ブチギレちゃった後ってすごいばつが悪いですよね。
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前回までのあらすじ
高校生活最後のインターハイ、2回戦大将戦へと挑む末原恭子。
試合は後半戦へと突入し、姉帯豊音、石戸霞、両名の猛攻により恭子は劣勢へと追い込まれていた。
絶望し諦めかける恭子だったが、前半戦終了後に石戸からかけられた挑発とも取れる言葉を思い出し、再び奮起する。
死力を尽くした割にはあっけないほどの幕切れだった。
ブザーが鳴る。
宮永が1位。
私は2位。
清澄高校と我が姫松高校の準決勝進出が決定した。
気が緩んだのか、私は自分の顔がいつになく弛緩するのを感じる。
対面の宮永も笑顔だ。
石戸の顔を見る。
石戸の表情は相変わらず穏やかだったが、少し気落ちしているようだった。
巫女としての修行が目的とは言っていたが、やはり敗戦は悔しいのだろう。
私と目が合うと彼女は残念そうな表情のままこちらに少し微笑んだ。
それがなにを意味するのかは私にはわからなかった。
後半戦の前に私に言った言葉の意味もいまだによくわからない。
結局、彼女は私になにを伝えたかったのだろう。
どうせだったら最後に聞いてみるか。と、私が口を開きかけると、石戸とは反対側から泣きじゃくる声がした。
姉帯が泣いていた。
3年間必死に努力して、それでもインターハイに届かなかったものが負けたときでさえこんなにも泣かないだろうというほどの大声で彼女は泣いていた。
インターハイ初出場で、それどころか公式戦参加も今年からな新鋭チームの彼女が、だ。
なんだろうか。
先程まで感じていた勝利の喜びが若干揺らいだような気がした。
泣いている姉帯が可哀想だから?
否、違う。
もっと、私の心の中の奥底の部分が崩れるような。
虚しさにも似た不安な感情が私の中に沸いた。
これはなんだろうか?
わからないまま、私は逃げるように対局室を後にした。
「おーい」
私は釈然としない気持ちのまま控え室に向かう。が、後ろから声がする。振り返る。
「待ってー」
うげ!?
なんと先程まで泣いていたはずの姉帯がこちらに駆け寄ってくるではないか。
2メートル近い長身の彼女が走って近づいてくると言いようのない迫力がある。
身の危険を感じた私は姉帯と反対方向に走り出した。
「え!? ちょ、ちょっと、なんで逃げるのー!」
そりゃお前みたいなんが追っかけてきたら誰かて逃げるわ!
そもそもなんで追いかけてくんねん。
敗退した腹いせにうちを〆るきなんやろか。そうはいくか。
しかし、全力で走る私に姉帯は割とやすやすと追いついてきた。
しもた、脚の長さが全然違うんや。そら無理やわ。
私の1.5倍はあろうかと言うストライドを活かして、私に追いついた姉帯はもう逃がさんとばかりに壁に私を押し付ける形で手を着く。いわゆる壁ドン状態や。
ああ、もう終いや。
洋榎、由子、悪いがうちはここまでや……。
善野さん、最後に一目お会いしたかったです……。
「あ、あの! サインください!」
……へ?
息を切らせた姉帯が真っ白な色紙を突き出してきた。
聞けば、全国で戦った相手には全員サインをお願いしてるらしい。
なんや……。そういうことかいな。てっきり食べられるかと思たわ……。
姉帯は私が拙い手つきで色紙に名前を書くのをワクワクした顔で眺めている。
黙っているのもなんだか気まずいので私は口を開いた。
「な、なあ……姉帯。自分、うちが憎くないか……?」
「……にくい? なんで?」
わからないというふうにかわいく首を傾げる姉帯
「だってやで? うちが自分に勝ったせいで自分らが敗退したんやで? わざわざそんな相手にサインもらいにくるか? ふつう」
私の言葉に姉帯はさらに首を傾け、うーんと考え込む。
そして言った。
「うーん……確かに負けちゃったのは悲しいし、泣いちゃったけど……勝ちたいのはみんなおんなじだろうし、それに……」
「それに?」
「末原さん、すごくいっしょうけんめいだったから……」
「へ?」
いっしょうけんめい?
