二〇二六年師走三十一日

【必読】はじめに

このブログは、PS、PSPゲーム「俺の屍を越えてゆけ」の二次創作の小説がメインです。
俺の屍を越えてゆけのゲーム製作会社やゲームデザイナーの桝田氏とは一切関係ありません。素人が趣味で書いている小説です。
小説内の過激描写は現実での行為を推奨するものではありません。

基本的にゲームの世界観と海法氏の俺屍小説版「俺の屍を越えてゆけ~呪われし姉弟の輪舞~」を下敷きに色々脚色します。
俺屍はファンの数だけその一族の世界があるでしょう。
このブログで描かれているのは、作者の俺屍の世界です。公式設定ではございません。ご了承下さい。
また、作者は平安時代にあまり詳しくありません。
日々勉強はしておりますが、情景描写や単語などの使い方の時代考証が間違っている時があるかもしれません。
こういった時代考証がきちんとしてないと嫌!と言う方は、申し訳ありませんが閲覧をご遠慮下さいませ。
たまに18禁描写の小説も書くときもありますが、その場合冒頭に※←のマークを載せますので、18歳未満の方の閲覧はお断りします。

はじめてのブログなので至らない点もあるかと思いますが宜しくお願いします。
管理人より
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二〇二六年睦月朔日

目次【随時追加予定】

今まで書いてきた小説の目次です。
※のついているのは18禁表現がある話です。18歳未満の閲覧を禁止します。また、紹介文に書かれている要素が苦手な方も閲覧をご遠慮ください。
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・闇の中の蒼【長編】
やたノ黒蝿と踊り屋の少女との交神の儀の様子。
言の葉を司る黒蝿と、ある事情で声が発せない少女。
交神は上手くいくのだろうか。

【壱】【弐】【参】【肆】【伍】【伍の弐】【六】【七】【八
【九※】【拾】【拾壱】【拾弐】【拾参】【拾肆※】【拾伍】【拾六】【拾七※】【拾八】【拾九】【弐拾】【弐拾壱】【弐拾弐※】【弐拾参】終


・蒼の残像【掌編】
闇の中の蒼の後日談。拳法家の少年とやたノ黒蝿との邂逅。
蒼の残像



・紅き血を求めて※【掌編】
黄黒天吠丸と一族女の交神。短編。18禁。流血描写あり。
紅き血を求めて※



・沙羅双樹の木の下で【長編】
自らの性を否定した剣士の「少年」と、孔雀院明美の交神の話。性を否定した「少年」は、交神にてどのように変わるのか。
沙羅双樹の木の下で【壱】【弐】【参】【肆】※【伍】【六】
【七】【八】【九】【拾】【拾壱】【拾弐】【拾参】【拾肆】終



・イツ花の手記【掌編】
イツ花と初代(男)との交流。イツ花の視点より。
イツ花の手記



・朱星の輝る時【長編】
朱星ノ皇子と、弓使いの女との交神の話。子を殺された女が朱星ノ皇子に求めるものは?
朱星の輝る時【壱】【弐※】【参】【肆】【伍】【六】【七】【八】【九】【拾】【拾壱】【拾弐】【拾参】【拾肆】【拾伍】終



【短編・中編小説】

・蛍の灯篭【短編】
魂寄せお蛍と一般人の少年の邂逅。死期の迫った少年の元に現れたのは儚げな青い少女であった……
蛍の灯篭



・輪る縁の源は【中編】
源太とお輪の出会い。大江山京の討伐をまかされた源太は、毎夜悪夢をみるようになっていた。そこに現れたのは......
輪る縁の源は【壱】【弐】終



・天照す陽の女神の深謀【中編】
裏京都にて、太照天昼子との最終決戦。孤独な女神の心の中は.......
天照す陽の女神の深謀【壱】【弐】【参】終


【神々の話】

・獅子と紅葉【掌編】
雷王獅子丸と愛宕屋モミジの出会いの話。
獅子と紅葉

・茜色の憂鬱【掌編】
太照天夕子と氷ノ皇子の話。かつて氷ノ皇子が天界にいたときの、夕子と皇子の話
茜色の憂鬱


・風雷の官能※【掌編】
太刀風五郎と雷電五郎と一族女との交神の儀。18禁。3Pという特殊嗜好あり。
風雷の官能※


・霧の温もり【掌編】
霧ノ摩周とアイヌの少女の触れ合いの日々。
霧の温もり


・海底の姫と金の霊獣【掌編】
葦切四夜子と金翔天竜馬の話。他者を恐れ、貝殻に閉じこもる四夜子。彼女を外へと出したのは、金色の霊獣であった。
海底の姫と金の霊獣


・夢幻の双子【掌編】
おぼろ幻八とおぼろ夢子の話。儚げな双子が語る話とは?
夢幻の双子


・修羅の中の悦※【掌編】
お輪が修羅の塔に幽閉され鬼達を産まされていた頃の話。18禁。異種姦や少しグロい描写がありますので、苦手な方は閲覧をご遠慮ください。
※修羅の中の悦


・雪花降る中で氷らせて【掌編】
月寒お涼と六ツ花御前の話。遊女の二人の関係とは?
雪花降る中で氷らせて



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oresika_syousetu at 01:00|PermalinkComments(0)目次 

二〇一七年如月六日

雪花降る中で氷らせて

 お涼は、六ツ花が嫌いだった。

 六ツ花はここの女郎屋のいっち売れっ妓で、専用の部屋まで持っている。なんでも公家出身だと朋輩は言うが、本当のところは分からない。
 ただ、六ツ花の色町に相応しくない清楚な雰囲気と笑顔を見ると、客は必ず相好を崩し、六ツ花の気を引こうと大量の金をばらまく。
 対して、お涼は同じ座敷持ちでも、六ツ花とは稼ぎが違う。一定数の客はいるが、どれもしけた客ばかりで大した金を落としてくれない。湯女時代に身に着けた床の中での手練手管は自分の方が絶対に上手いのに、何故か上客は六ツ花を選ぶ。それが酷く悔しい。だから嫌いなのだ。

 ひょっとしたら、自分のこの冷たい身体が原因なのかもしれない。と、お涼は思っている。
 真夏のうだるような暑さの下でも、火鉢で温めた部屋の中でも、お涼の身体は何故か氷の様に冷たい。女の温もりを求めてやってくる客達は、いざお涼と床入りすると、身体を這うお涼の指先と豊満な身体がつららの様に冷たいので、客は酷く落胆する。中にはお涼のあまりに冷たい身体に嫌気がさして、お涼を罵り、情事の最中で勝手に床からでて帰ってしまうことも少なくなかった。
 こんな屈辱を受けながらも、今、この瞬間六ツ花はあのすました笑顔で男たちを虜にしている。莫迦な男たち。あの女の“本性”も知らないで。

 ――今に見てろ。あたしは絶対にここから抜け出してやる。あんたより多く稼いで、どこかのお大尽に見染められ身請けされて、こんな寒いところから抜け出して温かい陽の下で優雅に暮らすんだ!

 客に抱かれたまま、お涼は心の中でそう決意した。そう、温かくて優しい世界。私の身体の寒さまで消えてしまうような、美しく、身体を売ることもなく明日の食事に事欠かない穏やかな場所。

 ――でも、そこはどこにあるんだろう。

 天井の染みを数えながら、男が果てるのをじっと待つ。
 ああ、寒い。誰か、私を溶かして。このままだと私は、身も心も氷になってしまう。

―――

 その年の冬はとても寒かった。大寒波が都を襲い、凍死者が大勢出た。
 お涼のいる見世でも、寒さのせいで風邪をこじらせて亡くなった女郎が数名出た。中にはお涼の姐女郎もいて、遺体が桶に入れられて運び出されるのを見送る時、お涼は泣いた。私の身体はこんなに冷たいのに、頬を伝っていく涙は熱い。何故なんだろう。

 「何故泣くのです?」

 溢れる涙を拭いていると、いつの間にか隣には六ツ花がいた。藍色に雪の文様が入った彼女の一番お気に入りの着物に、雪花の形の簪を挿している。泣きじゃくる朋輩やお涼とは反対に、ただ静かに投げ込み寺へと運ばれていく桶を見ている。その顔にはなんの感情もなく、触れたら壊れる氷の様な冷たさだけがあった。

 「何故って、あの人はあたしの姐さんだよ! 大切な人が死んだら誰だって泣くだろう!」
 「そうでしょうか。私にはわかりません。あの方は、死によってこの苦界から出ることができたんですよ。望まぬ相手と肌を合わせるのを続けるより、いっそ死んだ方が……」

 ばしん、と乾いた音がしたと思ったら、六ツ花の雪の様な白い頬に赤い手形が残った。お涼は荒い呼吸のまま、茫然としている六ツ花の胸倉を掴んだ。

 「あんた! あんたには心ってものがないのかい!? いつもすましてお高くとまって、あんた本当は鬼なんじゃないの?」
 「………」

 六ツ花は動ずる事なく、ただ静かに胸倉を掴んでいるお涼の手を払い、襟を正す。
 その仕草も自分を莫迦にしているようにしか見えなくて、ついお涼は言ってしまった。

 「はん! 下々の者が死んでもなんとも思わないってかい? 公家の出身だかなんだか知らないが、あんたはあたしたちと同じ女郎なんだ。見下してるんじゃないよ!
 それに、あたし知ってるよ。あんた良く芳町へ行って役者買いをしてるよねえ?」

 ぴくり、と六ツ花の形の良い眉が動いた。氷のような固い六ツ花の表情に少しだけひびが入るのをお涼は見逃さなかった。

 「そんでもっていっとう綺麗な若衆を買ってくる。お公家様が聞いて呆れるよ」
 「黙りなさい」
 「あたしらのこと散々見下して、裏では陰間茶屋通いかい? 美少年相手じゃないと床に入らないだなんて、女郎のくせに本当に良い趣味してるね!」

 瞬間、お涼の視界がぶれ、顔に衝撃が走った。一瞬何をされたか分からなく、お涼はじんじんと痛む頬を押さえ、目の前の氷のように美しい公家出身の“女郎”が般若のような顔をこちらに向けているのを知覚した。

 「言わせておけば! 私は貴方たちとは違うわ!」
 「どう違うっていうんだよ! 身体を男に売って食っている、それがあたしたち女郎だ! 自分だけ特別だなんてお高くとまってるんじゃないよ!」

 それから、お涼と六ツ花の取っ組み合いが始まった。六ツ花の簪が取れ、お涼の着物の袖が破れる。髪を引っ張り、肌をひっかき、殴り殴られの繰り返し。
 見世の男衆が二人を押さえる頃には、女郎同士の喧嘩を面白がった見物客が二人を囲んで丸く人だかりができていた。

―――

 二人は罰として、そのまま折檻部屋へ送られた。しかも今日一日食事抜き。全く酷いじゃないか。悪いのは全部六ツ花なのに。
 唾棄したいのを我慢して、お涼は六ツ花の方を向いた。六ツ花は背中を向けて横になっている。お互い両手を縛られているので、顔をこっちに向けさせたくとも出来ない。
 きっと、自分の顔を見られたくないのだろう。なんていったって二人とも髪はほつれ、手や顔にはひっかき傷や平手打ちの痕、更に遣り手らから受けた折檻の痕もあり、とても見られたものじゃない。
 だけどお涼は六ツ花の顔を見てみたかった。あの氷の美貌を持つ六ツ花が、今どんな表情をしているのか、屈辱に涙しているのか、それとも悔し顔か、なんでもいいから見てみたかった。

 「六ツ花。起きてるんでしょ? こっち向きなよ」

 当然、返事はない。六ツ花は少し身じろぎしただけで、何も答えない。彼女の着物の文様の雪花が、身体の動きにあわせて少し動いた。まるで雪が降っているようだ。外のように激しく降るのではなく、しんしんと降り注ぐ静かな雪。真っ白な雪は全てを覆い尽くす。お涼も、六ツ花も、見世の者も、お武家様もお公家さんもなにもかも。
 それはそれでいいかもな、とお涼は思った。静かに降り積もる雪の中で、あたしは身体も心も凍って、そして……

 「最初は、ただの気まぐれだった」

 はっと、六ツ花の一言でお涼の夢想が途切れた。六ツ花は相変わらず背を向けている。

 「気まぐれ?」
 「役者買いのこと」

 ぼそり、と六ツ花が告白してきた。自身の過去を。
 此処に売られてきたばかりの頃、六ツ花はある客に恋をした。
 その客は、売れない役者だった。年のころは六ツ花とそう変わらないはずなのに、童顔で身長も決して高いとはいえない、少年のような美丈夫だった。
 男は、良く金の無心に六ツ花のところへ来ていた。今考えれば典型的なヒモなのだが、あの時は本気で彼を愛していた。
 だが、男はある日突然姿を消した。なんでも切り見世の女郎と一緒に都から出て行ったらしい。六ツ花の貢いだ金で。
 それから、六ツ花は心の傷を埋めるため、芳町の陰間茶屋で役者買いの日々を送った。もしかしたら、あの人が帰っているかもしれない。そんな妄想を抱いて、毎日のように芳町へ行った。だが当然だが愛しいあの人は帰ってこない。陰間を買った後は虚しさだけが残る。だけど役者買いは止められない。いつしか六ツ花は作り笑いは出来ても本当に笑う事はできなくなってしまった。
 
 「よくある話でしょ? 私は所詮女郎。客に懸想するのが間違いだったのよ」
 「………」

 やっと六ツ花がこっちを向いてくれた。顔は腫れて目元には涙の痕。それなのに彼女の美貌は失われていない。だが無理して笑っているのがわかる。嫌いだった女が、今は心の奥を全部曝け出している。いつの間にかお涼は六ツ花に親近感を抱いていた。

 「ああ、そうだね、色町じゃありふれたよくある話だよ。だからさ」

 すす、と冷えた足先を六ツ花のふくらはぎに当ててみる。六ツ花はきゃ、と小さく悲鳴をあげる。

 「あんたの虚しさもありふれたものだよ。そんなつまんない男のことは忘れるんだね。男だって陰間じゃなくてもごろごろいるんだしさ、忘れなよ」
 「……もしかして、私のこと慰めてるつもり?」
 「そうだよ。あんたはいつもみたくお高くとまってなよ。泣きそうな顔は似合わない。いつもの手練手管で男を落としておいで」
 「貴女にそうまで言われるなんて、私も落ちたものね」

 そう言って、六ツ花は笑った。泣きながら。
 お涼は無性にその涙を拭ってやりたかった。でも今は手を後ろに縛られているから出来ない。
 だから足先でちょんちょんと裾から見えている六ツ花の腿や膝を触ってやる。どうだ、あたしのつららみたいな足は。

 「ちょっと、何をするの!」
 「はははは」

 お涼の笑い声につられて、六ツ花も笑った。涙交じりではない心の底からの笑顔で。

―――

 寒波が収まったと思ったら、今度ははやり病だ。周りの人間がばったばったと死んでいく中、六ツ花とお涼も罹患してしまった。
 先に亡くなったのは六ツ花だ。血を吐いたと思ったらあっという間に死んだ。
 そして六ツ花の世話をしていたお涼にもうつり、物置部屋に隔離された。

 (あたしも……これで終わりか)

 静かな夜だ。雪がしんしんと降っている。雪の日は寒いから嫌いだったのに、今はそうではない。
 雪をみるたび、亡くなった六ツ花を思い出す。雪が降り積もって、六ツ花はその中で佇んでいる。儚げな笑顔で、こっちをじっと見ている。そんな夢を最近よく見るのだ。

 「……六ツ花」

 あいつは幸せだっただろうか。そういえば生前言ってたな、雪が好きだって。
 なんでって聞くと、白くて美しいからだそう。だからあいつは着物も雪花模様のばかりだった。あたしにはよくわからない。雪なんて、冷たくて嫌だ。
 でも、今なら雪が少し好きになれそう。だってあんたが降らしてるように思っちゃうんだよ。こんな静かな雪の日は特にね。

 お涼はそっと布団から抜け出すと、外の雪山まで歩いた。私の身体は冷たい。だけどもう冷たさは感じない。身体が軽い。今までの苦しみが嘘のよう。
 雪の中に六ツ花がいた。笑ってる。やっぱりあんたがこの雪を降らしていたのか。
 なら、私はこの雪の花に埋もれて、氷の彫像になろう。凍って、凍って、凍り付いて、心の臓が止まるまで踊ろう。舞踊はあまり上手くないけど、死んでいった朋輩や姐女郎、そして六ツ花、あんたに贈る手向けの舞だ。

 雪の花が舞う中、お涼は優雅に踊って見せた。お涼の身体は徐々に氷に変わっていき、
 そして、彼女は物置部屋で息を引き取った。


―――

 「お涼様、そんな過去があったんですね」

 天界の水神・月寒お涼の宮で、鬼切り一族の少年は涙ぐみながらお涼と六ツ花御前の話を聞いた。

 「ま、よくあることよ。蒲団の上で死ねただけ良かったわよ」

 “交神”の後のけだるい時間。少年が寝物語をせがんできたので、お涼は自分の人生を語ってやった。感受性豊かな優しい瞳の少年は、まるで自分の事の様にお涼と六ツ花のことを思い涙ぐんでいる。全く、うぶな坊やなんだから。

 「でも天界では二人いつも一緒なんですね! 良かったじゃないですか」
 「それが……そういう訳にもいかないのよね」
 「?」

 お涼は少年が煎れてくれた茶を飲み干し、ふう、と溜め息をつく。

 「六ツ花御前はね、下界で鬼にされたわ。朱点童子にね」
 「ええ!?」

 六ツ花が何故下界で鬼にされてしまったのか、それは分からない。最高神にでも逆らって下界に落とされたのか、好奇心で下界におり、鬼と化してしまったのか、それとも他の理由があるのか、お涼には分からない。ただ一つ言えるのは、六ツ花がいなくて寂しい、ということだけ。
 折角昇天し、神になったのに、これでは人間だった頃と変わらないじゃないか。帰ってきて六ツ花。あたしはあんたに話したいことがいっぱいあるんだ。

 「大丈夫ですよお涼様! この僕が必ず六ツ花御前をお救いします!」

 てらいのない笑顔で、少年は無理やり力こぶを作って見せた。その様子がおかしくて、お涼は笑った。そして、少年の中に一筋の希望も見出した。

 きっと、彼らなら封印されている六ツ花を助け出してくれよう。それだけの力を彼から感じる。封印が解けたら、今度は暖かい場所で舞ってみよう。舞踊は六ツ花のほうが得意だから、二人で踊ろう。そうしたら天界中の男神はあたしらの虜になるよ。
 それまであたしは、待っているよ――

 お涼は傍らの少年を抱きしめた。温かい。

 「あたしの胸でゆっくりおやすみ」

 少年はゆっくりと目蓋を閉じた。それを見届けたお涼はそっと氷の粒を作り、息をふきかける。
 すると宮の中全体に、冷たくない雪が降り、お涼と少年との間に出来る子の未来を祝福するかのように、雪は花と化し、いつしかお涼と少年を優しく包み込んだ。

(了)

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二〇一六年水無月十二日

修羅の中の悦※

 修羅の塔。
 白い、骨を粉にしたような砂が茫漠と広がる亡者砂漠の奥に、それは建っていた。
 肉塊をつなぎ合わせて造られた歪な塔は、内部も負けず劣らず異様だった。
 まるで人間の内臓を思わせる血管の浮き出た生々しい肉の壁と床からは、心臓の鼓動のようなものまで聞こえる。
 此処を造った者――朱点童子の歪んだ欲望を具現化したような、まるで人間の胎内のような塔の最上階の終界では、その朱点童子と複数の鬼、そして一人の女による“狂宴”が催されていた。

 「うっ……はあぁ!」

 鬼達の車座の中心には、ほぼ全裸の美しい女がいる。
 女の名は、お輪。右目の黒子と艶やかな長い黒髪が特徴の、気性の激しさと母性が同居している顔立ちの美しい女だ。
 数年前、かつて朱点童子の寝所に夫の源太と共に乗り込んできた、武人夫婦の片割れである。
 しかし結果は、源太は女に化けた朱点童子に殺され、お輪も生まれたばかりの我が子を人質にとられ、子の命と引き換えにその身を差し出した。
 呪いをかけられた我が子と引き離され、以来ずっとこの修羅の塔に虜囚の身となり監禁されている。しかし、それだけではない。

 「おらっ! 出るぞ!」

 お輪を貫いている朱い巨体の三本の角を持った鬼――朱点がお輪のたっぷりとした尻を掴み、律動を早める。その動きにあわせて白く形のいい乳房が揺れる。子を産んで乳腺が発達した乳房は、通常の成人女性より大きい。
 そして、お輪の胎内に熱いものが放たれた。
 人間の男のそれより一回りは大きい朱点の魔羅は、吐き出される液の量も桁違いだ。既に放出された他の鬼達の分と混ざり、女陰からは収まりきらない白濁液が大量に零れていた。
 普通の人間の女ならば、巨体の鬼との性交など、身体が裂けてしまいまず無理だろう。
 しかしお輪は、“普通の人間”ではなかった。

 「はぁ、はぁ……うぐっ!?」
 「ほう、茨木の野郎が“母さん”に口取りをしてほしいんだとよ」

 お輪の首に嵌められている朱い首輪の鎖を引っ張り、ここ修羅の塔を跋扈する鬼の一体、茨木童子が袴を緩め、巨大な魔羅をお輪の口腔に無理やり突っ込む。
 あまりの大きさに、お輪は抵抗し吐き出そうとするが、茨木童子が後頭部を掴み無理やりお輪の顔を前後させ口淫を強いる。
 苦しそうに柳眉を寄せるお輪は抵抗しない。正確には抵抗したくともできない。彼女の首に嵌められた“朱の首輪”と、手足を拘束する“朱の輪”のせいで、お輪はどんな辱めをうけようと、どんな傷を負おうと死ねないのだ。
 何故、彼女に、本来神を鬼に堕とす“朱の輪”が嵌められているのか。

 それは、彼女が神の一柱であるからである。

 神としての名は“片羽ノお輪”。今より数十年前、人との間に御子を作り、天界に混乱を招き、今は相翼院の親玉として現世に留まっている“片羽ノお業”の双子の姉である。
 双子というのは正しくもあり、また間違いでもある。二柱の女神はそれぞれ別個の自我を持ってはいるが、二柱で一つの神なのである。“片羽”という名が表す通り、お業とお輪、二柱が揃って初めて神としての力を発揮できる。いわばお業は双子の妹でもあり、自分の半身でもあるのだ。
 そんなお業が人の男に懸想していることは、お輪も知っていた。正確には“感じて”いたのだ。
 だから彼女が子を身ごもり、出産した時の嬉しさ。そして夫とその子供の一人が殺されたときの哀しさと絶望もおぼろげながらお輪も感じていた。
 そんな自分の片割れを救ってやりたい……現天界最高神である太照天昼子――人間でいえば血縁上の姪であり、感覚的には自分の子でもある――から打倒・朱点童子の策の為、下界でお業と同じく人と交わり、もう一人の朱点童子を作ることを命じられた時、お輪は二つ返事で承諾した。これでお業を救ってあげれる……例えその計画の先に、自分が死ななければいけなくとも。
 しかし、子を無事出産できたのはいいが、朱点が子に呪いをかけるとは予想外だった。夫である源太も殺され、子には短命の呪いがかけられてしまった。これでは朱点は討てない。それに、計画のためとはいえ、因縁のあった相手を愛し、そしてその子を産んだ時、お輪に母性が生まれた。天界のためじゃない、あの子を愛しているから。あの子を死なせるくらいなら、この身がどうなっても構わない。

 ――たとえ、朱点や鬼共に身体を弄ばれようとも。

 「どれ、おいらも参加するかな」
 「お、おれも!」

 飛空大将とおどろ大将が、未だ茨木の魔羅を銜えたままのお輪の身体をうつぶせにし、白濁した液が零れる女陰と、後ろの穴に魔羅の先端をくっつける。そしてそのまま二匹の鬼はそれぞれの穴に肉棒を突き立てた。

 「うぅーー!!」

 お輪がくぐもった声を上げる。身を裂かれる痛みによる苦しみの声か、それとも繰り返される“狂宴”によりもたらされる快楽の叫びか。お輪の身体で楽しむ鬼達にはそれは分からなかった。ただ、その細い身体を、奥の奥まで突いて、引いて、また突く。その度に、お輪の喉から同じ声が上がるのを朱点童子はにやつきながら聞いていた。
 三匹の鬼のうち、最初に限界がきたのは口腔を犯していた茨木であった。小さな口に大量の液を放出し、お輪にそれを飲むように後頭部を押さえる力を強くする。やっと魔羅を出してもらえた時には、お輪は苦しさのあまり涙を流しながら、口の端から飲み干せなかった白濁液を吐き出す。

 「お、おいらも、もう限界!」
 「おれも!」

 飛空とおどろの抽挿が激しくなり、お輪の悲鳴があがる。膣壁を雁首でこすり、子袋を押し上げる飛空と、幾度も凌辱に使われ、ほとんど抵抗なく侵入を許す精液まみれの後孔を押し広げるおどろの肉棒。二本の肉棒が肉壁越しに擦りあい、絶大な快楽を生む。
 本来交わるはずのない鬼と神。自身の片割れであるお業が、交われないはずの人と身体を重ねたように、今、お輪は鬼達と身体を重ねている。違うのは、そこに愛があるかと自身の意志が関わっているかどうかだけだ。

 「ぁ、あ、あああぁ!?」

 前孔と後孔に精が放たれた。何度目かの吐精か。お輪自身も忘れてしまったし、鬼達も興味のないことであった。欲望を放ちすっきりとした飛空とおどろはお輪の身を転がす。かしゃん、と朱の輪の鎖が鳴った。
 お輪は荒い息のまま焦点の定まらない目で朱点を見る。朱点は、嗤っていた。

 「良い様だなあ。なあ、天女様よ」

 くっく、と笑いながら、朱点は指でお輪の身体をなぞる。頭からつま先まで鬼達の体液まみれのお輪の姿は、何故か淫靡な美しさがあった。

 「俺達みたいな化け物に輪されてよう、好き放題されて、どんな気持ちだ? ああ?」

 す、と朱点の太い指先が臍のあたりを指さす。すると指先から禍々しい光が生じ、お輪の下腹部にその光は吸い込まれていった。

 「お前も結構楽しんでいたんじゃねえか? 俺達に嬲られてよ、嫌々言いながら感じていたんだろ? お前の死んじまった旦那……源太っていったか? 結局女ってのは女神も人間も楽しければ誰にでも股開いちまうもんなのかねえ?」

 下卑た言葉を浴びせかけられながら、お輪は朱点の中にいる“存在”を感じていた。
 封印されてはいるが、神であるお輪にはわかる。幾重もの封印の奥、この醜い鬼の身体の奥底から感じる、憎しみと、狂気と、そして痛々しい程に“母”を求めている、幼く、強い魂の存在が。
 知らずに憐憫の眼差しを向けていたのだろう。朱点は不機嫌そうにお輪から離れる。

 すると、異変が起きた。

 お輪の下腹部がどんどん膨らんでいく。ぼこぼこと腹の皮膚が歪み、内部から焼けるような痛みが生じる。痛みは腹が大きくなるごとに酷くなり、お輪は、またこの瞬間がやってきた、と激しい痛みの中諦観の念を抱いた。

 「さあ、俺達の「兄弟」の誕生だ!」

 おお!! と鬼達が喝采を上げる。お輪の腹がはちきれんばかりに大きくなったかと思うと、次の瞬間、物凄い悲鳴と共に女陰から次々と“生き物”が溢れだしてきた。
 それは、皆確かに「生き物」であった。皮膚が土気色の腹が異常に出た餓鬼、牛の頭を持つ鬼、翼が生えた天狗を思わせる鬼、獅子のような鬣をもつ赤ら顔の鬼……皆鬼という「生き物」の赤子であった。
 鬼の赤子たちは、塔の瘴気を吸うと見る見るうちに身体が大きくなり、あっという間に通常の大きさになった。お輪を囲んでいる鬼達と――同じ母をもつ「兄弟」達と同じ、京に禍をもたらす為種付けされ出産された、お輪の子供達である。

 「さあ、兄弟達! 人間共を八つ裂きにしてきやがれ! 下界を更地に変え、天を貫き地を削り、人間界も天界も滅ぼしてやれ!」

 朱点の言葉に応じるように、産まれた鬼達は塔を出ていく。あの鬼達は、お輪と源太の子の子孫と血で血を争う戦いを繰り広げるだろう。この醜い鬼達が異父兄弟であるとも知らずに。
 肩で息をし、出産後の痛みに耐えているお輪の乳房を吸う者がいた。
 そこには人間の赤子そっくりのひよひよという鬼が、産後の母乳をせがむようちゅう、ちゅう、と力なく乳首を吸っていた。
 ひよひよは、鬼としては殆ど戦闘能力はない。赤子の姿がこの鬼の成体なのだ。お輪は乳を吸うひよひよに、もう短命の呪いで死んでしまったであろう我が子の姿を重ね、そっと優しく抱くと、乳を小さな口にふくませてやった。

 「何している?」
 「見ればわかるでしょ。お乳をあげてるの」
 「乳だあ? 鬼が好むのは人間の肉と血だ! んなもんやるんじゃねえ!」
 「我が子に乳をやるのは母親の役目、でしょ?」

 その言葉に、朱点が朱い巨体を少し後ずさりさせた。醜い身体の奥の“存在”が少しだけ狼狽えたようにお輪には感じた。

 「……いずれてめえの子と殺し合う鬼の子に乳を与えるなんざあ………
 ホント、わかんないね……母親ってやつはサ!!」

 朱点が、もう十分だろう、というようにひよひよを取り上げ、塔を出ていくように促す。
 そしてお輪の身体を、残りの鬼達の群れに放り込んだ。
 また、始まるのだ。京を滅ぼすという朱点の狂気のために、鬼達に弄ばれ、鬼を産まされる日々が。
 鬼の一体に身体を貫かれながら、あの日から何年経ったのだろう、とお輪は思った。あの子はどんな風に育って、そして死んでいったのだろう。あの子達の呪いが解ける日はいつくるのだろう、と。それと――

 「……なんだよ」

 朱い巨体の鬼の朱点童子。その中に確かに感じる孤独な魂が、本当の母に会えるのはいつになるのだろう。いつになったら「この子」は満たされるのだろう。

 ――いつか、きっと、願いは叶うのよ

 頭の中に声が響いた。私の双子の妹であり、半身でもある、片羽ノお業の声が。
 感じる。お業は、今私達の子孫と戦っている。そして、きっと、もうすぐ朱の輪から解放されるのだろう。
 もう、そこまで私達の子孫は強くなっている。なら、いつか、きっと、此処にもやってきて、呪いと憎しみの連鎖を断ち切るだろう。天界の思惑すら越え、この朱い鬼の奥にいる「あの子」も救い出してくれるだろう。それまで、私はどんな辱めにだって耐えて見せよう。我が子を信じるのが親の役目なのだから。

 「……あんま調子にのってんじゃねえぞ」

 お輪の絶望に濁っていない目を見た朱点が、不機嫌そうに鬼達に混ざってお輪の身体を弄び始める。
 鬼朱点の太い剛直に身を貫かれながら、その巨躯の奥にいる「存在」が少しだけ戸惑ったのを、お輪は再び感じたのだった。

(了)
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二〇一六年卯月十五日

夢幻の双子

 【夢子】

 あらあら、もう疲れちゃったの? 元服したとはいえ、まだネンネね。
 そんなに睨まないでよ。ほら、膝枕してあげる。
 ふふ、まさか私が母になるなんてねえ。でも、生まれてくる子は呪いつき。たった二年しか生きられず、子を残したら死んでいく。まるであんた達って蜉蝣みたい。私達とおんなじ……
 なに? 私の事が聞きたいの? 大して面白くもない話よ。それでいいなら寝物語に話してあげる。
 私と幻八が、双子の人間として生きていた頃の事の話を……


 【幻八】

 貴女も双子の兄上がいるのですか。奇遇ですね。私と姉の夢子も、かつては双子の人間として生まれたのですよ。
 貴女の一族にはないでしょうけど、知ってますか? 双子は畜生腹と呼ばれ、忌み嫌われるものだというのを。
 その中でも男女の双子は、前世で心中した者の生まれ変わりとして最も忌避される存在なのです。
 少なくとも、私と姉が生まれた村ではそうでしたね。
 本来なら、双子は生まれたらすぐに殺されてしまうんですけどね、幸いにと言うべきか不幸にもと言うべきか悩みますが、掟で間引きが禁止された村だったので、私と姉はなんとか生かされました。
 ただ、生まれて間もなく母の手から離され、私と姉は寺に里子に出されました。その後の母の事は死んだとしか知りません。忌むべき男女の「双子」を身ごもり出産した罰として村から追い出されたか、或いは殺されたのか、全くわからないし、私達は赤子の時に母から離されたので、母に対する思慕の念等持ち合わせていなかったのですよ。
 冷たい? ええそうでしょうね。そう感じる貴女の方が正しいと思いますよ。
 寺での数年間はあまり良く覚えておりません。和尚達は私を他の修行僧と同じく育てましたが、私には和尚の説く仏の教えというのがどうも理解出来なくてね。言葉は理解出来ても意味が分からない。生きる素晴らしさを説かれても全く実感が持てなかったのですよ。
 きっと私には感情というものが欠落していたのでしょうね。可愛げのない子供だと周りの大人は思ってたのでしょう。次第に寺の中で私は孤立していきました。ただ日々与えられた雑務をこなし、食事を与えられて、最低限生きられるようにしか世話をされない。他人から預かった猫を「義務だから」死なせないような、そんな感じでしたね。
 悲しいとも悔しいとも感じれない、ただ「生かされている」数年を過ごしていたある日、消息不明だった双子の姉が、尼寺から女郎屋に売られていた事が風の噂で分かったんです。


 【夢子】

 女郎屋、て言っても貴方には分からないかしら。
 簡単に言うとね、女が男に身体を売る見世のことよ。
 あら、顔を赤くしちゃって。鬼ばっか切ってる貴方には縁のない場所でしょうからね。
 私は尼寺で六つになるまで育てられた後、女郎屋に下女として売られたの。年上の女郎の姐さんの身の回りの世話や見世の掃除、食事の支度などでこき使われてたわ。
 でも、特に辛いとも楽しいとも思わなかった。言うとおりの仕事をすればご飯が貰える。ご飯を食べれれば生きてける。ただそれだけの事しか思わなかったわ。意地悪な女郎に殴られても、痛いな、としか感じない。客の置き土産の菓子を食べられても、甘いんだな、としか思えない。あらゆる事象に対してなんの感情も抱けなく、泣きもしなければ笑いもしない私に姐さんは「鬼子」って言ってたよ。
 「鬼子」……確かにそうだったのかもね。同じ顔を持つ弟と同じ日に生まれ、泣きも怒りもしない人形みたいな私は鬼に見えたでしょうね。だから尼寺でも疎ましがられて、女郎屋に売られたのよ。
 全く人間らしい感情を持てなかった私だけど、ある時庭に不思議な蝶みたいな虫がいたのよ。だけど蝶ほど大きくない。カマキリを細長くしたような胴体に薄い翅。何故かは分からない。けど私はその虫にひどく惹かれたわ。

 姐さんに聞いてみたら、それは「蜉蝣」ていうんだって。

 私はちょっとしたきまぐれで蜉蝣を飼うことにしたの。でも餌を与えても何も食べない。姐さんによると蜉蝣は成虫になると餌をとらず、子を残して死んでいくんだって。自分の為に生きるんじゃなく、伴侶を見つけ子を残すために生きて死んでいく。そんなのってあり? 私はこの時初めて心の奥底から「怒り」の感情が生まれるのを感じたわ。
 なんでたかが蜉蝣一匹にそんな感情を持ってしまったのかは分からない。だけど大人になったら子を残して死んでいく、だなんて、それじゃあ本体の幸せってなに? 子を残すのが役目? 子を残したらもう用済みってわけ?
 まるで私達の母親みたいじゃない。違うのは望まない双子を産んでしまったから同じ人間に殺されたってだけ。母に対する愛情の念は抱いてなかったはずなんだけど、同胞に殺された母は虫以下だったのか。そう思うと胃の奥から熱い塊が湧いてきて、何が何でもこの蜉蝣を生きながらさせてやる、って決意したの。
 水をあげても、手で温めても、蜉蝣は日に日に弱っていくだけ。そうこうしているうちにあっけなく死んじゃった。
 ねえ、不公平じゃない?  私達のように仕方なく生かされている双子もいるのに、堕落して惰性で生きている人間も大勢いるのに、なんで蜉蝣に生まれたってだけですぐ死ななきゃいけないの? 何故たまたま一度に二人の子を産んだってだけで罪人のように母は死ななきゃいけなかったの――?

 そう思った時、私は初めて泣いたわ。不思議だった。胸のあたりがずきずき痛んで、どろどろしたものがとぐろを巻いて身体を締め付けるような感じ。あれが「哀しみ」というものなのかしら。
 それからもう全てが嫌になって、ぼんやりと過ごしていたから、仕事で間違いばっかりしてしまって、とうとう折檻され仕置き部屋にいれられたの。痛みで朦朧とした頭で、これで私も死ぬのか、と思った。不思議と恐怖はなかったわよ。こんな汚い世界から旅立てるなら、それは本望だったから。
 でも、願うなら、最後にもう一度だけ、弟に会いたい。私と一緒に生まれてきた弟。生きているなら、どんな風に成長したのか、できるならもう一度顔を見たい――。
 そんな願いが通じたのか、折檻部屋の戸が開いて、ボロボロな姿の男の子が入れられたの。その子はなんと寺に預けられていたはずの、私によく似た顔立ちの、血のつながった双子の弟だったのよ。

 【幻八】

 寺を抜け出して、姉が売られたという女郎屋まで三日三晩歩き続けました。
 もう顔も朧げにしか覚えていない姉。私と瓜二つの顔を持つ血の繋がった姉。その姉を思い出そうとすると、内奥から締め上げるような不思議な感覚が生まれました。
 家族愛? それとも退屈な寺から抜け出す口実? なんでも良かったのです。姉に会えばこのどろっとした感覚がわかるような気がしたから。
 思えば、なぜ私と姉は双子として生まれてきたのでしょう?
 やはり村の者が言っていた通りに、前世で心中した男女の生まれ変わりだから? 私が生まれる前の事が、何故今世の自分達に影響を及ぼして、あげく疎外されなくてはならないんでしょう? 因果応報? 前世の業? そんなことで母は死ななくてはいけなかったのでしょうか。
 なんの思慕も抱いていなかったはずの母の事を思うと、不思議と姉の顔と重なって脳裏に浮かびました。そして、何故か次の瞬間、心が燃えるような痛みを訴えてきました。
 これはきっと「怒り」なのでしょう。母を殺し、姉を苦界へと追いやった世の中に対しての。
 記憶にも殆ど残っていない母や姉の事でなぜここまで怒りが湧いてきたのか、未だに分かりません。
 ……え? それはきっと母を愛していたから? ははっ。貴女らしい答えですね。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。とにかくその時の私は、生まれて初めて持った「怒り」の感情に身を任せ、姉のいる女郎屋にたどり着きました。そして姉を返してほしいと見世の者に頼みました。
 当然、すげなく断られました。それでもあきらめきれなかった私は暴れましたよ。今まで生まれることのなかった「怒り」「寂しさ」……そんな感情の群れが爆発して幼い私は暴れました。私は見世の者に取り押さえられ、殴られ、折檻部屋と呼ばれる部屋に入れられました。
 なんという偶然でしょう、そこには私と同じ顔の少女がいました。私はこの少女が生き別れの姉であると分かりました。姉も私が双子の弟だとわかったみたいで、顔を見るなりぼろぼろと泣き始めました。
 自分とそっくりの顔の姉が泣いているのをみて、私は強烈な既視感を抱きました。遠い昔、これと似たような光景を見た気がするのです。母の記憶でしょうか? それともただの思い過ごしでしょうか? その時の私には分からなかったし、分かる必要もないのです。ただ、血を分けた姉が生きている。それだけで胸の奥のどろっとした感覚が消えていったのですから。
 姉と私は、日の当たらない部屋で何日も閉じ込められ、食事もあたえられず、身体が衰弱していくのを感じました。きっと、私達は死ぬ。本来なら、生まれた時に殺されるはずだった私達がここまで生きてこれたのが奇跡に近いことでしたから、これから死ぬことになんの感慨もなかったです。
 
 意識が暗転する直前、なにかが視界を横切りました。

 それは二匹の蜉蝣でした。

 二匹は頼りなくふわふわと飛んでいました。それはまるで揺らめく陽炎のように。
 暫く空中を飛んだあと、私と姉の寝ている床に落ち、そのままゆっくりと動かなくなりました。
 それを見届けた私達も、目を閉じ、そして人としての生を終えたのです。


 【夢子】

 それで、気が付いたら天界にいて、なぜかそのまま神様になっちゃったのよ。しかもこんな蜉蝣みたいな翅を持って。最後に見たのが蜉蝣だったからかしら? 全く冗談じゃないわよ。せめて美しい蝶の羽を持ちたかったわ。
 なあに? 今のままでも綺麗だって? ネンネのくせにお世辞だけは上手いのね。でも、ま、嬉しいわよ。
 あんたをみているとさ、不思議と人として生きていたときの事を思い出すわ。そんなにいい人生じゃなかったけど、もっと生きてみたかったなんて思うわ。
 ……なに真に受けてるのよ。駄目よ、神の言う事なんて信じたら。神の言葉なんていちいち真剣に捉えなくてもいいのよ。どうせただの暇つぶしのための夢物語。
 あんたも、下界に降りたら鬼を斬る日々に戻るんでしょ? なら今だけゆっくりお休み。大丈夫。悪い夢は見ないわよ。

 【幻八】

 そんな悲しい顔をしないでくださいよ。貴女を悲しませるために話したんじゃないんですから。
 それに、私の話が本当かどうかなんてわかりませんよ。ここは天界。退屈しのぎに嘘をこさえる輩が大勢いるのですから。
 人の一生など神からみれば幻のごとく過ぎ去る。だけど確実に人が生きた証は“現”(うつつ)に残る。
 無限の時を生きる存在である私達には、それが羨ましくもあります。
 おっと、おしゃべりがすぎましたね。貴女と過ごす時間は楽しく、まるで夢幻のごとく、瞬く間に過ぎ去ってしまいますね。

(了)

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二〇一六年如月三日

海底の姫と金の霊獣

 葦切四夜子という女神は、歩く事が出来なかった。

 神になる前、自分が何者だったのかなど四夜子は覚えておらず、ただ、大陸風の模様が入った着物と、矯正された纏足が、彼女の生前の姿を現しているのかもしれない。
 普通の童女の足より遥かに小さい纏足は、自由に歩く事が困難だったが、ここ天の都ではそれはあまり関係なかった。

 四夜子が望むなら、叢雲が彼女を乗せ天界中の任意の場所へと運ぶことが出来たし、お付きの天女が手を貸して歩くのを手助けすることもできる。
 ここ天界では、心の有りようによって全てが決まる。それぞれの神が何を望むか。立派な御殿も、やまと積まれたご馳走も、己の姿形でさえも自らの望んだものが手に入る。
 しかし彼女が望んだのは、小さな己を隠せる程の大きな貝であった。
 四夜子は貝に閉じこもり、暗く冷たい海底へ潜っていった。

 (ここなら、私を傷つける人はいない)

 四夜子は、とても臆病であった。それは、もしかしたら失われた彼女の生前の記憶に関係しているのかもしれない。
 誰にも傷つけられたくない、誰にも干渉されたくない。外には怖い人ばかり。
 ねえ、誰か。私を怖い人から守って。臆病な私をこの冷たい世界から連れ出して。
 ねえ、誰か……わたしのお兄ちゃんになってよ!

 深い海底で四夜子は叫び続ける。しかし頑なに宿した貝に引きこもる四夜子を地上に連れ出してくれる者など、いなかった。

―――

 四夜子の神域の海の底は、色とりどりの魚が泳ぎ、岩礁に息づく赤と白の珊瑚が美しい場所である。
 水温の違う海流は違う色として混ざり合い、錦色の膜を織りなす。
此処では、魚達も、岩礁も、海水ですら四夜子を守っていた。そう彼女が望んだから。

 「…………」

 ふと、四夜子は海面を見上げる。
 天つ宮で神としての居場所と名を与えられて、どれだけ経ったのだろう。
 初めのうちは新参者が珍しいのか、沢山の神が此処にやってきた。
 しかし四夜子は怯え、貝に閉じこもったままであった。その様子を見て物見遊山の神々は去っていった。今では四夜子の神域に来てくれるのは、人魚の女神、敦賀ノ真名姫と、良く日に焼けた面倒見のいい若い漁師の神、焼津ノ若銛だけであった。
 真名姫と若銛は四夜子に優しくしてくれた。二柱になら、たどたどしくではあったが会話する事が出来た。だけど極度の人見知りは治らない。
 殻から出ておいで、外は楽しいところだよ、と真名姫達が誘っても、四夜子はやはり外への恐怖を捨てることが出来ない。この貝殻から出れば、誰も私を守ってくれないから。

 (……こんな意気地なしの自分、嫌い)

 自分が情けなくて、四夜子の大きな紅眼から涙が溢れた。涙は真珠となり海面へと上っていく。その軌跡をぼんやりと見ていた時。

 海面に、一瞬強い金の光が差し込んだ。

 (なんだろう?)

 四夜子はその光に魅せられた。暗い海底を照らし出した光。
 四夜子は抱いた好奇心から、少しだけ身体を前に出した。すると身に宿した貝殻が動き、海底から地上へと彼女を移動させた。

―――

 「!」

 海面から僅かに顔を覗かせた四夜子の眼前を、金色の光が横切る。強い光ではあったが、四夜子は目を瞑らなかった。その光が暴力的な輝きではなく、見るものの心の鬱積した闇を祓う、優しささえ感じる光であったからだ。
 光の主は、四足の馬の下半身を持つ男神。黒い長髪に、幼さを残す褐色の顔の額には一角の角が生えている。
 男神の背と尻尾、脚の関節部分に、まるで生き物のように金色の光が渦巻いて形を成している。
 金の炎? しかし四夜子の眼前を横切った時、その炎からは焦げるような熱さは感じなかった。鳴神小太郎の灼熱の炎とは大違いだ。
 男神が海面を前脚で蹴った際に生じたさざ波が、四夜子の顔にかかってしまい、四夜子は少しだけ悲鳴をあげた。
 悲鳴が聞こえて、やっと男神は脚のすぐ横に童女の顔があるのに気がついた。少しでも着地を間違えていればこの童女を踏みつけていたかもしれない。

 「ごめん、走るのに夢中で気がつかなかったよ。海の上を駆けるのは初めてでね。大丈夫かい?」
 「あ………は、い……」

 蚊の鳴くような声で答え、すぐに顔を赤くし俯いた四夜子を見て、男神は首を傾げた。

 「もしかして君、この間天つ宮で紹介されてた……」

 男神の言葉に、あの時の神々の視線とそれによる羞恥が思い出され、四夜子は貝の中に隠れてしまった。

 「思い出した!確か、葦切四夜子さん、だよね? 大陸からの渡来神の」

 四夜子は貝の口を僅かに開け、こくりと頷いた。

 「あ、僕はね、金翔天竜馬。僕も渡来神だよ。宜しくね!」

 そう言って竜馬は手を四夜子に差し出す。四夜子はまだ怯えていた。

 ――このお兄ちゃんは信じていいのだろうか。

 粗暴な容貌の三ツ星凶太や、いつも怖い顔の不動泰山や、さばさばし過ぎて怖い印象の吉焼天摩利より、この男神は遥かに優しい目をしている。そして何より、背の翼のような黄金色の光。それらに惹かれ、四夜子はそっと小さな手を彼の手に重ねる。
 途端――

 「きゃっ!」

 四夜子の身体は宿した貝ごと竜馬の背に乗せられていた。すぐ目の前には金の光の翼。いや、良くみればそれは光ではなく、金色の炎であった。
 水の女神である自分が苦手とする炎のはずなのに、その炎は熱くなかった。それどころか四夜子を守るように形状を広げたそれに包まれると、不思議な安堵感が四夜子の心から沸いてきた。

 「君、天界を散歩したことはある?」

 四夜子は首を振った。神になってからずっと自分の神域の海底に潜んでいて、天界の他の場所など勿論行ったことなどなかった。

 「凄いよ天界て。どこまでも広く、一つとして同じ場所は存在しない。いくら散歩しても飽きないんだ。君、歩けないんだろう? なら僕が天界を案内してあげる。さあ、僕の背につかまって」

 一息にまくし立てた竜馬が後ろ脚を蹴り、海面を走り出した。四夜子はいきなりの衝撃に、無意識に彼の背につかまった。
 黄金色の炎に包まれる形になったが、全く熱さを感じない。竜馬が走る度、気持ちのいい風が四夜子の頬をなぜ、視界は次々と変化していき、あっと言う間に四夜子の海から別の場所へと移動していった。

―――

 「あら竜馬。今日は女の子と一緒なの?」

 春の花が一面に咲く野原で会ったのは、風の女神、春野鈴女。活発そうな女神は、四夜子の顔を覗く。女神が動くたび、春の甘い香りが漂う。

 「貴女が葦切四夜子ちゃん? 私は春野鈴女!宜しくね!」
 「よ、宜しく……」

 まだ貝に半身を入れながら、四夜子は挨拶した。そんな四夜子に鈴女はくすりと笑い、何本もの花を渡してくれた。

 「これは……」
 「これは友達の印しってことで!」
 「……友達?」
 「そ!これからこの天の都で暮らしていくんでしょ?だったら私達は今から友達!」
 「おい鈴女……」

 流石に気安すぎないか? と竜馬は心配になり背の四夜子の顔を伺った。しかしその心配は杞憂であった。
 四夜子は色とりどりの花に埋もれ、目を潤ませながら「ありがとう」と鈴女に笑顔を向けた。
 おどおどしていた四夜子が初めて見せた笑顔に、竜馬と鈴女は顔を見合わせ微笑んだ。

―――

 それから竜馬は天界の色んな場所へと連れて行ってくれた。

 巨大な桜の木が花びらを散らしている雅な神域では、ほろ酔い桜という女神が酒を勧めてきた。四夜子は一杯飲んだだけで頭がくらくらしたが、神域の主である女神は笑ってくれた。
 唐の舞台のような神域では、二つ扇の前が演舞を披露してくれた。火の粉を舞わせながら踊る女神はとても美しく、気づいたら若草山萌子や野分の前まで集まり、豪華な女神達の舞いを堪能することが出来た。
 雪がしんしんと降り積もる神域では、苗場ノ白雪姫と一緒に雪だるまやかまくらを作った。ついでに巨大な鍋をご馳走になったが、竜馬も四夜子も食べきれず、結局白雪姫一人に食べさせることになってしまった。
 四夜子は終始笑い、竜馬が連れて行く神域の神は、皆快く四夜子を受け入れた。外は怖い人ばかりじゃない、こんなに楽しい事もあるんだ、と四夜子は理解した。
 いつの間にか、身を隠すために宿していた貝は、四夜子の裳へと変化していた。

―――

 「他に行きたいところはある?」

 四夜子を乗せたまま、竜馬が問いかける。竜馬はずっと走り続けていた。そろそろ彼も疲れているのではないか?

 「少し……休みたいな」
 「分かったよ」

 竜馬は脚を止め、四夜子を丁寧に降ろしてから草原に寝そべった。竜馬の全身から汗が噴き出している。
 その様子を見て、四夜子は近くにあった藁で、竜馬の身体を拭いてあげた。手のひらから竜馬の固い筋肉を感じ、四夜子は丸い顔を少し赤らめた。

 「君がそんなことしなくても……」
 「いいの。これはお礼」
 「お礼?」
 「……海の底に籠もっていた私に、沢山の広い世界を見せてくれたことへのお礼」

 竜馬は四夜子の「お礼」を素直に受けることにした。藁で汗を拭かれ、火照った身体に清涼感が戻ってくる。 
 四夜子は竜馬の高いところを拭こうとして立ち上がるが、纏足は身体を支えきれず、そのまま草原に転がってしまった。柔らかい草が敷き詰められた草原でも、地面に直撃した顔はじんじんと痛む。
 瞬間、激しい既視感が彼女を襲った。この放り出される感じと顔の痛み、前にもどこかで……


 『お前はもういらない』

 四夜子の頭を冷たい男の声が貫いた。途端、記憶が洪水のように頭の中に押し寄せてくる。

 豪華な屋敷。そこの主人に拾われ、足を矯正させられ歩けなくなり、主人の愛玩奴隷として夜毎弄ばれた記憶。
 そして新しい奴隷を買い付け四夜子に興味を無くした男が冷たく放った言葉――『お前はもういらない』

 「いやあああああ!!」

 絶叫が四夜子の喉から放たれた。竜馬は驚き、四夜子の肩に手を乗せるが、その手も激しくふりほどかれてしまった。

 「いや、いやだいやだいやだ……」

 記憶が全て戻ってきた。
 主人に屋敷から放り出され、路頭に迷っていた日々。そのうち無頼の輩が彼女に襲ってきたが、彼女の足では逃げることすら出来ない。
 無頼者に身体を陵辱され、そのまま塵のように冷たい海へ捨てられ、そして死んでしまった自分――
 怖い、痛い、イタイ! やめて、ヤメテヤメテ!!
 ご主人様、私を捨てないで! 外には怖い人ばかり。私は何も出来ない、逃げることもできない無力でちっぽけな存在なの。
 ねえ、誰か、誰でもいい、私を守って――!

 「やめて! 私に触らないで! 私を捨てないで!怖い、痛いのはいや……独りはいやあああああ!!」

 錯乱し涙を零す四夜子の身体を、暖かいものが包んだ。それは竜馬の金色の炎である。
 暗い海底から覗いた時と同じ、見るものに安らぎと、まだ見ぬ場所へ歩き出す勇気を与えてくれる光であった。

 「大丈夫。今の君はもう独りじゃない。君も会ってきただろう。君を思ってくれる神々が此処にはいるんだ……!」

 花をくれた春野鈴女。美しく舞う三柱の女神。お酒好きの桜の女神。かまくらでご馳走になった鍋の味。美しい月を見せてくれた男神、秋の実りを食べさせてくれた女神……四夜子の絶望の記憶は、今まで会ってきた神々の優しい記憶に塗り替えられていく。

 「怖い人は……もういない?」
 「そんなの、どこにもいないよ」
 「みんな……私のお兄ちゃんとお姉ちゃん?」
 「そうだよ。みんなそう。僕もそうだ」

 金色の炎が二柱を包む。歩けなく、心と体を閉ざしていた女神は、天界中を闊歩する活発な男神と、金の光の中、暫く体を寄せ合っていた。それは心地よく、いつまでもこうしていたい、と思える程。
 四夜子は恐怖を忘れた穏やかな顔で、竜馬の胸の中でゆっくりと寝息を立てていた。

―――

 「あら四夜子、今日もお出かけ?」
 「う、うん……」
 「まーた金翔天の旦那とかい? 妬けるねえ」

 真名姫と若銛の茶々に顔を赤くしながら、四夜子は待ち合わせの場所へ向かった。そこには既に竜馬がいた。四夜子は彼の背に跨がり、彼の首筋に顔をうずめた。

 「今日はどこに行きたい?」
 「……あっちの方」
 「あっちはまだ誰も行ったことがないんだ」
 「だから行きたいの。あそこには、まだ知らない場所があるから」

 纏足の女神を乗せた金の霊獣は駆け出した。
 停滞した天界の空気を動かすかのように、まだ見ぬ地平へと駆ける霊獣の起こす風は、かつて自ら閉ざしていた四夜子の心に、気持ち良く吹き抜けた。

(了)



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二〇一五年霜月十七日

霧の温もり

 霧の深い日には、湖に近づいてはいけないよ。
 どうして?
 湖には化け物が住んでいる。霧で我々を惑わしながら、獲物を探しているのさ――

 ばばさまの言葉を思い出しながら、少女は走る。褐色の肌の活発そうな少女だ。二つに結んだおさげが走るたびにゆさゆさと揺れる。両手には鮭のほぐした身が具の握り飯と、白い小さな花が入った風呂敷。左手には「あの人」がくれた腕輪。
 ばばさまや村の皆はこの霧を気味悪がっているが、少女は怖くなかった。むしろ霧が出て欲しいと願うほどだ。だって、霧が出た日には、「あの人」に会えるから。 
 さあ、と周りの霧が濃くなる。重ささえ感じさせる霧の幕の向こうに、ほんのりと人影が映る。少女の丸い顔が喜びで赤くなる。
 その人影は、線の細い男性のものだった。
 白い肌に黒髪の少年の目蓋が開く。紺碧の瞳が少女を捉えると、少年は涼やかな笑みを浮かべた。

 「嬉しいな、今日も来てくれたのかい?」

 柔らかいが、年相応の低い声が耳朶に届くと、身体中に甘い痺れが行き渡る。それは恋の感覚。
 少女が恋した人は、霧の日の湖でしか会えない少年であった。

―――

 ――綺麗な人。

 少女が抱いた少年への第一印象はそれである。
 男の人相手に、その形容はどうかとも思ったが、それ以外の言葉が思いつかなかったのだ。
 実際、彼はとても綺麗であった。
 白磁のような滑らかな肌、髪は烏の濡れ羽色、着物と同じ紺の瞳は、じっと見つめられるとまるで吸い込まれそうだ。
 出会いは、とある霧の日。
 湖の方に珍しいお花があると聞いたから、それを摘んだらすぐに村に帰るつもりだった。
 だけど、酷い霧が少女の帰り道を塞いだ。
霧は視界を淡く塞ぎ、木々は白く染まる。まるで別世界に迷いこんだみたいで、少女は酷く怯えた。方向さえ分からない。
 
 ……怖い。

 木々が大きくなり迫ってくるような錯覚さえ抱く。草花が揺れる音がまるで幽霊の息吹のようだ。何か得体のしれないものが自分を襲うんじゃないか、そう思い少女は自らの身体を掻き抱く。
 その時、がさがさ、と音がした。何かが大きなものが近づいてくる。
 ぬっと、草葉から顔を覗かせたのは、ヒグマであった。霧でよくは分からないが、少女の倍近くは大きい。ヒグマの顔がこちらを向く。少女は動けなかった。膝がわらう。目を離したら殺される!どうすればいいの? 誰か、助けて――!!
 ふわ、と、霧が揺れたような気がした。するとヒグマの横に人影が現れる。
 霧の向こうに浮かんだ人影は、ある方向を指さす。するとヒグマは近寄ってきた小熊と共に、元来た場所へと戻っていった。
 茫然としている少女に、人影は近づいてくる。その人は、華奢な少年であった。
 少年の瞳と、少女の黒い瞳が混ざり合う。集落の皆とも内地からきた移民者とも違う、不思議で、綺麗な、湖の底のような、紺の、瞳――

 「女の子がこんなところに一人で来てはいけないよ。家はどこ?」

 涼やかな声が聞こえた時、少女の脳天に恋の雷が落ちる。一目ぼれであった。

 「ああ、この近くのアイヌのコタン(村)の子だね。そこまで送っていこう」
 「あ……いえ、それには及びません……」

 緊張でカラカラに乾いた喉からなんとか声を振り絞った。
 少女のコタンは封建的な気質があり、特にアイヌではない者には酷く冷たい。見たところ彼はアイヌではないようだし、酋長やばばさまが彼をみたら一体どんな仕打ちを受けさせられるかわかったもんではない。

 「……そうか、それは残念だな」

 少年が優しく微笑んだ。さら、と長い前髪が動く。霧で良く見えなかったけど、凄く肌が白い。生まれた時からコタンで暮らしている少女には、少年の肌の白さはまるで雪のようで、内地の男の人はこんなに白い肌を持っているのか、と感嘆した。
 彼がアイヌではないのは肌の色もそうだが、着ている着物や装飾品がアイヌのものでないことからわかる。上衣は少年の瞳と同じ深い紺色、不思議な模様が走っていて身体の線がわかるのに対し、下衣はたっぷりとした白い袴の裾を黒い脚絆に収めている。手には沢山の腕輪。豪奢な首飾りと少年の右目を隠す沢山の小さな石。あれは全部蜻蛉玉であろうか?

