重女が深い眠りから目を覚ますと、黒蝿が冷たい目で見下していた。
 ぼんやりとした視界に、眉を寄せた端正な顔が映っている。こいつが無愛想なのはいつものことだが、なんで不機嫌なのだろう?
 そういえば昨日もそうだった。クラブ・ミルトンからの帰りに散々お小言を言ってきて、こっちは凄く疲れているのに「勝手にあの男に協力しやがって!」だの「あの喫茶店への誘いだって罠の可能性がある」だの説教してきて……

 喫茶店?

 「!!」

 その単語を思い出した途端、重女の半分眠りについていた頭は完全に覚醒した。
 がばっと半身を起こす。服装は昨日クラブから帰ったままのブラウスとスカート姿だ。髪はぼさぼさ、化粧を落とさなかった肌はなんだかぴりぴりするし、ブラウスは皺ができ、スカートの裾がめくれて太ももが露わになっている。これじゃあ下着まで丸見えだ! 慌てて裾を引っ張る。黒蝿はそんな重女の姿に動じずじっと睨んでいる。

 『……なんなのよ』
 「もう昼だが……あの男との約束はいいのか?」
 『ええ!?』

 重女は慌てて傍に置いてあった小さな置時計を掴む。そこには十二時五分と表示されていた。

 『もう十二時過ぎてるじゃない! なんで起こしてくれなかったの!?』
 「なんで俺がお前を起こさなきゃいかん」
 『馬鹿! 一時にフジワラさんの喫茶店に行かなきゃいけないのに! 今からじゃ絶対遅刻しちゃう!』
 「俺の知ったことか」

 冷たく突き放した黒蝿は無視し、重女は急いで身支度を始めた。もつれた髪を梳かし、化粧落としが出来る濡れたシートで顔をこする。これで化粧が落とせるのだからこの時代は本当に便利なものが多い。
 次に服。といっても重女の持ち服は今着ている汗が染みこんだブラウスとスカートと、いつもの着古した黒い半袖のタートルネックとカーゴパンツ。待ち合わせに昨日と同じ服を着るか、オンボロのいつもの服にするか……迷った挙句いつものカーゴパンツスタイルにした。こんな古い服を着ていくのはみっともない気がするが、汗臭い昨日と同じ服というのも恥ずかしい。
 黒蝿に後ろを向いてもらい着替えていると、不意に自分の体臭が気になった。昨日かなり汗をかいたまま銭湯にも行かず寝てしまった。当たり前だが結界内にはガス・水道・電気などは通っていない。水は大量に買い置きし、電気は懐中電灯や蝋燭を使うという原始的な生活を送っている。いつも風呂は近所の銭湯に行っているのだが、昨日はもう遅い時間だったのと凄く疲れていたので銭湯に行けなかった。いつも行く銭湯はこんな早い時間にはまだ開いてない。

 『く、黒蝿……』
 「なんだ?」

 億劫そうに背中を向けたまま黒蝿は返事をする。重女はもじもじと恥ずかしそうにしていたが、やがて意を決して聞いた。

 『あ、あのね……私の身体って……その……』
 「ああ、汗臭いな」

 デリカシーの欠片もない回答に、顔を真っ赤にした重女は時計を思いっきり黒蝿の後頭部にぶつけてやった。が、黒蝿はなんで重女が怒っているのかわからないようだった。

 ―――

 〔はい、純喫茶フロリダです〕

 公衆電話から、黒蝿は昨日渡されたマッチ箱に載っていた番号にかけた。三回コールが鳴った後、通話口からフジワラの声が聞こえた。背後から人々のざわめきや静かな音楽が聞こえてくる。

 「昨日会ったやたノ黒蝿だ」

 そう告げると、電話口を覆ったのか背後の音が小さくなる。〔ああ、君か〕とフジワラは声を少しひそめ答えた。

 〔もう一時近いけど、どうしたの? もしかして道に迷ったとか?〕
 「違う。うちのサマナーが寝坊しやがって、今シャワーを浴びている。だからそちらに着くのが少し遅れそうなので電話した」

 そう言うと、黒蝿は目の前にある雑居ビルを見上げた。そのビルの二階には、【漫画、インターネット喫茶「悠々自適」フリードリンク制・個室・シャワー完備!】とでかでかと窓に書かれてある。
 「シャワー完備」の一文字に惹かれた重女は、早速風呂道具一式を持ってビルの中に入っていった。そして黒蝿にフジワラに電話するよう命じた。なんで俺が、と思ったが、重女の咽喉マイクの電子音声では、電話ごしでは酷く不明瞭に聞こえる。なので黒蝿が電話した方が効率がいい。

