アキラ、後に東のミカド国の初代王アキュラと名乗る少年は、空想癖が強い子供であった。
 母は仕事が忙しく、六歳違いの姉が幼いアキラの世話をしてくれた。
 アキラは周りの子と異なった目と髪の色をしていた。明るい青の瞳に金色の髪。姉は髪こそ黒髪だったが、瞳はアキラと同じく青く、その姿は他の子供達のイジメのターゲットとなった。
 石をぶつけられたり、髪をひっぱられたりして、泣くしかないアキラと対照的に、姉はいじめっ子に果敢に立ち向かっていった。
 そのせいで姉は生傷が絶えなかった。そんな姉の手当てをするのはアキラの役目であった。
 傷だらけで悲しそうに微笑む姉を見て、幼いアキラは密かに決意した。
 ――僕が、もっと大きく強くなって、姉ちゃんを守ってやる!

―――

 「姉ちゃん、みかどってなに?」

 ある日、姉が学校から借りてきた幼児向け絵本の「竹取物語」を自宅で読んでいて、アキラは家事をしていた姉に聞いた。
 姉とアキラが住んでいたアパートはとても古く、六畳一間に小さな台所がついているだけで、当時普及し始めたテレビもクーラーもなかった。姉は仕事で忙しい母の代わりによく家事をこなしていた。そのせいで姉の手にはあかぎれがいくつもあった。

 「みかど?」
 「うん、ここに書いてあるよ。“みかど”てなに?」

 姉が洗い物の手を止めて絵本を覗く。

 「帝ってのはね、昔の王様の呼び方だよ」
 「おうさま?」
 「うん、一番偉い人の事を、この時は“ミカド”て呼んでたの。簡単に言えば王様だね」

 王様。絵本で呼んだことがある。一番偉い人。王様は偉くてなんでも思い通りにできる。食べ物に困る事も、他の皆からいじめられることもなくなるんだ。

 「じゃあ僕、ミカドになるよ!」

 いきなりの弟の発言に、姉は目を丸くした。しかしアキラは真剣そのものだ。

 「僕が“ミカド”になったら、一番偉いんでしょ? そうしたら皆僕達の事いじめたりしなくなるし、お腹いっぱいご飯も食べられるよね! だから僕沢山勉強して、この国の“ミカド”になるんだ!」

 今の日本に、帝なんて役職はないことくらい小学生の姉にはわかっていた。だがアキラのキラキラ光る目を見ていると、否定しようという気にはなれなかった。

 「うん、頑張って“ミカド”になってね。そしてお姉ちゃんとお母さんを守ってね」
 「うん、僕偉くなるよ。誰にもいじめられないくらい偉く!」

 大人が聞けば微笑ましい子供の妄想だと笑われただろう。だがアキラは真剣だった。幼い姉弟は微笑みながら、そっと指切りをした。

―――

 「姉ちゃん、こっちこっち!」
 「待ってよ、アキラ」

 ある晴れた日曜日。アキラが姉の手を引っ張って近くの原っぱに連れて行った。
 長い間空き地だったそこは、草が生え放題で、二人の子供は草に埋もれて歩いていた。

 「こんなところに何があるの?」

 姉の問いかけにアキラはへへ、と悪戯っぽく笑ってみせた。

 「じゃーん!」

 アキラが指を指したものを見て姉は息を飲んだ。
 そこは、幾つも草を結び作られた、小さなドーム状の空間であった。
 生い茂る背の高い草は、其処だけぽっかりと口を開けており、中にはほんの少しの雑誌と駄菓子、そして小さな木の枝で作られた十字架が土に刺されている。

 「どうしたの、ここ?」
 「秘密基地だよ! 僕がこっそり作ったんだ! 祭壇もあるんだよ、ほら」

 枝を紐で結んで作った十字架を刺した土の盛り上がりが、アキラのいう「祭壇」らしい。シド先生の影響だな、と姉はくすりと笑った。

 「ここでね、僕ずっとお祈りしてたんだ。家がお金持ちになりますように、お母さんが家にいてくれますようにって。此処は僕だけの“教会”なんだ」

 嬉々として喋るアキラを姉は複雑そうな顔で見ていた。

 「アキラは……神様とか信じるの?」

 その言葉にしまった、とアキラは口を押さえた。何日か前、姉はシド先生に反論したのだ。神様なんかいない、神様なんか信じない、認めない、と。

 「あ、あの、僕は……」

 ぎゅ、と胸の十字架のペンダントを握る。あの言い合いの後、シド先生が自分と姉にくれたものだ。姉と、シド先生とお揃いのペンダント。姉は今でも神様を信じていないのだろうか。

 「そうね……シド先生の言う事は全部は信じられないけど……でも、いい神様ならいるといいね」

 寂しそうに姉は言う。その胸にはアキラと同じ十字架のペンダント。それに姉はそっと触れる。自分が触れては壊れてしまうかのように。

 「僕は……神様はいると思うんだ」

 腰をかがめてアキラは「祭壇」の方に近づく。そして手を組み目を瞑る。

 「こうやって祈ってると、いつか天使様が現れて、僕達を幸せにしてくれるような気がするんだ。だって、こんなにも僕達が辛い目にあってるんだから、神様が助けてくれないわけないよ」

