『クリアー整体ヒーリング』です

ヒーリングに関するあれやこれや・自分が体験した不思議な出来事など思い付くまま気の向くままに野性の勘?で書き綴っております(笑)

健康

健康万能主義と眼に見えない大切なモノ

「生きてる間にどれだけ良い想いをして、死というゴールまで無事逃げ切れるかどうか?」がいわゆる人生の勝ち組を目指す人々の『関心の中心』を成しているみたいです。
ある種の健康法の根っこにもそういう認識はあるんじゃないでしょうか?
「どんな生き様であってもテクニカルに健康で長生きしたヤツが勝ち! 早く死んだ方が負け!」ってな発想がです。

むやみに生き急ぐ必要はもちろんありません。
でも、世俗的な成功哲学としての『健康』ってモノにそれほど価値があるとはどうしても思えないのです。

世俗的な成功哲学としての『健康』とは「人生80年のゴールを社会的な勝者として迎えたい!」という欲望の行き着く果てのことです。
ある意味唯物論の極北です。

最近はそういう考え方が世間にヒタヒタと満ちてきた気がするのです。
その一つの証左が昔の日本人が普通に持っていたであろう『死に対する潔さ』が顧みられなくなったことがあります。

顧みられないどころかダサくてカッコ悪いモノとして認識している人も多い気がします。
物理的に生きてることや健康であることが「何よりも価値がある!」と考えられてるんじゃないでしょうか?
今の世の中で「人間には時に生命より大切なモノがある」なんてことを言うと、すごくクレイジーでカルトチックヤツだと取られかねないのです。

もちろん生きることや健康であることは大切に決まっています。
生命を粗末にしていいわけがないのです。
そんなことは「百も承知・二百も合点」の上でなお、「場合によっては生命より大切なモノが人間にはあるんだよ」と申し上げているのです。

単純な話、人の親なら自分の子に何らかの危機が目の前で迫っていたら我が身の危険など全く顧みず躊躇なく助けに行くでしょう。
そういう種類のことを述べています。

もっといえば眼に見える大事な物だけでなく、眼に見えない大切なモノを命がけで守るなんてこともあるかも知れません。
でも、そういう発想は「どんな生き様であってもテクニカルに健康で長生きしたヤツが勝ち! 早く死んだ方が負け!」ってメンタリティからは出てこないと思うのです。
むしろバカバカしいと感じるだけなんじゃないでしょうか?

個人的には「死んでもそれでお終いじゃないんだよ」ってココロを持ち続けることはすごく大切だと感じるのです。
『眼に見えない大事なモノ』を見失わないためにね!

世の中には所謂不健全なモノがそこら中に溢れています。
否応もなく歪んだモノ・澱んだモノ・不健康さなどを全部まるっと含めたカタチで『人の世』は成り立っている気がします。
大昔から現代までずっとね!

光あるところには必ず闇があります。
闇を見ようとしないのなら、光を見ることも出来ません。

人生における健康やら成功やらの『上っ面』だけをテクニカルになぞって行くだけでは、いつまで経っても『眼に見えない大事なモノ』の所にまで辿り着けないでしょうね。
まぁ、それでも構わないって人はどうぞご自由にってことではありますけど…

74回目の終戦の日に!



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反医学的な『モノの見方』とスピリチュアル

以前にこんなことを書きました。

例えば『現実に犯罪が多発しているのを事実として認識すること』と『現実に多発しているのだから犯罪はあって当たり前と思うこと』は全く違う話です。 
実際に犯罪はあるけど、あくまでもないのが理想の姿であり、そこに向かって努力しているのが『現実』です。 

つまり、『現実に存在することを「そんなこともあるんだな~」と単に事実として認識すること』と『その現実を自分の心の奥まで入れ込んで「そうだ!そうだ!その通りだ!」と肯定すること』は別なんです。  

この2つのことをごちゃごちゃにして「あるんだから『真実』として素直に認めろよ!」的なことをおっしゃる方が結構多い気がするのです。  
意図的であろうとそうでなかろうとね…

