往来―all right―別館【俺屍サマナー】

俺屍+デビルサマナー=俺屍サマナーというダブルパロ(クロスオーバー)小説を扱っております。俺屍に登場する神々や鬼を現代で使役していたら・・・という発想で生まれたいわゆる三次創作小説です。俺の屍を越えてゆけと真・女神転生シリーズ(主にⅣ)の設定を独自に融合させて捏造しております。女神転生や俺屍の人物名称や設定をかなり変更しております。こういったのが苦手な方は閲覧をご遠慮下さい。 やたノ黒蝿とサマナーになってしまった少女の物語です。

タグ:紅梅白梅童子

 『ねえ、名前、なんていうの?』
 「お、おれ、なまえ、ない。で、でも、みんな「くるいむすめ」てよぶよ」

 ――くるいむすめ。「狂ひ娘」。狂っている娘。酷い呼び方だ。確かにこの子は年のわりに知能が劣ってるらしい。重女の時代の言葉で言えば「知恵遅れ」の子、と呼ばれるだろう。現に彼女の理解力の低さを利用し、身体を求めてくる輩も集落にはいて、彼女はここに来る前は見世物小屋で身を売って生活していたらしい。
 だけど重女には、この子が「狂っている」とは思わなかった。この子は溜息が出るほど穢れていなく、そして悲しくなるほど純粋だ。ほんの少し話しただけだが、それが伝わってきた。
 「狂っている」というなら、なにもわからない彼女の身体を要求してきていた連中や、母に無理やり性行為を迫ってきていた外人さんや、外見が違うというだけで酷い言葉や仕打ちをぶつけてきた同級生や近所の奴らの方が、重女からしてみれば「狂っている」奴らだ。
 この子は自分がそう呼ばれることを何とも思っていないようだ。むしろ喜んでいるように見える。それはこの子の頭がこの呼称の意味を理解できるほど発達していないというのもあるだろうが、きっとこの子を受け入れてくれたここの集落の皆がそう呼んでくれるのが嬉しいのだろう。
 だから重女も「狂ひ娘ちゃん」と呼んだ。そう呼ぶのには抵抗があったが、他に何と言っていいかわからなかったのと、当の本人が嬉しそうだったのでそのまま呼ぶことにした。

 『そのお腹の子、名前はもう決めてるの?』

 ある日、村の女衆に教わった通りに縄を編んで草履を作りながら重女は問いかけた。狂ひ娘のお腹は大きく、もう臨月だろう。出産間近ならもうそろそろ名前を決めてもいい頃だ。

 「えっとね、えっとね、「しゅうまる!」」
 『……………拾丸、はお父さんの名前だよね?』
 「うん! しゅうまるのこだから、「しゅうまる」! お、おれ、しゅうまるのこと、だいすきだから!」

 眩しい笑顔で狂ひ娘は頷いた。この子は本当に「拾丸」の事が好きなんだな。自分の子に名付ける程に。
 「拾丸」という男には会ったことはないが、きっとシドのようにかっこよくて素敵な大人の男性なんだろう。父親と子の名前がダブってしまう問題は、子が生まれてから頭領や集落の皆がなんとかしてくれるだろう。

 『じゃあ、「しゅうまる」君が生まれたら、私にも抱っこさせて?』
 「う、うん! いいよ! かなめにならいいよ。し、しゅうまると、おれとで、た、たくさんあそぼ!」

 重女はふと思い出した。弟が生まれた日の事を。
 陣痛がはじまり、破水した母と共にタクシーに乗り、母はそのまま病院の分娩室に運ばれ、自分は病院の椅子で分娩室から聞こえる母の苦しそうな声を聴きながら、泣きそうな気分で膝を抱えて待っていた。
 そして無事生まれた弟を抱き上げた感触。柔らかく、赤く、壊れてしまいそうなほど小さい弟を抱っこした時に自分の中に生まれた温かい気持ち。あの時自分はまだ六歳だったが、あれは母性というものだったのだろうか。
 狂ひ娘の子が生まれるまでここにいられるかは疑問だったが、またあの時のように赤子を抱っこしてみたい。生まれたばかりの命を感じてみたい。

 『うん、沢山遊ぼうね』

 果たせるかどうかわからない約束を、重女は笑顔で言った。狂ひ娘も思いっきり笑ってくれた。生まれてくる子はどんな子だろう。男の子か、女の子か。狂ひ娘の腹の中で眠っている赤子の未来を想像すると、なんだかとっても穏やかな気持ちになった。

―――

 「ああ、本当だ。ここに亀裂が走っている」

 集落の北東の草原。鬼から守る為に集落をぐるりと囲んでいる鬼避けの呪法が施された柵に、僅かに亀裂が走っているのを、柵を立てた本人である頭領が灯りを当てて確認した。

 「ほんとだ、ひびはいってる」
 「割れてると、鬼が入っちゃうの?」

 頭領の横で、問いかける幼子が二人いた。二人は男の双子であり、狸耳と尻尾を持った妖精――紅梅白梅童子である。

 「……君達は、本当に私を手伝えるのかい?」

 頭領が不安そうに問う。異形の者がよく集まるここでも、さすがに獣の耳と尻尾を生やした者は見たことがない。この子達は、あの少女――「かなめ」が不思議な書物から呼び出した謎の存在。そしてこの子達は、自分を手伝えとかなめに命じられたらしい。
 鬼には見えないが、「クロハラ」と同じ人外の者には違いない。何か不穏な動きをしたらすぐに術を発動できるよう頭領は杖に力を入れた。

 「うん、手伝うよ!」
 「獅子丸に術教えてもらった!」

 獣耳をぴくぴく動かしながら、二人は無邪気に微笑んで答える。その笑顔は人間の稚児のそれと変わりない。
 この子達はなんなのか、何故柵に亀裂が走ってしまったのか、そもそもこの子達をあの書物から召喚したかなめは何者なのか、疑問は沢山あるが、まずはこの柵を直すことが先だ。そうしないと集落に鬼が入ってきてしまうからだ。狂ひ娘の胎内に侵入した、あの夢魔のような。

 「………」

 頭領は、呪法を唱えながら頭の片隅で、今、狂ひ娘を助けようと"治療"を施している謎の少女――かなめの事を考えていた。
 本当に出来るのだろうか。腹のややこと母体を救うために、胎内に侵入した夢魔を取り除くことが、彼女に――

―――

 「これで全員、か」

 やたノ黒蝿は、一郎他、頭領の家の周りに集まっていた奴らに「くらら」の術を掛け終えた。大口を開けて寝ている一郎の寝顔は、腹立たしい程に穏やかだ。

 「こっちも終わったぞ」

 西の方角から牛頭丸が、東の方角からは石猿が、南からは獅子丸がそれぞれ黒蝿の元に集まってきた。
彼らはこの集落の人間全員に眠りの術をかけてきたところだ。これで五月蠅い輩は全員鎮まり、重女が行う"施術"に集中できる。ただ、頭領は鬼避けの柵を直すためと、何かあったときのために術をかけないでおいた。

