八咫烏――それは、日本だけではなく、世界中の神話に登場する三本足の霊鳥。
 日本で最初に目撃されたのは平安時代、当時の天皇の東国への遠征の折り、妖怪や鬼から救い、導いたのが始めと言われている――と少女に渡された資料には書いてあった。なんでも「ヤタガラス」設立当時は、あの有名な陰陽師の阿部晴明が長を務めていたらしい。
 太陽の化身であり、吉兆を告げるとも言われるその霊鳥の名を冠した組織は、京都府の鞍馬山の鞍馬寺、魔王殿奥の院の地下にあった。

 キツイ山道を上り、魔王拝殿という社にシドと共に入り、地下へと続く隠し階段を降りると、其処には巨大な空間があった。
 コンクリートの壁で囲まれた大きな部屋は、少女が見たこともない機械があちこちに配置され、白衣の大人達がせわしなく動いている。こども雑誌で見た21世紀の予想図のような近未来的な雰囲気を少女は感じた。

 少女は白い貫頭衣のような服を着せられ、個室に案内された。其処には二段ベットが壁際に二つ、小さなテーブルと椅子が一つづつ、そして少女と同じ年頃の女の子達が三人いた。
 女の子達は、皆猜疑の色を瞳に宿している。
 少女の胸のプレートには、「F-14」と書かれていた。それが少女のここでの名らしい。

 何故、自分はこんな格好をさせられ、こんな部屋に入れられるのだろう。シドに聞きたくても、シドは此処に来てすぐ少女を別の大人に引き渡し、何処かへ行ってしまった。私は悪魔を祓ってもらいに来たのに、いつそれは行われるのだろう。そして部屋のこの子達は何者なんだろう。この子達も私と同じく、悪魔にとりつかれているのだろうか。

 「ねえ、あんた何歳? なんて名前?」

 三人の女の子のうちの、栗色のパーマをかけたショートカットの髪型の子が、少女に話しかける。日焼けした肌にそばかすが浮いている。

 「…………」
 喋るのを躊躇い、少女は、空中に指で「14」と書いた。そばかすの少女が眉を潜めた。

 「もしかしてあんた、喋れないのかい?」

 その問いかけに、少女はやや間を置いて頷いた。
 喋れないわけじゃない。私の声には悪魔がとりついているから、私が言葉を発すると周りの人が不幸になるから喋らないだけ。そう説明しようにも酷くどもるだろうし、ずっと喋るのを押さえてきた喉は、大きな声が発せない。ならそう誤解させといた方が面倒がなくて済む。

 「そっか、あんたも色々あったんだね。あ、あたしは京子。あんたより一つ上の15歳」

 そう言って、京子と名乗った少女はにっと笑ってみせた。歯が何本かかけている。京子の胸のプレートには「F-15」と書かれている。
 京子はそれから残り二人の紹介をした。三つ編みおさげの小太りの子は紗香、背の高いキツイ目付きのソバージュの子は清美。それぞれ16と17らしい。
 少女が会釈しても、紗香は怯えたように俯き、清美はぷいとそっぽを向いた。

 京子は少女に好意的で、「どうして目が青いの?」「なんで此処に来たの?」と少女に喋りかけた。その目にはからかいの色はなく、ただ単純に好奇心で聞いているようだ。
 少女は京子が持っていたスケッチブックに、渡された鉛筆で素直に答えを書いた。

 [目が青いのは生まれつき、多分父親が外人だったから]
 [悪魔がとりついているっていわれてここにきた]

 そう書かれたのを見て、京子が目を丸くした。

 「へえ、あたしもだよ。あたしがこんな不良になったのは悪魔がとりついてるんだって、感化院のババアに言われてさ、無理矢理ここに送られたってわけ」

 京子の話によると、京子は両親が蒸発し、好きだった絵を描くのを止め、お金欲しさに窃盗、恐喝を繰り返し、警察に捕まり感化院に送られた。そこの職員の女性に「悪魔にとりつかれている」と告げられ、京都のヤタガラスという組織なら悪魔を祓えると言われ、嫌々ながら此処に来たらしい。

 「別に悪魔とか全然信じてないんだけどさ、ここの方がクソみたいな感化院よりはマシかなーて。紗香と清美も同じようなもんだよ。あの子達も親がいないし、周りの大人に「悪魔がとりついている」って言われてここに送り込まれたみたい」

 紗香は二段ベットの上で膝を抱えて丸くなっているし、清美は下のベットの中で横になっている。ふて寝しているのだろうか。

 シド以外に好意的に接してくれる人がいる。しかも同じ年頃の。ずっと敵意と差別に晒されてきた少女は、京子に気さくに話しかけてくれたのが嬉しくて、久々に顔の筋肉を動かし、笑顔を作った。
 それは物凄くぎこちない笑みだったが、京子は大きな口を開け、ところどころ欠けた歯を見せ笑ってくれた。