 〔そうか。昨日は大変だったからね。うん、こちらとしては特に大丈夫だよ。今お昼時で店も満員でね、二時か三時くらいにはだいぶ落ち着くと思うけど〕
 「ならその時間までには行く」
 〔わかった。待っているよ。連絡ありがとう。それじゃあまた後でね〕

 やや早口な口調でフジワラは電話を切った。店の方が忙しいのだろう。あれで本業はフリージャーナリストというのだから、年齢によらずなかなかのバイタルに溢れた男だ。
 今は十二時五十五分。重女が今の時間でも開いている銭湯を求め町中を探し、シャワーが備わっているらしい「ネット喫茶」なる場所を見つけたのが十分前。マッチ箱に書かれてあった純喫茶・フロリダの住所は、ここから電車なら三駅でつける場所にある。二時までには十分間に合うだろう。

 (それにしても……時間に遅れてまでいちいち体臭を気にするかね。人間の女はやっぱりわからん)

 もう抱きなれた諦観の念を顔に滲ませ、黒蝿は電話ボックスの壁に寄りかかりながら重女を待った。
 それから更に十五分後。電話ボックスのドアがノックされる。黒蝿が顔を上げると頬を上気させた重女が立っていた。

 「遅いぞ」
 『ごめん。身元確認で手間取っちゃって。前に作った偽の保健証を出しといた』

 近くに寄った重女からは、石鹸とシャンプーの香りがした。髪が半乾きだ。これでも急いで来たのだろう。

 『よし、これでさっぱりしたし、さあ、早くフジワラさんのところに行こう!』
 風呂道具片手に市電の停留所へ向かおうとする重女に「俺はいい」と黒蝿は拒否した。

 『?  何言ってるの? フジワラさんのところに一緒に行くっていったのはそっちじゃない』
 「行かないという意味じゃない。俺は空を飛んでいくから、電車にはお前ひとりで乗れ」
 『なんで別行動? 目的地は同じなんだし一緒に行こうよ』
 「いい。俺は電車には乗らない」

 頑なに電車への乗車を拒否する黒蝿の様子に、重女は違和感を抱いたが、こんなことで口論している時間はない。無理やり黒蝿の手を掴み停留所へと歩を進めた。

 「おい、離せ!」
 『なに子供みたいなこと言ってるのよ! 空から行ったって場所わかんないくせに。ほら、電車がきた。乗るよ』

 細い手に似合わない強い力で、重女は嫌がる黒蝿の手首を引っ張り、半ば押し込むように電車へと乗せた。

 ―――

 黒蝿が何故あんなにも電車に乗るのを嫌がっていた訳がわかった。

 ――こいつは、乗り物にめちゃくちゃ弱い。

 電車の振動を尻に感じ、桶に入った風呂道具一式を膝に抱え、周囲の客の怪訝そうな視線を浴びながら、重女は隣に座る黒蝿の真っ青な顔を覗いた。
 いつもの彼は不敵な態度を崩さないのに、今の黒蝿ときたら前のめりにぐったりと席に座り、顔は真っ青で床を向いている。まるで試合後の精根尽きたプロボクサーのようだ。

 (悪魔でも乗り物酔いするんだ……)

 いつも自分を叱り、時には馬鹿にされたりからかわれたりしていた重女には、ここまで弱り切った黒蝿は珍しく、また少しだけ愉快に映った。
 悪戯心が鎌をもたげ、重女は黒蝿の肩を少し強めに揺すってみる。すると黒蝿は物凄い形相で重女の手を払いのける。悪態の一つでも言ってくるかと思ったら、何も言ってこなく、ますます青くなった顔を再び俯けただけだった。
 さすがに尋常じゃない顔色の悪さに、重女は同情し念波を送る。咽喉マイクからの機械音声だと周りの乗客の注意をひいてしまう。

 ――ねえ、大丈夫?
 「…………平気だ」
 ――吐きそう?
 「……いや」
 ――どうしても我慢できなくなったら、これに吐いてね。

 重女は膝に置いていた桶を黒蝿の目の前に突き出した。風呂道具一式抱えて乗るなんて恥ずかしかったが、風呂桶がこんなところで役に立つとは。

 「……平気だと言ってるだろう。それより昨日も言ったがフジワラとツギハギには気を付けろ。まだあいつらが完全に味方と決まったわけじゃない」
 ――またそんなこと言って! 黒蝿は疑いすぎだよ。
 「おまえが人を信用しすぎるだけ――」

