往来―all right―別館【俺屍サマナー】

俺屍+デビルサマナー=俺屍サマナーというダブルパロ(クロスオーバー)小説を扱っております。俺屍に登場する神々や鬼を現代で使役していたら・・・という発想で生まれたいわゆる三次創作小説です。俺の屍を越えてゆけと真・女神転生シリーズ(主にⅣ)の設定を独自に融合させて捏造しております。女神転生や俺屍の人物名称や設定をかなり変更しております。こういったのが苦手な方は閲覧をご遠慮下さい。 やたノ黒蝿とサマナーになってしまった少女の物語です。

タグ:アキラ

 フジワラとツギハギ、黒蝿と今はアキラが主人格になっている重女が生体エナジー協会についてまず行ったことは、フジワラの怪我の処置、そしてアキラとなっている重女の身体と精神の精密検査であった。
 簡単な知能検査、身体測定、さらには脳波・心拍数測定まで、協会にある機器でできるだけの検査をする。

 「元の重女さんの身体データがないので比較のしようがないのですが………15歳女子の平均より筋肉が発達しています。また脳波が奇妙な波形を描いています」
 「と、いうことはやはり、今の重女さんは別人であると?」
 「正式な検査でないのではっきりとは言えないのですが……その可能性は極めて高いと思えます」

 医師らしき男から今の重女の様子をそう告げられたツギハギ達は、それを確かめるべく“実施テスト”を試みた。
 その一:剣道テスト
 雷王獅子丸を召喚し、剣を合わせる。一合、二合……獅子丸の竹刀をアキラは受け止め、互角に渡り合う。

 「剣の太刀筋がアキラと殆ど同じだったぞ……! やはり今の重女殿はかつての我が主君……!?」

 その二:射撃テスト
 子供に銃を持たせることを由としないツギハギは、サバゲー用のペイント弾の入ったモデルガンで射撃の腕前を見る。
 重女の身体のアキラはモデルガンを受け取ると、軽く前傾姿勢をとり、右手でグリップの一番上を握り、左手の掌底をグリップに密着させ、右人差し指は撃つ瞬間までトリガーガ―ドに入れなかった。その動作があまりにも自然で、ツギハギはこれは幾度も銃を扱ってきた者の姿勢だと感じた。

 (まさか……本当にこいつは“アキラ”とかいう奴なのか?)

 何回か撃ってみて、命中率は80%ほどとなかなかの数値を出した。それはやはりアキラと同じ数値だった。
 このように戦闘力はアキラとほぼ同じであったが、やはり身体が違うからか、アキラは女性の身体の動かし方や重心の置き方が男のそれと微妙に違うので、最初は戸惑う事が多かった。
 特に困ったのは、排泄関係である。

 『なあ、言いにくいんだけど…………女ってトイレどうしてんの?』

 そう問いかけられた黒蝿は思わずその場にいる者を見渡してみたが、残念ながら周りは男しかおらず、まさか自分やフジワラやツギハギが一緒にトイレに行くわけにもいくまい。
 とりあえず、ツギハギが妖精・ウンディーネを召喚し、妖精はアキラに助言する。女性型妖精になにを吹き込まれたかは知らないが、とりあえず普通に排泄は出来るようになった。
 こうしてアキラの人格が重女の身体に表れて一週間。フジワラ達は隠れ家を転々としながら、どうにか重女が戻ってくるよう対策を練る。が、アキラは首を振った。重女の意識が、表層に出てくるのを拒んでいるらしい。

 「なぜだ?」黒蝿が問う。
 『自分はもう表にでられない、特に黒蝿、お前に会わす顔がないんだとさ』
 「…………………」

 黒蝿は顎に手を置き考える。自分に合わす顔がない。それはやはり俺を刺してしまったからだろう。確かに黒蝿は重女に言ってやりたいことが山ほどあった。が、深層意識に潜られては何も言えない。

 「アキラ、あいつと記憶は共有していないのか?」
 『ああ。だって姉ちゃんにとって見られたくない記憶なんだろう? なら俺は見ない』
 「いや、お前は見るべきだ。お前の姉貴が何をしたか、何を感じたかを」
 『だからそれは……』
 「そうしないと姉貴はいつまでも暗闇に潜ったままだぞ。きちんと見るんだ。姉貴の罪悪感の原因を。そしてもう一度じっくり話せ」
 『……………………』

 暫く、アキラは黒蝿を睨んだままだったが、『……やってみる』と言い残し、目を閉じる。すると身体が糸の切れた人形のようにへたり込み、そのまま床に倒れてしまった。レム睡眠に入ったのだろう。この状態でないと重女とは“対話”出来ないらしい。

 「さて……どうしたものかねえ?」

 床に転がったアキラに毛布をかけながらツギハギが問う。黒蝿は顔を背ける。知るかそんなの。俺が教えて欲しいくらいだ。

 ―――

 重女は、深層意識の水底にいた。ここに押し込められた記憶が海中のプランクトンのように漂い、渦を巻く。光はなく濃い群青色の世界であった。重女は記憶のうねりに身を任せ、目を瞑って膝を抱えていた。
 ここには誰もいない。誰も自分を責めない。ここで眠っていれば、自分はそのうち消えるだろう。

 『それでいいの?』

 そう問いかけてくる声が聞こえる。いいも悪いも、私はこうすることしか出来ない。

 『本当に?』

 …………

 『それと同時に、姉ちゃんはある決意をしたんじゃなかったか?』

 姉ちゃん?

 ふと、重女が目を開けると、そこには深緑のスーツに身を包んだ少年――弟である、アキラが立っていた。
 アキラ。そうだ、あの時。フジワラさんが何者かに襲われているのを知って、それから意識を逡巡していたら、頭の奥から声が聞こえて…………
 気がついたら、私はここにいた。そして、アキラ、あなたが代わりに表層に浮かんでいって……

 『姉ちゃんの記憶、見させて貰った』

 はっと、重女は息を呑む。クラブ・ミルトンでのあの事件。私が犯した罪。あれを知られてしまった。悲しい。恥ずかしい。弟のアキラにまで知られてしまうなんて。私は生きる価値がない。

 『そんなことない! あの時言ったじゃないか。俺が姉ちゃんを守るって』

 アキラは優しい。私を責めようともしない。ツギハギさんも、フジワラさんも激しく叱咤してくることはしない。見放されているのかもしれないが、それが今の自分にとっては百の罵声と千の殴打に等しかった。

 『姉ちゃん……俺は姉ちゃんの味方だ。たとえ姉ちゃんが何をしても絶対に見放したりしない。だから教えてくれ。今後どうしたいのか、今どう思って、何をしたいかを』

 沈黙。目の前の弟は真剣な目で重女を見つめる。青い瞳どうしが重なる。私、わたし、わたしは――

 ――――

 異変に気がついたのは、ツギハギと黒蝿の両方だった。
 今の隠れ家は、ツギハギの店の地下にある射撃場である。一度神舞供町からは離れてフジワラやツギハギの人脈を当たって隠れ家に相応しい場所に滞在を繰り返していたが、ここに戻ってきたのはつい昨日。やはりというか、【セルフディフェンス】は荒々しく捜索された形跡があった。だが地下の射撃場には気がつかなかったらしく、人の入った形跡は皆無だった。何より、一度探した所をもう一度探しに来るはずはないだろうという心理をついてここに戻ってきた。鬼ごっこで鬼が一度探した場所を探さないのと同じである。
 しかし黒蝿たちは感じた。侵入者の気配を。

 「ここには来ないと踏んだんだがな……」
 「人数は4、5人か……全員悪魔召喚師の可能性が高いな」
 「その人数ならやれるが……下手に騒いで仲間を呼ばれるのは避けたい」
 「なら、息を潜めてろ。見つからないようにな」

 だが、そんなツギハギの言葉も空しく、彼らの気配を察知したヤタガラスの刺客は、地下に続く階段を発見してしまった。仲魔を引き連れ、階段を下りていく悪魔召喚師達。その数、仲魔も入れて5人。
 悪魔召喚師の1人が射撃場に通ずるドアノブに手をかけ、室内に侵入する――かと思われたが、入り口の左右に控えていた黒蝿とツギハギによってこめかみに肘打ちをくらい、昏倒する。
 それが戦いの始まりであった。
 機先を制した黒蝿とツギハギは、残り4人の悪魔召喚師とその仲魔相手に雷撃のごとく攻撃を仕掛ける。ツギハギのガンプによって悪魔召喚師の膝は撃たれ、黒蝿のザンにより彼らの仲魔は吹き飛ぶ。だが、相手も負けていなく、至近距離から銃を放ち、仲魔に下知を下す。
 銃弾が黒蝿の髪を数本持って行き、アギの炎がツギハギに迫る。ツギハギは仲魔を召喚し戦っていた。
 数名が戦う戦場となった射撃場の隅で、フジワラは未だ眠りから戻ってこない重女の身体を庇い、銃を構えていた。だがその手は震えている。フジワラは悪魔召喚師ではないのでこういったドンパチは苦手なのだ。それに一週間前に負った治りかけの怪我が、彼の挙動に精彩を欠く一因となっている。
 ツギハギと黒蝿の必死の防衛網を抜けて、邪鬼・グレンデルがフジワラの方に迫る。筋肉隆々の悪魔に向かって、フジワラは引き金を引いた。しかし二発命中したものの、相手は対したダメージを負っていない。恐らく物理攻撃に耐性があるのだろう。

 「フジワラ!」

 ツギハギの切迫した悲鳴にも似た声が飛ぶ。黒蝿もフジワラの方に向かったが、敵の腕は上がっており、モータルジハードを繰り出そうとしているところだ。

 ―――

 深層意識の海の中、重女は対峙する弟に向かって、言う。
 私は、
 今、私が出来ることは、

 『……姉ちゃん』

 私は、わたしは………
 そこで重女は息を吸うと、決意したように、思いを目の前の弟に告げる。

 「私は、黒蝿やフジワラさんやツギハギさんに謝りたい!」

 そして、と重女は続ける。

 「私は、彼らを、守りたい!」

 ―――

 グレンデルの太い腕が振り下ろされようというとき、その腕に複数の穴が空いた。
 ハマの弾を受けた事により、グレンデルにダメージを負わせることができた。しかし、その弾を発したのはフジワラではない。フジワラに庇われていた、つい一瞬前まで睡眠状態だった少女が影の銃でハマの術の籠もったマハンマストーンを撃ったのだ。

 「か、重女さ……いや、アキラ君?」

 はあはあと肩で息をしながら、膝立ちになって重女は次々に影の銃を造りあげた。外見こそ近代のハンドガンやサブマシンガンの形ではあるが、機構は単純で、中世に用いられた単発式のライフル・ド・マスケットに似ている。そして一発撃つごとに形は崩れるが、その前に重女はいくつも銃や刃物を影で顕現していった。

 「―――――――っ!!」

 もし重女に声が出ていたら、それは雄叫びとなって辺りに響いただろう。影の銃を撃ち、また撃ち、刀を投げ、相手の悪魔召喚師とその仲魔を蹴散らしていく。
 戦力をボロボロにされたヤタガラスの刺客達は、やっと射撃場から出て行った。
 敵が出て行ったにも関わらず、銃を両手でしっかりと握りしめ、呼吸も荒く臨戦態勢を解かない重女に、フジワラは違和感を抱いた。そして彼女の肩を揺すり、「もう終わったよ、“重女さん”」というと、金髪の少女は驚いたように肩をびくつかせ、一瞬フジワラを凝視したかと思うと、次の瞬間罰が悪そうに下を向く。

 「やはり……今の君はアキラ君ではなくて重女さんだね」

 フジワラは確信を持って言った。

 ―――

 「……………………」

 もじもじと、居心地の悪そうに、重女は身体を縮ませる。両手で身体を抱き、“戻ってきた”ことを改めて実感する。
 あの後、ヤタガラスの刺客を退けた後、重女たちはツギハギの指示の元、射撃場にあった武器を全部持って車で移動した。移動先は隠れ家の一つの廃棄された病院。そこは廃棄されてそれ程経ってないのか、あまり雑然としていなく、造りもしっかりしているので、水と電気さえ通っていればこのまま住めそうな雰囲気だ。
 ツギハギはさっきからどこかと連絡を取り合っている。フジワラは包帯と湿布を変えるのに忙しく、黒蝿はじっと重女の方を凝視していた。
 恐る恐る顔を上げる。すると黒蝿の切れ長の瞳と目が合ってしまい、思わず重女は下を向く。
 このままではいけない。話しかけなくては。黒蝿だけで無くフジワラさんやツギハギさんにちゃんと謝罪しなければ。でも、そのきっかけが掴めない。

 「あの~……」

 いきなり声をかけられ、重女の肩がびくついた。気がつくと、フジワラが下から重女の顔をのぞき込んでいた。

 「一応もう一回確認したいんだけど………今の君は重女さんで合っているよね?」

 ふいに問われ、重女は顔を赤くしながら小さく頷いた。相変わらず眉を寄せてこちらを見ている黒蝿と目を合わさないよう、視線を床に落とす。

 「うーん、でも確認のしようが無いよね。アキラ君も影の魔法を使えたのかもしれないし……」
 「それはない」

 フジワラの疑念に、そう断言したのは黒蝿だ。黒蝿はこちらに近づき、重女を見下ろしながら言った。

 「影の造形魔法は、俺がこいつに直接渡した。使えるのはこいつだけだ」
 「なぜそう言い切れるんだい? 身体が同じならアキラ君だって使えたって可能性も………」
 「さっき、影で銃を造ったとき、アキラのでは無く、こいつの波動を感じた。俺は影の剣で刺されたから良くわかる」

 刺された、と言われたとき、重女の心臓が一際大きな音を立てた気がした。黒蝿はそれっきり何も言わない。無言で、自分を刺した少女を見つめ続けている。
 ぎゅっと目を瞑り、重女は床に手をつけ、ゆっくりと頭を下げる。そして黒蝿、フジワラ、ツギハギに向かって言う。『……ごめんなさい』と。
 無論、この声は黒蝿にしか聞こえていないが、フジワラとツギハギはその姿勢から、彼女が謝罪の意を示していることを理解した。

 『あの時………貴方を、刺しちゃって、痛い思いさせちゃって、本当に、ごめんなさい……』

 涙が溢れそうなのを必死に堪え、一語ずつ確かめるように重女は黒蝿に向かって謝罪した。黒蝿はまだ何も言わない。

 『私は、沢山の人を殺してしまった。黒蝿、貴方が止めてくれなかったら、もっと暴走していたと思う………私は、力に溺れて、取り返しの付かないことをしてしまった……』

 シドは、あの時私のことを「ダークサマナー」と言った。力を行使し、悪行を働く者。その咎人の名。私に付いてしまった烙印。

 『私は、“ダークサマナー”になってしまった。それと同時に、ヤタガラスが行っていることを知ってしまった。あれは、絶対に止めなくちゃいけない。
 ……でも、今の私には力が無い。真っ正面から対抗してもヤタガラス相手に勝ち目はない。だから、私は………』

 ぎゅ、と拳を握る。この決意を口にすれば元には戻れなくなる。だけど、この方法でしかヤタガラスを壊滅させることはできないとも理解していた。
 重女は、顔をあげて、真っ直ぐ黒蝿の目を見て言う。

 『私は、ヤタガラスに反旗を翻す者、“ダークサマナー”として、あの組織を潰したい! どんな手段を使っても、あんな実験をしているヤタガラスを潰したい! これ以上不幸になる人が一人でも多く減るように……だから、やたノ黒蝿、私に仲魔として力を貸して』

 ぴくり、と黒蝿の眉が片方上がる。重女は構わず続ける。

 『人を大勢殺してしまった罪は、そうすることでしか消せないと思う。ダークサマナーとして、どんな手を使っても、ヤタガラスを、シドを止めたい。だから……!』
 「俺に命令するな」

 ぴしゃり、と重女の言葉を黒蝿が遮った。重女の身体が硬直する。

 「誰につくか、なにをするかは自分で決める」

 そこで、黒蝿はしゃがみ重女と目線を同じくする。ほの暗い瞳が青の瞳をのぞき込んでくる。その視線は重女の心の奥をも見透かすようで、重女は顔を背けたい衝動を必死で堪えた。

 「おまえはダークサマナーとしてヤタガラスを潰すと言うが、それがどれほどのことか分かっているのか? 相手は千年以上の歴史ある巨大な組織だ。それを瓦解させるには、手段は選んでいられないぞ。非道と呼ばれる行為も場合によってはおこなわなければならないだろう。それでもやるのか?」

 黒蝿の視線の圧力が増す。震えだした左手を右手で必死に押さえ、重女は、はっきりと言う。

 『……うん。私は、ダークサマナーとして、ヤタガラスを潰すためなら、シドを止められるなら、どんな手段でもとる』

 沈黙が場を支配する。重女の声が聞こえないフジワラとツギハギには、二人の会話の内容は断片的にしかわからなかったが、それでも重女の決意が伝わってきて、両者一言も口を挟めずにいた。

 「…………そうか」

 最初に口を開いたのは黒蝿だった。そのすぐ後、乾いた音が響く。黒蝿の右手が、重女の頬を叩いたのだ。
 一瞬、重女はなにをされたか分からなかった。ようやく自分が叩かれたのだと知ると、無意識に頬に手を当てる。その頃には黒蝿は立って後ろを向いていた。

 「刺された分の返しだ」

 肩越しにそう重女に告げると、黒蝿は今までの重女との会話をフジワラとツギハギに説明しに行った。刺された分の返し。黒蝿にとって重女はあれだけの深手を負わせた相手なのだから、もっと罵倒したり、強く殴るなどをしてもよかったのに。
 だが、あえてそれをせず軽いビンタ一つでことを済ませるだなんて。重女にとっては罵倒されたり、激しく殴打されるよりも、この軽い一発が何よりも心に響いた。

 ―――

 重女の決意を黒蝿から聞いたツギハギとフジワラは異を唱えなかった。もとより二人もヤタガラスから追われる身になってしまったのだから、重女の「ヤタガラスを潰したい」という目的には賛同せざるをえなかった。

 「と、いってもよ、具体的に何をするんだ?」

 そうツギハギに聞かれ、重女は困った。ヤタガラスを潰すといっても、具体的な策は何一つ考えてなかったのだから。

 「とりあえず、ヤタガラスの情報入手を当座の目的としないかい? 重女さんはシド・デイビスという悪魔召喚師を探したいんだろう? なら、ヤタガラスの悪魔召喚師の登録名簿にアクセスできれば……」
 「簡単に言うけどよ、それってヤタガラスのメインコンピューターにハックするってことだろ? クラブ・ミルトンのとはセキュリティの強度が全然違う。フジワラ、お前の腕前でも叶うかどうか……」
 「それで私に一つ案があるんだけど」

 これを見て、とフジワラがノートパソコンの画面を見せてきた。そこに映し出されていたのは、どこかの会社の社員登録名簿らしく、何人かの顔写真と経歴その他の情報が表示されていた。

 「これは先週私たちを襲った「烏丸コーポレーション」というヤタガラスのフロント企業の社員名簿なんだけど、この人物を見て。篠原義信。こいつは凄腕のハッカーで、過去に色んな悪徳企業の悪事をハッキングして暴いたって、その筋ではちょっとした有名人なんだ」
 「そいつがどうしたって言うんだ。こいつもヤタガラスの悪魔召喚師なんじゃないのか?」
 「いや、調べた感じだと、この会社は上層部以外の社員は一般人で、自分達の会社がヤタガラスに関わっているとは知らない。当然篠原義信もね」

 それで、とフジワラは重女に顔を向けながら言った。

 「彼には娘がいるらしいんだ。現在中学二年生。名は篠原茜。●●県の公立中学校に通っているらしいんだ。重女さん、この中学校に潜入し、この子と親しくなってくれないかい?」

 重女のみならず、黒蝿もツギハギも首をかしげた。何故ヤタガラスの息のかかった会社の職員の娘と親しくなる必要がある?

