往来―all right―別館【俺屍サマナー】

俺屍+デビルサマナー=俺屍サマナーというダブルパロ(クロスオーバー)小説を扱っております。俺屍に登場する神々や鬼を現代で使役していたら・・・という発想で生まれたいわゆる三次創作小説です。俺の屍を越えてゆけと真・女神転生シリーズ(主にⅣ)の設定を独自に融合させて捏造しております。女神転生や俺屍の人物名称や設定をかなり変更しております。こういったのが苦手な方は閲覧をご遠慮下さい。 やたノ黒蝿とサマナーになってしまった少女の物語です。

タグ:アキュラ

 「…………」

 大天使の繭の傍に集まったアキラ達は、皆沈黙を保っていた。
 誰一人口を開く者はいない。サムライ衆も、キヨハルも、雷王獅子丸も、“ミノタウロスの間”から召喚した八坂牛頭丸も、そして黒蝿とアキラも。

 『我らの最終目標は、アキュラ王と合体し、神の戦車熾天使メルカバーになることです』

 重女の眼鏡の盗聴器から拾った四大天使の音声が、機械から発せられた時、皆は一斉にアキラの方を見た。
 音声をオープンにし、此処に集まった皆に聞こえるよう命じたのはアキラだ。
 その機械から予想外の言葉が聞こえてきた瞬間、アキラは驚愕に顔を歪ませた。以来ずっと言葉を発しない。何かを考えているように。
 黒蝿はそんなアキラをじっと見ていた。

 『…らわしい……ビトだわ……』
 『……早く……浄化しなければ』
 「!」

 新しい音声が聞こえてきた。四大天使の声だ。アキラをはじめ、皆は機械にばっと顔を向け、耳を傾ける。

 「キヨハルさん! もっと音声を大きくして!」
 「う、うん!」

 キヨハルが音量のつまみを最大に回す。ノイズ混じりの音がスピーカーから流れる。この声は恐らくガブリエルだろう。そしてその後ろに、微かに少女の悲鳴が聞こえる。

 「……姉ちゃん!?」

 アキラはキヨハルの隣に駆け寄り、必死の形相でスピーカーに耳を近づけた。
 なんだ? 中で何が起こっている? 姉ちゃんは? 四大天使様は一体姉ちゃんに何をしたんだ――?

―――

 天使の光に精神と肉体を組み敷かれても、重女は必死で抗った。
 歯を食いしばり、天使達を鬼の形相で睨み、影の刃を作り出し攻撃を続ける。しかしその威力は先程より遥かに弱い。影は大天使に届かず消えてしまう。

 「こ……の!」

 抗えば抗うほど激痛が走る。だけど屈するわけにはいかない。私が倒れたら、こいつらはアキラを騙して消滅させてしまう。それはさせない! あの子は私が守って見せる――

 『嘘つき』
 「!?」

 懐かしい声が耳朶を打った。いつの間にか、辺りは繭の中ではなく、見知ったシドの古びた教会だった。ステンドグラスから夕暮れの光が差し、十字架に磔にされたキリストと、その前に立つ小さな少年を照らし出す。光を浴び、少年の金髪がきらきらと光る。

 『姉ちゃんは、僕を置いていったくせに』

 ぞっとするほど冷たい声で、少年――アキラは重女に言った。その姿は鞍馬山に出発する直前の、八歳の子供のままであった。

 『姉ちゃんが僕を置いていかなければ、僕はこんな酷いめに合わずに済んだのに』

 ぐにゃり、と景色が変わる。暗い街並み、荒れ果てたビル群、血を流し倒れる人々。武装した深緑のスーツの軍団が悪魔と戦っている。その中でも一際小柄な身体な少年が剣を奮っていた。

 (アキラ!?)

 悪魔の攻撃に晒される弟を目の前にし、重女は思わず口を覆った。別世界に渡り悪魔討伐隊に入ったとは聞いていたが、まさかこんなにも激しいものだったなんて。
 アキラの脇腹に悪魔の爪が掠る。赤い血が噴き出る。

 「やめて!」

 叫ぶとまた景色が変わった。どこかの地下倉庫のようだ。幾つもの布団が敷いてあり、何人もの子供達が寝ている。その内の一つの布団にアキラが寝ていた。シドから貰った十字架を握りしめながら、涙を流していた。

 『姉ちゃん……早く……会いたい……』

 枕が涙で濡れていた。それを見た重女の目にも涙が浮かんだ。それは頬をつたりぽたりと足もとに落ちた。

 『嫌い、大っ嫌い! お母さんなんか死んじゃえばいいんだ!』

 次に聞こえてきたのは自分の声だ。かつて住んでいた古いアパート。そこで母に暴言を浴びせる自分がいた。
 ショックを受け、打ちのめされた母。そして翌日、車にはねられて死んでしまったお母さん。謝罪もできずに、もう二度と会えなくなってしまったお母さん。
 重女は顔を両手で覆い、膝をついた。かしゃん、と眼鏡が床に落ちる。

 「ごめんなさい、ごめんなさい……アキラ、お母さん……本当に、ごめん……」

 泣きながら何度も何度も謝罪の言葉を口にした。目の前には四人の人間が立っている。八歳のアキラ、デモニカスーツに身を包んだアキラ、王の装束に身に纏ったアキラ。そして血まみれで脳漿を剥き出しにし、腸をはみださせている母。
 三人の弟と母は、泣きじゃくる少女を見下ろしている。

 『許しを請え』
 『神を崇めよ』
 『穢れた身を清めよ』
 『贖罪せよ』

 それぞれの口から厳格な声が発せられた。それはもはやアキラの声でも母の声でもなかったが、重女は気づかず泣きながら謝り続けた。徐々に自分の存在が希薄になり、頭の中が白く「塗りつぶされて」いるのにも気づかず。

―――

 「…………」

 じっと、アキラは組んだ両手を額にあて、眉を寄せて黙っている。
 そのあまりに真剣な姿に、キヨハルも、サムライ衆も声を掛けられなかった。
 先程から繭の中からは、重女の泣きじゃくる声と四大天使の声が交互に聞こえてきた。どうやら重女は四大天使に”浄化”という名の洗脳を受けているらしい。しかも恐らく暴力的に。
 姉を何よりも大事に思っているアキラのことだ、すぐにでも重女を奪還しようと繭に突進するかと思いきや、一言も発さずずっと何かを思案している。
 迷っているのだろうか? とキヨハルは思った。四大天使は幼いころから彼が信仰してきた存在だ。彼らの理想を叶えるために別世界からきて、神の千年王国――東のミカド国まで建設したほどだ。
 まさか、彼は実の姉の奪還よりも、大天使達と合体し、神の戦車、熾天使メルカバーになる道を選ぶのか?
 神学を学んだ身としても、キヨハルには大天使達の言い分は傲慢にしか聞こえなかった。アキラと四大天使が合体し、メルカバーへと進化したとしても、アキラは消える。それでこの世界がより良い方向へ変わるのかもしれない。主の御心とやらに沿うのかもしれない。だが――

 「お前、まさかあの天使どもの言いなりになるのか?」

 ばっと、アキラが声の聞こえた方向へ、伏せていた顔を向けた。キヨハルも、サムライ衆も、獅子丸も牛頭丸も声の主――黒蝿の方を向いた。黒蝿は拘束されながらアキラを睨んでいた。

 「天使の言うことを実践して、神に祈って、お前が手に入れたかったのはなんだ? あんな奴らの為に死ぬことが目的か? 随分と下らないもんだな」

 両側を拘束していたサムライの手を払いのけ、黒蝿はアキラの方へ近づく。誰も止めようとはしなかった。アキラの視線と黒蝿の視線が交差する。

 「俺はこの国やお前がどうなろうが知ったことないが、俺はあいつに死なれては困る。それに大天使どもも気に食わない。だから俺はあいつを助け出し、大天使どもも殺す」

 ばさり、と黒い羽根を広げ、黒蝿は飛び立とうとした。

 「……待てよ、悪魔」

 そんな黒蝿の背に向かって、アキラは呼びかけた。黒蝿が振り向く。キヨハルもその横顔を凝視する。

 「さっきから聞いてりゃ好き放題言いやがって」

 やや怒りを込めた、しかししっかりとした口調でアキラは黒蝿に言い返す。誰も口を挟む者はいなかった。皆がアキラと黒蝿を凝視している。

 「僕は、姉ちゃんを見捨てない。ここまで僕が生きてきたのは、全てが姉ちゃんの為だった。だから僕は殉教なんてしない、神の戦車になんかならない、僕の命は、姉ちゃんの為にあるんだ」

 き、とアキラは周りの皆を見渡す。その表情は、数年前、この国を建設しようと宣言した時と同じ、凛々しく「王」の風格を表すものであった。

 「アキュラ王が命ずる! これより、繭の中にいる我が姉の奪還と、四大天使の捕縛作戦を開始する!」

 王の命を受け、サムライ衆が応! と力強く応ずる。キヨハルと仲魔である獅子丸と牛頭丸が目を合わせ頷く。
 黒蝿はその様子を見て、目を細めふ、と笑った。


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 「……てなわけでね、僕達はここに“東のミカド国”を作ったんだ」
 「………」

 朝。城内の豪勢な食堂にて。東のミカド国の王であるアキュラことアキラは、朝食を取りながら同席している自らの姉である重女に、今までの事を話していた。
 アキラは慣れた様子でフォークとナイフを使い、静かに肉を切り分け口に運んでいる。箸を使うのも覚束なかったあの子が、一体いつ誰にフォークとナイフの使い方を習ったのか。重女はパンをちぎりながら思った。

 「それからが大変さ。僕達は東京の人々をターミナルを使ってここに避難させた。でも悪魔も一緒について来ちゃってね、キヨハルさんと他の討伐隊の皆で悪魔退治の毎日だったよ」

 なんとか悪魔を地下に追いやったアキラ達は、その後ターミナルに厳重な封印を施した。
 その時一緒に戦った悪魔討伐隊の隊員が、現在ミカド国を守っている「サムライ衆」と呼ばれる小さな軍の始祖になったという。

 [なんでアキュラて名乗ったの?]

