重女が食料と日用品を買った後、まず向かった所は、近くの図書館であった。

 そこで中学生まで対象の近代歴史の本をいくつか読み、自分が生きていた頃から今の時代に至るまで、何が起きたのかを大まかに把握した。

 とりあえず、アメリカとソ連の第三次世界対戦は起きなかったらしい。ソ連とアメリカはずっと「冷戦」と呼ばれる緊張状態であったが、ソ連が崩壊し、現在はロシア連邦と呼ばれるようになりアメリカ側の勝利で終わったこと、1991年にベルリンの壁が崩壊し東西に分かれていたドイツが一つになったこと、中国では民主化を求めて天安門事件が起こったこと、他には2001年にアメリカ同時多発テロが起き、イラク戦争が勃発したこと。
 日本では1989年に昭和天皇が崩御し、現在の「平成」という元号に変わったこと、1995年の阪神淡路大震災と2011年の東日本大震災という大規模な災害が起こったこと、他にも沢山の出来事がこの約五十年あまりに起こったことを重女はなんとか覚えた。
 次に人々の文化の変動について調べた。車は空を飛ばなく、地球環境問題に配慮したエコカーが主流になってきていること、テレビやクーラー等の普及率が重女の生きてきた時代とは比べものにならないほど高くなっていて、漫画やアニメ、映画の娯楽も大きく変わっていること、そして何より一番重女を驚かせたのは、個人で電話を持つということだ。
 小さな携帯端末でコードも無しに通話が可能なこと、 一家に一台、ではなく、一人一台が当たり前になっていること、特に若者の普及率は90パーセントを越えていること、そして……

 『ねえミドー、「いんたーねっと」でなに?』

 図書館から廃神社内の結界へ帰ったあと、知識を詰め込みすぎたせいで頭痛を催しながら、コンプ内のミドーに尋ねた。
 今日読んだ本の中で、その単語が重女の頭に印象に残っていた。いんたーねっと。なんでもそれは、見知らぬ人とでも繋がれたり、色んな事を調べたり出来るらしい。

 『すごく大きな図書館みたいなもの?』

 そういうと、ミドーは電子画面の中で笑って見せた。

 「まあ、その言い方もあながち間違っていないがな。凄く大雑把に言うと、膨大な情報を閲覧できたり、海の向こうの相手ともコミュニケーションがとれたり、とにかく便利なものだと覚えればいい」
 『じゃあ、コンプで「いんたーねっと」を使ってシドの居場所がわかったりする?』

 ミドーのポリゴンの身体が一回転してみせた。驚いたのだろう。

 「…………できなくはないがな。これは元々軍需品で、民間のネット回線とは違う秘匿回線を使っている。しかもこの時代には対応していない。使えるようになるにはかなり大掛かりなバージョンアップと時間が必要になるが、それでも構わんか?」

 こくん、と重女は頷いた。ミドーの言ってることの半分は理解出来なかったが、とにかく、「いんたーねっと」を使えるようになればシドの居場所もわかるかもしれない。そうなれば早くシドに会える。
 そういえば生きているとしたら、シドは何歳なんだろう? 初めて会った時のシドは20代後半か30代くらいだっただろうか? なら、今はもう70、80代のおじいさん?
 たらり、と重女の額に汗が滲んだ。冷や汗? いや、全身にじっとりと汗をかいて衣服が肌に張り付いている。 今日の外は結構暑い。結界内は寒くも熱くもないが、図書館まで長い距離を歩いてきて、そのせいで汗まみれになったのだろう。

