2012年10月09日
追悼 ホクトスルタン
10月7日(日)に行われた障害未勝利戦のレース中、左第1指関節脱臼を発症したホクトスルタン。何とか命だけは助かって欲しいという関係者、ファンの願いも虚しく、予後不良の診断が下りました。「何とか父子四代天皇賞制覇の偉業を」、「何とかメジロマックイーンの血脈を次の世代に」、…。様々な期待を乗せて走り続けたホクトスルタンですが、最悪の結末を迎えることとなってしまいました。ここにその一生を記し、ホクトスルタンを追悼したいと思います。
ホクトスルタン
ダイイチ牧場産 2004年生 芦毛 父系:マイバブー系
ホクトスルタン
ダイイチ牧場産 2004年生 芦毛 父系:マイバブー系
メジロマックイーン | メジロティターン | メジロアサマ |
*シェリル | ||
メジロオーロラ | *リマンド | |
メジロアイリス | ||
ダイイチアピール | *サンデーサイレンス | Halo |
Wishing Well | ||
ダイイチリカー | *リアルシャダイ | |
ダイナフェアリー |
牝系
ダイナフェアリー 1983 (*ノーザンテースト) 20戦6勝
| ・京成杯(GIII) '86 ・エプソムC(GIII) '87 ・オールカマー(GIII) '87 etc.
|ダイイチリカー 1990 (*リアルシャダイ) 20戦4勝
| |ダイイチアピール 1996 (*サンデーサイレンス) 14戦1勝
| | |ホクトスルタン 2004
| | |ドリームシグナル 2005 (*アグネスデジタル) 19戦2勝
| | | ・シンザン記念(GIII) '08
| |ダイイチダンヒル 1998 (*サンデーサイレンス) 16戦3勝
| | ・若葉S(OP) '01
|サマーサスピション 1992 (*サンデーサイレンス) 9戦2勝 種牡馬
| ・青葉賞(GIII) '95
|ローゼンカバリー 1993 (*サンデーサイレンス) 33戦7勝 種牡馬
| ・セントライト記念(GII) '96 日経賞(GII) '97 ・AJCC(GII) '97 ・目黒記念(GII) '99
父メジロマックイーンは父子三代天皇賞制覇をはじめ菊花賞、宝塚記念を制した近年最高のステイヤーの1頭で、種牡馬としてホクトスルタンをはじめフローラSのディアジーナ、中山牝馬Sのヤマニンメルベイユなど、5頭の中央重賞の勝ち馬を送り出した。種牡馬時代に放牧地が隣同士であった*サンデーサイレンスとは仲が良かったと言われ、だからというわけではないだろうがこのメジロマックイーン×サンデーサイレンスという配合は相性がよく、5頭デビューした中で2頭が重賞ウイナーとなっている。まさに今で言うステイゴールド×メジロマックイーン配合の走りと言えよう。母系はなかなか優秀で、3代母ダイナフェアリーはオールカマーなど牡馬に混じって重賞5勝をあげた活躍馬。母としても*サンデーサイレンスとの間に2頭の重賞ホースを産んでいる。さらに遡るとラインクラフトやアドマイヤマックスを出した*ファンシミンにたどり着く。
競走成績 34戦5勝 (障害:4戦0勝)
ホクトスルタンはメジロマックイーンの10世代目の産駒として誕生。マックイーンの産駒にはアサマ−ティターン−マックイーンに続く父子四代天皇賞制覇の期待がかけられていたが、それまでもちらほらと重賞馬は出ていたものの、活躍馬は何故か牝馬に偏っており、スルタンが走る頃にはもはや四代制覇は無理かな、という雰囲気が漂っていた。そんな中で迎えたデビューだったが、柴田善臣Jを鞍上に連続2着。横山典弘Jに乗り替わった3戦目で、その後のメイン戦法である逃げの手に出ると、まずまずの時計で逃げ切り勝ちを収めた。その後500万下も4戦目で卒業。少しでも競りかけられると脆いが、自分の形に持ち込めばかなりのしぶとさを発揮した。
