「姉ちゃん、お待たせ」

 小学校の校舎からアキラが出てくる。走る度にランドセルがガシャガシャと揺れる。
 私はその姿を見て手を振り微笑む。アキラの小さな手が私の手を掴む。

 「今日は学校で何したの?」
 「図工の時間に姉ちゃんとお母さんの絵を描いたよ! 見て!」

 アキラがランドセルから一枚の画用紙を取り出す。そこにはお母さんと私とアキラが手を繋いで笑っている絵がクレヨンで描かれていた。

 「上手だね」
 「本当?」
 「うん、アキラは将来絵描きになれるよ」

 へへ、とアキラがはにかむ。私はその柔らかそうな金髪を撫でて笑みを浮かべる。そして手を引いて二人家路を急いだ。

 「おかえり」

 アパートのドアを開けると、エプロン姿の母が出迎えてくれた。いい匂いが台所の鍋から漂ってきた。今日のご飯はカレーだろうか。

 「ほら、二人とも手を洗って」

 母に言われる通りに手を洗い、卓袱台をだしてアキラと二人席に付く。卓袱台に三人分のカレーの皿と、それから大きなケーキが置かれた。
 目をぱちくりさせている私をよそに、母とアキラはケーキの蝋燭に火をつける。部屋の灯りが消され、蝋燭の火が母達を照らす。

 「お誕生日おめでとう、姉ちゃん!」

 にっこり笑うアキラと母を前に、私の目が一段と大きくなる。
 そうか、今日は誕生日か。すっかり忘れていた。今日で私は幾つになるんだっけ?

 ――あれ?

 「ほら、姉ちゃん蝋燭の火を消してよお」

 アキラに急かされ、私は思いっきり息を吸い、そして吐いて蝋燭の火を消す。パチパチパチ、と母とアキラが拍手してくれた。

 「おめでとう、■■■姉ちゃん!」
 「■■■もすっかり大きくなっちゃって」

 にこやかに話しかけてくるアキラと母、その会話の中に私の名前が出てきた。しかし私はその名前を認識する事が出来ない。そして、

 ――私も自分の名がわからない――!

 「姉ちゃん、どうしたの?」

 頭を押さえ、目をキョロキョロさせている私に、アキラは三等分したケーキを皿に盛り、目の前に置く。甘い生クリームと苺の甘酸っぱい匂いが感じられ、思わずごくりと唾を飲み込む。

 ――アキラ、あなたは東のミカド国の王になったのではないの?

 優しい笑みを浮かべながらカレーを取り分ける母。
 ――お母さん、お母さんが料理するなんて珍しいね。普段は台所に滅多に立たないのに。

 少女は思わず立ち上がり、後ずさった。

 ――何かが変だ。何が、と言われれば答えようがないが、不自然なのだ。料理を作ってくれる母も、満面の笑みを浮かべているアキラも、今まで誕生日等祝われた事のないのに今年に限ってお祝い、だなんて。

 そして一番変なのは――

 「姉ちゃん?」
 「どうしたの? ■■■?」

 不安そうに近づいてくるアキラと母を私は手で制した。

 「違う……あなた達はアキラとお母さんじゃない」
 「な、何言ってるのよ?」
 「私のお母さんは交通事故でとうに亡くなった」

 母が事故に合う前の自分の暴言を思い出し、私の胸は刃物で傷つけられたようにズキズキと痛む。

 「それにアキラ、あなたは別世界で国を造り、アキュラ王を名乗ったはず。そんな子供の姿のままなわけがない」
 「……姉ちゃん」

 アキラがきょとんと不思議そうな顔をする。

 「そして、一番おかしいのは……」

 両の拳を握りしめ、母とアキラ二人の顔を見つめ、さらに二人の背後を睨む。

 「私が、こんな風に声を出して喋れるわけがない――!」

―――

 自分の怒鳴り声で、重女は目が覚めた。

 目を開けた視界は白かった。不思議な場所だ。その空間はとても大きな球形であった。空間が僅かに発光している。“ターミナル”での人工的な冷たい光ではない。ほんのりと穏やか光っている。優しいと呼べる程度に。

 重女は上体を起こして軽く頭を振り、先程までの記憶を思い出していた。

 森の中で黒蝿に“別れ”を告げられ影の紐で縛られたこと、やっと紐から逃れたと思ったら、今度は黒蝿が天使の繭に攻撃を仕掛けているのが見えた。
 私は急いで彼の元に走って、そうしたら黒蝿が繭に引きずりこまれそうになってたから、私は思いっきり彼の手を引いて、それから……

 「やっと目が覚めましたか」

 頭上から声がした。男でも女でもない不思議な声。
 視線を上にずらす。其処には四体の白を基調とした異形の生物が立っていた。

 「あ……あなた達は……?」

 あまりの姿に、喉が震え声がでた。重女ははっとして首を押さえる。
 おかしい。私は黒蝿に声を奪われたはず。なのに何故声が出せる――!?

