「九楼重女さんですね?」
 『はい、そうです』

 重女のチョーカーに仕込んである咽喉マイクから機械音声が発せられる。クラブ・ミルトンの地下にあるVIPホールのボーイはそれを聞いた瞬間、少し目をしばたかせたが、すぐに微笑を浮かべ、重女のVIPカードをスキャンする。
 九楼、というのは勿論偽の苗字だ。「重女」という下の名前は東のミカド国で偽名として咄嗟に名乗ったが、苗字の方は今まで名乗る機会がなかったので偽造する必要がなかった。が、今回の潜入にはフルネームを名乗る必要があったので、苗字を作る必要があった。
 なんという姓にするか迷っていると、フジワラが、

 「“くろう”なんてどう? 仲魔の黒蝿君は鴉でしょ? 鴉は英語で“crow”。だから「九楼」はどうだい?」
と提案してきた。そのフジワラの案を採用し、今日から重女は“九楼重女”という名になった。

 VIPカードのスキャンが終わると、重厚な扉が開く。

 「どうぞ。楽しい夜を」

 ボーイは微笑を崩さず、腰を曲げ手をホールの方へ向ける。重女は履き慣れないハイヒールを踏み出し、パーティー会場へと足を踏み入れた。

 「!?」

 少し気おくれしながら中に入ると、途端に非常に甘い匂いが重女の鼻に届いた。
 そこには巨大なシャンデリアが幾つも天井から下げられており、壁は落ち着いたクリーム色。床には赤い絨毯が敷き詰められており、まるで舞踏会でも開かれそうな広いホールには幾つか飲食のためのテーブルやダンススペースがある。一見するとヨーロッパの貴族の社交場と言った感じだが……

 (……なに? この匂い……?)

 不思議な匂いに鼻と口許を咄嗟に抑えながら顔をあげる。そこには異様な光景が広がっていた。
 異形の姿の悪魔と、重女とそう変わらない年頃の若者たちが共に談笑していたり、激しいリズムの音楽に合わせて一緒に踊ったりしている。まるで上のクラブの規模を大きくしたような感じだが、違うのは悪魔と人間が共にいることと、両者とも異常にハイテンションだということだ。
 とあるテーブルでは、悪魔と少年少女が大声で手を叩きながら大笑いしているし、ダンススペースでは悪魔と人間が滅茶苦茶なダンスを披露している。ダンスというよりただ手足を激しく振り回しているといったほうが正しい。
 そして、会場の人間の表情は、どこか締まらない笑みを浮かべている。近くで笑いながらなにか話している少年と少女の瞳孔は開きっぱなしだ。

 (違法薬物……?)

 やはりフジワラさん達の言っていた通り、違法薬物が出回っている――重女はそう確信した。この会場全体に漂う粘ついた甘ったるい匂い。これが違法薬物の匂いであろう。
 重女はなるべくその匂いを吸わないよう、ハンカチで口と鼻を押さえ、壁際を移動する。と、その時。

 ――姉ちゃん、どこに行くの?――
 「!?」

 急に、頭に声が響いたと思うと、重女の身体がぐらついた。膝をつきそうになるのをなんとかこらえながら、重女は辺りを見渡した。しかし、当然ながら先程頭に響いた声の主――弟のアキラの姿はなかった。

 (幻聴……?)

 薬物の匂いにやられたのか。しっかりしろ、と頭の中で自分を叱咤し、壁に手を突きながらなんとか態勢を直した。

 「お姉さん、どうしたの? 大丈夫?」

 頭上から声が降りてきた。見上げると黒いタンクトップに肩によくわからない模様の刺青が入った、いかつい顔の大柄な金髪の青年が心配そうに重女を見ていた。青年の隣には赤みがかった茶髪の派手な女と、髪を逆立て鼻にピアスをしている少年がじろじろとこちらを見ている。三人とも派手なだけではなく、顔に締まりがなく瞳孔が開き気味だ。他の客と同じく。

 『大丈夫です。ありがとうございます』

 重女が咽喉マイクのスピーカーから応答すると、女がきゃあ、と軽い悲鳴のような声をあげた。

 「ちょっとちょっとなにそれー? 今そのチョーカーから声出たよね?」
 「なになに? もしかしてお姉さん、ロボット?」
 「んなわけねーじゃん。馬鹿かお前!」

 三人が品のない声でげらげら笑う。その笑い声が癇に障った重女はムッとしながら『……昔事故で喉をやられました。だからこれは咽喉マイクです。私はこれで話します』と機械音声で答えた。

