時は大正時代。

 西洋文化が浸透し、人々の生活や政治が近代化され始めた時代、帝都――現在の東京には悪魔が出現しはじめていた。いや、悪魔や鬼といった人ならざるものの存在は遥か昔から存在が確認されている。そしてそれを祓う者も。
 その名は葛葉ライドウ。国家機関ヤタガラスから帝都守護を任されている悪魔召喚師、 由緒正しきデビルサマナーの十四代目である青年は、お目付け役の黒猫「ゴウト」も連れず馴染みの反物屋に訪れていた。
 任務ではない。ただ先日の悪魔退治にて外套が破れてしまったので、外套を新調するのと同時に、何反か着物を注文しようかと来たのである。
 絵草子から抜け出してきたかのような美青年のライドウが、暖簾をくぐり店に来た途端、看板娘は目を大きくし、「いらっしゃいまし」と普段より高い声を張り上げる。この光景はもう見慣れたものである。ただ、ライドウが気になったのは、看板娘の隣にいた背の高い男の存在だ。
 緑がかった黒髪を後ろで一つに束ね、紺色の着流しに身を包んだ青年。ライドウと同じくらい背が高く、年も近いと思われるその男は、一見すればただの町人といった風情だが、ライドウが気になったのは彼の纏っている空気である。

 ――この男、ただの人間ではない。

 悪魔召喚師としての勘、とでもいえばいいのだろうか。人ならざるモノに関わる者は、必ず普通の人間とは違う雰囲気を放つ。この男も上手く隠してはいるが、ライドウ程の実力者相手にはその「気」を全て誤魔化すのは不可能に近いことである。
 男は店で一番安い海老茶色の女物の着物を一反だけ買い、店を出ようとした。出入り口を通るとき、男とすれ違った。二人の視線が一瞬交錯する。男の切れ長の瞳の中に、ライドウはほの暗い光を見出した。
 やはりこの男、同業者か、あるいは――

 す、とライドウは懐から小さな紙切れを取り出し、それを去っていく男の背中に貼りつけた。魔力が籠った呪符である。これであの男の追尾が可能になった。
 同じ悪魔召喚師なら、帝都守護職であるライドウが顔を知らないわけがないし、向こうもライドウを知っているはずである。しかし男はこちらを見ても眉一つ動かさず挨拶もしてこなかった。ならばあいつはヤタガラスに属していないはぐれ召喚師か、あるいは人外のものか。
 男の暗い瞳を見たライドウは、後者の可能性が高いと感じた。なんの為に人間に擬態しているのか、まだ目的が分からないので、暫く男を泳がせることにした。人間に危害を加えようとすれば呪符が身体の動きを封ずるし、仲間のもとへ向かうのなら、巣を見つけて悪魔どもを一網打尽に出来る。今はあの男の動きを読む時だ。
 学帽の下の柳眉をしかめるライドウに、看板娘はただオロオロするだけであった。

―――

 帝都から離れた小さな村。昔ながらの藁ぶき屋根の民家が立ち並び、あちこちに梅の木が生えている。
春を迎え、青い梅の実がなり、甘酸っぱい匂いが風と一緒に流れてくる。
 その風を受けて、むしろの中で身を震わす二人の子供がいた。肩まで伸びたぼさぼさの黒髪に粗末な着物。そして同じ顔。この二人の男の子供は双子であった。
 二人は路地裏で身を寄せ合いながら震えていた。春とはいえまだ風は冷たい。冷たい風にのって届いた梅の香りを、二人はくんくんと嗅いだ。

 「いい匂いだね」
 「梅の香りだよ」
 「おっかさんの作ってくれた握り飯、いつも梅が入ってたね」
 「あれは美味しかったね」
 「また食べたいね」
 「食べたいよう」