3歳の夏を越し、加藤和宏厩舎から庄野靖志厩舎に転厩となったホクトスルタンが次に選んだレースは、条件戦ながら数々のGIウイナーを輩出する隠れ出世レースとして名高い阿寒湖特別であった。ここでもいつもどおりハナを奪うと、直線では後続を突き放す強いレースぶりを見せ、ダイヤモンドS3着の実績のあったアドバンテージらを完封。菊花賞への切符を引き寄せる大きな勝利であるとともに、自身の中に眠れる長距離適性が開花した瞬間であった。続く神戸新聞杯は菊を見据えてか無理にハナを奪うことはせず2番手からの追走となったが、第4コーナーで先頭に立ったものの粘れず4着に敗退した。
そして迎えた菊花賞。逃げるには辛い17番枠、さらに隣には皐月賞を逃げ切ったヴィクトリーがいたが、そんなことはお構いなし、スタート直後から気合を入れ、今回はしっかりとハナを奪った。2馬身ほどのリードでレースを進めたホクトスルタンだったが、直線向いて一旦は後続を突き放したものの、直線半ばでアサクサキングスに交わされ、初のGI挑戦は6着に終わった。この時点では重賞で複勝圏内に入ったこともない条件馬だったが、重賞ウイナーであるサンツェッペリンあたりよりも上位人気に支持されており、かなりの人が「マックイーン産駒」のホクトスルタンに注目していたことは間違いない。そして多くが「今はまだいい。本番は来年以降」と思ったことだろう。
5ヶ月の休養を経て、復帰初戦となったのは準オープンのサンシャインS。さすがにここでは次元が違うとばかりに逃げて後続を6馬身突き放す圧倒的な競馬で勝利した。そして迎えた天皇賞(春)。1番人気は菊の覇者アサクサキングスで、スルタンは前走の勝ちっぷりが評価されたか、菊よりひとつ上げて6番人気での出走となった。完璧なスタートを切ったホクトスルタンは注文通りの逃げに出ると、2〜3馬身のリードを保ったまま直線へ。菊の時よりもしぶとく、残り100mあたりまで粘っていたが、最後はアドマイヤジュピタに屈して4着だった。結果負けはしたが、菊では3馬身以上つけられたアサクサとの差を1馬身以内に縮めており、着実に力をつけているのも確かであった。
次走に選ばれたのは、ダービーの後に行われる目黒記念だった。同レースには菊花賞で2着、3着に入ったアルナスライン(1番人気)と*ロックドゥカンブ(2番人気)も出走しており、スルタンはそれに続く3番人気であった。4番人気は20倍近いオッズとなっており、完全な三強という形で行われた目黒記念だったが、やはりハナを奪うスルタンに2番手ロック、中団からアルナスという流れでレースが進むと、直線向いて突き放すスルタンに追いすがるロック・アルナスが迫るもしぶとくクビ差残してゴール。うれしい重賞初勝利を飾ると共に、父メジロマックイーンにとっての牡馬産駒による初の中央重賞制覇を成し遂げた。
府中の2500mを逃げ切るという偉業に巷では「盾は盾でも秋の盾か?」という話も出るほどであった。とにかく一戦一戦力をつけるスルタンに、今やはっきりと父子四代天皇賞制覇の偉業が現実味を帯びてきているのは間違いなかった。あとはいかにしてピークを天皇賞に持っていくかというところに話題は移っていたが、そうしたファンの期待とは裏腹に、目黒記念での激走の疲れが取れないというスルタンは年内を休養に回すこととなり、天皇賞制覇の夢は来年以降へと持ち越しとなった。
5歳となり、日経賞で復帰したホクトスルタンは芦毛馬らしくかなり白くなって帰ってきたが、長期休み明けにもかかわらず馬体重はマイナス8キロ。しかも調教の様子もあまりよくなく、逃げて10着と大敗に終わった。続く天皇賞(春)は何とか他馬の回避もあって出走にこぎつけたが、シルクフェイマスとのハナ争いがあったとはいえ全く粘れずここも15着と大敗した。昨年好勝負を演じていたアルナスラインがクビ差の2着で、メンバー云々よりもかつての力が全く戻っていないのは明確であった。その後、オープン戦にも出走したものの、調子が戻ることはなかった。
