『クリアー整体ヒーリング』です

ヒーリングに関するあれやこれや・自分が体験した不思議な出来事など思い付くまま気の向くままに野性の勘?で書き綴っております(笑)

想像力

『何でも知ってる感』が増すほど『人間らしさ』は失われる

ヒーリングなどしておりますと様々なエネルギーに出会うことになります。
日々発見と言っても過言ではないでしょう。

この世とは不可思議の連続です。
全てが分かるようになることなど一生ないと思います。

眼に見えない世界に真摯に向き合えば向き合うほどアマゾンの密林に踏み込んだ生物学者のような気分になるはずです。
発見がそこら中に転がっている世界です。

「これは何だろう?」っていう疑問に、恐れとトキメキを感じない人間はそこに近付かない方が無難ではないかと考えます。
それ以外には不安と不安定しかないからです。

ヒーリングの世界は目隠しをして鳥取砂丘でスイカ割りをしてるようなものです。
鳥取砂丘全部を使ってのスイカ割りです。
暗中模索ってのがピッタリ来るような世界なのです。

でも、実際はどうかといえばヒーラーとか名乗っておられる方々の多くが「自分は見えない世界の全てを知り尽くしているぜ」って感じを醸し出しています。
簡単にいえば分かったつもり満々な感じです。

その何でも知ってる感ってホントヤバいと思うんですよね。
現実社会でも相当ヤバいですが、眼に見えない世界ならもっとヤバいです。

例えばホラー映画とかでよく「大丈夫!大丈夫!」とか言いながら無防備にヘラヘラしながら危ない場所に突っ込んでいって一番にヤラレる人って出てくるじゃないですか?
何でも知ってるぜ感を出してる人ってモロにそういうタイプですよねぇ…

以前にこういう風に申し上げたことがあります。
神だの宇宙人だのの名を借りて何かの事象を断定的に語る人がいたなら、それがどんな誠実そうな人であれ、十分すぎるくらい十分に眉に唾をつけて見た方がいいと思います。
これ言い方を変えれば「何でも知ってる感を出してる人はヤバいよ」ってことです。

『人間らしさ』とは他者に対する想像力を持っていることです。
で、想像力とは己れの無知に対する自覚とそれを基にした一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。

一生懸命察したり慮ったりしようとする心が正常に働いていれば、他者の痛みや苦しみまた喜びや希望などに対して否応なく敏感になります。
それこそが『人間らしさ』の大元です。

先ず自分の無知を皮膚感覚で知ることが想像力を養う第一歩です。
逆に知ったつもりになればなるほど想像力を失っていきます。
「オレは何でも知ってるんだぜ!」みたいな人は想像力が乏しいと考えて先ずハズレはありません。
そこに「何でも知ってる感が何故ヤバいのか?」の理由もあります。



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波動的に見た「想像力の欠如」の意味

このブログでは何度も想像力の大切さについて述べてきました。
想像力を失うことの恐ろしさについてね…

人間というのは本質的に無知な生き物です。
人間ごときが何でも分かるわけがないのですから当たり前です。

でも、知らない部分は何かで補わなきゃなりません。
その何かとは簡単にいえば想像力です。 
ここでいう想像力とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。

先ず自分の無知を皮膚感覚で知ることが想像力を養う第一歩です。
逆に知ったつもりになればなるほど想像力を失っていきます。

想像力とは自分の無知を知ることから始まるからです。
「オレは何でも知ってるんだぜ!」みたいな人は想像力が乏しいと考えて先ずハズレはありません。

一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きが鈍くなると感情や感覚が鈍感になります。 
他人のものはもちろんそのうち自分の感情や感覚にまで鈍感になっていくのです。

想像力を無くした人の典型的な例として所謂『ブーメラン』を投げる人というのがあります。
勝ち誇ったようにご自分なりの真実を語り、それがそのまんまご自分に降りかかってくる現象のことです。

もちろん投げた人は投げたものが自分に向かって帰ってくるなんて夢想だにしていません。
ご自分は「何時でもどこでも正しいことをしているんだ!」と信じ切っているからでしょう。

しかし、ブーメランを投げれば投げるほど当然ご自分にブーメランがどんどん突き刺さっていきます。
なのに、ブーメランを投げるタイプの人の多くはそうなればなるほど、ますますドヤ顔になってブーメランを投げまくります。

