悪霊・レギオンが、紫煙乱打を黒蝿に放つ。
 黒蝿は宙を舞い、それを全てかわした。

 「あの馬鹿、一体何処まで行ったんだ!」

 ポルターガイストを追いかけて、ザンの衝撃で図書室から吹き飛ばされた重女は、もう20分近く戻ってこない。
 結界の主であるあいつが飛ばされた事により、図書室に閉じ込めていた悪魔が校舎中に放たれてしまった。
 先程校舎全体に結界を張る気配がした。きっとあいつだろう。
 最初から校内に結界を張っておけば、こんなに長く無駄な戦いをする必要などなかったなのに。それをしなかったのは、あいつの状況把握の甘さと能力不足が原因だ。

(本当弱い奴だな)
ウインドブレスを避けながら黒蝿が胸中でごちる。

 宙に舞いながら黒蝿のザンダインがレギオンに命中する。
 一瞬、レギオンの身体が衝撃波によって震えたが、それだけだった。レギオンは赤黒い幾つもの顔をにやつかせ、再び黒蝿へ攻撃を再開する。

 「こいつにはザン系の魔法は効かないのか」
 ならば――。

 「アギダイン」

 黒蝿の手から火炎が生まれ、炎はレギオンを焼き尽くす。
 しかし、炎はすぐにおさまり、レギオンはまたしても大したダメージを負ってないようだ。

 (ザンとアギに耐性があるのか)

 黒蝿がそう分析するより早く、レギオンの肉の手が黒蝿の腕に絡まりつく。

 「しまっ……!」

 絡まりついた肉の手から、黒蝿のマグネタイトが吸われていく。
 レギオンの肉の手はしつこく、再びザンダインを食らわせてもなかなか外れない。
 
 「ち!」

 黒蝿はザンの衝撃波を乗せて、レギオンを思いきり蹴り飛ばした。
 やっと腕が自由になったが、吸魔によって大分マグネタイトを持っていかれた。
 よろめく黒蝿に、再びレギオンが紫煙乱打をぶつける。
 
 その時、黒蝿の周りを影が覆い、影が盾となってレギオンの攻撃を防いだ。

 「……やっと来たか」

 そう言って黒蝿は視線を後ろに回す。
 そこには、ポルターガイストの首根っこを捕まえ、黒い狙撃銃を携えた九楼重女が立っていた。

 「遅いぞ」
 「…………」

 それには答えず、重女はポルターガイストに銃口を向ける。

 「ひ、ひい!」
 『八百万針玉をあと十個』

 ガタガタ震えるポルターガイストは、重女の言われるがままに八百万針玉を口から十個吐き出す。吐き出された十個の八百万針玉に、重女の影がまとわりつくと、やがてそれは十挺の銃に変化した。

 レギオンが唸り声をあげて襲ってくる。

 重女は右手の狙撃銃の引き金をひき、八百万針玉をレギオンに命中させる。八百万針玉が、レギオンの肉の顔に幾つもの穴を空けていく。

 狙撃銃の形は崩れ、元の影へ戻った。

 休む間もなく、先程造った影の銃を手にとり、再びレギオンに向かって発砲した。
 打つ。崩れる。また打つ、また形が崩れる――。そうして十挺の影の銃を打ち終わった時、レギオンは既に瀕死の状態で、ただの肉塊と成り果ててた。

 「……お前が吹き飛ばされなければ、こんなに戦いが長引くこともなかったんだぞ」
 『五月蝿いよ』

 ぴしゃりと念波を送り、重女はズボンの背中に挟めてあった聖書型コンプを取りだし、死に体のレギオンに向かい、その赤黒い肉塊に、手で直接触れた。

 「何をしてる」

 黒蝿が咎めるように言うが、重女は無視した。
 もうマグネタイトを吸いとる影を作れるだけの力が残っていない。ならば直接悪魔に触れ、マグネタイトを吸いとるしかない。

 「―――!!」

 身体中に、レギオンの怨念と痛みが伝わってくる。

 苦しい、痛い、憎い、恨めしい、何故あいつが、殺してやりたい――全てこのレギオンを形作っていたもの、この学校の生徒達の負の感情が溜まり、そして悪霊・レギオンを生み出したのだ。

 重女の身体が海老反りになり、電流を流されたかのように痙攣する。脂汗が顔に滲み出て、苦痛に身を支配されても、重女の口から悲鳴は出せない。
 声を奪われた少女は、喉から苦し気な呼吸音を発するだけ。

