてくる。そして、結婚用の礼装や道具を少しずつ揃えて行く。

 主に、海の上での釣り船として釣り客を呼んで過ごしている老人は、度々客が美しい少女に手を出そうとするのを弓で威嚇し、二人の世界を守る。

 また、客から請われれば、弓占いもする。海の上に吊るされたブランコを漕ぐ少女をかすめて、船体に描かれた観音像に矢を射る事により、矢が刺さった位置から占うという弓占い。

 危険な占い方法と見えて、少女が心から老人を信頼している構図が見えてくる。

 弓は楽器にもなる。老人が奏でる海の上を流れる調べはスクリーンの雰囲気を紡ぎ出し、少女のためだけに美しい音楽となり魅了する。

 そんなまたとない寓話的な雰囲気には、やがて影が刺す。釣り客の中にいた大学生の青年(ソ・ジソク)に少女が恋をしてしまう。青年もまた少女の持つ妖しげな雰囲気と処女性に惹かれ、心を奪われてしまう。

 老人は嫉妬し、少女は青年に惹かれ、青年は少女の境遇を疎ましく思う。

 弓が奏でる三者三様の幻想的な物語は、どのような結末を迎えるのか。

 『うつせみ』で語られた言葉の無い愛がこの作品にも存在する。老人が連れ去った少女の境遇は、海の上の船に監禁されたという状況でもなく、ただ静かに流れる時の中で自由に生きている感覚を少女が纏う。

 二人の間に言葉は一切無く、10年間老人が少女を非常に大切に育ててきた事やお互いの信頼関係の潔さが上と下の簡易ベットでの手の交錯によって象徴され、弓占いのシーンによって語られる。

 同時に描かれているのは老人の独占欲。一人の少女への違う事の無い愛情とは裏腹に誰にも渡さないという強い意志が弓から解かれる矢の切っ先と、彼女を包み込む調べによって語られていく。

 そういった世界は老人にとっては絶対の真理であるらしい。道徳や貞操観念を突き抜けた彼の愛情の上、またその欲を受け入れた少女の愛情から生まれる世界は壊すことの出来ない不思議な世界なのかもしれない。

 しかし、少女はまだ世界を知らない。外の世界からやってきた青年に惹かれた少女は、次第に青年を通じて外の世界へと好奇心を顕にしていく。その気持ちに猜疑心を重ねた老人は少女の気持ちを壊そうとする。

 それに反発した少女の気持ちと老人の気持ちは、反発しながらもまるで荒れ狂う海のごとく離れていこうとするのだが・・・

 やがて、外の世界を選択しようとした少女を繋ぎ止めたのは、老人の死さえも凌駕していく気持ちだった。それを知り、その愛情の深さ故に少女は結婚へと踏み切り、初夜を迎える。天へと上りあがる老人の弓矢は、少女の処女を奪い、そこに弓の調べが流れていく。

 まるで海のように広い老人の愛情と欲が描かれていくラストは痛みを伴っている。突き刺さる弓矢に象徴されるように10年間耐えてきた老人の愛情と欲の深さに驚愕してしまうのだ。同時にそれを受け入れた少女のシーンは目を覆ってしまうような生々しさと強烈な痛みを想起させる。

 老人を演じた、チョン・ソンファンは初めてお目にかかる俳優さんだが、言葉を一言も発せずに目と弓矢で語る老人の心情を真っ直ぐにごまかす事無く演じていて観ていてハラハラしてしまう。スクリーンに引き込むのは少女だが、物語を動かすファクターとして非常に重要な役を見事に演じていた。

 少女を演じた、ハン・ヨルムは『サマリア』での理由無き援助交際を繰り返す女子高生で強烈な印象を残す女優だが、この作品では人を魅了する妖しい笑顔とそのたたずまいから、ラストの強烈なシーンまで魅力的に演じていた。

 まるで相容れないような年の差の男女を描いていく中で、何故か不思議と観ていく内に、この二人の愛憎劇に説得力を感じてしまう。キム・ギドクの描く世界には毎回すっかり虜になってしまう。

