『今日未明、陸上自衛隊真駒内駐屯地の弾薬倉庫から9mm自動拳銃一丁と銃弾十数発、手榴弾数個が盗まれる事件が発生しました。自衛隊は…………』

 いつもの日曜、篠宮茜は約束の時間より少し遅れて河川敷のベンチへと向かっていた。

 (まずい……寝坊しちゃった)

 茜はひたすら走る。九楼さんがスマホか携帯を持っていたら事前に連絡出来たのに。
 彼女は携帯もスマホも持っていない。茜が自分のスマホを見せると彼女は酷く驚いていた。

 [小型の懐中電灯?]

 重女がそうノートに書いてきたのを見て、今度は茜が驚いた。今時スマホを知らない中学生なんているのだろうか。
 茜は深く追求しなかった。人様の家庭の事情にずかずかと足を踏み入れてはいけない。
 でも、九楼さんがスマホを持っていたら、通話は出来なくてもメールやラインが出来たのに。彼女は顔文字を使うのだろうか? きっと彼女はシンプルな文体だろう。茜はそう妄想し、自然に顔がにやけてくる。

 ベンチが見えた。茜の足が早くなる。

 「九楼さん、ごめんなさい! 今日寝坊しちゃって……?」

 そこまで言って茜は口をつぐんだ。ベンチに座っていたのは、金髪の少女ではなく、黒いロングコートを着て鳥打帽を被った、長身痩躯の男だったからだ。
 男が、視線を手元の本から外す。鳥打帽から覗く切れ長の瞳が、茜を射ぬいた。
 その男が手にしている本が、重女に貸したライトノベルだと分かり、茜は身体を強張らせる。

 「あいつは来ない」

 ぱた、と男が本を閉じて、此方を向く。

 「え? あの……」
 がさがさ、と男が本を紙袋に入れる。あの紙袋、私が九楼さんに先週貸したときに本を入れてあった……

 「ちょっとドジを踏みやがって、あいつは今怪我をしている」
 「え!? け、怪我!」

 男がベンチから立ち上がる。随分背が高い。初夏に相応しくない黒い革のロングコートと、黒の鳥打帽から見下ろす金色の瞳が、茜を怯えさせた。
 この人は何者なんだろう。なんだか恐い人だけど、何故この人は九楼さんに貸したはずの本を持っているのだろう。「あいつ」とは九楼さんの事だろうか。もしかして……。

 「あの……九楼さんのお兄さん……ですか?」
 「ああ?」

 低い声が響き、茜の顔に緊張が走る。男はそんな茜を一瞥しながら「……違う」と吐き捨てた。

 「只の同居人だ」

 同居人?  家族の方ではないのか? そういえばこの人と九楼さんは全然似てない。強いていえば、瞳の雰囲気が、九楼さんが時々見せる眼に少し似ている……

 「篠宮茜」
 「はい!?」
 いきなり名前を呼ばれ、茜が肩を震わす。

 「………お前に聞きたい事がある」

 男がベンチから離れ、茜に近づく。一歩、二歩。

 「き、聞きたい事?」

 茜が怯えながら聞き返す。今日は暖かいのに、この男の周りだけ空気が冷たく、影が濃いように茜は感じた。

 「お前の父親は、烏丸コーポレーションに勤めているな」

 男がまた一歩近づく。茜は後ずさる。この人、ただの人じゃない。
 隠しきれない鋭い険は、一般人のそれとは明らかに違う。警察? それとも、ヤクザ?

 「わ、私の父がどうしたんですか?」

 声が震える。男の鋭い視線を浴びながら、茜の頭の中で警鐘が鳴っていた。
 この人、ヤバイ!

 「お前の父親は、烏丸コーポレーションに勤めている。それで間違いないか?」
 「そ、そうですけど……」

 ふむ、と男が口元に手を当てる。逃げ出したいのに、膝が震えて立っているのがやっとだ。
 この人は九楼さんの「同居人」のはずだ。それなのに何故父の事を聞いてくる? そもそも九楼さんは何故此処に来ていない?  怪我をしたとこの人は言った。なんで怪我をしたのだろう。まさか、この人が暴力を奮って――?