 その時、キキ―ッと車輪が音を立てて電車が止まる。傍から見れば黒蝿の独り言に聞こえていた話は中断された。
 目的の停留所に着いたのだ。座っていた乗客達は立ち上がり、立っていた者も出口の方へ向かい運転手に料金を精算している。重女も黒蝿の腕を掴んで強引に立たせ、精算の列に加わる。黒蝿はされるがままだった。ただ、相変わらず下を向いて口許を押さえている。
 規定の料金を払い、市電から降りる。すると小さな繁華街らしき場所が目前に広がる。居酒屋やスナックが軒並み店を構えているが、まだ早い時間なので開いている店は少ない。
 黒蝿の手を引っ張りながら重女は「純喫茶・フロリダ」を探した。昨日貰ったマッチ箱には簡単な住所しか書いていなく、土地勘のない二人はすぐに迷ってしまった。人に聞きたくとも誰も通らない。公衆電話も見当たらない。もしかして「けいたい」や「すまほ」があればフジワラさんに電話できただろうか。

 『ねえ、ミドー』

 焦った重女は背負ったリュックからコンプを取り出し、起動させミドーを呼んだ。

 〔なんじゃ? そっちの黒蝿はどうした? なにやら酷く具合が悪そうだが……〕
 『いや、ただの乗り物酔い。それよりミドー、このコンプで「けいたい」や「すまほ」は使える?』

 荒いポリゴンの身体をくるっと一回転した後、ミドーは笑った。もう、こっちは真剣に聞いているのに……

 『真面目に聞いてよ』
 〔おお、すまんすまん。そうか、お主はこの時代の生まれではなかったな。ネット回線をつけろといい色んな無茶を要求してくるのう。今のこのコンプでは携帯のような通話機能はついておらんよ〕
 『やっぱりそうか……』

 がっくりとうなだれる重女に、ミドーがフォローの言葉をかける。

 〔だがしかし、この辺りの地形をスキャンして、簡単な地図を出すことはできるぞい。半径二キロまでならな〕
 『それすごいじゃない! なら、今すぐ「すきゃん」して地図を出してよ』
 〔わかったわかった。年寄りを急かすもんじゃないぞ〕

 言うが早いか、コンプから緑色の線が発生し、重女や黒蝿を透過したかと思うと、辺りの建物へと緑の線が病院のMRIのようにその形状や位置をスキャンしていく。重女達を起点に、約半径二キロに渡り緑の模様が小さな飲み屋街を舐めるように透過していく。スキャンが終わるとコンプの画面に地図が徐々に現れる。詳細な地図が完成すると、上の方に「神舞供町」とこの町の名らしき単語が現れた。

 『かぶきょ、ちょう?それともかぶきちょう……て読むのかな』
 〔恐らく新宿の歌舞伎町を真似たんじゃろう。この地図によると右の路地を真っ直ぐ北にいけば、「純喫茶・フロリダ」があるらしいぞ〕
 『ありがとう。ミドー』

 ミドーに礼を言うと、重女はコンプに記された地図を頼りに神舞供町を歩いた。黒蝿はずっと無言だった。
 やがて町の中でも奥まった場所に、古めかしい喫茶店があった。看板には「純喫茶・フロリダ」の文字。

 『やっと着いた……』
 「…………」

 無言で口を押さえている黒蝿をよそに、重女は首元の咽喉マイクの調子を整えた。『あ、あー……』うん、特に異常はない。
 重女は少し深呼吸をすると、年季の入った木製のドアを引く。カランカラン、とドアベルが心地よい音を鳴らし、来訪者を店の者に告げた。

 「おや、待っていたよ。いらっしゃい」

 木目調の床に壁、そして穏やかな照明。全体的に落ち着いた雰囲気の純喫茶・フロリダのカウンター越しからフジワラが笑顔で迎えてくれる。その時のフジワラの格好は、クラブでのディーラー姿でもVIPルームで会った時の私服とも違う、ベージュのポロシャツに使い込まれたエプロンといういかにも喫茶店のマスターといった格好だ。
 重女は背筋を伸ばし、少し息を吸うと、深々と頭を下げる。

 『約束の時間に遅れてしまい、本当にすみませ……』

 言い終わる前に、重女の後ろから口許を押さえた真っ青な顔の黒蝿がフジワラの元へ走る。ぎょっとするフジワラに、「トイレはどこだ!?」と鬼気迫る声で問う。

 「あ、左の奥の……」

 それだけ聞くと黒蝿は、脱兎のごとくトイレに駆け込んだ。そしてドアを閉めると、思いっきり嘔吐する。その不快な音はドア越しにも聞こえ、フジワラと重女は思わず顔を見合わせた。

