往来―all right―別館【俺屍サマナー】

俺屍+デビルサマナー=俺屍サマナーというダブルパロ(クロスオーバー)小説を扱っております。俺屍に登場する神々や鬼を現代で使役していたら・・・という発想で生まれたいわゆる三次創作小説です。俺の屍を越えてゆけと真・女神転生シリーズ(主にⅣ)の設定を独自に融合させて捏造しております。女神転生や俺屍の人物名称や設定をかなり変更しております。こういったのが苦手な方は閲覧をご遠慮下さい。 やたノ黒蝿とサマナーになってしまった少女の物語です。

タグ:キヨハル

 『嫌だ!  “僕”に近寄るな!』

 東のミカド国、城内の医務室のベット。そこで頭を押さえているのは、やたノ黒蝿の真名を奪った、「重女」と偽名を名乗っている少女である。
 今日も駄目か。黒蝿は溜め息を吐いた。
 重女は、数日前、弟でありこの国の王であるアキラと共に四大天使を封じ、しかし四大天使の一体であるガブリエルに右手と両足を食いちぎられ瀕死のところを、悪魔合体プログラムにて弟と合体し奇跡的に一命をとりとめた。
 しかしその副作用がいくつか現れてしまった。視力の低下、右手と両足の麻痺などがあるが、一番酷いのは記憶の混濁である。
 アキラと合体したことにより、彼のマグネタイトが彼女の中に入り、それは記憶にまで影響した。マグネタイトは人間の感情エネルギー。そしてマグネタイトには必ず持ち主の記憶と感情が付随する。
 重女とアキラの記憶が混ざり合ってしまい、重女は自身の自我が曖昧になっている。今も“僕”という一人称を使った。今の重女はアキラなのだろう。

 『ここはどこ? おじさんたち誰? “お姉ちゃん”は? “お姉ちゃんは”いつ帰ってくるの?』

 ベットの隅に移動し、重女は自由に動かせる左手で布団を握りしめ身を震わせている。彼女から送られてくる念波は、間違いなくアキラの言葉であった。

 「黒蝿君、重女ちゃんはなんと?」
 「完全に自分を見失ってる。今は自分がアキラだと思っているようだ」

 キヨハルは禿げ上がった額に手を当て嘆息した。

 「せっかくアキラ君が犠牲になって重女ちゃんを助けたというのに、これでは……」
 「何か手はないのか?」

 かつてアキラの仲魔であった雷王獅子丸が黒蝿に問いかけた。手がないわけではない。が、それは黒蝿にとって気が進まない方法である。
 しかしこのままあいつを放っておくのも面倒だ。それに――“約束”もしてしまった。黒蝿は懐の十字架のペンダントに触れる。この持ち主である少年との約束。自分の代わりに姉を守ってくれ、と言い残し、このペンダントを寄越したあいつの弟との。

 「……わかった。俺がなんとかする」

 腹をくくり、黒蝿が言う。その表情はなんとなく憂鬱気だ。

 「なんとかって?」
 「彼女になにをする気だ?」

 キヨハルと獅子丸の問いには答えず、黒蝿は「皆、部屋を出ろ」とだけ言い放った。
 やや不安ではあったが、獅子丸と牛頭丸、キヨハルは医務室を出て行った。自分たちに今の重女を元に戻す方法は思いつかない。なら黒蝿の策に賭けてみるしかない。
 しかし念のため、医務室のドアをほんの数センチ開けておき、そこから成り行きを見ることにした。

 ―――

 ――さて。

 『お、お兄さん、誰?』

 愛想というのにまるで縁がない黒蝿と部屋に二人っきりにされ、重女は更に怯え、布団を身体に巻き付けた。

 「………」

 表情を崩さないまま、黒蝿はベットに近づいた。今は完全にアキラとなっている重女は、黒蝿のことを“怖い男の人”としか認識出来なかった。

 『こ、来ないで!』

 しかし黒蝿は歩みを止めず、ついにベットの端に膝を乗っけた。ぎし、とベットのスプリングが鳴る。

 『い、嫌だ、怖いよう……“お姉ちゃん”、お母さん、誰か……』

 その時だった。

 黒蝿が重女の左手を掴み、強引に引き寄せたかと思うと、そのまま押し倒した。
 何が起きたか分からなく、涙の浮かんだ目をキョトンとさせている重女に、黒蝿は、重女と唇を重ねた。

 ―――

 「!!」

 重女のみならず、ドアの隙間越しから覗いていたキヨハル達も言葉を失った。

 「あ、あやつ、な、なんと破廉恥な事を!」

 獅子丸が怒って部屋に押し入ろうとしたが、キヨハルがそれを制した。

 「待って、黒蝿君を信じよう。彼の事だから意味のない行動ではないはずだよ……多分」

 獅子丸はまだ納得がいかない様子だったが、とりあえずは留まった。しかしなにかあったらドアを蹴破ってでも中に入れるよう身体中の筋肉に力をいれた。
 一方俗っぽい性質の牛頭丸は、密かに聖書型コンプに内臓されているカメラで、中の様子を隠し撮りしはじめた。

