往来―all right―別館【俺屍サマナー】

俺屍+デビルサマナー=俺屍サマナーというダブルパロ(クロスオーバー)小説を扱っております。俺屍に登場する神々や鬼を現代で使役していたら・・・という発想で生まれたいわゆる三次創作小説です。俺の屍を越えてゆけと真・女神転生シリーズ(主にⅣ)の設定を独自に融合させて捏造しております。女神転生や俺屍の人物名称や設定をかなり変更しております。こういったのが苦手な方は閲覧をご遠慮下さい。 やたノ黒蝿とサマナーになってしまった少女の物語です。

カテゴリ:俺屍サマナー > 第一章

 走る、走る。良く晴れた初夏のある日、小柄なセーラー服の少女が大きな紙袋を持ちながら走っていた。その姿はどこか楽しそう。
 目指すは河川敷のベンチ。そこに「あの人」がいる。今日は日曜で、よく晴れているから、必ずいるはず。
程なくして目的地のベンチに着いた。

 やはり「あの人」はいた。

 肩と同じくらいの、先端が少しはねている金色の髪は、日の光を反射してキラキラ輝いていたし、肌理の細かい顔の青い瞳は、眼鏡を通して手元の本に注がれている。あれは、聖書だろうか。
 少女がベンチに座る。金髪の少女は視線を本から外し、隣に座ったセーラー服の少女の顔を見上げた。

 「お待たせ、九楼さん! 今日は部活があって遅くなっちゃった」

 少女ににっこりと笑いかけられて、九楼、と呼ばれた少女は笑みを浮かべた。
 だけどその笑みは、初めて会ったときと同じく、どこかぎこちない笑みだった。

―――

 少女の中学校に「変わった」転校生が来たのは一月前。
 金髪碧眼の眼鏡をかけた美少女。それだけでも充分注目されるのに、更に彼女にはもう一つ他人とは違う事があった。

 彼女は、声を出せない。

 担任の教師曰く、彼女は昔事故にあい、その時声帯を傷つけてしまい、そのせいで声を出すことができないのだとか。
 その傷を隠すためか、彼女の首には包帯が巻かれていた。

 容姿共々異彩を放つ少女の名は、「九楼重女」というらしい。
 くろうかなめ。綺麗な名前だ。

 ホームルームが終わると、早速九楼さんの席を女子達が囲んで、彼女に沢山質問していた。
 「九楼さんて前はどこに住んでいたの?」「綺麗な金髪だよね、生まれつき?」「どこかの国のハーフ?」「英語喋れる?」「兄弟いる?」等々。
 その質問責めに、九楼さんは困ったような笑みを浮かべて、ノートにサラサラとペンを動かす。
声は発せないが耳は聞こえるらしいので、質問の回答を一つ一つノートに書いていく。

 それをちら見したところによると、
 九楼さんは、前は神奈川県の横浜市に住んでいて、弟が一人いたが今はいなく、金髪なのは生まれつきではなく、とある事情で黒髪から金へと変わった……と書いてあった。
 声帯を傷つけた事故といい、何やら彼女の家庭には、ただならぬ事情があるようだ。

 予想以上の重たい回答に面食らったのか、九楼さんを囲んでいた女子達がそっと離れていく。
 チャンスだ。

 「九楼さん!」

 少女が明るい声で話しかける。その声に驚いたのか、眼鏡ごしの青い瞳が少し揺れた。

 「私、篠宮茜。図書委員なの」

 少女――篠宮茜が笑顔でそう告げると、九楼さんはぺこり、と頭を下げた。その顔は緊張のせいかやや強張っている。

 「九楼さん、本とか好き?」

 こく、と九楼さんは首を縦に振る。青い瞳がこちらを見つめてくる。澄んだ海のような青。その瞳の色に当てられて、茜はどぎまぎしてしまう。

 「良かったら、昼休み図書室案内するよ。どう?」

 九楼さんは頷いた。顔には相変わらずぎこちない笑みが浮かんでいたが、茜は嬉しかった。
―――

 去年改装したばかりの図書室は、新しい木材と古い本の香りが混ざり、二人の少女の鼻孔をくすぐった。
 大きめの窓から日差しが降り注ぎ、物言わぬ少女の顔を照らす。きらきら。絹糸のような金の髪が光り、じっと本を探している九楼さんの周りは、空気の色が違うように茜には感じられた。

 胸が、ドキドキする。顔が赤くなる。

 なぜ同性である九楼さんにこんなに目を奪われるのか。なぜこんなに動悸が激しくなるのか。

 そうだ、今読んでいる小説のヒロインに彼女は似ているのだ。
 金髪碧眼の戦う乙女。敵陣に真っ先に乗り込み、聖なる剣で悪魔を斬り付ける、美しく、強い、ヒロイン。
 私はそのヒロインが好きだった。ヒロインのように強くて綺麗な女性になりたかった。

 今、目の前にそれがいる。

 小説から飛び出してきたかのような容姿の少女――首に包帯を巻き、背筋を伸ばして本棚の前に立つ、凛として美しい、九楼重女という少女――。

 ちら、と重女が此方を見た。眼鏡ごしに向けられた視線には、少しの困惑が伺える。
 いけない、私、見とれていた。

 「どんな本を読んでるの?」
 茜が重女に近寄る。此処は歴史書の本棚だ。九楼さんは歴史が好きなのかな。重女の手には分厚い本。茜はその本のタイトルを見る。

 【図解入り、世界の兵器とその歴史】……なにこれ?
 「…………」

 重女はその本を持ったまま貸出しカウンターへと歩く。

 「あ、それを借りるんだね。待ってて。私が手続きするから」

 茜がカウンターに入り、本を受け取る。本を開き、貸出しカードを抜く。
 歴史の古いこの図書室は、まだ貸出しカードに名前を書いていた。改装に合わせてバーコードも取り入れてはいるが、それでもこういう古い本には、まだ対応していない。

 「…………」

 貸出しカードには誰の名前もなかった。今までに借りた者が一人もいなかったのだ。
 一番上の空欄に、九楼重女、と書く。不思議な感覚だった。「世界の兵器とその歴史」だなんて本、華奢な九楼さんのイメージに合わない。

―――

 「九楼さんは、小説とか読む?」

 学校からの帰り道、九楼重女と篠宮茜は河川敷のベンチに座っていた。
 夕日が川の水面に反射し、きらきらと光っている。

 「………」
 
 こく、と重女が頷く。重女の青い瞳は水面に注がれている。夕暮れの紅い光が彼女の細面の顔に陰影をつけている。

 「例えばどんな? 恋愛小説とか?」

 そう問われ、重女はボストンバッグの中をごそごそと探る。
 随分大きなバッグだ。全部の教科書と筆記用具を入れても半分も埋まらないだろう。九楼さんは部活をやっていないのに、まるで合宿にでも行くかのようにそのバッグはパンパンだ。何が入っているのだろう。

 やっと九楼さんがバッグから一冊の本を取り出した。
 随分古い本だ。黒いハードカバーの装丁のその本は、ところどころ傷が付いている。タイトルは……

 「the New Testament.……新約聖書?」
 九楼さんが頷く。
 「九楼さんて、クリスチャン?」
 九楼さんは首を振った。そして、筆談用のノートにペンを走らす。

 [子供のころ近所の神父にもらった]
 [日曜れいはいにいったらくれた]

 「へえ、教会に行ったことあるんだ。でもなんだかしっくり来るな。だって九楼さんにはそういうの似合いそうだもん」
 でも、と苦笑しながら茜が続ける。
 「これは小説じゃないよ。もっとこう…ラノベとか読まない?」
 九楼さんは首を傾げながらノートに書いていく。

 [らのべってなに?]