 「もしかして、僕って変な格好している?」

 少年の困ったような声で少女は我に返った。見たことのない着物や装飾品、それを着こなしている少年につい見とれてしまったのだ。

 「いえ、ごめんなさい、じろじろ見ちゃって……もう帰ります。助けていただきありがとうございました」

 ぺこりとお辞儀をし、帰ろうとしたところを急に右手をつかまれた。驚いた少女が一体なに?と振り返ると、少年が白い花をこちらに向けて差し出していた。その花は、まさに少女が探していた花だった。

 「! これは……?」
 「この湖の霧の日にしか咲かない幻の花なんだ。ここで会ったのも何かの縁だ。無事に帰れるように、お守り代わりにどうぞ」

 少年の白くて細い指先から、少女に花が渡される。渡す瞬間、指先が少しだけ少女の指に触れ、まるでその部分が火傷でも負ったかのようにジンジンし、甘い熱が全身へと行き渡る。
 どくん、どくん、どくん……動悸が激しくなってきた。好き。やっぱり私この人を好きになっちゃったんだ。
 また会いたい、会って沢山話がしたい―――

 「あ、あの!」

 意を決して少女は少年に話しかけた。緊張のあまり声が裏返ってしまった。顔も凄く赤いだろう。

 「あ、あなたのこと、も、もっと、よく、し、しし知りたいです!」

 顔を下げたままなので彼の表情は分からない。呆れているのか、驚いているのか。だけどまだ言うことがある。

 「も、もし良かったら……また、ここで会いませんか? も、もっと色んなお話を聞いたり話したりしたいんです!」

 少年はあっけにとられた表情で、頭を下げている少女を見下ろしていた。「もっと知りたい」と言ってきた。“この僕”のことを。
 嘘ではないのは少女の必死な喋り方や態度で分かる。真っ直ぐな子だ。久しく人の世界に触れていなかった彼にとって、少女の純真さは心地よく感じた。この子とまた会って話をするのも悪くないだろう。

 「……うん、僕も丁度君ともっとお話ししてみたいと思っていたんだよ。また会えるかな?」

 ぱあ、と少女の顔が喜色に染まる。その様子も年頃の女の子らしい表情で、可愛らしいな、と少年は思った。

 「でも今日はもう遅いからお帰り。今度来るときには、そうだな……」

 そう言って少年は左手に嵌めていた腕輪の一つを少女に渡す。光を受けて鈍く腕輪が光った。

 「霧の日に、これを持ってここにおいで。これがあるかぎり、君はヒグマや猪には襲われない。僕とお揃いだね」

 お揃い、と聞いて少女の顔がまた赤くなる。それじゃあまるで恋人同士みたいじゃないか。

 「じゃ、じゃあ、私も次に会う時、なにか持ってきます!」
 「うん、楽しみにしているよ」

 二、三会話を繰り返したあと、少女は少年と別れ帰路についていた。
 まだ胸がどきどきする。そっと、少年がくれた腕輪を刺青の入った左の手首に嵌めてみる。太い自分の手首には入らないかと思ったが、ぴったりだ。褐色の腕を、銀色の腕輪が彩ってくれた。
 
 (また、すぐに会いたい……! 早く霧が出ないかな)

 霧に囲まれたコタンへの道を歩く間、少女は甘い気持ちが全身を心地よく満たしてくれるのを感じていた。
 気のせいだろうか、少女の周りの霧が、ふわっと少しだけ優しく動いた気がした。

―――
 
 それから霧の日には、よく少女は湖へと通った。
 そこには必ず少年がいた。少年は自分の名も、どこに住んでいるかも語らなかったが、少女にとってはそれで充分であった。
 ただ会って、その日に起きたこと――例えば今日は機織りが上手に出来たとか、今日は狩猟が大量で、夕餉が豪勢であったこととか、ムックリ(口琴)を教わったことなどを少女が語ると、少年は笑顔で頷きながら耳を傾けてくれた。

 「今日ヤイサマネナを習ったの」
 「ヤイサマネナって?」
 「叙情歌のことよ。ばばさまから教わったの。素敵な唄だった。でも私は音痴だから、何回もばばさまに叱られてしまって……」
 「その唄、僕も聞きたいな」
 「ええ!?」

 いきなりの答えに少女が驚く。しかし少年はにっこりと微笑んだままだ。

 「で、でも、まだ全部覚えていないし、私唄が上手くないし……」
 「大丈夫。途中まででもいいから。君の唄が聞いてみたい」
 「……笑ったりしない?」
 「もちろん」

 そっと、少女は深呼吸をし、左手の腕輪に触れながら声を張り上げた。高く澄んだ歌声が辺りに響く。
 その歌は、男女の恋愛の唄であった。時代が経っても変わることのない、互いに思い合う男女の恋模様が、少女の声の旋律に乗り、少年の耳に届く。たどたどしくはあったが、その声には力強い生命力が溢れていた。
 習い終わった部分まで歌うと、少年が拍手を送った。

 「凄い!とても良かったよ!」
 「そんな……お世辞でも嬉しいです」
 「お世辞じゃないよ。とても綺麗だった」
 「唄が、ですか?」
 「唄も、君もだよ」

 少年の顔には、嘘の色は見えなかった。本気で言ってるんだ。こんな薄汚れて美人とはいえない自分を、この人は「綺麗」と言ってくれた。
 全身が熱くなる。もう、自分の気持ちを隠しておけない。

 「私……あなたが好きです」

 横を向いたままとうとう少女は告白した。少年の顔は見えない。だが、辺りの霧が一層深くなった気がした。

 「身の程知らずであるのは分かってます。でも、好きなんです。初めてあったときから。出来るなら、ずっと、貴方の傍にいたい……」

 いつの間にか、霧が濃くなっていた。それは隣にいたはずの少年の姿さえ見えなくなるほどに。
 彼がどこにいるのか分からない。もしかしてさっきの言葉を聞いて呆れて去ってしまったのかも……。
 愛してくれ、なんて言わない。でも、せめて、もう一度――

 「貴方に……触れたいです」

 途端、少女の手が温もりで包まれる。は、と顔を上げると、霧の中から白い手が少女の手を握っていた。細いけど大きなそれは、間違いなく少年の手であった。
 言葉はいらなかった。ただ、霧の幕を隔てながら、少女と少年は手を合わせた。手のひらから温もりが、彼の優しさが伝わってくる。それだけで十分だ。
 霧に囲まれた二人だけの世界で、少女は確かに幸せだった。

―――

 それから数日、湖に行っても少年は現れなかった。落ち込んだまま日々を暮らしていた時、急に酋長とばば様が少女に縁談を持ち掛けてきた。
 
 「わ、私が、隣のコタンの男性と、結婚……!?」

 酋長のチセ(家)に呼び出され、神妙な顔をしているばば様と酋長からその言葉を聞いた途端、少女は視界がぐらついたように感じた。

 「お前もいい年だ。そろそろ嫁いでもいいんじゃないか?」

 酋長達の本当の狙いは分かっていた。隣のコタンとは長年いがみ合ってきた。そこで和解の印に我がコタンから一人年頃の娘を差し出す約定が両コタンの間で結ばれていたのだ。だがしかし、まさか自分が選ばれるとは。

 「それにお主、どこの馬の骨ともしれぬ和人と逢引きを繰り返していただろう?」

 ばば様の言葉に少女はぎくりとした。あの人に会っていたことがばれていたなんて。

 「我らが和人共に受けた屈辱を忘れたか!? 和人を信用してはならぬ! その腕輪も和人に貰った者であろう! この掟破りの不届きものめ!」
 「あ、あの人は、そんな人じゃありません!」
 「ええい黙れ! お前は隣のコタンに嫁がせる! これは長としての命令だ!」
 「……!!」

 耐え切れなくなり、少女はチセから飛び出した。後ろからばばさまの怒鳴り声が聞こえたが構わず、少女は走り続けた。あの人がいる湖へと。

 (あの人以外の男の人と一緒になるなんて……そんなの嫌! 耐え切れない!)

 湖を囲む森をひたすらに走る。あの人の姿は当然ない。そうこうしているうちに追手の足音が後ろから聞こえてきた。

 (追いつかれちゃう!)

 捕まって無理やりコタンに戻されるのだけは避けたい。少女は迷った挙句、小舟を漕ぎ出し湖に浮かぶ小島へと向かった。小島へ行くことは禁じられていた。何故ならあの小島はカムイ(神)のおわす場所と言い伝えられていたからだ。
 しかし他に逃げ道はない。腕がパンパンになるまで船を漕ぎ続け、少女はやっと小島についた。
 美しい島であった。手つかずの木々の緑が目に眩しく、キタキツネが木々の間を駆け抜け、シマリスが木の枝を駆け上り、エゾシカが闊達に走る。ここにはまるで本当にカムイが降りてきそうな荘厳な空気が漂っている。
 その時、またふわりと霧が出てきた。その儚げな霧に少女は既視感を抱いた。この霧、あの人が纏っていた霧に似ている――
 すると霧の向こうから、人がこちらへ近づいてきた。紺の着物の白皙の少年は、正に今、彼女が探していた思い人であった。
 
 「どうして君がここに……?」

 答えるより早く、少女は少年に抱き付いていた。その衝撃で、少年の華奢な身体が少し揺れた。

 「私、私……無理やり隣のコタンの人と結婚させられそうになって……でも、私、あなた以外の人と一緒になるなんて耐え切れなくて!」

 少女の涙が少年の着物を濡らす。少年の顔には困惑の色が伺えた。
 どうしたものか、少年が少女を抱きながら暫し考えていると――
 空に黒雲が立ち込めた。すると急に雷が鳴り響き、台風並みの風と豪雨が降りだした。豪雨は湖と、その周辺に激しく降る。しかし不思議なことに、少女と少年のいる小島には一滴も雨は降り注がない。
 あっという間に湖は増水し、柵を決壊し森へ流れ込み、少女のコタンの方向へと溢れていった。

 「ああっ! コタンが!」

 少女が悲痛な声で叫ぶ。このままじゃコタンに被害が及ぶ。農作物は流され、最悪死人も出るかもしれない。

 「君は、あのコタンが大切?」

 少年が真っ直ぐ見つめながら問うてきた。その表情は真剣そのものだ。

 「……はい」
 「君を無理やり、好きでもない人のところに嫁がせるようなところでも?」

 少女は言葉に詰まる。確かに酋長やばばさまは私を政略結婚させようとした。だが封建的なところに嫌気はさしていたものの、あそこは確かに自分が生まれ育ったコタンなのだ。

 「私、やっぱりコタンの皆が大切です。私をここまで育ててくれた人たちが大事です!」

 じっと、少年が少女の顔を見つめた。その思いを確かめるように。湖の底のように澄んだ紺色の瞳から、少女は目を逸らさずにいた。

 「……そうか、ならば、君の大切なものを守ってあげる」
 「え?」

 す、と少年が天に手をかざすと、霧が発生した。大量の霧は、光の加減で色が変わる羽衣のように少年の身体に纏わりついたかと思うと、空の黒雲へと吸い込まれていった。
 すると豪雨は止み、増水していたはずの湖も元の水位へと収まっていき、空には雲一つなくなった。
 驚いた少女は少年から目を離せなかった。不思議な霧を纏いしその姿は燐光を帯びて神々しく、まさにカムイが顕現した姿である。
 
 「ま、まさか貴方様は……」

 慌ててひれ伏した少女を少年――霧ノ摩周は起こした。驚きに顔を歪める少女に、摩周はふ、と優しく微笑んだ。

 「見てのとおり、僕は人間じゃない。だけど、君から好きだと言われたのは嬉しかったよ。君といる時間はとても温かくて、楽しかった」

 さあ、とまた少女の周りに霧が立ち込めた。その霧は摩周の姿を隠していく。行かないで、と言いたかったのに、言葉が出ない。
 そっと、摩周の手が少女の手をとり、指を絡めた。その感触は、少女が告白した時に肌から伝わったのと同じく温かかった。あの時と同じ、優しさの温もりであった。

 「もう、会えないんですね……」

 涙が浮かんだのを悟られないよう、少女は努めて明るく言った。霧の向こうで、摩周が笑った、気がした。

 「大丈夫。例え君がどんな道を選ぼうとも、僕は天から見守ってあげるから。霧の日には思い出して。独りじゃないって」

 その言葉を最後に、摩周の姿は消えた。と、同時に霧が晴れていく。
 少女はゆっくりと、先程まで彼と繋いでいた手を見つめた。彼から貰った銀の腕輪がきらりと光る。手にはまだ彼の温もりが残っていた。

 「ありがとうございます。私、貴方様と一緒にいられたことを、生涯忘れません……」

 霧の晴れた湖の小島で、少女はこの地を守っているカムイである彼に対し、感謝の念を述べた。

―――

 あれから数年、酋長とばば様を必死に説得し、同じコタンの男性と結婚をした少女は美しく成長し、二児の母になっていた。
 その日は霧が濃かった。幼い二人の子を連れて湖にやってきた少女は、かつて思いをはせたカムイの彼を思い、そっと、白い花を湖畔に添えた。
 
 「母様、そのお花はなあに?」
 「これはね、霧の日にしか咲かない幻の花なの。昔ある人に教えてもらったの」
 「じゃあ、あたしもその花探す!」

 きゃっきゃと白い花を探す我が子を見守りながら、少女は、いや、かつて少女だったアイヌの女は、初恋の相手を思い出しながら、霧に手をかざした。
 すると霧が僅かに揺れ、一瞬霧の向こうに人影が現れたように感じた。
 その手に何かが触れたような感覚が走り、女は彼の温もりと、ほんの少しだけ、少女だったあの時の気持ちを思い出し、心の奥が揺れたのだった。

(了)

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二〇一五年文月十四日

風雷の官能※

 「交神の儀」と呼ばれるものがある。
 それは、鬼切りを生業としているとある一族が天界に昇り、神とまぐわい子を成す儀式である。
 何故、人ではなく神とまじわうのか。
 
 それはその一族が、朱点童子に「短命」と「種絶」の呪いをかけられているからである。

 「短命の呪い」とは、通常の人間の何倍も早く成長し、約二年程で死に至る呪い。
 「種絶の呪い」とは、人との間に子を成す事が出来ない呪い。
 子を成せなければ一族の血は僅か二年程で途絶える。その打開策として、天界は彼らにある提案をした。

 それは、自分達神々と交わうこと。

 神と人との間に出来た子は、通常の人間より遥かに強い。故に、一族は初代から代々神と交わり、子を成し、その血を確実に強くしてきた。
 神と人との交わりは、神によって多少異なるが、大抵は人間のと同じ。神と人が肌を合わせまぐわうのである。
 なので、今回の交神の儀も、指名された男神と一族の女が、天界の神の宮にて肉体を重ねていた。

 ただ、今回はいつもと違う。
 呼ばれた神は“二柱”である。

 「まさか、儂ら二人を相手にするなんてな」
 「昼子様にバレたらまた地上に幽閉されちまう」
 「違いねえ」

 言いながら一柱の神が女を貫く。

 「ああっ!」

 一糸纏わぬ女が甘い声をあげる。
 うつぶせにされた女の頭の方向に、もう一柱神がいた。
 貫いている方とは違う神だ。しかし二柱の容姿はよく似ている。どちらも大柄で筋肉隆々。顔の造作は鬼と見間違うように険しい。
 貫いている神は、若草色の皮膚に緑の長髪。額には一本の角が生えている。
 女の頭の方向に胡座をかいて座っているのは、紫色の皮膚に銀髪の男神。額から生えている角はこちらは二本だ。
 
 この二柱は、兄弟神である。

 かつて寒さに苦しむ人間に、火と風の御し方を教えて、その罪で九重楼に幽閉されていた神――風神・太刀風五郎と、雷神・雷電五郎である。

 通常、兄弟神といえども一度の交神に呼ばれるのはどちらか片方だけである。一族と神の一対一の精神と肉体の官能と感応。それが交神の儀。
 しかし、この娘は交神の相手に、太刀風、雷電の二柱を指名した。勿論そんな事は掟破りである。しかし娘は言った。

 「此度の交神で、子を“二人”授けていただきたいのです。強いお二方の血を受け継いだ子を、どうか、私に授けて下さいまし」

 兄弟は、無碍に断る気を無くした。娘の目が、声が、真剣そのものであったからだ。
 太刀風が律動を始めると、女の豊満な胸が動きに合わせて激しく揺れる。髪を振り乱し、快楽の嬌声をあげる口に、雷電の一物が侵入する。

 「ん! うっ、ふ……」

 二柱の一物は人間の成人男性のそれより大きい。それを女は一本を女陰で、一本を口腔で受け止める。
 太刀風の魔羅が女の孔を行き来し、奥を突き上げる。張り出した雁首に膣壁を擦られ子袋を押し上げられるたびに、女の脳天に快楽の雷が落ちる。
 雷電の魔羅は女の口内を犯す。口内を女陰に見立て、喉奥まで付き、また引く。女の舌が蛭のようにねっとりと、怒張し大きくなった魔羅を愛撫する。
 二柱に上と下から責められ、女は悦の表情を浮かべる。その表情は、この肉体の交わりを心から喜んでいるようであった。

 女を責めながら、二柱は交神の前に上から聞かされた話を思い出した。

 なんでもかの一族は、先月討伐先で全滅したらしい。残ったのは留守番として屋敷に残された女のみ。
 なので女が子を残さないと、一族の血は途絶える。血が途絶えるということは、すなわち朱点童子打倒という一族と天界の計画が崩れることを意味する。それは、絶望的で最悪の結果だ。女が掟を破ってまで必至で子を求めてくる理由も合点がいく。いや、もしかしたら――
 
 (昼子様は、この状況を見越して、女の言い分をわざと見逃したのかもしれんな)

 動きが更に激しくなる。女の中の肉壁が収縮し、口淫の速度が速くなり、二柱の魔羅を締め付ける。

 「いくぞ!」
 「儂もだ!」

 女陰と口腔に大量の子種が注ぎ込まれる。女はくぐもった声をあげながら達した。膣内と口の端からどろりとした白濁液をこぼしながら、女は荒い息を繰り返す。
 
 「なあ、お嬢ちゃん、もう満足しただろう? そろそろ"七光りの御玉"を使ってもいいんじゃねえか?」

 いくら身体を合わせても、"七光りの御玉"を使わないと子は成せない。女は子を授けてくれと言ってきたくせに、その御玉を使うのを拒否した。今はまだ使いたくない、その前にお二方と思う存分身体を合わせてみたい、と恥ずかしそうに言ってきたからだ。
 おとなしそうな顔で随分と大胆なことを言う、と神は笑った。だがそう望むのなら音をあげるまで身体を弄んでやるのも一興、と太刀風と雷電がいきこんだのは最初だけ。貪欲な女に何度も精を搾り取られ、二柱にも疲れの色が見えてきた。
 もう、何度交合したのだろう。滝のように流れる汗を拭いながら、雷電は女の柔らかい肢体を受け止めながらふう、と息を吐いた。

 「……まだ、駄目です」

 言いながら、女の手が雷電の股間に伸ばされた。そしてぐったりとした一物を細い指でしごく。
 思わず腰が引けた。吐精した直後で酷く敏感になったそれは、少しの刺激で強い快楽を生む。
 流石にやりすぎだ。太刀風は女の手を取り後ろから身体を抱いて、雷電から引き剥がした。柔らかな乳房が太刀風の手のひらでつぶれ、首筋から汗と甘い女の匂いがした

 その時、ぐす、ぐす、と鼻を啜る音が聞こえた。怪訝に思った太刀風が顔を覗きこむ。
 女は、泣いていた。

 「お、おい!? なんで泣くんだよ?」
 「儂ら、そんなに激しかったか!?」
 
 おろおろする二柱に、女は俯いたまま「違うんです……」と消え入りそうな声で呟いた。

 「私……怖いんです。この交神が終わったら、地上に降りて当主になって、また鬼を斬らなきゃいけない。それが、とても怖いんです。もう母も兄弟も他の皆もいなくなった中、独りで戦うのが、たまらなく怖くて、寂しいんです……」

 嗚咽交じりの女の言葉。これが本音なのだろう。
 家族を失くした絶望。これからたった一人で戦わなければならず、望まずに当主になってしまい、その重責に押しつぶされそうな不安。寂しさ。
 それを忘れたくて、女は交神による快楽を求めた。自分を縛る全てのしがらみを忘れたくて、自分たちに縋り付いてきた。
 だが、それを甘えと切り捨てることはできなかった。それは寒さに苦しむ人間に火と風の御し方を教えた二柱が持つ、生来の優しさのせいだろう。

 「きゃあっ!?」

 いきなり身体を横にされ、女は悲鳴をあげた。背中に太刀風、正面に雷電という形で、二柱の神が女の身体を挟んでいる格好だ。

 「いいぜ。なら……」
 「思う存分楽しみな!」

 復活した雷電の魔羅は女陰に、そして太刀風の魔羅は後孔に侵入しようとする。
 
 「ひっ……!」
 「力、抜いとけよ」

 女陰と違い、後ろの穴は潤う機能はない。しかし太刀風はどろどろの前孔から液を持ってきて、それを指で掬っていれ、後孔をぐりぐりとほぐしていく。ある程度柔らかくなった頃合いをみて、太刀風と雷電は前後から一気に女を貫いた。

 「―――!!」

 雷神が膣を突き上げ、風神が直腸を突く。突いて、引いて、また突き上げる。女の体内で雷鳴が轟き、竜巻が荒れ狂う。それは嵐である。女の憂いを、悲しい記憶を全て吹き飛ばす、激しい快楽の風雷の調べ。

 「う、あ、あああ――!!」

 絶叫が女の喉から鳴り響いた。その叫びは恐怖すら上回る歓喜の声か、激しすぎる快楽の奔流に流された肉体の反応か。

 「まだまだ足りねえな」
 「ああ、お前を悲しませるものをとっぱらうには」
 「今だけ何もかも忘れさせるには」
 「もっと、もっと溺れさせないとな」

 柔らかな女の身体を挟む風神と雷神は、責めを止めない。女の精神と肉体が満たされるまで、官能と感応の宴は終わらない。

(了)

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二〇一五年皐月廿二日

茜色の憂鬱

 「余計な事をなさいましたね」

 此処は天の都。地上の肉体を離れ、より高次な存在となったもの――「神」と呼ばれる者が住む天の国。
 その都には、天橋立という下界を見下ろせる大きな橋があった。その橋で神が二柱対峙している。
 茜色の光輝を纏い、紺の装束に身を包み、太陽を思わせる豪奢な冠を戴く、天界第二位の陽の女神太照天夕子と、空色の装束の、凍てつく冷気を纏う、天界第一位の男神、氷ノ皇子であった。

 「余計な事、とは?」

 氷ノ皇子がとぼける。夕子はさっと欄干の下を指した。
 橋の下の叢雲が晴れ、下界を写す。見えたのは、水田の多いある村。村には豊かな水が流れる疎水が通っている。

 ほんの数ヶ月前まで、その村は日照りに苦しみ、作物は育たなく、村人は深刻な食糧不足に悩んでいた。
 しかしある日村人達が目覚めると、そこには地下に掘られた深い深い穴があり、沢山の水が湧き出ていた。村人達は、こりゃあ神様が起こした奇跡に違いねえ、と、天に向かって手を合わせ、疎水を作った。

 「あれは貴方の仕業ですね」

 夕子は皇子を問い詰める。その言葉には微かな怒りがあった。
 夕子の鋭い視線を受けながらも皇子は怯まない。彼の纏う冷気と陽の女神の陽光がぶつかる。

 「人間への干渉は禁止されているはずです。なのによりにもよって天界一位の貴方が率先して禁を破るとは何事です」

 そう、天の都には幾つもの決まりがあった。そのうちの一つが、人間界への干渉の禁止である。
 遠い昔、夕子達が「神」と呼ばれる存在となり天の都を形成したばかりの頃、興味本位で下界へ干渉するものが後を断たなかった。
 水神が荒ぶれば洪水が起き、風神が息を吹きかければ台風が起き、土神が身体を揺すぶると大地震が起きた。
 その度に人間達は苦しみ疲弊していった。多数の死者が出て幾つもの都が滅びる。
 その事態を憂慮した太照天夕子は、神々の下界への干渉を禁止した。禁を破った者は厳しい罰を与えた。
 こうして下界へ干渉する神はいなくなった………と思っていた矢先にこれである。夕子は目を瞑り額に手を当て嘆息した。

 「それで、儂をどうするつもりだ? 他の者と同じく天界から追放するか?」

 悪びれない様子の氷ノ皇子の言葉を受け、夕子はきっと目の前の男神を睨んだ。並の神ならその火のような視線を受けると、身を焦がしてしまう。しかし皇子は平然としている。当然だ。皇子の神威は夕子のそれより強いのだから。

 「いいえ、貴方には暫く自らの宮にて蟄居していただきます」
 「………わかった」

 処罰を下された皇子はそう答えると、吹雪に乗り天橋立から消えた。
 一人残された夕子は、欄干に寄りかかり溜め息をついた。化粧を施した顔には、ほんの少しの悲しみが浮かんでいた。

 ――皇子、貴方は私の味方になってはくれないのか

―――

 何故氷ノ皇子より力が劣る第二位の太照天夕子が天界を治めているのか、それには複雑な訳がある。

 今より百年以上も昔、天界には別の神が指導者として君臨していた。
 その男神の力は他の神の追随を許さず、思想も革新的であった。何故なら天・地・冥界を繋げ、世界の理を変えようとしていたのだから。
 しかしある時、彼は天界から姿を消した。その理由は夕子だけが知っていた。彼の失踪には、伴侶である鬼切りの娘が関係しており、かの娘が彼を冥界に封じ、そしてその娘を夕子が封じた。
 彼が三界を繋げたのは、その娘の夢のためであったらしい。鬼と人との共存。しかしその結果、冥界から鬼が溢れ幾つもの国が滅んだ。人も沢山死んだ。
 娘は鬼の転生能力を持っていた。転生し彼と出会い、また同じ悲劇を繰り返さないよう夕子は娘の記憶も封じた。
 名前すら抹消されたかの男神が消えたことで、天界で一番強い神は氷ノ皇子になる。しかし皇子は政治に全く興味を示さなかった。それどころか度々人界に干渉さえしていた。どうやら皇子は人間が愛おしいらしい。
 そのようにして、皇子は指導者の役割を辞退し、必然的に皇子の次に力のある夕子が天界最高神となり指導者となった。

 神々の頂点に立った夕子の日々はとても忙しく、また孤独であった。
 新たな掟を定め、禁を犯した者を粛正する。独裁的ともいえる強硬な手腕に反発する者も多かった。
 いくら夕子の力が強くとも、徒党を組まれると粛正するには骨が折れる。いつしか天界には幾つもの派閥ができ、それら全てを管理するには夕子一人の力では厳しかった。
 強力な仲間が欲しい。私を支えてくれるだけの力と器を持った同志が。そう、例えば私より神威の強い氷ノ皇子など。

 (でも、皇子は……天界に興味がないのよね)

 政務を終え、茜の宮で手酌で酒を飲みながら夕子は心の中でごちる。
 天の都には時間の概念がない。それぞれの神の神域ごとにその様子は異なる。暖かな春の日差しが降り注ぐ神域もあれば、暗い夜の神域もあるのだ。
 夕子の神域は常に夕暮れ時であった。陽が沈む前、空や雲は赤く染まる。その赤は落日の赤か。
 すす、と夕子は指で空に何かを描いた。するとそれは形を成し、薄い青の蝶へと変わった。薄氷のような儚げな蝶。もう一度指を動かすと、今度は赤い蝶が生まれた。まるで夕焼けの陽の色である。
 二匹の蝶は戯れるように宙を舞う。その様子を見ながら夕子はぼんやりと記憶を辿る。

 気が遠くなるほど遠い昔、人としての肉体を捨て、「永遠」を手に入れ、ここ天の都に移り住んだときのことを。

 当時の神は数少なかったが、夕子の隣には皇子がいた。皇子とは、天界設立時からの同志であった。
 存在を永遠とし、人間より一つ上の概念の者となった神々が喜んでいたのは最初だけであった。子も残せず、永遠の時を生きるということは、死に等しいことである。神々は絶望した。だがもう人間には戻れない。ならば此処――天界で高次の存在として暮らすしか他ならない。神々に位をつけ、指導者を見出し、掟を定める。
 天界の政治の手伝いをしていた夕子とは対照的に、皇子は自らの宮で思案に耽ることが多くなった。恐らく、我々神々の存在に疑問を持っていたのだろう。このままでいいのか、下界の民になにかしてやれぬものか。人間への未練を捨てきれない皇子に夕子は苛立った。我々はもう戻れない。ならば一緒に天界の平定を手伝ってほしい。私の隣で、ずっと一緒に――

 夕焼けの光を受けながら、夕子は杯の酒を飲みほした。宙で戯れていた二匹の蝶は、互いの羽根が触れると煙のように崩れてしまった。

―――

 「……皇子、今なんと?」

 氷ノ皇子の宮にて、夕子は皇子から衝撃的な一言を告げられた。

 「儂は、下界に下り、そこで荒れ狂う死者の魂を鎮めて暮らしていこうと思う」

 皇子が手の水晶を翳すと、そこに下界の様子が映った。何十年も前、皇子が水を湧かせた村だ。
 その村は疫病で村人は全滅し、廃村と成り果てていた。残っているのは地下深くに掘られた穴から湧き出る水が流れる疎水だけ。
 疎水には、死体が投げ込まれていた。そこには多数の成仏できない魂が彷徨っていた。怨霊は怨念を呼び、その疎水から発生する邪気は生者にまで悪影響を及ぼす。皇子は、それを見過ごせなかった。

 「つまり、天界から去る、と……そういうわけですか……」

 夕子の声が微かに震えた。目の前の男神は、天界を捨てようとしている。私が必死に治めているこの都を。
 身体がぐらりと揺れた気がした。しかし夕子は唇を噛みしめ、動揺を押し殺した。
 皇子程の力があれば下界に下っても、ともなった現し身が鬼になることはないだろう。しかし、問題はそこではない。

 「貴方は……私を……助けてはくれないの……ですね」

 違う。そんなことを言いたいわけではない。私を捨てないで、置いていかないでと縋り付きたかった。
 しかし夕子の自尊心がそれを許さなかった。天界の指導者であるこの私が、神の一柱に懸想するわけにはいかない。
 本当はずっと前から気づいていた。自分の気持ちに。皇子に対する思いが、同志以上のものであることに。
 一緒に天界を切り盛りしていたかった。常に隣にいて欲しかった。私の気持ちを理解してほしかった。

 「………すまぬ」

 決定的な一言であった。

 行かないで、と抱き付けたらどんなに楽だろう。貴方が好き、と言葉に出来たら……。
 しかし皇子は重大な禁忌を犯そうとしている。そして自分は天界最高神。禁を犯すものには罰を与えなければならない。それが彼女の役目。太照天夕子という神の立場である。

 「宜しい。では氷ノ皇子殿。貴方を天界から永久追放します」

 凛とした、天界の女王に相応しい声音で夕子は処分を告げた。皇子は優しく微笑み、夕子の肩に手を乗せる。
 そしてそれを最後に皇子の姿は消えた。
 夕子は蹲り声を押し殺して泣いた。涙が床に落ちる度、氷で出来た宮は溶けていき、銀色の雪原が茜色に染まっていく。皇子に触れられた肩から、全身に熱が渡っていく。あの笑顔は私への同情の笑みか、それとも皇子も少なからず私を思ってくれていたのか。今となっては分からない。
 皇子は人間に尽くす道を選んだ。そして私は天界を総べる事を選んだ。ならば立ち止まっている暇などない。天界の情勢はまだまだ不安定で、成すべきことは沢山あるのだから。

 涙を拭き、夕子は立ち上がる。茜色の夕暮れが辺りを覆い、そして白い雪が降った。皇子の光輝の残滓であろうか。
 夕子は目を伏せ、きっと口元を結び、そして前を向き天つ宮へ歩を進める。
 孤独な女王を鼓舞するかのように、雪はずっと降っていた。

(了)

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二〇一四年霜月廿四日

獅子と紅葉

 その男が倒れていたのは戦場であった。

 幾つもの折れた刀、地面には抉られたような痕があり、無数の矢が刺さっている。そして、折り重なり動かない幾つもの屍。
 冷たい雨が降っていた。雨が男の身体に降り注ぎ、胸部からの出血を洗い流す。
 男の鼓動が段々と弱まっていく。もうすぐ、自分は死ぬだろう。

 ――下らない。
 ――無能な将に仕え、朽ちていくが我がさだめか……
 ――人間は下らぬ生き物だ。殺し殺され、その繰り返し。

 ――ああ、疲れた。
 次に生まれ変わるなら、俺は獅子になりたい。
 気高い百獣の王。憎しみで相手を殺すことなく、己の縄張りを守るために戦う、そんな、気高い獅子に――

 「お目覚めあれ」

 その声を聞いた瞬間、男の意識が身体から抜け出した。
 肉体から離れた男の魂は、淡い燐光を纏った青の女神の手に収まり、女神がそっと息を吹きかけた。

 すると、異変が起きた。

 男の魂がみるみるうちに変貌していく。
 大柄な体躯に、獣の耳を生やし、赤い髪が鬣のように延びていく。
 顔は人間のそれではなく、鋭い眼光を携えた獅子の顔に変わる。

 青の女神――魂寄せお蛍が驚きのあまり目を開く。
 かつて人間の男であった魂は、いまや赤い鬣を靡かせ獅子の顔を持った、半獣半人の形に変貌した。
 その獅子にも似た男が、自らの姿を確認した後、獣の咆哮を放った。
 その咆哮は、歓喜の叫びのようであった。

―――

 こうして男は天の都に神の一柱として迎え入れられた。
 名は雷王獅子丸と名付けられた。
 大柄な身体に似合わず、男――雷王獅子丸は俊敏に動き、長刀を振るえば、天界の神気さえ斬るかのような鋭い剣裁き。
 実際、天の都は退屈な所であった。永劫に変わらぬ時。大抵のものは望めば手に入るが、それだけである。後に残せるものは何もない。

 獅子丸は、そんな退屈な天の都で、ひたすら剣の稽古に励んだ。

 ここ天界を脅かす者はいないというのに、愚直に剣の腕を磨く獣神を嘲笑う神も中にはいた。
 黄黒天吠丸という虎神が、面白がって勝負を挑んできたが、結果は獅子丸の圧勝であった。
 獅子丸の長刀は吠丸の手甲と鎧を砕き、虎神をあっという間に地にひれ伏させた。その時の戦いの振動で、天界は一瞬揺れたという。

 それ程までに獅子丸の剣の腕は凄く、周りの神々から一目置かれるようになったが、獅子丸は憂鬱であった。
 ――儂が欲しかったのはこんな物ではない。
 退屈だ。折角神になれたというのに。折角念願通り獅子になり、強さを手に入れたというのに。
 誰か儂の渇きを潤してくれ。誰でもいい。儂と互角に張り合える者はいないのか――

―――

 そんな日々を過ごしていたある時、一柱の女神が天の都に参入した。
 獅子丸は、最初その神は少年ではないかと目を疑った。
 武将のような陣羽織に甲冑、鉢巻きに二本の長槍。そして燃える炎のような、秋の山を彩る紅葉のような赤い髪。
 下衣の裾が極端に短く、足を惜しげもなく露わにしているのがまるで童のようであった。

 「そなたに賜る名ですが、何か希望はありますか」
 「ない。強いて言うなら、女人の名はごめんだ。私は武人だ。強い名を授けて貰いたい」

 天つ宮の座のあちこちから押し殺したような笑いがあがった。小柄で声も高く、どう見ても少女にしか見えない女神が、武人、などと。
 赤猫お夏など嘲笑を隠そうともせず、隣の吠丸と共に喉を鳴らし笑った。
 だが、獅子丸は笑わなかった。その女神の真っ直ぐで凛とした佇まいに目を奪われていたからだ。
 永劫の時に退屈している他の神々とは違う瞳の色。ちっぽけな派閥争いに興じる武闘派の神々より、ずっと強い意志を獅子丸はその女神から感じた。

 「……夕子殿、宜しければ儂が名付け親になろう」

 獅子丸の言葉に座がざわついた。壇上の女神も、眉をひそめて様子を窺っている。

 「そなたの髪はまるで儂が昔見た愛宕山の燃え盛るような紅葉の色だ。なので、姓は愛宕屋、名はモミジというのはどうであろう」

 なんのひねりもない名前に、神々は苦笑した。だが女神だけは笑わず、じっと獅子丸を見ている。真意を探るように。

 「……その名で構わない」

 女神がボソッと吐き捨てるように承諾した。以後、赤い髪の女武将は、愛宕屋モミジと名付けられた。

―――

 その女神も、また変わった神の一柱であった。
 二本の長槍を何の苦もなく使いこなす。小柄な少女が自分の手足のように長槍を振る様は、まるで舞踏を見ているようだ。

 「何か用か?」

 愛宕屋モミジが振り返りもせず言う。こっそりとモミジの修行を覗き見ていた獅子丸は、罰が悪そうに頭を掻きながら足を踏み出した。

 「いや、貴殿の槍捌きがあまりに美しかったので、つい見とれてしまったのだ」

 その言葉に、ピクリとモミジの眉があがる。

 「美しい?」
 「ああ」
 「……そんな事を言われたのは、初めてだ」

 モミジの顔がその名の通り赤くなった。少女らしい反応に、獅子丸はかすかに微笑んだ。

 「雷王獅子丸殿、宜しければ私と手合わせ願いたい」
 「儂と?」
 「天界でも一、二を争う剣の使い手と聞いた。良ければその腕前、見せて貰いたい」

 獅子丸は頷き、腰から長刀をすらりと抜き放つ。モミジも二本の長槍を構える。二柱の顔には笑みが浮かんでいた。

 「では!」
 「行くぞ!」

 二柱が地を蹴る。剣と槍で間合いが劣るのを、獅子丸は力で押した。
 だが機動力はモミジの方が上。剣を槍で受け止め、もう一方の槍で獅子丸を狙う。獅子丸はそれを髪一重でかわす。剣を横に振るが、モミジも高く跳躍しかわす。
 一進一退の攻防が続いた。
 力まかせに振るった獅子丸の剣がモミジの槍を吹き飛ばす。手の痺れを感じる前に、剣先がモミジの喉元に突き出された。

 「勝負あり、だな」
 「畜生!」

 心底悔しそうにモミジが顔を歪めた。
 剣を収め、獅子丸は汗を拭う。そういえば、汗をかくなど何時以来であったか。

 「しかし、お主の技量もなかなかのものだった。とてもおなごとは思えん」
 「私を女扱いするな!」

 ぷい、とモミジは獅子丸に背を向け、その場に膝を抱えて座った。その様子が小柄な身体と相まって、益々童のようだ、と獅子丸は思った。

 「一つ、聞いてもよいか」

 獅子丸がモミジの隣に座る。

 「……なんだ」
 「主は何故、おなごなのにそこまで武芸を鍛えるのだ?」

 暫しの沈黙。問われた女神は思案顔になる。

 「……私が弱かったせいで、父と母が死んだ」

 ぼそりと遠くを見ながらモミジは言った。苦い記憶を思い出しながら。

 「私の家は貧しい農家だった。ある日、夜盗が押し入って、父と母を殺し、私を攫おうとした。
 私は必死で抵抗した。だが私は無力な童女。あっけなく殺されたよ。
 その時誓ったんだ。今度生まれ変わるなら、私は強くなりたい。誰からも蹂躙されることのないくらい、誰かを守れるくらい強く。そうしたらいつの間にか此処に来ていたよ。しかし天界はなんとも退屈なところだな。神々は皆平和呆けしている。何かを奪われる事などないという風に」

 ふう、一息吐くと、今度はモミジが獅子丸に問うた。

 「お前は? なぜ剣を振るうのだ?」

 獅子丸は微かに鋭い瞳を伏せ、静かに答えた。

 「儂も同じだ」
 「?」
 「儂もお主と同じく、強くありたいと思った。奪い奪われるのではなく、何かを守るために強くなりたいと。群れを統べる気高い獅子のようにと」
 「……お前、だから獅子の姿で、名も「獅子丸」なのか?」
 「そうだが?」

 ぷ、とモミジは吹き出した。獅子丸は訝しげな顔で隣の女神を見た。

 「何が可笑しいのだ?」
 「くく、いや、そうじゃないんだ。まさかここ天界にお前のような愚直で骨のある奴がいたとはな。私は嬉しいのだよ」

 ははは、とモミジは声を出して笑った。その笑い声は、見た目と同じ年相応の少女の高く澄んだ笑い声であった。

 「儂もだ。志しが同じ者がいてくれて嬉しいぞ。一緒に天と地の民を守ろうではないか」
 「ああ、約束だ。私とお前が組めば無敵だ。共に武術の腕を磨こう」

 す、とモミジは拳を突き出した。獅子丸はそれに応えるように拳を握り、女神のそれにぶつける。

 それから二柱の神は、暇さえあれば武芸の仕合いを行った。
 雷王獅子丸が剣を振るえば雷鳴が轟き、愛宕屋モミジが槍を突くと凄まじい秋の風が吹雪いた。
 そうして互いの腕を磨いているうちに、いつしか二柱は、天界でも名のしれた武神へと成長していった。

―――

 変わらないと思われていた天界にも、ある時異変が起きた。

 地に生まれた神の御子のうちの一人が、朱点童子となって鬼をばらまき、天と地を混乱へと陥れたのだ。
 早速天界では、朱点童子の姉である太照天昼子を筆頭とする討伐隊が結成された。
 雷王獅子丸は、真っ先に名乗りを上げた。愛宕屋モミジもそれに続こうとしたが、獅子丸が止めた。

 「何故止める! 私も一緒に……」
 「いや、お主は此処に残れ」
 「何故!?」

 掴みかからんばかりの勢いのモミジの肩に、獅子丸は手を置いて諌める。

 「儂とお前が朱点に敗れたら天界はどうなる? 夕子様や天界を守るものはいなくなってしまうぞ。我らで天と地を守る約束を忘れたか」

 ぐ、とモミジが言葉に詰まる。その顔が悔しそうに歪められた。

 「……必ず、帰ってこいよ。私とお前の仕合いはまだ決着がついてないんだからな」
 「ああ、約束だ。帰ってきたら、仕合いの続きをしよう」
 「……必ずだぞ」

 雷王獅子丸を含む二十柱が討伐隊として選ばれ、朱点童子を討ち果たすため、魑魅魍魎跋扈する地上へと降り立った。
 愛宕屋モミジは雷王獅子丸の後ろ姿を見て、涙が出そうになったが、血が滲む程拳を握りしめこらえた。

 ――泣かない。涙など、私には似合わない。
 獅子丸、必ず帰ってこい。帰ってきたら、今度こそお前を負かせてやる。
 お前が帰ってくるまで、天界は私が守る。私は約束を果たす。だからお前も約束を守れ。必ず、戻ってこい――

 かつて獅子丸に「愛宕屋モミジ」と名付けられた女神は、二本の槍を握りしめ、心に固く誓った。

 そして時が立ち、朱点童子と共に封じられた雷王獅子丸等が天界に帰ってくる頃には、
 土神・愛宕屋モミジは槍の腕を磨き、天界でも一、二を争う女武神へと成長し、獅子丸と楽しげに武術の稽古をしている様子が、天界では見れたという。

(了)

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二〇一四年神無月六日

天照す陽の女神の深謀【参】終

 その夜、イツ花は眩しさで目を開けた。頬には涙の筋の痕が残っている。

 悲しい夢を見た。昼子様が、自ら死のうとしている夢。
 血を流して落ちていく昼子様に、私はとっさに手を伸ばした。

 『イツ花……私は死ななきゃいけないの』

 悲しそうな瞳でそう叫ぶ昼子様の衣装はぼろぼろで、頭の桔梗の花も散ってしまっている。何時だったか、夢の中でイツ花があげた花。
 傷だらけの昼子様に向かって、イツ花は思わず叫んでいた。

 『駄目ですよ、昼子様。独りで背負い込まないでって言ったじゃないですか』

 イツ花の眼に涙が溢れる。昼子ははっとしたように目を大きくする。

 『昼子様の悲しみも苦しみも、一緒に背負わせてください。だって、私達、「友達」でしょ』

 「友達」――そう。夢の中での昼子との邂逅。そこでイツ花は言ったのだ。「私の友達になってくれますか?」と。
 断られるかと思ったけど、昼子様は承諾してくれた。嬉しかった。イツ花はずっと昼子に不思議な親近感を感じていた。
 尊敬の念とも、恋愛感情とも違う。いうなれば、遠い昔に別れた半身が、長い年月を経てやっと巡り会えたかのような、そんな不思議な感覚。
 いつも険しい顔をしていた昼子様は、その時はまるですがりつくかのようにイツ花の手を握ってきた。

 「私の「友人」になってくれるの? 本当に私を独りにしないでくれるの?」

 その科白は、昼子の孤独な心の叫びであった。そんな孤独を痛い程感じたイツ花は、昼子の手を握り返していた。

 「はい。こんな私で良かったら、昼子様の「友人」になりたい。是非とも宜しくお願いします」

 イツ花が微笑むと、昼子も微笑み返してきた。美しい笑顔。
 やがて昼子の身体から白い光が発せられた。暖かく、強い光。視界が白く染まっていく中、昼子が何か吹っ切れたような笑みを浮かべていたのを、イツ花は知覚した。

 「そうね、私も信じたくなったわ。彼らの未来を」

 美しい笑みを浮かべたまま昼子は言った。

 昼子様――。

 イツ花の身体が段々と光に包まれていく。昼子はずっと、優しい笑みを浮かべたままだった。

―――

 今は夜中のはずなのに、部屋の中が明るい。
 この光は何だろう。イツ花は部屋の障子を開け、縁側に出た。

 「な、何、これ?」

 その光景にイツ花は目を見張った。
 大江山の方角から強烈な光が刺している。朝焼けではない。もっと強く、優しい光。まるで大江山にもう一つ太陽が生まれたようだ。

 「イツ花さん……」

 後ろから声が聞こえた。黄川人だ。黄川人もこの光の眩しさで目が醒めたのだろう。
 そっと、不安げな黄川人の手を握る。
 大江山で何が起こっているのだろう。彼処には昼子様と一族の皆がいるはずだ。この裏京都から脱出するため、一族の呪いを解くために、皆は昼子様と戦っているはず――。
 そこまで考えてイツ花ははっと気がついた。先程の夢の内容。血まみれで、自ら死のうとしていた昼子様の、哀しい笑顔――。

 「昼子様!」

 思わず、イツ花は裸足のまま庭に降り立った。そしてそのまま大江山まで駆けようとした。そんな事無理だと分かっているのに、そうしなければいけないという焦燥感がイツ花を駆り立てた。

 「大丈夫だよ、イツ花さん」

 がしっとイツ花の寝間着の袖を掴みながら黄川人は言った。

 「……黄川人?」
 「姉さんは死なない。生きる事を選んだんだ。他ならぬ彼らの手で助けられてね」

 その声は、いつもの舌っ足らずな黄川人の声ではなかった。高いながらも澄んだ声は、童の声ではなく、少年のそれだと感じられた。
 何故だろう。初めて聞く声なのに、イツ花にはとても懐かしく聞こえた。

 「彼らは壊したんだ。この鏡写しの裏京都を。神をも超える力を手に入れた自分たちが、自らの手で呪いを解いた。くく、これからが大変だよ。彼らは天界からも地上からも追われる身になった。イツ花、君はどうするんだい?」

 いつの間にか、其処に立っていたのは黄川人ではなかった。
 白い四枚の翼を携え、露出の多い神衣を着崩した、朱色の髪に左目の翠の痣。琥珀色の瞳の少年――朱星ノ皇子がイツ花と対峙していた。

 ぱらぱら。何かがイツ花と朱星ノ皇子の頭上から降ってくる。それは裏京都を形成していた空間の欠片。その細かい欠片が大江山の光を浴びてきらきら光っている。まるで光る雪のように。
 
 「……私が、すべき事……」

 光の欠片を受けながらイツ花は呟く。イツ花の脳裏に今までの出来事が走馬灯のように浮かんでいく。
 自分を拾ってくれた父と母。相場屋での奉公の日々。昼子様との出会い。初代から今までの一族の皆との出会いと別れ。
 誰もが皆必死に生き、そして死んでいった。彼らを見守り、天界と一族を繋げるのが私の役目。昼子様直々に頼まれた私の仕事は、呪いが解けた今終わりを告げる。
 なら、私は今後どうすればいいんだろう。
 これからも彼らと共にするか、それとも――。

 「一つ、僕から提案があるんだけど」

 朱星ノ皇子のその言葉に、イツ花は俯いていた顔を上げた。神の顔には相変わらず微笑が張り付いている。何を考えているのか全く読めない顔だ。
 イツ花は黙って、その「提案」を聞いた。そして聞き終わった後、イツ花はそっと髪に挿した桔梗の簪を外した。初代からの贈り物。それをイツ花は胸で愛おしむようにぎゅっと抱き、そして静かに縁側に置いた――。

―――

 此処はどこだろう。真っ暗で何も見えない。自分が息をしているのか、立っているのかさえわからない。

 「―――様」

 声が聞こえる。懐かしい声。何を喋っているの? 誰を呼んでいるの?

 「昼子様」

 昼子――そうだ、それが私の名。神として転生した私に名付けられた名前。
その名を呼んでいるこの声の持ち主を、私は知っている。私の、たった一人の「親友」――。

 「イツ花?」

 声のする方向に昼子は手を伸ばした。その手を暖かく握ってくれたのは、間違いない、私の半身、イツ花だ。
 イツ花は微笑んでいる。いつものように。だが今浮かべている笑みには、ほんの少し悲しみが混じっている。
その髪にいつも挿していた桔梗の簪がないことに昼子は気づく。

 「イツ花……?」
 「昼子様。私の役目は終わりました。
 一族の皆さんは、京を離れるみたいですよ。
 皆さんならきっと大丈夫です。昼子様が蘇らせてくれた初代様を始め、他の皆様もとても強いですから。きっとどんな困難にも立ち向かえます。
 だから昼子様……イツ花は帰るべきところへ帰ることに決めました。それが昼子様を救うたった一つの方法だから」
 「イツ花? 何を言っているの?」

 ふ、とイツ花が笑う。柔らかく小さな手が昼子の頬に触れる。そしてそのままイツ花は昼子を抱きしめた。まるで長い間離れていた恋人のように。

 「昼子様、今まで昼子様がいたからイツ花は頑張れました。昼子様が私の「親友」でいてくれたから、私はどんな悲しいことも乗り越えられました。
ありがとう。昼子様。貴女は私にとって、憧れの人であると同時に、かけがえのない「親友」でした」

 その言葉を最後に、イツ花の姿がぼやけていく。華奢な身体が、光の玉となって消えていく。

 「イツ花!」
 「昼子様にはまだやるべき事が沢山あるはずです。天界も地上も、昼子様なら正しい方向に導けます。だから、どうか、生きてください。イツ花の分まで」

 輪郭がぼやけていく中、イツ花は丸眼鏡を外し、そっと昼子の手に置いた。
 にっこりと微笑んだイツ花の姿が薄まっていく。昼子は懸命に手を伸ばし捕まえようとしたが、その姿は一つの光の玉となった。
 光の玉は昼子の手から、その身体へと吸収された。発光する自らの身体を、昼子は抱きしめ――

―――

 「お目覚めかい?」

 頭上からの朱星ノ皇子の声で目が醒めた。
 右を見ても左を見ても、ふわふわした雲のようなものが広がっている。そして自分は何やら繭のようなものの中にいる。どうやらここは天界のようだ。
 そっと昼子は上体を起こした。
 かしゃん。何かが手から落ちた。拾いあげたそれを見て昼子は驚愕した。
 それはイツ花が愛用していた丸眼鏡であったからだ。

 「反魂の儀。自らの命と引き換えに、彼ら一族を生き返らせるだなんて、相変わらず無謀な計画たてるよね、姉さんは」

 目覚めた昼子の傍らに、朱星ノ皇子が立っていた。複雑な表情を浮かべている。
 混濁する頭を振って昼子は思い出す。そうだ、私は裏朱点閣で、あの一族に「反魂の儀」を用いたはずだ。その代償として私は死ぬはず。なのに何故私は生きている?

 「彼らが止めたのさ。覚えてない? 裏朱点閣で姉さんが死のうとしていたところをあの一族が助けた。そのせいで反魂の儀は途中までで終わってしまって、姉さんは助かったけど、酷く衰弱していた。そこで呼び出したのが、「彼女」さ」

 「彼女」――それが誰なのか昼子はもう悟った。手の中の丸眼鏡を胸に当てる。優しい笑み、朱色の着物、桔梗の簪。私のたった一人の「親友」

 「姉さんの半身である「彼女」に、姉さんが衰弱していてこのままじゃ危ないって伝えたんだ。「彼女」が姉さんと同化する事でもしかしたら救えるかもしれない。そう僕が提案したら、「彼女」は引き受けてくれた。姉さん、貴女を助ける為にね」

 ぽた、ぽた、と眼鏡に涙が降り注ぐ。昼子は泣いていた。自分を救う為に犠牲になってくれた友を思って。

 「イツ花……」

 彼女の最後の言葉が思い出される。

 『昼子様にはまだやるべき事が沢山あるはずです。天界も地上も、昼子様なら正しい方向に導けます。だから、どうか、生きてください。イツ花の分まで』

 ひとしきり泣いた後、昼子は涙を拭って丸眼鏡をかけた。かつてあの子が愛用した眼鏡。

 ――そうね、イツ花。あなたと一族が助けてくれたこの命。無駄にはしない。必ず、地上も天界も救ってみせる。

 『明日という日は明るい日。だから昼子様も明日をばーんとぉ! 信じましょ』

 イツ花の明るい声が脳内で響いた。彼女の、人間が持つ強さを表すかのような言葉。まだ見ぬ明日へ希望を託す、人間だからこそ持てる強さ。

 「ふふ、そうね、ばーんとぉ! いってみましょうか」

 朱星ノ皇子が頷いた。彼の手には桃色の上衣。彼もまた、地上の自らの半身と融合したのだ。
 姉である昼子を助けるためにはイツ花の力だけでは足りなかった。だから地上の黄川人という少年と融合し、本来の力を手に入れた朱星ノ皇子は昼子を救うため、ありったけの力を昼子に注いだのだ。
 人として生きてきた黄川人という少年は幸せだったらしい。神の中の彼の記憶が物語っている。

 「全く……本当に面白いね、彼ら人間はさ」

 地上では、京を出たかの一族がそれぞれ別の地に足を運んでいた。
 ある者は東国に。ある者は北国に、またある者は武者修行の旅に。
 呪いの解けた彼らは、新しい土地で根を張り、子を育て紡いでいくだろう。彼らの歴史を。

 「さ、黄川人! これからあなたにも沢山働いてもらいますからね! 覚悟してね」
 「ええ? 働くって何をさ?」
 「勿論、天界と人間界の平和の為です。今まで散々困らせてくれた分、たーくさん働いてもらうから覚悟なさいね!」

 はあー……と朱星ノ皇子が憂鬱そうに溜め息を吐く。その様子を見て昼子がくすくす笑う。
 昼子の丸眼鏡の向こうの瞳が柔らかく細められていた。その顔には憂いも諦観もない、大輪の花が咲いたような美しい笑顔であった。

―――
 
 その日の太陽はとても強く優しい光を放っていた。
 京からの旅の途中、そのあまりの眩しさに、かつて短命と種絶の呪いを受けた一族の初代の男は、顔を日笠で隠しながらも、目を細め、そして微笑んだ。

 「見てろよ。天界の神々め。生きてやる。人間の強さを見せつけてやる」

 男は足を進めた。一歩、二歩。
 目指す先に道はない。それでも男は、まだ見ぬ未来へ向けて、確かな足取りで歩き続けた。

(了)


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二〇一四年長月三十日

天照す陽の女神の深謀【弐】

 『……ここに、かの一族の魂を集める?』
 『そう。輪廻させてはなりません。時期が来るまで此処で待機させておきなさい』
 『時期、とは?』
 『呪いを受け、僅かな時しか生きられなかった彼らが、再び普通の人間として地に再臨出来る時まで』
 『そんなこと……!』

 出来るはずがない、と魂寄せお蛍は告げた。例え神であれ、一度死んだ者を再び同じ姿形で蘇らせる事はできない。ましてやこれだけの人数を。

 『安心なさい。方法はあります』
 『どんな方法ですか?』

 そう問われ、太照天昼子はそっと俯いた。その顔には、哀しそうな笑みが浮かんでいる。

 『私の魂と引き換えに、彼らを再び地上に蘇らせます』

―――

 昼子の髪に挿した白い桔梗の花が散っていく。白い花弁が鮮血の赤に染まる。

 『え、本物の、ひ、昼子様!?』

 朱点の乱から暫し後、初めてイツ花と出会った時の事を思い出す。
 魂寄せお蛍から、地上で死んだはずの私の身体が生きていると聞いた時、私は彼女に会いたくなった。
 人としての私はどう生きてきたのだろう、どんな人と出会い、どんな物と触れ合って来たのだろう。それが無性に知りたくなり、私は彼女の夢の中に現れた。

 彼女の名前はイツ花。かつて人であった時の私の分身は、常に笑顔を絶やさず、とても幸せそうだ。

 『ばーんと?』
 『はい、ばーんと! です。お母さんが言ってました。明日という日は明るい日。ばーんと構えていれば大抵の事は乗り切れるって。
だから昼子様も、どうかそんな険しい顔をしないで、明日をばーんとぉ! 信じましょ』

 言い終わってイツ花ははっとなって俯く。

 『ご、ごめんなさい。私ってば昼子様になんて事を……』

 赤くなってぼそぼそと言うイツ花を見て、私は思わず笑ってしまった。

 『そう。ばーんと、ね。なら私も、ばーんとぉ! 賭けてみましょうか』

 私の頭の中に、ある案が浮かんだ。この案は一種の賭けだ。しかし、僅かな可能性に賭けてみるのも悪くない。イツ花の言葉を聞いていたら、不思議となんでも出来そうな気がしてきた。

 『イツ花、お願いがあるの。これから片羽ノお輪と人の間に子が生まれるわ。その子には天界と下界の運命がかかっているの。だからイツ花、生まれてくるその子を見守ってあげて。どんな辛苦も乗り越えられるように』

―――

 落ちる。落ちる。昼子の身体が落ちる。
 落ちる先は奈落の底。裏京都と現実世界の境目。時空の狭間。落ちたら最後、神も人も鬼も、全ての魂が消滅してしまう。
 はらはら。桔梗の花が散る。白い花弁。白妙の神衣は鮮血で真っ赤に染まり、無意識に昼子は桔梗の花弁に向かって手を伸ばした。

 『お業の娘なんだってなあ。地に放られた神の子だから、放る子よ』

 独り。

 『あなたを養子にしたのは守るためではありません。吠丸のような干渉派の神を焚きつけるためです』

 独り。

 『生き残ったものには、生き残ったものの義務があります』

 独り。私は独り。
 誰も、私を孤独から救ってはくれない。周りはみんな敵。天界に私の味方はいない。養母である太照天夕子でさえ私の味方ではない。孤独というのがこんなにも辛いだなんて。
 身体中の血が乾く。心が凍っていく。誰か、私を助けて。お父さん、お母さん、黄川人――

 『昼子様! お庭で桔梗の花がこんなに沢山咲きました。綺麗ですね。昼子様もお一ついかがですか?』

 イツ花。人間であった頃の私。私は貴女。貴女は私。なのに何故貴女はそんなに明るく振る舞えるの? 何故そんなに楽しそうなの?

 『なんでも一人で背負いこまないでくださいね。私は昼子様とお友達になりたいんです。悩みを打ち明けられて、互いに支え会える、そんな関係に』
 『……友達?』

 こくん、とイツ花は頷く。イツ花の桔梗の簪が僅かに揺れる。

 『私は話を聞くことしか出来ないけど…それでも、一人よりずっと楽だと思うんです。私なんかで良かったら、昼子様の友達になりたいんです。悲しみも楽しみも、一緒に感じあえる友達に。
……て、流石に図々しいですね。へへ……』

 友達。私の気持ちを分かち合ってくれる友達。イツ花。本当に私と友になってくれるの?私はもう独りで怯えなくてもいいの?私の味方でいてくれるの?

