割安成長株投資塾

株で1億円作り。達成するには大別して2つの方法があります。1つはデイトレなどの超短期投資によるもの。もう1つは成長株に投資し、数週間〜数カ月、銘柄によっては数年をかける中長期投資によるものです。私が実践し成果を上げて来たのは成長株投資。当ブログでは兼業で1億円達成を目指す、しかもこれまでの苦戦を逆転したい。こんな希望を持つ個人投資家に、多数の儲かる投資家を養成してきた実績を持つ私(北浜流一郎)が、株で稼ぎ続け悠々人生を楽しむのに欠かせないノウハウや最新情報を紹介します。ヤフーカテゴリ登録承認ブログ。リンクは自由に可です。

今日の名言、元気の出ることば

株がどうもうまく行かないという人にお勧めの連載記事紹介。

株がどうもうまく行かない。

こんな人は読んでみては。

非常に参考になる連載です。

この記事だけでなく、これまでの記事もぜひ。

⇒【HBO!】元日経記者が500万円の大損をしてやっと気づいた
、元本割れを避け、確実に年1割の利益を得るための「心構え」 さんから

山崎元氏のダイヤモンドオンライン掲載原稿がお勧めです。

朝から読みごたえのある山崎元氏(経済評論家)の転職録です。

実に細かくご自分の転職歴を振り返っておられ、

収入との関係についても率直に語っておられます。

私は大学中退以降、短期間(1年前後を2回)就職したことがありますが、
その後はまったくフリーで生きてきただけに、
山崎氏とは少々事情が異なりますが、
氏の自力を信じて今日の高い評価に辿り着かれた道程に、
大いに敬意を表したいですね。


それに投稿でテーマになっている

「副業」から「複業」への進化提言は、

20代〜60代の方、

特に方向感を見定めにくい時代の中で、
サラリーマンとして、
勤めと生きがいの間で揺れ動きながら仕事をしている人には、
大いに参考になるのでは。

70代の私には少々無理でしょうが・・・?(笑)


⇒転職12回、副業20年の山崎元が副業容認で後輩に伝えたいこと(ダイヤモンド・オンライン) - Yahoo!

で絶不調相場はこの名言で乗り切れ

  1. 言ってみな by 相田みつお
  • これがまさに金言だ! @wlnerqcj 11月11日
    1. おまえさんないま一体何が一番欲しい?あれもあれもじゃだめだよ!いのちがけでほしいものをただ一つに的をしぼって
    2. お金がたまる画像です。15秒眺めると効果が!
    3. 埋め込み画像への固定リンク
    1. さんがリツイート
    2. 「手に入れて、そして失うもの」、それがお金です。しかし時間は「失うこと」しかできません。ですから大切に使わなければいけないのです。 by 作者不明
    1. さんがリツイート
    2. 儲けたいからギャンブルをするのではない。たまに勝ったときの高揚感が忘れられないからギャンブルをするのだ。 by 作者不明
    1. さんがリツイート
    2. 自分にとってお金があまり重要でないときのほうが、より早くお金を稼げる。このパラドックスを解決するコツは、お金の重要性をしっかり認識すると同時に、お金を手に入れるためにあくせくしないことだ。
    1. さんがリツイート
    2. 愚か者は、金を持って死んでいくために、貧乏で暮らす。 by ブロッケス
    1. さんがリツイート
    2. もちろん金は絶対的な力である。と同時に、平等の極致でもある。金の持つ偉大な力は、まさにそこにあるのだ。金はすべての不平等を平等にする by ドストエフスキー
    1. さんがリツイート
    2. 金のかかる生活は、金がかかるにもかかわらず、大人気だ。 by キャスリーン・ハリス
    1. さんがリツイート
    2. 面倒だからしたくないことでも、思いきってやっていると、その瞬間に勢いがつく。それをきっかけにして自己刷新に励めば、あなたはますます磨きがかかる。
    1. さんがリツイート
    2. お金があれば幸せになれるかは保証できません。しかし圧倒的に苦労が減ります。煩わしい日々のストレスがどんどん減っていきます。自分がやりたくないことは任せれば良くなりますので。お金があると幸せになれるかは分かりませんが、"楽"です。圧倒的に楽です。苦労から遠のきます。
    1. さんがリツイート
    2. 私たちが考える投資を学ぶ生徒に必要な事は、2つの科目を学習するだけです。それは「企業価値の評価法」と「市場価格のとらえかた」です。
    1. さんがリツイート
    2. ダウ・ジョーンズの値段がいくらになるかということにはあまり関心がありませんし、私には予想ができないと思います。
    1. さんがリツイート
    2. 世間のイメージとは逆に、技術革新がなされていないローテク企業の中にこそ、投資家が求める十分な利益を稼ぐ企業が存在しているのです。
    1. さんがリツイート
    2. 経営管理がされていなくても、多額のキャッシュを稼ぎ出すことのできるビジネス、それが私の理想です。
    1. さんがリツイート
    2. 日常的に使われる消費財は、必ず次の需要が発生します。
    1. さんがリツイート
    2. 資本収益率が月並で、多くの資本を投入して稼いだとしても、それは経営者の功績とは言えないでしょう。
    1. さんがリツイート
    2. その企業の財政面を見て、経営者たちを見て、最後に支払うべき価格を見ます。
    1. さんがリツイート
    2. 変化の早い業界に投資すれば、確かに莫大な利益を得られるかもしれません。しかし、確実性は存在しないのです。
    3. さんがリツイート
    1. 保有している銘柄の企業の業績が上がり、この成功した株を売却するとすれば、それはまるでチームにとって重要な存在になったので、マイケル・ジョーダンをシカゴブルズがトレードに出すようなものなのです。