―――

 「落ち着いたかい?」
 「ああ、世話をかけた」

 純喫茶・フロリダのカウンターに、重女と黒蝿は座っていた。
 先程トイレで盛大に嘔吐した黒蝿の前には、よく冷えた水が入ったコップが置かれている。コップの水をひと息に飲むと、黒蝿はふう、と息を吐いた。
 まだ青白いが、さっきよりは顔色は良くなっている。

 (まさかあそこまで乗り物に弱いとは……)

 翼で空中を自在に飛び、“ザン”や“アギ”等の術を使い敵を倒してきた黒蝿は、今まで覚えている限り苦戦していた様子がない。いつも余裕綽々で、時には自分を叱咤し馬鹿にしてきた彼が乗り物でここまで弱っている姿を見るのは、意外に思う反面、重女は弱みを握ったような、少し意地悪な優越感のようなものが心に生まれてくるのを感じた。
 だから弱った黒蝿を横目にコーヒーをすすりながら、重女はまたしてもある悪戯を思いついてしまった。

 目の前に出されたフジワラ特製のコーヒーはなかなか美味しい。ただ、重女はブラックは苦手なので、少し多めの砂糖とミルクを入れないと飲めない。最初は縁が僅かに赤みがかった綺麗な珈琲色だったのが、今じゃミルクと砂糖とで、黄土色の甘ったるい飲み物に変わってしまっている。
 重女はカウンターの端にあるソースや醤油などの調味料を置いている小さな盆から、塩を掴んだ。
 昔、海軍のコーヒーには塩を入れて飲むものだと聞いたことがある。それを知った小学生の重女は、家にあったインスタントコーヒーに、砂糖の代わりに塩をスプーン一杯入れよくかき混ぜて飲むと、そのあまりのまずさに思いっきり吹き出した。それは最早コーヒーではなく、塩辛い黒い液体であった。
 本来の海軍式コーヒーに入れる塩は、ほんのひとつまみ程度でいいことを知ったのは、その事をシドに話して笑われてからだった。
 それからコーヒーに塩をスプーン一杯入れるなんて愚挙は犯さなくなったが、今、重女はソルトシェイカーを自分のコーヒーに振って塩を入れている。しかも何回も。
 大分塩を入れたら、よくかき混ぜる。そして隣の黒蝿に『はい、黒蝿。美味しいよ』と笑顔で勧めた。

 「おいおい、黒蝿君はさっき吐いたばかりだよ。コーヒーは胃に良くないよ」
 『でも、フジワラさんのコーヒー凄く美味しかったから、是非黒蝿にも飲んでほしくて』

 媚びるように、やや高い声が出るよう咽喉マイクの音声を意識しながら、自分のコーヒーカップを黒蝿の前に置く。黒蝿はまだ血色の悪い顔でカップを見つめている。
 今の黒蝿は黒い革のコートに、頭にはいつもの鴉を象った兜ではなく黒い鳥打ち帽といったスタイルだ。今は屋内なので帽子は脱いでいて、緑がかった長い黒髪が露わになっている。全身が黒でまとまった黒蝿がコーヒーを飲むところはきっと絵になるだろうな、と自分が施した悪戯も忘れ、重女は脳内にその様子を思い描いた。
 黒蝿は眉を寄せながらカップを持ち、くんくんと匂いを嗅いでいる。もしかしてコーヒーは初めて飲むのだろうか。

 「黒蝿君。無茶してはいけないよ。君はまだ胃が弱っているんだ」

 フジワラの忠告に答えず、黒蝿はじっとカップの中のコーヒーを見ている。

 『ぐいーと飲むといいよ。そうしないと本当の美味しさがわかんないから』

 重女が悪魔的な横槍をいれ、飲むことを促した。
 
 「………」
 
 すると黒蝿は無言のままスプーンでコーヒーを数回かき混ぜると、カップに口をつけそのまま一気に飲んだ。

 「!!?」

 予想通り、というべきか、酷く塩辛い味付けのコーヒーを黒蝿は思いっきり吹き出した。
 吹き出されたコーヒーはカウンターと、フジワラのエプロンと、そして悪戯の張本人の重女の顔にべっとりとついてしまった。