 「やっべ! 咽喉マイクだって! まじかっこよくね?」
 「うんうん、なんかターミネーターみたい! 確かいたよね? 女のターミネーター」
 「ばっか、ターミネーターは全身ロボットだっちゅうの!」

 再び起こる意味不明の哄笑。うんざりした重女は三人組を無視し、別の場所へ移ろうとした。

 「おっと待ってよお姉さん、良かったら俺らとあっちで飲まねえ? お姉さんみたいな可愛い子探してたんだー」
 「ちょっと、あたしはどうなのよー?」

 あっち、と指さされたのはソファー席である。その席には、なんと赤ら顔の角が生えた妖鬼・オニと幼虫・モスマン、邪龍・ハクジョウシの三体が酒を傾けている。彼らは人間を襲ったりせず、静かにソファーに座りこちらを凝視している。

 「…………」

 重女は一瞬迷ったが、情報を手に入れるためにこの無礼な三人組に近づいておくのも悪くない。席の悪魔達も敵意を感じないし、ここは彼らに溶け込んでおくのがいいだろうと判断し、『じゃあ、おじゃましちゃおうかな』と作り笑顔で媚びるよう答えた。
 三人組は喜びの奇声をあげ、重女を席へと案内する。

 それにしても先程の声はなんだったんだろう? 幻聴にしては随分はっきり頭の中に響いたし、一瞬幼いころのアキラの映像も浮かんだ。薬物とはこれほどまでにはっきりとした幻聴や幻覚をもたらすものなのか?

 (なら、余計にこの空気を吸うわけにはいかない)

 重女は口と鼻を覆うハンカチを押さえる力を強くし、何故か先程から起こっているこめかみの痛みに耐えながら、悪魔達の待つ席へと向かっていった。

―――

 一方その頃、クラブ・ミルトンより西に三キロほど離れた地点。
 そこには、かつてある新興宗教団体が所有する寺院が建っていたが、その宗教団体はすっかり衰退し、団体は組織解体。この寺院は放置され、今ではかつてのきらびやかな宗教的装飾もさびれ、廃屋同然となっていた。
 その廃屋の寺院に、人影が三つ。フジワラとツギハギ、そしてやたノ黒蝿である。二人と一体は懐中電灯片手に屋内を捜索していた。

 「本当にあるのか? こんなボロイところによ」
 「見つけたのは君の仲魔だろう? ええと、多分この辺りに……」

 その時、ガコン、と何かが動いたような音がした。フジワラとツギハギの視線が音のした方向に向けられる。
 黒蝿が半壊している仏像らしきものを90度右に曲げたらしい。
 すると仏像の後ろの壁がガタガタと音を鳴らしながらゆっくり横にスライドしていく。壁が動く度、微かな風が流れてくる。
 壁が完全に開くと、そこには暗い小さな空間があった。灯りを当てると、さびた梯子が設置してあり下に伸びているのがわかる。どうやら地下に行くための秘密の通路らしい。探していた場所が見つかった。

 「ビンゴ! よくやったよ黒蝿君!」

 フジワラが梯子の下を照らしてみると、かなり下に広い空間がある。やはりここだ。

 「ほら、俺の言ったとおりだったろ?」

 なぜかツギハギが自慢気に胸をそらして見せる。フジワラは苦笑しながら梯子に手をかけた。ひゅうう、と下からかび臭い風が吹いてくる。慎重に手足を梯子につけ降りようとする。
 そんなフジワラをしり目に、黒蝿は梯子など気にせずそのまま下へ降りて行った。
 湿った激しい向かい風が黒蝿の顔を撫ぜ髪や服をはためかせる。かなりの落下速度をものともせず黒蝿は無事着地した。その様子を見て、梯子で降りていたツギハギがひゅう、と口笛を吹いて見せる。

 「さっすが悪魔は違うねえ。俺も現役ならあれくらい……」
 「ツ、ツギハギ! 早く降りてくれ! この梯子はかなり劣化している。もたもたしてると重みに耐えかねて外れてしまう!」
 「おお、悪い悪い」

