『クリアー整体ヒーリング』です

ヒーリングに関するあれやこれや・自分が体験した不思議な出来事など思い付くまま気の向くままに野性の勘?で書き綴っております(笑)

鈍感

所謂ひとつの「お前が言うな!」とブーメランの本質

例えば日頃の言動からするとご自分の方が性格を見直したら良いんじゃないかなと感じるような方が、他人に対して「性格を見直したほうがいいよ〜」とかドヤ顔でおっしゃってたりすることがあります。
まあ、他にもたくさんあるでしょうが、所謂「おまいう」っていうヤツの一例です

(引用はじめ)
お前が言うなとは、主に自分を棚上げした言動・表現に対して使われる言葉である。「おまいう」と略されることも。
(引用終わり)

で、、「おまいう」のドヤ顔がどこから来るのかといえば心の視野の狭さからだと思うのです。
ここでいう心の視野の狭さとは自分を相対化して見られなくなった状態の事です。

じゃあ、何故自分を相対化出来なくなってるかというと自分だけを別枠にして考えるクセを付けてしまってるからです。
簡単な話「自分はいつも正しい!」っていうのを心の拠り所にしているからです。

「自分がいつも正しい!」に取り憑かれるとダブルスタンダードになります。
ここでいうダブルスタンダードというのは「同じようなことをしていても自分は何時も正しいけど相手は間違っている」という風な矛盾した考え方のことです。

このダブルスタンダードの大きな問題点は、それにハマっている人の多くが「自分がダブルスタンダードだとはちっとも思ってない」というところです。
それどころか大半は「自分は何時も必ず真実の側にいる」と信じています。

そうすると、そのうち辻褄が合わなくなっていきます。
その上辻褄が合わなくても気付かなくなるのです。
ていうかそもそも気付くような心の状態であればドヤ顔のダブルスタンダードにはならないでしょうけどね。

これの何が問題といって「自分が鈍感であること」が分からなくなることが一番問題なわけです。
鈍感であるから色んなことに気付けません。
逆にいうと気付きたくないから鈍感になるのです。

そういう人たちが所謂一つの『ブーメラン』を投げまくるわけです。
それが自分に返ってくるとは気付かないココロに自ら進んで成って、投げて投げて投げまくります。

そうすると多くの場合、相手はウンザリして黙ってしまいます。
相手が黙ると「痛いところを突かれて、効いてるんだ! やっぱり自分は正しいんだ!」と思いこんで余計にドヤ顔になるのです。

要するにすべてを自分に都合のいいように歪めて受け止めているので、ブーメランを投げまくってるのにドヤ顔になれるのです。
ていうかブーメランを投げてる自覚がないからドヤ顔になれるのでしょう。

ドヤ顔で相手を叩いてるつもりが、実はそれは全部『自分』を叩いてることに他ならないんだって気付けないのです。
まあ、『そこのところ』こそがブーメランの本質なんですけどね…



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『超常』的なことに囚われ過ぎずに『日常』を生きる

以前にこんなことを書きました。

社会的に不道徳なことについて「何でそれが悪いの?」みたいな人が増えていて本当に「気持ち悪い(ー ー;)」と感じます。
行為や言動の是非に対してではなく、その『心の鈍感さ』に対してそう感じるのです。

上っ面の辻褄さえ合えば常識的判断などひょいと軽く飛び越えて「それは無いだろう(ー ー;)」って事柄にまで不感症になってしまっている人がやたらと増えている気がします。 
それも『分別の付かない子供』などではなく所謂『いい年をした大人』の面々がそうなのです。
「え〜、これの何が悪いの? 法律では禁止されてませんけどぉ〜」とか勝ち誇ったようなニヤケ顔で言いそうな感じのね…

今はもっと「これのどこが悪いのか私にはさっぱり分かりません! 教えてくださいますぅ?」みたいにドヤ顔で語る人が増えている気がします。
こういうのを『モラルハザード』って言うんでしょうかねぇ…(-_-)

で、そのドヤ顔がどこから来るのかといえば『心の視野の狭さ』からだと思うのです。
『心の視野の狭さ』とは人間に本来備わった平衡感覚によって感じられるはずの感覚・感情が十分感じられなくなった状態のことです。 

