誰かが泣いている。
 少女のすすり泣く声。誰だろう。何故君は泣いているの?
 
 ――ごめんなさい

 懐かしい声だ。ずっと側にいてくれた声。ずっと探し求めてきた声。
 彼女は、泣いている。自分を責めて、泣いている。自分が消えることを望んで。「彼女」の存在が薄くなる。
 待って、消えては駄目だ。
 君は、僕が、俺が、守るから――
 
―――

 生体エナジー協会。表向きは健康食品を扱う非営利団体。だがその実態は、デビルサマナー達に悪魔に必要なマグネタイトを売買している怪しげな団体である。
 国家機関ヤタガラスに認可されているかは不明だが、ここを訪れるデビルサマナーは少なくなく、恐らくヤタガラスも黙認しているのだろう。

 生体エナジー協会の支部は隣町に位置しており、車なら十五分、バスでは三十分ほどでつく。
 その生体エナジー協会に、重傷を負った悪魔が一体収容されていた。
 ドーム型のカプセルに入れられた悪魔――やたノ黒蝿はかろうじて人の姿を保っており、左胸の傷も癒えている。しかし彼の衰弱は激しく、意識不明状態。完全復活のためのマグネタイトがまだ足りないようだ。

 「ツギハギさん、もう堪忍してや。うちのマグネタイトの貯蓄が底をついてしまうさかい」

 ツギハギと呼ばれた、渾名の通り顔や身体にいくつもの手術痕の目立つ大柄な男は、ふん、と鼻を鳴らした。

 「グーフィよ、お前三年前の件、忘れたとは言わせないぞ。あの後始末に俺がどれくらい走り回ったと思ってるんだ。その貸しを今返して貰っているだけだろうが」
 「い、いえ、あの件のことはほんまツギハギさんに感謝してます。ツギハギさんがいなかったら、わいは今頃……」
 「なら今度は俺の頼みを聞く番じゃねえか」

 ツギハギはカプセルの中の黒蝿の血色の悪い顔を見ながら突き放すように言った。
 ここに連れてきてから三日、一時期は小さな黒い塊に退行するまで衰弱していたが、ここでマグネタイトを大量に注入してから、なんとか人の形にまで戻った。が、未だ意識が戻らない。
 悪魔は死ぬことはない。だが、その身を現世に顕現するにはマグネタイトが必要不可欠だ。マグネタイトが無くなれば人の世での形を保てなくなり、異界に強制送還する仕組みだ。
 だが、黒蝿は重女に真名を奪われて現世に無理矢理縛られている。そのため異界に帰ることもコンプに入ることも出来ない特殊なケースである。
 ツギハギとフジワラがそのことを重女から聞いたのはクラブ・ミルトンでの事件の後。いや、正確に言うとほとんど無理矢理話させた、というべきか。重女は言われるがまま震える手でペンを持ち、自分と黒蝿の関係を拙いながらも紙に書いて教えたのだ。
 そこで初めて重女が声を出せないのは黒蝿に言霊を奪われたからだと知った。ついでに重女というのも偽名で本当の名は自分でもわからない、ということも。

 「まったく、難儀なことだな」

 苦みのある声でツギハギはごちる。と同時にその重女と偽名を名乗る少女の顔を頭に浮かべ、ツギハギは顔を険しくさせた。
 フジワラの所に保護され、黒蝿に重傷を負わせ何十人もの人間を殺害した、ヤタガラスに「ダークサマナー」と烙印を押された少女は、あれからずっと一人心を閉ざし引きこもっている。

―――

 フジワラの営む純喫茶「フロリダ」の二階は居住スペースになっている。しかし店主のフジワラは近くのアパートに部屋を借りていて、そこから店に通っている。
 暫く誰も住んでいなかったフロリダの二階に、住人が来たのは三日前。クラブ・ミルトンでの事件の後、九楼重女と名を偽る少女を半ば押し込める形で住まわせた。
 それはヤタガラスから「ダークサマナー」として追われる身となった彼女を保護する目的もあるが、一番の目的は「監視」である。