 「おい、こっちの準備はできたぞ」

 頭領の家の中で待機していた重女に黒蝿は声をかける。重女はゆっくりと振り返る。蝋燭の灯りに照らされた顔には、困惑の表情が浮かんでいた。

 『ほんとに、私にできるの?  狂ひ娘ちゃんの中の悪魔だけを消滅させるだなんて……』

 重女はゆっくりと顔を伏せ、苦悶の表情で気を失い横たわっている狂ひ娘を見た。
 今、あの大きな腹には、彼女の子供と夢魔・インキュバスが同居している。ほうっておくと赤子だけではなく、母体である狂ひ娘まで内側から食い尽くされる。そんな絶望的な状況に、黒蝿は一つの方法を提示した。

 ――それは、重女が影を操り、狂ひ娘の胎内に侵入し、インキュバスのマグネタイトを吸い取り消滅させること。

 今まで何度も影で悪魔のマグネタイトを吸収してきた。あれと同じ要領でインキュバスのマグネタイトを吸えばいい。頭ではわかっていた。だがこの作業は高い技術と繊細さが要求される。狂ひ娘と赤子のマグネタイトと身体には傷をつけず、極小サイズへと変化した悪魔だけを狙う。顕微鏡等の補助無しで、切開はせず、肉眼だけでがん細胞を取り除け、と言われているようなものだ。

 「お前が出来ないなら、俺がその女の腹をかっさばいてインキュバスを食ってやる。その場合その女も腹の子も死ぬがな」
 『そんなの、駄目に決まってるじゃない!』
 「ならやれ。そいつと腹の子を死なせたくなければな」

 ――無茶をいう! 重女が更に黒蝿に食いつこうとした時、

 「……か、なめ?」

 狂ひ娘がゆっくりと目を覚ました。傷跡の残る白い美しい顔は、しっかりと重女のほうを向いていた。

 『狂ひ娘ちゃん!』

 重女は急いで彼女の手を握った。そしてぎょっとした。先程より明らかに細くなっている。まさか、もう内側から悪魔に生気を吸い取られはじめているのか!?

 「か、かな、かなめ、ぶ、ぶじでよかった」
 『そんな! ごめんなさい! 私のせいで、狂ひ娘ちゃんが……!』
 「い、いいんだよう。だ、だって、おれたち、と、"ともだち"だろ? "ともだち"は"たすけあう"んだろ」

 はっと、重女の目が大きくなった。昨日の夜、狂ひ娘とこっそり語り合った内容。そうだ、私達は"友達"だった。「友達は助け合うもの」と私が言ったんだ。その言葉を狂ひ娘ちゃんは覚えてくれていた。だから、彼女は私を助けてくれたんだ。

 『……そうだね、私達、"友達"だよね……』

 ぎゅ、と狂ひ娘の手を握る力を込めた。そして骨ばった指に自らの指を絡める。

 「か、かなめ……「しゅうまる」だけは、「しゅうまる」だけはしなせないで……し、「しゅうまる」、おれのこ、うんであげたいよう……」
 『大丈夫! 「しゅうまる」君も、狂ひ娘ちゃんも、私が助ける! 今度は私が狂ひ娘ちゃんを助ける番! だって、狂ひ娘ちゃんは"友達"だから!』
 「そう、そうだね、お、おれたち、"ともだち"だね」
 『うん、だから安心して。私が助けるから! 「しゅうまる」くんが生まれたら一緒に遊ぶの! 私と、狂ひ娘ちゃんと、一緒に!』
 「い、いっしょ?  お、おれと、「しゅうまる」と、かなめ、いっしょ?」
 『うん、一緒だよ』

 その言葉を聞いて、狂ひ娘は安心したように笑顔になり、そしてまた気を失った。
 重女は自分の指から狂ひ娘の指をほどき、涙の浮かんでいた目尻を拭うと、き、っと口を真一文字に引き締めた。

 『……黒蝿、指示を頂戴。そして私を全力でサポートして』
 「ああ」

 黒蝿の指示どおり、重女は影を操作した。まず狂ひ娘の腹の上に手を置き、そこから影を発生させた。影の先端を超極小サイズへと変化させ、毛穴から直接胎内へと影の触手を伸ばしていく。重女は意識を影へと集中させた。意識は影と溶け合い、影は重女の意識と同調し、やがて重女の五感と意識は影と一体化した。

 戦いが始まる。狂ひ娘の胎内で、彼女と彼女の子を守るための戦いが――

―――

 頭領が柵を修理して、自らの家に帰った時、彼はぎょっとした。
 周りには一郎や吉之助といった、先程まで集まっていた集落の皆が地面に倒れている。頭領は慌ててその中の一人の息を確かめる。そいつは外傷はなく、すやすやと眠っているだけだった。

 「安心せよ、わが主の施術の邪魔にならないよう、集落の皆には少し眠ってもらった」

 赤い鬣の、大柄な半人半獣の獅子の男が言う。他にも猿のような大きな男と、筋肉隆々の黒牛が頭領の家の周りを取り囲むように立っていた。

 「主様! ちゃんとこのお兄ちゃんを手伝ってきたよー」
 「主様、どこー?」

 頭領の足元から狸の幼子――紅梅白梅童子が家の中に入ろうとする。だが、獅子の男が止めた。

 「今、主は大変なんだ。邪魔をしてはならん」

 獅子の男――雷王獅子丸が紅梅と白梅をひょいとつまみあげ、小脇に抱えた。

 「………君達は、何者だ? 人ではないみたいだけど」

 頭領は、雷王獅子丸、八坂牛頭丸、石猿田衛門、紅梅白梅童子らに問いかけた。
 我ながら間抜けな科白だと思う。彼らが人でないのは一目瞭然である。「何者なのか」と問いたかったのは「かなめ」にである。
 彼らのような異形の者を従えている彼女は何者なのか、人なのか、物の怪なのか、それとも自分のように陰陽の心得のある術師なのか、それが聞きたかった。

 「俺たちは姐さんの"仲魔"だ」
 「……なかま?」
 「そう、契約により主の手足となり戦う」

 猿と獅子丸が答える。その顔はやや誇らしげだ。

 「……その、君達の"主"は何者なんだい?」
 「何者か……か。しいていうなら"悪魔召喚師"だろうな」

 家から"クロハラ"こと黒蝿が出てきて、頭領の質問に答えた。

 「クロハラ、かなめはどうした?」
 「今、"施術中"だ。深い催眠状態に陥っている。下手な刺激を与えると失敗してしまう恐れがある」
 「催眠状態?」
 「あの女の胎内にあいつが"影"を操り侵入し、悪魔を消滅させようとしている」
 「君がさっき言った"悪魔召喚師"というのは?」
 「ああ、この時代のこの国では"陰陽師"といったほうが正しいのか。簡単に言えば、魔を従え、魔を討つ。それがあいつで、俺たちは"使い魔"みたいなもんだ。俺は別に望んでなったわけじゃないがな」

 悪魔召喚師。成る程。悪魔とはとつくにの言葉で鬼のようなものか。彼女の外見からしてこの国の者ではないと思っていたが、まさかあの子がそんな異能の力の持ち主とは。
 もう朧げな記憶しかないが、先代、つまり頭領の父と母も異能の使い手で、息子である頭領に様々な術を教えた。両親も"悪魔召喚師"だったのだろうか。

 「黒蝿! 重女の様子がおかしいぞ! 酷く痙攣している!」
 「なに!?」

 家の中を覗いていた牛頭丸が叫ぶ。黒蝿と頭領は急いで家の中に入った。
 そこには、横になった狂ひ娘の腹に手を当てながら身体をびくん、びくんと震わせている重女の姿があった。
 目は固く閉じられており、声のでない喉からは、かは、かは、と溺れかけのように激しい咳のような呼吸を繰り返している。

 一体、彼女の身に何が起きているんだ? 狂ひ娘は、腹のややこはどうなっている――!?