そういった感覚・感情が鈍れば当然心も鈍感になります。 
どんどん心が鈍感になれば「自分が鈍感であること」さえ分からなくなるのです。

何が問題といって「自分が鈍感であること」さえ分からなくなることが一番問題なわけです。
鈍感であるから色んなことに気付けません。

「気付けないこと」にさえ気付かなくなるのです。
そして、周りが思いっきりドン引きしてても一人ドヤ顔で胸を張る『ドン・キホーテ』のような人になるのです。

私はヒーリングなんていうことをしておりますので、一般的な「勤め人」の人とかとは随分違った感覚で生きています。
変なモノを見たり感じたりってのは日常茶飯事だったりもするのです。

それが本当に起こった出来事か幻覚幻聴なのかはともかくとして、そういう現象をよく見聞きするのは確かです。
「一般的な感覚とは違うんだ」という部分は絶えず認識してないと自分の感覚がズレていきかねません。

なので、ごく普通の日常生活の感覚ってのを大事にしたいといつも思っています。
『心の視野』が狭くならないようにね!

ただ、日常生活のいわゆる常識ってのだけを見て、それだけを元に物事を考えるというのもまた逆の意味で『心の視野』を狭くする素であろうと考えます。
心が唯物的な方向へ行き過ぎると目に見えないモノに対して鈍感になるってことです。

目に見えないモノっていっても別に超常的なモノとは限りません。
人の心だって目に見えないモノの一つです。

感覚か鈍感になれば人の心が見えなくなるのです。
自分の心も含めてね。
だから、常に目に見えるモノと目に見えないモノ、日常と非日常の間でバランスを取り続けることが大切なのです。



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知ったかぶりして『眼に見えない何か』をナメるということ

以前にこんなことを書いたことがあります。

例えばですね〜 
プロ野球のピッチャーのレギュラーシーズンにおける豪速球を昨日今日野球を始めた少年野球の子どもに本気で打たせようとする人はいないと思うのです。 
当たり前ですよね! 
途轍もなくレベルが違いますから!

でもね、スピリチュアル〜な世界だとそれと似たような筋の話が何故か『当たり前』じゃなくなるんですよね。 
嘘みたいですが、ホントのことです。 
本当は眼に見えない世界だからこそ逆に慎重でなければならないはずなんですがね… 


我流の『お祓い?』というか『除霊?』みたいなモノを「簡単に出来ること」としてズブの素人さんに安易に勧めている人が世の中には結構いらっしゃいます。 
しかも、事前にしっかり注意事項を知らせるわけでもなく、そういうことを誰彼構わずいきなりやっても良い!と考えているように見えます。

スピリチュアルな事柄に携わっていても所謂霊的なことに関する危険性に対してひどく鈍感なんだと思います。
多分ご自分があまり危険な目にあったことがないので、「元々危険なことなどどこにもないのだ」と勝手に決めつけてるのかも知れません。
一言でいえばそういうことに対して「チョロいもんだ!」とナメて掛かってるわけです。

(引用はじめ)
悪霊はオンライン上で嫌がらせをしてくる人と同じだと思ってください。
生きている人間だろうと、死霊だろうと、生き霊だろうと、“悪意”という点では何ら変わりないのです。
相手はこちらの意識に反応しているのですから、大抵は無視することで離れていきます。
(中略) 人を呪い殺せるような強い霊は、いないわけではないですが、まともに生きていたら、出会うことはほとんどないでしょう。
(引用終わり)

この方にとっていわゆる悪霊ってのは「ちょいと嫌がらせをしてくるイヤな奴」いう程度の認識なのでしょう。
「そんなものはこちらが敢然と無視しとけば、そのうち勝手に居なくなりますよぉ!」てな感覚をお持ちのようにお見受けします。

でもね、もしかしたらいわゆる悪霊の中にはとんでもなく執念深く攻撃的なストーカーみたいなモノも存在するかも知れないじゃないですか?
少なくともそういったモノが絶対に存在しないって保証はどこにも無いのです。

引用文の方も「人を呪い殺せるような強い霊は、いないわけではない」とおっしゃってるわけですしね。
そういうモノと万が一遭遇したらどうするんでしょうかね?
やっぱり無視するだけなんでしょうか?
それって『相当ヤバいこと』だと思いますけどね!

世の中『知ったかぶり』ほど危険なモノはありません!