 おや? 九楼さんはラノベを知らないんだ。だけど意外だとは思わなかった。寧ろ彼女は、ハードカバーの重厚な本が似合いそう。

 「えっとね、例えばこういうのとか…」
 茜が鞄の中から幾つか文庫本を取り出した。漫画調のイラストが表紙の学園ファンタジーものだ。
 「こういうの好き?」
 九楼さんはちょっと困った顔をしている。しまった、強引だったかな。

 [こういう本はじめて見たけど、せっかくだから読みたいとおもいます]

 重女の回答に、茜の顔が明るくなる。

 「じゃあ、今度家から本を持ってくるよ! ラノベ以外にも純愛小説とかファンタジーとかミステリーとか!」

 まくし立てる茜に、重女は目を大きくするも、そっとはにかんでみせた。
 その微笑は歳相応の柔らかい笑みで、茜は重女との心の距離が少し縮んだように感じられ、嬉しくて笑みを返した。

―――

 篠宮茜と九楼重女が仲良くなるにつれて、周りの子からは、「九楼重女は変な子」という風評がたった。

 ある女子の証言によると、九楼重女は校庭の隅でカラスに餌付けしていたとか。
 またある男子の証言では、図書室の歴史書の本棚を、本を取りもせずずっと睨んでいたとか。
 またある子の証言では、休み時間に、何やら必死に「図解・世界の兵器とその歴史」を読みながら、本に書かれている兵器を精密にスケッチしていたとか。

 そういった奇行が目立つようになって、クラスの皆は九楼さんに話しかける事をしなくなったし、給食の時間でも、皆は仲の良いグループ同士で机を合わせて食べているのに、九楼さんだけが自席で黙々と食事をしていた。
 みかねた茜が、こっちへおいでよ、と話しかけても、九楼さんは首を横に振った。茜の心配をよそに、彼女はこの状況をちっとも気にしていないようだった。

―――

 「九楼さんて、強いんだね」

 日曜日。河川敷のベンチにて、茜はそう言った。
 あの日、帰り道で一緒にここで座って話したときから、日曜日にここで、茜が本を持ってきて九楼さんに読んで貰うのが習慣になっていた。
 平日は茜も部活や委員会で忙しいし、九楼さんは下校のチャイムが鳴るとさっさと帰ってしまう。だから、お互いが比較的に暇な曜日――日曜日にここの河川敷のベンチで会おうと約束したのだ。
 断られるかと思ったけど、九楼さんは了承してくれた。お陰で日曜の楽しみができた。

 [つよいって、なんで?]

 九楼さんがノートにペンを走らせる。会話のテンポは悪いが、慣れてしまえばどうってことない。

 「だって……九楼さん休み時間も給食のときも下校も独りだし……。でも全然平気そうだし、そういうの凄いと思うの」
 [なぜ]

 「……だって、皆独りが怖いから。だから皆同じような髪型をして同じような会話をして、皆で給食を食べて皆で帰ったり、遊んだり……グループの付き合いていうの? そういうの本当は苦手なんだけど、でも、独りで行動する勇気は私にはないから……」

 長々と話す茜の言葉を、重女はじっと聞いていた。重女の青い瞳が眼鏡を通して茜の横顔を見つめている。

 [あなたはあなた]

 重女がそうノートに書いた。茜が重女の顔を見る。が、澄んだ青い瞳に当てられて俯いてしまう。

 [ひとりが平気なひとなんていない。わたしもひとりぼっちはいや]

 さらさら、字が追加されていく。右上がりの癖のある字。

 [でも、あなたが話しかけてくれたから、わたしはさみしくない。本をかしてくれてわたしはうれしい]

 書き終わり、重女は顔を上げてぎょっとした。隣の少女が泣いていたからだ。
 
 「い、いや、違うの! 何でだろう、涙が止まらないの。へ、変だよね。あはは……」

 茜の目の前に、白いハンカチが差し出される。くしゃくしゃのハンカチ。差し出したのは、金髪碧眼の首に包帯を巻いた、声を発せない眼鏡の少女。

 「あ、ありが、と……っ」
 最後の方は嗚咽が混じってきちんと言えなかった。ぽろぽろと涙が溢れて止まらない。

 [なにがかなしいの?]

 ノートに書いた字を重女が見せる。じっと、茜の顔を凝視している。

 「ち、ちが、うの……なんだか、嬉しくて……こ、こん、な、事言ってもらえて、う、嬉しいの……」

 その間にも涙は止まらない。ついにはしゃっくりまで出てきた。
 私の憧れの人が、私の行動を「嬉しい」と言ってくれた。それだけなのに、胸が温かくなる。学校の友達と居る時には持ち得なかった感情。この充実感。とても心地よい。

 「九楼さん、私、貴女に出会えて嬉しい……」

 九楼重女は川面を見ながらその言葉を聞いた。
 篠宮茜が泣き止むまで、重女はずっと、静かにベンチに座っていた。

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 『今日未明、陸上自衛隊真駒内駐屯地の弾薬倉庫から9mm自動拳銃一丁と銃弾十数発、手榴弾数個が盗まれる事件が発生しました。自衛隊は…………』

 いつもの日曜、篠宮茜は約束の時間より少し遅れて河川敷のベンチへと向かっていた。

 (まずい……寝坊しちゃった)

 茜はひたすら走る。九楼さんがスマホか携帯を持っていたら事前に連絡出来たのに。
 彼女は携帯もスマホも持っていない。茜が自分のスマホを見せると彼女は酷く驚いていた。

 [小型の懐中電灯?]

 重女がそうノートに書いてきたのを見て、今度は茜が驚いた。今時スマホを知らない中学生なんているのだろうか。
 茜は深く追求しなかった。人様の家庭の事情にずかずかと足を踏み入れてはいけない。
 でも、九楼さんがスマホを持っていたら、通話は出来なくてもメールやラインが出来たのに。彼女は顔文字を使うのだろうか? きっと彼女はシンプルな文体だろう。茜はそう妄想し、自然に顔がにやけてくる。

 ベンチが見えた。茜の足が早くなる。

 「九楼さん、ごめんなさい! 今日寝坊しちゃって……?」

 そこまで言って茜は口をつぐんだ。ベンチに座っていたのは、金髪の少女ではなく、黒いロングコートを着て鳥打帽を被った、長身痩躯の男だったからだ。
 男が、視線を手元の本から外す。鳥打帽から覗く切れ長の瞳が、茜を射ぬいた。
 その男が手にしている本が、重女に貸したライトノベルだと分かり、茜は身体を強張らせる。

 「あいつは来ない」

 ぱた、と男が本を閉じて、此方を向く。

 「え? あの……」
 がさがさ、と男が本を紙袋に入れる。あの紙袋、私が九楼さんに先週貸したときに本を入れてあった……

 「ちょっとドジを踏みやがって、あいつは今怪我をしている」
 「え!? け、怪我!」

 男がベンチから立ち上がる。随分背が高い。初夏に相応しくない黒い革のロングコートと、黒の鳥打帽から見下ろす金色の瞳が、茜を怯えさせた。
 この人は何者なんだろう。なんだか恐い人だけど、何故この人は九楼さんに貸したはずの本を持っているのだろう。「あいつ」とは九楼さんの事だろうか。もしかして……。

 「あの……九楼さんのお兄さん……ですか?」
 「ああ?」

 低い声が響き、茜の顔に緊張が走る。男はそんな茜を一瞥しながら「……違う」と吐き捨てた。

 「只の同居人だ」

 同居人?  家族の方ではないのか? そういえばこの人と九楼さんは全然似てない。強いていえば、瞳の雰囲気が、九楼さんが時々見せる眼に少し似ている……

 「篠宮茜」
 「はい!?」
 いきなり名前を呼ばれ、茜が肩を震わす。

 「………お前に聞きたい事がある」

 男がベンチから離れ、茜に近づく。一歩、二歩。

 「き、聞きたい事?」

 茜が怯えながら聞き返す。今日は暖かいのに、この男の周りだけ空気が冷たく、影が濃いように茜は感じた。

 「お前の父親は、烏丸コーポレーションに勤めているな」

 男がまた一歩近づく。茜は後ずさる。この人、ただの人じゃない。
 隠しきれない鋭い険は、一般人のそれとは明らかに違う。警察? それとも、ヤクザ?