 「わからない? つまりだね、篠原義信にヤタガラスのメインコンピューターにハッキングしてもらう為に、娘を利用するってことだよ」
 「おい、それってまさか……」
 「娘の篠原茜を人質にとって、ハッキングして貰うんだよ」

 ツギハギは呆れた。こんな大胆かつ卑劣な策が温厚なフジワラの口から出てくるなんて。こんな作戦、お嬢ちゃんだって承知するはずが――

 【やる】

 重女はそう書かれたスケッチブックを見せ、賛同の意思を示した。ツギハギとフジワラは思わず顔を合わせる。フジワラはとりあえず言ってみたがきっと重女に断られるだろうと思っていたのに、まさか賛同してくるとは。

 「お嬢ちゃん、本気かい?」

 重女は固い表情を崩さず、さらさらとスケッチブックにペンを走らせる。【手段は選ばないって決めたから】紙にはそう書かれていた。
 フジワラは顎に手を当て何かを考え、ツギハギはまじまじと重女の顔を覗いた。だが口を真一文字に引き締めた重女の顔は冗談を言っているように見えなかった。

 「…………」

 黒蝿は何も言わず、ただ重女の横顔を見つめていた。その横顔が、黒蝿が今まで見たことのない少女の表情だったので、思わず黒蝿は眉をしかめた。

 その後、重女の同意を得たことにより、この作戦は決行されることになった。重女達は●●県へ移動し、フジワラ達の手により、偽の住民票などが造られ、重女が篠原茜と同じ中学に転校出来るよう根回しされ、いよいよ明日、その中学校に潜入することになった。

 ―――

 『本当にこれでいいのかい?』

 夢の中、アキラが重女に問いかけてくる。重女は頷いて見せた。

 『姉ちゃんの選んだ道は辛いよ? ダークサマナーとしてヤタガラスの追っ手に神経を使う日々………きっと、ツギハギさん達以外の誰からも理解されない。それでもいいの?』

 いいの、と重女は答えた。ヤタガラスを潰すため、私はダークサマナーの道を進むしかない。例えどんな手段を使おうとも、憎まれようとも、ヤタガラスは壊滅させなくては……

 『例えシド先生と相まみえることになっても?』

 ……………………

 『……分かった。それが今の姉ちゃんの決めたことなら、俺は何も言わない。だけど姉ちゃんは一人じゃないよ。黒蝿の野郎も、獅子丸も、牛頭丸も、猿も紅と白もいる。それに俺は深層意識の奥底に眠るけど、本当にピンチになったらまた出てくるから。
 だから、姉ちゃん、無理だけはしないで………』

 うん、ありがとう、アキラ。

 アキラが重女の手をとり、手の甲にキスをする。まるで紳士のようなその行為に、重女は顔を赤くした。
 アキラはイタズラっぽく微笑みながら、その身を崩させていった。アキラの人格が薄れていく。重女は思わず手を伸ばしたが、その時には意識は完全に覚醒され、気がつくとその身は薄い布団に横たわっており、隠れ家の天井に向かって手が伸びていた。
 目の縁に涙が溜まって、瞬きすると、つう、と一筋の涙が重女の頬に軌跡を残した。

 ―――

 制服の着るのなんていつぶりだろう、と重女は思い、最後に制服を着たのはいつだったかと考えを逡巡していると、バスが次の停留所の名をガイダンスした。重女は停車ボタンを押した後、中指で眼鏡のブリッジをくい、と押し上げると、すぐに意識を切り替えた。
 篠宮義信の娘、篠宮茜に近づき、彼女を人質に篠宮義信にヤタガラスのメインコンピューターにハッキングさせ、情報を得ること。これが重女達の作戦。

 ――大丈夫。きっと上手くいく。

 制服の下に隠している十字架のペンダントを握りしめ、重女はそう自分に言い聞かせる。
 ダークサマナーの少女は、セーラー服に身を包み、打倒・ヤタガラスのための一歩を踏み出した。

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 『嫌だ!  “僕”に近寄るな!』

 東のミカド国、城内の医務室のベット。そこで頭を押さえているのは、やたノ黒蝿の真名を奪った、「重女」と偽名を名乗っている少女である。
 今日も駄目か。黒蝿は溜め息を吐いた。
 重女は、数日前、弟でありこの国の王であるアキラと共に四大天使を封じ、しかし四大天使の一体であるガブリエルに右手と両足を食いちぎられ瀕死のところを、悪魔合体プログラムにて弟と合体し奇跡的に一命をとりとめた。
 しかしその副作用がいくつか現れてしまった。視力の低下、右手と両足の麻痺などがあるが、一番酷いのは記憶の混濁である。
 アキラと合体したことにより、彼のマグネタイトが彼女の中に入り、それは記憶にまで影響した。マグネタイトは人間の感情エネルギー。そしてマグネタイトには必ず持ち主の記憶と感情が付随する。
 重女とアキラの記憶が混ざり合ってしまい、重女は自身の自我が曖昧になっている。今も“僕”という一人称を使った。今の重女はアキラなのだろう。

 『ここはどこ? おじさんたち誰? “お姉ちゃん”は? “お姉ちゃんは”いつ帰ってくるの?』

 ベットの隅に移動し、重女は自由に動かせる左手で布団を握りしめ身を震わせている。彼女から送られてくる念波は、間違いなくアキラの言葉であった。

 「黒蝿君、重女ちゃんはなんと?」
 「完全に自分を見失ってる。今は自分がアキラだと思っているようだ」

 キヨハルは禿げ上がった額に手を当て嘆息した。

 「せっかくアキラ君が犠牲になって重女ちゃんを助けたというのに、これでは……」
 「何か手はないのか?」

 かつてアキラの仲魔であった雷王獅子丸が黒蝿に問いかけた。手がないわけではない。が、それは黒蝿にとって気が進まない方法である。
 しかしこのままあいつを放っておくのも面倒だ。それに――“約束”もしてしまった。黒蝿は懐の十字架のペンダントに触れる。この持ち主である少年との約束。自分の代わりに姉を守ってくれ、と言い残し、このペンダントを寄越したあいつの弟との。

 「……わかった。俺がなんとかする」

 腹をくくり、黒蝿が言う。その表情はなんとなく憂鬱気だ。

 「なんとかって?」
 「彼女になにをする気だ?」

 キヨハルと獅子丸の問いには答えず、黒蝿は「皆、部屋を出ろ」とだけ言い放った。
 やや不安ではあったが、獅子丸と牛頭丸、キヨハルは医務室を出て行った。自分たちに今の重女を元に戻す方法は思いつかない。なら黒蝿の策に賭けてみるしかない。
 しかし念のため、医務室のドアをほんの数センチ開けておき、そこから成り行きを見ることにした。

 ―――

 ――さて。

 『お、お兄さん、誰?』

 愛想というのにまるで縁がない黒蝿と部屋に二人っきりにされ、重女は更に怯え、布団を身体に巻き付けた。

 「………」

 表情を崩さないまま、黒蝿はベットに近づいた。今は完全にアキラとなっている重女は、黒蝿のことを“怖い男の人”としか認識出来なかった。

 『こ、来ないで!』

 しかし黒蝿は歩みを止めず、ついにベットの端に膝を乗っけた。ぎし、とベットのスプリングが鳴る。

 『い、嫌だ、怖いよう……“お姉ちゃん”、お母さん、誰か……』

 その時だった。

 黒蝿が重女の左手を掴み、強引に引き寄せたかと思うと、そのまま押し倒した。
 何が起きたか分からなく、涙の浮かんだ目をキョトンとさせている重女に、黒蝿は、重女と唇を重ねた。

 ―――

 「!!」

 重女のみならず、ドアの隙間越しから覗いていたキヨハル達も言葉を失った。

 「あ、あやつ、な、なんと破廉恥な事を!」

 獅子丸が怒って部屋に押し入ろうとしたが、キヨハルがそれを制した。

 「待って、黒蝿君を信じよう。彼の事だから意味のない行動ではないはずだよ……多分」

 獅子丸はまだ納得がいかない様子だったが、とりあえずは留まった。しかしなにかあったらドアを蹴破ってでも中に入れるよう身体中の筋肉に力をいれた。
 一方俗っぽい性質の牛頭丸は、密かに聖書型コンプに内臓されているカメラで、中の様子を隠し撮りしはじめた。

 ―――

 「っ~!!」

 身体の上に乗っかている黒蝿を押しのけようとしても、自由に動かせる左手はしっかりと捕まれシーツに押し付けられているし、右手と両足はまだ麻痺が残っている。後頭部はがっしりと手で押さえられているし、そしてなにより、口内に侵入してきた黒蝿の生暖かい舌の動きに、身体中の力を吸い取られていくようで、とても抗えない。

 (まったく、なんで俺がこんなことを)

 深い口づけを続けながら、黒蝿は胸中でごちた。
 別に人間の女と接吻するのは初めてではない。この姿に変えられる前、美丈夫の人間の男に化けて、何人もの女と接吻や性行為を通してマグネタイトを奪った経験がある。
 肉体的接触。それが一番効率よく大量に対象者のマグネタイトを奪える方法だったからだ。
 特に粘膜同士の接触の効果は抜群で、素早くマグネタイトを摂取することができる。それは長い時を生きてきた悪魔である黒蝿が学んだことである。
 黒蝿の舌は重女の舌と絡み合い、そして重女の中に存在していたアキラのマグネタイトを吸い出す。するとマグネタイトと一緒にアキラの記憶まで黒蝿の中に流れ込んできた。

 ――六月六日の姉の誕生日を祝ったこと、学校や近所での自分達家族への侮蔑の視線。暴言。
 いじめられて泣いている自分を庇ってくれた姉、二人だけの秘密基地、母の死、シドに連れていかれる姉の後ろ姿、四大天使との出会い、別世界の東京でキヨハル達と出会い、悪魔を倒し、ついに東京の上を覆っている岩盤の上にたどり着き、そこでキヨハルと一緒に「東のミカド国」という国を建国したこと、王になってからの激務、姉との再会と四大天使との戦い。
 そして自らの身体を有機体に変換させて、悪魔合体プログラムにて姉と合体する直前――記憶はそこで途切れていた。
 黒蝿は悪魔なので、重女のようにマグネタイトを吸っても、そいつの記憶や感情を感じたりしない。しかし、何故かアキラの記憶は激流のように黒蝿の中に入り込み、僅かながら感情も読み取ってしまった。
 人間の感情というのは複雑で、それでこそ美味なのだが、アキラの記憶の中の感情を占めていたのは、一言でいうなら「寂しさ」であった。
 生まれついて皆と違う髪と目の色を持ってしまったことへの「寂しさ」、私生児である姉と自分、そして自分達を生んだ母への周りの視線、排斥の「寂しさ」「辛さ」、母が死んだ時、姉が去ってしまったときの「寂しさ」「悲しみ」――アキラの記憶はそんな感情で構成されていた。
 しかしそんな暗い記憶の中で、まるで太陽の光のように温かい部分があった。それは姉への感情である。
 いつも自分を守ってくれたお姉ちゃん、優しかったお姉ちゃん、再び会えた時の「喜び」「嬉しさ」、そんな姉が瀕死の重傷を負った時の決意……

 ――姉ちゃん、生きて――

 ―――

 ぷは、と銀糸を垂らしながら黒蝿と重女の唇が離れた。重女は目を回して気を失っていた。が、その顔色は先程より血色がよく、恐らく元に戻ったであろう。

 「手間かけさせやがって……」

 口許を拭いながら黒蝿は呟く。これでこいつの中のアキラの記憶は全部吸い取れたはず。ならば今までのような記憶の混濁はなくなるはずだ。そうでなくては困る。

 「終わったのかい?」

 ドアからキヨハルや獅子丸、牛頭丸が部屋の中へ入ってきた。獅子丸はどこか居心地の悪そうな顔で、牛頭丸はニヤニヤと笑いながら、何故か聖書型コンプを手にしていた。

 「ああ。恐らくこれで大丈夫だ」

 ぐらり、と黒蝿の身体が揺れる。と、次の瞬間、人型の姿をたもっていられなく、鴉へと変化した。さすがここミカド国の王。悪魔であるこの俺にマグネタイトの記憶と感情を感じさせ、こんなにも憔悴させるとは。

 「キヨハル……聞きたいことがある」
 「なんだい?」
 「アキラのマグネタイトを吸い取る際、ついでにこいつの内面を覗いたが、こいつは普通にマグネタイトを所有していたぞ。だが手が出せなかった。まるで見えない鎖に雁字搦めにされているような感じだった。何故だ?」
 〔その疑問には私が答えよう〕

 急に牛頭丸の手にしていた聖書型コンプが開いたかと思うと、そこから立体映像のミドーの姿が現れた。悪魔に魅了された男のなれの果ての姿は相変わらずのやや崩れたポリゴンである。

 〔いやあ、先程の熱愛キスシーンはなかなか見ものだったぞい。録画しておいたから、後で見せて、〕
 「それは消せ。今すぐ消せ。いや、それより質問に答えろ。こいつはマグネタイトを生成できないはずだ。なのに何故マグネタイトの気配がある?」
 〔ふうむ……〕

 ミドーは立体映像の姿で、ふわり、ふわりと左右に動いて見せた。考え事をしているときのこいつの癖だろうか。

 〔恐らくおまえさんがその子の名と声を奪ったことに関係があるのだろう〕
 「どういう意味だ?」

 黒蝿だけではなく、キヨハル他、部屋中の皆がミドーの言葉に耳を傾けていた。ミドーは、もったいぶったように続けた。

 〔マグネタイトは人間の感情エネルギーで、人ならざるものがこの世に顕現するための餌。だから人間である限り誰にでもマグネタイトはある。その子も例外ではない。
 これは仮説にすぎないが、おまえさんが名と声を奪ったときの副作用で、彼女のマグネタイトは体内の奥底に縛り付けられたままになってしまったのじゃろう〕
 「だから、こいつは仲魔にマグネタイトを供給できないし、術も使えないと?」
 〔そういうことじゃ。だが利点もあるぞ。マグネタイトが身体から取り出せないというのは、他の悪魔にそれを奪われることがないということじゃ。少なくともマグネタイトを吸い取られ死に至ることはないじゃろうな〕

 成る程、と黒蝿は思った。あいつと初めて出会った時、声と名を奪うだけでなく、自身の能力である影の造形魔法の一部も与えた。それら外部からの干渉が原因でマグネタイトを仲魔に供給できなく、普通の術も使えないというのは納得のいく仮説であった。勿論、だからと言って、名と声を返す気はさらさらないが。

 「よくわかった。……俺は疲れた。しばらく休ませてもらう」

 そう言って、鴉に身を変えた黒蝿は、そのまま黒い風に乗って窓から飛び出していった。後ろでキヨハル達が何か言っていたような気がしたが、黒蝿は無視した。
 ミカド国の空を飛びながら、アキラの記憶の最後の言葉を思い出していた。

 ――姉ちゃん、生きて――か。

 ――全く、これじゃあますますあいつから離れられないじゃないか。少なくともこれであいつを死なせないように守らなければいけなくなってしまった。俺はいつになったらあいつのお守から解放されるんだか。
 ふらふらと空を飛びながら、今はもういない少年の顔を思い出した。彼と交わした「約束」が更に固いものになって、ほんの少し、黒蝿の心を揺らした。

 ―――

 それから、重女は黒蝿の「施術」のおかげで記憶の混濁がなくなり、自我が戻ってきた。
 だが強引な「施術」のせいで酷い倦怠感がつきまとい、数日間寝込むはめになった。

 『ねえ、黒蝿』

 医務室のベット脇に見守るようにちょこんと立っている黒蝿に、重女は横たわったまま聞いた。

 『混乱していた時の事、よく覚えてないんだけど、物凄い悪夢を見た気がしたの。その夢は私のファーストキスが、よりにもよって貴方っていう内容だったんだけど、これって夢だよね?』

 黒蝿は横をむいたまま、重女に顔を見られないよう答えた。

 「ああ、ただの夢だ」


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 「今日は部活いいの?」
 「うん、たまには姉ちゃんの手伝いしなきゃね」

 買い物籠を持ちながら、学校帰り、アキラと二人で夕飯の買い物を済ませる。
 アキラももう中学生だ。あんなに小さかったアキラの背は私をとうに追い越し、肩幅も広くなり声も低くなった。
 なんだか不思議な感じだ。アキラがこんなに大きくなったなんて。

 「そういえば姉ちゃん、またあの夢みたの?」
 「……うん」

 私は少し俯いて頷く。

 「なんだっけ? 僕が、えっと……?」
 「アキラが次元の違う国に行って、国を築いて王様になってるの」

 言いながら自分の黒髪を触る。私の癖だ。恥ずかしいと思ったとき無意識に髪をかきあげてしまう。

 「何度聞いても凄い夢だね」

 隣でアキラが苦笑しているのがわかる。俯いた顔があげられない。夢とはいえ、突拍子でないことを言ってるのは自覚している。
 でもここ最近、私は同じ夢を何度も見るのだ。小さなアキラが聖書に出てくる四大天使に導かれ、こことは違う別世界の東京に行き、悪魔を退治する。
 そして不思議な力で、「東のミカド国」という国を造って、そこの王様になるのだ。
 沢山の大人を従え玉座に座るアキラは、とても凛々しくて、まるで別人のようだった。

 「でも、そんな世界があるなら行ってみたいと思わない?」

 その言葉に思わず横を向いた。アキラが微笑みながら私を見ている。今まで見たことがないような大人びた笑みだ。

 「わ、私は……」

 アキラの瞳の澄んだ青色に当てられて、視線を逸らしてしまう。
 ちょうどその時ブティックの前を通り過ぎて、ショーウインドウのガラスに姿が映る。制服姿の私とアキラ。アキラの背は大きい。歩くたび金髪が揺れてさらさらなびく。自分の黒髪とは違う髪色。ガラス越しにもアキラの視線を感じてまた私は俯く。

 「私は……今の世界にいたいと思うよ」

 そう答えると、アキラの雰囲気が少し変わった、ように感じた。

 「だって……確かに毎日辛いことばかりだけど、でも悪いことばかりじゃないよ。ここにはお母さんもアキラもいるし……それに……シド先生も」

 制服の下に隠している十字架にそっと触れた。アキラと、シド先生とお揃いのペンダント。これは私のお守り。これさえあれば辛いことがあっても一人じゃないって思えるから。

 「そうか……姉ちゃんは、そう選ぶんだね」

 はっ、とアキラの顔を見返す。隣の弟は相変わらず笑みを浮かべている。だが、その笑みには何とも言えない寂しさの色が浮かんでいる。

 「アキラ……?」

 弟の顔を見上げ気づく。おかしい。アキラと私は六歳離れている。私は今十四歳。ならアキラは八歳のはずだ。こんなに背が高いはずがないし、中学の制服は着ていない。
 どんどんアキラは大きくなっていく。いや、違う。私が小さくなっているのだ。
 思わず手を伸ばす。しかし手は届かなかった。右手が、途中で千切れて無くなっていたからだ。
 悲鳴をあげる。しかし声は出ない。筋肉が張り詰めた喉からは虚ろな音しか出なかった。
 立っていられなく、どたん、と前のめりに倒れる。アキラが身体を受け止めてくれた。気が付けば、私の両足も千切れていた。辺りは血の海。身体が冷えていく。意識が朦朧としていく。
 霞がかっていく頭で私は自分の死を確信していた。この感じ、前にもあった。シドに鞍馬山に連れていかれ、逃げ出し、足を滑らせ頭を打った時だ。
 あの時も死にかけた。だけど助けてくれた存在がいた。黒い翼。黒い男。私が名前を奪ってしまった悪魔――
 鴉のような黒い羽毛が辺り一面に飛び散る。その中に「あいつ」が立っている。やたノ黒蝿。そう名付けた私の仲魔。
 そいつはじっとこっちを見ている。悔しいのだろう。真名を返して貰えないまま、私が死んでしまうのだから。
 でもいいの。アキラ、貴方さえ生きてくれたら。私は――
 左手をアキラが力強く握ってくれる。温かい。血塗れの私の身体を抱いてくれているのが分かる。

 「姉ちゃん――」

 笑みを浮かべながら唇を動かすアキラ。だけど声が聞こえない。耳までいかれてしまったのだろうか。

 「―――――」

 それでも尚何かを話しかけてくる。何と言っているのか分からない。アキラはずっと微笑んでいる。何故、そんな泣きそうな笑顔を浮かべているの? 泣き虫なところ、昔から変わってないね。

 「―――――」

 何かを言い終えた後、アキラはそっと私の左手を自分の頬に当てる。辺りを舞う黒い羽が増えていき、視界を黒く染めてアキラの姿を隠していく。
 待って。これじゃあ何も見えないじゃない。黒蝿、これなんとかしてよ。
 首を動かし、後ろに立っている黒蝿に私は視線で訴える。しかし黒蝿は、ただ苦虫を潰したような顔で私を見下ろすだけ。
 左手になにか固い感触があった。既にアキラの姿はない。左手を開くと、そこには鈍く光る十字架のペンダントがあった。
 光が溢れた。金の光。アキラの髪と同じ色の光が。黒一色の中でその光が太陽のように闇を払い、その眩しさに私は思わず目を瞑り――

 ―――

 「目を覚ましたぞ!!」

 目を開いた重女を覗き込んでいたのは、キヨハルに雷王獅子丸、八坂牛頭丸に数名のサムライ衆らしき男。
 キヨハルがペンライトを目に当てて瞳孔をチェックしている。バタバタと医務室を何人かが出入りする中、黒蝿は壁に寄りかかり目を瞑っていた。

 「………」

 重女は目を開けたまま、ベットの中で身じろぎもせずじっとしていた。何人かが代わる代わる顔を覗き込み、皆安堵の息をつく。

 「ちょっとごめんよ」

 キヨハルが布団の中から、重女の“右手”をとる。そのまま脈を計ったりとんとんと軽く叩いてみたりしている。

 「脈は正常だね。痛みは? 感覚はある?」

 重女はゆっくりと首を横に向け、小さく頷いて見せた。

 「じゃあ右手を動かしてみようか。拳を握ってみて」

 言われた通り重女は“右手”を握ろうとした。しかし“右手”はぷるぷると震えるだけで指一本動かせなかった。

 「ああ、まだ神経はきちんと繋がってないみたいだね。これじゃあ“両足”も……」

 まるで麻酔にかかっているかのように、重女の身体の感覚は鈍化していた。頭の中も靄がかかっているようだ。ここはどこだろう。自分はどこにいるんだろう。何故自分は寝ているんだろう。
 首を動かし、周りを確認する。煉瓦の壁、天井。ベット。薬品の匂い。沢山の人。先程見た顔に十字の傷が無数にある男。そして、壁に寄りかかっている黒い男と目が合った。黒い翼が生えている。あれは――
 瞬間、記憶がまるで噴水のように次々と湧き出てきた。大天使の繭の中での戦い、四大天使を封じ、しかしガブリエルに逃げられ、その際に私は奴に右手と両足を食いちぎられて――