 ―――

 「っ~!!」

 身体の上に乗っかている黒蝿を押しのけようとしても、自由に動かせる左手はしっかりと捕まれシーツに押し付けられているし、右手と両足はまだ麻痺が残っている。後頭部はがっしりと手で押さえられているし、そしてなにより、口内に侵入してきた黒蝿の生暖かい舌の動きに、身体中の力を吸い取られていくようで、とても抗えない。

 (まったく、なんで俺がこんなことを)

 深い口づけを続けながら、黒蝿は胸中でごちた。
 別に人間の女と接吻するのは初めてではない。この姿に変えられる前、美丈夫の人間の男に化けて、何人もの女と接吻や性行為を通してマグネタイトを奪った経験がある。
 肉体的接触。それが一番効率よく大量に対象者のマグネタイトを奪える方法だったからだ。
 特に粘膜同士の接触の効果は抜群で、素早くマグネタイトを摂取することができる。それは長い時を生きてきた悪魔である黒蝿が学んだことである。
 黒蝿の舌は重女の舌と絡み合い、そして重女の中に存在していたアキラのマグネタイトを吸い出す。するとマグネタイトと一緒にアキラの記憶まで黒蝿の中に流れ込んできた。

 ――六月六日の姉の誕生日を祝ったこと、学校や近所での自分達家族への侮蔑の視線。暴言。
 いじめられて泣いている自分を庇ってくれた姉、二人だけの秘密基地、母の死、シドに連れていかれる姉の後ろ姿、四大天使との出会い、別世界の東京でキヨハル達と出会い、悪魔を倒し、ついに東京の上を覆っている岩盤の上にたどり着き、そこでキヨハルと一緒に「東のミカド国」という国を建国したこと、王になってからの激務、姉との再会と四大天使との戦い。
 そして自らの身体を有機体に変換させて、悪魔合体プログラムにて姉と合体する直前――記憶はそこで途切れていた。
 黒蝿は悪魔なので、重女のようにマグネタイトを吸っても、そいつの記憶や感情を感じたりしない。しかし、何故かアキラの記憶は激流のように黒蝿の中に入り込み、僅かながら感情も読み取ってしまった。
 人間の感情というのは複雑で、それでこそ美味なのだが、アキラの記憶の中の感情を占めていたのは、一言でいうなら「寂しさ」であった。
 生まれついて皆と違う髪と目の色を持ってしまったことへの「寂しさ」、私生児である姉と自分、そして自分達を生んだ母への周りの視線、排斥の「寂しさ」「辛さ」、母が死んだ時、姉が去ってしまったときの「寂しさ」「悲しみ」――アキラの記憶はそんな感情で構成されていた。
 しかしそんな暗い記憶の中で、まるで太陽の光のように温かい部分があった。それは姉への感情である。
 いつも自分を守ってくれたお姉ちゃん、優しかったお姉ちゃん、再び会えた時の「喜び」「嬉しさ」、そんな姉が瀕死の重傷を負った時の決意……

 ――姉ちゃん、生きて――

 ―――

 ぷは、と銀糸を垂らしながら黒蝿と重女の唇が離れた。重女は目を回して気を失っていた。が、その顔色は先程より血色がよく、恐らく元に戻ったであろう。

 「手間かけさせやがって……」

 口許を拭いながら黒蝿は呟く。これでこいつの中のアキラの記憶は全部吸い取れたはず。ならば今までのような記憶の混濁はなくなるはずだ。そうでなくては困る。

 「終わったのかい?」

 ドアからキヨハルや獅子丸、牛頭丸が部屋の中へ入ってきた。獅子丸はどこか居心地の悪そうな顔で、牛頭丸はニヤニヤと笑いながら、何故か聖書型コンプを手にしていた。

 「ああ。恐らくこれで大丈夫だ」

 ぐらり、と黒蝿の身体が揺れる。と、次の瞬間、人型の姿をたもっていられなく、鴉へと変化した。さすがここミカド国の王。悪魔であるこの俺にマグネタイトの記憶と感情を感じさせ、こんなにも憔悴させるとは。

 「キヨハル……聞きたいことがある」
 「なんだい?」
 「アキラのマグネタイトを吸い取る際、ついでにこいつの内面を覗いたが、こいつは普通にマグネタイトを所有していたぞ。だが手が出せなかった。まるで見えない鎖に雁字搦めにされているような感じだった。何故だ?」
 〔その疑問には私が答えよう〕

 急に牛頭丸の手にしていた聖書型コンプが開いたかと思うと、そこから立体映像のミドーの姿が現れた。悪魔に魅了された男のなれの果ての姿は相変わらずのやや崩れたポリゴンである。

 〔いやあ、先程の熱愛キスシーンはなかなか見ものだったぞい。録画しておいたから、後で見せて、〕
 「それは消せ。今すぐ消せ。いや、それより質問に答えろ。こいつはマグネタイトを生成できないはずだ。なのに何故マグネタイトの気配がある?」
 〔ふうむ……〕

