「……てなわけでね、僕達はここに“東のミカド国”を作ったんだ」
 「………」

 朝。城内の豪勢な食堂にて。東のミカド国の王であるアキュラことアキラは、朝食を取りながら同席している自らの姉である重女に、今までの事を話していた。
 アキラは慣れた様子でフォークとナイフを使い、静かに肉を切り分け口に運んでいる。箸を使うのも覚束なかったあの子が、一体いつ誰にフォークとナイフの使い方を習ったのか。重女はパンをちぎりながら思った。

 「それからが大変さ。僕達は東京の人々をターミナルを使ってここに避難させた。でも悪魔も一緒について来ちゃってね、キヨハルさんと他の討伐隊の皆で悪魔退治の毎日だったよ」

 なんとか悪魔を地下に追いやったアキラ達は、その後ターミナルに厳重な封印を施した。
 その時一緒に戦った悪魔討伐隊の隊員が、現在ミカド国を守っている「サムライ衆」と呼ばれる小さな軍の始祖になったという。

 [なんでアキュラて名乗ったの?]

 食事の手を止め、筆談用ノートにそう書き、アキラに見せる。キヨハルが重女の為に咽喉マイクを作ってくれている最中だが、まだ出来上がっていない。

 「アキラよりアキュラの方が威厳があって王様て感じだろ? 阿修羅に似てるし」
 「………」

 特にそうは思わなかったが、重女は曖昧に頷いた。慣れない手でナイフとフォークを使い、肉を口に運ぶ。
 味が濃い。影の鞍馬山で味の薄い悪魔の焼いた肉を食べていた重女にとって、この国の豪華な食事の味付けは酷くしょっぱく感じた。

 「姉ちゃん、朝食をとったらミカド国を案内するよ。だってこれからずっとここで一緒に住むんだ。この国の事を知らないと不便だろ?」

 その言葉に、重女は手を止める。
 ずっと一緒。確かに私はアキラの元に帰りたかった。アキラとまた一緒にいたかった。でも、それは元の世界での話だ。影の鞍馬山から出たら、生まれ育った横浜でまた二人一緒にいられると思っていた。
 あの結界で過ごしている間に、此方では七年も経過し、まさかアキラがこんな国を造っていたなんて思いもしなかった。
 それに――。

 (シド……)

 脳裏にあの凄惨な光景が浮かび上がる。
 診察台に拘束され頭に幾つも管をつけられ、ぐったりとしていた京子。それを見て何か指示を出していたシド先生。
 シド。貴方は一体彼処で何をしていたの? シドはデビルサマナーではなかったの? 私達に親切にしてくれたのも嘘だったの?
 それが聞きたいのに、この世界にはシドはいない。出来るならもう一度会って話がしたい。
 アキラはシド先生の事をどう思っているのだろうか。筆談用ノートにペンを走らせようとしたその時。

 「アキュラ!」

 食堂のドアが勢いよく開けられた。開けた先にいたのは、険しい顔の雷王獅子丸。赤い鬣が汗で乱れている。

 「何事だ? 食事の最中だぞ」

 姉と二人水入らずの食事を邪魔されたからか、アキラは酷く不機嫌に問うた。

 「すまぬ。だが緊急事態だ」

 王の側近であり仲魔でもある神獣は、うなだれながら声を上げた。

 「この獅子丸、一生の不覚。やたノ黒蝿が儂の監視から抜け出し、ミカド国内に逃走した」
 「!!」

 ガタン、とアキラと重女は同時に椅子から立ち上がった。その際にナイフとフォークが床に落ちてしまったが、二人は気にしなかった。

―――

 城の方角が騒がしい。どうやら脱走がバレたようだ。黒蝿は辺りを見渡しながら眉をしかめた。
 牢を抜け出し、近くの森の中に逃げたはいいが、空が飛べないのは不便であった。今、翼を出して空を飛べば、すぐに見つかってしまう。空を飛べればこんな風に忍び足で歩くことなく、彼処まですぐ着くのに。

