往来―all right―別館【俺屍サマナー】

俺屍+デビルサマナー=俺屍サマナーというダブルパロ(クロスオーバー)小説を扱っております。俺屍に登場する神々や鬼を現代で使役していたら・・・という発想で生まれたいわゆる三次創作小説です。俺の屍を越えてゆけと真・女神転生シリーズ(主にⅣ)の設定を独自に融合させて捏造しております。女神転生や俺屍の人物名称や設定をかなり変更しております。こういったのが苦手な方は閲覧をご遠慮下さい。 やたノ黒蝿とサマナーになってしまった少女の物語です。

カテゴリ:俺屍サマナー > 第九章

 重女が案内されたVIPルームは、群青色を基調とした色合いの小さな部屋であった。
 大きなソファーに、凝った金細工の足と縁のテーブル。壁には絵画が飾られており、ちょっとした高級ホテルの一室のような雰囲気である。
 大き目のテーブルには、クラブ側からのサービスなのかサンドイッチやフライドチキン、フライドポテトなどの軽食と、お酒やミネラルウォーターやオレンジジュースなどの飲み物が置かれている。
 疲れ切った身体をソファーに沈ませていた重女は、喉の渇きを癒そうとミネラルウォーターをコップに注いで飲もうとした。だがコップを持った右手が止まる。影で手首を縛られたからだ。

 『飲むな』

 重女の手首を影で縛った張本人の黒蝿が、右耳のイヤリングからそう命じた。

 ――なんで?
 『その飲み物に毒が仕込まれている可能性があるからだ。食い物もだ。一切手を付けるな』
 ――心配しすぎだよ。そんなこと……
 『絶対ない、と言い切れるか? お前は今VIPの資格を手にし、この部屋に招かれた。が、それは逆に敵の中枢に近くなった証拠でもある。今まで以上に注意しないとあっという間に死んでしまうぞ』

 コップの中の冷たい水を眺めながら、重女はごくりと喉を鳴らした。
 ここに案内してくれたクラブの支配人の男は終始笑顔だったが、確かにどこか裏があるような、こちらを疑っているような目つきではあった。あの男なら飲み物にこっそり薬物を混ぜていてもおかしくなさそうではある。
 だが、それ以上に重女は強烈な飢餓感を抱いていた。ブラックジャックの真剣勝負と、黒蝿との感覚の同調が肉体にもたらした負荷は大きく、そのせいで今の重女の身体は、まるで体育のマラソン授業が終わったのと同じくらい疲れ、大量の発汗のせいで水分を欲していた。そう訴えても、黒蝿は飲むな食うなの一点張り。こいつは私の辛さを知らないからそんな事を言えるんだ。

 ――この鬼! 悪魔!
 『悪魔だが?』

 重女の罵倒もどこ吹く風というように黒蝿は受け流す。その態度に今度こそ思いっきりイヤリングごと黒蝿を潰したいと本気で思ったその時。

 コンコン、とドアがノックされる。
 重女は床に投げつけようとしていたイヤリングを右耳に付け直し、スカートの裾とブラウスの襟元を正し、『どうぞ』と咽喉マイクから機械音声で応答した。
 そして重いドアを開け部屋に入ってきたのは、意外な人物であった。

 「いやはや、また会おうとは言ったけど、まさかこんなに早く会えるとは」

 部屋に足を踏み入れたのは、先程までブラックジャックで対決していたディーラーのフジワラと、その相棒であるツギハギ男だった。
 フジワラはディーラー服ではなく、白いシャツに明るめの青のジャケットを羽織りベージュのズボンという私服らしきラフな格好である。その姿から、彼がディーラーとしての職を失ったのだろうということは容易に想像がついた。

 「………」

 なんとなく罪悪感を覚えた重女は、顔を悲し気に俯けた。そんな重女を気遣うようにフジワラは努めて明るく言った。

 「そんな顔しないで。もともと私は目的があってディーラーとして潜入していたんだ。いつかは辞め時がくると思っていた。それが早まったにすぎないよ」
 『潜入?』

 思わず聞き返した重女に、「そうだ」と不機嫌そうに答えたのはツギハギ男だった。

 「あのままこいつが優秀なディーラーを演じ続けてれば、今頃VIPカードを手に入れられたのは俺達だったんだ。それがどっかの誰かさんが邪魔してくれたおかげで計画はパアだよ」

 ぎろり、とツギハギ男は重女を睨んだ。ブラックジャックで重女が連勝し始めた時に寄越したのと同じ怒りの視線だった。
 ツギハギ男の視線にびくつきながらも、彼がゲーム中自分に敵意を込めた視線を送っていたのは、ブラックジャックで負けたからではなく、「計画」とやらが失敗に終わったからだったのか、と重女は理解した。
 しかし、「計画」とはなんだろう?

 「ツギハギ。この部屋の監視カメラはきちんと細工してあるね?」
 「無論。俺の仲魔がカメラに干渉している。カメラには五つの固定映像がループして映っているし、録音も切ってある」
 「そうか。ウンディーネはまだ怯えているのかい?」
 「その逆だ。そのお嬢ちゃんのイヤリングの中の悪魔に組み伏せられた際、一目ぼれしたらしい。「ワイルドで素敵!」だってよ。たく、女ってのは悪魔も人間も良く分からんな」

 フジワラ達の言葉を、重女は茫洋とした頭で聞いた。彼らは一体何をしにここに来たのだろう。どうやらクビになった腹いせに復讐しに来たわけじゃなさそうだ。監視カメラに細工したということは、何かクラブ側に聞かれるとマズイ話をしにきたのか。それは、彼らの言う「計画」とやらに関係しているのだろうか。

 「お、クリュグがあるじゃないか。飲ませてもらおう」

 氷水で冷やされていたクリュグを掴み、どっかりとテーブルの反対側のソファーに座ったツギハギ男は乱暴に栓を開け、グラスに注いで上手そうに飲んだ。重女は口内に沸き上がった唾を飲みこむ。
 フジワラは彼のことを「ツギハギ」と呼んでいた。容貌そのまんまの名は渾名だろう。ただのディーラーとイカサマ師という間柄ではなく、渾名で呼び合うほど二人の仲はいいのだろうか。そもそもこの二人は一体何者なんだろう? 疑問ばかりが湧いてくる。

 「食べないの?」

 同じく反対側のソファーに腰かけたフジワラが問いかけてきた。本当なら今すぐにでも飲み食いしたい身体の飢えと渇きを我慢し、『私は、いいです』と答えた。

 「そう。ああ、私達がここに来たのはね、これを君に渡すようマネージャーから言われたからさ。クラブの従業員としての最後の仕事ってわけ。はい」

 ジャケットの懐から、フジワラは白い封筒を出して重女の前に置いた。クラシカルな封蝋を施されている封筒の表面には、「Invitation」という英語が一語だけ印刷されていた。Invitation……どういう意味だっけ?

 「招待状、だね。開けてごらん」

 招待状! はやる気持ちを抑え、重女は丁寧に封蝋を剥がしていった。そして中から出てきたのはチケット一枚と、金色の豪華なデザインのクラブのVIPカードと、そして一枚の手紙だった。
 手紙には、重女の賭博の才能について褒め、当クラブのVIP会員に認定する通知と、三日後にVIP会員だけが入れるパーティに招待する旨が書かれていた。

 ――黒蝿、このパーティって……
 『恐らく悪魔の集会だろうな』

 やはりそうか! 事前に入手した情報通り、ここで悪魔の集会が開かれていたのは本当だったんだ。そしてそこに正式に招待された! これでこのクラブの深部に迫れる! 目的は達成された。良かった……。

 「良かったなあ。俺らの代わり招待されて」

 心地よい達成感を吹き飛ばすように、ツギハギが不機嫌そうに呟く。知らずに笑みを浮かべていた重女は表情を消し身体を強張らせた。「ツギハギ。そんな言い方するもんじゃないよ」とフジワラが嗜めるが、ツギハギはふん、と顔を背け酒を舐める。
 腕時計をちらりと見たフジワラは、「時間がない。本題に入ろう」とソファーから身を乗り出した。一体なんだろう?

 「単刀直入に言うよ。重女さん、私らと手を組まないかい?」

 何を言われているか咄嗟に理解できなく、重女はつい眉を寄せフジワラの顔をまじまじと見る。が、そこには真剣な表情の中年男の顔があった。

 「もう君も知っていると思うが、こっちのツギハギは悪魔召喚師だ。君と同じくね。ただ、彼は日系アメリカ人なんで、「ヤタガラス」には属していないんだけど」
 『ヤタガラス?』

 おや、というふうに、フジワラとツギハギが顔を合わせた。なんだろう? 神話の八咫烏のことだろうか。それに姿を変えられた悪魔なら今右耳のイヤリングの中にいるが。

 「君は悪魔を使役しているのに、国家機関「ヤタガラス」に属していないのかい?」

 やや驚いたふうに問われ、やっと重女は「国家機関ヤタガラス」の事を思い出した。
 今の今まで忘れていたのが恥ずかしい。悪魔召喚師を束ねる機関。そこにシドも属しており、ここの情報を手に入れた須崎家も確かその傘下のサマナーの家だった。どうやら悪魔召喚師は基本的にそこに所属するらしいが、自分は勿論入っていない。

 『その……私は……』
 「たまにヤタガラスに属していない“はぐれサマナー”も存在する。この嬢ちゃんもその一人なんだろうよ」

 ツギハギが横から口を挟む。日系アメリカ人という彼の顔をよく見ると、今まで暗い照明で気づかなかったが、日本人にしては鼻梁が高く、目元の彫りも深く顎のラインがしっかりしている。言われてみれば確かにどこか欧米人ぽい。

 「まあ、ヤタガラスに属していないなら好都合だ。実はね、私達は君と同じようにここで開かれている悪魔の集会の存在をかぎつけてここに入ったんだ」
 『ええ!?』

 驚きのあまり思わず叫んでしまった。もしかして、さっき彼らが言っていた「計画」というのは……

 「だけどその集会とやらは、VIP会員や一部の信頼のおける従業員しか入れない。だから私はツギハギの助けを得て凄腕ディーラーとしてここで働いた。クラブの収益を格段に増やした私は、きっともう少しで集会に招かれただろうね」

 先程とは比べものにならない罪悪感が胸を締め付け、重女は深く頭を垂れる。彼らは自分達と同じ目的でここにいたのだ。ディーラーとしての腕前をクラブ側に認めさせ、悪魔の集会に入れるよう画策していた彼らの「計画」は水泡と化してしまった。他ならぬ、自分のせいで。

 『ごめんなさい……』
 「謝ることはないよ。君の仲魔の力がツギハギのウンディーネより勝っていたからイカサマを見抜けたんだよ。最後は私と君の小細工無しの勝負だった。それに君は勝った。そしてVIPカードを手にし招待も受けられた。何も恥ずべきことはない」
 『あれは……ただ運が良かっただけです。私はほとんど勘を頼りに戦っていました。戦略もなにもなかったんです。ギャンブルとしては恥ずべき方法で……』
 「運も実力のうちだよ。勝利の女神が微笑んだ時、たまたま視線の合った者が女神の恩恵を受けられるものさ。君は頼もしい“剣”を持っているみたいだしね」

