少女が中学に上がって数ヶ月経った時の事、
 ある日、体育の時間から教室に帰ってくると、脱いで袋に入れてあったはずの制服がズタズタに切り裂かれていた。
 呆然とする少女の周りから、くすくすと嘲笑う声が聞こえる。
周りを睨みながら見渡す。クラスの皆は誰も少女と目を合わせようとしなかった。

 近頃、こういう嫌がらせが多くなった。

 犯人が誰か分からない陰湿な嫌がらせ。皆、少女が怖くて、そして疎ましかったのだろう。異色の瞳を持つ、貧乏な家庭の私生児。それだけではなく、少女は学校の成績が良かった。
 テストなんて、教科書を記憶して、問題の規則性を覚えてしまえば少女にとっては簡単に解けた。それが、クラスの皆の嫉妬心を煽ったのだろう。

 ぎゅ、と少女は血が出るまで拳を握った。

 犯人が誰か分かっていれば、そいつを締め上げてやるのに、コイツらはそれを分かってて、わざと私に分からないよう嫌がらせを続けている。
 担任に言ったって解決しない。あいつも私を疎ましく思っている。常に小汚ない格好をして、常にクラスの子といざこざを起こしている問題児の私の言葉など、聞き届けてはくれないだろう。

 全員が敵。私の周りは皆敵。私の味方は、アキラと、デイビス先生だけ!
 体育着に隠した十字架のペンダントを固く握る。

 強くならなきゃ、こんな嫌がらせに負けないよう、心も身体も強く!

―――

 その日の帰り、いつものようにシドの教会に行った少女は、教会に置いてあった寄付箱の中に、古い男ものの服を見つけた。
 近くの米軍基地の親切な兵士からの寄付だろう。ベージュのカーゴパンツに半袖の黒いタートルネック。
少女は迷わずそれを取った。

 「それは大人の男の服だよ? 君には大きすぎるんじゃないかい? もっと可愛い女の子の服もあるが……」
 「いいの、私はこれがいい」

 体育着を脱いで早速それを着てみた。やはりかなりダブダブだったが、少女は嬉しかった。
 近所の兵隊さんと同じ格好をしている。銃を持って闘う強い兵隊さん。あんな風に強くなれたらってずっと思っていた。私は痩せっぽっちで女だけど、この服を着たら不思議と強くなった気がする。兵隊さんと同じになれた気がしてなんだか嬉しい。

 「アキラ、似合う?」
 「……あんまり似合わないかも」

 大きすぎるズボンを手で押さえる姉に、アキラは苦笑いを浮かべながらそう言った。シドも苦笑し、裸足の少女にゴツい軍靴を差し出した。

 「……これは?」
 「靴も隠されてしまったんだろう? 私のお古だが履くかい?」
 「デイビス先生も……」
 「シドでいい」
 「じゃあ、シド、先生も兵隊さんだったの?」
 「そうだよ。昔の事だがね」

 それを聞いて、少女はもっと嬉しくなった。
 シド先生は元兵隊さんで、神父さんで、こんなにも強くて優しい。シド先生と同じ格好をしたら、私はきっと先生のように強くなれる。どんな事にも負けないくらい強く!
 大きすぎる軍靴を履いた姉を見て、アキラは困ったように笑ったが、少女はそれがまた可笑しくて久々に笑った。

―――

 世の中は高度経済成長の真っ只中。オイルショックで教科書が薄くなり、ベトナム戦争が終結した時代、少女は中学二年に進級し、そして遅い初潮を迎えた。

 この頃から、少女にある変化が見られた。

 きっかけは些細な事。
 ある夏の事、その日はうだるように暑かった。だから少女は口にしたのだ。
 「雨が降ればいいのに」と。

 そして一時間後、雲ひとつない晴天の空に黒い雨雲が広がり、バケツをひっくり返したような雨が降った。
 その時は、ただの偶然だと思ってたいして気にしていなかった。

 でもその後、少女の発した言葉はよく実現した。

 ある時は、アキラと二人で家で留守番をしていて、お腹が空いて、「ケーキが食べたいな」と呟くと、その日は母が珍しく早く帰ってきた。そしてパチンコで大勝したと言って、ケーキをお土産に買ってきた。

 ある時は、アキラを迎えに隣の小学校まで行くと、檻に飼われていたウサギがなんとなく元気がないように見えたので、「もうすぐ死んじゃうのかな」と発すると、翌日、ウサギの姿は見えなくなった。アキラの話によると、朝、生物係が檻の中を覗くと全羽死んでいたという。