    株で自分年金作るなら時々バフェット氏の名言ですね

     

    私たちが大きな投資をしている会社は、株価と価値の間に大きな乖離が起こった時に、大掛かりな自社株買いを行ってきました。

    株で自分年金作り。成功加速にバフェット氏の名言です

     

    あなたは株式市場というカジノでたくさんの愚かな人達を相手にしているようなものです。カジノにいる人達はみんな酔っ払っていますよね。でもその場の雰囲気に流されることなく、ペプシを飲むんですよ。

    戦艦大和の語り部・八杉氏、感動の一文紹介です


    流れ、流され行く日々の中で、
    出会えて良かったと思える偶然の遭遇が時々ありますが、
    戦艦大和の語り部八杉氏の「語り」には時間が止まりました。

    大和撃沈では数限りない死生のドラマがあったはずながら、
    これまでそれを歴史の一コマとして見て来ました。...

    時には美化して受け止めたことも。

    しかし八杉氏のナマの体験に基づく大和乗組員たちの修羅場における生きざま、死にざまはそれぞれ重く強く胸に来るものがありました。

    「若者よ」

    の呼びかけながら、年代を越えて読める、
    終戦記念日のための八杉氏の後世への遺言ともいうべき読みごたえのある一文でした。
    もっと見る
    【3分で読める『致知』の感動する話】
      〜終戦記念日 特別配信〜
    「若者よ、
     君たちが生きるきょうという日は
     死んだ戦友たちが生きたかった
     未来だ」...
    ……………………………………… 

     戦艦大和の乗組員として、
     その沈没を体験、上官の命と
     引き換えに一命を取り留めた
     八杉康夫氏。

     いまなお語り部としてその歴史の
     真実を伝え続ける氏が、これからの
     日本を担う若者たちへ送る
     メッセージとは――。
    ………………………………………  

     第一波、第二波と攻撃を受けるうち、
     大和の後部が白煙を上げているのが
     私にも分かりました。
     なおも攻撃が続けられ、
     魚雷が的中した時は震度5にも
     感じられるほど激しく揺れました。
     
     次第に船は傾いていきます。
     砲術学校では、戦艦は15度傾いたら
     限界と習ってきましたが、25度、
     30度とどんどん傾いていきます。
     
     それでも、戦闘中は命令がない限り 
     持ち場を離れることはできません。
     その時「総員、最上甲板へ」との
     命令が出ました。
     軍には「逃げる」という言葉は
     ありませんが、
     これが事実上「逃げろ」という
     意味です。
     