 食事の手を止め、筆談用ノートにそう書き、アキラに見せる。キヨハルが重女の為に咽喉マイクを作ってくれている最中だが、まだ出来上がっていない。

 「アキラよりアキュラの方が威厳があって王様て感じだろ? 阿修羅に似てるし」
 「………」

 特にそうは思わなかったが、重女は曖昧に頷いた。慣れない手でナイフとフォークを使い、肉を口に運ぶ。
 味が濃い。影の鞍馬山で味の薄い悪魔の焼いた肉を食べていた重女にとって、この国の豪華な食事の味付けは酷くしょっぱく感じた。

 「姉ちゃん、朝食をとったらミカド国を案内するよ。だってこれからずっとここで一緒に住むんだ。この国の事を知らないと不便だろ?」

 その言葉に、重女は手を止める。
 ずっと一緒。確かに私はアキラの元に帰りたかった。アキラとまた一緒にいたかった。でも、それは元の世界での話だ。影の鞍馬山から出たら、生まれ育った横浜でまた二人一緒にいられると思っていた。
 あの結界で過ごしている間に、此方では七年も経過し、まさかアキラがこんな国を造っていたなんて思いもしなかった。
 それに――。

 (シド……)

 脳裏にあの凄惨な光景が浮かび上がる。
 診察台に拘束され頭に幾つも管をつけられ、ぐったりとしていた京子。それを見て何か指示を出していたシド先生。
 シド。貴方は一体彼処で何をしていたの? シドはデビルサマナーではなかったの? 私達に親切にしてくれたのも嘘だったの?
 それが聞きたいのに、この世界にはシドはいない。出来るならもう一度会って話がしたい。
 アキラはシド先生の事をどう思っているのだろうか。筆談用ノートにペンを走らせようとしたその時。

 「アキュラ!」

 食堂のドアが勢いよく開けられた。開けた先にいたのは、険しい顔の雷王獅子丸。赤い鬣が汗で乱れている。

 「何事だ? 食事の最中だぞ」

 姉と二人水入らずの食事を邪魔されたからか、アキラは酷く不機嫌に問うた。

 「すまぬ。だが緊急事態だ」

 王の側近であり仲魔でもある神獣は、うなだれながら声を上げた。

 「この獅子丸、一生の不覚。やたノ黒蝿が儂の監視から抜け出し、ミカド国内に逃走した」
 「!!」

 ガタン、とアキラと重女は同時に椅子から立ち上がった。その際にナイフとフォークが床に落ちてしまったが、二人は気にしなかった。

―――

 城の方角が騒がしい。どうやら脱走がバレたようだ。黒蝿は辺りを見渡しながら眉をしかめた。
 牢を抜け出し、近くの森の中に逃げたはいいが、空が飛べないのは不便であった。今、翼を出して空を飛べば、すぐに見つかってしまう。空を飛べればこんな風に忍び足で歩くことなく、彼処まですぐ着くのに。

 昨日、雷王獅子丸に見張られながらこの国を観察した。
 そこで分かったのは、この世界は人為的に造られた事、まだあちこちの空間が不安定な事、そして――この世界を構成する“気”の中に、あのアキュラという少年のと、「天使」のが混ざっているという事だ。
 一つの世界を造る程の魔力。下級の天使の力では到底できない。ならば天使の中でも上位の者――大天使達が関わっているのだろう。

 ぎり、と黒蝿は近くの木の幹に爪を立てる。
 あのシド・デイビスとかいうサマナーが使役していた黒翼の大天使、あいつもここにいるのだろうか。俺を捕まえあまつさえ他の悪魔と合体させ、こんな姿に変えた張本人。憎い敵。この国にいるのなら、探し出して今すぐ八つ裂きにしてやる!
 怒りで熱くなる胸を押さえ、黒蝿は木々の間から見える、遠くの大きな白い楕円形の物体を目で捕らえていた。
 巨大な繭のような物体。彼処から一段と気を強く感じる。間違いない、彼処に大天使はいる。

 黒蝿は口角を上げ、残忍な笑みを浮かべた。待ってろ、今殺しに行く――。

―――

 「そっちはどうだ!」
 「ダメです、見当たりません!」

 アキラの指示の元、サムライ衆によって黒蝿の捜索が行われた。ミカド国はまだ小さい。これだけの人員を割けば悪魔一匹すぐに見つかるだろう。

 とんとん、とアキラの肩が叩かれる。振り向くとそこには、眼鏡ごしに不安な表情を浮かべた重女が立ってノートを差し出している。

 [あれはなに?]

 ノートにはそう書かれていた。

 「あれ?」
 「………」

 重女はある方角を指差す。目を凝らして見れば、遠くの方に白い楕円形の物体が鎮座しているのが見えた。

 「あれは、大天使様の繭だよ」
 「?」

 アキラは話した。自分と四大天使の関係を。
 あの秘密基地での邂逅、四大天使による命。自分が別世界に渡りミカド国を造るきっかけとなった話を。

 「この国を造った時、また四大天使様が僕の夢の中に現れた。天使様は言ったんだ。「よくこの国を造ってくれましたね」て。
 天使様達は悪魔との戦いで酷く衰弱してて、現世に顕現出来ないらしい。それであの繭の中で体を再生中なんだ」

 四大天使。聖書でも読んだ事がある。ミカエル、ラファエル、ウリエル、ガブリエル。とても偉い天使だと書いてあったが、そんな天使が何故アキラに接触を?
 神の千年王国? そんな物を造るのに何故ただの子供だったアキラを選んだ?
 アキラは四大天使に酷く心酔しているようだ。だが重女は信用出来なかった。昔から神や天使の存在に懐疑的であった少女は、アキラが嬉々として語る四大天使様とやらに何やら胡散臭いものを感じた。

 「アキュラ王! 奴を見かけたという情報が! ここから北東の方角の森に逃げ込んだらしいです!」
 「なに!?」

 アキラは重女に背を向け、険しい顔でサムライ衆と話し合う。
 そうだ、黒蝿。もう二、三日会ってない。キヨハルさんに聞いても、牢に収容されているとしか説明されず、アキラに頼んでも面会は許されなかった。
 重女は目を瞑り、黒蝿の気を探した。
 黒蝿から「影の造形魔法」を与えられた重女は、集中すれば黒蝿の気を感じ取る事が出来た。

 ――見つけた。あの繭の近くに黒蝿はいる。私の声と名を奪い、影の鞍馬山で一緒に過ごした、私の仲魔――

 重女は踵を返し、黒蝿の元へ行こうとした、が、

 「姉ちゃん、何処に行くの?」

 アキラが二の腕を掴んで止めた。その言葉に、在りし日の幼いアキラが重なった。
 シドに連れて行かれる前。あの時もそう言っていた。不安そうな青の瞳は、身体は成長してもあの頃と変わっていない。

 「まさか、あいつを探しに行くの?」

 重女の二の腕を掴む力が強くなる。その強さと手の平の大きさは、間違いなく成長途中の男のものだ。

 「なんであいつにそこまでこだわるんだよ! あいつは悪魔だ。姉ちゃんの声と名を奪った奴だろ?」
 「………」

 どう説明すればいいのか分からなかった。それ以前に説明したくとも声が出ない。今までの事をノートに書くのは長すぎるし時間もかかる。
 大丈夫だ。今は七年前とは違う。黒蝿を見つけたらすぐに帰ってくる。もう置いていったりはしない。

 ――すぐ、帰るから、待ってて――

 声が出ない口が、そう動いた。それを見たアキラは目を大きくした。
 姉ちゃんが、僕からまた離れようとしている。僕より得体のしれない悪魔の方を選ぼうとしている――!