―――

 視界に映ったのは、オーロラのような穏やかな光の膜であった。

 その光は揺らめく度に様々な色に変化する。薄桃色、緑、青、黄……一つとして同じ色はなく、どれも攻撃的な色合いではなく、心が安らいでいくような、優しい色のカーテン。羊水だろうか。重女は"影"の手をそっと光へと伸ばしていく。
 次に聞こえたのは、どくん、どくん、という音。力強い大きな音である。だが五月蠅いとは感じなかった。むしろその音は心地よく、ずっと聞いていたいとさえ思った。
 これは心臓の音だ。赤子の鼓動。良かった。この音が聞こえたということは、赤子はまだ生きている。
 しかし肝心の赤子はどこに?  重女は"目"を動かす。
 と、いきなり肉の壁が立ち塞がる。びっくりして思わず"叫んで"しまった。よく見れば、その肉はやや赤っぽい肌色で、血管らしきものも確認できる。そして全体的に丸みを帯びている。重女は視界を俯瞰に調節した。
 やはり、それは胎児であった。「しゅうまる」――狂ひ娘と「拾丸」の子。昔、保健体育の教科書の写真で見たのと同じ、頭が大きく、小さな手足を折り曲げて、手を丸めている。腹から出ている肉の紐のようなものは、へその緒だろう。
 こうして間近で見ると少し不気味だ。姿形は間違いなく人間なのに、なんだか別の生き物のように感じる。
 生まれたばかりの弟を見たときは、丸くて、小さくて、柔らかくて、顔が赤くて猿みたいだと思ったが、とても可愛かった。やはりお腹にいる時の赤子は、生まれたときとは印象が違うものなんだな。まあ今の私のように、羊水の中から直に見る事なんて普通はないだろうから当たり前かもしれないけど……

 その時、赤子の身体が動いた。手足を動かし、しゃっくりを発する。まるで何かに嫌がってむずがっているように見える。
 その原因はすぐにわかった。赤子のへその緒に、赤紫色の粘液のようなものがこびりついている。それはへその緒を齧っている。あいつが悪魔だ。重女は確信し、急いで影を伸ばした。
 瞬間、悪魔――インキュバスはへその緒から離れ、今度は赤子の尻へと移る。赤子の動きが激しくなる。

 『この!』

 重女が尻へと移動すると、今度はインキュバスは頭へと逃げた。それを急いで追いかける。しかしまた逃げられ、相手は別の場所へと移動する。羊水の海の中で、重女とインキュバスは命がけの鬼ごっこを繰り広げていた。もちろん、鬼は重女である。

 (早くしないと、赤ちゃんが食われてしまう! )

 その焦りが影の操作を少しだけ狂わせた。インキュバスを捕まえようとした影の手は、誤って胎盤へと突き刺さってしまった。

 『しまっ……!』

 影は胎盤の持ち主――狂ひ娘のマグネタイトを吸い上げる。駄目だ、彼女のマグネタイトを吸ってはいけない! 重女が影を胎盤から抜きとる前に、狂ひ娘のマグネタイトとそれに付随する記憶と感情が、あらゆる物理法則を無視して重女に届いてしまった。
 世界が暗転する。暗転する一瞬前、インキュバスの高笑いが聞こえたような気がした。

―――

 重女が知覚した世界の色は、「灰色」だった。

 曇天の夜空のような暗い灰の世界。"私"は寝ている? いや、誰かに組み敷かれている。顔はわからない。でもそいつは"男"だとわかる。
 この男の人が誰か、"重女"には問題ではなかった。このおとこのひとのいうことをきけば、おいしいごはんがもらえる。"重女"は言われたとおりに男根をくわえ、頭を動かす。おおきい、なんだかふしぎなにおいがして、しょっぱいよう。でもおとこのひとはきもちよさそうだ。ならこれはわるいことじゃない。「いい子だ」おとこのひとがいう。"おれ"、いいこ? うれしい。
 男根が"重女"を貫く。一瞬世界の色が赤くなったが、すぐに濁った灰色へともどる。からだのなかにはいってくるこれは"重女"にとってはなんかいやってもあまりきもちよくなかったが、これさえがまんすればおいしいごはんをはらいっぱいたべられる。これが"おれ"のここでの「しごと」だっておかみさんはいっていた。なら"おれ"がまんする。いっぱい「しごと」しないと。
 世界が揺れる。"重女"を貫いている男の動きに合わせ、灰の世界が拡散する。男のにやついた顔が視界いっぱいに広がり――

 次の世界の色は「緑」と「茶」。草と土の色。"重女"は冷たい水に足を浸していた。ここは川だ。骸ヶ原の集落に流れる川。そこで"重女"は足の間を洗っていた。股間からなにかが零れ足を伝う。それは男の精液と自分の体液だった。
 不快。きもちわるい。だからはやくあらわないと。"とうりょう"もあらっておいで、ていった。このねばねばするのは、ほうっておくとすごくきもちわるくなるから。おわってごはんをもらったあとは、かならずあらうようにしている。"とうりょう"もそれがいい、て。"つぎのあいて"にきもちわるいっていわれないために、ごはんをもらうために、「いいこ」ていわれるためにあらわないと。
 川の水は冷たい。「つめたいよう」とぼやいても、"重女"は川からでようとしなかった。頭領がいいよ、て言うまで、股間のねばねばを洗いきるまで川からあがってはいけない。我慢しなくちゃ。
 ざざ、と風が吹き、対岸に生えている草花を揺らす。草の緑、土の茶色、そして小さな花の白。あれはなんのはなだろう? たべられるかな? "とうりょう"にきいてみよう。"とうりょう"はえらくてあたまがよくていいひとだ。"おれ"をなぐらないし、いつもほめてくれる。だから、"おれ"は"とうりょう"のいるここがすきだ。
 さらさら。川の水が流れていく。"重女"は草の「緑」と、土の「茶色」が目に穏やかに映るのを感じながら、水で身体を清める。透明な川の水が、段々と濁り――

 次の世界は「赤」だ。血のような赤。痛い。体中が痛い。嫌だ、いやだ。そういってもこの人たちは殴るのをやめない。言えば言うほど殴られる。
 身体ががくがくと揺れる。意地悪なおとこのひとたちが"おれ"にいっぱいつっこんでいる。
 あとどれくらいがまんすればおわるのかな。"これ"はきもちわるくてとってもいたい。くちのなかにいれられてくるしい。なんでなぐるの? なんでわらうの? いやだ、いやだ、嫌だ――
 周りの男の顔がぐにゃりと曲がる。いやらしい表情、下卑た顔。そいつらの目の色が全員血の色で、嗤う口から蛇のような長い舌が自分の身体に巻き付いてくる。"重女"は悲鳴をあげた。

 ――落ち着け! それはお前の記憶じゃない! 気をしっかり持て!

