その日も、焼いた悪魔の肉を頬張りながら、ふう、と少女が溜め息をついた。

 (塩か胡椒があればいいのに)

 少女自身が作ってしまった影の結界に閉じこめられて何日が経過しただろうか。
 此処は太陽は昇らなく常に夜で、空には不気味な赤い月。
 鬱蒼とした山の中で、"やたノ黒蝿"と少女が名付けた鴉を思わせる黒い悪魔と二人っきりで、湧き出てくる悪魔を倒し、その肉を食べる。カタキラウワにコッパテング、クダ。どれも味は違ったが、段々肉ばかりの食事に飽きてしまっていた。
 香辛料があれば味のバリエーションが若干増えるのに。勿論此処にはそんなものはない。あるのは肉と川の水だけ。
 甘いものが食べたい。例えばシドがくれた甘いチョコレートが。

 「贅沢いうなよ。此処から出れたらいくらでも食えるだろうが」

 向かいに座る黒蝿が腕組みをしながら少女に言った。少女は眉を寄せ黒蝿を睨んだ。
 また思考を読まれた。この悪魔、どうやら私の思考を読む癖があるらしい。人の心を盗み見するなんて本当に嫌な奴だ。

 『私が念波を出さなくても心が読めるの?』

 問いかけると、黒蝿は鼻で笑った。

 「お前は分かりやすいからな。感情がだだ漏れだ。読まれたくなければもっと鍛錬することだ」

 言葉に出さなくても気持ちが伝わるのは、普通の人間関係では良いことなのだろうか。少女にはわからなかった。少女は友達というものをあまり持ったことがなかったし、もう声に出して言葉を話すことが出来ないのだから。

 声。

 少女は無意識に喉の辺りに触れる。醜い黒い痣がついた首。
 初潮を迎えた頃から、自分の言葉は現実に実現するようになった。しかも殆ど悪い事。そのせいで母親まで死に至らしめてしまった。
 シドは、私の声に悪魔がついていると言った。私の言霊を増幅させ、悪い事を具現化させていると。あれは本当のことなのだろうか。自分はやっぱり異常なのだろうか。

 「別に珍しいことではない。思春期に入った人間の子供に力が発現するのはたまにあることだ」

 黒蝿が淡々と答える。また思考を読まれてしまったが、それよりもその答えに少女の目が大きくなった。

 『珍しくない? 悪魔はとりついてないの?』
 「そんなものとり付いてない。お前の場合、偶々発現した力が、言霊に集中してしまった。ただそれだけの事だ。時期が過ぎれば治る類のものだった。別にお前が特別なわけじゃない」

 黒蝿は突き放すように言ったつもりだったが、言われた当の本人は何故か嬉しそうに笑みを浮かべていた。

 「何が可笑しい」
 『……いや、違うの。嬉しいの。私が異常じゃないって分かって』

 昔から、少女は周りと「違う」自分が嫌だった。みんなの黒い瞳とは「違う」青の瞳。白い肌。そのせいで随分と苛められ、みんなに溶け込めない、みんなと「違う」自分に酷く嫌悪感を持っていた。
 でも、この悪魔は私を「違わない」と言った。私の声は異常じゃないって。
 たったそれだけの事。だけど、少女はずっと求めていた言葉を投げかけられ、それがとても嬉しかった。

 『そうか、私、異常じゃなかったんだ』

 はにかみながらそう念波を送る少女を、黒蝿は訝しげに見ていた。

 「それがそんなに嬉しい事か?」
 『うん』
 「……変な女だ」

 呆れたように答えられたが、それも少女にとっては嬉しいことだった。
 私の話を聞いてくれる。私の問いかけにきちんと答えてくれる。今まで少女の周りの人間は、少女を拒絶する奴らばかりだったから。存在を否定し、少女が何か言ってもそれに答えてくれる者など皆無だったから。
 だから嬉しい。私を無視しないことが。私の存在を否定しないのが。

 「……本当変な奴だな」

 黒蝿が再び呟く。
 満たされた心で肉を頬張る。塩も胡椒もなく味は薄かったが、少女には今まで食べたどの肉よりも美味しく感じた。

―――

 その日、現れた悪魔はカラステングの群れであった。
 黒い装束を身に纏い、黒い布で顔を覆ったその悪魔は、どこか黒蝿に似ている気がして、少女は傍らの黒蝿を見上げると、その思考を読んだのか黒蝿は嫌そうな顔をした。