 ツギハギとフジワラが無事に着地出来たのは、それから数分後の事だった。

―――

 そこはまるで洞窟のような広い空間であった。しかし洞窟と違い、木の柱であちこち補強されていたり、天井に壊れた豆電球が等間隔に並んでいるのは、ここが洞窟等の自然にできた場所ではなく、人工的に作られた場所だということの証左である。

 「やっぱり、君の仲魔が見つけたとおりだったね」
 「だろ? しかしこの二十一世紀にまだこんな防空壕があるとはねえ」

 そう、ここは戦時中に作られた防空壕。ツギハギの仲魔がクラブ・ミルトンの周辺を探っていた時に、廃屋の寺院の下に謎の空間があることを突き止めた。そしてその空間は、三キロ先のクラブ・ミルトンの地下施設の辺りまで伸びている防空壕であることも分かった。
 重女がパーティーに招かれている間、フジワラ達はこの防空壕からクラブ・ミルトンの地下施設に侵入。そこでクラブの暗部を暴くのが主な作戦内容だ。
 黒蝿の後ろには古い木箱や段ボール、そして上の寺院の備品らしきものが幾つも置かれていた。恐らく宗教団体が倉庫代わりに使っていたのだろう。曖昧な笑みを浮かべた何らかの神の像を見て、悪魔である黒蝿は眉を寄せその像を蹴った。ガラガラ、と意外と大きな音を防空壕内に響かせ、神像や木箱が崩れ落ちる。

 「黒蝿君! あまり刺激を与えないで! この防空壕はかなり古い。ちょっとした衝撃で崩壊することだってあり得るんだぞ」
 「わかってる。この先の通路を通っていけばクラブの地下施設に近づけるんだろ? 行くぞ」

 言うが早いか、黒蝿は防空壕の通路を歩いていく。フジワラとツギハギが慌てて後を追う。黒蝿だけなら三キロの距離など低空飛行であっという間につけるのだが、フジワラ達を置いていくわけにはいかない。やれやれ、と嘆息しながら、懐中電灯で通路の先を照らした。
 かなり大きな防空壕らしい。人間どもが互いに戦争していた時は、爆撃を防ぐためにここに避難していたのだろう。もしその戦争に悪魔がいたら、こんな空間あっという間に潰せるのに。
 
 戦争、という単語で、黒蝿はあることを思い出した。

 そういえば、あの忌まわしい「悪魔召喚プログラム」が人間の手によって理論化されたのは70年ほど前の戦争からじゃなかったか? たしか「第二次世界大戦」という戦争中に二人の人間によって理論が確立されたはず。
 そこまで考え、とある仮説が黒蝿の脳裏に浮かんだ。なぜ今まで気づかなかったのか。悪魔召喚プログラムを作れるほどの人間。まさかそのうちの一人は――

 「おい、ミドー。起きろ」

 黒蝿が聖書型コンプを乱暴に開く。重女が潜入に持っていけないということで、黒蝿が預かっているのだ。既に重女の手によって起動状態にあり、一時的に黒蝿が獅子丸や牛頭丸などの仲魔を呼び出せるよう設定を変更してある。
 黒蝿の音声を認識し、コンプの画面に映ったのは、荒いポリゴンドットのコンプ内の主、ミドーという老人である。

 〔なんじゃ? もう着いたのか? 随分早いな〕
 「違う。今向かっている。それより聞きたいことがある」
 〔こんな時になんじゃ?〕

 いつの間にかフジワラとツギハギが後ろからコンプを覗き込んでいた。特にツギハギは興味津々といった様子で、それはコンプか? なんで本の中に入れているんだ? もっとよく見せてくれと言ってきたが、黒蝿は当然無視した。

 「かなり前、俺がこんな姿にされる前に、風の噂で聞いたことがある。俺達悪魔を無理やり呼び出すはた迷惑なプログラムとやらが確立されたと。まさかそれをやったのは――」
 〔ああ、私とスティーヴンじゃよ〕

 ミドーはあっさりと認めた。黒蝿はやや拍子抜けしコンプを持つ手を変えた。フジワラ達は顔を見合わせている。

 〔なんじゃ、知らなかったのか? てっきりアキラからでも聞いていたと思ったんだが〕
 「……随分簡単に認めたな。まあいい。問題はその後だ。そのプログラムを実用化してコンプとやらを作ったのもおまえか?」
 〔そうじゃよ。正確には国からの要請で、プログラム実用化の為の研究チームを作ってスティーヴンと共同で開発したんじゃがな。じゃが私は実用化の為の実験の途中でプログラム内に閉じ込められてしまった。だから私はこんな姿でここで悪魔召喚プログラムを管理して――〕
 「余計な事しやがって!!」