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鈍感と敏感のメリットとデメリット

人間というのは本質的に無知な生き物です。
人間ごときが何でも分かるわけがないのですから当たり前です。

でも、知らない部分は何かで補わなきゃなりません。
その何かとは簡単にいえば想像力です。 
ここでいう想像力とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。

一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きが鈍くなると感情や感覚が鈍感になります。 
他人のものはもちろんそのうち自分の感情や感覚にまで鈍感になっていくのです。
その意味で鈍感とは人間らしさを失う第一歩です。

しかし、激烈に競争する社会を生きていくためのある種のチカラになるのも事実です。
それは『正しいの比べっこ』をする時に使うチカラと同じ種類のモノです。

だから、鈍感のチカラに魅入られる人が多いのかも知れませんが、ほどほどにしといた方がいいじゃないでしょうかねぇ…
本質的に楽にはならないので…

それでも、ご自分の鈍感さを素晴らしい強さとして誇る人ってのが世の中には結構いらっしゃるようにお見受けします。
まぁ、何を誇ろうとその人たちのご自由とは存じますが、普通に考えれば少し恥ずかしいことではあるでしょう。

確かに敏感と鈍感を並べてみれば世知辛い世の中で生きていくには鈍感な方が生きやすい気はします。
知らぬが花の例えもある通り知らなければ傷付かずに済みますからねぇ。

敏感であるということは敏感であるがゆえに気付いてしまうことが多いのではないでしょうか?
鈍感ならば無知の楽園の中で安穏と暮らせる可能性は高いかも知れません。

じゃあ、そもそもの話敏感より鈍感の方が優れてるってことなんですかね?
色々なご意見がお有りとは存じますが、私はそうは思いません。

最初にも書いたように元々人間は無知な生き物です。
元々無知な生き物なのに鈍感を目指すってことは、アホな奴がよりアホになろうと激しく努力するってことを意味します。

ここでいうアホになるっていうのは想像力を失うことです。
想像力を失うというのは人間の無知を補うチカラを失うということです。

つまり、より広く深く察したり慮ったりするためには敏感な方がやりやすいってことです。
鈍感な方が察したり慮ったりすることが得意だとは到底思えませんからね。

要するに鈍感であることは敏感であることより表面的な生きやすさは上であるが、長期的に見れば人として重要な想像力というモノを失いやすくなるのです。 
メリットとデメリットはどちらにもあります。



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鈍感のチカラに魅入られると人は『思いやり』を失います

目の前に100人の人がいれば100通りの「正しい!」が存在します。 
みんな自分が正しいと思っているからです。 

もしその100人の中の1人が自分の「正しい!」を何処までも妥協なく押し通そうとすれば最終的に何らかのチカラを行使して相手を捩じ伏せるしかなくなります。 
万人が心から納得する「正しい!」なんて何処にもないからです。

知力・暴力・権力…如何なるチカラであれそれを他に対して行使し続けるなら波動的に荒々しく尖っていきます。 
つまり、『正しいの比べっこ』というものをやればやるほど必然として荒々しい波動に染まっていくということです。 

自分の「正しい!」を他者に押し付ければ押し付けるほどそれと反比例して心の許容量は減少します。
 単純に考えてみてください。
「自分が正しい! 自分が正しい!」と何時も考え続けているような人が他人に対して寛容でいられるかどうかを。

答えは自ずから明らかだと思います。
そして、それが「正しい!」を押し通すと何故荒々しい波動に行き着くかの一つの答えでもあります。

波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 
別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 

『正しいの比べっこ』を続けていけば、心は遅かれ早かれ荒々しくなっていきます。
心が荒々しくなれば必然的に波動のレベルは低くなるのです。

また心の許容量が減少すれば当然心の眼で見える範囲が狭くなります。
その結果何でも分かったような気分になります。
何でも分かったような気分になれば、それと引き換えに想像力を失うのです。

人間というのは本質的に無知な生き物です。
人間ごときが何でも分かるわけがないのですから当たり前です。

でも、知らない部分は何かで補わなきゃなりません。
その何かとは簡単にいえば想像力です。 
ここでいう想像力とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。

一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きが鈍くなると感情や感覚が鈍感になります。 
他人のものはもちろんそのうち自分の感情や感覚にまで鈍感になっていくのです。
その意味で鈍感とは人間らしさを失う第一歩です。

しかし、激烈に競争する社会を生きていくためのある種のチカラになるのも事実です。
それは『正しいの比べっこ』をする時に使うチカラと同じ種類のモノです。

だから、鈍感のチカラに魅入られる人が多いのかも知れませんが、ほどほどにしといた方がいいじゃないでしょうかねぇ…
結局楽にはならないので…



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『根性の無さ』より『鈍感さ』の方がずっと心を腐らせます

このブログではこれまでにスピリチュアルな『根性論』というものについて繰り返し書いてきました。
ここでいう『根性論』とは「気力が充実さえしていればよっぽどのことがない限り世の中大抵のことは精神力で乗り切れるのだ〜! 」みたいな考え方です。