 「わ、私の父がどうしたんですか?」

 声が震える。男の鋭い視線を浴びながら、茜の頭の中で警鐘が鳴っていた。
 この人、ヤバイ!

 「お前の父親は、烏丸コーポレーションに勤めている。それで間違いないか?」
 「そ、そうですけど……」

 ふむ、と男が口元に手を当てる。逃げ出したいのに、膝が震えて立っているのがやっとだ。
 この人は九楼さんの「同居人」のはずだ。それなのに何故父の事を聞いてくる? そもそも九楼さんは何故此処に来ていない?  怪我をしたとこの人は言った。なんで怪我をしたのだろう。まさか、この人が暴力を奮って――?

 混乱する茜を男はじっと見ていた。口を開きかけたその時。

 ワン!

 犬が男に向かって吠えた。

 男が犬の方向に目を向ける。
 犬を連れて河川敷を散歩していたジャージ姿の初老の女性は、怪訝な目で男と茜を見ている。全身黒づくめの男の姿は目立つ。女性の目には、怪しい男が少女を拐かそうと見えたのかもしれない。

 「………」
 罰が悪そうに、男はベンチへと戻り、紙袋を持って来て茜に差し出す。

 「あいつがお前に返すようにと」

 紙袋には、茜が九楼重女に貸していたライトノベル数巻が入っていた。異能の少女が悪魔をやっつける学園ファンタジーものだ。
 
 「………」
 茜は黙って受け取る。手の平に紙袋の重みが伝わり、がさ、と紙袋が鳴る。

 「面白かった、と、そう伝えてくれと頼まれた」

 全く感情の込もっていない声で男が告げる。
 茜はそれを聞いて、そんなことを頼まれるなんて、この人は九楼さんと本当は親しい関係なのではないかと推測する。

 男が背を向け、そのまま歩いていった。

 茜は暫く動けなかった。冷や汗が背中を伝う。あの恐い人、一体何者なの? 何故父の会社の事を聞いてきたの? そして何より、

 あの人、本当は九楼さんのなんなんだろう――。


―――

 翌日の月曜日、いつものように大きなボストンバックを持って、九楼重女は登校した。
 教室に入ってきたとき、茜やクラスの皆は絶句した。重女の頭と左手に包帯が巻かれていたからだ。

 「九楼さん!」
 茜が駆けつける。重女は静かに席につくと、張り付いたような笑みを浮かべた。
 「本受け取ったよ。怪我したって本当だったんだね……」

 茜がそっと耳打ちする。

 「あの恐い人に怪我させられたの?」
 重女は首を振って、筆談用ノートにペンを走らせる。

 [かいだんからころんだの]

 「嘘。あの人言ってたよ。「ドジを踏みやがって」って。何かあったんでしょ」
 その問いに、重女は困ったような笑みを浮かべる。
 「……ねえ、もしかして、あの黒くて恐い人……九楼さんの彼氏?」
 重女が不思議そうにノートに書き足していく。

 [かれし?]

 え? 九楼さん、スマホといいまさか彼氏の意味も知らないの?

 「えっと……なんていうのかな、恋人、て意味だよ」

 途端、重女の顔が物凄く嫌そうに歪んだ。

 [遠いしんせきのおじさん]

 殴り書きされたその文字は、重女の不機嫌を表すかのように荒々しかった。
 おじさん? 茜が首を傾げる。あれ? 昨日のあの男の人は「家族じゃない」て言っていたような。それにおじさんというよりはお兄さんぽかったけど……

 「………」

 重女が茜を見上げる。大きな青い瞳は眼鏡ごしに茜を睨んでいた。
 この瞳、やはり昨日のあの人と似ている――

 「あ、あの、色々事情があるかもしれないけど、困ったことがあったら相談してね。ホント、暴力とか許せないから!」

 重女は苦笑する。どうやらこの子の中では私は「あいつ」と恋人同士で、「あいつ」から暴力を受けているという設定らしい。
 本当は違うのだが、そう誤解させておくのも悪くない。

 [ありがとう]

 作り笑いを浮かべながら、重女はそう書いた。
 茜が嬉しそうにはにかんだ。

―――

 土曜日、茜は部活が休みだったので、重女をショッピングに誘った。
 私服で来てね、という茜の頼みに、彼女はやや眉を寄せながらも了承した。
 待ち合わせは新しく出来たショッピングモール。茜は青いワンピースを着て軽い足取りで向かっていた。
 重女さんの私服が見れる。そう考えると自然と顔が綻ぶ。
 彼女はどんな服を着てくるのだろう。日曜に会うときも、彼女はいつも無個性な紺のセーラー服姿しか来てこなかったから、私服を見るのは初めてだ。きっと、ふわふわした女の子らしい格好だろう。ワンピースかロングスカートかな。色はきっと白だろう。

 茜の淡い期待は、しかし待ち合わせ場所にいた少女に裏切られた。

 モール内の柱に寄りかかりながら本を読む少女――九楼重女は、黒の半袖のタートルネック、ベージュのカーゴパンツ、ゴツいブーツという出で立ちだった。首から下げた錆びた十字架のペンダントは、アクセサリー……なのだろうか。

 (あれは……なに? 軍服コスプレ?)

 想像の遥か斜め上の重女の格好に、茜は声をかけるのを忘れてしまう。
 
 「…………」

 重女が茜の方を向いた。眼鏡の奥の青い瞳が大きくなり、唇の端を上げてこちらへ向かってくる。
 昼下がりのショッピングモールから完全に浮いている金髪碧眼の少女に、茜は苦笑いを浮かべるしかなかった。

―――

 二人の少女が歩く度、通行人の視線が突き刺さる。一人は青いワンピースのショートカットの少女。もう一人は、金髪をたなびかせながら、軍靴を踏みしめる眼鏡の少女。
 妙な組み合わせの少女二人組に、通行人が好奇の視線を向けるのは当然だった。
 ひょこ、ひょこ。重女の歩き方は少し変だ。茜は一体どうしたのだろうと思い、隣の少女の足元を見る。もう怪我は治ったはずなのに。
 重女の軍靴――茜にはゴツいブーツに見えた――や服装は、良く見ると大きい。あれはもしや男物ではないか。

 「ねえ、どうして男物の服と靴を履いているの?」
 「!」
 思わず茜が尋ねると、重女ははっとしたように顔を向けた。

 「っ………!」

 白い顔が真っ赤になり、唇は震えて、視線を泳がせながら重女はもじもじする。こんな彼女の顔は初めて見る。

 (しまった、聞いてはいけなかったんだ)