 その認識は、姉の為に生きてきた少年の心を突き刺した。あまりの事に、手から力が抜ける。涙が溢れそうになる。
 呆然と立ち尽くし、傷ついた表情を浮かべる弟を、重女は哀しそうに見つめ、そっと目を伏せて、そして黒蝿の元へ走っていった。
 重女はがむしゃらに走った。そうでもしなければ、アキラの傷ついた顔を思い出し、胸が張り裂けそうになるから。

―――

 ぱき、と枝を踏む音がし、黒蝿は身構え後ろを振り向く。
 そこには、ぜえぜえと荒い息を繰り返す重女がいた。顔に汗が滲んでいる。ここまで走ってきたのだろう。

 「なんだ、お前か」

 興味なさげに黒蝿は言う。
 重女が前に会った時と違い、眼鏡をかけていることに気がついた。この国の王である弟にでも貰ったか。

 『どこに行くの?』

 汗を拭いながら重女は念波で問いかけた。

 「あの繭の中に、恐らく大天使がいる。その中に「あいつ」もいるかもしれん。だから殺しに行く」
 『あいつ?』
 「大天使・マンセマット。俺をこんな姿にした憎い敵だ」

 殺しに行く。確かに影の鞍馬山で黒蝿はそんな事を言っていた。そいつとシドによって捕まったとも。
 物騒な言葉にどう答えていいか悩む重女に、黒蝿は言い放った。

 「お前、弟の側にいなくていいのか?」
 『大丈夫。ちょっと離れているだけだし、すぐに戻るから――』
 「お前が弟に出会うまで協力する、それが俺とお前の契約だったはずだ」

 黒蝿が冷たい声でそう言う。重女ははっとした。

 『た、確かにそうだけど、でも……』
 「なら俺はもうお前の仲魔でもなんでもない。契約は果たされたんだからな。だから俺の邪魔をするな」

 がん、と頭の中を鈍器で殴られたような衝撃が走る。仲魔。私の唯一の「友」。短い間だったけど私はそう思っていた。だけど黒蝿、貴方はそうは思ってはくれなかったの?

 『……いいの? そんな事言って』
 「何?」
 『私の仲魔をやめるなら、名前を返してやらない。ずーっと異界に帰れないよ? それでもいいの?』

 半分拗ねたような口調で、挑発にも似た言葉を送った。こいつは自分の名前を返してもらうことにこだわっていた。なら、そのことをつけば、私の仲魔をやめないはずだ、と重女は思った。だが――

 「……………」

 黒蝿は重女をじっと見ている。その瞳は虫けらを見るような、ぞっとする程暗い色を帯びていた。
 その視線に背筋が寒くなる。すると、急に重女の身体が影に縛られ動かなくなる。

 「!!」

 身体を捩って影から逃れようとするも、細い紐状に変化した影は重女の小柄な身体を縛って動かない。
 
 「……好きにしろ」

 怒気を孕んだ声でそう言うと、黒蝿は冷たい視線を寄越した。決別の視線であった。

 『行かないで!』

 重女の必死の言葉にも、黒蝿は応じなかった。
 そして背を向けると、翼をはためかせ、黒い風を伴い消えた。重女を一度も見ることなく。

 「………」

 身体を縛られたまま、重女は呆然と見ているしかなかった。

 ――黒蝿。

 かつて重女が名付けた名前。その名前を口にしようとしても、喉からはひゅう、と木枯らしが吹くような音しかでなかった。

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 黒蝿は、東のミカド国内を歩いていた。

 黒蝿の手には力を封印する為の枷がつけられている。そのせいで術は使えず、空を飛ぶことも出来ないが、こうして探索するだけなら十分であった。

 あの戦いの後、黒蝿はアキュラ王によって重女と離され、枷を施されて再び独房に入れられた。しかし、前回のような監禁ではなく、監視付きの軟禁に待遇は上がった。
 現に今も、外に出たいと言い出した黒蝿を雷王獅子丸が見張っているだけ。朴訥とした神獣は、黒蝿の右斜め後ろで油断なく一挙一動に目を凝らしている。アキュラ王から外出の許しが出たとはいえ、この悪魔が再び暴れまわるかもしれん。獅子丸は腰の長刀から手を放さず黒蝿に話しかけた。

 「おい、さっきから何をしている? よからぬ事を考えているのではあるまいな?」

 質問には答えず、黒蝿は周りを見渡した。
 大きいと思っていたこの国は、こうして歩き回ってみると、意外と小さい事が分かった。
 ミカド城を起点として、確認できる国の大きさは、せいぜい半径十キロ程度。しかもよく見るとあちこちの空間がまだ不安定だ。
 ここは自然に出来た国ではない。誰かが“造り上げた”世界。
 黒蝿はこの世界を構成する甘ったるく、胸焼けを起こしそうな「気」を感知し、不快げに眉を寄せた。

 間違いない、これは、“天使”の気だ――。

―――

 「うーん、喉に異常はないね。やはりこれは魔的なものが原因だね」

 城内の医務室にて、重女の喉を見ていたキヨハルは溜め息混じりに言う。重女は喉に手を当てる。醜い痣がついた首。命の代償に声と真名を差し出した、あいつとの契約の印し。
 そういえば、黒蝿はどうしたのだろう。あの後、黒蝿はどこかに連れて行かれて、それ以来会ってない。また牢に入れられたのだろうか。

 重女は筆談用に渡されたノートにペンを走らせようとした。だが視界に白くちらつくものが見え、思わず目を細めてしまう。
 「ターミナル」と呼ばれる場所に降り立った時、そこの強烈な光は、暗闇に慣れていた重女の目の網膜を焼いた。おかげでずっと視界の端々に白い光の残影が写り、特に近くのものを見るのに難儀した。
 目を擦ったりしばたかせたりする重女に、キヨハルはポケットから眼鏡を取り出し、重女の耳にかけた。

 「!」

 すると焦点の合わなかった視界ははっきりとし、白いちらつくものも消えた。
驚いた重女はキヨハルの顔をみる。キヨハルは微笑んでいた。

 「君は目が悪いんだね。気づくのが遅れてごめんよ。僕が昔使っていた眼鏡だけど、良かったらどうぞ」

 にっこりと優しい笑顔を浮かべキヨハルは言う。今まで分からなかったが、良く見るとキヨハルはそれ程老けてはおらず、せいぜい四十代後半か五十代くらいと推測できた。

 [ありがとうございます]

 ノートにそう書いて重女は微かに頭を下げた。キヨハルは微笑んだまま頷いた。なんとなくその笑顔が、シドを思い出させて、重女は胸の奥がきゅっと縮こまる感じがした。
 さらさら。重女はさらにノートにペンを走らせた。そしてその文字をキヨハルに見せた。

 [黒蝿とアキラは、今どこにいますか?]

―――

 王の執務室。机の上に山と積まれた書類を投げ出し、アキュラはソファーに横になった。

 「姉ちゃん……」

 そっと、首から下げている十字架のペンダントを握りしめ呟く。姉とお揃いのペンダント。あの「重女」と名乗った少女も同じものを首から下げていた。そして自分の名前を呼んで抱きしめてくれた。
 間違いない。あれは姉ちゃんだ。ずっと探していた最愛の姉。まだ手に彼女の温もりが残っている。
 大きいと思っていた姉は驚く程華奢で柔らかかった。
 違う、自分が成長したのだ。ぎゅ、と手を握りしめる。姉と別れてからもう七年が経過している。なのに姉は当時のままの姿だ。何があったのか。黒蝿とかいったか? あの悪魔が関係しているのだろうか?

 「…………」

 アキュラは固く目を瞑り、膝を抱える。まるで胎児のように。
 目蓋の奥でアキュラは思い出す。姉を探して過ごした日々。キヨハルとの出会い、そして、「天使」との邂逅を――。

―――

 シドの教会を探して、八歳のアキラは歩き回った。
 教会がないだなんて、そんなわけがない。姉と共に通った教会。大きなシド先生。色とりどりのステンドグラス。差し出されたチョコの甘さ。全部覚えている。夢じゃない、あの思い出が夢であってたまるか。

 公園を出て、近くの米軍基地を通り過ぎ、商店街を抜け、アキラは足が棒になるまで歩き続けた。しかし何処にもシド先生の教会はない。アキラの足は自然と「秘密基地」のある空き地へと向かっていた。
 アキラと姉の二人だけしか知らない秘密基地。幾つもの草を結ってドーム状に造り上げた其処に、アキラは身をかがめ入って、膝を丸めて縮こまった。

 どうして? どうしてシド先生の教会が何処にもないの? お姉ちゃんはいつ京都から帰ってくるの?
 寂しい。嫌だ。姉ちゃん、早く帰ってきて。

 アキラは手作りの「祭壇」に向かって手を合わせて祈った。姉が早く帰ってきますように。二人で仲良く幸せに暮らせますように、と一心不乱に祈った。

 しかし祈りは届かなかった。それから三ヶ月、半年が過ぎても姉は帰ってこない。毎日秘密基地に行っては熱心に祈った。しかしそれでも姉が帰ってくる気配はない。シドの行方も掴めない。
 砂を噛むような毎日が続き、いつしかアキラは、施設でも学校でも、笑うことも泣くこともしなくなり、ただ自分だけの空想の世界に閉じこもるようになった。