     すでに大和は50度ほど傾いて
     いましたが、この時初めて、
    「大和は沈没するのか」と思いました。
     それまでは本当に「不沈戦艦」だと
     思っていたのです。

     もう海に飛び込むしかない。
     そう思った時、衝撃的な光景を
     目の当たりにしました。
     私が仕えていた少尉が日本刀を
     抜いたかと思うと、自分の腹を
     掻っ捌いたのです。
     噴き出す鮮血を前に、
     私は凍り付いてしまいました。
     
     船はますます傾斜がきつくなって
     いきました。90度近く傾いた時、
     私はようやく海へ飛び込みました。
     
    ・ ・ ・ ・ ・ ・

     飛び込んだのも束の間、
     沈む大和が生み出す渦の中へ
     巻き込まれてしまいました。
     その時、私の頭に過ったのは
     海軍で教わった
    「生きるための数々の方策」です。
     
     海軍に入ってからというもの、
     私たちが教わったのは、
     ひたすら「生きる」ことでした。
     海で溺れた時、どうしても
     苦しかったら水を飲め。
     漂流した時は体力を消耗してしまう
     から泳いではならない……。
     
     陸軍は違ったのかもしれませんが、
     海軍では「お国のために死ね、
     天皇陛下のために死ね」などと
     言われたことは一度もありません。
     ひたすら
    「生きること、生き延びること」を
     教わったのです。
     
     だから、
     この時も海の渦に巻き込まれた時の
     対処法を思い返し、実践しました。
     しかし、どんどん巻き込まれ、
     あまりの水圧と酸欠で次第に
     意識が薄れていきます。
     
     その時、ドーンという轟音とともに
     オレンジ色の閃光が走りました。
     戦艦大和が大爆破したのです。
     そこで私の記憶はなくなりました。

    ・ ・ ・ ・ ・ ・

     気づいたら私の体は水面に
     浮き上がっていました。
     幸運にも、爆発の衝撃で水面に
     押し出されたようです。

     しかし、一所懸命泳ぐものの、
     次第に力尽きてきて、
     重油まみれの海水を飲み込んで
     しまいました。
    「助けてくれ!」と叫んだと同時に、
     なんともいえない恥ずかしさが
     込み上げてきました。
     
     この期に及んで情けない、
     誰にも聞かれてなければいいが……。
     
     すると、すぐ後ろに川崎勝己高射長が
     いらっしゃいました。
    「軍人らしく黙って死ね」と
     怒られるのではないか。
     そう思って身構える私に、
     彼は優しい声で
    「落ち着いて、いいか、落ち着くんだ」
     と言って、
     自分がつかまっていた丸太を
     押し出しました。
     そして、なおもこう言ったのです。

    「もう大丈夫だ。
     おまえは若いんだから、
     頑張って生きろ」

     4時間に及ぶ地獄の漂流後、
     駆逐艦が救助を始めると、
     川崎高射長はそれに背を向けて、
     大和が沈んだ方向へ泳ぎ出しました。
     高射長は大和を空から守る
     最高責任者でした。
     
     大和を守れなかったという思いから、
     死を以て責任を取られたのでしょう。
     高射長が私にくださったのは、
     浮きの丸太ではなく、
     彼の命そのものだったのです。

    ・ ・ ・ ・ ・ ・
     
     昭和60年のことです。
     いつもピアノの発表会などで
     お会いしていた女性から喫茶店に
     呼び出されました。
     彼女は辺見さんが書かれた
    『男たちの大和』を取り出し、
     こう言ったのです。

    「八杉さん、実は川崎勝己は
     私の父です」

     驚いたなんていうものじゃ
     ありません。
     戦後、何とかしてお墓参りをしたい
     と思い、厚生省など方々に問い合わせ
     ても何の手がかりもなかったのに、
     前から知っていたこの人が高射長の
     お嬢さんだったなんて……。