 『ちょっと早いけど、銭湯に行こうかな』
 「おお、それがいいじゃろう。ついでにあそこでぐったりしているあいつも連れていくとよかろう」

 ミドーが言ったのは、この結界の六畳間の端で壁にもたれかかっている黒蝿のことだ。
 黒蝿は、足をだらしなく放り投げ、ぐったりとうつむいている。疲労困憊のようだ。

 『黒蝿、どうしたの? 夏バテ?』
 「馬鹿いうな。俺が夏バテなどするか。お前に甘ったるい菓子を散々食わされたせいだ」

 そう、この間の誕生日に重女が沢山買ってきてしまった菓子類は、とても重女一人で食べきれる量ではなく仲魔を召喚してなんとか平らげたのだが、黒蝿や獅子丸、猿は数個食べただけでギブアップした。
 残りは大食漢の牛頭丸と、子供の紅と白と一緒に食べたのだが、流石に甘党の重女も、三食甘い菓子というのはなかなかこたえた。今も胸やけが残り、口の中がべたべたする。人間である自分でさえこうなのだから、黒蝿達には相当きつかったのだろう。

 『じゃあ一緒に銭湯行こうよ。そうすれば少しはさっぱりするよ』
 「なんで俺が……」
 『いいから!』

 ぐいっと黒蝿の腕を強引にとり、重女は無理やり立たせた。抵抗の力がいつもより弱々しいのはやはり菓子のダメージのせいか。
 嫌がる黒蝿を引っ張りながら、重女はマイ桶と手ぬぐいに石鹸といった風呂用具一式を持って、二人は近くの銭湯へ向かった。

―――

 歩いて五分のところにある銭湯は、それほど大きくはないが、お湯の種類が豊富で、とても清潔で、何よりコーヒー牛乳やフルーツ牛乳といった飲み物やアイスが沢山売っており、重女のお気に入りのお店の一つであった。
 番台はなく、「券売機」という機械で年齢と性別に応じた料金をいれると、切符のような入浴券という紙が発行される。重女は十代の女性券一枚と、少し迷ったが黒蝿の分は二十代男性の券を買った。まさか悪魔専用の券は売ってはいまい。
 それを係の人に渡し、風呂場へ。嫌がる黒蝿の背を男湯の方に押し、重女は女湯の暖簾をくぐった。
早い時間だったせいか、脱衣所には人は少ない。お年寄りが数名いるだけだ。

 「あら金髪ちゃん! 今日は早いのね!」

 すっかり顔なじみになった清掃のおばさんが重女に声をかけてきた。人の好い笑みが印象的なこの初老の女性は、重女が声の出せないことを知ると、何かと気を使ってくれて、重女の事をいつも「金髪ちゃん」と呼んで話しかけてくる。
 いつもの通り微笑みながら会釈すると、「今日は男の人と同伴だなんて、やるわね」とにやつきながら小声で耳打ちされた。男の人? もしかして黒蝿が恋人だと思われている?
 違う、というように両手と顔をぶんぶんと横に振ると、おばさんは豪快に笑った。

 「若いっていいわね! 今日自販機の業者が来て新しい商品入れたみたいだから、彼氏と一緒に飲むといいわよ」

 自動販売機というのは、お金を入れて好きな飲み物のところのボタンを押すと、その商品が出てくる大きな機械だ。入口の券売機と同じ構造のようで、声の出せない重女には有難い機械であった。これなら売り子の人に聞かなくても好きなフルーツ牛乳を買うことが出来る。
 新しい商品が入ったのか。それはどんなジュースかな。黒蝿はフルーツ牛乳を飲むかな? お風呂から上がったら買ってみよう。
 少しだけワクワクしながら、重女は服を脱ぎ、髪を縛り眼鏡を籠に置いて、風呂場への戸を開けた。

 ―――

 まず身体にお湯をかけて軽く洗い、手ぬぐいを頭に乗っけてそれから湯へ。この銭湯には二、三種類のお湯があるが、重女のお気に入りはバイブラバスだ。ぶくぶくと気泡が沢山水面に起き、見ていて面白いし、なんだか身体の疲れも他の湯よりとれる気がするからだ。