そりゃあ試合なんやから一生懸命なんは当たり前やろ?
今度は私が首を傾げながらそういうと、姉帯は首をふるふると横に振った。
「うん。私ももちろんいっしょうけんめいやったよ。でも、自分の力を発揮できてるときはよかったけど、石戸さんに攻め込まれてからは対策の仕方もわからなくてちょっとの間なんにも考えられなくなっちゃったんだー……」
そうなんか。
いわば思考停止か。
でも、石戸の力が強力やったのは確かやし、それで思わず思考停止してしもうても、しゃあないんちゃうか?
「でもでも、末原さんは私から見てもすっごく一生懸命考えてるのがわかったんだ」
そうなんやろうか……。
私からすると勝つために考えるなんてのは当たり前すぎていまいちピンとこんのやけど。
「私ね、今までは自分の力を発揮さえすれば勝てると思ってたんだ。じっさい、岩手県の予選から今日の試合まではそれで勝てたの」
はあ、そりゃ羨ましい話や。
自分の打ちたいように打てば勝手に結果がついてくるんかいな。
もし仮にうちが自分の好き勝手に打ってたら姫松は全国には来られへんかったやろな。
「でも今日は違ったの。宮永さんも石戸さんも、自分が持ってる以上の力を持った人と初めて戦ってわかったんだ。自分が全力を出すだけじゃダメなんだ。相手が強くてもあきらめずに、自分のやり方を変えたり相手の力を利用したり、色んな手を使って勝ちに結びつける。そういうことができる人が強いんだって、末原さんをみてて思ったんだ」
真っすぐに私を見つめる姉帯の眼。
まるで目の前の私が本当に尊敬すべき偉大な人間だとでも言うように、一滴の疑いもなく私を見つめている。
妖怪のように真っ赤で恐ろしい、とばかり思っていたが、こうして目の前でみると、今までみた誰の眼よりも澄んだ、美しい眼だった。
「……そうか」
私は姉帯の視線から逃げるように短くそう答えるしかできなかった。
罪悪感が私のなかにジワジワと広がっていく。
……すまん姉帯。
そのときの、試合中の私の頭にあったのは、どうにかしてお前や石戸を蹴落としてやろうという醜い執念しかなかったんや。
能力を使って悠々と勝ち進んできたお前たちに目にもの見せてやろうという、半ば八つ当たりみたいなせこい根性なんや。
お前が言うような「あきらめない気持ち」なんていう美しいものやあらへん。
私はそのとき、試合の直後に感じた不安とも虚しさとも言えない感情の正体を理解した。
私は羨ましかったのだ。
自分の力を曲げることもなく、堂々と戦い。そして負けた後も悔しさも悲しさもすべてさらけ出すように泣きじゃくることができる彼女のことが、羨ましかったのだ。
そして今、彼女に対する羨望がより大きくなった。
仮に今日負けたのが私だったとして、今の姉帯のように清々しく対戦相手を褒めることのできるだろうか?