     念願叶って佐賀にある高射長の墓前に
     手を合わせることができましたが、
     墓石には「享年31歳」とあり、
     驚きました。
     もっとずっと年上の人だと
     思い込んでいたからです。
     
     その時私は50歳を超えて
     いましたが、自分が31歳だった
     時を思い返すとただただ恥ずかしい
     思いがしました。
     
     そして、
     不思議なことに、それまでの晴天が
     急に曇天となったかと思うと、
     突然の雷雨となり、まるで
    「17歳のあの日」が
     巡ってきたかのようでした。
     
     天皇も国家も関係ない、
     自分の愛する福山を、
     そして日本を守ろうと憧れの
     戦艦大和へ乗った感動。
     不沈戦艦といわれた大和の沈没、
     原爆投下によって被爆者になる、
     そして、敗戦。
     
     そのすべてが17歳の時に一気に
     起こったのです。17歳といえば、
     いまの高校2年生にあたります。

    ・ ・ ・ ・ ・ ・

     最近は学校関係へ講演に行く機会も
     ありますが、現在の学生の姿を見ると
     明らかに戦後の教育が間違ったと
     思わざるを得ません。
     
     いや、生徒たちだけではない。
     間違った教育を受けた人が
     先生となり、親となって、地域社会を
     動かしているのです。 
     
     その元凶は昭和史を学ばないことに
     あるような気がしてなりません。
     自分の両親、祖父母、曾祖父母が
     どれほどの激動の時代を生きて
     きたかを知らず、
     いくら石器時代を学んだところで、
     真の日本人にはなれるはずがない。
     現に
    「日本に誇りを持っていますか」
     と聞くと、
     学校の先生ですら
    「持ってどうするんですか?」と
     真顔で聞き返すのですから。
     
     よく「日本は平和ボケ」などと
     言われますが、毎日のように
     親と子が殺し合うこの日本のどこが
     平和ですか?
     確かに昔も殺しはありました。
     しかし、「殺してみたかった」など
     と、意味もなく殺すことは
     考えられませんでした。 
     
     真の平和とは、歴史から学び、
     つくり上げていくほかありません。
     鶴を折ったり、徒党を組んで
     デモをすれば天から降ってくるもの
     ではないのです。
     
     しかし、
     1流の国立大学の大学院生ですら、
    「昭和史は教えてもらっていないので
     分かりません」
     と平気で言います。
     ならば自分で学べと私は言いたい。
     自分で学び、考えることなしに、
     自分の生きる意味が分かるはずが
     ないのです。

    ・ ・ ・ ・ ・ ・

     人として生きたなら、
     その証を残さなければなりません。
     大きくなくてもいいのです。
     小さくても、精一杯生きた証を
     残してほしい。
     
     戦友たちは若くして戦艦大和と
     運命をともにしましたが、
     いまなお未来へ生きる我々に大きな
     示唆を与え続けています。
     復員後、長く私の中に渦巻いていた
    「生き残ってしまった」という罪悪感。
     
     それはいま使命感へと変わりました。
     私の一生は私だけの人生ではなく、
     生きたくても生きられなかった
     戦友たちの人生でもあるのです。
     うかうかと老年を過ごし、
     死んでいくわけにはいきません。
     
     未来の日本を託す若者たちが歴史を
     学び、真の日本人になってくれるよう
     私は大和の真実を語り続け、
     いつか再び戦友たちに会った時、
    「俺も生かされた人生でこれだけ
     頑張った」
     と胸を張りたいと思います。

    ……………………………………………

    「若者よ、
     君たちが生きるきょうという日は
     死んだ戦友たちが生きたかった
     未来だ」
     
     八杉康夫(やすぎ・やすお)
     戦艦大和語り部 
     
    『致知』2006年7月号
     特集「人学ばざれば道を知らず」より

    -・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

     月刊誌『致知』には毎号、
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    -・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

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  〜終戦記念日 特別配信〜
「若者よ、
 君たちが生きるきょうという日は
 死んだ戦友たちが生きたかった
 未来だ」
……………………………………… 

