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『交代』




ツモってきた牌を確認し思わず息を呑んだ。
平静を装うため一呼吸おいてから私は牌を倒し、役と点数を発声する。

待ち構えていたかのようになるブザー。

勝った。
江口の持ち前の高火力による猛追を振り切り、私は半荘2回をトップで駆け抜けた。


江口「かーっ。とどかんかったかぁ」


対面の江口が悔しそうに天を仰いだ。


江口「強おなったなぁ末原。練習試合んときとは別人やん」

末原「ま、洋榎にいつも揉まれとるしな」

江口「いやホンマにびびったわ。ここは素直におめでとうて言うとくで」

そう言いつつ立ち上がった江口は握手を求めてきた。


末原「ああ……。おおきにな江口」


私もそれを握り返す。


江口「次は負けへんからな」

末原「のぞむところや」


洋榎にこの前の100円はよ返せって伝えといて。
最後にそう言って江口は去っていった。


私が勝った。

これで私は春の選抜の個人戦に進むことがほぼ確定となった。
あの洋榎と同等の実力を持つとされる江口セーラに私が勝って全国出場を決めた。
思わず夢ではないかと疑ってしまうが、江口の熱い手の平の感触が残る自分の手が夢ではないと告げている。

私は勝ったのだ。



洋榎や由子はなんというだろうか。

善野監督は見ていてくれただろうか。


……そうだ。監督だ。

私の力を信じると言ってくれた善野監督。
あの言葉があったからこそ私は最後まで諦めず闘い、勝利することができた。

監督に報告とお礼を言いにいこう。
監督は喜んでくれるだろうか。
善野監督が笑い、そして私を褒めてくれる姿を想像すると、私はなぜだか気持ちがとても暖かくなるのを感じた。



私は対局室の扉を開け、廊下に出る。
すると洋榎と由子がいることにすぐ気がついた。

ふたりともお祝いをしに出迎えてくれたのだろうか。
持つべきものは友達やな。と私は内心嬉しく思いながらふたりに近づく。


洋榎「恭子。やったな」

由子「おめでとうなのよー」

末原「ああ、おおきにな。ふたりとも」

末原「うちがここまでやれたのはふたりと監督のおかげや。ホンマありがとな」


事実、ふたりとの連日の練習なくしてこの勝利はなかっただろう。
私は心からふたりに礼を言った。


洋榎「ん、ああ……」

由子「うん……」


おや?

ふたりの様子がどこかおかしい。
よく見るとふたりともどこか顔色が悪いようだ。体調でも悪いのだろうか。


私が不思議に思っていると、洋榎がなにか思いつめたような表情をした後、口を開いた。


洋榎「あんな、恭子……。落ち着いて聞き」

末原「なんや?」

洋榎「……善野監督が倒れた」





それからのことはよく思い出せない。


後に洋榎から聞くところによると、私はかなり気が動転していたらしく、幾度も洋榎と由子に落ち着くよう諭され、取材に来た報道陣を押しのけ、危うく車に轢かれそうになりながら、なんとかタクシーに乗り込み善野監督が搬送された病院にたどりついたらしい。

しかしその日は監督には会えなかった。

次の日もその次の日も。

幸い命には別状はなかったらしいが、絶対安静ということでしばらくの間面会することはできなかった。






後日。

私は再び善野監督が入院している病院を訪れていた。
今日から面会ができるときいて、私ひとりで部活を抜け出したのだ。

ほかの麻雀部員たちは部活が休みの日である明日来る予定になっている。
みんなに抜け駆けした形になってしまった申し訳なさと、真っ先に善野監督に会える妙な優越感から複雑な内心のまま、私は善野監督の病室にたどり着いた。


末原「……」


ノックをしようとするが思わず躊躇ってしまった。
面会ができるという情報以外はなにも聞かされていない。

もしもひどい状態だったら……。
考えると段々と恐ろしくなってしまう。

背中に嫌な汗が流れた。
やっぱり明日皆と来るべきだろうか。


末原(ええい、女は度胸や!)


首を振って意を決してノックする。


善野『はい? 』


ノックに応える声は意外にも元気そうだった。
私はひとまず安心して扉を開ける。


末原「失礼します」


善野「あら……?」

善野「末原さん、来てくれたの」

善野監督は私を一瞥するといつものように優しく微笑んだ。
監督の部屋は今はほかに誰も患者がいないらしく監督ひとりだった。
私が想像していたよりは顔色も悪くなく元気そうにみえたが、若干やつれているせいかいつもよりも小さく見えた。
……しかしその分、儚げで綺麗だな、などと考えてしまった私は慌ててその考えを頭から追い出した。


末原「は、はいお見舞いに……」

善野「部活はどうしたの?」

末原「え!? あ、あのちょっと具合が悪くて早退けしました」

善野「あら、それなら早く帰って休まないとダメじゃない」

末原「え、ああ、いや、その、それはもう治ったっていうかなんというか……」

善野「そうなの? それならいいんだけど……」

末原「え、ええ……」エヘヘ

善野「でも末原さんが来てくれて嬉しいわ。この部屋ひとりだし退屈してたの」

末原「そうですか……」

善野「そんなとこいないでこっちに座りなさいな」

末原「はい。失礼します」


そう言って監督が勧めてくれたベッドの脇にある椅子に私は腰掛けた。

それにしても今日の私はおかしい。
やたらと声が裏返る。
心臓がいつもより高鳴っているのが胸に手を当てなくてもわかった。
監督は目上の立場なのだから話すのときはそれなりの緊張感はいつもあった。しかし今日のはそれとは明らかに違う。
私が私でないような落ち着かない感覚。