 フジワラが右耳のイヤリングに視線を移し言う。重女はイヤリングの中の黒蝿が身じろぎしたように感じた。

 「折角だからイヤリングの仲魔もここに座ったらどうだい? 監視カメラは細工してあるし、姿が映ることはないよ」
 「それは俺も賛成だな。このお嬢ちゃんが一体どんな悪魔を仲魔にしているか見てみたいな」

 フジワラとツギハギの要請に重女が答えるより先に、イヤリングがはじけ、VIPルームに一瞬強烈な風が吹いた。風が重女やフジワラ達の顔や服、部屋の中の調度品を強く撫ぜる。あまりの強さに目を開けていられない。
 風が収まると、重女の横にいつの間にか黒蝿が腕組みしながら座っていた。

 「ふうん。なかなか色男じゃねえか。おい兄ちゃん、名前は?」
 「………やたノ黒蝿」

 黒蝿は険しい表情を崩さずそっけなく名乗った。ムッとしたツギハギをよそに、フジワラは「よろしく。やたノ黒蝿君」と手を差し出してきた。が、黒蝿は当然のように無視する。見かねた重女が肘で脇を小突いても態度を変えない。

 「こんなに立派な仲魔を従えているだなんて、重女さんは見かけによらずかなりの力の持ち主らしいね。これなら力強い。是非私達と手を組んでほしい」
 「待て。何故お前たちは俺達と手を組みたい? そんなに悪魔の集会に興味があるのか? そもそもお前は何者だ? そこのツギハギ男のように悪魔召喚師ではないのだろう」

 黒蝿の質問に、フジワラは水を一口飲んでから答えた。

 「私は、フリーのジャーナリストだ」
 『!』
 「普段は喫茶店を営んでいるんだけどね、本業は社会問題を追うジャーナリストってわけ。今は悪魔と、悪魔召喚師について追いかけている。ツギハギは取材の過程で会った悪魔召喚師で、良き協力者で良き友人だ」

 フジワラによると、古くからこの国の裏で活躍してきた悪魔召喚師――デビルサマナーというものに惹かれ、取材を続けてきた。そしてツギハギと会い、デビルサマナーを纏める国家機関ヤタガラスの存在を知り、そしてそのヤタガラスのなにやらきな臭い動きをキャッチした。クラブ・ミルトンでの悪魔の集会も、どうやら裏にはヤタガラスがいるらしい。

 「平安時代にこの国を守護する為に結成された超国家機関ヤタガラス。だが時代が変わるにつれてヤタガラスの内情も変わってきた。純血のサマナーの数は減少傾向にあり、アメリカで悪魔召喚プログラムまで開発され、それを扱える新しいサマナーが台頭するようになって、国はヤタガラスよりそちらのサマナーに外注することが多くなった。
 ヤタガラスでも悪魔召喚プログラムの使えるサマナーを増やしているけど、なまじ歴史があるから古来の方法にかじりつく連中が組織には多いらしい。悪魔召喚プログラムの組み込まれたコンプ使いを支持する派と、まっとうな血筋のサマナーに今まで通り悪魔討伐させる派と、ヤタガラス上層部はいくつもの派閥に割れている。
 そんな下らない派閥争いのせいで、今じゃ国からの予算も縮小され、組織運営もぐらついている。それに焦った過激派は組織維持のため、資金集めの為になにやら危ない道をいくつか渡っているらしい。それがこの数ヶ月で私が集めた情報だよ」
 「要するに、ヤタガラスも一枚岩じゃないってこった。組織がでっかくなると当初の理念だけじゃやってけない。政治的な駆け引きも必要だし、思想の違いで派閥もできる。でっかい組織のお偉いさんの考えはどの国でも同じだな」

 悪魔を滅するために結成された、魔をもって魔を討つ超国家機関ヤタガラス。そう昔重女はシドに聞かされた。
 きっと、ヤタガラスに所属しているデビルサマナーは皆が皆悪人というわけじゃないのだろう。この間お世話になった須崎家のように、純粋に悪魔を討つために存在している家もあるし、組織の基本理念はまだ変わっていないのだろう。そうでなければ須崎家にクラブ・ミルトンでの悪魔の集会の調査依頼がくるはずがないのだから。
 だけど、もしヤタガラスの中に非道を働いている者達がいるなら、なんとかしたいと思う。そんな奴らをほっといたら、前に鞍馬山で見た光景のようなことが繰り返されてしまうかもしれないから。
 今でも思い出せる。鞍馬山地下のヤタガラス施設の換気口から見た悲惨な光景。頭にいくつも管を刺され診察台に固定された友人・京子。それを囲む大人たち、それに混ざっていたシド――

 「……!」

 急に息苦しくなり、ブラウスの胸当たりをぎゅっと掴んだ。「お守り」の十字架に触れると少しだけ気持ちが収まり、これをくれた大柄な神父の事を思い出す。

 ――シド。もしかしてシドも悪魔の集会に来る? なら私は――

 「重女さん? どうしたの?」

 フジワラの心配そうな声に、もう何度逡巡したか分からない思考を中断した。
 眉を寄せこちらを値踏みするかのような視線を寄越すツギハギと、温厚そうな顔にジャーナリストとしての使命感を漂わせるフジワラの顔を見比べ、最後に隣にいる仲魔の黒蝿の顔を見た重女は、『私、貴方たちに協力します』と答えた。

 「!?」
 「おい、うかつ過ぎるぞ……!」

 驚いて眉を上げたツギハギと、叱咤してきた黒蝿を無視し、重女はフジワラを見続けた。ブラックジャック勝負の時と同じ、本当の事を喋っている眼鏡の奥の鳶色の瞳を確認した重女は、『大丈夫。フジワラさんは、嘘を言ってない』と黒蝿に告げた。

 「なんでそんなことがわかる? またお得意の勘か?」
 『そうよ』
 「! お前は……!」

 黒蝿の怒声が響くより先に、フジワラが笑った。ツギハギも、黒蝿も、重女も怪訝そうにフジワラに視線を向けた。が、彼は構うことなく手を振って「こりゃ参った」と大仰に肩を竦めた。

 「断られた場合の説得案をいくつか考えていたんだけどね、まさか一発OKとは。「戦いの女王」が味方についてくれるとは心強いよ」
 『だから、私はそんなんじゃないですってば……!』

 恥ずかしさで顔を赤くした重女に、フジワラがそっと何かを目の前に出す。
 それはマッチ箱のようだ。「純喫茶・フロリダ」とレトロなデザインの印字が紅く印刷されている。喫茶の名の下に住所と電話番号が記載されている。

 「そうと決まれば早速作戦会議だ。でも今日は遅いから明日その喫茶店においで。私が煎れるコーヒーが自慢の喫茶店だよ」

 フジワラは帽子を被り立ち上がった。ツギハギもそれに続く。そしてもう一度、手を差し出してきた。今度は重女に。

 「とりあえず、私達は共同戦線を張った仲間だ。このクラブの暗部を、協力して暴き出そう」

 差し出された手を、重女は気負いなく握った。その手は大きく、そして温かかった。
 まだ納得のいかない風情の黒蝿が何か言いかけたが、「そろそろ行かないとやばいぞ」とツギハギが急かした声を上げて遮った。フジワラは握手を解きながら「ああ」と答える。

 「あ、携帯の番号教えてもらってもいい? 今の子はスマホ?」

 軽い調子で黒い小さな板を取り出したフジワラに重女は困惑した。けいたい? すまほ? それはなんだろう?

 『あの……私、「けいたい」も「すまほ」も持っていないんです。すみません……』
 「ええ? 今時の子にしては珍しいね」
 「フジワラ、早く!」

 ツギハギが更に急かすので、フジワラは曖昧に返事し、戸口へと向かった。

 「じゃあ明日、「フロリダ」で会おう! 時間は一時位でどうかな?」
 『はい、それじゃあ明日伺います』
 「また明日ね」

 まるで友人と遊びの約束をするかのような気軽さで、重女とフジワラは明日会う約束をした。
 フジワラ達が去ったあとのVIPルームには、無視され一方的に話を進められたことで怒りを露わにしている黒蝿と、栓が開けられた飲みかけのクリュグの瓶が残っていた。

 ―――

 それから荷物検査で没収されたコンプを返して貰い、廃神社へ帰る道すがら、重女はずーと黒蝿のお小言を聞かされる羽目になった。お前はなんでそういつも短絡的なんだ、なんで後先考えず勝手に決めるんだ、少しは人を疑ったらどうなんだ、等々。
 だが疲労困憊の重女の耳には殆ど届いていなかった。
 廃神社の結界にたどり着くと、重女は買い置きしていたミネラルウォーターをがぶ飲みし、眼科で無理やりはめられた「そふとこんたくとれんず」なるものを目から取ると、デパートの化粧品コーナーで施された化粧も落とさず、着替えもせず、気絶するかのように眠りに落ちた。
 眠りに落ちる寸前、握っていたフジワラのハンカチの香りが鼻腔に届き、今日出会ったフジワラやツギハギ達の大きな大人の背中を思い出した。

 彼らに比べて、まだまだ自分は子供なんだな、と感じ、重女はそのまま深い眠りへと落ちて行った。

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 フジワラの言葉に、重女の心臓はどくんと大きな鼓動をたて、呼吸が一瞬止まってしまった。

 ――この人、私達の企みを見抜いている!?

 重女は思わずツギハギ男の顔と、フジワラの顔を見比べてしまった。それがまずかった。二人は当たり、とでも言うかのようににやりと笑って見せた。
 何も言い返すことが出来なかった。重女は口を開けたまま無意識に右耳のイヤリングに触れた。頭の中が真っ白になり、体温が下がっていく。

 『惑わされるな』

 頭の中に見知った声が聞こえ、重女は正気に戻った。重女の影と同化した黒蝿の叱咤の声であった。そっとカードシューに視線を移すと、すぐ横のテーブルの角に影が辿りついていた。

 『こいつはカマをかけているだけだ。本当に俺達の策に気付いているなら、ツギハギ男が妨害してくるだろう。だが奴らはそれをしない。まだお前を疑っている段階だ。堂々としてろ』

 フジワラは笑みを崩さない。優しい笑みのはずなのに、今の重女にはその笑顔が般若のように見えた。
 ツギハギ男の視線が刺さる。この二人、次に私がどう反応するか見ているんだ。
 黒蝿の言う通り、ここで狼狽えては作戦が台無しになってしまう。堂々としなくちゃ。

 『そ、そうです、か?』

 冷静に、と思ったのに、情けないことに声が少し震えてしまった。ツギハギ男がくく、と喉を鳴らす。そしてグラスの残ったバーボンを一息に飲み干し、追加をホールスタッフに頼む。

 ――そうだ!