年が明け6歳となったホクトスルタン。年齢的にも今年がラストチャンスというところであったが、まずは年明け初戦の京都記念を逃げて4着。一昨年の目黒記念以来となる重賞での掲示板であり、馬体も戻ってようやくいい頃のデキに近づいてきたかと思われた。ただ、天皇賞(春)への切符をかけて出走した阪神大賞典は5着で賞金を加算することはできず、春の盾への出走を断念。秋に望みをつなぐべく、オープン特別に出走したスルタンだったが、ここで久々の連対を果たすも勝ち切るまではいかず、結局秋の盾も断念せざるを得なかった。
年が明けても調子が戻らず、結局7歳の夏まで復帰がずれ込んだが、その後は短距離戦などにも使われたものの、もはや往年の力はどこにも残っていなかった。こうなるとホクトスルタンに残された唯一の宿命は亡き父メジロマックイーンの血を繋ぐべく種牡馬入りすることだったのだが、陣営が選んだ選択肢は「障害入り」。実はアイルランドTを前に障害の名騎手だった田中剛厩舎に転厩していた時点でそんな予感はあったのだが、これは事実上繁殖馬としての道を絶たれたことを意味した。飛越があまり上手でなく、それでも何とか平地力のお釣りで必死に賞金を稼いで戻ってきたホクトスルタンだったが、障害入りして4戦目、通算34戦目。最後まで走るのをやめなかったスルタンは、約80キロに渡る長い旅路を終えた。
残された産駒には、何とか最後までその競走生活を全うしてもらいたい。
ダイナフェアリー 1983 (*ノーザンテースト) 20戦6勝
| ・京成杯(GIII) '86 ・エプソムC(GIII) '87 ・オールカマー(GIII) '87 etc.
|ダイイチリカー 1990 (*リアルシャダイ) 20戦4勝
| |ダイイチアピール 1996 (*サンデーサイレンス) 14戦1勝
| | |ホクトスルタン 2004
| | |ドリームシグナル 2005 (*アグネスデジタル) 19戦2勝
| | | ・シンザン記念(GIII) '08
| |ダイイチダンヒル 1998 (*サンデーサイレンス) 16戦3勝
| | ・若葉S(OP) '01
|サマーサスピション 1992 (*サンデーサイレンス) 9戦2勝 種牡馬
| ・青葉賞(GIII) '95
|ローゼンカバリー 1993 (*サンデーサイレンス) 33戦7勝 種牡馬
| ・セントライト記念(GII) '96 日経賞(GII) '97 ・AJCC(GII) '97 ・目黒記念(GII) '99
父メジロマックイーンは父子三代天皇賞制覇をはじめ菊花賞、宝塚記念を制した近年最高のステイヤーの1頭で、種牡馬としてホクトスルタンをはじめフローラSのディアジーナ、中山牝馬Sのヤマニンメルベイユなど、5頭の中央重賞の勝ち馬を送り出した。種牡馬時代に放牧地が隣同士であった*サンデーサイレンスとは仲が良かったと言われ、だからというわけではないだろうがこのメジロマックイーン×サンデーサイレンスという配合は相性がよく、5頭デビューした中で2頭が重賞ウイナーとなっている。まさに今で言うステイゴールド×メジロマックイーン配合の走りと言えよう。母系はなかなか優秀で、3代母ダイナフェアリーはオールカマーなど牡馬に混じって重賞5勝をあげた活躍馬。母としても*サンデーサイレンスとの間に2頭の重賞ホースを産んでいる。さらに遡るとラインクラフトやアドマイヤマックスを出した*ファンシミンにたどり着く。
競走成績 34戦5勝 (障害:4戦0勝)
日付 | 競馬場 | レース名 | 着順 | 距離 | タイム |
2006/09/17 | 中山 | 2歳新馬 | 2/12 | T1600 | 1:36.7 |
2006/10/07 | 東京 | 2歳未勝利 | 出走取消 | − | |
2006/10/22 | 東京 | 2歳未勝利 | 2/11 | T1600 | 1:36.3 |
2006/11/12 | 東京 | 2歳未勝利 | 1/14 | T2000 | 2:02.3 |