 「!!」


 がばっと重女はベットから上体を起こした。そして確認した。自分の身体を。

 白い患者服からは食いちぎられたはず両足が伸びており、右手もきちんとある。しかし感覚はほとんどなく、動かすことは出来なかった。
 さらり。困惑する重女の顔に髪が降りてきた。しかしその色はいつも見慣れている黒髪ではなく、色素の薄い金色の髪であった。弟と同じ色。日の光を浴びてキラキラ光っていた金髪。

 ――アキラの髪の色――

 鳳仙花の種がはじけ飛ぶかのように、それまで凝固していた記憶が飛び散り、やがてそれは形を成していく。冷たくなっていく自分の身体をアキラが抱きしめてくれたこと。人々の怒鳴り声。赤い血だまり。
 出血で朦朧とした意識の中、コンプ内の電脳空間で重女は確かに聞いたのだ。

 「僕を有機体に変換させて、姉ちゃんの手足を蘇らせてくれ」というアキラの言葉を――。

 布団を左手で勢いよくはぎ取り、ベットから降り、壁際の黒蝿の元へ走ろうとした。しかし足に力が入らなく、重女は床に転がってしまう。

 「ちょ、重女ちゃん!?」

 キヨハルと獅子丸が手を貸そうとした。しかし重女はその手を払い、自分を見下ろす黒蝿を思いっきり睨んだ。

 『……なんで、止めなかったの』

 念波でそう問いかけても、黒蝿は答えなかった。重女は自由に動かせる左手を使い、床を這いつくばりながら壁際へと向かう。

 『私、全部じゃないけど思い出した。アキラが悪魔合体プログラムで自分を犠牲に私を助けようとしたこと。アキラと貴方とでコンプの中に入ったこと……』

 がしっと黒蝿の足を掴む。黒蝿はその手を払いのけようとせず、ただ重女を見ていた。

 『何故! 何故アキラを止めなかったの!? アキラが死ぬってわかっていたはずなのに! 貴方は一緒にいたはずなのに! なんで! どうしてよ!』

 涙を浮かべながらそう念波でそう送ってくる重女を、黒蝿は表情を変えず見下ろしていたが、一瞬目を瞑り、懐に手を入れながらこう答えた。

 「……約束だったからだ」

 低い声でそう答えられ、重女は目を大きくさせる。重女の念波が聞こえなく、成り行きを見ていたキヨハル達も、黒蝿の言葉を聞いて唖然とした。

 『……なによ、それ?』
 「あいつと交わした、男の約束だ」

 懐に入れてある十字架のペンダントを握りしめながら、黒蝿はそう答えた。元の持ち主である少年の顔を思い出しながら。

 『そんな……そんなわけのわかんないことで、アキラが……』

 黒蝿の足を握りしめていた左手から力が抜けた。重女は顔を床に向けながら、涙を流した。
 髪が揺れる。かつて黒であった髪。今は合体した弟と同じ金色の髪。その髪が重女の嗚咽に合わせて揺れた。

 『死にかけた私が生きるより……私は……あの子に生きて欲しかったのに……』

 蹲り、重女は泣きじゃくった。声を張り上げて泣いた。しかしその声は黒蝿にしか聞こえなかった。張り裂けそうに開いた喉からは、湿った咳のような音しか鳴らなかった。
 その部屋にいる誰もが、アキラの喪失と重女に対する哀惜の念を抱いた。
 天文学的な確率で生き残ってしまった少女は、皆の視線に構わず泣き続けた。母が死んだときに流れなかった涙を、まとめて流すように。
 胸の十字架のペンダントを握りしめ、泣き続ける少女に対し、黒蝿はもう何も言わなかった。
 謝罪も、弁解も、何も言わず、一人の少年と交わした約束の結果である少女を見つめ続けた。
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 重女は無事救出された。仲魔であるやたノ黒蝿の手によって。
 全身に傷を負いながらも、四肢を失っていなく、意識もしっかりしている姉を見て、アキラは胸を撫で下ろした。
 その一瞬の隙をついて、四大天使はメギドラを放った。それに気づくのが遅れたアキラはその攻撃をもろに受けてしまい、ダメージを受け後ろへと吹き飛んだ。

 「!」

 黒蝿と共に地へと降りた重女は、黒蝿の腕から抜け出し、弟であるアキラの元へ駆け寄る。

 『アキラ!』

 喉からは声は出なく、ひゅう、という隙間風のような音が出るだけであったが、アキラは姉が自分の名を呼んでくれたのだと何故か分かった。

 「姉ちゃん、無事か!?」

 こく、と重女は頷く。全身ボロボロのアキラを見て、重女は悲しそうに顔を歪ませ、そっと弟の手に自分の手を重ねる。

 『アキラ……ありがとう』

 その言葉もやはり声にならなかった。だがアキラには姉の表情と唇の動きでなんと言ったのか分かった。
 アキラは笑顔を浮かべた。姉が無事に戻ってきてくれた――その事実は嬉しかった。たとえそれが傍に立っている悪魔――やたノ黒蝿の功績だとしても。

 アキラの手が重女の頬に触れるより早く、繭の中に凄まじい風が吹き荒れた。
 白い風。それは重女を繭の中に吸い込んだ時に発生したのと同じであった。 その風を受けてサムライ衆や獅子丸に牛頭丸が吹き飛ばされる。
 風の発生源の四大天使達は、アキラと重女を睨んでいた。神の遣いである天使の神々しさはすでになく、あるのは屈辱と怒りによる禍々しいオーラだけであった。

 「アキュラ王……我らを裏切った代償は高くつくぞ!」
 「お前もその娘同様、穢れているようだな」
 「神の意向を理解できぬ愚か者共め」
 「もうお前達は必要ない。このままこの国諸共消し去ってくれる!」

 凄まじい風の中、重女とアキラ、そして黒蝿は立ち上がり真っ直ぐに大天使達を睨み返す。重女とアキラの十字架のペンダントが風で揺れる。

 「四大天使、もうこの国は貴方たちを必要としていない」

 アキラが剣を構える。重女は黒蝿の手を握った。一瞬黒蝿は眉を寄せたが、すぐに握り返してきた。
 吹き飛ばされたサムライ衆、獅子丸と牛頭丸もアキラの後ろに控え臨戦態勢をとる。

 「貴方たちがいなくてもこの国は存続できる。もう貴方たちはいらない。よって、東のミカド国から貴方たちを追放させてもらう!」

 言い終わるが早いか、アキラのマハラギオンが放たれる。
 それが合図だった。
 獅子丸と牛頭丸、サムライ衆が四大天使に立ち向かう。獅子丸は見事な剣技でミカエルの召喚した竜の頭を切り落としていく。ラファエルが牛頭丸の怪力乱神によって大ダメージを受ける。
 後方に位置するキヨハルの「ラスタキャンディ」によって攻撃力・防御力・命中率・回避率を増大させたサムライ衆は、ミカエルとガブリエルを攻撃する。ある者は剣で、ある者は魔法で。
 圧倒的物量により四大天使の旗色が悪くなり始めたころ、黒蝿は重女を抱きかかえ宙を飛び、四大天使へと近づいた。
 それに目敏く気づいたガブリエルがマハンマを放つ。だが黒蝿は易々とそれをかわす。 重女は黒蝿に抱えられたまま、手に黒い影を発生させていた。

 「お前が……! お前さえ来なければ! 我らはアキュラを依代にし、メルカバーとして顕現できたというのに!!」

 怨嗟の声をあげるガブリエルに、重女も黒蝿も何も答えなかった。重女の手の影がどんどん大きくなっていく。

 「汚らわしい悪魔め! 私はお前たちを許さぬ! 身を切り裂き腸を取り出し、我らに背いたことを後悔させて――」

 その時、重女の影が四大天使を覆った。影は大天使を包んだと思うと、次の瞬間黒く巨大な鳥籠へと変化し四大天使を捕える。

 「いまだ!!」

 黒蝿の合図と共に、アキラは手を鳥籠に翳した。するとその手に四枚の漆黒の面のようなものが現れ、それぞれ鳥籠に囚われている四大天使の顔へととりつく。

 「う、ぎゃああああああああああああ!!?」

 耳を覆いたくなるような叫び声が聞こえたかと思うと、鳥籠の中の四大天使は、身体がどんどん小さくなっていき、ついに人間程の大きさへと変化した。
 暫くの間四大天使は苦しそうに悶えていたが、やがて悲鳴は聞こえなくなり、身体の動きも止まった。

―――

 「……やった、やったぞ!」
 「四大天使を、封印したんだ!!」

 サムライ衆が勝利の雄たけびをあげた。
 傷を負っていないものはいなく、ほとんどの者が満身創痍であったが、どの者の顔にも勝利の喜びが滲んでいた。
 渾身の封印術を使ったアキラは、地面に尻をつけ、長い吐息をついた。

 「アキラ君、よくやったな!」
 「流石はわが主!」
 「まさか本当に四大天使を封印するとはね」

 キヨハルと、獅子丸に牛頭丸が労いの言葉をかける。アキラは答えの代わりにほほ笑んで見せた。
 そこに空中から重女と黒蝿が降り立った。重女は黒蝿の腕から降りると、アキラの元へと走り寄った。

 「姉ちゃん!」
 『アキラ!』

 ぎゅ、とアキラが重女の身体を強く抱いた。そのあまりの力の強さに重女は少し痛がった。

 「ご、ごめん姉ちゃん! 身体大丈夫?」

 重女は頷いた。自分の身体もボロボロなのに私の心配とは。そう思いそっとはにかんだ。

 「姉ちゃんのおかげだよ。姉ちゃんがあの鳥籠を作って動きを止めてくれなかったら封印することが出来なかった」

 それと、とアキラは重女の後ろに立つ黒蝿に顔を向ける。

 「お前も協力してくれて感謝する。ありがとう」
 「……礼はいい」

 顔を背けながら言う黒蝿の様子がおかしくて、重女はそっと笑って見せた。
 あの時、黒蝿が繋いだ手から力を分け与えてくれなかったら、四大天使を封ずるほどの鳥籠は作れなかっただろう。私一人の力では出来なかった。黒蝿がいてくれたから、私は――

 その時、四大天使を封じている鳥籠の一つに亀裂が走った。

 その音に気付いたのは重女だけであった。
 亀裂が生じた鳥籠は崩れ去り、中にいたガブリエルは、面を無理やり剥がすと、こちらへ突進してきた。
 アキラはキヨハル達と話し合いをしていて気づかず、黒蝿もこちらを向いてない。
 ガブリエルは醜悪な顔の大きな口を開けて、アキラの方へ向かっている。このままではアキラが――!

 『危ない!!』

 重女は思いっきりアキラを突き飛ばした。そしてそれがまずかった。
 ガブリエルは、強大な牙で重女の右手と両足を食いちぎり、そのまま繭の外へ脱出した。
 突き飛ばされたアキラも、傍にいた黒蝿も、一瞬の出来事に目を大きくさせた。
 身体から噴き出る鮮血が、重女の視界を赤く染め、そしてそのまま意識を失った。続きを読む

 大勢の足音と野太い男達の声が大天使の繭に響く。
 先程の総攻撃で空いた穴から、サムライ衆が侵入してきたのだ。

 合戦が始まった。アキュラ王率いるサムライ衆の軍団と、巨大な力を持つ四大天使との。

 先鋒を務めるのはアキュラ王の仲魔である雷王獅子丸と八坂牛頭丸。
 獅子丸が剣を振るうと炎の玉が生まれ、牛頭丸は天使達に向かって巨大な棍棒を振り下ろす。
 しかしどちらの攻撃も、天使達の一睨みでいとも容易く消滅してしまう。
 後から続いたサムライ衆も同じく、ウリエルの剣が生み出す業火で、隊員達の攻撃は無力化された。

 「アキュラ王……やはりおまえか!!」

 ガブリエルがサムライ衆の後ろで控えていたアキラを睨んだ。その視線はすさまじく、並の者なら失禁しかねなかっただろう。だが、アキラは視線を受け、逆にガブリエルら四大天使を睨み返した。

 「四大天使殿、貴方たちは僕の姉に危害を加えた。よって貴方たちを拘束させてもらう」

 はっきりと、しかし有無を言わさない口調でアキラは告げた。
 何故繭の中の自分たちの行動をアキラが知っていたのか、そんなことは四大天使達にとっては些細なことであった。それよりも――

 「我らを拘束する?」

 冗談を、という声音でガブリエルはアキラへと問うた。身体の左脇に抱えた白い顔が、嘲笑うかのように歪んだ。
 しかしアキラは真剣な表情を崩さない。真っ直ぐに、四大天使を見据える。

 「貴方たちの企みはもうばれている」

 凛とした声でアキラは言う。四大天使は互いの目を合わせる。

 「僕は、貴方たちと合体なんてしない。殉教などしない」

 アキラは静かに目を伏せ、ゆっくりと腰から刀を抜き放った。それに伴い、サムライ衆も刀を構えた。どの者の目にも闘志が滲みでている。

 「姉を傷つけた貴方たちを僕は許さない。姉ちゃんは返してもらう!」

 言うが早いか、アキラは刀を横に薙ぎ、「会心波」を繰り出した。ラファエルの杖が一振りすると、「会心波」は衝撃波によって相殺される。
 サムライ衆がガブリエルとミカエルに一斉攻撃をしかけ、黒蝿は空中に飛び、「大旋風」を巻き起こす。しかしそれもウリエルの炎によって遮られる。
 その際に大天使達の身体が揺れ、僅かに四体の位置がずれる。すると奥の方に小さな白い塊が見えた。
 白い繊維のようなものでぐるぐる巻きにされ、宙に吊るされているそれは、小さな繭のようだ。

 「あれは……!?」

 黒蝿がウリエルの刃を受けながら声をあげた。

 「なんだ!?」
 ウリエルの炎によって熱された空気を吸い込んでしまい、咳き込みながらアキラは黒蝿に問うた。

 「あの繭の中からあいつの気配がする。あいつはあの中だ」
 「!」
 
 その言葉を聞いた瞬間、アキラの身体は無意識に動き、吊るされている小さな繭へと走った。
 しかし横からハマの矢が飛んできて、アキラは足を止め、後ろへ飛びそれを回避する。

 「やらせませんよ」
 「く!」

 ガブリエルがアキラの目の前に立ちふさがる。ガブリエルが右手の白光する剣で斬りつけようとする。アキラは刀でそれを受け止めた。

 「貴方には失望しました。我らと合体し神の戦車になるということの重大性を貴方は理解していない。これは主の願いを叶える事。世界にとっても貴方にとってもより良い選択で――」
 「うるせえ!!」

 ガキン、と金属の触れ合う音が響き、アキラはガブリエルの剣を弾き返した。そして間髪いれず斬撃を繰り出す。それら全てをガブリエルはかわす。

 「世界がどうとか、神の戦車がどうとか、もうそんなのどうでもいいんだよ! 僕がこの世界に来たのも、悪魔を退治してきたのも、全部姉ちゃんに会うためだ! お前たちの下らない野望の為じゃない!」

 アギダインの巨大な炎がガブリエルの身体を包む。しかし炎が晴れると、そこには無傷のガブリエルが立っていた。
 舌打ちしながら再攻撃を仕掛けようと再びアキラは大天使に肉薄する。しかし、ミカエルが呪文を唱えると、目の前に巨大な七つの頭を持つ竜が現れた。ミカエルが召喚した竜は、口から紫の火炎を吹き出し、サムライ衆や獅子丸に牛頭丸、アキラまでを巻き込む。
 強烈な火炎をマカラカーンで防ぎながら、なおもアキラ達は前へと進む。重女が囚われている小さな繭へと。

 「姉ちゃん……!!」

 その時、火炎を避けながら凄いスピードで飛ぶ者がいた。黒蝿である。
 黒蝿は竜の攻撃を次々とかわし、重女が囚われている小さな繭へと向かっていく。
 アキラも後に続きたかったが、機動力では黒蝿の方が上だ。黒蝿のスピードは大天使すら凌ぐ。

 「黒蝿!」

 アキラが黒蝿に大声で呼びかける。黒蝿はちらり、とアキラの方向へ顔を向けた。

 「姉ちゃんを助け出してくれ! 頼んだぞ!」

 黒蝿はそれには答えず、小さな繭へととりついた。右手にありったけの魔力を込めた風を発生させ、繭に穴を空けるべく攻撃を仕掛けた。

―――

 遠くで何かが聞こえたような気がして、重女は目を開けた。
 目を開けた先は白かった。まるで水の中にいるようだ。視覚も、聴力も、触覚も、全ての感覚が飽和している。

 (私……なんでここにいるんだろう……)

 腕を動かそうとしても、上手く上がらない。記憶を辿ろうとしても思考がまとまらない。だけどなんだか心地よい。温かく、守られている感じ。お母さんのお腹にいる赤ちゃんはこんな感じなんだろうか。
 気持ちいい。ずっとここにいたい。ここには私を脅かすものはいない。膝を抱え、胎児のような恰好をとる。

 「―――」

 何かが聞こえた、ような気がした。でも音はくぐもっている。幻聴だろうか。

 「―――!」

 また聞こえた。人の声? 何か怒鳴っているようだ。どこかで聞いたような、懐かしい男の声。
 誰? 貴方は誰? 何を言っているの?

 声のする方向へ視線を向けた。柔らかい光が水面のようにたゆたう。
 すると視界の端に鈍く光る物が入ってきた。
 あれは、銀? 銀の十字架?

 『それは私からの贈り物だよ』

 十字架を見た瞬間、大人の男の声が脳裏に響いた。優しい、落ち着いた声音。

 『人が人を愛するのに、理由が必要かい?』

 古い教会で「その人」が微笑んでくれる。浅黒い肌、銀の髪、聖書、いつも優しかった「シド先生」――

 『姉ちゃん、お揃いだね!』

 私とお揃いの十字架をつけた金髪の男の子が、にっこり微笑んで抱き付いてくる。綺麗な金髪、私と同じ青い目の少年。今となっては血の繋がったたった一人の弟、「アキラ」――

 『なんだそれは?』

 景色が変わる。薄暗い。どこかの山の中のようだ。
 そうだ、此処は影の鞍馬山。私が作ってしまった影の結界の中だ。
 焚き火の向かいに座っている男が問う。黒い翼を生やした男。私の胸の十字架のペンダントは、火の光を反射して微かに光る。
 その問いに私は「食前の祈り」と答える。

 『誰に祈るんだ?』

 誰にって、そんなの決まってる。神様だ。
 そう答えると男は吹きだした。喉を鳴らし笑っている。私は顔が赤くなる。全くこの悪魔は――

 悪魔?

