――姉ちゃん、どこに行くの?

 『お姉さんは私と一緒にちょっと京都に行ってくるよ。なに、心配はいらない。ほんの二、三日で帰ってくるよ』

 姉ちゃんが僕の頭を撫でる。柔らかく、温かい小さな手。お母さんの手と良く似ている。

 『すぐ……帰って、来るから、待って、てね』

 微笑みながら姉ちゃんが僕に言う。
 約束だよ。姉ちゃんが帰ってくるまでに、僕、強くなるよ。今まで僕を守ってくれた姉ちゃん。今度は僕が姉ちゃんを守るんだ。もうお母さんはいないし、家にはお父さんがいないから、男の僕が強くならなくちゃ。姉ちゃんを守れるように、心も身体も強く!

 大柄なシドに手を引かれ、姉が行ってしまう。
 少年は、その後を追いかけたい衝動を我慢し、ぎゅ、と拳を握った。

―――

 「……アキュラ、時間だ」

 束の間の休息。ソファーにて横になっていたアキュラは、仲魔の雷王獅子丸の声で目が覚めた。
 ここは東のミカド国。城内の王の執務室。豪華な調度品と大きな執務机が並ぶ部屋の隅に置かれた来客用ソファーで、この国の王であるアキュラは、執務の合間を練って仮眠をとっていた。

 「獅子丸か。なんだ」

 気だるそうにアキュラは上体を起こした。ぱさ、と金色の前髪が顔に落ちる。

 「あの悪魔を尋問する予定だろう。忘れたのか」

 獅子丸が溜め息混じりに言う。
 アキュラの仲魔の一人でもあり、側近代わりのこの神獣は、王であるアキュラの一日のスケジュールを管理している。雷王獅子丸は、アキュラにとって頼れる仲魔でもあり、執事でもあり、厳しい教師でもあった。

 昨日、封印していたターミナルから現れた一組の男女は、今は牢に入れてある。男の方は黒い翼を生やし、明らかに人ではなかったので、悪魔専用の特別牢に放り込んでおいた。今日、その悪魔を尋問する予定だ。他ならぬ、アキュラ王が直接。

 「何もお前直々に行かぬとも、サムライ衆にまかせておけば……」
 「俺があの悪魔と直接話がしたいんだよ。それに……」

 その後に続く言葉をアキュラは飲み込んだ。
 あの悪魔と共にいた少女。今は別の牢屋に入れているが、少女は、アキュラの良く知っている人物に酷似していた。
 しかし「彼女」なわけがない。あまりに似すぎているのだ。彼の覚えている「彼女」と。

 「悪魔と一緒にいた娘の尋問は誰が?」
 「キヨハルが行っている。キヨハルの奴、張り切ってたぞ。ターミナルから来た彼女を「天使」と信じているらしい」

 アキュラは苦笑した。天使と悪魔が一緒にターミナルから降り立ったなんて、キヨハルさんらしい考えだ。

 「行くぞ」

 ばさり、とマントを翻し、アキュラは獅子丸を連れて執務室を後にした。

―――

 こんこん、こんこん。
 少女が牢の壁を叩く。固い石でできている。しかし構造は単純だ。牢屋の中には固いベッドと、簡易トイレらしきものがひとつづつ。小さな窓には柵が埋め込まれ、脱走防止になっている。ドアには覗き窓と、食事を出し入れする小さな出窓がついていた。
 何もかもが本で見た中世ヨーロッパの牢と酷似していた。
 昨日“ターミナル”と呼ばれていたあの場所はとても近代的な様子だったのに、ここや、外の街並みは、中世時代のそれとほぼ同じように感じた。このちぐはぐさはなんなんだろう。

 そっと、少女は影を操作しようとした。しかし影は少しも動かない。

 (やはり駄目か)

 昨日から何度試しても、影の造形が出来ない。
 影の魔法さえ使えれば、こんな古い牢屋から出ることが出来るのに。どうやらこの牢には、魔法を抑えるなにかしらの処置が施されているらしい。