 『なーに言ってるんですかあ! イツ花は昼子様の味方ですよ。最初に会った時から、ずっと昼子様とお友達になれたらなって思ってました。だからもう昼子様は独りじゃないです。私じゃあ頼りないかもしれませんが……』
 『ううん、そんな事ない』

 かぶりをふって、昼子はイツ花から桔梗の花を受け取る。それを髪に挿して、ふ、と笑った。

 『イツ花、貴女はとても強くて優しい……きっと私を含めた天界の神々よりずっと貴女は強い。
私の「友達」になってくれる? 独りぼっちの私を助けてくれる?本当に信じてもいいの?』

 そっとイツ花が昼子の手を握った。その温度はまるでイツ花の心の温かさのようだ。その温かさが、凍りついていた昼子の心を溶かし始める。

 『はい。こんな私で良かったら、昼子様の「友達」になりたい。是非とも宜しくお願いします』

 涙が溢れた。昼子の琥珀色の瞳から。涙の粒は宙に浮かび、昼子の髪の桔梗の花に浸透する。
 すると一輪だけであった桔梗の花は、二輪、三輪と数を増やし、昼子の栗色の髪を美しく彩った。

―――

 裏京都の崩壊は止まらない。亀裂は裏京都全体に広がり、ひび割れた空間の細かい欠片が一族に降りかかる。きらきらと光るそれは、まるで呪いが解けたことを祝福するかのようであった。
 一族の額の呪いの印は既にない。昼子を倒し、裏京都を崩壊させた瞬間、彼らを蝕んできた二つの呪いは解けた。
 しかし、当主である剣士の男は察していた。呪いを解く代価。それが、天界最高神である太照天昼子の魂であるということを――

 「死者の泉」から呼び寄せた先祖の姿が光り始めた。光の発生源は落下していく太照天昼子の身体。
 昼子の胸から無数の光の矢のようなものが発生し、先祖達の魂へと刺さると、それまで幽体であった先祖の身体は、血と肉をもった人間の姿に変わった。

 「こ、これは…!?」
 「なにが起きたの?」

 光の矢は次々と一族の先祖の魂へ刺さり、その姿に再び人としての肉体をもたせる。
 太照天昼子が己の魂を犠牲にして、今まで散っていった一族を蘇らせる、反魂の儀。

 剣士の男は走った。昼子が奈落へ落ちるのを防ぐために。
 一族を利用した女? そんな考えは彼の頭にはなかった。ただ、こんな結末は許さない。認めない、という思いだけが彼の胸中を占めていた。

 「昼子!」
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二〇一四年長月廿三日

天照す陽の女神の深謀【壱】

 『ばーんと?』
 『はい、バーンとぉ! です。お母さんが教えてくれました。明日という日は明るい日、それをバーンと信じていれば、大抵の事はなんとかなるって。
だから昼子様も、明日をバーンとぉ! 信じましょ』

 雪吹きすさぶ大江山。全ての始まりの地。その頂上に位置する裏朱点閣にて、女神は待っていた。

 此処は裏京都。天界最高神の陽の女神、太照天昼子が自らの力で、京の都を鏡写しに造り上げた別世界。
 此処には鬼と、彼女以外生きている者はいない。――呪われた一族を除いて。

 ふう、と昼子は息を吐いた。錦柄の簾と篝火が灯った神々しい気で満ちた空間に、女神の憂鬱そうな、しかしどこか期待しているような吐息の音が響く。
 もう少し、もう少しであの一族は私を倒しにやってくる。呪われた一族。あの子――黄川人に呪いをかけられた、私達姉弟と同じ、神と人との間に生まれた“第三の朱点童子”その末裔が。
 彼らの力は最早神を越えている。長年に渡る神々との交配。その結果は、強すぎる力をもたらした。そしてその力のせいで、彼らは呪いが解けても、もう人にも戻れず、神にも鬼にも成れない。
 そんな彼らを抹殺しようという動きが、天界で極秘に動いていると知った時、昼子は裏京都を造り、地上へ降り立った。全ては昼子の思惑通りに進んでいる。

 そっと、無意識に髪に挿した桔梗の花に触れる。「あの子」がくれた花。庭で沢山咲いていたと言って私にくれた「あの子」の笑顔は、この花に負けず劣らず綺麗だったっけ。

 す、と昼子は立ち上がる。衣擦れの音が空間に響く。此処裏朱点閣に誰かが近づいている。間違いない。例の一族だ。

 昼子は笑みを浮かべていた。

 この間、私に一太刀も浴びせることなく敗走していったというのに、懲りずにもう一度挑もうと向かっている。
 どんなに踏まれても、どんな絶望が襲ってきても、彼らは決して諦めない。限りある生を生きる人間にしか、まだ見ぬ「次」へ託し、希望を繋ぐことは出来ない。それは天界の神々には決して持つことの出来ぬ力。時にその力は天地の運命すら変える。

 彼らなら、必ず私を倒せる。私を倒し、この裏京都という鏡を破り、外の世界に羽ばたくだろう。
その時、彼らの呪いは解ける。黄川人がかけた“短命の呪い”と、昼子が一族の神の血を絶やさぬよう、苦渋の決断でかけた“種絶の呪い”。
 彼らを利用すると決めたのは私。ならば呪いをかけ、全ての元凶となった私を倒すのは必然。

 さあ、私を倒しなさい。私を倒し、この閉ざされた世界から抜け出しなさい。
 そうすれば、呪いは解け、そして私は――

―――

 裏朱点閣での戦いは、佳境を迎えようとしていた。

 昼子が神楽鈴を鳴らす。しかしその衝撃波が一族に与える損傷は少ない。彼らは前回の戦いより更に成長している。攻撃も、術の威力も、この間よりずっと強い。

 「嬉しいですよ。想像していたよりずっとお強い!」

 そう、私は嬉しいのだ。こんな短期間でまた成長した一族と闘うのが。
永遠の時を生きられる神々とは違う強さ。幾つもの血を繋げ、その強さは止まる事を知らない。僅か二年程で死んでしまうかの一族だから持てる強さ。繋げていった血の先に開花した強さ。その強さはもう最高神の私すら超えようとしている。

 ――でも、気づいているのかしら。強すぎる力は時に危険だって。その力を消し去りたい神々がいるって事、あなた達は気づいている?
 そんな事、私がさせない。彼らを天界に殺させはしない!

 拳法家の男が「金剛変」を繰り出し、踊り屋の女が「水の舞い」で皆の体力を回復する。大筒士と弓使いが構え、槍使いは「無敵陣」を張る。壊し屋の「大地震」が裏朱点閣全体を震わし、剣士の男と薙刀士の女が息のあった攻撃を食らわす。

 天界最高神である私を倒すために、一族総出とは。知らず昼子の口角が上がる。

 剣士の男の継承刀を見る。初代から今まで受け継がれてきた刀。彼ら一族の歴史とも言えるその刀が、「源太両断殺」を繰り出した。
 初代の父である源太が創作した奥義。その奥義をもろに食らい、昼子はよろめく。
 その隙に、大筒士と弓使いが攻撃を仕掛ける。無数の矢と砲弾の雨に晒され、昼子の力がどんどん弱まっていく。

 ――そうね、あと少しだけ粘ってみましょうか。

 「最後はバーンとぉ! いってみよ!」

―――

 昼子が「太照天」を唱え、「七天爆」を繰り出す。巨大な炎の玉が一族を襲う。
 大江山の雪すら全て溶かしかねない灼熱地獄の中、立っているのは昼子だけであった。

「……所詮は人。やはり神を超える事はできないでしょうか」

 爆煙の中、昼子が落胆の独り言を漏らす。
 煙が晴れていく。其処に現れた光景に、昼子は目を見張った。

 一族達を、儚げな無数の蛍火のような玉が守っていた。この世界を構成する四大元素の、赤、青、緑、黄の四色で構成された玉の群れが。

 赤い玉の一つが光ると、其処には小柄な短髪の拳法家の少年が現れた。
 青い玉が光ると、今度は青い長髪を結った踊り屋の少女が現れた。
 黄の玉からは、筋肉隆々の壊し屋の青年が。緑の玉からは、剣士の男が。
 無数の光の玉は、次々と人の形を顕現する。

 それは今まで亡くなっていった一族の姿であった。

 昼子が魂寄せお蛍に命じ、「死者の泉」にて管理していた、初代から今まで、二つの呪いを受け、必死に、懸命に生きて、そして死んでいった全ての一族の魂。
 当主である剣士の男の、左手の薬指の指輪が光っていた。血のように赤いその指輪は、初代から今までの当主に受け継がれてきた「当主の指輪」だ。

 「……そう、黄川人の仕業ね」

 誰が「死者の泉」と「当主の指輪」を繋げたか。その答えはすぐに出た。
 こんな真似が出来るのは、天界最高神である自分と匹敵する力の持ち主。かつて朱点童子と呼ばれ、今は天界にて神に転生した、血の繋がった私の弟。

 昼子の耳に、黄川人――朱星ノ皇子の笑い声が聞こえた気がした。

 「死者の泉」から呼び寄せた先祖達が、満身創痍の一族の身体を癒やし、力を与えていく。
 無数の光はやがて当主の継承刀に収縮していく。剣士の男の傍らに、源太と片羽ノお輪の子供――短命と種絶の呪いを最初に受けた、初代当主が立っていた。

 剣士の男が継承刀を構える。自分を確実に倒すために、今まで散っていった先祖の力を刀に集める。継承刀にかつてないほどの力が蓄えられ、昼子の光輝に勝るとも劣らないほどの光が放たれる。

 その姿を昼子は微笑みながら見ていた。それはとても安らかな笑み。
 そして静かに、昼子は神楽鈴を下げ、ゆっくり瞑目した。

―――

 剣士の男は、「源太両断殺」を放ち、そして異変に気がついた。
 太照天昼子から、一切の殺気が消えている。昼子は目を瞑り、武器である神楽鈴を下げ、嬉しそうな笑みを口元に浮かべてさえいる。

 何が嬉しい? 何故攻撃してこない? 何故防御の構えをとらない?
 あの笑顔、まるで喜んでいるかのようじゃないか。まるで苦悩から解き放たれて、安らかに眠る前のような――

 そこまで考え、男ははっとした。しかしもう遅い。「両断殺」は昼子の身体を裂き、そして大江山を基点とし、裏京都を造りだしている巨大な空間に、ピシッと亀裂を走らせた。
 亀裂は裏朱点閣から裏京都全体に広がっていき、やがてなにかが割れたかのように大きな破裂音が響いたかと思うと、裏京都に昇っていた偽物の太陽は消え、本物の太陽の光が降り注ぎ、裏京都を写し出していた鏡の破片を、まるで金剛石のようにきらきらと光らせた。
 そして裂けた空間の隙間へ、胸から鮮血を噴き出させた昼子が落ちていく。
 その先は奈落のような真っ暗な闇が口を開けている。
 神も、人も、鬼も、飲み込んだら最後、その魂さえ消滅させてしまう次元の狭間。
 昼子は口から血を流しながら、男を見つめた。その眼は、全てを諦観した瞳。こうなる事を望んでいた、とその瞳は語っていた。

 「いけない! 昼子は、俺たちに自らを殺させるつもりだったんだ!」

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二〇一四年長月十八日

輪る縁の源は【弐】終

 祝言は、世話になった茶屋でひっそりと行われた。
 参列者は茶屋の老主人だけであったが、老主人は台の物を弾んでくれ、ほんの僅かだが祝儀までくれた。源太は、主人の心遣いに感謝した。

 その後、お輪は源太の屋敷へ一緒に住むようになった。
 先代、つまり源太の父が他界し、母も源太が幼い時に亡くなり、古い屋敷には源太と、使用人の老婆が一人いるだけであった。
 源太の乳母でもある老婆は、お輪を連れた源太を見て感激のあまり泣き崩れたという。

 「ご、ごめんなさい。あたし、何か悪いことでも……」

 泣きじゃくる老婆を見ておろおろするお輪に、源太は笑って肩を叩いた。

 「こやつはな、嬉しくて泣いているんだよ」
 「嬉しくて?」
 「そうだ。お前が俺の妻になってくれて、それが嬉しくて涙がでてるのさ」

 お輪は少し首を傾げ、そして老婆に向かって深々とお辞儀する。

 「今日からお世話になります。不束者ですがご指導宜しくお願いします」

 微笑みながらお輪は老婆にそう言った。
 その笑みは美しく、源太は、お輪を妻に出来た自分は果報者だ、と改めてお輪への思いを強く噛み締めた。

―――

 それからお輪は、老婆に家事を習うようになった。
 あぶなかしい手つきで炊事、掃除、洗濯と行うお輪を見て、やはりこの者は武家の娘か高貴な家の生まれかと源太は思った。
 源太はお輪の過去を聞き出したりしなかった。色街にいたということは、余程の事情があるのだろう。
 しかし、源太にはお輪の顔にどこか既視感を覚えていた。どこだろう、あの美しい顔、昔どこかで見たような……

 「どうしたの、あなた」

 その声に、思案中だった源太ははっとした。お輪が膳を持って源太の顔を覗きこんでいる。

 「い、いや、何でもない。……上手そうな匂いだな」
 「ふふ、今日は煮魚に挑戦してみたの。はい、どうぞ」

 源太の前に膳が置かれる。膳の上には濃い色の味噌汁と、水が多くべちょべちょな強飯、そして身が崩れている煮魚と付け合わせの漬物が置かれていた。

 「……ごめんよ。まだ料理が下手で…」

 頬を赤く染めながらお輪は恥ずかしそうに言った。その姿がいつもの気の強いお輪とは違い、何だか可愛らしく見え、源太はふ、と微笑んだ。

 「大丈夫だ。俺は何でも食うからな。うん、とても美味いぞ」
 
 柔らかすぎるご飯を頬張り、身の崩れた煮魚を口にして味噌汁をすする。源太は本当に美味しそうに食べていて、その豪快な食べっぷりにお輪は胸をなで下ろし、笑みを浮かべた。

―――
 
 その日、久々に大江山京の夢を見た。

 捨丸に捕らえられた天女。首に朱い首輪がはまっており、右の翼が千切れ、体中切り傷や痣だらけで、血やどろりとした液体がついている。恐らく捨丸達に暴行を受けたのだろう。外側も、内側も。
 その痛々しい姿を見ていたくなく、源太はつい、と目を逸らした。
 天女の視線を感じる。憎しみの視線だ。今にも此方に掴みかからんとする獣のそれと似ている。

 『……子供達は無事なの?』

 天女の問いに、捨丸達は下卑た笑いをあげる。

 『ああ、あのガキ共かあ? あいつ等なら崖から落っこちておっちんじまったよ』

 げらげら、げらげらと笑う捨丸達に、天女は掴みかかろうとする。が、朱い首輪についている鎖を引っ張られ、地にひれ伏させられてしまう。

 『……殺してやる』

 天女が酷く低い声で囁く。ぞっとするような憤怒の色を滲ませたその声が源太の耳朶に届く。

 『私の夫と子供を殺したお前たちを許さない。必ず、必ずこの手で殺してやる!』

 肉を打つ音。天女が殴られる。ぼろぼろの着衣を引き裂かれ男達に乱暴に組み敷かれても、その目は激しい怒りの炎を宿していた。
 その炎が源太を襲う。激しい業火に身を焼かれる。熱い! 痛い!

 景色が変わる。そこは燃え盛る大江山京。源太自ら火を付けた家屋の中で、悲鳴が聞こえる。
 悲鳴は源太の叫びと重なり、いつしか源太の四肢に、燃えながらもがく人々がくっつき、源太の肉を食いちぎる。

 やめろ、やめろ、やめてくれ――!

―――

 はっ、と源太は目を覚ました。見知った天井が見える。
 周りは燃え盛る大江山京ではなく、月明かりに照らされた自分の寝室であった。

 呼吸が荒い。汗が体中から吹き出て、髪や寝間着が顔や身体に張り付いている。枕元にあった水差しの水を器に入れ飲み干す。まだ動悸が収まらない。
 ふと隣の蒲団を見る。其処に寝ているはずのお輪の姿はなかった。

 (厠にでも行っているのかな)

 源太は蒲団から這い出し、庭に続く障子を開けた。

 そこには、庭の桜の木の下で、袴にたすき掛け、右手には薙刀をもったお輪が、じっと夜空の月を凝視している姿があった。
 月明かりに照らされたその姿は、まるで月から来たかぐや姫を思わせた。
 お輪は月を睨んでいる。まるで其処に仇敵がいるかのように。

 「お輪?」

 源太のその問いかけに、お輪ははっとなってこちらを向いた。黒い髪が揺れ、その瞳に僅かに怒りの色が滲んでいたのを源太は見逃さなかった。

 『必ずこの手で殺してやる!』

 先程夢で見た天女の言葉が思い出された。夫と子供を殺され、激しい憎しみと殺意を滲ませた、黒い、眼――。

 「あらやだ、起こしちゃったかい?」
 「どうしたんだ、こんな夜中に」
 「……薙刀の稽古だよ。最近ずっと身体を動かしてなかったからね、腕が鈍っちまって」

 言いながら、ぶん、とお輪は薙刀を振るう。
 不意に、その身体を抱きしめたくなった。先程の悪夢の残滓が身体に残っていて心細かったせいかもしれない。

 「……お輪」

 草履を引っ掛け庭に出て、お輪の華奢な肩を抱こうとする。しかし――

 「!」

 ひゅん、と空気を裂く音がして、薙刀の刃先が源太に突きつけられる。あと一寸近ければ喉を切られていただろう。

 「お、お輪!?」

 その言葉に、はっと我に返ったお輪は、そっと薙刀を下ろした。

 「ご、ごめんよ。鍛錬の最中で気が立ってたんだ。ちょっと汗を拭いてくる」

 くるり、と踵を返しお輪が庭から去っていく。その後ろ姿を、宙に浮いたままの右手を握りしめ、源太は呆然と見ているしかできなかった。

―――

 それから何度も同じ夢を見た。
 ぼろぼろの天女。黒い髪はもつれ、身体中に暴力の痕を残しながら、源太に向かって言うのだ。

 『殺してやる』と。

 天女が源太に飛びかかる。華奢な手で源太の太い首を絞める。呼吸が出来なくなり、視界が狭まる。
 狭まっていく視界の中、天女が涙を流しながら何度も叫ぶ。

 『返して! 返してよ! 私の子供を返してよお!』

 天女の涙が源太の顔にぽたぽたと落ちる。意志の強そうな黒い瞳。その瞳が涙で歪む。源太の視界は酸欠で白く染まり――

―――

 息苦しさと身体にのしかかる重さで源太は覚醒した。
 身体の上には、天女、いや、お輪が乗っかっており、お輪は涙を流しながら源太の首を絞めていた。
 黒い髪が顔に降りかかり、大粒の涙が源太の頬を濡らす。

 「……返して」

 天女が、お輪が、血を吐くように呟く。黒い瞳は憎悪で濁り、ぎり、と首を絞める手の力を強くする。

 「あたしの妹を、甥を、姪を、返して、返してよ!」

 ぎりぎり、ぎりぎり。手の力が強くなる。薄れゆく意識の中、源太は悟った。

 ――ああ、お輪、お前は最初からそのつもりだったんだな。

 「……やれよ」

 ぴくり、お輪の肩が揺れる。首を絞める力が弱まる。源太は真っ直ぐにお輪の瞳を見つめながら言う。

 「いつかは裁きを受けなければならないと思ってたんだ。この罪にまみれた身体、お前に殺されるのが相応しい」

 源太が微笑みながら言う。お輪の黒い瞳が見開かれた。初めて会った時から惹かれた、凛とした黒い、眼。
 不思議とだまされたという怒りは沸いてこなかった。それは、きっと本気でお輪を愛していたから。本気で愛した女に断罪されるなら本望だ、と源太は笑った。

 「……うっ、く…」

 首を絞める手が震え、やがてお輪は源太の上でそのままひれ伏した。童女のように嗚咽混じりに泣きじゃくる お輪を、源太は髪を手でとかしながら優しく抱いた。お輪が泣き止むまでずっと。

 「莫迦、莫迦だよ、あんた……」

 お輪は源太に抱きしめられながら呟いた。
 復讐に捕らわれた女と、過去に捕らわれていた男は、日が昇るまで、互いの心の隙間を埋めるべく、ずっと抱き合っていた。

―――

 それから一月後。
 お輪が身ごもった。

 懐妊を告げると、源太は破顔した。

 「お輪、よくやった! こんなに嬉しい事はないぞ!」
 「……嬉しいの?」
 「当たり前だろ? 子が出来て嬉しくない奴などおるか」

 ふ、とお輪が俯いた。一瞬悲しそうな色を瞳に滲ませ、すぐに源太を見つめる。

 「あたしはあんたを殺そうとした女だよ。それでも?」
 「勿論だ。俺は、お前との子が欲しいんだ。愛する女房との子がな」

 その言葉と笑みを受けてお輪は微笑んだ。

 底抜けに明るく、莫迦がつくほどの正直者。最初は確かに殺そうと思っていた。だけど、この人間になら、波乱に満ちるであろう我が子の未来を託せる。
 自らを殺そうとした相手すら許せてしまう、このお人好しの人間との子なら、天と地の未来すら変えれる。そんな確信がお輪の中で生まれた。

 「俺とお前の子だ。どんな苦難さえも乗り越える強い子に育つよ」
 「そうね」

 命が芽生え始めたお輪の下腹に愛おしいように源太は触れる。その手にお輪の華奢な手が重なる。二人分の温かさがまだ見ぬお腹の子にまで伝わる。

 後に朱点童子に二つの呪いをかけられた二人の子供の子孫が、無事に悲願達成を果たしたかどうか、それはまだ見ぬ遠い未来の話―――

(了)
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二〇一四年長月九日

輪る縁の源は【壱】

 「旦那、もう朝だよ」

 女の声で源太は目覚めた。一糸纏わぬ巨躯は、寝汗でぐっしょり濡れている。

 「うなされてましたよ。また例の夢ですか」

 赤い襦袢姿の女は、茶の入った器を源太に渡す。それを喉を鳴らしながら飲み干す。ふう、と源太が吐息をつく。顔には酷く疲れの色が伺える。

 「……世話になった」

 着替えを始める源太を女が手伝う。ほつれた鬢を整え、身体中の汗を拭く。筋肉のついた鍛え上げられた武士の身体だ。

 「此処に来ている間だけでも、大江山の事件を忘れて欲しいんだけどねえ……」
 「…………」

 源太は女の呟きには答えず、羽織りを肩にかける。昨夜飲んだ酒がまだ残っていて頭が重かった。

 「またきてくれなきゃ嫌ですよ」

 見世の前まで見送りに来た女に軽く手を振ると、源太は腰の刀に手を添えてそのまま朝の色街を歩いていった。

―――

 源太が帝の命で、大江山に京を作っている大逆の輩を討ちに行ってからもう何年が経っただろうか。

 その命は自らを帝と僭称する男と天女、そして二人の御子を捕らえてくること。そして大江山京に住まう信者を一人残らず処刑してくることであった。

 思い出しただけでも吐き気がこみあげてくる。
 何故自分がこんな命を受けたのか。御所の中のどの派閥にも属していなく、剣を振るうしか能のない自分が外れ籤を引いたのは明白で、数名の部下と、捨丸という素性のしれない雇われの野盗あがりの輩と共に大江山に登った。
 捨丸が偽の帝一族を捕らえる役目で、源太等は大江山京の住人達を処刑する任を受けた。
 大江山京の住人は皆いかにも農民といった朴訥とした者が多く、女、子供も多かった。それらを殺さなくてはならない。血を吐くような思いで部下に命じ、一人残らず殺した。女、子供まで。
 そしてその後で家屋に火をつけた。何も残すな。それが帝の命だったから。
 だが、源太の身体には、燃え盛る火の色と、逃げ惑う者の悲鳴、肉を焼く匂い、そして人を斬った感触が、未だ残っていた。
 大江山京討伐の功績を称えられ、捨丸は貴族の養子に、源太は俸禄と位が上がったが、毎夜悪夢を見るようになった。
 辺り一面血の海。そこから血塗れの亡霊達が源太の四肢を掴んで問いかけるのだ。

 ――なぜ? どうして? 痛いよ。お父さん、お母さん、私の子はどこ――?

 ぐら、と歩いていた源太の身体が揺れ、地に膝をついてしまう。顔には脂汗が滲んで呼吸が荒い。
 どんなに酒で誤魔化しても、どれだけ女を抱こうと、あの亡霊達からは逃れられない。
 じっとしていれば耳にあのときの悲鳴や断末魔が聞こえてきそうで、源太は頭を抑えながら立ち上がろうとする。しかし目眩がして上手く立てない。視界がぐらつき吐き気を催してきた。
 俺は、ただ帝の命に従っただけだ。武士は将に従うが美徳。
 なのに何故俺はこんなに罪悪感を感じている? 相手は大逆の輩。罪人を斬るのは当たり前なのに、何故俺の手はこんなにも震えている? 何故斬った者の怯えた瞳が目に焼き付いて離れない?
 苦しい。呼吸が出来ない。誰か、俺を、救ってくれ。俺を悪夢から救い出してくれ――

 「ちょっと、どうしたのあんた?」

 頭上から、柔らかい女の声が聞こえてきた。源太が顔を上げると、
 其処には、色街には相応しくない、小袖の襟をきっちりしめ、黒い髪を後ろで束ねた化粧気のない気の強そうな女が、源太を心配そうに見下ろしていた。

―――

 その女はお輪と名乗った。
 色街の片隅の小さな茶屋の二階にお輪は暮らしていた。
 僅か六畳程の小さな部屋は、調度品はなく、人の住んでいる気配など殆どない。唯一あった一組の蒲団に源太は寝かされて、お輪は団扇を扇いで風を送ってくれていた。

 ――この女も遊び女か? それにしては雰囲気や佇まいが凛としている。まるで武家の女のようだ。色街にいるということは、没落した武家の娘がこの茶屋にて客を取っているのだろうか。

 ぼんやりとそんな事を考えていると、不意に顔を覗かれた。お輪の黒い髪が源太の顔をくすぐり、固く黒い石のような瞳が源太を捕らえる。

 「ああ、大分顔色が良くなったね」

 ふわり、とお輪の気の強そうな顔が緩んだ。それは随分柔らかい笑みだった。

 「かたじけない」

 そう言って半身を起こそうとする源太をお輪が止める。

 「まだ顔色が青いよ。もう少し寝てた方がいいんじゃない?」

 肩に手を添えられ源太は蒲団に押される。華奢な手の割りに随分力は強く、お輪の身体が源太の上にのしかかる形になった。
 源太の瞳とお輪の瞳が重なる。お輪の吐息が顔にかかる。
 美しい。源太が息を飲む。間近でみたお輪の顔はまるで天女のように神々しく、美しかった。

 「……ごめんよ」

 お輪が身を離そうとする。が、源太はお輪の手を握ったまま離さない。

 「もう少しだけ、側にいて貰ってもよいか?」

 そんな科白を吐いたのは源太にとって初めてだった。馴染みの遊び女にも決して弱みをみせず常に肩肘張って生きてきた男の、初めての甘えの言葉であった。

 「そなたがいると、悪夢を見ずに済むような気がするんだ。……嫌だったか?」
 「……ううん」

 お輪は、源太の手を払いのけず、そのまま両手で包んだ。
 すると安心したのか源太は目を閉じ、そして穏やかな顔で寝息をたてはじめた。

―――

 それからというものの、源太は足繁くお輪の茶屋に通い詰めた。
 今日の土産は薙刀だ。この間簪を持っていったら、
 「いらないよ。そんなもんよりあたしは刀が欲しいね」
 などと言ったので、蔵の中からとっておきの薙刀を磨いて持ってきたのだ。花や簪より武器が欲しいとは変わっている。
 変わっているといえば、お輪の住む茶屋の老主人に聞いても、お輪の素性は分からなかった。
 一月前 、色街をふらふらしているお輪を主人が見つけ、その美貌に惚れ込んだ主人が宿代わりとしてお輪を二階の部屋に泊めてやった。それから一月もの間、お輪は遊び女のように客もとらず、家に帰ろうともせず、ただじっと何かを待っているかのように、ぼんやりと窓から京の街を覗く事が多かったという。

 「あんたが来てからお輪は変わったよ。前は日がな一日中ぼーっとしている事が多かったのに、今じゃ茶屋を手伝ってくれる。おかげで客が増えてねえ」

 にこにこ顔の老主人は、そっと源太に耳打ちする。

 「あんた、お輪と夫婦になったらどうだい?」

 口に含んでいた茶が気管支にはいり、源太は盛大にむせた。

 「な、何を言うんだ!」
 「本当は旦那、お輪に惚れてるんだろ?  いいじゃないか。お輪もあんたの事満更でもないようだよ」
 「あたしがなんだって?」

 店の暖簾をくぐり抜け買い出しから帰ってきたお輪の姿を見た老主人は、「じゃ、ごゆっくり」と言ってそそくさと奥にいってしまった。残された源太は先程の言葉を思い出し、頬を赤く染めた。

 「あ、あー……これなんだが……」
 「わあ! ほんとに持ってきてくれたんだね」

 布でくるまれた薙刀を渡すと、お輪は大輪の花のように微笑んだ。まるで花でも貰った市井の娘のようなその喜びように、源太はいつものお輪の凛々しさとは違う、無邪気な一面を見せられてどぎまぎしてしまった。

 「よ、喜んで貰えたようで何よりだ」

 ごほん、と赤くなった顔を誤魔化すように咳払いをした。そんな源太を見てお輪はくすり、と笑った。

 「ね、これから薙刀の稽古つけてよ」
 「な……!  お前、本当に薙刀を振るうつもりだったのか?」
 「?  当たり前じゃない。こっちに来てずっと退屈してたんだ。それにあたしの力が人間よりどれくらい強いのか試したくてね」
 「……人間?」
 「あ、いや、何でもない。さ、裏で稽古しよ!」

―――

 それからしばらく裏庭で源太はお輪に薙刀を教えていたのだが、お輪は筋が良かった。
 少し基礎を教えただけで薙刀の腕はめきめき上達し、今もこうして源太と木刀で打ち合っている。

 「は! 」

 お輪の練習用の薙刀が源太の木刀とぶつかりあう。お輪の力は女にしては強い。並みの侍ならとうにやられているだろう。

 「やるな!」
 「そっちこそ」

 ふん、と源太が力をいれて押し返すと、お輪の身体がよろめく。あ、と小さく呟いたあと、お輪は地面に尻餅をつく。

 「す、すまない。大丈夫か?」

 源太が腰をかがめてお輪の手を掴み立たせようとする。が、お輪の手が逆に源太の手を引っ張り、そのまま源太はお輪の上にのしかかる形になる。初めてあった時とは逆の体勢で。
 お輪の瞳が緩んだかと思うと、次の瞬間源太の後頭部を掴み、お輪は源太に口づけていた。

 「…………!」

 柔らかい唇が触れ、甘い毒が源太の身体中に満ちる。
 毒にやられた源太が、驚いたように目を見開く。下に組み敷かれたお輪はふ、と妖艶に微笑んでみせた。

 「嫌だった?」
 「い、いや、嫌なんて事は……! し、しかし、こういうのはあまりおなごの方からするものでは……」

 じ、とお輪の黒い瞳が源太を捕らえる。不思議な目だ。初めてあった時も思った。男を捕らえて放さない、捕まったら最後、髪の毛一本残さず喰われてしまうような、甘く、蠱惑的な瞳――。

 (ああ、それでも)

 源太はお輪に口づけた。舌を絡め取り、吸い、深く、深く口づけた。

 「お輪」

 小さく息を吐き出し、源太が真剣な声でお輪の名を呼ぶ。その声を受けて、お輪の瞳が揺れる。

 「俺と、夫婦になってほしい」

 極自然に出た言葉だった。

 思えば、初めて会った時から惹かれてたのだ。美しい容貌だけでなく、しなやかな身体も、意志の強そうな瞳も、すべてが欲しかった。
 お輪が発する甘い毒。その毒にやられて罪を重ねたこの身体を喰われてしまうなら本望だ。

 「本気で言っているのかい?」
 「無論」

 じっとお輪は源太を見つめる。まるで怒っているように、強く。
 そんなお輪の視線を源太は真っ直ぐに受けた。本気だということを分かってもらう為に。

 「そうね、あんたなら相応しいね」
 「……?」

 お輪はそう言うと、暫し顔を俯ける。そして顔を上げると、そのまま源太に抱きついた。

 「私を、妻にしてくれるのかい?」
 「も、勿論だ。さっきからそう言っているだろう」

 抱きつかれ、耳まで真っ赤になった源太がどもりながら言う。その言葉に背中に這わせたお輪の指が強く着物を掴む。まるで獲物を逃がさないように。

 「嬉しい……」

 源太がお輪の華奢な背を抱く。烏の濡れ羽のようなお輪の黒い髪に顔をうずめた。
 色街の隅の茶屋の裏で、一組の男女が、この日、夫婦の誓いを立てた。

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二〇一四年葉月廿日

蛍の灯籠

 その青い少女を初めて見たのは、少年の腕に赤黒い斑点が浮き出て来た頃だった。

 京の外れの裏通りに立つ貧乏長家。そこが少年の家だった。

 障子が所々破れ、隙間風が吹く寒い狭い部屋にひかれた蒲団の上に少年は寝ていた。
 幼少の頃から病弱で、他の子供のように外で遊ぶこともなかなか出来なく、いつも蒲団に横たわり、外の喧騒を聞きながら薬を飲んで過ごす、それが少年の一日だった。

 少年が十になった年、父が出て行った。酒のみだった父は、女と一緒に逃げていった。いつまでも病気の治らない少年の薬代を稼ぐのに疲れたのだろう。
 代わりに母が働きに出るようになって、少年は一人になることが多くなった。

 (寂しい……な)

 日々痩せ細っていく腕を見ながら少年がごちる。
 独りきりには慣れているはずなのに、寂しさは何時までもたっても慣れない。熱にうなされても、呼吸が苦しくても、僕の手をとってくれる人はいない。
 僕の顔が醜く爛れてきたから? 僕の腕に斑点が出てきたから?だからお父さんは出て行って、お母さんはなかなか戻らなくなったの?
 嫌だ。独りは嫌だ。誰か、僕を置いていかないで、僕の腕を握ってくれ――

 ふわり、と手のひらに感触があった。頼りない、だが細く柔らかいしっかりとした誰かの手――

 少年が見上げると、其処には、淡い青の髪、青の瞳、薄い青の着物を着た儚げな少女が蒲団の傍らに座っていた。

 「君は……誰?」

 少女はそっと微笑んでみせた。ふわふわ、ふわふわ。少女の周りには小さい光の玉が幾つも浮かんでいた。あれは、蛍だろうか。
 この少女が何時の間に家に入ってきたのか、そんな事はどうでもいい、独りじゃない。僕の醜い手を握ってくれている。それだけで少年の身体は軽くなり、寂しさが薄れていくのを感じた。
 青い少女は、少年が寝付くまでずっとその手を握っていた。

―――

 その日から、青い少女は度々少年の前に現れるようになった。
 現れるのは決まって少年が独りの時。少女が傍にいると、不思議な事に、少年の身体からは熱が引いていき、呼吸も楽になった。
 少年は、その少女とよく話をした。殆ど少年が一方的に喋っているだけだったが、少女は微笑みながら、ずっと少年の話に耳を傾けていた。
 今の事は話さず、まだ自分が元気だった頃、父と母と共に行った祭り、そこで見た異相の一族、京の朱雀大路の外れの屋敷に住む鬼切りの一族の話をよくした。
 なんでもその一族は、朱点童子に呪いをかけられ、誰も二年と生きられず、子も残せないらしい。
それ故神と交わり、人ならざる力を得て鬼を次々と斬っているという。

 「羨ましいな……僕もこんな身体じゃなかったら、お侍さんになって、強くなって、鬼を斬ってやるのに」
 「…………」

 その言葉に、青の少女は哀しそうに俯いた。しまった、何か悪いこと言ったかな。

 「そ、そうだ。君に渡したいものがあるんだ」

 そう言って少年は上体を起こし、懐紙に包んである何かを渡す。少女は瞳を大きくし、懐紙を開いて「……これは?」と尋ねる。

 「この間かかさまが摘んできてくれた花なんだ。ホタルブクロて花らしいんだ。可愛い花だろ? 僕より君の方が似合うと思って」

 少女は、ホタルブクロをじっと見ていたが、やがてその花を胸に抱いた。するとやや萎れていた花は、淡い光に包まれ、やがて元の瑞々しい姿に戻った。

 「ああ、とても似合うよ」

 赤黒く腫れた顔で少年が笑う。少女はそんな少年を気味悪がることもなく、嬉しそうに目を細め微笑んで見せた。

―――

 その日、少年の身体はとても調子が良かった。
 腕を見てみると赤黒い斑点は消え去り、楽に身体を起こす事が出来た。
 蒲団から出て井戸で水を汲み、顔を写す。其処に写っていたのは醜く腫れ上がった顔ではなく、健康的な肌色の、かつての自分の顔であった。
 この姿をあの子に早く見せたい。だけど今日はまだ姿を見せていない。どうしたのだろう。
 そうだ、久しぶりに外に行ってみよう。身体が軽いし、今ならどこへだって行けそうな気がする。

 昔、父と母と一緒に祭りに行った時に着た浴衣を着て、身繕いをして草履をひっかけ、少年は街に出た。

―――

 京の街は大分復興が進んできたようだ。店や家が増え、人も多い。
 綺麗な女の人も沢山いるが、あの子には叶わないな、と思い少年は耳を紅くした。

 朱雀大路を外れ、立派な屋敷の領地に足を踏み入れてしまっていた。何時の間に門をくぐってしまったのだろう。
 屋敷の住人に見つからないように早く出て行かなくては。少年が踵を返そうとしたとき、何処からか泣き声が聞こえてきた。
 そっと足音を忍ばせ、屋敷の中に入り、泣き声のする部屋を覗く。
 立派な蒲団に、顔に白い布を被せられた人が寝ている。その周りを家人らしき数人が囲んで泣いている。
 その中に一人、淡い光を放ちながら故人の枕元に立つ少女がいた。

 「そんなところでどうしたの?」

 少年がそう発しても少女はおろか、他の人間にはその声は聞こえないらしい。
 少女の手には蛍火に似た光が一つ。左手には前に少年が贈ったホタルブクロの花があった。

 少女の青い瞳と少年の視線が合った。少女はそっと哀しそうに微笑みながら、少年に近づき手を取る。

 「あ、あの……?」
 「一緒に見ますか?」

 少女がそう言うと、辺りが淡い光で包まれ、何時の間にか少年と少女は薄暗い川へ来ていた。
 川には幾つもの灯籠が流されている。川の周りには無数の蛍。この世のものとは思えない幽玄さを少年は感じた。

 少女が先ほどの光の玉にそっと息を吹きかける。するとその光は消え、川に流れる灯籠の一つに変わった。

 「この川は、死者の泉へ流れていきます」
 「死者の泉?」

 こく、と少女が頷く。少女の周りの蛍火が一層輝く。
 
 「死者の魂を集め、最後の想いを聞き、天に導くのが私の役目。そしてあの一族は、とある方の命で「死者の泉」という別世界へ連れて行きます」

 ああ、と少年は悟った。元からこの少女は人ならざるものだったのだ。不思議と驚きはなかった。死者の魂を集めるのがこの少女の役目なら、死期の迫った自分の所に現れてもおかしくはない。
 だけどこの少女を怖いと思わなかったのは何故か。きっとそれは独りきりだった自分にずっと付き添ってくれていたからか。

 「僕、死んじゃったんだね」
 「…………」
 「分かってたんだ。何時かはこんな日が来るって。だから別に怖くはないけど、一つだけ、かかさまの事が気がかりだな。
 かかさま……僕の薬代を稼ぐために沢山働いてくれていたから。できるなら最後にかかさまに会いたい……」

 少女は頷いた。そして再び少年の手を握ると、光が二人を包み、今度は少年の古い長家へとたどり着いた。

 長家の中では、壮年の女が、変わり果てた息子の亡骸にすがりついて泣きじゃくっている。

 『かかさま、聞こえますか?
 今までありがとう。僕の為に身を粉にして働いてくれてありがとう。
 もう僕は苦しくないです。もう寂しくないです。僕はもう死んじゃったけど、あの世からかかさまを見守っているから、だから哀しまないで。
 今まで、育ててくれて、本当に、ありがとう』

 息子の声が聞こえた気がして、女は涙でぐしょぐしょの顔を上げる。しかし其処には誰もいなく、線香の香りに混じって、微かに生きていた頃の息子の匂いが女の鼻孔をくすぐり、女はまた涙を流した。
 しかし、その涙はもう哀しいだけの涙ではなかった。

―――

 「さあ、行きましょう」

 少年の手を握る。少年の顔が微かに紅くなったのを少女は見逃さなかった。

 「これから、僕、あの世に行くんだよね」
 「そうですね」
 「もし生まれ変わったら、今度こそ丈夫な身体に生まれたいな。そして君みたいな素敵な女の人をお嫁さんをもらうんだ」

 今度は少女の顔が紅くなる番だった。顔を見られないよう俯き、そっとホタルブクロを握りしめる。

 「これ、ありがとう。嬉しかったです」

 少女の言葉に、少年はへへ、と鼻の下を擦りながら照れる。そんな少年を見て、青い少女はくすりと笑い、一人と一柱を無数の蛍火が包み込む。

 少年の魂と共に天に昇っていく魂寄せお蛍の手に握られたホタルブクロが、蛍火に照らされて、儚い命を表すかのように、淡く、光った。

(了)

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二〇一四年葉月九日

朱星の輝る時【拾伍】終

 『当主様が亡くなってから、早いものでもう一月が経ちました。
 流れ星と共に帰ってきたあの日の事は今でも忘れません。
 当主様が屋敷に降り立った時、顔色は酷く悪かったし、黒かった髪には白いものが混じっていて、一体天界で何があったのか、イツ花や皆さんが心配して尋ねても、当主様は何も答えてくれませんでした。
 でも当主様は何か吹っ切れたような顔で、イツ花や皆に笑ってくれました。

 その笑顔が最後でした。
 その日、当主様は亡くなりました。

 亡くなる前、当主様は指輪を現当主様に渡しながら言いました。

 「これが私達の呪いを解く武器。太照天昼子を倒すための力を貸してくれるわ。今まで亡くなった一族の力……お願い……これで……今度こそ呪いを解いて…………」

 それを言い終わると、当主様は息を引き取りました。
 その時の当主様の顔はとても穏やかで、きっと朱星ノ皇子から昼子様を倒すために、指輪に力を付けて貰ったんだと私は思いました。
 先日、指輪を受け継いだ現当主様が、皆さんを率いて大江山に向かいました。昼子様を倒すために。呪いを解いて元の世界に戻るために。

 昼子様……大江山で独りぼっちで、どんな気持ちなんだろ? 寂しくないのかな? 辛くないのかな?
 私も昼子様に会いたい。もう一度昼子様の優しい笑顔が見たい。
 あんな所に独りだなんて、そんなの辛すぎるよ。できるなら、今すぐにでも皆様と一緒に大江山に行きたいのだけれど……』

 「いたっ!」

 手記を書いていたイツ花の筆が止まった。
同じ部屋で書物を読んでいたはずの黄川人が、いつの間にか裁縫箱を取り出し、勝手に繕い物を始めていたのだ。

 「ああ、何しているの黄川人……大丈夫?」

 黄川人は針を指に刺してしまい、血の出た指をくわえながら涙目になっている。イツ花はその指にそっと布を巻いてやった。

 「なんで繕い物なんか始めたの?」

 叱るような口調で問われた黄川人は、視線を泳がせながら、「……これ」と言いながらある布をイツ花に見せた。

 それは、数日前からイツ花が縫い始めた一族用の鉢巻きだ。一針一針皆の安全を祈りながら縫っている鉢巻き。

 「イツ花さんが忙しそうだから……僕が縫おうと思って」

 確かにここのところ、一族の者がはやり病にかかったり、武器を特注したり、買い物の量が増えたりと屋敷が騒がしく、イツ花の勤めも倍増し、鉢巻きを縫うのは中断していた。

 「ありがとう黄川人。…でも針仕事はまだ危ないから私がやるね」

 裁縫道具をしまうイツ花を黄川人はじっと見ていたが、やがて一つのものを差し出した。埃と泥で汚れ、色あせたそれは、弓使いが着用する帽子だった。

 「これ、なあに?」

 黄川人の問いにイツ花は顔を少し赤らめ、茶を口に運ぶ。
 それは先日亡くなった弓使いの女当主の遺品である。
 女の遺言で、自分の武器や防具は埋葬せずそのまま残しておくことになったのだ。女の愛用の弓や装飾品等は一族の皆が形見分けをしたが、この帽子はイツ花が貰った。
 朱色のその帽子は女の黒い髪に映えていて、出陣の準備を手伝う度に、その色合いに当てられてどぎまぎしていたな、とイツ花は思い出した。

 「それはね、前の当主様の帽子だよ」
 「まえの?」
 「ほら、綺麗な黒い髪の凛々しい女の人よ。此処に来たとき会ったでしょ?」

 黄川人が此処に奉公に来たのなら、真っ先に当主様に会っているはずだ。まだ数ヶ月前の事なのに覚えていなかったのだろうか?黄川人はまだ小さいし、屋敷には人が多いから、顔と名前を完全に一致させられなかったのかもしれない。
 そういえば、結局黄川人は何故屋敷に来たのだろう。此処に来る前は何処にいたのだろう。それをイツ花に最後まで教える事なく、当主は亡くなってしまった。

 「ああ、「お母さん」のことだね!」

 イツ花は口に含んでいた茶を吹き出しそうになった。

 「お、お母さん?」
 「うん、僕が此処に来たとき、「お母さんになってあげる」て言われたんだ。だから、あの人は僕の「お母さん」だよ!」

 「お母さん」――確かにあの当主様なら言いそうな事だ。皆を見守っていた当主様。いつも皆を叱咤激励していた強い人。その反面とても繊細で、毎夜のように隣の当主の部屋からイツ花は寝言を聞いていた。
 それはとても苦しそうで、毎夜何回も何回も呻いていたのだ。

 『ごめんね』と。『守れなくてごめんね』と。

 「うん、そうだね。「お母さん」だったね」

 きっと、あの当主様は黄川人に、亡くなった息子様を重ねていたのだろう。
 黄川人が此処に来た日から、当主様のうめき声がぴたりと止んだ。息子様が亡くなってからずっと厳しい顔をしていた当主様が、柔らかい笑みを再び見せるようになったのもあの日からだ。

 親のいない黄川人は当主様に救われ、当主様もまた黄川人に救われていたのだろう。

 息子様も、黄川人も、一族の皆も、そしてイツ花もあの人の子供だった。血の繋がりはなくとも、イツ花達を思ってくれていたのを感じていたからだ。
 あの人は、鬼切り一族の当主でもあり、また皆の「お母さん」だった。

 「この帽子、どうして「お母さん」と一緒にいないの?」
 「え? それは……」
 「「お母さん」のなんでしょ? なら「お母さん」と一緒のお墓に入れてあげなくちゃ」

 黄川人が帽子を持ちながらすがるような視線をイツ花に向けてくる。
 イツ花は暫し思案した後、「そうね」と頷いた。

 「そうだね……これはきっと、当主様と一緒にいたいよね」

 遺言に背く事になるけど、やはりこれは自分には相応しくない。まだ日は落ちていない。今からでも鳥辺野に行って、同じお墓に入れてあげよう。息子様の隣に作られた当主様のお墓。
 今頃、お二人はあの世で一緒に明星を見ているだろうか。その時の当主様の顔はきっと童女のようなのだろう。屋敷の縁側で夜空を見上げていたときのように。

 「じゃあ、行こうか、黄川人」

 イツ花が黄川人の手を握る。黄川人もイツ花の手を握り返す。

 気のせいか、その時の力が妙に強くて、イツ花が驚いて振り向くと、
 一瞬、黄川人の背が大きくなったように感じ、その背に四枚の羽が生え、その姿が光り輝いているようにイツ花の瞳には写った。

 「イツ花さん?」

 疑問の声に、はっと正気に戻ると、手を繋いでいたのは羽の生えた少年ではなく、朱色の髪の左目に翠の痣がある童であった。

 「な、なんでもない、さ、行こう!」

 イツ花は当主の帽子を小脇に抱えて、廊下を歩き出す。

 その時のイツ花の後ろ姿が、薄桃色の単衣の少女ではなく、

 白妙の見事な装束に、薄く光り輝く羽衣を纏った、栗色の髪に白い桔梗の花を差した美しい女性に、黄川人の琥珀色の瞳に一瞬写ったのだった――

(了)


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二〇一四年葉月七日

朱星の輝る時【拾肆】

 うっすらと目を開けた女の視界に飛び込んできたのは、琥珀色の瞳、朱色の髪。
 露出の高い神衣に身を包んだ朱星ノ皇子が、額の呪いの印に手を翳していた。

 「……な、にを……して…」
 「黙ってて、もうすぐ終わるから」

 言いながら朱星ノ皇子は呪を唱え続ける。その度に女の額から力が身体中に渡り、熱も引き、呼吸も楽になってきた。

 「これでよし、と」

 朱星ノ皇子が額から手を退ける。女は恐る恐る上体を起こしてみる。
 あんなに重たく、身体中痛みに襲われていたのが嘘のようだ。混濁していた意識ははっきりし、身体は軽い。

 「……助けてくれたの」

 朱星ノ皇子はそっぽを向きながら「まあ、これが条件だからね」と言い放つ。
 条件、がなんの事かわからないが、それよりも酷く喉が乾いた。枕元の水差しをとろうとして、手が震えてしまい水差しの水を溢してしまった。

 「ったく、何やってんのさ」

 呆れ顔の朱星ノ皇子が、水の入った器を女の口に持ってくる。その行為に女は一瞬躊躇ったが、神の手を借りて水を一気に飲んだ。
 乾ききった身体に、水が浸透していくのがわかる。
 ふう、と息を吐き、「ありがとう」とお礼をいう。しかしその声はしわがれていて、まるで老婆のようであった。

 「君が天界に来てから、もう一月以上が経過している」

 怪訝な表情を向ける女に、朱星ノ皇子は淡々と告げる。

 「このまま下界に戻っても、着いた途端君はすぐ死ぬだろう。だが天界にこのまま居させる訳にもいかない。強すぎる天界の神気が毒となり、やがて君の魂を消滅させてしまう」

 女は黙っていた。艶のなくなった黒い髪先を弄りながら、何かを考えているようだ。

 「そこで、僕からの提案なんだけど!」

 わざとらしく明るい声で朱星ノ皇子は手を叩き発した。女が眉を潜めて神の方を向く。

 「このまま、神の一柱として天界に住むつもりはないかい?」

 ぴくり、と女の片眉が上がる。女は真意を確かめるため神をじっと見ている。

 「それは、氏神ということ?」
 「いや、それとはまた違うね。僕の養父の氷ノ皇子と太照天のおばさんが、君の能力と功績を称えて、是非神へと転生させたいんだとさ」

 無論、女は、長年の神との交配で凄まじい力になっている。その力を半分程封じて、天界に新たな神として転生させ迎え入れる、というのが太照天夕子と氷ノ皇子の出した案であった。

 「お断りするわ」

 ぴしゃっと放たれた女の言葉に、朱星ノ皇子の顔から笑みがなくなる。

 「君さ、裏京都に行くと決めた時もそうだった。
 よく考えもしないでいきなり決めて……考えてご覧よ。今君が下界に帰っても直ぐに死ぬ。だけど神として転生すれば、死ぬことはなく永遠に生きられる、呪いによる痛みも苦しみからも解放される。どちらが君にとって最適か――」
 「永遠に生きる? そんなの死んでいるのと同じじゃない」

 女の黒い瞳と朱星ノ皇子の琥珀色の瞳が交錯する。あの、夢で初めて会ったときのように。

 「たとえ僅かしか時間が残っていなくとも、私は人間として家族と共に過ごしたいの。彼処には、私の帰りを待っている皆がいる。一族の皆、イツ花、それに……黄川人が」

 その名前が出た時、朱星ノ皇子は眉を寄せた。かつての自分の名。今はこの女が拾ってきた魂の残り滓である童。

 「望めば何不自由なく過ごせる天の都への誘いを蹴って、不自由な肉の身体に縛り付けられる事を選ぶのかい?
 しかも、君たちはいずれ殺される運命だ。前にも言ったよね? 君たちの力は強すぎるって。
 それを危険視した天界と下界から討伐がくだるよ。もう君たちには天界にも下界にも居場所なんてない。
 でも今なら、君一人なら神として転生させてあげられる。僕が天界に居場所を作ってあげられる。それでもこの話を蹴るのかい?」

 す、と女が蒲団から立ち上がり、縁側へ向かおうとした。身体がぐらり、と揺れたので、朱星ノ皇子は仕方なく肩を貸してやる。
 縁側に座った女の顔は、月の光に照らされ、皺が目立ち、頬骨が出て、潤いのない唇に黒い髪が、朱星ノ皇子の目に飛び込んできた。

 「あ、明星がある」

 しわがれた声で、女は無邪気に空を指差した。つられて彼も空を見る。其処には、夜空で一際強く輝いている一つの星があった。

 「きっと、何処へ行こうと、明星は見れるわ」

 女が胸で手を合わせて言う。まるで祈るように。

 「京にいられないのなら……そうね、どこか好きな所で、根を張って生きようか。
 たとえ天界と下界から追われる身になったとしても、私達は何処でだって生きてけるわ。
 居場所なら、作ればいい。何もない所から一から作り出せばいい。かつて初代や皆がそうしてきたように。大丈夫、私達人間はね、結構しぶとくて強いのよ」

 くすくす嬉しそうに笑う女は、まるで童女のようだった。先程の言葉が強がりでも口から出任せでもないのは、女の黒曜石のような瞳を見れば分かった。

 「そうか、それが君の決意なんだね」

 す、と朱星ノ皇子が女の左手に自身の手を重ねる。女の身体が微かに強張る。
 そして神が呪を唱えると、薬指の紅い当主の指輪が光り始めた。そしてそれがやがて白銀に光る。

 「姉さんが管理している「死者の泉」の力を君の指輪に同調させたよ。
 今まで死んでいった君の一族の力を、これで使う事ができる。ただし、めちゃくちゃ体力を使うから、死ぬ確率も高くなるけどね」
 「これが、太照天昼子を倒す方法?」
 「ま、他に思い付かないしね。礼だよ。退屈な天界で、母さん達と会わせてくれたお節介へのさ」

 そこまで言ったとき、暖簾が動く気配がした。女と朱星ノ皇子がそちらを向く。
 其処には、片羽ノお業がおどおどしながら立っていた。

 「もう、いいの?」

 女は背筋を伸ばし、一礼した。

 「ご心配おかけしました。私はもう大丈夫です」

 お業が安堵の吐息をつくと、隣の朱星ノ皇子に視線を向ける。朱星ノ皇子はその視線を受けてどこか居心地が悪そうだ。

 「そうだ、氷ノ皇子やお紺殿達にも挨拶してきます。それじゃあね、「黄川人」!」

 病み上がりとは思えない快活な足取りで、女はお業の宮を出ていった。

 「…………」
 「…………」

 残された二柱は、どちらからともなく縁側に腰掛けた。お業が夜空を見上げる。

 「あの一番明るい星はなんていうのかしら」

 お業が夜空を指差しながら隣の息子に尋ねる。

 「……あれは、明星ていうらしいよ」

 ぼそっと呟くように言った言葉に、お業は嬉しそうに目を細めた。

 「貴方の名前と一緒ね」
 「……別にこれは僕の養父がつけた名前だ。あの星には関係ないよ」
 「そうかもね……でも、私は好きよ、その名前」

 お業が朱星ノ皇子の手に自らの細い手を重ねる。肩を震わせたのは一瞬で、朱星ノ皇子は、重なった手から生まれる熱を心地よく感じ、お業の手を払いのける事はしなかった。

 かつて離ればなれになった母と子を、明星が静かに見守っていた。

―――

 天橋立から覗く京の屋敷では、一族の皆が、自分が戻らなくて不安と混乱に陥っていた。
 イツ花は皆に問い詰められ、泣きそうな顔をしている。黄川人は不思議そうに姉であるイツ花の着物の裾を掴む。

 「心配かけてごめんね。もうすぐ帰るから」

 女が橋の下の皆に話しかけるように囁く。
 身体二つ開けた所に氷ノ皇子が立っていた。いずれ女の一族の敵になるかもしれない、席次第二位の男神。

 「気は済んだか? では付いてこい。儂の力で下界に送ってやろう」
 「待ってください、もう少しだけ……」

 女は左手の薬指の指輪に触れると、そこから発光する弓が現れた。その様子に氷ノ皇子は目を丸くする。

 「何をする気だ」
 「ちょっとした悪戯です」

 茶目っ気たっぷりに片目を瞑り、女は橋の下へ狙いを定めた。弦をひくと、白い光の矢が現れた。修羅の塔を氷ノ皇子と壊した時と、阿修羅を貫通させた時と同じ、闇を、怨嗟を、全ての憎しみを切り裂く光の矢。

 矢を放つと、それは無数の光の矢に変わり、下界へと流れ星として落ちた。

 御所の帝も、陰陽寮の阿倍晴明も、京の住人も、そして屋敷の一族の皆とイツ花と黄川人も、輝きながら降ってくる沢山の流れ星を見た。

 葉月のその日、京の住人は貴族も武士も農民も町人も、大人から子供まで、誰もが空を見上げていたという――

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二〇一四年葉月六日

朱星の輝る時【拾参】

 『黄川人へ。
 ずっと会いにいけなくてごめんなさい。文を書くのが遅くなってごめんなさい。
 この間、鬼切り一族の娘が私の宮にやって来ました。
 そこで彼女に叱られました。今できることをやらないと後悔すると。いつまた大事なものを無くすか分からないと。
 私はずっと怯えていました。貴方が私を許してくれていないのではないかと。拒絶されたらどうしようかと。
 そう考えると怖くて、ずっと貴方に会いに行けなかった。結果、貴方をずっと独りぼっちにさせてしまった。
 ごめんなさい。こんなお母さんでごめんね。でも、私は貴方とイツ花を産んだこと、一度だって後悔してないわ。
 今でも思い出せる、貴方が生まれてきた時の事、陣痛、産声、この手に抱いた時の小さな身体の重み、柔らかさ、あの人とイツ花の笑顔。
 ずっと家族で一緒にいたかった、もっと沢山の楽しい事を教えてあげたかった。なのに、守ってあげられなくてごめんね。ずっと独りぼっちにさせてごめんね。
 いくら恨まれても仕方ない事だと思っている。だから哀しみも怒りも全部私が受け止めてあげる。だって私は貴方のお母さんだから。
 どんな姿になっても、どんな悪事を働いても、私は決して貴方を見捨てたりしないから。
 もう独りじゃないよ。皇子もお紺もお輪も真名姫も、それにお姉さんの昼子もいる。哀しい時はすがり付いておいで、苦しいときは助けてあげる。
 私は、ずっと、イツ花と黄川人を愛している。それだけが言いたくて筆をとりました。
 今は天界にいないけど、昼子が戻ってきたら、ずっと一緒に暮らしましょう。大丈夫、いつかきっと、願いは叶うから』

 「………………」

 牢の中で、朱星ノ皇子は差し出されたお業の文を読んでいた。
 光一筋さえ届かない、幾重にも結界の張られた洞天の牢獄の中、手枷足枷をされ拘束を施された神に差し出された文は、文字が淡く光り、文を開いた瞬間、ふわりと柔らかく甘い春の風が漂った。
 彼の母、片羽ノお業の神気の籠った風である。

 あの騒動からどれくらい経ったのか、朱星ノ皇子には分からない。

 あの後、気がついたら自分を複数の神が取り囲んでいた。
 養父である氷ノ皇子、敦賀ノ真名姫、九尾吊りお紺、叔母のお輪が心配そうに顔を覗き、そして、母である片羽ノお業が自分を膝枕していた。
 肉の宮は消えて無くなり、砂漠には青草がしげり、花が辺り一面に咲いていた。そして薄靄がかかっていた空には、白く輝く月と、隣に明星が輝いていた。

 その後、天つ宮での談合の結果、今回の事件の責任をとらされ、朱星ノ皇子は拘束され、呪を使えなくされ、神威を抑える何重もの結界の張られた牢獄に幽閉されることになった。
 だから、彼には時間の経過が分からなかったし、彼に会いにくる神もいなかった。面会が規制されているのかもしれない。
 ただ、あの一族の女が持っていた、お業の文が差し出されただけ。

 (そういえば、あの女、一度も顔を見せてないな)

 朱星ノ皇子が胸でひとりごちる。
 目が覚めた時も、あの女は何処にもいなかった。その後も会っていない。もう下界に帰ったのだろうか。

 『私に太照天昼子の倒し方を、呪いの解き方を教えて』

 真っ直ぐな黒い瞳でそう言ってきた女の言葉を思い出す。ただそれだけの為に、自分と「交神」するという名目で天界へ昇ってきた女だ。そんな簡単に帰るとは思えないが――

 結界をくぐり抜け、牢に入ってくる気配を感じた。
 朱星ノ皇子は首を回し、侵入者の顔を見る。

 「ほう、思ったより元気そうだな」

 冷気を纏いながら現れたのは、氷ノ皇子。何故か笑みを浮かべている。

 「……別に元気じゃない。こんな所に閉じ込められて全然楽しくないね」
 「その割りには、顔が緩んでおるぞ」

 はっとして、朱星ノ皇子は枷のついた手で顔に触れ、そしてわざとしかめっ面を作ってみせた。その様子に皇子は笑う。

 「お前に頼みがある」

 ぴく、と朱星ノ皇子の肩が動いた。疑問の視線を氷ノ皇子に向ける。

 「あの一族の娘な、酷く衰弱しておる。老齢の上、お前を救う為にありったけの力を込めて矢を放ったのだ。未だ昏睡状態で、お業達が看病している。
 もうあの者が天界に来て一月が経った。強すぎる神気は人の身には毒だ。これ以上此処にいると、あの娘は身を蝕まれ、やがて魂ごと消滅してしまう」

 そこまで言って、皇子は言葉を切り、咳払いをした。

 「交換条件だ。特赦を出す代わりに、あの娘を助けて見せろ。今度はお前があの娘を助ける番だ。お前ほどの力があればやれるな?」

 朱星ノ皇子の回答を待たずして、氷ノ皇子は彼の枷を外した。
 驚きに目を丸くする神に、皇子はただ微笑んでいただけだった。

―――

 お業とお輪の小さな宮にて、女は蒲団に寝かせられていた。

 女の意識は未だ戻らなく、黒い瞳は閉じられていて、顔には苦悶の色が伺える。
 お業とお輪が治癒呪を施しても一時的な気休めにしかならない。
 女の身を蝕む「短命の呪い」は、お業とお輪には解けない。いや、今天界にいるどの神にも解けないだろう。裏京都に降り立った、最高神ただ一柱を除いて。

 「昼子……」

 もう一人の我が子の名前を呼びながら、お業は唇を噛み締める。
 女の黒い髪が蒲団に広がっている。髪の艶はなくなっている。
 ふと、お業は思い出した。まだ下界の大江山京にて過ごしていた時、イツ花が風邪で熱を出して蒲団に横になった事を。あの時も、苦しそうな我が子に必死で看病したっけ。
 イツ花と違うのは、この娘は風邪ではなく、呪いと寿命によって苦しんでいるということだ。

 「お輪……私どうすればいいの?」

 女の額の手拭いを変えているお輪に尋ねる。お輪は手拭いを水に浸しながら、哀しそうに黙っている。
 沈黙を破るかのように、部屋の暖簾をくぐり、入ってきた者がいた。

 「お業、お輪、看病ご苦労。あとはこの者に任せるがよい」

 突如入ってきた氷ノ皇子の後ろに、手を縄で縛られた朱星ノ皇子の姿を見かけ、お業とお輪は驚きを露にした。

 「な、なんで、黄川人が……?」

 確か彼は先の事件の責を負って牢に幽閉されていたはず。なのに何故此処に?