置き換えると『現実社会において薬害など医療に関する問題が少なからず存在することを知識の一つとして持っていること』と『問題があるからといって医療全体に強い疑念を持ち、投薬や果ては手術まで否定するが如き認識を持つこと』は全く次元の違う話です。 

確かに現実社会においては医療に関する重大かつ構造的な事件や事故が過去に何度も起こってきました。
しかし、だからといって医学自体をまるで悪であるかのように捉えるのは行き過ぎではないでしょうか。
ましてや医療が頼りにならないからといって医療関係者の言うことを信じず、医学的な知識のない者の言うことを鵜呑みにするなんてのはあまりに危険過ぎます。 

実際医学を声高に否定する言説をドヤ顔で語る方が所謂スピリチュアル系の中には少なくない気がします。
特に専門的な知識をお持ちではなさそうなのに、「薬をやめなさい!」とか「現代医学は欠陥だらけだからそんなものに頼っちゃダメだ!」みたいな内容の発言を堂々と発信されているのを拝見するのも一度や二度ではありません。
それこそが掛け値なしの本当にあった怖い話そのものじゃないでしょうか?

一見もっともらしく感じても結論として非科学的なことを推奨しているなら、その意見には十分気を付けて対処してほしいと思います。 
非科学とは科学の否定であり、科学の否定とは即ち人類の英知の否定に他ならないからです。 

人間が古代より営々として築いてきた英知を否定するならば、その土台の上に成り立っている現代人としての『個人的知性』もまた原始的な迷信の闇にやがて呑み込まれてしまうでしょう…
偶然ではなく必然としてね。
 

一個人として反医学的な思想を持たれるのはご自由ですが、スピリチュアル〜な立場に立ってそれを他人に推奨したり拡散したりするのはやめてほしいと強く願います! 
それって下手すると人の生き死ににも関わることですので…



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健康という『陽』と不健康という『陰』

人間むやみに生き急ぐ必要はもちろんありません。
でも、世俗的な成功哲学としての『不老長寿』ってモノにそれほど価値があるとはどうしても思えないのです。

そういうことを以前から一度ならず申し上げてきた記憶がございます。
まぁ、例によって例のごとく独断と偏見のお話ですがね…

ここでいう世俗的な成功哲学としての『不老長寿』ってのは「どんな手段を使っても、とにかくテクニカルに健康で長生きすることが『人生に勝つ』ことそのものである! 」みたいな発想のことです。
で、当然それに反することは全部丸ごと「負け!」ってことになります。(その考え方の中ではね)

そういう考えの人々は、得てして自分たちの思い描く『不健康なこと、不摂生』を必要以上に忌み嫌い、それによって健康を害することのすべてを『悪』であるかのように見做します。
そして、自分たちが悪だと見做す『不摂生』を行い、健康を害した者・早生したような者の人生は、生き様の如何を問わず健康以外の部分も含めて認めたくないんだろうなと感じます。

健康を絶対不変の『真理』であるかのように思い込み、がむしゃらに突き進めば結局そういう風になっていくのでしょう…
そういう風にというのは「不健康を徹底的に排除し、世界を自分たちの考える『健康』だけにしたい!」という衝動に突き動かされるようになるってことです。

でも、「不健康な要素を機械的にガリガリ削り取って、健康になるための純粋な要素だけを抽出しよう」みたいなやり方には、どうしたって無理があるのです。
それじゃまるで善と悪を化学的に切り離そうとした『ジキルとハイド』のお話そっくりです。

陰陽説では「陽極まれば陰になる」と申します。
これを健康に当てはめて私流に言い換えれば「健康ガー!健康ガー!と年がら年中健康に執着し続ければ、そのうち反転してとんでもなく不健康になる」ってことです。

また「禍福は糾える縄の如し」と申します。
健康と不健康もまた糾える縄の如く分かちがたいモノとしてリバーシブルに存在しているのではないでしょうか?
肉体を持ってこの世に存在する限り…