 頭の中に響いてくる声にも、重女には効かなかった。

 重女の記憶は狂ひ娘の記憶と混ざり合い、今、狂ひ娘は重女で、重女は狂ひ娘であった。狂ひ娘の記憶の中の痛みも苦しみも、すべて感じていた。
 重女は、泣いた。涙は羊水の中の気泡となり、水面へと昇っていく。あとからあとから涙が溢れた。それは重女の涙でもあり、狂ひ娘の涙でもあった。
 そんな重女の感情に呼応するかのように、胎内に張り巡らされた影が薄くなっていく。羊水の動きが変わっていく。赤子もまるで溺れているかのように苦しそうに動く。破水が始まったのだ。だが今の重女にはそれがわからない。悪魔を消滅させなきゃ、という考えすら消えていた。ただ、彼女の頭の中を占めているのは、激しい「怒り」の感情であった。
 
 不幸なことに、重女の脳は狂ひ娘より発達していた。感情も、思考も年相応に機能していた。狂ひ娘と一体化した記憶から唯一枝分かれした感情――それは「怒り」である。

 世界が真っ黒に染まる。怒りと憎しみの色だ。
 "おれ"を、"私"を、凌辱したこいつらを殺してやりたい。股間のものを破壊し、相手が許しを請うても殴り続けてやろう。今まで"おれ"が、そうされたように。もういたいのはいやだ、くるしいのはいやだ、だから殺す。なぐってけってころしてやろう。そしてべたべたのえきたいをかけてやろう。あしと、ての骨を折ってやろう。骨。真っ白な、"右手の骨"――

 「うごくなよ」

 真っ黒だった世界の色がまた変わった。今度の色は「白」と「青」だ。空の青と、"骨"の白――

 "おれ"は「しゅうまる」の手がすきだ。いまもやさしくかおをふいてくれる、白い骨の手。
 「しゅうまる」はみぎてが殆ど骨だ。昔「いくさ」で骨ばかりになったっていってた。ほかのみんなは"きみわるい"とか、"ほねやろう"とかいってるけど、"おれ"はこのてがだいすきだ。あったかくはないけど、つめたくもない。
 だけど"おれ"のてとつなぐとぴったりあうんだ。「しゅうまる」はいたくしない。なぐらない。においがおなじ。"とうりょう"と、"おれ"とおんなじ「やまいのにおい」
 「しゅうまる」がおれと"いっしょ"になるとき、そのにおいでいっぱいになって、"おれ"はすごくいいきもち。めしはくれないけど、ほねのてでからだをさわられると、とってもあんしんする。ほかのおとこと"いっしょ"になるときより、ずっとずっときもちいい。
 きもちいい。たのしい。うれしい。"おれ"、「しゅうまる」がいい。「しゅうまる」とのこどもだから「しゅうまる」。うんだら、「しゅうまる」と、おそらのめのいろの"ともだち"の「かなめ」といっぱいあそぶんだ――

―――

 ――もう限界、か。

 話しかけても一向に戻らない重女の様子と、大量に破水している狂ひ娘の身体を見て、黒蝿はそう判断すると、手に影を集め、黒い小刀を作った。

 「クロハラ!?」

 頭領が驚いて黒蝿に声をかける。

 「時間切れだ。今から俺がこの女の腹を裂いて子ごと悪魔を食う。裂いた腹はあとで術をかけて治してやる。だが子は諦めろ」
 「なに言ってる! そんなの許さないぞ!」
 「ならどうする? このまま捨て置けば女も子も死ぬぞ。女か、子か、どちらかを選べ」
 「そんなの、選べるわけ――」

 その時、黒蝿の手首ががしっと握られた。頭領と黒蝿は驚いた。手首を握っていたのは、先程まで人事不省状態であった重女だったからだ。

 「かなめ!?」

 頭領の呼びかけに重女は答えなかった。代わりに目を瞑ったまま眉を寄せ、狂ひ娘の腹の上の右手に力を入れた。
 すると右手が光った。太陽の光を浴びないと自力では輝けない月のような、儚げな光。だがそれは確かに道の見えない闇を照らす"光"であった。

 「いったい何が……」

 黒蝿が呆けたように言葉を吐いた。こいつは術など使えなく、マグネタイトすら生成できないはず。しかし今右手から放っている光は、他者を癒す治癒術のそれに似ていた。

―――

 どくん、どくん、どくん。赤子の、「しゅうまる」の鼓動を聞く度、重女の意識ははっきりしてくる。

 狂ひ娘の記憶と溶け合い無くなりかけていた重女の自我が戻ってきた。それと同時に影も濃くなり、逃げ惑うインキュバスを捕まえることに成功した。
 インキュバスのマグネタイトを吸い取る。悪魔の負の感情が伝わってきた。苦しい、痛い、悔しい。だけどそれはいつもより軽かった。どくん、どくん。耳元で聞こえる鼓動。「生きている」という証明の音。これから生まれる命の存在が、重女の負担を軽減してくれた。

 まだ生きる苦しみも痛みも知らない無垢の存在。かつて壮絶な辛酸を舐めてきた母である狂ひ娘の思いと願いが込められた存在。狂ひ娘が愛した男――「拾丸」との子。その命を奪う資格なんて誰にもない。だってこの子は愛されているから。生まれて欲しいって願われているから。狂ひ娘と、そしてきっと「拾丸」に。
 狂ひ娘の記憶の中の「拾丸」は優しかった。温かかった。温もりを持たない骨の手からも、それはちゃんと伝わってきた。辛い記憶さえ吹き飛ばす程に。

 狂ひ娘ちゃん、貴女の愛した人はやっぱり素敵な人じゃない。だから私はこの子を――「しゅうまる」君を守る。約束したものね、必ず助けるって。狂ひ娘ちゃんが私を助けてくれたように、今、私が貴女と「しゅうまる」君をこの悪魔から守る。"友達"だもの。そして「しゅうまる」君が生まれてきたら言ってあげて。「愛している」って――。

 インキュバスの身体が徐々に薄くなっていく。重女の心には相変わらずインキュバスの恨みの感情が流れ込んでいた。

 ――お前は、この子を食おうとしている。それはさせない。誰にもこの子の命は奪わさせない。だから、お前は、消えて――

 重女の思惟が後押しとなったのか、インキュバスの身体の崩壊が始まった。赤紫色の身体は粒子よりも細かくなり、やがてマグネタイトを全部吸い取られた夢魔は、胎内から、現世から消え去った。

―――

 かは、と肺の酸素を吐き出す。同時に重女の肉体に意識と五感が戻ってきた。
 肉体の重みを感じる。視界に黒蝿と頭領の顔が映る。左手が黒蝿の右手を掴んでいるのが分かる。そして妙に生臭い匂いが鼻腔に届いた。