 アキラの幼い横顔は、真剣に祈りを捧げている。常に虐げられてきた、幼い子供の唯一の拠り所が、ここで祈ることだった。
 人はどうしようもないほど辛い事に直面したとき、人ではない何かに縋る。それが偶像であれなんであれ。アキラは幼いながら自分の無力さを痛感していた。その気持ちが神への信仰心に変わったのかもしれない。

 「……そうだね、少しなら願いを叶えてくれるかもね」

 姉はアキラの隣に来て、同じように手を組み祈った。
 神様でもなんでもいい、私とアキラとお母さんがこれ以上辛い目に合わないように、心の中で願った。
 原っぱの、小さな「秘密基地」の中で、幼い二人の姉弟が互いの幸せを願って祈り続けた。

―――

 それから数年後、姉は中学に進級し、アキラは小学校に入学した。
 家は相変わらず貧しく、クラスの子からのいじめは続いたが、辛い時は心を宙に飛ばし空想に耽った。

 空想の中では、母が常に家におり、きちんと料理を作ってくれ、姉も自分も笑っていて、顔の知らない父親もいて、学校ではいじめられてなく、幸せな気持ちで毎日を過ごす、そんな今の生活とは正反対の空想を抱いた。
 外部からの辛い仕打ちに対する、一種の心の自己防衛であったが、いつしかアキラは空想の世界の方が本当な気さえしてきた。
 ここは本当の世界じゃない。本当の世界は別にある――子供には良くある妄想であったが、アキラのそれはとても強かった。綿密に、細部まで理想の世界を思い描く事ができた。
 いつか、きっと「あっちの世界」に姉ちゃんとお母さんも連れて行きたい。そんな決意すら固めていた。

―――

 そして姉が中学二年に進級し、アキラが小学二年生になった頃、一つの変化が訪れた。

 母が死んだのだ。
 原因は交通事故であったが、姉は自分が殺したのだと驚愕していた。
 姉はある時期から極端に喋らなくなった。理由を聞くと、「私の言葉は人を不幸にする」かららしい。
 母が事故に合う前の日、姉が母と口論になった。

 「嫌い、大っ嫌い! お母さんなんか死んじゃえばいいんだ!」

 はっとして口を押さえた姉の横で、アキラはオロオロするしかなかった。そして姉は自分の手を引き、シド先生の教会に連れて行った。
 その夜はそこで過ごした。姉は泣いていた。お母さんに酷いこと言っちゃった、どうしよう、と涙をポロポロ流しながら自分を抱きしめてきた。
 アキラもどうしたらいいかわからなく、ただ姉の背中をさすっていた。泣きながら。
 狭い椅子で泣きじゃくる姉弟をシドは何も言わず見つめていた。

―――

 そして母の埋葬が済み、アキラと姉は施設に引き取られたが、姉はシド先生と京都に行く事を告げた。
 なんでも姉の声には悪魔が宿っていて、シド先生は魔をもって魔を制すデビルサマナーらしく、京都の鞍馬山に行けば姉に取り付いている悪魔を払うことが出来るらしい。

 「姉ちゃん、何処に行くの?」
 「お姉さんは私と一緒に京都に行ってくるよ。なに、心配はいらない、ほんの二、三日で帰ってくるよ」

 シドの横に立っていた姉が、アキラの頭を優しく撫でる。亡き母にも似た細く小さな柔らかい手。

 「すぐ……かえっ、て、くるから……まって、てね」

 泣き出したいのをこらえてアキラは頷く。
 約束だよ。姉ちゃんが帰ってくるまでに、僕、もっともっと強くなるよ。もうお母さんはいないし、家にはお父さんがいないから、男の僕が姉ちゃんを守ってあげなくちゃ!

 シドと姉を見送ったその晩、アキラは神にお願いをした。

 ――神様、僕を、姉ちゃんを守れるように強くしてください。今まで姉ちゃんが僕を守ってくれたから、今度は僕が姉ちゃんを守る番。だから、心も身体も強くなりたいです――

 それから三日、一週間たったが、姉が帰ってくる気配はなかった。
 施設に手紙すら届かなかった。アキラは不安な日々を過ごし、ひたすら、秘密基地に行って姉の無事を祈った。
 だが一ヶ月経っても、姉は帰ってこなかった。
 流石におかしい、と感じたアキラは、施設を抜け出し、シドの教会へ向かった。シド先生なら何か知っているはず。もしかして姉より先に帰ってきているかもしれない。
 しかし、公園の外れにあるはずだった教会は、どこにもその姿がなかった。
 場所を間違えたのか? そんなはずはない。何年も通いつめた場所だ。間違える訳がない。
 近くを通りかかった通行人に教会の事を聞いた。すると通行人は訝しげに眉を寄せて言い放った。

 「何言ってるんだ。ここには最初から教会なんてなかっただろう」
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