 「此処では悪魔の力は消えます。だから貴女の喉は元通りになりましたよ」

 白い物体の一つが重女に話しかける。その声音はとても優しく、まるで教師が教え子を諭すようであった。
 しかし重女は眉を寄せて警戒の色を顔に滲ませる。この異形の者達は何者なのだろうか。私の声をいとも簡単に戻した。確か此処は――

 「此処は我ら四大天使の繭。私はミカエル」
 「我はウリエル」
 「私はガブリエル」
 「私はラファエルです」

 四大天使は重女に向かって自己紹介をした。重女は警戒の態勢を崩さない。その様子を見てガブリエルはくすりと笑った、ように見えた。

 「安心してください。私たちは貴女に危害を加えるつもりはありません」
 「なにせアキュラ王の実姉ですから」
 「そう、私たちの可愛い手駒の」

 手駒、と聞いて重女の肩がピクリと震える。手駒? それってまさかアキラのこと?

 「それ、は……アキラの、ことを、言ってるの?」

 久しぶりに声を出したせいか、酷くたどたどしい発音であった。だが、そんなことに構わず四大天使は続ける。

 「そう。彼はよくやってくれました。私たちの夢の実現のために」
 「夢の……実現? それ、は……「神の千年王国」のこと?」
 「勿論それもあります。ですが私たちの夢はもっと高いところにあります」

 夢? この者達はまだ何かを企んでいるのか? アキラにこんな国を造らせたに飽き足らず、この上にまだ何か――

 「私たちの最終目標は……」
  
 ガブリエルがまたしても笑った。しかしその笑みは先ほどより歪んだ形に重女には見えた。

 「アキュラ王と合体し、神の戦車熾天使メルカバーになることです」

―――

 「!!」

 重女は絶句した。自由に声が出せるようになったはずの喉がまたしても声を失ったかのようだった。

 「彼は素晴らしい逸材です。素質、我らへの信仰心共に申し分ない。彼こそ、我らが長い間探していた人の子」
 「彼と我らが合体すれば、我らはメルカバーに進化することが出来る! ああ、長年望んでいた神の戦車にやっと……」
 「貴方たちと合体すると、アキラはどうなるの?」

 重女の全身の筋肉が強張った。四大天使への言葉も、僅かに緊張の色が混じっている。

 「もちろん、彼は殉教者としてその存在が消滅します」
 「!!」

 さも当たり前のようにミカエルが言った。ざわり、と重女の全身の毛が逆立った。

 「彼も光栄に思うでしょう。我らと合体することによって、更に次元の高い存在へと生まれ変われるのですから」
 「我らの願いならば、彼は受け入れるはずです。彼は幼いころから我らを慕っていた。信仰する我らと共になれるなら、これ以上の名誉は――」

 その時だった。
 重女の影が急激に膨らみ始めた。そしてその影が四大天使へと襲い掛かる。
 四大天使は軽々と影の攻撃をかわした。天使たちは驚いて重女の方を見る。

 「あの子を……誑かして利用したわね!!」

 絶叫と共に、影が鋭利な触手となり四大天使を突き刺そうとする。その勢いは、広く大きな繭を揺らすほどであった。
 ウリエルがハマのバリアを張り、影の攻撃を無効化する。しかし重女は攻撃をやめない。巨大な影を背負ったその少女の姿は、まるで黒翼を広げた悪魔のようだ。

 「何を怒っているのです? これは名誉なことなのですよ?」
 「我らを敬い、信仰していた彼なら、きっと喜んで殉教するはず――」

 ラファエルが言い終わる前に、再び無数の影が天使達を串刺しにせんと蠢く。影が天使の手によって消されても、攻撃の手を止めない。重女の顔は怒りに歪んでいた。

 「あの子を、消滅なんてさせない!」

 影はまるで無数の刃物のように四大天使に向かう。しかし大天使の身体には傷一つつけられない。

 「貴方たちの思い通りには、させない!!」

 怒りの声をあげながら、重女は影を操作し攻撃する。その姿に四大天使達は落胆の声をあげる。

 「やれやれ、彼女は随分と穢れているようだ」
 「どうやら悪魔と取引をしたようね。大分悪魔の力に染まっているわ」
 「ああ汚らわしい。ケガレビトだわ」
 「これは早く“浄化”しなければ」

 ガブリエルの瞳が光った。その光を受け、影は全て消滅し、そして重女の身体は硬直した。

 「!?」

 重女の視界が白く染まった。強烈な、暴力的な天使の光によって。
 そして目から入ったその光は重女の全身を内側から焼く。脳髄を、内臓を、記憶まで“浄化”せんと激しく動く。
 あまりの衝撃に、重女の目が限界まで見開かれ、身体は電流を流されたかのように海老反りになる。
 抵抗しようとしても、指一本動かせない。身体と精神を天使の光が支配していく。

 「怯えることはありません。これは浄化の儀式です」
 「浄化が終われば、貴女の中からは悪魔の力は消えます。そうすれば、アキュラ王のように我らのことを理解できるでしょう」

 薄れゆく意識の中で、重女は必死に抗った。そして今まで出会った大事な人達の顔を頭に浮かべる。アキラ、お母さん、京子、シド先生、そして――

 ――黒蝿

 脳裏に浮かぶその姿に、重女は手を伸ばす。だが天使の光は重女の記憶を徐々に白く染め、“浄化”という名の暴力は、一人の少女の身体と精神を蝕んでいった。
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