では何故そういう状態に陥るのか?
それは「誰かを叩くために自分が発信している言葉が実は自分自身にも当てはまってるんじゃないか?」という風に想像するだけの力をもう心に有していないからです。

もっと簡単に言えば「物哀しいほど自分が見えなくなっている」ということです。
自分が見えなくなってるからブーメランだって投げ放題なのです。

で、そのブーメランって投げたらそのまんま帰ってくるわけではないんですよね…
帰って来る間に様々な負のエネルギーをくっ付けて帰ってきます。

だって、投げられたブーメランの想念って控えめに見ても冷たくて波動のレベルの低いモノですからね。
帰って来る頃にはドロドロとした澱のようなモノに塗れています。

ブーメランを投げれば投げるほどその澱に塗れていきます。
気付いてなくても自分自身にダメージを与えてるんですよね。

だから、想像力が大切ってことの『裏側』には単なる道徳論ではなく、生々しい負の意味があります。
ご本人が気付こうと気付かずにいようと関係なくね!



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想像力を失うほど『人間らしさ』も失います

「劣等な個体(出来損ない)は間引き、より優秀な個体を選び品種改良して育てる」というやり方が農業や畜産業などではごく普通のこととして今この瞬間も行われています。
つまり、人工淘汰的なやり方ってのは人間以外に対してはすでに現代においては当たり前になっているってことです。

その矛先がいつか人間自身に向かわないという保証が果たしてあるでしょうか?
少なくとも人間社会のシステムの中にはそれは無いと思います。

それでも、もしそうならないための最後の歯止めともいうべきモノあるとすれば、それは人間一人ひとりの心の中にしかあり得ません。
それをザックリいえば決して『人間らしさ』を失わないってことです。

ここでいう『人間らしさ』とは他者に対する想像力を持っていることです。
で、想像力とは己れの無知に対する自覚とそれを基にした一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。

一生懸命察したり慮ったりしようとする心が正常に働いていれば、他者の痛みや苦しみまた喜びや希望などに対して否応なく敏感になります。
それこそが『人間らしさ』の大元です。

先ず自分の無知を皮膚感覚で知ることが想像力を養う第一歩です。
逆に知ったつもりになればなるほど想像力を失っていきます。
「オレは何でも知ってるんだぜ!」みたいな人は想像力が乏しいと考えて先ずハズレはありません。

何故なら、人間というのは本質的に無知な生き物だからです。
たまたまとかではなく、根っから無知なのです。

心の許容量の小さな人間ごときが何でも知っているわけがないのですから当たり前です。
繰り返しになりますが、その心の許容量の少なさをカバーするモノこそが想像力なのです。

で、この想像力の反対側に有るモノが万能感です。
万能感とは己れの絶対正義あるいは自分だけが掴んでいる真理とやらに基づいているからです。

古今東西世の中の多くの人々がこの真理とやらを手に入れたくて仕方なかったんだろうなと感じます。
今この瞬間もそういう人は大勢いらっしゃいます。

でも、ハッキリいってそれは見果てぬ夢です。
人はブレ続ける者としてこの世界に存在しているからです。

ブレ続けることの中には想像力があります。
先ほども申し上げたように想像力こそが人間らしさの深源なのです。
よって、所謂『真理』を追い求め続ける者はやがて必ず人間らしさを失うことになるでしょう。
偶然ではなく、必然として!



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「全てを分かった気になること」の恐ろしさと『無知の知』

人間というのは本質的に無知な生き物です。
人間ごときが何でも分かるわけがないのですから当たり前です。

でも、知らない部分は何かで補わなきゃなりません。
その何かとは簡単にいえば『想像力』です。 
ここでいう『想像力』とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。

先ず自分の無知を皮膚感覚で知ることが『想像力』を養う第一歩です。
逆に知ったつもりになればなるほど『想像力』を失っていきます。

『想像力』とは自分の無知を知ることから始まるからです。
「オレは何でも知ってるんだぜ!」みたいな人は『想像力』が乏しいと考えて先ずハズレはありません。

完璧な叡智なんてモノはこの世にはありません。
「思いつく→実験する→多分そうだろうな」って感じで物事を知る以外人間には手はないのだろうと思います。
過去も現在も未来もね!