 双子は、お腹を押さえながら小声で囁きあった。
 もう何日も食べ物を口にしていない。隣近所に物乞いをしても、貧しいのはどこも同じなので、皆見て見ぬふりで誰も食べ物を恵んでくれなかった。
 ほんのひと月前まで、二人は母と暮らしていた。貧しい生活だったが母が農家の手伝いをして、なんとか生活出来ていた。
  しかしある日、母が死んだ。きっと二人に魚を食べさせてやろうと釣りを試みたのであろう。数日降り続いた雨で増水した川に足を滑らせて落ちてしまい、溺れて死んだのだ。
 二人は母の帰りをずっと待った。しかしいくら待っても母は帰ってこない。そのうち住んでいた貸し家の大家が、母の死を知らせに来て、家賃が払えぬなら出て行けと幼い二人の子を追い出した。
 まだ八つにもならない二人は、どうやって生きていけばいいのか分からない。父もいなく、親戚もいない天涯孤独な幼子達は泣いた。しかしいくら泣いても助けてくれるものは現れなかった。
 誰も助けてくれない。でもどうしていいか分からない。二人は路上で拾ってきたむしろに包まりながら寒さをしのぎ、互いの身体を寄せ合い孤独を分かち合った。

 「おっかさん……」
 「助けて……」

 涙を流しながら既にいない母を呼んだ。しもやけで赤くなった小さな手を繋ぎ、二人は目を閉じた。瞼の裏が段々白くなる。もうすぐ、母の元にいける。梅の香りが一層強くなる。おっかさんが漬けてくれた梅干しの酸っぱい味を思い出し、口の中が溢れた唾で僅かに潤い、しかしそれすら飲み込めなく口の端からだらりと垂れる。
 その時だった。身体がふわり、と温かくなったと思うと、誰かに肩を揺すられた。
 二人はほんの少し目を開けた。そこには人がいた。その人は自分達を抱きしめてくれているようだ。
 キラキラ光るお日様みたいな金の髪。晴れたお空のような青い瞳。柔らかい手。女の人?

 「……誰?」
 「……外人さん?」

 その"外人さん"の女の人は、二人が言葉を発したのを聞いてほっと安心したように微笑んだ。眼鏡の奥のその笑みが亡き母に似ているように見え、この人は悪い人じゃない、と二人は感じた。
 女の人は両手を差し出した。その手の上には沢山の青梅。

 「……くれるの?」

 二人の問いに、女の人は頷いた。母が死んで初めて親切に接してくれる人が現れた。どうやら外人さんみたいだけど、この人はいい人だ。目の色も髪の色も違うけど、まるでおっかさんみたい。
 二人は梅をもらうと口の中に入れて咀嚼した。まだ熟していない青梅はとても苦かったが、二人は構わずばくばくと種まで食べた。
 その様子を見て、女の人――重女は、良かった、この子達を助けることが出来たと安堵の息を吐いた。

―――

 帝都では、葛葉ライドウが呪符の気の後を辿り、先程の男の行方を追っていた。
 まだそれ程遠くには行っていないようだ。他の悪魔の気配もない。男の歩いた道を辿っていくと、段々人気のないところへと向かっている。
 悪魔の根城にでも帰るつもりか。ライドウは腰の退魔刀の柄に手を触れながら呪符の気の後を辿った。
 気配が止まった。根城についたのか? ライドウは歩みを早め、とある裏路地についた。しかしそこに男の姿はなかった。あるのは呪符がついた紺の着流しだけ。着物だけが地面に落ちていた。

 「成る程、呪符に気付いたのか」

 相手もなかなかやる、と口許に笑みを浮かべ心の中で賞賛した。
 着物を脱ぎ捨て身なりを変えたのか、それとも何かしらの術で移動したのか。ライドウは男の気を探ろうとした。
 その時、頭上から視線を感じた。あいつか? ライドウはばっと鋭い視線を上へと向けた。
 そこには一羽の鴉がいた。普通の鴉より一回り大きく、足は三本ある。

 「八咫烏!?」

 馬鹿な、あの霊鳥がなぜここに? あの霊鳥は絶滅危惧種のはず。誰かが従えているのか? まさかあの男の真の姿なのか?
 どちらにせよ、これはヤタガラスに報告しなければならない。霊鳥・八咫烏を捕獲しようとライドウは召喚管を解き放とうとした。だがそれより早く、鴉は黒い風を伴い姿を消した。
 舌打ちしながらライドウは管から凶鳥・モー・ショボーを召喚した。