 戦艦大和の乗組員として、
 その沈没を体験、上官の命と
 引き換えに一命を取り留めた
 八杉康夫氏。

 いまなお語り部としてその歴史の
 真実を伝え続ける氏が、これからの
 日本を担う若者たちへ送る
 メッセージとは――。
………………………………………  

 第一波、第二波と攻撃を受けるうち、
 大和の後部が白煙を上げているのが
 私にも分かりました。
 なおも攻撃が続けられ、
 魚雷が的中した時は震度5にも
 感じられるほど激しく揺れました。
 
 次第に船は傾いていきます。
 砲術学校では、戦艦は15度傾いたら
 限界と習ってきましたが、25度、
 30度とどんどん傾いていきます。
 
 それでも、戦闘中は命令がない限り 
 持ち場を離れることはできません。
 その時「総員、最上甲板へ」との
 命令が出ました。
 軍には「逃げる」という言葉は
 ありませんが、
 これが事実上「逃げろ」という
 意味です。
 
 すでに大和は50度ほど傾いて
 いましたが、この時初めて、
「大和は沈没するのか」と思いました。
 それまでは本当に「不沈戦艦」だと
 思っていたのです。

 もう海に飛び込むしかない。
 そう思った時、衝撃的な光景を
 目の当たりにしました。
 私が仕えていた少尉が日本刀を
 抜いたかと思うと、自分の腹を
 掻っ捌いたのです。
 噴き出す鮮血を前に、
 私は凍り付いてしまいました。
 
 船はますます傾斜がきつくなって
 いきました。90度近く傾いた時、
 私はようやく海へ飛び込みました。
 
・ ・ ・ ・ ・ ・

 飛び込んだのも束の間、
 沈む大和が生み出す渦の中へ
 巻き込まれてしまいました。
 その時、私の頭に過ったのは
 海軍で教わった
「生きるための数々の方策」です。
 
 海軍に入ってからというもの、
 私たちが教わったのは、
 ひたすら「生きる」ことでした。
 海で溺れた時、どうしても
 苦しかったら水を飲め。
 漂流した時は体力を消耗してしまう
 から泳いではならない……。
 
 陸軍は違ったのかもしれませんが、
 海軍では「お国のために死ね、
 天皇陛下のために死ね」などと
 言われたことは一度もありません。
 ひたすら
「生きること、生き延びること」を
 教わったのです。
 
 だから、
 この時も海の渦に巻き込まれた時の
 対処法を思い返し、実践しました。
 しかし、どんどん巻き込まれ、
 あまりの水圧と酸欠で次第に
 意識が薄れていきます。
 
 その時、ドーンという轟音とともに
 オレンジ色の閃光が走りました。
 戦艦大和が大爆破したのです。
 そこで私の記憶はなくなりました。

・ ・ ・ ・ ・ ・

 気づいたら私の体は水面に
 浮き上がっていました。
 幸運にも、爆発の衝撃で水面に
 押し出されたようです。

 しかし、一所懸命泳ぐものの、
 次第に力尽きてきて、
 重油まみれの海水を飲み込んで
 しまいました。
「助けてくれ!」と叫んだと同時に、
 なんともいえない恥ずかしさが
 込み上げてきました。
 
 この期に及んで情けない、
 誰にも聞かれてなければいいが……。
 
 すると、すぐ後ろに川崎勝己高射長が
 いらっしゃいました。
「軍人らしく黙って死ね」と
 怒られるのではないか。
 そう思って身構える私に、
 彼は優しい声で
「落ち着いて、いいか、落ち着くんだ」
 と言って、
 自分がつかまっていた丸太を
 押し出しました。
 そして、なおもこう言ったのです。

「もう大丈夫だ。
 おまえは若いんだから、
 頑張って生きろ」

 4時間に及ぶ地獄の漂流後、
 駆逐艦が救助を始めると、
 川崎高射長はそれに背を向けて、
 大和が沈んだ方向へ泳ぎ出しました。
 高射長は大和を空から守る
 最高責任者でした。
 
