フジワラとツギハギ、黒蝿と今はアキラが主人格になっている重女が生体エナジー協会についてまず行ったことは、フジワラの怪我の処置、そしてアキラとなっている重女の身体と精神の精密検査であった。
 簡単な知能検査、身体測定、さらには脳波・心拍数測定まで、協会にある機器でできるだけの検査をする。

 「元の重女さんの身体データがないので比較のしようがないのですが………15歳女子の平均より筋肉が発達しています。また脳波が奇妙な波形を描いています」
 「と、いうことはやはり、今の重女さんは別人であると?」
 「正式な検査でないのではっきりとは言えないのですが……その可能性は極めて高いと思えます」

 医師らしき男から今の重女の様子をそう告げられたツギハギ達は、それを確かめるべく“実施テスト”を試みた。
 その一:剣道テスト
 雷王獅子丸を召喚し、剣を合わせる。一合、二合……獅子丸の竹刀をアキラは受け止め、互角に渡り合う。

 「剣の太刀筋がアキラと殆ど同じだったぞ……! やはり今の重女殿はかつての我が主君……!?」

 その二:射撃テスト
 子供に銃を持たせることを由としないツギハギは、サバゲー用のペイント弾の入ったモデルガンで射撃の腕前を見る。
 重女の身体のアキラはモデルガンを受け取ると、軽く前傾姿勢をとり、右手でグリップの一番上を握り、左手の掌底をグリップに密着させ、右人差し指は撃つ瞬間までトリガーガ―ドに入れなかった。その動作があまりにも自然で、ツギハギはこれは幾度も銃を扱ってきた者の姿勢だと感じた。

 (まさか……本当にこいつは“アキラ”とかいう奴なのか?)

 何回か撃ってみて、命中率は80%ほどとなかなかの数値を出した。それはやはりアキラと同じ数値だった。
 このように戦闘力はアキラとほぼ同じであったが、やはり身体が違うからか、アキラは女性の身体の動かし方や重心の置き方が男のそれと微妙に違うので、最初は戸惑う事が多かった。
 特に困ったのは、排泄関係である。

 『なあ、言いにくいんだけど…………女ってトイレどうしてんの?』

 そう問いかけられた黒蝿は思わずその場にいる者を見渡してみたが、残念ながら周りは男しかおらず、まさか自分やフジワラやツギハギが一緒にトイレに行くわけにもいくまい。
 とりあえず、ツギハギが妖精・ウンディーネを召喚し、妖精はアキラに助言する。女性型妖精になにを吹き込まれたかは知らないが、とりあえず普通に排泄は出来るようになった。
 こうしてアキラの人格が重女の身体に表れて一週間。フジワラ達は隠れ家を転々としながら、どうにか重女が戻ってくるよう対策を練る。が、アキラは首を振った。重女の意識が、表層に出てくるのを拒んでいるらしい。

 「なぜだ?」黒蝿が問う。
 『自分はもう表にでられない、特に黒蝿、お前に会わす顔がないんだとさ』
 「…………………」

 黒蝿は顎に手を置き考える。自分に合わす顔がない。それはやはり俺を刺してしまったからだろう。確かに黒蝿は重女に言ってやりたいことが山ほどあった。が、深層意識に潜られては何も言えない。

 「アキラ、あいつと記憶は共有していないのか?」
 『ああ。だって姉ちゃんにとって見られたくない記憶なんだろう? なら俺は見ない』
 「いや、お前は見るべきだ。お前の姉貴が何をしたか、何を感じたかを」
 『だからそれは……』
 「そうしないと姉貴はいつまでも暗闇に潜ったままだぞ。きちんと見るんだ。姉貴の罪悪感の原因を。そしてもう一度じっくり話せ」
 『……………………』

 暫く、アキラは黒蝿を睨んだままだったが、『……やってみる』と言い残し、目を閉じる。すると身体が糸の切れた人形のようにへたり込み、そのまま床に倒れてしまった。レム睡眠に入ったのだろう。この状態でないと重女とは“対話”出来ないらしい。