人間「時には不健康も受け取めながら、穏やかに倦むことなく健康に近付いていく」ってのが大切な気がします。
要は健康にしろ不健康にしろ『極端』な方向に急激に振り切れることなく、コツコツとバランスを取って歩み続けることが大事だってことです。

 (引用はじめ)  
人間の体は絶えずどこかが毀れている、そしてそれを、絶えずどこかで治している。
毀したり治したりしながら生きているのである。
だから、治っているから健康であるとか、毀れているから病気であるとかの区別はつけられない。 
『整体』という言葉を作った男  野口晴哉
 (引用終わり) 



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「不老長寿も良いけれど、それが全てじゃないだろう」って話

「生きてる間にどれだけ良い想いをして、死というゴールまで無事逃げ切れるかどうか?」が人生の勝ち組を目指す人々の『関心の中心』を成しているみたいです。
ある種の健康法の根っこにもそういう認識はあるんじゃないでしょうか?
「どんな生き様であってもテクニカルに健康で長生きしたヤツが勝ち! 早く死んだ方が理屈抜きで負け!」ってな発想がです。

むやみに生き急ぐ必要はもちろんありません。
でも、世俗的な成功哲学としての『健康』ってモノにそれほど価値があるとはどうしても思えないのです。

世俗的な成功哲学としての『健康』とは「人生80年のゴールを社会的な勝者として迎えたい!」という欲望の行き着く果てのことです。
ある意味唯物論の極北です。

最近はそういう考え方が世間にヒタヒタと満ちてきているような気がするのです。
その一つの証左として人の死期の扱い方というのがあります。

例えば平均寿命とまで行かなくても少なくとも70歳過ぎくらいまでは生きないと何だか「早すぎる死」のように扱われる傾向が見られます。
個人的にはそこらへんにスゴく違和感を感じるのです。

誤解のないように申し上げれば『長生き』ってモノ自体の価値を否定するつもりはさらさらありません。
誰でも可能なら健康で長生きした方がいいに決まっています。
ただ、「長生きが人間にとって何よりも優先されるべき『価値』なのか?」と問われれば「それは違うんじゃないだろうか」ってどうしても感じてしまうのです。

極端な話、人としてはとんでもないロクデナシであっても健康で100歳まで長生きしたら長生きしたことについては十分褒められるべきでしょう。
でも、幾ら長生きしたからといって「その人の人生が立派だった」ってことにはなりませんよね?

要するに人の寿命とその人の人生の善し悪しはイコールでは結べないってことです。
まぁそれも当たり前っちゃ当たり前なんですけどね…

しかし、最近は思想的に先鋭化した健康マニアみたいな人が増えてきていて、「不摂生をする人間には生きてる『価値』は1ミリもない!」ってくらいの勢いで糾弾してるのを見ると正直引いてしまうのです。
例えば一部の極端な嫌煙家の人が喫煙者全般に対して見せる「相手の人格全否定」みたいな態度とかね…

不老長寿が「より良く生きるため」のツールの一つとして存在するだけなら何の問題もありません。
だが、実際はそれが「健康という絶対正義によって不摂生という絶対悪を叩く際の強力なバックボーン」になって来ている気がしてならないのです。
そして、この傾向は明らかに強くなっているように見えます。

「闇を見ていない人には光も見えないだろう」と感じてるのです。
光の中に闇を見る人は、闇の中にも光を見い出せる人です。

個人的には酒やタバコや入れ墨などを奨励する気は毛頭ありません。
ただ、そういった所謂『良からぬモノ』も全部まるっと含めたカタチで『人間の社会』は成り立っているんじゃないでしょうか?
歪んだモノ・澱んだモノ・不健康さなどをお掃除ロボットを使うみたいに機械的に排除しようとしたところで、人間社会が本質的に『健全化』していくとは私にはどうしても思えないのです。



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「病気はカルマの結果だから自力で何とかしなきゃ」とかいうスピリチュアル