 ――ねえ聞いて、寂しいの、苦しいの、とても痛いの、憎いの嫌なの殺したいの――。

 気を抜けば途切れそうになる意識を必死に保ち、重女はレギオンの感情を浴び、マグネタイトを吸いとった。
 マグネタイトを全て奪われたレギオンは現世から消滅した。

 滝のような汗を流し、息も絶え絶えに蹲る重女の右手を黒蝿は見た。
 右手は、レギオンの瘴気にやられたのか、焼け爛れている。

 「無茶をする」

 そう言って、回復術である「円子」をかけようと黒蝿の手が重女の右手を掴む。が、重女は振りほどこうともがく。

 「大人しくしてろ」
 『いい、大した怪我じゃない。後で紅と白に治してもらう』
 「馬鹿が、いいからじっとしてろ!」

 そう怒鳴られて、重女は渋々右手から力を抜く。
 溜め息を吐きながら、黒蝿が「円子」を右手に施す。

 「…………」

 その様子を、重女は額に脂汗を浮かべながらじっと見ていた。
 焼け爛れた右手は、下から新しい肉が盛り上がり、皮膚は細胞が分裂し、やがて元の健康な右手に戻った。

 「…………」
 右手を握ってみる、うん、痛みはもうない。

 『もう大丈夫』

 そう答えた重女は、青白い顔で、呼吸もまだ荒い。先程レギオンの感情を一身に受けたダメージが蓄積されているんだろう。

 「……もっと要領の良いやり方もあるだろう」
 『私は弱いから、こうするしか他に方法はないの。知ってるくせに』

 むすっと反論する重女に、黒蝿が何かを投げて寄越す。反射的に掴んだそれは、癒しの水の入った小瓶。

 「…………」

 訝しげな重女を、黒蝿は一瞥した。
 
 「まだやることがあるんだろう。今お前に倒れられては困る」

 その言葉を聞いた重女は、渋々癒しの水を飲んだ。
 確かにこいつの言う通り、まだここで倒れるわけにはいかない。猿と午頭丸を迎えにいかなくてはならないし、そして何より、保健室に閉じ込めた篠宮茜を解放しなくては。

 重女が癒しの水を飲んでいる姿を、黒蝿は眉を寄せ、不機嫌そうに見ていた。

―――

 廊下から絶え間なく聞こえていた衝撃音と、何かが割れる音、獣の雄叫びが聞こえなくなって、何分たっただろうか。

 保健室の扉が開かれると、土埃と火薬の匂いが篠宮茜にかかった。
 扉を開けて入ってきたのは、薄汚れた少女と、黒い翼を生やした黒い男だった。

 「主様おつかれ!」
 「おつかれ!」

 紅梅と白梅が跳ねるように重女に近づき、甘えるように足に絡まりつく。二匹の頭を撫でたあと、重女は茜に向かってパトラストーンを投げつけた。
 身体の自由が戻った茜は、床に捨ててあったジグ・ザウエルを拾い、銃口を扉の少女に向けた。

 「!」

 重女と黒蝿が息を飲む。紅梅と白梅がびくつき、重女の背の裏に隠れた。

 「九楼さん……ねえ、ダークサマナーて、悪魔を使って悪い事をしてるって、それって、本当…?」
 「……!」

 重女が一瞬驚愕の表情を見せる。が、次の瞬間、凄い形相で背中の二匹の妖精を睨む。

 「わあ! 主様怒ってる!」
 「怒ってるよう!」
 「青梅食べさせられるよう!」
 「嫌だよう!」

 黒蝿の背に逃げるように隠れた紅梅白梅を、重女は聖書を開き、コンプを作動させ、無理矢理収容した。

 「本当なんだね……。だから、悪魔を使って学校をめちゃくちゃにしたの……?」

 かたかた、かたかた。茜の全身が震え、それに合わせて銃口が揺れる。茜の鼻孔に、コンクリートが崩れたような匂いと、硝煙と、獣臭さと、微かな血の匂いが届く。
 目の錯覚だろうか、茜には目の前の少女が、黒い影と翼を纏った、小説の挿絵の悪魔そっくりに見えた。

 「なんで……ねえ、どうして! どうしてなの!? 何か言ってよ! 答えてよ!」

 錯乱している茜は、重女が声を出せないことを忘れ、問い詰める。
 月明かりだけの保健室は暗く、重女の表情は茜には見えない。しかしもし見えていたら、重女が寂しそうに顔を歪めたのが分かっただろう。