 そうだ、私には仲魔がいた。鞍馬山の地下で鳥かごに入れられていた黒い鳥。私が名を奪い、「彼」も私の声と名を奪った。黒い翼を生やした――

 「黒蝿!!」

―――

 その名を口にした途端、辺りの白い光は晴れ、重女の意識は覚醒した。
 と、同時に五感も戻ってくる。
 そして気づいた。自分が白い繊維のような糸で身体を縛られているということに。

 「く……!」

 身をよじっても、何重にも重なった糸は千切れない。
 そうだ、全部思い出した。私は四大天使の繭に入って、そこで天使達と戦ったけど、逆に大天使の光を浴びてしまって、意識が遠のいて……

 メリメリ、と重女の頭上で音がした。まるで壁を破るようなその音は、重女が囚われている空間の天井に亀裂を走らせる。
 亀裂が大きくなっていき、やがてそこから黒い手が出てきた。黒の篭手を着用したその手は男のものだとわかった。
 続いて上半身が出てきた。鴉に似た兜に、黒い山伏のような衣、深緑の長髪に暗い瞳――

 「黒蝿!?」
 「■■■!!」

 私の名を呼んだのだろう。しかし私にはその声が音声として認識できない。当然だ。私の本当の名を知っているのは、頭上で手を差し伸べている悪魔――やたノ黒蝿だけなのだから。
 ビシッと音がしたかと思うと、黒蝿の全身がまるで真空の刃に攻撃されたかのように切り付けられ、服も、顔にも、手にも複数の傷がつく。
 傷から赤黒い血が滴り、重女の顔に落ちても、黒蝿は手を伸ばすのを止めない。

 「来い! ■■■!!」

 必死の形相でそう怒鳴られ、それに答えるために重女は手を上げようとする。しかし身体は白い糸で縛られている。
 歯を食いしばり、重女は全身に力を入れ脱出を試みる。しかし糸は頑強だ。身体はびくともしない。

 「―――!!」

 それでも重女は動きを止めない。糸が腕に、足に、身体中に食い込み、肉を裂き血を噴き出させる。

 「う、ああああ―――!!」

 叫びながら、血を噴出させながら、それでも重女は頭上に向けて手を伸ばす。
 仲魔の声に答える為に、弟の元へ帰る為に。

 ビリビリ、と拘束していた糸が千切れはじめた。腕が自由になる。頭上に手を伸ばすと、黒蝿はその手をしっかりと握り、一気に重女を空間から引き上げた。
 重女の首からさげている十字架のペンダントが、傷だらけの二人の身体の間で揺れた。

―――

 重女を小さな繭から救出した黒蝿は、サムライ衆達の歓声を受けながら、そのまま空中で静止した。
大天使達は驚愕し、アキラも、安堵の息を吐いた。

 「……お前……」

 重女を抱えたまま、黒蝿は腕の中の少女の顔を覗き込む。何か言ってやろうと思ったが言葉がでない。
 すると大きな青の瞳が、黒蝿の顔を逆に捉えた。

 「……ありがとう」
 「あ?」
 「助けてくれて」

 黒蝿の肩の傷に触れ、微笑みながら重女は言う。肩の出血を止めるように優しく手のひらを押し当てた。

 「貴方が助け出してくれなかったら、私は――」
 「黙ってろよ」

 黒蝿が重女の白く細い首を掴む。ひゅ、という音が喉から漏れ、手から影が伸びたかと思うと、重女の首に黒い痣がついた。黒蝿が再び重女の言霊を奪ったのだ。
 だが重女はもうそれを惜しいとは思わなかった。この痣は、自分と、この悪魔との絆の証のようなものだから。
 この十字架のペンダントが、アキラと、シド先生との繋がりの印のように。

 血まみれの手で、重女は十字架を握りしめた。

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 ズウ……ン

 轟音が響き、広く、巨大な天使の繭が揺れた。その振動は、四大天使の巨躯にすら響く。

 「今のは……?」

 ガブリエルが呟く。そしてすぐ後にまたも振動が響く。先程よりもっと激しい。そしてそれは連続して起こる。
何者かがまたしても繭を攻撃しているのだ。
 またあの悪魔だろうか。やれやれというように四体は目を合わせた。全く悪魔には学習能力がないのか。たった一匹でこの繭を壊し、我らを殺せるとでも?
 その時、ドオン! という爆発音が聞こえた。一つではない、その音は四方八方から聞こえてきて、繭を先程より激しく揺らした。
 何が起きている? これはあの悪魔一匹の仕業なのか?  
 いや、違う。この繭に攻撃を仕掛けているのはあいつだけではない。これは、複数の人間によるものだ。

 「アキュラ王……!」

―――

 「駄目です! 傷一つつきません!」 
 
 繭の外にて。爆薬を仕掛け、爆発させたサムライ衆から失敗の報告があがる。
 
 「やはり駄目か……!」 
 
 アキュラ王ことアキラは悔しそうにごちる。
 めいいっぱいの火薬を集め、大規模な爆発を数回発生させたが、大天使の繭には傷一つつけられない。物理攻撃では効かないらしい。と、なると、後は魔法による攻撃を試すしかない。

 「おい、悪魔」

 アキラは後ろにいる黒蝿に呼びかけた。黒蝿はゆっくり視線をアキラの方へ向ける。
 
 「お前が繭に穴を空けた時、どんな手段を使ったんだ?」

 アキラの問いかけに、傍にいた獅子丸は僅かに眉をひそめた。アキラは、この悪魔の言うことを信じるのだろうか。
 目的が一致したとはいえ、獅子丸はどうもこのやたノ黒蝿と名乗る悪魔が信用できなかった。アキラに危害を加えたり、何か不穏な動きを見せたらすぐに対処出来るよう、獅子丸の右手は常に刀の柄を掴んでいた。

 「……繭の天辺」
 「あん?」
 「恐らく繭の天辺は、他と比べて壁が薄い。俺はそこを何度も攻撃してやっと穴を空けることに成功した」

 もっとも、その開けた穴からあいつが吸い込まれてしまったんだがな、と黒蝿は口に出さず胸中で呟く。

 「そうか、天辺か……」

 アキラは顎に手を当て暫し考えると、顔をあげ、「皆のもの!」と声を張り上げた。

 「繭の天辺付近を、魔法を使い一斉に攻撃しろ!」

 応!! とサムライ衆は、太く大きな声で応じる。獅子丸と牛頭丸も命を受け、攻撃の構えをとる。

 「悪魔、お前も協力してくれ」

 ぴくり、と黒蝿の片眉が上がる。獅子丸と牛頭丸も思わずアキラの方を振り向く。

 「アキラ、なにもこんな悪魔の力を借りずとも我らだけで……」
 「今は少しでも戦力が欲しい。細かいことにこだわってる場合じゃないだろう」
 「しかし……」

 獅子丸は黒蝿を軽く睨んだ。アキラはこの悪魔を信用しすぎじゃないか? こいつが裏切らないという保証はどこにもないというのに。
 睨まれた黒蝿は、薄笑いを浮かべている。そして面白そうにアキラに問うた。

 「いいのか? 俺を信じて? そいつはどうやら俺を疑ってるみたいだぞ」
 「………」

 アキラは黒蝿の暗い瞳を見つめ返した。重女と同じ青い瞳。その青い瞳が黒蝿の真意を探るかのようにじっと見つめてくる。

 「お前は、姉ちゃんの仲魔なんだろう?」

 見つめたままアキラがきっぱりという。黒蝿の目が大きくなる。

 「どんな過程があったにしろ、こいつが姉ちゃんの仲魔だっていうのは事実だ。仲魔は主人を助けるものだろう? それに……」

 そこでアキラは言葉を切る。視線を黒蝿から逸らし、言いにくそうに続ける。

 「……お前だけが姉ちゃんの本当の名前を知っている。僕はもう姉ちゃんの名前を呼ぶことが出来ない。なら、お前が名を呼べば姉ちゃんは応えるだろう」

 ぎゅ、とアキラは拳を握った。悔しいし認めたくないが、この悪魔の方が姉のことを自分よりよく知っている。姉もきっとこいつのことを悪く思っていないだろう。それは、こいつを庇って繭の中へ吸い込まれた事から推測できる。
 そして恐らく四大天使に逆らった自分はただでは済まないだろう。この国から追放されるならまだいい。でもそれだけではないだろう。相手は巨大な力を持つ大天使だ。姉を奪還できたとしてもこの身が無事でいられるかどうか危うい。最悪死ぬかもしれない。
なら――

 「やたノ黒蝿、もし僕が死んだら……その時はお前が姉ちゃんを守ってくれ」

 黒蝿のみならず、耳を傾けていた獅子丸と牛頭丸も絶句する。気は確かか? と問う視線に答えるかのように、アキラは真っ直ぐに黒蝿を見つめる。その瞳は決して冗談を言っているわけではないと語っていた。
 
 「お前を見込んで頼んでいるんだ。だから……」
 「嫌だね」

 アキラの言葉を遮ってぴしゃりと黒蝿が言い捨てた。

 「もうあいつのお守は沢山だ。お前はあいつの弟だろう? なら何が何でも生き延びて、あいつの傍にいてやれ」

 言い終わると、黒蝿は背に黒い翼をだし、ぐいっとアキラを脇に抱え飛び出した。小柄な少年の身体が宙に浮く。

 「お、おい!?」
 「貴様! アキュラ王をどこに連れていく!?」

 成り行きを茫然と見ていた獅子丸が慌てて声を掛ける。空中で静止したまま黒蝿は大柄な神獣を一瞥する。

 「この繭を壊すんだろう? なら天辺を至近距離で攻撃したほうが破壊しやすい。行くぞ」

 そのまま黒蝿はアキラの両脇に手を入れて抱え、繭の天辺へと飛ぶ。重女によく似たアキラの横顔を見ながら、黒蝿はそっとため息をついた。

 全く、この姉弟は無茶なことばかりいいやがる!

―――

 大天使の繭の周りは、サムライ衆がそれぞれ配置についていた。アギ班とブフ班、ジオ班にザン班の四つの班に分かれ、雷王獅子丸と八坂牛頭丸も攻撃の構えをとる。
 空からは黒蝿とアキラが繭の天辺を至近距離から攻撃する手筈を整えていた。

 「みんな、配置についたな? これからカウントダウンにあわせてここに集中攻撃をしかける!」

 繭の天辺から地上のサムライ衆に聞こえるよう、大声でアキラは指示を出す。

 「キヨハルさん、頼んだよ!」
 「まかせて! カウントダウンを開始するよ! 10、9、8、7……」

 キヨハルが秒読みを始めると、辺りの空気が変化し、木々の葉が揺れる。それはサムライ衆達の熱気であり、マグネタイトを練る微細な振動のせいであった。

 「6、5、4……」

 黒蝿の周りに激しい風が起き、アキラの手に熱された空気の塊が生まれる。ごくり、とアキラは唾を飲んだ。

 「3、2、1……今だ!」

 合図と同時に、アギの火炎が、ブフの氷が、ジオの電撃が、ザンの衝撃波が一斉に繭の天辺めがけて発せられる。
 アキラもアギダインを放つ。黒蝿のザンダインによって威力が格段に増した炎は、サムライ衆の攻撃と共に大天使の繭へ大ダメージを与える。凄まじい轟音が鼓膜を揺らし、物凄い攻撃の余波によって、アキラは繭の天辺から吹き飛ばされる。が、その身体を黒蝿がキャッチした。
 砂埃がさると、繭の天辺には大きな穴が空いていた。アキラは黒蝿の手から離れ穴の近くへと降りると、刀を抜き、穴へと切っ先を向け大声をあげた。

 「突入!!」

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 「…………」

 大天使の繭の傍に集まったアキラ達は、皆沈黙を保っていた。
 誰一人口を開く者はいない。サムライ衆も、キヨハルも、雷王獅子丸も、“ミノタウロスの間”から召喚した八坂牛頭丸も、そして黒蝿とアキラも。

 『我らの最終目標は、アキュラ王と合体し、神の戦車熾天使メルカバーになることです』

 重女の眼鏡の盗聴器から拾った四大天使の音声が、機械から発せられた時、皆は一斉にアキラの方を見た。
 音声をオープンにし、此処に集まった皆に聞こえるよう命じたのはアキラだ。
 その機械から予想外の言葉が聞こえてきた瞬間、アキラは驚愕に顔を歪ませた。以来ずっと言葉を発しない。何かを考えているように。
 黒蝿はそんなアキラをじっと見ていた。

 『…らわしい……ビトだわ……』
 『……早く……浄化しなければ』
 「!」

 新しい音声が聞こえてきた。四大天使の声だ。アキラをはじめ、皆は機械にばっと顔を向け、耳を傾ける。

 「キヨハルさん! もっと音声を大きくして!」
 「う、うん!」

 キヨハルが音量のつまみを最大に回す。ノイズ混じりの音がスピーカーから流れる。この声は恐らくガブリエルだろう。そしてその後ろに、微かに少女の悲鳴が聞こえる。

 「……姉ちゃん!?」

 アキラはキヨハルの隣に駆け寄り、必死の形相でスピーカーに耳を近づけた。
 なんだ? 中で何が起こっている? 姉ちゃんは? 四大天使様は一体姉ちゃんに何をしたんだ――?

―――

 天使の光に精神と肉体を組み敷かれても、重女は必死で抗った。
 歯を食いしばり、天使達を鬼の形相で睨み、影の刃を作り出し攻撃を続ける。しかしその威力は先程より遥かに弱い。影は大天使に届かず消えてしまう。

 「こ……の!」

 抗えば抗うほど激痛が走る。だけど屈するわけにはいかない。私が倒れたら、こいつらはアキラを騙して消滅させてしまう。それはさせない! あの子は私が守って見せる――

 『嘘つき』
 「!?」

 懐かしい声が耳朶を打った。いつの間にか、辺りは繭の中ではなく、見知ったシドの古びた教会だった。ステンドグラスから夕暮れの光が差し、十字架に磔にされたキリストと、その前に立つ小さな少年を照らし出す。光を浴び、少年の金髪がきらきらと光る。

 『姉ちゃんは、僕を置いていったくせに』

 ぞっとするほど冷たい声で、少年――アキラは重女に言った。その姿は鞍馬山に出発する直前の、八歳の子供のままであった。

 『姉ちゃんが僕を置いていかなければ、僕はこんな酷いめに合わずに済んだのに』

 ぐにゃり、と景色が変わる。暗い街並み、荒れ果てたビル群、血を流し倒れる人々。武装した深緑のスーツの軍団が悪魔と戦っている。その中でも一際小柄な身体な少年が剣を奮っていた。

 (アキラ!?)

 悪魔の攻撃に晒される弟を目の前にし、重女は思わず口を覆った。別世界に渡り悪魔討伐隊に入ったとは聞いていたが、まさかこんなにも激しいものだったなんて。
 アキラの脇腹に悪魔の爪が掠る。赤い血が噴き出る。

 「やめて!」

 叫ぶとまた景色が変わった。どこかの地下倉庫のようだ。幾つもの布団が敷いてあり、何人もの子供達が寝ている。その内の一つの布団にアキラが寝ていた。シドから貰った十字架を握りしめながら、涙を流していた。

 『姉ちゃん……早く……会いたい……』

 枕が涙で濡れていた。それを見た重女の目にも涙が浮かんだ。それは頬をつたりぽたりと足もとに落ちた。

 『嫌い、大っ嫌い! お母さんなんか死んじゃえばいいんだ!』

 次に聞こえてきたのは自分の声だ。かつて住んでいた古いアパート。そこで母に暴言を浴びせる自分がいた。
 ショックを受け、打ちのめされた母。そして翌日、車にはねられて死んでしまったお母さん。謝罪もできずに、もう二度と会えなくなってしまったお母さん。
 重女は顔を両手で覆い、膝をついた。かしゃん、と眼鏡が床に落ちる。

 「ごめんなさい、ごめんなさい……アキラ、お母さん……本当に、ごめん……」

 泣きながら何度も何度も謝罪の言葉を口にした。目の前には四人の人間が立っている。八歳のアキラ、デモニカスーツに身を包んだアキラ、王の装束に身に纏ったアキラ。そして血まみれで脳漿を剥き出しにし、腸をはみださせている母。
 三人の弟と母は、泣きじゃくる少女を見下ろしている。

 『許しを請え』
 『神を崇めよ』
 『穢れた身を清めよ』
 『贖罪せよ』

 それぞれの口から厳格な声が発せられた。それはもはやアキラの声でも母の声でもなかったが、重女は気づかず泣きながら謝り続けた。徐々に自分の存在が希薄になり、頭の中が白く「塗りつぶされて」いるのにも気づかず。

―――

 「…………」

 じっと、アキラは組んだ両手を額にあて、眉を寄せて黙っている。
 そのあまりに真剣な姿に、キヨハルも、サムライ衆も声を掛けられなかった。
 先程から繭の中からは、重女の泣きじゃくる声と四大天使の声が交互に聞こえてきた。どうやら重女は四大天使に”浄化”という名の洗脳を受けているらしい。しかも恐らく暴力的に。
 姉を何よりも大事に思っているアキラのことだ、すぐにでも重女を奪還しようと繭に突進するかと思いきや、一言も発さずずっと何かを思案している。
 迷っているのだろうか? とキヨハルは思った。四大天使は幼いころから彼が信仰してきた存在だ。彼らの理想を叶えるために別世界からきて、神の千年王国――東のミカド国まで建設したほどだ。
 まさか、彼は実の姉の奪還よりも、大天使達と合体し、神の戦車、熾天使メルカバーになる道を選ぶのか?
 神学を学んだ身としても、キヨハルには大天使達の言い分は傲慢にしか聞こえなかった。アキラと四大天使が合体し、メルカバーへと進化したとしても、アキラは消える。それでこの世界がより良い方向へ変わるのかもしれない。主の御心とやらに沿うのかもしれない。だが――

 「お前、まさかあの天使どもの言いなりになるのか?」

 ばっと、アキラが声の聞こえた方向へ、伏せていた顔を向けた。キヨハルも、サムライ衆も、獅子丸も牛頭丸も声の主――黒蝿の方を向いた。黒蝿は拘束されながらアキラを睨んでいた。

 「天使の言うことを実践して、神に祈って、お前が手に入れたかったのはなんだ? あんな奴らの為に死ぬことが目的か? 随分と下らないもんだな」

 両側を拘束していたサムライの手を払いのけ、黒蝿はアキラの方へ近づく。誰も止めようとはしなかった。アキラの視線と黒蝿の視線が交差する。

 「俺はこの国やお前がどうなろうが知ったことないが、俺はあいつに死なれては困る。それに大天使どもも気に食わない。だから俺はあいつを助け出し、大天使どもも殺す」

 ばさり、と黒い羽根を広げ、黒蝿は飛び立とうとした。

 「……待てよ、悪魔」

 そんな黒蝿の背に向かって、アキラは呼びかけた。黒蝿が振り向く。キヨハルもその横顔を凝視する。

 「さっきから聞いてりゃ好き放題言いやがって」

 やや怒りを込めた、しかししっかりとした口調でアキラは黒蝿に言い返す。誰も口を挟む者はいなかった。皆がアキラと黒蝿を凝視している。

 「僕は、姉ちゃんを見捨てない。ここまで僕が生きてきたのは、全てが姉ちゃんの為だった。だから僕は殉教なんてしない、神の戦車になんかならない、僕の命は、姉ちゃんの為にあるんだ」

 き、とアキラは周りの皆を見渡す。その表情は、数年前、この国を建設しようと宣言した時と同じ、凛々しく「王」の風格を表すものであった。

 「アキュラ王が命ずる! これより、繭の中にいる我が姉の奪還と、四大天使の捕縛作戦を開始する!」

 王の命を受け、サムライ衆が応! と力強く応ずる。キヨハルと仲魔である獅子丸と牛頭丸が目を合わせ頷く。
 黒蝿はその様子を見て、目を細めふ、と笑った。


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 「姉ちゃん、お待たせ」

 小学校の校舎からアキラが出てくる。走る度にランドセルがガシャガシャと揺れる。
 私はその姿を見て手を振り微笑む。アキラの小さな手が私の手を掴む。

 「今日は学校で何したの?」
 「図工の時間に姉ちゃんとお母さんの絵を描いたよ! 見て!」

 アキラがランドセルから一枚の画用紙を取り出す。そこにはお母さんと私とアキラが手を繋いで笑っている絵がクレヨンで描かれていた。

 「上手だね」
 「本当?」
 「うん、アキラは将来絵描きになれるよ」

 へへ、とアキラがはにかむ。私はその柔らかそうな金髪を撫でて笑みを浮かべる。そして手を引いて二人家路を急いだ。

 「おかえり」

 アパートのドアを開けると、エプロン姿の母が出迎えてくれた。いい匂いが台所の鍋から漂ってきた。今日のご飯はカレーだろうか。

 「ほら、二人とも手を洗って」

 母に言われる通りに手を洗い、卓袱台をだしてアキラと二人席に付く。卓袱台に三人分のカレーの皿と、それから大きなケーキが置かれた。
 目をぱちくりさせている私をよそに、母とアキラはケーキの蝋燭に火をつける。部屋の灯りが消され、蝋燭の火が母達を照らす。

 「お誕生日おめでとう、姉ちゃん!」

 にっこり笑うアキラと母を前に、私の目が一段と大きくなる。
 そうか、今日は誕生日か。すっかり忘れていた。今日で私は幾つになるんだっけ?

 ――あれ?

 「ほら、姉ちゃん蝋燭の火を消してよお」

 アキラに急かされ、私は思いっきり息を吸い、そして吐いて蝋燭の火を消す。パチパチパチ、と母とアキラが拍手してくれた。

 「おめでとう、■■■姉ちゃん!」
 「■■■もすっかり大きくなっちゃって」

 にこやかに話しかけてくるアキラと母、その会話の中に私の名前が出てきた。しかし私はその名前を認識する事が出来ない。そして、

 ――私も自分の名がわからない――!

 「姉ちゃん、どうしたの?」

 頭を押さえ、目をキョロキョロさせている私に、アキラは三等分したケーキを皿に盛り、目の前に置く。甘い生クリームと苺の甘酸っぱい匂いが感じられ、思わずごくりと唾を飲み込む。

 ――アキラ、あなたは東のミカド国の王になったのではないの?

 優しい笑みを浮かべながらカレーを取り分ける母。
 ――お母さん、お母さんが料理するなんて珍しいね。普段は台所に滅多に立たないのに。

 少女は思わず立ち上がり、後ずさった。

 ――何かが変だ。何が、と言われれば答えようがないが、不自然なのだ。料理を作ってくれる母も、満面の笑みを浮かべているアキラも、今まで誕生日等祝われた事のないのに今年に限ってお祝い、だなんて。

 そして一番変なのは――

 「姉ちゃん?」
 「どうしたの? ■■■?」

 不安そうに近づいてくるアキラと母を私は手で制した。

 「違う……あなた達はアキラとお母さんじゃない」
 「な、何言ってるのよ?」
 「私のお母さんは交通事故でとうに亡くなった」

 母が事故に合う前の自分の暴言を思い出し、私の胸は刃物で傷つけられたようにズキズキと痛む。

 「それにアキラ、あなたは別世界で国を造り、アキュラ王を名乗ったはず。そんな子供の姿のままなわけがない」
 「……姉ちゃん」

 アキラがきょとんと不思議そうな顔をする。

 「そして、一番おかしいのは……」

 両の拳を握りしめ、母とアキラ二人の顔を見つめ、さらに二人の背後を睨む。

 「私が、こんな風に声を出して喋れるわけがない――!」

―――

 自分の怒鳴り声で、重女は目が覚めた。

 目を開けた視界は白かった。不思議な場所だ。その空間はとても大きな球形であった。空間が僅かに発光している。“ターミナル”での人工的な冷たい光ではない。ほんのりと穏やか光っている。優しいと呼べる程度に。

 重女は上体を起こして軽く頭を振り、先程までの記憶を思い出していた。

 森の中で黒蝿に“別れ”を告げられ影の紐で縛られたこと、やっと紐から逃れたと思ったら、今度は黒蝿が天使の繭に攻撃を仕掛けているのが見えた。
 私は急いで彼の元に走って、そうしたら黒蝿が繭に引きずりこまれそうになってたから、私は思いっきり彼の手を引いて、それから……

 「やっと目が覚めましたか」

 頭上から声がした。男でも女でもない不思議な声。
 視線を上にずらす。其処には四体の白を基調とした異形の生物が立っていた。

 「あ……あなた達は……?」

 あまりの姿に、喉が震え声がでた。重女ははっとして首を押さえる。
 おかしい。私は黒蝿に声を奪われたはず。なのに何故声が出せる――!?

