避難所の組織論

浦 光博が個人として運営するページです

 このたびの東日本大震災により被害を受けられた方々に衷心よりお見舞いを申し上げます。何か少しでもお役に立てることはないかと考え,このようなページを作ることにしました。

 私は社会心理学の研究者です。平成7年に起きた阪神淡路大震災の際,研究グループの一員として被災地域に入り,避難所の活動についての聞き取り調査を行いました。その研究成果は,「あのとき避難所は―阪神・淡路大震災のリーダーたち」(松井 豊, 西川 正之, 水田 恵三 編著, 1998年, ブレーン出版)にまとめられています。

 このページでは,この「あのとき避難所では」で私が担当した章(第7章「組織論から見た広域災害時の避難組織」)の内容をベースに,今回の震災の状況を加味し,避難所を組織として適切に運営してゆくために何が必要かを述べます。特に被災地にボランティアとして赴こうとする人たちに知っておいていただきたいことに絞った内容になっています。

 全体としてはかなり長いものになります。また,今回の震災が阪神淡路大震災とどの点で異なりどの点で同じかについては,時間の経過とともに明らかになってくると思われます。そのため,時期を見計らい,適宜内容に修正を加えながら何回かに分けて更新するつもりです。少しでもお役に立てれば幸いです。

2011年03月

地域を作る

5-3. 地域を作る

  すべての避難所が,ここまで述べてきたような相互扶助の風土を持っているわけではありません。もともと地縁による住民同士のつながりが希薄で相互扶助の風土も十分ではない地域では,被災後の避難所にもまたそのような地域特性が持ち込まれます。とはいえ,そのような地域であっても,被災直後の緊急時においてはともに厳しい状況を乗り切るという共通の目標のもとに,強い連帯感が生まれます。


  しかし,被災直後の緊急時を脱して被災者の気持ちが少し落ち着き始めると,そのような避難所ではさまざまな問題が起こり始めます。もともとプライバシーを守りながら独立的な生活を送っていた人たちが,プライバシーを守ることがかなり難しい避難所の中で共同生活をしようというのです。当然のことながら,それぞれのライフ・スタイルの違いによる問題が目に見え始めますし,それらの解決があうんの呼吸で進むこともあまり期待できません。だからと言って,ひとつひとつのことについて互いの意見を出し合い,妥協点を探りながら最適解を見つけるという訓練も多くの場合十分にはなされていません。結果として,些細なことでぶつかり合ったり,あるいは逆にぶつかり合いを避けるために過剰に我慢を重ねてしまったり,といったことが起こりがちです。


  そのような地域でも,被災直後に強いリーダーシップを発揮し困難を乗り切ることに大きく貢献したメンバーがいれば,そのメンバーを中心としてある程度まとまった運営が可能です。しかし,そのようなメンバーがいなかったり,あるいはいたとしても早々に避難所から離れたりした場合には,上述のような問題が顕在化します。そのため,もともと対人関係の希薄な地域に作られた避難所では,相互扶助の風土を作り出して行くことが求められます。


  実は,ボランティアはそのような風土づくりに大きな役割を演じます。ボランティアの多くは被災前までその地域に縁もゆかりもなかった人びとです。そのような人びとが,被災者のために避難所に入り込み自主的に支援活動を行っているという姿は,地縁に頼らない相互扶助のあり方の1つのモデルとなります。「この地域に縁もゆかりもなかった人たちが,われわれのためにここまで頑張ってくれている」という思いは,避難所に相互扶助の風土をつくることを後押しする力になり得ます。


  ただし,ボランティアの活動が相互扶助のモデルになるためには,ボランティアグループのチームワークがとれていることが前提条件となります。ボランティア同士が支援のあり方をめぐって反目しあったりいやな仕事を押しつけあったりしていたのでは,対人関係の希薄な地域と変わるところがありません。上の段落で述べたことを正確に表現すれば,「さまざまな地域から互いに何のゆかりもなかった人たちがここに来て,互いに協力し合いながら自分たちを支えてくれている」という思いこそが,力になるということです。


  もう一つ,ボランティアグループのチームのあり方について留意すべき点があります。それは,ボランティアグループもまた人の入れ替わりが激しいということです。ボランティアはあくまでもボランティアでしかないのです。自分が関わりを持った被災地,避難所にいくら強い思い入れを抱いたとしても,多くのボランティアはいつまでも被災地で活動し続けることはできません。いずれ自身の本来の生活のために被災地を離れることを余儀なくされます。このようなとき,誰か一人が避難所を離れたとたんにボランティアグループのチームワークが崩れるというようなことは避けなければなりません