 「く、九楼さんは……私の憧れの人で……強くて…正義のヒロインで…なのに……なんで! なんでよ!」

 ぽろぽろと茜の眼から涙が溢れる。血の匂いと、煙と、険しい視線を向けてくる黒い男の存在が、茜の恐怖心を増幅させた。
 私の憧れの九楼さんは、銃を持ったりしない、悪魔を召喚したりしない、悪魔を使って学校をめちゃくちゃにしたりしない――

 『そう、私はダークサマナー。悪魔を使い欲望を満たすものよ』

 茜の頭に、低い「男」の声が響いた。頭蓋骨を振動させ、脳に直接届くそれは、扉の前に立つ金髪の小柄な少女が発していると解った。

 「おい、俺の声を使うなと言っただろうが」

 黒蝿が嫌そうに重女に言う。

 私だって使いたくて使っているわけじゃない。人間相手に念波を送るには、黒蝿が近くにいることと、こいつの声を借りてしか送れない。
 前につけていた咽喉マイクも壊れてしまったし、他に方法があるならとうにやっている。じゃなきゃ誰がこんな気色悪い方法を選ぶか。

 「な……な、に…? これ?」

 目の前の「少女」が、低い「男」の声で私の頭に話しかけてくる。「男」の声で「女」の言葉を使っている――!?
 恐怖が増し混乱が頂点に立ちそうな茜に、一歩、二歩と重女が近づく。

 『その引き金を引いたら貴女は戻れなくなる。本を読んで感動することも、買い物を楽しむことも、何も感じられなくなってしまう』

 突きつけられた銃口に構わず、重女は黒蝿の声で茜に呼びかける。もとより弾の切れたジグ・ザウエルなど、突きつけられてもなんの脅威もない。

 「あ、あ……」

 混乱で頭がおかしくなりそうだ。茜の身体の震えが益々酷くなり、目は恐怖で大きく見開かれたまま。その間にも、金髪の少女はどんどん近づいてくる。

 『貴女は、こちら側に来てはいけない』

 そっと、銃の先を握り、そのまま重女は茜の手を下ろさせた。
 茜の黒い目と、重女の青い瞳が重なる。眼鏡の奥の青い瞳は、少しだけ悲しみが浮かんでいた。

 「九楼さん、貴女は……」
 『違う。私の名前はそれじゃないの。私の本当の名は……』

 ちら、と重女が後ろの黒蝿を見る。黒蝿は眉を寄せて二人の少女を見ている。
 重女自身も思い出せない自分の本当の名前。それはあいつに奪われてしまった。命の代償に、声と一緒に。
 そして、重女も黒蝿の真名を奪った。意図せずではあったが、そのせいで黒蝿は異界にも帰れず、本来の力と姿を取り戻せない。

 『感じる心、それってとても大切だよ。それを無くしちゃ駄目』

 茜の頭に響く低い男の声。それを発している首に傷を負った、本当の声と名を失った少女が、ふ、と微笑み、茜の背に手を這わせる。

 『ありがとう。茜』

 茜がその言葉を理解すると同時に、首に衝撃が走った。
 暗転する視界の端に、眼鏡の少女が、悲しそうに微笑んでいるのを見ると、次の瞬間に、茜の意識が闇に包まれた。

―――

 気絶させた茜を保健室の床に寝かせ、重女はそっと立ち上がった。

 「そいつを人質に使うんじゃなかったのか」

 黒蝿が問いかけると、重女は無表情のまま振り返った。

 『この子を連れて、このまま烏丸コーポレーションに向かう。この子の父親はまだ会社にいる?』
 「ああ」
 『なら、行くよ』

 じっと、黒蝿が重女を見つめる。重女はその視線を受けながら『黒蝿』と念波を送った。

 『私は貴方を死ぬまでこきつかってやるから。決して離れないように縛りつけておくから、覚悟して』
 「何を今更。俺だってお前に死なれたら困る。俺もお前から離れない」
 『……なら、いい』

 気絶した篠宮茜を担ぎ上げ、黒蝿が黒い翼をはばたかせる。
 すると黒い風が発生して二人を包み込む。

 風が収まると、そこには誰もいなかった。重女も、黒蝿も、篠宮茜も。

 後に残ったのは、悪魔との戦いで、窓ガラスが割れ、壁のあちこちに殴ったようなヒビや、抉れた跡があちこちに付いた、傷だらけの校舎だけだった。続きを読む