 その風呂に、先客がいた。

 その子は自分と同じくらいの年頃の女の子だった。鮮やかな赤い長髪を結っていて、透けるような白い肌の、緑色の瞳をもったスレンダーな長身の子だ。
 初めて見る子だ。二週間程この銭湯には通ってはいるが、平日の今の時間帯に同年代の子がいるというのは珍しい。自分と同い年くらいの子は学校に通っているから、会うとしても夜が多いのに。
 その子と目が合った。緑色の大きな瞳に見つめられて、重女はとっさに顔をそらしてしまった。今のはまずかっただろうか。
 そっと横目でその子を見る。綺麗な赤髪だ。燃える火のような鮮やかな赤。赤い髪の人は母親のホステス仲間にもいた。その人は外国製のヘア・マニキュアを使っていたらしいが、この子もそれで髪を染めているのだろうか。
 そして何より、緑色の目。自分の青より少し落ち着いた緑の色合いの瞳からは意思の強さを感じた。この子ももしかして、外人の血を引いているのだろうか。

 「………」
 「………」

 湯煙の中、暫しその子と見つめ合った。胸がどきどきしてきた。それはのぼせたからではない。その子の真っ直ぐな視線と、自分と同類の者を見つけたかもしれないということへの不思議な高揚であった。
 その子に話しかけたかった。だけど自分は声を出せない。咄嗟に首の醜い痣を隠す。少しだけ恥ずかしくなってきた。変な子だと思われていないだろうか。見知らぬ他人をじろじろと見て失礼だったかも……

 「……あ、あの!」

 小鳥のような高い声が響き、重女は肩をびくっと震わせた。目の前の赤毛の子が湯から半身を出してこちらに身を乗り出してきていた。その子の胸が見えたが、その胸は自分とは違い豊満である。
 なんだろう? やっぱり私、変だっただろうか?
 少女の次の言葉を待っていると、隣の男湯からなにか倒れたようなもの凄い音が鳴り響いた。

 「おい、兄ちゃん! どうした? しっかりしろ!」
 「 陣内!?」

 男湯から聞こえてきた声に少女は反応し、そのまま浴場から飛び出していった。何があったのだろう? まさか黒蝿がひと悶着おこしたんじゃ!?
 少女の後を追うように、重女も浴場を出て、タオルを身体に巻いた。すると女湯の暖簾をくぐる大きな人影が二人見え――

 「智子! 大変だ! この兄ちゃんが――」
 「じ、 陣内!? ここ女湯よ!!」
 「―――!!!」

 腰巻一丁の男二人――タタラ陣内に肩を貸されている黒蝿の姿を見て、重女は声にならない悲鳴をあげ、咄嗟に手に持っていた桶を投げつけてしまった。
 そしてそれは、見事陣内の額にクリーンヒットした。

―――

 須崎家は古くからヤタガラスに仕えているサマナーの家系である。
 その家は大きな日本家屋で、約百年以上もの間悪魔召喚師として暗躍していた歴史を感じさせた。

 「誠に申し訳ない」

 あの後、この家に運ばされ、客間に寝かされているやたノ黒蝿とその横に座っている重女に向かって、額を赤くしたタタラ陣内は身体を折りたたみ頭を下げていた。

 「いや、こちらも飛んだ迷惑をかけてしまい……」

 のぼせて顔が真っ赤な黒蝿が布団の中から応答する。重女も手をついて畳に擦りつけるように頭を下げた。

 ――驚いたとはいえ、こちらも桶を投げてしまいごめんなさい。

 声は出ないが、誠意が伝わるよう謝罪の姿勢を崩さない。

 「気にしないで! もとはといえば 陣内が女湯に来たりするから……」
 「いや、あの時はだな、つい気が動転して……」
 「だからって、なにもあんな姿で来なくても!」

 目の前の赤毛の少女は須崎智子というらしい。明るい蛍光灯の下で見ると、改めてその髪の赤さが際立つ。どんな染髪剤を使ったら、こんなにも綺麗な赤髪になるのだろうか。
 その智子の横に座っているのは、タタラ陣内と名乗る大柄な男であった。
 赤銅色の髪と濃い褐色の肌も印象的であったが、右目の眼帯がまるで歴史の教科書で見た武士のようだと重女は思った。