そうやって少しずつ少しずつ進んでいくってのが所謂進歩ってモノだろうと感じるのです。
「進歩っていうのはあっちへぶつかりこっちで躓きながら、その結果として何かを掴むことで初めて成り立つものだ」ということです。
たまたまでは無く必然としてね。

以上のようなことをこれまで繰り返しこのブログで何度も述べてきました。
わざわざ自分から『想像力』の素を手放そうとする人が世の中には大勢いらっしゃるからです。

もちろん何もかも承知の上で『想像力』なんて要らないとおっしゃるのならそれは自由です。
ただ、無自覚に手放す気もなく『想像力』を失っている方々も少なくないんじゃないかと思うのです。
だから、何度も何度も同じことをオウムの如く繰り返してきました。

じゃあ、『想像力』を失うとどうなるのか?
最近またその実例になる文章を拝見しました。

(引用はじめ)
最近は、この幕末の時代の秘密も、全て解明することに成功しました。
(中略) ずーと調べていた、戦争や陰謀のことを、とうとう全て解明することができました。
(引用終わり)

まぁ、「人間というのは本質的に無知な生き物です。」という部分が見事に抜け落ちてますよね。
全て解明など夢のまた夢なんですけどね。
そのことに対する『想像力』が無くなっているのでしょう…

「私は何でもお見通しだ!」ってのは人にとって大事なことが分からなくなってるってことです。
その大事なことってのは「己が無知に対する畏れ」です。

「己が無知に対する畏れ」を失えば人間は際限なくまた悪気もなく傲慢になれます。
「地獄への道には善意が敷き詰められている」と申しますから…
それこそ人間にとって一番恐ろしいことではないでしょうか?



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所謂一つの『真理』とやらを眉に唾つけて見る理由

人間というのは本質的に無知な生き物です。
人間ごときが何でも分かるわけがないのですから当たり前です。

でも、知らない部分は何かで補わなきゃなりません。
その何かとは簡単にいえば想像力です。 
ここでいう想像力とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。

先ず自分の無知を皮膚感覚で知ることが想像力を養う第一歩です。
逆に知ったつもりになればなるほど想像力を失っていきます。

想像力とは自分の無知を知ることから始まるからです。
「オレは何でも知ってるんだぜ!」みたいな人は想像力が乏しいと考えて先ずハズレはありません。

完璧な叡智なんてモノはこの世にはありません。
「思いつく→実験する→多分そうだろうな」って感じで物事を知る以外人間には手はないのだろうと思います。
過去も現在も未来もね!

そうやって少しずつ少しずつ進んでいくってのが所謂進歩ってモノだろうと感じるのです。
「進歩っていうのはあっちへぶつかりこっちで躓きながら、その結果として何かを掴むことで初めて成り立つものだ」ということです。
たまたまでは無く必然としてね。

そもそも人間生まれた時はみんな赤ん坊で、あっちへ頭をゴチンとやり、こっちでドタンとコケながら大きくなっていくものです。
大怪我しない程度にそういうのがなけりゃキチンと歩けるようにはなりません。

歩けるようになるためにはそういう痛い思いもしながら学習していくことが必要なのです。
試行錯誤を繰り返しながら前へ進むしか生きる道はないのです。

じゃあ、大人になったら何処にもぶつからないのか?或いは転けないのか?っていうとそんなことはありません。
元々あっちへフラフラこっちへフラフラしながら人生を歩いていくのが人間なのです。

人間があっちへフラフラこっちへフラフラしながら人生を歩いていくは、肉体を持っているからです。
肉体があるってことは欲望があることだからです。

物理的に肉体を維持していくのには生命維持に関する欲望は不可欠です。
ただ、この欲望ってヤツは人の心をあっちへ引っ張り、こっちへ振り回しする厄介なモノです。

しかし、同時にそれは人の心に試行錯誤のキッカケを与えるモノでもあります。
肉体がなく欲望もなければ、人は試行錯誤を繰り返す意欲を持つことは出来ないでしょう。
試行錯誤を繰り返さなければ当然進歩もありません。

(引用はじめ)
スピリチュアルにどっぷり浸かってるのもバランスが悪すぎるけど、大して真理を見付けていないのに「スピリチュアルはもういい」と云うのもどうかと思う
(引用終わり)