 どこか、普通の映画作品とは一線を画した作品の雰囲気にすっかり魅了されてしまった。

 まるで突き抜けていく弓矢のように、聡明な満足感を得てしまう妖しくも素敵な作品だったのは間違いない。
 
 

監督 キム・ギドク
出演 チョン・ソンファン
   ハン・ヨルム
   ソ・ジソク
   チョン・グクァン
9月9日 Bunkamuraル・シネマにて鑑賞

thebow

2006年08月15日

ユナイテッド93

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 2001年の9月11日。アメリカ同時多発テロ事件が起こった。

 この当時、僕は大学2年生で何となく将来の漠然とした不安を抱えつつも、夏休みを遊びほうけていた。バイトをし、連日のように飲み会に行き、大学の勉強から解放される一時を安穏と過ごしていた。

 この日の事は、おそらく皆さんもそうだと思うのだが良く覚えている。というか忘れられない。僕は、バイトで帰ってきて、連日の疲れも貯まっていて夜の8時くらいにベッドに入ってぐっすりと寝てしまった。

 そして、弟に、「アメリカで、大変な事が起こっている」と起こされて観たニュース映像は正直、最初。夢なのかと思った。寝ぼけ半分だったので、夢の延長なのかと思ったのだ。そのくらい現実味の無い映像がニュースで流れた。アメリカの新しい映画の撮影なのかとも思った。我に返ってみると、どうやらこの事件は本当らしい。夢とはどうやら違うのだと目が覚めた。

 いわゆる、これから一体どうなってしまうのか。と思いながら観ていると、貿易センタービルの2棟に激突した飛行機に継いで、一機はペンタゴンに墜落し、もう一機はペンシルベニア州に墜落したとの報道が飛び込んできた。

 その時は正直、2機が貿易センタービルに追突した映像のインパクトと衝撃が強すぎて、墜落した他の飛行機の事はあまり気に止めなかった。

 一体どれだけの人がこれまでに。そしてこれから亡くなってしまうのか。そして、この事件の影響でこの先、未来はどうなってしまうのかという恐怖と不安を感じつつ。それは、今も続いている。だからこそ、この作品を観るべきなのだと思い劇場に足を運んだ。

 この作品は、上記に上げた唯一、目的地へ行かずペンシルベニア州に墜落したユナイテッド93便の物語である。

 いつもの朝。その日誰も何も知らずに空港に着き、飛行機に乗る。

 そして、優しいながらも、おしゃべり好きなフライトアテンダントや、安全なフライトを成し遂げ家族の元に帰ろうとしているパイロット。

 ビジネスに向かう人や、家族の元へ帰る人、勉強の為にアメリカにやってきた青年や、様々な人種の人々。

 いつもよりも、40分遅れでフライトに出たその飛行機に存在するのは、いつもと変わりの無い自然なフライトだったと思われる。

 途中から、物語は嫌な緊張感を持続しつつもめまぐるしく転換していく。テロリストが爆弾を体に巻き、コックピットを占拠していく。おびえる乗客。そして外部との電話で次第にこのハイジャックの正体が分かってくる乗客達・・・

 この作品を観て、僕が思うのは、全てが全て。事実では無いのだと思う。遺族の方々の合意の元、取材をし、遺族の方々とこの便に乗っていた乗客との会話から見えてくる真実は家族それぞれによっても見え方や感じ方が違ってくるだろうし、もしかしたら、コックピットにさえ侵入できなかったのかもしれない。

 しかし、この作品には、この事件への姿勢として描くべき点をきっちりと描いていると僕は思うのだ。何よりも、この事件においては、ユナイテッド93便の乗客を始めとして、他のハイジャックされた便に乗っていた人々、貿易センタービルにいた人、被害者を助けようとしていた人々、この事件に携わった人々の切なる生きて行こうという切なる願いが込められていると思うのである。