 混乱する茜を男はじっと見ていた。口を開きかけたその時。

 ワン!

 犬が男に向かって吠えた。

 男が犬の方向に目を向ける。
 犬を連れて河川敷を散歩していたジャージ姿の初老の女性は、怪訝な目で男と茜を見ている。全身黒づくめの男の姿は目立つ。女性の目には、怪しい男が少女を拐かそうと見えたのかもしれない。

 「………」
 罰が悪そうに、男はベンチへと戻り、紙袋を持って来て茜に差し出す。

 「あいつがお前に返すようにと」

 紙袋には、茜が九楼重女に貸していたライトノベル数巻が入っていた。異能の少女が悪魔をやっつける学園ファンタジーものだ。
 
 「………」
 茜は黙って受け取る。手の平に紙袋の重みが伝わり、がさ、と紙袋が鳴る。

 「面白かった、と、そう伝えてくれと頼まれた」

 全く感情の込もっていない声で男が告げる。
 茜はそれを聞いて、そんなことを頼まれるなんて、この人は九楼さんと本当は親しい関係なのではないかと推測する。

 男が背を向け、そのまま歩いていった。

 茜は暫く動けなかった。冷や汗が背中を伝う。あの恐い人、一体何者なの? 何故父の会社の事を聞いてきたの? そして何より、

 あの人、本当は九楼さんのなんなんだろう――。


―――

 翌日の月曜日、いつものように大きなボストンバックを持って、九楼重女は登校した。
 教室に入ってきたとき、茜やクラスの皆は絶句した。重女の頭と左手に包帯が巻かれていたからだ。

 「九楼さん!」
 茜が駆けつける。重女は静かに席につくと、張り付いたような笑みを浮かべた。
 「本受け取ったよ。怪我したって本当だったんだね……」

 茜がそっと耳打ちする。

 「あの恐い人に怪我させられたの?」
 重女は首を振って、筆談用ノートにペンを走らせる。

 [かいだんからころんだの]

 「嘘。あの人言ってたよ。「ドジを踏みやがって」って。何かあったんでしょ」
 その問いに、重女は困ったような笑みを浮かべる。
 「……ねえ、もしかして、あの黒くて恐い人……九楼さんの彼氏?」
 重女が不思議そうにノートに書き足していく。

 [かれし?]

 え? 九楼さん、スマホといいまさか彼氏の意味も知らないの?

 「えっと……なんていうのかな、恋人、て意味だよ」

 途端、重女の顔が物凄く嫌そうに歪んだ。

 [遠いしんせきのおじさん]

 殴り書きされたその文字は、重女の不機嫌を表すかのように荒々しかった。
 おじさん? 茜が首を傾げる。あれ? 昨日のあの男の人は「家族じゃない」て言っていたような。それにおじさんというよりはお兄さんぽかったけど……

 「………」

 重女が茜を見上げる。大きな青い瞳は眼鏡ごしに茜を睨んでいた。
 この瞳、やはり昨日のあの人と似ている――

 「あ、あの、色々事情があるかもしれないけど、困ったことがあったら相談してね。ホント、暴力とか許せないから!」

 重女は苦笑する。どうやらこの子の中では私は「あいつ」と恋人同士で、「あいつ」から暴力を受けているという設定らしい。
 本当は違うのだが、そう誤解させておくのも悪くない。

 [ありがとう]

 作り笑いを浮かべながら、重女はそう書いた。
 茜が嬉しそうにはにかんだ。

―――

 土曜日、茜は部活が休みだったので、重女をショッピングに誘った。
 私服で来てね、という茜の頼みに、彼女はやや眉を寄せながらも了承した。
 待ち合わせは新しく出来たショッピングモール。茜は青いワンピースを着て軽い足取りで向かっていた。
 重女さんの私服が見れる。そう考えると自然と顔が綻ぶ。
 彼女はどんな服を着てくるのだろう。日曜に会うときも、彼女はいつも無個性な紺のセーラー服姿しか来てこなかったから、私服を見るのは初めてだ。きっと、ふわふわした女の子らしい格好だろう。ワンピースかロングスカートかな。色はきっと白だろう。

 茜の淡い期待は、しかし待ち合わせ場所にいた少女に裏切られた。

 モール内の柱に寄りかかりながら本を読む少女――九楼重女は、黒の半袖のタートルネック、ベージュのカーゴパンツ、ゴツいブーツという出で立ちだった。首から下げた錆びた十字架のペンダントは、アクセサリー……なのだろうか。

 (あれは……なに? 軍服コスプレ?)

