「今日は部活いいの?」
 「うん、たまには姉ちゃんの手伝いしなきゃね」

 買い物籠を持ちながら、学校帰り、アキラと二人で夕飯の買い物を済ませる。
 アキラももう中学生だ。あんなに小さかったアキラの背は私をとうに追い越し、肩幅も広くなり声も低くなった。
 なんだか不思議な感じだ。アキラがこんなに大きくなったなんて。

 「そういえば姉ちゃん、またあの夢みたの?」
 「……うん」

 私は少し俯いて頷く。

 「なんだっけ? 僕が、えっと……?」
 「アキラが次元の違う国に行って、国を築いて王様になってるの」

 言いながら自分の黒髪を触る。私の癖だ。恥ずかしいと思ったとき無意識に髪をかきあげてしまう。

 「何度聞いても凄い夢だね」

 隣でアキラが苦笑しているのがわかる。俯いた顔があげられない。夢とはいえ、突拍子でないことを言ってるのは自覚している。
 でもここ最近、私は同じ夢を何度も見るのだ。小さなアキラが聖書に出てくる四大天使に導かれ、こことは違う別世界の東京に行き、悪魔を退治する。
 そして不思議な力で、「東のミカド国」という国を造って、そこの王様になるのだ。
 沢山の大人を従え玉座に座るアキラは、とても凛々しくて、まるで別人のようだった。

 「でも、そんな世界があるなら行ってみたいと思わない?」

 その言葉に思わず横を向いた。アキラが微笑みながら私を見ている。今まで見たことがないような大人びた笑みだ。

 「わ、私は……」

 アキラの瞳の澄んだ青色に当てられて、視線を逸らしてしまう。
 ちょうどその時ブティックの前を通り過ぎて、ショーウインドウのガラスに姿が映る。制服姿の私とアキラ。アキラの背は大きい。歩くたび金髪が揺れてさらさらなびく。自分の黒髪とは違う髪色。ガラス越しにもアキラの視線を感じてまた私は俯く。

 「私は……今の世界にいたいと思うよ」

 そう答えると、アキラの雰囲気が少し変わった、ように感じた。

 「だって……確かに毎日辛いことばかりだけど、でも悪いことばかりじゃないよ。ここにはお母さんもアキラもいるし……それに……シド先生も」

 制服の下に隠している十字架にそっと触れた。アキラと、シド先生とお揃いのペンダント。これは私のお守り。これさえあれば辛いことがあっても一人じゃないって思えるから。

 「そうか……姉ちゃんは、そう選ぶんだね」

 はっ、とアキラの顔を見返す。隣の弟は相変わらず笑みを浮かべている。だが、その笑みには何とも言えない寂しさの色が浮かんでいる。

 「アキラ……?」

 弟の顔を見上げ気づく。おかしい。アキラと私は六歳離れている。私は今十四歳。ならアキラは八歳のはずだ。こんなに背が高いはずがないし、中学の制服は着ていない。
 どんどんアキラは大きくなっていく。いや、違う。私が小さくなっているのだ。
 思わず手を伸ばす。しかし手は届かなかった。右手が、途中で千切れて無くなっていたからだ。
 悲鳴をあげる。しかし声は出ない。筋肉が張り詰めた喉からは虚ろな音しか出なかった。
 立っていられなく、どたん、と前のめりに倒れる。アキラが身体を受け止めてくれた。気が付けば、私の両足も千切れていた。辺りは血の海。身体が冷えていく。意識が朦朧としていく。
 霞がかっていく頭で私は自分の死を確信していた。この感じ、前にもあった。シドに鞍馬山に連れていかれ、逃げ出し、足を滑らせ頭を打った時だ。
 あの時も死にかけた。だけど助けてくれた存在がいた。黒い翼。黒い男。私が名前を奪ってしまった悪魔――
 鴉のような黒い羽毛が辺り一面に飛び散る。その中に「あいつ」が立っている。やたノ黒蝿。そう名付けた私の仲魔。
 そいつはじっとこっちを見ている。悔しいのだろう。真名を返して貰えないまま、私が死んでしまうのだから。
 でもいいの。アキラ、貴方さえ生きてくれたら。私は――
 左手をアキラが力強く握ってくれる。温かい。血塗れの私の身体を抱いてくれているのが分かる。

 「姉ちゃん――」

 笑みを浮かべながら唇を動かすアキラ。だけど声が聞こえない。耳までいかれてしまったのだろうか。

 「―――――」

 それでも尚何かを話しかけてくる。何と言っているのか分からない。アキラはずっと微笑んでいる。何故、そんな泣きそうな笑顔を浮かべているの? 泣き虫なところ、昔から変わってないね。

 「―――――」

 何かを言い終えた後、アキラはそっと私の左手を自分の頬に当てる。辺りを舞う黒い羽が増えていき、視界を黒く染めてアキラの姿を隠していく。
 待って。これじゃあ何も見えないじゃない。黒蝿、これなんとかしてよ。
 首を動かし、後ろに立っている黒蝿に私は視線で訴える。しかし黒蝿は、ただ苦虫を潰したような顔で私を見下ろすだけ。
 左手になにか固い感触があった。既にアキラの姿はない。左手を開くと、そこには鈍く光る十字架のペンダントがあった。
 光が溢れた。金の光。アキラの髪と同じ色の光が。黒一色の中でその光が太陽のように闇を払い、その眩しさに私は思わず目を瞑り――