スピリチュアルやサトリ系の人はよく『真理』なんて言葉を使われます。
私が所謂『真理』とやらに対して眉に唾をつけて見るのは、上に書いたような『進歩』とは本質的に全く真逆を向いた考え方だと感じるからです。
普遍不動 (真理) と試行錯誤 (進歩) ってのが矛盾せずに両立するとはとても思えないのです。



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『知ってるつもり』が増すほど『思い込み』も激しさを増すのです

人間というのは本質的に無知な生き物です。
人間ごときが何でも分かるわけがないのですから当たり前です。

でも、知らない部分は何かで補わなきゃなりません。
その何かとは簡単にいえば想像力です。 
ここでいう想像力とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。

先ず自分の無知を皮膚感覚で知ることが想像力を養う第一歩です。
逆に知ったつもりになればなるほど想像力を失っていきます。

想像力とは自分の無知を知ることから始まるからです。
「オレは何でも知ってるんだぜ!」みたいな人は想像力が乏しいと考えて先ずハズレはありません。

一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きが鈍くなると感情や感覚が鈍感になります。 
他人のものはもちろんそのうち自分の感情や感覚にまで鈍感になっていくのです。

その鈍感な人ってのがどういうものかについて、分かりやすいお話を見つけたので以下にご紹介します。

(引用はじめ)
物事をなんでも勝手に決めてしまう人っていますよね。
こちらが何も言って無い時もですが、こちらの意見や考えも言ってるのになぜか勝手に決めて「それありき」で話してくる人っていません?
(中略) この素質のタイプの人の特徴は「自分が正しい」っていうのが根底にあるんですね。
(中略) 自分のパーソナルな考え方とかではなくて、「この世界に共通する正しさ」みたいな感じで自分はそれをやってるだけだと思ってます。
(引用終わり)

物事をなんでも勝手に決めてしまう人ってのは「思い込みの激しい人」って言い換えられると思います。
「これが絶対正しいんだ!」って思い込みがです。

だから、その絶対正しいと思い込んだモノに対して他人がちょっとでも違うことを言おうものなら「コイツ何言ってやがる! ふざけるな💢」と『正義の怒り』(仮) が燃え上がるのです。
「相手は間違ったことを言ってるのに決まってるんだから幾ら糾弾しても構わないのだ!」ってなるのです。

そこには「相手の話をよく聞く」っていう選択肢はありません。
自分とちょっとでも違う時点でそいつの話は間違っているから必要ないのです (あくまでその人の中ではですが…)
だって、自分はいつでも何処でも絶対正しいのだから!

その人の中だけで決めつけてるのであれば全くの自由なんです。
問題はそのタイプの人の大多数はその決めつけを他者に対してゴリゴリと押し付けようとするところです。

それやってるとご本人が一番損をするんですけどねぇ。
多分ご本人がそのことに一番気付いてないのでしょうが…



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鈍感と敏感のメリットとデメリット

人間というのは本質的に無知な生き物です。
人間ごときが何でも分かるわけがないのですから当たり前です。

でも、知らない部分は何かで補わなきゃなりません。
その何かとは簡単にいえば想像力です。 
ここでいう想像力とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。

一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きが鈍くなると感情や感覚が鈍感になります。 
他人のものはもちろんそのうち自分の感情や感覚にまで鈍感になっていくのです。
その意味で鈍感とは人間らしさを失う第一歩です。

しかし、激烈に競争する社会を生きていくためのある種のチカラになるのも事実です。
それは『正しいの比べっこ』をする時に使うチカラと同じ種類のモノです。

だから、鈍感のチカラに魅入られる人が多いのかも知れませんが、ほどほどにしといた方がいいじゃないでしょうかねぇ…
本質的に楽にはならないので…

それでも、ご自分の鈍感さを素晴らしい強さとして誇る人ってのが世の中には結構いらっしゃるようにお見受けします。
まぁ、何を誇ろうとその人たちのご自由とは存じますが、普通に考えれば少し恥ずかしいことではあるでしょう。