―――

 十歳になった時、施設を抜け出した。理由は特になく、ただ職員とちょっとしたことで口論になり、その勢いで、着の身着のままで施設から脱走した。
 その日はとても寒い日だった。
 雪がちらつく中、アキラの足は自然と昔住んでいたアパートに向かっていた。
 しかしそこにアパートはもう立っていなく、工事中の看板がかかっており、古いアパートは取り壊されていた。
 愕然としたアキラは、ふらふらととめどめもなく歩いた。そしてたどり着いたのは空き地の秘密基地。枯れ草の上に積もった雪が秘密基地を潰していた。必死に雪をのけても潰れてしまった秘密基地は元に戻らない。唯一、アキラ手作りの祭壇の十字架が、枯れ草と雪の間から僅かに姿を見せていた。
 雪を掻き分け、その場に座ったアキラは、十字架のペンダントを胸で握りしめ、そして自らの金髪を掻きむしった。

 ――もう嫌だ。此処は嫌だ。姉ちゃんもお母さんもいない世界なんて嫌だ。独りぼっちは嫌だ。
 別の世界に行きたい。此処じゃない何処か。姉も母もいて、誰からも意地悪されない、そんな世界に――

 『それは本当ですか?』

ふいに、頭の中に声が響いた。女性とも男性ともしれない優しい声。

 「誰?」

 アキラは辺りを見回す。しかし誰もいない。雪がしんしんと降り、吐く息は白く、寒さにアキラは身を震わせた。

 『貴方には不思議な力があります。空間形成能力。我らの千年王国を成す為に、その力、是非ともお貸しなさい』

 相変わらず声が響く。ふと、草から覗いている祭壇の手造りの十字架が目に入った。まさか、彼処から?
 アキラはそっと、木の枝で作られた十字架に触れた。
 すると真っ白な光がアキラを包み込む。あまりの眩しさにアキラは目を瞑り――

―――

 『選択をするのです』

 気がつけば白い空間にアキラはいた。上下左右真っ白な空間。そこに白い物体が四つあった。いずれもその姿は人とはかけ離れている。皆白とルビーやサファイヤ等の宝石を基調とした異形の姿だが、不思議と怖い気持ちは浮かんでこなかった。何故だろう。

 『此処にはいたくない。別の世界に行きたい、とお前は願ったな』
 『その願い、我らが叶えて差し上げましょう』

 二体の白い物体が交互に声を発した。思わずアキラは質問してしまった。

 「貴方達は、誰ですか?」

 その問いに答えるよう、四体は微かに光を増した。

 『我はミカエル』
 『ウリエル』
 『ラファエル』
 『私はガブリエル。人は我らの事を四大天使と呼びます』

 アキラは思わず跪いた。天使……本当にいたんだ。祈りを聞き届けてくれたんだ!

 「本当に、僕の願いを叶えてくれるんですか?」
 『無論。姉に会いたい、と願っておりましたが、お前の姉は生きています。今は別の時空に飛ばされていますが、間違いなく生きています』

 その言葉にアキラの大きな青の瞳に涙が浮かんだ。生きている。姉ちゃんは生きているんだ!

 「姉ちゃんに今すぐ会いたいです! 会わせて下さい、姉ちゃんに」
 『いいでしょう。ただし今すぐは無理です。お前が我らの願いを聞き届けてくれるのなら、必ず姉に会えるでしょう』
 「願い?」
 『此処とは違う別の世界に、我らは神の千年王国を築き上げようとしました。でも、その世界には悪魔が溢れかえっています。あの忌々しい黒翼の大天使によって』
 『そこでお前に、悪魔を倒し、我らの千年王国を築く手伝いをしてほしいのです。お前程の空間形成能力があれば必ずそれは為せるでしょう』

 四大天使の言う事を、十歳のアキラは完全に理解したわけではなかった。しかしずっと待ち望んでいた天使様が僕に願い事を持ちかけている、その願いを叶えれば姉に会わせてくれる――それだけで充分であった。
 十字架のペンダントを胸で握りしめる。姉とシド先生とお揃いのペンダント。姉との絆の象徴。

 「やります。僕、別世界に行って悪魔を倒してきます。そして姉ちゃんに会えるよう頑張ります! どんなに時間がかかっても、必ず「千年王国」というのを作って見せます!」

 そこまで言うと、四大天使の姿が一層光輝いた。光の中で天使達が微笑んだかのようにアキラには感じられた。

 『いいでしょう。今から貴方を別世界の東京に送ります。其処は魑魅魍魎が跋扈する恐ろしい世界です。それらを倒し、必ずや、神の千年王国を築き上げるのです』

 光の奔流の中、アキラは拳を握った。

 ――姉ちゃん、必ず迎えに行く。どんなに時間がかかっても、必ず会いに行くよ。だから、待っててね――

 光に向かって手を伸ばす。しかし小さな手は何も掴めないまま空を切り、やがてアキラの視界も意識も、白く、染まった。
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 アキラ、後に東のミカド国の初代王アキュラと名乗る少年は、空想癖が強い子供であった。
 母は仕事が忙しく、六歳違いの姉が幼いアキラの世話をしてくれた。
 アキラは周りの子と異なった目と髪の色をしていた。明るい青の瞳に金色の髪。姉は髪こそ黒髪だったが、瞳はアキラと同じく青く、その姿は他の子供達のイジメのターゲットとなった。
 石をぶつけられたり、髪をひっぱられたりして、泣くしかないアキラと対照的に、姉はいじめっ子に果敢に立ち向かっていった。
 そのせいで姉は生傷が絶えなかった。そんな姉の手当てをするのはアキラの役目であった。
 傷だらけで悲しそうに微笑む姉を見て、幼いアキラは密かに決意した。
 ――僕が、もっと大きく強くなって、姉ちゃんを守ってやる!

―――

 「姉ちゃん、みかどってなに?」

 ある日、姉が学校から借りてきた幼児向け絵本の「竹取物語」を自宅で読んでいて、アキラは家事をしていた姉に聞いた。
 姉とアキラが住んでいたアパートはとても古く、六畳一間に小さな台所がついているだけで、当時普及し始めたテレビもクーラーもなかった。姉は仕事で忙しい母の代わりによく家事をこなしていた。そのせいで姉の手にはあかぎれがいくつもあった。

 「みかど?」
 「うん、ここに書いてあるよ。“みかど”てなに?」

 姉が洗い物の手を止めて絵本を覗く。

 「帝ってのはね、昔の王様の呼び方だよ」
 「おうさま?」
 「うん、一番偉い人の事を、この時は“ミカド”て呼んでたの。簡単に言えば王様だね」

 王様。絵本で呼んだことがある。一番偉い人。王様は偉くてなんでも思い通りにできる。食べ物に困る事も、他の皆からいじめられることもなくなるんだ。

 「じゃあ僕、ミカドになるよ!」

 いきなりの弟の発言に、姉は目を丸くした。しかしアキラは真剣そのものだ。

 「僕が“ミカド”になったら、一番偉いんでしょ? そうしたら皆僕達の事いじめたりしなくなるし、お腹いっぱいご飯も食べられるよね! だから僕沢山勉強して、この国の“ミカド”になるんだ!」

 今の日本に、帝なんて役職はないことくらい小学生の姉にはわかっていた。だがアキラのキラキラ光る目を見ていると、否定しようという気にはなれなかった。

 「うん、頑張って“ミカド”になってね。そしてお姉ちゃんとお母さんを守ってね」
 「うん、僕偉くなるよ。誰にもいじめられないくらい偉く!」

 大人が聞けば微笑ましい子供の妄想だと笑われただろう。だがアキラは真剣だった。幼い姉弟は微笑みながら、そっと指切りをした。

―――

 「姉ちゃん、こっちこっち!」
 「待ってよ、アキラ」

 ある晴れた日曜日。アキラが姉の手を引っ張って近くの原っぱに連れて行った。
 長い間空き地だったそこは、草が生え放題で、二人の子供は草に埋もれて歩いていた。

 「こんなところに何があるの?」

 姉の問いかけにアキラはへへ、と悪戯っぽく笑ってみせた。

 「じゃーん!」

 アキラが指を指したものを見て姉は息を飲んだ。
 そこは、幾つも草を結び作られた、小さなドーム状の空間であった。
 生い茂る背の高い草は、其処だけぽっかりと口を開けており、中にはほんの少しの雑誌と駄菓子、そして小さな木の枝で作られた十字架が土に刺されている。

 「どうしたの、ここ?」
 「秘密基地だよ! 僕がこっそり作ったんだ! 祭壇もあるんだよ、ほら」

 枝を紐で結んで作った十字架を刺した土の盛り上がりが、アキラのいう「祭壇」らしい。シド先生の影響だな、と姉はくすりと笑った。

 「ここでね、僕ずっとお祈りしてたんだ。家がお金持ちになりますように、お母さんが家にいてくれますようにって。此処は僕だけの“教会”なんだ」

 嬉々として喋るアキラを姉は複雑そうな顔で見ていた。

 「アキラは……神様とか信じるの?」

 その言葉にしまった、とアキラは口を押さえた。何日か前、姉はシド先生に反論したのだ。神様なんかいない、神様なんか信じない、認めない、と。

 「あ、あの、僕は……」

 ぎゅ、と胸の十字架のペンダントを握る。あの言い合いの後、シド先生が自分と姉にくれたものだ。姉と、シド先生とお揃いのペンダント。姉は今でも神様を信じていないのだろうか。