 ツギハギ男の様子を見て、重女の脳内にあるアイディアが浮かんだ。今、フジワラとこの男は私の事を警戒している。影と一体化した黒蝿がカードシュー間近で動きを止めているのも、彼らの警戒の目が厳しいからうかつに動けないのだろう。
 一瞬でいい。イカサマ師の二人の注意を逸らせば、黒蝿はやり遂げるだろう。なら、このアイディアに賭ける。

 「お嬢さん、まだゲームは続けますか?」

 フジワラが聞いてきた。穏やかな口調だが、声の裏では、私たちのイカサマを妨害する気かい? と聞いてきている。

 『はい。まだ全然勝ててないので。それに……』
 「それに?」

 ホールスタッフが盆にバーボンのグラスを乗せて、ツギハギ男に近づく。ツギハギ男がグラスを受け取ろうとする。

 『まだ“戦いの女神”は、私のところに来てくれてませんから』

 その時。

 「わ!?」

 ホールスタッフの足がほんの少し揺れ、盆は大きく傾いてしまう。グラスを受け取ろうとしたツギハギ男のカーキー色のパーカーと顔に、派手にバーボンがかかってしまった。
 その光景に、フジワラをはじめ、スーツの男、巻き髪の女の視線が一斉にツギハギ男に集中する。テーブルから皆の視線が外れた。その一瞬を黒蝿は逃さない。
 影と一体化した黒蝿はカードシューに取りつき、あっという間にカードに変化していたウンディーネを“組み敷き”、強い圧力をかける。
 ウンディーネは悲鳴すら上げる暇もなく、無理やり黒蝿の魔力によってその身を変化させられた。見た目は全く変わらないただのトランプカード。だがその数字とスーツは黒蝿によって強引に変えられた。これはもう主であるツギハギ男にも、フジワラの銀時計の干渉でも変えられない。黒蝿の魔力の圧力は、彼より弱いウンディーネにはどうすることもできない。
 そして黒蝿は重女の右耳のイヤリングに戻ってきた。この間、僅か0・5秒。
 ツギハギはホールスタッフに文句を言い、巻き髪女は自分にもバーボンがかかっていなかったことを確かめ、恋人のスーツの男と安堵する。フジワラはスタッフにタオルを持ってくるよう指示し、テーブルとカードにバーボンの液が飛んでいないか素早く確認する。
 カードを見た時、彼は違和感に気づき眉を寄せて重女の方を見た。が、もう遅かった。すでにこちらの策は成功したのだから。

 『よくやったな』

 珍しく黒蝿が褒めてきたので、重女は右耳から少し悪寒を感じ身震いした。明日は雪だろうか。

 『あそこでスタッフを影で転ばせ、ツギハギ男達の注意を逸らすとはな』

 そう、重女は黒蝿と一体化した以外の、まだ若干残っていた自分の影を伸ばし、ホールスタッフの足をひっかけ転ばせたのだ。ツギハギ男にバーボンをかけさせるために。
 客の一人に飲み物がかかってしまったら、誰だってそっちに目を向けるだろう。フジワラの注意をひけるかは賭けだったが、見事にはまってくれた。
 スタッフには気の毒なことをしたと思うが、ツギハギ男にはあまり同情の気持ちは湧かなかった。先程言われた「初心者と身障者には優しくしないとな」という言葉を重女はまだ根にもっていたから。
 パーカーを脱いで白いシャツ一枚になったツギハギ男の太い二の腕と首に、顔と同じく手術痕のような縫い目が沢山あるのを見て、重女は目を丸くした。黒蝿は彼を悪魔召喚師と言った。あの傷の数と、シャツの上でもわかる鍛え上げられた上半身から、彼はきっと歴戦の猛者なのだろう。

 「…………」

 フジワラは重女をじっと見ていた。睨んでいる、と言った方が正しい。
 もうカードが自分の思い通りに操れないことに気付いたのだろう。恐らく、私が何か細工をしたことも。
 しかしその証拠はない。黒蝿がウンディーネに圧力をかける瞬間、彼はカードシューから目を離していたし、監視カメラに映ってない自信もある。それはスタッフを転ばせた時も同様で、あの時の影はカメラの死角にスタッフが入った時に伸ばしたのだ。仮に映っていたとしても、あれを私の仕業と断定する証拠にはならない。今の自分には悪魔召喚師としての証拠は一切身に着けてないし、疑惑を持たれた右耳のイヤリングだって、調べられてボロがでるようには作っていない。大丈夫だ……多分。
 ツギハギ男がタオルで顔を拭き終わり、テーブルの動揺が鎮まったのを確認したフジワラは、
 
 「まだカードは一巡していませんが……お酒の液で汚れがついていないか念のために一度カードをシャッフルして確認したいと思います。宜しいですか?」と聞いてきた。

 重女達が頷くと、フジワラはディスカードとカードシューに収まっていたカードを混ぜシャッフルを始めた。優雅だったはずの手つきは何かを探るように不自然な動きに変わっていた。
 一方重女は、まるで透視能力が発眼したかのように、カードの数字とスーツが一枚一枚手に取るように分かった。フジワラも、ウンディーネの主であるツギハギ男も、黒蝿によって無理やり変えられたカードにもう何も細工は出来ないようだ。

 「どうぞ、お好きなところに」

 シャッフルし終えたフジワラが、重女にカットカードを差し出した。重女はフジワラの眼鏡の奥の目を真っ直ぐ見つめながら、カードの束にカットカードを刺した。じっと見ると、フジワラの鳶色の目は意外と優しい印象を与えた。
 カットカードの刺された箇所から束を二つに割ってまとめ、カードシューに収める。「ベットをどうぞ」という言葉でプレイヤーはチップをベットしていく。重女は思い切って手持ちのチップ全てをベットした。
 テーブルがざわついた。スーツの男と巻き髪女は口を開けて驚き、ツギハギ男は薄い片眉を上げた。

 「良いのですか? そんなに」

 フジワラの問いに、重女はしっかりと頷いた。このチップが有り金全てなので、もし負ければ重女はこのテーブルを退場しなければならない。しかし、今の重女には負けない自信があった。

 『“今の自分”なら、負ける気はしません』

 それは最初に大見得を切った時と同じ台詞であったが、今回は根拠のある確かな言葉である。
 またも他の三人のプレイヤーから怪訝な視線を向けられたが、重女はもう勝利を確信していた。
 フジワラが一瞬だけ、温和な表情を崩し当惑の色を滲ませたのを、重女は見逃さなかった。続きを読む

 ――この二人が、イカサマ師!?

 重女はふんぞり返りながら酒を飲んでいるツギハギの顔の男と、テーブルの上で滑らかにカードをシャッフルしているフジワラの顔を交互に見比べた。
 佇まいも言動も粗野なツギハギはともかく、物腰の柔らかなフジワラがイカサマを働いているなんてとても思えなかった。ましてやこの二人がコンビを組んでいるなど。

 ――それは確かなの?
 『ああ。今までの動きではっきりした。奴らはイカサマを働いている。と、いっても大した仕掛けじゃない』
 ――どういうこと?

 ふう、と黒蝿は溜め息をついた。そんなこともわからないのか、と馬鹿にしているように。

 『今から俺の“感覚”をお前のと合わせる。それで直接確かめてみろ』

 え? と聞き返すまでもなく、急に視界がぎゅうんと広がった。
 視覚、触覚、聴覚、嗅覚、全ての感覚が広がり、酷く鋭敏になった。目に入るもの、聞こえる音、肌に触れる空気の流れ、ホールの匂いまで、全てが情報となり重女の脳に入り込んできた。それは人間の処理能力を超えており、重女は酷い酩酊にも似た混乱に陥った。

 『どうした』
 ――気持ち悪い。くらくらして……吐きそう……
 『なら、同調を少し緩和する』

 焦点の合わないギラギラした万華鏡のような視界は、徐々にどぎつい色合いが薄れていき、耳元のノイズは晴れて、不必要な情報は遮断された。これなら耐えられる。重女は口許を押さえながら、いまや黒蝿のとほぼ同じになった視力で、フジワラのシャッフルしているカードを見た。

 ――あ!

 それは、ただのトランプカードではなかった。

 一枚一枚が“液体”で構成されている。水の精霊・ウンディーネの身体を変化させて作られたカードは、見た目も質感も本物のそれと同じである。勿論、違いなど人間には全く分からない。ただの人間なら。
 気づかなかった自分が間抜けに思えるくらい、あまりにも単純なイカサマだ。使役する仲魔をカードに変化させていただけ。それなら自分の思い通りのカードを配れる。

 『だが、ディーラーのフジワラは悪魔召喚師ではないな』
 ――なんで分かるの?
 『悪魔召喚師は体内の気の巡りが独特なんだ。自身のマグネタイトを仲魔に与えているからな。フジワラの気は一般人と変わらない』
 ――なら、もしかして悪魔召喚師は……

 「お好きなところへどうぞ」

 フジワラは赤いカットカードをツギハギ男へと渡した。プレイヤーにはシャッフルし終わったカードの束に、任意の所へカットカードを入れる権利がある。今回はツギハギ男の番である。
 ツギハギ男がカットカードを束に差し込んだ、その時。
 ぐにゃり、とカードが変化した。形が変わったのではない。カードがツギハギ男からマグネタイトをもらい、“喜んで”いる。少なくとも重女にはそう見えた。
 ――間違いない。悪魔召喚師はツギハギ男のほうだ。
 でも、ツギハギ男が悪魔召喚師なら、フジワラはどうやってカードを操っている?

 「それでは、始めます」

 プレイヤーが次々とベットしていく。重女もチップを置きながらフジワラの一挙一動を凝視した。
 フジワラが左手でカードシューからカードを抜き取り、プレイヤーに配ろうとする。その時、左手のごつい銀の時計から、何か微細な電流のようなものが流れた。“それ”はカードに――正確にはカードに化けたウンディーネに伝わり、フジワラの思い通りのカードになる。
 もうイカサマのトリックは分かった。ツギハギ男の仲魔のウンディーネがカードに変身し、ディーラーのフジワラが、左手の時計からマグネタイトに似た電流のようなものを発し、カードの数字を自由に変化させる。
 わかってしまえばなんてことはない、イカサマともいえないチープなトリックだ。

 ――あんな仕掛けがわからなかったなんて……
 『だから、お前ひとりに任せるのは心配なんだ』

 重女はむっとしたが、あの仕掛けを見抜けなかったのは事実だ。強くなったと思っても、まだまだ自分は半人前だ。
 さて、イカサマの正体は分かった。だがどうやって彼らに勝つ? 正攻法では勝てない。なら――

 『決まってる。“イカサマにはイカサマを”だ』

 黒蝿が自信たっぷりに、「作戦」の内容を重女に告げた。奴らのイカサマに対抗する策を。

 ―――

 『あ、スペードが揃ってる』

 重女はわざとらしく、手札のカードを指さして嬉しそうな声をあげた。フジワラと、ツギハギ男、スーツの青年に巻き髪女が怪訝そうにこちらを向く。

 『次にもう一回スペードが来たら、三枚もスペードが揃っちゃう。そしたら凄いなあ。もしかして配当が三倍になっちゃうかも?』
 「残念ながら、ここのハウスルールでは印(スーツ)が揃っても意味はございません」

 フジワラが淡々と告げた。声音は穏やかだが、顔は苦笑している。ルールブックで確認しただろう、とでも言いたげだ。だが構わず重女は続けた。

 『そうかあ、残念。スペードは尖っているから少し怖いな。ハートかクラブが来ればいいのに』

 全く意味不明な言動に、テーブル中に失笑が漏れた。皆の冷たい眼差しを受けながら重女は作り笑顔をひくつかせた。

 (なんで私がこんなことを……)

 そっと、重女は自分の足元を確認した。テーブルの下の影は静かにフジワラへと伸びている。幸いここのテーブルの照明は暗い。影が変化しても分かりにくいし、そもそも誰も他人の影の事など気にかけていないだろう。