 「さて……どうしたものかねえ?」

 床に転がったアキラに毛布をかけながらツギハギが問う。黒蝿は顔を背ける。知るかそんなの。俺が教えて欲しいくらいだ。

 ―――

 重女は、深層意識の水底にいた。ここに押し込められた記憶が海中のプランクトンのように漂い、渦を巻く。光はなく濃い群青色の世界であった。重女は記憶のうねりに身を任せ、目を瞑って膝を抱えていた。
 ここには誰もいない。誰も自分を責めない。ここで眠っていれば、自分はそのうち消えるだろう。

 『それでいいの?』

 そう問いかけてくる声が聞こえる。いいも悪いも、私はこうすることしか出来ない。

 『本当に?』

 …………

 『それと同時に、姉ちゃんはある決意をしたんじゃなかったか?』

 姉ちゃん?

 ふと、重女が目を開けると、そこには深緑のスーツに身を包んだ少年――弟である、アキラが立っていた。
 アキラ。そうだ、あの時。フジワラさんが何者かに襲われているのを知って、それから意識を逡巡していたら、頭の奥から声が聞こえて…………
 気がついたら、私はここにいた。そして、アキラ、あなたが代わりに表層に浮かんでいって……

 『姉ちゃんの記憶、見させて貰った』

 はっと、重女は息を呑む。クラブ・ミルトンでのあの事件。私が犯した罪。あれを知られてしまった。悲しい。恥ずかしい。弟のアキラにまで知られてしまうなんて。私は生きる価値がない。

 『そんなことない! あの時言ったじゃないか。俺が姉ちゃんを守るって』

 アキラは優しい。私を責めようともしない。ツギハギさんも、フジワラさんも激しく叱咤してくることはしない。見放されているのかもしれないが、それが今の自分にとっては百の罵声と千の殴打に等しかった。

 『姉ちゃん……俺は姉ちゃんの味方だ。たとえ姉ちゃんが何をしても絶対に見放したりしない。だから教えてくれ。今後どうしたいのか、今どう思って、何をしたいかを』

 沈黙。目の前の弟は真剣な目で重女を見つめる。青い瞳どうしが重なる。私、わたし、わたしは――

 ――――

 異変に気がついたのは、ツギハギと黒蝿の両方だった。
 今の隠れ家は、ツギハギの店の地下にある射撃場である。一度神舞供町からは離れてフジワラやツギハギの人脈を当たって隠れ家に相応しい場所に滞在を繰り返していたが、ここに戻ってきたのはつい昨日。やはりというか、【セルフディフェンス】は荒々しく捜索された形跡があった。だが地下の射撃場には気がつかなかったらしく、人の入った形跡は皆無だった。何より、一度探した所をもう一度探しに来るはずはないだろうという心理をついてここに戻ってきた。鬼ごっこで鬼が一度探した場所を探さないのと同じである。
 しかし黒蝿たちは感じた。侵入者の気配を。

 「ここには来ないと踏んだんだがな……」
 「人数は4、5人か……全員悪魔召喚師の可能性が高いな」
 「その人数ならやれるが……下手に騒いで仲間を呼ばれるのは避けたい」
 「なら、息を潜めてろ。見つからないようにな」