最近ヒーリングについてある文章を拝見しました。
内容を要約すると以下のような感じになります。

病気というのは前世のカルマの結果であり、他人をヒーリングして病気を治すことはカルマの法則に反することになる。
したがって自らの病気は自らが背負って改善していくしかない。
他人をヒーリングして治せばその人のカルマをヒーリングした人間が背負うことになるし、ヒーリングされた側はカルマが解消されないままである。

要するに「ヒーリングを受けることで病気が良くなったりしたらカルマ的に良くないんだ」ってことをおっしゃりたいみたいです。
だから、ヒーリングは他人に対してするべきでも受けるべきでもないと…

でも、この話を突き詰めるとヒーリングだけに当てはまる話じゃないですよね?
カルマ絡みで考えるなら自力で乗り越える方法以外全部NGってことでしょうから、病院へも行けないってことになります。

自分でカルマの解消が出来ないからヒーリングがダメってのなら、病院の治療だって筋は同じですからね。
病院に行って特効薬であっさり全快なんてことになったら、それこそ自力でカルマを乗り越えることが出来なくなりますものね…

以前にこんなことを書きました。

科学を声高に否定する言説をドヤ顔で語る人って所謂スピリチュアル系の人には少なくない気がします。
特に医学的なあれこれについて頭ごなしに否定されたりするのを結構目にします。

確かに現実社会においては薬害など医療に関する重大かつ構造的な問題が何度も起こっています。
しかし、問題があるからといって医学そのものに強い疑念を持ち、投薬や果ては手術まで全否定するが如き認識を持つのは行き過ぎではないでしょうか。 

ましてや医者が頼りにならないからといってスピリチュアルや民間療法に全面的に頼り切ってしまうのは危険過ぎます。 
実際「薬をやめなさい!」とか「現代医学は欠陥だらけだからそんなものに頼っちゃダメだ!」みたいな内容の話を拝見することは稀ではないです。

もし医療を肯定するならヒーリングも肯定されるべきでしょう。
個々の治療法なりヒーリングの方法なりの正否は別として、純粋に「自力以外にも病気を克服する方法はあってもいい」という意味でね。

個人的には病気はどんな手段を使っても改善されるべきだと考えています。
少なくともスピリチュアルな根性論の類いで対処すべき案件ではないだろうと思います。

スピリチュアルな根性論の仲間に「問題ってのは全部自分で作ってるだけなんだよ!」的な『全ては気持ちの持ちよう論』ってのがあります。
「自分さえしっかりコントロールすれば何でも解決出来るのだ!」という前提ありきの考え方です。

「病気はカルマ、カルマは自力で解決せよ!」って考え方も『全ては気持ちの持ちよう論』の親戚のように感じるのです。
小難しく考えずにヒーリングだろうと薬だろうと本当に有効ならばごく普通に使えばいいんじゃないでしょうか?



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「悪ではないけど善でもない」という話 (健康篇)

森羅万象すべてのモノには波動があります。
そして、波動は自然にあるものです。
元から自然の一部なのです。
自然には端から善も悪もありません。  

例えば高気圧や低気圧のことを善気圧・悪気圧なんて言う人はいません。 
晴れや雨は善でも悪でもないからです。  

気圧に高低があるように波動にもレベルの高低はあります。  
ただ、もちろんそれにも善悪はないのです。

 人間にとっての『善悪』は確かにあります。
しかし、それはどこまでいっても人間の人間による人間のための「善いとか悪いとか」なのです。

善だの悪だのといったってどこかに普遍不動なモノとして存在しているわけではありません。
どこかっていうのは人間とは無関係に存在する「どこか」ってことですけどね…

で、以前菜食主義について、こんなことを書いたことがあります。

別に菜食主義自体にダメ出しをしたいわけではありません。
野菜が好きならいっぱい食べればいいと思います。

ただ、それはあくまでも個人の趣味・嗜好の範囲内に属する話ではないでしょうか?
食という日常を思想信条に結びつけてしまうと諍いの元にもなりかねないですしね…
要するに個人的に何を食べようと自由だが、それを道義的に『正しいこと』として他人にまで押し付けようするのは如何なものかということです。