―――

 フジワラと黒蝿に怒りの雷を落とされた重女は、フロリダから追い出され、ツギハギを呼んでくるよう命じられた。
 
 (何もあんなに怒んなくたって……)
 
 胸中でぶつぶつと文句を言いながらコンプの地図を見ながら神舞供町を歩いていると、ツギハギの店はすぐ見つかった。
 ツギハギもここ神舞供町で店を経営しているらしく、その店の名は【セルフディフェンス】というミリタリーショップだ。
 店の前のショーウィンドウには、迷彩服やハンドガンやアサルトライフルなどのモデルガンが展示されている。
 鉄製のドアを引くと、落ち着いた雰囲気のフロリダとは対照的に、ところせましとモデルガンやミリタリー系の服、そして戦車や飛行機などのプラモデルまで陳列されている。

 『わあー……』

 ずっと兵隊に憧れていた重女にとって、この店は宝の山に見えた。
 陳列棚のガラスに展示されているモデルガンを凝視する。シグ・サウエルにコルト・ガバメント、ワルサー・モデルPPに南部式ベビーナンブ、更に別の棚にはMP5サブ・マシンガンにM60機関銃、狙撃銃まで飾られてある。
 重女は記憶の奥底から、家の近くの米軍基地の見張りの兵士が持っていた銃はどんな形だっただろうと思いだそうとした。なんとなくアサルトライフルをもう少し大きくしたような感じだったような……
 次に衣服のコーナーを見る。
 迷彩パターンのジャケットやトラウザース、砂漠用のデザートカモフラージュに黒や茶の軍靴まである。兵士が着ていそうな本物らしきものもあれば、“ミリタリー風”の一般的なシャツやズボンやパーカーにスニーカー、さらには女性用のおしゃれなスカートやブラウスまである。

 (この時代では、こういう兵隊さん風のデザインのカジュアルな服も売ってるんだ)

 その中のいくつかの女性用の服を気に入った重女は、是非買いたいと思いツギハギに声をかけようとした。が、店に入ってから興奮して気付かなかったが、レジカウンターはおろか店内にツギハギの姿はどこにもいない。

 (あれ、どこにいるんだろう?)

 レジカウンターに近寄ると、《ただ今席をはずしております。用のある方はブザーを押してください》との小さな立て看板が置いてあった。
 横にある古びたブザーを押す。ビーッという音が店内に響く。しかし暫く待ってもツギハギは来ない。
 ツギハギの物音を聞き逃さないよう耳をすますと、何やら床下のほうから小さな衝撃音が連続して聞こえてくる。重女はしゃがんで床に耳を近づける。
 ドォン、ドォン、とまるで花火の打ち上げのような音が聞こえる。地下に部屋がある? そこで何が起こっているのだろう?
 重女は遠慮しながらもレジカウンターに入り、奥の部屋に足を踏み入れる。そこには商品が入っているらしき段ボール箱が積まれており、帳簿や須崎家で見た薄いテレビのようなもの――あとで聞いたら、あれは「ぱそこん」というものだとミドーが教えてくれた――が乗っている小さな事務机がある。そしてその更に奥にドアがあり、重女はドアノブを回してみた。
 鍵はかかっていなく簡単にドアは開いた。ドアの向こうには下に向かう階段がある。ドォン、ドォンという音が大きく聞こえる。やはりこの下で確実に何かが起こっている。重女はそう確信し、階段を降りた。

―――

 重いドアを開けると、銃声が重女の耳を聾する。
 地下室は射撃場であった。壁には何挺もの様々な銃がかけられていて、広い空間の奥に的があり、ガラスでそれぞれ隔てられた場所から銃弾を放ち、的に当てる。その中に耳を保護するイヤーマフをかけたツギハギがいた。ツギハギは耳にイヤーマフを当てているせいかこちらに気付いていない。

 『ツ、ツギハ……』

 ズキューン、という銃声が重女の言葉を遮った。ツギハギの銃が火を噴き、弾が的に当たる。弾は的の真ん中に穴を空けた。また撃つ。今度も殆ど同じ場所に穿かれる。銃を撃つ姿は堂に入っており、まるで本物の軍人のようだ。
 彼は確か悪魔召喚師のはず。悪魔召喚師は銃も使えないといけないのだろうか。弟のアキラも銃を撃っていたのだろうか、とアキラが銃を構えるところを想像したが、優しく気弱なあの子が銃を撃っているのはなんとなくちぐはぐな感じがする。

 (それにしても沢山の銃があるけど、ここにあるのは全部本物?)