 「モー・ショボー! あの八咫烏の後を追え!」
 「わかったよ。あはは!」

 命令を受け、幼女の姿の凶鳥は空を飛び鴉の後を追った。
 ライドウは外套を翻し、走った。この事をゴウトと自分の所属している国家機関ヤタガラスに知らせる為に。

―――

 ぶわ、と風が重女の髪や服を揺らしたかと思うと、そこに自分の仲魔であるやたノ黒蝿が立っていた。
 その姿を見て重女は眉をひそめた。帝都(重女の知っている東京のことらしい)に向かったときは目立たないよう着物を着ていたのに、今は普段の山伏のような黒い法衣で、鴉のような兜もかぶっている。

 『着物、どうしたの?』
 「……厄介なやつに目をつけられた。そのせいで脱がざるをえなかった。恐らく、あいつも悪魔召喚師だな。しかもかなり強い……」

 悪魔召喚師。懐かしい響きだ。シドも確かそうだと言っていた。またしても座標がずれて元の世界に帰れなく、こんな昔の時代――恐らく大正時代――に来てしまったが、悪魔召喚師というのは大正時代にもあったのか。

 「俺の知っている限り、悪魔召喚師のような職業は平安時代から存在していた。ならこの時代にもいてもおかしくはないだろう」

 そういうと黒蝿は、買ってきた着物を重女に渡した。この格好では目立ちすぎるので、黒蝿がわざわざ帝都まで移動して買ってきたのだ。
 風呂敷をほどき、出てきた海老茶色の袷を見て、重女は少しがっかりした。

 『あんまり可愛くない』
 「文句をいうなよ。それを買う金だって調達するのに苦労したんだ。ぶつくさ言ってないでとっとと着ろ。追手が来るかもしれん」

 確かに贅沢は言ってられない。袷と一緒に帯と襦袢、下帯に上帯に帯どめもついていた。着物は初めて着るが、昔浴衣を着たことはあったのでそれと同じ要領で着れば大丈夫だろう。……多分。

 「お前、なんだか梅の香りがするな」

 黒蝿が顔を近づけ重女の匂いを嗅いだ。間近に端正な顔があったので、驚いた重女は思わずそっぽを向いた。顔が赤くなったのを見られただろうか。

 『……さっき、お腹を空かしている子供を見つけたの。男の双子だった。何か恵んであげたくても私何も持ってなかったから、そこの梅を沢山あげたの』

 少し誇らしげにそう言って、そこ、と指さした先には沢山の実をつけた梅の木が庭にある家屋。重女はあそこから影を操り梅を盗んできたのだろう。花泥棒ならぬ梅泥棒。しかし、そこの木の梅はまだ青梅である。

 「……お前、まさかとは思うが、青梅をやったんじゃないだろうな?」
 『? そうだけど? 梅酒を作るときは青梅を使うじゃない。近所のおばさんが作ってるの見たよ』
 「この馬鹿!!」

 怒鳴り声と共に重女は思いっきり引っぱたかれた。小柄な身体が地面に倒れ、眼鏡が顔から外れ地に転がる。
 何をする、と言い返したかったが、目の前の黒蝿の怒りの表情に圧倒されて念話を送れなかった。

 「青梅には毒があるんだぞ! 直接食ったら最悪死ぬ場合もある。……まあその子供もまさか青梅を口にしたとは思えんが……」

 そこまで聞いて、重女の顔は一気に青ざめた。青梅よりも真っ青に。

―――

 苦しい。苦しいよう。お腹が痛い。身体が動かないよう。

 双子が青梅を大量に食べてしまい、そのまま倒れてしまってどれくらいたっただろうか。
 ただでさえ暫くものを口にしていなく衰弱していたところに、毒性のある青梅を種ごと食べたのだ。毒の巡りは 通常より早く二人の身体を蝕み、ついに瀕死状態にまで陥った。

