その男は、「猿」と呼ばれていた。

 赤ら顔で背丈が高く、どこか愛嬌のある猿を感じさせる顔立ちから、彼を拾った親分が名付けた渾名であった。
 親分は鉄火場を束ねるやくざの元締めである。
 「猿」と名付けられた男は、何時しか博徒となり、鉄火場の用心棒を勤める事となった。
 郷里から上京し、奉公先で一悶着起こし追い出され、金もなくふらついていた彼を拾ってくれたのが親分である。
 自分が金を稼がないと、妹達が腹を空かせてしまう――猿はすぐに親分の鉄火場で用心棒として働く事にした。
 堅気な仕事ではないが、用心棒は自分の荒い気性にあっていた。イカサマをする客を見つければ制裁を加え、言いがかりをつけて来た時には、屈強な男数人相手に大立ち回りを演じたものだ。
 それで親分から渡される賃金を故郷の妹達に送ってやる――猿の生活はなかなか充実していた。あの日が来るまでは。

 ―――

 「親分! 怪しい奴を捕まえて来ました!」

 ある日、鉄火場に舎弟の一人が血相を変えて入ってきた。脇に縄で縛った「何か」を抱えながら。
 その「何か」を床に転がす。「何か」は人間の子供であった。

 いや、これは本当に人間なのだろうか?

 子供は金色の髪と青い目を持った、恐らく女の子供。もう少女と呼べる年齢だろうか。
 着ている着物も妙だった。小袖でも着流しでもない。上衣は黒の身体の線が分かる首もとまで隠れる妙なもので、下衣は袴に似ているが、それより足の線が分かる形状をしており、どれも猿が見たこともない着物であった。

 ――異人の子。

 ふと猿の脳裏にそんな言葉が浮かんだ。
 先日、「黒船」と呼ばれる遠い異国からの船が浦賀沖に辿りついたとの噂を耳にした。
 しかし猿は今まで異国人を見たことはない。長崎の出島にでもいけば阿蘭陀人には会えるであろうが、江戸の片隅で鉄火場を細々と営んでいる猿達には異人などとは縁はなかった。
 だが異人の容貌は浮世絵で何度か拝見したことがあるので知っている。赤ら顔に長い鼻、黒ではなく金の髪。色素の薄い瞳。
 しかし床に転がされている娘は、瞳と髪の色と奇妙な服装を除けば、よく見れば市井の年頃の娘と変わらぬ顔立ちであった。異人とのあいのこなのだろうか。
 猿と娘の視線が交錯した。ふとその瞳の青が故郷の空の色を、大きな瞳は痩せた妹を思い起こした。

 「縄張りを歩いていたらいきなり空から降ってきたんですよこの娘。気づくのが遅れたら頭からぺしゃんこだったですぜ」
 「空から? ならこの娘は物の怪か!」
 「ああそうに違いねえ! 異人でもこんな服は着ていねえし、おまけにこの娘ときたら今まで一度も喋ってねえ」
 「親分、どうしますかい? 物の怪でも異人でも女には違いねえ。二束三文にしかならないが、女郎屋にでも売り飛ばしてしまいますかい?」

 うむ、と親分と呼ばれた厳つい男は、無精ひげの目立つ顎をさすりながら思案に耽る。娘は怒ったようにじっとこちらを見ている。
 猿には妹の他に、昔姉がいた。その姉はある日女衒に手を引かれ、村から出ていき、そして二度と帰ってこなかった。
 姉が廓に売られ、病で亡くなったと知ったのは猿が十二の時だ。そのまま今度は妹が売られそうになったところを、猿は必死に止めた。妹を連れて行かないでくれ。代わりに俺が江戸に奉公に出て沢山稼ぐから、と。
 にいちゃ、と縋り付いてきた妹の顔と、目の前の娘の顔が重なる。

 「親分、ちょいとまってくだせえ」

 猿は思わず横にいた親分に声をかけた。ぎろり、と眼光鋭い視線を受けたが、萎えそうになる膝に力を入れて言葉を続けた。

 「この娘、もしかしたらあの黒船と関係あるかもしれません。黒船の異人たちはお上となにやら談合を繰り返していると聞きますし、もしこの娘が黒船の関係者で、女郎屋に売り飛ばしたとお偉方に知られたら面倒なことになりやすぜ」

 お上、お偉方と聞き親分だけでなく手下達まで顔色を変えた。賭博を生業とする者達は皆脛に傷を持つ身である。奉行所に目をつけられるのだけは避けたい、と皆思っている。

 親分は思案の末、娘の処分を明日へと持ち越した。娘はそのまま牢へ放り込まれた。
 イカサマを働いたやつや賭場を潰そうと襲ってきた他所の組のものや、縄張りを荒らしたものを折檻するための牢だ。石の壁には幾つもの血痕が飛び散っており、隅の方には箒尻等の拷問道具が鎮座している。まだあどけない年の娘を入れるには酷だと猿は思ったが、親分の命令には逆らえない。
 案の定、牢に入れられた娘の瞳には怯えの色が伺える。

