2013年12月03日
内国産レッドリスト - ヒンドスタン系
「内国産レッドリスト」シリーズ第十六弾はヒンドスタン系。*ヒンドスタンは第二次世界大戦の終戦直後に生まれた馬で、戦後初のクラシック三冠馬シンザンをはじめ数え切れないほどの重賞勝ち馬を出しており、間違いなく1900年代半ばにおける日本史上最高の種牡馬の1頭に数えられる名種牡馬でしょう。そのシンザンを中心に父系を大いに発展させ、50年以上にわたってラインを存続させてきました。まずはそのシンザン系を除くヒンドスタン系について紹介します。
<ヒンドスタン系> ★★★★★ (絶滅)
Bois Roussel (FR) 1935
|*ヒンドスタン Hindostan (GB) 1946 8戦2勝 (1956〜1968)
| | ・愛ダービー(IRE) ・セントジョージS(GB)
| |ヤマニンモアー 1957 19戦10勝
| | ・天皇賞(春) ・阪神大賞典 ・金杯(東)
| |シンツバメ 1958 10戦4勝
| | ・皐月賞
| |スギヒメ 1958 19戦8勝
| | ・桜花賞 ・大阪杯 ・きさらぎ賞 ・金鯱賞
| |トウコン 1958 36戦9勝 (1964〜1974)
| | ・安田記念 ・目黒記念(秋) ・カブトヤマ記念 ・東京盃
| |ハクショウ 1958 9戦7勝 (1963〜1978)
| | ・ダービー ・朝日杯3歳S
| |オーハヤブサ 1959 27戦5勝
| | ・オークス ・京成杯
| |ケンホウ 1959 14戦4勝
| | ・桜花賞 ・カブトヤマ記念 ・繁殖名「賢宝」
| |ヒカルポーラ 1959 40戦16勝
| | ・天皇賞(春) ・宝塚記念
| |リュウフォーレル 1959 37戦15勝 (1965〜1975)
| | ・有馬記念 ・天皇賞(秋) ・宝塚記念
| |コウタロー 1960 66戦15勝 (1969)
| | ・阪神3歳S ・阪神大賞典 ・愛知杯
| |ヤマトキョウダイ 1960 38戦12勝 (1966〜1970)
| | ・有馬記念 ・天皇賞(秋)
| |ウメノチカラ 1961 27戦9勝 (1967〜1976)
| | ・朝日杯3歳S ・毎日杯 ・NHK杯 ・セントライト記念 ・新潟記念
| |シンザン 1961 19戦15勝 (1966〜1987) →後述
| | ・クラシック三冠 ・有馬記念 ・天皇賞(秋) ・宝塚記念
| |エイトクラウン 1962 27戦10勝
| | ・宝塚記念 ・阪神3歳S
| |ダイコーター 1962 30戦13勝 (1969〜1985)
| | | ・菊花賞 ・スプリングS ・NHK杯 ・きさらぎ賞
| | |ホウシュウリッチ 1970 33戦11勝 (1976〜1985)
| | | ・神戸新聞杯
| | |ブゼンダイオー 1974 10戦3勝 (1981〜1993)
| | | | ・つばき賞(300)
| | | |コスモドリーム 1985 13戦4勝
| | | | ・オークス(GI)
| | |ニシノライデン 1981 26戦7勝 (1988〜1996)
| | | ・鳴尾記念(GII) ・阪神大賞典(GII) ・大阪杯(GII)
| | |プレジデントシチー 1983 44戦7勝 (1993〜1994)
| | | ・小倉記念(GIII) ・朝日チャレンジC(GIII)
| |リュウファーロス 1963 23戦10勝 (1970〜1987)
| | | ・大阪杯 ・日本経済新春杯 ・阪神大賞典 ・スワンS
| | |リュウキコウ 1974 41戦6勝
| | | ・阪神3歳S ・目黒記念(秋) ・京都大賞典 ・きさらぎ賞
| | |アンドレアモン 1979 34戦13勝 (1987〜2000)
| | | | ・フェブラリーH(GIII) ・ウィンターS(GIII)
| | | |ローリエアンドレ 1989 26戦7勝
| | | | ・ウィンターS(GIII)
| | | |アイコマシルバー 1994 37戦8勝
| | | | ・高崎ダービー(高崎) ・しもつけ菊花賞(宇都宮)
| | |ラケットボール 1985 74戦9勝