2007/01/28 | 東京 | ゆりかもめ賞(500) | 8/8 | T2400 | 2:28.0 |
2007/02/10 | 東京 | セントポーリア賞(500) | 2/12 | T2000 | 2:01.1 |
2007/03/10 | 中山 | 3歳500万下 | 10/13 | T2000 | 2:03.8 |
2007/04/01 | 福島 | ひめさゆり賞(500) | 1/10 | T2000 | 2:00.6 |
2007/04/28 | 東京 | 青葉賞(GII) | 12/18 | T2400 | 2:27.8 |
2007/06/16 | 福島 | 福島市制施行100周年記念(1000) | 2/11 | T1800 | 1:46.2 |
2007/08/25 | 札幌 | 阿寒湖特別(1000) | 1/14 | T2600 | 2:42.3 |
2007/09/23 | 阪神 | 神戸新聞杯(GII) | 4/15 | T2400 | 2:25.3 |
2007/10/21 | 京都 | 菊花賞(GI) | 6/18 | T3000 | 3:05.7 |
2008/03/16 | 中山 | サンシャインS(1600) | 1/16 | T2500 | 2:33.1 |
2008/05/04 | 京都 | 天皇賞(春)(GI) | 4/14 | T3200 | 3:15.6 |
2008/06/01 | 東京 | 目黒記念(GII) | 1/18 | T2500 | 2:31.9 |
2009/03/28 | 中山 | 日経賞(GII) | 10/14 | T2500 | 2:33.0 |
2009/05/03 | 京都 | 天皇賞(春)(GI) | 15/18 | T3200 | 3:17.3 |
2009/05/31 | 東京 | 目黒記念(GII) | 9/18 | T2500 | 2:41.9 |
2009/09/06 | 札幌 | 札幌日経オープン(OP) | 4/14 | T2600 | 2:41.0 |
2009/10/17 | 東京 | アイルランドT(OP) | 8/15 | T2000 | 1:59.0 |
2010/02/20 | 京都 | 京都記念(GII) | 4/13 | T2200 | 2:14.8 |
2010/03/21 | 阪神 | 阪神大賞典(GII) | 5/14 | T3000 | 3:07.7 |
2010/05/09 | 京都 | 都大路S(OP) | 3/14 | T1800 | 1:45.6 |
2010/08/07 | 函館 | みなみ北海道S(OP) | 2/15 | T2600 | 2:40.6 |
2010/09/05 | 札幌 | 札幌日経オープン(OP) | 2/12 | T2600 | 2:41.0 |
2011/07/31 | 小倉 | 小倉記念(GIII) | 17/18 | T2000 | 2:00.0 |
2011/09/10 | 阪神 | 朝日チャレンジC(GIII) | 9/9 | T2000 | 2:01.6 |
2011/10/15 | 東京 | アイルランドT(OP) | 8/11 | T2000 | 2:01.7 |
2011/11/12 | 東京 | パラダイスS(OP) | 14/14 | T1400 | 1:23.5 |
2011/12/17 | 中山 | ディセンバーS(OP) | 14/16 | T1800 | 1:48.4 |
2012/05/05 | 東京 | 障害4歳上未勝利 | 8/14 | D3000 | 3:37.4 |
2012/07/14 | 新潟 | 障害3歳上未勝利 | 3/14 | T2850 | 3:06.0 |
2012/08/04 | 新潟 | 障害3歳上未勝利 | 5/14 | T2850 | 3:08.0 |