 重女は壁に飾られている銃に引き付けられるように近づいた。ベレッタ92らしき銃に触れようとしたところ、がしっとその手を掴まれた。

 「なにしてんだお前は!! こんなところで!」

 右手を掴んでいたのはツギハギだった。イヤーマフを外し、縫い目の目立ついかつい顔を怒りに歪ませている。全身から昇る怒りのオーラに気圧され、無意識に重女は身体を後ずらせた。

 『あ、あの……フジワラさんが』
 「ああ!?」
 『フ、フジワラさんが、ツギハギ……さんを呼んで来い、て……』

 ツギハギのあまりの気迫に、情けないことに泣きそうになり電子音声が震えてしまった。掴まれている右手が痛い。

 「フジワラが?」

 そういうとやっとツギハギは手を離してくれた。重女は手をさすりながらツギハギから距離をとる。右手にはツギハギの大きな手形が赤々しく残っている。全く凄い力だ。

 『はい。フロリダにくるようにと。私の仲魔の黒蝿も来ています』
 「……ふん、そうかい」

 ツギハギは射撃所に戻ると、銃から弾倉を取り出し、床に散らばった薬きょうを集め、銃を壁に戻す。そして厳重に拘束具をかける。重女に見せつけるように。

 『あの……ツギハギ……さん』
 「なんだ?」

 ツギハギという渾名で呼んでいいのかわからなかったが、重女はツギハギの本名を知らない。なのでそのまま「ツギハギさん」と呼んだが、ツギハギは特に気にしていないようだ。

 『ツギハギ、さんはいつもこうやって銃を撃ってるのですか?』
 「……まあな。射撃ってのは怠けるとすぐに勘が鈍る。すると悪魔退治に支障が出るからな」
 『でも、ツギハギさんは悪魔を召喚できるじゃないですか。それだけではいけないのですか』

 す、と奥の棚からツギハギは不思議な銃を取り出す。と、いってもあれは銃と呼んでいいのだろうか? グリップと引き金はついているが、銃身がとてもでかい。いや、でかいというより広い。まるで普通の銃の銃身の部分に平べったい板をつけたような奇妙なものだ。

 「これに俺の悪魔召喚プログラムが組み込まれている。GUN(銃)に組み込まれているコンピューターだからGUMP(ガンプ)。これを「SUMMON」(召喚)モードにして引き金を引けば仲魔を召喚できる。
 だがこいつに組み込んだプログラムは、俺がベトナム戦争で使っていた頃からの古いもんだ。改造し何度かバージョンアップし修理しているがいつ使えなくなるかわからん。戦闘時にガンプが敵に破壊される可能性もある。だから悪魔召喚師ってのは仲魔に頼るだけじゃなく自身も戦闘能力を鍛えないといけねえんだよ」
 『ベトナム戦争……』
 「ああ、お嬢ちゃんは歴史の教科書でしか知らないか。俺は昔軍人でな。ベトナム戦争で悪魔召喚プログラムが実用化されたんだ。俺はそのプログラムの実験部隊としてベトナムのある村で戦った。この顔の傷はその時のものさ」

 ベトナム戦争――知らないどころか、重女はまさにその戦争が行われている時代で育ったのだが、それは説明しなくともいいだろう。しかしベトナム戦争に従軍していたというなら、ツギハギは一体何歳なのだろう? 若く見積もっても七十代だろうか。
 まあツギハギの年齢はどうでもいい。それより――

 『その、ツギハギさん。ここの射撃場て、一般人も使えるんですか?』
 「いや、ここは俺が秘密で作った場所だ。正規の許可は受けてない。ここに並んでいる銃も極秘ルートから仕入れたものだ。この事は絶対言うなよ。銃刀法違反でサツにしょっぴかれるのはごめんだからな」
 『はい、絶対言いません。だから、お願いがあります』
 「なんだ?」
 『私もここで銃の腕を磨きたいんです。だから私にもここを使わせて……』
 「駄目だ!!」

 いきなりのツギハギの大声が重女の鼓膜を震わせ全身に行き届く。銃声に勝るとも劣らない音量であった。

 「お前、まだ子供だろう!? 子供が銃なんか持つもんじゃねえ!」

 再び怒鳴られる。が、重女もなんとか萎えそうな全身に力を入れ反論する。

 『わ、私はもう十五です! 子供じゃありません! 悪魔召喚プログラムだって使えます! それにさっきツギハギさん言ったじゃないですか! 悪魔召喚師は自身も戦闘能力を鍛えなきゃいけないって! だから……』
 「馬鹿野郎!! それで銃を撃ちたいってか? 十五なんてまだまだケツの青いガキじゃねえか! そんなガキに銃なんて絶対持たせられねえ!!」