 ミドーは立体映像の姿で、ふわり、ふわりと左右に動いて見せた。考え事をしているときのこいつの癖だろうか。

 〔恐らくおまえさんがその子の名と声を奪ったことに関係があるのだろう〕
 「どういう意味だ?」

 黒蝿だけではなく、キヨハル他、部屋中の皆がミドーの言葉に耳を傾けていた。ミドーは、もったいぶったように続けた。

 〔マグネタイトは人間の感情エネルギーで、人ならざるものがこの世に顕現するための餌。だから人間である限り誰にでもマグネタイトはある。その子も例外ではない。
 これは仮説にすぎないが、おまえさんが名と声を奪ったときの副作用で、彼女のマグネタイトは体内の奥底に縛り付けられたままになってしまったのじゃろう〕
 「だから、こいつは仲魔にマグネタイトを供給できないし、術も使えないと?」
 〔そういうことじゃ。だが利点もあるぞ。マグネタイトが身体から取り出せないというのは、他の悪魔にそれを奪われることがないということじゃ。少なくともマグネタイトを吸い取られ死に至ることはないじゃろうな〕

 成る程、と黒蝿は思った。あいつと初めて出会った時、声と名を奪うだけでなく、自身の能力である影の造形魔法の一部も与えた。それら外部からの干渉が原因でマグネタイトを仲魔に供給できなく、普通の術も使えないというのは納得のいく仮説であった。勿論、だからと言って、名と声を返す気はさらさらないが。

 「よくわかった。……俺は疲れた。しばらく休ませてもらう」

 そう言って、鴉に身を変えた黒蝿は、そのまま黒い風に乗って窓から飛び出していった。後ろでキヨハル達が何か言っていたような気がしたが、黒蝿は無視した。
 ミカド国の空を飛びながら、アキラの記憶の最後の言葉を思い出していた。

 ――姉ちゃん、生きて――か。

 ――全く、これじゃあますますあいつから離れられないじゃないか。少なくともこれであいつを死なせないように守らなければいけなくなってしまった。俺はいつになったらあいつのお守から解放されるんだか。
 ふらふらと空を飛びながら、今はもういない少年の顔を思い出した。彼と交わした「約束」が更に固いものになって、ほんの少し、黒蝿の心を揺らした。

 ―――

 それから、重女は黒蝿の「施術」のおかげで記憶の混濁がなくなり、自我が戻ってきた。
 だが強引な「施術」のせいで酷い倦怠感がつきまとい、数日間寝込むはめになった。

 『ねえ、黒蝿』

 医務室のベット脇に見守るようにちょこんと立っている黒蝿に、重女は横たわったまま聞いた。

 『混乱していた時の事、よく覚えてないんだけど、物凄い悪夢を見た気がしたの。その夢は私のファーストキスが、よりにもよって貴方っていう内容だったんだけど、これって夢だよね?』

 黒蝿は横をむいたまま、重女に顔を見られないよう答えた。

 「ああ、ただの夢だ」


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 四大天使との戦い、そしてアキュラ王の喪失から一週間。
 東のミカド国では建国以来最も忙しい七日間であった。

 まず、四大天使を封じた繭は、岩盤の下の東京、新宿御苑のあたりに廃棄された。ガブリエルはとうとう発見されなかった。
 そして、キヨハルが中心となり、修道院が設立された。ここでは主にミカド国の科学水準をあげるための研究が行われる予定だ。
 アキュラ王の銅像を建てる計画が提出され、新しい王の選抜の為にキヨハルやサムライ衆は毎日談合を開いていたが、そんなことは黒蝿にはどうでもいいことであった。
 問題は――

―――

 「どうだ?」
 「駄目です、今日も口をつけていません」

 侍女が首を振った。手に持った盆の上には湯気が立ったままの食事が乗っていた。

 「また駄目だったか」

 キヨハルは肩を落としてため息をついた。隣の獅子丸も苦々しく顔を歪め、豪勢な扉を睨んだ。
 この扉の向こうは医務室であり、そこには重女という少女がベットの上にいる。
 獅子丸の主であったアキュラ王の実の姉であり、共に四大天使を封じ、悪魔召喚プログラムにて瀕死のところをアキュラが身を挺して救った少女。
 アキュラと合体したことにより、失われた右手と両足は戻ったが、まだ満足に動けない。動けるようになるにはリハビリが必要だ。

 しかし重女は一切のリハビリを拒否した。リハビリだけじゃない、運ばれてくる食事にも口をつけようとしない。まるで生きることを放棄したかのように。
 弟であるアキュラことアキラを亡くしたショックが大きいのだろう。自分のせいでアキラはいなくなってしまった、そう思い自分を責めているのかもしれない。
 だが、だからこそ重女には生きてほしいのだ。主であるアキラが己を犠牲にして生き返らせた少女。アキラが唯一自分より大切に思っていた存在。
 そんな重女を守ることこそ、アキラの仲魔であった自分の役目であると獅子丸は思っている。牛頭丸も同じ気持ちだろう。最早アキラは重女の一部になり、恐らく重女が新たな主になるのだから。
 どうやったら重女を元気づけて生きる気力を出させることができるのか。キヨハルと二人頭を抱え悩んでいると――