 どんなに困難な状況下でも、そして、どんなにわずかな希望しか残ってないにせよ、この乗客達が生きたいと思った事は、誰もみまがう事の出来ない真実である。

 こんなひょんな事で命を奪われてたまるものかという、乗員、乗客達の姿勢に何故これほどまで心を打たれてしまうのだろう。結末は分かりきった事なのに、何故助けたいと思うのだろう・・・そんな切ない思いを抱えあのラストへとなだれ込んでいく。

 この事件に対しての遺族の方々の想いや、家族や友人を理不尽な暴力によって失ってしまう悲劇に対して、生半可な姿勢でこの作品をポール・グリーングラスを始めとしたスタッフ、キャストは扱っていないと思う。

 そして、たとえどんな神がいようとも、どんな宗教を信じようとも、どんな信念を持っていようとも、人は人の命を理不尽に奪ってはいけない。それは絶対の真理であり。この作品が伝えたい一番の真実なのでは無いのだろうか。

 そして、この便に乗っていた人々の魂は家に帰ったのだと強く信じたいのだ。

監督 ポール・グリーングラス
出演 コーリイ・ジョンソン
   デニー・ディロン
   タラ・ヒューゴ
   サイモン・ポーランド
   デヴィッド・ラッシュ

8月13日 新宿武蔵野館にて観賞

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2006年07月09日

ゆれる5

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 東京でカメラマンをやっている猛(オダギリジョー)は、母の一周忌で帰郷する。

 兄・稔(香川照之)とは良好な関係を保ちつつも、父とは折り合いが悪い。

 久しぶりに幼馴染の智恵子(真木よう子)と渓谷へと向かい、遊びに興じる。
 
 智恵子の東京への憧憬をあしらい、一人、渓谷への自然へとカメラを向ける猛が吊り橋を見上げると、橋の上で、稔と智恵子がいた。

 その瞬間、谷底へ落ちた智恵子に焦る稔の姿が・・・そして兄弟という振り子は思いもよらない方向にゆれていく。

 『蛇イチゴ』の監督・西川美和が脚本・監督の第二作作品。

 一作目では、家族の崩壊図を詐欺師の兄と賢い教師の妹という視点からシニカルに描き、見事な劇をみせた。

 この作品は、一見して良好な関係に見える。兄弟の嘘と真実、嫉妬と憧憬、そして一つの事件を支点とした揺れ幅の大きいゆがみを描いていくシリアスなドラマ。

 兄・稔は当初、事故として処理された智恵子の死から逃げようとする。逃げても逃れられない葛藤に陥るうちに、田舎社会の酷薄さや死を抱えるという重荷に耐えられなくなり、何故か事故だと思われていた事件を殺人として自白する。

 一方、弟の猛は、事故の現場を見ていないとシラを切る。この事故現場を見たという事実を何故伏せるのか。そして、東京であたかも成功したかのような生活に浸りながらも、兄・稔に対してどのような感情を持っているのかをあぶりだして行く。

 その兄弟という二つの幅がスクリーンで対峙し、時にはセリフで、時には間で、そしてお互いの表情から現れる演技という才能によってゆれる。

 詳しくは、書くまい。この兄弟がどのような人間か。そして、お互いにどのような感情を抱いているかはスクリーンから観客が感じ取って欲しい絶妙なコンビネーションなのだから。

 そして、この兄弟の姿は再会、事故、面会、裁判のシーンを描いた見事で秀逸な脚本、演出によって次第にベールが剥がされていく。智恵子の死の真相を差し置いても、この二人の感情のゆれが実に心に迫り、観る者を魅了していくのだ。

 それと対峙して、二人の父と兄である弁護士の関係も描かれ、また裁判のシーンでの対峙にも綺麗に繋がっていく。

 兄弟を演じた、香川照之、オダギリジョーは実に内面の嫉妬や葛藤を浮き彫りにさせていく演技を見せる。これまで観た事の無い二人の演技。と言っても良いほど。
 
 悲劇の象徴となる智恵子役の真木よう子の存在感は登場シーンは少ないものの異彩を放っている。後半のシークエンスのキーとなる新井浩文の言葉の重みも胸に迫り、呆然としてしまう。