 つまり、重女がまた感情を暴発させてクラブ・ミルトンでのような行動を起こさないかどうかと、黒蝿のところへ見舞いに行ったりしないかどうかという行動の監視。それには懲罰の意味も込められていた。

 重女は何度も黒蝿に会いたいとフジワラとツギハギに頼んできた。だがフジワラは頑としてその訴えを拒否した。会ってはいけない。それは黒蝿が危篤なのもあるが、何より彼の重女への個人的な疑念に満ちた感情があり、そのために君は黒蝿君に“会わせない”と正直に言うと、重女は酷く落胆した面持ちでフロリダの二階の一室に戻り、以来ずっと部屋に引きこもっている。
 どういう経緯でかは知らないが、彼女は自らの力で何十人という人間を殺害した。その事は事実だし、ダークサマナーになってしまったのも合点はいく。彼女自身もわかっているのだろう。だからフジワラはあえて叱咤せず、かといって安易に慰めたりもせず、屋根裏の部屋に一人彼女を閉じ込めた。
 一人になってじっくり考えて欲しかった。自分の行動がどれだけ非道なものだったか。自分のせいで未来を奪われたものが多数いる現実を直視し、これからどう生きるのか自分自身で答えを出して欲しかった。
 十五の少女にはあまりにも過酷な仕打ちかもしれないが、フジワラはこのやり方しか思いつかない。彼が子供でもいればまた違った処罰を思いつけるだろうが、四十すぎのやもめ男には、外側から鍵をかけられる部屋を与え、内証の時間を与えることしかできない。あの部屋には自殺に使用出来るものは一切置いてないし、監視カメラもつけている。そしてツギハギの仲魔が見張りのために密かに付いている。彼女があの夜のように自死させないことに置いては徹底していた。
 フジワラはパソコンのキーをいじり、重女の部屋のカメラ映像をチェックする。重女はベットに横になっていた。差し入れの食事は少ししか食べていない。寝ているのか、または自分を責めているのかはカメラ越しでは分からない。
 ふう、と息を吐き、フジワラは作業に戻った。パソコンのディスプレイにはクラブ・ミルトンで手に入れた機密文書のコピー。「悪魔召喚簡易化のための赤玉プロジェクト」の概要と「赤玉」の製造方法や実験の記録。
 だがあの時火に追い立てられていたので、データ抽出は半分ほどしか成功しなかったが、それだけでもヤタガラスが非人道的なプロジェクトを進めている証拠になる。フジワラはフリージャーナリストとして今まで培った人脈を生かし、何社もの出版社、テレビ局などのマスメディアにこのことをスクープとして提供してきた。
 だがどこの会社もこの情報を買い取ってくれない。恐らくヤタガラスの圧力がかかっているのだろう。当初の計画どおり秘密裏にデータを手に入れていたのなら、ヤタガラスの手がマスコミに回る前に特大スクープとして高値で売れただろうに。
 徒労に終わるかと思われた情報提供に、一社だけ手応えのある反応を返してきた。
 聞いたこともない小さな出版社だが、フジワラの話を是非聞いてみたいという。
 面談は明日の午後五時、ここフジワラの店で。その時までに生体エナジー協会に収容されている黒蝿が意識を取り戻すといいな、と思い、フジワラはデータ整理と資料作りの作業に没頭していった。

