二〇一七年如月六日

雪花降る中で氷らせて

 お涼は、六ツ花が嫌いだった。

 六ツ花はここの女郎屋のいっち売れっ妓で、専用の部屋まで持っている。なんでも公家出身だと朋輩は言うが、本当のところは分からない。
 ただ、六ツ花の色町に相応しくない清楚な雰囲気と笑顔を見ると、客は必ず相好を崩し、六ツ花の気を引こうと大量の金をばらまく。
 対して、お涼は同じ座敷持ちでも、六ツ花とは稼ぎが違う。一定数の客はいるが、どれもしけた客ばかりで大した金を落としてくれない。湯女時代に身に着けた床の中での手練手管は自分の方が絶対に上手いのに、何故か上客は六ツ花を選ぶ。それが酷く悔しい。だから嫌いなのだ。

 ひょっとしたら、自分のこの冷たい身体が原因なのかもしれない。と、お涼は思っている。
 真夏のうだるような暑さの下でも、火鉢で温めた部屋の中でも、お涼の身体は何故か氷の様に冷たい。女の温もりを求めてやってくる客達は、いざお涼と床入りすると、身体を這うお涼の指先と豊満な身体がつららの様に冷たいので、客は酷く落胆する。中にはお涼のあまりに冷たい身体に嫌気がさして、お涼を罵り、情事の最中で勝手に床からでて帰ってしまうことも少なくなかった。
 こんな屈辱を受けながらも、今、この瞬間六ツ花はあのすました笑顔で男たちを虜にしている。莫迦な男たち。あの女の“本性”も知らないで。

 ――今に見てろ。あたしは絶対にここから抜け出してやる。あんたより多く稼いで、どこかのお大尽に見染められ身請けされて、こんな寒いところから抜け出して温かい陽の下で優雅に暮らすんだ!

 客に抱かれたまま、お涼は心の中でそう決意した。そう、温かくて優しい世界。私の身体の寒さまで消えてしまうような、美しく、身体を売ることもなく明日の食事に事欠かない穏やかな場所。

 ――でも、そこはどこにあるんだろう。

 天井の染みを数えながら、男が果てるのをじっと待つ。
 ああ、寒い。誰か、私を溶かして。このままだと私は、身も心も氷になってしまう。

―――

 その年の冬はとても寒かった。大寒波が都を襲い、凍死者が大勢出た。
 お涼のいる見世でも、寒さのせいで風邪をこじらせて亡くなった女郎が数名出た。中にはお涼の姐女郎もいて、遺体が桶に入れられて運び出されるのを見送る時、お涼は泣いた。私の身体はこんなに冷たいのに、頬を伝っていく涙は熱い。何故なんだろう。

 「何故泣くのです?」

 溢れる涙を拭いていると、いつの間にか隣には六ツ花がいた。藍色に雪の文様が入った彼女の一番お気に入りの着物に、雪花の形の簪を挿している。泣きじゃくる朋輩やお涼とは反対に、ただ静かに投げ込み寺へと運ばれていく桶を見ている。その顔にはなんの感情もなく、触れたら壊れる氷の様な冷たさだけがあった。

 「何故って、あの人はあたしの姐さんだよ! 大切な人が死んだら誰だって泣くだろう!」
 「そうでしょうか。私にはわかりません。あの方は、死によってこの苦界から出ることができたんですよ。望まぬ相手と肌を合わせるのを続けるより、いっそ死んだ方が……」

 ばしん、と乾いた音がしたと思ったら、六ツ花の雪の様な白い頬に赤い手形が残った。お涼は荒い呼吸のまま、茫然としている六ツ花の胸倉を掴んだ。

 「あんた! あんたには心ってものがないのかい!? いつもすましてお高くとまって、あんた本当は鬼なんじゃないの?」
 「………」

 六ツ花は動ずる事なく、ただ静かに胸倉を掴んでいるお涼の手を払い、襟を正す。
 その仕草も自分を莫迦にしているようにしか見えなくて、ついお涼は言ってしまった。

 「はん! 下々の者が死んでもなんとも思わないってかい? 公家の出身だかなんだか知らないが、あんたはあたしたちと同じ女郎なんだ。見下してるんじゃないよ!
 それに、あたし知ってるよ。あんた良く芳町へ行って役者買いをしてるよねえ?」

 ぴくり、と六ツ花の形の良い眉が動いた。氷のような固い六ツ花の表情に少しだけひびが入るのをお涼は見逃さなかった。

 「そんでもっていっとう綺麗な若衆を買ってくる。お公家様が聞いて呆れるよ」
 「黙りなさい」
 「あたしらのこと散々見下して、裏では陰間茶屋通いかい? 美少年相手じゃないと床に入らないだなんて、女郎のくせに本当に良い趣味してるね!」

