満月の夜、とある中学校の図書室。見回りの用務員の足音が去っていく。
 九楼重女は、図書室の本棚の上でじっと身を潜めていた。

 足音が聞こえなくなり、約二十分。そろそろいいか。

 音をたてないよう、本棚の上から床に足をつける。そして、物陰に隠しておいたボストンバックを脇に寄せる。
 チャックを開けると、其所には、真駒内駐屯地から強奪した一丁のジグ・ザウエル、弾丸の箱、手榴弾三個、そしてストーンの入ったピルケース、彼女の戦闘服であるベージュのカーゴパンツに黒のタートルネックに聖書。
 
 「………」

 セーラー服を脱ぎ、カーゴパンツとタートルネックを着ながら重女はため息をつく。

 真駒内駐屯地での戦闘は全くの想定外だった。

 本当なら市ヶ谷駐屯地にアマラ経絡を繋げるはずだったのに、空間が歪み、遥か北の真駒内駐屯地に飛ばされてしまった。
 経絡を繋ぐための計算は合っていたのに、市ヶ谷には辿り着けなかった。彼処にはどうやら強力な結界が貼ってあるようだ。近づくことすらままならない。

 やはり彼処に、無限発電炉「ヤマト」があるのは間違いないようだ。

 ちり、と頭の傷痕が痛んだ。真駒内駐屯地に配置されていた悪魔との戦闘で負った傷。
 さすがに強い悪魔ばかりだった。なんとか仲魔全員を召喚して切り抜けたが、そのせいで大量のマグネタイトを消費してしまった。
 早くマグネタイトを補給しないと。私はマグネタイトを生成できない。だから他の悪魔から奪わなくては。

 『黒蝿』

 念波で重女は呼び掛けた。
 コンプを使わなくても召喚可能な、重女が現世に縛り付けている唯一の仲魔。

 図書室の影が膨らみ、やがてその影は、黒い翼を携え、深緑の長髪に黒い法衣を着用した男の形になった。
 
 「なんだ」

 黒蝿、と呼ばれた男は答えた。鴉を連想させる兜の下、切れ長の瞳が重女を見据える。

 『用務員はきちんと校外へ出してきたんでしょうね』
 「ああ、「くらら」かけて風で外に運んだ」

 重女は頷きながら、髪を縛り、「お守り」の十字架のペンダントを首からさげる。これで呪殺防止になる。

 「あのひらひらした服は着ないのか?」

 にやにやしながら問う黒蝿に、重女は本を投げつけた。が、黒蝿はひらりとかわした。
 暗い図書室では表情は見えにくいが、重女の顔が赤くなっているのが黒蝿には分かった。

 『あんな服、戦いには向かない』

 スニーカーの紐を結ぶ。この学校に潜入するために買った、足にぴったりの靴。あの大きすぎる軍靴では、戦いの時動きにくい。真駒内駐屯地での戦闘で経験済みだ。

 にやつく黒蝿の視線に苛つきながら、重女はジグ・ザウエルに弾倉を入れる。

 ――全く、こいつが篠宮茜を怯えさせたせいで、危うく築き上げた信頼を失うところだった。そうなれば“人質”につかうところじゃなくなるというのに、余計な事をして!

 「あの服、要らないなら捨てればいいだろうに」
 黒蝿がそう言うと、重女はじろりと睨んだ。
 『……いざというときに包帯に使えるかもしれないでしょ』

 淡々と念波を送る重女だが、黒蝿は知っていた。彼女があの服を買ってから包装から出しもせず、袖も通さずに大切に保管していることを。

 『なに?』
 「いや、別に何も」

 くつくつと笑う黒蝿を睨みながら、ジグ・ザウエルの安全装置を解除する。

 「…………」

 重女は左手を床につけ、目を瞑る。眼鏡が少しずれ、眉間に皺が寄る。
 すると重女の影が広がり、図書室全体を覆い尽くす。部屋が闇に包まれたかと思うと、次の瞬間、闇は霧散し、元の図書室が姿を現す。
 結界が張れた。見た目は前の図書室と変わらないが、重女の唯一の能力、“影の造型魔法”によってこの部屋は結界によって遮断された。これで誰も侵入出来ないし、誰も逃げれない。
 