2012/10/07 | 京都 | 障害3歳上未勝利 | 10/14 | D2910 | 3:23.4 |
主な戦績 | 目黒記念(GII) |
ホクトスルタンはメジロマックイーンの10世代目の産駒として誕生。マックイーンの産駒にはアサマ−ティターン−マックイーンに続く父子四代天皇賞制覇の期待がかけられていたが、それまでもちらほらと重賞馬は出ていたものの、活躍馬は何故か牝馬に偏っており、スルタンが走る頃にはもはや四代制覇は無理かな、という雰囲気が漂っていた。そんな中で迎えたデビューだったが、柴田善臣Jを鞍上に連続2着。横山典弘Jに乗り替わった3戦目で、その後のメイン戦法である逃げの手に出ると、まずまずの時計で逃げ切り勝ちを収めた。その後500万下も4戦目で卒業。少しでも競りかけられると脆いが、自分の形に持ち込めばかなりのしぶとさを発揮した。
3歳の夏を越し、加藤和宏厩舎から庄野靖志厩舎に転厩となったホクトスルタンが次に選んだレースは、条件戦ながら数々のGIウイナーを輩出する隠れ出世レースとして名高い阿寒湖特別であった。ここでもいつもどおりハナを奪うと、直線では後続を突き放す強いレースぶりを見せ、ダイヤモンドS3着の実績のあったアドバンテージらを完封。菊花賞への切符を引き寄せる大きな勝利であるとともに、自身の中に眠れる長距離適性が開花した瞬間であった。続く神戸新聞杯は菊を見据えてか無理にハナを奪うことはせず2番手からの追走となったが、第4コーナーで先頭に立ったものの粘れず4着に敗退した。
そして迎えた菊花賞。逃げるには辛い17番枠、さらに隣には皐月賞を逃げ切ったヴィクトリーがいたが、そんなことはお構いなし、スタート直後から気合を入れ、今回はしっかりとハナを奪った。2馬身ほどのリードでレースを進めたホクトスルタンだったが、直線向いて一旦は後続を突き放したものの、直線半ばでアサクサキングスに交わされ、初のGI挑戦は6着に終わった。この時点では重賞で複勝圏内に入ったこともない条件馬だったが、重賞ウイナーであるサンツェッペリンあたりよりも上位人気に支持されており、かなりの人が「マックイーン産駒」のホクトスルタンに注目していたことは間違いない。そして多くが「今はまだいい。本番は来年以降」と思ったことだろう。
5ヶ月の休養を経て、復帰初戦となったのは準オープンのサンシャインS。さすがにここでは次元が違うとばかりに逃げて後続を6馬身突き放す圧倒的な競馬で勝利した。そして迎えた天皇賞(春)。1番人気は菊の覇者アサクサキングスで、スルタンは前走の勝ちっぷりが評価されたか、菊よりひとつ上げて6番人気での出走となった。完璧なスタートを切ったホクトスルタンは注文通りの逃げに出ると、2〜3馬身のリードを保ったまま直線へ。菊の時よりもしぶとく、残り100mあたりまで粘っていたが、最後はアドマイヤジュピタに屈して4着だった。結果負けはしたが、菊では3馬身以上つけられたアサクサとの差を1馬身以内に縮めており、着実に力をつけているのも確かであった。
次走に選ばれたのは、ダービーの後に行われる目黒記念だった。同レースには菊花賞で2着、3着に入ったアルナスライン(1番人気)と*ロックドゥカンブ(2番人気)も出走しており、スルタンはそれに続く3番人気であった。4番人気は20倍近いオッズとなっており、完全な三強という形で行われた目黒記念だったが、やはりハナを奪うスルタンに2番手ロック、中団からアルナスという流れでレースが進むと、直線向いて突き放すスルタンに追いすがるロック・アルナスが迫るもしぶとくクビ差残してゴール。うれしい重賞初勝利を飾ると共に、父メジロマックイーンにとっての牡馬産駒による初の中央重賞制覇を成し遂げた。