 瞬間、お涼の視界がぶれ、顔に衝撃が走った。一瞬何をされたか分からなく、お涼はじんじんと痛む頬を押さえ、目の前の氷のように美しい公家出身の“女郎”が般若のような顔をこちらに向けているのを知覚した。

 「言わせておけば! 私は貴方たちとは違うわ!」
 「どう違うっていうんだよ! 身体を男に売って食っている、それがあたしたち女郎だ! 自分だけ特別だなんてお高くとまってるんじゃないよ!」

 それから、お涼と六ツ花の取っ組み合いが始まった。六ツ花の簪が取れ、お涼の着物の袖が破れる。髪を引っ張り、肌をひっかき、殴り殴られの繰り返し。
 見世の男衆が二人を押さえる頃には、女郎同士の喧嘩を面白がった見物客が二人を囲んで丸く人だかりができていた。

―――

 二人は罰として、そのまま折檻部屋へ送られた。しかも今日一日食事抜き。全く酷いじゃないか。悪いのは全部六ツ花なのに。
 唾棄したいのを我慢して、お涼は六ツ花の方を向いた。六ツ花は背中を向けて横になっている。お互い両手を縛られているので、顔をこっちに向けさせたくとも出来ない。
 きっと、自分の顔を見られたくないのだろう。なんていったって二人とも髪はほつれ、手や顔にはひっかき傷や平手打ちの痕、更に遣り手らから受けた折檻の痕もあり、とても見られたものじゃない。
 だけどお涼は六ツ花の顔を見てみたかった。あの氷の美貌を持つ六ツ花が、今どんな表情をしているのか、屈辱に涙しているのか、それとも悔し顔か、なんでもいいから見てみたかった。

 「六ツ花。起きてるんでしょ? こっち向きなよ」

 当然、返事はない。六ツ花は少し身じろぎしただけで、何も答えない。彼女の着物の文様の雪花が、身体の動きにあわせて少し動いた。まるで雪が降っているようだ。外のように激しく降るのではなく、しんしんと降り注ぐ静かな雪。真っ白な雪は全てを覆い尽くす。お涼も、六ツ花も、見世の者も、お武家様もお公家さんもなにもかも。
 それはそれでいいかもな、とお涼は思った。静かに降り積もる雪の中で、あたしは身体も心も凍って、そして……

 「最初は、ただの気まぐれだった」

 はっと、六ツ花の一言でお涼の夢想が途切れた。六ツ花は相変わらず背を向けている。

 「気まぐれ?」
 「役者買いのこと」

 ぼそり、と六ツ花が告白してきた。自身の過去を。
 此処に売られてきたばかりの頃、六ツ花はある客に恋をした。
 その客は、売れない役者だった。年のころは六ツ花とそう変わらないはずなのに、童顔で身長も決して高いとはいえない、少年のような美丈夫だった。
 男は、良く金の無心に六ツ花のところへ来ていた。今考えれば典型的なヒモなのだが、あの時は本気で彼を愛していた。
 だが、男はある日突然姿を消した。なんでも切り見世の女郎と一緒に都から出て行ったらしい。六ツ花の貢いだ金で。
 それから、六ツ花は心の傷を埋めるため、芳町の陰間茶屋で役者買いの日々を送った。もしかしたら、あの人が帰っているかもしれない。そんな妄想を抱いて、毎日のように芳町へ行った。だが当然だが愛しいあの人は帰ってこない。陰間を買った後は虚しさだけが残る。だけど役者買いは止められない。いつしか六ツ花は作り笑いは出来ても本当に笑う事はできなくなってしまった。
 
 「よくある話でしょ? 私は所詮女郎。客に懸想するのが間違いだったのよ」
 「………」

 やっと六ツ花がこっちを向いてくれた。顔は腫れて目元には涙の痕。それなのに彼女の美貌は失われていない。だが無理して笑っているのがわかる。嫌いだった女が、今は心の奥を全部曝け出している。いつの間にかお涼は六ツ花に親近感を抱いていた。

 「ああ、そうだね、色町じゃありふれたよくある話だよ。だからさ」

 すす、と冷えた足先を六ツ花のふくらはぎに当ててみる。六ツ花はきゃ、と小さく悲鳴をあげる。

 「あんたの虚しさもありふれたものだよ。そんなつまんない男のことは忘れるんだね。男だって陰間じゃなくてもごろごろいるんだしさ、忘れなよ」
 「……もしかして、私のこと慰めてるつもり?」
 「そうだよ。あんたはいつもみたくお高くとまってなよ。泣きそうな顔は似合わない。いつもの手練手管で男を落としておいで」
 「貴女にそうまで言われるなんて、私も落ちたものね」