  そのためには,ボランティアグループの活動において一人もしくは少数のメンバーに権限やリーダーシップが過度に集中することを避ける必要があります。言い換えれば,さまざまなことについてボランティアメンバー同士の合議を大切にしながら活動を続ける必要があるということです。


  ただし,これはボランティアグループにリーダーが不要だということではありません。避難所生活においては,即断即決で対応しなければならない問題も多くあります。そのような問題についてまで一つ一つ合議していたのでは,遅きに失するということになりかねません。そうならないためには,他のメンバーたちからの信頼の厚い人物がリーダーとして意志決定することが求められます。しかし,そのような場合でも事後報告を怠らず,その内容をボランティアグループ全体として共有しておくことが重要です。そのような情報の共有が,ボランティアグループにおけるリーダーシップの世代交代をスムーズなものにし,その活動を安定的なものにする鍵となります。

地域を支える

5-2. 地域を支える
  1つの前の記事では,被災前の地域における相互扶助のネットワークが避難所での対人関係に反映された場合の強さと脆さについて指摘しました。このような強さを生かし弱さを補うためには何が必要なのでしょうか。この問いについてはさまざまな観点からの答えが考えられますが,ここではボランティアの視点からどのようにアプローチするかを考えます。


  ボランティアの多くは被災地域の外からやってきます。そのため,被災地域固有の対人関係の詳細についてはほとんど何も知らない状態で避難所での支援を始めます。このことは被災者とのさまざまな認識のギャップとなってトラブルの原因になるでしょう。しかし,被災者との認識のギャップがあるからといって,被災者側の認識がいつも正しくボランティア側の認識が常に間違いであるというわけではありません。たとえば,特定の地域内の被災者とその地域外の被災者との間に不平等があるとすれば,それにいち早く気づくのはおそらく「よそ者」としてのボランティアでしょう。


  もちろん,目に見える物資の配分に不平等については,どのような立場にある人でも気づきやすいでしょう。しかし,心の支えがどれくらい与えられているのかといった目に見えにくいものについての不平等は,立場によって見え方が異なります。たとえば,地域外部から逃れてきた被災者には,同じ避難所内に普段から近所つきあいをしていた親しい知人や友人はいないかもしれません。その寂しさやつらさは,地域内の被災者には見えにくいものです。それに気づきやすく,また共感を持ちやすいのはよそ者であるボランティアではないでしょうか。


  また,避難所において被災前の地域における有力なメンバーにさまざまな権限やリーダーシップが集中していたとしても,地域内部の被災者にとってそれは日常的な光景であるために,その問題点がかえって見えにくいかもしれません。それに対して,よそ者であるボランティアには,そのような権限やリーダーシップの集中は見えやすいものであるため,それの持つ問題点に気づき,指摘することが可能です。


  このように,ボランティアの「地域外からの視点」は,避難所の適正な運営にとってとても重要な役割を演じます。ただし,繰り返しになりますが,地域外からの視点であるが故に,地域内からの視点とぶつかることも少なくないでしょう。しかし,そのようなぶつかり合いを恐れて押し黙ってしまうことは,短期的な心地よさにはつながっても避難所の長期的で安定的な運営にとってはマイナスに働くことが多いのです。


  もちろん,なんでもかんでも対立すれば良いというわけではありません。被災者への普段からの惜しみない支援があって初めて信頼感が生まれます。人は信頼している他者からの意見であれば,それが少々耳に痛いものであってもいったんは受け入れてみようかという気持ちになるものです。


  何よりも認識しておくべきことは,避難所でのボランティアの役割は何か,ということです。避難所の安定的な運営と被災者の一日も早い自立を支援することでしょう。これを別の言葉で表現すれば,避難所の持続と縮小を支援することです。この一見相矛盾する目標の達成がボランティアに求められているのです。そのためには,被災者への惜しみない支援とほどよい緊張感がともに不可欠であると言えます。

地域で支える

5. 強さを支える
  被災者は弱者ではない,ということはすでに述べました。しかし,被災というあまりにも大きな出来事によって本来の力強さを奪われているということも述べたとおりです。しかも今回の震災の場合,多くの条件が重なって外からの支援がなかなか届かない状況が続いています。

  そんな中でも多くの避難所は程度の差こそあれ,それなりの秩序を保ちながら運営されています。そのような状況を見ると,やはり被災者は強い人たちだという思いをより強くします。