 怒声が防空壕内に響く。ミドーが驚きドット状の身体が一瞬崩れかける。フジワラとツギハギの驚きの視線を無視し、黒蝿は続けた。

 「お前らの組んだプログラムのせいで悪魔の理が崩れたんだぞ! おかげで人間ごときに簡単にこきつかわれる同胞が後をたたない。なんでこんなもん作った!? こんなものさえなければ、異界と人間界の均衡は保たれたままだったはずなのに!」
 「いや、それはその爺さんたちのせいじゃねえよ」

 急にツギハギが話に割り込んできた。黒蝿の殺気だった目を見ながら、ツギハギは腰のガンベルトから銃身が酷く扁平な形の不思議な銃らしきものを取り出した。

 「これはガンプっていってな、銃の中に悪魔召喚プログラムが組み込まれている。この中のプログラムは、ベトナム戦争の時からのものを何度も改良している。
 俺は若い頃軍人でな、ある時上の方から新しい兵器の実験のため召集された。その兵器が、悪魔召喚プログラムが組み込まれたコンピューター、今でいうコンプだよ。もっとも、あの時はこんな銃の形やお前の持っている本の形ではなく、でっかい箱数台におかしなヘルメットつけて起動させるもんだったがな」
 「……それが一体なんの関係がある」

 黒蝿が苛立ち気味に問う。フジワラは神妙な面持ちで静観していた。

 「まあ聞けよ。そのプログラムを作ったってのが、その爺さんが言ってたスティーヴンとかいう有名な物理学者だった。あの時は祖国のアメリカがベトナムでドンパチやらかしてた時だったからな、敵側に勝つための新しい兵器が必要だったんだろうさ。国の命令でその物理学者さんは仕方なくやらされてたんじゃねえのか?」
 「…………だからミドー達を許せ、と?」
 「ま、簡単にいうとそういうこった。俺だって悪魔召喚プログラムなんてわけわかんないもんに関わりたくなかったさ。だが俺は軍人だ。上官の命令は絶対だし、国の為ならどんなことでもしなけりゃなんねえ。俺はたまたまプログラムを起動できたってだけで、強引に実験部隊に入れられて、そしてある村で“実験”させられたんだ」

 ツギハギは語った。自身の過去を。

 彼がまだアメリカの軍人で、ベトナム戦争が勃発中だったころ、ある時軍上層部から実用化前の悪魔召喚プログラムの起動実験の“被験者”として召集命令が下された。
 なんでもその悪魔召喚プログラムという“兵器”は、戦争の勝敗に関わるすごいものだと聞かされていたから、集められた被験者の兵士たちは、自分達は選ばれた者だと喜んだ。ツギハギも例外ではなく、これで昇進も期待できる、落ちこぼれの兵曹の自分がのし上がれる良い機会だ、と被験者に選ばれたことを誇らしげに思った。

 しかし、その兵器は誰もが扱えるわけではなかった。

 プログラムを起動すらできないものが大半で、被験者の中には起動スイッチを入れた途端廃人になったものも多かった。
 そんな中、ツギハギはプログラムを起動できた少数の貴重な被験者の一人として生き残った。
 何故起動出来る者と出来ない者がいるのかは分からなかった。研究者達は前頭葉のドーパミン感受性ニュートン等の神経伝達物質が関係しているんじゃないかと仮説を立てていたが、結局詳細なメカニズムは不明なままだった。
 起動に成功したツギハギ達はプログラムを使いこなす訓練を受けた後、プログラムの性能の“実験”のため、ベトナムのとある村を襲撃する任務が下された。クアンガイ省にある、戦略的に何の価値もない小さな村。そこで悪魔召喚プログラムを使い悪魔を召喚し、村人全員殲滅させよ、という極秘任務であった。

 「在郷軍人が少しいるだけの、女子供や老人ばかりの小さな村よ。そこを俺達の部隊は、夜、奇襲をかけて村人全員殺さなけりゃいけない。悪魔を召喚してな。どんな状況だったか詳しく聞きたいか?」