 「この者を回復できるのはこやつ以外天界にはおるまい。牢から出す特赦の条件が、この者の意識を戻すこと。太照天夕子と儂の決定だ」

 朱星ノ皇子の手の縄を氷ノ皇子がほどく。手が自由になった神は蒲団で寝ている女の傍らに座る。すぐ隣には片羽ノお業。お業はまじまじと彼の顔を見る。

 「皆、席を外して」

 朱星ノ皇子が澄んだ声を発する。それを聞いて氷ノ皇子とお輪が部屋を出ていこうとする。お業は蒲団の傍らの神の顔を見ながらまだ躊躇っている。

 「母さん、ここは僕に任せて」

 呼び掛けられて、お業は目を丸くした。母さん――確かに今、この子はそう言った。私に向かって言ったの? 「母さん」て。

 「ここは僕一人で大丈夫。だから部屋から出ていって」

 朱星ノ皇子がお業の顔をしっかりと見ていう。お業が知っている彼とは違う、強い琥珀色の瞳――
 その瞳の色に当てられ、お業は立ち上がり、部屋から出ていこうとした。

 「母さん」

 もう一度、朱星ノ皇子がお業をそう呼ぶ。暖簾を上げていたお業の身体が止まり、顔をかの神の方に向ける。

 「……ありがとう」
 
 お業は目を見開き、思わず口を覆いその場に立ち尽くした。
 お業の手を、お輪が笑顔で引く。氷ノ皇子がその様子を微笑みながら見ていた。
 朱星ノ皇子は赤くなった顔を背けたまま、お業達が部屋から出ていくのを待った。

―――

 駆ける、駆ける、朱色の髪をたなびかせ、息子が原っぱを走る。

 「待ってよ」

 そう女が言っても、息子は止まらない。やがて女は息子の手を握った。
 やっと捕まえた――そう思った瞬間、息子の身体が砂となって崩れる。後に残ったのは何もない。
 夕暮れの紅い光が女の落胆の顔を照らす。盛り上げられた土、幾つもの卒塔婆。紅と白の彼岸花。

 ここは鳥辺野だ。初代から息子まで、数えきれない程の一族の骸が埋葬されている。
 ある者は、鬼を斬るのを躊躇った。ある者は兄弟同士殺し合いを演じた。またある者は、市井の人間に恋をして、駆け落ちを試み、結局呪いで死んだ。
 皆の生きていた証。短命と種絶の呪いを受けながらも懸命に生きようとした者達の思いが此処に満ちている。

 ――ごめんなさい。
 呪いを受け継がせてしまってごめんなさい。
 皆の思いを踏みにじるように裏京都へ勝手に来てしまいごめんなさい。

 朱星ノ皇子から太照天昼子の倒し方はとうとう教われなかった。

 もうすぐこの身は朽ち果て、皆と一緒に此処に埋葬されるだろう。呪いを解くことなく。
 次に呪いを受け継がせてしまってごめんなさい。
 何が「天才」だ、何が「女傑」だ。息子一人守れなかった私は、母でもない、ただの弱い女だ。

 す、と地に手をつけている女に影が落ちる。女がゆっくりと顔を上げる。

 其処には、朱色の髪、幼い顔立ち、丸い顔の単衣を着た女の息子が立っていた。

 その童は、ゆっくり微笑み、手を女に差し出す。
 無意識に女はその手を握る。柔らかな小さな手。「雷獅子」を受け黒焦げになっていた腕。童はただ黙って女の手を引いた。

 「ねえ、何処に行くの?」

 童は答えない。いつの間にか日は落ちて、空には丸い月と無数の星が瞬いている。近くには川が流れていて、其処には多くの灯篭が流されている。此処に埋葬された死者の魂を弔う儀式。

 「ねえ、この間、かかさまの事を「許す」て言ってくれたよね。それは、今でも変わらない? 本当に、生き残ってしまったかかさまを憎んでない?」

 無数の灯籠が宙に浮かび、女と息子を照らしていた。死者の魂の光。その柔らかな光が二人を包みこむ。
 童が女の方を振り返った。そしてそのまま女の胸に飛び込んできた。

 「かかさま……僕は、貴女の息子に生まれて本当に良かったです。だからもう苦しまないで下さい。貴女は僕の自慢の母なのだから」

 その声に呼応するかのように、周りの灯籠が暗い鳥辺野を照らす。今まで死んでいった一族の魂が、ゆっくりと天に昇っていく。
 光を受けて、目の前の息子の背丈が大きくなる。手足が伸び、鼻筋が通り、童の柔らかさから少年のしなやかな身体へと変貌した。

 「かかさま……貴女はまだ此方に来てはいけない」

 天に昇る灯籠の明かりを受けて、少年は低い声をだす。いつの間に声変わりをしたのだろう。

 「ほら、後ろで呼んでますよ」

 女が後ろを振り向く。淡い光の渦が女のすぐ後ろで発生している。微かに声が聞こえる。修羅の塔にて母を求め叫んでいた少年の声。
 女が光の渦へ一歩、二歩と近づく。そしてちらっと後ろの息子の顔を見る。

 「かかさま、どうか苦しまないで。僕は貴女の事をこれっぽっちも恨んでないのです。確かに、もっとずっといたかった。かかさまと沢山色んな事をしてみたかった。
 でも、もう大丈夫。此処には皆がいるから、僕はもう寂しくないです。大丈夫です。呪いはきっと解けます。かかさまなら出来ます」

 そこまで言って、朱色の少年は俯き、そして真っ直ぐに女の黒い瞳を見据え言った。

 「これだけは言わせて下さい。僕を生んでくれてありがとう。
 短い間だったけど、貴女の息子になれて良かった。貴女は僕の、自慢の母です」

 光の渦に巻き込まれ、息子の姿が見えなくなる。
 息子にもっと触れていたい、もっと傍にいたい。そう思って手を上げると、今度は逆の手を光の源流へと引っ張られる。
 細い腕、朱色の髪、琥珀色の瞳、力強い手。
 ああ、そうだった。
 私には、もう一人「息子」がいたんだった。


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二〇一四年葉月二日

朱星の輝る時【拾弐】

 人垣を分け、息子の後を追う。沢山人がいるが、息子はまるで人がいないかのようにすいすい走っていく。

 「待って!」

 女の声も届かないかのように、朱色の童は遠くへ行ってしまう。

 『絶対に前には出ないで、後ろから私達の補助をすること。大丈夫、かかさまが守ってあげるから』

 脳裏に、修羅の塔での決戦の時の様子が頭に浮かんだ。そうだ、私はあの子を守るって言ったのに、結局守れなかった。消し炭になったあの子の身体、遺言すら聞けなかった、戦い以外の楽しいことも教えてあげられなかった。ねえ、こんなかかさまを恨んでいる? 呪いを解けなかったかかさまを憎んでいる? 今は、それが聞きたい。

 やがて、女は縁日を離れ、明かりの届かない野原に来ていた。
 祭り囃子が遠くで聞こえる。原っぱの真ん中に、朱色の髪の狐面をつけた童が膝を抱えて座っている。

 「やっと、見つけた。さあ帰ろう」

 童の肩に手を乗せようとする。しかし、その手は思いっきり弾かれた。

 「なんだよ、なんなんだよあんた……」

 女の眉が上がる。目の前の狐面の童の声は、女の息子のそれと少し違ったからだ。

 「僕を捨てていったくせに、僕を迎えにきてもくれなかったくせに、なんで今更祭りなんだよ。そんな事して僕への罪滅ぼしのつもりかい?
 僕は許さない! 僕をこんな目に合わせた奴らと、僕を産んだ母さんを許さない!」

 ぶわっと、激しい風が草原の草花を揺らす。女の黒髪がたなびく。女は、酷く傷ついた顔をしていた。

 「助けられなかった、かかさまを怨んでるの?」
 「ああそうさ! あんたが人間に恋さえしなければ! あんたが神でなければ! あんたが僕と姉さんをきちんと守ってくれれば! 僕はこんな目にあわなくてすんだのに!」

 言葉のおかしさよりも、狐面の奥の琥珀色の瞳が緩んだことの方が女には印象的だった。
 「息子」が私を恨んでいる。そして目の前の「息子」が泣き出しそうになりながら叫んでいる。心の奥底から血を吐くように叫んでいる。

 「母さん……何故、僕を産んだんだ?」

 その言葉に女は息子を初めて抱いた感触を思い出す。

 屋敷に来たとき、息子はまだ小さかった。あどけない顔でキョロキョロして、目が合った瞬間、愛しさが込み上げてきた。私の子供、いとおしい、死なせてしまった、私の息子――

 「私が、生まれてきてほしいて思ったからよ」

 その言葉は、「息子」を抱き締めたまま発せられた。狐面の「息子」は、いきなりのことで身体が強張っている。

 「ごめん、ごめんね。今まで辛い思いをさせてごめんね。守ってあげれなくてごめんね」

 「息子」が息を飲むのが伝わった。祭り囃子の音は止み、いつの間にか、周りには蛍火が宙にふわふわ舞っている。

 「愛しているの。初めて目にしたときから、私は貴方の為ならなんだって出来る。全身全霊で貴方を守れる。そう思っていたのに……」

 ぎゅ、と女が「息子」の身体を抱く力を強くする。

 「守れなくって、ごめんなさい。生き残っちゃってごめんなさい。でも、私は、貴方を産んだこと後悔なんてしてないわ。どんなになっても、貴方はかかさまの自慢の息子よ。
 ……独りぼっちにさせて、本当に、ごめんなさい……」

 女の両目から大粒の涙が零れた。
 その涙は女と狐面の「息子」を包み込み、周りに浮く蛍火の一つとなり、宙に浮かんだ。

―――

 朱星ノ皇子は、原っぱで「片羽ノお業」に抱かれていた。
 翠の輝く長い髪に、ほっそりした手、甘く柔らかい匂い、記憶に僅かに残っている「母」の感触――

 「母さん……なんで僕を産んだんだ?」

 僕は朱点童子。天界と下界を混乱に陥れた悪鬼。僕さえ産まれなければ、僕さえ死ねばって皆言う。姉さんでさえ僕を騙して封印したんだ。
 僕は誰にも必要とされてない。何処にも居場所なんてない。母さん、貴女だってそう思っているんだろう? 産まなければ良かったってそう思ってるんだろう?

 「私が生まれてきてほしいて思ったからよ」

 耳元で囁かれた「母」の言葉に、全身が熱くなる。怒りでもなく、哀しみでもない、もっと温かい感情が朱星ノ皇子の身体を支配する。
 生まれてきてほしい、本当にそう思っていたの? そう思って僕を生んだの? ならどうして僕を置いていったの?

 「守れなくって、ごめんなさい。寂しい思いをさせてごめんなさい。……独りぼっちにさせて、本当に、ごめんね……」

 「母さん」の目から涙が溢れる。目元の黒子を伝い、それは淡い光の蛍火になって僕と「母さん」を包む。暗い世界を照らす、優しくも強い、赤、青、緑、黄の美しい光。

 「僕の事、愛している?」

 狐面にひびが入る。視界が滲んで、「母さん」の顔がよく見えない。だけど、「母さん」の黒い瞳が細められたのが分かる。

 「何言ってるの。当然でしょ」

 ぴし、ぴしっと面に次々に亀裂が走る。本当に? 本当に信じていいの? 僕は鬼を沢山生み出したのに、沢山生き物を殺したのに、こんな僕でも愛してくれるの?

 「親が子を愛するのに理由なんかないわ。何度だって言えるよ。私は、貴方を、愛しているよ」

 蛍火の数が増え、朱星ノ皇子の視界を白く染める。
 四色の蛍火が混じり合い、周りが白く染まるなかで、「母」の黒い髪と瞳が、あやふやな色彩の世界で一際目立っていた。

 「かかさまからも、聞いていい?」

 その黒い存在が「息子」に問う。朱色の髪の「息子」は、亀裂の走った狐面の奥の瞳を大きくさせ、「なに?」と答えた。

 「貴方を死なせてしまった、守れなかったかかさまを許してくれる?」

 逆光で表情は見えない。だが、「母」が哀しそうに顔を歪ませているのは分かった。

 「許すよ。だって母さんが僕を「愛している」て言ってくれた。だから、もういいよ。もう恨んでないよ」

 「母」がもう一度「息子」を抱き締めた。「息子」の面が崩れ落ちる。
 面の下の朱星ノ皇子が、「母」の本当の姿を光の奔流の中で視認できたかどうかは分からない。だが、その顔は優しく微笑んでいた。

 「母さんと、同じ匂いがするね」

 朱星ノ皇子が女の耳元で囁き、そして目を瞑って安らかな顔で意識を手放す。まるで幼子が遊び疲れて母に寄りかかって眠るように。

 祭り囃子の音が大きくなる。
 蛍火が集まり、かつて息子を亡くした鬼切り一族の女と、母と離ればなれになった少年を包み、互いの力の干渉が生んだ、僅かな幻の空間から、現世へと意識を連れ戻した――。

―――

 『……聞こえる? 聞こえている? 返事を頂戴』

 頭に響くその声で、女の意識が完全に覚醒した。
 
 お業の文に朱星ノ皇子と同時に触れた際に見た光景。祭りの外れで「息子」が私を「許す」と言ってくれた。
 あれは夢か幻か。答えは女にもわからない。気がついたら女は再び肉塊の中にいて、腕の中に朱星ノ皇子を抱いていた。

 「お業殿ですか?」
 頭の声に、女は答える。
 『そう。そのまま聞いて頂戴。今から皇子と真名姫が貴女と黄川人を助け出すために、塔に攻撃を仕掛けるわ。
 外側だけじゃこの塔は崩せない。皇子達が攻撃すると同時に貴女にもそこから攻撃してほしいの。それで恐らく貴女達を助け出せる。できる?』
 「はい」

 お業の問いに女は即答した。今ならなんでもできる。ずっと胸につかえていた何かが、今は消え去っている。
 きっとそれは、先程の幻の中で「息子」が自分を「許す」と言ってくれたから。

 胸で安らかな顔で寝ている朱星ノ皇子を床に寝かせ、女は左手を宙に翳した。すると左手の薬指の紅い当主の指輪が光り、弓が現れた。
 成る程、望んだものが手に入るという天界の噂は本当のようだ。

 『皇子と真名姫が攻撃を始めるよ。秒読みはあたしがするから、あんたも合わせてくれよ』

 そう頭に響いた声は九尾吊りお紺の声だ。女は頷き、弓を構える。
 矢はない。だが、弦を引くと、そこには白い光の矢が生まれた。

 『では、行くぞ』
 『準備はいい?』
 『行くわよ』

 今度は氷ノ皇子とお輪、そしておそらく敦賀ノ真名姫の声が頭の中に響く。

 「はい!」

 片羽ノお業、お輪、九尾吊りお紺、氷ノ皇子、敦賀ノ真名姫……此処にはいない姉である太照天昼子だって、誰もが皆朱星ノ皇子の事を思っている。

 「だから、皆の所に帰ろう」

 ちら、と床に寝かした朱星ノ皇子の顔を見た。先程までの憤怒の表情はなく、無垢な子供のような顔で寝息を立てている。

 『五、四、三……』

 お紺の秒読みに合わせて、女が力一杯弦を引く。塔の外側では氷ノ皇子が大きな氷柱を造りだし、真名姫がそれに水の呪をかけ、威力を増す。

 『二、一……今よ!』

 水を纏った氷柱と、女の放った貫通殺が塔の内側と外側から同時に放たれる。
 女の弓矢と、皇子の氷柱がぶつかり合い、朱星ノ皇子の修羅の塔が崩壊する。かつて阿修羅の醜い身体を、女の貫通殺が貫いたように。
 女の貫通殺は、白い光跡を描きながら天空へ上がり、
 いつしかそれは、天界に一際輝く明星となって、天界に放たれた瘴気と紫炎を、その輝きで清めた―――
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二〇一四年葉月朔日

朱星の輝る時【拾壱】

 氷ノ皇子とお業とお輪、九尾吊りお紺の四柱が朱星ノ皇子の神域に足を踏み入れたとき、その光景に目を疑った。

 空は黒靄で覆われており、肉塊で出来た醜悪な塔が“二つ”ある。その塔の周りから紫の炎と黒い風が発生し、辺り一面に靡いている。
 氷ノ皇子の吹雪を纏っていなければ、自分はとっくに消し炭になっていただろう、とお紺は身震いした。

 「黄川人……」

 お業が塔に近づこうとするのを、氷ノ皇子が手で制した。

 「迂闊に近寄るな。燃やされてしまうぞ」
 「でも、あの子が彼処にいるのよ、早く行ってあげないと……」
 「気持ちは分かるが落ち着け。ただ闇雲に突き進んでもあやつの炎に焼かれるだけだ」

 お業の目が悔しそうに細められる。お輪がそっとお業の肩を抱く。
 氷ノ皇子が呪を唱えると、激しい吹雪が周りの炎をかき消す。が、それも一瞬。直ぐに新たな炎が生まれ、吹雪と相殺してもきりがない。
 皇子が微かに舌打ちすると、新たな黒い風と紫炎が渦を巻きながら襲ってくる。
 氷ノ皇子の呪の発動が僅かに遅れた。先頭に立っていた皇子の神衣を紫炎が焦がす。

 「皇子!」

 お輪が叫ぶと同時に、三柱の女神にも炎が襲う。お紺が悲鳴をあげ、お業とお輪は風の呪を唱える。
 「芭蕉嵐」と水の上位呪である「真名姫」が合わさり、辺りの炎を鎮火させた。

 「危なかったわね」
 「真名姫!」

 水を纏いしその女神は、敦賀ノ真名姫。
 人魚の女神はそっと呪を唱え、氷ノ皇子の吹雪と自らの水の呪を混ぜ、先程より強固な水と氷の防壁を造り出す。

 「助かったぞ、真名姫」
 氷ノ皇子が礼を言う。その整った顔に火による焦げ痕を見つけ、真名姫の目が険しくなる。

 「黄川人が……あの子が暴れているのね」

 言いながら真名姫は修羅の塔に目を移す。醜悪な肉の塔を見つめ、やがて真名姫は不思議そうに首を傾げる。

 「ねえ、彼処からお業と人間の気配がするわ。お業は此処にいるのに何故?」

 皇子と残り二柱の女神も同じく首を傾げたが、お業ははっとした。

 「彼処に、黄川人と一緒にあの鬼切り一族の娘もいるんだわ」
 「何故、わかる?」
 「私、文を書いたのよ。そしてあの娘に黄川人に渡してくれって頼んだの。ありったけの神気を込めて書いた文、もしかしてあの娘がまだ持っているのかしら……」

 皇子はそれを聞き、暫し思案した。外側からはこの炎と黒い風に阻まれ塔に侵入出来ない。
 しかしあの娘が塔の内側に居て、お業の神気の宿った文を手にしているなら――

 「お業、ここから娘に干渉できるか?」
 「え?」
 「我々は外側からあの塔を叩く。それと同時にあの娘に内側からも攻撃してもらう。そうすれば上手くいけば塔は破壊でき、朱点をおさめられるかもしれぬ」
 「で、でも、私に出来るかしら」
 「お主の神気が宿った文をあの娘は持っているのだろう。ならそれを媒介にし、娘に話しかける事が出来るかもしれぬ。頼む」

 氷ノ皇子が微かに頭を下げる。男神第二位のその姿に、お業が息を飲むと、「あたしも手伝うよ」と後ろから声がした。お紺である。

 「あたしはまだ力は弱いけど……あの子に呼びかける手伝いくらいには役立てるよ。あたしもあの子に伝えたい事が沢山あるんだ」

 お紺がそっと胸の前で手を組む。かつて黄川人の首を絞めてしまった手。今度はこの手で、あの子を救い出す。

 「なら私は皇子と一緒に塔を破壊するわ。あの子の事は頼んだわよ」
 真名姫が片目を瞑り、氷ノ皇子の隣に並ぶ。

 「でも……あの一族の娘……黄川人にやられてないかしら」

 お業が不安そうに口にする。
 そもそもこの作戦は、あの人間の娘が無事でないと成り立たない。塔を外側と内側から攻撃を仕掛けて破壊するには、内側にいるあの娘が闘える状態でないと――

 「何言ってるのよお業!」
 とん、と軽くお輪がお業を小突く。その顔には笑みが浮かんでいた。
 「あの娘は強いわよ。お業だってわかってるでしょ? なんたって私とあの人の子孫なんだからね」

 お業の脳裏に、女の黒い瞳が浮かんだ。初めて会った時、自分を叱咤した時の、強い眼差し、亡き夫に良く似た、人間の強かさを感じさせる瞳。

 「信じよう。あの一族を」

 氷ノ皇子が頷きながら言う。彼もまた、彼女の一族によって朱の輪を外された者なのだ。

 お業は深く息を吸い、目を瞑って、塔の中にいる女の文に自らの神気と意識を同調させる。お紺がお業の肩に手を乗せ、力を貸す。

 黄川人――

―――

 朱星ノ皇子が目にしたのは、梁のついた天井。畳の香り、暖簾に家具、豪華な調度品。自分はどうやら何処かの家にいるらしい。

 (なんだ、此処は?)

 上体を起こし、朱星ノ皇子は頭を軽く振った。視線を下に移し、着ている衣を見てみると、自らの拵えた露出の高い神衣ではなく、朱色の単衣であった。
 さっきまで僕は自分の宮にいたはずだ。そこで、あのお節介女と対峙していたはず。そして、女の懐に手を入れて文を破いてやろうとした瞬間、白い光が溢れて――

 「あらあら黄川人、どうしたの?」

 驚いて声のした方に顔を向けると、其処には栗色の髪、薄紅色の着物の少女、琥珀色の大きな瞳が自分を不思議そうに覗きこんでいる。

 「……姉さん?」
 「? はい、イツ花お姉さんですよ。黄川人まだ寝ぼけているの?」

 困惑する神に、イツ花は手を差し伸べる。

 「ほら、早く支度しないと。今日はお祭りだよ」
 「イツ花、黄川人、支度は出来たの?」
 「お母さん! 黄川人がまだ支度できてないの!」

 奥の部屋の暖簾を上げて、一組の男女が入ってくる。柔らかい甘い匂いがした。
 着流しを着た中年の男の隣にいる、清楚な浴衣を着たその妙齢の女は、翠の髪を一つに結い上げている。

 「……母さん!?」

 そう呼ばれ、片羽ノお業は微笑みながら朱星ノ皇子の乱れた着物を正してやる。

 「まだ寝ぼけているの? ほら、今日は都で祇園祭りがあるのよ。みんなで山を下りて行こうて昨日言ったじゃない」

―――

 からん、ころん、からん、ころん。
 歩く度に下駄の涼やかな音が響く。
 女は、周りの露店や通りを駆ける山車を見ながら、混乱した頭を整理しようと試みる。
 ――たしか私は、先程まで天界の朱星ノ皇子の宮にいたはずだ。そこで彼がお業殿の文を奪おうとして、それを私が止めようとした時、いきなり文から白い光が出てきて、それから――

 「お母さん、どうしたの?」

 女の浴衣の袖を、隣に歩いていた童がくい、と引っ張る。
朱色の髪に、大きな瞳、丸い顔、修羅の塔にて死んでしまったはずの、私の、息子――

 「…………」

 じっと、息子の顔を見る。息子は女の懐疑的な視線を受け、きょとんとしている。女が後ろで結った黒い髪を掻きむしる。
 ――何が起きてるの? 息子はとうに死んだはず。なのに何故ここにいる? そして私は何故浴衣を着て、祭りに参加している? これは朱星ノ皇子のまやかしか何かか?

 「お母さん、これ欲しい!」

 息子が露店に売られていた狐のお面を指差す。女の手には何故か巾着があり、中には幾ばくかの銭が入っている。
 息子が目をきらきらさせてねだってくる。
 まやかしでもなんでもいい。この子の笑顔がもう一度見れるなら、今はこの状況を楽しもう。

 狐のお面を付けた息子は、嬉しそうに小走りで通りを駆ける。
 「こら、危ないわよ」
 女が童の手を掴もうとするが、童は身を翻し、人垣の中に溶け込んでいった。

 「待って」

 女が追いかける。しかし息子の朱色の髪は、瞬く間に人混みの中に埋もれ、見失ってしまった。

―――

 何故自分が祭りを両親と姉と共に歩いているのか、朱星ノ皇子には全くわからなかった。
 これはあの女のまやかしかなにかか? そっと「仙酔酒」を唱えても周りの景色は変わらない。
 不思議な感覚だ。姉さんは僕の手を繋いで引っ張っているし、父と母らしき男女は前を歩いていて、時折微笑みながら此方を振り向く。
 その笑顔を見て、朱星ノ皇子はむず痒いような、焦燥のようなものを感じた。

 ――どうせこれも「あんた」が造ったまやかしだろう? 大方あの文にでも細工して、僕を惑わそうとしているんだろう。
 こんなもの見せられたって、僕は許さない。僕を置いていった「あんた」と、僕を裏切った姉さんを、絶対に、許さない――!

 苛立ち紛れに、露店に売ってあった狐のお面を被り、姉の手を振り払って、黄川人、いや、朱星ノ皇子は、人混みの中に小走りに消えていった。背後で自分を呼ぶ声がしたが、彼は振り向かなかった。
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二〇一四年文月廿七日

朱星の輝る時【拾】

 その紫炎は、瞬く間に天界のあちこちに飛び火し、神々は再び混乱に陥った。

 海に住まう葦切四夜子は、海水を蒸発させる紫炎から逃れるため地上へあがり、宿した貝の中に閉じ籠り、身体をがたがた震わせる。
 激しい炎が、四夜子を襲おうとした時、水が渦を巻き紫炎に絡み付き、やがて炎は鎮火した。

 「大丈夫?」

 人魚の女神、敦賀ノ真名姫が、四夜子に話しかける。

 「もう、いいの?」

 四夜子が恐る恐る貝から顔を出す。その顔色は真っ青で、幼い顔には恐怖の色が伺え、大きな瞳には涙が浮かんでいる。
 真名姫は安心させるように、童女の女神の頭を撫で、整った顔を曇らせる。

 「今の炎……黄川人だわ」

 自ら放った水の呪と紫炎がぶつかりあった時、真名姫は炎の中に懐かしい気を感じた。
 人間に捕まり、肉を抉られ、瀕死の重症を負った自分を、忘我流水道で泣きながら必死に介護してくれた、黄川人――今は朱星ノ皇子と名付けられた少年の感触。

 其れは、哀しみと怒りと絶望が混じった感触であった。
 自分の血膿を吸って、傷口を舐めてくれた時に感じたのと同じ。
 彼の心が発する悲鳴――自らをこんな目に合わせた世界を哀しみ、恨み、嫉み、憎み、怨嗟。
 天界に神として昇天してから、彼のその感情は真名姫に感知できなかった。彼自身が其れを抑えていたというのもあるし、恐らく後見人となった氷ノ皇子と天界を統べる太照天夕子が、朱星ノ皇子を暴走しないように監視していたのだろう。
 二柱の監視によって、真名姫は朱星ノ皇子との接触が困難になり、なかなか会いに行く事が出来なかった。

 「どうして? 黄川人……一体何があったの?」

 真名姫が哀しそうに呟く。
 四夜子が脅えた目を彼方の方向に向けた。

 その方角の空気は、黒く濁っていた。

 天界の神気すらはね除ける凄まじい瘴気の渦。怒り、憎しみ、哀しみ――かつて真名姫が聞いたあの子の悲鳴が具現化し、天界を覆いつくそうとしている。

 黄川人――あの子はまだ泣いているんだ。私と初めてあった時と同じく。あの子はまだ怒っているんだ。私の話を聞いてくれた時と同じく。

 「……行かなくちゃ」

 あの子を一人にしちゃいけない、今度は私の番。あの子がかつて私を助けてくれたように、今度は私があの子を助けなくちゃ。
 彼の涙を舐めて、血を流している心を手当てしてあげなくちゃ。

 え? と不思議そうに聞き返してきた四夜子を置いて、真名姫はその身体に水を纏い、朱星ノ皇子の神域へと向かった。

―――

 「だからあいつを封じろと言ったんだ!」
 「このような事態になったのは誰のせいだ」
 「皇子のせいだ。養父でありながらあいつを野放しにして!」
 「今こそ封印を!」
 「朱の輪を四肢に着け、大山を重石にし、大海原に沈め、二度と復活出来ぬようにしてやれ!」

 天つ宮には、今や朱星ノ皇子の放った紫炎から逃れた神々の避難場所になっていた。
 ある神は羽を焼かれ、ある神は宮を燃やされ、ある神は眷属を燃やされた。

 どの神の目にも共通していたのは、恐怖、である。

 かつての朱点の乱を思い出し、武闘派の神々は血気盛んに唸りをあげ、若い神や女神は怯え、そして皆一様に後見人であり養父である氷ノ皇子を責めたてた。

 天つ宮は、氷ノ皇子と太照天夕子の光輝によって朱星ノ皇子の紫炎から守られていた。

 皇子の冷気で宮の外はどんな炎でも溶かせない氷に覆われ、内側は夕子の茜色の叢雲が皆を包む。氷ノ皇子は吐息をつき、「儂が行こう」と宣言した。

 「皆の言うとおり、子の不始末は親である儂の責任。奴を諌めてこよう」
 「……しかし、いくら貴方といえども、たった独りであの炎の中に入るのは無謀です」

 夕子が心配そうに忠告する。
 朱星ノ皇子の炎は氷ノ皇子の力より強い。下手をすれば死ぬことはなくとも、その炎に身を焦がされ、再び下界に堕ちてしまう危険がある。それだけは避けたい。特にこれからの事を考えれば、氷ノ皇子を失うのは得策ではない。

 「わ、私も行くわ……」

 席の端から絞り出すような声が聞こえ、神々の視線が一斉に壇上からそちらに移動する。
 発したのは、片羽ノお業。太照天昼子と朱星ノ皇子の産みの母であり、全ての始まりの女神。
 皆の刺すような視線を受け、お業は一瞬怯んだ、が、真っ直ぐに壇上の氷ノ皇子を見つめ、言う。

 「子の不始末が親の責任であるなら、私にも止める責任があるはず。だって、私はあの子の母親だから……」
 「よく言ったよお業!」

 すぐ隣に座っていた双子の姉である片羽ノお輪が立ち上がり、お業の肩を叩く。その余りの強さにお業がむせる。

 「あ、あたしも行くよ」

 末席からまた一柱、名乗りをあげるものがいた。
 九尾吊りお紺。かつて赤子であった朱星ノ皇子を拾い、育てたもう一人の母。
 お紺の九つの尻尾が緊張のあまり毛が逆立つ。しかし瞳はしっかりと皇子と夕子を捉えていた。

 「しかし……」

 夕子は困惑した。皇子はともかく、片羽ノお業とお輪、九尾吊りお紺は決して力が強いとは言えない。皇子の足手纏いになるやも知れぬ。もっと強い神を送り込むべきではないか?

 「いいだろう。お業にお輪、九尾吊りお紺、儂と共に来るがいい」

 皇子が明朗とした声で告げる。その発言を聞いた夕子は目を大きくし、皇子を見つめた。
 夕子の陽光を受けても皇子の纏う氷は溶けない。鬼切り一族の女に余計な事を話そうとして、監視していた夕子が視線を送った時と同じく。

 「子を心配するのは、親ならば当然の事だ。粗相をしでかした我が子を叱ってやるのもな」

 何か言いたげな夕子を振り切り、皇子はお業達に付いてこい、と命じ、四柱の姿は吹雪に乗って天の宮から姿を消した。

 「子を持つ親の力、というべきですね……」

 ざわめく神々に聞こえぬよう夕子は呟く。そして、今は天界にいない、自分の養女である天界最高神の顔を思い出した。

 「昼子……」

―――

 「聡明な君の事だ、本当は気づいてるんだろう? 自分達が今後天界からどんな処遇を受けるか」

 朱星ノ皇子が砂漠の中から生み出した、第二の修羅の塔とでも言うべき肉の塊の中で、女は朱星ノ皇子と対峙していた。
 この光景、いつかの夢の中のようだ。
 違うのはあの時はふわふわした雲の上だったのに対して、ここは胎内に似た肉壁に囲まれ、そして女は満身創痍であるということだ。
 着物を焦がされ、肌に切傷や擦り傷が無数についても、女は懐の文をなんとか守っていた。当代一の女傑の名は伊達ではない。
 黒く強い力を感じさせる瞳が、じっと朱星ノ皇子を見つめる。彼の真意を探るように。

 「人と神が交わると、どちらも上回る力を持った存在が生まれる。僕と姉さんのようにね。
一世代だけでも神の力を大きく上回るのに、何世代も神と交わった君達は、呪いが解けても、強すぎる血の力で、もう、神にもなれず、鬼にもなれず、そして人にも戻れない」

 朱星ノ皇子の身体にまとわりつく紫炎が一際大きくなった。あまりの熱気に女が目を細め、口元を覆う。
 神は相変わらず薄ら笑いを浮かべている。しかし女には、炎を纏ったその姿は、自らを痛め付けることでしか安息を得る術を持てない哀れな子供にしか見えなかった。

 「出る杭は打たれる。強すぎる力は危険すぎるのサ。僕を倒した君達は天界にとって脅威でしかない。じきに君達を抹殺するための討伐隊が天界から送り込まれるだろう。
 隊の長は太照天夕子というおばさんと、君に親切にしている僕の養父、氷ノ皇子さ!」

 ぶわ、と炎と黒い風が女を襲う。女は手で顔を庇うだけで、その攻撃を避けなかった。「石猿」と「夢子」「陽炎」を何重にもかけたお陰で女の身体の損傷は少なかったが、それでも酷い痛みであった。

 自分達の存在が天界にも下界にも異物である――確かに薄々気付いていた。京では自分達は「神と交わった一族」「鬼切り一族」として畏怖の目で見られているのを知っていたし、御所では陰陽寮を巻き込んで、何やら不穏な動きを見せているのも感じていた。
 でも――

 「なんで、そんな事を今更言うの?」

 口の端から血を流しながら女が問う。問われた神は一瞬目をしばたかせたが、直ぐにくくっと喉を鳴らしてみせた。

 「そりゃあ、君の絶望する顔がみたくてね。腹が立つんだよね。余計なお節介してくれてさ、いつも澄ました顔して。だからむちゃくちゃにしてやりたいのさ」
 「…………」

 じっと、じっくりと女は神を見る。炎と、黒い風を纏った少年。かつて京を震撼させ、鬼を生み出し、私達に呪いをかけた宿敵。その宿敵の魂が神へと転生した姿。修羅の塔にて母を求めていた、孤独な、子供――

 「嘘ね」

 ぴしゃり、と女が言い捨てる。朱星ノ皇子が薄ら笑いを止めた。

 「本当は、独りぼっちが辛いだけでしょう? だから私の気を引こうとしている。寂しいくせに、独りは嫌なくせに、貴方は無理している。本当は私ではなく、お母さんと一緒にいたいのでしょう」
 「違う!」

 凄まじい炎が女を襲う。が、女は「白浪」を唱え相殺させる。「天才」と呼ばれた女の唱える呪は、朱星ノ皇子の炎に勝るとも劣らない威力だ。

 「何故わざわざ私の夢に出てきて、呪いの話をしたの? 何故お姉さんに背いてまで裏京都に私達を連れてきたの? 強がったって、本当は、貴方は天界で孤独を感じている。だから下界の私達にちょっかいを出してきた。天界に自分の居場所はないから。自分の話を聞いてくれる人がいないから。
寂しさのあまり女の胎内に引きこもって、それで独りは平気だなんて……」

 そこまで言った時、女の身体が肉の手によって拘束された。以前のように。
 女の潔癖すぎる、正直すぎる気質から発した言葉は、核心を突きすぎて神の神経を逆撫でしたようだ。神は無表情であったが、琥珀色の瞳には押さえきれない憤怒の色が伺える。

 「ごめんね……私は貴方のお母さんじゃない」

 肉手の拘束から逃れようと女が身体中に力を入れて申し訳なさそうに言う。神の表情が変わる。その表情は、落胆。

 「私に呪いの解き方を、貴方の姉である太照天昼子の倒し方を教えて。私達を裏京都に手引きした責任をとって。お願い、黄川人――」
 「嫌だ!」

 拘束が一層激しくなる。首に巻かれた触手が女の気道と頸動脈を圧迫し、酸素不足で目の前が段々暗くなっていく。

 「それを教えたら、君は此処からでていくんだろう!? また僕を置いていくんだろう? また僕を捨てて殺そうとするんだろう!?」

 叫びながら朱星ノ皇子は女に近づいてきた。身にまとわりつく炎と黒い風の威力が増してきて、女の一つに結った髪がほどける。

 「お願いだ……僕を独りにしないで、置いていかないで…母さん!!」

 絶叫と共に彼は女に抱きついてきた。琥珀色の瞳から涙が溢れ、女の着物を濡らす。
 この子、私を母と重ねているんだ。

 「ごめん、ごめんね。私はお母さんじゃないの。貴方のお母さんは片羽ノお業殿で――」
 「違う! あんな奴母さんじゃない!」

 血を吐くように言った女の言葉を、叫びながら朱星ノ皇子は遮る。
 そしてそのまま女の懐に手を入れる。
 お業殿の文を燃やすつもりだろう。それだけは避けなければ! あれはお業殿が黄川人に向けて書いたもの、絶対に読んでもらわなければ――!

 必死で触手から逃れて、燃やそうと手を翳す朱星ノ皇子の右手と、女の左手の薬指の当主の指輪と、片羽ノお業の文が重なった。

 その時、異変が起きた。

 お業の書いた文が宙に浮いたかと思うと、いきなり風を発生させ、そして白く光った。
 柔らかな、しかし強くて優しい、かつて黄川人とイツ花を守ろうとしたお業の風。その風が一人と一柱を包み込み、やがて文から発する温かい白い光を浴びて、女と朱星ノ皇子の視界は白く変わった。
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二〇一四年文月廿四日

朱星の輝る時【九】

 飛び散る鮮血、悲鳴、血の匂い――それが、「彼」の最初の記憶。

 誰かに背負われている。小さな背中だ。いつもの背中じゃない、お母さんじゃない、栗色の髪の毛。
 紅い、周りが紅い。臭い、焦げ臭い、なに、何が燃えているの。
 落ちる、落ちる。僕と、僕を抱いている誰かが落ちている。衝撃。柔らかい肉の感触。痛い。
お姉ちゃん?お姉ちゃん?なんで動かないの。なんで紅いのが出てるの。寒い、ここはさむい。ひとり。お母さん、お父さん、お姉ちゃん、みんないなくなった。みんな紅くなっちゃった。
 周りがどんどん白くなっていく。白いのが上から降ってくる。これは冷たい。とても寒い。誰か、僕を迎えにきて、僕を助けて――

 『あんたは、本当に子供らしくないね』

 苦しい。息が出来ない。どうして僕の首を絞めるの?
 僕はただ、「お母さん」が幸せになれるように願っただけだ。僕を助けてくれた「お母さん」、いつも意地悪な男の人に殴られていた「お母さん」、「お母さん」を幸せにしてあげようとしただけなのに、なのに、何故「お母さん」は僕を殺そうとしているの? なんで涙を流しているの? あの男の人はいなくなったのに。

 苦しい、嫌だ、「お母さん」、やめて――


 『朱点、そこから離れるがいい』

 青と白の冷たい世界、「お父さん」がそう言ってこの子を殺そうとしている。
 「お父さん」、この可哀想な人魚の声が聞こえないの? 痛い、辛いって言っている、哀しいて言っている。それなのに何故殺そうとするの? もうこの子は十分に苦しんでいるのに、何故?

 凍っちゃった。「お父さん」が。死んじゃった、人魚の子が。
 誰のせい? 僕のせい? 違う、ちがう、川の底の骸骨が言っている、皆の声が聞こえる。

 痛い、苦しい、憎い、何故なぜナゼなぜ何故――

 死者の声は「彼」の心に重なりあい、「彼」は初めて声を出し、覚えたての言葉を発した。

 「ふく、しゅう、を、復讐を!」


 それからの「彼」の世界は黒く変わった。

 復讐――僕をこんな目に合わせた奴等に、こんな世界を作った奴等に、同じ痛みを味あわせてやる! 神も人も、僕を裏切った姉さんも、天界も人間界も、全部消してやる――!!

 衝撃が走った。この世界を、憎しみを、全てを貫くような真っ直ぐな鋭い痛み。

 身体が、崩れていく。視界がぼやける。
 やっと、「母さん」と一緒になれたのに、やっと独りじゃなくなったのに。
 君達も僕から奪っていくのかい? 君達も僕を殺そうとするのかい?
 もう、嫌だ。痛いのは嫌だ。苦しいのは嫌だ、独りぼっちは嫌だ。

 僕を、置いていかないで、一人にしないで、母さん――!

―――

 かん高い悲鳴が聞こえ、イツ花は蒲団から飛び起きた。

 眠気眼を擦りながら、一体何があったかと周りを見渡す。薄暗い部屋の隅に、丸い固まりがあった。
 枕元の丸眼鏡をかけ、目を凝らして見てみると、其れは毛布にくるまった黄川人であった。

 「黄川人……どうしたの、そんなところで」

 イツ花が近寄っても、黄川人は身体を震わせ、歯をがちがち鳴らしている。

 「怖い夢でも見たの?」
 「…………」

 黄川人は答えず、相変わらず小刻みに震えている。手を肩に乗せようとすると、凄い勢いで手で弾かれた。その時の手は妙に冷たかった。寝汗が凄いのだろう。
 どうしたものか、とイツ花は暫し考え、とりあえずこの子の気持ちを落ち着かせよう。汲み水を持ってこようと、台所へ向かい部屋を出ようとしたところ、くい、とイツ花の袖が引っ張られた。
 振りかえると、黄川人が小さな手で袖を掴んでいた。

 「いか、ないで……」

 か細い、舌ったらずな声変わり前の童の声。
 黄川人の声を初めて聞いたイツ花は、驚きに目を丸くし、そしてそっと黄川人の肩を抱いた。すがるように黄川人はイツ花に抱きついてきた。
 手だけではなく、身体も随分汗をかいている。このままだと風邪をひいてしまう、早く着替えさせないと。そう思うのに、イツ花は黄川人の身体を引き剥がせなかった。

 「ひとりに……ひとりにしないで……」

 黄川人の大きな瞳から涙がぼろぼろ零れ、イツ花の寝間着を濡らす。

 (きっと、怖い夢でもみたんだ……)

 身体を震わせながら泣きじゃくる黄川人の背中を、イツ花は優しく擦る。

 「大丈夫。イツ花は何処にも行かないよ。ずっと側にいてあげるね」

 イツ花の寝間着を掴む黄川人の手の力がますます強くなる。まるでイツ花を離さないように、何処かに置いていかれないように。

 黄川人が泣き止むまで、イツ花はずっとその細い背中を抱き締めていた。

―――

 「お!」

 朱星ノ皇子が弓を習って二日目、彼の弓矢は徐々に狙いが正確になってきた。
 最初は真っ直ぐに飛ばなく、的に掠りもしなかったのに、ほんの少し習っただけで、直ぐに的に当てられるほど上達した。
 的の外側に刺さってばかりだったのが、段々内側の円に近づいていき、そして今、とうとう真ん中に矢を射したのだ。

 「おめでとう! 凄いじゃない! まだ始めて二日目よ!」

 へへ、と鼻の下を擦りながら、朱星ノ皇子は「まあ、大したことなかったね」と顔を愉快げに反らして見せる。
 その右耳に氷漬けの狐火の耳飾りが付けてあるのを女は見たが、特に言及しなかった。
 恐らく昨日、酔っ払った私の袂からあの子がとったのだろう。しかし怒る気はしなかった。
 あれは九尾吊りお紺が、自ら木を削って作ったものに、氷ノ皇子が凍らせた、あの子への贈り物なのだから。

 「じゃあ、約束通りご褒美をあげないとね」

 目を細め微笑む女に、神は肩を竦めた。

 「ああ、そんな事言ってたね。大して期待してなかったけど、何くれるの?」

 ふふふ、と含み笑いを溢す女を、神はやや不気味に感じた。
 女の方はまるでこれから悪戯を始める童女のように、黒い目を輝かせて口元に笑みを浮かべている。
 す、と女のしなやかな手が懐に伸び、何かを取り出した。それは、折り畳まれた紙のようだ。

 「なに、それ?」
 「知りたい?」

 くすくす、くすくすと笑う度に女の一つに結った黒い髪が微かに揺れる。いつもきりっとしている黒いつり目は、今やいたずらっ子のような輝きを宿している。

 「……うっとおしいな。だからそれなんなのさ」

 そう言われ、女は神の目の前にそれを差し出した。朱星ノ皇子の視線が、それに注がれる。
 それは文のようだ。「黄川人へ」と宛名が書いてある。

 文からふわ、と匂いがした。

 春の風の甘い匂い。
 遠い昔に嗅いだ匂い、胸に抱かれる柔らかい感覚、紅い血、悲鳴、男達の野太い声、燃える家屋、崖に落ちてゆく自分と姉を包み込んだ、母の、匂い――

 「!?」

 女の目の前で、炎が膨れ上がった。
 炎が生まれる僅かな空気の変化を読み取った女は、咄嗟に文を懐にしまい、地を蹴って朱星ノ皇子と距離をとった。

 「な、何するの!?」

 熱された空気を吸い込んでしまい、喉がひりひりし、咳こみながら女は叫んだ。

 「その文、此方に寄越せよ」

 紅い炎を背景に、朱星ノ皇子が怒気を孕んだ声で言う。その声はいつもより酷く低かった。

 「僕宛の文だろ? なら僕に寄越せよ」
 「……寄越したら、貴方は何をするつもり?」

 くくく、と神が喉を鳴らして笑う。女は文を入れた懐をぎゅっと握りながら、身体中の筋肉に緊張を走らせていた。

 「決まってるだろ? そんなあばずれ女からの文なんて汚らわしいから、燃やしちゃうのさ」

 神の琥珀色の瞳が嗜虐的に歪む。この瞳は、そうだ、私が「何故母と一緒にいないのか」と聞いた時、無理矢理拘束され犯された時の、あの瞳にそっくり――。

 「お業殿が、貴方の為を思って書いた文よ、読まずに燃やすなんて――」

 そこまで言って、女は横に跳んだ。元いた場所に「赤玉」が飛んできたからだ。

 「言っただろ? 僕に母親なんていないって」

 言いながらも朱星ノ皇子は火の攻撃を仕掛けてくる。が、女はそれを全てかわした。もう一線を退いたとはいえ、当代一の素質を生まれ持った女の動きには無駄がない。

 「嘘、貴方の母は片羽ノお業。貴方と、姉である太照天昼子を生んだ――」

 女に「蛇麻呂」が襲う。咄嗟に避けたが、足を毒蛇に噛まれ、身体中に毒が回り、身体を地につけてしまう。
 動きの鈍くなった女は、しかし必死に懐の文を守るよう胸の前で手を握る。

 「……早くそれ渡せよ」

 冷たい声で女の頭上から発する朱星ノ皇子の目には、押さえきれない怒りが滲んでいた。

 「嫌よ」
 「お前ごと焼くぞ!」
 「やれるもんならやってみなさい! これはお業殿が貴方の為に――」

 ずずず、と亡者砂漠が揺れ、そして地面から巨大な肉壁が現れ、女を囲う。

 「僕に、母なんかいない、姉さんもいない、僕はずっと一人だ!!」

 その叫びに呼応するかのように、肉壁は女と朱星ノ皇子を包み、地面から天へと隆起していく。やがて第二の修羅の塔が完成すると、その周りを紫炎がまとわりつく。
 かつて天界中を焼き付くした憎しみの炎、その炎が、女と朱星ノ皇子を閉じ込めた肉の塔の周りを、黒い風と共に狛犬のようにまわっている。
 その光景は、天界のどの神域からも見え、かつて朱点童子に辛酸を舐めさせられた神々は、再び恐怖に身を震わせた。
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二〇一四年文月廿二日

朱星の輝る時【八】

 「わ、とっと!」

 亡者砂漠に似た荒涼とした大地の中、朱星ノ皇子が女の置いていった弓を構えていた。大きな弓を握るその姿は、腰が引けていて危なっかしい。

 「……何してるの?」

 草原から戻った女は、朱星ノ皇子のおかしな姿を見て、思わず訪ねた。

 「ん? いやあ、あんまりにも暇なんでね、君の弓でも使って遊ぼうと思ったんだけど、これ難しいね」

 そう言って朱星ノ皇子は弓を引く。しかし矢は真っ直ぐ飛ばず、すぐ近くの地面に落ちてしまう。
 はあ、と女は溜め息を付き、神の背中を軽く叩く。

 「足踏みも胴造りもなってないわ。 足が開きすぎ。胴が反りすぎ。手の内もなってない。もっと肩の力を抜いて……」

 朱星ノ皇子の身体に触れ、女は正しい構えの姿勢へと矯正する。神はただされるがままになっていた。
 女に姿勢を正され、朱星ノ皇子はもう一度弓を射る。
 すると今度は先程より少し遠い位置に矢が刺さる。神のお手製であろう的まではまだ遠かったが、先程と比べて矢は真っ直ぐに飛んだ。

 「これ腕にくるね」

 朱星ノ皇子は手首を回したり二の腕を揉んだりしている。
 無理もない、女だって、初めて弓を持った日は、腕から胸、背中まで全身筋肉痛に悩まされたものだ。

 「まずは正しい姿勢から学びましょう。まずは深呼吸をして、筋肉を伸ばして身体の力を抜くの。それから……」

 朱星ノ皇子は女の言うとおりの姿勢をとった。
 その姿に女は既視感を覚えた。

 息子がまだ存命中、こうやって女が直々に訓練をつけていた。
 まだおぼつかない手つきで弓を構える息子は、最初の一ヶ月は酷使した身体の筋肉痛が酷く、寝る前に必ず湿布を貼ってやるのが女の日課だった。
 かつて自分の息子を殺した相手に、同じように弓の指南をしているのは、なんだか不思議な感覚だ。
 でも、決して嫌な感覚ではない。私はあんなにこいつが憎かったはずなのに、絶対に許さないと誓ったはずなのに、あの頃の感情はもうない。
 今胸を占めているのは、目の前の神を孤独から救ってやりたいという気持ちと、そして、太照天昼子の倒し方を教えて欲しいという気持ちだけ――

 「お!」

 ひゅん、と空気を裂く音がして、朱星ノ皇子の放った矢が的のすぐ近くに落ちる。最初よりかなり真っ直ぐに飛んだ。
 筋がいい。女も一族から「天才」ともてはやされる程の腕であったが、彼はこの僅かな時間でここまで弓を使いこなせている。女と同じか、それ以上の腕かもしれない。

 神が嬉しそうに此方を振り向く。その顔は少年相応の無邪気な笑顔であった。

 「お見事」

 女がそう誉めると、朱星ノ皇子が照れ臭そうに顔を赤らめた。

 「まあ、どってことないね」

 胸を張り、威張ってみせる朱星ノ皇子の姿は、どこか子供っぽく、それがまた息子の姿に重なり、女は思わず顔を綻ばせてしまう。

 女はちょっとしたことを思いついた。

 「ねえ、もしあの的の真ん中に矢を当てる事が出来たら、その時はご褒美をあげる」

 その提案に、朱星ノ皇子は目を大きくさせ、二、三回しばたかせると、皮肉そうに口元を緩めた。

 「褒美て? またあの不細工ないなり寿司かい?」
 「違うわ、もっといいものよ。きっと喜ぶわ」

 ふうん、と相槌を打った後、神はまた姿勢を正し、弓を構える。その姿は先程より洗練されている。

 「ゆっくり深呼吸をして、精神を落ち着かせるの。的を良く見て。呼吸が整ったら、息を吸って、吐くと同時に矢を放つ! 」

 矢が放たれる。放たれた矢は真っ直ぐに飛び、的の外枠に突き刺さった。

 「惜しかったわね」

 しかしほんの少し前は、弓を構えるのですらおぼつかなかったのに、この短期間でこんなに成長するとは、「天才」と呼ばれ持ち上げられていた自分が霞んでしまう。
 ふん、と嬉しそうに鼻を鳴らし、朱星ノ皇子は矢筒から矢を抜き、的に向かって放つ。一回、二回と放つうちに、矢は段々中央の的にどんどん近づいてきている。
 やっぱり、上達が早い
 やがて矢筒の中から矢が無くなると、やっと神は腕を降ろした。

 「つ、疲れたあ……」
 「お疲れさま」

 大分筋肉を使ったのだろう、朱星ノ皇子が腕を擦ったり伸びをしている。

 「しっかり筋肉を伸ばして。そうじゃないと後々筋肉痛でキツいわよ」

 神に筋肉痛があるのかは分からないが、息子の前例がある。女は朱星ノ皇子を座らせて足を開かせ、背中を押してやる。上体が殆ど前にいかない。

 「随分固いわね」
 「……五月蝿いな」

 文句を言いながらも、彼は渋々屈伸を続けていた。
 この間いなり寿司を共に食した時から、朱星ノ皇子は女の言うことに、ぶつくさ文句を言いながらも従う事が多くなった。
 お陰で彼との距離が少しだけ縮まったような気がして、女の顔が知らずににやける。

 「よし、ご飯にしましょう」

 ひとしきり柔軟をこなしたところで、女が手をぱん、と叩く。朱星ノ皇子の眉がひそめられる。

 「また君の不味いご飯を食べなきゃいけないの?」
 「今回は……こないだのよりましなはずよ」

 女は地面に置いていた風呂敷を持ち上げ、中身を取り出す。
 笹の葉にくるまれた握り飯が数個。ここに来る前、九尾吊りお紺の宮へ寄って、台所を貸してもらい、女自ら握った飯だ。
 形こそまだ不恰好だが、中身は梅にほぐした魚の身と豪華で、味は、まあ、食べれないことはないだろう。

 「僕お腹空いてないから要らない」
 「そんなこと言わないで、一つだけでもいいから食べてみなさいよ」

 ずい、と女は朱星ノ皇子の目の前に握り飯の一つを差し出す。

 「…………」

 随分不恰好な形のそれを、神は暫く睨んでいたが、やがて手にとり、口に運ぶ。もぐもぐと咀嚼の音が響く。
 女も地に腰を下ろして、握り飯を食べる。塩のしょっぱさと米の甘味と具の梅の酸っぱさが入り交じる。
 朱星ノ皇子も女の隣に座る。胡座をかいているが、ここは外なので、まあ注意しなくてもいいだろう。

 「僕お酒が呑みたいな」

 ぼそっと隣の神が呟く。女は口の中の飯を飲み込んで、「駄目」と言い放つ。

 「子供が呑むもんじゃないわ」
 「僕は神だよ。もう年とらないし。神様の中には何時も酔っ払ってる奴もいるんだぜ?」
 「呑みたくても、此処にはないじゃないの」

 朱星ノ皇子が溜め息をつくと、手の平を上にしてそっと何かの呪を唱える。すると手の平の上に紅い瓢箪と盃が現れた。
 酒の匂いがする。瓢箪の中には酒が入っているのだろう。

 「……何処から出したの?」
 「仙酔の爺さんのをちょっと拝借してきた」

 全く悪びれずそう言う神に、女は軽く息を吐き、盃と瓢箪をひったくり、とぷとぷと酒を注ぐ。

 「何してんのさ」
 「お酒は大人の私が呑む」
 「ええ!?  僕が出したんだぜ? 僕も呑みたい!」
 「子供は駄目よ」

 言うが早いか、女が盃をくいっと呑む。酒の辛い味を舌に感じ、胃に落ちると身体中がぼっと熱くなる。
 そして、女の顔が真っ赤になったかと思うと、身体が前傾する。

 「お、おい!?」

 朱星ノ皇子が慌てて女の身体を手で受け止める。
 女の顔が上を向き、神と視線が合う。いつも凛とした黒い瞳は、濁った膜が張っており、とろんとしている。

 「おいおい、あの一杯で酔っちまったのかよ」
 「酔ってないよ」

 くすくす笑いながら蕩けた声を出し、女が朱星ノ皇子に抱きつく。神がぎょっとした表情で身体を強張らせる。
 いつも凛とし、どこか思い詰めた厳しい表情の女当主は、今は薄ら笑いを浮かべながら、身体は軟体生物のように力が抜け、朱星ノ皇子に寄りかかっている。

 どうしたものかと困惑している神の耳に、ぐすぐすと嗚咽が響く。
 この女、泣いているのか?

 「ごめん、ごめんね、死なせちゃって、守ってあげられなくてごめんね……」

 女の目から涙が溢れ、朱星ノ皇子の神衣を濡らす。
 神は既視感を覚えた。
 そうだ、修羅の塔のこいつらとの戦いで、自分の放った「雷獅子」が、まだ小さい弓使いの少年に命中したとき、こいつが駆け寄って言ったんだ。

 ――守ってあげれなくて、ごめんね――

 「私が、必ず呪いを解くから。必ず太照天昼子の倒し方を、彼に聞いてくるから、だから許して、生き残ってしまったかかさまを許して――」

 そこまで言って、女は言葉を閉じた。朱星ノ皇子が顔を覗くと、女は寄りかかったまま、寝息を立てていた。

 「……全く、こんなに酒に弱いなら呑むなよなあ。しかも泣き上戸とか、ホント勘弁してほしいよ」

 女の身体を引き剥がし、地面に寝かせる。赤ら顔の女の頬に涙の後が一筋残っていた。

 「姉さんを倒す方法ねえ、前にそういえばそんなこと言ってたな」

 僕がそんなのを知っていると? その為に天界に昇ってきたと? この女、そんな賭け同然の行動に出るなんて、本当は莫迦なんじゃないか?

 はあ、と息をつきながら女の方を再び向くと、女の袂から、何かが出ているのに気付く。

 「なんだこれ?」

 朱星ノ皇子がそれを手にする。それは、耳飾りのようだ。

 小さい炎のような造りのそれは、何故か凍っている。
 女の物か? しかし何故耳に付けないで袂にいれていた?

