以下は所謂一つの寓話です。

大陸のとある国の権力者が自分のすごい読書量を誇っていたそうです。
毎日5時間平均で本を読むみたいなね。

でも、それを聞いたとある知識人がそれはおかしいと言いました。
「もし本人が言うほどの読書をしているのなら、その知識量は膨大であり、あんな (知性の感じられない) 喋り方はしないだろう」と。

これは多分「その人の積み上げてきた経験値は隠しようもなく表に出るものだ」って意味だろうと思います。
良くも悪くもね。
ここでは「知識量や思考の質は当然話し方や書き方と対応するはずだ」という意味です。

スピリチュアルな世界でもそれは大体同じです。
特に文章に現れるその方の感覚の質は大事でしょう。

例えば霊能力が売りの人なのに文章の中にそういった感覚があまり表現されなければ「アレ?」って思わざるを得ません。
もしその人の中にそういった感覚があれば言葉の端々に否応なく滲み出てくるものだからです。

遅かれ早かれ有るものは出てくるし、無いものは出てきません。
「今まで一度も出てきてないけど、実は昔からずっと持ってるんだよ」みたいなことはほぼほぼ無いんじゃないでしょうか?

「霊能力みたいな眼に見えないモノだから、出てきても分からないだけだ」なんていう人かいたら眉に唾つけて見た方がいいです。
細かいことは分からなくても出てきてないことくらいは真っ当な感覚の持ち主なら分かるはずだからです。

それは幾ら最もらしいことを言っていても、心がこもってなければ見破られるのと同じです。
まぁ、どっちにしても上辺だけ見て騙される人は騙されるんでしょうけどね…

映画とか小説の中で所謂オカルティックな出来事が描かれていたとします。
もちろんそれ自体はフィクションなのですが、「あっ、この人何か分かる人だな」ってのは感じたりすることはあります。

で、どこに「あっ、この人何か分かる人だな」と感じるかというと大抵は筋書きとかではなくて個々の場面のさりげない描写なんかに対してです。
それが自分の中の経験値に共鳴するのです。

感覚として似たような経験をしているから共鳴するのです。
ただし、それが現実の経験として比べても似ているとは限りませんがね。

あくまでも感覚としての共鳴性です。
「あっ、この感じ自分も知ってる!」みたいなね。

そういう感覚の共鳴性みたいなモノが実際あるのか無いのかは大きな違いです。
眼に見えないモノに触れようとされるなら、特にね。
少なくとも机の前でばかり考えない方が無難ですよ。



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