 「やり方は覚えてるな」
 「…………」

 少女は頷く。
 カラステングがザンダインを放ち、黒蝿と少女は横に飛んだ。カラステングの数はおよそ十。
 そのうちの五体が少女に向かってきた。それを影で攻撃する。しかしカラステングは素早い動きでそれらをかわす。
 少女が影の形を変えた。
 細い紐状に変化した影は、網となってカラステング達を捕らえた。
 動きが止まった。少女はカラステングに向かって鋭利な形に変化させた影で突き刺す。そして黒蝿に教えて貰ったとおりにカラステングのマグネタイトを吸い取る。

 「――!!」

 マグネタイトと一緒にカラステングの感情が流れ込んでくる。

 ――痛い。悔しい。おのれ、なぜ私がこんな人の子に――!

 身を切り裂くような激痛と、少女に向けられる憎悪になんとか耐え、カラステングのマグネタイトと、自らの感情を混ぜ、新たなマグネタイトを生成する。それがサマナーとしての資質もセンスもない、極普通の少女に黒蝿が提案した「マグネタイトの作り方」だ。

 「ジオンガ!」

 黒蝿が五体のカラステングに向かって電撃を放つ。それを避けきれなかったカラステング達は身体をしびらせ、そのまま地に落ちる。
 落ちたカラステングを、少女がまた影を突き刺し、マグネタイトを吸い取る。
 少女の身体が海老ぞりになり、目が限界まで見開かれ、感電したかのように震えると、やがてカラステングの姿は消え、少女の手に液状の玉が浮かんでいた。

 『出来たよ。マグネタイト』

 滝のような汗を流し、少女は黒蝿に向かって手を差し出す。カラステングのマグネタイトと、自身の感情を混ぜてなんとか作った生体エネルギー、悪魔の餌となるマグネタイト。
 サマナーが作り出せる純度の高いそれとは程遠い、紛い物のマグネタイトではあったが、悪魔のよりは味はいいだろう。

 『ほら、食べて』
 「…………」

 ふわふわと少女の手に浮いている液体の玉。少女は真っ青な顔で黒蝿を見ている。

 「いらない」

 ピシャリと言われたその言葉に、少女は眉を寄せ睨む。

 『作り方教えたのはそっちでしょ!』
 「そんな死にそうになりながら作られたマグネタイトなんて不味いに決まってる。だからいらない」
 『ぐだぐだ言わないで食べて!』
 「いらないと言ってるだろう」

 むかあ、と少女が苛立ち、全身が怒りで熱くなる。
 人間のマグネタイトが食べたいって言ったから、私は作り方を教えてもらった。必死の思いで作り出したのに、なんなんだその言い方は!

 苛立ちが押さえきれない少女は、手の中のマグネタイトを口に含み、黒蝿の顔を無理やり掴んでこちらを向かせる。そして唇を重ね、口の中のマグネタイトを直接口移しで与えた。

 「!?」

 どん、と黒蝿が少女を突き飛ばす。少女が尻餅をついた。その唇から血が出ている。黒蝿が噛みきったのだろう。

 「何をする!」

 黒蝿が口元を拭いながら怒鳴る。黒蝿の舌にはまだ流し込まれたマグネタイトの味が残っていた。カラステングと、少女の哀しみの感情が混じった、血にも似た甘く苦い味。
 少女が何か言いたそうな目をこちらに向ける。その時。

 「!」

 少女の小柄な身体が宙に浮いた。背後にいた巨大な「何か」に身体を掴まれたのだ。

 「悪魔を食らう、外に恐ろしき人の子よ」

 威圧感のある低い声で発したそれは、
 厳つい青い顔の、白い翼を生やし、白い法衣を纏った、鞍馬山で最も強い幻魔・クラマテングであった。

 「我が配下のコッパテング、カタキラウワを解体して食うなど……悪魔より恐ろしい罪深い者よ。この我が直々に成敗してくれよう」

 ぎり、とクラマテングが法螺貝を持っていない左手で、少女の身体を握りしめる。みしみし、と身体が鳴り、少女は痛みに顔を歪ませる。

 「ザンダイン!」

 黒蝿がクラマテングに衝撃波を食らわす。しかしクラマテングはびくともしない。クラマテングにザンは効かない。
 しかし、少女は違った。少女はザンダインをもろに受け、クラマテングの手から抜け出すことに成功した。黒蝿の狙い通りである。