 そっと神はそれを自分の右耳につけてみる。
 すると不思議な感覚が彼を襲った。

 既視感、とでも言うのだろうか、誰かに守ってもらっているような感覚、酷く懐かしい感触が朱星ノ皇子の耳から全身に渡った。

 「変な耳飾りだな」

 そうごちりながらも、神はそれを外そうとしない。身体中を占める感覚が妙に心地よいからだろうか。

 「黄川人……」

 女がうわごとを発する。黄川人――朱星ノ皇子の人間だった頃の名前。

 「だから、その名前で呼ぶなって……」

 言っても女は答えない。既に女は酔いつぶれていて、寝息を立てながら、朱星ノ皇子の手に自らの手を重ねた。
 その手は、驚くほど温かかった。

 「酔っ払いの世話なんてしたくないよ」

 そう言いながら朱星ノ皇子は女を背に乗せて、宮へ歩き出した。
 背中の女が思っていたより小さく軽いのに朱星ノ皇子は驚いたが、構わずそのまま宮へと足を運ぶ。

 「黄川人……もう……一人じゃないよ……私達の家族に……なるんだからね………」

 その女のうわごとに、朱星ノ皇子がどのような顔をしたのかは、彼が下を向いていたのでわからない。
 だが、彼の足並みが心なしかやや早くなった気がした。

 「……本当に分からないね、母親ってやつは」

 ひとりごちりながら、朱星ノ皇子は女を抱え直す。
 その時の振動で、朱星ノ皇子の右耳の狐火の氷の耳飾りが揺れ、一瞬鈍く光った気がした。
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二〇一四年文月十四日

朱星の輝る時【七】

 氷ノ皇子の神域は、一面雪で覆われた真っ白な雪原である。
 その雪原の中、氷で出来た即席の卓の上に、女は壊してしまった耳飾りをそっと置く。

 「これ、直せますか?」

 氷ノ皇子がそれを受け取り、ふむ、と顔を傾ける。

 「これは、主が作ったのか?」
 「いえ、違います。作ったのは九尾吊りお紺殿です。朱星ノ皇子への贈り物だそうです。それを……その、私が転んでひびを入れてしまって……」

 贈り物、と聞いて、皇子は一瞬目を大きくし、そして唇の端を上げた。

 「……そうか、お紺が……」

 微笑みながら、皇子は耳飾りを受け取り、手のひらに乗せると、そっと呪を唱えた。すると、手のひらに冷気が集い、小さな吹雪が耳飾りを包む。女が寒さに身震いする。
 吹雪が収まると、中から耳飾りが現れた。木で出来たはずのそれは、凍りついている。

 「…………」
 「……すまぬ、亀裂の部分だけ直すつもりだったが、氷漬けにしてしまった……儂も器用な方ではなくてな……」

 そう呟いて視線を反らす氷ノ皇子の顔は、青白い中にほんの少し朱が混じっていた。

 「いえ……ありがとうございます」

 男神二位である氷ノ皇子の照れている姿を見て、女は可愛いな、と感じ、口元を覆い、そっと皇子に一礼した。

 「ところで、交神の方は順調か?」

 何時もの真面目な顔になった皇子は、女に問う。

 「……ええ、順調ですよ」

 女の作り笑いの裏にある真意を、氷ノ皇子は見抜いていた。

 「主も、なかなかの博打打ちだの」
 「なんのことでしょう?」

 女の笑みは崩れない。だが、左手の指輪に女がそっと触れたのを、皇子は見逃さなかった。

 「一つ、問おう。主は昼子を倒し、呪いを解いて、その後どうするのか?」

 笑みが崩れ、生真面目な顔を取り戻した女は眉を寄せた。決まっている、そんなのは、当然――

 「呪いを解いたら、普通の人間に戻れる、本当にそう思っているのか?」
 「……どういう事でしょう?」

 女は思わず左の二の腕を掴む。それは、冷気による寒さを防ぐ為ではなかった。

 「薄々気づいてるのではないか? 自分達がもう戻れないところまで来てしまっていることを。仮に呪いが解けたとしても、その血に流れる力は戻らない。長年に渡る我らとの交配で得た力。人としても、神としても、その力は強すぎる。強すぎる力を持った者は、どういう運命にあうか――」

 そこまで言って、氷ノ皇子は口を閉ざした。何者かの照りつける日の光のような視線を感じたからだ。
 皇子は自分を「見張っている」者を探す愚は犯さず、そっと、息を吐いた。

 「少し喋り過ぎたな」

 皇子の目の前の女は、無表情を装っていたが、顔には緊張と警戒の色が伺える。

 「今の主達の力なら、いずれ昼子は倒せよう。しかし、その後主達はどうするのか、よく考えるがよい。その選択によって、主達の運命は大きく変わるだろう」

―――

 女は、何処かの草原に横たわっていた。

 先程までいた氷ノ皇子の神域とは違い、此処は柔らかな青草が敷き詰められていて、色とりどりの花が一面に咲いている。
 天界は広い。氷ノ皇子の神域のような辺り一面銀世界の雪原があれば、灼熱の砂漠もあり、天高くそびえる山や、潮騒けたてる大海原もある。
 此処は何処の神の神域か。いや、どの神のものでもないのかもしれない。天界の広さに限りはなく、その全てを知っている神などいないのだから。

 氷ノ皇子の神域から出てきた後、一人静かに考えられる場所を求めてさ迷っていたら、こんな所に出てしまった。

 春のような爽やかな柔らかい風が女の頬に触れる。顔の横の白い花が、さわさわと揺れる。
 気持ちのいい場所だ。女は深呼吸をし、花の甘い香りを吸うと、空の上に視線を移す。太陽の光が眩しく、思わず手を翳してしまう。

 「ここでは、明け星は見えないのかな」

 女は、星を見るのが好きだった。
 昼間の澄みわたる青い空ではなく、暗い夜の空に輝る星達、小さな光が空いっぱいに瞬いているのを見ると、なんだか胸がどきどきしてくるのだ。
 討伐先でも、屋敷でも、暇さえあれば夜空を見ていた。その姿を見た他の一族の皆は、あの気の強い当主が、まるで童女のようだと口にしてたっけ。

 (天界に時間というのがないのは知っていたけど……、どうやら此処は昼の草原のようね)

 ふう、と息を吐き、女は目を瞑った。太陽の光は強すぎる。私は明け星が好きだ。黒一色の夜の空で一際輝く小さな星。
 太陽程の強い光ではないけれど、夜の闇の中にあって、私達を導いてくれそうな、そんな優しい光が好きなのだ。

 目を瞑りながらそんな事を考えていると、ふいに額に何か当たった。
 何だろうと目を開けた女は、自分の額に、白い一房の羽が乗っているのが分かった。

 「?」

 女は起き上がり、その羽を摘まんでみる。
 すると途端に、羽は巻物に変わり、しゅるしゅると開かれ、白い面には文字が書かれていた。

 『この間は来てくれてありがとう。そして、ごめんなさい。貴女の厚意を踏みにじってしまって。
 あの後、お輪にも怒られました。もう朱の輪は外れたのに、何を怯えているんだって。
 そう、忘れていました。私は、あの子達の為に自ら身を差し出して朱の輪を嵌められたことを。
 朱の輪を外され、いざあの子達のいる天界に戻ると、怖くなりました。イツ花は私の手の届かない最高神になってしまっていたし、黄川人は朱点童子となって下界を混乱に陥れていた。もう一度抱き締めたくとも、私の手が震えてしまう。身体がすくんでしまう。私は貴女のいう通り、いつの間にか臆病になっていました。
 でも、この間の貴女の叱責を受けて、かつての気持ちを思い出しました。
 始まりは全てあの子達の為だった。あの子達に会うために、今まで苦しんで耐えてきた。もう苦しみから解放されたのだから、私は、あの子達に向き合おうと決意しました。
 今は蟄居を命じられているので会いに行けませんが、文を書きました。どうか、あの子に届けて下さい。
 こんな我が侭を言えるのは何故でしょうね。きっと貴女がとても強いと感じたからでしょうか。
 人間てやっぱり強くて逞しいのですね。私の夫と同じく。
 どうか、文をあの子に届けて下さるよう、宜しくお願いします

 片羽ノお業 』

 そこまで読み終わると、巻物から折り畳まれた文が出てきた。
 神々の字で書かれているので、表面に書かれた宛名は女には読めなかったが、きっと「黄川人へ」と書かれているのだろう。

 「お業殿……」

 巻物は白い羽になって消えた。
 ぎゅ、と女は、文を胸に押し当てる。
 お業殿も、お紺殿と同じく、一歩を踏み出したのだ。あの子と触れ合う一歩を。
 同じ母として、女は嬉しかった。過去を振り切り、子と向き合う勇気を出したお業。神も人も、子を思う気持ちに変わりはないのだ。

 そっと、女は懐にしまった耳飾りに触れる。九尾吊りお紺が作り、氷ノ皇子が凍らせた、狐火の耳飾り。
 誰もが、あの子を思っている。もうあの子は独りじゃない。

 「約束します。必ずこの文をあの子に、朱星ノ皇子に届けます」

 女の呟きに呼応するかのように、柔らかな風が草原の草花を揺らした。
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二〇一四年文月十一日

朱星の輝る時【六】

 その日は妙に目が冴え、なかなか寝つけなかったイツ花は、蒲団から出て、羽織を肩からかけ、台所へ向かった。
 汲み置きの瓶の水を飲み、ふうと息を吐く。

 今年の夏はとても暑い。
 イツ花がこの一族につかえてもう何度目の夏を迎えただろう。
 
 最初は初代と二人きりだったこの屋敷も、家族が増え、改装、増築を繰り返し、鬼切り一族の屋敷は、今じゃ京でも指折りの豪邸になった。
 短命の呪いを受けた何人もの一族を見送り、その度にイツ花は皆と共に泣き、立ち上がり、そしてとうとう朱点童子を討ち果たした。

 だけど、まだ呪いは解けない。裏京都に来て困惑したイツ花や皆を静めたのは現当主だ。

 黒く長い髪、意思の強いつり上がり気味の黒い瞳、いつもイツ花に優しくしてくれて、一族の皆を励まし、戦いの最前列に立つ、強くて優しい当主様。
 直接イツ花は会った事はないが、蔵に残っていた一枚の幻灯、そこに写っていた源太様とお輪様、そのお輪様に当主様は似ていると言ったら、当主様は困ったような顔をしていたっけ。

 (当主様、天界で上手くやっているのかな)

 当主が太照天昼子を倒す方法を朱星ノ皇子に聞くと言って、天界へと昇ってもう二週間程経った。
元々、イツ花は昼子の命を受けて世話係と巫女としてこの一族につかえている。

 昔はよくイツ花の夢に昼子が出てきて、其処で一人と一柱は語り合った。
 場所は何時も何処か橋。喋るのは殆どイツ花で、主に自分が仕えている一族の事をよく話した。
 誰が元服した、誰が奥義を創作した、選考会で優勝した……そんなとりとめのない話でも、昼子は楽しそうに耳を傾けてくれた。
 夢の中の昼子との語らい、イツ花にとってそれは至福の時であり、夢から覚めると気持ちが爽やかになり、たとえどんなに屋敷で悲しいことがあっても、イツ花はまた一日笑顔で頑張れた。

 でも……近頃昼子様は憂鬱そうな、何かを考えている表情をすることが多くなった。
 天界は大変なのだろうか? イツ花が心配そうに尋ねても黙って首を振るだけ。

 そして、朱点童子を討ち果たした夜から、イツ花の夢に昼子が出てくることはなくなった。

 どうしたのだろう、と心配した矢先、目が覚めたらイツ花と一族は“裏京都”に来ていた。
 当主と、昼子の代わりに夢の中に出てきた太照天夕子に聞いたところによると、ここは昼子が京の都を鏡写しに作った世界であり、昼子は大江山に降り立ちこの世界を支配しているらしい。

 裏京都に行くと決めたのは当主だ。

 ある晩、当主の夢に朱星ノ皇子が出てきて裏京都へ誘い、当主はそれを受けた。
いきなり別世界に来てしまって、一族同様イツ花も困惑したが、それより心配なのは昼子の事だった。

 ――昼子様、一体どうしちゃったんだろう。もうずっと会ってないし、この裏京都を作って、鬼と私達を閉じ込めて、大江山に降りて、「自分を倒してみろ」だなんて。

 昼子様、何か恐ろしい事を考えている――具体的な根拠はないが、イツ花は感じていた。
 昼子が時折見せていた思い詰めたような表情、あれを見る度にイツ花は言い知れない胸騒ぎを覚えていた。

 (私も、昼子様に会いたいな。でも私は戦えないし……)

 そんな事を考えながら縁側に出ると、其処には朱い髪の童、先日この屋敷に奉公に来た“黄川人”という子供が、縁側に腰掛けながら夜空をじっと見ていた。

 「あら、黄川人、まだ寝てなかったの?」

 イツ花の問いかけに、黄川人は顔を向けたが、何も言わずすぐまた夜空を見上げた。

 「風邪ひいちゃうよ」

 イツ花が黄川人の肩に羽織を載せる。黄川人はきょとんとした顔でイツ花と羽織を見比べる。
 黄川人がこの屋敷にきてから、イツ花は彼が喋ったところを見たことがない。
 此処に来る前はどうしていたのか、当主に聞いても「知る必要はないわ」と言って答えてくれなかったし、他の皆に聞いても同じ答えだった。
 ただ、左目の翠の痣が痛ましく、きっと言葉も話せなくなるほど辛い目にあったんだな、とイツ花は感じた。

 「何を見てるの?」

 黄川人の隣に座ってイツ花は尋ねた。黄川人は黙って、夜空を指差した。
 指差した先にあったのは、夜明け前に夜空で一際輝く星――。

 「ああ、明け星をみてたのネ」
 「?」
 イツ花の言葉に、黄川人は首を傾けた。

 「明け星ていうのはね、夜明け前の空で一番明るい星の事だよ」

 イツ花も聞いただけだったが、この空の向こうには沢山の星があり、明け星はそのうちの一つの「金星」という星なんだそう。

 朱点童子討伐隊の選考会に、イツ花も応援に行った事がある。
 夜、御所で優勝した一族を労う宴が開かれ、そこで阿部晴明という陰陽師に会った。とても若く、美丈夫な男性だったが、イツ花はなんだか不気味に感じた。
 夜明け近くになり、夜空を見上げて、あの明るい星はなんだろうと当主様が呟くと、若き陰陽師は馬鹿にしたように、あれは明け星というのですよ、と語った。

 当主様は夜空を見上げるのが好きだった。

 今の黄川人のように、夜遅く縁側に座ってぼうと夜空を見上げていた。
 その時の当主様は、いつもの凛々しい顔ではなく、まるで童女のように目をきらきらさせていて、イツ花は失礼ながら、なんだか可愛いな、と感じていた。

 「星、好きなの?」

 イツ花の問いかけに、黄川人はこくんと頷く。そしてイツ花も黄川人と共に空を見上げた。
 きらきら、きらきらと星が瞬いている。その中で明け星の光は眩しく、目を瞑ってもその光は瞼の裏に焼けついたまま離れなさそう。

 「当主様も、天界で明け星を見てるのかな」
 「…………」

 黄川人は答えなかったが、代わりにイツ花の手にそっと触れた。
 イツ花も手を重ねる。夜風に当たって冷たかった黄川人の手は、イツ花の手と重なった事により徐々に温かさを取り戻していく。
 夜明け前の空、鬼切り一族の屋敷の縁側で、かつて離ればなれになった姉弟は、手を重ねながら瞬く星々をじっと見上げていた。

―――

 「これは?」

 九尾吊りお紺の宮にて、突然耳飾りを渡され、女は困惑した。

 「これね、あたしが作ってみたの。あの子、黄川人に似合うかなって」

 その耳飾りは木で出来ていて、炎の形をしていた。
 おそらく、お紺が木を削ってこの形にしたのだろう。まるで狐火にも似たそれは、店で売られていてもおかしくない出来だ。

 「お紺殿、こんなのまで作れるだなんて、器用ですね」

 お紺が、照れて顔を着物の裾で隠す。狐耳が下がり、わさわさと尻尾達が動く。

 「いや、あのね……あたしもあの子に何かしてあげたいってずっと思ってたのさ。でも何をしていいか分からないし、色々考えた結果、これを作ろうて思ったのさ。耳飾りなら何時でもつけていられるし」

 もじもじしながらそう話すお紺を見ながら、女は笑みを浮かべていた。
 お紺殿も、あの子の事がずっと気になっていたんだ。ただきっかけが欲しかったんだろう。あの子に関わるきっかけが。
 それが自分の行動なのか、もしくは別の要因があるのかはわからなかったが。

 「それで、悪いんだけど……これをあの子に渡してくれるかい?」
 「……? ご自分で渡したらいいではないですか」
 「うん、それは分かってるんだけど……今この天界であの子に一番近しいのは、あたしでもお業でも氷ノ皇子でもなく、多分、あんただ。あんたの手から渡されたら、あの子はきっと素直に受け取る気がするんだ」

 そうなのだろうか。女は自分が朱星ノ皇子と一番近しいとは思っていなかったが、会うのを躊躇っていたお紺が、一歩を踏み出して丹精込めて作った。あの子の為に作った耳飾り。
 本当なら本人の手から届けるのが一番いいのだろうが、これを作っただけでもお紺は前に進んだ。なら私が届ける役割を担っても大丈夫だろう。

 「わかりました。必ず彼に届けます」

 女の言葉に、お紺は嬉しそうに笑みを浮かべ、そして軽く礼をした。

 「よろしく頼むよ。そして、あの子に伝えて、こんな母ちゃんを許しておくれ、て」

―――

 自然と、朱星ノ皇子の宮へ向かう足取りが軽くなる。女の右手には、お紺お手製の耳飾り。
 これを渡したら、あの子はどんな顔をするだろう。喜ぶかな。驚くかな。
 天界人も、ただ臆病なだけじゃない、きちんとあの子と向き合う事を考えていたのだ。

 残るは、彼の産みの親である片羽ノお業殿。

 彼女にも、朱星ノ皇子ときちんと向き合って欲しい。
 お業殿はちゃんと彼を愛している。それはこの間会った時わかった。ただ、怖がっているのだ。凄惨な過去の傷がまだ癒えてないと氷ノ皇子は言った。
 でも、なんとかお業殿とあの子を会わせてあげたい。気持ちを伝えてあげたい。そうすればきっとすれ違っている心も重なり合うだろう。

 でも、どうやって?

 お業殿は蟄居の身で自由に動けないし、いきなりあの子に会いにいかせようとしても、まだ恐怖心から躊躇うだろう。
 あの子はあの子で、まだ心を閉ざしている。

 『僕に母親なんていないよ』

 そう吐き捨てた彼の顔は酷く不機嫌だった。母なんて疎ましくて仕方ないと言うように。

 「困ったな……」

 言いながらそっと、左手の薬指の指輪を撫でる。
 当主の指輪。初代からずっと受け継がれてきた、当主に任命された日から死ぬまで外す事の出来ない、額の印と同じく、私達一族の呪いの象徴ともいえる指輪は、血のように紅い。

 私は、一族の皆の為に、太照天昼子を倒す方法を朱星ノ皇子から聞くために此処にきたはずだ。なのに、いつの間にか、朱星ノ皇子とお業の仲を取り持つ方法を考えている。
 それは女のお節介な性格が出た為か、朱星ノ皇子を自分の息子に重ねてしまい、母と仲違いしているのが他人事のように思えないせいか。
 
 「あの子とお業殿を和解させて、さらに太照天昼子の打倒法を教えて貰おうなんて……我ながら欲張りね」

 独りごちった女は、森の地面に張った太い木の枝に足を引っ掻けてしまった。

 「あ!」

 身体が前のめりになる。転ぶ――女は咄嗟に手を前に出して、何とか顔から地面に転がるのを避けた。
 地面に手を付けた瞬間、みしり、と右手の中から嫌な音がした。
 嫌な予感がし、右手を退けてみると、

 「ああ!」

 予感は当たった。右手に握っていた耳飾りは、転んだ衝撃と手にかかった重さを受けて、狐火をもした木の部分に亀裂が走っていた。
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二〇一四年文月八日

朱星の輝る時【伍】

 女が弓を構える。
 息を吸い、目の前の木に狙いを定めて、矢を放つ。
 放たれた矢は、木の幹に突き刺さり、木全体が衝撃で揺れ、葉が何枚か落ちてくる。

 「…………」

 暫く待っても、木から鳥は羽ばたかないし、虫一つも落ちてこない。やっぱり、ここには獣も虫も、生き物がいない。
 ぐぅ~と、腹の虫が鳴る。女は腹をおさえ、頬を紅く染めた。

 (お腹が空いたわ……)

 此処に来てどれくらい経ったのか、正確にはわからない。

 朱星ノ皇子の神域は、肉塊で出来た宮と、周りは亡者砂漠に酷似した荒涼とした砂漠が広がっている。空を見上げても、太陽など昇っておらず、ただ気味の悪い薄暗い膜がかかっているだけ。
 朝がこなければ、夜もない。天界には時間の概念がないというのは知っていたが、此処は前回の交神の神の神域より、いや、恐らく天界のどの神域よりも不気味で、おどろおどろしい。
 その朱星ノ皇子の神域から出掛け、食料を求め歩いていたら、何処かの森に出てしまった。だけど、野うさぎも鳥も他の獣もいなく、近くの小川には魚もいない。
 生えている木も、全て同じ種類で、規則正しく並んでいる。まるで造り物のように。

 (これじゃあ、何も食べるものがないじゃない)

 獣や魚がいれば、捕獲して火で炙って食すことができるのに。
 だけどここには何もいない。木にも食べられそうな実は成ってない。女には食べられる草と食べられない草の見分けがつかない。下手に草を摘んで、毒草にあたるのはごめんだ。
 近くの木にもたれ掛かり、どうしたものかと悩んでいると、女の目の前を何かが横切った。

 「狐?」

 黄の毛皮を纏ったその四足の獣は、女をじっと見ている。あれは、子狐のようだ。

 女は急いで弓を構える。が、空腹のあまり視界が狭まる。
 そのせいで矢を放っても、子狐に命中はしなかった。

 「う……」

 目眩がした。物を食べてないので血が足りないのだろう。頭を押さえ、思わず地面に膝をつける。

 (少し前まではこんな事なかったのに……)

 討伐先ではイツ花の作ってくれた握り飯や干し芋、竹筒の水などが主な食糧で、その僅かな食糧と丸薬さえあれば一月の討伐に耐えられた。
 鬼をやっつけるのに夢中で、気がつけば一日中何も口にしないでも平気だったのに。

 「歳……なのね」

 女が呟く。もう女は一歳と五月だ。年々一族は神の血が濃くなり、その強すぎる血の影響か只でさえ短命なのに、近年の一族は昔ほど長く生きられなかった。
 きっと、もうすぐ自分は死ぬだろう。この身を蝕む呪いに殺され、遺体は鳥辺野に埋葬される。私の先祖と同じく。
 それでも、埋葬されるだけ良いのかもしれない。女の一族の中には、討伐先で全滅し、骸を鬼に喰われた者もいたのだから。
 肌が粟立つ。寒気が走る。次は自分の番――「死」が私を喰いに来る。息子や他の一族と同じく。そう想像すると、どんな凶悪な鬼に遭遇した時より身体が震え、呼吸が出来なくなり、思いきり叫び出したい衝動に駆られる。

 (でも、まだ駄目。まだ死ねない)

 膝に力を入れ、弓を支えに女は立ち上がる。
 そう、まだ死ねない。まだ呪いに殺されるわけにはいかない、あの子から、朱星ノ皇子から裏京都を統べ、私達の呪いを解けるたった一人の存在――太照天昼子の倒し方を聞くまでは。
 呪いで死ぬのは私で最後にしなければいけない。それが、裏京都へ皆を連れてきてしまった私の罪滅ぼし。

 がさり、と草葉が揺れた。
 女は反射的に弓を構え、背中の矢筒から矢を取り出し、音の方向へと射る。
 風切り音が聞こえ、矢が草を揺らした物体に命中した。

 「きゃあ!」

 きゃあ? 悲鳴?
 女が構えていた弓を下ろし、眉を寄せる。

 草葉から転がるように出てきたのは、紫の着物、九つの尻尾、長い金色の髪に狐耳を生やした女神。その女神の足に女の放った矢が刺さっている。

 「な、何するんだい!」
 狐の尻尾と耳を持った女神――九尾吊りお紺は痛みに顔を歪めながら女を睨んだ。

―――

 「申し訳ありません」

 お紺の足に治癒呪をかけながら、女は頭を下げる。

 「いや、いいんだよ。あの子に“交神”の申し出があったって聞いて、興味本意で彷徨いていたあたしも悪いのさ」

 ぴくぴくとお紺の狐耳が揺れる。お紺は尻尾のひとつに手を当て、毛繕いを始めた。

 「あの子……朱星ノ皇子と親しいのですか?」

 女の素朴な疑問に、お紺は毛繕いの手を止める。足の傷はすっかり癒えた。

 「親しいというか……昔ね、あの子が赤ん坊の時、ちょっと…ね」
 「人間だった頃の彼を知っているのですか?」
 「……まあね、昔あの子がまだ赤ん坊の時、たまたま拾って育てていた時期があってね……」

 お紺は朱星ノ皇子――黄川人と自分との関係を女に語った。
 昔、お紺が人間だった頃、稲荷神社にお百度参りに通っていた時の事、ちょうど百日目の雪の夜、鳥居で捨てられていた赤ん坊を拾った。それが黄川人。
 子供の出来なかったお紺は黄川人を懸命に育てた。だが夫が女と逃げたのに絶望したお紺は、黄川人と無理心中を図ったという。

 「あの子が朱点童子になったと知ったのはあたしの魂が解放されてから。あたしは何も出来なかった。あの子をきちんと育ててあげれば、黄川人は朱点童子になどならなかったかもしれないのに……」
 「いえ、結果はどうであれ、黄川人は嬉しかったのではないでしょうか。短い間だったとはいえ、きちんと貴女の愛情を受けれたのですから」

 お紺が、顔を上げる。女の黒い瞳は決して世辞で言っているのではないと語っていた。

 「……でも、あの子の首を絞めてしまったのは事実だよ。あたしが心中を図らなかったら、今頃あの子の運命はもっと違っていたのに……」
 「なら、今からでも遅くない。その言葉を伝えましょう。あの子にはきっと話しかけてくれる大人が必要なんです。ごめんなさい、でも、ありがとう、でも、たった一言でもいい、気持ちを伝えれば――」

 お紺の手が震える。顔を哀しそうに俯け、お紺は口を開かずただ黙っている。怯えているのだろうか。
 その様子を見て女は苛立った。
 ――この方もお業殿と同じだ。過去に囚われ、前へ進むのを恐れている。本当に天界人は、どうしてこうも臆病なのだ! これではあの子が救われない――

 女が何か言おうと口を開きかけたその時、

 ぐうう~……

 再び、女の腹から盛大な音が鳴った。その音にお紺は顔を上げ、女は恥ずかしそうに腹を押さえ身を丸める。そういえば私は食糧を探していたんだっけ。

 「ひょっとしてあんた、お腹が空いてるのかい?」

 お紺の問いかけに、女は顔を真っ赤にしたまま僅かに頷く。

 「だったらあたしの宮に来るかい? いなり寿司ならあるけど」

―――

 「で? これなに?」

 朱星ノ皇子の宮にて。女の手に乗っている笹の葉を解いて、中身を見ながら朱星ノ皇子が不思議そうに言う。

 「……いなり寿司……になるはずだったもの」

 そのいなり寿司……らしきものは、皮は破れ、中の米はきちんと形になっていなく、皮からぼろぼろと中身が溢れていた。

 あの後、お紺にいなり寿司をご馳走になって、折角だからあの子にもお土産として作ってあげようと、お紺の指示のもと、女はいなり寿司作りに挑戦したのだが……
 元々料理など殆どした経験がなく、手先も不器用な女の作ったいなり寿司は、散々な出来だった。一緒に台所に立ったお紺でさえ苦笑した程だ。

 「で、僕にこれを食べろと?」
 「……無理にとは言わないわ」

 罰が悪そうに女は小さな声で呟く。もじもじしている女を朱星ノ皇子はにやにやしながら見ていた。
 するとそのまま女の手からいなり寿司を奪うと、そのまま口の中に放り込んだ。目を丸くする女をよそに、朱星ノ皇子はいなり寿司をわざとらしく音をたてて咀嚼する。
 そして、一瞬笑顔になると、次の瞬間思いきり口の中身を地面に吐き捨てた。

 「不味いね」

 言い終わる前に女の手が朱星ノ皇子の頬を叩いていた。電撃的に動いた女の平手打ちを、朱星ノ皇子は避けきれなかった。

 「食べ物を粗末にするんじゃない!」

 それは、母が子に叱る口調そのものだった。
 またにやつきながら反撃してくるか、と思ったら、朱星ノ皇子は意外にも頬を押さえたまま呆然としていた。
 先程の行動は、女を煽るためわざとやったのだろう。それくらい女は勘づいていたが、やはり食べ物を粗末にする行為に反射的に手が出てしまった。

 「………」

 ぼうと頬を押さえたまま目を丸くしている朱星ノ皇子は何も言わない。初めて叱責された子供のようにただ黙っている。

 (この子……叱られた事がないんだ)

 女は息を吐くと、朱星ノ皇子の肩を掴み、そしてその場に座らせる。

 「いい? 私をからかいたいならもっと別の方法を取りなさい。不味くても一度口にしたものを吐き出しちゃ駄目。食べ物は決して粗末にしてはいけない」
 「……何故、粗末にしちゃいけないのさ」

 朱星ノ皇子が女に問いかける。その声音には皮肉もからかいもなく、ただ本当に分からない、という声だった。

 「私達の糧になってくれた生き物への冒涜になるからよ」
 「冒涜……?」
 「そう、生きている限り他の生き物を食べないと生きていけない。ならその生き物に感謝して命をいただかなくちゃ」
 「…………」

 よく分からない、といった風に朱星ノ皇子は黙っていた。朱星ノ皇子は最早神の身。何も食さなくても飢えて死ぬことはない。しかしそれ以前に、彼は人間だった頃からまともなものを殆ど食べてない。氷ノ皇子に忘我流水道で育てられた時には、彼の血が乳代わりだった。
 その後急激に成長した彼は、氷ノ皇子の元を出て、鬼をばら蒔いていた時も、鬼に強奪させた食糧を口にしていた。神の血を飲んだ彼は、あまり物を食べなくても平気になったし、人ならざる能力も身につけた。
 彼には人としての礼節や食事の作法等教わる機会がなかったし、作法があるのすら知らなかった。
だから、それについて怒られるのも、朱星ノ皇子にとっては初めての事だった。

 むすっとした顔で、朱星ノ皇子は足を崩して膝を立てる。
 その膝頭を、女がぴしゃりと軽く叩く。

 「食事の時は正座!」

 また叱られた。一瞬ムッとした表情を見せた朱星ノ皇子は、しかし緩慢に女の言う通り正座の形をとった。
 こんな姿勢とったことない。足の裏が尻にあたり、なんだか変な感じだ。
 しかし、足を崩そうとする気になれないのは何故か。きっと、目の前の女が全力で自分にぶつかってきて、その黒い瞳で真っ直ぐ自分を見つめているからか。

 「でも、僕それ食べたくないよ。そんな不恰好なおいなりさんなんて」

 妙に苛ついたので、朱星ノ皇子はいつもの挑発的な声で女に言った。

 「……別にいいわ。私が食べるから。私が食べるまでじっとしてなさい」

 神の軽い挑発を受け流し、女は手を合わせると、いなり寿司を口に運ぶ。
 なんで手を合わせるのか、まるで祈りみたいじゃないか。何に? さっきこいつがいった「生き物への感謝」か?
 命を頂く? 馬鹿馬鹿しい。僕は散々色んな命を奪ってきた。今更口にする食糧にまで感謝しろってか?
 女の真っ直ぐな背筋と、静かにいなり寿司を食す姿を見て、無償に苛立った朱星ノ皇子は、女の前に置いてある笹の葉の中から、いなり寿司を一つわしづかみにして、それにがぶりついた。
 女の視線に構わず、いなり寿司で口の中をいっぱいにし、そのままくちゃくちゃと音を立てて咀嚼し、飲み込んだ。
 気のせいか、妙に懐かしい味だ。

 「……美味しい?」
 「不味いね」

 ふんぞりかえってそう吐き捨てた神を見て、女は嬉しそうに微笑んでいる。何が可笑しいのか、不味いと言われて何が嬉しいのか、全く変な奴だ。
 そのまま無言で朱星ノ皇子は二個、三個といなり寿司を食した。作法もへったくれもない食べ方だったが、今度は決して吐き出したりしなかった。

 「やっぱり不味い」
 「……そう」

 女の微笑みは消えない。それがまた苛つき、朱星ノ皇子は咀嚼の速度をあげた。
 そうして女は嬉しそうに口元を緩ませ、朱星ノ皇子はむすっとした顔で、一人と一柱の食事は続いた。
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二〇一四年水無月三十日

朱星の輝る時【肆】

 女が修羅の塔から黄川人を連れて帰ったあと、屋敷では、黄川人を巡る激しい口論が起きた。

 「なんであいつを持って帰ってきたんだ」「あいつは朱点童子だぞ!」「殺せ」「また災いを蒔く前に」「あいつがいるから呪いが解けないのではないか」「殺せ」「殺せ」

 当主である女に皆は掴みかからん勢いでそう進言してきたが、女は頑として首を縦に振らなかった。

 「あの子はもう朱点童子ではない、只の子供です。家でイツ花と共に働いて貰いましょう」

 その決定に皆は猛反対したが、女は聞き入れなかった。
 女の頑なな態度に、皆は、朱点童子を倒したのに、呪いが解けないのは、女が黄川人を生かしているからだ、と噂し、いつしか女は「呪いを継いだ当主」と陰口を受けるはめになった。
 引き取った少年は、自分が朱点童子であったこと、姉である昼子の事、イツ花の事、自分の過去の記憶も、自分の名前も、何も覚えていなかった。
 女が質問しても、何故自分が此処にいるのか分からないといった感じで、まるで親から離れて迷子になったかのような、泣きそうな不安げな表情を浮かべた。

 その表情を見て、気がついたら女は黄川人を抱き締めていた。

 「何も思い出さなくていい。黄川人。それが貴方の名前。今日から此処が貴方の家。私がお母さんになるから、私が貴方を絶対守ってみせる!」

 息子の代わり――最初に見たときは確かにそう感じた。朱色の髪も、寝顔も、柔らかそうな頬も、全部息子にそっくりだったから。
 でも、今は違う。今目の前にいるのは、全ての記憶を失い、誰も身寄りがいない小さな子供。そんな子をどうして殺す事ができようか。
 朱点童子だろうが関係ない。今此処にいるのは、只親を求め、泣き叫んでいた独りぼっちの子供なんだ。
 守らなくちゃ、私が。皆からなんと言われようと、私は今度こそ「息子」を死なせたりしない。最後まで絶対に守りきってみせる――!

 かつて悪鬼と呼ばれていた童は、きょとんとした顔で、ただ女に抱きしめられていた。

―――

 当主の部屋は南向きの日当たりの良い一室である。女は、そこで書物を紐解いていた。
 代々の当主の手記。一族の歴史ともいえるそれを女は読んでいた。
 確か、三代前の当主が太照天昼子と交神したはず。その時の記録が確か此処に……

 「あった」

 そこには、当時の当主が、昼子から聞いたイツ花との関係が記してあった。

 それによると、昼子はかつて大江山で死に、魂は天界に昇り神として転生したが、その際、亡骸に神気を浴びて、身体に残っていた僅かな魂の切れ端が結び付いて、イツ花が生まれたと。

 成る程、と女は納得した。

 それならば、修羅の塔にて倒したはずの朱点童子が、同じ理屈でお輪と共に天界へ昇った際、神気を浴びた亡骸に魂の残り粕が結ばれ、黄川人という少年が生き返ってもおかしくはない。

 そして他の記録を見る限り、どうやら黄川人の姉は、太照天昼子でありイツ花である。

 神と人との間に生まれた子供、それが朱点童子だとかつて黄川人は言った。私達の初代が、天界の思惑によって生み出された第三の朱点童子であることも。

 だけど、そんなのは女にとって最早どうでもいいことだった。

 そんなのは先代の時から皆薄々気づいていた事だし、それを知ったからと言って、私達は戦いを止めるわけにはいかない。
 それよりも――。

 「何故、呪いが解けないの?」

 女が、額の翡翠の印に触れながら顔を歪める。
 この呪いを付けた朱点童子を倒せば呪いは解ける――。初代から皆それを信じて戦ってきた。そして、それは先日叶った。

 しかし、屋敷に帰還しても一族の額の印は消えなかった。

 身体も特に変わった感じはない。
 イツ花に問い詰めても、彼女にも原因はわからないようだ。

 襖の外でイツ花の声が聞こえる。どうやら黄川人に屋敷を案内しているようだ。

 「この子は今日から家に奉公にきました。黄川人といいます。イツ花、色々教えてあげてね」

 そう言って黄川人に会わせても、イツ花は弟である黄川人の事を覚えてないようだ。彼女はいつものように快活に了承し、笑顔で黄川人の手を引っ張っていった。
 イツ花は黄川人が朱点童子だったと言うことは知らない。
 討伐に行かない彼女は、名前は聞いていても、朱点童子の姿を見たことは一度もなく、それが自分の弟だということも知らなかったようだ。
 一族の皆には、黄川人の正体をイツ花に告げるのを固く禁じた。
 何も知らないイツ花には、黄川人と共に今度こそ普通の姉弟として過ごして欲しい――それが女の願いだった。

 だが、やはり呪いの事は気掛かりだ。
 何故解けないのか、皆が言うように朱点童子の身体であった黄川人が生きているから? そうは思いたくない。あの子は今はなんの力もない。それは同じ境遇で生き返ったイツ花を見ていれば分かる。

 なら、考えられるのは二つ。

 「朱点童子を打ち果たせ」と言った天界が嘘を言っているか、まだ呪いを解く条件を満たしていないか――

―――

 その夜、女の夢に朱星ノ皇子が出てきた。

 辺りは薄い靄がかかっており、ふわふわした雲の上で、一人と一柱は会っていた。
 その神は、衣装こそ違えど、顔は黄川人そっくりであった。

 「き、黄川人?」
 「違うね、今の僕は朱星ノ皇子。どうやら神様ってのになっちゃったらしいよ」

 くつくつとその神は笑う。まるで自分を卑下するかのように。

 「君達の呪い、何故解けないか知りたいかい?」

 笑いを止め、そう告げた神に女は反応した。

 「僕を倒せば呪いは解ける、そう天界から伝えられたんだろ? 確かに君達に呪いをかけたのは僕だ。僕を倒せば呪いが解けるというのも本当だった。――少し前まではね」
 「……どういうこと?」

 聞き返してきた女に、神は薄ら笑いを浮かべ流し目を送る。

 「君達は強くなりすぎた。薄々気付いてるんだろ? 自分達の力は神をも凌駕してるって事に。長年の神との交配のせいでね。そしてその力は、呪いを付けた僕すら越えてしまった」

 口に手を当て、神はくくっと喉を鳴らす。何が可笑しいのか女には解らなかった。

 「もう僕には、君達の呪いを解けない。だって、君達の血に流れる力が僕の力より強くなってしまったからね。
 例え僕が呪いを解こうと手を出しても、君達の力が僕の干渉を弾くだろう。それほどまでに強くなってしまったんだよ、君達一族の血は」
 「その理屈は変よ」

 静かに女は告げる。おや、というように神は目を丸くする。

 「貴方より、私達が強くなったなら、この呪いは私達の血の力で内側から消滅するはずでしょ!」

 やや語気を荒げて発した女に、再び神は流し目を送る。その目はどこか憐れむような、馬鹿にしたような目だ。

 「どうやら、その呪いは外から力を与えないと解けないようだよ。そしてその力は君達より強くなくてはならない。そんな力の持ち主はもう天界にはいない――ただ一柱を除いてね」

 女の眉があがる。私達の呪いが解けるただ一人の存在。それは――

 「太照天昼子。天界の最高神にして僕の姉さんさ。でも、もう姉さんは天界にはいない。“裏京都”という別世界を作って、そこに引きこもって、何か画策してるよ」
 「なら、今すぐそこに連れていって」

 即答した女の言葉に、黄川人は薄ら笑いを止め、少し驚きを見せた。

 「……君さ、もう少し慎重に考えた方がいいよ。“裏京都”に行くということは、もう二度と普通の世界には帰って来られないかもしれない。今ある日常を捨ててまで勝算の低い賭けに出るつもりかい?」
 「今更何を言ってるの? 私達は今までずっと戦ってきた。希望を子へ孫へ継いで、私達はその上に立っている。呪いを解く――その願いを叶えるため私は、私達は戦い続けてきた。
この忌まわしい呪いを解けるなら、先人達の願いを叶えられるなら、私達はどんな険しい道だって歩んで見せる!」

 女の黒い瞳を、朱星ノ皇子の琥珀色の瞳が覗く。女の真意を確かめるように。

 「…………」
 「…………」

 暫し見つめあった後、朱星ノ皇子は小さく笑い、目を伏せ大袈裟に肩を竦めてみせた。

 すると周りから白光が生じ、その眩しさに、女は思わず目を細める。

 「いいよ、そこまで言うなら、君達を“裏京都”に案内しよう。姉さんは大江山にいる。そこで聞いてくるといい、その身の呪いの解き方を! ついでに今まで自分達を利用してきたあいつに、平手打ちでも食らわしてくるがいいさ!」

 光がどんどん強くなる。余りの眩しさに目をぎゅっと瞑る。
 瞼の裏の闇を見ながら、女は、黄川人、いや、朱星ノ皇子の笑い声が聞こえた気がして、そのまま頭の中が真っ白に染まった。

―――

 そうして、女の一族は“裏京都”に来た。
 其所は元いた京にそっくりだが、鬼の巣窟が正反対の場所に位置し、京の都には一族と、イツ花と黄川人と、鬼以外は生きている者がいなかった。
 京を歩くのは、人の形をした透明な存在。まるで鏡に写った人間を、そのまま持ってきたようだ。

 ――これが裏京都。太照天昼子の作った世界――

 混乱する皆とイツ花を静め、女は早速討伐隊を結成して、大江山に出撃した。

 そこに跋扈していた鬼は、桁違いに強く、一度目の出撃では、裏朱点閣まで辿り着けなかった。
 二度目の出撃で、ようやく太照天昼子の顔を見ることができた。
 イツ花と酷似した顔立ち。白妙の神衣、まばゆい後光、片羽ノお業と人の間に生まれ、巨大な力を持って生まれた“最初の朱点童子”――。

 昼子は、呪いを解きたければ自らを倒せと告げた。自らを倒して、この鏡写しの裏京都を破るとき、呪いが解けると。
 かくして、ここに天界最高神と呪われた一族との戦いの火蓋はきって落とされた。

 が、結果は惨敗であった。昼子の鳴らす神楽鈴から生じる衝撃波は、身体を撹拌させ、討伐隊の気力も体力も全て削ぎとっていった。

 屋敷に帰ってから、一族の者達は話し合った。どうすれば昼子に勝てるのか、今のままでは駄目だ、ならどうすればいい――?
 広間に充満した憂鬱とした空気を吹き飛ばしたのは、当主である女の発した一言だった。

 「天界に昇り、朱星ノ皇子に、太照天昼子を倒す方法を直接聞いてきます」

 無論、皆は止めた。駄目だ、あいつは信用ならない、あいつがそれを知っているとは限らない、無茶だ、行くだけ無駄だ、と――。

 「無茶は承知です。でも、他にいい方法がありますか? 私達は立ち止まれない。立ち止まるわけにはいかない、呪いを解けるのは太照天昼子だけ、その神を倒す方法を知っているのは、恐らく、弟であり私たちをここに連れてきた朱星ノ皇子だけ。僅かな望みではあるけれど、私はそれに賭けてみる。それしか、私達が進む方法がないのだから」

 そして、イツ花に、蓄積された奉納点――鬼を斬る度に、一族が天界から貰ってきた祝儀の数――を献じて、朱星ノ皇子と「交神」のために天界へ上がらせて貰う事を頼んだ。
 基本、「交神」時ではないと天界へは昇れない。だからイツ花に、天界へは私は「交神」に行くと伝えてと言った。
 天界へ昇る為の部屋の祭壇の前には、女と、千早装束のイツ花。その後ろには一族の皆と、そして黄川人がいた。

 ――イツ花、皆、黄川人。私は必ず帰ってくる。朱星ノ皇子から必ず打開策を聞いて帰ってくる。そして太照天昼子を倒し、この身を蝕む呪いを解こう。そうすれば全てが終わる。だから、一月の間、待っててね――

 光が女を包む。黒い髪がたなびき、女は目を瞑り、当主の指輪のはまった左手をぎゅ、と握りしめた。
 左手の薬指にはめられた紅い指輪。代々呪われた一族へと受け継がれてきたその指輪が、光を浴びて、血のように艶かしく光った。
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二〇一四年水無月廿六日

朱星の輝る時【参】

 「本当に、大事ないのか?」
 「……大丈夫です」

 天に流れる天乃川、清浄な水が流れるその川で、女は身を清めていた。
 足の間が痛い。まだ血が流れている。無理矢理事に及ばれた際に出来た裂傷。流れるのは血だけではない。どろりとした白濁液が秘所から溢れてくる。
 女は指で孔からそれを掻き出した。

 子は、出来てないだろう。種絶の呪いを受けたこの身体に命を宿すには“七光の御玉”が必要なのは、前回の交神で分かっている。

 「それにしても……」

 氷ノ皇子が木の影から声をかける。
 女の裸を見ないようにと彼なりの配慮だ。

 「何故あやつを選んだのだ? 確かにあやつの力は凄まじいが、素直に交神に応じるような奴ではないことくらい存じていただろうに」
 「…………」

 女は答えず身を手拭いで拭いた。黒い髪は水に濡れしっとりとしている。

 「氷ノ皇子殿」

 身を拭き、襦袢を着た女が氷ノ皇子の近くまで寄る。神は、女の無防備な襦袢姿から目を反らした。

 「片羽ノお業殿にお会いしたいのですが、案内して頂けますか? 」

 その言葉に氷ノ皇子は思わず女の顔を見る。

 「?  ……お業に会って主はどうするのだ?」
 「確かめたいのです」
 「何を?」
 「……黄川人の、いえ、朱星ノ皇子と何故一緒にいてあげないのか、お業殿は彼の事を本当はどう思っているのか」

 今でも思い出せる。修羅の塔での彼の叫び。
 あれは、彼の心からの叫びだったのだろう。置いてかないで、一人にしないで、と母に訴えていた。
 天界に上がって、母であるお業と一緒にいて幸せなのだろうと思っていた。だが、女が会った朱点童子こと朱星ノ皇子は、天界にいても修羅の塔と酷似した宮に住み、そして、以前と変わらず誰も信じていないように見えたのだ。

 「それを確かめて、主はどうするのだ」
 「……わかりません。でも……」
 「でも?」

 き、と女は氷ノ皇子を見据える。濡れた黒い髪が顔に張りついた様は、皇子ならずとも、男を欲情させてしまうような色香を醸しだしていた。

 「もし、お業殿が愛しているのに、黄川人がそれを受け入れてないのなら、なんとかしたいのです。仲違いしたままなら、それはとても悲しいことですから」

 永劫の時を持ってしまった神と人は違う。神は基本的に子を残せないし、それ故親子の概念がなかった。お業が人との間にあの姉弟を生むまでは。
 氷ノ皇子も、朱点がいなければ、子を持つ親の気持ちなど分かるはずもなかっただろう。
 目の前の一族の女の言葉は、子を心から心配する母のそれだった。

 「……母は強し、か」

 え? と女が聞き返す間もなく、氷ノ皇子が背を向ける。

 「いいだろう。お業の宮まで案内しよう。確か彼処にはお主の始祖の母である片羽ノお輪もいたはずだ。積もる話もあろう。付いてくるがいい」

 女は、微笑みながら「ありがとうございます」と一礼し、氷ノ皇子の後に続こうとした。

 「あ、ちょっと待ってください」
 「どうした」
 「私ったら、まだこんな格好で……今身支度を致しますので、少しお待ち願いますか」

―――

 片羽ノお輪が朱点童子の魂と共に昇った時、天界は酷く荒れた。

 赤子のままだった朱点童子の魂は、天界の神気を吸った途端少年の姿へ変貌した。
 日輪のごとき眩しい光輝を放つ姿は、まさしく、最高神・太照天昼子の実弟であることを如実に物語っていた。
 その神威を見せられ、天界の神々は恐怖した。特に、朱点童子と共に鬼朱点に封じ込められていた太照天昼子を除く十九柱は。
 雷王獅子丸は、その姿を見た瞬間抜刀し、上諏訪竜穂、下諏訪竜実は竜の姿に変化し、芭蕉天嵐子は扇を振るった。

 第二の朱点の乱の勃発の危機を静めたのは、既に天界へと戻っていた氷ノ皇子である。

 最高神である昼子は既に天界から離れ裏京都に降りていたし、朱点童子であった男神を止めることの出来たのは、天界屈指の実力を持ち、かつ彼を忘我流水道で育て、朱点という名を与えた氷ノ皇子だけであった。
 皇子は、朱点童子であった神の後見人を買って出て、名も、自らの号を与え、「朱星ノ皇子」と名付けた。
 しかし殆どの神々は朱星ノ皇子を歓迎しなかった。当然である。天界と下界を混乱に巻き込んだ元悪鬼をそう簡単に受け入れるわけにはいかない、また強力な封印を施し、何処かに閉じ込めておくべきだ、そんな声も少なくなかった。
 散々の協議の末、氷ノ皇子は、朱星ノ皇子に天界と下界に一切の干渉をさせない事を約束させ、また全ての混乱の原因となった片羽ノお業と朱点童子を連れてきたお輪も、太照天夕子から蟄居処分が下った。

 こうして氷ノ皇子の養子となった朱星ノ皇子は、実際、天界の政に全く興味を示さなかった。
 ただ、女の胎内にも似た自らの宮に閉じ籠り、気晴らしに天橋立に寄って下界を覗く。母であるお業にも、その後自分を育ててくれた九尾吊りお紺にも会いに行かなかった。何故、と氷ノ皇子が問うても、朱星ノ皇子は酷く不機嫌になるだけ。

 「あの子は私を嫌っているの。顔も見たくないのよ。だから、会いに来てくれないの」

 片羽ノお業が、目を伏せながら悲しそうに呟く。
 お業とお輪の宮は、随分小さな屋敷だった。女の下界の屋敷より小さい。それがかつての大江山京での宮の一室を模したものだとは、女は知るよしもなかった。

 「そんな事ありません。だって、あの子は叫んでました。「一人にしないで、母さん」て」

 その言葉を聞き、お業は顔を上げた。隣に座っていたお輪が、そっと頷く。

 「会いに行けないのなら、文でも書いたらいかがでしょうか。私が必ず彼に届けます」
 「…………」

 お業は、何も言わない。ただ、苦しそうな顔をして唇を噛んでいる。

 「ああっ! もう!」

 隣で静観していたお輪が声をあげる。

 「お業! この子のいう通りだよ! なにくよくよしてんのさ! 確かに今は会いに行けないけど、文を出すなり遣いを出すなり、あの子と話す方法はいくらでもあるだろう!」
 「……でも」

 ぎゅ、とお業は自らの二の腕を掴む。爪を立てられた肌からは紅い血が滲み、それは小さな紅い蝶に変わった。

 「怖い……怖いのよ。もし、あの子に拒絶されたらって思うと凄く怖い。怖くて足が、身体がすくんでしまうの。
 だから、今は駄目。きっとあの子はまだ怒ってる。口でどんな事を言ってても、心では私を許してくれていないのよ……あと、百年、いや二百年待てば、もしくは……」
 「それでは遅すぎます!」

 堪らず女が声を荒げた。お業が目を丸くする。

 「百年、二百年だなんて、そんなにあの子を一人にするつもりですか! 今出来ることをあの子にしてあげないと絶対後悔します! いつ、何があって別れの時がくるか分からないのに……」

 そこまで言って女は言葉を切った。お業と、お輪が狐につままれたような顔をしている。女の言っている事が分からない、と言った風に。

 ぎり、と女が奥歯を噛み締める。

 そうだ、この方達は神なのだ。死ぬこともないし、年をとることもない。それ故に鈍感なのだ。今が永遠に続くものだと信じて疑わない。今あるものが明日も明後日もあるという保証等何処にもないというのは、あの子に、朱点童子に嫌という程解らされたはずなのに――!

 「そのくらいでいいだろう」

 女の後ろに黙って立っていた氷ノ皇子が、女に声をかけた。
 その声を聞いて女が反論しようとするが、氷ノ皇子は黙って首を振った。片羽ノお業が、顔を覆いさめざめと泣いているのに女は気づいた。

 「ごめんね、折角来てくれたのに……」

 お輪が、お業の肩を抱きながら言う。お業は、まだ泣いていた。何かに怯えているように、まるでまだ朱の輪にかけられているように。

 泣き続けるお業と、お業を慰めるお輪に一礼し、女と氷ノ皇子は宮を後にした。

―――

 「会ってみて、どう思った?」

 天橋立で氷ノ皇子が女に問う。橋の下には下界が写し出され、其所には女の屋敷で忙しそうに働くイツ花と、その後をちょこちょこ付いていく黄川人がいた。

 「かつてあの子は、天界の神々は時代遅れの自惚れ屋で、どうしようもない臆病者だと言ってましたが……」

 ぎゅ、と女が橋の欄干に爪を立てる。

 「先程のお業殿の言葉を聞いて、その通りだと確信しました」

 橋の下を覗く。かつて朱点童子と呼ばれた子供、その肉体である黄川人が、きょとんとした顔でイツ花に家事を教えて貰っている。修羅の塔で阿修羅の肉片の中から拾ってきた子。全ての記憶を無くしていた小さな子供。

 「今あるものが明日もあると信じて疑わない。年を取らない、死なないが故の傲慢。怠惰。
 お業殿だって、色んな物を沢山失ったはずなのに、辛い目にも沢山あったはずなのに、なのに此処に神として戻ってきた途端、それを忘れて永劫の時に甘えている。子を失う苦しみを誰よりも分かっているはずなのに、もう子を失わないなんて保証は何処にもないのに、なのに、百年、二百年待つだなんて、なんであんなに悠長にしていられるの――!」

 女の叫びに合わせて黒い髪が揺れる。
 かつて女も、自分の子とずっと一緒にいられると信じていた。だって自分は強かったから。鬼に負けた事なんてなかったから。
 だから呪いを解けると信じていた。そしてずっと子と一緒にいられると信じて疑わなかった。
 でも、それは叶わなかった。子は呆気なく死んだ。

 その時分かったのだ。この世に絶対も永遠もないのだと。

 「絶対」子と一緒にいられると思っていたのに、呪いが解けたら「永遠」に親子で過ごせると思っていたのに、その幻想は呆気なく崩れた。
 だから、許せなかった。お業が、何時でも子と会えると悠長に構えていた事に。
 もう子を失わないと、もう子が何処にも行かないとたかを括っている。私達限りある時しか生きられない人間とは違う。
 今は嫌だ? 百年、二百年後に? そんなの、不死の者の贅沢じゃないか。明日、いや今日、次の瞬間に、また子供がいなくなるかもしれない、お業殿はそれを身を持って知ったのではなかったのか――?

 「お主の言う事は正しい」

 静かに、氷ノ皇子が発する。
 女は俯いていた顔を上げ、氷ノ皇子を見つめた。

 「確かに我ら神はどうしようもない自惚れやで臆病者だ。朱点に散々痛い目に合わされたはずなのに、その痛みを糧とした者は少ない。此処天界は今も変わらず、永劫の時に胡座を掻いている」

 だが、と氷ノ皇子は続ける。
 「主の言葉は、少し厳しすぎるな」

 ぴくり、女の眉が動き、目が細められる。

 「お業は、まだ恐怖から抜けておらんのだ。子を離され、蹂躙された恐怖から。天界へ帰っても居場所はなく、子の一人は下界で悪鬼となり、もう一人は最高神として手の届かないところにおる。そんな事を知ったのなら、なおのこと子に会うのに臆病になる気持ちも分からなくはないか?」
 「……っでも!」

 反論しようにも言葉が出てこなかった。分かる。その気持ちは理解はできる。でも、だからといって――。

 「主は少し潔癖すぎる。もっと肩の力を抜け。そんなに固い態度では、あの子の殻を破ることは出来ないぞ」

 そう言い、氷ノ皇子は女の肩に手を置いた。その余りの冷たさに女の肩がびくっと揺れる。
 女に氷ノ皇子は微笑みかけ、そして橋を去っていった。

 氷ノ皇子が去った後、女は欄干にもたれ掛かる。

 (潔癖……か)

 女も分かっていた。自分は堅物すぎる、潔癖すぎて他人を傷つけてしまうことを。
 当主になってからは生来のその気質にますます磨きがかかり、一族の皆に厳しく当たってしまっていたことを。

 (変わらなきゃいけないのは、私も同じ、か)

 溜め息をついて橋の下の下界を見る。黄川人。かつて朱点童子だった子。あの子と同じ朱い髪。私が引き取ると決めた、今は私の子――。

 あの子の為にも、一族のためにも、私は朱星ノ皇子に聞かなきゃいけない。
 裏京都を支配し、私達の呪いを解ける唯一の存在である、太照天昼子の倒し方を。
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二〇一四年水無月廿三日

朱星の輝る時【弐】※

 女が初めての交神に挑んだのは、元服したての八月の時だった。

 当代一の素質を持ち、気が強い女でも、その時はまだ生娘。いざ神と身体を重ねるとなると、恥ずかしく、また破瓜への恐怖も感じていた。
 しかし相手の神は、とても誠実な男神で、女の黒髪を美しいと誉めてくれ、褥を共にしたときも、丁寧に、壊れ物を扱うかのように、優しくその身体を抱いた。
 おかげで破瓜の瞬間の痛みも耐えられたし、男に対して嫌悪を持つことをなく、少女から女になることができた。

 そして二月後にイツ花が天界から連れてきた我が子は、朱色の髪をもつ男の子供であった。
 自分の黒髪と瞳は遺伝しなかったが、そんな事はどうでもいい。私の子――、その子を抱きしめた時、女の中に母性と呼ぶものが生まれた。

 いとおしい、私の子。きっともうすぐ朱点童子を倒し、私達の呪いも解ける。それまで、私がこの子を守ってあげなきゃ。
 呪いがとけたら、やっと普通の人間として暮らせる。そしてそれは私達の代で叶えられる所まできている。

 呪いが解けたら何をしよう。まずこの子に戦い以外の事を教えてあげよう。箏も琵琶も蹴鞠でも、なんでも楽しいと思える事を教えてあげよう。短命の呪いが解ければ二年どころか数十年生きられる。鬼を斬る必要なんてない、市井の皆と同じ生活ができるのだ。

 それは決して絵空事ではない。もう修羅の塔の上階まで楽に進めるだけの力を私達は持っている。先人達が繋いでくれた命、その幾重もの屍の上に立っているのが私達。
 後は、塔の最上部に位置する朱点童子を殺せば全ての決着はつく。
 そうしたら呪いがとけ、私はこの子と普通の親子になれる。だからそれまで待っていてね、かかさまが、きっと呪いを解いて見せるから――。

 すやすやと眠っている我が子の頬に触れると、女は、今ならなんでも出来そうな力が身体中から湧いてくるのを感じた。

―――

 雷鳴が轟く。
 修羅の塔、最上階にて、宿敵、朱点童子と八ツ髪との激戦の中、悲劇は起こった。
 朱点童子が放った「雷獅子」が女の息子に命中したのだ。
 庇うのが遅れた。気がついた時には息子はその身を雷によって焦がされ、身体の殆どが消し炭状態になっていた。

 血が、流れる。紅い血。
 真っ黒な手、柔らかかった頬、朱い髪、もう光を写さない瞳、私の、たった一人の息子――。

 けらけら、けらけら、
 少年の笑い声。八ツ髪の上に乗った朱点童子が、その様子を面白そうに見ている。

 「さあ、次は誰が死にたい?」

 その言葉を聞いて、女の中で何かが弾けた。
 目の前が真っ黒に染まる。憎悪の色。憎い。憎い憎い憎い! あいつが、あの少年が、私の子を殺した――!!

 激情に任せ、唸り声をあげながら女は突進する。そこに八ツ髪が体当たりをしかける。攻撃をもろに受けた女は、身体中に激痛が走り、意識が遠くなっていく。
 遠退く意識の片隅に、朱点童子の笑みが見えた。明らかに馬鹿にしているような笑みだ。
 ――朱点! 私の子を奪った、憎い悪鬼め! 私は必ずお前を殺す。必ず、私が生きている間に、最高に惨めで最低の方法で殺してやる!! 私の子より酷い方法で、必ず殺してやる――!

 女の手が朱点童子へと伸ばされる。しかしそれは届かない。空へと伸ばした手は何も掴めないまま、女の意識が途切れると共に腕は地へと落ちた。

―――

 「何故です! 何故反魂の儀を許可してくれないのです?」

 修羅の塔での惨敗の後、当時の当主へ、自らの命と引き替えに息子を生き返らす「反魂の儀」を申し出ても、当主は首を縦に振らなかった。

 理由は簡単だ。息子より女の力が遥かに勝っていたから。

 朱点童子に打ち勝つには、類いまれなる素質の女を失うわけにはいかない。当主としての苦渋の判断だったが、女は認めず、半狂乱になって叫んだ。

 「返して! 返してよ! 私の子供を返してよお!!」

 その日から女は、狂ったように鍛錬を繰り返した。
 「復讐」……その一言が常に女の頭を占めていた。
 憎い。あいつが、朱点童子が憎い。私の子を殺しておいて、あいつは笑っていた。許せない。必ず私がこの手でお前を殺してやる――!

 先代が死に、当主の座に付き、復讐にとりつかれた女は、朱点童子との再戦で、正に鬼神のごとき働きを見せた。
 早々に八ツ髪を撃破し、その後初代の母であるお輪の身体に入り、醜い阿修羅となった朱点童子相手にも手加減はしなかった。
 奥義・地獄雨に連弾弓、紅の宴を繰り返し、「雷獅子」の併せを阿修羅にぶつける。
 初代の母の身体? そんなのはどうでもいい。私の相手は朱点童子。私達一族に呪いをかけ、私の息子を殺した憎い敵!

 女の放った貫通殺が阿修羅の身体を貫く。
 その時、阿修羅の身体が崩れた。

 醜い身体は形を失い、粘度のある吐瀉物にも似たぶよぶよした肉の塊へと崩れ落ちた。

 「嫌だよ……僕を置いてかないでくれよ、かあさーん!!」

 肉の塊から聞こえてきたのは、朱点童子の、いや、それは母を求める一人の幼子の叫び、であった。
 その声を聞いた途端、女の身体からは力が抜け、あんなに憎しみで熱かった胸も、驚くほど熱が冷めていった。

 これで終わり? これで本当に終わったの?

 だったら私は何故虚しさを感じている?  私は、息子を奪ったこいつに復讐したかったはず。こいつは朱点童子で憎むべき敵、我が子の敵。一族の宿敵。
 こいつを倒して嬉しいはずなのに、なぜこの子はこんなに悲痛に叫んでいる? そしてその叫びを聞いた私は何故こんなにも胸が痛い?
 朱点童子、京を混乱に陥れ私達一族に呪いをかけた悪鬼。

 でも、本当にそうなのか?
 目の前の塊から、母を求める叫びが聞こえる。これで本当に良かったの? これで終わりだなんて――

 その後、お輪が朱点童子の魂と共に天界へと戻っていくのを、女は呆然と見てるしかなかった。

 この虚しさはなんだろう。このもやもやはなんだろう。一族の宿敵を倒したはずなのに、憎い相手を倒したはずなのに、何故喜べない? 私は、これからどうやって生きていけば――。

 その時、ぴくり、と肉の塊が動いた。
 女と、討伐隊の皆が武器を構える。確かに倒したはずだが、まだ生きていたか?