| | | ・オールカマー(GIII)
| |アサカオー 1965 24戦8勝 (1971〜1980)
| | ・菊花賞 ・セントライト記念 ・弥生賞 ・アメリカJCC
| |ミノル 1966 33戦10勝
| | ・朝日杯3歳S ・東京4歳S ・京王盃スプリングH (2着) ・ダービー
| |ワイルドモア 1966 22戦7勝 (1973〜1982)
| | ・皐月賞 ・スプリングS ・弥生賞
| |ハクホオショウ 1969 23戦8勝 (1975〜1988)
| | | ・安田記念 ・札幌記念 ・オールカマー ・カブトヤマ記念
| | |ハクホウダンディ 1979 69戦7勝
| | | ・京都大障害(春) ・東京障害特別(春)
| | |ダッシュホウショウ 1983 63戦12勝
| | | ・東京記念(大井) ・大井記念(大井)
*ヒンドスタンは愛ダービーなどの勝ち馬で、数年間アイルランドで供用されたが、目立った成績を残せずに1956年から日本で供用された。初年度産駒からいきなり天皇賞馬ヤマニンモアーを出すと、3年目の産駒から宝塚記念・天皇賞(秋)・有馬記念を制し年度代表馬に輝いたリュウフォーレル、さらに5年目の産駒から戦後初のクラシック三冠馬シンザンを出して大種牡馬としての地位を確定させた。1961年から1968年の8年間で7度リーディングサイアーに輝いており、産駒が積み重ねた重賞113勝は現在も歴代2位の記録として残っている(1位は説明不要のあの馬)。
後継種牡馬も多数いたが、当時はまだ内国産種牡馬不遇の時代だったということもあり、GI級レースの勝ち馬であっても種牡馬としてそれなりの結果を残した馬は驚くほど少なく、中央平地重賞の勝ち馬を送り出したのはシンザン、ダイコーター、リュウファーロスのわずか3頭だけだった。このうちシンザンはいうまでもなく歴史上有数の名馬だったが、ダイコーターは菊花賞馬とはいえ晩年は不振で障害を走っていたような馬だし、リュウファーロスはそもそもGI級レースの勝ち星がなく、超一流の競走馬ではなかったというのも面白い。
ダイコーターは3歳までは菊花賞勝ちに皐月賞・ダービー2着とほぼパーフェクトだったが、古馬になってさっぱり活躍できなかった。種牡馬としても当初人気がなく、初年度の種付けは12頭という状況だったが、いきなり初年度産駒から神戸新聞杯のホウシュウリッチを出して人気種牡馬へと登りつめた。後継種牡馬も複数輩出したが、このうち最も結果を残したのは「気性の悪い牝馬に蹴り飛ばされても損害が少ない」という理由で種付けされたブゼンダイオーで、同馬は条件馬で当て馬も兼ねているような馬だったが、30頭に満たない産駒からオークス馬コスモドリームを出して周囲を驚かせた。
リュウファーロスは阪神大賞典や大阪杯でレコード勝ちがある快速馬だったが、GIでは有馬記念の2着が最高だった。種牡馬としても当初は10頭前後の牝馬しか集まらなかったが、阪神3歳Sの勝ち馬リュウキコウ(ただし種牡馬入りはせず)、2年連続でJRA最優秀ダートホースに選ばれたアンドレアモンなどを出して活躍、25歳で死亡する間際まで長きに渡って種牡馬を続けた。そのアンドレアモンも内国産・さらにダート馬不遇の時代にGIIIウインターSを制したローリエアンドレをはじめ、多くの地方重賞の勝ち馬を輩出している。
Bois Roussel (FR) 1935
|*ヒンドスタン Hindostan (GB) 1946 8戦2勝 (1956〜1968)
| | ・愛ダービー(IRE) ・セントジョージS(GB)
| |ヤマニンモアー 1957 19戦10勝
| | ・天皇賞(春) ・阪神大賞典 ・金杯(東)
| |シンツバメ 1958 10戦4勝
| | ・皐月賞
| |スギヒメ 1958 19戦8勝
| | ・桜花賞 ・大阪杯 ・きさらぎ賞 ・金鯱賞
| |トウコン 1958 36戦9勝 (1964〜1974)
| | ・安田記念 ・目黒記念(秋) ・カブトヤマ記念 ・東京盃
| |ハクショウ 1958 9戦7勝 (1963〜1978)
| | ・ダービー ・朝日杯3歳S
| |オーハヤブサ 1959 27戦5勝
| | ・オークス ・京成杯