―――

 そこでの暮らしは退屈だった。
 最初の日に知能テストと身体測定が行われた以外は、特にやることもなく、三食食事が出てくるのはありがたかったが、それだけだった。施設内で歩く事が出来たのは限られた区画だけで、少女はシドを探して何度か施設内を彷徨い歩いた。
 そこでわかったことは、どうやら私達以外にも同い年くらいの子が、幾つものグループに別れて部屋に入れられており、男女別にAからFのグループに分かれているという事だった。

 この子達は皆悪魔にとりつかれてる子なのだろうか。
 何故シドはあれから私の目の前に現れてくれないのだろう。早く悪魔を祓ってほしいのに、早くアキラの元に帰りたいのに。

 「あんた、弟がいるんだ?」

 一週間目の日、京子と二人で筆談でアキラの事を話したら、京子は同情的な視線を寄越してそう呟いた。
 今、この部屋には京子と少女の二人しかいない。
 三日目に清美が白衣のおじさんに呼ばれて部屋を出ていった。五日目に紗香が同じく呼ばれて、そしてそのまま二人は戻って来ない。
 順番に悪魔祓いを行なっているのだろうか。清美と紗香は無事に悪魔を祓ってもらえて家に帰ったのだろうか。羨ましい。私も早く帰りたい。アキラはまだ八歳だ。早く帰ってあげないと、あの子は寂しくて泣いてないだろうか。施設で苛められてないだろうか。

 「あたしもね、妹がいるよ。あたしに似て別嬪なの。ほら」

 そう言って京子はスケッチブックを捲る。するとあるページに、精密なタッチで巻き毛の幼女が描かれていた。確かに目元が京子にそっくりだ。

 「親が蒸発してから、あたしと妹は別々の親戚に引き取られたの。それからずっと会ってない。でも、此処から出たら会いに行こうと思うんだ。家は東京だけど、もし妹と会えたらあんたと弟にも会いに行くよ。横浜でしょ?  電車で行けば近い近い!」

 それは素敵な申し出だ。アキラと私が京子と妹さんと一緒に横浜で遊ぶ。ずっと二人っきりだった私とアキラに「友達」が出来る。世の中には悪意をぶつけてくる子ばかりじゃない、京子のように人と違う目の色をからかったりしない、苛めたりしない子もいるんだ――そう気付いた時、胸の奥が暖かくなるのを少女は感じた。

 「約束だよ。一緒に遊ぼうね」

 京子の小指に自分の小指を絡ませる。初めての指きりをしながら、少女は涙ぐんだのを悟られないよう俯きながら小さく頷いた。

―――

 八日目、ついに京子が呼ばれた。

 「悪魔とやらを祓ってもらったら、すぐに戻ってくるよ」

 そう言った京子は、しかし一日経っても戻ってこなかった。清美や紗香と同じく。
 十日目の夜、少女の我慢は限界に達した。これ以上待てない。部屋に独りぼっちは耐えられない。シドを探そう。そして悪魔をとっとと祓ってもらって、横浜に帰ろう。京子を探して一緒に此処を出るんだ。
 貫頭衣を脱ぎ捨て、来たときと同じ半袖のタートルネックにベージュのカーゴパンツ、そしてシドから貰った軍靴を履き、十字架のペンダントを首から下げ、少女は部屋の換気口の蓋を外し、そこに身体をよじいれた。
 換気口があるなら、ここを渡っていけばきっと地上に出れる。ドアには外側から鍵がかかっているし、換気口以外に地上へ出られる道はない。
 換気口の路は狭く、少女の小柄な身体でギリギリの大きさであった。酷く埃っぽい。とりあえず、明かりの見える方向に向かって匍匐全身で進んだ。
 腰と手足ががくがくになり、全身が埃まみれになった頃、ようやく人がいる部屋を覗けた。

 「……ああ、これも失敗だ。やはりもっと幼い子供の方がいいのではないか?」

 聞き覚えのある声がした。シド先生だ! シドは何時もの神父服ではなく、白衣に身を包んでいる。

 「“種男”と“畑女”の方は?」
 「あれは効率が悪い。苗が芽吹くのにどれくらい時間がかかると思う? やはり直接採取した方が……」

 種男? 畑女? なんの話だろう。そういえば何だか血の匂いがするが――

 うす暗い部屋を目を細めてじっと見る。すると、奥の方に病院の診察ベットのようなものが見えた。そこに人が拘束されている。
 パーマをかけた栗色の髪、日焼けした肌、だらしなく開いた口からは幾つも欠けた歯が見える――

 (……京子!?)

