5-5. 後方で支える

  被災直後の緊急時においては,被災者を総力戦で支える必要があります。ただし,この「被災直後の緊急時」がいつまでのことを指すのかは必ずしも経過時間によって一義的に決まるものではありません。今回の震災の場合でも,まだまだ支援物資も十分に届かず,支援者の数も不十分であり,被災者の危機的状況が続いている地域もあります。そのような地域では引き続き総力戦での支援が必要です。


  一方で,そのような緊急時をそろそろ脱し始めた地域もあります。少なくとも被災者が生存の危機にさらされているといった状況にはなく,支援物資も十二分とまでは行かないまでも必要な程度には届き,精神的な混乱もある程度は収まりつつあるといった地域です。そのような地域で支援活動を続ける際に必要なことは「支えすぎないこと」です。


これまでも繰り返し述べてきているとおり,被災者はすべてが弱者というわけではありません。多くの被災者は被災直前までは力強く生きてきた人たちです。その力強さが震災によって一時的に失われたのが被災直後の緊急時であったということです。そうである以上,そのような緊急時を脱した被災者たちは,遅かれ早かれ本来の力強さの感覚を取り戻します。


とするならば,緊急時を脱した避難所においてボランティアたちがとるべき態度は,まずそのような被災者の力強さを信じることです。これは何も,避難所から一切手を引けということではありません。そうではなく,被災者グループによる避難所の自立的な運営を後方から見守るという姿勢が必要だということです。もちろん,自立的な運営と言っても,すべてのことが万全に進むとは限りません。また,1つの避難所の中には複数のグループがあることが多く,それらのグループ間に自立性の程度に差がある場合も少なくないでしょう。したがって,ボランティアグループは時と場合に応じて,またグループの状態に応じて被災者に対する支援の程度を調整することが求められます。


このような調整が行われなかったとしたら何が起こるでしょう。1つは,被災者グループからの反発が起こる可能性があります。「自分たちのことは自分たちでできる,いつまでも弱者扱いするな」という怒りの声が上がるかもしれないということです。しかし,そのような声が上がるのは,見方を変えれば好ましいことだとも言えます。問題点がすぐに分かり,対応を改めることが可能だからです。


より問題が大きいのは,被災者の自立の芽が摘まれてしまう可能性です。被災者は弱者ではないということは繰り返し述べているとおりです。しかし,その一方で一時的に力強さを失っていることも確かです。そのような被災者を支えすぎた場合,「ボランティアに任せておけば何でもやってくれる」という依存の気持ちが芽生えてしまう可能性があります。


また,ボランティアにとっても,被災者から頼りにされることが効力感につながり自身の喜びにもなることから,「被災者を支えることに自らのやりがいを求める」という状態になることがあります。このようなボランティアの心の状態は,一見,自立的で能動的なもののように見えるかもしれませんが,やりがいを感じるためには支えるべき対象が必要であるという意味において依存の一形態であると言えます。このような支える側と支えられる側が互いに相手に依存しあっている状態は「共依存」と表現されることがあります。


このような共依存状態が避難所という組織にとっていかに不都合なものであるのかは,もう説明するまでもないかもしれません。避難所は縮小と消滅を最終目標とすべき組織です。にもかかわらず,そこに共依存が生まれると,被災者もボランティアも避難所に居続けることにある種の心地よさを覚えてしまうため,縮小と消滅が遠のいてしまうということになりかねないのです。


もう一度繰り返しますが,以上に述べてきたことは,ボランティアが被災者を支えてはいけないということではありません。支えるべき時には徹底的に支える。しかし,自立の芽が見えてきたら後方支援に回る。このメリハリが避難所運営の鍵であると言えます。