菜食主義者の人が自分たちが正しいと信じるバックボーンには『健康』ってものがあると思います。
「菜食主義はそれをしない人に比べて圧倒的に健康になれる!」という健康観が土台にある気がするのです。
肉体的な健康だけではなく、精神的な健全さも得られる唯一最善な方法なのだと…

こういうココロの構造は別に菜食主義に限ったことではありません。
不健康なこと、不摂生を激しく忌避し、それによって健康を害するすることを『悪』と見做す思想を『善』とする人は世の中に大勢いらっしゃいます。

そういう人々は不摂生をした者を鞭打つことを厭いません。
『正義は我にあり』で「不健康を糾弾する行為には、いつ如何なる時も、恥ずべきことは一つもない!」ってことなんでしょう。

善悪二元論を真理であるかのように思い込み、突き進めば結局そういう風になってしまうのです。
そういう風にというのは「悪を排除し世界を善だらけにしたい」という衝動に突き動かされるようになるってことです。

繰り返しますが、そもそも善だの悪だのは人間が勝手に作った『物語』です。
物語はただ机上の『物語』として語るだけにしておいた方が心は迷わないんじゃないでしょうかねぇ…



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『穢れ』を忌むココロと健康至上主義の行き着く果て

(引用はじめ) 
優生学は、応用科学に分類される学問の一種で、一般に「生物の遺伝構造を改良する事で人類の進歩を促そうとする科学的社会改良運動」と定義される 
(引用終わり) 

とにかく健康で長生きすることを絶対的な価値とする思想の行き着く果ては優生学的な思想だと思います。
ここでいう優生学的な思想というのは「人工的な手段を以って人間という存在を、物理的により『完全』な状態に近付けようとする考え方全般」のこととします。

そして、優生学的な思想に行き着くっていうのはやがては「人工淘汰による人間の切り上げ・切り捨てを良しとするようになる」ということです。 
健康で長生きする状態を絶対的な価値となし、不健康や病気を穢れとして忌み嫌うようになるからです。

最終的には健康至上主義にとって不適合な人間は排除して適合する者だけ残すという作業を行うようになるでしょう。
偶然ではなく、必然としてね。

優生思想は非常にキレイ好きの思想です。
その分「汚いモノをどうしても排除したい!」という欲求が高いのです。

優生学の優等生であるアドルフ・ヒトラーにとって穢れたものとはユダヤ人であり、ホモセクシャルであり、ジプシーでありました。
それらを排除することによって完璧に穢れのない超人としてのアーリアンを人工的に創り出そうと試みました。

もちろんそれは歪んだ思想だし、その試みは幸いなことに失敗に終わりましたが、今もカタチを変え看板を変え『キレイ好き』の思想は社会の底流に存在し続けています。
極端に振り切れた健康至上主義の排他性の中にも『それ』は垣間見られます。

例えば食肉業者をSNSで執拗に激しく攻撃する海外の菜食主義の人とかね…
それも偶然ではなく、そういう考え方が至る当然の終着点だと思います。

ネット上だけではなく、暴力的な実力行使もガンガンやってるみたいですし…
考え方が振り切れれば振り切れるほど『穢れた者』がどうしても許せなくなるのでしょう。
あくまでもその人から見ての穢れたモノですがね…

不健康なこと、不摂生を激しく忌避し、平均寿命より『若死』することをあたかも『悪』であるかのように見なす思想を『善』とする人は実際いらっしゃいます。
そういう人は不摂生をした死者を鞭打つことを厭いません。

『正義は我にあり』で「不健康を糾弾する行為には、いつ如何なる時も、恥ずべきことは一つもない!」ってことなんでしょう。
それは優生学的な『超人を目指す道』に繋がってるように私には見えます。

ぶっちゃけた話極端な健康至上主義は遅かれ早かれ不老不死を目指す超排他的な超人思想に行き着くのだろうと思います。
内外のニュースを拝見するに、もうその序章は始まっているのかも知れません…



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『これさえあれば健康法』は絶対正義を目指す者の最後のパラダイス

