最近こんな文章を拝見したのです。

(引用はじめ)
「バイプレイヤーになりたい」と最初から言ってる人が大成するとは思えないんだよな。
トップをぶん取るつもりの人がバイプレイヤーという評価を受け入れて初めてバイプレイヤーになれるんだと思う。
(引用終わり)

これって正論なんだろうとは思うんですね。
以前「2番じゃダメなんですか?」って言ってた国会議員がいましたが、「最初から2番でも良いって思ってたら2番どころか10番にも入れませんよ」っていうのと同じ種類の話です。

スポーツでも勉強でも仕事でも1番を目指さなければ成功はしないってことです。
『競争』の中においての成功はね。

しかしながら、その前にそもそも「この世はそんなにも『競争』というモノに支配された世界なのか?」というところから話を始める必要があるでしょう。
弱肉強食で殺伐とした『強い者だけが生き残る蠱毒の壺の中ような世界』がこの世ってモノかということをです。

(引用はじめ)
蠱毒
小さな入れ物の中に大量の生き物を閉じ込めて共食いさせ、最後に残った1匹を呪詛の媒体に用いると言う、何ともエグい呪術。
(引用終わり)

結論から言えばこの世は蠱毒の壺ではないと思います。
幾ら理不尽で不条理であろうとです。

『この世』というのは言ってみれば「学校の夏休み」みたいな世界だと思うのです。
どういうことかというと「ある一定時間 (人生) の中で自分がやるべき宿題を抱えて『敢えて』やって来ている世界」ということです。

その宿題は夏休みの期間中 (生きてる間)どういうやり方をしても構いません。
ただ、休みが終わった時 (亡くなった時) に提出しなくちゃなりません。

簡単に言えばこの世は何らかの課題を果たすための勉強部屋みたいなものじゃないでしょうか。 
そう捉えると何だかしっくりくるのです。

この世が夏休みの宿題をするための勉強部屋だとするならば無限に発展してパラダイスになることは永遠にないでしょう。
それじゃ、わざわざ宿題を持ってくる『意味』がなくなってしまいますのでね。

この世が蠱毒の壺だっていうのなら、生きてるうちに双六の上がり目がやって来なけりゃそりゃ『意味』がないでしょう
ここでいう双六の上がり目ってのは弱肉強食の場における最終的かつ不可逆な『強者』になることです。

それって「死んだら全て終了!」っていうのが根っこにあるから出てくる考えなんでしょうけどね…
そういう人たちの頭の中では絶対的な『ゴール』がそこにあるわけです。

確かに人間の世界には局所的に勝ち負けがあるのは確かです。
でも、この世界全てが弱肉強食で動いてるなんて想定すること自体大きな意味での因果応報を無視しているのではないでしょうか。

世界は人間の思惑だけで動いてるわけではありません。
世界は人間の想定など遥かに超えた不条理と理不尽で満ちているのです。



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