 「そうね……シド先生の言う事は全部は信じられないけど……でも、いい神様ならいるといいね」

 寂しそうに姉は言う。その胸にはアキラと同じ十字架のペンダント。それに姉はそっと触れる。自分が触れては壊れてしまうかのように。

 「僕は……神様はいると思うんだ」

 腰をかがめてアキラは「祭壇」の方に近づく。そして手を組み目を瞑る。

 「こうやって祈ってると、いつか天使様が現れて、僕達を幸せにしてくれるような気がするんだ。だって、こんなにも僕達が辛い目にあってるんだから、神様が助けてくれないわけないよ」

 アキラの幼い横顔は、真剣に祈りを捧げている。常に虐げられてきた、幼い子供の唯一の拠り所が、ここで祈ることだった。
 人はどうしようもないほど辛い事に直面したとき、人ではない何かに縋る。それが偶像であれなんであれ。アキラは幼いながら自分の無力さを痛感していた。その気持ちが神への信仰心に変わったのかもしれない。

 「……そうだね、少しなら願いを叶えてくれるかもね」

 姉はアキラの隣に来て、同じように手を組み祈った。
 神様でもなんでもいい、私とアキラとお母さんがこれ以上辛い目に合わないように、心の中で願った。
 原っぱの、小さな「秘密基地」の中で、幼い二人の姉弟が互いの幸せを願って祈り続けた。

―――

 それから数年後、姉は中学に進級し、アキラは小学校に入学した。
 家は相変わらず貧しく、クラスの子からのいじめは続いたが、辛い時は心を宙に飛ばし空想に耽った。

 空想の中では、母が常に家におり、きちんと料理を作ってくれ、姉も自分も笑っていて、顔の知らない父親もいて、学校ではいじめられてなく、幸せな気持ちで毎日を過ごす、そんな今の生活とは正反対の空想を抱いた。
 外部からの辛い仕打ちに対する、一種の心の自己防衛であったが、いつしかアキラは空想の世界の方が本当な気さえしてきた。
 ここは本当の世界じゃない。本当の世界は別にある――子供には良くある妄想であったが、アキラのそれはとても強かった。綿密に、細部まで理想の世界を思い描く事ができた。
 いつか、きっと「あっちの世界」に姉ちゃんとお母さんも連れて行きたい。そんな決意すら固めていた。

―――

 そして姉が中学二年に進級し、アキラが小学二年生になった頃、一つの変化が訪れた。

 母が死んだのだ。
 原因は交通事故であったが、姉は自分が殺したのだと驚愕していた。
 姉はある時期から極端に喋らなくなった。理由を聞くと、「私の言葉は人を不幸にする」かららしい。
 母が事故に合う前の日、姉が母と口論になった。

 「嫌い、大っ嫌い! お母さんなんか死んじゃえばいいんだ!」

 はっとして口を押さえた姉の横で、アキラはオロオロするしかなかった。そして姉は自分の手を引き、シド先生の教会に連れて行った。
 その夜はそこで過ごした。姉は泣いていた。お母さんに酷いこと言っちゃった、どうしよう、と涙をポロポロ流しながら自分を抱きしめてきた。
 アキラもどうしたらいいかわからなく、ただ姉の背中をさすっていた。泣きながら。
 狭い椅子で泣きじゃくる姉弟をシドは何も言わず見つめていた。

―――

 そして母の埋葬が済み、アキラと姉は施設に引き取られたが、姉はシド先生と京都に行く事を告げた。
 なんでも姉の声には悪魔が宿っていて、シド先生は魔をもって魔を制すデビルサマナーらしく、京都の鞍馬山に行けば姉に取り付いている悪魔を払うことが出来るらしい。

 「姉ちゃん、何処に行くの?」
 「お姉さんは私と一緒に京都に行ってくるよ。なに、心配はいらない、ほんの二、三日で帰ってくるよ」

 シドの横に立っていた姉が、アキラの頭を優しく撫でる。亡き母にも似た細く小さな柔らかい手。

 「すぐ……かえっ、て、くるから……まって、てね」

 泣き出したいのをこらえてアキラは頷く。
 約束だよ。姉ちゃんが帰ってくるまでに、僕、もっともっと強くなるよ。もうお母さんはいないし、家にはお父さんがいないから、男の僕が姉ちゃんを守ってあげなくちゃ!

 シドと姉を見送ったその晩、アキラは神にお願いをした。

 ――神様、僕を、姉ちゃんを守れるように強くしてください。今まで姉ちゃんが僕を守ってくれたから、今度は僕が姉ちゃんを守る番。だから、心も身体も強くなりたいです――

 それから三日、一週間たったが、姉が帰ってくる気配はなかった。
 施設に手紙すら届かなかった。アキラは不安な日々を過ごし、ひたすら、秘密基地に行って姉の無事を祈った。
 だが一ヶ月経っても、姉は帰ってこなかった。
 流石におかしい、と感じたアキラは、施設を抜け出し、シドの教会へ向かった。シド先生なら何か知っているはず。もしかして姉より先に帰ってきているかもしれない。
 しかし、公園の外れにあるはずだった教会は、どこにもその姿がなかった。
 場所を間違えたのか? そんなはずはない。何年も通いつめた場所だ。間違える訳がない。
 近くを通りかかった通行人に教会の事を聞いた。すると通行人は訝しげに眉を寄せて言い放った。

 「何言ってるんだ。ここには最初から教会なんてなかっただろう」
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 アキュラはスーツの内側のポケットに手を伸ばした。そこから取り出したのは、一枚の白黒の写真。

 昔、姉が中学に上がった時に撮った、一枚しかない家族写真。
 そこには、安っぽい外出着姿の母と、慣れない制服を着て怒ったような顔をしている姉、その姉の足元に緊張しながら立っている幼い自分が写っていた。
 写真の裏を見る。そこに写真が撮られた年と、姉の名前が書かれているはずだった。
 しかし――

 「……なんだよ、これ」

 苦しげにアキュラは呟く。写真を持つ手が震えている。

 「……アキュラ?」
 「獅子丸、この字を読んでくれ」

 写真を渡された獅子丸は、訝しげな顔をしながら写真の裏を見る。そこには文字が書かれてあった。

 ――S4X年、■■■の中学入学式――

 ■■■の部分には、アキュラの姉の名前が書かれているのであろう。しかしアキュラも獅子丸もその文字を認識出来なかった。
 アキュラの姉である少女の名の部分だけが、まるで塗りつぶされたような、靄がかかったように写り、文字として識別することは出来なかった。

 「……獅子丸、お前も読めないんだな。姉ちゃんの名前」

 困惑する獅子丸をよそに、アキュラは静かに立ち上がり、そして腰の刀をすらりと抜き、黒蝿の喉に切っ先を当てた。

 「……貴様、何をした」

 怒気を孕ませた声で詰問されても、黒蝿の顔は無表情のままだ。その様子にアキュラの怒りは増した。

 「姉の名を思い出そうとしても、その部分だけ靄がかかって思い出せない。文字として書かれたのも同じだ。
悪魔、お前だな。お前はあの娘に、俺の姉ちゃんに何をした!?」

 ぐいっと顔を近づけて来たアキュラに、黒蝿は薄く笑った。その笑みはどこかアキュラを馬鹿にしているような色があった。

 「大したことじゃない」

 そっと、黒蝿が後ろに下がる。後ろには柵のついた小窓。その窓には結界用の札が貼ってある。

 「あいつが、俺の真名を奪ったから、俺もそうしたまでのこと。ついでにあいつの声も奪ってやった」
 「貴様!」

 アキュラが刀を振り下ろすより先に、黒蝿が翼を広げ、大きく羽ばたかせる。すると牢内に凄まじい風が起こった。
その風の強さにアキュラと獅子丸は顔を覆う。風は小窓に張ってあった結界の札を破く。
 牢の結界に隙間が出来た。黒蝿はその隙間にありったけの風を送る。すると窓側の壁に亀裂が走り、風に耐えきれなくなった壁は崩壊した。
そして黒蝿は崩壊した壁から飛んで外へ逃げ出した。

 「待て!」

 アキュラと獅子丸が叫ぶ。黒蝿のスピードは速い。一瞬こちらを向いたかと思うと、強烈な「ザン」をアキュラ達に食らわした。獅子丸とアキュラは後ろにとばされる。

 「獅子丸! 奴を追え!」
 「おう!」

 主の命を受け、獅子丸は牢から飛び出していく。アキュラは腰の皮ベルトで固定してあった聖書型コンプを取り出し開くと、一体の仲魔を召喚した。
 筋肉隆々の黒い半牛半人の魔獣・八坂牛頭丸は、アキュラの呼び出しに鼻息荒く答えた。

 「あの悪魔をやるぞ! 牛頭丸!」
 「了解。ウッシシシ……」

 アキュラがマントを引き剥がし、刀を構えると同時に、牛頭丸は身の丈程もある棍棒を握りしめ、獅子丸の後を追った。

―――

 その頃、重女は湯殿から出て身を拭いていた。
 久しぶりの風呂は暖かく、身体の緊張をほぐした。蒸せるような石鹸の香りが、血の匂いに慣れた重女の鼻孔をくすぐる。
 透き通っていた湯が汚れで黒く染まった。それを見た侍女達が苦笑いを浮かべる。重女は自分の身体がどれくらい汚れていたか思い知らされて、つい顔が赤くなった。
 身体を拭こうとする侍女からひったくるように布を受け取り、そそくさと身体を拭いたあと、用意された白い簡素なワンピースに着替えた。今までスカートを制服以外殆ど穿いたことがなく、ズボンに慣れていた身には、なんだか足元がすーすーして落ち着かない。
 ボサボサだった髪を櫛で整え、湯殿を出ようとした時、大きな音が聞こえた。その音に、侍女達がびくっと身体を震わす。
 何かが崩れたような音のあとに、男達の叫び声が聞こえる。重女はその中で、慣れ親しんだ気配を感じた。

 (黒蝿!?)