5-1.
地域で支える
  そのような被災者の強さの源の1つは,すでに繰り返し述べているとおり,被災した人々の危機的状況に対応する際の超人的といってもよいパワーです。しかし,それはいつまでも続くわけではありません。外部からの支援が急がれる所以です。

  もう一つの源は対人関係です。多くの避難所は,実は被災前の地域社会を基盤として運営されます。そのため,普段から近隣同士の相互扶助がきちんと機能している地域では,被災後も被災者同士の協力体制があうんの呼吸で整うことが少なくありません。また,地域のリーダーとして普段から影響力を持っていた人が,被災者たち同士の揉め事を上手に解決することもあります。それになんといっても,避難生活という厳しい状況であっても周囲に気心の知れたご近所の人々がいるというのは心強いことです。

  ただし,このような被災以前の地域社会の対人関係が避難所内にも持ち込まれることについてはいくつかの問題点があることも指摘しておかなければなりません。まず第1に,避難所には地域外部の被災者もいることが多く,そのような地域外部から逃れてきた被災者にとっては,地域内部での強すぎる近隣関係は居心地の悪さにつながる可能性があります。また地域内部の人たちにとっても,外部の人々はよそ者に映るかもしれません。そうなると,同じ避難所にいる被災者なのに,被災前の居住地によって支援の届き方に差が生じるかもしれません(なお,ここで言う「支援」には物資だけでなく,上で述べた気心の知れた者同士で共有できる心強さなどの心理的なものまで含みます)。そうなってしまっては,避難所のもっとも優先すべき「必要と平等」という行動原則が守られなくなってしまいかねません。

  第2に,地域における密接な対人関係は,強さとともに脆さも併せ持っているということです。この点を正確に理解するためには,まず避難所という組織の特徴をしっかりと把握しておく必要があります。

  多くの組織は存続と拡大を目標に活動を続けます。会社組織などはその代表例でしょう。少しでも会社の規模を大きくし,その存続を永らえることが会社という組織の最も基本的な目標です。しかし,避難所という組織はそうではありません。避難所は縮小と消滅を最終目標とする特殊な組織です。自然の圧倒的な力によって多くのものが奪われた地域に,本来はあるはずのない避難所という組織が作られたのです。このような「強いられた」組織が拡大し存続するということがあってよいはずがありません。被災者の心身の傷が癒え,新たな生活に踏み出す力が回復し,被災地域が復興に向けて活動を開始することによって,避難所は縮小し,いずれ消滅する。避難所は誕生した瞬間からその消滅を最終目標として運営される(べき)組織です。

  このように,縮小と消滅を運命づけられた避難所において被災以前の地域社会の密接な対人関係に依存した運営がなされていたとすると,いずれ困った問題が起こる可能性があります。それは,地域社会の中心メンバーが避難所から自立したとたん,避難所のスムーズな運営が立ちゆかなくなる可能性です。また,中心メンバーではなくても,気心の知れた隣人が避難所から出て行ったとたん,その隣人との関係に依存していた被災者が心のよりどころを失って不適応を起こすということも起こり得ます。そして,そのような一部のメンバーの不適応が密度の濃い対人関係のネットワークを通じて全体に波及することにもなりかねません。

 

  要するに,地域の密接な対人関係が避難所に持ち込まれた場合,それは強さとなって避難所のスムーズな運営の源になるのですが,その強さは同時に脆さともなって避難所の運営に大きなダメージを与える潜在的な要因にもなるということです。そのような強さを生かし,弱さを補うためには何が必要なのでしょうか。

施設職員と連携する

4-4. 施設職員と連携する
  避難所はほとんどの場合,地域の公的な施設に設けられます。そこには施設の運営に関わる職員がいます。上でも述べましたが,彼ら彼女らは施設の職員であると同時に,多くの場合,被災者でもあります。このような複合的な立場がいかにつらいものであるかは容易に想像できると思います。被災者として生き延び生活を安定させることを目指しつつ,施設の職員として他の被災者のケアを余儀なくされ,さらには施設の維持管理も怠るわけにはいきません。

  例として,学校が避難所となっている場合を考えてみれば分かりやすいでしょう。被災者は避難所(=学校)での少しでも快適な生活を求めるでしょう。しかし,その要求にすべて応えていたら,生徒・児童に対する教育は立ちゆかなくなります。一方で,教育のためだからといって,被災者に上から目線で我慢を強いるわけにもいきません。これら相反する要求の調整を図りつつ,自身も被災によるダメージに立ち向かわなければならないのですから,そのストレスはとても大きなものになります。
 