 この作品を観て強く感じるのは、人同士の関係においての信頼と疑念は普遍なものだという事。僕は、大切な友人、恋人、家族、そして兄弟に、憎悪感や嫉妬感、疑念を抱いた事がある。そういった事は誰にでもある事だし、自然的な事なのだ。

 これほどまでに兄弟という姿の心の機微、ゆがみ、会話のリアリティを描いた事に感銘を受ける。

 そういう人間関係の事実の心のゆれを切り取った作品には中々出会えない、そして、心に強く訴えかけてくる肉迫したゆれは心に余韻を残したまま終わる。

 まさに、そういった観客のゆれさえも見透かしたように。
  
監督 西川美和
出演 オダギリジョー
   香川照之
   伊武雅刀
   新井浩文
   真木よう子
   
7月8日 新宿武蔵野館にて鑑賞

yureru-t

2006年06月28日

約三十の嘘3

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 線路を進む、寝台列車。

 この列車に乗っているのは、ある詐欺計画を成功させて、資金を得た男女の6人。

 このプロジェクトのチーフで皆に声をかけた男、久津内(田辺誠一)、若手の腕の立つ詐欺師・佐々木(妻夫木聡)、かつて大金を物ともせず稼いでいた志方(椎名桔平)、そして美人の女詐欺師・宝田(中谷美紀)、今回の計画に初参加の横山(八嶋智人)、そしてかつてチームを裏切ったとされている今井(伴杏里)が、久津内の計らいで戻ってきた。

 様々な思索が交錯する・・・朝、スーツケースの中の7千万が忽然と消えた。

 犯人は、この6人の中の誰か。一体誰が犯人なのか!?移動する密室の中で繰り広げられる嘘と真実のドラマ。

 まるで、密室劇をテーマにした騙し合いの舞台を観ているかのような感覚の作品。

 全員・詐欺師という事で、モチーフになるのは出演者達の口から出てくる言葉が本当か否かというポイントに絞られていく。

 そこに絡んで来るのが、恋愛劇。少なからずこの6人の男女には恋愛関係や感情の流れがあって、7千万を巧みに持ち逃げしようとしている犯人の追求劇に、恋愛の要素が中々上手く絡んでいる。

 そして、誰もが犯人になり得るセリフを吐いていくので、ラスト近くになるまで犯人は読めない、一方で、誰もが犯人として観てしまうので・・・途中で真相のどんでん返しがあっても、あまり驚きが無いのが軽い難点。

 恋愛劇もベタにならずに、あっさり進んでいくのであまり気にする事無く観れる。

 作品に出てくるセリフ劇は、誰かが嘘をついているのでは無く・・・全員、例外無く詐欺師という事で、嘘の横行が始まる。2回観れば、この犯罪劇のプロットの面白みも分かりやすく伝わって来るかもしれない。

 多少、センチメンタリズムに陥る部分はあるものの・・・それぞれの動機がもう少し見えてくると面白かったかも。

 設定劇としては、中々面白く、豪華なキャスティングの演技が観れるので、それぞれのファンにとってはたまらない作り。

 ラストの勝者は一体、誰なのか・・・そこをほのめかすあたりも中々素敵でした。

 
『約三十の嘘』
監督 大谷健太郎
出演 椎名桔平
   中谷美紀
   妻夫木聡
   田辺誠一
   八嶋智人
   伴杏里

sanzyu-t
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2006年04月22日

陽気なギャングが地球を回す4

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 他人の嘘が、意図も簡単に分かってしまう男、市役所役員、成瀬(大沢たかお)

 コンマ1秒まで正確な体内時計を持つ女、シングルマザーの雪子(鈴木京香)

 聞いた誰をも引き込んでしまう演説の達人、喫茶店経営、響野(佐藤浩市)

 そして、生まれついての若き天才スリ師、久遠(松田翔太)

 こんな四人の男女がロマンを求めて銀行強盗をやったら、地球も回せるかも・・・

 というある種の大胆不敵さを伴った、そしてありえないのではなく、あっても良いのではないか?という世界観を持ち合わせた作品。

 元々、原作者の伊坂幸太郎氏の絶大なるファンであるワタクシにとって、この作品が実写化されるのは嬉しい限りでありました。

 四人組の銀行強盗が、成功を手中に収めたかに思えた矢先・・・突然現れた別の強盗グループに現金を奪われてしまいます。

 この計画は、どこかで漏れていたのだろうか?それとも裏切り者がいるのだとろうか?