 「あ、いや、それはそれで似合うとおも……」
 茜の言葉が終わる前に、重女は目の前の服屋に飛び込む。
 「九楼さん!?」

 怒ったような顔をして、いきなり入ってきた少女に、店員も目を丸くした。
 そして重女は、手に持っていたノートにペンを走らせると、店員に見せた。

 [この子とおなじものを]

 重女が茜のワンピースを指さす。今度は茜がぎょっとした。
 「九楼さん……?」
 目をしばたかせる茜をよそに、程なくして店員がワンピースを持ってきた。

 「生憎こちらのタイプしか置いてなかったもので……」

 店員が差し出したのは紫色のバッスルタイプのワンピース。襟元が白でリボンが黒だ。
 「ご試着なさいますか?」
 重女は頷く。

 試着室に入っていく重女を、茜は呆然と見ているしかできなかった。
 考えてみれば、彼女がどんな格好をしてようと彼女の勝手なのだ。それなのに私はあんなことを言ってしまって、九楼さんを怒らせてしまった。あの古い服も、大きすぎる靴も、九楼さんにとっては大切なものだったのではないか?
 自分の発言の思慮の浅さに、茜は自己嫌悪に陥った。

 そうして重女が試着室に入り、十分以上が経過した時、ようやく試着室のカーテンが開いた。

 「わあ……!」

 茜の顔が明るくなり、感嘆の声を上げた。
 青みがかった紫の膝丈ワンピースは、彼女の白い肌と金髪によく映えて似合っていた。

 「…………」

 重女がスカートの裾を握りもじもじしている。ちら、と茜の方に困ったような視線を向けた。

 「九楼さん! 凄くよく似合うよ! まるで雑誌から出てきたみたい!」

 重女は一瞬きょとんとした表情を浮かべたかと思うと、今度は真っ赤になって顔を俯かせる。

 「それ買いなよ。値段もそんなに高くないし、重女さんにぴったりだよ!」

 茜が誉めまくると、重女が顔を上げて照れながら頷いた。

 (重女さんて、こんな顔もするんだ)

 頬を赤く染めながら微笑む重女を見て、茜は重女への印象を、綺麗な女の子、から、親しみやすい可愛い子、へと変わった。

 紫のワンピースの上で、重女の十字架のペンダントがきら、と光った。


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 満月の夜、とある中学校の図書室。見回りの用務員の足音が去っていく。
 九楼重女は、図書室の本棚の上でじっと身を潜めていた。

 足音が聞こえなくなり、約二十分。そろそろいいか。

 音をたてないよう、本棚の上から床に足をつける。そして、物陰に隠しておいたボストンバックを脇に寄せる。
 チャックを開けると、其所には、真駒内駐屯地から強奪した一丁のジグ・ザウエル、弾丸の箱、手榴弾三個、そしてストーンの入ったピルケース、彼女の戦闘服であるベージュのカーゴパンツに黒のタートルネックに聖書。
 
 「………」

 セーラー服を脱ぎ、カーゴパンツとタートルネックを着ながら重女はため息をつく。

 真駒内駐屯地での戦闘は全くの想定外だった。

 本当なら市ヶ谷駐屯地にアマラ経絡を繋げるはずだったのに、空間が歪み、遥か北の真駒内駐屯地に飛ばされてしまった。
 経絡を繋ぐための計算は合っていたのに、市ヶ谷には辿り着けなかった。彼処にはどうやら強力な結界が貼ってあるようだ。近づくことすらままならない。

 やはり彼処に、無限発電炉「ヤマト」があるのは間違いないようだ。

 ちり、と頭の傷痕が痛んだ。真駒内駐屯地に配置されていた悪魔との戦闘で負った傷。
 さすがに強い悪魔ばかりだった。なんとか仲魔全員を召喚して切り抜けたが、そのせいで大量のマグネタイトを消費してしまった。
 早くマグネタイトを補給しないと。私はマグネタイトを生成できない。だから他の悪魔から奪わなくては。

 『黒蝿』

 念波で重女は呼び掛けた。
 コンプを使わなくても召喚可能な、重女が現世に縛り付けている唯一の仲魔。

 図書室の影が膨らみ、やがてその影は、黒い翼を携え、深緑の長髪に黒い法衣を着用した男の形になった。
 
 「なんだ」

 黒蝿、と呼ばれた男は答えた。鴉を連想させる兜の下、切れ長の瞳が重女を見据える。

 『用務員はきちんと校外へ出してきたんでしょうね』
 「ああ、「くらら」かけて風で外に運んだ」

 重女は頷きながら、髪を縛り、「お守り」の十字架のペンダントを首からさげる。これで呪殺防止になる。

 「あのひらひらした服は着ないのか?」

 にやにやしながら問う黒蝿に、重女は本を投げつけた。が、黒蝿はひらりとかわした。
 暗い図書室では表情は見えにくいが、重女の顔が赤くなっているのが黒蝿には分かった。

 『あんな服、戦いには向かない』

 スニーカーの紐を結ぶ。この学校に潜入するために買った、足にぴったりの靴。あの大きすぎる軍靴では、戦いの時動きにくい。真駒内駐屯地での戦闘で経験済みだ。

 にやつく黒蝿の視線に苛つきながら、重女はジグ・ザウエルに弾倉を入れる。

 ――全く、こいつが篠宮茜を怯えさせたせいで、危うく築き上げた信頼を失うところだった。そうなれば“人質”につかうところじゃなくなるというのに、余計な事をして!

 「あの服、要らないなら捨てればいいだろうに」
 黒蝿がそう言うと、重女はじろりと睨んだ。
 『……いざというときに包帯に使えるかもしれないでしょ』

 淡々と念波を送る重女だが、黒蝿は知っていた。彼女があの服を買ってから包装から出しもせず、袖も通さずに大切に保管していることを。

 『なに?』
 「いや、別に何も」

 くつくつと笑う黒蝿を睨みながら、ジグ・ザウエルの安全装置を解除する。

 「…………」

 重女は左手を床につけ、目を瞑る。眼鏡が少しずれ、眉間に皺が寄る。
 すると重女の影が広がり、図書室全体を覆い尽くす。部屋が闇に包まれたかと思うと、次の瞬間、闇は霧散し、元の図書室が姿を現す。
 結界が張れた。見た目は前の図書室と変わらないが、重女の唯一の能力、“影の造型魔法”によってこの部屋は結界によって遮断された。これで誰も侵入出来ないし、誰も逃げれない。
 
 『此処よ』

 重女が指差したのは、歴史の本棚。
 気付いたのは、篠宮茜に連れてこられた時。その時は小さな違和感しか感じなかった。その後、何度か通ううちに、違和感の正体に気付いた。

 それは、悪魔のマグネタイトの気。

 初日は弱く、気にも止めなかったが、日が経つにつれて、それはどんどん大きくなっていった。
 これだけのマグネタイト、奪ってものにすれば、「時間遡行」に必要なマグネタイトの量に届くかもしれない。

 「確かにいるな」

 黒蝿が本棚に手を翳す。すると空間がグニャリと曲がり、図書室が姿を消した。
 代わりに現れたのは、天井から床までぐにゃぐにゃした血管のようなものに覆われた、悪魔の結界。