 だが、そんなツギハギの言葉も空しく、彼らの気配を察知したヤタガラスの刺客は、地下に続く階段を発見してしまった。仲魔を引き連れ、階段を下りていく悪魔召喚師達。その数、仲魔も入れて5人。
 悪魔召喚師の1人が射撃場に通ずるドアノブに手をかけ、室内に侵入する――かと思われたが、入り口の左右に控えていた黒蝿とツギハギによってこめかみに肘打ちをくらい、昏倒する。
 それが戦いの始まりであった。
 機先を制した黒蝿とツギハギは、残り4人の悪魔召喚師とその仲魔相手に雷撃のごとく攻撃を仕掛ける。ツギハギのガンプによって悪魔召喚師の膝は撃たれ、黒蝿のザンにより彼らの仲魔は吹き飛ぶ。だが、相手も負けていなく、至近距離から銃を放ち、仲魔に下知を下す。
 銃弾が黒蝿の髪を数本持って行き、アギの炎がツギハギに迫る。ツギハギは仲魔を召喚し戦っていた。
 数名が戦う戦場となった射撃場の隅で、フジワラは未だ眠りから戻ってこない重女の身体を庇い、銃を構えていた。だがその手は震えている。フジワラは悪魔召喚師ではないのでこういったドンパチは苦手なのだ。それに一週間前に負った治りかけの怪我が、彼の挙動に精彩を欠く一因となっている。
 ツギハギと黒蝿の必死の防衛網を抜けて、邪鬼・グレンデルがフジワラの方に迫る。筋肉隆々の悪魔に向かって、フジワラは引き金を引いた。しかし二発命中したものの、相手は対したダメージを負っていない。恐らく物理攻撃に耐性があるのだろう。

 「フジワラ!」

 ツギハギの切迫した悲鳴にも似た声が飛ぶ。黒蝿もフジワラの方に向かったが、敵の腕は上がっており、モータルジハードを繰り出そうとしているところだ。

 ―――

 深層意識の海の中、重女は対峙する弟に向かって、言う。
 私は、
 今、私が出来ることは、

 『……姉ちゃん』

 私は、わたしは………
 そこで重女は息を吸うと、決意したように、思いを目の前の弟に告げる。

 「私は、黒蝿やフジワラさんやツギハギさんに謝りたい!」

 そして、と重女は続ける。

 「私は、彼らを、守りたい!」

 ―――

 グレンデルの太い腕が振り下ろされようというとき、その腕に複数の穴が空いた。
 ハマの弾を受けた事により、グレンデルにダメージを負わせることができた。しかし、その弾を発したのはフジワラではない。フジワラに庇われていた、つい一瞬前まで睡眠状態だった少女が影の銃でハマの術の籠もったマハンマストーンを撃ったのだ。

 「か、重女さ……いや、アキラ君?」

 はあはあと肩で息をしながら、膝立ちになって重女は次々に影の銃を造りあげた。外見こそ近代のハンドガンやサブマシンガンの形ではあるが、機構は単純で、中世に用いられた単発式のライフル・ド・マスケットに似ている。そして一発撃つごとに形は崩れるが、その前に重女はいくつも銃や刃物を影で顕現していった。

 「―――――――っ!!」

 もし重女に声が出ていたら、それは雄叫びとなって辺りに響いただろう。影の銃を撃ち、また撃ち、刀を投げ、相手の悪魔召喚師とその仲魔を蹴散らしていく。
 戦力をボロボロにされたヤタガラスの刺客達は、やっと射撃場から出て行った。
 敵が出て行ったにも関わらず、銃を両手でしっかりと握りしめ、呼吸も荒く臨戦態勢を解かない重女に、フジワラは違和感を抱いた。そして彼女の肩を揺すり、「もう終わったよ、“重女さん”」というと、金髪の少女は驚いたように肩をびくつかせ、一瞬フジワラを凝視したかと思うと、次の瞬間罰が悪そうに下を向く。

 「やはり……今の君はアキラ君ではなくて重女さんだね」

 フジワラは確信を持って言った。

 ―――

 「……………………」

 もじもじと、居心地の悪そうに、重女は身体を縮ませる。両手で身体を抱き、“戻ってきた”ことを改めて実感する。
 あの後、ヤタガラスの刺客を退けた後、重女たちはツギハギの指示の元、射撃場にあった武器を全部持って車で移動した。移動先は隠れ家の一つの廃棄された病院。そこは廃棄されてそれ程経ってないのか、あまり雑然としていなく、造りもしっかりしているので、水と電気さえ通っていればこのまま住めそうな雰囲気だ。
 ツギハギはさっきからどこかと連絡を取り合っている。フジワラは包帯と湿布を変えるのに忙しく、黒蝿はじっと重女の方を凝視していた。
 恐る恐る顔を上げる。すると黒蝿の切れ長の瞳と目が合ってしまい、思わず重女は下を向く。
 このままではいけない。話しかけなくては。黒蝿だけで無くフジワラさんやツギハギさんにちゃんと謝罪しなければ。でも、そのきっかけが掴めない。