「ぬ!?」

 衝撃波で吹き飛ばされた少女は、影で空中に足場を作ると、そこに足をつけ体勢を整えた。そして右手に何かの玉を乗せると、其処に影が集まり、影は銃の形になった。その銃はグロッグ17に似ていた。

 「……!」

 宙に浮かびながら、少女は照準を絞り、引き金を引いた。
しかしクラマテングはその玉をいともたやすく避けた。

 「無駄だ。そんな玩具で我を倒すことなど――」

 玉は、クラマテングの脇を通り過ぎ、そしていつの間にか後ろにいた黒蝿に当たった。"少女の狙い通り"に。

 「はっ!」

 銃から発せられた玉は、チャクラポット。この間倒した悪魔が落としていった魔力を回復させる玉。
 その玉を受けた黒蝿の魔力が回復した。そして、黒蝿が薄く笑ったかと思うと、手に黒い剣が浮かび、クラマテングにグラム・カットを食らわす。

 「ぐっ!」
 クラマテングがよろめく。しかし倒れはしない。

 「こんな攻撃で、我をやれると……!?」

 黒蝿に反撃しようとした矢先、クラマテングの背中に穴が開く。
 振り向くと、其処には幾つもの銃を造り構えている少女がいた。
 マハジオストーンに、ブフーラストーン、八百万針玉。それらが影の銃から放たれる。これらのストーンは、全て今まで倒してきた悪魔が落としていったものだ。
 打つ。影の銃が崩れる。また打つ。確実にクラマテングにダメージを与えていく。

 「我を……人から畏れ敬われる我を殺すというのか。人の子よ」
 「…………」

 少女は答えなかった。答える必要などなく、ただ、今までの悪魔と同じく倒し、マグネタイトを奪うだけ。
 クラマテングが「ハマ」を少女に向け放った。しかし即死はしなかった。少女の胸に下げている十字架のペンダントが、ハマの術を防ぎ、はねかえしたからだ。
 自ら放ったハマを直撃してしまったクラマテングは大ダメージを負った。傷を負ったクラマテングに、黒蝿がグラム・カットを二度、三度振るった。
 するとクラマテングは唸り声を上げて倒れ、そして遂に動かなくなった。

―――

 息が荒いまま、少女が恐る恐る倒れているクラマテングに近づいた。

 (……倒したの?)

 黒蝿が少女の隣に降り立つ。
 くくく、とクラマテングが笑った。その笑い声に少女の身体が強張った。

 「我をも…自らの糧にする気か。恐ろしき女よ」

 少女は暫し目を伏せ、そしてクラマテングに念波を送った。

 『私は、生きたい。生きなくちゃいけない。だから、その為に貴方のマグネタイトを貰うね』

 ぶわ、と少女の影が膨れた。その様子を見て、またクラマテングが笑う。

 「そうやって、罪を重ね続けるか。その重さに耐えられる者などいないぞ。それでも修羅の道を行くか。罪を重ね続ける血まみれの人の子よ」

 少女は、哀しそうに目を細めた。だがそれも一瞬の事。隣にいる黒蝿の顔を見、意を決して拳を握る。

 「こいつのマグネタイトの量ならば、この結界に穴を開けることができる。やれるな?」
 『……わかってる』

 き、と少女は瀕死のクラマテングに向かって影を伸ばす。黒蝿は、やっとこいつのお守から解放されると思い、吐息をついた。

 「!!」

 影を刺し、クラマテングからマグネタイトを吸い取る。少女が黒蝿の手をとり、直接マグネタイトを渡す。
 その膨大なマグネタイトを自らの魔力に変換し、黒蝿が結界の壁に影の刃を突き刺す。
 強力な影は結界にヒビを入れ、徐々にヒビは影の結界全体に広がり、ピシッピシッと音を立てて結界が崩れ始める。
 すると結界は圧縮しはじめた。苦悶の表情でマグネタイトを吸い取り続ける少女と、影で結界を壊そうとしている黒蝿を包み、結界圧縮時に生まれる膨大なエネルギーが、アマラ経絡という霊道を生み出した。

 「!」
 「なんだこれは!?」

 二人は、凄まじいエネルギーの波に包まれ、アマラ経絡の奥に吹き飛ばされていった。

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