 かたかた、かたかた。
 一つではない、複数の物が揺れる音が辺りに響く。
 重女と黒蝿は悪魔に囲まれていた。

 悪霊・ポルターガイスト。
 丸い顔にハニワのような黒い目二つと口一つの霊が、洋製の椅子にくっつき、それをガタガタ揺らしている。数は、およそ二十体。

 「小物だな」
 黒蝿がつまらなそうに言う。
 『分かっている。こいつらじゃない。本体は奥にいる』

 結界の更に奥、あの靄の向こうにこの悪霊共の親玉がいる。

 『とっとと倒してマグネタイトを貰うわよ』

 重女が聖書を手にする。黒蝿は肩を竦める。

 「良く言うぜ、実際に戦うのは俺だろう」
 『できる限りサポートはするわ。それに、分かっていると思うけど殺すんじゃないよ』

 ジグ・ザウエルを構えながら重女は言う。

 「俺が弱らせて、お前がマグネタイトを奪うんだろう」
 
 頷く重女に黒蝿はため息をつく。

 こいつがマグネタイトを生成できれば、こんな面倒な戦いをする必要などないのに。
 だが黒蝿にはマグネタイトが必要だ。彼女に真名を奪われている限り、彼は現世に縛り付けられ、異界に帰る事もできない。
 現世にいる限り、マグネタイトを定期的に摂取しないと自らの形を保てない。またこいつと出会った時の、蝿のような姿に逆戻りはごめんだ。

 『来る!』
 重女が身構え、黒蝿も戦闘態勢をとった。ポルターガイストの群れが二人に一気に襲いかかる。

 さあ、悪魔狩りの始まりだ。

―――

 篠宮茜が夜の学校に来た時、ゾクッと寒気が走った。

 只でさえ夜の学校とは不気味なものだが、この寒気は不気味さとは少し違う。
 例えるなら、全く知らない所に迷い込んで、幽霊に出会ってしまったような、得体のしれない感覚。
 鳥肌のたった腕を握りしめ、茜は校舎へと足を踏み入れた。早く教室へ行って数学の教科書を持ってこよう。あれがないと明日の小テストの勉強が出来ない。

 来客用のブザーを押す。応答がない。あれ? 用務員さんには連絡しておいたのに。

 「すいませーん……」

 呼び掛けながら扉を押す。するとキィ、と音がして扉が開いた。

 「?  鍵が開いている?」

 そのまま茜は校内に入る。

 (なんか怖い……さっさと帰ろう……)

 上履きに履き替え、茜は廊下を歩く。暗い。用務員さんはどうしたのだろう。
 非常灯に照らされた廊下は、いつもより一層不気味に感じた。

―――

 黒蝿のザンがポルターガイストを襲う。

 「うわあ!」

 ポルターガイストが飛ばされ、弱りきったところを、鋭利な形に変化した重女の影が突き刺さる。

 「……!!」

 刺さった影がポルターガイストのマグネタイトを吸いとる。重女は聖書を握りしめ、マグネタイトと共に、身体に流れてくる悪魔の思念を受け止めていた。

 痛いいたいイタイ――!!

 悪魔の思考は単純だ。人間と違って、快と不快しかない。
 重女の身体を触媒にし、影で吸いとったマグネタイトを、握りしめた聖書型コンプに補給する。やり方は簡単だが、マグネタイトと共に悪魔の感情まで流れ込んでくるのはなかなかキツイものだ。
 マグネタイトを奪われたポルターガイストの群勢は消え、残りは一体。
 膝をつき、荒い呼吸を繰り返しながら、重女は吸いとったマグネタイトの計算をする。

 まだ足りない。こいつらは小物だ。もっとマグネタイトを手にするには、やはり奥の親玉から奪うしかないようだ。

 「か、勘弁してくれよお!」
 生き残りのポルターガイストが叫ぶ。
 「ほ、ほら、これやるから見逃してよ! ね?」

 そう言いながらポルターガイストが投げて寄越したのは、八百万針玉。
 黒蝿がアギを放とうとするのを、重女が手で制する。

 「おい?」
 『こいつには、親玉のところへ案内してもらいましょう』
 ジグ・ザウエルをポルターガイストに突き付け、重女が言う。

 「な、なんだよお!」
 『殺されたくなかったら、とっとと親玉のところまで連れていきなさい』

 ポルターガイストの表情は変わらないが、とりついているチェアがガタガタと揺れた。

―――

 「ここか」

 複雑な悪魔の結界の最深部、黒蝿と重女はポルターガイストに連れられ、一つのドアの前にいた。
 見た目はなんの変撤もないドアだが、其処から嫌なマグネタイトの気が漏れ出している。

 「…………」

 重女が聖書を開く。頁に手を触れると文字が光り、コンプが作動する。

 「ひ!」
 嫌な気配を感じたのか、ポルターガイストが暴れ、重女と黒蝿の元から逃げ出した。

 『!』
 「逃げたぞ!」

 重女がジグ・ザウエルの引金をひく。銃弾がポルターガイストの横に着弾する。外した!

 『この!』
 狙いを定めて二発、三発と放つが、全て外れた。舌打ちした重女がポルターガイストの後を追う。

 「待て! 深追いするな!」

 黒蝿が重女を止めようとする、が、途端、すぐ後ろのドアが開き、強い衝撃波が放たれる。

 「!」

 衝撃波をもろに受け、重女とポルターガイストが結界の外に飛ばされる。

 (しまった! )

 重女が飛ばされた事により、図書室に張った影の結界が破れてしまった。図書室の窓を突き破り、重女の身体は廊下へと転がる。

 「あの馬鹿!」
 黒蝿が追いかけようとするが、目の前に巨大な肉の塊が現れる。幾つもの人間の顔が集まった、醜悪な赤黒い塊――

 悪霊・レギオン。この図書室に巣くう悪魔の親玉。

 「ち!」
 レギオンの攻撃をかわしながら、黒蝿が舌打ちする。

 「俺一人でこいつをやれってのかよ!」

―――

 「な、何!?」

 篠宮茜は、教室でその音を聞いた。
 今、何かが割れる音が聞こえた。なに? 図書室の方から?

 茜は数学の教科書を鞄にしまい、そっと廊下に出る。
 廊下に出て、右に曲がれば図書室だ。なんだか焦げ臭い。一体何が……。

 ドン! ドン!

 低い衝撃音が聞こえてきて、茜の身体がびくっと震える。
 今のは何? 銃声?

 かたかたかた……。何かが震える音が近づいてくる。

 「な、何? なんなの!」

 立ったまま動けない茜に、曲がり角から洋製の椅子が飛んでくる。

 「きゃあ!」

 悲鳴をあげ、思わず手で顔を覆った茜だが、予期していた痛みは襲ってこなかった。

 「……?」

 茜が恐る恐る目を開く。
 すると視界に飛び込んできたのは、
 非常灯に照らされた、小柄な身体、ゴムがほどけ、乱れた金髪。軍服に似た服を着て、右手に拳銃、左手に聖書を持った――

 「く、九楼さん!?」

 茜の姿を見て、重女の眼鏡の奥の瞳が見開かれた。

 ――篠宮茜、なぜ此処に!