 「戻ってきたか」

 黒蝿が顔を近づけて問うてきた。ぼんやりとした頭でこく、と重女は頷いた。それで十分だった。狂ひ娘の中の悪魔を消滅させたことを伝えるには。

 「お疲れ、と言いたいところだけど、労いとお礼はあとだ! この子が破水してしまった。急いで出産させないとまた子供が危ない!」

 頭領の指示の元、黒蝿と重女、仲魔達は走った。集落の何人かを起こし、火を起こしお湯を焚き、清潔な布きれを集めた。重女の仲魔の異形に集落の何人かは悲鳴をあげたが、それよりも狂ひ娘の子が生まれそうだと分かると、恐怖を忘れ迅速に対応してくれた。頭領の家の中は、起こされた女衆と重女と頭領が狂ひ娘の出産を手伝っていた。

 「ひー、ひー、ふー?」
 『そう、もう一回、ひー、ひー、ふー!』

 重女がラマーズ呼吸法を狂ひ娘に教え、狂ひ娘はいきみながらそれを繰り返した。あと出産に必要なことはなんだろう? 保健体育は五だったのに! 教科書には出産の心得や方法なんて書いてなかったよ!

 「か、かなめ、かなめ……」
 『なに?』
 「あ、ありがとう。やくそく、ま、まもってくれて」

 汗だらけで真っ赤な顔で、狂ひ娘はお礼を言った。

 『……うん、"ともだち"を助けるのは当たり前じゃない』
 「と、とも、ともだち、そ、そう、おれたち、"ともだち"!」
 『うん、そうだね』
 「し、しゅう、「しゅうまる」と、あ、あそんでくれる?」
 『………うん、一緒に遊んであげる。だから、ほら! ひー、ひー、ふー!』
 「ひ、ひー、ひー、ふー……」

 重女は狂ひ娘に見えないよう、そっと顔を伏せた。そうしないと涙が浮かんでいるのをこの子に悟られてしまう。出産の最中に余計な心配をさせたくない。
 きっと、この約束は守れない。私達は出産が済んだら、この集落を追い出されてしまうだろうから。人ならざる者は、この地に交らわれないものはここにいてはいけない。それがここにとって最良であるから。
 だから、この約束は嘘。「友達」を安心させるための、最初で最後の嘘だ。

 「きた! 頭が見えてきたよ!」
 「もう少しだよ!」
 「頑張って!」

 頭領や女衆が口々に叫ぶ。狂ひ娘が傍らの重女の手を握る力を強くする。骨が折れてしまいそうなほどの力で握られ、重女も思いっきり握り返した。

 東の空が白み始める。ここ骸ヶ原の端の集落に、新しい命が誕生するまで、あと、少し――続きを読む

 時は大正時代。

 西洋文化が浸透し、人々の生活や政治が近代化され始めた時代、帝都――現在の東京には悪魔が出現しはじめていた。いや、悪魔や鬼といった人ならざるものの存在は遥か昔から存在が確認されている。そしてそれを祓う者も。
 その名は葛葉ライドウ。国家機関ヤタガラスから帝都守護を任されている悪魔召喚師、 由緒正しきデビルサマナーの十四代目である青年は、お目付け役の黒猫「ゴウト」も連れず馴染みの反物屋に訪れていた。
 任務ではない。ただ先日の悪魔退治にて外套が破れてしまったので、外套を新調するのと同時に、何反か着物を注文しようかと来たのである。
 絵草子から抜け出してきたかのような美青年のライドウが、暖簾をくぐり店に来た途端、看板娘は目を大きくし、「いらっしゃいまし」と普段より高い声を張り上げる。この光景はもう見慣れたものである。ただ、ライドウが気になったのは、看板娘の隣にいた背の高い男の存在だ。
 緑がかった黒髪を後ろで一つに束ね、紺色の着流しに身を包んだ青年。ライドウと同じくらい背が高く、年も近いと思われるその男は、一見すればただの町人といった風情だが、ライドウが気になったのは彼の纏っている空気である。

 ――この男、ただの人間ではない。

 悪魔召喚師としての勘、とでもいえばいいのだろうか。人ならざるモノに関わる者は、必ず普通の人間とは違う雰囲気を放つ。この男も上手く隠してはいるが、ライドウ程の実力者相手にはその「気」を全て誤魔化すのは不可能に近いことである。
 男は店で一番安い海老茶色の女物の着物を一反だけ買い、店を出ようとした。出入り口を通るとき、男とすれ違った。二人の視線が一瞬交錯する。男の切れ長の瞳の中に、ライドウはほの暗い光を見出した。
 やはりこの男、同業者か、あるいは――

 す、とライドウは懐から小さな紙切れを取り出し、それを去っていく男の背中に貼りつけた。魔力が籠った呪符である。これであの男の追尾が可能になった。
 同じ悪魔召喚師なら、帝都守護職であるライドウが顔を知らないわけがないし、向こうもライドウを知っているはずである。しかし男はこちらを見ても眉一つ動かさず挨拶もしてこなかった。ならばあいつはヤタガラスに属していないはぐれ召喚師か、あるいは人外のものか。
 男の暗い瞳を見たライドウは、後者の可能性が高いと感じた。なんの為に人間に擬態しているのか、まだ目的が分からないので、暫く男を泳がせることにした。人間に危害を加えようとすれば呪符が身体の動きを封ずるし、仲間のもとへ向かうのなら、巣を見つけて悪魔どもを一網打尽に出来る。今はあの男の動きを読む時だ。
 学帽の下の柳眉をしかめるライドウに、看板娘はただオロオロするだけであった。

―――

 帝都から離れた小さな村。昔ながらの藁ぶき屋根の民家が立ち並び、あちこちに梅の木が生えている。
春を迎え、青い梅の実がなり、甘酸っぱい匂いが風と一緒に流れてくる。
 その風を受けて、むしろの中で身を震わす二人の子供がいた。肩まで伸びたぼさぼさの黒髪に粗末な着物。そして同じ顔。この二人の男の子供は双子であった。
 二人は路地裏で身を寄せ合いながら震えていた。春とはいえまだ風は冷たい。冷たい風にのって届いた梅の香りを、二人はくんくんと嗅いだ。

 「いい匂いだね」
 「梅の香りだよ」
 「おっかさんの作ってくれた握り飯、いつも梅が入ってたね」
 「あれは美味しかったね」
 「また食べたいね」
 「食べたいよう」

 双子は、お腹を押さえながら小声で囁きあった。
 もう何日も食べ物を口にしていない。隣近所に物乞いをしても、貧しいのはどこも同じなので、皆見て見ぬふりで誰も食べ物を恵んでくれなかった。
 ほんのひと月前まで、二人は母と暮らしていた。貧しい生活だったが母が農家の手伝いをして、なんとか生活出来ていた。
  しかしある日、母が死んだ。きっと二人に魚を食べさせてやろうと釣りを試みたのであろう。数日降り続いた雨で増水した川に足を滑らせて落ちてしまい、溺れて死んだのだ。
 二人は母の帰りをずっと待った。しかしいくら待っても母は帰ってこない。そのうち住んでいた貸し家の大家が、母の死を知らせに来て、家賃が払えぬなら出て行けと幼い二人の子を追い出した。
 まだ八つにもならない二人は、どうやって生きていけばいいのか分からない。父もいなく、親戚もいない天涯孤独な幼子達は泣いた。しかしいくら泣いても助けてくれるものは現れなかった。
 誰も助けてくれない。でもどうしていいか分からない。二人は路上で拾ってきたむしろに包まりながら寒さをしのぎ、互いの身体を寄せ合い孤独を分かち合った。