府中の2500mを逃げ切るという偉業に巷では「盾は盾でも秋の盾か?」という話も出るほどであった。とにかく一戦一戦力をつけるスルタンに、今やはっきりと父子四代天皇賞制覇の偉業が現実味を帯びてきているのは間違いなかった。あとはいかにしてピークを天皇賞に持っていくかというところに話題は移っていたが、そうしたファンの期待とは裏腹に、目黒記念での激走の疲れが取れないというスルタンは年内を休養に回すこととなり、天皇賞制覇の夢は来年以降へと持ち越しとなった。
5歳となり、日経賞で復帰したホクトスルタンは芦毛馬らしくかなり白くなって帰ってきたが、長期休み明けにもかかわらず馬体重はマイナス8キロ。しかも調教の様子もあまりよくなく、逃げて10着と大敗に終わった。続く天皇賞(春)は何とか他馬の回避もあって出走にこぎつけたが、シルクフェイマスとのハナ争いがあったとはいえ全く粘れずここも15着と大敗した。昨年好勝負を演じていたアルナスラインがクビ差の2着で、メンバー云々よりもかつての力が全く戻っていないのは明確であった。その後、オープン戦にも出走したものの、調子が戻ることはなかった。
年が明け6歳となったホクトスルタン。年齢的にも今年がラストチャンスというところであったが、まずは年明け初戦の京都記念を逃げて4着。一昨年の目黒記念以来となる重賞での掲示板であり、馬体も戻ってようやくいい頃のデキに近づいてきたかと思われた。ただ、天皇賞(春)への切符をかけて出走した阪神大賞典は5着で賞金を加算することはできず、春の盾への出走を断念。秋に望みをつなぐべく、オープン特別に出走したスルタンだったが、ここで久々の連対を果たすも勝ち切るまではいかず、結局秋の盾も断念せざるを得なかった。
年が明けても調子が戻らず、結局7歳の夏まで復帰がずれ込んだが、その後は短距離戦などにも使われたものの、もはや往年の力はどこにも残っていなかった。こうなるとホクトスルタンに残された唯一の宿命は亡き父メジロマックイーンの血を繋ぐべく種牡馬入りすることだったのだが、陣営が選んだ選択肢は「障害入り」。実はアイルランドTを前に障害の名騎手だった田中剛厩舎に転厩していた時点でそんな予感はあったのだが、これは事実上繁殖馬としての道を絶たれたことを意味した。飛越があまり上手でなく、それでも何とか平地力のお釣りで必死に賞金を稼いで戻ってきたホクトスルタンだったが、障害入りして4戦目、通算34戦目。最後まで走るのをやめなかったスルタンは、約80キロに渡る長い旅路を終えた。
R. I. P.
正確に言うと、まだメジロマックイーンのラインは完全に終わったわけではない。中央ではホクトスルタンが最後の産駒であったが、まだ地方にはわずかながらマックイーン産駒の牡馬が残っている。もちろん血が繋がる可能性はほぼゼロだが、最後にここに紹介したいと思う。(競走成績は2012年10月7日現在)馬名 | 生年 | 備考 |
トウショウヘリオス | 2002 | 通算91戦13勝。道営で13勝。瑞穂賞で2着、道営記念などで4着があり、遠征した札幌日経オープン(T2600)でも4着に健闘している。2009年・2010年の札幌日経オープンではホクトスルタンとも対戦した(8着、9着)。 |
トーアギンガ | 2003 | 通算123戦12勝。金沢で12勝。*リマンドの3×3、*ヒンドスタンの4×5というクロスがある。 |
ギンザグリングラス | 2005 | 通算69戦3勝。唯一中央で勝ち星がある。後に南関東へ移籍し2勝をあげた。 |
トマホークミサイル | 2005 | 通算83戦12勝。兵庫で10勝、佐賀で2勝。兵庫時代に重賞・コウノトリ賞で4着、佐賀時代に九州王冠で3着があり、現在は再び兵庫で走っている。 |
マック | 2005 | 通算69戦9勝。南関東で9勝。自身のいとこに名スプリンターとして活躍したカルストンライトオがいる。 |
メジロチェスター | 2007 | 通算53戦1勝。川崎で1勝。中央時代に未勝利戦(T2600)で3着がある。母メジロスノーシューは*エルコンドルパサー×メジロラモーヌという血統。 |
残された産駒には、何とか最後までその競走生活を全うしてもらいたい。