末原「その……おかげんは如何ですか……?」

善野「ええ、だいぶよくなったわ。とりあえずこうやって話せる位にはね」

末原「そうですか……。しばらく面会謝絶だったので心配しました」

善野「ごめんなさいね……。薬の副作用とかで絶対安静だったの。昨日起き上がれるようになったのよ」

末原「そうだったんですか……」

善野「でももう大丈夫よ。手術は無事成功したから」

末原「ホントですか!」

善野「ええ、もちろん」

そう言って監督は微笑んだ。

よかった。

監督にもしものことがあったらと心配していた私だが胸をなで下ろした。


監督の身体に心配がないことがわかってホッとしたからか、私は堰を切ったようかのように喋り始めた。
私は元来話すのは得意ではないしべつに好きでもない。
にもかかわらず、不思議とよく口が回った。

洋榎や由子をはじめとする部員たちの様子や練習内容。
学校での出来事に、挙句の果てには昨日近所の猫を撫でた話までしてしまった。

まるで監督に会えなかった時間を取り戻すかのように私は喋った。
こんなに私から一方的に人に喋り続けたのは生まれて初めてかもしれない。

やはり今日の私はなにかおかしい。
それは明らかなのだが、私の取り留めのないどうでもいい話にも笑顔で頷いて聞いてくれる善野監督を見ているとそんなことはどうでもよくなってしまった。

この人ともっと話がしたい。
この人ともっといっしょにいたい。

こんな気持ちになったのは生まれて初めてだった。


善野「そうだ、この間の試合の映像と牌譜、みせてもらったわ」

末原「え!……その、どうでしたか……?」

善野「すごくよかったわ。あの江口さん相手によくやったわね。ホントに強くなったわ」

末原「ホントですか! え、えへへ……」

善野「ホントに、直接見られなかったのが残念だわ……」


私もできれば直接みてもらいたかった。
私の渾身の一局を、善野監督に直接みてもらって、そして褒めてもらいたかった。

でもそれはこれからいくらでもできることだ。

私はまだ1年生。
善野監督とはあと2年もいっしょにいられるのだから。
私はそのことを考えると、また自分の心に熱を感じた。


末原「それで……。いつごろ退院できるんですか?」

善野「え……」

末原「春には選抜もありますし、はやく監督に戻ってきてほしいです」

善野「……あのね末原さん」

末原「はい?」

善野「本当はみんなが揃ってるときに言おうかと思ってたんだけど……」


そのとき私はようやく監督が先程まで笑顔とは違った、俯き沈んだ顔をしていることに気がついた。


善野「私のこれは持病でね……。本当は監督をするのも一部からは反対されてんだけど、ちょっと無理を言って監督にしてもらったの」

善野「でも今回こういうことがあって、こんな身体で監督を続けるのはやっぱり無責任だと思うの……」

末原「え……」

善野「だから」

善野「だから私、監督をやめることにしたわ」


監督の言っていることを理解するまでにかなり時間がかかった。

内容を理解できない、というよりは理解するのを頭が拒否しているかのようだった。




病院を出るとあたりは既に暗くなっていた。
私はバス停までフラフラと歩き、倒れるようにベンチに座り込んだ。


善野監督が辞める。

その事実を聞いた後なにを話したかはよく覚えてはいない。

私は、「そうですか……」だの「残念です……」だのどうにか返事を口から絞り出した気がするが、それも定かではない。

ただその後、善野監督が人を呼んだのはどうにか覚えていた。




善野「郁乃、ドアの前にいるんでしょう? ちょっと入ってきて」


監督が病室のドアに向かってそう声をかける。
するとドアが開き、女性がひとり入ってきた。


赤阪「いややわぁ、一美ちゃん気づいてたん?」


女性はそう言って頬に手を当て恥ずかしそうに笑った。

目が細く、常に笑っているような顔のどことなくフニャフニャした印象を受ける女性だった。
クールな善野監督とは真反対のタイプだった。

善野「扉の窓から頭が見えてたのよ」

赤阪「なんやすごく楽しそうやったから邪魔したらアカンかなーって思って」

善野「そんな気を使わなくてもいいのに……あ、末原さん、紹介するわ。今度私の代わりに姫松の監督になってもらうことになった赤阪郁乃よ」

赤阪「赤阪ですー。正式にはしばらくは代行って形になるけど、よろしくな〜?末原ちゃん〜」






末原「赤阪代行……か」


ずっと笑った顔のイマイチつかめない人だった。
正直その笑顔はなにを考えているのかわからなくて少し不気味だった。
たまにしか笑わないが、笑う時は本当に楽しそうに笑う善野監督とは大違いに感じた。


……いや、そんなことはどうでもいい。

私が気になったのは。


末原「仲……良さそうやったな……」


下の名前で呼び合うふたり。

それだけでなく、ふたりの会話は少し聞いただけでも親密さを感じられた。


末原「善野監督てあんな顔で笑うんやなぁ……」


赤阪代行と話している時の善野監督はまるで少女のような無邪気な笑い方をしていた。
それは私と話しているときの善野監督の笑顔とはまるで違うものだった。


末原「……」


善野監督にだって仲の良い友人ぐらいいるだろう。
自分が監督を続けることができなくなったから信頼できるその友人に代わりを頼んだ。

それだけだ。
ただそれだけなのだ。

特別なことじゃない。

善野監督と会えなくなる訳でもない。


にも関わらず、私が先程まで感じていた気持ちはすっかり抜け落ちていた。

ベンチに座り込んでいる私に風が吹き付ける。

それはもうすぐ訪れるであろう、冬を感じさせるとても冷たい風だった。

私はその冷たい風が、私の心の熱を奪い去っていくような、そんな気がした。




第8話