世の中には身体の事になると直ぐにご自分の信奉されている健康法とかのキモの部分に話を持っていきたがる方が結構いらっしゃいます。 
「あの病気の原因もこの不調の原因も全てはコレだ!」みたいな感じにおっしゃるのです。

特徴は「ある特定の食物や運動の過多や不足さえ改善すれば健康は取り戻せる!」みたいな単純明快さです。
それを私は『これさえあれば健康法』って呼んでるんですがね…

『これさえあれば健康法』は間違ってるわけではありません。 
むしろ理屈としては正しいのです。

ただ、良くも悪くも非常にインスタントです。
単刀直入に言えば物事の在り方として薄っぺらいってことです。

最近世間ではこの『これさえあれば健康法』みたいなモノが百花繚乱です。
『これさえあれば健康法』と別の『これさえあれば健康法』が火花を散らしてたりもしています。

何故でしょう?
それは健康というのが誰にとっても身近な問題であり、健康増進というのがみんなの関心事であるからでしょう。

しかも『健康』ってのは古今東西老若男女問わず揺るがない価値です。
健康に正面切って反対する者など何処にもいません。

で、ここからが本題です。
健康が誰もが反対し得ない価値だとしたら『正しいの比べっこ』をしたい人にとってこれほど有り難い武器はないってことににります。
『これさえあれば健康法』の超強力なバージョンを自分が持っていればその時点で無敵になれるからです。
まあ、実際は無敵だとその人が思い込んでるだけなんですがね…

目の前に100人の人がいれば100通りの「正しい!」が存在します。 
みんな自分が正しいと思っているからです。 

もしその100人の中の1人が自分の「正しい!」を何処までも妥協なく押し通そうとすれば最終的に何らかのチカラを行使して相手を捩じ伏せるしかなくなります。 
万人が心から納得する「正しい!」なんて何処にもないからです。

この『万人が心から納得する「正しい!」』ってのを健康という価値観に求めるようになった人が『これさえあれば健康法』に魅せられるんじゃないでしょうか?
そして、やがては病気という穢れを厭うようになるのではないかと…
本当は病気は穢れではなく、健康マニアの人にとって『穢れ』ってだけですけどね。

「健康で長生きすることだけが生きることの『価値』ではない!」
ヒーリングをする者だからこそ敢えて今そう申し上げておきたいと思います。



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肉体が『ナマモノ』であることと所謂一つの不老不死

生きてる人間は肉体と魂が結びついているが故に成り立っています。
肉体という器に魂というエネルギーの塊が入って結びついている状態がこの世では一番安定して強いのではないかと思われます。

ただ、肉体は本来的に劣化しやすいナマモノです。
ナマモノであるがゆえに強いのです。
もっと言えば劣化しやすい儚さゆえに美しいのです。

劣化を必要以上に忌まわしいモノと思えば、生命のダイナミズムは返って失われてしまいます。
簡単に言えば「エゲツないほど若づくりして、モテモテだった『20歳の時』をいつまでも維持しようとする40歳過ぎの美人のお姉さん」みたいになるのです。

わざわざ劣化しやすい方法を選ぶ必要はありませんが、いわゆる健康至上主義みたいなものは返って劣化を早める気がします。
何かの健康法をバリバリやってる人が案外長生きでなかったりするのは偶然ではないのではないでしょうか?

老化は穢れじゃないし、死は誰にでもやって来る当たり前のことです。
それを忌避すればするほどその報いはいつか必ず帰ってくるのです。

その辺りを認識出来ない人が増えたから万能感漂う『これさえあれば健康法』が流行るのでしょうね。
少なくともそういう健康法からは生命に対する諦観みたいなものは感じられないのです。
「生も死も俺サマが自在にコントロールしてやるぜ!」ってなニオイがプンプン臭うのです。

所謂スピリチュアルの根っこにもそういうニオイはあるんじゃないでしょうか?
「テクニカルに健康で長生きしたヤツが勝ち! どんな理由があっても早く死んだ方が負け!」ってな発想のニオイがです。