 「……お前さん、ほんとに物の怪なのかい?」

 膝を抱え隅に蹲る娘に猿は話しかける。郷里の妹とどうしても重ねてしまい、哀れに思いあのような提案をしてしまった。これですぐさま女郎屋に売られるというのは避けられたが、ずっと此処にいてはそれも時間の問題だろう。

 「…………」

 娘は顔を上げ、ゆっくりと首を横に振った。

 「なら、やはり異人さんかい?」

 そう問われ、娘は今度はほんの少し顔を俯け、微かに首を縦に振った。泣きそうな表情であった。

 「だとしたらやはり阿蘭陀人とのあいのこかい? なんでここらをうろついていた? しかもそんな妙な格好をして、さらってくれっていってるようなもんだぜ」
 「………」

 相変わらず娘は黙ったままだった。
 もしかしたら言葉が通じないのか、と一瞬思ったが、先程の問いかけには反応していた。とすると言葉が通じないのでも耳が聞こえないのでもなく、ただ単に喋れないだけなのか。
 娘の纏っている不思議な雰囲気は、異国の人間というだけではなく、声を失うほどの辛い体験をしたからか。

 「そうだ、お前さん、丁半は知ってるかい?」

 懐から賽子と小さな壺をとりだした猿に、娘は目を大きくした。どうやら興味をしめしてくれたようだ。

「簡単に言うとな、二つの賽子をこの壺の中に入れて振って、その和を当てるんだ。賽子の和が偶数なら丁、奇数なら半だ。算術はわかるか?」

 こく、と頷く娘。中盆ほど壺の扱いは上手くないが、娘との勝負なら自分の腕でも十分だ。
 猿は地面に線を引く。そしてそれぞれの陣に「丁」「半」と書く。
 そして猿は賽子を素早く壺に入れると、そのまま地面に着け軽く二回振る。珍しいものを見るように、格子を掴んで娘はその様子を凝視する。

 「俺と勝負しようじゃないか。こいつで俺に勝てたら、お前をここから出してやるよ」

 娘が驚いた顔をした。そんな娘に猿は笑いかける。
ただの用心棒でしかない自分が、親分に了承もなく勝手に娘を逃がすなんてとんでもないことだ。私刑はまぬがれなく、最悪殺されるかもしれない。
 だが娘と妹を重ねてしまった猿にとっては、この娘が女郎屋に売られていくなど我慢できなかった。例え物の怪だろうが異人の子だろうが。
 猿は地面から小石を拾い娘に渡す。

 「この石がコマ札の代わりだ。丁か半、思うところに置いてくれ」

 娘は石をじっと見つめ、壺を見つめた。そして石を地面に書かれた「丁」の陣地に置く。

 「丁、だな。よし、壺を開けるぞ」

 猿も娘も息を飲み、壺から現れた賽子を見つめる。賽子の数字は……一と一。ピンゾロの「丁」だ。

―――

 結局、猿は娘に負けた。あの後三回程勝負をし、その全てで娘は勝った。

 手心は加えていない。最初の一回こそまぐれかと思ったが、そのあと立て続けに娘は当てた。イカサマはなかったはずだ。娘は格子の向こうにいたし、イカサマなどできるはずはない。
 そして約束通り、猿は娘を牢から逃がした。
 渋る娘の背を強引に押し、娘を見送った後、異変に気が付いた三下に親分の前へ引きずられ、裏切りとして鉄火場の皆に手ひどい制裁を受けた。
 全身に酷い痣や傷をつけられ、意識が朦朧とするなか、親分が衝撃の一言を放った。

 「お前、大方あの娘が郷里の妹のようで哀れに思ったんだろ? だが残念だったな。お前の妹も母親も、別の組の女衒が女郎屋に売り飛ばしたって聞いたぜ。しかも借金を返す間もなく二人とも首くくっておっちんじまったらしい。もうお前の守ろうとしていた可愛い妹と母はこの世にいなかったってわけだ」

 呵呵大笑する親分に、猿は渾身の頭突きをくらわした。だが手負いの身では大した傷を負わせられなく、逆に手下どもに更に手酷く暴行を受けるはめになった。

 そして簀巻きにされ川に流され、こうして今、下流の行き止まりで生死の境を彷徨っているわけである。

 (俺がやってきたことは……全部無駄だったんだな……)

 全身の熱が引いていき、身体の感覚はもうない。殴られすぎて腫れた瞼のせいで狭い視界が、更に白く染まっていく。
 これが俺の最後か……。猿は観念した。やくざの用心棒として数々の悪事に手を染めてきた。そんな罪深い俺に相応しい最後だ。