Organa at 21:27|コメント(9)|
この記事へのコメント
1. Posted by 魚 2012年10月09日 21:47
ホクトスルタン残念です。マックイーン直系はもう終わりですかね。ドリジャとオルフェには入って残りそうで消えないですが
パーソロンの直系も危なくなりましたね
パーソロンの直系も危なくなりましたね
2. Posted by らすかる 2012年10月10日 00:18
こんばんは。
サンシャインSの日は、友人と中山まで応援に行きました。
あの日は内田浩一騎手の最終騎乗日でしたが、メインの中山牝馬Sもヤマニンメルベイユが制して、まさにマックイーン・デーでしたね。
マックイーンの父系がつながる可能性はほぼなくなりましたが、母系の中で、いつまでも残って欲しいと思います。
ありがとう、そしてさようなら、ホクトスルタン。
サンシャインSの日は、友人と中山まで応援に行きました。
あの日は内田浩一騎手の最終騎乗日でしたが、メインの中山牝馬Sもヤマニンメルベイユが制して、まさにマックイーン・デーでしたね。
マックイーンの父系がつながる可能性はほぼなくなりましたが、母系の中で、いつまでも残って欲しいと思います。
ありがとう、そしてさようなら、ホクトスルタン。
3. Posted by マック大好き 2012年10月10日 01:02
いつも勉強がてら読ませてもらってます。
ホクトスルタン、応援していただけに残念です。
良い馬だったし何とか種牡馬になって貰いたかったです。
ホクトスルタン、応援していただけに残念です。
良い馬だったし何とか種牡馬になって貰いたかったです。
4. Posted by yoh 2012年10月10日 04:54
5連続で掲示板に乗りながら結局、賞金加算ができなかった'10年が思い起こされます。競馬には「ほんの少しの行き違い」や「あと少しの何か」が付き物なのでしょうが、そういう意味では象徴的な馬だったように思います。
5. Posted by ゼロウィン 2012年10月10日 09:42
かなり思い入れがあったようですね。
メジロマックイーンは産駒の傾向としては何故か父のスタミナを受け継がず、単調なスピードだけを受け継いだ産駒ばかり出てきて、スピードがあったので勝ち上がり率は高かったものの瞬発力が無いのも受け継いでしまったために大成する牡馬が現れなかったんですよね。
あと母の父がサンデーサイレンスなので父のメジロマックイーんと比べても肌馬を選ばずに交配できるという種牡馬ではなく、一方でそういう条件がある種牡馬なら替わりが幾らでもいるという現状から、ロクに肌馬も集められないと見られて種牡馬入りすることが出来なかったと思いますね。
同じく父系のラインが続いていたタマモクロス産駒のマイソールサウンドも母の父がサンデーサイレンスという理由で生産界でも難色が出て種牡馬入り出来なかったといわれています。
特にタマモクロスの場合はタマモクロスの死後に功労馬であったカネツクロスを種牡馬入りさせようという声まで出ていたくらいで、カネツクロス種牡馬入り?という見出しがスポニチで出たくらいです。
逆に言えば、これだけ血統の制約で種牡馬入り云々の判断がシビアであるということの表れでもあり、余程のことがない限りホクトスルタンの種牡馬入りは厳しかったのだろうと思っています(´・ω・`)
メジロマックイーンは産駒の傾向としては何故か父のスタミナを受け継がず、単調なスピードだけを受け継いだ産駒ばかり出てきて、スピードがあったので勝ち上がり率は高かったものの瞬発力が無いのも受け継いでしまったために大成する牡馬が現れなかったんですよね。
あと母の父がサンデーサイレンスなので父のメジロマックイーんと比べても肌馬を選ばずに交配できるという種牡馬ではなく、一方でそういう条件がある種牡馬なら替わりが幾らでもいるという現状から、ロクに肌馬も集められないと見られて種牡馬入りすることが出来なかったと思いますね。