 ――俺がお前の影に同化して、カードシューにとりつく。そしてウンディーネに圧力をかけてカードを無理やり変える。お前はフジワラとツギハギ男の気をひいて影から注意を逸らさせろ。

 これが黒蝿の策であり、重女に下した命令だった。
 カードシューに収まっているウンディーネを力ずくでこちらの任意のカードに変えるという、至極簡単な策だったが、ばれたら一発で終わりだ。慎重に黒蝿は影をテーブルの下からカードシュー目指して伸ばしていき、重女はフジワラ達にばれないよう間抜けな素人のふりをして彼らの気を引く。なるべく不自然にならないよう重女は喋り続けた。

 『あ、お兄さんの手札、ハートのクイーンがある。いいなあ』

 スーツの男の手札を指さし、重女はさも嬉しそうにはしゃいでみせた。スーツの男は巻き髪女と唖然とした表情で顔を見合わせた。一体この子は何を言ってるんだ、という風に。

 「ステイ」

 ツギハギ男が手を振ってステイした。そして重女の方を見た。重女はにっこりとほほ笑んで見せたが、その笑顔がわざとらしかったので、ツギハギ男は不気味そうに眉を寄せた。一体この子はどうしたんだ、緊張で頭でもいかれちまったのか、とでも言いたげな顔だ。
 自分の演技のクサさに顔を赤くしながら、重女は人差し指でテーブルを二回叩き、『ヒット』と要求した。来たカードはクラブの7。23でバスト。

 『クラブは丸いな。そういえばクラブのキングはアレキサンダー大王なんだっけ』

 プレイヤーの三人は、もう重女のおかしな言葉を無視した。影は徐々にカードシューへ近づいている。もう少しだ。

 「お嬢さん、トランプに興味があるのですか?」

 フジワラが急に話しかけてきたので、重女は少し驚きつつも、『はい』と答えた。影に気づかれた様子はない。大丈夫だ。

 「どのスーツが好きなのかな?」
 『スペード……かな』
 「おや珍しい。貴女くらいの年頃の女の子は、てっきりハートを選ぶと思ったのに」

 言いながらもフジワラの手は止まらない。ヒットを要求してきた青年と巻き髪女にカードを配る。青年は22、女は24で両方ともバストであった。

 『昔、スペードは私の星座のふたご座を意味すると聞いたので』
 「よくご存じで。ならば、絵札ならどれが好きかな?」

 重女は少しだけ迷って、『クイーン、です』と答えた。一体彼はなんでこんな事を聞いてくるのだろう。やはり先程の演技がクサかったから怪しんでいるのだろうか。

 「スペードのクイーンは、ギリシャ神話の戦いの女神、バラス・アテナを意味します。彼女は勇敢な女神であると同時に、非情に気性が激しかったとも言われています。そして、スペードのクイーンは、創作上で悪女を意味することが多い」

 悪女、と言われ、重女は少しだけ息を飲んだ。もしかして、私がやろうとしていることに気付いている?

 「そして女王には、王子が傍にいるものだ」
 『……なにが言いたいのですか?』

 ふ、と笑いながら、フジワラはホウルカードをオープンした。アップカードの“スペードのクイーン”と、ホウルカードの“スペードのジャック”、合わせて20。21でブラックジャックであったツギハギ男の一人勝ちだ。

 「このカードは貴女“達”のようだ。女王と、女王を守る騎士」

 ディスカードとチップを集めるフジワラを見ながら、重女は背筋が凍るのを感じた。今のは、けん制だ。自分は自由にカードを操れるということの。そして、“貴女達”という単語。まさか――

 「そのイヤリングはとても“変わった”形をしていますね」

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 XX市のクラブ・ミルトンは、かつてある華族の所有していた迎賓館を改造した建物である。
 そのため、クラブだというのに、その外装はレトロな洋館といった佇まいだ。
 だが屋内は数多のクラブの例にもれず、大音量の音楽が鳴り響き、けばけばしい照明が辺りを照らす中、露出の高い服装に身を包んだ若者が大声で話している。叫んでいる、といった方が正解かもしれない。
 ゲラゲラと大笑いしている若者達を見て、一体何がそんなに面白いのだろう、と重女は思った。

 (お酒で酔ってるのかな?)

 見たところ、彼らは自分と対した変わらない年頃の少年少女なのに、煙草を吸って、酒を傾けている。煙草と、酒と、汗と、なんだか良くわからない甘ったるい匂いがごっちゃになって鼻孔に届く。重女はこの匂いが嫌いだ。仕事帰りの母親が良く似た匂いを纏っていたからだ。
 クラブ、という場所は初めて来たが、キャバレーのようだ。キャバレーなんて行ったことがないけど、男と女が酒を酌み交わして談笑する、大人の出入りする場所、というのは聞いていた。が、ここは予想よりやかましく、客も若く、正直、品がない。

 「……………」

 隣のテーブルで大声で喋っている茶髪の女と、自分の服装を比べてみた。
 女、といっても自分とそう変わらない少女は、ピンクのシミーズ(この時代ではキャミソールと言うらしい)に短いジーンズのスカート、首や腕にまるで飴玉みたいなごてごてしたアクセサリーを纏っている。そして底の高い編み込みの凝ったサンダル。厚化粧で、目蓋の濃いアイシャドーとひじきみたいなマスカラが乗った睫毛が印象的だ。
 対して自分の格好は、白のノースリーブのブラウスに、ティーンズ向け雑貨店で買ったきらきらしたネックレスやブレスレット、赤と黒のチェックのスカート、黒の膝上まであるニーソックスというものに、足元はいつもの軍靴。野暮ったいからという理由で、眼鏡ではなく「そふとこんたくとれんず」なる柔らかいガラス片を目に装着し、そして首元に黒いチョーカーを着用している。
 実はこのチョーカーの中には咽喉マイクが仕込んであって、これで機械音声ではあるが声が発せる。
 これを作ったのは東のミカド国のキヨハルだ。正確にはキヨハルが作りかけでコンプ内に密かに収容していたのを、ミドーが完成にこじつけたのだ。
 ただのコンプの悪魔合体プログラムを取り仕切っているだけの老人かと思ったら、意外となんでも出来るんだな、と重女は少し驚いた。

 (でも……ちょっと締め付けられてる感じがする)

 チョーカーについている金属片を指先で弄びながら、不満を胸中でごちると、『仕方ないだろ、我慢しろ』と右耳の黒い勾玉のイヤリングが重女に念波を送ってきた。

 ――だって、なんだか苦しいよ。しかも重いし。
 『そのチョーカーは、複雑な仕掛けの小型電子部品で構成されている。その分重量はかさばるが、それもこれもお前を喋らせるようにとキヨハルとミドーが作ったんだ。せめてこの潜入が終わるまで我慢しろ』

 やや大きい、黒い勾玉のイヤリング内部には、自身の身体を極小化させた黒蝿が入っている。重女と出会ったばかりの時の蝿を思わせる姿へ自ら変化し、影の造形魔法で造ったイヤリングの中に入り、念波で重女にアドバイスを送るという寸法だ。
 何故そんな事をしなければいけないのか。それはこのクラブに入る時のこと。
 警備員が来客の身体と荷物をチェックするのだが、黒蝿のような目つきの悪い男は入場すらさせてもらえなかった。しかし重女は簡単なチェックだけですんなりと入場許可されたことからである。
 この手のクラブは、若い女にはチェックが甘い。しかし重女一人だけが潜入するのはリスクが高すぎる。思案の末、黒蝿は影で造ったイヤリングに自ら入る事にした。これで有事の際に飛び出て重女と戦う事も出来るし、彼女に色々助言する事も出来る。

 ――私一人で大丈夫なのに……
 『お前ひとりじゃ心もとないから俺がこんな姿になってまでついてきてるんだ。忘れたか? ここで悪魔の集会が開かれているかもしれないことを』

 確かに得た情報は、ここクラブ・ミルトンで悪魔の集会が開かれていて、一般人も攫われているかもしれないというものだった。悪魔がいるならもしかして戦闘になるかもしれない。だがコンプは荷物検査でひっかかり持ってくることができなかった。だから唯一コンプに入れない黒蝿が傍に控えるというのは理解できる。
 
 だが少し過保護じゃないか? と重女は思った。私だって今まで決して少なくない悪魔と戦ってきたんだ。仲魔のサポートが大きいとはいえ、影の造形魔法だって大分使いこなせるようになったし、雑魚なら簡単に倒せる……と思う。
 黒蝿がこんな風に接してくるようになったのはいつからだろう。多分東のミカド国での出来事からだろうか。それまでは私に対しては“殺してはいけない獲物”くらいのぞんざいな扱いだったのに。あそこで何があったのだろう。アキラとの「男の約束」とやらが原因なのだろうか?

 「………」

 その考えを追い払うように、重女は辺りを見渡した。
 若者が談笑していたり、音楽の流れてくるスペースに集まって踊っているくらいで、悪魔の気配は感じない。 彼、彼女らが悪魔召喚師なのだろうか、とも考えたが、無邪気に楽しんでいる彼らの佇まいは酷く無防備で、とても悪魔を従え戦うようには見えなかった。
 本当にここで悪魔が集会を開いているのだろうか。あの情報はガセだったのではないだろうか、シドはここにはいないのではないだろうか、などと疑念をもちながら、重女はミルクを一口飲んだ。ノンアルコールドリンクの中で一番安いのがミルクだったから注文したのだが、妙に平べったい味だ。

 ――やっぱり、あの情報はガセ?

 イヤリングに潜んでいる黒蝿にそっと念話を送る。

 『今の段階ではなんともいえない。この階に悪魔がいないのは確かだが、もしかするとVIPルームのような別の部屋にいるのかもしれないな』

 VIPルームか。この建物の大きさからいって、あってもおかしくないが、どうやったらそこに入れるのだろう? 私は招待されたセレブリティではないし、警備の目もある。強行突破はリスクがありすぎる。だけどここにいても事態は動かない。
 何か手はないか、と考えていると、部屋の隅の方がなにやら騒がしいのに気づく。そちらに視線を向けると、小さな人だかりが出来ている。そこでは大きなテーブルが置いてあり、三、四人程の人間が椅子に座ってカードを手にし、カードを出したり取ったりしている。その度に小さなどよめきが起こり、カードを手にしたものはしかめっ面だったり、喜びに顔を綻ばせたりと表情がころころ変わる。

 ――あそこでなにやってるの?
 『おそらくトランプを使った賭け事をしているんだろう。あのカードの出し方は……“ブラックジャック”だな』
 ――ブラックジャック?

 黒蝿の説明によると、それはトランプを使った遊びの一種で、簡単にいえばディーラーより自分の手札が21に近い程勝つというゲームらしい。21を越えたら負け(バスト)。A(エース)は11か1として、J(ジャック)、Q(クイーン)、K(キング)の絵札は10として数える。例えばJと5ならば15、Aと絵札、または10ならば21、ブラックジャックという風に。
 ルール自体は簡単だが、トランプ遊びなどババ抜きくらいしかやったことのない重女にとって、それは大人の嗜みのようで、自分には縁遠いものだと感じた。

 『よし、あそこに行くぞ』
 ――ええ!?