 バサバサと音がし、大きな鴉が猿を見下ろしている。おいおい、もう死肉をあさりにきたってわけかい? 待ってくれよ。もう少しであの世にいくからさ……

 すると鴉は大きく膨れ上がったかと思うと、人間の男の姿へと変貌した。なんだ、最後に見る夢にしてはおかしな夢だな。

 「ほんとにこいつを助けるのか?」

 鴉のような男が言う。その言葉と同時に猿の視界にもう一人入ってきた。結いもしないで無造作に肩まで垂れ流している金髪。青い瞳。間違いない。自分が牢から逃がしてやったあの不思議な少女だ。

 「…………」
 「! ……お前それは本気か!?」

 こくりと少女が頷く。なんだ、なんの話をしているんだ。
 鴉のような男は、尚も少女に向かって何かを怒鳴りづけていたが、少女は一言も発さない。なのに二人の間には意思の疎通ができているみたいだ。なぜだろう。

 暫くして少女は男を押しのけ、なにか分厚い本のようなものを開いた。するとそこから光が発し、瀕死の猿を包み込んだと思うと――。

―――

 「し、信じらんねえ……! こんなことが……!」

 猿は、いや、猿と呼ばれていた人間「だった」男は、自分の身体を見て言葉を失った。
 少女の作動した悪魔合体プログラムによって、既にコンプ内に貯蔵していた魔獣・ショウジョウと合体させられた男は、まさに渾名のとおり大柄な猿の身体へと変化していた。

 『……本当は、もっと人間に近い形で生き返ると思ったんだけど……』
 「そういう問題じゃないだろう!」

 黒づくめの男の怒鳴り声が耳から入ってくるのに対し、異相の少女の声は直接脳内に響く。この不可思議さと己の身体に起こった変化が、どちらも少女が引き起こしたらしいというのがかろうじてわかった。

 「お、お前さん……お前さんはやっぱり、物の怪だったのかい?」

 黒い男と怒鳴りあっていた少女が、やっと猿の方を向く。そしてふっと笑った。猿にはそれが自嘲の笑みに見えた。

 『いえ、人間よ。でも、半分物の怪かもしれない……』

 答えながら少女は眼鏡をかけた。随分不思議な形の眼鏡だ。猿がみたこともない形状だ。
 次に少女は右手を開いた。そこには二つの黒い賽子があった。

 『勝負しましょう』

 目をぱちくりする猿に少女はそう問いかけた。そして地面に放られていた欠けた茶碗を拾い、中に賽子を入れそのまま地面に茶碗を押し付ける。

 『貴方が勝ったら私達は貴方の仲間になる。言うことをなんでも聞いたげる。そのかわり私が勝ったら、私の"仲魔"になって。私の目的のために力を貸して』

 背後で控えていた黒い男は、何を勝手に決めていると怒ったが、少女も猿も無視した。丁か、半か、まさに運命を決める賭けである。

 「俺はピンゾロの丁だ」

 猿が言った。牢での賭けで、少女が最初に当てた数字であったからだ。

 『じゃあ私は半。開けるよ』

 少女の白い手が茶碗を持ち上げた。そこにあった賽子の和は……一と二。イチニの「半」である。

 「はは……また負けちまったな」

 負けたというのに猿の顔には悲壮感はなかった。それどころかどこかすっきりとした様子である。賭けに負けたことも、自分が正真正銘の「猿」の姿に変えられたことも、少女と出会ったことも、全て実は運命だったのではないかと悟った。

 『これで私と貴方は仲魔だね。宜しく』

 猿は居住まいを正し、少女に向かって深々と礼をした。

 「いいでしょう、元々死ぬはずだった身だ。この命、姐さんにあずけまさあ」

 腰をかがめ、右手を前に出し、猿は忠誠を誓った。少女は頷く。黒い男は相変わらず険しい顔をしていた。

 「そういえば、姐さんの名前はなんていうんで?」
 『私は、重女。偽名なんだけどね』
 「偽名? なぜ?」

 ちらりと少女、いや重女は後ろを振り返り黒い男を見つめた。成る程。あの鴉のような男が関係しているのか。

 『それから、こいつの名前は……』
 「やたノ黒蝿。偽名だ」

 黒い男、いややたノ黒蝿はそう言い捨てた。重女を睨みながら。
 どうやらこの二人はただの仲間同士というわけではないようだ。

 「もう行くぞ。ただでさえ座標軸の数値がずれてこんな時代にきてしまったんだ。とっととアマラ経絡を造り次こそはあいつのところへ行くぞ」
 『うん』
 「東の方に強い力を感じる。恐らくそこに行けばアマラ経絡を造るためのエネルギーが確保できる」

 黒蝿が黒い翼をはためかせ、強烈な風を起こす。その風に包まれ重女と、後に石猿田衛門と名付けられる魔獣は、川辺から姿を消した。
 風に運ばれながら、重女は先程の賭けで使った黒い賽子を、田衛門に見られないようそっと握りつぶした。影の造形魔法で作った、それぞれの全ての面に一と二しかない、イカサマ用の賽子を潰し、その賽子は影となって消えた。

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