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 言葉というのは不便でもあり、便利でもある。
 声を出せないということは、失言もないし、拷問で情報を吐かされる心配もない。しかし逆を言えば、嘘で取り繕ったり、誤魔化したりすることが出来ないと言うことだ。

 「九楼さん?」

 篠宮茜が心配そうに重女の顔を覗き込む。
 夜の保健室。月明かりが窓から差し込み、ショートカットの少女と、薄汚れた軍服の眼鏡の少女を照らしだす。

 茜と目が会う。戸惑っているのだろう。無理もない、一般人が悪魔と出会って平気なはずがない。

 「…………」

 そっと、手元の聖書型コンプを握りしめる。
 あの時、ポルターガイストが茜を襲おうとしたとき、銃を打つのを躊躇い、思わずコンプを作動させ、ポルターガイストを無理やり収容してしまった。銃を打てば茜に当たるかもしれなかったからだ。しかしそのせいで余計な仲魔が増えてしまった、と重女は内心ため息をつく。

 かた、かたかたかた………

 「きゃ!」

 廊下から物音がして、茜は蹲る。重女は険しい顔をして身構える。茜の腕を引っ張って保健室に避難したものの、既に廊下には悪魔が跋扈している。
 図書室に張った影の結界は、結界の主である重女が吹き飛ばされたことにより解けてしまった。そのせいで今や校舎中に悪魔が溢れている。校舎全体に結界を張れなかったのは、重女の力が不足していたからだ。

 (さっき吸いとったマグネタイトの量なら……)

 重女が保健室の床に手を付ける。顔が苦悶に歪む。影が広がり、保健室だけではなく、校舎全体を包む。

 「く、九楼さん……?」
 突然暗くなった保健室に茜は怯え、様子がおかしい重女に思わず話しかける。

 「……!」
 重女の身体がぶるりと震えた。と同時に闇が晴れ、元の保健室が姿を表す。これで校舎全体に結界が張れた。
ぐら、と重女の身体が傾く。それを茜が思わず受け止める。

 「だ、大丈夫? 九楼さん……」

 月明かりに浮かぶ重女の顔は、明らかに苦しそうだ。呼吸も荒く、身体が冷たい。
 目を開いた重女は、茜の身体から離れた。まるで警戒しているように。

 ちら、と茜は重女の右手を見た。暗くてよくわからないが、あれはもしかして拳銃ではないか?

 「九楼さん、一体何があったの?」

 問いかけても重女は答えない。当然だ。彼女は声を発する事ができないのだから。
 分かっているはずなのに、茜がそう聞いてしまったのは、先程の行為といい、重女の様子が明らかにおかしい、と感じたからだ。
 何故、彼女は夜の学校にいるのだろう。何故そんな格好をしているのだろう、そして、何故銃を持ってそんな切羽詰まった顔をしているのだろう?

 「…………」

 重女は茜の顔をじっと見ていた。篠宮茜は戸惑いと怯えを隠せずにいる。

 こんな時、声が出せないのは不便だ。声を出せれば、篠宮茜にこの状況を誤魔化して説明したり、あるいは慰めの言葉を吐いて彼女を安心させる事ができたかもしれないのに。
 だが、私はもう声を出せない。私の声と本当の名は黒蝿に奪われてしまったのだから。
 仲魔や悪魔に送るように、人間相手に念波は送れない。いや、一つだけ送る方法はあるが、それは黒蝿が傍にいないとできない方法だ。
 重女はポケットを探る。デビルスリープは切らしていたが、デビルバインドの石があった。重女はそれを茜に投げつけた。

 「え?」

 石が当たると、茜の身体が突然動かなくなる。まるで見えない縄で縛られたように。

 「え、な、なにこれ!?」
 指一本動かせない状況に、茜は軽い恐慌状態に陥る。
 「く、九楼さん!?  一体何を!?」

 重女は目を伏せ、手元の聖書を開くと、そこに手を翳した。すると、突然二つの光の玉が出てきて、やがてそれは二人の小さな男の子に変わった。

 『紅、白』
 「あい」

 紅と白と呼ばれた二匹の妖精は、狸に似た獣耳と尻尾を震わせ答えた。

 『この子をこの部屋から絶対に出さないで』
 「うん、わかった」

 紅梅白梅童子に念波を送る重女を、茜は怯えながら見ていた。

 ――な、なんなの!? あの本からいきなり人が出てきたし、身体は動かないし、一体何が起きているの?

 茜の怯えた瞳を向けられながら、重女は弾の切れたジグ・ザウエルを床に捨てた。そして、先程ポルターガイストから貰った八百万針玉を手の平に乗せ、目を瞑る。
 すると手の平に影が集まり、やがてそれは銃身の長い狙撃銃の形になった。図書室で借りてきた「図解・世界の兵器とその歴史」に描いてあった狙撃銃だ。
 影の造型魔法の応用だ。頭にイメージした物体を造り出せる魔法。今まで刀や他の無機物は沢山作ってきたが、銃を造り出したのは久しぶりだ。一発打つだけで形は崩れ、しかも精度がイマイチという欠点はあるが、今はこれで充分だ。

 「…………」

 紅梅白梅童子に囲まれ、すがるような瞳を向けている茜に背を向け、重女は保健室から飛び出した。

 「九楼さん!?」

 後ろから茜の声が聞こえたが、重女は振り返らなかった。

―――

 『猿、牛頭丸』

 コンプを作動させ、二体の仲魔を呼び出した。
 聖書型コンプが光り、中から赤ら顔の猿の顔を持ち、着崩した着物を着た魔獣、石猿田衛門と、赤いしめ縄と褌姿の半牛半人の魔獣、八坂牛頭丸が現れた。

 「お呼びで? 姐さん」
 『猿と牛頭丸は校舎内の悪魔を掃討して』

 廊下の先を指差して重女が命ずる。
 廊下には悪魔がひしめいていた。悪霊・ポルターガイスト、クイックシルバーに、夜魔・ザントマンまでいる。

 「姐さんは?」
 『私は黒蝿の援護に向かう』
 先程造った影の狙撃銃を構え、重女は言う。

 「獅子丸を召喚しないノ?」
 牛頭丸の問いに重女は首を振る。
 『もうマグネタイトが残り少ない。獅子丸を召喚できるだけは残っていないわ』

 校舎内に結界を張って、更に三体も仲魔を召喚してしまったのだ、雷王獅子丸程の強力な仲魔を呼び出せる程のマグネタイトが残っていない。
 ぎり、と重女は奥歯を噛み締める。

 やっぱり私は「アキラ」程の力はない――!

 悪霊の群れが重女達を襲う。

 「おりゃあ!」
 「モォォ!!」
 
 田衛門がモータルジハードを振るい、牛頭丸が体当たりをかます。二体の攻撃を受けた悪霊の群れは、あっという間に消える。
 ここはこいつらに任せれば安心だ。私は早く黒蝿のところへ向かわないと。

 重女は踵を返し、親玉のいる図書室へ走った。

―――

 ズズン……と大きな振動が伝わってきて、茜の恐怖心はますます大きくなった。
 保健室の薬品棚が揺れ、机の上のペン立てが床に落ち、かしゃん、と鈍い音をたてた。

 「ひ!」

 その音にびくついた茜を見て、紅梅と白梅はくすくす笑う。

 「怖いの?」

 紅梅が茜の顔を覗く。
 平常時なら可愛らしい幼子の顔も、今の茜にとっては恐怖の対象でしかなかった。
 逃げ出したいのに身体が動かない。先程重女によって謎の石を投げつけられてから指一本動かせない。身体の自由を奪われて、更に傍には獣耳を生やした二人の幼子。この異常な状況に、茜は叫び出したいのを必死に我慢した。