 人影が二人の身体に被さった。思わずそちらを振り向くと、そこには黒ずくめの鴉を思わせる男――やたノ黒蝿が立っていた。

 「………」

 黒蝿は盆の上の手つかずの食事を一瞥すると、扉を開けようと手を伸ばす。

 「く、黒蝿君! 重女ちゃんはまだ本調子じゃないんだ! 無理にことを運ぶのは……」

 黒蝿の異様な雰囲気を察したのか、キヨハルは扉の前に立ちふさがり両手を広げた。
 しかし黒蝿はキヨハルを押しのけ、強引に扉を開け部屋の中に足を踏み入れた。

―――

 乱暴に開かれた扉の音に、重女は身体を強張らせた。
 開いた先にいたのが、やたノ黒蝿であるのがわかると、怒りに顔を歪ませる。
 こいつがアキラを見殺しにした――憎しみのこもった視線を受けても黒蝿は眉一つ動かさない。
 ベットの上の重女は、一週間前より確実に痩せていた。やつれている、といった方が正解かもしれない。頬はこけ、布団から覗く両手は骨ばってまるで木の枝のようだ。金色に変わった髪には艶がない。
 黒蝿の視線と重女の視線が交錯する。
 先に動いたのは黒蝿だった。 重女の右手を無理やり掴み、ベットから引きずり出す。

 「!?」

 掛け布団が床に落ち、両足がそれを踏む。しかし足に力が入らなく、重女は床に転がってしまう。寝間着の裾がめくれ白い太ももが露わになる。

 「無様だな」

 黒蝿が床に転がったままの重女を見下ろしながら、冷たく言い放つ。重女は顔をあげ、き、と睨んだ。

 「せっかくあいつが犠牲になってお前を助けたのに、これじゃあ無駄死にだったようだな」

 アキラを侮辱するかのようなその発言に、 重女の怒りが脳天を貫いた。黒蝿を引っぱたいてやろうと咄嗟に右手を動かそうとする。しかし動かない。当然だ。リハビリも満足にしていない右手は、主の意志とは裏腹に持ち上がらず指先が僅かに痙攣するだけ。悔しそうに重女は黒蝿を睨みつける。

 「俺が憎いか?」

 黒蝿は腕組みをしながら、重女に問いかけた。重女の青い瞳がほんの少し大きくなる。

 「だが今のお前じゃあ何も出来ないな。俺を殴ることも、この部屋から一歩踏み出すことも出来やしない」

 ぎりぎり。重女が歯を食いしばる。視線を下に向け、黒蝿の顔を視界から外した。そうでもしないと悔しさのあまり泣き出してしまいそうだから。

 「このまま此処にいれば、この国の奴らはお前に対してちやほやしてくれるだろう。黴が生えるまでベットで横になるのもいいだろう。絶望に浸って弟に貰ったその身体を無為にするがいい。だが――」

 そこで言葉をきり、黒蝿は身体を僅かに後ろの扉の方へ傾けた。斜めを向いたまま、俯いたままの重女に僅かに湿度のこもった言葉を浴びせた。

 「本当にそれがお前の望むことならな」

 何も反応はなかった。そんな重女から目を逸らし、黒蝿は扉に手を掛けようとした。その時。
 黒い影が部屋中に広がった。蜘蛛の巣のように壁や天井にまで影が網目状に広がり、黒蝿が反応するより早く、四肢を影の触手が掴み、抵抗する暇もなく床に乱暴に叩きつけられた。
 影の発生源は、金髪の少女。先程まで床に這いつくばっていた少女は、今、両の足で地をしっかりと踏みしめていた。
 先程とは逆に、今度は黒蝿が重女に見下ろされる形になった。

 『さっきからべらべらと、好き勝手言ってくれるね』

 影を背負いながら、重女は怒りを帯びた声を念波で黒蝿に送った。黒蝿は何も言わず、ただ「立っている」重女を見上げていた。

 『私はアキラを見殺しにしたお前を許さない。この手で八つ裂きにしてやりたいくらい憎い。だけど、それはしない。代わりに――』

 「右手」が動き、胸の辺りまで持ちあげると、ピシッと黒蝿を指さす。

 『お前を、死ぬまでこきつかってやる! 決して離れられないよう縛り付けて、私が死ぬまで仲魔としてこきつかってやる!!』

 その念波は激しく、彼女の怒りがダイレクトに伝わってきた。だが黒蝿は口角をあげ、自分を見下ろしている少女にふっと笑いかけた。、重女は不気味そうに眉を寄せ、思わず後ずさった。

 その時、扉が開いた。乱暴な音を立てて部屋に入ってきたのは、かつてアキラの仲魔であった雷王獅子丸とキヨハルだ。
 何事かと驚き部屋に踏み入れたキヨハル達は、部屋中に伸びた影と、その中心に「立っている」重女を見て酷く驚いた。

 「た、立っている!?」

 え? と疑問に思い、思わず重女は足もとをみた。白く細い脚は、裸足のままで冷たい石の床を踏みしめており、確かに自分は立っていた。
 それを確認したのと同時に、部屋中に広がっていた影は収まり、足から力が抜け、重女は膝からくずおれそうになった。しかしその身体を受け止めたものがいた。黒蝿である。
 黒蝿と再び視線があった。

 「……!」

 かあ、と重女の頬に朱が走り、黒蝿を思わず突き飛ばした。支えを失った身体はまたしても床に落ちたが、構わず、顔が赤いまま黒蝿を睨みつける。
 全てわかってしまった。こいつがあんな挑発的な事を言ったのは、私を奮起させるため。そんな安い策にまんまと乗ってしまった。こいつに踊らされてしまった。
 恥ずかしさやら怒りやらがこもった視線を受けながら、黒蝿は黙って部屋を後にした。重女は走って追いかけたかったが、両足が動かないので無理だった。