―――

 フジワラの喫茶店の二階の部屋をあてがわれ、どれくらい過ぎただろうか。
 まだ三日にも感じるし、もう三日も経ったかとも感じた。
 重女は夜になっても電気をつけず、暗い部屋で一人ベットに身を横たえていた。
 初めて本物の銃を撃った、あの衝撃、浴びる血の生暖かさ、無残な死体、そして――血を大量に流し私に身体を預けた黒蝿の重さ。全てが脳内で何度もフラッシュバックし、そのたびに重女は呼吸が出来なくなる。
 黒蝿はどこか別の場所で治療を受けているらしい。だけど会うことは許されなかった。彼の身体にしがみついて謝罪をしたかった。黒蝿が助かるなら私の血肉でもなんでもあげるのに、私は彼にマグネタイトも謝罪もなにもあげられない。だからずっと側にいたかったが、フジワラさんがそれを許してくれなかった。

 ――私の君への個人的な評価として、とても今の君を黒蝿君に会わせるわけにはいかない

 フジワラさんは冷たくそういって、君自身、一人になってよく考えるべきだと、この部屋を私に提供してくれた。
 住まわせて貰っている、といえば聞こえはいいが、ただ軟禁状態に置かれただけだ。扉には外側から鍵がかけられているし、天井の隅には小型の監視カメラまである。自分は独房に収容された罪人――そう表現するのが適切であるし、重女自身もこの待遇に不満はない。だって、自分は大罪人なのだから。沢山人を殺して、黒蝿にも重傷を負わせてしまった、「ダークサマナー」なのだから。

 『状況が分からないのか? この者達を殺したのは誰か、欲望のおもむくまま殺人を犯したのは誰か? それは死者しかいないこの通路で、ただ一人生き残っているそこの血まみれのお嬢さんしかいない』
 『九楼重女は闇に自ら足を踏み入れた。見事にダークサマナーに墜ちたというわけだ。彼女は我々が処罰する。だから君にはどいてもらい、そこの“ダークサマナー”をこちらに渡してもらいたい』

 シドのあの言葉がリフレインする。闇に足を入れた者。ダークサマナー。欲望の赴くまま力を行使する悪魔召喚師。黒暗召喚師とも言われるべきそれはヤタガラスにとっての討伐対象であるとツギハギさんから教えて貰った。
 あの後、蝿のような黒い塊にまで身体を変えた黒蝿を連れて、ツギハギさんはどこかへ行ってしまった。彼からは何も言われていない。フジワラさんのように私を諭したり叱ったりしなかった。私はてっきり殴られ叱られると思っていたのに、彼は拍子抜けするくらい私に何も言ってこないししてこない。それがいまの重女には辛かった。いっそのことフジワラさんのように遠回りでも嫌悪感を示してくれるほうがまだマシだ。何もされないで一人にされるのがこんなに辛いだなんて。
 呼吸が浅くなる。手足が冷たくなり、目の前が白くなっていく。

 苦しい、溺れてしまう。何に? 罪の意識に?

 千の謝罪を述べようと万の涙を流そうとも、死んだ人は帰ってこないし、私のしたことが消えるわけじゃない。
 それに、黒蝿は私を許してはくれないだろう。彼は身を張って私を止めてくれた。東のミカド国の戦いから、彼はずっと仲魔として悪態をつきながら時に呆れながらも私を助けてくれた。そんな彼を刺してしまうなんて。もし黒蝿が助かったとしても合わせる顔がない。
 視界が白に塗りつぶされる。呼吸が浅く速くなり、意識が遠のいていく。

 辛い。苦しい。こんな自分は存在してはいけない。私なんか、消えてしまえばいいーー

―――

 次の日、フジワラの喫茶店は午後四時で閉店した。そして五時になると、背広姿の二人組の男が約束どおり店にやってきた。片方は長身で痩せぎす、もう片方は小柄で太り気味で、まるで漫才のコンビのようだな、とフジワラは思った。
 交換した名刺には「烏丸コーポレーション・出版部門」の文字が印刷されている。烏丸コーポレーションは元はIT関連の会社だが、今度出版部も立ち上げることになり、創刊される雑誌のネタ集めに奔走しているところフジワラの情報に食いついた、というのが二人組の説明だった。
 一通りの自己紹介を終え、フジワラと二人組はソファーに腰掛けた。そして二人組の痩せぎすの方が口を開いた。