同じく父系のラインが続いていたタマモクロス産駒のマイソールサウンドも母の父がサンデーサイレンスという理由で生産界でも難色が出て種牡馬入り出来なかったといわれています。
特にタマモクロスの場合はタマモクロスの死後に功労馬であったカネツクロスを種牡馬入りさせようという声まで出ていたくらいで、カネツクロス種牡馬入り?という見出しがスポニチで出たくらいです。
逆に言えば、これだけ血統の制約で種牡馬入り云々の判断がシビアであるということの表れでもあり、余程のことがない限りホクトスルタンの種牡馬入りは厳しかったのだろうと思っています(´・ω・`)
6. Posted by Organa 2012年10月10日 21:17
競馬はロマンとはよく言いますが、ホクトスルタンはこれ以上ないほどのロマンを背負った馬だったと思います。常にあと一歩、何かが足りず、ついにその夢はかないませんでしたが、久々にデビューから追いかけた馬でしたね。どうぞ安らかに。
7. Posted by 名無し 2012年10月10日 21:48
スルタンに初めて出会ったのはスルタンとヒカルオオゾラがハナを競り合って両方撃沈したゆりかもめ賞でした
その時の勝ち馬もマック産駒のマイネルヘンリーでしたね
その世代にはメジロアルタイスもいてマック産駒の応援に心躍らせたものでした
スルタンが目黒記念を逃げ切ったときは夢が手に届きそうな気がしたのですが、
まさかこういう形で幕切れを迎えてしまうとは・・・
大変残念です
その時の勝ち馬もマック産駒のマイネルヘンリーでしたね
その世代にはメジロアルタイスもいてマック産駒の応援に心躍らせたものでした
スルタンが目黒記念を逃げ切ったときは夢が手に届きそうな気がしたのですが、
まさかこういう形で幕切れを迎えてしまうとは・・・
大変残念です
8. Posted by 名無しさん 2012年10月11日 01:50
マイネルヘンリーを一口持っていました。
スルタンもビッグレッドファームにいたので、何かと目にする機会がありました。
ゆりかもめ賞、青葉賞も見に行った。
皆の注目を浴びるのはスルタンだけど、勝つのはヘンリー、そう思って観戦していた。
そのときは勝てたけど、菊・春天出走・重賞勝利と大きなところへ行けたのはスルタン。そこまで行ったのだから�壓殖入りまでして欲しかった・・・。
スルタンもビッグレッドファームにいたので、何かと目にする機会がありました。
ゆりかもめ賞、青葉賞も見に行った。
皆の注目を浴びるのはスルタンだけど、勝つのはヘンリー、そう思って観戦していた。
そのときは勝てたけど、菊・春天出走・重賞勝利と大きなところへ行けたのはスルタン。そこまで行ったのだから�壓殖入りまでして欲しかった・・・。
9. Posted by うめにゃんこ 2012年10月15日 02:17
障害出身でもゴーカイのように種牡馬入りする馬はいますし、ホクトスルタンにも新たな障害のヒーローとなってほしかったのですが…
誰の目から見ても明らかに、飛び越しがあまり上手ではありませんでしたね…
その時点で、今後の方向を考えてほしかった。
ただ、先にコメントされた方もおっしゃっていたように、母父サンデーサイレンスでは種牡馬入りは難しかったように思います。
ましてや、長距離馬のイメージですからね。(私は、中距離馬だと思っていましたが)
何はともあれ、このような最期は非常に残念でした。
ホクトスルタンの冥福を祈ります。
誰の目から見ても明らかに、飛び越しがあまり上手ではありませんでしたね…
その時点で、今後の方向を考えてほしかった。
ただ、先にコメントされた方もおっしゃっていたように、母父サンデーサイレンスでは種牡馬入りは難しかったように思います。
ましてや、長距離馬のイメージですからね。(私は、中距離馬だと思っていましたが)
何はともあれ、このような最期は非常に残念でした。
ホクトスルタンの冥福を祈ります。