 「そういえば、お名前はなんていうんですか?」

 智子が重女に聞いてくる。大きな緑色の目をきらきらさせている智子は人懐っこい笑みを浮かべている。背が高いけど間近でみると可愛い人だな。
 でもどうしよう。声が出せないから名乗れない。紙とペンさえあれば筆談ができるのだけど……

 「こいつは“重女”で、俺は………“黒原”です。大学に行くために従妹のこいつの家に居候しています」

 首を押さえながら口をパクパクしている重女をよそに黒蝿が堂々とうそぶく。従妹……そういう設定なのか。“黒原”は骸ヶ原でも使ってた偽名だ。よほど気に入っているのか、単に他に思いつかなかったのか。

 「それからこいつは、前に交通事故にあって、声帯が傷ついていて声が出せない。出来れば筆談用の紙と筆記用具を貸してもらえると助かります」

 それを聞き、智子と陣内は、まあ、と目を大きくさせ同情の視線を寄越す。重女はこっそりと黒蝿を睨んだ。全く、声がでないのはあんたのせいでしょ。

 「わかった。今から用意しよう。智子、お前は黒原君への水と替えのタオルを用意してくれ」
 「うん、わかった」

 襖を開け、陣内と智子が客間から出ていく。
 一瞬、智子がこちらに視線を寄越した。その瞳には好意の色が浮かんでおり、少しだけ重女の心臓を跳ねさせた。

 「………さて」

 黒蝿が緩慢な動作で布団から身を起こす。顔が赤い。まだおとなしく寝ていればいいのに。重女が手を肩に添え寝かそうとするのを止め、黒蝿は先程とは打って変わって冷たい声を放った。

 「お前、この家を探ってこい」
 『え?』
 「須崎智子とタタラ陣内といったか。あいつらは悪魔召喚師とその仲魔だ。しかも須崎家といえば俺も聞いたことのあるくらい古いヤタガラス傘下のサマナーの家系だ。この家を探れば有益な情報を掴めるかもしれない」

 ヤタガラス――確かシドが所属している悪魔召喚師の機関。それが今の時代にもあったとは驚きだが、今の言葉は本気で言ってるのか、と思わず黒蝿を見つめなおしてしまう。が、黒蝿が冗談を言うような性格でないのは、重女が一番分かっていた。

 『でも、折角助けてもらったのに、そんな泥棒みたいなことできるわけ……』
 「それとこれとは話が別だ。ほんの少しでいい、シド・デイビスとその仲魔のマンセマットについての情報を探ってこい。あの“智子”という娘なら、お前に警戒せず教えてくるかもしれん」
 「……………」

 重女の無言の抗議の視線を受けながら、黒蝿は尚も続ける。

 「手段を選んでられる状況か? やっとシド・デイビスの生きている時代に来れたのに、今までなんの手がかりを掴めていないだろ。今がチャンスだ。これだけ歴史のある家なら書斎の一つでもあるはずだ。そこの書類を見るだけでいい。早く行け」
 『………黒蝿、貴方まさか最初からそれが目的で、のぼせたふりを?』
 「馬鹿言え、これは演技じゃない。あのタタラ陣内とかいう奴にずっと睨まれたせいだ。あいつ、もしかして俺の正体に薄々気づいているのかもしれない。恐らくこの家に侵入できる機会などもうないぞ。だから早く行け」
 「………」

 重女は思いっきり黒蝿を睨んだ後、重い腰を上げて部屋を出て行った。黒蝿の言うことは納得は出来ないが、もし私が嫌と言ったら、あいつはもっと非人道的な方法でこの家を探るだろう。それなら自分が探った方が遥かに良い。

 (しかし……本当に広い家だな)