―――

 それから重女は積極的にリハビリを行うようになった。

 歩行練習、右手でボールを掴んで動かす練習。運ばれてくる食事にも口をつけるようになり、キヨハル達は肩の荷が下り安心した。
 リハビリの傍ら、重女は悪魔召喚プログラムの使い方についてキヨハルとミドーから説明を受けた。
 アキラによって聖書に組み込まれたコンプは、新たに生体登録を上書きし、姉である重女のものになった。と同時に、アキラの仲魔であった雷王獅子丸と八坂牛頭丸の主も重女に変わる。二体とも異論はなかった。アキラの意志を継ぎ、今度は我々がこの少女を守るのだ、と意気込んだ。
 しかし重女は、以前に黒蝿に指摘されたとおり、仲魔に供給するマグネタイトを生成出来ない。この点は他の悪魔や人間から奪ってコンプに貯蔵するしかなさそうだ。
 一ヶ月が過ぎ、右手はほぼ動かせるようになったし、両足も引きずりながらではあるが、歩く分には問題はなかった。

 しかし合体プログラムの弊害は他にも現れてきた。

 まずは視力。このひと月で急激に落ちてしまった。遠くのものがぼやけて見えない。この点は眼鏡を新調することで解決できた。
 もう一つの点は、記憶の混濁。
 特に夜に顕著になり、時々フラッシュバックが起きた。
 重女が体験したことのない悪魔退治の光景、玉座から見るミカド国の景色、知らない人々の顔。匂い。触覚。アキラの記憶の断片であったが、それらは重女の記憶と溶け合い、記憶に刻まれた感覚までわかり、自分がまるでアキラであると錯覚してしまう。
 重女としての記憶と、アキラの記憶。その二つの間で揺らぎ、自分の存在はなんなのかわからなくなり、彼女は酷く混乱しノイローゼ気味になった。

 そこで黒蝿は、重女からアキラの記憶を取り除いた。やり方は少々乱暴だ。重女の中に僅かに存在していたアキラのマグネタイトを吸収したのだ。
 マグネタイトに癒着していた記憶ごと吸い出し、自らの糧とした。その時アキラの記憶に刻まれた感情まで受け取ってしまい、余計なものまで身体に取り入れたせいで、黒蝿は人型を保つことが出来ず、鴉の姿に変化したまま暫く過ごした。
 無理やり身体からアキラのマグネタイトを吸い出された重女も同様で、記憶の混濁こそなくなり自己の存在をしっかり認識することが出来るようになったが、乱暴な施術のせいで数日間寝込んでしまった。

 アキュラ王の喪失からひと月弱。ミカド国には相変わらず陽は昇り、そして沈んで夜が来て、また朝が来て。その間人々は新しい国造りに励み、重女と黒蝿にも決断の時が迫ってきた。

―――

 (58、59、60……)

 ある真夜中の事。重女はそっと自室から抜け出し、薄暗い階段を登っていた。足がぷるぷる震え、大量の汗を流し、呼吸も荒い。
 それでも重女は一歩一歩、階段を踏みしめ、頂上に向けて歩いていた。
 右手はもう元通りに動かせるようになった。残るは両足。最後のリハビリとして、重女は此処ミカド城の展望台への階段を一人で登っていた。
 キヨハルには言ってない。言ったら無茶なことだと怒られるだろうから。
 だけど重女は一度見てみたかった。ミカド国の全貌を。弟が造ったこの国を。

 (81、82……)

 展望台までの道は辛かった。何度か足を止めたが、呼吸を整え汗を拭い、再び歩みを再開した。
 大丈夫だ。この足はアキラがくれたもの。この足さえあればどんなでこぼこの道だって歩いてゆける。そんな気がする。

 (94,95……)

 100段めが間近に迫ったころ、ようやく展望台への扉が見えた。あと少しだ。

 (99、100!)

 100段目を両足で踏みしめ、展望台へと続く扉を開いた。夜明け前の清廉な空気が重女の顔をくすぐる。
 展望台には先客がいた。黒い翼を背負ったその姿は、仲魔であるやたノ黒蝿。
 黒蝿は重女の姿を見て、一瞬だけ眉をあげたが、すぐに元の愛想のない表情に戻った。

 「………」
 「もういいのか?」

 問われて重女は首を縦に振る。黒蝿の隣に並び、端正な横顔を凝視する。随分早いな。やはり鴉に変えられたから、朝は早いのだろうか。
 煉瓦の手摺りの向こうの景色に視線を移す。東の空が赤い。もうすぐ日の出か。

 『……人が沢山住んでるね』

 まだ夜明け前だというのに、城下町のあちこちの家では煙が上がっている。人々が朝の準備をしているのだ。

 「これからもっと人は増えるだろう。国は大きくなり、文化も発展していく」

 そうだろう。王という支えを失っても、人は生きていかなきゃいけない。天使の甘言にただ従うのではなく、悪魔の囁きに誘惑されるのではなく、自分たちで技術を進化させ、子を産み、そして歴史を紡ぐ。 
 神はいる。天にではなく、人間の内なる心の中に。神が人間を造るんじゃなく、人間が神を造るんだ。人が神を信じた時から、神は「存在」するのだろう。姿形を変えて、それぞれの心の中に。不思議とそんな考えが重女の頭をよぎった。
 辺りがオレンジ色に染まっていく。陽が昇った。雲の切れ間から覗く太陽は、夜の闇を払拭し、新しい一日を告げる。