 またある時は、同級生が少女に聞こえよがしに悪口を言った時に、いつもなら無視するのに、たまたま虫の居所の悪かった少女が、「うるさいよ、階段から落ちちゃえば?」と捨て吐くと、その同級生は三日後に、本当に階段から足を滑らせて亡くなった。

 偶然ではない、自分の言った言葉が本当になってしまう――しかも、ほとんどが悪いこと――その事実に少女は驚愕し、自分が喋っては誰かが不幸になると怯え、なるべく言葉を発しないよう努めていたら、いつしか少女は、学校でも、家でも、殆ど喋る事をしなくなった。

―――

 「それは、悪魔がとりついているね」

 ある日、学校をサボって教会で本を読んでいた時の事、何故最近殆ど喋らないのか、とシドに問われて、ありのままを話すと、シドはそう答えた。

 「あ、く……ま?」

 二ヶ月近くも喋るのを押さえていた少女は、最早言葉を発しようとしても、酷く吃り、また音量も小さかった。

 「そう」
 パタン、とシドが聖書を閉じながら言う。

 「君のその声にね、どうやら悪魔がとりついてしまったらしいね。君の言霊を増幅させ、その結果、言葉の内容が現実に具現化してしまった」
 「こと……だま……て、な、に?」
 「人間の言葉の力、とでもいうのかな。言葉には力が宿るとこの国では古来から伝えられてきた。誰にでも持っている力だけど、君の言霊はかなり異常だ」

 異常? 皆とは違うこと? この瞳の色のせいで、アキラの金髪のせいで、私たちはずっと阻害されてきた。全ては皆と違うから。私はそれに抗ってきた。
 でも、外見だけじゃなく、言葉まで皆と違うだなんて、私は、一体なんなの? 何時になったら皆から虐められなくなるの――?

 「大丈夫だ。君は普通だ。ただ今は声に悪魔がとりついているだけだ」

 顔を伏せ、しくしくと涙を流す少女に、シドは優しく語りかけた。
 悪魔――神に仇なす悪い奴だと前に教わった。人を誑かし、陥れ、堕落させると聖書にも書いている。

 「君にとりついている悪魔を祓う事、できなくもないよ。ただちょっと遠出することになるけど」

 悪魔を祓える? シド先生が? 本当に? 遠出? どこまで行くの? 神奈川から出るの?

 「京都にある鞍馬山。そこに、私の所属している「ヤタガラス」という組織があるんだ。……内緒だよ。実は私は、悪魔召喚師、デビルサマナーなんだ」

 その後、シドが話してくれた事によると、
 シドは妖精や天使といった異形のものを異界から呼び出して、邪なるもの、鬼や悪魔を祓う悪魔召喚師・デビルサマナーらしい。
 古くはエクソシスト、陰陽師と呼ばれていた者が異形のものを使役し、魔を討ってきた。現在でもその血をひく家系はデビルサマナーとしてこの国で暗躍しているとのことだ。

 「でも、悪魔召喚プログラムというのが開発されてね。私のような一般人でも、ほら!」

 シドが聖書に手を翳すと、途端聖書から光の玉が生まれ、驚いている少女の目の前で小さな羽を持った女の子に変わった。
 妖精・ピクシー。小さな女の子の姿をした妖精は、驚愕に目を丸くしている少女の周りを蝶のように飛びまわった。

 「これで信じてくれたかい? 私達は魔を持って魔を制するデビルサマナーなんだ。だから君のその声についている悪魔も祓うことができる」

 でも、と少女の目の前に人差し指を出し、ピクシーを収容したシドは続ける。

 「君の言霊を蝕んでいる悪魔は、ちょっと厄介な奴だ。だから、私と一緒にヤタガラスに来てほしい。そこには私以外に強力なデビルサマナーが沢山いる。必ず君にとりついている悪魔を退治してみせるよ。
 今すぐに答えは出さなくていい、家に帰って、お母さんに許しを貰っておいで」