 間違いない、この気配は黒蝿のものだ。今までは感知することが出来なかったのに、牢から出してもらったのだろうか? それとも、牢を破って脱出したのだろうか。
 悲鳴と、金属音が聞こえる。まさか、誰かと戦っているのだろうか?

 何事かと怯える侍女達を置いて、重女はワンピースの裾を翻しながら黒蝿のもとへと向かった。

―――

 雷王獅子丸の剣技は実に玄妙であった。

 空中を飛び回る黒蝿に肉迫し、剣を振り下ろす。黒い羽が飛び散る。黒蝿は舌打ちし、「アギラオ」を放つ。しかし獅子丸は炎の玉をいとも容易く避け、再び黒蝿に向かって剣を突き出す。
 しかし黒蝿も負けていなかった。機動力では彼の方が上。獅子丸の剣裁きをいなし、空中へ逃げ、「ザンダイン」と「アギラオ」を放った。
 ザンダインをもろに食らった獅子丸に隙が生じる。獅子丸の腹に強烈な蹴りを入れる。大柄な武神の身体が吹っ飛んだ。
 ふと、後ろに気配を感じた。振り向いた時には刀を持ったアキュラが黒蝿を斬りつけようとしていた。
 すんでのところでそれをかわす。すると今度は後方から巨大な棍棒が黒蝿に向かって振り下ろされる。
 八坂牛頭丸の棍棒は黒蝿の羽を掠め、そのまま大地を揺るがした。その間を縫って再びアキュラが肉迫する。獅子丸仕込みの剣技は次第に黒蝿を追い詰めていった。
 三体一の不利な状況に関わらず、黒蝿は笑みを浮かべていた。久しぶりの戦い。黒蝿の血が、身体が喜んでいる。こんなに激しいのはあの時以来だ。シド・デイビスというサマナーと、彼が従えてたあの“大天使”と戦った、あの時の激闘以来――

 「獅子丸! 右に回りこめ!」
 「おうよ」

 右から獅子丸が、左からはアキュラが黒蝿に迫る。空中へ逃げようものなら、崩れた建物の上に立っている牛頭丸が攻撃を仕掛けるだろう。
 ここは再び「ザンダイン」で三人とも吹き飛ばすべきか――そんな事を考えた黒蝿に一瞬の隙が生じた。

 その隙をアキュラ達は見逃さない。左右からアキュラと獅子丸の刀が黒蝿を斬らんと迫り、上空から牛頭丸が棍棒を振り下ろしながら落下してくる。
 術の発動が遅い。身を刻まれるのを覚悟して、黒蝿は全身の筋肉に力を入れた。
 その時、

 「!」
 「なんだ!?」
 「モォ!」

 黒蝿を中心に、黒い影が広がった。その影は黒蝿を守るように卵の殻を思わせる形状に変化する。その影に、アキュラと獅子丸の剣は阻まれ、上空からの牛頭丸の棍棒の攻撃もふさがれる。
 影が晴れていく。身構えた三人の目に写ったのは、黒蝿の横に立ち、手を前に突き出している小柄な少女であった。
 少女――重女は白いワンピースを土ぼこりで汚し、下は裸足のままだった。息が荒い。此処まで走って来たのだろう。
 驚きに目を丸くしているアキュラの瞳と、重女の瞳が交差した。二つ青の眼。異人の血を受け継いだ、皆とは違う、穏やかな海のような、澄み渡った空のような、明るい青――

 「姉……ちゃん?」

 アキュラは思わず手にしていた剣を落とした。そして重女へと手を伸ばす。
 重女は動けなかった。アキュラの青い瞳から発せられる真剣な眼差しは、重女の心と身体を縛り付けた。
 やはりそうだ、この瞳、透けるような金髪。姿形は成長していても、瞳に宿している光はあの頃と同じ――

 アキラ。

 愛おしい弟の名を発しようとしても、それは声にならなかった。もう彼女は声を出すことが出来ないのだから。
 しかし、アキュラはまるでその声が聞こえたかのように笑顔になった。くしゃくしゃの笑顔。涙を浮かべてアキュラは重女にしがみつく。

 「やっぱり……やっぱり姉ちゃんなんだね。会いたかった、ずっと会いたかったんだよ」

 黒いデモニカスーツに身を包んだ少年が、嗚咽まじりに叫ぶ。涙は重女のワンピースを濡らす。
 重女はその肩に手を這わせた。年相応の少年の肩は、今までどれだけのものを背負ってきたのか。どれだけの戦いを体験してきたのか。

 『ア、キラ』

 びくり、とアキュラの身体が震える。その言葉を発した重女自身も驚きを露わにした。何故なら、アキュラの頭蓋骨を振動させて直接届いたその声は、低い男の声だったからだ。

 いつの間にか重女の肩に男の手が乗っていた。その手の持ち主は、重女唯一の仲魔。重女の声と名を奪った張本人――

 『黒蝿? もしかして今の、あなたが……?』
 「…………」

 黒蝿は答えなかった。ただその暗い瞳が言っていた。
 俺の声を使え、と。

 「姉ちゃん……?」

 アキュラが重女の顔を覗く。心配そうなその顔は、間違いなく、重女の血の繋がった、たった一人の弟のものだった。

 『アキラ……ごめん、ごめんね。帰ってくるのが遅くなって、本当にごめんなさい……』

 アキュラ、いや、アキラの頭に響く声は、相変わらず黒蝿の声であった。
 しかしアキラは重女の身体を抱きしめた。声は違っても、その言葉は、目の前の最愛の姉のそれだと分かったからだ。

 「会いたかった……会いたかったよ。やっと、やっと会えたね、姉ちゃん」

 アキラは泣いていた。まるで迷子になった子供が探し人を見つけたように。
 重女も泣いていた。ずっと探していた弟を抱きしめながら。離れていた時間を埋めるように。強く。

 獅子丸と牛頭丸は顔を見合わせて首を傾げていた。その中で黒蝿だけが、眉を寄せてじっとその姉弟を見ていた。憐れむかのような、ほっとしたかのような表情で。

 別世界の東のミカド国、そこで若き国王とその姉が、長き時を経て再会を果たした。
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 ――姉ちゃん、どこに行くの?

 『お姉さんは私と一緒にちょっと京都に行ってくるよ。なに、心配はいらない。ほんの二、三日で帰ってくるよ』

 姉ちゃんが僕の頭を撫でる。柔らかく、温かい小さな手。お母さんの手と良く似ている。

 『すぐ……帰って、来るから、待って、てね』

 微笑みながら姉ちゃんが僕に言う。
 約束だよ。姉ちゃんが帰ってくるまでに、僕、強くなるよ。今まで僕を守ってくれた姉ちゃん。今度は僕が姉ちゃんを守るんだ。もうお母さんはいないし、家にはお父さんがいないから、男の僕が強くならなくちゃ。姉ちゃんを守れるように、心も身体も強く!