むやみに生き急ぐ必要はもちろんありません。
でも、世俗的な成功哲学としての『健康』ってモノにそれほど価値があるとはどうしても思えないのです。

世俗的な成功哲学としての『健康』とは「人生80年のゴールを社会的な勝者として迎えたい!」という欲望の行き着く果てのことです。
ある意味唯物論の極北です。

例えば菜食主義者の少なからぬ人々がスピリチュアルな考え方を表明されますが、個人的にはどこまでいってもそれは『唯物論』だと感じます。
個人の局所的な『健康』にのみ価値を見いだそうとする限りね…

個人の局所的な健康に極上の価値を見出すのは「個人の肉体を劣化させず、滅ぼさないようにすることはきっと出来るはずだ!」ってところから発想が始まっているからです。
その究極の目標は不老不死です。

それって肉体はナマモノだってことを真っ向から否定する考え方なんですよね。
世の中の先鋭的な健康法の多くが何となくユル〜く不老不死を目指していますが、案外自分の目指してるものの『本質』に気付いてない気がします。
ひょっとしたら気付かない方がシアワセなのかも知れませんがね…



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所謂スピリチュアルな世界の『これさえあれば健康法』

以前に葛根湯医者について書いたことがあります。

(引用はじめ) 
落語に枕噺に葛根湯医者というのがあります。
町の衆がやってきて「先生、今朝ほどから頭が痛てーんですがー」と訴えると。先生「頭痛だな、それでは葛根湯をあげるから煎じて飲みなさい」
また別な患者が付き添われてやってきて「先生、夕べっから腹くだしが始まってお腹が痛いそうですが」
すると先生「腹痛だな、それでは葛根湯をお上がり」
先生「そちらの方は? 」
「いえ、私は付き添いで来ただけで」
先生「まあいいから、お前さんも葛根湯をお上がり。」
というわけで、この先生どんな症状の患者にも葛根湯を処方したことから「葛根湯医者」という名前を頂戴してしまったようです。
 
(引用終わり)  

ワンパターンな考え方をする人を笑いのめしてる噺です。
今もそんな人は少なくない気がします。

世の中には身体の事になると直ぐにご自分の信奉されている健康法とかのキモの部分に話を持っていきたがる方が結構いらっしゃいます。 
「あの病気の原因もこの不調の原因も全てはコレだ!」みたいな感じにおっしゃるのです。

特徴は「ある特定の食物や運動の過多や不足さえ改善すれば健康は取り戻せる!」みたいな単純明快さです。
それを私は『これさえあれば健康法』って呼んでるんですがね…

『これさえあれば健康法』は世の中のあちこちに溢れています。
そりゃ「何でも複合的に物事は見なけりゃいけないよ」なんて話よりそっちの方が簡単でいいのでしょう。

ただでさえ小難しい問題だらけの現代社会です。
簡単な話に食いつく気持ちも分かります。
でも、そういう過度な簡略化みたいなことをずっと続けてると複合的にに物事をみる心の眼が劣化していくのは避けられません。

何でも使わなければ鈍るものです。
必要ないと思えば余計に劣化しやすいです。

それが感覚的なモノであれば次第に感じなくなります。
感じないからないのと同じです。

健康法だけではなく所謂スピリチュアルな世界でも『これさえあれば健康法』的な思考は少なくないようです。
チャネリングして自分の守護霊やらハイヤーセルフやらに何でもお伺いを立てて『答え』をもらおうとするとか…
〇〇ヒーリングをすれば健康になるだけではなく開運もするし、霊感も開発されたりするとか…

世の中には「元気があれば何でも出来る!」じゃなく「これさえあればアレもコレもソレも可能になる!」みたいなことをおっしゃる方が結構いらっしゃる気がします。
そして、或る『これさえあれば健康法』と別の『これさえあれば健康法』が火花を散ら合ってたりもするのです。
こちらからしたらどちらも似たり寄ったりの『葛根湯医者』に見えるんですけどね…


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