 重女は思わず口に含んでいたミルクを噴出しそうになった。

 『ブラックジャックで大勝すれば、ここの支配人に一目置かれ、VIP待遇を受けられるかもしれん。そうなれば他の部屋もチェックすることができるだろう』
 ――で、でも、私ブラックジャックなんてやったことないよ。
 『ルールは今教えただろう』
 ――そういう問題じゃなくて、素人の私がどうやって勝てばいいの?
 『安心しろ。俺がいる』

 どき、と胸が鳴った。思わずイヤリングに触れる。この中にいる仲魔の存在を確認するかのように。

 『俺の指示どおりにすれば、必ず勝てる。俺を信用しろ』

 台詞だけなら命令口調だが、その声音は力強く、少しだけ温かみを感じた。おかしい。以前ならもっと突き放すように言ってたくせに、「信用しろ」ときた。やはり過保護だ。だけどなぜか嫌とは感じなかった。

 ――本当に、頼っていいの?
 『ああ』
 ――私を勝たせてくれる?
 『そのためにここまでついてきた』

 重女はぎゅ、と拳を握ると、グラスに残っていたミルクを一気に飲み干した。
 そして意を決して、カジノブースの方へ歩を進めた。右耳の仲魔とともに。

―――

 『お願いシマす』

 カジノ・ブースのディーラーに札束を渡し、チップに変えるよう機械音声を放った重女に、テーブルの参加者はぎょっとした目を向けた。

 (しまった、不自然だったかな)

 重女は咽喉マイクのつまみに触れ周波数を少しだけ高くし、少女らしい高く柔らかい声へと調整した。

 「お嬢さん、一人ですか? 介助は必要ですか?」

 ディーラーがカードをシャッフルしながら問うた。三十代後半から四十代くらいの、黒ぶち眼鏡のしゃくれた顎が印象的な細身の優男だ。

 『私は喉に障害があります。なので咽喉マイクで声を出します。介助は必要ありません』

 今度の声は先程より高く発せられた。しかし機械音声独特の固い声は口から出される声より異質で、参加者達は少し眉を寄せた。
 このテーブルの参加者は三人。会社帰りのサラリーマンのようなスーツ姿の青年と、その彼女なのか、高そうなワンピースの巻き髪の女性、そして着古したカーキー色のパーカーを纏った、顔が手術痕の縫い目の目立つツギハギだらけのいかつい大男の三人と、ディーラーの四人。これからこの四人とブラックジャックで争うのだ。

 「お嬢ちゃん、ブラックジャックは初めてかい?」

 ツギハギだらけの顔の男が言った。ねこなで声とは裏腹にその眼光は鋭く、まるで声の出せない者はここにくるな、と言ってるようだ。
 
 『……はい』

 ははは、と男が大声で笑った。つられてカップルも肩を震わせ苦笑した。その笑い声が酷く癇に障り、絶対にこいつらに負けたくない、と重女は拳を握った。

 「そう緊張しないで。ここは別にマカオやラスベガスの一流カジノってわけじゃない。あくまで遊びの一種なんだ。難しいハウスルールもないし、初心者も大歓迎だよ」

 ディーラーは優しくそう言うと、重女に椅子に座るよう促した。そして最小賭け分のチップと、ルールブックを目の前に置いた。

 「では、次のゲームを始めましょう。お嬢さんはこのゲームは見学するかい?」

 シャッフルし終わったカードを二つの山に分け、パラパラとその山を一つの束にまとめていく。その仕草は流れるように優雅で、重女はその手元に見とれながら頷いた。
 隣のスーツの青年がちらちらとこちらを見てくる。横の巻き髪の女が彼になにやら耳打ちする。何を言ってるかは聞こえないが、恐らく私のことだろう。ここでは私は異物なのだ。 
 この感覚、覚えがある。目と肌の色が違うというだけで虐げられた幼少期の感覚。陰口と侮蔑の視線に晒され続けた時間。味方はアキラとシド先生しか居なかったあの時を思い出し、重女の心はすっと凍り付きながら毒を吐いていき、静かに顔から表情を奪っていった。

 ――気にするな。

 全身の温度が下がっていくのを、その一言が止めた。右耳のイヤリングから黒蝿が念波を送ってくる。

 ――所詮、そいつらは踏み台だ。何を言われようと気にすることはない。最後に勝つのは俺たちだ。

 その言葉で、重女はやっと嫌な思い出の沼から意識を浮上できた。
 そうだ。今の私は独りじゃない。この身の半分はアキラがくれたものだし、頼もしい仲魔もいる。獅子丸に牛頭丸、猿に紅と白。そして黒蝿が私を支えてくれている。そう再確認した時、心の奥から不思議な高揚感が湧いてきた。
 
 ――そうだね、勝つのは“私達”だね。

 『ねえ、ディーラーさんの名前は?』

 茶目っ気たっぷりの声を意識しながら、重女以外の三人にカードを配ろうとしていたディーラーに話しかける。ディーラーはほんの少しだけ驚いたようだが、すぐに冷静な声で「フジワラといいます」と名乗った。

 『私が参加したら、きっとフジワラさん困っちゃうよね』

 ぴくり、とディーラーのフジワラは太い眉を少しだけ上げた。スーツの青年とその彼女、そしてツギハギの大男の視線が重女に注がれる。

 『だって、“私が勝ったら”フジワラさんも皆も大損だし、“恥ずかしい”よね』

 甘えるように抑揚をつけながら、このテーブルの皆を挑発した。右隣の三人から、刺すような視線を感じる。 皆ムッとしただろう。初心者の、声が出せない“異物”の少女からゲーム開始前に“勝利宣言”を言い渡されたのだ。青年と女は目を合わせ、なにやら小声で囁き合い、ツギハギの男は、生意気なガキだ、と重女に聞こえるように毒づいた。
 その中で、フジワラだけは違った。口の端を上げ、面白そうに重女をじっと見ている。

 「随分自信があるんだね」
 『今の私なら、負ける気がしません』

 チョーカーの金属片に触れながら、これを作ってくれたキヨハルとミドーを思い出し、重女は不敵な笑みを浮かべた。フジワラは肩を竦め、「それでは始めます」とゲーム開始の音頭をとった。

 ――随分大胆に言ったな。
 黒蝿が少し呆れたようにいうので、重女はこう返した。

――“私達”は勝つんでしょ?

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 重女が食料と日用品を買った後、まず向かった所は、近くの図書館であった。

 そこで中学生まで対象の近代歴史の本をいくつか読み、自分が生きていた頃から今の時代に至るまで、何が起きたのかを大まかに把握した。

 とりあえず、アメリカとソ連の第三次世界対戦は起きなかったらしい。ソ連とアメリカはずっと「冷戦」と呼ばれる緊張状態であったが、ソ連が崩壊し、現在はロシア連邦と呼ばれるようになりアメリカ側の勝利で終わったこと、1991年にベルリンの壁が崩壊し東西に分かれていたドイツが一つになったこと、中国では民主化を求めて天安門事件が起こったこと、他には2001年にアメリカ同時多発テロが起き、イラク戦争が勃発したこと。
 日本では1989年に昭和天皇が崩御し、現在の「平成」という元号に変わったこと、1995年の阪神淡路大震災と2011年の東日本大震災という大規模な災害が起こったこと、他にも沢山の出来事がこの約五十年あまりに起こったことを重女はなんとか覚えた。
 次に人々の文化の変動について調べた。車は空を飛ばなく、地球環境問題に配慮したエコカーが主流になってきていること、テレビやクーラー等の普及率が重女の生きてきた時代とは比べものにならないほど高くなっていて、漫画やアニメ、映画の娯楽も大きく変わっていること、そして何より一番重女を驚かせたのは、個人で電話を持つということだ。
 小さな携帯端末でコードも無しに通話が可能なこと、 一家に一台、ではなく、一人一台が当たり前になっていること、特に若者の普及率は90パーセントを越えていること、そして……

 『ねえミドー、「いんたーねっと」でなに?』

 図書館から廃神社内の結界へ帰ったあと、知識を詰め込みすぎたせいで頭痛を催しながら、コンプ内のミドーに尋ねた。
 今日読んだ本の中で、その単語が重女の頭に印象に残っていた。いんたーねっと。なんでもそれは、見知らぬ人とでも繋がれたり、色んな事を調べたり出来るらしい。

 『すごく大きな図書館みたいなもの?』

 そういうと、ミドーは電子画面の中で笑って見せた。

 「まあ、その言い方もあながち間違っていないがな。凄く大雑把に言うと、膨大な情報を閲覧できたり、海の向こうの相手ともコミュニケーションがとれたり、とにかく便利なものだと覚えればいい」
 『じゃあ、コンプで「いんたーねっと」を使ってシドの居場所がわかったりする?』

 ミドーのポリゴンの身体が一回転してみせた。驚いたのだろう。

 「…………できなくはないがな。これは元々軍需品で、民間のネット回線とは違う秘匿回線を使っている。しかもこの時代には対応していない。使えるようになるにはかなり大掛かりなバージョンアップと時間が必要になるが、それでも構わんか?」

 こくん、と重女は頷いた。ミドーの言ってることの半分は理解出来なかったが、とにかく、「いんたーねっと」を使えるようになればシドの居場所もわかるかもしれない。そうなれば早くシドに会える。
 そういえば生きているとしたら、シドは何歳なんだろう? 初めて会った時のシドは20代後半か30代くらいだっただろうか? なら、今はもう70、80代のおじいさん?
 たらり、と重女の額に汗が滲んだ。冷や汗? いや、全身にじっとりと汗をかいて衣服が肌に張り付いている。 今日の外は結構暑い。結界内は寒くも熱くもないが、図書館まで長い距離を歩いてきて、そのせいで汗まみれになったのだろう。

 『ちょっと早いけど、銭湯に行こうかな』
 「おお、それがいいじゃろう。ついでにあそこでぐったりしているあいつも連れていくとよかろう」

 ミドーが言ったのは、この結界の六畳間の端で壁にもたれかかっている黒蝿のことだ。
 黒蝿は、足をだらしなく放り投げ、ぐったりとうつむいている。疲労困憊のようだ。

 『黒蝿、どうしたの? 夏バテ?』
 「馬鹿いうな。俺が夏バテなどするか。お前に甘ったるい菓子を散々食わされたせいだ」

 そう、この間の誕生日に重女が沢山買ってきてしまった菓子類は、とても重女一人で食べきれる量ではなく仲魔を召喚してなんとか平らげたのだが、黒蝿や獅子丸、猿は数個食べただけでギブアップした。
 残りは大食漢の牛頭丸と、子供の紅と白と一緒に食べたのだが、流石に甘党の重女も、三食甘い菓子というのはなかなかこたえた。今も胸やけが残り、口の中がべたべたする。人間である自分でさえこうなのだから、黒蝿達には相当きつかったのだろう。

 『じゃあ一緒に銭湯行こうよ。そうすれば少しはさっぱりするよ』
 「なんで俺が……」
 『いいから!』

 ぐいっと黒蝿の腕を強引にとり、重女は無理やり立たせた。抵抗の力がいつもより弱々しいのはやはり菓子のダメージのせいか。
 嫌がる黒蝿を引っ張りながら、重女はマイ桶と手ぬぐいに石鹸といった風呂用具一式を持って、二人は近くの銭湯へ向かった。