 「此処では悪魔の力は消えます。だから貴女の喉は元通りになりましたよ」

 白い物体の一つが重女に話しかける。その声音はとても優しく、まるで教師が教え子を諭すようであった。
 しかし重女は眉を寄せて警戒の色を顔に滲ませる。この異形の者達は何者なのだろうか。私の声をいとも簡単に戻した。確か此処は――

 「此処は我ら四大天使の繭。私はミカエル」
 「我はウリエル」
 「私はガブリエル」
 「私はラファエルです」

 四大天使は重女に向かって自己紹介をした。重女は警戒の態勢を崩さない。その様子を見てガブリエルはくすりと笑った、ように見えた。

 「安心してください。私たちは貴女に危害を加えるつもりはありません」
 「なにせアキュラ王の実姉ですから」
 「そう、私たちの可愛い手駒の」

 手駒、と聞いて重女の肩がピクリと震える。手駒? それってまさかアキラのこと?

 「それ、は……アキラの、ことを、言ってるの?」

 久しぶりに声を出したせいか、酷くたどたどしい発音であった。だが、そんなことに構わず四大天使は続ける。

 「そう。彼はよくやってくれました。私たちの夢の実現のために」
 「夢の……実現? それ、は……「神の千年王国」のこと?」
 「勿論それもあります。ですが私たちの夢はもっと高いところにあります」

 夢? この者達はまだ何かを企んでいるのか? アキラにこんな国を造らせたに飽き足らず、この上にまだ何か――

 「私たちの最終目標は……」
  
 ガブリエルがまたしても笑った。しかしその笑みは先ほどより歪んだ形に重女には見えた。

 「アキュラ王と合体し、神の戦車熾天使メルカバーになることです」

―――

 「!!」

 重女は絶句した。自由に声が出せるようになったはずの喉がまたしても声を失ったかのようだった。

 「彼は素晴らしい逸材です。素質、我らへの信仰心共に申し分ない。彼こそ、我らが長い間探していた人の子」
 「彼と我らが合体すれば、我らはメルカバーに進化することが出来る! ああ、長年望んでいた神の戦車にやっと……」
 「貴方たちと合体すると、アキラはどうなるの?」

 重女の全身の筋肉が強張った。四大天使への言葉も、僅かに緊張の色が混じっている。

 「もちろん、彼は殉教者としてその存在が消滅します」
 「!!」

 さも当たり前のようにミカエルが言った。ざわり、と重女の全身の毛が逆立った。

 「彼も光栄に思うでしょう。我らと合体することによって、更に次元の高い存在へと生まれ変われるのですから」
 「我らの願いならば、彼は受け入れるはずです。彼は幼いころから我らを慕っていた。信仰する我らと共になれるなら、これ以上の名誉は――」

 その時だった。
 重女の影が急激に膨らみ始めた。そしてその影が四大天使へと襲い掛かる。
 四大天使は軽々と影の攻撃をかわした。天使たちは驚いて重女の方を見る。

 「あの子を……誑かして利用したわね!!」

 絶叫と共に、影が鋭利な触手となり四大天使を突き刺そうとする。その勢いは、広く大きな繭を揺らすほどであった。
 ウリエルがハマのバリアを張り、影の攻撃を無効化する。しかし重女は攻撃をやめない。巨大な影を背負ったその少女の姿は、まるで黒翼を広げた悪魔のようだ。

 「何を怒っているのです? これは名誉なことなのですよ?」
 「我らを敬い、信仰していた彼なら、きっと喜んで殉教するはず――」

 ラファエルが言い終わる前に、再び無数の影が天使達を串刺しにせんと蠢く。影が天使の手によって消されても、攻撃の手を止めない。重女の顔は怒りに歪んでいた。

 「あの子を、消滅なんてさせない!」

 影はまるで無数の刃物のように四大天使に向かう。しかし大天使の身体には傷一つつけられない。

 「貴方たちの思い通りには、させない!!」

 怒りの声をあげながら、重女は影を操作し攻撃する。その姿に四大天使達は落胆の声をあげる。

 「やれやれ、彼女は随分と穢れているようだ」
 「どうやら悪魔と取引をしたようね。大分悪魔の力に染まっているわ」
 「ああ汚らわしい。ケガレビトだわ」
 「これは早く“浄化”しなければ」

 ガブリエルの瞳が光った。その光を受け、影は全て消滅し、そして重女の身体は硬直した。

 「!?」

 重女の視界が白く染まった。強烈な、暴力的な天使の光によって。
 そして目から入ったその光は重女の全身を内側から焼く。脳髄を、内臓を、記憶まで“浄化”せんと激しく動く。
 あまりの衝撃に、重女の目が限界まで見開かれ、身体は電流を流されたかのように海老反りになる。
 抵抗しようとしても、指一本動かせない。身体と精神を天使の光が支配していく。

 「怯えることはありません。これは浄化の儀式です」
 「浄化が終われば、貴女の中からは悪魔の力は消えます。そうすれば、アキュラ王のように我らのことを理解できるでしょう」

 薄れゆく意識の中で、重女は必死に抗った。そして今まで出会った大事な人達の顔を頭に浮かべる。アキラ、お母さん、京子、シド先生、そして――

 ――黒蝿

 脳裏に浮かぶその姿に、重女は手を伸ばす。だが天使の光は重女の記憶を徐々に白く染め、“浄化”という名の暴力は、一人の少女の身体と精神を蝕んでいった。
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 「発信器?」

 雷王獅子丸が眉を寄せながらキヨハルに言う。問われたキヨハルはひひ、と笑って見せた。

 「そ。あの子の眼鏡には発信器と盗聴器が備わっている。こんな事もあろうかと仕込んでおいて正解だったよ」

 にやにやと笑いながらキヨハルはヘッドホンを耳に当て、機械のつまみをいじっている。恐らく発信器と盗聴器の為の機械だろう。
 キヨハルの用意周到、もとい悪趣味な仕掛けに獅子丸は溜め息を吐いた。

 「……それで? あの娘の場所はわかったのか?」
 「うん、ちょっと待って。今確かめてるから」

 キヨハルが機械のボタンを押したりつまみを調整すると、やがてモニター上に赤い点が現れた。重女の位置をしめしているのだろう。

 「……うん? おかしいぞ、何故こんな所に……」
 「なんだ、どうした?」

 獅子丸の問いに、キヨハルは首を捻った。その顔には困惑の色が伺える。

 「おかしい……あの子の位置は、大天使の繭だ。近くではない、この位置は……繭の内部だ!」
 「なんだと!?」

 獅子丸は鋭い目を見開いた。そして後ろにいるはずの主に声をかけようとした。
 しかし後ろに獅子丸の主――アキラは既にいなかった。アキラは重女の跡を追い、とっくに森の方に走って行ったのだから。

―――

 アキラはサムライ衆を率いず、一人重女の跡を追って森の中を走っていた。
 幼い頃から走るのは得意だった。母が仕事でいないことが多かったので、自然と近所を走り回って鍛えられた足腰と、悪魔討伐で得た瞬発力。その二つを兼ね備えたアキラは森のでこぼこ道をなんの苦もなく走る。

 (そういえば、姉ちゃんも足が速かったな)

 まだ自分が小さかった時、姉は自分の手をひいて外に遊びに連れて行ってくれた。姉とはよく鬼ごっこで遊んだ。
 アキラはいつも鬼の役で、姉を捕まえようと追いかけていた。
 でもいつも届かない。いつも捕まえられない。そのうちに泣きべそをかいた自分に姉が側までやってきて、わざと捕まってくれるのだ。
 今はあの時とは違う。僕は成長し、強くなった。姉がどこにいようと捕まえられる。それだけの力を得た。なのに――

 「なんでだよ、姉ちゃん……」

 走るのをやめ、アキラが悔しそうにごちる。

 ――すぐ、戻るから、待ってて――

 姉の声の出ない唇がそう動いた時、アキラは脳天に雷が落ちてきたような衝撃を受けた。

 姉の名前が思い出せないのも、姉が声を失ったのも、全部あのやたノ黒蝿という悪魔のせいだ。
 折角自分があの悪魔と姉を引き離したのに、姉はその悪魔を探しに行ってしまった。実の弟である自分を置いて。
 姉ちゃんは、僕よりあんな悪魔を選んだのか?

 「違う!」

 拳を握りながらアキラは叫ぶ。悔しさと嫉妬が混じった声であった。

 ――そうだ、違う。姉ちゃんはあの悪魔に誑かされているだけだ。大方あいつが魔法で洗脳したに違いない。そうでなければ、声と名を奪った悪魔をあんなに気にかける筈がない。

 足に力を入れてアキラは再び走り出した。

 姉ちゃん、今度はちゃんと迎えに行くよ。この鬼ごっこは僕が勝つ。もう小さくて姉ちゃんを捕まえられなかった昔とは違うんだ――

―――

 黒蝿は再び繭に攻撃を仕掛けていた。
 先程空けた穴は、すぐに塞がってしまった。重女を吸い込んで。

 「あの馬鹿……!」

 何故影で縛っていたあいつが此処にやってきて、自分を助けたのか。黒蝿としてはあのまま繭の中に吸い込まれても良かったのだ。そうすれば内部に侵入でき、中にいると思われる大天使を殺す事が出来たのに。
 なのにあいつは自分の手を取り引っ張った。そして挙げ句の果てに代わりに繭の中に吸い込まれてしまうとは。

 ――影で縛るのではなく、「くらら」で眠らせるべきだったか。

 舌打ちしながら黒蝿は「アギダイン」を放つ。しかし繭には亀裂どころか焦げ跡すらつかない。
 別にあいつを助ける為にこんな事をしているわけではない。自分が繭の中に入れるよう、もう一度攻撃を仕掛けているだけだ。
 あいつさえ邪魔しなければ、今頃復讐を遂げる事が出来たのに。何を考えてるのか。

 『なら、協力しようよ』
 『やたノ黒蝿、私の仲魔になって私を守って』

 ふいに、あの影の鞍馬山での少女の言葉を思い出す。
 仲魔? あいつが弟と出会えた時点でもう仲魔としての契約は果たされたはずだ。なのにあいつはまだ俺の事を仲魔と思っているのか? 仲魔を助ける為にあんな行動に出たと?

 「……下らない」
 「何がだよ?」

 急に背後から声がして、黒蝿は振り向いた。
 そこには線の細い少年が立っていた。この国を作り上げ、王と名乗る少年。あいつの弟――アキラという少年。
 ……どうやらこの姉弟は、背後から現れるのが好きなようだ。

 「何をしている。こんなところで」

 腰の刀の柄に手を触れながらアキラは黒蝿に詰問した。牢を抜け出し、大天使の繭の傍に立っている悪魔相手に、アキラは不審な動きをしたらすぐに捕まえられるよう臨戦態勢をとった。

 「お前には関係ない」

 アキラの挑戦的な視線を受け流し、黒蝿は言った。その言い方にアキラのイライラが募る。

 「僕の国で勝手な行動をとってもらっては困る。お前は囚人だ」

 そう言われ、黒蝿は喉を鳴らしくっくと笑う。少年を馬鹿にするかのように。
 イラつきが酷くなり、アキラは先ほどより更に厳しい口調で黒蝿に問うた。

 「……お前のところに、重女という少女が来ただろう?」
 「……重女?」
 「お前が声と名を奪った、僕の姉ちゃんのことだよ!」

 ああ、と黒蝿は納得した。「重女」というのはあいつが名乗った偽名か。本名とまるで似ていない。

 「あいつなら、この中だ」

 くい、と黒蝿が顎をすぐ傍の繭に向けた。意図がわからずアキラは眉を寄せた。

 「どういう意味だ?」
 「そのままの意味だ。あいつは俺の空けた穴からこの繭の中に吸い込まれた」

 繭、空けた穴――この国を総べる者として、大天使の繭を傷つけたという発言は聞き捨てならないはずだが、それよりもアキラは、「繭の中に吸い込まれた」という言葉に思いっきり反応した。

 「な……なんだと?」

 思わず驚愕の声が出る。中に入った? 姉ちゃんが? 何故?
 茫然とした様子のアキラを一瞥し、黒蝿はため息をついた。

 「全く……余計なことをしてくれたものだ」

 うんざりしたように言い終わる前に、アキラの拳が黒蝿の頬を打った。
 あまりの速さに避けることが出来ず、黒蝿は倒れこみ、その身体にアキラが馬乗りになる。

 「お前のせいか! お前が繭を壊そうとしたから姉ちゃんは……!」

 襟元を掴みながら喚くアキラを、黒蝿は力を込めて突き飛ばした。
 地面に転がったアキラは直ぐに態勢を整え、再び殴りかかろうとした。が、黒蝿は今度は軽く避け、ザンダインを放とうとする。
 しかしアキラの「光無し」の術の発動の方が早かった。術を封じられ、ザンダインが不発に終わった黒蝿にアキラの拳が思いっきり叩き込まれる。

 「このガキ!」

 怒りの黒蝿の蹴りがアキラの腹にめり込む。ぐはっと唾液を吐きながらもアキラの拳による攻撃は止まない。

 もはや戦いではない。二人の男の意地の殴り合いだ。

 アキラは姉を取られたという嫉妬を怒りに変え、拳に力を込めた。黒蝿は大天使の繭に入れなかった苛立ちと、こんな子供に殴られたという屈辱が身体を動かしていた。
 殴り殴られ、顔が腫れ上がり、鼻血が出て口の端から血が出て着衣が汚れても、二人は取っ組み合いを辞めない。

 「何やってるんだ!」

 キヨハルと雷王獅子丸がサムライ衆を率いてやってきた時には、二人の姿は血まみれでボロボロになっていた。

―――

 「成る程。重女ちゃんは繭の中に吸い込まれたと。だから発信器の位置が繭と同じところなんだね」

 キヨハルが機械のモニターを見て、うんうんと頷いた。
 いつの間に自分の姉にそんなものを仕込んでいたのか、キヨハルを小一時間程説教したい気はあったが、口の中を切ってしまい、顔も腫れ上がっているアキラには、それはなかなか大変なことであった。
 サムライ衆に拘束されている黒蝿も似たり寄ったりで、黒い法衣は破れ、鴉を模った兜は亀裂が入り、深緑の長髪はぼさぼさに乱れている。端正な顔も、目の下に紫の痣ができ、あちこちに擦り傷のようなものがついている。

 ぺっと、黒蝿は口の中の血を地面に吐き出した。神聖なる大天使の繭の近くで血を含んだ唾を吐くなどと――両側から黒蝿の腕を掴み拘束しているサムライは、不遜な態度の悪魔の腕を、さらに強い力で締め付ける。

 「事情はよくわかった。が、アキュラよ、姉君が繭の中に入ったのなら、それは安心していいのではないか?」
 「……何故だ?」
 「この繭の中にはお前を導いた四大天使がおわすのだろう。アキュラ王の実姉と解れば手厚く保護されるはず。少なくとも、この悪魔と一緒にいるより遥かに安全だと思うが」

 ちら、と獅子丸は拘束されているやたノ黒蝿という悪魔を見た。こちらへの怒りを込めた視線には力がこもっていたが、顔と身体はアキュラと同じくらいボロボロだ。

 獅子丸とキヨハルが発信器の位置情報を元に繭まで来たとき、すぐ傍の地面でアキュラと黒蝿という悪魔がくんずほぐれずの殴り合いを展開していた。
 獅子丸とサムライ衆が二人を必死に引き剥がしたが、アキュラと黒蝿の瞳には、まだ怒りの炎が燻っていた。
 恐らく、二人とも譲れない自分の中の"何か"の為に拳を交えていたのだろう。ときに男は、言葉よりも拳を交える方が雄弁に語れることがあるのだ。

 「……キヨハルさん、中の音声を受信できる?」

 痛む身体を抑え、アキラはキヨハルに聞いた。キヨハルはヘッドホンを耳に当てながら「ちょっと待ってね」と告げ、一生懸命盗聴器の周波数を合わせている。せめて中の様子が分かれば、姉が無事かどうかわかるし、僕が四大天使に話しかけ、姉を返してくれるよう直訴することもできる。相手は四大天使様だ。悪魔でもない非力な一般人の少女に危害を加えるわけ――

 「……ん? なんだ……この声は……」

 キヨハルが眉間に皺を寄せ、ヘッドホンをもっと耳に押し当てる。少しの音ももらさないというように。

 「どうしたんだ? キヨハルさん?」
 「中で声が聞こえるんだ。恐らく四大天使様のだ。だけどおかしい。もう一つ四大天使様に対して酷く怒っている声が聞こえる。この声……まさか重女ちゃん!?」
 「そんなはずはない。あいつの声は俺が奪った。あいつが声を発せられるわけがない」

 黒蝿の横やりにも、キヨハルは応じず、ヘッドホンから聞こえる声にじっと耳をそばたてていた。
 その様子を、アキラや獅子丸、サムライ衆に黒蝿までが固唾を飲んで見守っていた。一体、繭の中で何が起きているのか?

「重女ちゃんはかなり怒っているみたい。待って、何か言ってる! 
……私の、弟を、誑かし利用したわねって。……貴方たちの、思い通りにはさせないって言ってる!」
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 「……てなわけでね、僕達はここに“東のミカド国”を作ったんだ」
 「………」

 朝。城内の豪勢な食堂にて。東のミカド国の王であるアキュラことアキラは、朝食を取りながら同席している自らの姉である重女に、今までの事を話していた。
 アキラは慣れた様子でフォークとナイフを使い、静かに肉を切り分け口に運んでいる。箸を使うのも覚束なかったあの子が、一体いつ誰にフォークとナイフの使い方を習ったのか。重女はパンをちぎりながら思った。

 「それからが大変さ。僕達は東京の人々をターミナルを使ってここに避難させた。でも悪魔も一緒について来ちゃってね、キヨハルさんと他の討伐隊の皆で悪魔退治の毎日だったよ」

 なんとか悪魔を地下に追いやったアキラ達は、その後ターミナルに厳重な封印を施した。
 その時一緒に戦った悪魔討伐隊の隊員が、現在ミカド国を守っている「サムライ衆」と呼ばれる小さな軍の始祖になったという。

 [なんでアキュラて名乗ったの?]

 食事の手を止め、筆談用ノートにそう書き、アキラに見せる。キヨハルが重女の為に咽喉マイクを作ってくれている最中だが、まだ出来上がっていない。

 「アキラよりアキュラの方が威厳があって王様て感じだろ? 阿修羅に似てるし」
 「………」

 特にそうは思わなかったが、重女は曖昧に頷いた。慣れない手でナイフとフォークを使い、肉を口に運ぶ。
 味が濃い。影の鞍馬山で味の薄い悪魔の焼いた肉を食べていた重女にとって、この国の豪華な食事の味付けは酷くしょっぱく感じた。

 「姉ちゃん、朝食をとったらミカド国を案内するよ。だってこれからずっとここで一緒に住むんだ。この国の事を知らないと不便だろ?」

 その言葉に、重女は手を止める。
 ずっと一緒。確かに私はアキラの元に帰りたかった。アキラとまた一緒にいたかった。でも、それは元の世界での話だ。影の鞍馬山から出たら、生まれ育った横浜でまた二人一緒にいられると思っていた。
 あの結界で過ごしている間に、此方では七年も経過し、まさかアキラがこんな国を造っていたなんて思いもしなかった。
 それに――。

 (シド……)

 脳裏にあの凄惨な光景が浮かび上がる。
 診察台に拘束され頭に幾つも管をつけられ、ぐったりとしていた京子。それを見て何か指示を出していたシド先生。
 シド。貴方は一体彼処で何をしていたの? シドはデビルサマナーではなかったの? 私達に親切にしてくれたのも嘘だったの?
 それが聞きたいのに、この世界にはシドはいない。出来るならもう一度会って話がしたい。
 アキラはシド先生の事をどう思っているのだろうか。筆談用ノートにペンを走らせようとしたその時。

 「アキュラ!」

 食堂のドアが勢いよく開けられた。開けた先にいたのは、険しい顔の雷王獅子丸。赤い鬣が汗で乱れている。

 「何事だ? 食事の最中だぞ」

 姉と二人水入らずの食事を邪魔されたからか、アキラは酷く不機嫌に問うた。

 「すまぬ。だが緊急事態だ」

 王の側近であり仲魔でもある神獣は、うなだれながら声を上げた。

 「この獅子丸、一生の不覚。やたノ黒蝿が儂の監視から抜け出し、ミカド国内に逃走した」
 「!!」

 ガタン、とアキラと重女は同時に椅子から立ち上がった。その際にナイフとフォークが床に落ちてしまったが、二人は気にしなかった。

―――

 城の方角が騒がしい。どうやら脱走がバレたようだ。黒蝿は辺りを見渡しながら眉をしかめた。
 牢を抜け出し、近くの森の中に逃げたはいいが、空が飛べないのは不便であった。今、翼を出して空を飛べば、すぐに見つかってしまう。空を飛べればこんな風に忍び足で歩くことなく、彼処まですぐ着くのに。

 昨日、雷王獅子丸に見張られながらこの国を観察した。
 そこで分かったのは、この世界は人為的に造られた事、まだあちこちの空間が不安定な事、そして――この世界を構成する“気”の中に、あのアキュラという少年のと、「天使」のが混ざっているという事だ。
 一つの世界を造る程の魔力。下級の天使の力では到底できない。ならば天使の中でも上位の者――大天使達が関わっているのだろう。

 ぎり、と黒蝿は近くの木の幹に爪を立てる。
 あのシド・デイビスとかいうサマナーが使役していた黒翼の大天使、あいつもここにいるのだろうか。俺を捕まえあまつさえ他の悪魔と合体させ、こんな姿に変えた張本人。憎い敵。この国にいるのなら、探し出して今すぐ八つ裂きにしてやる!
 怒りで熱くなる胸を押さえ、黒蝿は木々の間から見える、遠くの大きな白い楕円形の物体を目で捕らえていた。
 巨大な繭のような物体。彼処から一段と気を強く感じる。間違いない、彼処に大天使はいる。

 黒蝿は口角を上げ、残忍な笑みを浮かべた。待ってろ、今殺しに行く――。

―――

 「そっちはどうだ!」
 「ダメです、見当たりません!」

 アキラの指示の元、サムライ衆によって黒蝿の捜索が行われた。ミカド国はまだ小さい。これだけの人員を割けば悪魔一匹すぐに見つかるだろう。

 とんとん、とアキラの肩が叩かれる。振り向くとそこには、眼鏡ごしに不安な表情を浮かべた重女が立ってノートを差し出している。

 [あれはなに?]