 黒蝿は黙っていた。フジワラも、コンプ内のミドーも同じく。

 その時の状況は、一言でいえば「地獄」だった。

 軍人ではない女子供まで、自分が召喚した異形の者達が蹂躙し、その身を食らっている。自衛の為に向かってくる者もいたが、そいつらは老人や子供が大半だった。たとえ子供や老人でも、銃を向けられたら軍人として撃たないわけにはいかない。小さな村はツギハギ達の部隊によって、血と肉が飛び散り、断末魔の悲鳴が絶えない地獄絵図に変わった。
 酷いものであった。これなら最前線でゲリラと戦っていたほうまだマシとさえ思える程だ。しかし命令には逆らえない。ツギハギはこの時、こんな事態を招いた自分達のほうが悪魔だと感じ、目の前の惨劇がこの世のものであることが信じられなかった。
 無事“実験”が終わり、悪魔召喚プログラムの実用性が実証されたが、ツギハギは神経を病んだ。戦闘ストレス反応、いわゆる「シェル・ショック」にかかってしまったのだ。
 顔を抵抗してきた村人に刃物で切り付けられ、その傷跡も痛々しい中、無気力状態に陥り、あの村での惨劇が頭から離れられなく、あの時の村人たちの悪魔に食われた悲惨な姿、年端もいかない子供を撃ち殺したときの感触等がフラッシュバックし、軍人としての務めが果たせない状態になってしまった。
 そしてツギハギは部隊を異動させられた。正規軍ではなく、悪魔召喚プログラムの研究の為の極秘部隊に。
 そこで暫く身体と精神の療養兼プログラム使用経験者として身体を調べられたり、プログラム改良のための協力を強いられた。
 研究者達に実験動物のように扱われるのは癪だったが、あの村での任務よりずっと良かった。なぜなら今までと違い人を殺すようなことはなかったから。
 
 そこでは、親を殺され、泣きながら銃を持った子供を撃ち殺さなければいけないようなことはなかった。
 そこでは、悪魔を召喚して悪魔が人を食うところを静観しなければいけないこともなかった。
 そこでは、それらの状況をすべて記録し、報告書を作成し上層部に提出しなければいけないなんてことはなかった。
 
 今までの軍隊生活では考えられないほど穏やかで、自分が軍人であることを忘れてしまいそうになる生活が何年か続き、やっとツギハギが正規軍に復帰できたときには、ベトナム戦争も終結した後だった。敵陣営が結果的に勝ち、祖国のアメリカや同盟国側は撤退を余儀なくされ、事実上の政治的敗戦だったが、もうツギハギは悔しいとも何も思わなくなった。

 「それから暫く軍にはいたが、殆ど悪魔召喚プログラム関係の任務ばかりだったな。命令とはいえ、罪のない民間人を殺したあの実験という名の虐殺は、未だに忘れることが出来ないし、これからも忘れないだろうな」
 「……結局何が言いたい? プログラム制作者には罪はない。悪いのはそれを悪用した人間どもってか?」
 「ん…………まあ、そういうことになるのかな。その爺さんもスティーヴンって奴も、上の命令でプログラムを作ったわけだろ。スティーヴンて奴は未だに行方不明で、噂じゃ用済みになったんで消されたんじゃないかって言われている。
 上手く言えねえけどよ……どんな道具だって使い方次第で人を殺せるし、助けることだってできる。悪魔のお前にとっちゃあこんなもん迷惑かもしれねえけどよ、コンプだって人を助けるために使えるかもしれないだろ? だからその爺さんを責めるのは……」
 「は! そんなの人間側の理屈だな。俺は人間の感傷なんぞ理解出来ないしするつもりもない。なんにせよ、悪魔召喚プログラムのせいで俺達の世界の理がめちゃくちゃにされたのは事実だ。
 悪魔ってのはな、人間以上に理に縛られている。逆に理があるから悪魔の世界の均衡が保てていた。それを人間の都合でかき回されちゃたまらないんだよ!」
 「なら、どうするんだ? その爺さんや俺やあの重女とかいうお嬢ちゃんも、プログラム制作者もコンプ使いの悪魔召喚師も皆殺しにするつもりか?」
 「……もしそうだといったらどうする?」
 「おもしれえ……!」

 黒蝿が翼を広げ自身の影を膨張させ、ツギハギがガンプを黒蝿に向ける。二人の間に殺気立った空気が漂い、強風がおこり、ガンプの引き金がひかれそうになったとき、「はいはいはい! そこまで!」と、フジワラが大きな声と共に二人の間に入ってきた。