 辺りを見回しながら重女は感嘆の吐息をついた。
 木の板で出来た廊下は、良く磨かれていてピカピカだ。廊下の端々には花瓶が乗った台が置かれており、生けられている花は瑞々しく、とても上品な生け方だ。
 今のとこ誰にも会っていないが、他にも人が住んでいるんだろう。人の気配が清潔な空気に混ざっている。
 沢山の部屋があり、一体どこが書斎なのか重女には判別できなかった。黒蝿の奴、無茶言って!
 忍び足で次の角を曲がると、ふと、くすんだ木でできたスライド式の扉が目についた。他の部屋は新しい障子の襖や洋風のドアだったりするのに、この扉だけ年月を重ねた木で出来ている。
 そっと取っ手に手をかけた。そして横に引く。やっぱり鍵がかかっている。

 「………」

 重女は少し躊躇ったが、影を操り扉の隙間に忍び込ませ、内側の鍵を開ける。かちゃり、と金具が外れる音が響き、扉は無事開いた。まるで泥棒みたいだ。ふう、と重女は憂鬱げに顔を歪ませた。
 その部屋は、約八畳ほどの小さな部屋だったが、天井近くまで届く大きな本棚が両側の壁に並んでいる。古そうな本ばかりだが、ファイルもある。ラベルを見ると、「H2X年、活動報告書」と書かれている。

 (嘘……まさかここが書斎?)

 幸いにも人はいない。本棚に隠れるように部屋の奥には小さな机があった。その上になにやら青い光を放つテレビのようなものがある。
 そっと机に近づく。その「テレビ」は薄く、画面の下に沢山のボタンが配置されている板が置いてある。これはなんだろう。重女はそのうちの一つのボタンを押す。
 するといきなり画面が光り、文字が表示される。びっくりして思わず後ずさってしまった。

 (なんだろう、これ? 日本語、だよね?)

 じっくりと画面に表示された文字を読む。小さくて読みにくいが、なんとか全文を読んだ。

 from:ヤタガラス情報部
 sub:依頼
 ――――――――――

 XX市にて悪魔の目撃情報あり。
 場所:クラブ・ミルトン

 悪魔が該当施設にてなんらかの集会を開いている模様。
 同地区で一般人が行方不明になる事件多発。
 当依頼との関係性の調査、悪魔の討伐、並びに一般人が攫われていた場合、速やかに救出せよ。

        END
 ―――――――――――

 「おい、ここでなにやっている?」

 背後から聞こえてきた声に、心臓が飛び出しそうになった。
 恐る恐る振り向いてみると、タタラ陣内が怪訝そうにこちらを見ている。

 「トイレでも探していたのか?」

 胸を押さえながら、こくこく、と重女は頷く。

 「卓也の奴、鍵をかけ忘れたのか? 不用心だな。トイレなら突き当りを右だ。ああ、それと、夕食の用意が出来た。君と黒原君も一緒にくるといい」

 こくり、とまた頷き、重女は陣内の横を通り過ぎ、当主の書斎を出て行った。 
 出て行った後も、胸のどきどきは止まらなかった。

 ―――ヤタガラスからの指令! ここは本当にヤタガラスのデビルサマナーの家だったんだ! あれはミドーの言っていた「いんたーねっと」というものだろうか? もしシドが生きているとしたら、同じ依頼を受けているかもしれない。なら、今度こそシドに会える!?

 場所は、XX市の、クラブ・ミルトン!

 ―――

 須崎家の夕食は、とても豪勢なものだった。
 現当主の卓也という童顔の男に、前当主であった優斗という老人、さらに卓也の妻である裕子という可愛らしい女性、それに智子と陣内が客人である重女と黒蝿の横に位置していた。
 卓也の乾杯の音頭で、皆思い思いに料理をとったり酒を傾けたりしている。黒蝿は酒を進められても、申し訳なさそうな笑みを浮かべ断っていた。こいつでもこんな笑顔できるのか、と内心毒づきながら重女はおにぎりを一口食べる。