 『……黒蝿?』

 少女は黒蝿に念波を送ってみる。しかし返事はない。黒蝿は少女とは別の牢に連れていかれた。どれくらい離れているのかわからないが、もしかしたら黒蝿の牢にも魔法を使えなくさせる処置が施されているのかもしれない。

 (酷い事、されてないかな)

 ベッドの上で、少女は膝を抱えぎゅっと縮こまる。
 今まで黒蝿が側にいるのが当たり前であった。悪態をつきながらも、彼は決して自分の側を離れなかった。念波で呼びかければ答えてくれた。ただ単に監視していただけかもしれないが、少女は自分が独りぼっちじゃないとわかり安心出来た。
 黒蝿の姿が見えない、念波にも答えて貰えない事がこんなに心細いとは知らなかった。

 自分はこれからどうなるんだろう。
 あのアキュラという少年。ここ――東のミカド国というらしい――の王と名乗った。自分と同じくらいの年頃に見えたが、それよりもあの容姿に少女は惹かれた。

 さらっとした金髪に、明るい青い目。似ている。「あの子」に。しかし「あの子」な筈がない。あの子――アキラは、まだ八歳のはずだ。あの少年はどう見ても自分と同い年か少し上。アキラなはずがない。なら、彼は一体――?

 ガシャ、と音がして、鉄製の扉が開く。少女はベッドから降りる。食事の時間か? それともまた尋問か?

 「おやおやおや、女の子だ! 話には聞いていたけど本当にそっくりだ!」

 扉から入ってきた人物を見て、少女は驚いてとっさに身構えた。
 その人物は初老の男性で、長い白髪を伸ばし放題にし、青い修道衣にも似たボロボロの着衣を纏っている。それだけでも異様だが、少女を更に驚かせたのは、その老人の顔に無数の十字の傷があった事だ。

 「ね、ね? 君、天使なのかい?」

 老人が少女に迫る。少女は異様なその雰囲気に気圧され思わず後ずさる。

 「無駄だキヨハルさん。その子は喋れない」

 扉の向こうに構えていた、見張り役の騎士のような男が老人に告げる。キヨハルと呼ばれた異様な男は、「分かっているよ」と騎士に返した。

 「安心して。僕は君に手荒な真似をするつもりはないから。その証拠に、ほら。今日は服と筆談用の紙とペンを持ってきたよ。いつまでもそんな血の匂いがする服じゃ君も嫌だろ?」

 まくし立てるキヨハルをよそに、少女はくんくんと服の匂いを嗅いだ。
 もう鼻が麻痺して何も感じないが、影の鞍馬山での生活で、悪魔を倒し解体する際、返り血が付くことが多々あった。こまめに洗ってはいたが、やはり染み付いた血の匂いはなかなか取れないらしい。

 「湯殿を使う許可も出たよ。身体を洗ってさっぱりしたいだろう? アキラ君から君を囚人ではなく客としてもてなすように言われてるんだ」

 アキラ。その人物名に少女は大きく反応した。アキラ? アキラって、まさかやはり私の知っている「あの子」なの――?

 そうキヨハルに問い詰めたくても、喉からはひゅう、と木枯らしの吹くような音しか出ない。そう。少女は声を出せない。だから昨日行われた尋問でも、声を出さない少女に、担当の尋問官は最初怒っていたが、事情が分かると筆談で答えるよう紙とペンを渡された。
 そこに日本語で自分の名前と何故ここに来たのか分からない旨を書くと、尋問官には通じた。どうやらこの国では日本語が通用するらしい。

 少女は自分の名前を「重女」と書いた。
 無論、偽名である。本当の名は思い出したくても分からないから。

 かなめ、と名乗ったのは、なんてことはない、少女の母の名が「かなえ」だったとのと、漢字はクラマテングの最後の言葉である、『罪を重ね続ける人の子よ』からとった。重女。罪を重ねる女。母を言霊で殺してしまい、生きる為に悪魔の肉を食べた自分にはぴったりな偽名だと少女は思った。

 「えっと、重女ちゃん、だっけ? とりあえず食事にしない?  今日のはとても豪華だよ。アキラ君の命令で料理番が手によりをかけて作ったんだから。食事は貴賓室でとろう。でもその前に湯浴みかな? おおい、君。この子を湯殿に案内してあげて」