| |ケンホウ 1959 14戦4勝
| | ・桜花賞 ・カブトヤマ記念 ・繁殖名「賢宝」
| |ヒカルポーラ 1959 40戦16勝
| | ・天皇賞(春) ・宝塚記念
| |リュウフォーレル 1959 37戦15勝 (1965〜1975)
| | ・有馬記念 ・天皇賞(秋) ・宝塚記念
| |コウタロー 1960 66戦15勝 (1969)
| | ・阪神3歳S ・阪神大賞典 ・愛知杯
| |ヤマトキョウダイ 1960 38戦12勝 (1966〜1970)
| | ・有馬記念 ・天皇賞(秋)
| |ウメノチカラ 1961 27戦9勝 (1967〜1976)
| | ・朝日杯3歳S ・毎日杯 ・NHK杯 ・セントライト記念 ・新潟記念
| |シンザン 1961 19戦15勝 (1966〜1987) →後述
| | ・クラシック三冠 ・有馬記念 ・天皇賞(秋) ・宝塚記念
| |エイトクラウン 1962 27戦10勝
| | ・宝塚記念 ・阪神3歳S
| |ダイコーター 1962 30戦13勝 (1969〜1985)
| | | ・菊花賞 ・スプリングS ・NHK杯 ・きさらぎ賞
| | |ホウシュウリッチ 1970 33戦11勝 (1976〜1985)
| | | ・神戸新聞杯
| | |ブゼンダイオー 1974 10戦3勝 (1981〜1993)
| | | | ・つばき賞(300)
| | | |コスモドリーム 1985 13戦4勝
| | | | ・オークス(GI)
| | |ニシノライデン 1981 26戦7勝 (1988〜1996)
| | | ・鳴尾記念(GII) ・阪神大賞典(GII) ・大阪杯(GII)
| | |プレジデントシチー 1983 44戦7勝 (1993〜1994)
| | | ・小倉記念(GIII) ・朝日チャレンジC(GIII)
| |リュウファーロス 1963 23戦10勝 (1970〜1987)
| | | ・大阪杯 ・日本経済新春杯 ・阪神大賞典 ・スワンS
| | |リュウキコウ 1974 41戦6勝
| | | ・阪神3歳S ・目黒記念(秋) ・京都大賞典 ・きさらぎ賞
| | |アンドレアモン 1979 34戦13勝 (1987〜2000)
| | | | ・フェブラリーH(GIII) ・ウィンターS(GIII)
| | | |ローリエアンドレ 1989 26戦7勝
| | | | ・ウィンターS(GIII)
| | | |アイコマシルバー 1994 37戦8勝
| | | | ・高崎ダービー(高崎) ・しもつけ菊花賞(宇都宮)
| | |ラケットボール 1985 74戦9勝
| | | ・オールカマー(GIII)
| |アサカオー 1965 24戦8勝 (1971〜1980)
| | ・菊花賞 ・セントライト記念 ・弥生賞 ・アメリカJCC
| |ミノル 1966 33戦10勝
| | ・朝日杯3歳S ・東京4歳S ・京王盃スプリングH (2着) ・ダービー
| |ワイルドモア 1966 22戦7勝 (1973〜1982)
| | ・皐月賞 ・スプリングS ・弥生賞
| |ハクホオショウ 1969 23戦8勝 (1975〜1988)
| | | ・安田記念 ・札幌記念 ・オールカマー ・カブトヤマ記念
| | |ハクホウダンディ 1979 69戦7勝
| | | ・京都大障害(春) ・東京障害特別(春)
| | |ダッシュホウショウ 1983 63戦12勝
| | | ・東京記念(大井) ・大井記念(大井)
*ヒンドスタンは愛ダービーなどの勝ち馬で、数年間アイルランドで供用されたが、目立った成績を残せずに1956年から日本で供用された。初年度産駒からいきなり天皇賞馬ヤマニンモアーを出すと、3年目の産駒から宝塚記念・天皇賞(秋)・有馬記念を制し年度代表馬に輝いたリュウフォーレル、さらに5年目の産駒から戦後初のクラシック三冠馬シンザンを出して大種牡馬としての地位を確定させた。1961年から1968年の8年間で7度リーディングサイアーに輝いており、産駒が積み重ねた重賞113勝は現在も歴代2位の記録として残っている(1位は説明不要のあの馬)。