確かに敏感と鈍感を並べてみれば世知辛い世の中で生きていくには鈍感な方が生きやすい気はします。
知らぬが花の例えもある通り知らなければ傷付かずに済みますからねぇ。

敏感であるということは敏感であるがゆえに気付いてしまうことが多いのではないでしょうか?
鈍感ならば無知の楽園の中で安穏と暮らせる可能性は高いかも知れません。

じゃあ、そもそもの話敏感より鈍感の方が優れてるってことなんですかね?
色々なご意見がお有りとは存じますが、私はそうは思いません。

最初にも書いたように元々人間は無知な生き物です。
元々無知な生き物なのに鈍感を目指すってことは、アホな奴がよりアホになろうと激しく努力するってことを意味します。

ここでいうアホになるっていうのは想像力を失うことです。
想像力を失うというのは人間の無知を補うチカラを失うということです。

つまり、より広く深く察したり慮ったりするためには敏感な方がやりやすいってことです。
鈍感な方が察したり慮ったりすることが得意だとは到底思えませんからね。

要するに鈍感であることは敏感であることより表面的な生きやすさは上であるが、長期的に見れば人として重要な想像力というモノを失いやすくなるのです。 
メリットとデメリットはどちらにもあります。



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想像力の大切さと人間の『品種改良』を善しとする思想

(引用はじめ) 
優生学は、応用科学に分類される学問の一種で、一般に「生物の遺伝構造を改良する事で人類の進歩を促そうとする科学的社会改良運動」と定義される 
(引用終わり) 

ここでいう優生学的な思想というのは「人工的な手段を以って人間という存在を、物理的により『完全』な状態に近付けようとする考え方全般」のこととします。
簡単に言うと仮面ライダーにおけるショッカーのように「人間なんてものはチョチョイのチョイで改造しちまえばいいや」って感じのやり方です。
人間の『品種改良』を善しとする思想なのです。

だから、優生学的な思想の行き着く果ては人工淘汰による人間の切り上げ・切り捨てを良しとするようになるでしょう。 
偶然ではなく、必然としてね。

優生学の優等生であるアドルフ・ヒトラーにとって穢れたものとはユダヤ人であり、ホモセクシャルであり、ジプシーでありました。
それらを排除することによって完璧に穢れのない超人としてのアーリアンを人工的に創り出そうと試みました。

優生思想は非常にキレイ好きの思想です。
その分「汚いモノをどうしても排除したい!」という欲求が高いのです。
もちろんそれは歪んだ思想だし、その試みは幸いなことに昔は失敗に終わりましたが、今もカタチを変え看板を変え『キレイ好き』の思想は社会の底流に存在し続けています。

「劣等な個体(出来損ない)は間引き、より優秀な個体を選び品種改良して育てる」というやり方は現実に農業や畜産業などでは進められてることです。
つまり、優生学的なやり方ってのは人間以外には実際にガンガン行われているってことです。

その矛先がいつか人間に向かわないという保証があるでしょうか?
昨今の世界的な人口爆発と世界秩序の不安定化を見ればそんな保証は何処にも無いと思います。

それでも、もしそうならないための最後の歯止めともいうモノあるとすれば、それは人間一人ひとりの心の中にしかあり得ません。
それをザックリいえば決して『人間らしさ』を失わないってことです。

ここでいう『人間らしさ』とは他者に対する想像力を持っていることです。
で、想像力とは己れの無知に対する自覚とそれを基にした一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。

一生懸命察したり慮ったりしようとする心が正常に働いていれば、他者の痛みや苦しみまた喜びや希望などに対して否応なく敏感になります。
それこそが『人間らしさ』の大元です。

科学による人間に対するある種の『品種改良』を善しとする考えが広まれば、優生学的な思想はきっとカタチを変え、看板を変えてこの世界の隅々まで猛威を振るうことになるでしょう。
そういう時代がずっと来ないことを願います。



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「無知を知ること」は大切です

人間というのは本質的に無知な生き物です。
人間ごときが何でも分かるわけがないのですから当たり前です。

でも、知らない部分は何かで補わなきゃなりません。
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ここでいう想像力とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。

先ず自分の無知を皮膚感覚で知ることが想像力を養う第一歩です。
逆に知ったつもりになればなるほど想像力を失っていきます。

想像力とは自分の無知を知ることから始まるからです。
「オレは何でも知ってるんだぜ!」みたいな人は想像力が乏しいと考えて先ずハズレはありません。

一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きが鈍くなると感情や感覚が鈍感になります。 
他人のものはもちろんそのうち自分の感情や感覚にまで鈍感になっていくのです。