 強奪された現金を奪還するために成瀬がある計画を実行に移そうとするが・・・

 この作品のキャスティングは絶妙でしたね。観るまでは不安だったのですが、見事に皆さん伊坂作品のキャラクターになっていました。

 銀行強盗が銀行強盗を返り討ちにしようとするプロットも面白いのですが・・・何といっても見所は、四人の銀行強盗のシーン!

 成瀬、饗野、久遠が華麗に変身して、饗野が演説しているスキに、成瀬と久遠が能力を発揮してお金を盗み、計算された時間内に全て犯行を終わらせ、雪子の正確無比なドライビングテクニックで逃げ去る・・・というもの。

 原作を読んだ時にも、このシーンはメチャメチャ・・・カッコいいのですが。実写になると感慨ものでした。もう少し、長く観ていたかったのですが・・・

 銀行強盗の映画って沢山ありますが、レトロ感を漂わせつつ、四人のキャラクターを分かりやすく描き、ロマンを忘れない心を通じて、スタイリッシュに、面白オカシク観れたので満足です。

 ラストまでの流れは、おそらく読めてしまう部分もあるかもしれませんが、そこを追っていく楽しみもありますね♪

 ちなみにエンドロールで立ち上がらない事・・・ある謎が最後に解けますから・・・

 原作を読み直そうと思います。原作には続編があるそうなので、またこの四人組に実写で会える日が来るかも。

監督 前田哲
原作 伊坂幸太郎
出演 大沢たかお
   鈴木京香
   佐藤浩市
   松田翔太
   加藤ローサ

4月12日 ヤマハホールにて観賞

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2005年09月10日

容疑者 室井慎次2

b2756def.jpe室井さん捕まっちゃいました。

「容疑者 室井慎次」を観ました。

「踊る大捜査線」のスピンオフ第二弾作品で、室井さんが指揮をとった殺人事件の捜査において責任をとらされ逮捕される。

 彼を救おうとする弁護士(田中麗奈)や警察の不正に疑問を持ち室井を追い詰めるやり手弁護士灰島(八島智人)らが登場し、室井は窮地に陥る事に。

 うーん!?という作品です。
 
 何か室井の逮捕の裏で起きているのは、警察庁と警視庁の出世争いや、誰が責任を負うかどうか?とかのいかにも官僚的な事件。

 しかも、その殺人事件の背景とかも、スゴイしょぼくて真相は途中からバレバレ・・・

 あと、中途半端に「踊る大捜査線」の要素を入れてしまった為に、スリーアミーゴスが出てきたり、セリフの中に青島の名前や和久さんの名前が出てきたりで・・・

 ”正直、そんなファンサービス入りません”

 今回、室井さんの周りで起きた事を忠実に描けば良いのに、余計な要素を入れすぎてダメダメです。

 あと、室井を追い詰める灰島という弁護士がいるのですが・・・

 あんな、弁護士いねーよ。と思うくらい変な人で、現実感全くなし。灰島の取り巻き弁護士もただのヘンな集団だし、そんな演出いらないからもっとまともに作ってくれ。
 
あと、室井を助けようとする女弁護士・・田中麗奈が演じてるんですが・・彼女はある事件で警察に不信感を持っている人物として出てくるのですが、そのトラウマとか警察への不信感とかいった設定が何も生み出していない・・