この根性論の仲間に「問題ってのは自分で作ってるだけなんだよ!」的な『全ては気持ちの持ちよう論』があります。
これはいつでも「敵は我にあり!」っていう考え方が先に立ってる感じです。
「自分さえしっかりコントロールすれば何でも解決出来るのだ!」という前提が最初にあるのです。

で、その『全ては気持ちの持ちよう論』の発展形が『自己責任論』です。
ここではそれをスピリチュアル系『自己責任論』とでも申し上げておきます。

ここでいう『自己責任論』というのは「やると心に誓って物事に当たれば、どんなことでも出来ないことはない。」という前提からの「出来ないのは出来ない奴が悪いのだ」という考え方のことです。 
つまり、「やり方さえ間違わずに努力すれば何でも出来るのが当たり前!」という発想なのです。 

この「何でも出来て当たり前」という発想は「この世は予定調和の世界だとベーシックに捉えてること」を意味します。
ここでいう『予定調和の世界』というのは「何時でも何処でも誰にでも分かりやすく辻褄ってのは合うものだ」という考え方のことです。

もっと噛み砕いていえば「失敗するヤツは失敗するようなやり方を自ら選んでいるだけで、成功する方法に切り変えれば誰でも出来るに決まってる! だから、出来ないヤツは『出来る方法をちゃんとやろうとしていない』という意味において、単なる自業自得なのだ」ということなのでしょう。
要するに「何でもやれば出来るものなのに、やらないのはただの怠け者だ!」っていう気持ちが根底にあるのです。

往々にして『自己責任論』は自業自得論に繋がっていきます。
ただ、『自己責任論』が問題なのは自業自得と言いながら単なる『個人の出来る・出来ないの範疇』に収まらないところです。

例えばイジメという問題があります。
イジメを考える時この『自己責任論』というのは「イジメられる人間にもイジメられるだけの責任がある」みたいな考え方に繋がっていきやすい心の在り方です。

ていうか現実に「イジメられるのはイジメられるヤツが悪いんだ!根性で跳ね返せ!」みたいな理屈を大きな声でおっしゃる方は少なくありません。
何故そんな理屈が正しいと思い込むかというと「出来ないのは出来ない奴が悪いのだ」みたいな考え方がベースにあるからでしょう。 
なので、「やり方さえ間違わずに努力すれば出来るのが当たり前!」つまり「やり方さえ間違わずに努力すればイジメられないのが当たり前!」となるわけです。

これは別にイジメに限ったことではありません。
何らかの所謂一つの『真理』とやらに目覚めて「正義はいつも我にあり!」みたいなココロの状態になってしまうと理不尽で不条理なことについて『鈍感』になる気がします。
何でも最初からご自分の『予定調和の世界』に当てはめて捉えようとするからです。
その『鈍感さ』こそが人の心を腐らせる素なんですけどね…



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『ブーメラン』を投げまくるほど人は『自分』を見失います

以前にこんなことを書きました。

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「え〜、これの何が悪いの? 別に普通ですけどぉ〜」って言いそうな感じのね…

今はもっと「何でそれが悪いの?」みたいな人が増えている気がします。
ドヤ顔で大手を振って歩いてる感じと申しましょうか…

じゃあ、そのドヤ顔がどこから来るのかといえば心の視野の狭さからだと思うのです。
心の視野の狭さとは人間に本来備わった平衡感覚によって感じられるはずの感覚が十分感じられなくなった状態のことです。 

そういった感覚が鈍れば当然心も鈍感になります。 
どんどん心が鈍感になれば「自分が鈍感であること」さえ分からなくなるのです。

何が問題といって「自分が鈍感であること」さえ分からなくなることが一番問題なわけです。
鈍感であるから色んなことに気付けません。

「気付けないこと」にさえ気付かなくなるのです。
そして、周りが思いっきりドン引きしてても一人ドヤ顔で胸を張るのです。

そういう人たちが所謂一つの『ブーメラン』を投げまくるわけです。
それが自分に返ってくるとは更々気付かずに投げて投げて投げまくります。
そうすると多くの場合、相手はウンザリして黙ってしまいます。