 『父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくないものにも雨を降らせてくださる』

 思わずその言葉が出た。隣の黒蝿が顔をこちらに向ける。

 「なんだそれは」
 『昔聞いた聖書の一節。シド先生が言ってた』

 聖書、シド、と聞いて黒蝿は思わず鼻白んだ。だが重女は気にせず朝日を見続けた。朝日を見るのなんて初めてだが、綺麗だ。神なんて信じていなかったつもりだったが、この景色を見たら、人が神を信じたくなるのが分かる気がした。

 「……何故泣く?」

 指摘されて、え? と思い頬に触れると、確かに自分は泣いていた。ぎょっとして思わず涙を拭くが、あとからあとから涙は溢れてくる。

 『あ、朝日が、綺麗だったから……』

 重女は笑われるのを覚悟してそう答えた。しかし黒蝿は笑わなかった。笑わずにただじっと隣にいてくれた。
 朝日を浴びながら、一つの言葉を思い出した。電脳空間で聞いた夢とも現ともつかない記憶。右手と両足を失い、冷たくなっていく自分を抱きしめて言ったアキラの言葉。
 そこで彼はこう言った。

 「愛している」「生きて」と――。

 ミカド城の展望台。朝日に照らされた悪魔の隣に並んだ一人の少女は、弟の言葉に涙を流しながら、朝を迎えた東のミカド国を眺めていた。

―――

 「本当に行っちゃうのかい?」

 それから更に一週間後、重女とやたノ黒蝿は“ターミナル”の扉の前にいた。
 こくり、と重女は頷いた。キヨハルとサムライ衆の皆は心底残念そうな顔をしている。

 「ずっとこの国にいてくれてもいいんだよ? 君さえ良ければ、新しい王になることだって……」
 「俺もこいつも、ある人物に用がある。そいつがいる世界に行かなければならない」

 声の出ない重女に代わって、黒蝿が代弁してくれた。そう、私達はシドに会いに行くと決めた。そのためにはこの国、ひいてはこの世界から旅立たなければならない。

 ――お世話になりました。

 声には出なかったが、重女はそう呟き、深々と頭を下げた。来た時と同じ服装。黒の半袖のタートルネックにベージュのカーゴパンツに軍靴。違うのは眼鏡をかけていることと、手に雷王獅子丸と八坂牛頭丸を収容した聖書型コンプがあることだ。

 「またいつでもおいでよ! 僕たちは歓迎するからね!」

 重女は笑顔を浮かべ、一礼した。感謝してもしきれない。いつかまた此処に来たい――そう思いながら、黒蝿と共にターミナルへと入って行った。

―――

 ターミナルは四大天使が作った、エネルギーの霊道、アマラ経絡を機械で制御するための「操作室」である。
 黒蝿と重女は来た時と同じく、せり出した台の上に乗り、付属している機械を操作した。

 『ここに空間の座標軸を入力すれば、入力した世界に行けるんだよね?』
 聖書を開き、コンプ内のミドーに問いかける。ミドーとの仲も随分深まった。まるで本当の祖父のように。

 「そうじゃ。数値は先程教えたとおりじゃ。だが私もこの装置を使うのは初めてだからな、誤差が生じてしまう可能性もある。行きたい世界に行けるとは限らないぞ」
 『それでもいい。シドに会うまで何度でも時空を渡るから』

 そう、シド。シドに会って話がしたい。例えどれだけ時間がかかっても必ず会いに行く。それが、今の私の目的。
 胸の十字架に触った。もう癖になっている。黒蝿も重女に見られないよう、懐に手を入れ、アキラから託された重女とお揃いの十字架のペンダントに触れる。一人の少年と交わした約束を思い出しながら。 
 機械に数値を入力すると、ターミナルの空間が光りはじめた。重女は黒蝿の手を握った。離れてしまわないように。すがるように、強く。
 黒蝿も握り返した。重女の手は年相応に細く小さかった。この小さい手のどこに四大天使を封ずるほどの影を発生できるのか、黒蝿は不思議に思った。

 光が強くなっていく。思わず目を瞑った。
 ふと、脳裏に懐かしい弟の声が聞こえたような気がした。

 「頑張って」と――

 『行こう、黒蝿』
 「ああ」

 強烈な光は、一体の悪魔と一人の少女の身体を一時的に素粒子に分解させ、別の世界へと転送したのだった――。


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 「今日は部活いいの?」
 「うん、たまには姉ちゃんの手伝いしなきゃね」

 買い物籠を持ちながら、学校帰り、アキラと二人で夕飯の買い物を済ませる。
 アキラももう中学生だ。あんなに小さかったアキラの背は私をとうに追い越し、肩幅も広くなり声も低くなった。
 なんだか不思議な感じだ。アキラがこんなに大きくなったなんて。