以上のようなことをこのブログで繰り返し書いてきました。
無知が恐ろしいのは無知そのものより無知であることが平気になることです。

例えば所謂一般常識みたいなことを知らなくて「そんなことも知らないの?」みたいなことを他人に言われても「えっ? それって知らなくちゃいけないことなの!?」みたいな反応をする人が世の中には結構いらっしゃいます。
その人にとっては知らないことが当たり前なので、「そんなことも知らなくて恥ずかしい(^_^;)」とかいう羞恥心はまず感じないのです。

羞恥心を感じなければその知識を得ようという意欲も湧きません。
例えば冠婚葬祭のマナーを何も知らなくてもご本人が恥ずかしくないと思えば覚えようともしないでしょうしね…
だって、何も困らないですもんね。(ご本人の中では)

知らないこと自体は別に恥ではありません。
ただ、自分の無知に対してあまりにも鈍感になると周りが迷惑するのは事実です。

そうなる前に気付けばいいのですが、気付くためにはやっぱり想像力が要るのです。
その想像力は自分の無知を知ることから始まると先に述べました。

あまりに無知だと自分が無知であることが分かりません。
だから、その分自ら物事を知ろうとはしない確率が高まるのです。

以上から推察するに、自力だけでは「無知と想像力の欠如のスパイラル」から抜け出すことは相当困難です。
そこから抜け出すためには、「どれだけ人の話を丁寧に聞けるか」が鍵を握ります。
想像力の欠如は他人の知恵で補うしか手がありませんが、想像力の欠如した人ほど『早とちり』と勝手な『思い込み』が多かったりしますので…



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想像力とバランスを取ること

いつでもどこでも何にでも通用する絶対的に正しい理屈なんて人間は誰一人持ち合わせていません。
先ずそこんところをしっかりと認識しとかないと人は直ぐにマヤカシに絡めとられます。

人間は生きている限り『ブレること』を繰り返し、心のバランスを常に取り続けるしかないのです。  
その「バランスを取る」というところからズレてしまうと遅かれ早かれ心は迷います。

『完全無欠の正解』なんて求め出すと心は迷うのです。
実際はブレてるのにも関わらずバランスを取らなくなるからです。

誰かが『ブレない自分』なんてことを言いだしたらもう迷う一歩手前だと思ってた方がいいでしょう。
『そこ』からは引き返せるうちに出来るだけ早く引き返した方が無難です。

人は『ブレない自分』を手に入れるために真理の探究とやらをするのだと思います。
逆にいえば真理の探究の行きつく先が『ブレない自分』を手に入れるというゴールだと設定されているということです。

しかしながら、人間というのは本質的に無知な生き物です。
たまたまとかではなく、根っから無知なのです。
許容量の小さな人間ごときが何でも分かるわけがないのですから当たり前です。

でも、知らない部分は何かで補わなきゃなりません。
その何かとは簡単にいえば想像力です。 
ここでいう想像力とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。

先ず自分の無知を皮膚感覚で知ることが想像力を養う第一歩です。
逆に知ったつもりになればなるほど想像力を失っていきます。

想像力とは自分の無知を知ることから始まるからです。
「オレは何でも知ってるんだぜ!」みたいな人は想像力が乏しいと考えて先ずハズレはありません。

一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きが鈍くなると感情や感覚が鈍感になります。 
他人のものはもちろんそのうち自分の感情や感覚にまで鈍感になっていくのです。

以上のような内容について今までこのブログで繰り返し述べてまいりました。
で、以下のような文章を最近また拝見したのです。

(引用はじめ)
私が人間観察をしていて良くお見かけする事の一つに、「自分に都合の悪い事には蓋をして、全て無視してあたかも無かった事にする方達」(中略) というものがあります。
こういう方達というのは、大概は勉強不足から来る"真理に関しての理解"が浅い為に、感性が鈍っていたりするので、ものを見る目が「自分寄り」という色眼鏡で曇っておられる方達でもあります。
(引用終わり)

一言でいえば「これって方向が逆だよな」と感じました。
所謂一つの真理とかに近づけば近づくほど感性は鈍るでしょうからねぇ…

先ほども同様なことを申しましたが、「真理についての理解が深まった!」とか言い出したら、その人はもう『迷いの道』に入る一歩手前だと思ってた方がいいです。
引き返せるうちに出来るだけ早く引き返した方が本当は無難なんですけどね…



『このブログを浄化します』 

呼ばれたら全国行きたいと思います(ヒーリング篇)      

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