 「あの~……」

 いきなり声をかけられ、重女の肩がびくついた。気がつくと、フジワラが下から重女の顔をのぞき込んでいた。

 「一応もう一回確認したいんだけど………今の君は重女さんで合っているよね?」

 ふいに問われ、重女は顔を赤くしながら小さく頷いた。相変わらず眉を寄せてこちらを見ている黒蝿と目を合わさないよう、視線を床に落とす。

 「うーん、でも確認のしようが無いよね。アキラ君も影の魔法を使えたのかもしれないし……」
 「それはない」

 フジワラの疑念に、そう断言したのは黒蝿だ。黒蝿はこちらに近づき、重女を見下ろしながら言った。

 「影の造形魔法は、俺がこいつに直接渡した。使えるのはこいつだけだ」
 「なぜそう言い切れるんだい? 身体が同じならアキラ君だって使えたって可能性も………」
 「さっき、影で銃を造ったとき、アキラのでは無く、こいつの波動を感じた。俺は影の剣で刺されたから良くわかる」

 刺された、と言われたとき、重女の心臓が一際大きな音を立てた気がした。黒蝿はそれっきり何も言わない。無言で、自分を刺した少女を見つめ続けている。
 ぎゅっと目を瞑り、重女は床に手をつけ、ゆっくりと頭を下げる。そして黒蝿、フジワラ、ツギハギに向かって言う。『……ごめんなさい』と。
 無論、この声は黒蝿にしか聞こえていないが、フジワラとツギハギはその姿勢から、彼女が謝罪の意を示していることを理解した。

 『あの時………貴方を、刺しちゃって、痛い思いさせちゃって、本当に、ごめんなさい……』

 涙が溢れそうなのを必死に堪え、一語ずつ確かめるように重女は黒蝿に向かって謝罪した。黒蝿はまだ何も言わない。

 『私は、沢山の人を殺してしまった。黒蝿、貴方が止めてくれなかったら、もっと暴走していたと思う………私は、力に溺れて、取り返しの付かないことをしてしまった……』

 シドは、あの時私のことを「ダークサマナー」と言った。力を行使し、悪行を働く者。その咎人の名。私に付いてしまった烙印。

 『私は、“ダークサマナー”になってしまった。それと同時に、ヤタガラスが行っていることを知ってしまった。あれは、絶対に止めなくちゃいけない。
 ……でも、今の私には力が無い。真っ正面から対抗してもヤタガラス相手に勝ち目はない。だから、私は………』

 ぎゅ、と拳を握る。この決意を口にすれば元には戻れなくなる。だけど、この方法でしかヤタガラスを壊滅させることはできないとも理解していた。
 重女は、顔をあげて、真っ直ぐ黒蝿の目を見て言う。

 『私は、ヤタガラスに反旗を翻す者、“ダークサマナー”として、あの組織を潰したい! どんな手段を使っても、あんな実験をしているヤタガラスを潰したい! これ以上不幸になる人が一人でも多く減るように……だから、やたノ黒蝿、私に仲魔として力を貸して』

 ぴくり、と黒蝿の眉が片方上がる。重女は構わず続ける。

 『人を大勢殺してしまった罪は、そうすることでしか消せないと思う。ダークサマナーとして、どんな手を使っても、ヤタガラスを、シドを止めたい。だから……!』
 「俺に命令するな」

 ぴしゃり、と重女の言葉を黒蝿が遮った。重女の身体が硬直する。

 「誰につくか、なにをするかは自分で決める」

 そこで、黒蝿はしゃがみ重女と目線を同じくする。ほの暗い瞳が青の瞳をのぞき込んでくる。その視線は重女の心の奥をも見透かすようで、重女は顔を背けたい衝動を必死で堪えた。