 「おっかさん……」
 「助けて……」

 涙を流しながら既にいない母を呼んだ。しもやけで赤くなった小さな手を繋ぎ、二人は目を閉じた。瞼の裏が段々白くなる。もうすぐ、母の元にいける。梅の香りが一層強くなる。おっかさんが漬けてくれた梅干しの酸っぱい味を思い出し、口の中が溢れた唾で僅かに潤い、しかしそれすら飲み込めなく口の端からだらりと垂れる。
 その時だった。身体がふわり、と温かくなったと思うと、誰かに肩を揺すられた。
 二人はほんの少し目を開けた。そこには人がいた。その人は自分達を抱きしめてくれているようだ。
 キラキラ光るお日様みたいな金の髪。晴れたお空のような青い瞳。柔らかい手。女の人?

 「……誰?」
 「……外人さん?」

 その"外人さん"の女の人は、二人が言葉を発したのを聞いてほっと安心したように微笑んだ。眼鏡の奥のその笑みが亡き母に似ているように見え、この人は悪い人じゃない、と二人は感じた。
 女の人は両手を差し出した。その手の上には沢山の青梅。

 「……くれるの?」

 二人の問いに、女の人は頷いた。母が死んで初めて親切に接してくれる人が現れた。どうやら外人さんみたいだけど、この人はいい人だ。目の色も髪の色も違うけど、まるでおっかさんみたい。
 二人は梅をもらうと口の中に入れて咀嚼した。まだ熟していない青梅はとても苦かったが、二人は構わずばくばくと種まで食べた。
 その様子を見て、女の人――重女は、良かった、この子達を助けることが出来たと安堵の息を吐いた。

―――

 帝都では、葛葉ライドウが呪符の気の後を辿り、先程の男の行方を追っていた。
 まだそれ程遠くには行っていないようだ。他の悪魔の気配もない。男の歩いた道を辿っていくと、段々人気のないところへと向かっている。
 悪魔の根城にでも帰るつもりか。ライドウは腰の退魔刀の柄に手を触れながら呪符の気の後を辿った。
 気配が止まった。根城についたのか? ライドウは歩みを早め、とある裏路地についた。しかしそこに男の姿はなかった。あるのは呪符がついた紺の着流しだけ。着物だけが地面に落ちていた。

 「成る程、呪符に気付いたのか」

 相手もなかなかやる、と口許に笑みを浮かべ心の中で賞賛した。
 着物を脱ぎ捨て身なりを変えたのか、それとも何かしらの術で移動したのか。ライドウは男の気を探ろうとした。
 その時、頭上から視線を感じた。あいつか? ライドウはばっと鋭い視線を上へと向けた。
 そこには一羽の鴉がいた。普通の鴉より一回り大きく、足は三本ある。

 「八咫烏!?」

 馬鹿な、あの霊鳥がなぜここに? あの霊鳥は絶滅危惧種のはず。誰かが従えているのか? まさかあの男の真の姿なのか?
 どちらにせよ、これはヤタガラスに報告しなければならない。霊鳥・八咫烏を捕獲しようとライドウは召喚管を解き放とうとした。だがそれより早く、鴉は黒い風を伴い姿を消した。
 舌打ちしながらライドウは管から凶鳥・モー・ショボーを召喚した。

 「モー・ショボー! あの八咫烏の後を追え!」
 「わかったよ。あはは!」

 命令を受け、幼女の姿の凶鳥は空を飛び鴉の後を追った。
 ライドウは外套を翻し、走った。この事をゴウトと自分の所属している国家機関ヤタガラスに知らせる為に。

―――

 ぶわ、と風が重女の髪や服を揺らしたかと思うと、そこに自分の仲魔であるやたノ黒蝿が立っていた。
 その姿を見て重女は眉をひそめた。帝都(重女の知っている東京のことらしい)に向かったときは目立たないよう着物を着ていたのに、今は普段の山伏のような黒い法衣で、鴉のような兜もかぶっている。

 『着物、どうしたの?』
 「……厄介なやつに目をつけられた。そのせいで脱がざるをえなかった。恐らく、あいつも悪魔召喚師だな。しかもかなり強い……」

 悪魔召喚師。懐かしい響きだ。シドも確かそうだと言っていた。またしても座標がずれて元の世界に帰れなく、こんな昔の時代――恐らく大正時代――に来てしまったが、悪魔召喚師というのは大正時代にもあったのか。

 「俺の知っている限り、悪魔召喚師のような職業は平安時代から存在していた。ならこの時代にもいてもおかしくはないだろう」

 そういうと黒蝿は、買ってきた着物を重女に渡した。この格好では目立ちすぎるので、黒蝿がわざわざ帝都まで移動して買ってきたのだ。
 風呂敷をほどき、出てきた海老茶色の袷を見て、重女は少しがっかりした。

 『あんまり可愛くない』
 「文句をいうなよ。それを買う金だって調達するのに苦労したんだ。ぶつくさ言ってないでとっとと着ろ。追手が来るかもしれん」

 確かに贅沢は言ってられない。袷と一緒に帯と襦袢、下帯に上帯に帯どめもついていた。着物は初めて着るが、昔浴衣を着たことはあったのでそれと同じ要領で着れば大丈夫だろう。……多分。

 「お前、なんだか梅の香りがするな」

 黒蝿が顔を近づけ重女の匂いを嗅いだ。間近に端正な顔があったので、驚いた重女は思わずそっぽを向いた。顔が赤くなったのを見られただろうか。

 『……さっき、お腹を空かしている子供を見つけたの。男の双子だった。何か恵んであげたくても私何も持ってなかったから、そこの梅を沢山あげたの』

 少し誇らしげにそう言って、そこ、と指さした先には沢山の実をつけた梅の木が庭にある家屋。重女はあそこから影を操り梅を盗んできたのだろう。花泥棒ならぬ梅泥棒。しかし、そこの木の梅はまだ青梅である。

 「……お前、まさかとは思うが、青梅をやったんじゃないだろうな?」
 『? そうだけど? 梅酒を作るときは青梅を使うじゃない。近所のおばさんが作ってるの見たよ』
 「この馬鹿!!」

 怒鳴り声と共に重女は思いっきり引っぱたかれた。小柄な身体が地面に倒れ、眼鏡が顔から外れ地に転がる。
 何をする、と言い返したかったが、目の前の黒蝿の怒りの表情に圧倒されて念話を送れなかった。

 「青梅には毒があるんだぞ! 直接食ったら最悪死ぬ場合もある。……まあその子供もまさか青梅を口にしたとは思えんが……」

 そこまで聞いて、重女の顔は一気に青ざめた。青梅よりも真っ青に。

―――

 苦しい。苦しいよう。お腹が痛い。身体が動かないよう。

 双子が青梅を大量に食べてしまい、そのまま倒れてしまってどれくらいたっただろうか。
 ただでさえ暫くものを口にしていなく衰弱していたところに、毒性のある青梅を種ごと食べたのだ。毒の巡りは 通常より早く二人の身体を蝕み、ついに瀕死状態にまで陥った。

 僕たちこのまま死ぬのかな。死んじゃうのかな。そしたらお母さんに会える? きっと会えるよ。

 朦朧とする意識の中、二人は互いの手をとりあった。
 もっと生きたかったなあ。そうだね。周りは怖い人ばかりだよ。でもあの女の人みたく優しい人もきっといたよ。いたよねえ。僕たちのお母さんになってくれないかな? 駄目だよ、だって僕たち死んじゃうみたいだし……

 『そんなことない!』

 誰? お母さん?