 「ええと、電話でお聞きしたとおり、フジワラさんはヤタガラスという悪魔召喚師を束ねる秘密組織に関する特ダネを掴んだ、と。間違いないですか?」

 勿論、とフジワラは頷く。それを見て小柄で太り気味なもう一人が疑問の声を上げる。

 「正直言いますとね、自分は未だに信じられないんですよ。悪魔だなんて想像上の生き物だとばかり思っていたのに、それを召喚する者がいて、それらを統べる組織が現代日本に存在するとは……」
 「ええ、疑問に思うのは当然だと思います。ですが事実なんです。古くから我々は悪魔や鬼といった異形の者と関わってきた。それら異形の者を従え、邪を払う“悪魔召喚師”がいて、それを統べるのが秘密国家機関ヤタガラス。
 だけど電話でお話したとおり、ヤタガラスは非人道的な行為を行っている。犯罪行為なんて生やさしいものじゃなく、もっと残酷で冷酷なことを。このことを是非民衆に知ってもらいたく、私は極秘取材を試みました」
 「それで、どうだったんですか」

 痩せぎすの男が言うと、フジワラはクラブ・ミルトンでの事をまとめた資料をテーブルに置いた。二人は早速資料をめくり、読み始めた。
 十分ほど経っただろうか。二人はフジワラが煎れたコーヒーに口もつけないで資料を凝視している。
 ふと、フジワラは二階の重女の事が頭に過ぎった。今日は客が来ることを告げたが、朝、食事を運んだときから喋っていない。まあ彼女は声を出せないから口頭で話すことは出来ないのだが。
 今日で重女をここに住まわせて四日目。隣町の生体エナジー協会に収容された黒蝿が意識を取り戻したとは連絡がきていない。あちらの事はツギハギに全部任せている。彼に任せておけば安心だが、重女のことも気がかりだ。彼女とこれからどう接していけば……

 「ほう……これはなかなか……」

 痩せぎす男が一人ごちる。太り気味の男は資料を膝に乗せたまま「このことは事実で間違いないのですね?」と聞いてきた。

 「勿論です。私と協力者が直にクラブ・ミルトンに潜入し手に入れたモノです。信じられないのも無理はないかと思いますが……」

 資料には、フジワラでさえ目を背けたくなるような人体実験の記録が記されている。“赤玉”なる存在とその造り方。非人道的なやり口にきっと閉口しているのだろう。コーヒーを飲みながら二人組の反応を窺う。が、二人は無表情のまま何も発さない。ショックが大きすぎたのだろうか?
 すると痩せぎす男が口元をにやりと歪ませた。そして資料を愛おしげに撫でながら「いや、本当に良く集めたものですね」と歪んだ笑顔をこちらに向ける。フジワラの背筋が寒くなった。

 「この資料は、ここにあるだけですか?」
 「……? はい、これが手に入れた情報の全てです。何か不足なところがありましたでしょうか?」

 おかしなことを聞いてくる男に、フジワラが答える。すると太り気味の小柄な男が喉をくっくと笑わせながら言った。

 「不足どころか……よく悪魔召喚師でもない一般人がこれだけの情報を手に入れられたと感心していたのですよ」

 フジワラは違和感を覚えた。悪魔の存在を懐疑的に思っていた男なのに、“悪魔召喚師”という単語の言い方はやけに言い慣れているように感じたのだ。
 と、次の瞬間。

 「!」

 男の手から炎が浮かび、分厚い資料が焼けていく。フジワラが一晩費やして作った資料を。いや、それより、今この男は炎を発現してみせた。まるで悪魔召喚師が“アギ”の術を唱えたかのように。