 想像の遥か斜め上の重女の格好に、茜は声をかけるのを忘れてしまう。
 
 「…………」

 重女が茜の方を向いた。眼鏡の奥の青い瞳が大きくなり、唇の端を上げてこちらへ向かってくる。
 昼下がりのショッピングモールから完全に浮いている金髪碧眼の少女に、茜は苦笑いを浮かべるしかなかった。

―――

 二人の少女が歩く度、通行人の視線が突き刺さる。一人は青いワンピースのショートカットの少女。もう一人は、金髪をたなびかせながら、軍靴を踏みしめる眼鏡の少女。
 妙な組み合わせの少女二人組に、通行人が好奇の視線を向けるのは当然だった。
 ひょこ、ひょこ。重女の歩き方は少し変だ。茜は一体どうしたのだろうと思い、隣の少女の足元を見る。もう怪我は治ったはずなのに。
 重女の軍靴――茜にはゴツいブーツに見えた――や服装は、良く見ると大きい。あれはもしや男物ではないか。

 「ねえ、どうして男物の服と靴を履いているの?」
 「!」
 思わず茜が尋ねると、重女ははっとしたように顔を向けた。

 「っ………!」

 白い顔が真っ赤になり、唇は震えて、視線を泳がせながら重女はもじもじする。こんな彼女の顔は初めて見る。

 (しまった、聞いてはいけなかったんだ)

 「あ、いや、それはそれで似合うとおも……」
 茜の言葉が終わる前に、重女は目の前の服屋に飛び込む。
 「九楼さん!?」

 怒ったような顔をして、いきなり入ってきた少女に、店員も目を丸くした。
 そして重女は、手に持っていたノートにペンを走らせると、店員に見せた。

 [この子とおなじものを]

 重女が茜のワンピースを指さす。今度は茜がぎょっとした。
 「九楼さん……?」
 目をしばたかせる茜をよそに、程なくして店員がワンピースを持ってきた。

 「生憎こちらのタイプしか置いてなかったもので……」

 店員が差し出したのは紫色のバッスルタイプのワンピース。襟元が白でリボンが黒だ。
 「ご試着なさいますか?」
 重女は頷く。

 試着室に入っていく重女を、茜は呆然と見ているしかできなかった。
 考えてみれば、彼女がどんな格好をしてようと彼女の勝手なのだ。それなのに私はあんなことを言ってしまって、九楼さんを怒らせてしまった。あの古い服も、大きすぎる靴も、九楼さんにとっては大切なものだったのではないか?
 自分の発言の思慮の浅さに、茜は自己嫌悪に陥った。

 そうして重女が試着室に入り、十分以上が経過した時、ようやく試着室のカーテンが開いた。

 「わあ……!」

 茜の顔が明るくなり、感嘆の声を上げた。
 青みがかった紫の膝丈ワンピースは、彼女の白い肌と金髪によく映えて似合っていた。

 「…………」

 重女がスカートの裾を握りもじもじしている。ちら、と茜の方に困ったような視線を向けた。

 「九楼さん! 凄くよく似合うよ! まるで雑誌から出てきたみたい!」

 重女は一瞬きょとんとした表情を浮かべたかと思うと、今度は真っ赤になって顔を俯かせる。

 「それ買いなよ。値段もそんなに高くないし、重女さんにぴったりだよ!」

 茜が誉めまくると、重女が顔を上げて照れながら頷いた。

 (重女さんて、こんな顔もするんだ)

 頬を赤く染めながら微笑む重女を見て、茜は重女への印象を、綺麗な女の子、から、親しみやすい可愛い子、へと変わった。

 紫のワンピースの上で、重女の十字架のペンダントがきら、と光った。


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