 「そういえば姉ちゃん、またあの夢みたの?」
 「……うん」

 私は少し俯いて頷く。

 「なんだっけ? 僕が、えっと……?」
 「アキラが次元の違う国に行って、国を築いて王様になってるの」

 言いながら自分の黒髪を触る。私の癖だ。恥ずかしいと思ったとき無意識に髪をかきあげてしまう。

 「何度聞いても凄い夢だね」

 隣でアキラが苦笑しているのがわかる。俯いた顔があげられない。夢とはいえ、突拍子でないことを言ってるのは自覚している。
 でもここ最近、私は同じ夢を何度も見るのだ。小さなアキラが聖書に出てくる四大天使に導かれ、こことは違う別世界の東京に行き、悪魔を退治する。
 そして不思議な力で、「東のミカド国」という国を造って、そこの王様になるのだ。
 沢山の大人を従え玉座に座るアキラは、とても凛々しくて、まるで別人のようだった。

 「でも、そんな世界があるなら行ってみたいと思わない?」

 その言葉に思わず横を向いた。アキラが微笑みながら私を見ている。今まで見たことがないような大人びた笑みだ。

 「わ、私は……」

 アキラの瞳の澄んだ青色に当てられて、視線を逸らしてしまう。
 ちょうどその時ブティックの前を通り過ぎて、ショーウインドウのガラスに姿が映る。制服姿の私とアキラ。アキラの背は大きい。歩くたび金髪が揺れてさらさらなびく。自分の黒髪とは違う髪色。ガラス越しにもアキラの視線を感じてまた私は俯く。

 「私は……今の世界にいたいと思うよ」

 そう答えると、アキラの雰囲気が少し変わった、ように感じた。

 「だって……確かに毎日辛いことばかりだけど、でも悪いことばかりじゃないよ。ここにはお母さんもアキラもいるし……それに……シド先生も」

 制服の下に隠している十字架にそっと触れた。アキラと、シド先生とお揃いのペンダント。これは私のお守り。これさえあれば辛いことがあっても一人じゃないって思えるから。

 「そうか……姉ちゃんは、そう選ぶんだね」

 はっ、とアキラの顔を見返す。隣の弟は相変わらず笑みを浮かべている。だが、その笑みには何とも言えない寂しさの色が浮かんでいる。

 「アキラ……?」

 弟の顔を見上げ気づく。おかしい。アキラと私は六歳離れている。私は今十四歳。ならアキラは八歳のはずだ。こんなに背が高いはずがないし、中学の制服は着ていない。
 どんどんアキラは大きくなっていく。いや、違う。私が小さくなっているのだ。
 思わず手を伸ばす。しかし手は届かなかった。右手が、途中で千切れて無くなっていたからだ。
 悲鳴をあげる。しかし声は出ない。筋肉が張り詰めた喉からは虚ろな音しか出なかった。
 立っていられなく、どたん、と前のめりに倒れる。アキラが身体を受け止めてくれた。気が付けば、私の両足も千切れていた。辺りは血の海。身体が冷えていく。意識が朦朧としていく。
 霞がかっていく頭で私は自分の死を確信していた。この感じ、前にもあった。シドに鞍馬山に連れていかれ、逃げ出し、足を滑らせ頭を打った時だ。
 あの時も死にかけた。だけど助けてくれた存在がいた。黒い翼。黒い男。私が名前を奪ってしまった悪魔――
 鴉のような黒い羽毛が辺り一面に飛び散る。その中に「あいつ」が立っている。やたノ黒蝿。そう名付けた私の仲魔。
 そいつはじっとこっちを見ている。悔しいのだろう。真名を返して貰えないまま、私が死んでしまうのだから。
 でもいいの。アキラ、貴方さえ生きてくれたら。私は――
 左手をアキラが力強く握ってくれる。温かい。血塗れの私の身体を抱いてくれているのが分かる。

 「姉ちゃん――」

 笑みを浮かべながら唇を動かすアキラ。だけど声が聞こえない。耳までいかれてしまったのだろうか。

 「―――――」

 それでも尚何かを話しかけてくる。何と言っているのか分からない。アキラはずっと微笑んでいる。何故、そんな泣きそうな笑顔を浮かべているの? 泣き虫なところ、昔から変わってないね。

 「―――――」

 何かを言い終えた後、アキラはそっと私の左手を自分の頬に当てる。辺りを舞う黒い羽が増えていき、視界を黒く染めてアキラの姿を隠していく。
 待って。これじゃあ何も見えないじゃない。黒蝿、これなんとかしてよ。
 首を動かし、後ろに立っている黒蝿に私は視線で訴える。しかし黒蝿は、ただ苦虫を潰したような顔で私を見下ろすだけ。
 左手になにか固い感触があった。既にアキラの姿はない。左手を開くと、そこには鈍く光る十字架のペンダントがあった。
 光が溢れた。金の光。アキラの髪と同じ色の光が。黒一色の中でその光が太陽のように闇を払い、その眩しさに私は思わず目を瞑り――

 ―――

 「目を覚ましたぞ!!」

 目を開いた重女を覗き込んでいたのは、キヨハルに雷王獅子丸、八坂牛頭丸に数名のサムライ衆らしき男。
 キヨハルがペンライトを目に当てて瞳孔をチェックしている。バタバタと医務室を何人かが出入りする中、黒蝿は壁に寄りかかり目を瞑っていた。