 京子は虚ろな視線を宙に浮かべ、口から涎を溢したままだ。頭にはいくつも管のようなものが刺さっている。
 その光景を直視してしまった少女は、身体中の血が引くのを感じた。身体が震える。胸の奥から得体のしれない感情が沸き上がってくる。
 ――嫌だ、シド、何をしているの? 京子に何したの? 嫌だ、やめて、やめて――!

 『おい、お前』

 悲鳴を上げる寸前、少女の頭に声が響いた。低い男の声だ。
 シドの声ではない、誰、誰の声?

 『こっちだ、もっと奥に来い』

 狭い路の奥、微かに赤い光が漏れている。あの部屋に行けばいいのだろうか。
 換気口の窓の向こうの凄惨な光景を振り切り、少女は奥の光の方向に前進した。

―――

 その部屋は、赤色灯で赤く照らされているコンクリートの基礎が剥き出しの壁の部屋だった。
 換気口の窓を蹴破り、少女は部屋に降りた。
 何もない小さな部屋である。真ん中に置かれている奇妙な札が張られている大きな鳥籠を除けば。

 『来たか』
 「……?」

 鳥籠の中に、黒い鳥が捕まっている。随分大きな鳥だ。少女より少し小さいくらいで、子供くらいの大きさはあるのではないか。

 『お前、この札破れるか?』

 その鳥は少女に語りかける。何故鳥が私に話しかけてくるのだろう。何故こんな大きな鳥がこの部屋で鳥籠に入っているのだろう。

 「…………」

 疑問に思う事はあったが、少女は言われた通り鳥籠の札を剥がそうとする。途端、指先にびりっと電流のようなものが走り、少女は思わず手を引っ込めた。

 『やっぱり駄目か』

 鳥が残念そうに呟く。
 ひりひりする指先を押さえながら、少女はじっと鳥を見る。良く見ると鳥の足が三本ある。黒い鳥、鴉、三本足の鴉――もしかして、この鳥は、八咫烏――?

 『違う』

 少女の考えを読んだかのように鴉はぴしゃりと否定した。頭の中に響いた声は、どこか不機嫌そうだ。

 『そんなのはお前ら人間共が勝手に作り出した存在だ。俺の名は―――』

 鴉は名乗った。八咫烏に無理矢理「させられる」前の、自分の真名を。

 「――――」

 その禍々しい名を聞いた少女は、無意識に復唱してしまった。
 数ヶ月喋るのを押さえてきた少女が、吃りもなく、喉を震わせ声を発してその鴉の姿をした「悪魔」の名を口にしてしまった。強い言霊を得た、その声で。

 それが始まりだった。

 少女の目の前の鳥籠から、黒い風のようなものが噴き出す。そのあまりの威力に少女は驚愕し、たたらを踏んだ。
 鳥籠に張られていた札に破れが生じる。

 『貴、様……俺…の……名を……』

 風はどんどん強くなっていく。身を切り裂かれるようにその風は鋭く、強い。何? 何が起きているの!?
 先程の光景が頭に浮かんだ。白衣のシド、診察台に拘束された京子、虚ろな視線、血の匂い、やだ、やだ、怖い、此処は怖い、早く此処から出なくちゃ、帰らなくちゃ、家に―――!

 途端、一際強い風が吹いたかと思うと、少女の身体が宙に浮かび、視界が真っ暗に染まった。

 そして、次の瞬間、尻に衝撃が走る。
 あまりの痛さに目を開けると、そこは赤色灯に照らされたコンクリートの部屋ではなく、夜の鞍馬山の山中であった。

 霧雨が降っている。生温かい雨が少女を濡らす。
 何? 一体何がおこったの!? さっきまで私は地下にいたはずなのに、何故地上に出られたの――?

 混乱する頭を押さえ、少女は立ち上がり、そっと足を踏み出した。
 暗く、険しい獣道を数歩歩いたところで、少女はぬかるみに足を滑らせた。

 「!」

 急な斜面を転がる少女の身体。木々の枝が少女の身体を引っ掻き、泥が身体中にへばりつく。そして、斜面に飛び出していた大きな石に頭をぶつける。

 「うっ!」

 強く鋭い衝撃が頭に走った。雨に濡れた地面に小柄な身体が放り出され、そのまま少女の身体は動かなくなった。

 しとしと、しとしと、雨が降り続く。少女の右側頭部から、血が流れ、赤い血の溜まりを作っていた。
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