―――

 その日、帰ってきた母の機嫌は悪かった。

 「またこんなに散らかして! 足の踏み場もありゃしない! さっさと片付けろ!」

 少女としては六畳一間の部屋はいつもと変わらない、大して散らかってはないように見えたが、酒臭い母は更に怒鳴った。

 「ほら、早く飯を作って! ああお腹空いた! なんだいその格好? そんな汚い格好して、またろくでもない事でもしてきたんでしょ!?」

 少女とアキラが突き飛ばされる。肘を畳に擦ってしまい、肘がじんじんする。

 小汚ないのはいつもの事じゃないか。家が貧しいから、満足に銭湯にも行けないし、お母さんが洗濯をしてくれないから、私がいつも慣れない手付きで洗濯機を動かし、衣服を干している。
 お腹が空いているのはこちらも同じだ。お母さんはお店でご馳走をお酒と男の人と一緒に食べてくるのに、私とアキラはいつも給食とシド先生のくれるお菓子以外食べてなくて、とてもお腹が空いているのに、なのに何故私がご飯を作るのが当たり前になってるの? いつからお母さんは何もしてくれなくなったの? 何故子供の私達がこんなに働かなきゃいけないの――!?

 「……嫌い」

 ボソッと呟いたその言葉に、母の肩が揺れる。母の濁った眼が少女を見つめる。

 「お母さんがちゃんとしてないから、私とアキラは皆から虐められるんだ! なんで子供の私達がこんな目に合わなきゃいけないの!? なんでお母さんはちゃんとしてくれないの!?」

 ずっと胸にあった不満が爆発した。その時の声には吃りもなく、音量も大きかった。言葉が抑えきれない。母が口を開けてぽかんとしている。アキラが怯えてこちらを見ている。

 「嫌い、大嫌い! お母さんなんか、死んじゃえばいいんだ!」

 それは、思春期に入った者なら、親への反抗で、感情に任せて言ってしまうありふれた言葉かもしれない。普通の子供ならば。
 しかし、少女は事情が違う。少女の言葉は“本当に”なってしまうのだから――。

 はっ、と少女は口を覆う。しかし口から出た言葉は元に戻せない。母は酷く傷ついた顔をし、アキラは姉の剣幕に怯え、今にも泣きそうだ。
 どうしたらいいのか分からなくて、少女は弟の手を引き、家の外へ飛び出した。閉める前のドアの隙間から、母が呆然とした顔でこちらを見ていたが、少女はそれを見なかったことにした。

 その日はシドの教会に逃げ込み、そこでアキラと二人夜を過ごした。
 シドは何も聞かなかった。

 お母さんに酷いことを言ってしまった。私の言葉は本当になっちゃうのに。どうしよう、どうしたらいいの――?
 弟と二人、泣きながら身を寄せ合って、教会の固い椅子の上で一緒に寝た。

―――

 そして、やはり少女の言葉は現実になってしまった。

 翌日、母が死んだのだ。
 酔っ払って車道に出た所を、車に跳ねられて亡くなった。

 その後の事はよく覚えていない。

 病院で変わり果てた母と面会し、シドが葬儀の手続きを行ってくれた。参列者は少女とアキラだけだった。
 そして母は外人墓地に無縁仏として埋葬された。それが正しい事なのか少女には理解できなかったし、呆然自失となってしまった少女にはシドや周りの人間の言葉は届かなかった。

 ――私が、母を殺してしまった。母にあんな事を言ったから、私が悪魔にとりつかれているから――

 シドの用意してくれた喪服に身を包んだアキラは泣きじゃくっている。少女はその手をぎゅっと握りしめた。

 ――このままだと、私はアキラまで殺してしまう。行かなきゃ。シド先生に悪魔を祓ってもらわなきゃ――!

 その後、身寄りのなかった二人は施設に引き取られたが、施設に入ってから一週間も経たないうちに、少女はシドと共に鞍馬山に行く決意をした。

 「姉ちゃん、何処に行くの?」
 「お姉さんは私とちょっと京都まで言ってくるよ。何、心配はいらない。ほんの二、三日で帰ってくるよ」

 支度を済ませた少女が、心配そうな顔をしているアキラをそっと抱き寄せた。

 「すぐ……かえ、って、くるから……まって、てね」

 手をアキラの頭に乗せる。柔らかい金髪。私と同じ青い目。私の、血の繋がった弟――。
 必ず帰る。その時はまたいつもみたく遊ぼう。手を繋いで海にも行こう。山下公園に遊びに行こう。お母さんのお墓参りにも行こう。だから、待っててね、アキラ。

 思えばこの時、私はなんとしても留まるべきだったのだ。
そうすれば「あいつ」と出会うことなく、運命も大きく変わらなかったのに――
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