 『此処よ』

 重女が指差したのは、歴史の本棚。
 気付いたのは、篠宮茜に連れてこられた時。その時は小さな違和感しか感じなかった。その後、何度か通ううちに、違和感の正体に気付いた。

 それは、悪魔のマグネタイトの気。

 初日は弱く、気にも止めなかったが、日が経つにつれて、それはどんどん大きくなっていった。
 これだけのマグネタイト、奪ってものにすれば、「時間遡行」に必要なマグネタイトの量に届くかもしれない。

 「確かにいるな」

 黒蝿が本棚に手を翳す。すると空間がグニャリと曲がり、図書室が姿を消した。
 代わりに現れたのは、天井から床までぐにゃぐにゃした血管のようなものに覆われた、悪魔の結界。

 かたかた、かたかた。
 一つではない、複数の物が揺れる音が辺りに響く。
 重女と黒蝿は悪魔に囲まれていた。

 悪霊・ポルターガイスト。
 丸い顔にハニワのような黒い目二つと口一つの霊が、洋製の椅子にくっつき、それをガタガタ揺らしている。数は、およそ二十体。

 「小物だな」
 黒蝿がつまらなそうに言う。
 『分かっている。こいつらじゃない。本体は奥にいる』

 結界の更に奥、あの靄の向こうにこの悪霊共の親玉がいる。

 『とっとと倒してマグネタイトを貰うわよ』

 重女が聖書を手にする。黒蝿は肩を竦める。

 「良く言うぜ、実際に戦うのは俺だろう」
 『できる限りサポートはするわ。それに、分かっていると思うけど殺すんじゃないよ』

 ジグ・ザウエルを構えながら重女は言う。

 「俺が弱らせて、お前がマグネタイトを奪うんだろう」
 
 頷く重女に黒蝿はため息をつく。

 こいつがマグネタイトを生成できれば、こんな面倒な戦いをする必要などないのに。
 だが黒蝿にはマグネタイトが必要だ。彼女に真名を奪われている限り、彼は現世に縛り付けられ、異界に帰る事もできない。
 現世にいる限り、マグネタイトを定期的に摂取しないと自らの形を保てない。またこいつと出会った時の、蝿のような姿に逆戻りはごめんだ。

 『来る!』
 重女が身構え、黒蝿も戦闘態勢をとった。ポルターガイストの群れが二人に一気に襲いかかる。

 さあ、悪魔狩りの始まりだ。

―――

 篠宮茜が夜の学校に来た時、ゾクッと寒気が走った。

 只でさえ夜の学校とは不気味なものだが、この寒気は不気味さとは少し違う。
 例えるなら、全く知らない所に迷い込んで、幽霊に出会ってしまったような、得体のしれない感覚。
 鳥肌のたった腕を握りしめ、茜は校舎へと足を踏み入れた。早く教室へ行って数学の教科書を持ってこよう。あれがないと明日の小テストの勉強が出来ない。

 来客用のブザーを押す。応答がない。あれ? 用務員さんには連絡しておいたのに。

 「すいませーん……」

 呼び掛けながら扉を押す。するとキィ、と音がして扉が開いた。

 「?  鍵が開いている?」

 そのまま茜は校内に入る。

 (なんか怖い……さっさと帰ろう……)

 上履きに履き替え、茜は廊下を歩く。暗い。用務員さんはどうしたのだろう。
 非常灯に照らされた廊下は、いつもより一層不気味に感じた。

―――

 黒蝿のザンがポルターガイストを襲う。

 「うわあ!」

 ポルターガイストが飛ばされ、弱りきったところを、鋭利な形に変化した重女の影が突き刺さる。

 「……!!」

 刺さった影がポルターガイストのマグネタイトを吸いとる。重女は聖書を握りしめ、マグネタイトと共に、身体に流れてくる悪魔の思念を受け止めていた。

 痛いいたいイタイ――!!