 ―――

 「目を覚ましたぞ!!」

 目を開いた重女を覗き込んでいたのは、キヨハルに雷王獅子丸、八坂牛頭丸に数名のサムライ衆らしき男。
 キヨハルがペンライトを目に当てて瞳孔をチェックしている。バタバタと医務室を何人かが出入りする中、黒蝿は壁に寄りかかり目を瞑っていた。

 「………」

 重女は目を開けたまま、ベットの中で身じろぎもせずじっとしていた。何人かが代わる代わる顔を覗き込み、皆安堵の息をつく。

 「ちょっとごめんよ」

 キヨハルが布団の中から、重女の“右手”をとる。そのまま脈を計ったりとんとんと軽く叩いてみたりしている。

 「脈は正常だね。痛みは? 感覚はある?」

 重女はゆっくりと首を横に向け、小さく頷いて見せた。

 「じゃあ右手を動かしてみようか。拳を握ってみて」

 言われた通り重女は“右手”を握ろうとした。しかし“右手”はぷるぷると震えるだけで指一本動かせなかった。

 「ああ、まだ神経はきちんと繋がってないみたいだね。これじゃあ“両足”も……」

 まるで麻酔にかかっているかのように、重女の身体の感覚は鈍化していた。頭の中も靄がかかっているようだ。ここはどこだろう。自分はどこにいるんだろう。何故自分は寝ているんだろう。
 首を動かし、周りを確認する。煉瓦の壁、天井。ベット。薬品の匂い。沢山の人。先程見た顔に十字の傷が無数にある男。そして、壁に寄りかかっている黒い男と目が合った。黒い翼が生えている。あれは――
 瞬間、記憶がまるで噴水のように次々と湧き出てきた。大天使の繭の中での戦い、四大天使を封じ、しかしガブリエルに逃げられ、その際に私は奴に右手と両足を食いちぎられて――

 「!!」


 がばっと重女はベットから上体を起こした。そして確認した。自分の身体を。

 白い患者服からは食いちぎられたはず両足が伸びており、右手もきちんとある。しかし感覚はほとんどなく、動かすことは出来なかった。
 さらり。困惑する重女の顔に髪が降りてきた。しかしその色はいつも見慣れている黒髪ではなく、色素の薄い金色の髪であった。弟と同じ色。日の光を浴びてキラキラ光っていた金髪。

 ――アキラの髪の色――

 鳳仙花の種がはじけ飛ぶかのように、それまで凝固していた記憶が飛び散り、やがてそれは形を成していく。冷たくなっていく自分の身体をアキラが抱きしめてくれたこと。人々の怒鳴り声。赤い血だまり。
 出血で朦朧とした意識の中、コンプ内の電脳空間で重女は確かに聞いたのだ。

 「僕を有機体に変換させて、姉ちゃんの手足を蘇らせてくれ」というアキラの言葉を――。

 布団を左手で勢いよくはぎ取り、ベットから降り、壁際の黒蝿の元へ走ろうとした。しかし足に力が入らなく、重女は床に転がってしまう。

 「ちょ、重女ちゃん!?」

 キヨハルと獅子丸が手を貸そうとした。しかし重女はその手を払い、自分を見下ろす黒蝿を思いっきり睨んだ。

 『……なんで、止めなかったの』

 念波でそう問いかけても、黒蝿は答えなかった。重女は自由に動かせる左手を使い、床を這いつくばりながら壁際へと向かう。

 『私、全部じゃないけど思い出した。アキラが悪魔合体プログラムで自分を犠牲に私を助けようとしたこと。アキラと貴方とでコンプの中に入ったこと……』

 がしっと黒蝿の足を掴む。黒蝿はその手を払いのけようとせず、ただ重女を見ていた。

 『何故! 何故アキラを止めなかったの!? アキラが死ぬってわかっていたはずなのに! 貴方は一緒にいたはずなのに! なんで! どうしてよ!』

 涙を浮かべながらそう念波でそう送ってくる重女を、黒蝿は表情を変えず見下ろしていたが、一瞬目を瞑り、懐に手を入れながらこう答えた。

 「……約束だったからだ」

 低い声でそう答えられ、重女は目を大きくさせる。重女の念波が聞こえなく、成り行きを見ていたキヨハル達も、黒蝿の言葉を聞いて唖然とした。

 『……なによ、それ?』
 「あいつと交わした、男の約束だ」

 懐に入れてある十字架のペンダントを握りしめながら、黒蝿はそう答えた。元の持ち主である少年の顔を思い出しながら。

 『そんな……そんなわけのわかんないことで、アキラが……』

 黒蝿の足を握りしめていた左手から力が抜けた。重女は顔を床に向けながら、涙を流した。
 髪が揺れる。かつて黒であった髪。今は合体した弟と同じ金色の髪。その髪が重女の嗚咽に合わせて揺れた。

 『死にかけた私が生きるより……私は……あの子に生きて欲しかったのに……』

 蹲り、重女は泣きじゃくった。声を張り上げて泣いた。しかしその声は黒蝿にしか聞こえなかった。張り裂けそうに開いた喉からは、湿った咳のような音しか鳴らなかった。
 その部屋にいる誰もが、アキラの喪失と重女に対する哀惜の念を抱いた。
 天文学的な確率で生き残ってしまった少女は、皆の視線に構わず泣き続けた。母が死んだときに流れなかった涙を、まとめて流すように。
 胸の十字架のペンダントを握りしめ、泣き続ける少女に対し、黒蝿はもう何も言わなかった。
 謝罪も、弁解も、何も言わず、一人の少年と交わした約束の結果である少女を見つめ続けた。
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