 ノートにはそう書かれていた。

 「あれ?」
 「………」

 重女はある方角を指差す。目を凝らして見れば、遠くの方に白い楕円形の物体が鎮座しているのが見えた。

 「あれは、大天使様の繭だよ」
 「?」

 アキラは話した。自分と四大天使の関係を。
 あの秘密基地での邂逅、四大天使による命。自分が別世界に渡りミカド国を造るきっかけとなった話を。

 「この国を造った時、また四大天使様が僕の夢の中に現れた。天使様は言ったんだ。「よくこの国を造ってくれましたね」て。
 天使様達は悪魔との戦いで酷く衰弱してて、現世に顕現出来ないらしい。それであの繭の中で体を再生中なんだ」

 四大天使。聖書でも読んだ事がある。ミカエル、ラファエル、ウリエル、ガブリエル。とても偉い天使だと書いてあったが、そんな天使が何故アキラに接触を?
 神の千年王国? そんな物を造るのに何故ただの子供だったアキラを選んだ?
 アキラは四大天使に酷く心酔しているようだ。だが重女は信用出来なかった。昔から神や天使の存在に懐疑的であった少女は、アキラが嬉々として語る四大天使様とやらに何やら胡散臭いものを感じた。

 「アキュラ王! 奴を見かけたという情報が! ここから北東の方角の森に逃げ込んだらしいです!」
 「なに!?」

 アキラは重女に背を向け、険しい顔でサムライ衆と話し合う。
 そうだ、黒蝿。もう二、三日会ってない。キヨハルさんに聞いても、牢に収容されているとしか説明されず、アキラに頼んでも面会は許されなかった。
 重女は目を瞑り、黒蝿の気を探した。
 黒蝿から「影の造形魔法」を与えられた重女は、集中すれば黒蝿の気を感じ取る事が出来た。

 ――見つけた。あの繭の近くに黒蝿はいる。私の声と名を奪い、影の鞍馬山で一緒に過ごした、私の仲魔――

 重女は踵を返し、黒蝿の元へ行こうとした、が、

 「姉ちゃん、何処に行くの?」

 アキラが二の腕を掴んで止めた。その言葉に、在りし日の幼いアキラが重なった。
 シドに連れて行かれる前。あの時もそう言っていた。不安そうな青の瞳は、身体は成長してもあの頃と変わっていない。

 「まさか、あいつを探しに行くの?」

 重女の二の腕を掴む力が強くなる。その強さと手の平の大きさは、間違いなく成長途中の男のものだ。

 「なんであいつにそこまでこだわるんだよ! あいつは悪魔だ。姉ちゃんの声と名を奪った奴だろ?」
 「………」

 どう説明すればいいのか分からなかった。それ以前に説明したくとも声が出ない。今までの事をノートに書くのは長すぎるし時間もかかる。
 大丈夫だ。今は七年前とは違う。黒蝿を見つけたらすぐに帰ってくる。もう置いていったりはしない。

 ――すぐ、帰るから、待ってて――

 声が出ない口が、そう動いた。それを見たアキラは目を大きくした。
 姉ちゃんが、僕からまた離れようとしている。僕より得体のしれない悪魔の方を選ぼうとしている――!

 その認識は、姉の為に生きてきた少年の心を突き刺した。あまりの事に、手から力が抜ける。涙が溢れそうになる。
 呆然と立ち尽くし、傷ついた表情を浮かべる弟を、重女は哀しそうに見つめ、そっと目を伏せて、そして黒蝿の元へ走っていった。
 重女はがむしゃらに走った。そうでもしなければ、アキラの傷ついた顔を思い出し、胸が張り裂けそうになるから。

―――

 ぱき、と枝を踏む音がし、黒蝿は身構え後ろを振り向く。
 そこには、ぜえぜえと荒い息を繰り返す重女がいた。顔に汗が滲んでいる。ここまで走ってきたのだろう。

 「なんだ、お前か」

 興味なさげに黒蝿は言う。
 重女が前に会った時と違い、眼鏡をかけていることに気がついた。この国の王である弟にでも貰ったか。

 『どこに行くの?』

 汗を拭いながら重女は念波で問いかけた。

 「あの繭の中に、恐らく大天使がいる。その中に「あいつ」もいるかもしれん。だから殺しに行く」
 『あいつ?』
 「大天使・マンセマット。俺をこんな姿にした憎い敵だ」

 殺しに行く。確かに影の鞍馬山で黒蝿はそんな事を言っていた。そいつとシドによって捕まったとも。
 物騒な言葉にどう答えていいか悩む重女に、黒蝿は言い放った。

 「お前、弟の側にいなくていいのか?」
 『大丈夫。ちょっと離れているだけだし、すぐに戻るから――』
 「お前が弟に出会うまで協力する、それが俺とお前の契約だったはずだ」

 黒蝿が冷たい声でそう言う。重女ははっとした。

 『た、確かにそうだけど、でも……』
 「なら俺はもうお前の仲魔でもなんでもない。契約は果たされたんだからな。だから俺の邪魔をするな」

 がん、と頭の中を鈍器で殴られたような衝撃が走る。仲魔。私の唯一の「友」。短い間だったけど私はそう思っていた。だけど黒蝿、貴方はそうは思ってはくれなかったの?

 『……いいの? そんな事言って』
 「何?」
 『私の仲魔をやめるなら、名前を返してやらない。ずーっと異界に帰れないよ? それでもいいの?』

 半分拗ねたような口調で、挑発にも似た言葉を送った。こいつは自分の名前を返してもらうことにこだわっていた。なら、そのことをつけば、私の仲魔をやめないはずだ、と重女は思った。だが――

 「……………」

 黒蝿は重女をじっと見ている。その瞳は虫けらを見るような、ぞっとする程暗い色を帯びていた。
 その視線に背筋が寒くなる。すると、急に重女の身体が影に縛られ動かなくなる。

 「!!」

 身体を捩って影から逃れようとするも、細い紐状に変化した影は重女の小柄な身体を縛って動かない。
 
 「……好きにしろ」

 怒気を孕んだ声でそう言うと、黒蝿は冷たい視線を寄越した。決別の視線であった。

 『行かないで!』

 重女の必死の言葉にも、黒蝿は応じなかった。
 そして背を向けると、翼をはためかせ、黒い風を伴い消えた。重女を一度も見ることなく。

 「………」

 身体を縛られたまま、重女は呆然と見ているしかなかった。

 ――黒蝿。

 かつて重女が名付けた名前。その名前を口にしようとしても、喉からはひゅう、と木枯らしが吹くような音しかでなかった。

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 階段を上がり、アキラはガントレットを装着したまま外へと出た。
 地上へ出て目にした光景は、巨大な棍棒をもった半牛半人の魔獣に次々とやられる討伐隊の皆の姿だった。
 怪我を負ってない者はいなく、頭から血を流したキヨハルとアキラの目があった。

 「君! 地下から出てきたのか! あれほど来ちゃ行けないと言っておいたのに……!」

 言い終わる前に、魔獣の棍棒がキヨハルめがけて振り下ろされる。

 「危ない!」

 アキラは咄嗟にキヨハルの手を強く引き、その場から避難させる。
 キヨハルが元いた場所は、巨大な棍棒によってコンクリートの地面が抉れている。あれを直撃していたらキヨハルは脳天をかち割られていただろう。
 恐ろしさにアキラの小さな手が震える。悪魔を相手に戦うというのがこんなにも怖い事だったなんて。
だけど、もう後戻りは出来ない。天使達との約束――「神の千年王国」を造ること、そして、姉を探しに行くこと。これらを為すまで自分は死ぬわけにはいかない。

 「キヨハルさん、ちょっと借りるよ」
 「お、おい!?」

 すら、とキヨハルの腰の剣を抜き、それを真っ直ぐ身体の前で構える。その長い剣は十歳の子供が持つには重く、剣先がぶるぶる震えていた。

 「お、おい悪魔!」
 「んモウ?」

 鼻息荒く半牛半人の魔獣・八坂牛頭丸がアキラの方を振り向く。手に持っていた棍棒には幾つかの血と肉片がこびり付いていた。
 がちがち、がちがち。
 牛頭丸の恐ろしい形相を間近で見たアキラの全身が恐怖で震える。しかしアキラは十字架のペンダントをぎゅ、と握りしめ、体中の筋肉に力を入れて目の前の魔獣を見据えた。

 「お前の相手は、この僕だ!」

 精一杯声を張り上げ、目の前の巨大な魔獣を睨みつける。長刀を震えながら構える子供に、八坂牛頭丸は嘲笑を浴びせた。

 「子供の肉は久しぶりだな。食いごたえがありそうだ!」

 牛頭丸は一気に棍棒を振り下ろす。アキラはそれを地を蹴って避ける。棍棒が地面にめり込む衝撃音がアキラの鼓膜に響く。続けざまに牛頭丸は棍棒を横に振った。アキラはそれをギリギリで避けた。
 家の近所を走り回って鍛えた足腰は高い俊敏力を備えていた。

 「えい!」

 攻撃を避けながらアキラは牛頭丸の足めがけて刀を薙いだ。しかし子供の力では魔獣の太い足を斬る事は叶わない。
 牛頭丸は笑いながらアキラの小柄な身体をつまみ上げた。

 「はなせ! はなせよ!」

 ジタバタと手足を動かしても、牛頭丸の太い指から逃れられない。
 ニヤリと笑い舌なめずりをしながら牛頭丸は、そのままアキラを口元に持っていき食べようとした。

 「アギラオ!」

 急激に牛頭丸の足元で火の玉が膨れ上がった。

 「んモウ!?」

 足を火で焦がされ、牛頭丸は体勢を崩す。ぐらり。その隙にアキラはキヨハルの手によって牛頭丸の指先から救い出された。
 キヨハルの後に続いて、他の隊員がそれぞれ攻撃を仕掛ける。

 「小癪な!」

 牛頭丸が「会心波」を繰り出すと隊員達は吹き飛ばされる。
 アキラはキヨハルの腕の中でもがき、一緒に戦おうとした。

 「いい加減にしろ! 君のような子供が悪魔に叶うはずがないだろう! 大人しく避難を……」

 そこまで言ったキヨハルとアキラに巨大な影がかかる。
 隊員の攻撃を受けて鼻息の荒い八坂牛頭丸が、憤怒の表情を浮かべ棍棒を振り下ろそうとしていた。

 (やられる!)

 アキラはぎゅっと目を瞑った。大人のキヨハルさん達でさえやられちゃうのに、力の弱い僕がどうやって悪魔を倒せばいいんだ。誰か、助けて――

 『仕方ないですね、我らが少しだけ力を貸してあげましょう』

 頭の中に声が響いた。それはあの秘密基地で聞いたのと同じ声。優しく諭すようなその声は、あの四大天使の声――
 そう認識した時、アキラの脳裏にある「言葉」が浮かんだ。何故だかは知らない。だけどその「言葉」が意識せず口から呪文として発せられた。

 「アギダイン!」

 その呪文を唱えると、巨大な火の玉が次々と牛頭丸に襲いかかる。先程キヨハルが繰り出した「アギラオ」よりもっと大きく激しい炎が牛頭丸の身を焼いた。

 「モ、モオオオ!!」

 黒こげになりながら、牛頭丸は膝をついた。キヨハルや他の討伐隊の皆はぽかんとした顔でアキラを見ている。

 (今のは、僕が……?)

 キヨハルの腕から降り、そっと悪魔に近寄ろうとした。しかし、

 「!!」

 倒したと思ったはずの悪魔は、雄叫びを上げながら立ち上がった。そして目の前にいるアキラに棍棒で攻撃しようとする。アキラは咄嗟に手で身体を庇い、目を瞑った。

 ガキィン!
 激しい音が辺りに響いた。目を開くと、其処には赤い鬣を靡かせた雷王獅子丸が長刀で太い棍棒を受け止めていた。

 「ふふ、気に入ったぞ小僧!」

 獅子丸は笑った。牛頭丸渾身の一撃を、獅子丸は何の苦もなく受け止めている。

 「その小さき身体一つで悪魔に挑む、その勇気、気に入ったぞ! 小僧、名は?」
 「ア、アキラ……」
 「アキラ。これより儂は主の仲魔だ。主の危機を助けようではないか!」

 そう言うと獅子丸は、ふん! と長刀を振った。ほんの一振りなのに、牛頭丸の身体は衝撃で再び地面に転がってしまう。
 次の瞬間、獅子丸が電光石火の如く移動したかと思うと、「絶命剣」を牛頭丸に何度もくらわす。その剣技は見事なもので、神獣の名に恥じぬ動きであった。

 「ま、参った! 降参降参!」

 刀の先を喉元に突き出されながら牛頭丸は両手を上げた。
その大きな身体は炎の玉によってあちこちが焦げ、獅子丸による刀傷が幾つも付いている。

 「た、助けてくれよ、もう悪さはしない。見逃してくれよ。なんなら仲魔になってもいいぜ?」
 「何を調子のいいことを!」

 獅子丸が再び刀を振り下ろそうとする。が、長刀は途中で止まった。アキラが手で制していたからだ。

 「その言葉は本当か?」
 「も、勿論!」
 「お前の名前は?」
 「や、八坂牛頭丸……」
 「なら、八坂牛頭丸、今からお前は僕の仲魔だ! 僕には目的がある。その目的のために力を貸せ!」

 アキラは左手のガントレットに触れた。するとガントレットの画面が光り、八坂牛頭丸と雷王獅子丸は小さな光の玉となり、コンプ内に収納された。

 『うむ、魔獣・八坂牛頭丸と神獣・雷王獅子丸を収納した。これでこの二体はお前さんの仲魔じゃ』

 画面の中でミドーが機械音声を発した。その声はどこか嬉しそうである。

 僅か十歳の少年が、悪魔を使役し退治した場面を、キヨハルを始め、悪魔討伐隊の皆は驚愕の表情で見ているしかなかった。

―――

 それからアキラの生活は大きく変わった。
 八坂牛頭丸を退けた事により、アキラは小さいながらも悪魔討伐隊の副隊員に認められ、その為の訓練をキヨハルと獅子丸から直々に教わった。
 基本体術、悪魔召喚プログラムの使い方、アギやブフやザンといった魔法の習得。キヨハルからは主に座学を、獅子丸からは剣術と魔法を教わった。
 普通の子供が習う算数や国語といった基礎教養もキヨハルは引き取った子供達と一緒に、アキラに根気よく教えた。
 アキラはキヨハルの真似をして、悪魔召喚プログラムをガントレットから分厚い聖書に組み込んだ。聖書型コンプを持つと、シド先生を思い出してなんだか嬉しくなった。
 勉強に訓練でヘトヘトになりながらも、アキラは一日の終わりには祭壇に向かって祈っていた。

 ――姉ちゃん、僕、沢山訓練して必ず迎えに行く。だから、どうか元気で待っててね。

 そうして別世界の東京で数年が経過し、アキラが十三歳になると正式に討伐隊の一員として任命された。史上最年少の隊員である。
 アキラの悪魔討伐隊としての最初の任務は、スカイタワーを占拠している悪魔を退治し、「ターミナル」を奪還する任務であった。

 スカイタワーを占拠している悪魔の親玉は、鬼女・メデューサ。

 流石に手強い相手であった。
 討伐隊総掛かりで戦い、生き残ったのは、アキラとキヨハル、他数名だけ。キヨハルはこの時の戦いで顔に幾つも傷を負った。
 ボロボロになりながらもターミナルを奪還し、キヨハルと共に起動スイッチを押した時、強烈な白い光がアキラを襲った。
 この光、三年前に秘密基地で四大天使にあった時と同じ光――

 『やっとここまで来ましたね』

 何時かの白い空間。そこに座する四体の白を基調とする異形の物体。四大天使のウリエル、ミカエル、ラファエル、ガブリエルである。

 『以前に会った時よりも、かなり力をつけたようですね』
 『今なら、「神の千年王国」を築き上げる事ができるでしょう』
 『さあ、今こそ我らの神の千年王国を! お前はその国の王となって、私達の手足となって働くのです』

 再び光が溢れてくる。四大天使の姿は消え、気がつけばアキラとキヨハルは、太陽の指す東京の岩盤の上に来ていた。

 「……ここは?」

 見渡す限り何もない土地である。僅かに草が生えていて、小さな湖らしきものと、「ターミナル」という機械装置があるだけ。

 (ここに、王国を建てる……?)