 大柄なシドに手を引かれ、姉が行ってしまう。
 少年は、その後を追いかけたい衝動を我慢し、ぎゅ、と拳を握った。

―――

 「……アキュラ、時間だ」

 束の間の休息。ソファーにて横になっていたアキュラは、仲魔の雷王獅子丸の声で目が覚めた。
 ここは東のミカド国。城内の王の執務室。豪華な調度品と大きな執務机が並ぶ部屋の隅に置かれた来客用ソファーで、この国の王であるアキュラは、執務の合間を練って仮眠をとっていた。

 「獅子丸か。なんだ」

 気だるそうにアキュラは上体を起こした。ぱさ、と金色の前髪が顔に落ちる。

 「あの悪魔を尋問する予定だろう。忘れたのか」

 獅子丸が溜め息混じりに言う。
 アキュラの仲魔の一人でもあり、側近代わりのこの神獣は、王であるアキュラの一日のスケジュールを管理している。雷王獅子丸は、アキュラにとって頼れる仲魔でもあり、執事でもあり、厳しい教師でもあった。

 昨日、封印していたターミナルから現れた一組の男女は、今は牢に入れてある。男の方は黒い翼を生やし、明らかに人ではなかったので、悪魔専用の特別牢に放り込んでおいた。今日、その悪魔を尋問する予定だ。他ならぬ、アキュラ王が直接。

 「何もお前直々に行かぬとも、サムライ衆にまかせておけば……」
 「俺があの悪魔と直接話がしたいんだよ。それに……」

 その後に続く言葉をアキュラは飲み込んだ。
 あの悪魔と共にいた少女。今は別の牢屋に入れているが、少女は、アキュラの良く知っている人物に酷似していた。
 しかし「彼女」なわけがない。あまりに似すぎているのだ。彼の覚えている「彼女」と。

 「悪魔と一緒にいた娘の尋問は誰が?」
 「キヨハルが行っている。キヨハルの奴、張り切ってたぞ。ターミナルから来た彼女を「天使」と信じているらしい」

 アキュラは苦笑した。天使と悪魔が一緒にターミナルから降り立ったなんて、キヨハルさんらしい考えだ。

 「行くぞ」

 ばさり、とマントを翻し、アキュラは獅子丸を連れて執務室を後にした。

―――

 こんこん、こんこん。
 少女が牢の壁を叩く。固い石でできている。しかし構造は単純だ。牢屋の中には固いベッドと、簡易トイレらしきものがひとつづつ。小さな窓には柵が埋め込まれ、脱走防止になっている。ドアには覗き窓と、食事を出し入れする小さな出窓がついていた。
 何もかもが本で見た中世ヨーロッパの牢と酷似していた。
 昨日“ターミナル”と呼ばれていたあの場所はとても近代的な様子だったのに、ここや、外の街並みは、中世時代のそれとほぼ同じように感じた。このちぐはぐさはなんなんだろう。

 そっと、少女は影を操作しようとした。しかし影は少しも動かない。

 (やはり駄目か)

 昨日から何度試しても、影の造形が出来ない。
 影の魔法さえ使えれば、こんな古い牢屋から出ることが出来るのに。どうやらこの牢には、魔法を抑えるなにかしらの処置が施されているらしい。

 『……黒蝿?』

 少女は黒蝿に念波を送ってみる。しかし返事はない。黒蝿は少女とは別の牢に連れていかれた。どれくらい離れているのかわからないが、もしかしたら黒蝿の牢にも魔法を使えなくさせる処置が施されているのかもしれない。

 (酷い事、されてないかな)

 ベッドの上で、少女は膝を抱えぎゅっと縮こまる。
 今まで黒蝿が側にいるのが当たり前であった。悪態をつきながらも、彼は決して自分の側を離れなかった。念波で呼びかければ答えてくれた。ただ単に監視していただけかもしれないが、少女は自分が独りぼっちじゃないとわかり安心出来た。
 黒蝿の姿が見えない、念波にも答えて貰えない事がこんなに心細いとは知らなかった。

 自分はこれからどうなるんだろう。
 あのアキュラという少年。ここ――東のミカド国というらしい――の王と名乗った。自分と同じくらいの年頃に見えたが、それよりもあの容姿に少女は惹かれた。

 さらっとした金髪に、明るい青い目。似ている。「あの子」に。しかし「あの子」な筈がない。あの子――アキラは、まだ八歳のはずだ。あの少年はどう見ても自分と同い年か少し上。アキラなはずがない。なら、彼は一体――?

 ガシャ、と音がして、鉄製の扉が開く。少女はベッドから降りる。食事の時間か? それともまた尋問か?

 「おやおやおや、女の子だ! 話には聞いていたけど本当にそっくりだ!」

 扉から入ってきた人物を見て、少女は驚いてとっさに身構えた。
 その人物は初老の男性で、長い白髪を伸ばし放題にし、青い修道衣にも似たボロボロの着衣を纏っている。それだけでも異様だが、少女を更に驚かせたのは、その老人の顔に無数の十字の傷があった事だ。

 「ね、ね? 君、天使なのかい?」

 老人が少女に迫る。少女は異様なその雰囲気に気圧され思わず後ずさる。

 「無駄だキヨハルさん。その子は喋れない」

 扉の向こうに構えていた、見張り役の騎士のような男が老人に告げる。キヨハルと呼ばれた異様な男は、「分かっているよ」と騎士に返した。

 「安心して。僕は君に手荒な真似をするつもりはないから。その証拠に、ほら。今日は服と筆談用の紙とペンを持ってきたよ。いつまでもそんな血の匂いがする服じゃ君も嫌だろ?」

 まくし立てるキヨハルをよそに、少女はくんくんと服の匂いを嗅いだ。
 もう鼻が麻痺して何も感じないが、影の鞍馬山での生活で、悪魔を倒し解体する際、返り血が付くことが多々あった。こまめに洗ってはいたが、やはり染み付いた血の匂いはなかなか取れないらしい。

 「湯殿を使う許可も出たよ。身体を洗ってさっぱりしたいだろう? アキラ君から君を囚人ではなく客としてもてなすように言われてるんだ」

 アキラ。その人物名に少女は大きく反応した。アキラ? アキラって、まさかやはり私の知っている「あの子」なの――?

 そうキヨハルに問い詰めたくても、喉からはひゅう、と木枯らしの吹くような音しか出ない。そう。少女は声を出せない。だから昨日行われた尋問でも、声を出さない少女に、担当の尋問官は最初怒っていたが、事情が分かると筆談で答えるよう紙とペンを渡された。
 そこに日本語で自分の名前と何故ここに来たのか分からない旨を書くと、尋問官には通じた。どうやらこの国では日本語が通用するらしい。

 少女は自分の名前を「重女」と書いた。
 無論、偽名である。本当の名は思い出したくても分からないから。

 かなめ、と名乗ったのは、なんてことはない、少女の母の名が「かなえ」だったとのと、漢字はクラマテングの最後の言葉である、『罪を重ね続ける人の子よ』からとった。重女。罪を重ねる女。母を言霊で殺してしまい、生きる為に悪魔の肉を食べた自分にはぴったりな偽名だと少女は思った。

 「えっと、重女ちゃん、だっけ? とりあえず食事にしない?  今日のはとても豪華だよ。アキラ君の命令で料理番が手によりをかけて作ったんだから。食事は貴賓室でとろう。でもその前に湯浴みかな? おおい、君。この子を湯殿に案内してあげて」

 キヨハルがぱんぱんと手を鳴らすと、小綺麗な格好をした侍女らしき女性が数名牢に入ってきた。皆少女、いや、重女を見て張り付いたような笑みを浮かべている。
 状況が飲み込めず、オロオロする重女の腹が急に鳴った。ぐぅ~という間抜けな音に、重女は腹を押さえ顔を赤くし前屈みになる。

 「……そうだ、これ。アキラ君からの差し入れ。君に渡してくれってさ」

 キヨハルが少女の手に何かを乗せる。長方形のスティック上の黒い包装紙に包まれたそれは、スニッカーズというチョコだった。

 「……!」

 重女は驚きと感動のあまり息を呑んだ。
 このスニッカーズは、昔シドの教会に遊びに行っていた時、シドがよくくれたお菓子だったからだ。
 濃厚な甘さのそのチョコは、すぐにアキラと重女の大好物になった。影の鞍馬山での生活でも、何度このチョコを食べたいと思ったことか。
 重女がこのチョコが好きと、キヨハルの言う「アキラ君」は分かっていたのだ。出なければわざわざ差し入れにスニッカーズを選んだりしない。

 (アキュラ……貴方はやっぱり私の知っている「アキラ」なの?)

 包装紙を破り、重女はスニッカーズを口にした。濃厚なチョコの味が舌に響き、甘い味が身体中に広がる。それは、幸せの味。
 かつてシドの教会でアキラと共に食べた味。その時の感情が思い出され、懐かしさと嬉しさに重女は涙した。

―――

 「お前、悪魔だろ?」

 悪魔の術を封じる特殊牢。その中で獅子丸を連れたアキュラと黒蝿が対峙していた。
 黒蝿は口の端に笑みを浮かべ黙っていた。その様子にアキュラは苛つき、語気を強くする。

