ファイル 2018-12-03 23 00 312



高校を卒業した末原先輩と爽くんが再開するお話です。

 

 

 

 「ハァイ。末原さん」

 

 恭子の前にその女は唐突に現れた。

 つい先日入学式を終えたばかりの大学からアパートに帰ろうと校門を出た瞬間である。

 どこかで見覚えのあるサイドテールをゆらゆらと、反対側の手をひらひらと振りながら気安く声を掛けてきたその女。

 獅子原爽である。

 

 「なんで自分こんなとこにおんねん?」

 

 「まあいいじゃないそんなことは。それより今帰りでしょ? 送ってくよ」

 

 そう言って爽は道の傍らに止めてあった車を親指で差す。

 それは車に詳しくない恭子にとってはあまり見慣れない見た目の赤いコンパクトカーであった。

 外車だろうか? どこかスケベでおちゃらけた顔をしているところが爽にぴったりだと恭子は思った。

 見ると着いているナンバーは室蘭である。北海道から乗ってきたのだろうか?

 いろいろと疑問はあるが別段断る理由もないので恭子はおとなしく助手席に乗り込んだ。

 爽も軽やかに運転席に乗り込み、車を発進させた。

 

 「末原さんK大なんだね。頭いいなぁ」

 

 「べつにそうでもないわ。普通に勉強しただけや」

 

 「またまたそんな」

 

 車に乗っている間、爽は恭子に当たり障りのない話題をごく自然に出し続けてきた。

 心なしか、まるで爽が自分のことを聞かれないようそうしているように恭子には感じられた。

 それは恭子の気のせいかもしれなかったが、なんとなく恭子は爽のことは聞かず、そのまま爽が出す話題に乗っかる形で会話をし続け、そうこうしているうちに恭子が借りているアパートにたどり着いた。

 

 「あー、よかったらちょっと上がってくか?」

 

 それは送ってもらったことに対する完全な社交辞令だったのだが、爽はそのセリフを待ってましたと言わんばかりに「え!? そう? じゃあせっかくだからお邪魔しようかな!?」 と笑顔で元気よく反応した。

 相変わらず調子のええやっちゃ、と恭子は内心呆れた。

 

 「ほほーう、結構きれいにしてるんだねぇ〜」

 

 恭子の部屋に入るなり、爽はまるで熊が餌を求めて徘徊するように部屋の中をうろうろ見回した。

 

 「そらまだこっちに越してきたばっかやしな。物が無いだけやで」

 

 紅茶を出すべく、ケトルに水を注ぎ、スイッチを入れながら恭子は答える。

 聞いてるのか聞いてないのか、「ふーん」と爽は恭子に背を向けベッドの枕元に飾ってあるぬいぐるみをいじっていた。

 「末原さんも大学生なんだねぇ……」とどこかしみじみとした様子で爽がつぶやくのが聞こえた。

 

 「それで? 獅子原はなんでこないなとこにおったんや? 大学こっちやったっけ?」

 

 ティーバッグ入りのカップにお湯を注ぎテーブルに置きながら恭子は聞いてみた。丸いクッションを胸に抱いてベッドに持たれて座っている爽はリラックスしており、先ほどよりは聞きやすい雰囲気だったからだ。

 

 「いや、大学には行ってないよ」

 

 爽は置かれた紅茶に目を落としたまま答える。

 

 「んじゃ、専門学校とか?」

 

 「ちがうよ」

 

 「じゃあ今なにしとんねん」

 

 「なんにもしてないよ」

 

 「なんにも?」

 

 「そう」

 

 「ええ?」

 

 首を傾げる恭子をよそに、なんでもないというふうに爽は「いただきます」とひとつ言って紅茶を啜った。

 

 「ただ、末原さんに会いたくなったから、わざわざ北海道から車に乗ってこっちにきたんだ」

 

 そこで初めて爽は恭子の目をやや上目遣いにじっと見据えた。

 恭子も思わずそんな爽の目を見返してしまう。

 約半年ぶりに見る爽の顔は相変わらずどこか無邪気で程よく端麗であり、もしもそっちの気がある女の子ならば思わず引き込まれてしまうような魅力があった。

 もっとも恭子は爽に対してそんなことは特に感じず、「相変わらず何考えとるかわからん顔や」という感想しか抱かなかったのだが。

 

 「冗談はええからホンマのこと言え」

 

 恭子が無表情にそう返すと、爽はふふっと笑い言った。

 

 「まあ、自分探しの旅ってやつ? 車で一人旅ってね」

 

 恭子はため息をつく。

 

 「プラプラする余裕があって羨ましいわ」

 

 爽はひひひと笑った。

 

 「でも、末原さんに会いたくなったっていうのはホントだよ?」

 

 「大阪に来たついでにやろ」

 

 「バレたか」

 

 ふたりは笑いあった。

 単身今の場所に引っ越してきてまだ知り合いも少ない恭子にとってはこんなふうに笑うのは久しぶりであった。

 

 