いや、できない。
それこそ相手を憎み苦々しい気持ちでいっぱいになりながら控え室に戻ったことだろう。
そもそもの話、雀士としての力量だって姉帯の方が完全に上だ。
なんせ姉帯は今まで自分の力さえ発揮すれば相手のことなど考えずとも簡単に勝利してこれたのだから。
必死に相手のことを調べ、僅かな勝機をものにし這い上がってきた私なんかとはモノが違うと言っていいだろう。
人間としても雀士としても、私は姉帯にその器の大きさを見せつけられてしまった。
私は自らの矮小さを実感し、自分の身体が震えているのを感じた。
私が震える手でどうにかサインを書き終え色紙を渡すと、姉帯は最後に私の手を掴んで、「次もがんばってください! 応援してます!」と言った。
姉帯の手はその雪女のような見た目からは想像もできないほど暖かく、大きかった。
あるいは私の手が冷たく小さいからそう感じただけだったのか。
「サインありがとー!」
何度もこちらを振り返り、手を振りながら廊下の向こうに去っていく姉帯を見送った後、私は自分の控え室まで歩く。
その足取りは重かった。
「はあ……」
その日の夜、宿舎に戻った私は自室の窓の外を眺めながらひとりため息をついていた。
明日のプロとの練習試合、そして明後日の準決勝に向けてのミーティングを終え、食事、入浴をすませた後のようやく落ち着いた時間である。
忙しく動き回っていたときは気が紛れていたが、落ち着いた途端急に昼間の記憶がよみがえってきた。
姉帯や石戸の強さ。
前半戦を終えた後の石戸との会話。
後半戦に高ぶった感情任せに打った麻雀。
試合が終わった後の姉帯の涙と言葉。
そして控室で気が付いた宮永咲の底知れない潜在能力。
たった一日であるのに、すごく長くいろいろなことがあったように感じた。
「かえったでー」
戸を開ける音と共に、洋榎の声がした。
絹ちゃんたちとどこかに行っていたが、戻ってきたのだろう。
いつもなら振り返って迎える私だが、今はそんな気分でもない。
「恭子? どないした?」
そんな私の様子に気がついたのか、洋榎が私の顔を覗き込んでくる。
私は悩む。
洋榎に相談するべきか?
だとすればなんと言って?
悩んだ末に私の口から言葉が零れ落ちた。
「洋榎……うちは、勝ってよかったんかな?」
「は?」
わけがわからないというリアクションをしたのち、洋榎はひとつ大きな溜息をついた。
「またなんか悩んどるんか? ええやろ言うてみい」
そう言いつつ洋榎は私の向かい側に座る。
面倒くさいという顔をしないのは彼女のせめてものやさしさか。
私は洋榎に今日のことをすべて話した。
試合前、試合中、試合後に感じたこと。
前半戦の後に石戸に言われたこと。
試合の後、姉帯と話したこと。
すべて洋榎に話した。
「ふうん」
たっぷりと話した私への洋榎の一言目の反応はあまりにもそっけなかった。
「よーするにアレやろ? 恭子はムカつくことを言ってきたり、してくる奴にブチキレて思いっきりぶん殴ったら試合に勝てた。勝てたけど殴った相手が思いの外ええ奴で罪悪感を感じてる。そういうことやろ?」
ずいぶんと端的にされてしまった気もするが、まあそういうことだ。
「なあ、恭子。はっきり言うてええか?」
なんや?
「お前、姉帯に失礼やと思わんのか?」
それは洋榎にしては珍しく、本気の怒りを感じる言葉だった。
「姉帯はお前の戦いを認めて、だからこそ褒めてくれたんやで? お前自身がそれを否定してどないすんねん?
姉帯のその言葉すら否定するんか?」
それは……。
「石戸の言葉だってそうやで」
どういうことや?
「石戸はお前に全力で戦って欲しかったんちゃうんか。やからわざと怒らせた」
全力? うちはいつだって全力や。
「ちゃう。いつもよりもっとや、現に石戸の言葉があったからこそお前は奮起して勝てたんやろ? 石戸が望んどったのはそういうことちゃうんか」
わざと私に勝たせたと?