 「……!」

 凄く久々に食べるお米は、甘くて塩が効いてて、とても美味しかった。

 「美味しいでしょ? お母さん、料理上手なんだよ」

 智子が麦茶を注いでくれながら耳打ちしてきた。重女は微笑みながら頷いたが、その笑顔が凄く自然にできたことに驚いた。それ程までに料理が美味しく、また食卓を囲む人々の雰囲気が優しいのだ。
 これは重女が暫く忘れていた「家庭の味」だ。家族揃ってご馳走を食べる。ただそれだけ。だけど、とても大事な事。かつて母とアキラでちゃぶ台をかこんで食事したことを思い出し、もう身寄りのいない重女の心の奥底から懐かしさがこみ上げてきて、なんだか嬉しくなった。

 「この卵焼きも美味しいよ!」

 智子は重女の皿に綺麗な卵焼きを置いた。一口食べてみるとふんわりとした触感で、甘くて美味しい。お母さんの味だ。お母さんは料理が得意ではなかったけど、卵焼きだけは上手だった。

 「美味しい?」

 智子が問うてきた。さっきまで私は泥棒まがいの事をしていたのに、この子の笑顔にはそんな後ろめたさを忘れさせてくれる力がある。
 重女は作り笑いではない、心の底からの笑顔を浮かべた。

 ―――

 「本当に、お世話になりまして」

 玄関先にて、黒蝿がお辞儀するのと同時に、重女も同じく頭を下げた。全く、こいつはこんな声もだせるんだな。

 「いやなに、こちらも久々の客人を迎えての食事は楽しかった。また来ると良い」
 「うん、またおいでよ重女ちゃん!」

 智子の嬉々とした声に、陣内が少しだけ眉を寄せた。智子がこの素性の知れない娘に心を許し過ぎなのが気になるのだ。
 それを知らない重女は、最後まで好意的な智子の態度にはにかんだ。

 「もう遅いだろう。家まで送っていこう」
 「いえ、ご心配には及びません。ありがとうございました。……行くぞ」

 陣内の申し出を断り、黒蝿と重女は帰路へとついた。智子が手を振ると、重女もそれに答えて小さく手を振った。
 重女達の姿が見えなくなり、智子と裕子が家の中に入るのを見届けると、卓也は召喚管から一匹の悪魔を召喚した。

 「何か用? ご主人さま。ヒーホ!」

 よばれたのは、ハロウィンで作るようなカボチャの頭に黒い外套、小さなランタンを持った悪魔・ジャック・ランタン。

 「お前、あの二人の後を追え」
 「ええ!? 冗談はよしてよぅ! あの子はお嬢様のお気に入りだよ?」
 「いや、あの子は俺の書斎に入って何かしていた。そうだろ? 陣内」
 「ああ、それにあの“黒原”というやつ、どうもうさんくさい。もしかしたら俺と同じ人外の者かもしれない」
 「……ふむ、それは儂も感じていた。少なくともただの人間ではないようだな」

 須崎家男衆三人の意見が一致した。あの重女という少女はともかく、“黒原”の方は間違いなく何かある。食卓を囲んだ際と銭湯で観察したときから、陣内はそう判断していた。

 「……わかったよう。あの二人を追えばいいんだろ? オイラやるよぅ」

 ぶつくさと文句を垂れながら、ジャック・ランタンは重女達の後を追った。十分な距離を取り、灯りに気づかれないようランタンの中の炎を最小限まで小さくし、夜の闇に紛れ追跡する。しかし―――

 「あれ?」

 曲がり角を曲がった途端、二人の姿が消えた。ジャック・ランタンは必死に二人の気配を探したが、どこにも感じられない。まるでいきなり消えたみたいだ。

 「全く、だから嫌だったんだよ……オイラは追跡に向かないんだって」

 このまま帰ったら主である卓也に小言を言われるであろう。陣内には頭を叩かれるかもしれない。それを想像し、ジャック・ランタンは憂鬱な気分になった。
 その時、何者かの視線を感じ、ぎょっとしたジャック・ランタンは辺りを見回した。だが相変わらず誰の気配もない。

 「……オイラの気のせいかな?」

 なんの収穫も得られなかった悪魔は、召喚主の元へとぼとぼと向かった。
 その姿を、一羽の鴉が見ていたのを、ジャック・ランタンは最後まで気づかなかった。


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