 『ごめんなさい、青梅なんか食べさせちゃって本当にごめんなさい! 死なせないから。私が救って見せるから……!』

 あの女の人? 僕たちに梅をくれたお姉ちゃん? どうして頭の中で声がするの? お姉ちゃん、泣いてるの?
 
 するとその女の手が現れた。柔らかく細い、僕たちを抱きしめてくれた手。
 瀕死の双子は、そっとその手に己の手を乗せた。すると女の手は、双子の小さな手を闇の中から引っ張り上げ――

―――

 その頃、ライドウはモー・ショボーの連絡を受け、家の者が運転する車で黒猫のゴウトと共に帝都の外れの小さな村に来ていた。
 
 「ここに八咫烏が……」

 車から降りながらライドウはごちる。貧しい小さな村だ。今の世に、こんな村がまだあったなんて。
 貧しい他には、梅の木があちこち植えられている以外取り立てて目立つところはない。悪魔が跋扈している様子もない。何故、こんなところに八咫烏が現れたのか。何故、あのような男の姿に擬態し女物の着物を買っていたのか。
 とにかく、八咫烏は今や絶滅危惧種の霊鳥だ。捕獲して、その名を冠する組織――ライドウも所属している国家機関ヤタガラスに保護してもらうのが得策だろう。

 『ライドウ! あれを!』
 
 ゴウトに言われ、ライドウは一本の木に目を止めた。とても大きな古い樹木。樹齢は恐らく百年近いだろう。あそこから強い気を感じる。目を凝らして見れば、そこの空間が歪んでいる。そして人が立っていた。女と、幼子が二人。なんだあいつらは? 女の方は不思議な形のズボンと身体の線がわかる上着を着用しており、眼鏡をかけている。足元には、狸の耳と尻尾を持つ同じ顔の子供が二人。そして肩には三本足の鴉――

 「八咫烏!? おい、女!」

 ライドウが叫ぶと、女はびくっと肩を震わせ、こちらを見た。金髪と青い瞳も目立っていたが、頬が殴られたかのように腫れていたのも妙に印象的だった。

 女――重女は謎の青年に怒鳴られ、その瞬間にアマラ経絡を閉じかけてしまいそうになった。だが鴉に姿を変えた黒蝿につつかれ、重女は急いで黒蝿と、紅梅白梅童子と名付け悪魔合体させ蘇らせた双子と共に、アマラ経絡へと飛び込んだ。

―――

 ライドウとゴウトが八咫烏を捕まえるより早く、アマラ経絡は閉じてしまった。
 樹木の幹に手を当ててみる。しかしもう霊道は消滅してしまい、娘も、八咫烏の姿もない。

 「何者だったんだ? あの娘は……」
 『俺にもわからん。だが、この事はヤタガラスに告げなくてはな』

 異相の娘が絶滅危惧種の八咫烏を従え、謎の失踪をとげた。この俺をまいて。
 とにかく、この事はゴウトの言う通りヤタガラスに報告せねばならない。帝都に戻らねば。十四代目葛葉ライドウは帝都守護職の悪魔召喚師。帝都とそこに住まう人々を守らねば。そのために僅かな違和感さえも解明せねばならない。

 家人の運転する車に乗ろうとしたとき、ライドウの頬を風がくすぐった。あの八咫烏が纏っていた黒い風にも似たそれは、甘酸っぱい梅の香りを、ライドウの鼻腔に届けた。


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 言葉というのは不便でもあり、便利でもある。
 声を出せないということは、失言もないし、拷問で情報を吐かされる心配もない。しかし逆を言えば、嘘で取り繕ったり、誤魔化したりすることが出来ないと言うことだ。

 「九楼さん?」

 篠宮茜が心配そうに重女の顔を覗き込む。
 夜の保健室。月明かりが窓から差し込み、ショートカットの少女と、薄汚れた軍服の眼鏡の少女を照らしだす。

 茜と目が会う。戸惑っているのだろう。無理もない、一般人が悪魔と出会って平気なはずがない。

 「…………」

 そっと、手元の聖書型コンプを握りしめる。
 あの時、ポルターガイストが茜を襲おうとしたとき、銃を打つのを躊躇い、思わずコンプを作動させ、ポルターガイストを無理やり収容してしまった。銃を打てば茜に当たるかもしれなかったからだ。しかしそのせいで余計な仲魔が増えてしまった、と重女は内心ため息をつく。

 かた、かたかたかた………

 「きゃ!」

 廊下から物音がして、茜は蹲る。重女は険しい顔をして身構える。茜の腕を引っ張って保健室に避難したものの、既に廊下には悪魔が跋扈している。
 図書室に張った影の結界は、結界の主である重女が吹き飛ばされたことにより解けてしまった。そのせいで今や校舎中に悪魔が溢れている。校舎全体に結界を張れなかったのは、重女の力が不足していたからだ。

 (さっき吸いとったマグネタイトの量なら……)

 重女が保健室の床に手を付ける。顔が苦悶に歪む。影が広がり、保健室だけではなく、校舎全体を包む。

 「く、九楼さん……?」
 突然暗くなった保健室に茜は怯え、様子がおかしい重女に思わず話しかける。

 「……!」
 重女の身体がぶるりと震えた。と同時に闇が晴れ、元の保健室が姿を表す。これで校舎全体に結界が張れた。
ぐら、と重女の身体が傾く。それを茜が思わず受け止める。

 「だ、大丈夫? 九楼さん……」

 月明かりに浮かぶ重女の顔は、明らかに苦しそうだ。呼吸も荒く、身体が冷たい。
 目を開いた重女は、茜の身体から離れた。まるで警戒しているように。

 ちら、と茜は重女の右手を見た。暗くてよくわからないが、あれはもしかして拳銃ではないか?

 「九楼さん、一体何があったの?」

 問いかけても重女は答えない。当然だ。彼女は声を発する事ができないのだから。
 分かっているはずなのに、茜がそう聞いてしまったのは、先程の行為といい、重女の様子が明らかにおかしい、と感じたからだ。
 何故、彼女は夜の学校にいるのだろう。何故そんな格好をしているのだろう、そして、何故銃を持ってそんな切羽詰まった顔をしているのだろう?