 ばっと、フジワラはソファーから立ち上がり、二人組から距離をとった。資料は小柄な男の手によって完全に燃やされ、炭と化して床に散らばった。

 「君たち……出版関係の人間だというのは、嘘だね」

 フジワラが身体に力を入れながらそう断言すると、痩せぎすの男がまたしてもにやにやと笑いながら、手をぱんぱんとはたいて資料の燃えカスを床に落とした。
 そっと、フジワラは背中に隠してあった銃に触れた。アギの術を発したことから、小柄で太り気味の男の方は悪魔召喚師だろう。迂闊だった。もっと相手の素性を調べてから面談するのだった。ヤタガラスが我々に情報を手に入れられたと知ったから、クラブ・ミルトンを全焼させたのだろうし、機密事項を手に入れた者を抹殺するため動くことも察しはつけられたのに。ツメの甘い自分にフジワラは嫌悪を抱いた。

 「それで、フジワラさん、この資料の元となったデータはどこにあるんです?」

 男達が問うてくる。フジワラは距離をとりながら「さあ?」ととぼけてみせた。

 「そうですか、では……」

 痩せぎす男がスマホを取り出し、何か操作すると、途端室内に吹雪が生じた。そして目の前に巨大な魔獣・ウェンディゴが現れたかと思うと、ウェンディゴはフジワラの腹めがけて巨大な拳を突いた。

 「くはっ!」

 とてつもない力で拳を入れられたフジワラは、そのまま後ろに吹っ飛んだ。椅子やテーブルやその上に置いてある細々としたものが、フジワラの周りに飛び散らかった。

 「はぁはぁ……ぅげほっ……」

 血の混じった胃液を吐きながら、フジワラは立とうと試みた。が、腹の衝撃が尾を引き、身体に力が入らず、膝立ちのまま銃口を二人組に向けた。その銃を持つ手も震えている。

 「フジワラさん、無駄な抵抗は止めましょうよ。そんなただの銃で我々に叶うとでも?」
 「こちらもあまり派手に動きたくないんですよ。あなたが手に入れたデータの原本をこちらに渡せば無用な戦いは避けられる。あなただって痛い思いはしたくないでしょう?」

 猫なで声で言われても恐怖しか感じない。フジワラはヤタガラスから派遣されてきただろう悪魔召喚師の二人を睨みながら、出口へゆっくりと近づいた。くそ。せめてツギハギがいればまともに戦えるのに。
 そんなフジワラを嘲笑うかのように、ウェンディゴが口からブフを発した。その吹雪は唯一の出入り口を凍らせ、フジワラはとうとう外へ逃げることが出来なくなった。

 「おら! とっととデータを渡せってんだよ!」

 痩せぎす男が、見かけによらない鋭い蹴りをフジワラにお見舞いした。フジワラはがはっと血を吐きながら銃を落としてしまう。その銃を太り気味の男が拾い、フジワラの耳にぐり、と銃口を押しつけた。

 「あなたも馬鹿だね。ジャーナリストだかなんだか知らないが、世の中知らない方がいいこともあるわけ。下手な正義感振りかざして命まで落としたら笑えないよ?」

 男達がフジワラを見下ろし笑っている。フジワラは絶対こいつらに屈服するもんか、と睨み返した。太り気味の男が銃底でフジワラの顔を殴る。目の前が一瞬ぐらつき、フジワラの痩躯が床に転がる。そして二人組の男はフジワラの身体に殴る蹴るの暴行を繰り返す。
 男達は、笑っていた。

 ―――

 階下でなにやら物音が聞こえる。それにくぐもった悲鳴のようなものも。

 ――フジワラさん!?

 重女は施錠されたドアから一歩も動けないでいた。
 確か今日は出版社の人が来るとフジワラさんは言っていた。今頃商談しているはずなのに、何故何かが倒れる音や怒鳴り声が聞こえてくるの!?
 がちゃがちゃと、重女はドアノブを何度も回した。しかし施錠は解けない。体当たりを試みても、重女の体重では丈夫なドアは壊れない。助けなきゃ、フジワラさんを。

 ――でも、どうやって?