 昨日、雷王獅子丸に見張られながらこの国を観察した。
 そこで分かったのは、この世界は人為的に造られた事、まだあちこちの空間が不安定な事、そして――この世界を構成する“気”の中に、あのアキュラという少年のと、「天使」のが混ざっているという事だ。
 一つの世界を造る程の魔力。下級の天使の力では到底できない。ならば天使の中でも上位の者――大天使達が関わっているのだろう。

 ぎり、と黒蝿は近くの木の幹に爪を立てる。
 あのシド・デイビスとかいうサマナーが使役していた黒翼の大天使、あいつもここにいるのだろうか。俺を捕まえあまつさえ他の悪魔と合体させ、こんな姿に変えた張本人。憎い敵。この国にいるのなら、探し出して今すぐ八つ裂きにしてやる!
 怒りで熱くなる胸を押さえ、黒蝿は木々の間から見える、遠くの大きな白い楕円形の物体を目で捕らえていた。
 巨大な繭のような物体。彼処から一段と気を強く感じる。間違いない、彼処に大天使はいる。

 黒蝿は口角を上げ、残忍な笑みを浮かべた。待ってろ、今殺しに行く――。

―――

 「そっちはどうだ!」
 「ダメです、見当たりません!」

 アキラの指示の元、サムライ衆によって黒蝿の捜索が行われた。ミカド国はまだ小さい。これだけの人員を割けば悪魔一匹すぐに見つかるだろう。

 とんとん、とアキラの肩が叩かれる。振り向くとそこには、眼鏡ごしに不安な表情を浮かべた重女が立ってノートを差し出している。

 [あれはなに?]

 ノートにはそう書かれていた。

 「あれ?」
 「………」

 重女はある方角を指差す。目を凝らして見れば、遠くの方に白い楕円形の物体が鎮座しているのが見えた。

 「あれは、大天使様の繭だよ」
 「?」

 アキラは話した。自分と四大天使の関係を。
 あの秘密基地での邂逅、四大天使による命。自分が別世界に渡りミカド国を造るきっかけとなった話を。

 「この国を造った時、また四大天使様が僕の夢の中に現れた。天使様は言ったんだ。「よくこの国を造ってくれましたね」て。
 天使様達は悪魔との戦いで酷く衰弱してて、現世に顕現出来ないらしい。それであの繭の中で体を再生中なんだ」

 四大天使。聖書でも読んだ事がある。ミカエル、ラファエル、ウリエル、ガブリエル。とても偉い天使だと書いてあったが、そんな天使が何故アキラに接触を?
 神の千年王国? そんな物を造るのに何故ただの子供だったアキラを選んだ?
 アキラは四大天使に酷く心酔しているようだ。だが重女は信用出来なかった。昔から神や天使の存在に懐疑的であった少女は、アキラが嬉々として語る四大天使様とやらに何やら胡散臭いものを感じた。

 「アキュラ王! 奴を見かけたという情報が! ここから北東の方角の森に逃げ込んだらしいです!」
 「なに!?」

 アキラは重女に背を向け、険しい顔でサムライ衆と話し合う。
 そうだ、黒蝿。もう二、三日会ってない。キヨハルさんに聞いても、牢に収容されているとしか説明されず、アキラに頼んでも面会は許されなかった。
 重女は目を瞑り、黒蝿の気を探した。
 黒蝿から「影の造形魔法」を与えられた重女は、集中すれば黒蝿の気を感じ取る事が出来た。

 ――見つけた。あの繭の近くに黒蝿はいる。私の声と名を奪い、影の鞍馬山で一緒に過ごした、私の仲魔――

 重女は踵を返し、黒蝿の元へ行こうとした、が、

 「姉ちゃん、何処に行くの?」

 アキラが二の腕を掴んで止めた。その言葉に、在りし日の幼いアキラが重なった。
 シドに連れて行かれる前。あの時もそう言っていた。不安そうな青の瞳は、身体は成長してもあの頃と変わっていない。