 塊の中から、朱い髪が見えた。
 肉塊の中から現れたのは、全裸の少年――かつて朱点童子と呼ばれた黄川人という童であった。
 童は穏やかな顔ですやすやと寝ている。

 「こいつ! まだ生きていたか!」

 剣士の男が黄川人に向かって刀を突き刺そうとする。しかし、女がそれを手で制した。
 怪訝そうな他の皆の視線を受けながら、女は黄川人の頬に触った。

 その頬は、柔らかかった。

 朱色の髪、柔らかな頬、穏やかな寝顔、助けてあげられなかった、死なせてしまった、私の、子――。

 ゆっくり、女はその子供を抱き抱えた。
 討伐隊の皆が不思議そうに見ている中、女は、涙を流しながら黄川人を抱き締めていた。

―――

 「ようするに、僕を死んだ息子の代わりに引き取ったわけだ」

 朱星ノ皇子は呆れたように女に言った。

 「………」

 女は答えず、周りを見渡す。
 ここは朱星ノ皇子の宮。神の宮は建てるのではなく、天界の中から自らの足で見いだすらしい。

 しかし、朱星ノ皇子の宮は天界のどの神の宮よりも異常であった。

 人の内臓を彷彿させる肉の壁でできた宮は、血管が浮き出て、あちこちで胎動のような音が聞こえる。
 まるで修羅の塔そのものではないか。天界で神へと転生したはずなのに、何故この子はこんな処に住んでいる? それに――

 「貴方は、一人でここに住んでいるの?」

 朱星ノ皇子の目が一瞬丸くなる、が、直ぐにくつくつと嘲笑が聞こえる。

 「どうやら神様ってのは一人で住むみたいだよ。おや? もしかして僕が寂しがっているとでも思ったの?」

 くつくつ、くつくつと朱星ノ皇子が笑う。小馬鹿にしているかのように笑う少年を、女はじっと見ていた。

 「……なに?」

 女の黒い瞳から発せられる視線を受け、朱星ノ皇子は笑いを止めた。

 「母親とは住まないの?」

 女がそう問うた途端、神の笑顔に亀裂が走り、不機嫌そうに歪んだ。

 「僕に母なんていないよ」
 「嘘よ。いるはずでしょう?」

 代々の当主が付けていた手記を女は読んでいた。
 そこには、各迷宮の構造や鬼の記録、また朱の輪を付けられ鬼となった神々の語った語録等も書かれていた。
 それらを総合すると、どうやら朱点童子を生んだのは相翼院の親玉、片羽ノお業らしい。

 「何故親子なのに、お母さんと一緒に住まな――」

 女の言葉が終わる前に、周囲の壁から肉の触手が出てきて、女の両手足を拘束し、床へ押しつけた。

 「……いちいち苛つくなあ、お前」

 朱星ノ皇子が怒気を孕んだ声で言う。拘束から逃れようと女はもがくが、肉の触手はびくともしない。

 「そういえばそっくりだね、この状況。あのお輪とかいう君達の始祖の母に、鬼を産ませていた頃にさ!」

 女の着物の裾を割り、露になった女陰に、神の指が二本侵入する。
 「いっ……!」
 まだ潤っていない其所を神の指が拡げる。痛い!

 「おっかしいなあ? 凄くきついんだけど。本当に君“交神”したの?」

 無遠慮に中を指で掻き回され、その度に痛みが女を襲う。例え一度貫通した道でも、下準備なしに指を侵入させられるのは痛い。
 痛みに顔をしかめる女を朱星ノ皇子は満足そうに見ていた。
 そして指を抜くと、自身の魔羅を出し、女の孔に入れようとする。

 「い、痛い!」
 「あれ? 入らないなあ? 孔に棒を突っ込めばいいんだよね? なんで入らないんだろ?」

 ぐちぐち、ぐちぐちと神が女の孔に魔羅を無理矢理侵入させようとする。乾いて閉じきった孔は、男の一物を受け入れられる状態ではない。

 「ああそっか、濡らせばいいのか!」

 そういうと神は肉の壁を抉りとり、そこから滲み出た肉汁を女の孔に擦り込む。
 女が小さく悲鳴を上げる。ねとねとした肉汁で孔を執拗に弄られ、無理矢理拡げられた孔に神の剛直が一気に侵入する。

 「う、あ!?……がぁっ!!」

 身体の自由を奪われ、悲鳴を上げる女を神は貫き続ける。女の乳房が揺れ、黒い髪が乱れるのを、神は嗜虐的な笑みを浮かべながら見ていた。

 「や、やめて……やめて、黄川人!!」

 黄川人――かつて人間だった頃の名。それを聞いた瞬間、朱星ノ皇子は動きを一瞬止める。

 「……違う」

 腰を動かし、ぐり、と剛直を更に奥へと進める。女の悲鳴が上がる。

 「僕を、その名前で呼ぶな!」

 律動が激しくなる。女の悲鳴は一層酷くなり、結合部からは無理な交合のせいで裂傷ができ、血が流れる。

 「ち、が……あな、たは……」
 「五月蝿い!」

 苛立ちをぶつけるように、朱星ノ皇子は女を犯す。肉のぶつかる音。隠微な水音。悲鳴。
 神はなぜ自分がこんなにも苛立つのか、それが分からなくてまた苛立ち、更に動きを激しくする。

 「子が欲しいんだろ? くれてやるよ。飛びっきりの鬼子をさ!」

 激しく、強く胎を打ち付けられる。酷い痛みで途切れそうな意識の中、女は叫ぶ。

 「ちが……わ、たしは、あなたに…あの神を、太照天昼子を倒す方法を、教えてもらいに……!? 」

 最後の叫びは悲鳴となって消えた。神が、朱星ノ皇子が女の胎内に自身の体液を放ったからだ。
 女の頭が真っ白になり意識を手放す直前、真上の朱星ノ皇子の顔が嗜虐的に歪んだ笑みの中に、ほんの少しの驚愕を見せたのを女は知覚し、そしてそのまま失神した。

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二〇一四年水無月廿一日

朱星の輝る時【壱】

 『何故? 何故です!? 何故反魂の儀を許可してくれないのです!』
 『返して……返して! お願いだから、私の子供を、返してよ!』

 その弓使いの女は、一族の中でも異端であった。

 女の一族は、朱点童子に短命と種絶の呪いをかけられた呪われし一族である。
 故に、代々天界の神々と「交神の儀」を行い、子を残し、そして僅か二年程で死んでいった。

 神の血を引いた一族は、常人とは異なる色合いで生まれてくる。

 燃え盛る火のように激しき者は紅く、澄みわたる水のように優しき者は青く、気ままに吹く風のような奔放な者は緑に、地のように固く、思慮深い者は黄にその身が染まる。
 神と交わったが故に、この世を構成する四大元素、火・水・風・土のどれかの色がそれぞれの遺伝子情報に基づき、髪、目、肌の色に宿る。
 それが鬼切り一族の、異能の力を与えられた、神の血を引く一族の身体的特徴。

 しかし、女の髪と目の色は黒に近い茶で、肌も常人のそれと同じ色であった。
 女の母も祖父もその前の一族も皆異能の色を持っていたのに、女だけが、常人とほぼ変わらない色で生まれてきた。

 イツ花いわく、女は初代の母であるお輪に似ているらしい。
 遺伝子の悪戯か、先祖がえりを起こした女は、身体だけではなく、能力も異端であった。
 初陣で奥義を全て復活させ、元服前にはほぼ全ての呪を修得した。
 戦闘においても、女の射る弓はどんな強い鬼をも貫通させ、呪を詠唱すればその威力は誰よりも強かった。

 「天才」――一族の皆はそう女を呼び、また敬った。

 自分の代で悲願を達成できる。修羅の塔はあと一階、もうすぐ、もうすぐ、この呪いを解けるはずだった。なのに――

 「やあ! 久しぶり!」

 澄んだ少年の声が聞こえた。女が振り返ると、そこには、
 朱色の髪、左目の翠の痣、背に生やした白い翼と、黒と白を基調とした、露出の高い翼を意匠とした神衣。
 朱星ノ皇子。かつて京を震撼させた悪鬼、朱点童子が昇天し、天界にて神へと変貌した少年が立っていた。
 女が、二度目の「交神」の相手として選んだ神である。

―――

 裏京都。そこが今一族のいる世界。

 天界の最高神・太照天昼子が鬼を封じ込めるため京の都を鏡写しに作った世界。
 鬼の巣窟の出現位置は元の世界の位置より逆方向にあったし、都には人はいるが実体はなく、透き通った人間が町を歩いていた。

 「なんか不思議な感じ……町並みは以前と変わらないのに」

 一族の世話係兼巫女のイツ花は不気味そうにそう言った。
 おつかいのために大通りにイツ花は来ていたが、周りの人間は身体が皆微妙に透き通っている。話は出来るし買い物にも支障はないが、まるで亡霊のようでイツ花は不気味に感じた。

 くい、とイツ花の着物の裾が引っ張られる。

 「ああ、ごめん黄川人。早くおつかいをすませなきゃ」

 イツ花の後ろに、朱い髪の線の細い童が一言も発さず立っていた。
 黄川人――かつて朱点童子と呼ばれた童。朱星ノ皇子の人間だった頃の姿の童は、イツ花の後ろを歩く。
 しかしその顔は無表情で、以前のような険はなく、声を一言も発する事なく、周りと先を歩くイツ花の背中をただじっと見ていた。

―――

 「あれを拾ったのは君だろ?」

 天橋立。天界から下界を見れる唯一の場所。
 橋の下の雲に見たいものを念じ、息を吹きかけると、雲が晴れ、下界の様子が見れる。
 今、橋の下に写っているのは、京の都を歩くイツ花と、そして、朱い髪の童。
 着ている着物こそ違えど、その童は、女の横で橋の欄干に寄りかかっている神と瓜二つであった。

 「………」

 女は、ちら、と朱星ノ皇子を横目で見た。一つに纏めた黒い髪、ややつり上がった黒い瞳は、横でにやつきながら肩を竦めている神を複雑な表情で見ていた。

 「おかしいと思ったんだ。僕は君達に殺されて天界に昇った。なのに下界で僕と同じ気を感じる。それで探してみたら、まさか僕の身体がまだ生きているなんてね」

 女は黙って橋の下を見る。
 そこには、イツ花と、女が修羅の塔にて「拾ってきた」童、黄川人が京の町を歩いていた。

 黄川人の朱い髪が揺れるのが見えた。
 顔の造りこそ同じだが、橋の下に見える黄川人は、今、女の横に立っている少年――朱星ノ皇子より背丈は小さく顔立ちもやや幼かった。

 朱い髪――「あの子」と同じ髪の色――。

 「で、一体何が望みなんだい?」

 その言葉に女は視線を上げた。
 女の横で朱星ノ皇子は薄ら笑いを浮かべている。にやにやとした視線を振り切るかのように、女は少し目を伏せ、そして神を見据えた。

 「勿論、貴方と交神に来たわ。強い子を授けて貰うために……」
 「嘘だね」

 ぴしゃり、と朱星ノ皇子は女の言葉を遮った。女の眉間に皺が寄る。

 「だってさ、僕は君達一族に呪いをかけた張本人だよ。恨まれる事はあっても、交神しに来るなんてありっこない。
 特に君は、僕に子供を殺されたはず――」

 ばし、と乾いた音がした。女が朱星ノ皇子の頬に平手打ちを食らわしたのだ。
 女の黒い瞳は怒りを滲ませ、神を睨んでいた。怒りのせいか、呼吸もやや荒い。

 「おやおや」

 打たれた方の頬を紅く染めながら、朱星ノ皇子は挑戦的な視線を女の方へ向けた。その表情はどこか愉快そうだ。
 そして、橋の下を覗きながら言う。

 「汚らわしいな、あれ」

 ぼそっと呟いた言葉に女の眉が上がる。

 「なんであれが動いてるかしらないけどサ、気色悪いんだよね。僕と同じ顔の奴がもう一人いるなんて」
 「だったら……どうするっていうの」

 女が拳を握る。つり上がり気味の黒い目が怒気に揺らぐ。身体中の筋肉が強ばる。

 「此処から雷落として、あれ、燃やしちゃおうか! 君の息子を殺した時みたく――」

 そこまで言った時、女の拳が朱星ノ皇子を殴ろうとする。が、朱星ノ皇子はそれを手の平で受け止める。

 「ありゃりゃ、怒っちゃった?」
 「そんなこと、させない!」

 女の左手が更に殴ろうと振りかかる。が、朱星ノ皇子はそれをひらりとかわし、女の足を払った。

 「きゃ!」

 咄嗟に受け身をとったが、背を橋の床に打ち付けた痛みが女を襲い、そして立ち上がる隙を与えず朱星ノ皇子が女の身体を跨いだ。

 「ホント、わけがわからないよね、母親って奴はさ!」
 言いながら朱星ノ皇子は女の着物のあわせを開く。双乳が露になり、女の目が羞恥にかっと見開かれる。

 「子が欲しいって? ならくれてやるよ。やり方は知ってるよ。なんせ僕は、君達の始祖の母が鬼を生み続けるのをずっと見てたからね!」

 細い身体に似合わない強い力で、朱星ノ皇子は女の手首を押さえつけ、女の身体の力点を封じ、完全に組み敷いた。
 その時、辺りに冷気が満ちた。身を貫くような鋭い冷気。この冷気は、忘我流水道の永久氷室に満ちていたのと同じ――。

 「そこまでだ、朱点」

 その声に朱星ノ皇子が顔を上げ、そして舌打ちする。
 そこに立っていたのは、氷ノ皇子。かつて忘我流水道に鬼神として現れ、今は鬼切りの一族によって朱の輪を外され、天界へと戻った席次第二位の水の男神。

 「何? 僕はこの人と交神しようとしてるだけだよ」
 「戯れ言を。儂にはそうは見えぬぞ。その者から身を離せ朱点。それ以上戯れが過ぎるのなら、少し仕置きをあたえねばならぬ」

 びゅう、と辺りに吹雪が生じた。
 組み敷かれた女は身震いをし、朱星ノ皇子は氷ノ皇子を暫く睨んだ後、やれやれ、と言う風に女を解放した。

 「つまんないの」
 そう呟き、女の身体から身を離した朱星ノ皇子は、踵を返し何処かへ消えた。

 吹雪が収まり、冷気も消えた。
 女は身を起こすと、開かれたあわせを元に戻し、着物の裾を正す。

 「大事ないか?」
 氷ノ皇子が女に近づき、手を貸そうとする。しかし、女はその手を借りず、立ち上がる。

 「ご心配に及びません。私は大丈夫です」

 そう言うと女は髪を正す。黒い瞳は男神を一瞥し、そして睨むように朱星ノ皇子が消えた方向を見る。

 「すまぬ、儂の目が行き届いてないばかりに」
 「何故謝るのです。私は何もありませんでした。それでは」

 女は軽く一礼し、橋を去ろうとする。

 「待たれよ。お主、朱点の宮へ行くのか?」
 「そうですが、それが?」

 さも当たり前のように告げる女に、氷ノ皇子は溜め息を付いた。先程あんなめに合わされたばかりだというのに。

 「あやつと共にいると色々と面倒事が起こるであろう。儂の宮で休むといい」
 「お心使い感謝します。ですが、私は貴方とではなく、朱星ノ皇子と交神に来たのです。ですから、私は彼の宮へ参ります。交神の時は、相手の神の神域へと赴くのが原則のはず。ですから私はこのまま参ります」

 黒曜石のような瞳から発せられる視線が、氷ノ皇子を貫く。強い意思を感じさせる目であった。
女は再び一礼すると、今度は振り向かず去っていった。一つに纏めた黒い髪が、動きに合わせて揺れる。

 背筋を伸ばしながら、凛とした表情で歩いていく女を見て、氷ノ皇子はふう、と息を吐く。

 「強いな、今も昔もあの一族は」

 氷ノ皇子が独りごちり、橋の下を覗く。
 そこには、買い物を終えたイツ花と、かつて朱点童子と呼ばれた黄川人という童が、家路へ足を進めている様子を写し出していた。
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二〇一四年水無月十七日

イツ花の手記

 【某月某日】

 今日からこのお屋敷で働く事になりました!
 このお屋敷は片羽ノお輪様と源太様が以前住まれていたお屋敷だそうで、立派な造りなんですけど、なんか古くて不気味です……。

 昼子様からお輪様と源太様のお子様を預かって参りました。目元がお輪様、雰囲気と顔立ちが源太様そっくりな男のお子様です。
 きっとまだ大江山での事件の傷が癒えてないんですね……。イツ花が話しかけても何も喋ってくれないんです……。お食事も残されてしまうし……

 もっと坊っちゃんと打ち解けなければ!でもどうすればいいんンでしょ……

 【某月某日】

 蔵の中を整理していたら、源太様が愛用されていた刀を見つけたので、坊っちゃんに渡そうとしたら凄く嫌がられました……。当然ですよネ……
 坊っちゃんはいつも縁側に座って何かを見てます。何を見ているんですか?て聞いても答えてくれなかったけど、どうやらお庭を見ているみたいです。
 お庭はまだ草ボーボーなんですけど、一輪だけ咲いている花がありました。あの白い花はなんていう花なンでしょ?

 【某月某日】

 今日はお祭りです! しぶる坊っちゃんの手を握ってしゅっぱーつ!
……でも、京の都は鬼達に荒らされて、以前ほどの活気はないようです……。お祭りといっても小さな出店が二、三あるだけ。人もあまりいなくてとても寂しいです。
 櫛や簪を売っている出店がありました。どれも綺麗で素敵でしたが、私にはきっと似合わないでしょうね……。

 その中に五枚の花弁の白い花の簪がありました。あれ?この花は屋敷のお庭で見たような……

 お店の人に聞くと、この花は桔梗というらしいンです。桔梗は藍色が多くて、白い桔梗の花は珍しいンだそうです。

 私がそれを見てると、坊っちゃんが黙ってその簪をお店の人に渡したんです。
 そりゃあもうビックリしました。お金もあまりないですし、イツ花には似合わないですよって言っても坊っちゃんは聞きませんでした。じっとイツ花の方を見てるんで、仕方なくその簪を買っちゃいました。
 屋敷に帰って付けてみたら、坊っちゃんが少し笑ってくれたんです!
 ずっと無表情だった坊っちゃんが初めて笑ってくれた! 私、とっても嬉しいです! この簪を買って良かった……。折角坊っちゃんが選んでくれたンですから、この簪をいつも付けていようと思います。

 【某月某日】

 今日は大変な事が起きました。
 お屋敷に鬼が侵入したんです。
 イツ花が夕餉の支度をしていると、勝手口を破って、お腹が大きく、目がぎょろりとした鬼が二匹入ってきたんです。
 情けない事に、私は腰が抜けて尻餅をついちゃって、逃げることが出来ませんでした。
 鬼が襲ってきました。やられる! と思って目を瞑ると、鬼達の悲鳴が聞こえてきました。

 目を開けると、そこには坊っちゃんが立っていました。

 鬼のうちの一体は身体を真っ二つに斬られていて、坊っちゃんの手には源太様の刀。刀には血が付いていました。まさか、坊っちゃんが鬼を……?

 残った鬼が逃げていって、尻餅ついたままのイツ花に、坊っちゃんが手を差し伸べてくれました。
そして「イツ花、大丈夫か?」て話しかけてくれたんです!

 鬼に襲われた怖さも吹き飛びましたよ! だって、今まで一言も喋らなかった坊っちゃんが喋ったんです!
 感極まってイツ花が泣いちゃうと、坊っちゃんはおろおろしてましたが、これは嬉しくて泣いてるんですよって説明しても、坊っちゃんはキョトンとしてて、それがまた嬉しくて涙が止まりませんでした。

 その日のご飯は、イツ花が腕によりをかけて鯛を焼いたんですが、少し焦がしちゃいました。
 でも、坊っちゃんは全部食べてくれました。小食な坊っちゃんはいつも食事を残していたのに、今日は全部食べてくれたんです!
 嬉しくてまた涙が出そうでしたが、我慢しました。
 坊っちゃんに心配させるわけにはいかないですからね。

 【某月某日】

 坊っちゃんが庭で素振りを始めました。
 いつの間にか、坊っちゃんの背は私より大きくなって、肩幅も広く、顔立ちも凛々しくなってきて、源太様に似てきました。
 でも、これだけ成長が早いのは朱点童子の短命の呪いのせいなんですよね。
そう考えると複雑です……。坊っちゃんはあと二年も生きられない。私は坊っちゃんとずっと一緒にいたいのに、それは叶わない。私より先に坊っちゃんが死んじゃうんだ。そう考えると、胸がとっても痛くなります。

 イツ花が沈んだ顔をしていたからでしょうか、坊っちゃんがお花を差し出してくれました。

 それは白い桔梗の花でした。

 何処で摘んできたのです? て聞くと、坊っちゃんは照れ臭そうに庭で摘んできたと言いました。

 庭を覗いてみたら、いつの間にか桔梗の花が沢山咲いていました。前に見たときは一輪しか咲いてなかったのに、お花って凄いです。

 どんなに雨が降っても、雪が降っても、土と、水と、ほんの少しの栄養と手入れがあれば、時がたつと花を咲かす、命ってたくましいですねって坊っちゃんに言ったら、坊っちゃんはそうだねって頷きました。
 その時の坊っちゃんの横顔が、びっくりするほどかっこよく見えて、どぎまぎしてしまったのは内緒です。

 【某月某日】

 坊っちゃんが昼子様と夕子様に呼ばれて天界に昇りました。
 きっと「交神」のお話でしょう。坊っちゃんは人との間に子を残せない“種絶の呪い”をかけられていて、神様との間にしか子を成せないのですから。

 坊っちゃんは戸惑うと思ったんですが、意外にも堂々としていて、その姿に私は坊っちゃんはいつの間にこんなに成長したのだろうと感激してしまいました。

 交神から帰ってきたら、坊っちゃんはこの家の「当主」様になるんですね。あんなに小さく喋れなかった坊っちゃんが、子を持つ親になるんですね……。
 感極まって泣いてしまいそうですが、イツ花は泣きません。だって坊っちゃんはイツ花の笑顔が好きだって言ってくれたから。だったら坊っちゃんが帰ってきたら笑顔で迎えてあげよう。
 私は坊っちゃんと一緒に戦う事は出来ないけど、安らげる家を造ってあげよう。戦いで疲れたとき、寂しくなったとき、ほっと安心出来るような、そんな家を。

 まずは庭の桔梗の花を床の間に飾ろう。それを見たら、坊っちゃんは驚くかな? 喜んでくれるかな?

 もっと沢山桔梗の花を育てて昼子様にもあげよう。昼子様、最近いつも険しい顔をしているから、いっぱいあげたら喜ぶかな?

 うん、きっと、大丈夫。
 明日をバーンとぉ、信じましょ。

(了)


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沙羅双樹の木の下で【拾肆】終

 僕のかかさまは変わっていた。自分の事を「僕」といい、決してかかさまと言わせなく、名前で呼べと言ってきた。
 でも、ここでは“かかさま”と書かせてもらおう。

 かかさまはとても強く、優しいひとだった。
 身体は小さいのに、隊の誰よりも早く動き、あの大きな継承刀をなんの苦もなく扱っていた。
 昔、僕のお祖父様があの刀についた鬼の呪いを解いて、かかさまがあの刀を受け継いだ。

 僕にあれが使いこなせるか不安だった。だから必死で練習した。かかさまのように、お祖父様のように強くならなくてはと、毎日鍛錬した。
 だけど、かかさまは、「お前はお前のままでいい。決して無理をするな」と言ってきた。もっと強くならないと、あの大太刀は使いこなせないのに。

 そう言ったら、かかさまは「お前はもう強いよ」て僕の頭を撫でてくれたんだ。
 嬉しかった。かかさまに認めてもらえた、それだけでどんな事も出来る気がしてきた。

 かかさまの顔には幾つも傷がついている。とても痛そうだ。鬼との闘いで負った傷だろうか。尋ねてもかかさまは微笑むだけで何も言わなかった。
 一族のみんなは、酷い顔だっていうけれど、僕は傷も含めてかかさまは美人で、強いひとだと思う。

 そんなかかさまが、昨日亡くなった。

 朱点童子の最後の髪を斬って、その時受けた傷が致命傷になったんだ。
 真っ青な顔で、苦悶の表情で痛みに耐えているかかさまを見るのは辛かった。

 『戦場は、技を披露したり強さを誇示する所じゃないよ。そういうのは、うちの庭でやんな。危なくなったら逃げること。みんな生きて帰ること。そうすりゃ、明日に繋がるから』

 そうして、かかさまは死んだ。僕に継承刀を託して。

 形見分けで継承刀を受け継いだその夜、不思議な夢を見たんだ。

 茶褐色の空、暑い日差し、鴨川より大きな川。見たこともない場所の白い花が咲いている木の下で、かかさまと、朱色の女の着物を着た筋肉隆々の男が、此方を見て微笑んでいた。

 その時のかかさまは、顔の傷もなく、美しい「女」の姿で、隣の珍妙な男となにやら楽しげに喋っていた。

 すると木の下に続々と人が集まってきた。どの人も見覚えがないけど、全員額に僕と同じ呪いの印があった。

 その人たちとかかさまは、花見を始めたようだ。かかさまがとても嬉しそうに笑っている。いや、かかさまだけじゃない、周りの一族の皆も、あの珍妙な男も、そして次々に集まってきた恐らく神様達も、皆が笑顔でお花見を楽しんでいる。
 とても楽しそうな風景だった。僕も混ざりたかったけど、かかさまが、寄ろうとする僕に首を振って止めた。
 僕は、まだ、彼処に行くべきではないということなのだろうか。

 かかさまが指差した方向に、美しい鳥がいた。藍色の身体と羽を持ち、見事な飾り羽を持った美しい鳥だ。
 その鳥が飾り羽をしまい、藍色の翼を広げて飛び立った。

 きっとこの鳥についていけばもとの場所に戻れるんだろう。そっと振り返り、かかさまの顔を見つめながら僕は頷いた。

 今は、まだ、そっちには行けないけど、いつか、きっと、呪いを解いてそちらにいくから。その時は僕も混ぜてくれよな。お酒はあまり強くないけど、彼処で飲む酒はきっと美酒だろう。

 白い花弁が周りに吹き荒れた。

 戻る前に、かかさまの顔をもう一度見た。

 そこで、僕は見たんだ。
 かかさまが小さな童女になっていて、その傍らに、かかさまと同じ髪の色と目を持った男が、童女となったかかさまを抱っこしていたのを。
 その時のかかさまは、とても無邪気に笑っていて、本当に、幸せそうだった――

(了)
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沙羅双樹の木の下で【拾参】

 「交神の方はどうですか」

 丹塗りの豪華な外装とは裏腹に、最高神・太照天昼子の神殿は、中に四畳程の部屋があるだけである。
 だが、そこかしこに灯る篝火や、錦色の簾、空間を覆い尽くす清々しく神々しい気は、最高神の威厳を、余すところなく見せつけていた。

 「ええ、順調よ」

 囲炉裏を挟んで太照天昼子の目の前に座っているのは、同じ火の神、孔雀院明美。明美は昼子に出された茶を、優雅な手つきで口に運ぶ。

 「今回の子は、なかなかに難しい子と聞きましたが? 」

 茶を飲む明美を見ながら昼子が問うた。
 ふう、と明美が器を膝に置きながら、「そんなことないわよ」と言った。

 「確かにあの子は難しい子ね。心を縛り、顔を傷つけ、もういない父への呪縛に苦しめられ、あげく自らの歪みで刀に呪いをつけてしまって、見ていてとても辛くなったわ」

 でも、と明美が続ける。

 「あの子はもう大丈夫。殻を破り、自らで呪いを解いた。もうあの子を縛るものはなにもない。だからきっと大丈夫」
 「それは、その子と交神の準備が整った、ということでしょうか」

 昼子の問いに、明美はそっと首を振る。

 「交神するかしないかは、あの子が決めることよ。あたしはあの子が子を授けてほしいと願うなら、力を貸す。それだけよ」
 「でも、それではあの一族の血が弱くなります」

 ややきつい口調で言われても、明美は肩を竦めるだけ。
 天界の最高神・太照天昼子相手でも、明美はいつもと変わらない。明美にとって昼子はあの少女と同じく、自らを抑え、縛り付けている悲しい子供にしか見えないのだ。

 「……哀しいわね。あの一族も、貴女も」

 ぴくり、と昼子の眉が動く。

 「鬼と戦うためだけに作られた人間。人としての当たり前の幸せも何も知らないまま、鬼と、朱点童子を殺すためだけの存在として生かされてしまった一族。あたし達天界の歪みから始まったとはいえ、なかなか割りきれないわね」

 じ、と明美の着物の端が焦げた。昼子の陽光が明美に降りかかったからだ。

 「それでは駄目なのです」
 昼子は立ち上がり、着物の裾を翻し、明美に背を向けた。

 「あの一族に戦いの宿命を負わせたのは私。その罪は必ず償います。でも、今はその時ではない。朱点を斬るまでに、あの一族にはもっと強くなってもらわなくてはいけないのです」

 昼子が俯きながら語る。
 白妙の見事な神衣に身を包んでいても、目の眩むような光輝を放っていても、明美には、昼子が痛みに一人耐えているか弱い少女に写るのだ。

 「……その罪滅ぼしのために、あの「死者の泉」を造ったの? 」

 「死者の泉」――あの鬼切り一族の魂を保管している泉。魂寄せお蛍に管理させ、片羽ノお輪と源太の子である初代から、少女の父の魂まで、今まで亡くなった一族の魂を、輪廻させる事もなく、ただずっと、あのほの暗い泉で待機させている。
 明美は感づいていた。最高神である彼女が、一族の魂を「死者の泉」に集めておいて、何かとてつもない事を起こそうとしているのを。

 「……貴女は…」

 明美が口を開きかけると、いきなり眩しい白い光が辺りを包んだ。

 「孔雀院明美」

 光の主である昼子は、凛とした声を放つ。正に天界の女王にふさわしい声だ。

 「私達は、立ち止まるわけにはいきません。必ず、交神を成功させるように」

 明美にそう命令したあと、白い光輝は収まり、そのまま昼子は何処かへ行ってしまった。

 「哀しいのは……神も同じね」

 一人取り残された明美が呟く。
 昼子の入れた茶は、もうすっかり冷めてしまっていた。

―――

 少女は孔雀院明美の宮の中をうろうろしていた。
 ぱさ、と、前髪が目に被さり、少女は舌打ちする。

 髪が伸びてきたのだ。
 少女の一族は常人の何倍もの速さで成長する。なので髪も常人よりずっと早く伸びる。
 屋敷にいた時は三日に一度はイツ花に髪を切って貰っていた。成るべく短く切ってくれ、と指示するとイツ花は困ったような微妙な顔をしていたっけ。
 しかし、此処に来てからもう数日が経過しているのに、まだ一度も髪に鋏をいれていない。おかげで髪が随分のび、特に前髪など目にかかってうっとおしくて仕方がない。
 鋏を探して広い宮の中をうろうろする。しかしそれらしきものは見当たらない。明美は何処かへ行っているようだし、仕方ない、自分でやるか。
 すら、と腰の継承刀を抜く。昨日、目が覚めたら、何故か孔雀院明美の宮にいて、傍には継承刀が置いてあった。

 昨日の蛇との闘い、あれは夢じゃなかったんだ。だって継承刀からもう蛇が出てこないのだから。

 今でも思い出せる。父の強い眼差し、大きくて力強い手の感触、広い背中の温かさ。心地よい振動。
 あの時、僕が眠ってしまう前、父が何か言っていた気がする。なんと言っていたのだろう。それだけが思い出せないが、その言葉はとても優しく、暖かい言葉だったような気がする。

 「あらあらあら!」

 野太い声が聞こえたかと思うと、どすどすと明美が此方に近づいてきた。

 「なにやっているのよ!」
 凄い剣幕で明美が少女の手から刀を奪い取る。

 「何すんだよ」
 「それは此方の科白よ! これで何するつもりだったの! また物騒な事するつもりだったの!?」

 明美が捲し立てる。大きな声で怒鳴られて、少女は頭を押さえながら反論する。

 「僕は髪を切ろうとしてただけだ。そんなに喚くな」
 「髪を……?」
 紅を施した瞼の下の目を丸くさせながら、明美が刀と少女を見比べる。

 「こんな大きな刀で髪を切るつもりだったの?」
 「……悪いか?」

 少女がそういうと、明美は呆れたような、困ったような笑みを浮かべた。
 その笑みが自分を莫迦にしているように見えて、少女は明美を睨み返した。

 「全く……それならそうと言ってくれればいいのに。待ってて、今鋏を持ってくるから」
 「は? いいよ自分でやるから」
 「何照れてるのよ。変な髪型になったらどうするの。遠慮しないであたしに任せなさい」

 別に照れてるわけでも遠慮しているわけでもなかったが、弾むように鋏を取りに消えた明美の後ろ姿を見てると、少女は反論する気も失せ、静かに溜め息をついた。

―――

 ぱさり、ぱさりと床に緑の髪束が落ちていく。
 目の前には鏡台。その鏡には、顔に傷のついた少女と、厚化粧を施した四角い顔に、うず高く巻いた結髪、朱色の派手な着物を着た、少女の交神の相手、火の男神、孔雀院明美が写っている。
 鏡は曇りひとつなく、目の前にいる一人と一柱をしっかりと写し出していた。

 (やっぱり、不細工だな)

 鏡の中の明美の顔を見ながら少女が胸でごちる。明美は楽しそうに微笑みながら鋏を動かしている。
 はらり、はらり。ごつごつした手が、繊細な手つきで髪を切っていくのを見て、少女は無意識に顔の傷へと触れた。かつて自分を否定して、自らつけた幾つもの傷。その傷も、後ろの神も、鏡は澄んだ面で余すところなく写し出す。

 「孔雀院」
 「何?」
 「……僕は、お前が嫌いだ」

 ぴた、と明美の鋏を動かす手が止まる。鏡に写る少女は俯きながら続ける。

 「男のくせに女の格好をしてるし、不細工だし、意味もなくへらへらしてるし、わけわかんないこと言うし」

 明美は聞きながら、黙って鋏を動かす。はらり、はらりと少女の髪が落ちる。何日か分の少女の時間が落ちていく。

 「でも……昨日夢を見たんだ。そこで死んだ父が出てきた。ととさまは、お前と同じような事を言ったんだ」

 顔を俯いたまま、少女は喋る。だから明美の顔は見れない。だが、後ろにいてくれている。話を聞いてくれている。それだけは分かる。

 「僕は僕のままでいいって、自慢の子だってそう言ってくれたんだ。父も母も出来るって、そう言ってくれたんだ」

 只の白昼夢だったかもしれないのに、自分の妄想かもしれない話を明美に語るのは恥ずかしかったが、やはり神は何も言わない。少女の言葉を笑ったり否定せず、ただ聞いてくれる。

 「それを聞いたとき、なんだか身体が暖かくなった気がしたんだ。不思議だったよ。なんていうか、凄く……安心したんだ」

 顔を赤くしながら、少女がぎゅっと胸に手を当てる。
 ずっとここを圧迫していた「何か」が今はすっかり消え去っている。きっと、今なら出来る。刀の呪いは解けて、少女を縛るものはもう何もない。なら――

 「孔雀院、僕はお前が嫌いだ。きっとこれからも。
 だけど、今なら、お前が言った事、髪の毛一本分くらいは信じてもいいよ。
 だから……僕は、親になって、ととさまとかかさま両方やるよ」

 少女は選択した。親になることを。母と父の、両方の役割を兼ねることを。
 自分は、女よりも優しく、男よりもたくましく強くなれることを、少女は父と明美から教わったのだから。
 
 「あら、あたしを母さんて呼ばせてくれないの?」

 ばさり、と少女の首もとの布をとりながら、明美はおどけたように言う。

 「冗談言うなよ。僕の子が生まれるときはお前は隣にいないだろう。だから、僕がととさまとかかさまの両方になってやるんだ」

 そっと、少女は切られたばかりの髪を触る。気のせいか、指先に触れる短い髪の先が、柔らかく感じた。
 
 「それでいいんじゃない」

 言いながら、明美は袂から何か取り出す。それは不思議な色合いの玉。光の当てようによって様々な色に変わるそれは、交神の儀に必要な、七光りの御玉だ。

 「何者になんかなる必要はない。貴方は貴方よ。刀の呪いを解いた貴方なら、どんな選択の先の結果も受け入れられる。貴方は強いから」

 床に落ちた少女の髪束をつまみ、御玉に入れる。すると、御玉が光だした。緑と、青と、紅と、黄の光が交互に変わり光り続ける。

 「さ、ここに手を」

 呆然とする少女の目の前に明美が玉を差し出す。おずおずと、光る玉に右手を乗せると、明美がその手に自分の手を重ねる。

 その手は、温かかった。ごつごつした骨ばった大きな手、男の手、ととさまに似た、温かい手――。

 御玉から発せられる白色の光が強くなっていく。
 徐々に強くなる光に目を細めながら、隣の神を見る。甘い花の香りがした。
 気のせいか、一瞬、明美の姿が父の姿に見えた気がした。

 「あたしは貴方達の行く末を見守るしか出来ないわ。でも、いつか、きっと、貴方達の呪いは解けるわよ。
 だって、人間は善と悪、男と女、どちらも併せ持つ強さを持っているから」

 そう語る明美の姿が金色に縁取られ、やがて背中に黄金の見事な羽を現した。

 「孔雀院……お前は、一体、何者だ? 」

 少女が思わず聞いてしまったのは、その神々しい羽に目を奪われたからだろうか。

 ふ、と孔雀院明美が笑った。その笑顔は、菩薩の慈愛と、戦神の力強さを兼ね揃えた笑みだった。

 「あたしはね、男であり女でもある、ただの天界の神の一柱よ」

 庭の沙羅双樹の木が揺れ、白い花弁が花吹雪のように開けっ放しの戸から入ってくる。
 その花吹雪は、少女と孔雀院明美を包み、
 いつしか沙羅双樹に、新たな花の蕾がなった――
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二〇一四年水無月十三日

沙羅双樹の木の下で【拾弐】

 いきなり現れた父の姿をした者から、少女は距離をとった。
 こいつももしかして蛇の仲間か、父の姿に化けてまた僕を惑わすつもりなのか。

 『お、のれ! 』

 暗く怨めしい声が響くと、また強烈な風が発生した。身を切り裂くような風に、咄嗟に隣の男の腕にしがみつく。
 しっかりとした太い腕。鍛え上げられた硬い筋肉が着物ごしにわかる。

 「少し黙ってろ」

 男が蛇に向かって言った後、手の平を上にする。
 すると金色の羽毛のようなものが現れ、やがてそれは鋭い金の矢となって、蛇の手と下半身に突き刺さる。
 動きを封じられた蛇は、耳障りな甲高い悲鳴をあげながらもがく。少女はその様子を呆気にとられながら見ていた。

 思わず男の顔をみる。
 風にたなびく緑の長髪。長い首、広い肩幅、強い、眼差し――。

 やはり、そうだ。この人は蛇なんかじゃない。ずっと追いかけていた、ずっと、憧れていた、強い、僕の父。
 その父が、此方を見た。切れ長の紅い眼がふ、と緩み、大きな手が少女の頭に触れようとする。
 途端、少女がその手をばしん、と振り払った。

 「な、なんで…貴方が今更現れるんだよ!」

 涙混じりの少女の叫びに、男は戸惑いの表情を見せる。

 「いつも、いつも貴方は勝手過ぎるんだ! 勝手に絶望して、勝手に出ていって、勝手に死んで! いつも僕のことなんか見てくれなくて……」

 自分でも何を言っているかわからなかった。だが言葉は止まらない。心をずっと蝕んでいた毒を吐き出すように、少女は目の前の父に叫び続ける。

 「なんで、なんであの時僕の手をとってくれなかったんだ! ととさまが僕を頼ってくれれば、僕に一言「許す」て言ってくれれば、僕は絶対に見放したりしなかったのに!」

 川のせせらぎが聞こえる。夕日が水面に反射してきらきら光る。足元に砂利が敷き詰められている。
 いつの間にか少女と父は鴨川のほとりにいた。

 がくん、と少女がくずおれる。両手で身体を抱き、涙をぼろぼろと流す。涙が顔の傷を濡らす。

 「弱くって、ごめんなさい、助けられなくてごめんなさい、男になれなくて、ごめ、ん、なさ――」

 そこまで叫んで、少女は言葉を切った。父が、自分を抱き締めていたからだ。

 「もういい、もう謝るな」

 甘い香りがした。花にも似た香り。厚い胸板が目の前にあり、がっしりとした腕が自分を包み込んでいる。思わず身体を強張らせてしまう。だって、僕はこんな風にととさまに触れられた事なんてないから。

 「謝るのは俺の方だ。ずっとお前に重荷を負わせてしまい、ずっとお前を一人にさせてしまった」

 つ、と父が少女の顔の傷を撫でる。男になろうと少女が自らつけた醜い傷。温かく、大きな手の平が、顔を包み込む。

 「お前は弱くなんかない。呪いの恐怖に負けて、自らを殺してしまった俺より、お前はずっと強い」

 じっと、父は少女の瞳を見据えながら言う。少女と同じ緋色の瞳。優しい視線、強い、かつての英傑の顔。

 「男でも女でも、お前は俺の自慢の子だ。お前に辛い思いをさせて、本当にすまなかった」

 その言葉は、少女の心の一番奥を貫いた。今まで必死に虚栄という砦で守ってきた、柔らかく脆い部分。
 その砦が、今、壊れた。ずっと欲しかった、ずっと、求めていた言葉によって、それは呆気なく崩れていった。

 「あ、ああああ……」

 少女は父親の大きな背中にすがり付いて、思いっきり泣いた。嗚咽が混じり、涙が父の着物を濡らしても、父は少女の背中をずっと擦っていた。
 ととさまが、僕を認めてくれた。自慢の子だって言ってくれた。ずっと、ずっと認めてほしいと、追いかけていた父が、僕を抱き締めてくれている。温かい。心も、身体も。ずっと心を圧迫していたもやもやがとれていく。身体が軽くなる。

 父が、何かを言おうと口を動かす。
 途端、黒い靄が辺りを覆い尽くした。鴨川の景色は消え、闇色に染まった空間に、胸がべたつくほどの瘴気を発しながら、呪いの大蛇が姿を現す。
 その大蛇は、もはや人の声とも、獣のそれとも違う、甲高いような、それでいて地の底から響くような低くおぞましい声を叫び続けていた。
 大蛇の顔は既になく、そこにあったのは、腐り果てた肉の塊。腐敗臭が漂い、少女は思わず顔をしかめた。

 「さあ、あいつを斬ろう」

 父が、少女の手を握り、引っ張り立たせる。父は真っ直ぐに大蛇を見つめながら、右手を宙に翳す。
 すると白い光が棒状に変化し、光の中から大太刀の継承刀が現れた。
 父が刀を少女に渡す。思わず受け取った少女の手に、継承刀の重さが伝わる。

 「僕に斬れるかな」

 ぽん、と父が肩に手を置く。肩から温かさが、力までもが伝わってきそうだ。

 「斬れるさ。お前は強い。それに、親になるんだろう」

 ぎゅ、と少女が柄を握りしめる。そうだ、僕は親になるんだ。親になって、この刀を次に受け継がせる。
 その為に、あいつを、僕が斬らなくては。

 大蛇がもがき、金の矢が徐々に薄くなっていく。手足と下半身の拘束が解かれそうだ。

 「忘れるな、お前は一人じゃない。一人で全てを為そうとすれば、必ず歪みが生じる。歪みは呪いを生み出し、全てを腐らせる。それがあいつだ」

 左手を肩に置きながら父が右手で蛇を指差す。
 それはもはや蛇の形をしていなかった。
 少女が自分自身を縛りつけ、生んだ呪いは、周りの負の感情を集めて、毒を放つ醜い肉塊へと変貌していた。

 背中に父の温かさを感じる。
 支えてくれる誰かがいる。背中の父と、一族の皆と、イツ花と、それから、けばけばしい鮮やかな色の、お節介で不細工で、だけど僕を否定しなかった、僕が選んだ火の「男神」――。

 少女が腰を落とし、上体を捻り、居合いの構えをとる。
 矢の拘束を逃れた呪いの権化は、真っ直ぐに少女に向かってきた。
 息を吸い、呪いの肉塊を真っ直ぐに睨み、片足を踏み出すと同時に、刀の鯉口を切る。

 「はあっ!!」

 吐き出した息と共に刀を思いっきり薙ぐ。

 刀の白い光跡が、肉塊を、呪いを、闇を、少女を縛り付けていた全てを切り裂き、やがてそこには、真っ白な空間に、白い花を付けた大樹が現れた。

―――

 肩で息をしながら、少女は刀を鞘にしまう。と、同時に緊張が解け、膝を地につけてしまう。

 (やった、のか?)

 もう瘴気も感じず、呪いの蛇もどこにも居ない。これで、刀の呪いは解けたのだろうか。

 「よくやったな」

 優しく、力強い声が頭上から響き、少女が顔を上げると、父が優しく微笑んでいた。

 「刀の呪いは解けた。お前は本当によくやった」

 かつて刀の呪いを解いた英傑が、たった今生まれた小さな英雄に、手を差し伸べた。

 その手を握り、立ち上がろうとするが、足に力が入らなく、少女は尻餅をついてしまう。
 やれやれ、と苦笑した父が、少女に背中を向け、「乗れ」とそながす。

 「い、いいよ、僕もう子供じゃないし」
 「何言ってんだ。親にとって自分の子はいつまでも子供なんだよ」

 はやく、と目で命じられ、少女は照れながらおずおずと父の背中におぶさった。

 父が少女を背中に担ぎ、ゆっくりと歩き出す。
 心地よい振動を感じながら、少女は父の大きい背中に顔を埋めていた。甘酸っぱい香りが鼻孔をくすぐる。

 「ととさま」
 「なんだ?」
 「あのね……僕の交神相手は変なやつなんだ。男のくせに女の格好をして、話し方や仕草まで女みたいで……」

 背中からは父の顔は見えない。だけど父が僕の言葉に耳を傾けてくれているのがわかる。

 「そいつが変な事をいうんだ。僕が父と母どちらにもなれるって言うの。人間には男と女しかないのに、だけどどちらにもなれる強さを持っているって言うんだ。それって、本当なのかな……?」

 言っていて少女は気づく。自分の背が縮まり、手足が丸みを帯びて、声も舌ったらずに変わってきている事に。
 あれ? 僕、幼くなってないか?

 「なれるさ」

 父が此方に顔を向ける。優しい眼差し。緋色の瞳に少女の姿が映っている。

 「呪いの蛇を斬れたお前だ。どんな選択をしようときっと大丈夫だ。だって、お前は、俺の自慢の子だから」

 ――未来は選択によって変わっていく。

 川の傍の焚火で聞いた、神の言葉を思い出す。
 父と母か、男と女か、どちらか選ばなくてはならないと思っていた。でも違うんだ。「どちらもなれる」という選択肢もあるんだ。
 どちらも併せ持つ強さ、僕たち人間が持っていると言った神の言葉を今なら信じれそうな気がする。
 きっとそれは、父が僕を認めてくれ、その父の背中がこんなにも温かいから。きっと今ならどんな選択も受け入れそうな勇気が湧いてきたから。

 「そっか、そうなんだ……」

 少女、いや、小さな童女は一人ごちりながら、そっと欠伸を噛みしめた。あれ、なんだか、酷く眠い……。

 「一つ、言い忘れていた」
 童女は重たい瞼を擦りながら、父の次の言葉を待った。

 「俺はもうお前の傍にいてやることは出来ないが、だけど、ずっと、お前を、愛している――」

 最後の言葉を言い終わり、男が後ろを振り返ると、童女は既に寝息を立てて、寝ていた。

―――

 孔雀院明美は、背中で寝ている少女を担ぎ、宮まで歩いていた。背中の少女は安らかな顔で寝ている。
 そっと、明美は目を伏せ、そして少し悲しそうに微笑んだ。

 「男も女も哀しいわね」

 明美のその言葉に呼応するかのように、沙羅双樹の花が一斉に咲いた。

 白い花弁が降り注ぐ中、一羽の孔雀が、明美と少女を先導するかのように、藍色の翼を広げて、飛び立った。


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二〇一四年水無月十二日

沙羅双樹の木の下で【拾壱】

 大蛇が現れると、もの凄い瘴気の風が少女を襲った。と、同時に酷い臭いがした。
 この腐敗臭にも似た臭い、知っている。あの夜、父が発していた臭い、場当たりの快楽に溺れ、生きる事を放棄した者が放つ、怠惰の臭い――。
 臭いをもろに嗅いでしまった少女の身体が揺れる。頭ががんがんする。

 「お前、は、なんで此処に……」

 痛む頭を押さえながら少女は周りを見渡す。黒一色の闇の中に、先程までいた孔雀院明美の姿はない。

 『言ったでしょ。私は貴方から生み出された呪い。何度でも現れるって』

 微笑みながら蛇が言う。
 昔の僕の顔。にっこりと笑ったその顔は、胸焼けを起こしそうなほど、美しかった。

 「う……」

 なんとか態勢を立て直し、少女は腰に手をやる。が、いつもそこに差してあるはずの刀はなかった。明美にとられたからだ。

 (こんな時に丸腰だなんて!)

 いや、刀を持っていようが丸腰だろうが関係ないのかもしれない。だってこいつは決して斬れないのだから。
 がし、と少女の顔を蛇の両手が挟む。形はほっそりとした人間の女のそれなのに、感触はぬめっていて、酷く冷たい。

 『刀はどうしたの? 捨てちゃったの?』

 少女の顔をした蛇が喋る。頬を挟む手を振りほどこうともがくが、蛇の手は離れない。

 『ダメじゃない、刀を手放したら。貴方はあれで沢山鬼を斬らなきゃ』

 違う、刀はあいつに取り上げられたんだ。男のくせに女の格好をしている、いつも意味もなくにこにこ笑っている、不細工でお節介な、僕が選んだ交神の相手に――。
 そう言いたいのに声がでない。首に何か締め付けられているかのように息苦しい。

 『あんな奴どうだっていいじゃない。嫌いなんでしょ。それに貴方は親になれないんだから』

 気を抜けば震えそうになるのをどうにか堪えて、少女は「違う! 」と発した。

 「違う、僕は……」

 そこまで発して少女は口をつぐんだ。何が違うんだ? 僕は男でも女でもないのに、自分自身がわからないのに、父になればいいのか母になればいいのか、それすらわからないのに、子を持つことなんて出来るのか?

 途端、景色が変わった。

 屋敷の大広間、上座に座る父、それを怯えながらみる自分。初めて屋敷に来たときの光景。
 父が冷たい目をこちらに向けて広間を後にする。
 どくん、と胸が鳴った。その時の感覚が思い出される。恐い、自分は、この人に必要とされていない――。

 夜。皆が寝静まった庭で、一人素振りを続ける童女がいた。
 あれは自分だ。髪を振り乱し、汗を流しながらがむしゃらに木刀を振っている。
 父に必要とされるほどの強さにならないと、父が望んだ男のようにならないと、そうじゃないと、自分は、父に捨てられる――。

 きりきり、きりきり、胸が痛む。忘れていた記憶、忘れようとしていた気持ちが直接心の中に入ってくる。

 やめろ、なんで、こんなものを僕に見せる!

 さらさら、さらさらと水が流れる鴨川のふもと。真っ赤な塊が二つある。
 一つは父。首をかっきり、血を噴き出させ絶命した父の躯。もう一つは自分。父の血を浴びて全身が紅く染まった、まだ女だった頃の僕。
 僕が泣いている。父の身体にすがり付いて泣いている。
 ととさま、やだ、逝かないで! 私を一人にしないで! 私を置いていかないで!
 私を、僕を、捨てないで――!

 「う、あああああ!」

 頭を抱えて少女が絶叫した。顔の傷から血が流れる。心をズタズタに切り裂かれ、身体の内側から痛みが生じる。痛い、痛い、痛いよ!
 身体が縮み、顔立ちも幼くなり、いつしか少女は童女の姿に変化した。

 「もうやめて! そんなの見せないで! 僕は強くなったんだ! あの頃とは違うんだ!」
 『嘘ね』

 大蛇が童女に話しかける。

 『貴方は弱いままだよ。その証拠に私を生み出した。貴方が弱いから、呪いを生み出した』

 そっと、蛇が童女を抱き締める。怠惰の臭いも、身体にまとわりつくぬめつく冷たい感触も、不思議と心地よく感じられた。

 『私は貴方、貴方は私。だからこれからはずっと一緒。親になんかならなくていいじゃない。私達を生み出した天界の神も下界の皆も皆殺しにしようよ。私達を否定した奴等に思い知らせてやろうよ』

 甘い、甘い、誘惑の声に、童女の身体から力が抜ける。たらたら、顔の傷から血が流れ続けている。かつて自ら付けた傷。流れる血は温かく、童女の顔をした大蛇の臭いは甘い毒となって、童女の身体中にまわる。
 気持ちいい。身体が腐敗していく感覚。心が堕落していく感覚。このまま毒に身を任せたら、きっと楽になれるだろう。

 「だけど!」

 童女が力を振り絞り、蛇を身体から引き離した。

 『!?』

 蛇が驚きに顔を歪める。と、同時に、顔に傷を付けた童女は、背丈が伸び、元の少女の姿に戻った。

 「その手には乗らない! 僕はお前に負けたりしない!」

 足を踏ん張り、奥歯を噛み締め、少女は目の前のかつての自分と同じ顔をした蛇を睨み付ける。

 『ふうん? じゃあどうするの?』
 「お前を斬る」

 蛇が甲高い声で笑う。けらけら、けらけら。明らかに少女を馬鹿にしている。

 『どうやって? 弱いくせに、男にも女にもなれなかった貴方が、私を斬れるの?』

 顔の傷から流れた血を拭い、少女は黙って手を翳す。すると、刀が現れた。林の中で枝を集めて作った、即席の木刀。

 『まさか、それで私を斬るつもり?』
 蛇が再び嘲笑する。その笑顔はグニャリと曲がり、酷く醜い。

 「お前はさっき言ったな、僕はお前だと」

 ばき、と少女が木刀を膝で真っ二つに折る。割れた木刀の先端は鋭利に尖った断面を見せていた。

 「こんな簡単な事、すぐに気づけなかった自分が情けないよ。いや、気づいていたのにそれをする勇気がなかった」

 言いながら少女は尖った刀の先端を喉元に押し付ける。

 『! まさか!』
 「そのまさかだよ。さっきお前の臭いを嗅いでやっと踏ん切りがついた。お前は、僕が生んだ呪いの蛇。周りを腐らせる存在だ。そんなお前は生かしておけない。だから、此処で僕と共に消えろ!」

 ぎゅ、と目を瞑り、木刀の切っ先を喉へと突き刺す。

 ごめん、叔父上、ごめん、イツ花、ごめん、ととさま。
 僕は交神できなかったよ。僕は親になれなかったよ。代わりに僕が刀の呪いを解くから。僕がこいつを道連れにするから。呪いは継がせない。僕が生み出した呪いは僕が始末する。僕が一人で――。

 「なんでお前は一人で抱え込もうとするんだ」

 耳朶に響く、懐かしい声に少女は思わず目を開く。

 手に持っていたはずの木刀はいつの間にか消え、予期していた痛みもない。首に触れるが、其所には傷はなく、血も流れていなかった。
 何故? 僕は確かに刀を刺したはずなのに……。
 ぽん、と肩に手が置かれた。その手は大きい、紛れもない「男」の手。
 置かれた手から視線を上に上げると、其所にいたのは、緑の長髪を一つに纏め、意思の強い緋色の瞳を此方に向けてくる、線の細い、だが精悍な顔つきの、もう会えないはずの懐かしい「男」の顔――

 「と、ととさま!?」
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二〇一四年水無月七日

沙羅双樹の木の下で【拾】

 朝が来て、また強い日が射す。
 少女は孔雀院明美の宮に入らず、林の中をうろうろする。手頃な枝がない。

 仕方ない、手折ろう。

 辺りをそっと見回し、太い枝を折る。ばき、と音がして、枝が折れた。握ってみる。うん、些か細いような気がするが、先程拾ってきた小枝をいくつか巻き付ければ丁度いい太さになる。
 袴の裾を破り、布で折った枝を一つに纏める。

 「よし」

 これで木刀ができた。有り合わせの枝を集めて作ったお手製の刀。
 ぶん、と一振りしてみる。やはり枝なので、本物の刀より軽すぎるが、素振りにはまあ十分だろう。

 『ここで刀を振るのは禁止』

 明美にああ言われ、継承刀を取り上げられたが、だからと言って日々の習慣は治らない。
 少女は剣術の稽古しか趣味といえるものはないし、常に刀と一緒だった。刀がないとなんだか落ち着かなく、そわそわしてしまう。

 ぶん、もう一振り。やはり軽い。が、贅沢はいえない。
 一振り、二振り、素振りを繰り返していくうち、身体が温まり、軽くなっていく。ここは林の奥で木々の影になっているから、明美に見つかることもないだろう。
 あいつに見つかったら、また素振りを邪魔されてしまう。それはめんどくさいという考えもあったが、本当は、明美と顔を会わせるのが気恥ずかしいのだ。
 昨日の夜、感情が昂って泣いてしまった。涙があとからあとから流れ、最後は嗚咽まじりで、鼻水まで出て、きっとぐしゃぐしゃの酷い顔だっただろう。
 明美はそんな少女に布を渡しただけで、何も言ってこなかった。泣いた事に対する叱責も、少女の酷い泣き顔への嘲笑もなく、ただじっと傍にいた。

 泣いたのはこれで二度目だ。一回目は、父が死んだとき。血にまみれ、冷たくなっていく父の身体にすがり付き、一晩中泣いてしまった。
 あの時は、涙が溢れるたび頭と身体が重たくなっていった。悲しみ、戸惑い、そんな負の感情が少女の身体に蓄積され、澱となって昨日までずっと心と身体が重たかった。

 昨日の涙はその時とは違った。涙が流れるたび、心のつかえがとれ、身体が軽くなったような気がする。
 泣くのは悲しいから泣くんだと思っていた。悲しくて悔しいから泣くのだと思っていたのに、それ以外の感情で涙がでるなんて知らなかった。
 泣きすぎて瞼が腫れて重いが、不思議とさっぱりした気分だった。
 でも、やっぱり泣いているところを見られたのは恥ずかしい。明美と顔を合わせてもどう接すればいいのかわからない。
 なので、明美が起き出すより早く起床し、宮を出て、少女は林の中に来ていた。

 ぶん、ぶん、と素振りを続ける。
 三十を越えたあたりから、型が崩れ、ただ棒をがむしゃらに振っているだけになった。

 「…………」

 これ以上剣の腕をあげて、僕は何を斬りたいのだろう。
 急に虚しくなった。下界に降りれば鬼は沢山いる。そいつらを斬り続ける事が、僕の、僕達一族の存在理由。

 でも、きっと僕が生きている間に、朱点童子は倒せない。

 今だって、やっと髪を三本斬っただけだ。あと四本、朱点童子の髪は強く、一族の何人かを犠牲にしてやっと三本だけ。
 一族の悲願を達成するにはあと何年かかるのだろう。二つの呪いが解けるその時、僕はこの世にいない。短命の呪いから抜け出した一族は一人もいないのだから。

 少女は我知れず両手で身体を掻き抱く。

 死ぬ。僕も死ぬんだ。今までの一族のように、父のように。
 僕じゃない誰かが、刀を継いで、悲願を達成する。それまでに僕はあの刀の呪いを解く事が出来るのだろうか。きっとあと一年もしないで死んでしまう僕は、もしかしたら呪いを解くことができないかもしれない。

 だって、あの刀の呪いは、僕自身がつけてしまったのだから。

 呪いを解きたい。その為に今まで戦ってきた。今もその思いは変わらない。
 でも、呪いを付けたのが僕自身なら? 僕はどうやって呪いを解けばいい?

 ふと、自分の手を見た。剣だこだらけの手。
 呪いは付けた相手を斬ることでしか解けない。なら、もしかして――?

 「キュー、キューキュ!」

 草影から鳴き声が聞こえた。怪訝に思った少女は、手から視線を上げる。
 がさがさと茂みが揺れ、現れたのは、藍色の身体に、扇状の見事な尾羽を持った、此処に初めて来た時に見かけた派手な鳥。

 その鳥が、少女の方をじっと見ている。

 「……なんだよ?」

 鳥の視線に耐えきれず、思わず話しかけてしまった。鳥は暫く少女を見つめたあと、とてとてと何処かへ歩いていく。

 (何処へ行くんだろう?)

