眼に見えない世界のことはハッキリとした裏が取れません。
だから、言いたい放題になりがちです。

だから、誰かの言ってることが真っ当かどうかを判断する場合何らかの物差しが必要です。
私にとっては但し書きってのが一つの物差しになります。
但し書きが付けば辻褄が合わないことでも何とな〜く辻褄が合ったような気になりがちだからです。

例えば「自分の拝んでるのは本当の稲荷のキツネだけど、誰それの拝んでるのは邪悪な妖狐である」みたいなことをおっしゃる方がいらっしゃいます。
「キツネは神さまです。ただし中には妖狐ってのがいてそれは妖怪なんです」ってな話です。
以上のように但し書きを付ければ解釈変更は幾らでも出来ますよね? 

でも、但し書きが全部ダメだっていうわけではありません。
元々0か100かの話ではないですしね。

例外はあちこちにあるものですが、その例外を盾に強引に辻褄を合わせようとするのがオカシイと申し上げています。
で、そういう人が世の中には大勢いらっしゃるのです。

特にスピリチュアルな世界では最初にも申しました通りやりたい放題です。
但し書きオンパレードなんです。

「元気があれば何でも出来る!」じゃないですが、「ただしって付ければ何でも説明出来る!」って本気で思ってる人が結構いそうで怖いのです。
ジョーダンじゃなくてマジでね!

本物を見分ける一番簡単な方法は、但し書きの数と質を見ればいいです。
それは但し書きの数と質を物差しとして使うってことです。

但し書きってのは往々にしてダブルスタンダードの隠れ蓑として使われます。
ここでいうダブルスタンダードというのは「俺の物は俺の物、お前の物も俺の物」という風な恣意的な考え方のことです。

(引用はじめ)
「ダブルスタンダード」とは二つ以上の類似した事象に対して一貫性のない別の判断をそれぞれの事象につけるような行為・態度。
(引用終わり)

例えば死後の世界についてワールドワイドに一貫性のあることをおっしゃっている『霊界の事情通』を寡聞にして存じ上げません。
宗教だとか人種だとか時代だとかでコロコロ変わる死後の世界って何なのでしょう?

その説明は各人各様で『てんでんばらばら』です。
そして、あまりに整合性を取れなくなったら苦し紛れに但し書きを付けるのです。
そういう意味で但し書きは一貫性の無さの印です。




呼ばれたら全国行きたいと思います(ヒーリング篇)      

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