 僕たちこのまま死ぬのかな。死んじゃうのかな。そしたらお母さんに会える? きっと会えるよ。

 朦朧とする意識の中、二人は互いの手をとりあった。
 もっと生きたかったなあ。そうだね。周りは怖い人ばかりだよ。でもあの女の人みたく優しい人もきっといたよ。いたよねえ。僕たちのお母さんになってくれないかな? 駄目だよ、だって僕たち死んじゃうみたいだし……

 『そんなことない!』

 誰? お母さん?

 『ごめんなさい、青梅なんか食べさせちゃって本当にごめんなさい! 死なせないから。私が救って見せるから……!』

 あの女の人? 僕たちに梅をくれたお姉ちゃん? どうして頭の中で声がするの? お姉ちゃん、泣いてるの?
 
 するとその女の手が現れた。柔らかく細い、僕たちを抱きしめてくれた手。
 瀕死の双子は、そっとその手に己の手を乗せた。すると女の手は、双子の小さな手を闇の中から引っ張り上げ――

―――

 その頃、ライドウはモー・ショボーの連絡を受け、家の者が運転する車で黒猫のゴウトと共に帝都の外れの小さな村に来ていた。
 
 「ここに八咫烏が……」

 車から降りながらライドウはごちる。貧しい小さな村だ。今の世に、こんな村がまだあったなんて。
 貧しい他には、梅の木があちこち植えられている以外取り立てて目立つところはない。悪魔が跋扈している様子もない。何故、こんなところに八咫烏が現れたのか。何故、あのような男の姿に擬態し女物の着物を買っていたのか。
 とにかく、八咫烏は今や絶滅危惧種の霊鳥だ。捕獲して、その名を冠する組織――ライドウも所属している国家機関ヤタガラスに保護してもらうのが得策だろう。

 『ライドウ! あれを!』
 
 ゴウトに言われ、ライドウは一本の木に目を止めた。とても大きな古い樹木。樹齢は恐らく百年近いだろう。あそこから強い気を感じる。目を凝らして見れば、そこの空間が歪んでいる。そして人が立っていた。女と、幼子が二人。なんだあいつらは? 女の方は不思議な形のズボンと身体の線がわかる上着を着用しており、眼鏡をかけている。足元には、狸の耳と尻尾を持つ同じ顔の子供が二人。そして肩には三本足の鴉――

 「八咫烏!? おい、女!」

 ライドウが叫ぶと、女はびくっと肩を震わせ、こちらを見た。金髪と青い瞳も目立っていたが、頬が殴られたかのように腫れていたのも妙に印象的だった。

 女――重女は謎の青年に怒鳴られ、その瞬間にアマラ経絡を閉じかけてしまいそうになった。だが鴉に姿を変えた黒蝿につつかれ、重女は急いで黒蝿と、紅梅白梅童子と名付け悪魔合体させ蘇らせた双子と共に、アマラ経絡へと飛び込んだ。

―――

 ライドウとゴウトが八咫烏を捕まえるより早く、アマラ経絡は閉じてしまった。
 樹木の幹に手を当ててみる。しかしもう霊道は消滅してしまい、娘も、八咫烏の姿もない。

 「何者だったんだ? あの娘は……」
 『俺にもわからん。だが、この事はヤタガラスに告げなくてはな』

 異相の娘が絶滅危惧種の八咫烏を従え、謎の失踪をとげた。この俺をまいて。
 とにかく、この事はゴウトの言う通りヤタガラスに報告せねばならない。帝都に戻らねば。十四代目葛葉ライドウは帝都守護職の悪魔召喚師。帝都とそこに住まう人々を守らねば。そのために僅かな違和感さえも解明せねばならない。

 家人の運転する車に乗ろうとしたとき、ライドウの頬を風がくすぐった。あの八咫烏が纏っていた黒い風にも似たそれは、甘酸っぱい梅の香りを、ライドウの鼻腔に届けた。


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