 「末原さん、麻雀の方はどうなの?」

 

 「麻雀?」

 

 「うん、麻雀。入ったんでしょ? 大学の麻雀部」

 確かに恭子が入ったK大学にも麻雀部が存在する。

 恭子の顔見知りだと、奈良の晩成高校にいた小走やえなどが現在所属している。

 

 「あー……

 

 恭子は言葉を濁す。

 今度は爽が首を傾げる番であった。

 

 「どしたの?」

 

 「じつはな……入ってないんや。麻雀部」

 

 「なんで?」

 

 理由は色々とあった。

 全国の頂点を目指して闘った高校時代。

 善野監督を、洋榎を、みんなを日本一へ導くことが自分の使命だと信じそれだけを考えていた。

 しかし、道は途中で途絶えた。

 自分が今まで見たこともない想像以上の存在を恭子は目の当たりにしたのだ。

 それまで恭子はゆっくりとでも歩き続ければ道は続いているとどこかで信じていた。

 しかし、その先に道はないと知った。

 この先に進めるのは選ばれた人間だけだと。

 それに気づき、すべてが終わった後、恭子の胸にはぽっかりと穴が空いていた。

 べつに麻雀が嫌いになったのではない。

 しかしそれに気がついた恭子はこれ以上麻雀を続ける理由を見失っていた。

 

 「そっか」

 

 恭子の話を聞き終えた爽はさして残念でもなさそうにそう言った。

 

 「獅子原は? 麻雀を続けようとは思わへんかったんか?」

 

 そういえば恭子の道が絶たれた瞬間、同じ場所同じ立場にいたのはこの爽だけだった。

 そう思うと恭子は妙な縁を感じた。

 

 「私はもともとユキを有名にするためにしてただけだしなぁ」

 

 聞く人が聞けば怒りだしそうな爽の台詞であったが、不思議とこの時の恭子は腹が立たなかった。

 

 「でも、道に迷っているっていうのは末原さんと同じなのかな」

 

 爽は顔を逸らし、独り言のように呟いた。

恭子はその言葉がどういう意味なのか分からず首を傾げた。

 すると爽は、なにかを考えるように少し黙り込むと、やがて少し後ろめたそうにポツリと言った。

 

 

 「ごめん末原さん。私、ウソついてた」

 

 

 「え?」

 

 

 「一人旅っていうのはウソ。ホントは逃げてきたんだ」

 

 

 「なにから?」

 

 

 「……自分の人生、かな」

 

 いつもの爽が言えば冗談にしか聞こえないような台詞だ。

 しかし俯き、テーブルの上の紅茶のカップに目を落とした爽はとてもふざけているようには見えなかった。

 

 「私はね、末原さん。ヒーローになりたかったんだよ」

 

 「……どっかで聞いたような台詞やな」

 

 さすがにこれには恭子は静かにツッコんだ。

 爽はふふっと笑うがそれでもなお冗談を言ってるふうではない。

 

 「そうだね。でも本当だよ」

 

 「……それで?」

 

 恭子は続きを促す。

 

 「知っての通り私にはこういう力があるでしょ?」

 

 こういう、というのは爽がインターハイで見せた不可思議な和了りのことだろう。

 

 「うん。実はあれ麻雀以外にも使えてね、昔の私は自分が特別だからこういう力が使えるんだと思い込んでたんだ」

 

 特別な力。

 自称凡人。自他ともに認める真っ当な人間である恭子には縁のない力。

 恭子がここ数年もっとも悩まされた力。

 恭子にはなかったもの。

 

 「だから私は昔から色んなことに首を突っ込んでね、この力を使って解決してきたんだ」

 

 「……大きな声じゃ言えないけど、ユキを有名にするって言うのだってその一貫みたいなものだったんだ。学校の片隅で燻ってたあの娘を私の力で陽の当たるところに出してやろうって」

 

 まるでシンデレラと魔女だな。と恭子は思った。

 灰かぶりの少女を魔法でお姫様に変える魔女。

 

 「……でも、ふと思ったんだ。それをして私自身にはなにが残ったんだろうって。もちろんユキや、他の助けた人達に感謝されて喜んでもらえたのはうれしい。けど、それが終わった後、私はどうすればいいんだろうって」

 

 シンデレラが王子様と結ばれた後、魔女はどうしていたのだろう。

 次のかわいそうな少女を探したのか?