―――

 歩いて五分のところにある銭湯は、それほど大きくはないが、お湯の種類が豊富で、とても清潔で、何よりコーヒー牛乳やフルーツ牛乳といった飲み物やアイスが沢山売っており、重女のお気に入りのお店の一つであった。
 番台はなく、「券売機」という機械で年齢と性別に応じた料金をいれると、切符のような入浴券という紙が発行される。重女は十代の女性券一枚と、少し迷ったが黒蝿の分は二十代男性の券を買った。まさか悪魔専用の券は売ってはいまい。
 それを係の人に渡し、風呂場へ。嫌がる黒蝿の背を男湯の方に押し、重女は女湯の暖簾をくぐった。
早い時間だったせいか、脱衣所には人は少ない。お年寄りが数名いるだけだ。

 「あら金髪ちゃん! 今日は早いのね!」

 すっかり顔なじみになった清掃のおばさんが重女に声をかけてきた。人の好い笑みが印象的なこの初老の女性は、重女が声の出せないことを知ると、何かと気を使ってくれて、重女の事をいつも「金髪ちゃん」と呼んで話しかけてくる。
 いつもの通り微笑みながら会釈すると、「今日は男の人と同伴だなんて、やるわね」とにやつきながら小声で耳打ちされた。男の人? もしかして黒蝿が恋人だと思われている?
 違う、というように両手と顔をぶんぶんと横に振ると、おばさんは豪快に笑った。

 「若いっていいわね! 今日自販機の業者が来て新しい商品入れたみたいだから、彼氏と一緒に飲むといいわよ」

 自動販売機というのは、お金を入れて好きな飲み物のところのボタンを押すと、その商品が出てくる大きな機械だ。入口の券売機と同じ構造のようで、声の出せない重女には有難い機械であった。これなら売り子の人に聞かなくても好きなフルーツ牛乳を買うことが出来る。
 新しい商品が入ったのか。それはどんなジュースかな。黒蝿はフルーツ牛乳を飲むかな? お風呂から上がったら買ってみよう。
 少しだけワクワクしながら、重女は服を脱ぎ、髪を縛り眼鏡を籠に置いて、風呂場への戸を開けた。

 ―――

 まず身体にお湯をかけて軽く洗い、手ぬぐいを頭に乗っけてそれから湯へ。この銭湯には二、三種類のお湯があるが、重女のお気に入りはバイブラバスだ。ぶくぶくと気泡が沢山水面に起き、見ていて面白いし、なんだか身体の疲れも他の湯よりとれる気がするからだ。

 その風呂に、先客がいた。

 その子は自分と同じくらいの年頃の女の子だった。鮮やかな赤い長髪を結っていて、透けるような白い肌の、緑色の瞳をもったスレンダーな長身の子だ。
 初めて見る子だ。二週間程この銭湯には通ってはいるが、平日の今の時間帯に同年代の子がいるというのは珍しい。自分と同い年くらいの子は学校に通っているから、会うとしても夜が多いのに。
 その子と目が合った。緑色の大きな瞳に見つめられて、重女はとっさに顔をそらしてしまった。今のはまずかっただろうか。
 そっと横目でその子を見る。綺麗な赤髪だ。燃える火のような鮮やかな赤。赤い髪の人は母親のホステス仲間にもいた。その人は外国製のヘア・マニキュアを使っていたらしいが、この子もそれで髪を染めているのだろうか。
 そして何より、緑色の目。自分の青より少し落ち着いた緑の色合いの瞳からは意思の強さを感じた。この子ももしかして、外人の血を引いているのだろうか。

 「………」
 「………」

 湯煙の中、暫しその子と見つめ合った。胸がどきどきしてきた。それはのぼせたからではない。その子の真っ直ぐな視線と、自分と同類の者を見つけたかもしれないということへの不思議な高揚であった。
 その子に話しかけたかった。だけど自分は声を出せない。咄嗟に首の醜い痣を隠す。少しだけ恥ずかしくなってきた。変な子だと思われていないだろうか。見知らぬ他人をじろじろと見て失礼だったかも……

 「……あ、あの!」

 小鳥のような高い声が響き、重女は肩をびくっと震わせた。目の前の赤毛の子が湯から半身を出してこちらに身を乗り出してきていた。その子の胸が見えたが、その胸は自分とは違い豊満である。
 なんだろう? やっぱり私、変だっただろうか?
 少女の次の言葉を待っていると、隣の男湯からなにか倒れたようなもの凄い音が鳴り響いた。

 「おい、兄ちゃん! どうした? しっかりしろ!」
 「 陣内!?」

 男湯から聞こえてきた声に少女は反応し、そのまま浴場から飛び出していった。何があったのだろう? まさか黒蝿がひと悶着おこしたんじゃ!?
 少女の後を追うように、重女も浴場を出て、タオルを身体に巻いた。すると女湯の暖簾をくぐる大きな人影が二人見え――

 「智子! 大変だ! この兄ちゃんが――」
 「じ、 陣内!? ここ女湯よ!!」
 「―――!!!」

 腰巻一丁の男二人――タタラ陣内に肩を貸されている黒蝿の姿を見て、重女は声にならない悲鳴をあげ、咄嗟に手に持っていた桶を投げつけてしまった。
 そしてそれは、見事陣内の額にクリーンヒットした。

―――

 須崎家は古くからヤタガラスに仕えているサマナーの家系である。
 その家は大きな日本家屋で、約百年以上もの間悪魔召喚師として暗躍していた歴史を感じさせた。

 「誠に申し訳ない」

 あの後、この家に運ばされ、客間に寝かされているやたノ黒蝿とその横に座っている重女に向かって、額を赤くしたタタラ陣内は身体を折りたたみ頭を下げていた。

 「いや、こちらも飛んだ迷惑をかけてしまい……」

 のぼせて顔が真っ赤な黒蝿が布団の中から応答する。重女も手をついて畳に擦りつけるように頭を下げた。

 ――驚いたとはいえ、こちらも桶を投げてしまいごめんなさい。

 声は出ないが、誠意が伝わるよう謝罪の姿勢を崩さない。

 「気にしないで! もとはといえば 陣内が女湯に来たりするから……」
 「いや、あの時はだな、つい気が動転して……」
 「だからって、なにもあんな姿で来なくても!」

 目の前の赤毛の少女は須崎智子というらしい。明るい蛍光灯の下で見ると、改めてその髪の赤さが際立つ。どんな染髪剤を使ったら、こんなにも綺麗な赤髪になるのだろうか。
 その智子の横に座っているのは、タタラ陣内と名乗る大柄な男であった。
 赤銅色の髪と濃い褐色の肌も印象的であったが、右目の眼帯がまるで歴史の教科書で見た武士のようだと重女は思った。

 「そういえば、お名前はなんていうんですか?」

 智子が重女に聞いてくる。大きな緑色の目をきらきらさせている智子は人懐っこい笑みを浮かべている。背が高いけど間近でみると可愛い人だな。
 でもどうしよう。声が出せないから名乗れない。紙とペンさえあれば筆談ができるのだけど……

 「こいつは“重女”で、俺は………“黒原”です。大学に行くために従妹のこいつの家に居候しています」

 首を押さえながら口をパクパクしている重女をよそに黒蝿が堂々とうそぶく。従妹……そういう設定なのか。“黒原”は骸ヶ原でも使ってた偽名だ。よほど気に入っているのか、単に他に思いつかなかったのか。

 「それからこいつは、前に交通事故にあって、声帯が傷ついていて声が出せない。出来れば筆談用の紙と筆記用具を貸してもらえると助かります」

 それを聞き、智子と陣内は、まあ、と目を大きくさせ同情の視線を寄越す。重女はこっそりと黒蝿を睨んだ。全く、声がでないのはあんたのせいでしょ。

 「わかった。今から用意しよう。智子、お前は黒原君への水と替えのタオルを用意してくれ」
 「うん、わかった」

 襖を開け、陣内と智子が客間から出ていく。
 一瞬、智子がこちらに視線を寄越した。その瞳には好意の色が浮かんでおり、少しだけ重女の心臓を跳ねさせた。

 「………さて」

 黒蝿が緩慢な動作で布団から身を起こす。顔が赤い。まだおとなしく寝ていればいいのに。重女が手を肩に添え寝かそうとするのを止め、黒蝿は先程とは打って変わって冷たい声を放った。

 「お前、この家を探ってこい」
 『え?』
 「須崎智子とタタラ陣内といったか。あいつらは悪魔召喚師とその仲魔だ。しかも須崎家といえば俺も聞いたことのあるくらい古いヤタガラス傘下のサマナーの家系だ。この家を探れば有益な情報を掴めるかもしれない」

 ヤタガラス――確かシドが所属している悪魔召喚師の機関。それが今の時代にもあったとは驚きだが、今の言葉は本気で言ってるのか、と思わず黒蝿を見つめなおしてしまう。が、黒蝿が冗談を言うような性格でないのは、重女が一番分かっていた。

 『でも、折角助けてもらったのに、そんな泥棒みたいなことできるわけ……』
 「それとこれとは話が別だ。ほんの少しでいい、シド・デイビスとその仲魔のマンセマットについての情報を探ってこい。あの“智子”という娘なら、お前に警戒せず教えてくるかもしれん」
 「……………」

 重女の無言の抗議の視線を受けながら、黒蝿は尚も続ける。

 「手段を選んでられる状況か? やっとシド・デイビスの生きている時代に来れたのに、今までなんの手がかりを掴めていないだろ。今がチャンスだ。これだけ歴史のある家なら書斎の一つでもあるはずだ。そこの書類を見るだけでいい。早く行け」
 『………黒蝿、貴方まさか最初からそれが目的で、のぼせたふりを?』
 「馬鹿言え、これは演技じゃない。あのタタラ陣内とかいう奴にずっと睨まれたせいだ。あいつ、もしかして俺の正体に薄々気づいているのかもしれない。恐らくこの家に侵入できる機会などもうないぞ。だから早く行け」
 「………」

 重女は思いっきり黒蝿を睨んだ後、重い腰を上げて部屋を出て行った。黒蝿の言うことは納得は出来ないが、もし私が嫌と言ったら、あいつはもっと非人道的な方法でこの家を探るだろう。それなら自分が探った方が遥かに良い。

 (しかし……本当に広い家だな)

 辺りを見回しながら重女は感嘆の吐息をついた。
 木の板で出来た廊下は、良く磨かれていてピカピカだ。廊下の端々には花瓶が乗った台が置かれており、生けられている花は瑞々しく、とても上品な生け方だ。
 今のとこ誰にも会っていないが、他にも人が住んでいるんだろう。人の気配が清潔な空気に混ざっている。
 沢山の部屋があり、一体どこが書斎なのか重女には判別できなかった。黒蝿の奴、無茶言って!
 忍び足で次の角を曲がると、ふと、くすんだ木でできたスライド式の扉が目についた。他の部屋は新しい障子の襖や洋風のドアだったりするのに、この扉だけ年月を重ねた木で出来ている。
 そっと取っ手に手をかけた。そして横に引く。やっぱり鍵がかかっている。

 「………」

 重女は少し躊躇ったが、影を操り扉の隙間に忍び込ませ、内側の鍵を開ける。かちゃり、と金具が外れる音が響き、扉は無事開いた。まるで泥棒みたいだ。ふう、と重女は憂鬱げに顔を歪ませた。
 その部屋は、約八畳ほどの小さな部屋だったが、天井近くまで届く大きな本棚が両側の壁に並んでいる。古そうな本ばかりだが、ファイルもある。ラベルを見ると、「H2X年、活動報告書」と書かれている。

 (嘘……まさかここが書斎?)