 「大丈夫だよ。主様がやっつけてくれるから」

 白梅が紅梅の横に並んで言う。

 「だって主様デビルサマナーだしねえ」
 「怖いよねえ」
 「でも優しいよ」
 「優しいよね」

 けらけら、けらけらと二匹は笑う。笑う二匹の後ろで尻尾がゆらゆら揺れる。

 「デビル……サマナー?」

 今聞いた言葉を茜は反芻する。紅梅白梅が更に面白そうに笑う。

 「そ、デビルサマナー」
 「悪魔召喚師」
 「悪魔を使って、悪魔をやっつけるの」

 何が楽しいのか、きゃっきゃと赤と白の幼子がはしゃぐ。

 「そ、れは……つまり……九楼さんが、正義の味方、て事?」

 必死に絞り出すように言った茜の声に、二匹はピタッと止まる。

 「ナイショだよ」
 「秘密だよ」

 紅梅が、茜の右の耳元で囁く。吐息がかかってくすぐったい。

 「主様はね、ダークサマナーなの」

 「だ、ダークサマナー?」
 おうむ返しに聞いてきた茜の左耳に、今度は白梅が囁く。

 「悪魔を使って悪いことをするデビルサマナーのことだよ」
 「主様は、悪魔を使って壊そうとしているの」

 茜の身体の両側から、紅梅と白梅が語る。幼い二匹の妖精は、一般人である茜に自らの主の秘密を話すことになんの罪悪も感じてないようだ。

 「こ、壊す? 何を?」

 目を大きくさせながら茜が問う。どくん、どくん。緊張のせいか、恐怖のせいか、茜の心臓が早鐘を打っていた。

 「ヤタガラス」
 「超国家機関ヤタガラス」
 「デビルサマナーを管理している組織」
 「主様の敵」

 雲が晴れ、窓から射す月明かりが一層強くなる。紅梅と白梅が手を繋ぎ、真剣な表情で茜に語る。

 「主様は、ヤタガラスに仇なす者」
 「秩序を乱す者」
 「闇に足を踏み入れたもの」
 「自らの欲望で悪魔を使役するもの」
 「だからヤタガラスからこう呼ばれているよ」

 「黒暗召喚師、て――」


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 悪霊・レギオンが、紫煙乱打を黒蝿に放つ。
 黒蝿は宙を舞い、それを全てかわした。

 「あの馬鹿、一体何処まで行ったんだ!」

 ポルターガイストを追いかけて、ザンの衝撃で図書室から吹き飛ばされた重女は、もう20分近く戻ってこない。
 結界の主であるあいつが飛ばされた事により、図書室に閉じ込めていた悪魔が校舎中に放たれてしまった。
 先程校舎全体に結界を張る気配がした。きっとあいつだろう。
 最初から校内に結界を張っておけば、こんなに長く無駄な戦いをする必要などなかったなのに。それをしなかったのは、あいつの状況把握の甘さと能力不足が原因だ。

(本当弱い奴だな)
ウインドブレスを避けながら黒蝿が胸中でごちる。

 宙に舞いながら黒蝿のザンダインがレギオンに命中する。
 一瞬、レギオンの身体が衝撃波によって震えたが、それだけだった。レギオンは赤黒い幾つもの顔をにやつかせ、再び黒蝿へ攻撃を再開する。

 「こいつにはザン系の魔法は効かないのか」
 ならば――。

 「アギダイン」

 黒蝿の手から火炎が生まれ、炎はレギオンを焼き尽くす。
 しかし、炎はすぐにおさまり、レギオンはまたしても大したダメージを負ってないようだ。

 (ザンとアギに耐性があるのか)

 黒蝿がそう分析するより早く、レギオンの肉の手が黒蝿の腕に絡まりつく。

 「しまっ……!」

 絡まりついた肉の手から、黒蝿のマグネタイトが吸われていく。
 レギオンの肉の手はしつこく、再びザンダインを食らわせてもなかなか外れない。
 
 「ち!」

 黒蝿はザンの衝撃波を乗せて、レギオンを思いきり蹴り飛ばした。
 やっと腕が自由になったが、吸魔によって大分マグネタイトを持っていかれた。
 よろめく黒蝿に、再びレギオンが紫煙乱打をぶつける。
 
 その時、黒蝿の周りを影が覆い、影が盾となってレギオンの攻撃を防いだ。

 「……やっと来たか」

 そう言って黒蝿は視線を後ろに回す。
 そこには、ポルターガイストの首根っこを捕まえ、黒い狙撃銃を携えた九楼重女が立っていた。

 「遅いぞ」
 「…………」

 それには答えず、重女はポルターガイストに銃口を向ける。

 「ひ、ひい!」
 『八百万針玉をあと十個』

 ガタガタ震えるポルターガイストは、重女の言われるがままに八百万針玉を口から十個吐き出す。吐き出された十個の八百万針玉に、重女の影がまとわりつくと、やがてそれは十挺の銃に変化した。

 レギオンが唸り声をあげて襲ってくる。

 重女は右手の狙撃銃の引き金をひき、八百万針玉をレギオンに命中させる。八百万針玉が、レギオンの肉の顔に幾つもの穴を空けていく。

 狙撃銃の形は崩れ、元の影へ戻った。

 休む間もなく、先程造った影の銃を手にとり、再びレギオンに向かって発砲した。
 打つ。崩れる。また打つ、また形が崩れる――。そうして十挺の影の銃を打ち終わった時、レギオンは既に瀕死の状態で、ただの肉塊と成り果ててた。

 「……お前が吹き飛ばされなければ、こんなに戦いが長引くこともなかったんだぞ」
 『五月蝿いよ』

 ぴしゃりと念波を送り、重女はズボンの背中に挟めてあった聖書型コンプを取りだし、死に体のレギオンに向かい、その赤黒い肉塊に、手で直接触れた。

 「何をしてる」

 黒蝿が咎めるように言うが、重女は無視した。
 もうマグネタイトを吸いとる影を作れるだけの力が残っていない。ならば直接悪魔に触れ、マグネタイトを吸いとるしかない。

 「―――!!」

 身体中に、レギオンの怨念と痛みが伝わってくる。

 苦しい、痛い、憎い、恨めしい、何故あいつが、殺してやりたい――全てこのレギオンを形作っていたもの、この学校の生徒達の負の感情が溜まり、そして悪霊・レギオンを生み出したのだ。

 重女の身体が海老反りになり、電流を流されたかのように痙攣する。脂汗が顔に滲み出て、苦痛に身を支配されても、重女の口から悲鳴は出せない。
 声を奪われた少女は、喉から苦し気な呼吸音を発するだけ。

 ――ねえ聞いて、寂しいの、苦しいの、とても痛いの、憎いの嫌なの殺したいの――。

 気を抜けば途切れそうになる意識を必死に保ち、重女はレギオンの感情を浴び、マグネタイトを吸いとった。
 マグネタイトを全て奪われたレギオンは現世から消滅した。

 滝のような汗を流し、息も絶え絶えに蹲る重女の右手を黒蝿は見た。
 右手は、レギオンの瘴気にやられたのか、焼け爛れている。

 「無茶をする」

 そう言って、回復術である「円子」をかけようと黒蝿の手が重女の右手を掴む。が、重女は振りほどこうともがく。

 「大人しくしてろ」
 『いい、大した怪我じゃない。後で紅と白に治してもらう』
 「馬鹿が、いいからじっとしてろ!」

 そう怒鳴られて、重女は渋々右手から力を抜く。
 溜め息を吐きながら、黒蝿が「円子」を右手に施す。

 「…………」

 その様子を、重女は額に脂汗を浮かべながらじっと見ていた。
 焼け爛れた右手は、下から新しい肉が盛り上がり、皮膚は細胞が分裂し、やがて元の健康な右手に戻った。

 「…………」
 右手を握ってみる、うん、痛みはもうない。

 『もう大丈夫』

 そう答えた重女は、青白い顔で、呼吸もまだ荒い。先程レギオンの感情を一身に受けたダメージが蓄積されているんだろう。

 「……もっと要領の良いやり方もあるだろう」
 『私は弱いから、こうするしか他に方法はないの。知ってるくせに』

 むすっと反論する重女に、黒蝿が何かを投げて寄越す。反射的に掴んだそれは、癒しの水の入った小瓶。

 「…………」

 訝しげな重女を、黒蝿は一瞥した。
 
 「まだやることがあるんだろう。今お前に倒れられては困る」

 その言葉を聞いた重女は、渋々癒しの水を飲んだ。
 確かにこいつの言う通り、まだここで倒れるわけにはいかない。猿と午頭丸を迎えにいかなくてはならないし、そして何より、保健室に閉じ込めた篠宮茜を解放しなくては。