 キヨハルがぱんぱんと手を鳴らすと、小綺麗な格好をした侍女らしき女性が数名牢に入ってきた。皆少女、いや、重女を見て張り付いたような笑みを浮かべている。
 状況が飲み込めず、オロオロする重女の腹が急に鳴った。ぐぅ~という間抜けな音に、重女は腹を押さえ顔を赤くし前屈みになる。

 「……そうだ、これ。アキラ君からの差し入れ。君に渡してくれってさ」

 キヨハルが少女の手に何かを乗せる。長方形のスティック上の黒い包装紙に包まれたそれは、スニッカーズというチョコだった。

 「……!」

 重女は驚きと感動のあまり息を呑んだ。
 このスニッカーズは、昔シドの教会に遊びに行っていた時、シドがよくくれたお菓子だったからだ。
 濃厚な甘さのそのチョコは、すぐにアキラと重女の大好物になった。影の鞍馬山での生活でも、何度このチョコを食べたいと思ったことか。
 重女がこのチョコが好きと、キヨハルの言う「アキラ君」は分かっていたのだ。出なければわざわざ差し入れにスニッカーズを選んだりしない。

 (アキュラ……貴方はやっぱり私の知っている「アキラ」なの?)

 包装紙を破り、重女はスニッカーズを口にした。濃厚なチョコの味が舌に響き、甘い味が身体中に広がる。それは、幸せの味。
 かつてシドの教会でアキラと共に食べた味。その時の感情が思い出され、懐かしさと嬉しさに重女は涙した。

―――

 「お前、悪魔だろ?」

 悪魔の術を封じる特殊牢。その中で獅子丸を連れたアキュラと黒蝿が対峙していた。
 黒蝿は口の端に笑みを浮かべ黙っていた。その様子にアキュラは苛つき、語気を強くする。

 「お前の名は? あの人間の娘とはどういう関係だ?」
 「………名はやたノ黒蝿。勿論偽名だがな」
 「貴様、ふざけてるのか」

 獅子丸が腰の刀に手を添えながら威嚇するように言う。だが黒蝿の顔から笑みは消えない。それは自嘲の笑みであった。

 「俺の本当の名を知りたければあいつに聞くことだ。なんせあいつが俺の真名を奪ったんだからな」
 「……どういうことだ? あの娘はお前のなんだ?」

 黒蝿は答えない。獅子丸が一歩踏み出そうとしたが、アキュラがそれを手で制す。

 「もしかして、あの娘は悪魔召喚師で、お前は仲魔か?」

 アキュラの問いに黒蝿は喉を鳴らしてくつくつと笑った。そんな事を問うアキュラを馬鹿にするように。

 「さあな」

 その言葉に流石のアキュラも怒り、黒蝿の襟を掴み顔を近づける。アキュラの青の瞳と黒蝿の暗い瞳が重なる。

 「お前はあの娘にとりついているのか! なら今すぐあの娘を解放しろ! あの娘はただの人間だろ!」
 「……何故そこまであいつにこだわる?」

 胸ぐらを掴まれたまま発した黒蝿の問いに、アキュラははっとなった。が、すぐに苦しげに眉を寄せる。

 「あの娘は……似すぎている。俺の良く知っている人に」

 だが、とアキュラが続ける。

 「そんなはずはない。あれから七年も経ったんだ。なのに……」

 そう、全く同じなのだ。アキュラが探し求めていた人物と。その人物と最後に出会った時の姿と、彼女は“同じ”なのだ。顔も、背丈も。服装も。

 『待っててね』

 今でも思い出せる。「彼女」の優しい声。儚げな笑顔。常に自分を守ってくれた細い肩。自分と血の繋がった、最愛の――

 「あれ?」

 アキュラが黒蝿を放す。少年は頭を押さえ、苦悩の表情に変わる。

 「アキュラ? どうした?」

 獅子丸が異変に気づき、声をかける。アキュラはそのまま地に膝をつけてしまう。
 黒蝿はその様子を黙って見下ろしていた。なんの表情も浮かべなく。

 「おかしい……俺、姉ちゃんの名前が分からない!」
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