後継種牡馬も多数いたが、当時はまだ内国産種牡馬不遇の時代だったということもあり、GI級レースの勝ち馬であっても種牡馬としてそれなりの結果を残した馬は驚くほど少なく、中央平地重賞の勝ち馬を送り出したのはシンザン、ダイコーター、リュウファーロスのわずか3頭だけだった。このうちシンザンはいうまでもなく歴史上有数の名馬だったが、ダイコーターは菊花賞馬とはいえ晩年は不振で障害を走っていたような馬だし、リュウファーロスはそもそもGI級レースの勝ち星がなく、超一流の競走馬ではなかったというのも面白い。
ダイコーターは3歳までは菊花賞勝ちに皐月賞・ダービー2着とほぼパーフェクトだったが、古馬になってさっぱり活躍できなかった。種牡馬としても当初人気がなく、初年度の種付けは12頭という状況だったが、いきなり初年度産駒から神戸新聞杯のホウシュウリッチを出して人気種牡馬へと登りつめた。後継種牡馬も複数輩出したが、このうち最も結果を残したのは「気性の悪い牝馬に蹴り飛ばされても損害が少ない」という理由で種付けされたブゼンダイオーで、同馬は条件馬で当て馬も兼ねているような馬だったが、30頭に満たない産駒からオークス馬コスモドリームを出して周囲を驚かせた。
リュウファーロスは阪神大賞典や大阪杯でレコード勝ちがある快速馬だったが、GIでは有馬記念の2着が最高だった。種牡馬としても当初は10頭前後の牝馬しか集まらなかったが、阪神3歳Sの勝ち馬リュウキコウ(ただし種牡馬入りはせず)、2年連続でJRA最優秀ダートホースに選ばれたアンドレアモンなどを出して活躍、25歳で死亡する間際まで長きに渡って種牡馬を続けた。そのアンドレアモンも内国産・さらにダート馬不遇の時代にGIIIウインターSを制したローリエアンドレをはじめ、多くの地方重賞の勝ち馬を輩出している。
トラックバックURL
この記事へのコメント
1. Posted by elfte 2013年12月05日 11:38
不遇の名馬の血統ですねぇ。
個人的にはニシノライデンやウメノチカラなど、個性馬がよく思い出されるのですが(成績一流だけどどちらも相手が……)。
……海外に輸出できる今の環境で、これらの名馬が居たらと思わずに入られないラインナップ。
やっぱりヒンドスタンの時代はあったんだんぁとつくづく思います。
個人的にはニシノライデンやウメノチカラなど、個性馬がよく思い出されるのですが(成績一流だけどどちらも相手が……)。
……海外に輸出できる今の環境で、これらの名馬が居たらと思わずに入られないラインナップ。
やっぱりヒンドスタンの時代はあったんだんぁとつくづく思います。
2. Posted by ゼロウィン 2013年12月05日 12:20
この血統ラインを見ると何で種牡馬入り出来なかったんだろうと言う馬だらけなんですよね。
シンザンも種牡馬入りしたものの初年度が走るまではドンドン種付頭数が減ってヤバくなっていましたし、シンザンでさえこの扱いなんだからと思うと、厳しい時代だったのだと思います。
シンザンも種牡馬入りしたものの初年度が走るまではドンドン種付頭数が減ってヤバくなっていましたし、シンザンでさえこの扱いなんだからと思うと、厳しい時代だったのだと思います。
3. Posted by Organa 2013年12月05日 23:28
まさに日本の至宝というところですね。サンデーサイレンスはともかく、この時代の種牡馬にしてノーザンテーストやブライアンズタイムにも超えられていない記録を持っているということ自体が驚きです。
4. Posted by ノエルザブレイヴ 2014年04月23日 21:26
しかしながら、こちらのサイアーラインのページでも取り上げられているように古い時代の名馬は意外にアングロアラブの産駒を種牡馬として送り込んでいるみたいで、こちらのページにあるヤマニンモアーが実は「250戦の女」ウズシオタローの父系祖先だと知った時は驚きました。
5. Posted by Organa 2014年04月24日 22:43
ウズシオタローの父サトウタイシがヤマニンモアー産駒で、セイユウのおじにあたる存在みたいですね。タフで知られるセイユウの原点もここにあるのかもしれません。