 重女が癒しの水を飲んでいる姿を、黒蝿は眉を寄せ、不機嫌そうに見ていた。

―――

 廊下から絶え間なく聞こえていた衝撃音と、何かが割れる音、獣の雄叫びが聞こえなくなって、何分たっただろうか。

 保健室の扉が開かれると、土埃と火薬の匂いが篠宮茜にかかった。
 扉を開けて入ってきたのは、薄汚れた少女と、黒い翼を生やした黒い男だった。

 「主様おつかれ!」
 「おつかれ!」

 紅梅と白梅が跳ねるように重女に近づき、甘えるように足に絡まりつく。二匹の頭を撫でたあと、重女は茜に向かってパトラストーンを投げつけた。
 身体の自由が戻った茜は、床に捨ててあったジグ・ザウエルを拾い、銃口を扉の少女に向けた。

 「!」

 重女と黒蝿が息を飲む。紅梅と白梅がびくつき、重女の背の裏に隠れた。

 「九楼さん……ねえ、ダークサマナーて、悪魔を使って悪い事をしてるって、それって、本当…?」
 「……!」

 重女が一瞬驚愕の表情を見せる。が、次の瞬間、凄い形相で背中の二匹の妖精を睨む。

 「わあ! 主様怒ってる!」
 「怒ってるよう!」
 「青梅食べさせられるよう!」
 「嫌だよう!」

 黒蝿の背に逃げるように隠れた紅梅白梅を、重女は聖書を開き、コンプを作動させ、無理矢理収容した。

 「本当なんだね……。だから、悪魔を使って学校をめちゃくちゃにしたの……?」

 かたかた、かたかた。茜の全身が震え、それに合わせて銃口が揺れる。茜の鼻孔に、コンクリートが崩れたような匂いと、硝煙と、獣臭さと、微かな血の匂いが届く。
 目の錯覚だろうか、茜には目の前の少女が、黒い影と翼を纏った、小説の挿絵の悪魔そっくりに見えた。

 「なんで……ねえ、どうして! どうしてなの!? 何か言ってよ! 答えてよ!」

 錯乱している茜は、重女が声を出せないことを忘れ、問い詰める。
 月明かりだけの保健室は暗く、重女の表情は茜には見えない。しかしもし見えていたら、重女が寂しそうに顔を歪めたのが分かっただろう。

 「く、九楼さんは……私の憧れの人で……強くて…正義のヒロインで…なのに……なんで! なんでよ!」

 ぽろぽろと茜の眼から涙が溢れる。血の匂いと、煙と、険しい視線を向けてくる黒い男の存在が、茜の恐怖心を増幅させた。
 私の憧れの九楼さんは、銃を持ったりしない、悪魔を召喚したりしない、悪魔を使って学校をめちゃくちゃにしたりしない――

 『そう、私はダークサマナー。悪魔を使い欲望を満たすものよ』

 茜の頭に、低い「男」の声が響いた。頭蓋骨を振動させ、脳に直接届くそれは、扉の前に立つ金髪の小柄な少女が発していると解った。

 「おい、俺の声を使うなと言っただろうが」

 黒蝿が嫌そうに重女に言う。

 私だって使いたくて使っているわけじゃない。人間相手に念波を送るには、黒蝿が近くにいることと、こいつの声を借りてしか送れない。
 前につけていた咽喉マイクも壊れてしまったし、他に方法があるならとうにやっている。じゃなきゃ誰がこんな気色悪い方法を選ぶか。

 「な……な、に…? これ?」

 目の前の「少女」が、低い「男」の声で私の頭に話しかけてくる。「男」の声で「女」の言葉を使っている――!?
 恐怖が増し混乱が頂点に立ちそうな茜に、一歩、二歩と重女が近づく。

 『その引き金を引いたら貴女は戻れなくなる。本を読んで感動することも、買い物を楽しむことも、何も感じられなくなってしまう』

 突きつけられた銃口に構わず、重女は黒蝿の声で茜に呼びかける。もとより弾の切れたジグ・ザウエルなど、突きつけられてもなんの脅威もない。

 「あ、あ……」

 混乱で頭がおかしくなりそうだ。茜の身体の震えが益々酷くなり、目は恐怖で大きく見開かれたまま。その間にも、金髪の少女はどんどん近づいてくる。

 『貴女は、こちら側に来てはいけない』

 そっと、銃の先を握り、そのまま重女は茜の手を下ろさせた。
 茜の黒い目と、重女の青い瞳が重なる。眼鏡の奥の青い瞳は、少しだけ悲しみが浮かんでいた。

 「九楼さん、貴女は……」
 『違う。私の名前はそれじゃないの。私の本当の名は……』

 ちら、と重女が後ろの黒蝿を見る。黒蝿は眉を寄せて二人の少女を見ている。
 重女自身も思い出せない自分の本当の名前。それはあいつに奪われてしまった。命の代償に、声と一緒に。
 そして、重女も黒蝿の真名を奪った。意図せずではあったが、そのせいで黒蝿は異界にも帰れず、本来の力と姿を取り戻せない。

 『感じる心、それってとても大切だよ。それを無くしちゃ駄目』

 茜の頭に響く低い男の声。それを発している首に傷を負った、本当の声と名を失った少女が、ふ、と微笑み、茜の背に手を這わせる。

 『ありがとう。茜』

 茜がその言葉を理解すると同時に、首に衝撃が走った。
 暗転する視界の端に、眼鏡の少女が、悲しそうに微笑んでいるのを見ると、次の瞬間に、茜の意識が闇に包まれた。

―――

 気絶させた茜を保健室の床に寝かせ、重女はそっと立ち上がった。

 「そいつを人質に使うんじゃなかったのか」

 黒蝿が問いかけると、重女は無表情のまま振り返った。

 『この子を連れて、このまま烏丸コーポレーションに向かう。この子の父親はまだ会社にいる?』
 「ああ」
 『なら、行くよ』

 じっと、黒蝿が重女を見つめる。重女はその視線を受けながら『黒蝿』と念波を送った。

 『私は貴方を死ぬまでこきつかってやるから。決して離れないように縛りつけておくから、覚悟して』
 「何を今更。俺だってお前に死なれたら困る。俺もお前から離れない」
 『……なら、いい』

 気絶した篠宮茜を担ぎ上げ、黒蝿が黒い翼をはばたかせる。
 すると黒い風が発生して二人を包み込む。

 風が収まると、そこには誰もいなかった。重女も、黒蝿も、篠宮茜も。

 後に残ったのは、悪魔との戦いで、窓ガラスが割れ、壁のあちこちに殴ったようなヒビや、抉れた跡があちこちに付いた、傷だらけの校舎だけだった。続きを読む

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