2016年08月20日

ピアノトリオコンサート

ヘンデル
  ヴァイオリンソナタニ長調

ラフマニノフ
  ヴァカリーズ

ポッパー
  ハンガリー狂詩曲

プロコフィエフ
  ヴァイオリンソナタ第1番

リスト
  エステ荘の噴水

メンデルスゾーン
  ピアノ三重奏曲第1番

  歌の翼に


待谷 翠(Vn)
西川彩乃(Vc)
辻 真理(pf)

8月11日  島之内教会


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2016年08月15日

フルトヴェングラー/バイロイト祝祭o ベートーヴェン sym9 2016

これは、ビジネスである。
大衆に受ける看板が2枚揃っていて、背景にドラマがある。そしてマスゴミによって神格化が行われ誰も批判できない存在となった。こうしてレコード屋はモヤモヤした二流の演奏をドル箱に変えた。素晴らしい手腕である。

クラシック音楽界の危うさは神格化にある。確かに過去の作曲家、演奏家には偉大な人もたくさんいるが、神格化によってアンタッチャブルになった時点で彼らは固定観念と化してしまった。権威は害である。

クラシック音楽は作品、演奏共に高いクォリティを持ち、それ故に芸術とされている。クラシック音楽で情緒的に感じられる部分、即ち、劇的とか、感傷的とか、テンポが速い、遅いといった現象は表面的なものに過ぎない。
和声の変化に音楽の核心部分があり、それは野球で投手が打者をどのように攻略するかに似ている。投手は何球か投げる間に打者との勝負を付ける。このときに初球どのように入り、最終的にどのように打ち取るかの駆け引きであり、これは音楽においてフレーズ単位で起こっていることと近似性がある。投手はこういうことを繰り返し、最終的に9イニング終えた時点で試合は終了する。音楽はフレーズを幾つもつなげて作品全体を構成する。
こうした部分に理解が及ぶことで初めて音楽を立体的に聴くことができるのではないか。
音楽を聴いて激しいとかアグレッシブである、といった感想は、野球で勝敗しか見ていない状態と変わらない。こういう間隙にビジネスが入り込む余地がある。

私の知っているある音楽関係者は「売れる指揮者が偉い人」と言っているが、それは芸術ではなくビジネスであることに気付いていない。


frut


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2016年07月09日

大阪楽所第34回雅楽演奏会

平調音取
皇襄急
超殿楽残楽三返
陪臚
振鉾二節
春庭花
延喜楽
長慶子

7月2日 国立文楽劇場

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2016年06月27日

第34回日本ライトハウスチャリティコンサート

バッハ
  2つのヴァイオリンの為の協奏曲
シューベルト
  sym8
ショーソン
  詩曲
プロコフィエフ
  ヴァイオリン協奏曲第1番
スメタナ
  モルダウ

和波孝禧(Vn)
川畠成道(Vn)
澤 和樹/千里フィルハーモニア大阪

6月26日 ザ シンフォニーホール

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2016年06月18日

canon raidin

canon raidin
平凡な農村に嵐が来る。逃げ惑う人々。やがて雷神が現れ嵐はピークを迎える。落雷、陰陽師が天候の回復を祈願すると遠雷を残して嵐は去って行った。落雷は空気中の窒素を地面に固定する効果があり、五穀豊穣をもたらす。嵐が去った農村には蝶が舞い、豊かな収穫がもたらされた。
この作品は8つのカノンコードから成り、また8つの部分全体がカノンコードの関係性を持っている。4番目のコードは拡大されていて雷神が現れる。
我々の世界は11次元あると考えられている。このうちいわゆる3次元部分が極端に拡大されており、他の次元は0.01ミリ以下のスケールに閉じ込められている。この作品のレイアウトは一貫性に欠けるように見えるが、これは我々が気付かない現実世界のアンバランスな実態をイメージしている。

カノン雷神



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