 ただ彼女に「あたし警察キライ!大キライ!!」といったセリフを吐かせる見せ場のためだけに作った設定なのかと思ってしまう。それで室井さんと関わるうちに・・

 「やっぱ室井さんみたいな警察官もいてステキ」と彼女に思わせたかったのか・・

 どーでもいいよそんな設定。

 批判ばかりですみませんが、この映画は良い所もあるので・・

 まずは、室井さんの過去が語られるシーン。

 この演出は上手いし、場末のカフェで田中麗奈がその話をじっとり聞くところは結構感動的。

 あと、室井の捜査姿勢に共感を得た哀川翔率いる新宿北警察署の面々といった。味気のある設定も素晴らしい。
 
 どーしても気になる方は観てみてください。

『容疑者 室井慎次』
監督 君塚良一
出演 柳葉敏郎
   田中麗奈
   哀川翔

muroi
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劇場公開作品

【2010年2月】

パレード★★★★

ルド and クルシ★★★

抱擁のかけら★★★

おとうと★★★★

インビクタス/負けざる者たち★★★★


【2010年1月】

ゴールデンスランバー★★★

ボーイズ・オン・ザ・ラン★★★★

フローズン・リバー★★★★★

Dr.パルナサスの鏡★★★

ミレニアム ドラゴンタトゥーの女★★★

板尾創路の脱獄王★★★

かいじゅうたちのいるところ★★★

(500)日のサマー★★★★



【2009年12月】

誰がため★★★

蘇りの血★★★

アバター★★★★

のだめカンタービレ 最終楽章 前編★★★

THE 4TH KIND フォース・カインド★★

インフォーマント!★★★

ジュリー&ジュリア★★★★

パブリック・エネミーズ★★★

カールじいさんの空飛ぶ家★★★★


【2009年11月】

ニュームーン/トワイライト・サーガ★★

戦場でワルツを★★★★

2012★★★

イングロリアス・バスターズ★★★★★

脳内ニューヨーク★★★★

Disney’s クリスマス・キャロル★★★

ゼロの焦点★★★

大洗にも星は降るなり★★★

スペル★★★★★

【2009年10月】

わたし出すわ★★

風が強く吹いている★★★

母なる証明★★★★★

沈まぬ太陽★★★★

アンヴィル!夢を諦めきれない男たち★★★★★

パイレーツ・ロック★★★★

さまよう刃★★★

クヒオ大佐★★★

戦慄迷宮3D THE SHOCK LABYRINTH★★

狼の死刑宣告★★★

悪夢のエレベーター★★★

エスター★★★★

パンドラの匣★★★★

カイジ 〜人生逆転ゲーム★★★

私の中のあなた★★★★

ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜★★★

ワイルド・スピード MAX★★★

【2009年9月】

ドゥームズデイ★★★

男と女の不都合な真実★★★

あの日、欲望の大地で★★★★

アドレナリン:ハイ・ボルテージ★★★

空気人形★★★★

カムイ外伝★★★

プール★★

ウルヴァリン:X-MEN ZERO★★★

サブウェイ123 激突★★★

【2009年8月】

マーターズ★★★★

グッド・バッド・ウィアード★★★★

女の子ものがたり★★★★

ナイトミュージアム2★★★

20世紀少年 <最終章>ぼくらの旗★★

30デイズ・ナイト★★★

南極料理人★★★★

ノーボーイズ、ノークライ★★★

96時間★★★★

トランスポーター3 アンリミテッド★★★

キャデラック・レコード 音楽でアメリカを変えた人々の物語★★★

縞模様のパジャマの少年★★★★★

色即ぜねれいしょん★★★★

HACHI 約束の犬★★★

3時10分、決断のとき★★★★★

G.I.ジョー★★★

ボルト★★★★

サマーウォーズ★★★

コネクテッド★★★★


【2009年7月】

バーダー・マインホフ 理想の果てに★★★★

セントアンナの奇跡★★★

セブンデイズ★★★

アマルフィ 女神の報酬★★

ハリー・ポッターと謎のプリンス★★★

サンシャイン・クリーニング★★★★

モンスターVSエイリアン★★★★

ノウイング★★★

ごくせん THE MOVIE★★

MW -ムウ-






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