古今東西全ての人間が自分の見たいものを見たいように見てきました。 
「見たいものを見たいように見ている」とは「その人の見ている所謂『現実』というのが潜在意識やら先入観やらによって半ば無意識に集められた出来事の集積に過ぎない」ということです。 
その人好みに取捨選択されコーディネートされない『事実』は何処にもないということなのです。

もっと簡単に言えば、「自分が見たいものと見たくないものを無意識に自動で選別する心の装置を全人類が持っている」ということです。
つまり、人間というフィルターを通してる限り「丸ごと全部ありのままに世界が見えるわけはない」ってことなのです。

別の言い方をすれば人間は元々主観的な存在だってことです。
純粋に客観的な視点を持つ人間などというものは何処にも存在しません。

主観というものには大なり小なり偏りが存在します。
一人一人が見てる『世界』というのにはそれぞれに常に偏りがあるということです。

以上しつこく何度も同じことについて色んな言い方をしました。
なぜかといえばそこんところが大前提だからです。

ただ、世の中にはこの「人間は見たいものを見たいように見ているだけだ」ってところがピンと来ない人って結構少なくないらしいのです。
特にスピリチュアルとか自己啓発とか宗教が好きな人には多い気がします。

(引用はじめ)
人を判断するとき、自分の価値観というフィルターを通してその人のことを評価します。そしてどこかしら嫌なポイントがあるから、その人のことを嫌いになるのです。
しかしすべてを中立(善悪の区別なく)な視点で見ることができるようになると、このフィルターが外れ、その人物のありのままの姿を受け入れることができます。
(引用終わり)

私の造語に仮定盛りってのがあります。
「こうに違いない!」という思い込みを土台にして、その上に「ならばこうなるはずだ!」という仮定の話をブレない真実のように盛り付けていくっていうやり方を表す言葉です。

で、盛り付けた話は仮定のはずが直ぐに「そうに違いない!」という『確信』に変質していきます。
っていうか盛られてる時点で、もうすでにブレない真実のように扱われていますけどね…

上のお話はまさに仮定盛りの見本って感じです。
先ず「すべてを中立(善悪の区別なく)な視点で見ることができるようになると」とサラッと盛られます。
そして、次にすぐ「その人物のありのままの姿を受け入れることができます」って盛りつけられるのです

スピリチュアルや自己啓発系の人ってよく「ありのまま」っておっしゃいますが、「ありのままって何だ?」って思うんですよねぇ。
ありのままって夢を見ていたいんでしょうかねぇ?
「純粋に中立なありのまま」なんて何処にもないだろうに…



『このブログを浄化します』 

呼ばれたら全国行きたいと思います(ヒーリング篇)      

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