 「こんなところで仲間割れしてどうする! 今の任務はクラブ・ミルトンへの潜入だよ! ガンプ降ろして! 黒蝿君も落ち着け!」

 ツギハギがガンプを降ろし、黒蝿も影を収縮させた。一触即発の危機は何とか免れた。フジワラは汗を拭きながらふう、と息を吐いた。

 「この話はこれが終わってからにしよう。長くなりそうだしね。今は潜入のことだけ考えよう。あんまり遅くなると重女さんの身も危なくなる」
 「……ふん」
 「……ちっ!」

 気まずいまま三人が暫く歩いていくと、通路が瓦礫で塞がれていた。地震かなにかで壁が崩壊したのだろう。

 「さて、地図によると、この瓦礫の先に、クラブ・ミルトンの地下施設の壁が隣接している。ここから私達は侵入するわけだが、力任せに破壊するとこの防空壕が崩壊してしまうし、向こうのクラブ側に気付かれてしまう。なるべく最小限の侵入口を開けたいんだが、黒蝿君、出来るかい?」
 「…………」

 不機嫌さを隠そうともせず、黒蝿はコンプを再び開き、「獅子丸、出番だ」と言う。
 するとコンプから大柄な紅い鬣の獅子の半人半獣の男が出てきた。神獣・雷王獅子丸。元は重女の弟で東のミカド国の王でもあったアキラの仲魔。今は姉である重女の仲魔として剣を振るっている。

 「お初にお目にかかる。儂は雷王獅子丸。以後、宜しくお願い申す」

 天井につきそうな大柄な身体を曲げ、目を丸くしているフジワラとツギハギに深々と礼をする。

 「私はフジワラといいます。まったく、黒蝿君の他にもこんな強そうな仲魔がいたなんてね!」
 「……宜しく。ツギハギと呼んでくれ」

 二人の自己紹介に再び獅子丸が再び礼をする。

 「獅子丸。おまえの剣で、この瓦礫を細かく切り刻め。その後、向こう側の壁に人ひとり通れるだけの穴を空けろ。向こうの人間に気付かれないように。できるな?」
 「随分偉そうな口を聞くようになったな黒蝿の。我が主の命がなければ、切り刻むのはお前の方だというのを忘れるなよ」

 獅子丸が腰の長刀の柄を握ったかと思うと、次の瞬間目にも止まらぬ速さで抜刀し、凄まじい速さで瓦礫をまるで野菜を切るかのごとく細かく切り刻んでいく。気が付けば瓦礫の山は細かい石屑の山へと変わっていた。
 そして次に居合の姿勢をとり、長刀が一閃した。刀の白い光跡がフジワラ達の瞼に焼き付き、いつの間にか壁に人ひとり分の穴が切り取られていた。
 かつてアキラの剣の指南役として、また最強の仲魔として活躍してきた神獣の名に恥じない剣さばきであった。

 「すごい……!」

 フジワラが感嘆の言葉を吐く。ツギハギも口をぽかんと開けたままである。

 「これで満足か? なら行くぞ」
 「待て。儂はどうすればよい? この穴だと儂には小さすぎるが……」
 「お前はコンプで待機。用があればまた呼ぶ」
 「なにを!」

 反論しかけた獅子丸を、黒蝿がコンプに収納する。そして「行くぞ」とフジワラとツギハギを穴へ入るよう促した。フジワラとツギハギ、そして黒蝿が穴をくぐり、クラブ・ミルトンの地下施設に侵入した。

 ―――

 穴の向こうは今までの土でできた防空壕と違い、コンクリートの壁の現代的な部屋であったが、そこは倉庫のようで、無人であった。成る程。だからここから穴を空けて侵入すると言っていたのか、と黒蝿はフジワラの計画の意図を理解した。
 開けた穴を倉庫内の手近な物で塞いだ後、「さあ、これからが本番だ。もう一度ルートを確認するよ」とフジワラが地図を開き、侵入ルートの説明を始めた。

 それを聞きながら、黒蝿は重女の事を考えていた。あいつ、きちんと溶け込んでいるだろうか、悪魔と戦うなんて事態にはなってないだろうか、と考え、ふと黒蝿はそんな心配をしている自分におかしくなった。

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