 その時、アキラに異変が起こった。

 ぐらり、と視界が揺れたかと思うと、目の前の景色がぐにゃぐにゃと変わっていく。どくん、どくん、と心臓が激しく鼓動を打っている。
 何もない荒れ果てた土地にヨーロッパ風の家々が立ち並び、森が出来、城が立つ。この光景は、アキラが昔読んでいた絵本の挿し絵そっくりであった。

 「な、何が起きてる!?」

 キヨハルが叫んでも、アキラは頭を抑えてうずくまったまま。
 彼の持つ空間形成能力に、天使の力が加わり、次々と一つの世界を形成していく。幼い頃空想していた世界そっくりに。

 やがて、アキラが顔を上げると、其処には一つの国が誕生していた。

 青々と茂る豊かな木々、ヨーロッパ建築に似た家が集落を形成している。
 そして立派な煉瓦造りの大きな城。全てアキラの空間形成能力が四大天使の力によって暴発した結果である。

 「……神の千年王国……」

 ぼそりと呟いたアキラを、キヨハルは畏怖の感情を込めて見た。

 「何をしたんだ? 君は一体何者なんだい?」

 その問いに、アキラは笑顔で答えた。十三歳のアキラの顔が、やけに大人っぽくキヨハルには見えた。

 「僕は、四大天使の命を受けて別世界から来た。此処に、「神の千年王国」を建てるために」

 ぐるりとアキラが手を回し、明朗とした声をあげる。

 「キヨハルさん、東京の人々をここに呼ぼう! そして此処に新しい国を造るんだ」

 太陽の光を浴びて、アキラの金髪が輝く。
 逆光に光るその姿は、キヨハルの目にはアキラが神の使者のように写った。

 「そして僕が王様になる! この国を、今から「東のミカド国」と名付ける! 悪魔も争いもない、理想の国を造るんだ!」
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 光が収まっていく。

 目を開けたアキラの視界に飛び込んできたのは、暗い街並み。
 建っているビルは窓ガラスが割れて、殆どが半壊しており、あちこちで火の手があがっている。
 人の気配はない。数メートル前方に、血を流し倒れている男を見つけ、アキラはひっと喉を鳴らした。

 此処が天使の言った「別世界」か。
 随分沢山近代的なビルが並んでいる。どれもアキラが目にした事のない立派な建物だ。空を見上げる。随分暗い。今は夜なのだろうか。

 「おやおや、人間の子だ」
 「これは珍しい」

 不気味な声が聞こえ、アキラは顔を後ろに向ける。
 其処に立っていたのは、腹を異様に膨らませた紫色の身体の幽鬼・ガキに全身毛むくらじゃらの妖獣・チャグリン。そして赤ら顔に角を生やし巨大な斧を持った妖鬼・オニの三体の悪魔がにやつきながら立っていた。

 「ウホッ! 子供は久しぶりだ」
 「肉が柔らかそうだね」
 「あれは俺の獲物だ、お前らは手を出すな」
 「えぇ!? ずるいよう」

 異様な出で立ちの悪魔に、アキラは腰を抜かして震えていた。
 悪魔が跋扈する世界――大天使達はそう言っていた。間違いない、ここは僕がいた世界とは違う世界なんだ。
 逃げなくちゃ。しかし身体が動かない。恐怖のあまり身体に力が入らない。
 そうこうしているうちに、三体の悪魔が嬉々として襲ってくる。やられる! アキラは目を瞑る。

 「アギラオ!」

 その時、男の声が聞こえた。急激に辺りの空気が温度を高め、やがて大きな火の玉が悪魔達を焼いた。悪魔達が断末魔の悲鳴を上げて消える。
 アキラは瞑っていた目をそっと開けた。
 其処には深緑のスーツに身を包んだ男達がアキラを守るように立っていた。その中の一人がアキラの方を向く。

 「君! 子供が一人で地下から出たら駄目じゃないか!」

 アキラを叱責した男は、長髪を束ね聖書のような本を手にしていた。年は三十代後半か四十代前半だろうか。
 これがアキラとキヨハルとの出会いであった。

―――

 「僕も悪魔討伐隊に入れて下さい!」

 必死で懇願するアキラに、討伐隊の隊員達は苦笑する。
 悪魔討伐隊――突如急激に湧き出た悪魔達を倒すために国防大臣の命により結成された組織。
 隊員は皆「悪魔召喚プログラム」を使いこなす事ができ、その為の端末が組み込まれた「デモニカスーツ」を着用している。
 だが、アキラを助けたキヨハルという男は、デモニカスーツのガントレットではなく、悪魔召喚プログラムを聖書に組み込んでいた。キヨハルは「聖書型コンプ」と呼んでいた。

 「君、親はいないのかい?」

 キヨハルが優しく問いかける。

 「…………」

 アキラは黙っていた。まさか自分が天使の命を受けて別世界から来たなんて言っても信じて貰えないだろう。

 「どうするんだい? キヨハル?」
 「決まってるだろう、僕が引き取る」

 はあ、と隊員の一人が溜め息をつく。

 「キヨハル、先日も別の子供を引き取ったばかりだろう。お人好しも大概にしないと身を滅ぼすぞ」
 「身よりのない子供を放っておいたら、すぐ悪魔に喰われてしまう。だから僕が引き取って守る。それが神に仕える者としての僕の使命だ」

 アキラはキヨハルに引き取られた。キヨハルの住居は地下街の倉庫であった。
 其処には、デモニカスーツで作られた十字架が置いてあり、他に十名程アキラと同じ年頃の子供達が暮らしていた。
 キヨハルは、悪魔討伐隊に入る前は神父になるべく勉強をしていたのだが、市ヶ谷から悪魔が東京中に広がった惨状を見て、自ら悪魔討伐隊に入隊したのだという。
 祭壇の2つのデモニカスーツは亡き隊員のものらしい。
 キヨハルは悪魔討伐に勤しむ傍ら、身よりのない子供を引き取っていた。それが神に仕える自分の使命だとキヨハルは言っていた。

 「悪魔召喚プログラム?」
 「そう。僕達悪魔討伐隊はこのプログラムを使って異界から人外の者を呼び悪魔を討つ。隊員の中にはデビルサマナーの家系も多くて、管を使っている者も多いがね」
 「デビル……サマナー?」
 「悪魔召喚師、とでもいうのかな。古くは陰陽師、外国ではエクソシストと呼ばれる特別な力を持つ者だけが異形の者を召喚できた。だけどある物理学者が悪魔召喚プログラムを開発して、一般人でも使えるように普及したのさ」

 プログラム、デビルサマナー……聞き慣れない単語にアキラはやや混乱したが、解ったことは一つ。

 ――あの悪魔召喚プログラムとやらを使いこなせれば、悪魔討伐隊に入れるかもしれない。

 深夜、キヨハルは地上の見回りに出かけ、他の子供達は倉庫で蒲団を敷いて寝ている中、アキラはそっと起き出し、十字架に使われているデモニカスーツを剥ぎ取った。
 物陰に隠れ早速スーツを着てみた。しかしスーツは大人用。子供のアキラにはダブタブで、キヨハルや他の隊員のように身体にフィットしない。
 ちぇ、と舌打ちし、アキラはガントレットの部分に触れた。すると小さな画面が起動し、其処に文字が現れた。

 『悪魔召喚プログラム起動完了』

 画面の中にちかちかと光る部分がある。文字が浮かんでいた。

 「生体登録? なんだそりゃ?」

 画面の文字に従って、ガントレットに手を入れた。大きな籠手の内側でアキラの指紋や静脈などの生体情報を読み取っているのだろう。

 『登録完了』

 再び画面に文字が出た。この世界の技術は随分進歩しているらしい。まさか籠手にこんな小さなテレビが入っているなんて。

 『登録おめでとう。これで君も悪魔召喚師に――って、ありゃ? 子供?』

 画面の中から老人の声がした。しかしその老人の姿は変だ。
 カクカクとした無数の四角で身体が構成されている。アキラは知らなかったが、この老人は崩れかけたポリゴンドットの体であった。
 しかもかろうじて再現できているのは上半身だけで、顔は青い帽子にサングラス、白い髭を蓄えていることがドット状の姿からわかった。

 「あ、あのー……あなたは誰ですか?」

 アキラは恐る恐る画面の向こうのドットの老人に尋ねた。すると老人はいきなり笑い出した。

 『私か? 私の名はミドー。かつてスティーヴンと悪魔召喚プログラムと悪魔合体プログラムの開発に携わり、悪魔の魅力に取り付かれた男の成れの果てじゃよ』

 ふわり、ふわりとミドーと名乗った老人は画面の中でたゆたうように動いてみせた。その様子がとても珍しくて、アキラは目を大きく開けてじっと見ていた。

 「ミドー……さん」
 『なんじゃ?』
 「笑わないで、聞いてくれますか?」

 アキラは話した。今までの事全て。いなくなった姉を探していたら四大天使に出会った事、その天使達に「神の千年王国」を造るために悪魔をやっつけなくてはいけないことを教えられ、そしてこの世界に来た事を正直に話した。

 「天使様は、姉ちゃんは別の時空で生きているって言ったんだ。姉ちゃんに会うためには悪魔を倒して「千年王国」とやらを作らなくちゃいけないんだ。だから僕も悪魔をやっつけたい。討伐隊に入りたいんだよ」
 『ううむ……』

 たたみかけるようなアキラの言葉に、ミドーは電子空間をふらつきながら何かを考えている。

 『「神の千年王国」……一つ、思い当たる節があるぞ』
 「え?」
 『市ヶ谷から黒翼の大天使のせいで異界のゲートが開き、悪魔が東京中を跋扈するようになって、それを危惧した外国の軍が東京にミサイルを打ったのだ。
 東京を守るため、守護神マサカドは空を覆い尽くす大きな岩壁となって東京に蓋をした。その結果ミサイルからは守られたが、東京は太陽が昇らない死の街となってしまった』

 機械音声のミドーの言葉をアキラはじっと聞いていた。巨大な岩で蓋をされた東京。やはりここは自分がいた世界ではないという事を再確認した。

 『だがな、四大天使は諦めなかった。彼らは“ターミナル”と呼ばれるエネルギーの霊道、アマラ経絡を作り、岩の天井の上に「神の千年王国」を作ろうと目論見た。
 だが天使達は悪魔との対決によりその力は随分弱体化してしまった。それから四大天使の姿は消えたが……まさか坊主の世界に行っていたとはの』

 ターミナル。アマラ経絡。また知らない単語だ。

 「その“ターミナル”を使えれば天井の上に行けて、「千年王国」を作れるんだよね? 教えてください。“ターミナル”は何処にありますか?」

ミドーは暫し言葉を切って、ようやく話し出した。

 『スカイタワーにその“ターミナル”があると聞いた。しかし坊主、彼処は強力な悪魔が支配する地区だ。坊主一人ではとても……』

 そこまで言って、ミドーは口をつぐんだ。急に倉庫内に、ズズン……という大きな音が響いたからだ。
 眠っていた子供達は目を覚まし、何事かとキョロキョロし、恐怖のあまり泣き出す子もいた。

 『悪魔の攻撃じゃな』
 「なに!」
 『この気……今までの悪魔とは桁が違う。とてつもなく強い悪魔と討伐隊は戦っているらしいな……ておい!』

 アキラはガントレットを腕にはめたまま、倉庫を出て地上へと走り出していた。

 『こら、坊主!』
 「坊主じゃない、僕の名前はアキラだ!」
 『ならアキラ、悪いことは言わない、引き返せ。お前さんのような子供が叶うような相手ではないわい』
 「そんなの、やってみなきゃわかんないだろ!」

 ぎゅ、とアキラは胸の十字架のペンダントを握る。
 だって、約束したから。僕が姉ちゃんを守るって。必ず僕が姉ちゃんを迎えに行くって! その為なら悪魔討伐も「千年王国」の建設もなんだってやってやる!

 「悪魔召喚プログラム発動!」

 アキラの音声が認識され、コンプの中に入っていた神獣が、光と共にコンプの外に顕現した。
 赤い鬣に、中華風の甲冑を纏い、腰に長刀を携えたのは、神獣・雷王獅子丸。

 「儂を喚んだのは貴様か? 小僧」

 大柄な武神は、小さなアキラを見下ろす。アキラはその鋭い眼光にびくつきながらも、き、と獅子丸の瞳を見据えた。

 「そ、そうだ。お前を喚んだのは僕。だから、今から僕がお前の主だ」

 がっはははと獅子丸は笑う。

 「こんな小童が主とはな……だが儂を仲魔にしたくば、儂に相応しい主になってもらわなくてはな」
 「相応しい?」
 「儂を従えるだけの器量と力を示さなければ、とても儂の主とは認められん」

 その間にも、地響きは大きくなり、人の叫び声や何かが壊れる音は鳴り止まない。
 アキラは真っ直ぐに獅子丸を睨みつけ、ぎゅ、と拳を握った。

 「いいよ! 僕は悪魔を倒すために此処に来たんだ。やってやる! 生きて、姉ちゃんを迎えに行くんだ」

 そのままアキラは地上へと通ずる階段を走って登っていった。血の匂いと土ぼこりがアキラの顔を襲う。
 そっと目を開けたアキラの視界に飛び込んできたのは、巨大な悪魔に、キヨハルを始め数人の隊員が成す術もなく蹂躙されている光景であった。
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 黒蝿は、東のミカド国内を歩いていた。

 黒蝿の手には力を封印する為の枷がつけられている。そのせいで術は使えず、空を飛ぶことも出来ないが、こうして探索するだけなら十分であった。

 あの戦いの後、黒蝿はアキュラ王によって重女と離され、枷を施されて再び独房に入れられた。しかし、前回のような監禁ではなく、監視付きの軟禁に待遇は上がった。
 現に今も、外に出たいと言い出した黒蝿を雷王獅子丸が見張っているだけ。朴訥とした神獣は、黒蝿の右斜め後ろで油断なく一挙一動に目を凝らしている。アキュラ王から外出の許しが出たとはいえ、この悪魔が再び暴れまわるかもしれん。獅子丸は腰の長刀から手を放さず黒蝿に話しかけた。

 「おい、さっきから何をしている? よからぬ事を考えているのではあるまいな?」

 質問には答えず、黒蝿は周りを見渡した。
 大きいと思っていたこの国は、こうして歩き回ってみると、意外と小さい事が分かった。
 ミカド城を起点として、確認できる国の大きさは、せいぜい半径十キロ程度。しかもよく見るとあちこちの空間がまだ不安定だ。
 ここは自然に出来た国ではない。誰かが“造り上げた”世界。
 黒蝿はこの世界を構成する甘ったるく、胸焼けを起こしそうな「気」を感知し、不快げに眉を寄せた。

 間違いない、これは、“天使”の気だ――。

―――

 「うーん、喉に異常はないね。やはりこれは魔的なものが原因だね」

 城内の医務室にて、重女の喉を見ていたキヨハルは溜め息混じりに言う。重女は喉に手を当てる。醜い痣がついた首。命の代償に声と真名を差し出した、あいつとの契約の印し。
 そういえば、黒蝿はどうしたのだろう。あの後、黒蝿はどこかに連れて行かれて、それ以来会ってない。また牢に入れられたのだろうか。

 重女は筆談用に渡されたノートにペンを走らせようとした。だが視界に白くちらつくものが見え、思わず目を細めてしまう。
 「ターミナル」と呼ばれる場所に降り立った時、そこの強烈な光は、暗闇に慣れていた重女の目の網膜を焼いた。おかげでずっと視界の端々に白い光の残影が写り、特に近くのものを見るのに難儀した。
 目を擦ったりしばたかせたりする重女に、キヨハルはポケットから眼鏡を取り出し、重女の耳にかけた。

 「!」

 すると焦点の合わなかった視界ははっきりとし、白いちらつくものも消えた。
驚いた重女はキヨハルの顔をみる。キヨハルは微笑んでいた。

 「君は目が悪いんだね。気づくのが遅れてごめんよ。僕が昔使っていた眼鏡だけど、良かったらどうぞ」

 にっこりと優しい笑顔を浮かべキヨハルは言う。今まで分からなかったが、良く見るとキヨハルはそれ程老けてはおらず、せいぜい四十代後半か五十代くらいと推測できた。

 [ありがとうございます]

 ノートにそう書いて重女は微かに頭を下げた。キヨハルは微笑んだまま頷いた。なんとなくその笑顔が、シドを思い出させて、重女は胸の奥がきゅっと縮こまる感じがした。
 さらさら。重女はさらにノートにペンを走らせた。そしてその文字をキヨハルに見せた。

 [黒蝿とアキラは、今どこにいますか?]

―――

 王の執務室。机の上に山と積まれた書類を投げ出し、アキュラはソファーに横になった。

 「姉ちゃん……」

 そっと、首から下げている十字架のペンダントを握りしめ呟く。姉とお揃いのペンダント。あの「重女」と名乗った少女も同じものを首から下げていた。そして自分の名前を呼んで抱きしめてくれた。
 間違いない。あれは姉ちゃんだ。ずっと探していた最愛の姉。まだ手に彼女の温もりが残っている。
 大きいと思っていた姉は驚く程華奢で柔らかかった。
 違う、自分が成長したのだ。ぎゅ、と手を握りしめる。姉と別れてからもう七年が経過している。なのに姉は当時のままの姿だ。何があったのか。黒蝿とかいったか? あの悪魔が関係しているのだろうか?

 「…………」

 アキュラは固く目を瞑り、膝を抱える。まるで胎児のように。
 目蓋の奥でアキュラは思い出す。姉を探して過ごした日々。キヨハルとの出会い、そして、「天使」との邂逅を――。

―――

 シドの教会を探して、八歳のアキラは歩き回った。
 教会がないだなんて、そんなわけがない。姉と共に通った教会。大きなシド先生。色とりどりのステンドグラス。差し出されたチョコの甘さ。全部覚えている。夢じゃない、あの思い出が夢であってたまるか。

 公園を出て、近くの米軍基地を通り過ぎ、商店街を抜け、アキラは足が棒になるまで歩き続けた。しかし何処にもシド先生の教会はない。アキラの足は自然と「秘密基地」のある空き地へと向かっていた。
 アキラと姉の二人だけしか知らない秘密基地。幾つもの草を結ってドーム状に造り上げた其処に、アキラは身をかがめ入って、膝を丸めて縮こまった。

 どうして? どうしてシド先生の教会が何処にもないの? お姉ちゃんはいつ京都から帰ってくるの?
 寂しい。嫌だ。姉ちゃん、早く帰ってきて。

 アキラは手作りの「祭壇」に向かって手を合わせて祈った。姉が早く帰ってきますように。二人で仲良く幸せに暮らせますように、と一心不乱に祈った。

 しかし祈りは届かなかった。それから三ヶ月、半年が過ぎても姉は帰ってこない。毎日秘密基地に行っては熱心に祈った。しかしそれでも姉が帰ってくる気配はない。シドの行方も掴めない。
 砂を噛むような毎日が続き、いつしかアキラは、施設でも学校でも、笑うことも泣くこともしなくなり、ただ自分だけの空想の世界に閉じこもるようになった。

―――

 十歳になった時、施設を抜け出した。理由は特になく、ただ職員とちょっとしたことで口論になり、その勢いで、着の身着のままで施設から脱走した。
 その日はとても寒い日だった。
 雪がちらつく中、アキラの足は自然と昔住んでいたアパートに向かっていた。
 しかしそこにアパートはもう立っていなく、工事中の看板がかかっており、古いアパートは取り壊されていた。
 愕然としたアキラは、ふらふらととめどめもなく歩いた。そしてたどり着いたのは空き地の秘密基地。枯れ草の上に積もった雪が秘密基地を潰していた。必死に雪をのけても潰れてしまった秘密基地は元に戻らない。唯一、アキラ手作りの祭壇の十字架が、枯れ草と雪の間から僅かに姿を見せていた。
 雪を掻き分け、その場に座ったアキラは、十字架のペンダントを胸で握りしめ、そして自らの金髪を掻きむしった。

 ――もう嫌だ。此処は嫌だ。姉ちゃんもお母さんもいない世界なんて嫌だ。独りぼっちは嫌だ。
 別の世界に行きたい。此処じゃない何処か。姉も母もいて、誰からも意地悪されない、そんな世界に――

 『それは本当ですか?』

ふいに、頭の中に声が響いた。女性とも男性ともしれない優しい声。

 「誰?」

 アキラは辺りを見回す。しかし誰もいない。雪がしんしんと降り、吐く息は白く、寒さにアキラは身を震わせた。

 『貴方には不思議な力があります。空間形成能力。我らの千年王国を成す為に、その力、是非ともお貸しなさい』

 相変わらず声が響く。ふと、草から覗いている祭壇の手造りの十字架が目に入った。まさか、彼処から?
 アキラはそっと、木の枝で作られた十字架に触れた。
 すると真っ白な光がアキラを包み込む。あまりの眩しさにアキラは目を瞑り――

―――

 『選択をするのです』

 気がつけば白い空間にアキラはいた。上下左右真っ白な空間。そこに白い物体が四つあった。いずれもその姿は人とはかけ離れている。皆白とルビーやサファイヤ等の宝石を基調とした異形の姿だが、不思議と怖い気持ちは浮かんでこなかった。何故だろう。

 『此処にはいたくない。別の世界に行きたい、とお前は願ったな』
 『その願い、我らが叶えて差し上げましょう』

 二体の白い物体が交互に声を発した。思わずアキラは質問してしまった。

 「貴方達は、誰ですか?」

 その問いに答えるよう、四体は微かに光を増した。

 『我はミカエル』
 『ウリエル』
 『ラファエル』
 『私はガブリエル。人は我らの事を四大天使と呼びます』

 アキラは思わず跪いた。天使……本当にいたんだ。祈りを聞き届けてくれたんだ!

 「本当に、僕の願いを叶えてくれるんですか?」
 『無論。姉に会いたい、と願っておりましたが、お前の姉は生きています。今は別の時空に飛ばされていますが、間違いなく生きています』

 その言葉にアキラの大きな青の瞳に涙が浮かんだ。生きている。姉ちゃんは生きているんだ!

 「姉ちゃんに今すぐ会いたいです! 会わせて下さい、姉ちゃんに」
 『いいでしょう。ただし今すぐは無理です。お前が我らの願いを聞き届けてくれるのなら、必ず姉に会えるでしょう』
 「願い?」
 『此処とは違う別の世界に、我らは神の千年王国を築き上げようとしました。でも、その世界には悪魔が溢れかえっています。あの忌々しい黒翼の大天使によって』
 『そこでお前に、悪魔を倒し、我らの千年王国を築く手伝いをしてほしいのです。お前程の空間形成能力があれば必ずそれは為せるでしょう』

 四大天使の言う事を、十歳のアキラは完全に理解したわけではなかった。しかしずっと待ち望んでいた天使様が僕に願い事を持ちかけている、その願いを叶えれば姉に会わせてくれる――それだけで充分であった。
 十字架のペンダントを胸で握りしめる。姉とシド先生とお揃いのペンダント。姉との絆の象徴。

 「やります。僕、別世界に行って悪魔を倒してきます。そして姉ちゃんに会えるよう頑張ります! どんなに時間がかかっても、必ず「千年王国」というのを作って見せます!」

 そこまで言うと、四大天使の姿が一層光輝いた。光の中で天使達が微笑んだかのようにアキラには感じられた。

 『いいでしょう。今から貴方を別世界の東京に送ります。其処は魑魅魍魎が跋扈する恐ろしい世界です。それらを倒し、必ずや、神の千年王国を築き上げるのです』

 光の奔流の中、アキラは拳を握った。

 ――姉ちゃん、必ず迎えに行く。どんなに時間がかかっても、必ず会いに行くよ。だから、待っててね――

 光に向かって手を伸ばす。しかし小さな手は何も掴めないまま空を切り、やがてアキラの視界も意識も、白く、染まった。
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 アキラ、後に東のミカド国の初代王アキュラと名乗る少年は、空想癖が強い子供であった。
 母は仕事が忙しく、六歳違いの姉が幼いアキラの世話をしてくれた。
 アキラは周りの子と異なった目と髪の色をしていた。明るい青の瞳に金色の髪。姉は髪こそ黒髪だったが、瞳はアキラと同じく青く、その姿は他の子供達のイジメのターゲットとなった。
 石をぶつけられたり、髪をひっぱられたりして、泣くしかないアキラと対照的に、姉はいじめっ子に果敢に立ち向かっていった。
 そのせいで姉は生傷が絶えなかった。そんな姉の手当てをするのはアキラの役目であった。
 傷だらけで悲しそうに微笑む姉を見て、幼いアキラは密かに決意した。
 ――僕が、もっと大きく強くなって、姉ちゃんを守ってやる!