 大和を守れなかったという思いから、
 死を以て責任を取られたのでしょう。
 高射長が私にくださったのは、
 浮きの丸太ではなく、
 彼の命そのものだったのです。

・ ・ ・ ・ ・ ・
 
 昭和60年のことです。
 いつもピアノの発表会などで
 お会いしていた女性から喫茶店に
 呼び出されました。
 彼女は辺見さんが書かれた
『男たちの大和』を取り出し、
 こう言ったのです。

「八杉さん、実は川崎勝己は
 私の父です」

 驚いたなんていうものじゃ
 ありません。
 戦後、何とかしてお墓参りをしたい
 と思い、厚生省など方々に問い合わせ
 ても何の手がかりもなかったのに、
 前から知っていたこの人が高射長の
 お嬢さんだったなんて……。

 念願叶って佐賀にある高射長の墓前に
 手を合わせることができましたが、
 墓石には「享年31歳」とあり、
 驚きました。
 もっとずっと年上の人だと
 思い込んでいたからです。
 
 その時私は50歳を超えて
 いましたが、自分が31歳だった
 時を思い返すとただただ恥ずかしい
 思いがしました。
 
 そして、
 不思議なことに、それまでの晴天が
 急に曇天となったかと思うと、
 突然の雷雨となり、まるで
「17歳のあの日」が
 巡ってきたかのようでした。
 
 天皇も国家も関係ない、
 自分の愛する福山を、
 そして日本を守ろうと憧れの
 戦艦大和へ乗った感動。
 不沈戦艦といわれた大和の沈没、
 原爆投下によって被爆者になる、
 そして、敗戦。
 
 そのすべてが17歳の時に一気に
 起こったのです。17歳といえば、
 いまの高校2年生にあたります。

・ ・ ・ ・ ・ ・

 最近は学校関係へ講演に行く機会も
 ありますが、現在の学生の姿を見ると
 明らかに戦後の教育が間違ったと
 思わざるを得ません。
 
 いや、生徒たちだけではない。
 間違った教育を受けた人が
 先生となり、親となって、地域社会を
 動かしているのです。 
 
 その元凶は昭和史を学ばないことに
 あるような気がしてなりません。
 自分の両親、祖父母、曾祖父母が
 どれほどの激動の時代を生きて
 きたかを知らず、
 いくら石器時代を学んだところで、
 真の日本人にはなれるはずがない。
 現に
「日本に誇りを持っていますか」
 と聞くと、
 学校の先生ですら
「持ってどうするんですか?」と
 真顔で聞き返すのですから。
 
 よく「日本は平和ボケ」などと
 言われますが、毎日のように
 親と子が殺し合うこの日本のどこが
 平和ですか?
 確かに昔も殺しはありました。
 しかし、「殺してみたかった」など
 と、意味もなく殺すことは
 考えられませんでした。 
 
 真の平和とは、歴史から学び、
 つくり上げていくほかありません。
 鶴を折ったり、徒党を組んで
 デモをすれば天から降ってくるもの
 ではないのです。
 
 しかし、
 1流の国立大学の大学院生ですら、
「昭和史は教えてもらっていないので
 分かりません」
 と平気で言います。
 ならば自分で学べと私は言いたい。
 自分で学び、考えることなしに、
 自分の生きる意味が分かるはずが
 ないのです。

・ ・ ・ ・ ・ ・

 人として生きたなら、
 その証を残さなければなりません。
 大きくなくてもいいのです。
 小さくても、精一杯生きた証を
 残してほしい。
 
 戦友たちは若くして戦艦大和と
 運命をともにしましたが、
 いまなお未来へ生きる我々に大きな
 示唆を与え続けています。
 復員後、長く私の中に渦巻いていた
「生き残ってしまった」という罪悪感。
 
 それはいま使命感へと変わりました。
 私の一生は私だけの人生ではなく、
 生きたくても生きられなかった
 戦友たちの人生でもあるのです。
 うかうかと老年を過ごし、
 死んでいくわけにはいきません。
 