 「まさか、あいつを探しに行くの?」

 重女の二の腕を掴む力が強くなる。その強さと手の平の大きさは、間違いなく成長途中の男のものだ。

 「なんであいつにそこまでこだわるんだよ! あいつは悪魔だ。姉ちゃんの声と名を奪った奴だろ?」
 「………」

 どう説明すればいいのか分からなかった。それ以前に説明したくとも声が出ない。今までの事をノートに書くのは長すぎるし時間もかかる。
 大丈夫だ。今は七年前とは違う。黒蝿を見つけたらすぐに帰ってくる。もう置いていったりはしない。

 ――すぐ、帰るから、待ってて――

 声が出ない口が、そう動いた。それを見たアキラは目を大きくした。
 姉ちゃんが、僕からまた離れようとしている。僕より得体のしれない悪魔の方を選ぼうとしている――!

 その認識は、姉の為に生きてきた少年の心を突き刺した。あまりの事に、手から力が抜ける。涙が溢れそうになる。
 呆然と立ち尽くし、傷ついた表情を浮かべる弟を、重女は哀しそうに見つめ、そっと目を伏せて、そして黒蝿の元へ走っていった。
 重女はがむしゃらに走った。そうでもしなければ、アキラの傷ついた顔を思い出し、胸が張り裂けそうになるから。

―――

 ぱき、と枝を踏む音がし、黒蝿は身構え後ろを振り向く。
 そこには、ぜえぜえと荒い息を繰り返す重女がいた。顔に汗が滲んでいる。ここまで走ってきたのだろう。

 「なんだ、お前か」

 興味なさげに黒蝿は言う。
 重女が前に会った時と違い、眼鏡をかけていることに気がついた。この国の王である弟にでも貰ったか。

 『どこに行くの?』

 汗を拭いながら重女は念波で問いかけた。

 「あの繭の中に、恐らく大天使がいる。その中に「あいつ」もいるかもしれん。だから殺しに行く」
 『あいつ?』
 「大天使・マンセマット。俺をこんな姿にした憎い敵だ」

 殺しに行く。確かに影の鞍馬山で黒蝿はそんな事を言っていた。そいつとシドによって捕まったとも。
 物騒な言葉にどう答えていいか悩む重女に、黒蝿は言い放った。

 「お前、弟の側にいなくていいのか?」
 『大丈夫。ちょっと離れているだけだし、すぐに戻るから――』
 「お前が弟に出会うまで協力する、それが俺とお前の契約だったはずだ」

 黒蝿が冷たい声でそう言う。重女ははっとした。

 『た、確かにそうだけど、でも……』
 「なら俺はもうお前の仲魔でもなんでもない。契約は果たされたんだからな。だから俺の邪魔をするな」

 がん、と頭の中を鈍器で殴られたような衝撃が走る。仲魔。私の唯一の「友」。短い間だったけど私はそう思っていた。だけど黒蝿、貴方はそうは思ってはくれなかったの?

 『……いいの? そんな事言って』
 「何?」
 『私の仲魔をやめるなら、名前を返してやらない。ずーっと異界に帰れないよ? それでもいいの?』

 半分拗ねたような口調で、挑発にも似た言葉を送った。こいつは自分の名前を返してもらうことにこだわっていた。なら、そのことをつけば、私の仲魔をやめないはずだ、と重女は思った。だが――

 「……………」

 黒蝿は重女をじっと見ている。その瞳は虫けらを見るような、ぞっとする程暗い色を帯びていた。
 その視線に背筋が寒くなる。すると、急に重女の身体が影に縛られ動かなくなる。

 「!!」

 身体を捩って影から逃れようとするも、細い紐状に変化した影は重女の小柄な身体を縛って動かない。
 
 「……好きにしろ」

 怒気を孕んだ声でそう言うと、黒蝿は冷たい視線を寄越した。決別の視線であった。

 『行かないで!』

 重女の必死の言葉にも、黒蝿は応じなかった。
 そして背を向けると、翼をはためかせ、黒い風を伴い消えた。重女を一度も見ることなく。

 「………」

 身体を縛られたまま、重女は呆然と見ているしかなかった。

 ――黒蝿。

 かつて重女が名付けた名前。その名前を口にしようとしても、喉からはひゅう、と木枯らしが吹くような音しかでなかった。

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