 鬼の形相で先程の倍の音量で怒鳴られ、また泣きそうになったので思わず顔を背けてしまった。何か、何か反論しないと。でも言葉が出ない……。
 言葉を失い俯いている重女をよそに、ツギハギはふん、と顔を背け、ガンプを腰の革の銃帯に収める。そして背を向けたまま、ぽつりと言う。

 「銃を持つってことは、誰かを殺すってことだ。その誰かが人であれ悪魔であれ、俺はお前みたいなガキが銃を持ってる姿を見るなんてもうごめんなんだよ」

 その声音には、妙な湿り気があった。傲岸不遜なツギハギらしくない。
 彼はベトナム戦争に従軍していたと言った。もしかして彼には、余人には計り知れない経験を沢山してきたのかもしれない。それこそ、年端もいかない子供を相手に戦ったり、自分とあまり変わらない年齢の子供を部下にし、敵陣に向かわせたりといった経験があるのかもしれない。

 「わかったなら行くぞ。フロリダでフジワラが待ってるんだろう?」

 ツギハギはカーキー色のジャンパーを羽織り、重女に一緒に来るよう促した。射撃場を出る際、店へと続く階段を昇るツギハギの背中が、重女にはこの時はより一層広く感じた。

―――

 純喫茶・フロリダは通常は夜の十時まで営業している。だが今日は四時で閉店した。大事な話し合いがあるからだ。
 客のいなくなったフロリダには、店主のフジワラと、相棒のツギハギ、重女に仲魔のやたノ黒蝿の三人と一匹しかいない。三人と一匹はテーブル席に座り、テーブルになにやら書類を広げている。

 「よし、じゃあこれから作戦会議を始めるよ」

 ぱん、と手を叩きフジワラが明るく言う。フジワラのソファーの隣にはツギハギが、重女の横には黒蝿が座っている。黒蝿はじろりと重女を睨む。全く、まだ塩入りコーヒーを飲まされたのを恨んでいるのか。

 「とりあえず確認するけど、二日後のクラブ・ミルトンで、VIPカードを手にした重女さんはVIPしか入れないパーティーに招待された。それでそのパーティーは悪魔と人間が集まっている可能性が高い。そのことは合ってるね?」
 『あ、はい』
 「その悪魔の集会なんだが、人間も一緒ってのがどうもしっくりこねえんだよな。悪魔と人間が同じ空間にいたら、そこにいる人間は悪魔に食われちまうぜ」
 「ひょっとしたら、クラブ側で契約している悪魔に招待された人間が供物として捧げられているのかもな」

 ツギハギの疑問に黒蝿が答える。

 「確かにその可能性はあるね。だけどね、私はもっと違う問題が発生していると思うんだ」
 『どういうことですか?』
 「私がクラブ・ミルトンで手に入れた情報によると、その集会はクラブの地下で行うらしいんだ。あそこの地下には大きな施設があるらしく、その施設の一室で集会は行われているんだけど、なんとその集会に招かれた客はきちんと帰っていったんだよ」
 「悪魔と一緒の集会だったのに、そいつらは悪魔に食われなかったってことか?」
 「そう。ただその時の客の様子が変でね。なんというか異様にハイテンションだったんだ。
 パーティーだから多少羽目を外すだろうけど、その客達は目がとろんとしてて、足元もおぼついてなかった。酒に酔っぱらった感じじゃない。まるで何かが頭の中から抜け出たような……なんだか異常に見えたよ」

 フジワラが身を乗り出し語る。パーティーから帰った客が異常な様子だった……それってもしかして……

 「妙なクスリが出まわってるかもしれねえってことか」
 「その可能性はあるね。招待した客達に違法薬物を配ってるってのはあるだろう」
 『あれ? でもそれじゃあおかしくないですか?』

 重女の言葉に男達の視線が集まる。重女は咽喉マイクのチョーカーに触れながら続ける。

 『だってそれだと、ただの違法薬物が出回っているだけじゃないですか。いや、それでも十分駄目ですけど、悪魔は関係ないってことですか? 私達が手に入れた情報によれば――』
 「いや、大丈夫だよ落ち着いて。それでここからが重要なんだけど……」