 未来の日本を託す若者たちが歴史を
 学び、真の日本人になってくれるよう
 私は大和の真実を語り続け、
 いつか再び戦友たちに会った時、
「俺も生かされた人生でこれだけ
 頑張った」
 と胸を張りたいと思います。

……………………………………………

「若者よ、
 君たちが生きるきょうという日は
 死んだ戦友たちが生きたかった
 未来だ」
 
 八杉康夫(やすぎ・やすお)
 戦艦大和語り部 
 
『致知』2006年7月号
 特集「人学ばざれば道を知らず」より

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    参考になる「奥が深い投資の名言格言」紹介

    奥が深い投資の格言名言bot @indexfxcfd  ・  7月27日


    リスクシナリオにとらわれた日本人だけ、世界の資産価格高騰相場に乗り遅れたのだ。リスクシナリオとは起こる確率が低いからリスクシナリオという。資産運用に関しては、そのリスクシナリオに捉われすぎず、メインシナリオに基づいた意思決定を行うことが重要だ。

    ピーターリンチの投資名言、時々読むと大事な投資の基本思い出します。

     

    誰もが株式市場を理解する知力を持っている。小学校5年生までの算数をやり遂げていれば、あなたにも絶対できる。自分の知っているものに投資することだ。個人投資家はもっと株式から、ファンドマネージャーよりもお金を儲けることができる。

    自然エネルギー活用の目玉焼き作りを断念

    こんなに気温が高ければ、
    フライパンに卵を落とすと目玉焼きが出来るに違いない。

    エネルギー節約のために、これは何としても今日は自然エネルギー
    を使って昼のおかずを作らねば。

    一大決心して私の愛用の玉子焼き器を庭でまずは温めることに。

    30分ほど温めたので相当温度も上がったに違いない、

    さあ、卵を割って落とさなくては、

    と冷蔵庫を見たところ、
     
    えっ、た、た、卵がゼロ。
     
    いつもは必ずある卵の姿が見えません。

    えーっ、それはないでしょう。

    「誰か卵買って来て」

    家族に頼んでも誰も応じてくれる者がおらず、
    かといって炎熱の中、下手にスーパーに出かけてしまったら、
    自分が目玉焼き状態になりかねません。

    結局、命が惜しくなり目玉焼き作りギブアップでした(笑)
    こんなに気温が高ければ、
フライパンに卵を落とすと目玉焼きが出来るに違いない。

エネルギー節約のために、これは何としても今日は自然エネルギーを使って昼のおかずを作らねば。

一大決心して私の愛用の玉子焼き器を庭でまずは温めることに。

30分ほど温めたので相当温度も上がったに違いない、

さあ、卵を割って落とさなくては、

と冷蔵庫を見たところ、卵はゼロ。

えーっ、それはないでしょう。

「誰か卵買って来て」

家族に頼んでも誰も応じてくれる者がおらず、
かといって炎熱を中、下手にスーパーに出かけてしまったら、
自分が目玉焼き状態になりかねません。

結局、命が惜しくなり目玉焼き作りギブアップでした(笑)
     

    投資にもパワーをもらえる今日の名言です

    北浜 流一郎さんが名言コツコツさんの写真をシェアしました。
    安岡正篤翁は、私の父親の師であり、
    私の本名の名付け親でもあります。

    当然そのことばは私の座右の銘ともなっていて、
    今朝たまたま「名言コツコツ」さんのサイトで出会いましたので、
    シェアです。
    【夜名言でクールダウン】
今を幸せと感じられれば、
人生は「いま」の連続体なのだから、
一生が幸せなのである。
安岡 正篤

今夜の写真は Ayumi Shimojo さんから投稿いただきました。
どうもありがとうございます♪

(今日はパソコンの調子が悪くて遅くなりました (>_<) )
    【夜名言でクールダウン】

    今を幸せと感じられれば、
    人生は「いま」の連続体なのだから、
    一生が幸せなのである。

    安岡 正篤

    今夜の写真は Ayumi Shimojo さんから投稿いただきました。
    どうもありがとうございます♪
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