4-3. 「よそ者」として支える
誤解を恐れずに書きますが,非被災地から被災地に入るボランティアは,被災者にとって「よそ者」です。これは多くの被災者の偽らざる本音です。しかし,本音のすべてではありません。だから,時間がそのような気持ちを解きほぐしてくれることを信じて,よそ者としてできることを実直に続けるしかありません(実は,このような文章を遠く離れた場所で書き連ねている私自身,「よそ者」以外の何者でもありません。でも,今自分にできることの中でベストだと思うことを続けることがせめてもの貢献だと信じています)。
1つ前の記事でも述べたとおり,被災直後は外部からの支援が全く,あるいはほとんど期待できない状況の中で被災者自身がぎりぎりの努力を重ねて避難所を運営しています。避難所となった施設の職員等の関係者グループもいますが,当然のことながら彼ら彼女らの多くもまた被災者です。
厳しい状況をともに経験した人々の間には強い連帯感が生じます。震災後の避難所はまさにそのような状況です。そこに非被災地からボランティアとして入っていこうとすれば,かなりの壁を感じることになるでしょう。もしかしたら,とても厳しい言葉を投げつけられるかもしれません。「何も分かっていない者が訳知り顔でやってきて・・・」「自己満足のために・・・」「ろくな仕事もできない者が乏しい食料を奪って・・・」「よほど暇なんだな・・・」などなど。「よそ者にわれわれの気持ちなんて分かられてたまるものか・・・・」という気持ちさえ芽生えることがあるそうです。
しかし,繰り返しますが,これらは被災者たちの本音のすべてではありません。自らも傷つき,立ち上がる気力さえ萎えそうな中で避難所のために活動を続けた人たちは疲れ果てているはずです。そこに元気なボランティアがきてくるのです,うれしくないはずはありません。来てくれてありがとう,という気持ちもまた偽らざる本音です。
そんな2つの相異なった気持ちがない交ぜになった避難所でボランティアたちはどのように振る舞えばよいのでしょうか。何よりも,上でも書いたとおり,時間の効果を信じて自身にできることを淡々と続けることが肝要です。被災者たちの厳しい言葉に,つい感情的に反応しそうになることもあるかもしれません。しかし,そうしてしまったら,被災者 対 非被災者という対立の構図ができあがってしまいます。それが避難所の組織的で安定的な運営にプラスに働くはずはありません。自分に向けられる厳しい言葉は,被災という特殊条件が生んだ一時的な心理状態によるものであることを理解して,冷静に対応する必要があります。