 

 「それでも今までは揺杏やチカや成香がいた。全部終わったあともあいつらがそばにいたから私は自分を見失わずにすんでた」

 

 困っている人を見捨てず自らの力を持って救う爽は、そばで見ている人間からしてみれば、さぞ眩しく輝いていたことだろう。

 恭子から見た限り、爽を見る揺杏や誓子たちの目はそれこそ正にヒーローをみる目だった。

 実はそんな扱いに、爽自身が救われていたというのに。

 学校を卒業し、そんな仲間たちと離れた爽の手には、なにも残ってはいなかったのだ。

 

 「結局私は他人の人生に横から首を突っ込んで得意気になっていただけなんだ。……自分ことなんてなにも考えずに」

 

 「それに気がついた時、すごく恥ずかしくなって、それで……

 

 「……逃げてきた、と」

 

 恭子が後の言葉を繋ぐと、爽は少し恥ずかしそうに弱々しく頷いた。

 それは恭子が初めて見る彼女の表情だった。

 インターハイの準決勝、そして5位決定戦。

 彼女は恭子たち全国の強豪選手相手に真っ向から立ち向かった。

 その時の彼女の、まさに獅子のような雄々しい闘いぶりに恭子は少なからず尊敬の念を抱いていた。

 しかし、今の彼女は獅子どころか、道端に転がるいつ絶命してもおかしくない捨て猫のような儚さを纏っていた。

 

 

 尊敬する恩師や大切な仲間たちを目標とする場所まで導くこともできず、それどころか強大な力に屈し、道半ばで膝をつこうとしている恭子。

 

 自分が他人とは違うと思い込み、他人を助けているつもりが実は自分自身がそれに支えられていただけだと気づき逃げ出してきた爽。

 

 生まれも育ちも、性格も境遇もまったく違う、しかしいずれもヒーローにはなり損ねたふたりが今この部屋にいた。

 

 

 ふたりとも黙ったまま、どれだけそうしていただろうか。

 恭子が口を開く。

 

 「……獅子原はこれからどこにいくんや?」

 

 「うぅん?」

 

 恭子の質問に、爽は腕を組む。

 

 「特に決めてないけど……次は九州にでも行こうかな? 鶴田さん達にも会いたいし」

 

 そう言って静かに言う爽。

 彼女のティーカップは既に空。

 抱いていたクッションも元に戻し、今にもこの部屋を出ていきそうな雰囲気だった。

 

 「うちにおらんか? しばらく」

 

 え?

 と、爽だけでなく言った恭子自身も戸惑った。

 恭子は自分がなにを口走ったのかわからなかった。

 爽もなにを言われたのか分かりかねている様子だった。

 

 「それって……ここに住めってこと?」

 

 爽がようやくそう聞くと、恭子はしどろもどろになりながら言う。

 

 「い、いや。べつに、無理にとは言わんけど、ほら、あの、獅子原もずっと旅ってわけにもいかんやろ? お金も掛かるし九州とかも遠いし」

 

 よくわからない言い訳をあたふたとする恭子。

 そんな恭子をポカンと見つめる爽。

 

 恭子はなぜ自分があんなことを言ったのか自分でもまったくわからなかった。

 故郷から逃げ出し、当てもない旅を続ける爽と、道を見失い行く末が見えなくなった自分を重ねてしまったのだろうか?

 ただ、恭子自身は気づいていないが、爽が九州に行く、と言った瞬間、恭子の頭に言いようのない孤独感が生まれたのだ。

 それを払拭するかのように自然と言葉が口からこぼれた。

 

 「……

 

 爽はしばらく黙っていた。

 しかし、目を泳がせる恭子をしばらく見ていたかと思うと、やがてにやぁ〜と口の端をつり上げた。

 それを見た恭子は「しまった!」と猛烈に後悔した。

しかしもうどうしようもない。言ってしまったのは自分なのだ。

 

 

 「しょうがないなあ〜」

 

 

 爽はニヤニヤと笑いながら恭子に近づき肩に手を回す。

 

 「恭子がそんなに私と離れたくないって言うんだからな〜。しばらくここに居てあげようかな〜」

 

 「だ、誰もそんなこと言ってへんやろ! てかなにいきなし名前で呼んでんねん!」

 

 恭子は肩に回された爽の手を振りほどこうと必死にもがく。

 しかし爽の方は、先ほどまでのしおらしい態度はどこへやら。

 恭子に馴れ馴れしくべたべたまとわりつきながら尚もいやらしく笑っている。

 

 「まあまあいいじゃない。恭子も私のこと名前で呼んでいいんだよ?」

 

 「やかましい! やっぱお前今からでも九州いけ!」

 

 「だめだめ。もう確定。じゃあそうと決まったらこっちでバイトでも探そうかな〜。布団とか家具とか色々入り用だし。ねえ? 恭子?」

 

 恭子は「くっそー!」と悪態をつきながら爽に背を向けた。

 爽はそんな恭子を見て笑っている。

 しかし、ふとしたところで爽の笑い声がやみ、恭子の名前を呼んだ。

 

 「恭子」

 

 「なんや?」

 

 またからかわれるのかと苦々しく思いながら恭子が振り返ると、爽は笑っていた。

 ただし、今までのニヤニヤという笑い方ではなく、これまた恭子が初めて見る爽の顔だった。

まるで女の子が大切な人から大切な言葉を言われたときのような、優しい笑顔。

 

 「ありがと」

 

 「……家賃は半々やからな」

 

 そう言って顔を背ける恭子に、嬉しそうに笑いかける爽。

 道半ばで立ち止まったふたりの新たな生活が始まった。