相手が黙ると「嫌なところを突かれて、効いてるんだ! 正義は我にあり!」と思ってドヤ顔になります。
相手が言い返すと「痛いところを突かれたから反撃してるんだ! 正義は我にあり!」とまた思ってドヤ顔になるのです。
どちらにしろドヤ顔になるって寸法です(-_-)

ストーカーの人が、相手が幾ら「嫌いだ!」って言っても自分の中で「好きだ!」って言ってるのと同じだと変換するように、全てをドヤ顔の元にしてしまうのです。
まあ、それこそがブーメランの元でもありますが…

要するにすべてを自分に都合のいいように歪めて受け止めているので、ブーメランを投げまくってるのにドヤ顔になれるのです。
ていうかブーメランを投げてる自覚がないからドヤ顔にもなれるのでしょう。

ドヤ顔で相手を叩いてるつもりで実は『自分』を叩きまくってることに気付かないのです。
まあ、それがブーメランの本質なんですけどね…



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『万能感』を追い求めるほど人は『想像力』を失います

人間というのは本質的に無知な生き物です。
人間ごときが何でも分かるわけがないのですから当たり前です。

でも、知らない部分は何かで補わなきゃなりません。
その何かとは簡単にいえば想像力です。 
ここでいう想像力とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。

先ず自分の無知を皮膚感覚で知ることが想像力を養う第一歩です。
逆に知ったつもりになればなるほど想像力を失っていきます。

想像力とは自分の無知を知ることから始まるからです。
「オレは何でも知ってるんだぜ!」みたいな人は想像力が乏しいと考えて先ずハズレはありません。

一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きが鈍くなると感情や感覚が鈍感になります。 
他人のものはもちろんそのうち自分の感情や感覚にまで鈍感になっていくのです。

先ず自分の無知を皮膚感覚で知ることが想像力を養う第一歩です。
逆に知ったつもりになればなるほど想像力を失っていきます。
「自分に分からないものは無いんだぞ!」という万能感に満たされるからです。

所謂一つの『スピリチュアル』の世界を外側から拝見していて感じるのは、万能感を渇望する人が集まるところだなぁってことです。
「人間はホントは万能であるはずだ」という価値観の元にして「どうやったらその万能感を得られるか?」を探求する世界のように感じます。
その根拠には「全知全能の神に似せて作られたのが人間だから」というキリスト教的な考え方が根底に横たわっているのだろうと推察します。

少なくともそこに「人間は本来的に万能ではない!」と認識している気配はありません。
そうじゃなけりゃ「引き寄せ」とか「ありのままに!」とか「覚醒した!」とかいう言葉がバンバン出てくるはずがないからです。

そういうのは「ワタシは何もかも分かってしまったんですよ」的な想いが根っこにあるからこそ出てくる言葉なんじゃないでしょうか。
或いは今全貌は分からなくても真理の探求が完成したあかつきには「何もかも分かるようになる時が必ず来るはずだ!」って想いが根底にある人の言葉なのです。

そんなこんなで「これさえあれば無敵になれるぜ!」みたいな凄いワザとかチカラとかを何とか手に入れたい、或いは手に入れることが出来ると信じている人が世の中には少なからずいらっしゃるのです。 
「人間の本質は万能である」という価値観に基づいてね。

そんな「無敵をもたらすスゴい技(仮)」を個人的に『魔法』って呼んできました。
ハリーポッターの物語に出てくるような不思議で強力な『あっという間に願いを叶えるチカラ』のことです。

しかし、その魔法を手に入れようとする行為では結局鈍感しか手に入らないのです。
所謂一つのスピリチュアル的な魔法を手に入れようとすることは人として一番大事な想像力から自らの意志で遠ざかることに等しいってことです。
そこんとこよくよく考えてほしいと願います。



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心の視野の狭さと波動のレベル

波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 
別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 

誰だって朱に交われば朱くなるものです。
それは「人間は自分の外側からの影響を受けて良くも悪くも変わっていく生き物だ」ということです。
しかも、その変化はほとんどの場合自覚的にやっては来ません。

何が言いたいかというと、波動のレベルの低いものとばかり交流していれば自然と確実に波動は下がるということです。
しかも下がれば下がるほど自分の波動のレベルが下がってることに無自覚になるのです。