 「おまえはダークサマナーとしてヤタガラスを潰すと言うが、それがどれほどのことか分かっているのか? 相手は千年以上の歴史ある巨大な組織だ。それを瓦解させるには、手段は選んでいられないぞ。非道と呼ばれる行為も場合によってはおこなわなければならないだろう。それでもやるのか?」

 黒蝿の視線の圧力が増す。震えだした左手を右手で必死に押さえ、重女は、はっきりと言う。

 『……うん。私は、ダークサマナーとして、ヤタガラスを潰すためなら、シドを止められるなら、どんな手段でもとる』

 沈黙が場を支配する。重女の声が聞こえないフジワラとツギハギには、二人の会話の内容は断片的にしかわからなかったが、それでも重女の決意が伝わってきて、両者一言も口を挟めずにいた。

 「…………そうか」

 最初に口を開いたのは黒蝿だった。そのすぐ後、乾いた音が響く。黒蝿の右手が、重女の頬を叩いたのだ。
 一瞬、重女はなにをされたか分からなかった。ようやく自分が叩かれたのだと知ると、無意識に頬に手を当てる。その頃には黒蝿は立って後ろを向いていた。

 「刺された分の返しだ」

 肩越しにそう重女に告げると、黒蝿は今までの重女との会話をフジワラとツギハギに説明しに行った。刺された分の返し。黒蝿にとって重女はあれだけの深手を負わせた相手なのだから、もっと罵倒したり、強く殴るなどをしてもよかったのに。
 だが、あえてそれをせず軽いビンタ一つでことを済ませるだなんて。重女にとっては罵倒されたり、激しく殴打されるよりも、この軽い一発が何よりも心に響いた。

 ―――

 重女の決意を黒蝿から聞いたツギハギとフジワラは異を唱えなかった。もとより二人もヤタガラスから追われる身になってしまったのだから、重女の「ヤタガラスを潰したい」という目的には賛同せざるをえなかった。

 「と、いってもよ、具体的に何をするんだ?」

 そうツギハギに聞かれ、重女は困った。ヤタガラスを潰すといっても、具体的な策は何一つ考えてなかったのだから。

 「とりあえず、ヤタガラスの情報入手を当座の目的としないかい? 重女さんはシド・デイビスという悪魔召喚師を探したいんだろう? なら、ヤタガラスの悪魔召喚師の登録名簿にアクセスできれば……」
 「簡単に言うけどよ、それってヤタガラスのメインコンピューターにハックするってことだろ? クラブ・ミルトンのとはセキュリティの強度が全然違う。フジワラ、お前の腕前でも叶うかどうか……」
 「それで私に一つ案があるんだけど」

 これを見て、とフジワラがノートパソコンの画面を見せてきた。そこに映し出されていたのは、どこかの会社の社員登録名簿らしく、何人かの顔写真と経歴その他の情報が表示されていた。

 「これは先週私たちを襲った「烏丸コーポレーション」というヤタガラスのフロント企業の社員名簿なんだけど、この人物を見て。篠原義信。こいつは凄腕のハッカーで、過去に色んな悪徳企業の悪事をハッキングして暴いたって、その筋ではちょっとした有名人なんだ」
 「そいつがどうしたって言うんだ。こいつもヤタガラスの悪魔召喚師なんじゃないのか?」
 「いや、調べた感じだと、この会社は上層部以外の社員は一般人で、自分達の会社がヤタガラスに関わっているとは知らない。当然篠原義信もね」

 それで、とフジワラは重女に顔を向けながら言った。

 「彼には娘がいるらしいんだ。現在中学二年生。名は篠原茜。●●県の公立中学校に通っているらしいんだ。重女さん、この中学校に潜入し、この子と親しくなってくれないかい?」

 重女のみならず、黒蝿もツギハギも首をかしげた。何故ヤタガラスの息のかかった会社の職員の娘と親しくなる必要がある?