 「お前の名は? あの人間の娘とはどういう関係だ?」
 「………名はやたノ黒蝿。勿論偽名だがな」
 「貴様、ふざけてるのか」

 獅子丸が腰の刀に手を添えながら威嚇するように言う。だが黒蝿の顔から笑みは消えない。それは自嘲の笑みであった。

 「俺の本当の名を知りたければあいつに聞くことだ。なんせあいつが俺の真名を奪ったんだからな」
 「……どういうことだ? あの娘はお前のなんだ?」

 黒蝿は答えない。獅子丸が一歩踏み出そうとしたが、アキュラがそれを手で制す。

 「もしかして、あの娘は悪魔召喚師で、お前は仲魔か?」

 アキュラの問いに黒蝿は喉を鳴らしてくつくつと笑った。そんな事を問うアキュラを馬鹿にするように。

 「さあな」

 その言葉に流石のアキュラも怒り、黒蝿の襟を掴み顔を近づける。アキュラの青の瞳と黒蝿の暗い瞳が重なる。

 「お前はあの娘にとりついているのか! なら今すぐあの娘を解放しろ! あの娘はただの人間だろ!」
 「……何故そこまであいつにこだわる?」

 胸ぐらを掴まれたまま発した黒蝿の問いに、アキュラははっとなった。が、すぐに苦しげに眉を寄せる。

 「あの娘は……似すぎている。俺の良く知っている人に」

 だが、とアキュラが続ける。

 「そんなはずはない。あれから七年も経ったんだ。なのに……」

 そう、全く同じなのだ。アキュラが探し求めていた人物と。その人物と最後に出会った時の姿と、彼女は“同じ”なのだ。顔も、背丈も。服装も。

 『待っててね』

 今でも思い出せる。「彼女」の優しい声。儚げな笑顔。常に自分を守ってくれた細い肩。自分と血の繋がった、最愛の――

 「あれ?」

 アキュラが黒蝿を放す。少年は頭を押さえ、苦悩の表情に変わる。

 「アキュラ? どうした?」

 獅子丸が異変に気づき、声をかける。アキュラはそのまま地に膝をつけてしまう。
 黒蝿はその様子を黙って見下ろしていた。なんの表情も浮かべなく。

 「おかしい……俺、姉ちゃんの名前が分からない!」
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 ぐるぐる、ぐるぐる。視界が廻っている。身体が浮遊し、上下の感覚がわからない。
 気持ち悪い。吐き気を催してきた。少女は手を伸ばし掴まれるものを探す。
 何かが指に触れた。必死に“それ”を掴むと、“それ”はしっかりと少女の手を握りかえしてきた。その低い体温に少女は安心した。
 やがて浮遊感が薄れていき、少女の周りの様々な色彩の靄は晴れていき、少女の視界は真っ白に染まった。

―――

 光が収まってきた。地に手と足が着いた感触。その感触はひんやりとしており、そして固い。
 恐る恐る少女が目を開くと、強烈な光が暗闇に慣れていた少女の目を焼く。

 「っ!?」

 少女は目を押さえ、うずくまる。網膜に光が焼き付き、目が潰れそうだ。

 「何やってるんだ」

 傍らで声が聞こえた。この声の主は知っている。
 あの薄暗い影の結界で共に過ごした、少女の唯一の「仲魔」

 『黒蝿? そこにいるの?』
 「ああ」

 黒蝿は素っ気なくそう答えると、少女の手を掴み無理やり立たせた。
 かしゃん、と少女の手が金属のようなものに触れる。まだくらくらする頭を押さえ、目を徐々に開いていった。
 ちかちかとまだ白くちらつくものがあるが、視界は段々と光に慣れていき、目の前の物体を認識することができた。
 少女の手が触れていたのは、鉄柵であった。
 目を細めたまま、少女は周りを見渡す。
 其処は大きな円形の部屋だった。壁が僅かに湾曲し、三角のタイルのようなものが組み合わさり形成している。
 少女と黒蝿がいるのは、この部屋の中央にせり出した足場のような所だった。二人立つのがやっとの広さで、落ちないようにか、柵で囲まれている。
 ふと、小さな物体が目に入った。それは小さなテレビのようなものだった。少女の家にはテレビはなかった。だがテレビというものがどんなものかは知っている。近所の店で並んでいたのを見たことがあるし、街頭テレビでテレビ番組を見たこともある。
 しかし目の前のそれは少女の見たことのあるテレビより遥かに小さく、またとても薄かった。
画面に文字が並んでいる。少女はその文字を認識した。

 ――ターミナル、起動完了――?

 「ここはどこだ? 俺の知っているどの世界とも違う。随分と技術が進んでいるようだな」

 黒蝿が少女の疑問を代弁するかのように呟いた。確かにここは不思議な場所だ。
 シドに連れられた、京都の鞍馬寺の地下にあったあの施設も随分近未来的な機械が沢山あったが、ここは更に一歩進んでいる。より直線的でより洗練されているように少女は感じた 。

 二人が立っている足場には階段がついていて、それは鉄の扉に繋がっていた。あそこにいけば外に出れるのか。
 まだ光に慣れなく視界が白いものでちらつく少女は、黒蝿に手を引かれ階段を降りて鉄の扉を開けた。

―――

 扉を開けると、さらに強い光が飛び込んできて、少女はまた目を瞑った。しかし先ほどのような冷たい無機質な光とは違う、暖かい光。これは、太陽の光だ。
 ざわ、と人の声が四方八方から聞こえてくる。その声は、驚きの声であった。

 「誰? あの人たち?」
 「ターミナルの封印を解いたの?」
 「あの黒い男、翼が生えてるぞ」
 「人外の者……悪魔か!?」
 「なら、あの女の子は……」

 ざわざわ、ざわざわとした人の声が黒蝿と少女を包む。少女がそっと目を開く。
 其処には黒蝿と少女を包む人垣が出来ていた。しかし人々の服装は変だ。
 まるで教科書で見た中世ヨーロッパを思わせるクラッシックな出で立ちだ。粗末な農民風の服装から、貴族のような装飾華美な服装まで、種類は様々であった。

 (な、なんなの? ここ?)

 先程の黒蝿の呟きと同じ事を胸中で思った。心細くなりそっと傍らの黒蝿の衣の裾を握りしめた。黒蝿の横顔を見る。彼も驚きを隠せていなく、警戒の色を顔に滲ませながら辺りを見回している。

 「ええい、どけどけ!」

 人垣の向こうから野太い男の声が聞こえた。その声の主は人垣を掻き分け、少女と黒蝿の前に現れた。
 その者を見て少女は息を飲んだ。
 赤い鬣を靡かせ、武将を思わせる中華風の甲冑を纏った、獅子の顔を持つ、二足歩行の半獣半人の男であったからだ。
 ひゅ、とその男が腰の長刀を抜き放ち少女と黒蝿に切っ先を向けた。

 「貴様ら、何者だ? 何故ターミナルから出てきた?」

 朴訥とした、しかし威圧感のある声で男は二人に詰問する。答えようとしても、ひゅう、という音しか少女の喉からは出なかった。
 忘れていた。私は声を出せないんだった。

 「ターミナル? なんの事だ?」
 黒蝿が聞き返す。
 「とぼけるな。今貴様らが出てきた場所だ。あれだけ厳重にアキュラが封印していたというのに、その封印をどうやって解いた!?」

 アキュラ? その単語に少女は反応した。その名前は、彼女が一番会いたい人物の名に酷似していたからだ。

 「その辺にしておけ、獅子丸」

 獅子丸と呼ばれた男の更に後ろの人垣から、涼やかな少年の声が聞こえた。それと同時に、周りの人々がざ、と道を開け、頭を垂れた。まるで聖書に描かれていたモーゼの海を割るシーンのように。
 割られた人の道を数人の従者と共に此方にくる人影が見えた。その人影は男のようだ。しかし獅子丸と呼ばれた半獣半人の大柄な男とは違い、その背格好は少年のもののようだった。
 黒蝿と少女は警戒を解かずその少年が近づいてくるのを待った。

 獅子丸の横に立った少年は不思議な格好をしていた。

 黒に近い深緑の身体のラインがわかるぴったりとしたスーツを着て、顔には四角い意匠のヘルメットを着用している。目にあたる部分が横に細い長方形型で、僅かに赤く光っている。

 「アキュラ、またそんな格好を……」
 「この格好が一番落ち着くんだよ。討伐隊にいたころを思い出すから」

 そういい、アキュラと呼ばれた少年は、ヘルメットの細長い赤い目で怪訝そうな黒蝿を見、そして少女をじっと見つめた。
 無機質なヘルメットから視線を向けられ、少女が身体を強ばらせる。

 「………」
 「………」

 じっと、少年は少女を見つめ続けた。どのような表情をしているかは四角いヘルメットを着けているのでわからない。だが、ヘルメットごしに向けられる視線が、妙に熱が籠もっているように少女には感じた。
 
 「アキュラ、女人を怖がらせるものではないぞ。見ろ、すっかり怯えているではないか」

 獅子丸の諫めの声に少年は「あ、ああ」と曖昧に頷いた。

 「しかし、良く似ている……」

 ん? と獅子丸が聞き返す間に、少年はヘルメットを取った。
 ふわ、とヘルメットから金髪が出てきた。日の光に照らされ、耳まで隠れるショートカットが光を反射し、少女の瞳にその金色を映し出す。
 やがて線の細い、少年から男へ変貌途中の顔の睫毛が震えたと思うと、意志の強さを感じさせる明るい青い瞳が開かれた。
 少女と同じ、他の子の黒い瞳とは違う、澄み渡った青空のような、青の、眼――

 「誰だ? お前は?」

 黒蝿が問う。その不躾な言い様に、獅子丸が下げた刀を再びあげようとした。が、少年がそれを手で制した。
 少女はただ呆然と事の成り行きを見守っていた。似ている、「あの子」に。いや、しかし――

 「お初にお目にかかる。僕は、アキュラ。ここ東のミカド国の王だ」
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