 手元にコンプはない。ツギハギさんに没収されてしまったから。仲魔の猿や獅子丸や牛頭丸、紅と白を呼び出すことが出来ない。なにより一番の仲魔である黒蝿が重体で使役することが出来ない。
 また呼吸が速くなっていく。黒蝿をそんな風にしたのは誰だ? それは私。私がこの手で黒蝿を――

 がっくりと、重女はくずおれる。下からの怒声や物音は鳴り止まず、むしろどんどん酷くなってきてる気がする。だけど重女は立つことが出来なかった。それどころか、まともに呼吸すらできなかった。

 ――もし悪魔召喚師が相手なら、私は戦えるの? 影の造形魔法だけで。いや、私は戦ってはいけない。黒蝿が与えてくれたこの術を使うわけにはいかない。

 『何故?』

 ――だって私はこの術を悪用した。そのせいで沢山人を殺した。黒蝿まで傷つけた。

 『だから、戦いたくない?』

 ――そう、私は生きている資格なんてない。消えたい。この世から、私の存在を消してしまいたい

 『消えちゃだめだ!』

 ――え?

 『辛いなら、戦わなくていい。無理に頑張らなくてもいいんだ』

 ――あなたは誰? とっても懐かしい声。頭の内側で語りかけてくるあなたは、一体――

 『大丈夫、僕が、俺が、守るから――』

―――

 ドオン! という轟音で二人の男はフジワラへの暴行を止めた。

 「誰だ!」

 問いかけても返事はなし。痩せぎすの男はウェンディゴと共に、音のした方へ慎重に歩を進める。今日ここにはフジワラだけしかいないという情報だったのに、他に誰かいやがったのか?
 カウンターの裏側へ回ると、そこには小さな階段があった。上を見ると、金髪碧眼の少女が立っていた。年の頃はまだ十四,五といったところか。
 フジワラの娘か? と疑問に思った直後、階段上の少女が電撃的に動き、ウェンディゴが黒い剣で斬りつけていた。Zの形に傷つけられたウェンディゴは、血を吹き出しその場に昏倒した。
 何が、と疑問符が頭を占める前に、痩せぎすの男はみぞおちに少女の拳を入れられていた。華奢な手からは想像もつかない速さと重さで。
 男はぐは、と苦鳴と唾液を吐きながら目を回し、ウェンディゴとともに床に倒れた。

 「おい、お前はなんだ!?」

 太り気味の男がボロボロのフジワラに銃口を向けながら喚いた。動くんじゃねえ、こいつがどうなってもいいのか、と男は恫喝したが、重女はそれを無視し、自分の周囲に影でいくつもの槍を作った。そしてその槍を太り気味の男めがけ放つ。
 いくつもの槍は、悲鳴をあげる男の脇や股下に入り、そのまま男の体躯は壁に槍によって縫い付けられた。重女が男に近づく。そして、腹に拳を入れ、太り気味の男は気を失った。
 殴られ腫れ上がった顔で、フジワラは重女を見た。彼女の目つきは彼が今まで見たことのない、鋭い目つきだった。いや、目つきだけではない、纏っている雰囲気も、体さばきも、佇まいも、フジワラの知っている九楼重女という少女のものではなかった。

 「君は……いったい誰なんだい?」

 呆けたようにそう問いかけたフジワラに、重女の姿をした者はこちらを向き、そして喉から掠れた呼吸音を響かせた。怪訝そうに眉を寄せたその者は、もう一度喉の辺りを押さえて声を出そうとした。が、当たり前だが声は出なく、虚ろな息の音しかでなかった。まるで自分がしゃべれないのを知らないかのように。
 しばらくきょろきょろしていたが、やがて床に転がっていた小さめのホワイトボードとペンを見つけ、“そいつ”は何かを書き、そしてフジワラに見せた。
 ホワイトボードには、こう書かれてあった。

 『おれはアキラ』と――

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