 見たこともない鳥の色彩に目を奪われたからか、少女はこっそり後を追う。
 そして、辿り着いたのはある木の下。あの白い花、この木、見覚えがある。僕があの神のところから逃げ出して、暑さにやられて休んだ木だ。

 「あら、此処にいたのね」

 少女の後ろから聞き覚えのある声が聞こえた。
 振り替えると、やっぱり。孔雀院明美が風呂敷を抱えてにこにこと立っていた。

 「あ……」

 少女の顔が赤くなる。昨日泣いてしまったのを思い出し、それを見られた神を直視できない。恥ずかしくて。

 「もう、貴方宮にいないんだもの。探したわよ」

 明美は風呂敷に包まれた荷物を広げる。笹の葉でくるまれた握り飯がいくつか出てきた。

 「なんだ、それは?」
 「貴方朝餉まだでしょ? 折角だから外で食べようと思って」

 言われてみて、少女は腹を押さえる。
 確かに朝餉を抜いて素振りをしたから、お腹は空いている。

 ぐきゅるる~……

 胃から変な音がし、少女は思わず腹を押さえ前屈みになる。顔が赤くなる。恥ずかしい。こいつの前では恥ずかしいところばかり見せてしまう。

 「さ、ご飯にしましょう」
 明美は気に止めた風もなく、木の下にござを広げ、その上に履き物を脱いで座った。

―――

 握り飯を口に運ぶ。咀嚼すると塩のしょっぱさと米の甘味が舌に広がる。結構腹が減っていたようだ。握り飯を三つも平らげてしまった。
 食べ終わった少女の目の前に、味噌汁が入った椀が差し出される。
 明美の隣にいつの間にか鍋が置かれている。さっきまではなかったはずなのに。

 「どこからそんなもの持ってきた」
 「あら、此処ではなんとでもなるのよ」

 よく分からない理屈だが、まあ神通力なりなんなりで出したのだろう。
 椀を受け取り、味噌汁を啜る。しょっぱい。でも暖かい。
 明美の方を見ると、先程の派手な鳥に餌をあげている。妙に楽しそうだ。こいつの姿を見ていると、なんで此処に来たのかわからなくなりそうだ。僕は此処に“交神”に来たはず。でもそれを忘れてしまいそうな程、此処は穏やかで、そして明美は随分呑気だ。

 「孔雀院、そういえば力とやらはたまったのか?」

 そう問いかけると、明美の茶を入れる手が止まる。あの茶もお湯も一体どこからだしたのか。
 じっと、明美が少女を見据える。少女の心を探るように。
 
 「……貴方は?」
 「あ?」
 「本当に、子が欲しい?」

 目を逸らさず、明美は問いかけてくる。じっと見つめられ、少女は何も言えなくなる。

 「僕は……親になれない」

 ぴくり、と明美の眉が上がる。

 「お前が取り上げた僕の刀、あれには呪いがついているんだ。蛇の呪い。それを付けてしまったのは、僕自身なんだ」

 そっと明美が湯呑みを差し出してくる。茶が入っていた。

 「呪いを解かないと、それは次に継がれちゃうんだ。でも、僕はあの刀の呪いの解き方がわからないんだ」

 風が吹き、木々が揺れる。強い日差しがさんさんと降り注く。明美と対面しているというこの状況、昨日の夜と似ている。

 「それに、僕は僕が分からない。子供が出来ても、ととさまになればいいのか、かかさまになればいいのか、それすらも分からない」

 明美は黙って聞いている。こいつは昨日もそうだった。僕の言葉を否定しない。

 「呪いも解けないのに親にはなれない。呪いを解くには、僕がこのまま刀と死ぬしかない!」

 その叫びに、鳥がびくっと身体を震わせ、そして去っていった。下を向いたまま少女は肩を震わせた。
 そうだ、呪いをかけた者を斬るしか刀の呪いは解けないなら、僕自身があの蛇と一緒に死ぬしかない。
 死ぬなら子は作れない。親になって呪いを継がせるわけにはいかない。
 もともと僕は中途半端だったのだ。男でも女でもない宙ぶらりんな存在。父にも母にもなれない。なら、いっそのこと――

 「それでは駄目、と言ったじゃない」

 俯いていた少女が顔を上げる。目の前には真剣な表情の神の姿。少し怒っているようにも見える。

 「どうしてそんな風に決めつけるの?」
 「な、なにを……」
 「男か、女か、父か、母か。どちらかにならなきゃいけないなんて誰が決めたの?」

 何を言っているんだこいつは。

 「……人間は、どちらかにしかなれないんだよ」
 「どうして?」
 「どうしてって……男と女しかいないからだよ」

 明美は肩を竦めて目を伏せた。広い肩幅、太い首。こいつもおかしい。身体は間違いなく男なのに、どうして女の格好をして女の言葉を喋っているんだろう。

 「どっちにもなればいいじゃない」
 「は? 」
 「男と女、父と母、どちらもなっちゃえばいいってこと」

 言い終わり、明美は茶を口に運ぶ。少女はその様子をしかめ面で見ていた。こいつはまた変な事をいう。どっちにもなればいい?

 「そんな事できるわけないだろう」
 「出来るわよ」
 「何故!」

 噛みついてきた少女に、明美はふ、と笑みを浮かべた。少女の瞳が揺れる。

 「男の強さと女の優しさ、貴方はどちらも持っているわ。父と母のどちらにもなれる強さ、併せ持つ強さを貴方は、貴方達人間は持っている」

 目の前の、女の格好をした“男神”が語る。併せ持つ強さ。どちらにもなれる強さ?
 何か言わなければ。でも言葉が出てこない。口を開きかけたその時、

 「!」

 目の前が暗くなった。今は朝なのに、日の光と孔雀院明美の姿は消え、少女を闇が包んだ。

 「な、なんだ!?」

 立ち上がり、少女が辺りを見渡す。辺り一面闇だ。なんだ? 何が起きている! ?

 『やっと二人きりになれたね』

 闇の空間から、声が聞こえた。
 あの冷たい川で聞いた声。聞き覚えのある声、女の声。
 空間が歪み、そこから姿を表したのは、かつての僕、髪が長く顔に傷のついてない、女だった頃の僕の顔に、下半身が大蛇の、あの呪いの蛇だった。
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二〇一四年皐月廿七日

沙羅双樹の木の下で【九】

 ぱちぱち、木が燃え、はぜる音が響く。
 川から上がった孔雀院明美と少女は、焚火の前に座っていた。

 「ちょっと着替えてくるからね。覗くんじゃないわよ!」

 そう言って明美は木の後ろに隠れた。

 頼まれたって覗くものか、と言い返したかったが、全身水浸しの少女はぐったりとして、ぼう、と目の前の焚火を見ていた。
 ゆらゆら、紅い炎が揺らめいている。いつの間にか夜になっていたから、火の明るさがよく分かる。
 天の都に昼夜はない。孔雀院明美の神域も例外ではなく、常に強い日の光が差しており、太陽は沈まない。
 これでは眠ることが出来ないじゃないか、と、最初の日、少女が明美に言ったのだ。
 すると苦笑した明美が空へと手を翳すと、日が消え、空が暗くなり、月が昇り夜へと変わった。
 それから今日までの数日、地上のように昼夜が交互に訪れ、なんとか少女は時間の流れを知る事が出来た。

 煙が空へ昇っていく。それを目で追い、少女が空を見上げる。

 「…………」

 星が、瞬いている。随分沢山あるんだな。

 屋敷でも、討伐先でも夜空を見上げた事などなかった。夜は暗く、朝と昼は明るい。そのくらいの認識しか少女にはなかった。星も月も太陽も、ただ、そこにあるものだと知っているだけだった。
 じっと星を見ていると、なんだか地から足が離れ、夜空に吸い込まれそうで、少女は慌てて視線を炎に戻した。
 明美が木の棒を集めて興した火は、少女の濡れた身体を温める。
 火の呪なら幾つも知っている。「赤玉」に「凰招来」、「花乱火」に「七天爆」、鬼を焼き殺すために習得した呪。
 だけど、僕は鬼を殺すことはできても、身体を温めるための焚火すらおこすことすら出来ない。

 (……なんで、こんな事考えるのだろう)

 こんな考えはいらないのに。
 僕に必要なのは、鬼を斬るための強さ。呪いに打ち勝つため、心も身体も、誰よりも強くならなくては、あの呪いの蛇には勝てない。
 ――勝つ。本当に、あの呪いの蛇を斬ることが出来るのだろうか。

 『私は貴方。かつて貴方が生み出した呪い』

 あの冷たい水の中、蛇が確かにそう言った。生み出した? 僕があの刀に呪いをつけてしまった?

 『貴方自身を縛る呪いなの』

 僕自身を縛る呪い? 僕を何度も締め付けたあの蛇は、僕が自分自身を縛り付けていた?
少女は目を瞑り、頭を抱える。なんだよ、僕自身の呪いって。あれは父が付けた呪いだ。僕を否定し、死んでいったととさまが、蛇の姿になってあの刀について……

 でも
 本当にそうなのか?

 今まで思い付かなかった可能性。あの蛇の正体。父の姿ではなく、昔の僕の姿で現れた呪いの蛇。

 つまり
 呪いを生み出したのは、僕――?

 「はい、どうぞ」

 その声に、少女は目を開けて前を見た。
 いつの間にか、新しい着物に着替え、化粧もばっちり施した明美が、器を差し出している。

 「……これは?」
 「花のお茶よ。飲むでしょ?」

 少女が黙って器を受け取る。
 甘い花の香り。初めてここに来た時、出されたお茶。

 こく、と一口飲む。舌の上に、苦味と微かな甘味が広がり、喉を通り、胃に落ちて、やがて身体全体が暖まる。
 ふう、と思わず吐息がもれる。強張っていた筋肉が解れ、顔から力が抜けていく。

 明美はその様子を微笑みながら見ていた。
 何時もなら、その笑みに苛ついてしかめ面を返していただろう。だけど、不思議と、今はそんな気にならなかった。気力がなかったせいかもしれない。

 「美味しい?」
 「……嫌いじゃない」
 「ふふ、それは良かった」

 宮にあったはずの急須と器をいつの間に此処に持ってきたのか、そして何故僕は焚火を囲んでこの神と茶など飲んでいるのか。疑問は幾つかあるが、疲れきった少女には、それらのことはどうでもよかった。

 「………」
 向かいの明美の姿を見る。焚火の紅い炎に照らされて、濃い化粧の四角い顔に陰影を作っていた。
 目の錯覚だろうか。神の姿が、微かに金色の光で縁取られているように見えた。

 「お前は…何も聞かないんだな」
 「何を?」
 「……僕がお前から逃げ出した事」

 銅鏡を見せられ、そこに死んだ父の姿が写った時、少女は怒り、混乱し、わけのわからない衝動に駆られて無茶苦茶に走り去ってしまった。今考えてもなんと短絡的な子供っぽい行動か。
 てっきりこの神は、その事を責めると思っていたのに。

 「貴方が言いたいなら聞くわよ」

 そう言って、明美は焚火に木を足した。火の勢いが増す。
 ゆらゆら、ゆらゆら。紅い火が揺れる。火から発せられる熱は、少女の髪と着物から水分を蒸発させ、もうかなり乾いた。

 「……孔雀院」
 「なに?」
 「……死ぬって、怖いか?」

 明美の眉が上がる。
 少女がこんな質問をしてしまったのは、弱気になっていたせいか、それとも、温かい茶のせいで心身の緊張が緩んでいたせいか。

 「溺れた時、凄く苦しかったんだ。苦しくて、辛くて……このまま僕は死ぬのか、そう感じた時、凄く怖くなったんだ」

 その時の恐怖を思い出し、少女の指先が少し揺れる。器の茶が波紋を生む。
 あれが「死」なら、なんて痛くて苦しくて怖いものなんだろう。自分の身体が停止する恐怖。真っ暗闇に堕ちる恐怖。僕たち一族に、人間に必ず訪れる「死」。
 あれが「死」なんて、きっと耐えきれない。狂ってしまった父の気持ちが今ならわかる。この恐怖に耐えきれる者などごく僅かだ。

 「さあ、あたしには分からないわ」

 こぽこぽと明美が湯呑みに茶を足す。

 「どういうことだ?」
 眉間に皺を寄せながら少女が言う。

 「だって、あたし達神は死ぬ自由さえないから」
 「……死ぬ、自由?」

 死ぬのに自由があるのだろうか。死は、必ず訪れるもの。そこに選択の余地なんてない。自由――あるとすれば、父のように自らの手で己を殺すくらいだろうか。

 「あたしたち天界の神はね、死ねないの。心の臓を貫かれても、身体中の血を流しても、いずれ元に戻る。そういうものなの。あたしたち「神」と貴方達に呼ばれる者は」
 「それは……」
 少女の指が、顔の傷に触れる。刀で自らつけた傷。皮膚を裂き肉を抉る痛みは、今でも思い出せる。

 「……痛く、ないのか?」

 その問いに明美は笑った。
 馬鹿にしたのではない、少女らしい健やかな感性から出た直球の問いが、明美の心をくすぐったからだ。

 「痛いわよ」
 「何をしても死なないのに?」
 「ええ、下界の人間は、身体が死んだら痛みから解放されるらしいけど、あたし達は終わりがない。だからずっと痛いままね」

 少女の目が伏せられる。死んだら、痛みから解放される? 苦しみも? 父はそれを知っていたのだろうか。だから、苦しみを終わらせたくて、自分で死を選んだ?

 「でも、僕は嫌だ」

 ぎゅっ、と湯呑みを握りしめ、少女がぽつりと言う。向かいの神が此方を見ている。だけど、構わず少女は続ける。

 「いつか、必ず誰でも死ぬんだ。それは痛くて苦しくて、僕は我慢できないかもしれない。だけど、僕は逃げたりしない。僕を置いて死んだととさまのようにはならない!」

 そうだ、だから強くならなきゃ。ととさまより、一族の皆より、朱点童子より、神より。弱い女だった僕は死に、強い男として生まれ変わったんだ。なのに、

 『貴方は男にも女にもなれない』

 やはり、そうなのだろうか。僕は身体は女で、精神は男というちぐはぐな存在。父親にも、母親にもなれない存在。何にもなれないできそこない――

 「なんで……なんで男か女かどちらかしかないんだよ!」

 叫びに呼応するかのように、ばち、と薪が折れ、火の粉が発生する。明美は黙って少女を見ている。

 「僕は男にもなれない、女でもない、なら僕はなんなんだ?
 こんな中途半端な存在の僕が、誰からも必要とされない僕が、親になんてなれるわけないだろ!」

 絶叫に近いものだった。彼女の心にずっと巣くっていた澱。淀み。誰にも話したことのない少女の本音。
 そうだ、自分はおかしいのだ。男になれず、しかし女を捨ててしまった自分が、子を授けて貰おうと“交神”に来てしまった矛盾。子が出来ても、僕は父? 母?

 わからないわからないわからない――考えると頭が痛くなる。
 僕を、捨てないで。こんな男の成り損ないの僕を置いていかないで――!
 ぽん、と少女の肩に何かがのった。それは力強い手。大きな手、温かい手、「男」の手。

 「そのままでいいのよ」

 手の主――孔雀院明美が少女の顔を見ながら言う。
 その顔には微笑。ごつごつした顔なのに、その時の笑みは、優しい慈愛に満ちた笑みだった。
 手を退けられない。いつもなら触られるのが嫌で手を払うのに、今は何故か身体が動かない。

 「そんな風に自分で自分を縛っては駄目」

 明美が、じっと少女を見据えながら言う。翡翠の瞳に吸い込まれそうだ。まるであの夜空のように。

 「あれをご覧なさい」

 明美が顔を川に向ける。釣られて少女も横を向く。
 夜になっても川の流れは止まらない。水が静かに流れ、月と星の光が水面に反射し、きらきら光る。

 「川は常に動いているわ。まるで人の運命のようじゃない」
 「……どういう意味だ?」

 動揺してしまい声を低く発するのを忘れた。高い、少女本来の地声。

 「川の流れのように、運命というのは決まってはいないの。選択次第で次々変わっていくわ」

 明美の言葉が、胸に染み渡っていく。
 運命は変わっていく? そういうものなのか? 呪いを受けた僕達でも、運命というものを変えられるのか?

 「変えられるわよ、だって、あたし達と違って、貴方達にはその力がある。未来を造り出せる力。次へと繋げる力。生きている人間にしか出来ないことよ」

 少女の心を読んだかのように明美が続けた。
 単なる妄言、と片付けるには、その声音は温かすぎた。
 綺麗事を、と切り捨てるには、その言葉には力があった。次へ繋げられない、死ぬ事もできなく、永劫の時を生きてきた天界の神の一柱、孔雀院明美だからこそ出せる言葉。

 少女の瞳が水の膜を張っているのに、明美は気づく。

 「ち、違う! こ、れは……汗が目に染みたんだ! 炎があまりに熱すぎるから、だから…」

 明美は何も言わず、茶を少女の湯呑みに足した。透き通る緑の茶。神の瞳の色みたいだ。

 「涙を流せるって事はね、とてもいいことなのよ。心が死んでいない証拠。だから、貴方は大丈夫」

 少女が天を見上げた。涙が溢れないように。

 痛いのは我慢できる、苦しいのも我慢できる。どんなに痛くてもどんなに苦しくても、泣くのを我慢してきた。
 だってそうして今まで生きてきたから。泣くと僕が弱くなりそうだったから。
 でも、駄目だ、今みたく誰かの優しさに触れた時は駄目だ。涙が止まらない。

 涙が少女の頬を伝い、茶の面にぽとり、と雫が落ちる。

 夜空の星が瞬いている。作り物の夜空だろうに、この星も月も造り物だと分かっているのに、それがあまりにも綺麗だから、また涙が溢れてきた。
 温かい涙の粒が、少女の瞳から顔の傷に伝い落ちるのを、明美は微笑みながら見ている。

 焚火を挟んで向かいに座る神の視線を感じながら、少女は、心の淀みを流すかのごとく、泣いていた。
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二〇一四年皐月十七日

沙羅双樹の木の下で【八】

 ばしゃん、という音がしたと思うと、次の瞬間視界が青く変わっていた。耳に、鼻に、水が入りこんでくる。
 しまった。川に落ちたんだ。僕は水練を受けていない。泳ぎ方が分からない。

 息が出来ない。苦しい。

 身体が重い。身体に水が絡まり付き、手も足も動かない。
 溺れる。冷たい、苦しい、くるしい、誰か、助けて――

 『誰も助けてくれないよ』

 女の声が聞こえた。懐かしい声だ。此処は川の中なのに、何処から聞こえているんだろう。
 目の前の水が黒く染まる。ごぽごぽと気泡を発しながら、それは段々と人の姿になっていった。

 『分かっているくせに、いくらそんな格好したって、貴方は男になれない』

 黒い人の姿は発する。その姿はいつもの悪夢の父の姿、ではなく、緑髪を一つに結い上げた、緋色の瞳を持つ、傷一つない褐色の肌の「女」――。

 (あれは、僕?)

 いつの間にか、辺り一面真っ暗だった。だけどここは水の中だ。酷く寒く、そして呼吸が出来ない。

 『苦しいの?』

 女は、いや、かつての少女の姿をした者が言う。

(お前は、誰だ。呪いの蛇が今度は僕に化けたか)

 そう言葉にしたいのに、声が発せない。此処は川の中で息が出来なく、声を出しても厚い水の膜に覆われ伝播はできない。

 『私は貴方よ。貴方が刀につけた呪い』

 かつての僕の姿が言った。
 何を言っている。あの呪いの蛇は父がつけたんだ。僕を否定した父が死に際に付けた呪い――。

 『違うわ。薄々気付いているのでしょう』

 そいつが、手を伸ばし、僕の首に腕を絡めてくる。やめろ、とその手を払いたいのに、身体が動かない。

 『私は貴方。私は呪い。かつて貴方が生み出し、そして貴方自身を縛る呪いなの』

 ぴったりと、蛭のようにそいつが身体にへばりついてくる。この光景、見たことがある。
 そうだ、父がまだ生きていた頃、部屋で裸の父に絡み付いていた女。うねうねと手足を身体に廻し、怠惰と情交の臭いを発していた女。
 一つ違うのは、僕の身体に絡み付いてくるこいつは、昔の僕――「女」だったころの僕なのだ。

 『ねえ、貴方は男? それとも女?』

 顔を近づけながらそいつは言う。何を言う。僕は、「男」だ。

 『嘘ね』

 ぐにゃぐにゃと、そいつが姿を変える。
 顔だけは昔の僕、だけど下半身は大蛇の其れに変化した。

 『だったら、何故此処に来たの? 男なら、女神と交神するはずなのに』

 頭が、ぐらぐらする。呼吸が出来ないせいか、それとも、こいつの臭いに当てられたのか。

 『貴方は男にも、女にもなれない』

 甘く、高い「女」の声。かつての僕の声。いや、僕は声変わりなどしていない。普段は無理矢理低く発しているだけだ。
 つまり、僕は「女」のまま変わっていない――?

 『そんな中途半端な存在の貴方が、どうして子供を造ろうなんて思うの?』

 蛇が、ますます絡み付く。身体が重い。胸が痛い。苦しい。

 『父にもなれない、母にもなれない貴方が、子供なんて授かれるわけがないのよ』

 苦しさはどんどん増していく。僕は、どちらなんだ。おとこ? おんな? ととさま? かかさま?
頭が痛い。息が出来なくて苦しい。わからない。わからなくて苦しい。苦しいのは嫌だ。たすけて、たすけて、誰か――。

 『大丈夫。私が助けてあげる。私と一緒においでよ』

 僕の顔をした大蛇が、手を差しのべる。その顔には、まるで菩薩のような優しい笑み。
 臭いが、した。怠惰の臭い。だけど、その臭いを嗅ぐと、身体がとても軽くなる。頭がふわふわして気持ち良くなる。
 なんだ、簡単だ。この手を取れば、このまま気持ち良いまま、何処かへつれていってくれる。短命の呪いも、種絶の呪いも、なにもかも忘れさせてくれる――。
 右手を上げた。先程まで重たかった手が簡単に上がった。

 『そう、此方。此方へおいで――』

 その時だった。

 少女の胸から光が発した。
 金色の光。真っ暗な水の中を照らす強烈な光。

 『あ、ぎゃああああああ!?』

 蛇が、顔を覆う。光を浴びて、蛇の形は崩れ、ぶよぶよとした黒い塊へと戻っていく。

 『あくま、で、我、の邪魔を、する、つもりか』

 その声は先程までの「女」の声ではなかった。地獄の底から響き渡るような、暗く、おぞましい声。
 光は蛇を照りつけ、焦がしていく。光の発生源の少女の胸から、金色に輝く羽毛が現れる。

 『だが、我は、諦めないぞ。我は貴様。貴様の生み出した呪い。何度でも現れてやる――! 』

 羽毛の光に身を焦がされながら、蛇はそう宣言し、消えていった。光が収まり、後に残ったのは少女だけ。黄金の羽毛は何処にもない。

 (がはっ!)

 五感が少女の肉体に戻った。圧迫された肺の空気が口から出ていき、大きな気泡を生み出す。
 酸素不足により、目の前が暗くなっていく。駄目だ、倒れては駄目だ。早く、水上に、で、ない、と。
 くる、しい。溺れる。こんなに苦しいのは初めてだ。僕、死ぬのか?

 死ぬ。痛い。苦しい。我慢できない。助けて。死にたくない。助けて。たすけて、と、と、さま――。

 ぐい、と腕が引っ張られた。
 がっしりとした手。「男」の手。その手が僕を引っ張り、水上の光の方向へと連れていく。

 あれは、ととさま――?

―――

 「ぶはっ!」
 
 水面に顔を出し、思いっきり息を吐く。
 そして、吸う。新鮮な空気が口から入っていき、暗かった視界が鮮明になる。

 「はあ、はあ、げほっ」

 少女が咳き込む。川の水を飲んでしまったらしい。喉が痛い。
 緑の髪から傷がある顔まで全身が水浸しだった。着物がべったりと肌に張り付いて気持ちが悪い。
 横倒しになった舟に捕まりながら、少女は辺りを見回す。視界に、朱色の着物が見えた。

 「孔雀院!」

 少女が明美の方へと向かう。でたらめな泳ぎ方だったが、今はそれどころじゃない。
 明美はうつ伏せの状態で川に浮いていた。

 「孔雀院! おい、しっかりしろ!」

 顔をこちらへ向けさせ、何度か頬を叩く。結髪は乱れ、櫛や簪はとれて、顔は化粧がとれかけて斑状になっている。

 「う、ううん……」
 明美が呻き、ゆっくりと瞼を開く。翡翠の瞳が見えてきた。

 「大丈夫か?」
 明美を抱えたまま、少女が尋ねる。
 「…………」
 明美が、じっと少女を見ている。まだ意識が戻ってないのだろうか。
 「なんだ?」
 「ふふ……綺麗な……顔ね」

 バシャーン!

 少女が明美を思いっきり川へ投げ飛ばした。

 「ぶはっ! な、何するのよ!」
 「それはこっちの科白だ! いきなり気色悪い事をいうな!」

 明美は泳ぎながら少女の方へ近づいた。着物を着たままなのに、その泳ぎ方は優美だった。

 「…………」

 少女が明美の顔をじっと見る。
 化粧は崩れ、髪は乱れ、着物の衿が肩までずり落ち、立派な筋肉の胸板と肩を見せている。

 「何よ? 」

 少女が肩を震わす。そして次の瞬間天を仰いで大声で笑った。

 「ふ、くくく、ははは! お前、自分の顔を見てみろよ、まるで化け物だぞ!」

 「し、失礼しちゃうわね!」
 「はははは! だ、だって、化粧が崩れて、髪もぐしゃぐしゃで、こ、こんな不細工な奴初めてみたぞ!」

 少女は腹を抱えて笑う。笑いすぎて目尻に涙が溜まってきた。お腹が痛い。

 明美は頬を膨らませながら少女を睨んでいた。
 その一方で、いつも眉間に皺を寄せていた少女が、声を上げて心底愉快そうに笑うところを見て、明美は溜飲を下げた気持ちになった。

 茶褐色の空に、少女の澄みわたる笑い声がしばらく続いていた。
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二〇一四年皐月十三日

沙羅双樹の木の下で【七】

 ゆらゆら、ゆらゆら。
 視界が、揺れている。
 何故揺れているのか。僕はしっかりと立っているのに。地面が揺れる。気持ち悪い。吐き気を催してきた。
 此処は、嫌だ。何処かに行かなくては。でも何処に?  辺りは一面真っ黒な闇。どっちが前で、どっちが後ろなのか分からない。

 「此方へいらっしゃい」

 声が聞こえた。低く野太い「男」の声。
 声の方向へ首を動かす。何かが光っていた。光りながら其れはふわふわと浮いていた。羽毛? 金に光る羽毛?
 羽毛が、地面に落ちそう。少女は無意識に手で其れを掴んだ。
 少女の手の平で、羽毛の光が増す。その光は闇を霧散させ、やがて辺りを光で埋め尽くした。

―――

 目を開いた時、飛び込んできたのは、茶褐色の空に浮かぶ雲。眩しい日差し。それらが微かに揺れている。
 ちゃぷん、ちゃぷんと音が聞こえる。水の音?

 「やっと目覚めたわね」
 頭上から声が聞こえた。少女ががばっと身を起こす。

 少女は何故か舟の上にいた。
 目の前には、声の主―孔雀院明美が舟を漕いでいた。いつものように、にこにこと微笑を浮かべながら。

 「な、なんだここは!?」

 動揺した少女が思いっきり身体を揺らし周りを見渡す。その衝撃で舟が揺れる。
 
 「わっ!?」
 「こら、危ないわよ!」

 少女の態勢が崩れ、危うく舟から落ちそうになる。ぱしゃん、と水面に手をついてしまう。蛇に噛まれたはずの右手。
 しかし咬み痕はついていない。やはり、あれはいつもの悪夢だったのか。
 水面に自分の顔が写る。
 傷だらけの自分の顔。その顔が、状況を飲み込めず狼狽で歪んでいる。

 「大丈夫?」
 明美が声をかけた。少女は狼狽の表情のまま顔を明美へ向ける。

 「……なにをしている」
 「舟を漕いでいるの」
 「見ればわかる。なんで僕はお前と舟に乗っている?」

 確か僕は木の下で休んでいたはずだ。暑さにやられて、「仙酔酒」をかけて、木陰に移動して、それから……

 「大変だったのよ。気を失っていたあなたを此処まで運ぶのは」

 ちゃぷん、ちゃぷん。明美は腕を止めず櫂を動かす。水が掻き出され、舟が動く。その度に舟が微かに揺れるが、明美は殆ど揺れない。舟に足がくっついているみたいだ。

 「…………」
 少女は首を傾げる。気を失っていた?  僕が?

 「……それで、何故気を失っていた僕を、お前は舟に乗せた?」
 「あら、舟はお嫌い?」
 「そうじゃなくて!」

 前のめりになって喚く少女にも明美は動じず、ただ舟を漕いでいる。ちゃぷん、ちゃぷん。景色がゆっくり動いていく。
 頭痛がしてきた。会話が成り立たない。この神のやることは全くわけがわからない。
 何故僕はそのわけのわからないふざけた神と舟に乗っている? わからない。わからないことばかりだ。

 「舟遊びなら一人でやればいいだろ」
 こめかみを押さえながら少女が言う。
 「いやあね、一人だと寂しいじゃない」
 知ったことか。

 しかめ面のまま少女は周りを見渡す。
 ここは川? しかし、随分大きい。岸が霞かかって見えないし、流れも随分緩やかな気がする。少なくとも、鴨川とは似ても似つかない。
 鴨川――。父の死んだ場所。紅く染まった水面。流れていく血。水面に写る弱い自分の姿――。

 「ちょっと、顔色悪いわよ? 酔っちゃった?」
 明美が少女の顔を覗き込む。甘い香り。濃い化粧を施した角ばった「男」の顔。
 「……別に。僕は川が嫌いなだけだ」

 顔を背け吐き捨てるように言う。
 再び辺りを見回す。やはり大きい。ひょっとしたら、見たことはないが、これは「海」というものではないだろうか。

 少女の考えは、水面に浮かんでいた花の存在で否定された。
 話にしか聞いたことはないが、海には花は咲かないらしい。そして海の水は塩辛く、大きな波が出来て、見たことのない魚が沢山いるらしい。
 つまり、ここは海ではない。なら、やはり此処は大きな川か。
 先程の花が視界の端に流れていく。少女は首を回してそれを見る。
 八枚の花弁を持つ大きな花だ。薄紅色のその花は沈みもせず水面に浮かんでいる。なぜ流されないのだろう。
 ふふ、と笑い声が聞こえた。発したのは向かいの神。

 「……なんだ」
 「いえ、貴方、嫌いなものが多いのね」
 「……それの何が可笑しい」

 確かに僕の周りは嫌いなものばかりだ。

 紅蓮の祠の肌を焦がす灼熱が嫌いだ。
 忘我流水道の身を刺すような冷気と足元を流れる水が鬱陶しくて嫌いだ。
 美人画を買い、鼻の下を伸ばしている男衆が嫌いだ。
 酒を飲んでべろんべろんに酔っ払うだらしない奴が嫌いだ。
 そして何より、そんな事を聞いてくる目の前の女装をしたふざけた「男神」が今一番嫌いだ――。

 「なら、好きなものは?」

 その「今一番嫌いな神」が少女に問うた。
 少女は思いっきり顔をしかめ、「ない」と答える。

 「何もないの?」
 「ない」
 「何か一つくらいあるでしょう?」
 「ないったら!」

 好きなもの。そういえば僕は何が好きなんだろう。考えた事もなかった。何か楽しいと感じた事もあっただろうか。
 強いて言えば、初陣の時、初めて鬼を斬った時、隊の長を務めていた父が、僕の頭を撫でて誉めてくれた事。それが唯一思い出せる「楽しい」記憶。
 あの頃の父は強かった。大拵えの継承刀を何の苦もなく振り回し、次々と鬼を斬り、先陣をきった。
 強かった父の刀。今は僕の刀――。

 「……あれ?」

 腰に差してあったはずの刀がない。
 しまった。木の下で休んでいたとき、腰から抜いて側に置いて、そのまま眠ってしまったのか。

 「孔雀院、舟を戻せ」
 急に話しかけられ、明美は目を丸くする。
 「どうしたの急に」
 「刀を置いてきてしまった。白い花が咲いている木の下だ。早く戻ってくれ」

 明美が櫂を止める。そしてふう、と息を吐き、そのまま腰を下ろす。
 その仕草に少女は苛ついた。なんで腰を下ろす。何故櫂を動かさない。僕は急いでいるんだ。

 「あの刀なら、あたしが預かったわよ」
 「はあ?」

 思わずすっとんきょうな声を出してしまった。今、こいつはなんと言ったんだ。

 「……僕の刀を、預かった、だと?」
 「ええ」

 涼やかに明美は答える。少女のこめかみがどくんどくんと脈打つ。頭痛ではない、怒りのあまり血が頭に集まっているのだ。

 「なんの権利があって、そんな事を!」
 吠えかかる少女にも明美は動じず、困ったような笑みを浮かべて肩を竦める。

 「此処には鬼はいないわ。だったら刀なんて使う必要ないじゃない」
 「ふざけろよ! あれは僕の刀だ! 僕に必要なものなんだ! とっとと返せ!」

 明美の翡翠の瞳と、少女の怒りに燃える緋色の瞳が交差する。明美は少女の視線を受け流し、髪に触れながら飄々と答える。

 「駄目。ここでは刀を振るのは禁止」

 その言葉に、かっとなった少女が明美の胸ぐらを掴む。
 その衝撃で舟が揺れる。先程より大きく、重心が舟の片側に移動した事によって、一人と一柱の身体が傾く。
 
 「あ!」
 「あ!」

 舟が横倒しになり、そのまま少女と明美は、川に放り込まれた。
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二〇一四年皐月三日

沙羅双樹の木の下で【六】

 月明かりが格子から洩れ、小柄な少女を照らしていた。頬が痛い。従兄弟に殴られた左頬がまだじんじんする。

 少女は蔵の中にいた。

 あの後、鴨川へと一族の皆が来たとき、少女は父の骸にすがり付いて泣いていた。

 父――当主は既に絶命しており、その傍らには血塗れの少女。その少女の手には血塗れの継承刀。
 少女が父である当主を殺した――。槍使いの従兄弟にはそう写ったのだろう。
 少女の胸ぐらを掴み、血がこびりついた頬に思いきり拳を入れた。

 「お前は……なんてことをしたんだ!」

 吹き飛ばされた少女の口から血が流れた。口の中を切ったのだろう。鉄臭い味がする。

 「実の父を殺すなんて……親殺しの悪鬼め!」

 びくん。少女が反応する。
 ころした? 誰を? ととさま? 誰が? 誰がころしたの?

 「おい、やめろ」
 叔父上の声が聞こえる。
 「だって、父上……!」
 「首の傷口を良く見てみろ。深さと角度からしてこれは兄上が自分で付けた傷だ。恐らく…兄上は、自害したのだろう」

 耳に膜がかかったかのように、周りの声がくぐもって聞こえる。

 自害? ととさまが、自害?

 右手を見た。紅い。左手を見た。やはり紅い。
 視線を下に移し、自らの着物をみる。単衣と袴に、紅い血がべっとり付いている。

 血。誰の血?

 『やはり、女、だな』

 ととさまの声が聞こえた。
 優しい笑み。初めて見た顔。そこから発せられた、女である私への、『否定』の言葉。

 少女が、ふらふらと川へ近づく。
 「おい?」
 後ろから叔父の言葉が聞こえたが、少女は構わず水面を凝視していた。

 其所には血塗れの鬼がいた。

 顔に、着物に、一つに結った髪に、血をこびりつけ、虚ろな緋色の瞳で此方を見ている「女」の鬼。
 父を、守れなかった、小さく、弱く、父が最後まで「否定」した、女の姿――。

 さく、さく。
 後ろで一つに結った髪に刀を当てて動かす。
 はらり、はらりと髪が落ちていく。血がこびりついた緑の髪。

 ぷつり。刀の先を顔に当てる。血がこびりついた柔らかい頬に、新たな紅い線が走る。
 縦に、横に、「女」の顔に傷を付けていく。その度に血が流れる。
 痛い。でも今はこの痛さが心地よい。

 着物のあわせを左右に開く。褐色の双丘が露になる。
 刃をたてる。さく、さく。これは要らない。男はこんなものついてない。

 「何してるんだ!」

 叔父が少女の肩を掴む。刀が胸から離れる。
 「邪魔しないでよ、この肉塊を切り取るんだから」

 尚も刃を胸に刺そうとする少女の手を、叔父は掴んで刀を奪った。

 水面を見る。其所にはもう「女」の鬼はいなかった。

 血で紅く濁った水面に写し出されたのは、
 短い緑の髪を持ち、顔と胸に、幾つもの傷をこさえ、血を流す「男」の姿――。

 少女の口角が上がる。押し殺したような笑い声が漏れる。

 不気味に感じ、後ずさった叔父の顔を見上げる。
 少女は、笑みを浮かべていた。それはとても穏やかな、恐らく彼女が生まれて初めて見せる顔。

 ――ほら、もう鬼はいない。ととさまの嫌いな「女」の鬼は「僕」が殺したよ。
 良かった。「僕」は、もう女じゃない――。


―――

 父が鳥辺野に埋葬された後、少女は蔵に押し入れられた。
 父の跡を継ぎ、新しく当主の座についた叔父の命によるものだ。

 叔父曰く、当主捜しの任を果たせなかった罰との事だが、本当は、息子である従兄弟の気持ちをおもんばかっての判断であった。

 「あれも今は興奮しているが、落ち着いたらきちんと状況が見えてくるだろう。どうか、息子を恨まないでやってくれ」

 そう言った後、少女に何かを差し出す。それは父の刀だった。

 「今日からこれはお前の刀だ。兄上もお前に継いで欲しかっただろう。受け取れ」

 ずしり、と両手に刀の重みが伝わる。血は拭き取られ、磨かれた痕がある父の大刀。
 いや、もう父はいない。
 これは僕の刀。これからは僕が、この刀で鬼を斬る。

 叔父が外側から蔵に閂をかける。
 暗い蔵の中には少女一人。周りには様々な武器に防具、巻物に使われなくなった生活用品。
 その中に古びた鏡台があった。かけてあった布をとる。鏡に亀裂が入っている。
 月明かりの下へ運び、鏡を覗く。
 写っていたのは傷だらけの自分の顔。その顔は鏡の亀裂で歪んでいる。

 良かった。傷は消えてない。

 ほう、と安堵の息を吐く。
 あの後、叔父上達に取り押さえられて、無理矢理治癒呪を施された。
 僕は抵抗した。
 だってこの傷が無くなったら、僕はまた女に戻ってしまう。折角付けたのに。折角弱かった自分を殺せたのに。
 胸の傷は消えてしまったが、必死の抵抗のお陰で皮膚の薄い顔の傷は残ってくれた。長かった髪も短く切れた。
 でもまだ長いかな。せめて耳がでるくらい短くしないと。

 先程受け取った継承刀を手にとる。
 鞘から抜く。涼やかな音が響き刀身が露になる。月明かりが反射し、微かに刀が光った気がした。

 途端。

 「!?」

 刀から黒い靄のようなものが吹き出た。靄は大きくなり、やがてそれは黒い大蛇に変わった。驚きのあまり刀を投げ出してしまう。
 蛇は刀に巻きつき、鎌首を此方へ向けている。紅い眼が少女を射抜く。

 『また放り投げたな』

 蛇が喋った。その声はもう決して聞くことが出来ない者の声。聞き慣れた男の声。父の声。

 「お前は……鬼か。いつの間に此処に入った」

 震える膝を押さえ立ち上がり、全身の筋肉に力をいれ、少女が発する。
 最近は滅多にないが、昔は屋敷に忍びこもうとする野盗や鬼が稀に居たという。この蛇もそれらの鬼の一種か。何時から忍びこんでいたのか。油断していた。早く倒さなくては。

 『鬼はお前だろう』

 ぐにゃり、と蛇の形が崩れる。ぐにゃぐにゃと形を変え、やがて人へと変化した。
体格の立派な男の姿。かつて僕に剣術を教えてくれた、強くて、厳しかった、在りし日の若い父の姿――。

 「それで僕を惑わしているつもりか」

 鞘を握り、臨戦態勢をとる。声が震えてしまった。
 落ち着け。これはまやかしだ。蛇の鬼が変化しただけのこと。騙されるな。あれは父ではない。だって、父は――

 『お前が殺した』

 どくん。心の臓が大きく鼓動を打つ。こめかみがずきずき痛む。頭ががんがん鳴る。駄目だ。耳を傾けるな。

 『お前さえ強ければ、俺は死なずに済んだんだ』

 目の前の父の姿が変わっていく。長い緑の髪は艶を無くし、目が窪み、背丈が小さくなっていく。

 『お前にこの刀は使いこなせまい』

 父の目から血が流れる。どす黒い血。たらたら、たらたらと流れ続ける。

 『それで男になったつもりか。弱くて、非力で、俺を救ってもくれなかった』

 呼吸が早くなる。苦しい。まやかしなのに、あれは父ではないと分かっているのに、何故身体が動かない。

 『やはり、女だな』
 「違う!」

 叫びながら鞘を横へ薙ぐ。父の形は崩れ、形は黒い蛇へと戻り、刀へ巻きつき、消えていった。
 広い蔵に少女の荒い息づかいが響く。

 「違う、違う、違う……」
 胸元をぎゅっと握り、少女は呟く。それはまるで呪詛のように。

 「違う、僕は、もう男だ……」

 少女の呟きは、蔵の埃っぽい空気中に虚しく響き、霧散していく。
 床に放り投げたままの刀が、月明かりを反射したまま刃紋を浮かび上がらせていた。

―――

 それから、不思議な現象がおきた。
 討伐先で鬼を斬ったとき、それは起こった。黒い大蛇が刀からまた現れたのだ。
 大蛇は鬼の骸に乗り移り、黒い靄で覆ったかと思うと、姿を変えた。

 それは死に際の父の姿。

 父は、いや、父の姿をした大蛇は、血を流しながら、口を動かしてこう呟いた。
 『呪いが、まだ、解けてない』

 ザン!

 男装をした少女がそれを斬る。
 父の姿は霧散し、あとに残ったのは首が胴体から離れた紅こべ大将の骸。

 「どうした?」
 隊の長が少女に問いかける。

 先月父である当主を亡くしてから、どうも少女の様子がおかしい。
 顔に傷を付け、髪を切り、男用の甲冑に身を包んだ少女は、狂ったように鬼を斬るようになった。
 今だってそうだ。我先にと先陣をきり、鬼を斬ったかと思うと、今度はその骸に斬撃を浴びせる。少女の肩に手を乗せる。だが、その手を振り払い、少女は突進し、眼前の鬼を斬り続ける。

 「おい、前に出過ぎだ」

 隊の長の制止の声も、少女には届かない。

 「まだ、駄目だ」

 刀を振りながら少女が呟く。その呟きは誰にも聞こえない。
 大蛇が鬼に次々とまとわりつく。斬る。霧散する。また斬る。しかし鬼は斬れても、黒い大蛇は、決して消えない。

 ――呪い。

 刀匠・剣福の打った刀は、主の行動が反映される。
 鬼を仕損じると呪いが付くと、何時だったかイツ花が話してくれた。
 この刀の鬼の呪いは父が解いた。なのに、あの大蛇はなんだ。あれは僕にしか見えないようだ。

 「呪い……」

 そうだ、あれは呪いだ。
 鬼の呪いではない。父が死に際にこの刀にかけた、呪い。
 呪いは鬼だけがつけるのではない、人によるものもあるのだ、と少女は理解した。
 鬼の呪いならば、かけた鬼を斬れば解ける。しかし父が付けた呪いは解けない。何故なら、父はもう死んでしまったのだから――。

 呪いの大蛇が、迷宮の奥へと移動した。
 「待て!」
 少女が後を追おうとした。それを隊の長が行く手を阻む。

 「先走り過ぎだ!」
 「でも!」
 「もうすぐ一月が終わる。皆度重なる戦闘で疲弊している。今月はもう引き上げるぞ」
 
 ぎり、と少女は奥歯を噛み締める。
 あの大蛇の事を説明しても、皆は信じないだろう。だって、あれは僕にしか見えない。僕でしか斬ることが出来ない。
 斬る。本当に、あれを斬れるのだろうか。
 この刀についてしまった呪いの大蛇。斬らなくてはならないのに、呪いを解きたいのに、その方法が分からない。

 ずるいよととさま。こんな呪いをつけて何故貴方は逃げたの。怒っているの? 僕が弱かったから、僕が女だったから、だから呪いながら貴方は逝ってしまったの?
 目の奥が熱くなる。駄目だ、泣いては駄目だ。男は泣いてはいけないんだ。弱くては呪いを解けない。
 強くならなきゃ。父よりも、誰よりも強くなって、呪いを解いてしまわないと。

 『呪いは解けない』

 耳元で声がしたかと思うと、首が締め付けられる。しまった。大蛇が僕の身体にまとわりついている。息が出来ない。苦しい。

 『呪いの相手はとうに死んだ』

 身を捩る。しかし蛇は首からほどけない。負けては駄目だ。逃げては駄目だ。呪いを、とか、ない、と……。
 酸欠で目の前が暗くなる。倒れては、駄目、だ。くる、しい、だれか、ととさま、たす、けて

 きら、と、何かが光った。

 鮮やかな金色。扇状の飾り羽。翠の翼。

 あれは、鳥?

 鳥が、大蛇を啄んだ。
 大蛇が悲鳴をあげる。首の圧迫感がなくなり、楽に息ができる。
 暗くなりかけた視界に光が射す。日差しが眩しい。甘酸っぱい香りが鼻孔をくすぐる。

 白い花弁が舞う。先程の鳥が大きくなり、やがて人の、「男」の形に変わった。

 光が、強くなる。目を開けていられない。
 「男」の形は逆光でよく見えない。
 それが、手を差しのべた気がした。無意識に、その手を握ろうとしてしまう。

 だが、少女の手に大蛇が噛みついてきた。
 あ、と思った瞬間、目の前が黒く染まる。意識が遠退く。「男」の形が、狼狽える。
 くずおれ傾く少女の身体を、太い腕が支える。
 太い腕、男の手、ととさまの、手――。
 男装した少女がそう知覚した瞬間、意識が完全に闇に飲まれた。
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二〇一四年卯月廿三日

沙羅双樹の木の下で【伍】

 とある西の大陸の国では、悟りを開いた皇子が、妻と子を残して出家したという。

 (勝手だよな、そんなの)

 乱れる息を整えながら、少女は胸の中でごちる。
 何故そんな事を思い付いてしまったのか、少女は木にもたれ掛かりながら自問する。
 そうだ、父がいつか話してくれたのだ。うだるような暑い葉月。選考会で優勝した父が上機嫌で僕に話してくれた。
 この暑さのせいだ。此処の日の光が強すぎるせいで、忘れていた記憶まで照りだされる。

 少女が後ろを振り返る。孔雀院明美の姿は、もう見えない。
 何故自分はがむしゃらに走ってしまったのか。逃げたかった? 何から? あのふざけた神から? それとも――鏡に写った、父の姿から?

 「違う!」

 どん、と少女が木の幹に拳を打ち付ける。ぱらぱらと白い花弁が落ちてくる。

 「違う、僕は……」

 違う、逃げたわけじゃない。
 僕はただ、蛇が巻きついてきたからそれを振り切りたかっただけだ。
 あの刀についた、呪いの蛇。それが刀から僕の身体に移動してきたから。あれは斬れないから。だから、ああするしかなくて――。

 決して逃げたわけじゃない。僕は父とは違う。僕は、逃げたりしない。

 ふら、と少女の身体が傾く。

 思わず地面に手をつく。呼吸が速くなる。気持ちが悪い。しまった、暑さにやられたか。

 紅蓮の祠に初めて行ったときも、同じ症状に襲われた。慣れない暑さの中に長時間いたときに起こる症状。少女が舌打ちする。此処は鬼の巣窟ではないのに。仮にも天界でこんな症状に襲われるとは。
 「仙酔酒」を唱える。すると身体の怠さがなくなり、呼吸も楽になった。とはいえ油断は禁物だ。木陰に移動しよう。暫く休んだら戻ればいい。
 何処に? 決まってる。あの珍妙でお節介で大嫌いな、男神の宮へ。
 此処は天界で、あの火の神―孔雀院明美の神域なのだから。
 僕はもう逃げられない。此処からも、あの神からも、呪いからも――。

―――

 当主である父が逐電したあと、皆は酷く混乱した。
 当たり前だ。仮にも鬼切り一族の長が役目を放棄し、逃げ出したとあっては、京の御所にも、天界にも顔向けが出来ない。下手をすれば、天界からの加護を受けられず、そうなれば血は途絶え、最悪の場合お家断絶も考えられた。

 当主探しの任は、娘である少女に委ねられた。
 他にも何人か志願したものはいたが、少女は一人で行く、と頑として聞かなかった。
 その理由としては、娘である自分が行った方が、父の説得が上手くいくだろうという目論見もあったが、少女には別の思惑もあった。

 あの夜、父が酒と女に溺れていたのを見てしまった時、自分は父を罵倒してしまった。あの時の泣きじゃくる父の姿が、未だに脳裏から離れない。

 もっと、別の言い方があったのではないだろうか。父の自尊心を傷つけず、諫める言葉が。
 自分の言動が、父を追い詰め逐電させてしまった。そう思うと、胃の腑のあたりがずん、と重くなる。
 とにかく、父に会わなくては。会って話がしたい。そして、出来るなら、父から私への「許し」の言葉を聞きたい。

 少女は、父が置いていった継承刀を腰に差し、屋敷を後にした。

―――

 父はすぐに見つかった。

 京の外れの鴨川のほとりで、父は座っていた。
 濁りきった瞳は川の水面を見ていた。さらさら。水が流れる。水面に写るのは、艶のない緑の長髪と濁った緋色の瞳をもつ、かつて鬼の呪いを解いた英傑の、老いた顔だった。

 水面にもう一つ顔が写る。かつての英傑と同じ髪色、同じ瞳を持つ、若い女の顔。

 「帰りましょう。当主」

 背後からの少女の言葉にも、父は微動だにしない。ただ、背中を丸め、川を見ている。さらさら。川は相変わらず水が流れている。

 「当主!」
 苛立って更に大きな声をかける。それでやっと父は此方を向いた。
 痩せこけた頬、血色の悪い顔色、濁った瞳。死期の迫った、父の顔。

 「……俺を、殺しに来たのか」

 父の唇がそう言葉を発した。何を言ってるんだ。

 「……違います。迎えにきたのです。帰りましょう。貴方は当主です。果たさなきゃいけない役目があります」
 抑揚がでないよう少女は発する。感情的になっては駄目だ。父は弱っているのだ。心も、身体も。

 「……果たさなきゃならない役目ってなんだよ」

 父が、此方に身体を向ける。
 ぎろり、と鋭い視線が少女を射る。先程まで濁りきっていた瞳は、燃える炎のように紅い。
 視線を受けた少女が後ずさる。

 「もっと鬼を斬れってか?  俺はもう鬼を斬れない。
 剣を握りたくても手が震えやがる。剣を振りたくても腕が上がらない。俺はもう用済みなんだ。鬼を斬れない俺になんの価値もない」
 「違う!」

 聞くに耐えきれず思わず叫んでしまった。父の目が見開かれる。

 「当主、いや、ととさま。私には貴方が必要です。まだまだ教わりたい事が沢山あります。他の皆もきっとそう思ってます。だから、屋敷に戻りましょう」

 そっと、父へ手を差し伸べる。
 この手を握ってくれれば、私はととさまを離したりしない。あの夜のように、見放したりしない。だって、どんなになっても、貴方は私の、たったひとりの父なのだから。

 しかし、父は蹲る。頭を抱えて、小刻みに震える。

 「嫌だ、俺は……戻りたくない!」

 差し出した手をぎゅっと握り、少女は叫ぶ。
 「何故です! ととさまが望むなら、私は何だってします。一族の皆に頭を下げるのも私がやります! 何があってもととさまを守ります! だから……」
 「だが、お前は女だ」

 がん、と頭の中を衝撃が走る。ずっと気にしていた事。ずっと克服しようとしていた事。私が女だという事実――。

 「その刀もろくに振るえないお前が、俺を守れるわけがない」

 父が、私の腰の刀を見て言う。背の低い私では、この刀は大きすぎて地面を引きずってしまう。

 「身体も小さい、力も弱い女のお前が、男の俺を守れるはずがない」
 「できる!」

 叫び声が、辺りに木霊する。川の水面が、波紋を生む。
 父が尻餅をついたまま後ずさる。

 「なるよ! ととさま、貴方が望むなら私は男になりましょう。これから沢山鍛錬して誰よりも強い男になるよ! そしてととさまを最後まで守るよ! だから……お願い……私と一緒に帰ろう」

 今、私はどんな顔をしているのだろうか。泣き顔? 笑顔? それとも怒り顔?
 父が、口を開けて此方を見上げている。呆れているのだろうか。困っているのだろうか。

 強い、と思っていたととさまは、本当はこんなにも弱かったのだ。
 もう一度交神すれば男が授かれるかもしれなかったのに、男に固執しておきながら、交神する勇気もなく、享楽に溺れた父。
 刀の呪いを解いた英傑は既にいなく、目の前にいるのは、死の恐怖に怯え身体を震わす、脆くて儚く、守るべき存在、血の繋がった、たった一人の私の父。

 もう一度、手を差し出す。父の目が戸惑いに揺れる。

 父がおずおずと手を上げる。もう少しで私の手を握る、その時――。

 「っ!? がはっ!」
 父が咳き込む。口から血が吐き出される。父は口を押さえ、前のめりに倒れる。
 「ととさま!」

 少女が父の身体を起こす。父の顔色は土気色。口からは壊れかけたふいごのように、ひゅー、ひゅー、と音が漏れる。

 「苦しい……くる…しい……」

 少女は慌てて「円子」と「仙酔酒」を唱える。しかし父の様子は変わらない。これでは駄目なのだ。父は、短命の呪いに苦しんでいるのだから。

 「ととさま、待ってて!  今屋敷に連れていってあげるから!」
 父の手を引っ張り、肩に担ごうとした。しかし父は手を振り払い、少女の腰の刀を抜いた。

 「ととさま!?」
 父が刀の柄を少女に向ける。

 「やはり、俺はもう駄目だ。痛くて苦しくて我慢出来ねえ。こんな無様な姿、他の奴らに見せられねえ。だから、頼む、俺を殺してくれ」

 父が何を言ってるのか、少女には理解できなかった。

 呆然としている少女の前に、刀が突き出される。反射的に柄を握ってしまう。

 「ここだ、ここが心の臓だ。ここを突き刺せば一瞬であの世に行ける。さあ」
 左胸を叩く父の姿が滲む。刀を握る手が震える。震えは止まらない。

 ころす? ころしてくれって言ったの? ととさまが?
 誰が殺すの? ととさまを殺すのは誰?

 わ、た、し?

 脳裏に次々と画が浮かぶ。
 庭の木刀での稽古、父と行った初陣。大きな背中。鬼を斬る父。厳しい父、強い父、初めて会ったときの、冷たい父――。

 がちがち、がちがち。
 歯の音が合わない。手が、全身が震える。目から涙が溢れ、頬を伝い、地面へと染みる。

 「でき、ない、出来ないよ。ととさまを、殺すなんて出来ない!」

 少女が膝からくずおれる。刀が、手から離れ、地面に落ちる。

 「獲物を落とすとは何事だ!」

 びくっと、少女の肩が震える。見上げると、其所には刀を持った父が立っていた。
 懐かしい叱責の言葉。あれはいつ言われたのか、もう、少女には思い出せない。
 少女を見下ろす父は、大きく、凛々しく、そして、厳しい眼差しを此方に向けていた。

 「ととさま……」

 ふ、と、父が笑った。その笑みは、少女が今まで見たことがないほどの、優しい笑みだった。

 「やはり、女、だな」

 父が、刀を首筋に当てる。そして、そのまま首をかっ切る。

 血が、溢れた。父の首から、滝のように勢いよく血が噴き出る。
 血が、付いた。少女の顔に、少女の髪に、少女の着物に。

 父の血は、温かかった。温かさが全身に降りかかる。

 鴨川の水面が紅く染まる。しかしそれも一瞬の事。川の流れは止まらなく、血に濁った水を下流へと押し流す。
 びくん、びくん、と痙攣したあと、父は、完全に動かなくなった。

 刀が、放り出されている。血塗れの刀。かつて、父が、一族の英傑と呼ばれた男が愛用した、大拵えの刀。
 ととさま、ずるい。私が獲物を落としたら怒鳴ったくせに、自分は放り出すなんて。駄目だよととさまちゃんと握って。

 父の右手に、柄を添える。しかし父は握ろうとしない。

 おかしいなあなんで握らないのこれは貴方の刀だよ。貴方だけの刀。強い貴方のための刀。だから握って立ち上がって。立ち上がって鬼を斬ってよ。

 血に塗れた少女が、何度も父の身体を揺する。幼子が、寝物語をねだるように。

 父は動かない。緋色の瞳は完全に濁りきり、もう二度と光が宿ることはない。
 どくどく。紅い血が父の首から溢れている。少女の手が其処に触れる。

 『俺を、殺してくれ』

 嫌だ

 『ここを突き刺せば一瞬であの世に行ける』

 嫌だ

 『やはり、女、だな』

 嫌だ、嫌だ、嫌だ、ととさま、死なないで。置いていかないで。私、強くなるから。強い男になるから。だからお願い、目を覚まして――!