 「………」

 重女は目を開けたまま、ベットの中で身じろぎもせずじっとしていた。何人かが代わる代わる顔を覗き込み、皆安堵の息をつく。

 「ちょっとごめんよ」

 キヨハルが布団の中から、重女の“右手”をとる。そのまま脈を計ったりとんとんと軽く叩いてみたりしている。

 「脈は正常だね。痛みは? 感覚はある?」

 重女はゆっくりと首を横に向け、小さく頷いて見せた。

 「じゃあ右手を動かしてみようか。拳を握ってみて」

 言われた通り重女は“右手”を握ろうとした。しかし“右手”はぷるぷると震えるだけで指一本動かせなかった。

 「ああ、まだ神経はきちんと繋がってないみたいだね。これじゃあ“両足”も……」

 まるで麻酔にかかっているかのように、重女の身体の感覚は鈍化していた。頭の中も靄がかかっているようだ。ここはどこだろう。自分はどこにいるんだろう。何故自分は寝ているんだろう。
 首を動かし、周りを確認する。煉瓦の壁、天井。ベット。薬品の匂い。沢山の人。先程見た顔に十字の傷が無数にある男。そして、壁に寄りかかっている黒い男と目が合った。黒い翼が生えている。あれは――
 瞬間、記憶がまるで噴水のように次々と湧き出てきた。大天使の繭の中での戦い、四大天使を封じ、しかしガブリエルに逃げられ、その際に私は奴に右手と両足を食いちぎられて――

 「!!」


 がばっと重女はベットから上体を起こした。そして確認した。自分の身体を。

 白い患者服からは食いちぎられたはず両足が伸びており、右手もきちんとある。しかし感覚はほとんどなく、動かすことは出来なかった。
 さらり。困惑する重女の顔に髪が降りてきた。しかしその色はいつも見慣れている黒髪ではなく、色素の薄い金色の髪であった。弟と同じ色。日の光を浴びてキラキラ光っていた金髪。

 ――アキラの髪の色――

 鳳仙花の種がはじけ飛ぶかのように、それまで凝固していた記憶が飛び散り、やがてそれは形を成していく。冷たくなっていく自分の身体をアキラが抱きしめてくれたこと。人々の怒鳴り声。赤い血だまり。
 出血で朦朧とした意識の中、コンプ内の電脳空間で重女は確かに聞いたのだ。

 「僕を有機体に変換させて、姉ちゃんの手足を蘇らせてくれ」というアキラの言葉を――。

 布団を左手で勢いよくはぎ取り、ベットから降り、壁際の黒蝿の元へ走ろうとした。しかし足に力が入らなく、重女は床に転がってしまう。

 「ちょ、重女ちゃん!?」

 キヨハルと獅子丸が手を貸そうとした。しかし重女はその手を払い、自分を見下ろす黒蝿を思いっきり睨んだ。

 『……なんで、止めなかったの』

 念波でそう問いかけても、黒蝿は答えなかった。重女は自由に動かせる左手を使い、床を這いつくばりながら壁際へと向かう。

 『私、全部じゃないけど思い出した。アキラが悪魔合体プログラムで自分を犠牲に私を助けようとしたこと。アキラと貴方とでコンプの中に入ったこと……』

 がしっと黒蝿の足を掴む。黒蝿はその手を払いのけようとせず、ただ重女を見ていた。

 『何故! 何故アキラを止めなかったの!? アキラが死ぬってわかっていたはずなのに! 貴方は一緒にいたはずなのに! なんで! どうしてよ!』

 涙を浮かべながらそう念波でそう送ってくる重女を、黒蝿は表情を変えず見下ろしていたが、一瞬目を瞑り、懐に手を入れながらこう答えた。

 「……約束だったからだ」

 低い声でそう答えられ、重女は目を大きくさせる。重女の念波が聞こえなく、成り行きを見ていたキヨハル達も、黒蝿の言葉を聞いて唖然とした。

 『……なによ、それ?』
 「あいつと交わした、男の約束だ」

 懐に入れてある十字架のペンダントを握りしめながら、黒蝿はそう答えた。元の持ち主である少年の顔を思い出しながら。

 『そんな……そんなわけのわかんないことで、アキラが……』

 黒蝿の足を握りしめていた左手から力が抜けた。重女は顔を床に向けながら、涙を流した。
 髪が揺れる。かつて黒であった髪。今は合体した弟と同じ金色の髪。その髪が重女の嗚咽に合わせて揺れた。

 『死にかけた私が生きるより……私は……あの子に生きて欲しかったのに……』

 蹲り、重女は泣きじゃくった。声を張り上げて泣いた。しかしその声は黒蝿にしか聞こえなかった。張り裂けそうに開いた喉からは、湿った咳のような音しか鳴らなかった。
 その部屋にいる誰もが、アキラの喪失と重女に対する哀惜の念を抱いた。
 天文学的な確率で生き残ってしまった少女は、皆の視線に構わず泣き続けた。母が死んだときに流れなかった涙を、まとめて流すように。
 胸の十字架のペンダントを握りしめ、泣き続ける少女に対し、黒蝿はもう何も言わなかった。
 謝罪も、弁解も、何も言わず、一人の少年と交わした約束の結果である少女を見つめ続けた。
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