  ボランティアがそのような職員グループとの関係を大切にすることは2つの点で大きな効果を持ちます。
1つは,言うまでもなく,疲れ果てている職員たちの負担を軽減できることです。もちろん,ボランティアが施設の維持管理の仕事を肩代わりすることはほとんどの場合できないでしょう。したがって,施設の職員が担っていた被災者への対応を彼ら彼女らに代わって,あるいは連携しながら行うことになります。それは当然,職員たちの負担を減らすことに役立ちます。

  2つ目の効果は,施設職員たちがある意味では被災者にとって「外の人」としての立場も持つことから生まれます。上で述べたように,施設職員は職務上,被災者のニーズのみを優先させることはできません。結果として,職員グループと被災者グループとの間にはある種の緊張関係があります。そのような緊張関係を持ちながらも,困難な状況を一緒に切り抜けてきた仲間としての一体感も持っているわけです。

  施設職員の「外の人」としての特徴に目を向ければ,それは「よそ者」としてのボランティアの立場に近くなります。人は自分と近い立場にある者は比較的抵抗なく受け入れます。つまりボランティアは施設職員には比較的受け入れられやすいのです。

  そのような施設職員は同時に被災者グループにとって「内の人」でもあるわけですから,職員と手を携えて仕事をするボランティアを,被災者グループとしてもないがしろにするわけにはいきません。つまり,施設職員グループとの関係を良好に保つことで,ボランティアは避難所に溶け込みやすくなるのです。

  ただし,避難所によっては職員グループと被災者グループとの間に深刻な対立がある場合もあります。そのような避難所でどちらか一方との連携を重視することはかえって対立を煽ることになりかねません。だからといって下手に仲裁しようとすることは控えた方が賢明です。失敗すればどちらからも嫌われることになるかもしれないからです。そのような場合には,とにかくよそ者としてひたす自分のできることに専念するに限ります。

「よそ者」として支える

4-3. 「よそ者」として支える
  誤解を恐れずに書きますが,非被災地から被災地に入るボランティアは,被災者にとって「よそ者」です。これは多くの被災者の偽らざる本音です。しかし,本音のすべてではありません。だから,時間がそのような気持ちを解きほぐしてくれることを信じて,よそ者としてできることを実直に続けるしかありません(実は,このような文章を遠く離れた場所で書き連ねている私自身,「よそ者」以外の何者でもありません。でも,今自分にできることの中でベストだと思うことを続けることがせめてもの貢献だと信じています)。

  1
つ前の記事でも述べたとおり,被災直後は外部からの支援が全く,あるいはほとんど期待できない状況の中で被災者自身がぎりぎりの努力を重ねて避難所を運営しています。避難所となった施設の職員等の関係者グループもいますが,当然のことながら彼ら彼女らの多くもまた被災者です。

  厳しい状況をともに経験した人々の間には強い連帯感が生じます。震災後の避難所はまさにそのような状況です。そこに非被災地からボランティアとして入っていこうとすれば,かなりの壁を感じることになるでしょう。
もしかしたら,とても厳しい言葉を投げつけられるかもしれません。「何も分かっていない者が訳知り顔でやってきて・・・」「自己満足のために・・・」「ろくな仕事もできない者が乏しい食料を奪って・・・」「よほど暇なんだな・・・」などなど。「よそ者にわれわれの気持ちなんて分かられてたまるものか・・・・」という気持ちさえ芽生えることがあるそうです。

  しかし,繰り返しますが,これらは被災者たちの本音のすべてではありません。自らも傷つき,立ち上がる気力さえ萎えそうな中で避難所のために活動を続けた人たちは疲れ果てているはずです。そこに元気なボランティアがきてくるのです,うれしくないはずはありません。来てくれてありがとう,という気持ちもまた偽らざる本音です。
 
  そんな2つの相異なった気持ちがない交ぜになった避難所でボランティアたちはどのように振る舞えばよいのでしょうか。何よりも,上でも書いたとおり,時間の効果を信じて自身にできることを淡々と続けることが肝要です。被災者たちの厳しい言葉に,つい感情的に反応しそうになることもあるかもしれません。しかし,そうしてしまったら,被災者 対 非被災者という対立の構図ができあがってしまいます。それが避難所の組織的で安定的な運営にプラスに働くはずはありません。自分に向けられる厳しい言葉は,被災という特殊条件が生んだ一時的な心理状態によるものであることを理解して,冷静に対応する必要があります。

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