 少女が、父の骸にすがって泣いていた。
 日が沈み、夜になって、朝が来て、一族の皆が駆けつけるまで、少女はずっと、泣いていた。
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二〇一四年卯月十七日

沙羅双樹の木の下で【肆】※

 「なんだ、女じゃないか」

 それが、童女が聞いた父の最初の言葉。

 イツ花に連れていかれた屋敷の広間。上座に座っていた男――一族の当主であり、童女の父にあたる男が、苦々しい顔で此方を睨んでいる。

 「兄上、そんな言い方なさらなくとも……」
 「当主様、この方はなんだかただ者ではない眼の輝きをお持ちです!」

 叔父とイツ花の言葉にも、父は首を振るばかり。

 「この剣は女では使いこなせまい」

 父が刀を膝に乗せる。大きい刀だ。重たそう。

 「この剣を受け継ぐ者ができたと思ったんだがな……」

 そう言いながら、童女を一瞥し、父は広間を後にした。
 その時の童女には、父や皆の言っている事は難しく、半分も理解出来なかったが、ただ一つ分かった事は、

 ――私は、歓迎されていない、と言うこと。


 ばし、ばし、と打ち合う音。
 木刀を持った男と童女が、屋敷の庭で稽古をしていた。
 
 「あ!」
 男の木刀が横に薙ぐ。すると童女の手から木刀が消えていた。

 「獲物を落とすとは何事だ!」
 「申し訳ありません!」

 痺れる手の痛みを堪えながら、童女は頭を下げる。童女の木刀は、離れた地面に刺さっていた。
 あんな処まで弾き飛ばせるだなんて。やはり、ととさまは凄い。

 「罰として、素振り百回」
 「はい!」
 
 木刀を拾い上げ、童女は素振りを始める。
 しかしその手は震えている。まだ先程の痛みが抜けてないようだ。腰が入っていなく、型も未熟な童女を見て、男――父は溜め息を吐く。
 冷たい視線を受けながら、童女は素振りを続ける。

 ――まだ、駄目だ。もっと強くならなくては。

 「鬼の呪い? 」

 よく晴れたある日、少女とイツ花が縁側で茶を飲んでいた時のこと。
 父をはじめとする他の一族は、皆討伐へ行ってしまい、屋敷にはイツ花と少女の二人きり。
 だからといって稽古が中断されるわけじゃない。父達が帰ってくるまでに覚えなければいけない呪はあるし、来月の初陣までに、もっと剣の腕を磨かなければいけない。

 「当主様は、剣の呪いを解いた立派な方なんですよ」

 茶を運んでくれたイツ花が話してくれたのは、剣につく呪いの話だった。
 なんでも、父の持っている剣は、何代も前に、ある鬼の巣窟で敗走の憂き目にあった剣士の物だったらしい。
 その剣士が亡くなる時、剣が怪しい光を放った。

 それは、鬼の呪いの光。

 刀匠・剣福の打った剣は、持ち主の行動を反映する不思議な剣であった。
 持ち主が武勲を重ねると、主が亡くなる際に、剣に様々な加護がつく。しかし、鬼を斬り損じれば、その剣には呪いがつく。

 呪いは、かけた鬼を斬ることでしか解けない。

 それから何年も呪いを解ける者は現れず、蔵に厳重に保管されていたのだが、父がその剣を継承し、そして見事に鬼を斬り、呪いを解いたのだという。

 「だから、当主様は凄いお方なんです。皆呪いを解かれた当主様をお慕いいたしております。……そりゃあお嬢様には厳しく接しておりますが、きっとそれだけ期待しているンですよ!」

 笑顔でそう話すイツ花の声を聞きながら、少女は湯呑みに視線を落とす。

 「女でも……ととさまみたいに強くなれるかな」

 未だに覚えている。父に初めて会った時に投げ掛けられたあの言葉。

 父は、男の子供が欲しかったのだ。
 当然だ。父の剣は大刀だ。男でも相当鍛錬を積まなければ扱えないだろうに、男と身体の造りが違い、筋力も弱い女では、まともに振れるかさえ怪しいものだ。

 す、とイツ花が少女の頬を両手で挟む。
 「い、いふかぁ?」
 目の前にイツ花の大きな瞳が見える。

 「なーに言ってるンですかぁ! 大丈夫ですよ! 今まで何人もの女の剣士さんがいたんです。皆様立派に活躍されてましたよ」

 ぐにぐに、とイツ花が頬を寄せたり引っ張ったりする。

 「だから全然大丈夫です! なんてったって当主様のお子様なんですから! 明日をバーンとぉ! 信じましょ!」

 いつも明るいイツ花の口癖だ。何度も聞いてきたはずなのに、今日は一層胸に響く。

 「いふかぁ……いたい」
 「あ、ごめんなさい! 私ったら、つい……」
 
 イツ花がやっと手を放してくれた。じんじん痛む頬を押さえながら、少女とイツ花は目を合わせて笑った。
 私、初めて笑ったかも、と少女は思った。

―――

 それから数月後の事。夕餉の時、父が吐血した。

 イツ花や皆が慌てて処置しているのを、少女は呆然と見てるしかなかった。

 蒲団に横たえられた父の顔を見て、少女は言葉を失った。
 いつも毅然としていて、大きかった父は、いつの間にかやせ衰え、頬はこけ、身体もやや小さくなった。

 歳のせいだ、と皆は言った。

 一族にかけられた二つの呪いのうちの一つ、短命の呪いのせい。
 種絶の呪いは、神々と交わる事でなんとか子を残せていたが、短命の呪いは防ぎようがない。
 父はもう一年と五月だ。二年も生きれば大往生の一族の中では、父はもう老人なのだ。

 枕元に置かれた刀を見る。
 常に父と共にあった、かつて呪いを帯びた大刀。沢山の鬼を斬り、血を吸ってきた、父の、刀。その刀の主である父の顔は真っ青で、とても闘えるように見えない。
 胸が、痛む。拳を握る。父が死ぬ――いつか来ると覚悟していたはずなのに、今まで何人もの一族の死を見てきたはずなのに……
 いつも強い父のこんな姿は、見たくない――。

―――

 そして父は療養の為に屋敷に籠りきりになった。

 この頃からだ。父がおかしくなったのは。

 昼間は部屋から一歩も出ず、夜になるとうめき声をあげて暴れだす。少女をはじめ、家人総出で父を押さえ、薬を飲ます。それでやっと治まる。
 錯乱状態になった父は、必ずこう叫ぶのだ。

 「鬼が、俺を殺しに来る」「苦しい」「痛い」「呪いが、まだ解けてない」「死にたくない」と。

 その言葉を聞く度に、少女は刀で斬りつけられたような痛みを感じるのだ。
 ととさま、やめて。そんな事を言わないで。もう刀の呪いは解けた。貴方は立派だったのに。あんなに凛々しかったのに。
 お願い、強いととさまに戻って――。

 そうして一月が過ぎる頃には、父は錯乱の発作を起こさなくなった。
 皆は小康状態に戻ったのだろう、と胸を撫で下ろしていたが、少女は知っていた。

 父は、酒と女に溺れている。

―――

 きっかけは些細な事。
 ある夜、少女が厠へ向かうため、父の部屋を通り過ぎた時、酷い異臭がした。

 例えるならそれは、何かが醗酵したような、饐えた匂い。なんの匂いだろう。父の部屋から?
 少女はそっと襖を開け、部屋の中を覗いた。

 見えたのは、二つの塊。畳に転がっている何本もの銚子。
 二つの塊の一つは父だ。父が一糸纏わぬ裸体で、柔らかい何かに身体をぶつけている。
 その何かは、手足を蛸のように父に絡め、喉を大きく仰け反り、髪を振り乱し、くぐもった声を上げている。ぷん、と白粉の匂いがした。女だ。父と女が睦みあっている。
 ぐちゅぐちゅと水音が響く。酒と、白粉と、汗と、そして男女の情交の臭い。規律に厳しい父が最も嫌った、怠惰の臭い――。

 気がつけば、少女は襖を開けていた。
 思いきり開けた音で、父と女の視線が此方に向けられる。父と目が合う。少女と同じ緋色の瞳は濁りきり、焦点が合っていない。
 臭いが、一層酷くなった。

 何かが腐った臭い。怠惰の臭い。

 その臭いに当てられた少女は、まず裸の女の腕を引っ張り、部屋の外へ投げ捨てた。背後から女の文句が聞こえたが、それを無視して後ろ手で襖を閉める。

 部屋には少女と、裸の父が対峙する形になった。

 蝋燭の灯りに照らされた父の身体は、あばらが浮き出ており、太かった二の腕も弛んでいる。そして、血色の悪い痩せこけた顔の、濁りきった瞳が灯りを反射している。

 「……当主。これはどういうことか」

 動揺と怒りを滲ませた声をかけても、父は答えず、代わりに枕元にあった銚子を掴み、そのまま口をつけ一気に飲み干す。
 ぷはあ、と父が息を吐く。その酒臭さに少女は胸焼けを起こしそうだったが、どうにか堪えた。

 「全く、お楽しみの最中だったのによお、お前が邪魔したせいで興が醒めたぜ」

 その言葉に、少女は鈍器で殴られたような衝撃を受けた。
 違う。ととさまはこんな話し方をしない。ととさまは、酒を呑んだりしない。女を、屋敷に連れ込んだりしない。
 父が立ち、少女の方へ歩いてくる。千鳥足で此方へ近づいてくる父は、人ではない別の生き物に感じて、少女は後退りする。
 壁際に追い込まれた少女の横に手を置いて、父は顔を近づけた。

 「お前、この事誰にも言うなよ」

 濁った緋色の瞳が、少女を見つめていた。臭いが酷い。思わず顔を背ける。

 「俺はあと少しで死んじまう。なら残り少ない余生、好きな事して生きて何が悪い」
 
 父の口が動く。血色の悪い茶色の唇。そこから発せられる、だらしのない声。異臭。

 「当主、私は……」

 言葉を紡ごうとする少女を遮るように、父が笑った。

 普段の父からは想像出来ない、甲高く、狂った、声。目の前の、父が、いや、父の形をした「何か」が、発している。

 「可笑しいよなあ、鬼に斬られても、その痛みは我慢出来るのによお、この身体中のたうちまわるような痛みは我慢出来ねえんだよ」

 「何か」が天井を仰ぐ。何処を見ているか分からない目だ。

 「怖いんだ、死ぬのが。わらっちまうよな。あんなに鬼を斬ってきた俺が、死ぬのが怖いだなんてよ」

 「何か」がにやりと笑った。唇の端を上げた、下卑た笑い。

 「試しに酒を呑んでみたら、頭がぼんやりしてふわふわして気持ち良くなっちまって、怖い、だなんて感情なくなっちまった。
 次は女だ。夜伽ほど素晴らしいものはないな。気持ち良くって何もかも忘れちまえる」

 「何か」の形が崩れていく。父の形が崩れていき、現れたのは、ぶよぶよした、異臭を放つ肉の塊。

 「お前ならわかってくれるだろう? なにせたった一人の娘だもんな」

 肉の塊が、近づいてくる。
 異臭が酷くなる。痛みや苦しみから逃れ、考えること、感じることを放棄した者が放つ臭い、怠惰の、臭い――。

 「あんたはととさまではない」

 拳を握りながら発した声は、随分と低かった。
 肉の塊が、よろめく。

 「呪いに立ち向かわず、抗おうともしない。楽な方へ逃げて、思考を停止している。そんなのは当主ではない、私の知っているととさまではない! ただの怠惰の鬼だ!」

 その絶叫を聞き、肉の塊は父の形を徐々に取り戻してきた。
 父は、瞳から涙を溢れさせ、泣いていた。そこには以前のような厳しい面影は微塵もなく、幼子のように、ただ泣きじゃくっていた。

 父は死を恐れていたのだ。避けようもない死を。

 死の恐怖に負け、場当たりの快楽へと逃げたのだ。
 少女が認めてもらおうとずっと追いかけてきた者は、人であることをやめ、怠惰に身を堕とした、ただの肉の塊だった。
 そんな父の姿を見ていたくなく、少女は無言で父の部屋を後にした。

 自室に戻り、少女は泣いた。哀れな父の姿に、そしてそんな父を罵倒してしまった自分の思慮の無さを思って。

 それから数日、父は相も変わらず酒と女に溺れていたが、

 ある日、逐電した。
 継承刀を置いたままで。
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二〇一四年卯月八日

沙羅双樹の木の下で【参】

 上段に構えた刀を一気に下段へ降り下ろす。ぶん、と太刀が空気を裂く。 
 刀の重みが腕の筋肉へと伝わる。更に上段に構え、息を吐き、下段へ。
 五十回程繰り返した時、「まあ!」と野太く、高い声が聞こえた。

 「あらあらあら、一体何をやっているの?」

 孔雀院明美が、庭の木の下で素振りをしている少女に声をかけた。

 「見てわからないか、剣の稽古だ」

 うっとおしそうに少女は答える。
 素振りを邪魔された。今何回目だっけ。忘れてしまったじゃないか。

 天界に来て何日目だろうか。此処はとても退屈だった。

 宮にいれば、珍妙な格好の神と顔を会わせてしまうし、朝晩と妙に味の濃い食事を、その珍妙な神と共に食すというのはなかなか気分のいいものではないし、何より、緩慢に流れる時に押し潰されてしまいそうで、じっとしていられなかった。

 下界にいるときはこんなにゆっくりしたことなどなかった。
 毎月鬼の巣窟に討伐に出かけ、鬼を斬り、屋敷にいる時は常に剣術の稽古。その繰り返しで、少女はゆっくり休んだ記憶などない。
 じっとしていれば、もやもやした「何か」が自分の身体に入ってきて、内側から心と身体を腐らせてしまう。そんな焦燥感にかられ、少女は常に剣を振るった。
 花を愛でたり、碁を打ったり、美人画を買ったりと言った趣味など少女には皆無だった。
 ただ、父から継承した剣を振るって鬼を斬る。それが少女の唯一の趣味であり、また存在理由でもあった。
 そうすれば、このもやもやと心を重くする「何か」から解放される。そう思い、鬼を斬り、鬼の血を浴び続けてきた。
 しかし心は晴れない。どれだけ剣を振るっても、どれだけ武勲を重ねても、常に少女の心は「何か」に圧迫され続け、そのせいで常に不機嫌であった。
 仏頂面で、男装をし、男言葉を喋り、顔に傷をつけた少女を、一族の皆は「変わり者」と呼んでいた。

 その「変わり者」の少女を更に苛立たせているのが、今、素振りを邪魔した神。
 少女が「交神」に選んだ相手。男のくせに女装をし、女の言葉を喋り、厚い化粧を施し、常ににこにこと笑みを絶やさない、少女とは何もかもが真逆の、火の「男神」孔雀院明美の存在であった。

 「なんでそんな事する必要があるの」
 明美が妙に湿度のこもった声で問いかける。

 只でさえ「交神」を神の都合で待たされ、こんな所に閉じ込められ、不機嫌なのに、神がそんな質問をしてきたせいで、少女は更に苛ついた。

 なんで、て。そんなの決まっている。

 「……一日でも鍛錬を怠れば、剣の腕が鈍る。腕が鈍れば戦場で皆の足手まといになる」

 そう言って少女は素振りを続ける。神が此方を見ているのが分かる。その視線を受けて、剣を振る速度が先程より速くなり、刀を握る手にもより力が入る。

 なんで、だって?

 何故そんな事を聞くのか、それこそ少女には分からなかった。

 少女の一族は鬼切りの一族。鬼を切って、その首級を重ねることこそ美徳。
 より多くの鬼を殺し、自分より強い子を残す。そして朱点童子を打ち果たすことこそが一族の悲願であり、史上命題である。

 鬼を殺せば殺す程、「奉納点」とやらが貯まるらしい。

 どうやって鬼を殺した数を神々に献ずる数値に変換しているのか、少女にはわからなかったし、考えたこともなかった。そういうのは一族の世話係であり天界の巫女であるイツ花が全て行っていた。
 少女を初めとする一族の皆は、とにかく眼前の鬼を斬って斬って斬りまくる。それしかない、と教わったし、またそうする事に対してなんの疑問も持っていなかった。大抵の一族は。

 ぶん、と空気を裂く音が大きくなる。
 振動が腕から全身に広がり、少女の額に汗が浮かぶ。
 じろり、と少女は神の方を睨む。神は何やら複雑な表情で此方を凝視している。

 「……何だよ、その顔」

 何故そんな質問をするのか。何故そんな哀れむような視線を此方に向けるのか。
 天界だって僕達が鬼を殺すのを望んでいるはずだろうに。
 鬼を殺せばそれだけ一族は強くなるし、京の都も平和になる。何も悪いことなどないだろうに。
 なのに、何故、神は哀しそうな目をしているのか。そして、何故その視線を受けて僕はこんなにも居心地が悪いのか。

 ぶん、とまた一振り。
 神の視線を振り払うかのように、少女はまた剣を振る。
 じっとりと汗が滲む。此処の暑さと、そして強い日の光のせいだ。
 強すぎる光は全てを見透かすようで、まるで自分が異物のように錯覚させられ、その異物の自分が日の光によって焦がされ、消滅してしまう。そんな馬鹿げた妄想すら引き起こす。

 「そうして見ていると、貴方、まるで鬼みたいよ」

 上段に構えた腕が止まる。少女の緋色の目が、神の方を睨む。

 「……今、なんと言った?」

 少女の鋭い視線にも、怒りを滲ませた言葉にも、神は動じない。
 肩を竦め、ゆったりとした動作で着物のあわせをただす。そして袂から何かを取り出した。
 丸い形をしたそれは、銅鏡だった。

 「ほら、ご覧なさい」

 銅鏡を此方に向ける。日の光が反射し、少女の顔に当たる。眩しさに目を細めた少女は、舌打ちしながらそれをひったくった。

 「何だというんだ」
 銅鏡を覗き込む。

 其処には確かに鬼がいた。
 ばらばらに切られた短い緑の髪、緋色の瞳、褐色の顔に幾つもの傷をこさえた鬼が、此方を睨んでいた。
 僕の顔じゃないか。当たり前だ。鏡ならば自分の顔が写るのは当然の事。
 意図が掴めず、これを渡した神を見返す。

 「よくご覧なさい」

 そう言って、神は少女の隣に来て、鏡を指差す。距離が近い。甘酸っぱい香りがして、思わず傍らの神を見上げる。
 随分と背が高い。高く盛り上げた髪の分を除いても、少女の頭一つ分程高い。
 ふいに、神が此方を見下ろす。ごつごつした顔立ちに濃い化粧を施した顔が、困ったような笑みを浮かべる。

 「あたしの顔じゃなくて、鏡のほうよ」

 高い位置からそう言われ、少女はむかむかしてきた。見下ろされるのは嫌いだ。
 僕は背が低い。
 同じ年頃の家族と比べても、僕は背丈が小さかった。
 一族の男達はどんどん背が伸びて、身体つきも逞しくなっていくというのに、僕だけが小さく、どんなに鍛錬しても、腕は太くならないし、膨らみはじめた胸も平たくならない。
 きりきりと胸が痛む。顔の傷がひきつれる。
 この神のせいだ。男のくせに女の格好をしているこのみょうちくりんな神のせいで、古傷が疼くんだ。

 少女は思いっきり明美の顔を睨んだあと、鏡に目を向ける。
 其処には先程と変わらず、不機嫌な顔をした自分がいた。

 す、と隣の神が鏡に写る。

 すると、少女と明美を写していた鏡が紅く濁りはじめ、あ、と思ったその瞬間、鏡は別のものを写し出した。

 紅い濁りが除かれた鏡に写っていたのは、
 緑の長い髪と緋色の瞳をもつ、線の細い、だが顔つきは紛れもない男――とうの昔に死んだはずの、少女の「父」

 少女が拳を鏡に叩きつけた。鏡に亀裂が走る。

 「きゃあ! 何してるの!」

 鏡の破片が皮膚に突き刺さり、拳から血が流れでても、少女は構わず、鏡を地面に叩きつける。
 そして、神を再び睨み付ける。その瞳には、憤怒と、戸惑いと、そして微かな怯えが浮かんでいた。

 「……貴様、一体何をした」

 少女が明美の胸ぐらを掴む。
 明美の顔が近づく。頬骨が出て、輪郭の四角い顔。化粧を施し、禍々しい程艶やかな紅を引いた目蓋の下の、翡翠の瞳が困惑に揺れている。

 「答えろ! 今のはなんのつもりだ!」

 ぽたぽたと拳から血が流れる。
 血は手首を伝い、明美の着物の衿を汚す。紅い血が、朱の生地にじわじわと染み、どんどん広がっていく。

 明美が目を伏せ、そっと微笑んだ。

 そして胸ぐらを掴んでいる少女の拳に、自らの手を重ねる。
 明美の手が光り、少女は、あ、と息を飲む。

 触れられた部分から痛みが消え、じんわりと暖かくなる。
 これは、知っている。これは、治癒呪の暖かさだ。

 「やめろ!」

 少女が思わず手を衿から放す。
 しかし神は手を放さない。少女の傷ついた右手を両手で包み込み、治癒呪を施し続けている。
 どんなに力を込めて振り払おうとしても、神の手が少女の拳から離れることはない。ごつごつした節くれた大きな手。紛れもない「男」の手――。

 やっと右手が解放されると、少女は神から一気に距離をとった。
 右手にもう痛みはない。流れ出ていた血は止まり、傷もすっかり塞がっている。地に落としっぱなしだった刀を拾い、切っ先を神に向ける。

 あらあら、と明美は困ったように首を傾げる。

 「物騒だこと」
 「……質問に答えろ」

 少女が刀を構え直す。緋色の瞳は鬼を前にしたときのように鋭く、何時でも斬れるぞ、という意思が込められていた。

 明美は少女に背を向け、地面に放られた鏡を拾う。
 銅製の鏡は面が砕け、少女の血がこびりついている。ふう、と明美が息を吐き、少女の方に顔を向けた。
 またあの表情だ。僕が素振りをしていた時の、憐れむような、じっとりとした、あの表情――。

 「この鏡はね、心の中の鬼を写すの」

 そっと、明美は鏡の縁をなぞる。少女の眉がぴくりと動く。
 「心の、中の、鬼だと?」

 なんだそれは。

 「最も憎んでいる相手。最も殺したい者、そういった負の感情を写してしまうの」

 明美が目を伏せる。睫毛が長い。あれも化粧だろうか。
 「何故、そんな鏡を僕に見せた。僕の心を惑わすつもりか」
 刀の切っ先が揺れる。手に力を込めれば込めるほど、刀が震える。くそ、震えるな。

 明美はじっと少女をみる。
 翡翠の瞳に見つめられ、少女はまるで自分の心の奥底を見られているような、そんな不快な感覚を覚える。

 「だって貴方、鬼を斬りたいように見えないから」
 「!」

 緋色の瞳が大きく見開かれる。
 ぐらり、と視界が揺れたように感じた。
 手が、震える。先程よりももっと切っ先が揺れる。

 「な、にを……何を、言って……」
 息が速くなる。剣が重くなる。剣が黒い影に包まれる。あれは、蛇だ。あの日から、この剣についた、呪いの、蛇。
 がくっと、少女の膝が地面につく。苦しい。何かが喉を締め付ける。大蛇が、僕の身体に移動したんだ。やめろ、やめろ。やめて――。

 「ちょっと、どうしたの?」
 異変に気付いた明美が、少女に駆け寄り、その肩に手を乗せる。
 「触るな!」
 少女は手をはらおうとした。しかし明美の手はしっかりと少女の肩に食い込み、離れない。

 やめろ、僕に、触るな。男の手。血塗れの手。呪いの手。
 ぼくを、わたしを、捨てていった、ととさまの、手――。

 神が、何か言っている。だが聞こえない。
 いやだ、やめろ、蛇が、僕を喰らおうとしている。
 負けては駄目だ。喰らわれては駄目だ、弱くては、女では駄目なんだ――。

 力を振り絞り、少女は身を翻す。後ろから、野太い神の声が聞こえる。だが少女は振り返らない。
 神の声から、見えない何かから逃げるように、顔に傷を付けた少女は走る。少女が走る度、木々に咲いた紅や白の花が小さく揺れ、花弁を散らす。
 闇雲に、がむしゃらに少女は走る。目指す所はない。
 日の光がさんさんと降り注ぐ中、「呪い」を受けてしまった少女が、此処じゃない何処かへ必死に足を動かしていた。

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二〇一四年卯月三日

沙羅双樹の木の下で【弐】

 少女の一族は、朱点童子に二つの呪いをかけられた呪われた一族である。

 一つは、短命の呪い。常人の何倍もの速さで成長し、長くても二年経てば死んでしまう。
 もう一つは、種絶の呪い。人と交わり、子を残すことが出来ない呪い。

 短命の呪いは避けられないが、種絶の呪いに対しては、一つの解決策があった。

 それは、神と交わること。

 天界の神々と交わると、子が成せる。
 何故、子が成せるのか。そう考えた事のある一族は少なかった。ただ、初代から何代にも渡ってそうしてきたから、神と交わる儀式――交神の儀は、一族にとっては一番重要で、一番神聖な儀式、であった。
 一族は八月たつと元服したとみなされる。
 元服した者は、交神の儀を行う。それが一族の慣習である。

 しかし少女は厭がった。

 交神とは文字通り神と交わること。
 交わり方は人の男女のそれと変わりない――。だから一族の女は男神を、一族の男は女神しか選べない。

 冗談じゃない。

 顔と名前と能力しか知らない神と身体を重ねるなんて、考えただけで吐きそうだ。
 それに、少女は「女」を捨てた。あの日から、この顔の傷と共に。
 なのに今更「女」として「男」の神と交われだなんて、絶対に厭だ。

 『大丈夫ですよ! 神様の中には呪だけで子を授けて下さる方もいらっしゃいますから!』

 断固として交神を拒否する少女を見かねて言ったイツ花の言葉は、少女にとって一筋の希望だった。
 イツ花曰く、神によって交わり方は様々で、中には肉体的な交わりを必要としなく、特別な呪によって子を成せる神もいる、との事。

 それだけ聞けば十分だった。

 今の奉納点で、肉体の交わりを必要としなく、呪だけで子を成せる神。
 容姿はどうでも良く、ただ一つ、「火」の能力に長けた神、それだけが少女の“交神”の相手に求める条件だった。
 姿絵も見ず、名前だけ聞いて交神のため少女は天界へ送られた。

 そうして少女はかの神――孔雀院明美の所へ来たわけである。だが――

 (せめて姿絵だけでも見ておけば良かった)

 目の前のあまりにも変わった神を見て、少女は酷く後悔した。
 「男神」のくせに「女」の格好をし、「女」の言葉を話し、「女」のような仕草をする。
 しかもそれが全く似合っていない。全部がちぐはぐなのだ。

 (もしかすると、僕への嫌がらせか?)
 そんな邪推まで抱いてしまう。

 とにかく、子さえ成せれば交神の儀は終わるのだ。ならばとっとと終わらせて下界へ帰ろう。
 此処は長居するべき場所じゃない。何もかもがけばけばしく、鮮やかな色で、目がちかちかする。あの鳥も、あの花も、そして、目の前の神も。

 「ええ、出来るわよ」

 呪だけで子が成せるのか、という質問に、神はあっさりと答えた。
 少女の緋色の瞳が見開かれる。

 「なら、早くしてくれ。僕に呪をかけて子を授けてくれ」

 畳みかけるように早口でそういう少女を見て、孔雀院明美は溜め息を吐く。

 「まだ駄目」
 「はあ!?」

 すっとんきょうな声を発する少女に構わず、明美は湯呑みに茶を注ぐ。そしてゆっくりと茶を飲む。

 「……貴殿は嘘をついたのか」

 最後の一口を飲み干し、明美は湯呑みを静かに卓に戻した。

 「嘘はついてないわ。確かにあたしは呪で子を作れる」
 「なら!」
 
 身を乗り出して尚も言葉を紡ごうとする少女に、明美は遮るように言う。

 「その呪を行うためには、かなり力を溜めなきゃいけないの。仮にも一つの生命を創るんだからね」

 そっと、明美は髪に触れる。乱れてないか気にしているのだろう。
 無意識に少女も髪に触れる。短くばらばらに切った緑色の髪。髪がどうした。今は大事な話の途中だというのに。

 「その力はいつ溜まるんだ?」
 「さあ。あたしにも分からないわ。でも、一月経つまでには必ず溜まると思うわよ」

 と、いうことは、つまり。

 「……貴殿の力が溜まるまで、交神は出来ないということか」
 「そういうこと。飲み込みが早くて助かるわ」

 にっこりと笑いながらそう告げられ、少女は目眩をおこした。

 要するに、神の力とやらが溜まるまで自分は此処から帰れない。短ければ一日、長ければ一月もこの妙な神と共にいなければならないのだ。

 「ま、いいじゃない! たった一月よ。折角天界に来たんだもの。ゆっくりしていきなさいよ!」

 明美が少女の肩を小突く。そのあまりの強さに少女は思わず後ろへ倒れてしまう。
 「きゃあ! 大丈夫?」

 尻餅をついたまま、少女は頭を押さえる。頭痛がしてきた。

 「嫌だ、貴方顔色が悪いわよ? もしかしてお腹空いているんじゃない? 待っててね、今、何か作ってあげるから」

 そう捲し立てたあと、神は小走りしながら何処かへ消えていった。その後ろ姿は心なしか楽しげに見える。
 少女はこめかみを打つ痛みが強くなるのを感じた。

 ――一体、これは何の悪夢だ。

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二〇一四年卯月朔日

沙羅双樹の木の下で【壱】

 強すぎる太陽の日差しが、「少年」を襲う。
 あまりの眩しさに、剣士の「少年」は目を細める。

 暑い。

 茶褐色の靄を透かして照り付ける日差しは、「少年」の知っている夏の熱さとは少し違う。
 蒸せるような京の夏とは違い、水分が全て蒸発してしまったかのように、此処は渇いている。あまりにも強い日の光が、草花を一層鮮やかに照らしていた。隣の木を見上げれば、満開の紅い花が咲いている。それは鮮やかな紅。
 見たことのない花だ。と「少年」は思った。
 それは当たり前なのかもしれない。「少年」は生まれてこの方、京と鬼の巣窟しか知らなく、

 此処は、天界であったから。

 「少年」の前を一羽の鳥が横切る。
 鳥、だと思う。
 その鳥の身体は見事な藍色で、光の加減で翠にも輝く。尾羽の上の飾り羽は扇状に開き、その見事な造りに目を奪われた。
 先程の花といい、この鳥といい、此処では日の光の下で、何もかもが鮮やかに写り過ぎて、「少年」は自分がとても場違いな存在に感じ、思わず目を細める。

 「此方へいらっしゃい」

 声が聞こえた。

 高く発しようとしてはいたものの、地声は低く、それは紛れもない「男」の声であった。

 そんな男の声が、何故柔らかい「女」の言葉を発しているのか。
 怪訝に思った「少年」が声のした方を振り向く。

 目に入ってきたのは、朱の着物。背に生やした黄金の羽毛のような飾り。うず高く盛り上げた翡翠の結髪。その髪に挿された簪と櫛。
 遊び女のような格好をしていたのは、首が太く、肩幅も広く胸板も厚い、頬骨の目立つ顔立ちに酷く濃い化粧を施した、「男」――

 「あなたが例の子?」
 先程の鳥を手に抱いて、微笑みながら「男神」はそう言った。

 「ご指名、ありがと!」
 片目を瞑りながら「少年」に満面の笑みを向けたのは、この色鮮やかな神域の主、火の「男神」――孔雀院明美。

 その笑みを受けて、「少年」の全身に鳥肌が立った、という。

―――

 かの神の“神殿”は、白い石造りの宮であった。
 土間はなく、草履を脱いで床に足をつけると、石の冷たさを足の裏に感じた。
 通された間には椅子があり、大きな卓があった。

 今まで座布団の上に座った事しかない「少年」は、用意された椅子に腰をかけると、なんだか尻のあたりが心もとなく、そわそわしてしまう。
 神が優雅な手つきで茶を入れている。急須も、器も、随分変わった形をしている。此処に来てから「少年」の目にするものは、変わったものばかりだ。紅い花も、あの鳥も、この宮も、そして――目の前の女の格好をした珍妙な「男神」も。

 ちり、と痛みが顔の傷に響く。無意識に傷痕に触れる。其処に触れると、「少年」はふぅ、と息を吐く。

 「ねえ、どうしたの? その傷?」

 向かいに座った神が「少年」を見つめていた。

 どぎつい瞼の上の紅も、厚い唇に引いた紅も、この神には全く似合っていない。
 どんなに厚い化粧を施しても、派手な女の着物を何枚着ていても、筋肉隆々の「男」の身体の線を隠せていない。

 「少年」は苛ついた。

 自分が欲しいもの、決して手に入らないものを全て持っていながら、こいつは「女」の格好をして、「女」の言葉を話し、仕草まで「女」そのものだ。

 「……別に、あんたには関係ないだろ」

 高い声を無理矢理低く発して、「少年」は目の前に置かれた湯呑みを手にとる。
 妙な匂いの茶だ。花に似た香りがする。
 「少年」は一瞬躊躇ったが、神が毒を盛らないだろう、という変な理屈で自分を納得させ、茶を一口飲んだ。

 「……変な味の茶だな」
 「中身を見たい?」

 そう言うと神は、これまた優雅な手つきで急須の蓋を開ける。
 そこを覗いてみると、湯の中に花が沈んでいる。神がその花を取り出し、また新たな花を入れ、湯を注ぐ。
 湯が注がれると、丸かったその花は、ゆっくりと花弁を広げていった。
 その様子を目を大きくして凝視している「少年」に、明美はくすりと笑う。

 「ふふ、そんな格好してても、やっぱり「女の子」ね」
―――

 「!!」

 ガダン、と椅子が倒れる。
 「少年」いや、男装した「少女」は、動揺のあまり立ち上がり、その拍子に茶を卓の上に溢してしまった。

 あらあら、と明美は肩をすくめ、倒れた湯呑みを片付け、溢れた茶を布で丁寧に拭く。

 「……いつから、気がついていた?」

 その声は低いながらも、確かに年相応の「少女」の声であった。
 少女は顔に警戒の色を浮かべる。右手は剣の柄に触れ、身体中の筋肉を強張らせる。

 「いやあね、最初から分かっていたわよ」

 神がこちらを向く。ふわり、と着物の裾が揺れ、甘い香りが漂った。

 「だいたい、交神の儀は男と女で成すものでしょう。なら、「男」であるあたしのところに来るのは「女」の一族でしょうに」

 それに、と明美は続ける。

 「顔つきとか身体の線とか、やっぱり男と女は違うわ。あたしの身体がどう繕っても、女に見えないのと同じように、ね」

 少女はやや面食らった。
 なんだ、この神、自覚はあったのか。てっきりおふざけで女の格好をしてるものだと思っていたのに。

 「そんな怖い顔をしないで頂戴よ。ほら、お座りなさい。お茶のおかわりを入れて上げる」

 少女は暫く茶を入れる神の挙作を睨んでいたが、やがてどっかりと椅子に座り直した。
 入れ直した茶を一口飲む。
 
 甘い。

 先程は分からなかったが、よく味わうと、この茶は苦味の中に僅かに甘さがあった。
 孔雀院明美は、その様子を微笑みながら見ていた。

 紅を引いた唇が口角を上げたのをみて、少女は嫌悪を抱く。
 それはこの神のお世辞にも美しいとはいえない、むしろ不細工ともいえる面に全く似合っていないからか、 それとも――あの日、父と一緒にいた女の唇にも、紅が引いていたのを思い出したからか。

 どん、と少女は湯呑みを乱暴に置く。卓が揺れる。
 その音にびくっと神が驚く。

 (女みたいな反応しやがって)

 もやもやと増える胸の重石。苛々が益々酷くなる。
 不機嫌さを隠さず、少女は神に問う。

 「孔雀院明美殿。貴殿は呪によって子を成せると聞いたが、それは本当か?」

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二〇一四年弥生三十日

紅き血を求めて※

 山海峡。
 細く、険しい天地を貫く峰々。
 その山の麓で、虎が何かを喰らっていた。

 その虎――半身半獣の虎神、黄黒天吠丸は、下に組敷いた半神半人の女、短命と種絶の呪いを受けた一族の女の身体に、激しく自らの剛直を突き刺していた。
 端から見ればそれは大きな虎に人間が喰われているように見える。

 「はひっ……か、はっ!」

 女が悲鳴を上げる。その身体には、どろりとした体液と、そして、幾つもの傷があった。

 吠丸は気に入らなかった。

 自分が下界に落とされていた間に、いつの間にか最高神に収まっていた「あの女」に、ある人間の一族と交わり子を残せと命じられたから。

 吠丸は苛ついていた。

 その一族の女が、自分に会った時に、怯えもなく、真っ直ぐに自分を見つめ、「貴方の血が欲しい」と言ってきたから。

 「欲しけりゃ力づくで奪うんだな」

 そう言って、吠丸は女を押し倒した。そして、その身体を手酷く扱った。
 首筋を咬み、両胸の突起も執拗に舌で弄り、咬んだ。
 秘所を味わおうとしたところ、女が抵抗したので、爪で肌を引っ掻いた。肌に紅い線が残り、其処から血が滲むと、女は大人しくなった。
 それ以降、女が抵抗すると肌に爪を立て、気がつけば女の身体は引っ掻き傷でいっぱいになった。

 外側だけではなく、吠丸は女の内側も自らの肉棒で突き上げ、汚した。
 膨れあがった花芯を舐め、擦り、孔道を執拗に往復した。そして何度も精を吐き出し、肌を汚した。

 そこまで痛め付けても、女は吠丸を拒絶しなかった。
 苦痛に顔を歪めながらも、悲鳴をあげながらも、女は辱しめに、痛みに耐え、吠丸を受け入れ続けた。その態度が、吠丸を更に苛立たせた。

 何度目かの吐精。吠丸は決して女の胎には出さない。この時も女の外、臍の下の下腹部に吐き出した。
 吠丸が、女の身体から身を離す。

 「これで分かっただろ? 俺は「あの女」の思い通りにはならねえ。だからお前に子をやらねえ」

 そう声をかけても、女は返答しない。汗と体液に満ちた胸を上下させ、紅潮した顔で荒い呼吸を繰り返す。
 そのまま女を捨て置き、立ち去ろうとした。
 その時――。

 「うお!?」

 吠丸の尻尾が掴まれ、引っ張られたと思うと、そのまま原っぱに倒された。
 倒したのは傷だらけの女。
 
 「なにしやが――」
 
 激昂し噛みついてやろうとした時、女が、吠丸の剛直を思いきり握りしめた。

 「まだ、足りない」

 女が、言う。

 「奪えと、欲しければ自分で奪えと貴方は言った」
 
 言いながら女は剛直を弄る。吠丸が痛みに顔を歪ませる。

 「だから、まだ足りない。これだけでは、貴方を奪えない! 」

 言い終わると女は吠丸の剛直をくわえた。歯を立て、噛むように、また慈しむようにそれを口でしごく。

 女は、欲していた。吠丸の高い能力の血を。
 女は、欲していた。自分より強い“火”に長けた子を。

 その為になら、この神に喰われ、そして喰うのも厭わない。
 奪う。私は。この神を。この神の血を――

 「ん!?」
 
 女の口から剛直が抜かれる。そしてそのまま押し倒される。
 押し倒したのは、虎神。
 その眼は、神の気性を表すかのように、燃え上がる炎のように紅く爛々と光っていた。

 「……上等だ」

 神が、再度剛直を女の秘裂に差し込む。何度も突き刺し、蕩け、火のように熱くなった其処に、奥の奥まで突き上げる。

 「好きにしろ!」

 神が女の肩に牙を立てる。新たな血の匂いが吠丸の鼻孔をくすぐる。

 奪う、だって?
 人間ごときが、「あの女」の、天界の手駒にしか過ぎない一族の女が、俺を奪えるのか。
 俺の血が欲しいだって?
 ならば奪ってみろ。この黄黒天吠丸が、全力で相手をしてやる。

 吠丸がそう思ったのは、女の血の匂いに当てられたからか。それとも、女の真っ直ぐな言葉が、吠丸を貫いたからか。

 血が、流れる。女の肩と、それから、吠丸の首筋から。
 女は吠丸の首筋に食らい付いていた。
 歯が立てられる。吠丸を食いちぎるかのように、全力で女は噛みついた。

 互いの身体に食らいつく一人と一柱。

 天地を貫く峰々の麓、青い草が敷き詰められた原っぱの上で、互いの血を流して、互いを喰う二匹の“獣”が、いつ終わるともしれない交神の儀という「戦い」を続けていた。

(了)
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二〇一四年弥生廿六日

蒼の残像

 其処に降り立った時、拳法家の少年は愕然とした。

 周りは鬱蒼とした森。烏の鳴き声があちこちから聞こえ、空には太陽ではなく青い月が浮かんでいる。

 (こんな薄気味悪い所で、異父姉上は一月も過ごしたのか……)

 烏達が一斉に鳴いた。
 すると少年の目の前で、生暖かい風が渦巻き、やがて風の中から黒い形が現れた。

 「なんだ……お前は」

 黒い形――風神・やたノ黒蝿はそう少年に問うた。
 一瞬身構えた少年は、それが探していた神だと知って、身体の緊張を解いた。

 「……やたノ黒蝿…様、でしょうか?」

 様、という敬称をつけるのを一瞬躊躇い、普段使いなれていない敬語を発すると、少年の中に何かもやもやした感情が生まれた。

 「……そうだが、お前は確か交神に昇ってきた小僧だったか?」
 「誰が小僧だ! 俺はもう元服をとうに済ませている!」

 たかだか一年そこそこしか生きていない人間など、黒蝿にとっては小僧どころか赤子そのものだが、少年のあまりに真っ直ぐな言い方に黒蝿は笑う。

 「で、とうに元服した“小僧”が俺になんの用だ?」

 再び小僧と呼ばれた少年は、かっとなって思わず手が出そうだったが、どうにか堪えた。
落ち着け。俺はこの黒い神に用がある。そのために、交神相手の女神に無理を言って此処に寄らせてもらったのだから。じゃなきゃ誰がこんな奴に会いに来るか。

 「……姉上から、あんたに渡してと頼まれた物がある」
 「姉?」

 聞き返してきた神に、少年は眉を寄せる。

 「……数月前に“交神”しにきた相手をもう忘れたのかよ」

 怒りを滲ませた少年の瞳を見て、黒蝿は既視感を覚えた。
 少年の顔を改めて見る。容姿は全く似てないが、あの瞳には見覚えがある。
 九重楼で自分を解放し、声を失い何度も絶望し、それでも生きたいと、子を授けて欲しいと黒蝿に願った、暗闇で一際目立つ青い髪と瑠璃色の少女――

 「あいつの弟か」

 少年がずい、と何かを黒蝿の前に出す。
 それはヤツデの葉に似た形状の扇、かつての黒蝿の武器、天狗の扇だった。

 「これをあんたに返してくれと」

 少年の瞳を再び見つめ、黒蝿はそれを手にとった。

 少女が「死者の泉」に向かった時、黒蝿は後を追い、なんとか少女を確保したが、黒蝿は風に身を刻まれ、少女と奈落に落ちていくのを止める事が出来ない状態であった。
 そこで少女にこれを渡した。一振りで凄まじい風を起こす自らの武器、天狗の扇。
 少女にこれが使えるかどうかは思慮の外で、あの時はそんな余裕はなかった。
 だが、少女はこの扇で死者の怨念と瘴気を吹き飛ばし、活路を得た。それは少女の力か、それとも火事場の馬鹿力だったのかは分からなかったが。

 (なくしたと思っていたが…あいつがずっと持っていたのか)

 取っ手を握ると、黒蝿の手にしっくりと馴染んだ。
 これがなくなったからといって、黒蝿は特に執着していなく、新たに作ればいいと思っていたが、律義にも弟を寄越して返しに来るとは。

 (あいつらしいな)

 黒蝿は微笑を浮かべ、妙に警戒している少年に扇を差し出す。

「お前、これが使えるか?」

 そう問われ、少年はムッとする。
 たかが扇、ただ振ればいいだけのこと。自分は器用な方ではないが、それくらいできる。
 少年は無言で扇をひったくると、乱暴に手首を動かす。

 途端――。

 「うわっ!」

 凄まじい風が少年を襲った。
 扇から発生した風が木々を激しく揺らし、発生源の少年も、風を押さえきれずに後ろへと吹き飛ばされた。吹き飛ばされた少年は木の幹に背中を打つ。
 激痛が走り、一瞬息が出来なくなる。
 少年の頭上からくつくつと笑い声が聞こえる。

 「成る程な。まあ普通はこうなるよな」

 見上げれば黒い神が自分を見下ろしていた。手には天狗の扇。
 先程の衝撃で思わず手放してしまったのを、いつの間にかこの黒い神が手にしたらしい。

 少年は思いきり黒蝿を睨んだ。
 なんなんだ一体?
 俺をからかっているのか、それともただ自分の武器を自慢したいのか?

 「あいつは使えたぞ」

 あいつ、というのが誰を指すのか少年にも分かった。
 風に吹かれた長い髪。少年とは違う髪の色。
 瞼の裏に焼き付いて消えない、青い、色――。

 「一度だけ、しかも急場しのぎだったがな、確かにあいつはこれを使えた」

 たった一月一緒にいただけだろうに、自分の方が姉と過ごした時間は遥かに長いのに、目の前の神と姉の間に、自分の知らない時間があった――そう認識したとき、胸の奥がきりきりと痛むのを少年は感じだ。

 「あんた、姉上の事愛していたか?」

 そんな質問をしてしまったのは、胸の痛みのせいだろう。

 黒い神は答えない。
 逆光で表情は見えない。だけど、神がそんな質問に対し笑ったように少年は感じた。

 「姉上は……」

 次の言葉を妨げるように、少年の前に、神が何か大きな物を差し出す。
 一瞬面食らった少年は、差し出されたものが箏であるのを知覚した。

 「直すのに苦労した。お陰でこんなに時間がたったが、持っていけ」

 少年が受け取る。暗くて細部までは分からないが、それは確かに姉が生前大事にしていた箏だった。
 
 「……やっぱりあんたが箏を壊したのか」

 やや殺気だっての詰問でも、神は答えない。少年が拳を握る。

 「あいつの箏の音を聞いたとき、俺は臆病さが現れている、と言ったんだが」

 少年の質問には答えず、神は独り言のように言葉を発する。

 「あれは嘘だ。あの時はああ言うしかなかったが、本当は違った」
 
 そう、違ったのだ。
 少女の奏でる箏の音は、痛々しいまでに激しく己を憎み、しかしそんな自分を変えたいと言う切なる願いが込められていた。
 その音は温んだ水のような優しさと、全てを焼き尽くす火のごとき熱さを併せ持った複雑な音となって黒蝿の耳朶を打った。
 そんな箏の音を聞いたから、黒蝿はなおのこと、少女が変わる手助けをしてやりたいと思った。
 そして過程はどうであれ、少女は声を取り戻し、変化への一歩を踏み出した。

 「そう、あいつに言ってやれば良かったんだがな……今はもうそれは叶わなくなったのだろう」

 そう語った神の声は少し寂しげに聞こえた。

 「……知ってたのか。姉上が亡くなったのを」

 黒蝿が笑みを浮かべる。自嘲の笑みだった。

 「聞こえすぎるとな、色々不便なんだ」

 この少年にはわからないだろう。
 聞こえないもの、聞かなくていいものが聴こえてしまう苦悩を。
 人だけではなく、鬼の痛みの声が聴こえた少女の苦悩を、誰も理解できなかったように。

―――

 実際少年にも、姉である少女の苦しみはとうとう理解出来なかった。

 共に討伐に行けば、姉は常に顔色を悪くし、頭を押さえ、鬼を倒したあとは吐く事もままあった。
一族の皆は、それは鬼の恐ろしさと慣れぬ戦闘で身体を酷使したせいだと思っていた。
 だが討伐から帰っても、姉は丸一日は床に臥せってしまう。それは戦闘の疲れだけではないのを少年は感じていた。
 そもそも姉は滅多に前方に出ない。常に後方で補助や回復役を務めた。
 歳のせいだろうか、と思い、イツ花や姉の子供と共に漢方をごっそり買ってきて、姉に飲ませた事もあった。しかしそれでも姉の顔色は良くならない。
 おろおろする弟と子供を抱き寄せ、姉は言うのだ。

 「私は、大丈夫だから」と。

 その言葉を聞いて少年は哀しくなり、また、姉を苦しめている「何か」を分かち合えない自分を呪った。

 「姉さんは……自分の子を庇って死んだんだよ」

 絞り出すように言った言葉は、思った以上に震えていた。
 神の視線を感じる。箏を抱く手に力を入れる。そうでなければ涙が溢れ出そうだから。こいつの前で泣くなんて絶対ごめんだ。

 瀕死の姉をなんとか屋敷に連れ帰り、皆で必死に治療を施すと、やっと姉は目を開け、口を開いた。

 『私の手をしっかり握ってて。体が何処かへ飛んでいきそうなの』

 そうして握った姉の手は驚くほどか細く、冷たかった。
 『ねえ、私の部屋にある変わった形の扇、黒蝿様のなの。あれ、返して来てくれる……?』
 少年にそう告げたあと、姉は自分の子供の手を握りしめ、こう言った。

 『あなたは、生きて』と――

―――

 「なんだよ、なんなんだよ! 最後まで黒蝿様て! 最後まであんたの事って!」

 少年は叫ぶ。我ながら餓鬼みたいだ。だけど言葉は止まらない。

 「俺は、」

 神の視線に耐えきれず顔が俯く。神はまだ何も言わない。

 「姉ちゃんの、あの眼が、最後まで俺を見つめてきた、あの瞳の色が、」

 弱々しく、自分を真っ直ぐに見つめてきた、あの瞳が、自分以外の誰かを見ていたあの眼が、瞳孔が完全に開く瞬間まで見つめあったあの瞳の瑠璃色が――

 「今も瞼の裏に焼き付いて離れねえ……!」

 言いきってしまって、少年は唇をぎりっと噛む。紅い血が流れる。

 やはり、自分は嫉妬してたんだ。姉の交神相手のこの黒い神に。
 やはり、自分は悔しいのだ。
 最後まで姉を守れなかった、姉を支えきれなかった自分の非力さに。

 「……俺もだ」

 ぼそっと告げられた言葉に、少年が顔を上げる。
 既に神は背中を向け、空に浮かぶ青い月を凝視していた。

 「まぶしくって、消えやしない」

 そう言い終わると、黒蝿は天狗の扇を振った。
 途端、風が起こる。
 たがその風は先程のような身を裂くような突風ではなく、温かくて柔らかく、強い風。

 箏の弦が、風に揺られ、び、んと響く。

 『いつも私を守ってくれたこと、ちゃんと分かっていたよ。本当に、ありがとう――』

 それは幻聴だったかもしれない。
 だが、その高く見知った声は少年の耳に確かに聴こえた。
 一筋の温かい風が少年を包み込む。

 この温かさ、知っている。ずっと傍にいた、たった一人の、姉の温もり――。

 ざあ、と風が強くなる。
 すると、色とりどりの花弁が風に乗り、空を覆い尽くす。

 「な!?」

 此処には花など咲いていないのに、この大量の花弁は何処から現れたのか。

 「手向けの花だ」

 黒蝿は更にもう一振りした。
 すると花吹雪は、一人と一柱を包み込み、

 やがて蒼い月の浮かぶ夜空へと、渦を巻きながらゆっくりと、高く、高く昇っていった。

(了)




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二〇一四年弥生十九日

闇の中の蒼【弐拾参】終

 少女を包んでいた光が徐々に和らいでいく。あまりの眩しさに瞑ってた眼を開いた。

 「おかえりなさいませ!」

 目の前には、一月前に見た時と同じ、千早姿の巫女、イツ花が立っていた。懐かしい匂いが薫る。明るい日の光が目に染みる。
 少女は天界から下界の屋敷へ戻ってきた。

 「ただいま。イツ花」

 少女がそう言うと、イツ花は目を丸くした。

 (ああ、そうか。声――)

 二の句を繋げずに口を開けて固まるイツ花に、少女は微笑んで見せた。

 「心配かけてごめんね。もう、大丈夫だから」

 少し舌ったらずの発音だったが、その声は、少女の喉を震わせ、イツ花の耳朶に届いた。
 驚いた顔をしていたイツ花は、次の瞬間とびきりの笑顔に変わる。

 「わあ、これはとても御目出度いです! 早速当主様にお知らせなくちゃ!」

 嬉しさを隠せない様子で、イツ花ははしゃいでみせる。
 当主。そうだ。きちんと告げなくては。
 交神の儀の報告と、それから、自分の決意を。


―――

 当主の部屋には、イツ花と、当主と、それから拳法家の異父弟がいた。
 他の皆は稽古でもしているのだろう。

 弟と目が合う。

 紅い髪と褐色の肌の父親違いの弟。少女とあまり似てない顔立ち。しかし瞳だけは同じ青色。
 屋敷に籠りきりで、皆に白眼視されていた少女に、唯一色々と話しかけてくれた弟。弟は少女の筆談の相手になり、また少女の奏でる箏の音に耳を傾け絶賛した。
 その弟が不安そうにこちらを見ている。

 (少し成長したな)

 一月前に自分を見送った時より肩幅が広くなり、顔立ちが凛々しくなっている。
 大丈夫なのか? と瞳で問いかける弟に、少女はそっと頷いた。

 「ただいま戻りました」

 広い部屋に少女の鈴のような声が響く。当主と弟が驚きを露にした。
 特に弟は、少女の声を一度も聞いたことがないので、驚きも一際大きい。弟が此処に来たときには既に少女は声を失っていたから。
 イツ花が、こちらを見て微笑んだ。

 「……うむ、交神の勤め、大義であった」

 やや驚きの色を滲ませながらも、当主は常の声色を崩さない。鬼切りの一族を纏める長としての責任を背負っている、厳しい表情で。

 「声が戻ったようだな。何よりだ」

 厳しい表情をほんの少し和らげて当主は言う。
 だがそれも一瞬の事。直ぐに表情を正す。

 「それで、戻ってきて早々だが、次の交神について話そうと思う」

 ほら来た、と少女は思った。
 予想通りだ。この当主は私を複数回交神させるつもりなのだ。
 私が声を出せるようになっても変わらない。当主にとっての私は血を残すだけの存在。
以前の自分ならそれでも仕方ないと諦めていただろう。心を、感情を殺して、言われるがままになっていただろう。
 だが、今は違う。

 「当主様」

 神々の姿絵と情報が収められている巻物に目を通していた当主が、少女の声に顔を上げる。

 「………私は、もう、交神を致しません」

 少女の発言に当主は眉を寄せる。弟とイツ花が息を飲むのが伝わる。

 「わ、私は……」

 緊張のあまり喉が乾く。どもってしまった。雰囲気に飲まれては駄目だ。
 少女はすぅ、と息を吸う。落ち着いて。ちゃんと伝えなくては。

 「やたノ黒蝿様以外の方と、交神は、致しません」

 そう口に出したとたん、少女の顔に血が上る。思わず俯く。三人の視線が突き刺さる。特に当主の視線が痛い。
 怯んでは駄目だ。

 「そのかわり……」

 膝の上の拳を握る。

 「私、は……」

 気を抜けば真っ白になりそうな頭の中を整理する。
 落ち着いて。私の想いを、きちんと言葉に変えるんだ。今はそれができる。声に出して、他者に想いを伝える事ができる。

 「私と」

顔を上げる。当主の眼をしっかりと見て。

 「黒蝿様との子を……強くて優しい、立派な子に育てて見せます! 」

 そう一気に言い終わると、部屋には静寂が満ちる。
 当主が呆気にとられ、弟とイツ花は目を丸くしている。

 「……失礼します」

 三人を背に少女は立ち上がり部屋を後にした。
 背後から当主の声が聞こえたが、少女は振り返らなかった。

―――

 自室に戻った途端、どっと汗が出てきた。
 緊張がとけ、その場にくずおれる。心の臓が早鐘を打っている。

 ――言えた、きちんと、自分の決意を。

 胸のつかえがとれ、久々に楽に息が出来た。
 だが一方で、ああ言ってしまったからには、もう後戻りは出来ない、という気持ちも生まれてきた。
 しかし、その気持ちは、決して重たく心を苛むものではなかった。

 「姉上」

 襖の向こうで弟の声が聞こえた。

 「どうぞ」

 少女は襖を開けて、弟を部屋の中に入れた。

―――

 拳法家の少年は、おずおずと異父姉の部屋に入った。

 部屋の中で、少年は改めて姉の姿を見る。
 青髪で瑠璃色の瞳はそのままだったが、そこに座っているのは、一月前より美しく成長し、最早気軽には触れられない雰囲気を醸し出している一人の女性。
 その雰囲気の正体は、まだ少年が知らないもの――男女の営みを知り、全てを捧げてもいいと思える相手を見つけた、決意を決め、少女から母への道を歩もうとしている女性だけが醸し出す香り、であった。

 「……無事に帰って来られて何よりで」

 少年が軽く平伏する。

 「……ありがとう」

 高く、柔らかい声が少年の耳に響く。

 (ああ、姉さんは、もう俺の知っている姉さんじゃなくなったんだな)

 姉の声を改めて聞き、少年は悟る。
 屋敷に来たときには母はいなく、声の出ない父親違いの姉が、少年にとっては母代わりであり、また守るべき存在であった。
 常に俯き、哀しげな表情を浮かべる儚げな姉を、他の家人の陰口や視線から守ってきたのは少年だった。
 毎日のように姉の部屋を訪れ、今日あったこと、討伐先のこと、そんな他愛もない事を少年は一方的に話し、姉は静かに耳を傾け、時には筆談で会話をした。
 姉の奏でる箏の音を聞くと、自分と姉だけが心を通じ合わせているような、此処じゃない何処かへ二人連れ添って歩いているような、甘い幻想さえ呼び起こした。

 「そうだ、姉上、久々に箏を弾いてよ」

 姉はそっと首を振る。

 「どうして? 俺ずっと楽しみにしてたんだぜ? 姉上の箏の音を聞かないと稽古も調子でなくってさ」
 
 おどける少年に、姉は少し哀しそうに目を伏せて言う。

 「箏は……そう、壊れてしまったの」
 「ええ!?」

 姉があんなに大切にしていた箏なのに?
 まるで自分の分身であるかのように、肩身離さず、交神の為に天界に昇った時でさえ、姉は箏を手放さなかったのに――。

 「……天界で何があったんだよ」
 少年がそう問うても、姉はそっと微笑んで見せるだけ。

 確か、やたノ黒蝿といったか?姉の交神の相手は。

 そいつが姉の声を取り戻し、姉との間に子をもうけた――。そう思うと、胸が締め付けられるような嫉妬にかられるのだが、もしかして、その神が姉の箏に何かしたのか?

 「そんなわけないでしょ」

 少年がそう言うと、姉は笑って否定した。

 「先生には申し訳ないけど……でも、あの箏は、もういいの」

 寂しげにそう呟く姉の横顔を見て、やはり何かあったんだ、と少年は勘づく。

 「……この話はもうお仕舞い。庭で舞いの稽古をしようと思うの。見ててくれる?」


―――

 足を前に出し、上体を捻る。そして右手を大きく振る。
 少女の髪がふわりと動き、扇が小さな風を起こす。
 そこで扇を落としてしまう。

 (ああ、やっぱり鈍ってる……)

 全てを諦めて、稽古もせず籠りきりだったツケは大きかった。
 身体が重く、手が、足が、思い通りに動かない。
 特に少女の持つ扇は、舞踏用の扇より数倍大きく重い。これは一族の踊り屋が使う鬼切り用の扇だ。
 手首が痛い。
 たったこれだけ動かしただけで痛めてしまうとは。
 舞いを教えてくれた叔母と先生に怒られちゃう。

 (これはもっと鍛錬しなくては)

 ふと、手元の扇を見る。
 初舞台の扇。少女の初陣の時に持っていった、これで九重楼の沢山の鬼を切り、血を吸った扇。

 (本当に、私の選んだ道は、正しかったのかな)

 この扇を見て、急に不安になる。
 迷いは断ち切ったはずなのに、決意を決めたはずなのに、不安は突然沸いてくる。二月後にやってくる自分の子供を、血塗られた戦いに巻き込んで本当にいいのだろうか。
 変わった、と思ったのに、強くなった、と思ったのに、迷いが生じる私は、やっぱり弱い。

 ぶわっと、湿り気の含んだ生暖かい風が吹いた。
 
 夏の前の時期、ちょうど今、梅雨前の神無月によく吹く風。
 この風の温かさ、知っている。私はこの風を司る神を知っている。

 「黒南風……」

 そっと、肩に暖かい熱の固まりが乗る。その熱は指の形。

 『弱くたっていいだろう。人間はそういう生き物だ』

 それは幻聴かもしれない。
 だけど確かに少女には聞こえた。
 何度も少女の耳朶を打った、低い、黒い神の声。

 思わず後ろを振り返る。

 少女の肩に手を乗せていたのは、南風と言の葉を司る黒い神、ではなく、少女と同じ、人と神の血をひく拳法家の異父弟であった。

 「姉上……?」

 弟が心配そうに見つめている。
 母の髪と肌を受け継ぎ、だが瞳の色は少女と同じ青い瑠璃色の、いつも自分を気にかけてくれる、たった一人の私の弟――。

 「あ、いや……」

 弟が肩から手を放す。

 「姉上が、なんだか何処かへ行ってしまいそうだったから、つい」
 弟が狼狽える。

 (ああ、そうか)

 弱いから、迷ってしまう。
 弱いから、人は同じ過ちを繰り返してしまう。

 だけど、弱いからこそ、他者の温もりを求める。

 迷ったとき、躓いたとき、孤独に、憎しみに囚われそうになったとき、
 手を繋ぎ、道を正してくれる他者を求める。

 私にとってのそれは、先生であり、弟であり、そして、身体を重ねた黒い神であった。

 ならば私も、そうなろう。

 私の子供が、鬼切りの重圧で、憎しみに、孤独に潰されそうになったとき、
 手を繋いで、抱き締めてあげよう。

 それが私に出来ること。

 次へ繋げたい、という私の勝手で、呪いと、血塗れの戦いの宿命を負わせてしまった子供にしてあげられる、母である私の罪滅ぼし。

 「ありがとう。大丈夫。私は何処へも行かないから」

 そっと弟の手を握る。
 無骨な大きい手は、良く知っている神の手とは少し違うが、それは紛れもない男の手だった。
 弟の顔が真っ赤になるのを見て、少女はくすりと微笑んだ。

―――

 少女は再び扇を開く。

 足を踏み出し、姿勢を構える。
 目を瞑り、深呼吸を一回。大きく腕を振り、扇を振るう。

 すると柔らかくも強い風が発生して、
 その風は、湿気を含んだ黒南風と混ざり合い、
 空のずっと向こう、天の彼方まで飛んでいった。


(了)

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二〇一四年弥生十五日

闇の中の蒼【弐拾弐】※

 やたノ黒蝿が目を覚ました時、その身体は蒲団に横たえられていた。

 黒蝿は身体を起こす。周りを見渡すと、其処は自分の屋敷であった。

 右手をあげ、手の平を握る。そして広げる。痛みはない。身体を見る。衣はあちこち破れていたが、傷は塞がっている。
 治っているのは傷だけではない。瘴気と怨念に蝕まれた心の奥が、つかえがとれたように軽い。
 ふと、隣を見る。其処の蒲団の部分は丸く膨らんでおり、青い髪が見える。
 掛蒲団をそっとずらすと、薄汚れ、あちこちが破れている小袖のまま、少女が寝ていた。

 「いやはや、よく戻ってこれたね」

 開けた障子の向こうから聞こえる声は、鳥神、鳳あすか。その姿を見て、黒蝿は反射的に睨み付ける。

 「そんなに睨まないでよ。その子と君を中に運んだのは僕なんだから」

 あの後、鳳あすかが黒蝿の神域へ行くと、少女が泣きながら、傷だらけの黒蝿に何度も何度も治癒呪を施していた。

 「僕達神は死ぬことはない。だから彼も暫くすれば元に戻る、そう言っても彼女は聞かなかった。ありとあらゆる治癒呪を唱えて、それでも目を覚まさない君を助けてくれって僕にすがり付いてきたんだ」

 少女の気迫に負け、鳳は「壱与姫」を唱えた。するとやっと黒蝿の翼は治り、顔色も良くなった。

 「それを見て安心したんだろうね。そのまま彼女も気を失った。呪の使いすぎでね」

 ちらっと、黒蝿は傍らの少女を見る。顔が紅く、息が荒い。そっと額に手を当てると、ずいぶん熱かった。熱が出ているのだろう。

 「…………一応、礼は言っておく」
 「僕にじゃなくて、彼女に言うべきじゃないかな。自分も傷だらけだったのに、必死で君を治療したのだから」

 ああ、それと、と鳳が言い、縁側に何か置く。
 「お蛍からその子に渡してくれって」

 置かれたものは、少女が大事にしていた箏だった。
 しかし、面影は殆どない。竜腹は真っ二つに割れ、十三本の弦は全て切れている。竜頭から竜尾まで全ての部分に刀傷のようなものが無数に付いている。もう、これは箏として使えないだろう。

 「不思議だね。彼女の身体には君ほどの傷は付いていない。せいぜい切傷と擦り傷くらい。軽傷で、しかも瘴気にやられて鬼に変貌もしてない。……全く、その子には恐れ入ったよ」

 黒蝿はふと思った。もしかしたらこの箏が少女の身代わりになったのではないか、と。
 少女は随分とこの箏を大切にしていた。少女が買ったのか、誰かに貰ったのかは知らないが、一心同体だった箏が、主の身代わりとなって怨念の風に切り刻まれたとしたら――?
 そこまで考え黒蝿は頭を振った。我ながら馬鹿馬鹿しい事を思いつくものだ。

 「これで貸しひとつ、だね」
 鳳が笑う。
 「こんな女の子、そうそういないよ。この子に慕われて君は幸せ者だね。大切にしなよ。
……でないと僕が貰っちゃうよ」

 黒蝿が鳳に向かって枕を投げる。が、鳳は軽くかわして笑いながら飛び立っていった。

―――

 鳳が消えた後、黒蝿は少女の方を再び見る。

 神は、首を跳ねられようが、心の臓を貫かれようが、暫くすれば元に戻る。
 死ぬことはない神の自分に、何度も治癒呪を施して、あげくの果てに自ら倒れてしまうとは。

 「……やはり、阿呆だな」
 
 黒蝿は苦笑しながら、そっと少女の額に手をかざす。額には呪いの翡翠の印が見える。
 黒蝿の手が光る。すると少女の顔から苦悶の表情は消え、熱で紅くなっていた顔色も、元の色に戻っていった。
 少女の眉が動き、瞼が震える。
 黒蝿は手をどけ、縁側の箏に目を向ける。手をかざし布をかけて隠した。少女があれを見たら酷く哀しむだろう。
 長い睫毛を震わせながら、少女の瞼が開いた。続きを読む

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