―――

 「姉ちゃん、みかどってなに?」

 ある日、姉が学校から借りてきた幼児向け絵本の「竹取物語」を自宅で読んでいて、アキラは家事をしていた姉に聞いた。
 姉とアキラが住んでいたアパートはとても古く、六畳一間に小さな台所がついているだけで、当時普及し始めたテレビもクーラーもなかった。姉は仕事で忙しい母の代わりによく家事をこなしていた。そのせいで姉の手にはあかぎれがいくつもあった。

 「みかど?」
 「うん、ここに書いてあるよ。“みかど”てなに?」

 姉が洗い物の手を止めて絵本を覗く。

 「帝ってのはね、昔の王様の呼び方だよ」
 「おうさま?」
 「うん、一番偉い人の事を、この時は“ミカド”て呼んでたの。簡単に言えば王様だね」

 王様。絵本で呼んだことがある。一番偉い人。王様は偉くてなんでも思い通りにできる。食べ物に困る事も、他の皆からいじめられることもなくなるんだ。

 「じゃあ僕、ミカドになるよ!」

 いきなりの弟の発言に、姉は目を丸くした。しかしアキラは真剣そのものだ。

 「僕が“ミカド”になったら、一番偉いんでしょ? そうしたら皆僕達の事いじめたりしなくなるし、お腹いっぱいご飯も食べられるよね! だから僕沢山勉強して、この国の“ミカド”になるんだ!」

 今の日本に、帝なんて役職はないことくらい小学生の姉にはわかっていた。だがアキラのキラキラ光る目を見ていると、否定しようという気にはなれなかった。

 「うん、頑張って“ミカド”になってね。そしてお姉ちゃんとお母さんを守ってね」
 「うん、僕偉くなるよ。誰にもいじめられないくらい偉く!」

 大人が聞けば微笑ましい子供の妄想だと笑われただろう。だがアキラは真剣だった。幼い姉弟は微笑みながら、そっと指切りをした。

―――

 「姉ちゃん、こっちこっち!」
 「待ってよ、アキラ」

 ある晴れた日曜日。アキラが姉の手を引っ張って近くの原っぱに連れて行った。
 長い間空き地だったそこは、草が生え放題で、二人の子供は草に埋もれて歩いていた。

 「こんなところに何があるの?」

 姉の問いかけにアキラはへへ、と悪戯っぽく笑ってみせた。

 「じゃーん!」

 アキラが指を指したものを見て姉は息を飲んだ。
 そこは、幾つも草を結び作られた、小さなドーム状の空間であった。
 生い茂る背の高い草は、其処だけぽっかりと口を開けており、中にはほんの少しの雑誌と駄菓子、そして小さな木の枝で作られた十字架が土に刺されている。

 「どうしたの、ここ?」
 「秘密基地だよ! 僕がこっそり作ったんだ! 祭壇もあるんだよ、ほら」

 枝を紐で結んで作った十字架を刺した土の盛り上がりが、アキラのいう「祭壇」らしい。シド先生の影響だな、と姉はくすりと笑った。

 「ここでね、僕ずっとお祈りしてたんだ。家がお金持ちになりますように、お母さんが家にいてくれますようにって。此処は僕だけの“教会”なんだ」

 嬉々として喋るアキラを姉は複雑そうな顔で見ていた。

 「アキラは……神様とか信じるの?」

 その言葉にしまった、とアキラは口を押さえた。何日か前、姉はシド先生に反論したのだ。神様なんかいない、神様なんか信じない、認めない、と。

 「あ、あの、僕は……」

 ぎゅ、と胸の十字架のペンダントを握る。あの言い合いの後、シド先生が自分と姉にくれたものだ。姉と、シド先生とお揃いのペンダント。姉は今でも神様を信じていないのだろうか。

 「そうね……シド先生の言う事は全部は信じられないけど……でも、いい神様ならいるといいね」

 寂しそうに姉は言う。その胸にはアキラと同じ十字架のペンダント。それに姉はそっと触れる。自分が触れては壊れてしまうかのように。

 「僕は……神様はいると思うんだ」

 腰をかがめてアキラは「祭壇」の方に近づく。そして手を組み目を瞑る。

 「こうやって祈ってると、いつか天使様が現れて、僕達を幸せにしてくれるような気がするんだ。だって、こんなにも僕達が辛い目にあってるんだから、神様が助けてくれないわけないよ」

 アキラの幼い横顔は、真剣に祈りを捧げている。常に虐げられてきた、幼い子供の唯一の拠り所が、ここで祈ることだった。
 人はどうしようもないほど辛い事に直面したとき、人ではない何かに縋る。それが偶像であれなんであれ。アキラは幼いながら自分の無力さを痛感していた。その気持ちが神への信仰心に変わったのかもしれない。

 「……そうだね、少しなら願いを叶えてくれるかもね」

 姉はアキラの隣に来て、同じように手を組み祈った。
 神様でもなんでもいい、私とアキラとお母さんがこれ以上辛い目に合わないように、心の中で願った。
 原っぱの、小さな「秘密基地」の中で、幼い二人の姉弟が互いの幸せを願って祈り続けた。

―――

 それから数年後、姉は中学に進級し、アキラは小学校に入学した。
 家は相変わらず貧しく、クラスの子からのいじめは続いたが、辛い時は心を宙に飛ばし空想に耽った。

 空想の中では、母が常に家におり、きちんと料理を作ってくれ、姉も自分も笑っていて、顔の知らない父親もいて、学校ではいじめられてなく、幸せな気持ちで毎日を過ごす、そんな今の生活とは正反対の空想を抱いた。
 外部からの辛い仕打ちに対する、一種の心の自己防衛であったが、いつしかアキラは空想の世界の方が本当な気さえしてきた。
 ここは本当の世界じゃない。本当の世界は別にある――子供には良くある妄想であったが、アキラのそれはとても強かった。綿密に、細部まで理想の世界を思い描く事ができた。
 いつか、きっと「あっちの世界」に姉ちゃんとお母さんも連れて行きたい。そんな決意すら固めていた。

―――

 そして姉が中学二年に進級し、アキラが小学二年生になった頃、一つの変化が訪れた。

 母が死んだのだ。
 原因は交通事故であったが、姉は自分が殺したのだと驚愕していた。
 姉はある時期から極端に喋らなくなった。理由を聞くと、「私の言葉は人を不幸にする」かららしい。
 母が事故に合う前の日、姉が母と口論になった。

 「嫌い、大っ嫌い! お母さんなんか死んじゃえばいいんだ!」

 はっとして口を押さえた姉の横で、アキラはオロオロするしかなかった。そして姉は自分の手を引き、シド先生の教会に連れて行った。
 その夜はそこで過ごした。姉は泣いていた。お母さんに酷いこと言っちゃった、どうしよう、と涙をポロポロ流しながら自分を抱きしめてきた。
 アキラもどうしたらいいかわからなく、ただ姉の背中をさすっていた。泣きながら。
 狭い椅子で泣きじゃくる姉弟をシドは何も言わず見つめていた。

―――

 そして母の埋葬が済み、アキラと姉は施設に引き取られたが、姉はシド先生と京都に行く事を告げた。
 なんでも姉の声には悪魔が宿っていて、シド先生は魔をもって魔を制すデビルサマナーらしく、京都の鞍馬山に行けば姉に取り付いている悪魔を払うことが出来るらしい。

 「姉ちゃん、何処に行くの?」
 「お姉さんは私と一緒に京都に行ってくるよ。なに、心配はいらない、ほんの二、三日で帰ってくるよ」

 シドの横に立っていた姉が、アキラの頭を優しく撫でる。亡き母にも似た細く小さな柔らかい手。

 「すぐ……かえっ、て、くるから……まって、てね」

 泣き出したいのをこらえてアキラは頷く。
 約束だよ。姉ちゃんが帰ってくるまでに、僕、もっともっと強くなるよ。もうお母さんはいないし、家にはお父さんがいないから、男の僕が姉ちゃんを守ってあげなくちゃ!

 シドと姉を見送ったその晩、アキラは神にお願いをした。

 ――神様、僕を、姉ちゃんを守れるように強くしてください。今まで姉ちゃんが僕を守ってくれたから、今度は僕が姉ちゃんを守る番。だから、心も身体も強くなりたいです――

 それから三日、一週間たったが、姉が帰ってくる気配はなかった。
 施設に手紙すら届かなかった。アキラは不安な日々を過ごし、ひたすら、秘密基地に行って姉の無事を祈った。
 だが一ヶ月経っても、姉は帰ってこなかった。
 流石におかしい、と感じたアキラは、施設を抜け出し、シドの教会へ向かった。シド先生なら何か知っているはず。もしかして姉より先に帰ってきているかもしれない。
 しかし、公園の外れにあるはずだった教会は、どこにもその姿がなかった。
 場所を間違えたのか? そんなはずはない。何年も通いつめた場所だ。間違える訳がない。
 近くを通りかかった通行人に教会の事を聞いた。すると通行人は訝しげに眉を寄せて言い放った。

 「何言ってるんだ。ここには最初から教会なんてなかっただろう」
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 ――姉ちゃん、どこに行くの?

 『お姉さんは私と一緒にちょっと京都に行ってくるよ。なに、心配はいらない。ほんの二、三日で帰ってくるよ』

 姉ちゃんが僕の頭を撫でる。柔らかく、温かい小さな手。お母さんの手と良く似ている。

 『すぐ……帰って、来るから、待って、てね』

 微笑みながら姉ちゃんが僕に言う。
 約束だよ。姉ちゃんが帰ってくるまでに、僕、強くなるよ。今まで僕を守ってくれた姉ちゃん。今度は僕が姉ちゃんを守るんだ。もうお母さんはいないし、家にはお父さんがいないから、男の僕が強くならなくちゃ。姉ちゃんを守れるように、心も身体も強く!

 大柄なシドに手を引かれ、姉が行ってしまう。
 少年は、その後を追いかけたい衝動を我慢し、ぎゅ、と拳を握った。

―――

 「……アキュラ、時間だ」

 束の間の休息。ソファーにて横になっていたアキュラは、仲魔の雷王獅子丸の声で目が覚めた。
 ここは東のミカド国。城内の王の執務室。豪華な調度品と大きな執務机が並ぶ部屋の隅に置かれた来客用ソファーで、この国の王であるアキュラは、執務の合間を練って仮眠をとっていた。

 「獅子丸か。なんだ」

 気だるそうにアキュラは上体を起こした。ぱさ、と金色の前髪が顔に落ちる。

 「あの悪魔を尋問する予定だろう。忘れたのか」

 獅子丸が溜め息混じりに言う。
 アキュラの仲魔の一人でもあり、側近代わりのこの神獣は、王であるアキュラの一日のスケジュールを管理している。雷王獅子丸は、アキュラにとって頼れる仲魔でもあり、執事でもあり、厳しい教師でもあった。

 昨日、封印していたターミナルから現れた一組の男女は、今は牢に入れてある。男の方は黒い翼を生やし、明らかに人ではなかったので、悪魔専用の特別牢に放り込んでおいた。今日、その悪魔を尋問する予定だ。他ならぬ、アキュラ王が直接。

 「何もお前直々に行かぬとも、サムライ衆にまかせておけば……」
 「俺があの悪魔と直接話がしたいんだよ。それに……」

 その後に続く言葉をアキュラは飲み込んだ。
 あの悪魔と共にいた少女。今は別の牢屋に入れているが、少女は、アキュラの良く知っている人物に酷似していた。
 しかし「彼女」なわけがない。あまりに似すぎているのだ。彼の覚えている「彼女」と。

 「悪魔と一緒にいた娘の尋問は誰が?」
 「キヨハルが行っている。キヨハルの奴、張り切ってたぞ。ターミナルから来た彼女を「天使」と信じているらしい」

 アキュラは苦笑した。天使と悪魔が一緒にターミナルから降り立ったなんて、キヨハルさんらしい考えだ。

 「行くぞ」

 ばさり、とマントを翻し、アキュラは獅子丸を連れて執務室を後にした。

―――

 こんこん、こんこん。
 少女が牢の壁を叩く。固い石でできている。しかし構造は単純だ。牢屋の中には固いベッドと、簡易トイレらしきものがひとつづつ。小さな窓には柵が埋め込まれ、脱走防止になっている。ドアには覗き窓と、食事を出し入れする小さな出窓がついていた。
 何もかもが本で見た中世ヨーロッパの牢と酷似していた。
 昨日“ターミナル”と呼ばれていたあの場所はとても近代的な様子だったのに、ここや、外の街並みは、中世時代のそれとほぼ同じように感じた。このちぐはぐさはなんなんだろう。

 そっと、少女は影を操作しようとした。しかし影は少しも動かない。

 (やはり駄目か)

 昨日から何度試しても、影の造形が出来ない。
 影の魔法さえ使えれば、こんな古い牢屋から出ることが出来るのに。どうやらこの牢には、魔法を抑えるなにかしらの処置が施されているらしい。

 『……黒蝿?』

 少女は黒蝿に念波を送ってみる。しかし返事はない。黒蝿は少女とは別の牢に連れていかれた。どれくらい離れているのかわからないが、もしかしたら黒蝿の牢にも魔法を使えなくさせる処置が施されているのかもしれない。

 (酷い事、されてないかな)

 ベッドの上で、少女は膝を抱えぎゅっと縮こまる。
 今まで黒蝿が側にいるのが当たり前であった。悪態をつきながらも、彼は決して自分の側を離れなかった。念波で呼びかければ答えてくれた。ただ単に監視していただけかもしれないが、少女は自分が独りぼっちじゃないとわかり安心出来た。
 黒蝿の姿が見えない、念波にも答えて貰えない事がこんなに心細いとは知らなかった。

 自分はこれからどうなるんだろう。
 あのアキュラという少年。ここ――東のミカド国というらしい――の王と名乗った。自分と同じくらいの年頃に見えたが、それよりもあの容姿に少女は惹かれた。

 さらっとした金髪に、明るい青い目。似ている。「あの子」に。しかし「あの子」な筈がない。あの子――アキラは、まだ八歳のはずだ。あの少年はどう見ても自分と同い年か少し上。アキラなはずがない。なら、彼は一体――?

 ガシャ、と音がして、鉄製の扉が開く。少女はベッドから降りる。食事の時間か? それともまた尋問か?

 「おやおやおや、女の子だ! 話には聞いていたけど本当にそっくりだ!」

 扉から入ってきた人物を見て、少女は驚いてとっさに身構えた。
 その人物は初老の男性で、長い白髪を伸ばし放題にし、青い修道衣にも似たボロボロの着衣を纏っている。それだけでも異様だが、少女を更に驚かせたのは、その老人の顔に無数の十字の傷があった事だ。

 「ね、ね? 君、天使なのかい?」

 老人が少女に迫る。少女は異様なその雰囲気に気圧され思わず後ずさる。

 「無駄だキヨハルさん。その子は喋れない」

 扉の向こうに構えていた、見張り役の騎士のような男が老人に告げる。キヨハルと呼ばれた異様な男は、「分かっているよ」と騎士に返した。

 「安心して。僕は君に手荒な真似をするつもりはないから。その証拠に、ほら。今日は服と筆談用の紙とペンを持ってきたよ。いつまでもそんな血の匂いがする服じゃ君も嫌だろ?」

 まくし立てるキヨハルをよそに、少女はくんくんと服の匂いを嗅いだ。
 もう鼻が麻痺して何も感じないが、影の鞍馬山での生活で、悪魔を倒し解体する際、返り血が付くことが多々あった。こまめに洗ってはいたが、やはり染み付いた血の匂いはなかなか取れないらしい。

 「湯殿を使う許可も出たよ。身体を洗ってさっぱりしたいだろう? アキラ君から君を囚人ではなく客としてもてなすように言われてるんだ」

 アキラ。その人物名に少女は大きく反応した。アキラ? アキラって、まさかやはり私の知っている「あの子」なの――?

 そうキヨハルに問い詰めたくても、喉からはひゅう、と木枯らしの吹くような音しか出ない。そう。少女は声を出せない。だから昨日行われた尋問でも、声を出さない少女に、担当の尋問官は最初怒っていたが、事情が分かると筆談で答えるよう紙とペンを渡された。
 そこに日本語で自分の名前と何故ここに来たのか分からない旨を書くと、尋問官には通じた。どうやらこの国では日本語が通用するらしい。

 少女は自分の名前を「重女」と書いた。
 無論、偽名である。本当の名は思い出したくても分からないから。

 かなめ、と名乗ったのは、なんてことはない、少女の母の名が「かなえ」だったとのと、漢字はクラマテングの最後の言葉である、『罪を重ね続ける人の子よ』からとった。重女。罪を重ねる女。母を言霊で殺してしまい、生きる為に悪魔の肉を食べた自分にはぴったりな偽名だと少女は思った。

 「えっと、重女ちゃん、だっけ? とりあえず食事にしない?  今日のはとても豪華だよ。アキラ君の命令で料理番が手によりをかけて作ったんだから。食事は貴賓室でとろう。でもその前に湯浴みかな? おおい、君。この子を湯殿に案内してあげて」

 キヨハルがぱんぱんと手を鳴らすと、小綺麗な格好をした侍女らしき女性が数名牢に入ってきた。皆少女、いや、重女を見て張り付いたような笑みを浮かべている。
 状況が飲み込めず、オロオロする重女の腹が急に鳴った。ぐぅ~という間抜けな音に、重女は腹を押さえ顔を赤くし前屈みになる。

 「……そうだ、これ。アキラ君からの差し入れ。君に渡してくれってさ」

 キヨハルが少女の手に何かを乗せる。長方形のスティック上の黒い包装紙に包まれたそれは、スニッカーズというチョコだった。

 「……!」

 重女は驚きと感動のあまり息を呑んだ。
 このスニッカーズは、昔シドの教会に遊びに行っていた時、シドがよくくれたお菓子だったからだ。
 濃厚な甘さのそのチョコは、すぐにアキラと重女の大好物になった。影の鞍馬山での生活でも、何度このチョコを食べたいと思ったことか。
 重女がこのチョコが好きと、キヨハルの言う「アキラ君」は分かっていたのだ。出なければわざわざ差し入れにスニッカーズを選んだりしない。

 (アキュラ……貴方はやっぱり私の知っている「アキラ」なの?)

 包装紙を破り、重女はスニッカーズを口にした。濃厚なチョコの味が舌に響き、甘い味が身体中に広がる。それは、幸せの味。
 かつてシドの教会でアキラと共に食べた味。その時の感情が思い出され、懐かしさと嬉しさに重女は涙した。

―――

 「お前、悪魔だろ?」

 悪魔の術を封じる特殊牢。その中で獅子丸を連れたアキュラと黒蝿が対峙していた。
 黒蝿は口の端に笑みを浮かべ黙っていた。その様子にアキュラは苛つき、語気を強くする。

 「お前の名は? あの人間の娘とはどういう関係だ?」
 「………名はやたノ黒蝿。勿論偽名だがな」
 「貴様、ふざけてるのか」

 獅子丸が腰の刀に手を添えながら威嚇するように言う。だが黒蝿の顔から笑みは消えない。それは自嘲の笑みであった。

 「俺の本当の名を知りたければあいつに聞くことだ。なんせあいつが俺の真名を奪ったんだからな」
 「……どういうことだ? あの娘はお前のなんだ?」

 黒蝿は答えない。獅子丸が一歩踏み出そうとしたが、アキュラがそれを手で制す。

 「もしかして、あの娘は悪魔召喚師で、お前は仲魔か?」

 アキュラの問いに黒蝿は喉を鳴らしてくつくつと笑った。そんな事を問うアキュラを馬鹿にするように。

 「さあな」

 その言葉に流石のアキュラも怒り、黒蝿の襟を掴み顔を近づける。アキュラの青の瞳と黒蝿の暗い瞳が重なる。

 「お前はあの娘にとりついているのか! なら今すぐあの娘を解放しろ! あの娘はただの人間だろ!」
 「……何故そこまであいつにこだわる?」

 胸ぐらを掴まれたまま発した黒蝿の問いに、アキュラははっとなった。が、すぐに苦しげに眉を寄せる。

 「あの娘は……似すぎている。俺の良く知っている人に」

 だが、とアキュラが続ける。

 「そんなはずはない。あれから七年も経ったんだ。なのに……」

 そう、全く同じなのだ。アキュラが探し求めていた人物と。その人物と最後に出会った時の姿と、彼女は“同じ”なのだ。顔も、背丈も。服装も。

 『待っててね』

 今でも思い出せる。「彼女」の優しい声。儚げな笑顔。常に自分を守ってくれた細い肩。自分と血の繋がった、最愛の――

 「あれ?」

 アキュラが黒蝿を放す。少年は頭を押さえ、苦悩の表情に変わる。

 「アキュラ? どうした?」

 獅子丸が異変に気づき、声をかける。アキュラはそのまま地に膝をつけてしまう。
 黒蝿はその様子を黙って見下ろしていた。なんの表情も浮かべなく。

 「おかしい……俺、姉ちゃんの名前が分からない!」
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