 悪魔の思考は単純だ。人間と違って、快と不快しかない。
 重女の身体を触媒にし、影で吸いとったマグネタイトを、握りしめた聖書型コンプに補給する。やり方は簡単だが、マグネタイトと共に悪魔の感情まで流れ込んでくるのはなかなかキツイものだ。
 マグネタイトを奪われたポルターガイストの群勢は消え、残りは一体。
 膝をつき、荒い呼吸を繰り返しながら、重女は吸いとったマグネタイトの計算をする。

 まだ足りない。こいつらは小物だ。もっとマグネタイトを手にするには、やはり奥の親玉から奪うしかないようだ。

 「か、勘弁してくれよお!」
 生き残りのポルターガイストが叫ぶ。
 「ほ、ほら、これやるから見逃してよ! ね?」

 そう言いながらポルターガイストが投げて寄越したのは、八百万針玉。
 黒蝿がアギを放とうとするのを、重女が手で制する。

 「おい?」
 『こいつには、親玉のところへ案内してもらいましょう』
 ジグ・ザウエルをポルターガイストに突き付け、重女が言う。

 「な、なんだよお!」
 『殺されたくなかったら、とっとと親玉のところまで連れていきなさい』

 ポルターガイストの表情は変わらないが、とりついているチェアがガタガタと揺れた。

―――

 「ここか」

 複雑な悪魔の結界の最深部、黒蝿と重女はポルターガイストに連れられ、一つのドアの前にいた。
 見た目はなんの変撤もないドアだが、其処から嫌なマグネタイトの気が漏れ出している。

 「…………」

 重女が聖書を開く。頁に手を触れると文字が光り、コンプが作動する。

 「ひ!」
 嫌な気配を感じたのか、ポルターガイストが暴れ、重女と黒蝿の元から逃げ出した。

 『!』
 「逃げたぞ!」

 重女がジグ・ザウエルの引金をひく。銃弾がポルターガイストの横に着弾する。外した!

 『この!』
 狙いを定めて二発、三発と放つが、全て外れた。舌打ちした重女がポルターガイストの後を追う。

 「待て! 深追いするな!」

 黒蝿が重女を止めようとする、が、途端、すぐ後ろのドアが開き、強い衝撃波が放たれる。

 「!」

 衝撃波をもろに受け、重女とポルターガイストが結界の外に飛ばされる。

 (しまった! )

 重女が飛ばされた事により、図書室に張った影の結界が破れてしまった。図書室の窓を突き破り、重女の身体は廊下へと転がる。

 「あの馬鹿!」
 黒蝿が追いかけようとするが、目の前に巨大な肉の塊が現れる。幾つもの人間の顔が集まった、醜悪な赤黒い塊――

 悪霊・レギオン。この図書室に巣くう悪魔の親玉。

 「ち!」
 レギオンの攻撃をかわしながら、黒蝿が舌打ちする。

 「俺一人でこいつをやれってのかよ!」

―――

 「な、何!?」

 篠宮茜は、教室でその音を聞いた。
 今、何かが割れる音が聞こえた。なに? 図書室の方から?

 茜は数学の教科書を鞄にしまい、そっと廊下に出る。
 廊下に出て、右に曲がれば図書室だ。なんだか焦げ臭い。一体何が……。

 ドン! ドン!

 低い衝撃音が聞こえてきて、茜の身体がびくっと震える。
 今のは何? 銃声?

 かたかたかた……。何かが震える音が近づいてくる。

 「な、何? なんなの!」

 立ったまま動けない茜に、曲がり角から洋製の椅子が飛んでくる。

 「きゃあ!」

 悲鳴をあげ、思わず手で顔を覆った茜だが、予期していた痛みは襲ってこなかった。

 「……?」

 茜が恐る恐る目を開く。
 すると視界に飛び込んできたのは、
 非常灯に照らされた、小柄な身体、ゴムがほどけ、乱れた金髪。軍服に似た服を着て、右手に拳銃、左手に聖書を持った――

 「く、九楼さん!?」

 茜の姿を見て、重女の眼鏡の奥の瞳が見開かれた。

 ――篠宮茜、なぜ此処に!


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