 フジワラは組んだ足を解き、手を組み膝に乗せる。そしてもったいぶったように続きを話す。

 「その招待された客達は毎週のパーティーには必ず来てたんだけど、ある時を境にパーティーに行くため地下に行ったきり姿が見えなくなったんだ」

 重女は身体を強張らせた。隣にいる黒蝿も、ツギハギも同じく。

 「それとなく他の従業員に客の行方を聞いたんだけど、誰も知らなかった。そもそもVIPのパーティーについては従業員の間では触れてはいけない暗黙の了解があったからね。
 その子達はパーティーが終わる時刻になっても姿を現さなかった。地下の施設からは外に出られないのは私とツギハギの調査で判明している。
 さあ、これをどう見る? 黒蝿君?」

 フジワラは急に黒蝿に話を振った。が、突然の問いにも関わらず、黒蝿は淡々と答えた。

 「何度か違法薬物とやらで客のマグネタイトの質を良くし、食べごろになったら悪魔達が招待客を食っている。そういうことか?」
 「ご明察。私達もそう読んでいるよ」

 まるで答えを当てた生徒を褒めるように、フジワラが朗らかに言った。

 「どうやってマグネタイトを良質化する薬を開発したのかはわからないけど、招待された客達は何度もその薬物を摂取させられ、頃合いになったら皆悪魔の餌になっている。これが私達の見解だ」
 『あ、あの、またちょっといいですか?』

 重女の二度目の質問。つい手をあげた重女に「どうぞ」とフジワラが答える。重女はすう、と息を吸い、チョーカーのスピーカーから電子音声を発した。

 『ええと、それだと、この事件の背後にいる「ヤタガラス」になんの利益もないですよね?
 パーティーに参加費がかかるっていうならともかく、招待はタダですし。そんな手間かけるんだったら、最初に招待客を招いた時に悪魔に食べさせればいいわけですし。違法薬物を作るのだってお金と時間がかかると思うし。組織運営の資金集めが目的の「ヤタガラス」にしてはやってることがちぐはぐだと思うんです』
 「いい質問だね。そこなんだよ問題は」

 うーんと、困ったようにフジワラは首を傾げる。

 「招待客が悪魔の餌食になっているってのは間違いないんだろうけど、やりかたが回りくどすぎるんだよね。
 重女さんの言う通り、最初に客に薬物を大量摂取させ悪魔に捧げればいいのに、何回もパーティーに通わせる意図がわからない。資金繰りに困窮している「ヤタガラス」がお金のかかるパーティーを毎週開催するってのもおかしいし、そこまでしてなんで悪魔の餌となる人間を集めるのか、そもそも悪魔を従わせてなにがしたいのか、そこが謎なんだよ」
 「ま、そこはお嬢ちゃんが潜入して実態を把握すりゃいいんじゃねえの」

 ツギハギが横から口を挟む。いつの間にか彼はビールを飲んでいる。ぷん、と酒臭さを感じ、つい、『私は“お嬢ちゃん”じゃありません。重女です』と苛立って名(正確には偽名だが)を告げた。

 「そうだな。折角苦労して招待を獲得したんだ。潜入計画を練った方がいいだろう。内部に忍び込めば「ヤタガラス」の目的も分かるだろうしな」

 また簡単に言ってくれる! と重女は黒蝿を軽く睨んだ。潜入するのは他ならぬ私なのだ。違法薬物らしきものが出回っていて、更に悪魔までいる所に私は一人で潜入しなければいけない。こちらの心細さを少しは汲んでくれてもいいのに……。

 「そうだね。それじゃあ早速潜入計画をたてよう! まずはこの地図を見て。これは私が独自に捜査して作ったクラブ・ミルトンの地図なんだけど……」

 そうしてフジワラを中心に、クラブ・ミルトンでの“悪魔の集会潜入計画”が話し合われた。
 夕方に始まった作戦会議は、夜更けまで続き、更に翌日も続けられた。全てはヤタガラスの悪事を暴くため、重女達は入念な計画をたてた。

―――

 そしてパーティー当日。
 重女は再びクラブ・ミルトンに来ていた。

 薄く施した化粧に、再び「そふとこんたくとれんず」なるものを装着し、癖のある金髪は美容院で綺麗に整えてもらい、ワインレッドの上品なワンピースを纏い、足元は高さ五センチもあるハイヒール。そして喉には咽喉マイクが入ったミドーとキヨハルが作ってくれたチョーカー。傍から見れば私はきっとお金持ちのお嬢様に見えるだろう。

 (私が計画の要なんだ……しっかりしなくちゃ)

 重女は首からぶら下げている十字架のネックレスを握ると、クラブ・ミルトンの扉を開けた。よし、潜入計画のはじまりだ――

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