「そこまではわからんけど、少なくとも恭子に中途半端な麻雀を打って負けてほしくなかったんちゃうの?」
石戸は私に自分を倒して欲しかったのだろうか。
もちろん彼女には彼女の事情はあるだろう。だが、それでも彼女は自分達のやっていることに疑問や罪悪感を抱えていたのかもしれない。
強い情熱も持たず、特別な力を振りかざし、他者を蹴落としてきた自分達を止めて欲しかったのかもしれない。
少なくとも、本領を発揮できないままの私がこのまま自分に負けていく。それは良くないことだと彼女は判断した。
だからあんなことを言ってわざと私を怒らせ、なんとしてもこの試合に負けまいという感情にさせたのだろうか。
「石戸がどういうつもりだったかはわからん。姉帯だってお前以上の力を持ってたかもしれへん。でもな恭子、ここはインターハイや。真剣勝負の場や。その場に上がった以上、相手が誰であろうがどんな奴だろうがうちらは戦っている相手を殺すぐらいの覚悟で勝ちにいかなアカン。それが相手に対する礼儀っちゅうもんや」
いつだって楽しそうに試合をする洋榎とは思えないほどに厳しく非常な台詞だった。
「でも、洋榎……。いや、主将。そんな気持ちで戦ってもええんでしょうか……」
私の今日の戦いは自分で思い返しても醜かった。
相手が言ってもいない言葉で怒り、それをぶつけるような形で勝利した。
運よく勝てたからよかったものの、もし負けていたら、怒りの感情のままにどんな態度をとってしまったかわからない。
それこそ、私を認めてくれた姉帯に酷い言葉をぶつけてしまった可能性だってあるのだ。
そう思うと本当に自分の感情が怖かった。
「恭子、確かに怒りに任せ、相手を憎みながら戦うのはよくないことなのかもしれへん。特に世間では今、『楽しく』麻雀を打つことを求められとる。麻雀を楽しむことこそが美しく強い麻雀に繋がるとな。確かにそれも間違ってへん。うちだっていつも楽しみながら打っとる。でもな、勝負ってのはそれだけやないねん。怒りだってええ。憎しみだってええ。嫉妬だってええ。例えそれが醜くたってみっともなくたって、たとえ世間で評価されへんかってそれが自分の力に繋げることができるんやったらそれはすごいことなんや」
「恭子、周りのことなんか気にするな。なりふり構わず戦え。力の限り戦うお前の姿に心動かされる奴もきっとおるはずや」
きっぱりとそう言い切った後、洋榎は目を伏せて、ポツリと付け加える。
「中途半端な覚悟で勝負したらアカン。負けて大事な物を失ってからじゃ遅いんやで……」
そう言って俯く彼女はどこか寂しそうでもあり、どこか懐かしそうでもある複雑な表情をしていた。
私は思った。今日の試合に負けなくて本当によかったと。
私のヘマでこの人を、この人のチームを2回戦なんかで敗退させなくて本当によかったと心から安堵した。
愛宕洋榎は決勝に行くべきだ。頂点を争う場こそが彼女には相応しい。
しかし同時に私は思う。
本当に私に彼女を決勝に導くことができるのか?
この後に及んでそんなことを考える自分の弱さが本当に恨めしい。
洋榎いわく「恭子はどんな相手でも常に負けることを考えとる」。本当にその通りだ。
「主将……でももし、自分のすべてを出しきって戦って、それでも負けたら……負けて大切なものを失ったら、どうすればいいんでしょう」
私の問いに彼女は躊躇わず言った。
「取り戻せばええ」
「それが本当に大切なものなら、たとえ形が変わったとしても必ず取り戻せる」
そう言って彼女は優しく笑った。
私は立ち上がる。
「どこに行くんや?」
「代行のところへ行ってきます」
あの人ならばきっと明日私が勝利する確率を少しでも上げる方法を知っているはず。
部屋を出ていこうとする私の背中に、洋榎は声を掛ける。
「恭子、さっき1つ言い忘れたけどな」
「なんですか?」
「負けて失うこともあるけど、逆に負けたことで別の大事なものを得ることだってあるんやで?」
そう言いつつ彼女は意味ありげにこちらを見つめていた。
「それこそ、あん時負けてよかったんかもしれへん、なんて思う程にな」
でも、確かなのは、私のみっともない戦いでもいいと言ってくれる人がいるということだ。
彼女が認めてくれる限り、私はどんな強敵とでも戦える。
身体から漲る力をなだめるように、私は1つ深呼吸をしてから代行の部屋のドアをノックした。