 「…………」

 重女は茜の顔をじっと見ていた。篠宮茜は戸惑いと怯えを隠せずにいる。

 こんな時、声が出せないのは不便だ。声を出せれば、篠宮茜にこの状況を誤魔化して説明したり、あるいは慰めの言葉を吐いて彼女を安心させる事ができたかもしれないのに。
 だが、私はもう声を出せない。私の声と本当の名は黒蝿に奪われてしまったのだから。
 仲魔や悪魔に送るように、人間相手に念波は送れない。いや、一つだけ送る方法はあるが、それは黒蝿が傍にいないとできない方法だ。
 重女はポケットを探る。デビルスリープは切らしていたが、デビルバインドの石があった。重女はそれを茜に投げつけた。

 「え?」

 石が当たると、茜の身体が突然動かなくなる。まるで見えない縄で縛られたように。

 「え、な、なにこれ!?」
 指一本動かせない状況に、茜は軽い恐慌状態に陥る。
 「く、九楼さん!?  一体何を!?」

 重女は目を伏せ、手元の聖書を開くと、そこに手を翳した。すると、突然二つの光の玉が出てきて、やがてそれは二人の小さな男の子に変わった。

 『紅、白』
 「あい」

 紅と白と呼ばれた二匹の妖精は、狸に似た獣耳と尻尾を震わせ答えた。

 『この子をこの部屋から絶対に出さないで』
 「うん、わかった」

 紅梅白梅童子に念波を送る重女を、茜は怯えながら見ていた。

 ――な、なんなの!? あの本からいきなり人が出てきたし、身体は動かないし、一体何が起きているの?

 茜の怯えた瞳を向けられながら、重女は弾の切れたジグ・ザウエルを床に捨てた。そして、先程ポルターガイストから貰った八百万針玉を手の平に乗せ、目を瞑る。
 すると手の平に影が集まり、やがてそれは銃身の長い狙撃銃の形になった。図書室で借りてきた「図解・世界の兵器とその歴史」に描いてあった狙撃銃だ。
 影の造型魔法の応用だ。頭にイメージした物体を造り出せる魔法。今まで刀や他の無機物は沢山作ってきたが、銃を造り出したのは久しぶりだ。一発打つだけで形は崩れ、しかも精度がイマイチという欠点はあるが、今はこれで充分だ。

 「…………」

 紅梅白梅童子に囲まれ、すがるような瞳を向けている茜に背を向け、重女は保健室から飛び出した。

 「九楼さん!?」

 後ろから茜の声が聞こえたが、重女は振り返らなかった。

―――

 『猿、牛頭丸』

 コンプを作動させ、二体の仲魔を呼び出した。
 聖書型コンプが光り、中から赤ら顔の猿の顔を持ち、着崩した着物を着た魔獣、石猿田衛門と、赤いしめ縄と褌姿の半牛半人の魔獣、八坂牛頭丸が現れた。

 「お呼びで? 姐さん」
 『猿と牛頭丸は校舎内の悪魔を掃討して』

 廊下の先を指差して重女が命ずる。
 廊下には悪魔がひしめいていた。悪霊・ポルターガイスト、クイックシルバーに、夜魔・ザントマンまでいる。

 「姐さんは?」
 『私は黒蝿の援護に向かう』
 先程造った影の狙撃銃を構え、重女は言う。

 「獅子丸を召喚しないノ?」
 牛頭丸の問いに重女は首を振る。
 『もうマグネタイトが残り少ない。獅子丸を召喚できるだけは残っていないわ』

 校舎内に結界を張って、更に三体も仲魔を召喚してしまったのだ、雷王獅子丸程の強力な仲魔を呼び出せる程のマグネタイトが残っていない。
 ぎり、と重女は奥歯を噛み締める。

 やっぱり私は「アキラ」程の力はない――!

 悪霊の群れが重女達を襲う。

 「おりゃあ!」
 「モォォ!!」
 
 田衛門がモータルジハードを振るい、牛頭丸が体当たりをかます。二体の攻撃を受けた悪霊の群れは、あっという間に消える。
 ここはこいつらに任せれば安心だ。私は早く黒蝿のところへ向かわないと。

 重女は踵を返し、親玉のいる図書室へ走った。

―――

 ズズン……と大きな振動が伝わってきて、茜の恐怖心はますます大きくなった。
 保健室の薬品棚が揺れ、机の上のペン立てが床に落ち、かしゃん、と鈍い音をたてた。

 「ひ!」

 その音にびくついた茜を見て、紅梅と白梅はくすくす笑う。

 「怖いの?」

 紅梅が茜の顔を覗く。
 平常時なら可愛らしい幼子の顔も、今の茜にとっては恐怖の対象でしかなかった。
 逃げ出したいのに身体が動かない。先程重女によって謎の石を投げつけられてから指一本動かせない。身体の自由を奪われて、更に傍には獣耳を生やした二人の幼子。この異常な状況に、茜は叫び出したいのを必死に我慢した。

 「大丈夫だよ。主様がやっつけてくれるから」

 白梅が紅梅の横に並んで言う。

 「だって主様デビルサマナーだしねえ」
 「怖いよねえ」
 「でも優しいよ」
 「優しいよね」

 けらけら、けらけらと二匹は笑う。笑う二匹の後ろで尻尾がゆらゆら揺れる。

 「デビル……サマナー?」

 今聞いた言葉を茜は反芻する。紅梅白梅が更に面白そうに笑う。

 「そ、デビルサマナー」
 「悪魔召喚師」
 「悪魔を使って、悪魔をやっつけるの」

 何が楽しいのか、きゃっきゃと赤と白の幼子がはしゃぐ。

 「そ、れは……つまり……九楼さんが、正義の味方、て事?」

 必死に絞り出すように言った茜の声に、二匹はピタッと止まる。

 「ナイショだよ」
 「秘密だよ」

 紅梅が、茜の右の耳元で囁く。吐息がかかってくすぐったい。

 「主様はね、ダークサマナーなの」

 「だ、ダークサマナー?」
 おうむ返しに聞いてきた茜の左耳に、今度は白梅が囁く。

 「悪魔を使って悪いことをするデビルサマナーのことだよ」
 「主様は、悪魔を使って壊そうとしているの」

 茜の身体の両側から、紅梅と白梅が語る。幼い二匹の妖精は、一般人である茜に自らの主の秘密を話すことになんの罪悪も感じてないようだ。

 「こ、壊す? 何を?」

 目を大きくさせながら茜が問う。どくん、どくん。緊張のせいか、恐怖のせいか、茜の心臓が早鐘を打っていた。

 「ヤタガラス」
 「超国家機関ヤタガラス」
 「デビルサマナーを管理している組織」
 「主様の敵」

 雲が晴れ、窓から射す月明かりが一層強くなる。紅梅と白梅が手を繋ぎ、真剣な表情で茜に語る。

 「主様は、ヤタガラスに仇なす者」
 「秩序を乱す者」
 「闇に足を踏み入れたもの」
 「自らの欲望で悪魔を使役するもの」
 「だからヤタガラスからこう呼ばれているよ」

 「黒暗召喚師、て――」


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