 幸いにも人はいない。本棚に隠れるように部屋の奥には小さな机があった。その上になにやら青い光を放つテレビのようなものがある。
 そっと机に近づく。その「テレビ」は薄く、画面の下に沢山のボタンが配置されている板が置いてある。これはなんだろう。重女はそのうちの一つのボタンを押す。
 するといきなり画面が光り、文字が表示される。びっくりして思わず後ずさってしまった。

 (なんだろう、これ? 日本語、だよね?)

 じっくりと画面に表示された文字を読む。小さくて読みにくいが、なんとか全文を読んだ。

 from:ヤタガラス情報部
 sub:依頼
 ――――――――――

 XX市にて悪魔の目撃情報あり。
 場所:クラブ・ミルトン

 悪魔が該当施設にてなんらかの集会を開いている模様。
 同地区で一般人が行方不明になる事件多発。
 当依頼との関係性の調査、悪魔の討伐、並びに一般人が攫われていた場合、速やかに救出せよ。

        END
 ―――――――――――

 「おい、ここでなにやっている?」

 背後から聞こえてきた声に、心臓が飛び出しそうになった。
 恐る恐る振り向いてみると、タタラ陣内が怪訝そうにこちらを見ている。

 「トイレでも探していたのか?」

 胸を押さえながら、こくこく、と重女は頷く。

 「卓也の奴、鍵をかけ忘れたのか? 不用心だな。トイレなら突き当りを右だ。ああ、それと、夕食の用意が出来た。君と黒原君も一緒にくるといい」

 こくり、とまた頷き、重女は陣内の横を通り過ぎ、当主の書斎を出て行った。 
 出て行った後も、胸のどきどきは止まらなかった。

 ―――ヤタガラスからの指令! ここは本当にヤタガラスのデビルサマナーの家だったんだ! あれはミドーの言っていた「いんたーねっと」というものだろうか? もしシドが生きているとしたら、同じ依頼を受けているかもしれない。なら、今度こそシドに会える!?

 場所は、XX市の、クラブ・ミルトン!

 ―――

 須崎家の夕食は、とても豪勢なものだった。
 現当主の卓也という童顔の男に、前当主であった優斗という老人、さらに卓也の妻である裕子という可愛らしい女性、それに智子と陣内が客人である重女と黒蝿の横に位置していた。
 卓也の乾杯の音頭で、皆思い思いに料理をとったり酒を傾けたりしている。黒蝿は酒を進められても、申し訳なさそうな笑みを浮かべ断っていた。こいつでもこんな笑顔できるのか、と内心毒づきながら重女はおにぎりを一口食べる。

 「……!」

 凄く久々に食べるお米は、甘くて塩が効いてて、とても美味しかった。

 「美味しいでしょ? お母さん、料理上手なんだよ」

 智子が麦茶を注いでくれながら耳打ちしてきた。重女は微笑みながら頷いたが、その笑顔が凄く自然にできたことに驚いた。それ程までに料理が美味しく、また食卓を囲む人々の雰囲気が優しいのだ。
 これは重女が暫く忘れていた「家庭の味」だ。家族揃ってご馳走を食べる。ただそれだけ。だけど、とても大事な事。かつて母とアキラでちゃぶ台をかこんで食事したことを思い出し、もう身寄りのいない重女の心の奥底から懐かしさがこみ上げてきて、なんだか嬉しくなった。

 「この卵焼きも美味しいよ!」

 智子は重女の皿に綺麗な卵焼きを置いた。一口食べてみるとふんわりとした触感で、甘くて美味しい。お母さんの味だ。お母さんは料理が得意ではなかったけど、卵焼きだけは上手だった。

 「美味しい?」

 智子が問うてきた。さっきまで私は泥棒まがいの事をしていたのに、この子の笑顔にはそんな後ろめたさを忘れさせてくれる力がある。
 重女は作り笑いではない、心の底からの笑顔を浮かべた。

 ―――

 「本当に、お世話になりまして」

 玄関先にて、黒蝿がお辞儀するのと同時に、重女も同じく頭を下げた。全く、こいつはこんな声もだせるんだな。

 「いやなに、こちらも久々の客人を迎えての食事は楽しかった。また来ると良い」
 「うん、またおいでよ重女ちゃん!」

 智子の嬉々とした声に、陣内が少しだけ眉を寄せた。智子がこの素性の知れない娘に心を許し過ぎなのが気になるのだ。
 それを知らない重女は、最後まで好意的な智子の態度にはにかんだ。

 「もう遅いだろう。家まで送っていこう」
 「いえ、ご心配には及びません。ありがとうございました。……行くぞ」

 陣内の申し出を断り、黒蝿と重女は帰路へとついた。智子が手を振ると、重女もそれに答えて小さく手を振った。
 重女達の姿が見えなくなり、智子と裕子が家の中に入るのを見届けると、卓也は召喚管から一匹の悪魔を召喚した。

 「何か用? ご主人さま。ヒーホ!」

 よばれたのは、ハロウィンで作るようなカボチャの頭に黒い外套、小さなランタンを持った悪魔・ジャック・ランタン。

 「お前、あの二人の後を追え」
 「ええ!? 冗談はよしてよぅ! あの子はお嬢様のお気に入りだよ?」
 「いや、あの子は俺の書斎に入って何かしていた。そうだろ? 陣内」
 「ああ、それにあの“黒原”というやつ、どうもうさんくさい。もしかしたら俺と同じ人外の者かもしれない」
 「……ふむ、それは儂も感じていた。少なくともただの人間ではないようだな」

 須崎家男衆三人の意見が一致した。あの重女という少女はともかく、“黒原”の方は間違いなく何かある。食卓を囲んだ際と銭湯で観察したときから、陣内はそう判断していた。

 「……わかったよう。あの二人を追えばいいんだろ? オイラやるよぅ」

 ぶつくさと文句を垂れながら、ジャック・ランタンは重女達の後を追った。十分な距離を取り、灯りに気づかれないようランタンの中の炎を最小限まで小さくし、夜の闇に紛れ追跡する。しかし―――

 「あれ?」

 曲がり角を曲がった途端、二人の姿が消えた。ジャック・ランタンは必死に二人の気配を探したが、どこにも感じられない。まるでいきなり消えたみたいだ。

 「全く、だから嫌だったんだよ……オイラは追跡に向かないんだって」

 このまま帰ったら主である卓也に小言を言われるであろう。陣内には頭を叩かれるかもしれない。それを想像し、ジャック・ランタンは憂鬱な気分になった。
 その時、何者かの視線を感じ、ぎょっとしたジャック・ランタンは辺りを見回した。だが相変わらず誰の気配もない。

 「……オイラの気のせいかな?」

 なんの収穫も得られなかった悪魔は、召喚主の元へとぼとぼと向かった。
 その姿を、一羽の鴉が見ていたのを、ジャック・ランタンは最後まで気づかなかった。


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 国家機関ヤタガラスのとある支部のロビーにて、シド・デイビスは資料をめくっていた。
 新人のサマナー、職員用に作られた、自分が所属している機関の広報用の資料だ。
 そこには、主に国家機関ヤタガラスの仕事内容、ヤタガラスの歴史、そして組織の名にもなっている八咫烏についてが書かれている。

 「ミスター・デイビス、何を読んでらっしゃるのですか?」

 シドの部下の男が問いかけた。
 大柄な黒人種である老齢のシドとは違い、この男は小柄な黄色人種の若年の日本人である。

 「いや、たまたまテーブルに広報用の資料があったから目を通していただけだよ。神の遣いである霊鳥・八咫烏。昔は本当にいたんだな」
 「はあ……少なくともこの組織が設立された頃は、時の帝によって目撃されたと文献に残っております」
 「人ではない“何か”を崇める……それは洋の東西を問わず人々の健康的な精神活動である……と誰かが言ってたような気がするがな。この国は特に顕著だね」
 
 部下の男は首を傾げた。シドの言いたいことが何か分からないからだ。
シド・デイビスは何十年も前からヤタガラスで活躍しているベテラン中のベテランのサマナーで、男はつい数ヶ月前にシドの元に配属された新米のサマナーだ。
 数ヶ月共に行動していても、このシドという男はよくわからない。人当りの良い笑顔を浮かべてはいるが、時折ぞっとするような気配を漂わせているときもある。噂ではヤタガラスの暗部にまで関わっていると聞くが、この男の掴みどころのない雰囲気はそれが原因なのかもしれない。

 「で、私に何か用かい?」

 広報用の資料を閉じながら、シドは男に問うた。男は居住まいを正しながら答える。

 「は、例の“監視対象”ですが、先ほどやっと行方がわかりまして……どうやらこの時代にアマラ経絡を繋げた痕跡を見つけました」

 シドは眼鏡を外すと、めがね拭きで面を拭き、ゆっくりとかけ直す。

 「居場所は今、私の仲魔が調べておりますが、見つかるのは時間の問題でしょう。すぐに捕獲して……」
 「いや、その必要はない」

 す、とシドはロビーのソファーから腰を上げる。齢七十過ぎとは思えない長身とがっしりとした体躯は、典型的な日本人体型の部下の男とは比べものにならないほどの威圧感を放っていた。

 「まだ、泳がせておけ」
 「……何故、でしょう?」
 「君が知る必要はない。捕獲の際は私が直接出向く」

 シドは、笑みを浮かべた。微笑んでいるはずなのに、男にはその笑みが酷く冷たいものに見え、背筋が寒くなった。
 ロビーをあとにするシドに頭をさげ見送りながら、男はシドの英語の歌を聞いた。英語に明るくない男にはその歌はあまり聞き取れなかったが、それは、マザー・グースの「There was a little girl」であった。

―――

 ――ここは、どこ?