 「わからない? つまりだね、篠原義信にヤタガラスのメインコンピューターにハッキングしてもらう為に、娘を利用するってことだよ」
 「おい、それってまさか……」
 「娘の篠原茜を人質にとって、ハッキングして貰うんだよ」

 ツギハギは呆れた。こんな大胆かつ卑劣な策が温厚なフジワラの口から出てくるなんて。こんな作戦、お嬢ちゃんだって承知するはずが――

 【やる】

 重女はそう書かれたスケッチブックを見せ、賛同の意思を示した。ツギハギとフジワラは思わず顔を合わせる。フジワラはとりあえず言ってみたがきっと重女に断られるだろうと思っていたのに、まさか賛同してくるとは。

 「お嬢ちゃん、本気かい?」

 重女は固い表情を崩さず、さらさらとスケッチブックにペンを走らせる。【手段は選ばないって決めたから】紙にはそう書かれていた。
 フジワラは顎に手を当て何かを考え、ツギハギはまじまじと重女の顔を覗いた。だが口を真一文字に引き締めた重女の顔は冗談を言っているように見えなかった。

 「…………」

 黒蝿は何も言わず、ただ重女の横顔を見つめていた。その横顔が、黒蝿が今まで見たことのない少女の表情だったので、思わず黒蝿は眉をしかめた。

 その後、重女の同意を得たことにより、この作戦は決行されることになった。重女達は●●県へ移動し、フジワラ達の手により、偽の住民票などが造られ、重女が篠原茜と同じ中学に転校出来るよう根回しされ、いよいよ明日、その中学校に潜入することになった。

 ―――

 『本当にこれでいいのかい?』

 夢の中、アキラが重女に問いかけてくる。重女は頷いて見せた。

 『姉ちゃんの選んだ道は辛いよ? ダークサマナーとしてヤタガラスの追っ手に神経を使う日々………きっと、ツギハギさん達以外の誰からも理解されない。それでもいいの?』

 いいの、と重女は答えた。ヤタガラスを潰すため、私はダークサマナーの道を進むしかない。例えどんな手段を使おうとも、憎まれようとも、ヤタガラスは壊滅させなくては……

 『例えシド先生と相まみえることになっても?』

 ……………………

 『……分かった。それが今の姉ちゃんの決めたことなら、俺は何も言わない。だけど姉ちゃんは一人じゃないよ。黒蝿の野郎も、獅子丸も、牛頭丸も、猿も紅と白もいる。それに俺は深層意識の奥底に眠るけど、本当にピンチになったらまた出てくるから。
 だから、姉ちゃん、無理だけはしないで………』

 うん、ありがとう、アキラ。

 アキラが重女の手をとり、手の甲にキスをする。まるで紳士のようなその行為に、重女は顔を赤くした。
 アキラはイタズラっぽく微笑みながら、その身を崩させていった。アキラの人格が薄れていく。重女は思わず手を伸ばしたが、その時には意識は完全に覚醒され、気がつくとその身は薄い布団に横たわっており、隠れ家の天井に向かって手が伸びていた。
 目の縁に涙が溜まって、瞬きすると、つう、と一筋の涙が重女の頬に軌跡を残した。

 ―――

 制服の着るのなんていつぶりだろう、と重女は思い、最後に制服を着たのはいつだったかと考えを逡巡していると、バスが次の停留所の名をガイダンスした。重女は停車ボタンを押した後、中指で眼鏡のブリッジをくい、と押し上げると、すぐに意識を切り替えた。
 篠宮義信の娘、篠宮茜に近づき、彼女を人質に篠宮義信にヤタガラスのメインコンピューターにハッキングさせ、情報を得ること。これが重女達の作戦。

 ――大丈夫。きっと上手くいく。

 制服の下に隠している十字架のペンダントを握りしめ、重女はそう自分に言い聞かせる。
 ダークサマナーの少女は、セーラー服に身を包み、打倒・ヤタガラスのための一歩を踏み出した。

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