 そう言って、六ツ花は笑った。泣きながら。
 お涼は無性にその涙を拭ってやりたかった。でも今は手を後ろに縛られているから出来ない。
 だから足先でちょんちょんと裾から見えている六ツ花の腿や膝を触ってやる。どうだ、あたしのつららみたいな足は。

 「ちょっと、何をするの!」
 「はははは」

 お涼の笑い声につられて、六ツ花も笑った。涙交じりではない心の底からの笑顔で。

―――

 寒波が収まったと思ったら、今度ははやり病だ。周りの人間がばったばったと死んでいく中、六ツ花とお涼も罹患してしまった。
 先に亡くなったのは六ツ花だ。血を吐いたと思ったらあっという間に死んだ。
 そして六ツ花の世話をしていたお涼にもうつり、物置部屋に隔離された。

 (あたしも……これで終わりか)

 静かな夜だ。雪がしんしんと降っている。雪の日は寒いから嫌いだったのに、今はそうではない。
 雪をみるたび、亡くなった六ツ花を思い出す。雪が降り積もって、六ツ花はその中で佇んでいる。儚げな笑顔で、こっちをじっと見ている。そんな夢を最近よく見るのだ。

 「……六ツ花」

 あいつは幸せだっただろうか。そういえば生前言ってたな、雪が好きだって。
 なんでって聞くと、白くて美しいからだそう。だからあいつは着物も雪花模様のばかりだった。あたしにはよくわからない。雪なんて、冷たくて嫌だ。
 でも、今なら雪が少し好きになれそう。だってあんたが降らしてるように思っちゃうんだよ。こんな静かな雪の日は特にね。

 お涼はそっと布団から抜け出すと、外の雪山まで歩いた。私の身体は冷たい。だけどもう冷たさは感じない。身体が軽い。今までの苦しみが嘘のよう。
 雪の中に六ツ花がいた。笑ってる。やっぱりあんたがこの雪を降らしていたのか。
 なら、私はこの雪の花に埋もれて、氷の彫像になろう。凍って、凍って、凍り付いて、心の臓が止まるまで踊ろう。舞踊はあまり上手くないけど、死んでいった朋輩や姐女郎、そして六ツ花、あんたに贈る手向けの舞だ。

 雪の花が舞う中、お涼は優雅に踊って見せた。お涼の身体は徐々に氷に変わっていき、
 そして、彼女は物置部屋で息を引き取った。


―――

 「お涼様、そんな過去があったんですね」

 天界の水神・月寒お涼の宮で、鬼切り一族の少年は涙ぐみながらお涼と六ツ花御前の話を聞いた。

 「ま、よくあることよ。蒲団の上で死ねただけ良かったわよ」

 “交神”の後のけだるい時間。少年が寝物語をせがんできたので、お涼は自分の人生を語ってやった。感受性豊かな優しい瞳の少年は、まるで自分の事の様にお涼と六ツ花のことを思い涙ぐんでいる。全く、うぶな坊やなんだから。

 「でも天界では二人いつも一緒なんですね! 良かったじゃないですか」
 「それが……そういう訳にもいかないのよね」
 「?」

 お涼は少年が煎れてくれた茶を飲み干し、ふう、と溜め息をつく。

 「六ツ花御前はね、下界で鬼にされたわ。朱点童子にね」
 「ええ!?」

 六ツ花が何故下界で鬼にされてしまったのか、それは分からない。最高神にでも逆らって下界に落とされたのか、好奇心で下界におり、鬼と化してしまったのか、それとも他の理由があるのか、お涼には分からない。ただ一つ言えるのは、六ツ花がいなくて寂しい、ということだけ。
 折角昇天し、神になったのに、これでは人間だった頃と変わらないじゃないか。帰ってきて六ツ花。あたしはあんたに話したいことがいっぱいあるんだ。

 「大丈夫ですよお涼様! この僕が必ず六ツ花御前をお救いします!」

 てらいのない笑顔で、少年は無理やり力こぶを作って見せた。その様子がおかしくて、お涼は笑った。そして、少年の中に一筋の希望も見出した。

 きっと、彼らなら封印されている六ツ花を助け出してくれよう。それだけの力を彼から感じる。封印が解けたら、今度は暖かい場所で舞ってみよう。舞踊は六ツ花のほうが得意だから、二人で踊ろう。そうしたら天界中の男神はあたしらの虜になるよ。
 それまであたしは、待っているよ――

 お涼は傍らの少年を抱きしめた。温かい。

 「あたしの胸でゆっくりおやすみ」

 少年はゆっくりと目蓋を閉じた。それを見届けたお涼はそっと氷の粒を作り、息をふきかける。
 すると宮の中全体に、冷たくない雪が降り、お涼と少年との間に出来る子の未来を祝福するかのように、雪は花と化し、いつしかお涼と少年を優しく包み込んだ。

(了)

人気ブログランキングへ






  • mixiチェック

コメントする

名前
URL
 
  絵文字