 重女の頭に浮かんだ単語は、まずそれであった。
 綺麗に舗装された道路には、車が沢山走っている。どれも重女の見たことのない車種で、数も多い。
 ビルもとてもスマートで立派なのが幾つも並んでいる。そこから出てくる人の多さ。今日は暖かいからか、皆薄着だ。下着みたいな服を着た若い女、アタッシュケースを持ったサラリーマンらしき男。麦わら帽子を被った子供と手を繋いで歩く母親。風景だけみれば重女の時代の繁華街を更に立派にしたもののようだが、それよりずっと人が多く色彩豊かで、どこか無機質な感じだ。
 いつもの癖で状況確認をしてみたが、今回はいままでのどれよりも重女のいた時代に近い。だが、ここは私の住んでいた時代ではない。
 日本であることは人々の話している言葉や看板の日本語でわかるが、建物や車や人々の服装や雰囲気が違う。こんなに茶髪の人は多くなかったし、空も輝度が下がっている。空気が妙に清潔すぎるし、匂いも全然違う。尖った音が大音量であちらこちらから聞こえてくる。

 ――恐らく、ここは私のいた時代より未来。黒蝿の言ってた通りだ。

 しかしどれくらい先の時代なんだろう? 車は空を走ってないし、ファッション以外には人々が昔よりすごく違うということはない。アメリカとソ連の第三次世界大戦は起こらなかったのだろうか? それとももう過去に起こってしまったのだろうか? それにしては街の様子は平和だ。宇宙旅行は一般人でも行けるようになったのだろうか。
 疑問は沢山あるが、まずは買い物を済まさないと。
 黒蝿が砂金を貴金属店に持っていき、この時代の貨幣に換金し、まずは日用品と食糧を買ってこいと金を渡した。
 あの換金の手慣れた様子、恐らくあいつはこの時代に来たことがあるな。時空を渡って悪さをしていたところをシドに捕まったと言っていたし、きっとそうだろう。
 ポケットの中の数枚の札を出し金額を確認する。この時代には五百円札がなく、五百円は硬貨に変わったし、千円札も五千円札も一万円札も図柄や大きさが変わっている。ここは日本のはずなのに、まるで知らない国に来たようだ。
 周りの異質な空気に気圧され、くらくらする頭を押さえ、重女は目の前の店らしき建物に足を踏み入れた。

 ―――

 「いらっしゃーせー!」

 自動ドアを開けて中に入ると、いきなり店員らしき男が声を張り上げたので少し驚いた。
 レジカウンターと思わしき壁の向こうで立っている男は、重女を一瞬ちらりと見ただけで、あとは話しかけてこなかった。嫌な顔もされなければ、歓迎されているようでもない。業務を果たすので忙しいらしく、重女に絡んでくることはなかった。
 クーラーが効いているのか、外より涼しい。店には音楽がかかっている。勿論重女の知らない歌だ。声の高い女性グループのアップテンポな曲。歌詞から察するに恋愛の歌らしい。
 店内には重女の他にも何人か客がいた。金に近い茶髪の人はいても、青い目の人はいなかった。
 他の人が通りすがるとき、やはり髪と目の色が珍しいのか、こちらに視線を寄越してくることはあったが、それだけであった。みんな自分の買い物のことで精いっぱいらしい。店員と同じだ。自分の容姿について色々聞いてくることも差別的な視線を受けることもないのは有難いが、みんな自分のことしか見えてないように重女の目には映った。
 しかし、ここは小さな店なのに、随分と品揃えが豊富だ。食料品はもちろん、本や日用品まである。広さは個人商店くらいなのに、重女の知っている近所のお店とは桁外れに品物が多い。その品物も、見たことのないものが多かった。まるで小さなデパートみたいだ。

 特に重女の目をひいたのは、菓子コーナーである。

 駄菓子のようなものから、ケーキまで揃ってる! ケーキなんて大きいお店に行かないと売ってないと思ってたのに! しかも安い! 一個大体三百円くらい。手持ちの所持金からすればかなり買える。重女は嬉々としてかごに幾つも入れた。
 ケーキの次は、あるモノを探す。この時代にもあるだろうか。

 (あった!)

 菓子コーナーの棚にそれはあった。細長い黒い長方形のスティック状のチョコ、スニッカーズだ。

 『良かった、あって……』

 スニッカーズを一本とってしげしげと眺めた。パッケージ自体はそれ程変わってないようにみえる。
 最後に自分で買って食べたのはいつだったか。多分シドと鞍馬山に行くより前だったような気がする。あの頃は母の死や何やらで忙しくてお菓子を食べる余裕なんてなかった。なら、それより前、ちょうど私の言葉が現実になってしまって、殆ど話さなくなった頃だろうか。

 「………」

 ふいに、悲しい思い出が蘇ってきた。私の言葉で起きた沢山の悪いこと、シドに「悪魔がとりついている」と言われ、母に暴言を吐いてしまったこと。そして母の死。アキラとの別れ、鞍馬山の地下で見た悲惨な光景――

 「……!!」

 胸の奥が見えないナイフで抉り取られたかのように痛くなる。ぎゅう、と胸元の十字架を握った。辛い時や苦しい時の癖。目もぎゅっと固く瞑り、心をしめる痛みに耐えた。

 ――私の声に悪魔なんて宿ってない、て黒蝿は言った。じゃあシドが嘘吐いたの? なんで?
 ………わからない。考えても始まらない。やはりシドに会わなくちゃ。会ってしっかり話をしよう。そのために今まで旅をしてきたのだから。
 でも、今は昭和何年なんだろう? 街並みやこの店を見ればわかるが、私が生きていたころよりかなり先の未来だろう。シドは、生きているのだろうか。

 〔……お次は、ニュースと気象情報です。今日トップのニュースは、2020年開催予定の東京オリンピックについて……〕
 「!?」

 店内のラジオが恋愛ソングからニュースに変わり、その第一声を聞いたとき、重女は持っていたスニッカーズを驚きのあまり床に落としてしまった。

 2020年!? 2020年て言った今!? しかも東京オリンピック開催予定って!?
 確か私が小さい時、東京オリンピックが開催されたと母から聞いた。幼かったので記憶に残ってないが、日本中が盛り上がり、母もラジオで大会の模様を聞いていたらしい。あの時は、えーとえーと……1964年! 昭和39年!
 じゃあ今は何年? さっきのニュースでは2020年開催予定と言っていた。じゃあまだこの時代の東京オリンピックは開催されてなく、だとすると今は2020年より前ということだ。まさかもう二十一世紀を迎えたの?

 がんがんする頭を押さえながら、重女は震える手で雑誌コーナーから新聞をとった。そして上に書いてある日時を確認した。
 そこには、平成2X年(20XX年)6月6日(土)と記してあった。

―――

 大量の菓子が入ったビニール袋を持ちながら、青ざめた顔で重女はコンクリートの道を歩いていた。
 道行く人々は、さっきのコンビニの店員のように少しだけ重女に視線を寄越したが、無遠慮にじろじろ眺めてくる者はいなく、皆働きアリみたく規則正しく目的地に向かって歩いている。
 一方重女は、まるで幽鬼のような表情で下をむいてとぼとぼと歩いていた。黒蝿のいる隠れ家に帰ることなど頭から抜けていた。

 (今は20XX年……元号も昭和ではなく「平成」というのに変わっていた……今は二十一世紀……じゃあ私は? 私はもう50過ぎのおばあちゃん!?)

 重女は慌てて顔に手を当てた。長い間の時間移動の旅で多少荒れてはいるが、手のひらに感じるのは弾力のある肌の質感であった。
 近くのショーウインドウのガラスで自分の顔を確認した。そこに映っていたのは、白髪の老婆、ではなく、金髪碧眼の十代の少女――まごうことなき自分の姿だった。
 とりあえず容姿は変わっていなかった。が、重女は酷く落ち込み、無性に泣きたい気持ちになった。

 ――もう14じゃない、本当は50過ぎのお婆さんなんだ……見た目は変わってないけど、物凄く年をとってしまった……どうしよう……いきなり老け込んだら……

 「はい! ではお次は「今日は何の日?」コーナーです! 今日6月6日はロールケーキの日! ロールケーキの「ロ」と、ロールケーキが断面が「6」の字に見えることからつけられたんですよお」

 やけに高いビルの壁面に設置された街頭テレビらしきものから呑気な女性の声が聞こえた。「平成」の時代のテレビはとても薄く、怖くなるほど大きく、色もカラーでびっくりするくらい鮮やかだ。
 6月6日……ロールケーキの日……

 「それと、ホラー映画で有名ですが、新約聖書のヨハネの黙示録に登場する「獣の数字」が666……それにちなんで「悪魔の日」なんて言われたりしますね」
 「やだもう明石さん、そんな怖い事言わないでくださいよ! 今日お誕生日の方、こわがっちゃうじゃないですかあ」

 あ、と重女は頭の中で声をあげた。

 『そうだ、六月六日は、私の誕生日だ……』

 雑踏の中で、重女は立ち止まり梅雨直前の空を見上げた。六月六日は自分の生まれた日……。
 過去から来た声と名を奪われた少女は、今日、十五回目の誕生日を迎えた。

 ―――

 「俺は日用品と食料を買ってこいと言ったんだ。誰がこんなに菓子を買ってこいと言った?」

 繁華街から離れた廃神社。その社に足を踏み入れると、そこはアパートの一部屋であった。
 重女が作った影の結界の様子である。その結界は主の重女の深層意識に刻まれた、自分が生まれ育った六畳一間のアパートの部屋の幻影を造りだしていた。
 そこで重女は黒蝿に怒られていた。言われたとおりのものを買ってこないでお菓子ばっかり買ってきたのだから当然だ。重女は親に叱られる子供のように首をちぢこませていた。

 『ごめんなさい……』

 はあ、と黒蝿が盛大に溜息をつく。黒蝿は自分の生きていた時代から、この時代までに何があったか把握しているのだろうか。それと……

 『ねえ、私、何歳に見える?』
 「はあ?」

 いきなりの質問に黒蝿は素っ頓狂な声をあげた。いきなり何を言い出すかと思ったら……。しかし目の前の少女は真剣な顔でこちらを見ている。

 「……十四、五のガキ」

 見たままを言っただけだが、重女の顔は目に見えて明るくなり、嬉しそうになる。なんでこいつは喜んでるんだ。まともに買い物もできなかったくせに。

 「お前反省してるのか?」
 『う、うん! 勿論!』

 そう念波で送ってきても、重女は嬉しそうな顔を崩さない。それどころかがさごそとビニール袋をあさりロールケーキを取り出した。

 『今日六月六日はロールケーキの日の日なんだって。一緒に食べよ』
 「いらない」

 即答した黒蝿に重女は少しムッとしたが、すぐにケーキのプラスチックのカバーを外し、一緒に袋に入っていたフォークで勝手に食べ始めた。凄く久しぶりに食べたケーキは、濃厚な甘さで舌を痺れさせた。

 「……そういえば、六月六日はお前の誕生日だったか」

 重女は驚きのあまりフォークを動かす手を止めてしまった。

 『なんで知ってるの!?』
 「東のミカド国で、お前の中からアキラのマグネタイトを奪ったときに知った」

 弟のアキラと悪魔合体プログラムにて合体した弊害で、重女は記憶の混濁が酷かった時期があった。その時黒蝿は重女の体内にあったアキラのマグネタイトを吸い取ることで、やっと重女を正気に戻させた。
 マグネタイトには必ず持ち主の感情や記憶が付随する――それなら、アキラの記憶の中から、姉である重女の誕生日を知ったとしてもおかしくはない。

 『……祝ってくれるの?』
 「馬鹿言え。なんで俺がお前の誕生日を祝わなきゃいけないんだ。買い物すらろくにできない小娘に」
 『………だから、ごめんってば』

 なんとなく腹が立った黒蝿は、重女のフォークを奪い、ケーキの欠片を食べた。あ、という抗議の念波を送る間もなく黒蝿はケーキの欠片を食べてしまった。
 人間とは味覚が違う黒蝿は、そのケーキが美味いとはとても思えなかった。なんで人間はこんなもんを食いたがるのか理解に苦しむ。

 『な、なにすんのよ!』

 顔を真っ赤にしながら抗議する重女に黒蝿は不思議そうな顔をした。なんでこいつは赤くなってんだ?

 「そんなに食い意地が張ってるのか」
 『そうじゃなくて!』

 ひったくるように黒蝿からフォークを奪うと、重女はじーと眉間に皺を寄せてフォークを凝視している。

 「? なんで食わないんだ?」
 『いや……その……』

 再び真っ赤になって重女は俯いたまま黙ってしまう。その心理が黒蝿には全く理解できなかった。
 影の結界内には、現代に来てしまった少女とその仲魔が、ケーキと菓子の甘い匂いが漂った空間で、息苦しい誕生会を開いていた。

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