じゃあ、なぜ無自覚になるかというと、波動のレベルが下がるほどコダワリが増えるからです。
それも一つだけではなく、色んな方面でコダワリは増えていきます。

そして、コダワリが増えれば増えるほど心の視野は狭くなるのです。
心に執着があるわけですから、俯瞰して物事が見られません。

ここでいう心の視野の狭さとは人間に本来備わった五感によって感じられるはずの感覚を十分感じられなくなった状態のことです。 
簡単にいえば心がヒドく鈍感なのです。

どんどん心が鈍感になれば「自分が鈍感であること」さえ分からなくなるのです。
何が問題といって「自分が鈍感であること」さえ分からなくなることが一番問題なわけです。 

鈍感であるがゆえに普通の人は当たり前に気付けるような色んな『サイン』に気付けません。
気付けてないことにさえ気付けなくなるのです。 

で、先ほど「心に執着があるから、俯瞰的に物事が見られなくなる」というようなことを申し上げました。
そういった人の特徴として、何でもかんでもご自分の知ってる世界の法則みたいなモノに物事を引き付けてお話をされます。

ご自分の持っている一つか二つの物差しで以ってこの『世界』全般を推し量ろうとするのです。
何故なら「それが世界そのものだ!」と思い込んでいるからです。

例えば霊能者と呼ばれるような人々の多くがそういう傾向にあります。
なので、自分の知っていることが「霊界の真実そのものだ」などとおっしゃったりするのです。

人によっては「私が知らないことなんてないのだ!」くらいの勢いでお話になられます。
「他の者は何にも分かっちゃいないのだ」的なニュアンスが滲み出ているのです。
まぁ、そんな感じになってる時点で既に相当視野が狭くなってるんでしょうけどね…



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想像力の大切さとスピリチュアルな鈍感のチカラ

この世界から見て人間というのは本質的に無知な生き物です。
人間ごときが何でもかんでも分かるわけがないので当たり前です。

でも、知らない部分は何かで補わなきゃなりません。
その何かとは簡単にいえば想像力です。 
ここでいう想像力とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。

先ず自分の無知を皮膚感覚で知ることが想像力を養う第一歩です。
逆に知ったつもりになればなるほど想像力を失っていきます。
すでによく知っているなら (あくまでその人にとってですが) それ以上想像力を巡らす必要なんてありませんので。

一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きが鈍くなると感情や感覚が鈍感になります。 
他者に対してはもちろん、そのうち自分の感情や感覚にまで鈍感になっていくでしょう。

鈍感は人間らしさを失う第一歩です。
しかし、激烈に競争する社会を生きていくための『ある種のチカラ』になるのも事実です。
昔『鈍感力』って本も流行りましたし…

例えば他人を蹴落としてもその心の痛みに対して平気になるのです。 
それも鈍感のチカラの為せるワザです。

鈍感のチカラとは持って生まれた五感を鈍くして心と身体に来るダメージを感じにくくすることです。
素の感覚を麻痺させて所謂一つの『オトナ』になることと言ってもいいかも知れません…

所謂一つの『オトナ』になるというのはオトナのルールを分かったつもりになることです。
「分かったつもり」っていうのが鈍感を助長させるわけですが…
世間にいる「もっと大人になれよ!」という人の大多数は肝心なところが鈍感になった人だと思います。

じゃあ肝心なことってのは何かと言えば、日常生活においてごく普通の平衡感覚を保つことです。
ごく普通の平衡感覚を保つためにはスピリチュアルな知識や経験より有り触れた五感に軸足を置くことが大切です。 

ここでいう『平衡感覚』というのは生き物に生まれながらに備わっている『勘』みたいなモノのことです。 
例えば災害などに遭遇して自然の中に投げ出された時に「次にどうするか?」を瞬間的に判断しなくちゃならないような局面で最終的に役に立つのがその『勘』です。

『勘』というのは人間に元々備わった感受性に基づいているのだと感じます。
鈍感になるとはその感受性を削り取ることです。

感受性を削り取る代わりにダメージに対するショックアブソーバーのようなモノを手に入れるのが所謂『鈍感力』です。
生き馬の目を抜くような世の中で生きるためには仕方ない部分もあるのでしょうが、不自然です。

その不自然さは他者に対する攻撃性に行き着くのだと思います。
他者の痛みや苦しみに対して鈍感になりますからね。
偶然ではなく必然としてね。

そして、スピリチュアルな世界ほど鈍感のチカラが尊ばれる場はないんじゃないでしょうか?
平凡な自然より魔法のような超自然が好まれる場所でしょうから…



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